<   2006年 12月 ( 26 )   > この月の画像一覧

北陸・山陰編(27):三仏寺投入堂(06.9)

 また石段を少しのぼって左に曲がると本堂、その脇を抜けると登山参拝受付所が見えてきます。「これより奥は、修験道の行場のため険しく危険な場所があります。必ず登山届をして登り、下山時には必ず下山届をして下さい」という表示を見て、身が引き締まる思いでした。ここでさらに登山参拝志納金200円を納めると、輪袈裟を貸してくれます。いよいよ聖なる結界に入るのだと自戒。(煙草も吸えそうにないな…) 登山届に名前・住所・電話番号を書いていると、「少し読みづらいのできちんと書き直してください」と消しゴムで消されてしまいました。ますます緊張が高まります。ある方が杖を貸してくれというと、係りの方の「かえって邪魔です、五体をすべて使って登ってください」という返答。お土産を物色していると、さっき出発した男性が青息吐息で戻ってきて下山届に記入しながら「俺には…無理だ」と呟いておられます。外には「過去、三徳山では、登山道において入山者が死傷するという滑落事故が発生しており、また、入山者が登山中に意識消失になり救助されるという事案も発生しています」という倉吉警察署のポスター。もう不安と緊張感は最高潮。弱音をかましてよかですか? 実は「やめたら」という天使の小さな囁きも聞こえました。しかあし、「がんばれベアーズ」でウォルター・マッソーが言っていた名台詞「あきらめるな、あきらめると癖になる」という言葉を胸に、とにかく登りましょう。
c0051620_1846162.jpg

 急な山道ですが登れないことはありません。何とかなりそうだなと安堵し、十一面観音堂に到着。役行者像を撮影し、水分を補給し、さて…………………… どっちにいけばいいんだ! 道が見当たらない。よおく見ると木の根が動脈のように浮き出ている急峻な崖の上方に、人影があります。ここを登るのか… 後はもう必死。石や木の根に足をかろうじてひっかけ、木の枝や岩をつかみながら何とか登りきりました。ここは「かづら坂」という難所だそうです。この後もこうした難所の連続。ある方の「なぜ金払ってこんな目に…」というぼやきが印象的でした。
c0051620_18463455.jpg

 鎖にしがみついて巨大な岩を登る「くさり坂」をクリアすると、清水寺のような姿形をした文殊堂に到着。違うのは手すりがないということ。腰が引けましたが、倉吉市内と連山を一望できる絶景ポイントでした。
c0051620_1846494.jpg


 本日の二枚は、「かづら坂」を前に(もちろん私も含めて)立ちすくむ人々と、文殊堂からの眺望です。
c0051620_6274042.jpg

c0051620_20301926.jpg

by sabasaba13 | 2006-12-31 06:29 | 山陰 | Comments(2)

北陸・山陰編(26):三仏寺投入堂(06.9)

 いよいよ最終日、そして最も楽しみにしていた三徳山三仏寺投入堂を訪れる日です。もう、不安と期待で小さな胸ははちきれそう! 幸い、天気予報では晴れ時々曇りだし、最近雨も降っていないようなので泥濘もないでしょう。昨晩は御神酒で十二分に心身を清めたし、準備万端。倉吉駅からバスに乗って三仏寺へと向かいます。途中に「山崎」「片柴」という停留所がありましたが、録音されたアナウンスはきっちりと「やま[さ]き」「かた[し]ば」と[ ]の部分を強調した関西風アクセントで読み上げていました。関西では濁点を嫌うのですね。「パオパブ植物園」という道路表示もありましたが、これって「星の王子さま」に出てくる上下さかさまにはえているような樹ですよね。うーん、見てみたいけれど諦めましょう。三朝(みささ)温泉を過ぎると、バスは山道に入ります。山がちの地形に合わせた小さな水田や棚田が数多く営まれていました。道路わきの八畳ほどの小さな田んぼに、刈り取った稲がきちんとはざがけにされていた光景には胸が熱くなりました。そして30分ほどで三仏寺に到着です。
c0051620_18442072.jpg

 706年(慶雲3)役小角(役行者)が修験道の行場として開いたと伝えられ、849年(嘉祥2)慈覚大師円仁が再興して、三仏を安置したのが寺名の由来です。大山と並んでこの地方における山岳仏教の一大霊地で、険しい崖の岩窟に建てられた、役行者が投げ入れたと伝えられる奥の院(投入堂)が有名です。バス停で降りるといきなり長い石段がありますが、こんなものは序の口。石段の脇に「滑りにくい運動靴や登山靴ですか? 参拝登山に適した服装ですか? 心身共に体調は万全ですか?」というチェック項目がありましたが、勿論すべてクリア。
c0051620_18443671.jpg

 受付案内所で拝観料を払い、トイレで小用を済ませていざ出発。さすが修行の場、簡にして当を得た男女の表示には感服しました。
c0051620_1845023.jpg

 歩いてすぐの所にある皆成院には「あんたが悪いと指さす下の三本は自分に向いている」という法語がありました。…うまいっ! 座布団一枚。
c0051620_18451765.jpg


 本日の一枚は、皆成院にあった「つもりちがい十ヶ条」です。サイパンの日本料理店でも同じものを見かけました。
c0051620_20275917.jpg

by sabasaba13 | 2006-12-26 05:11 | 山陰 | Comments(0)

北陸・山陰編(25):山陰本線(06.9)

 城崎温泉駅から小泉元軍曹の思考回路のようにぶちぶちと分断されている山陰本線に乗って、倉吉へ移動です。途中の竹野という駅には「北前船の里」、佐津には「よしづる牛産地」という看板がありましたが、そそられますね。香住という駅でおおぜいの客が乗り込んできたので、何事かと思いきや、みなさん「旅物語」というバッジをつけておられます。JTB主催のパックツァーご一行様でした。どうやら山陰本線に乗って餘部(あまるべ)鉄橋を通過するコースのようです。次の鎧駅は、NHK朝の連続ドラマ「ふたりっ子」の舞台となったところですね。餘部駅直前に鉄橋を渡りますが、まるで銀河鉄道に乗って空中を疾走するような気分を味わえます。餘部駅につくと、みなさんは一斉に下車。「一分しか停車しないのですみやかに下車してください」とあわててアナウンスをする車掌、「JTBの方はいませんかあ」と車内を駆け巡る添乗員。そしてふたたび静寂。そのあわただしさに圧倒されてしまいましたが、今にして思うといっしょに下車して鉄橋を下から見る時間的な余裕がありました。(次の列車は一時間後) 惜しいことをしましたが、ま、いいや、落穂拾いの落穂拾いのためまた来る機会もあるでしょう。
c0051620_18425714.jpg

 そして浜坂で乗り換えです。なお倉吉に行くためには、また鳥取で乗り換えなくてはならないのですが、何故かくのごとく連絡が悪いのでしょう。電化された区間と、未電化でディーゼル車が走る区間があるためなのでしょうか。そういえば「電化複線化みんなの願い」という看板がありましたっけ。途中にある居組・東浜は無人駅。前者の駅には「老朽化のため便所閉鎖します」という表示が風に揺らいでいました。また草の生えた休耕田も車窓から散見されます。農政を含めた政府の施策により地方が追いつめられている状況がひしひしと伝わってきます。政治家・官僚の胸倉をつかんで、「国益」とは何だと問い詰めてやりたいですね。
c0051620_18431427.jpg

 岩美で列車待ち合わせのために、しばらく停車しました。ここは池内紀氏の本で知ったのですが、作家尾崎翠の出身地です。また落ち着いた街並みや、美しい海岸、古い洋風小学校や横尾の棚田もあるので、是非寄ってみたかったのですが時間の関係上泣く泣くカット。再訪を期します。そして鳥取で乗り換えて、倉吉に着いたのが夜の七時過ぎ。駅前のホテルに宿をとったのですが、明日にそなえて早く寝ることにしましょう。

 本日の二枚は、車窓から撮ったある漁村と、岩美の風景です。
c0051620_20252697.jpg

c0051620_20254816.jpg

by sabasaba13 | 2006-12-25 06:09 | 山陰 | Comments(2)

新しい国歌

 教育基本法を改悪したのならば、いっそのこと国歌も変えてしまえばいかが、という提案です。「従順で、考えることが嫌いな国民をつくる」という改悪の趣旨に完璧に合致する国歌だと自負します。なおこのブログで何回か取り上げているように、原曲は昔放映されていた「レインボーマン」というヒーロードラマの挿入歌「死ね死ね団のテーマ」です。インパクトの強い曲で、今でも時々脳裏で鳴り響きます。全国の学校の入学式・卒業式で、生徒たちがこの曲を強制されてか、自発的にか、大合唱する光景を想像してみてください。熱いもの(大和魂? 反吐?)がこみあげてきませんか。なおこの歌が優れているのは「お上」を「上司」にすれば社歌に、「教師」にすれば校歌に、「親」にすれば家歌にすぐ転用できるというところです。
日本国国歌 「お上に逆らうな」

川内康範  作詞
邪想庵   編詞
北原じゅん 作曲

死ね 死ね
死ね死ね死ね死ね死んじまえ
お上に逆らうブタめをやっつけろ
金で心を汚してしまえ
死ねアー 死ねウー 死ね死ね
お上に逆らう日本人は邪魔っけだ
お上に逆らう日本人ぶっつぶせ
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
世界の上から消しちまえ 死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね

死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね

死ね 死ね
死ね死ね死ね死ね死んじまえ
お上に逆らうサルめをやっつけろ
夢も希望も奪ってしまえ
死ねアー 死ねウー 死ね死ね
地球の外へ放り出せ
お上に逆らう日本人ぶっつぶせ
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
世界の上から消しちまえ 死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね

死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
 追記。オリジナル・バージョンを入手することができました。「懐かしのテレビまんが主題歌大全集[特撮ヒーロー編](VAP)というアルバムの中に収められています。また下記のサイトでも聴くことが出来ます。

●You Tube http://www.youtube.com/watch?v=yw2cVyrzA2c
by sabasaba13 | 2006-12-24 06:50 | 鶏肋 | Comments(0)

「ブラス!」

 やっとDVDプレーヤーを購入したので、ビデオにおさめた映画コレクションをせっせせっせとコピーしています。そして「ブラス!」をコピーしながらまた(もう何度目だろう)最後まで見てしまいました。無人島に映画ソフトを一本持っていけるとしたら、「第三の男」「灰とダイヤモンド」「マルクス兄弟 我輩はカモである」「リオ・ブラボー」「カサブランカ」「昼下がりの情事」「おもいでの夏」などなど候補作は数多ありますが、間違いなく最終選考に残るのがこの一本です。
 「ブラス!」(1996年イギリス 監督・脚本マーク・ハーマン)。サッチャー政権による新自由主義政策により、廃坑に追い込まれようとするヨークシャー地方の小さな炭鉱の町グリムリーが舞台です。炭鉱で働く男たちがつくるブラスバンドが全英選手権優勝をめざしますが、生活苦や失業による不安にため練習にも熱が入りません。バンドと音楽に情熱を捧げる指揮者のダニーも苛立ちをかくせません。そうした中、労働組合は投票の結果、幾許かの給付と引き換えに廃坑を受け入れます。そしてかつて炭鉱で働いていたダニーは、肺の病気のために倒れてしまいます。息子のフィルは、職を失い、妻子に出て行かれ、音楽を失い、そして父を失わんとする絶望により、自殺を図ります。さあグリムリー・コリアリー・バンドは選手権の開かれるロイヤル・アルバート・ホールに行くことができるのか。
 目をつむると、いくつもの名場面が浮かんできます。ダニーの病室の下で演奏される「ダニー・ボーイ」、一命をとりとめたフィルがその想いを父に打ち明ける場面、そして音楽ができる喜びを爆発させるかのような、選手権での「ウィルアム・テル序曲」の演奏。そしてクライマックスは、会場に駆けつけたダニーが行った優勝のスピーチです。ここで涙腺は全開。これは『チャップリンの独裁者』におけるスピーチと双璧をなすものです。
 彼らは言うでしょう、私には何よりもトロフィーが大事と。だが違う。以前は、音楽こそが大事と思っていました。しかし人間の大切さには及びません。そこで私たちはトロフィーの受領を拒否します。どうです? ニュースでしょう?
 これは私個人の独り言には収まりません。この10年来、政府は産業を破壊してきた。我々の産業を、さらには我々の共同体、家庭生活を。発展の名をかりたまやかしのために。二週間前、このバンドの炭坑も閉鎖されました。またも大勢が職を失った上に、大会に勝つ意欲、闘う意志まで失いました。しかし生きる意志すら失ったら…悲惨です。皆さんはアシカやクジラのためには立ち上がる。でも彼らはごく普通の正直で立派な人間です。その全員が希望を失っているのです。彼らはすばらしい演奏をします。でも何の意味が? では仲間と町へ帰ります。ありがとう。
 コミュニティや家族、そして何よりも人間の尊厳を虫けらのように踏みにじる新自由主義政策に対して、静かにそして力強く抗議を行うダニーの毅然とした姿は何度見ても胸を打たれます。小泉軍曹・安倍伍長による構造改革路線に脅かされ踏みにじられている私たちに、必ずや勇気を与えてくれる必見の映画です。

 そして忘れてはいけないのが音楽の素晴らしさ! グライムソープ・コリアリー・バンド(実在する炭鉱夫のブラスバンド)による演奏なのですが、時にはビロードのように滑らかに、時には獅子のように吼え、そして一糸乱れぬアンサンブル、その見事な演奏には感服します。サウンド・トラックもお薦め。余談ですがイギリスのブラスバンドには、クラリネットなどの木管楽器が含まれていないのですね。

 追記その一。残念ながらDVDは品切れのようです。

 追記そのニ。『チャップリンの独裁者』におけるスピーチも載せておきます。
 私は皇帝なんかになりたくない。征服も柄じゃない。ただ皆を助けたいだけだ。人間は互いの幸福で支え合って生きている。憎んではだめだ。大地は必ず皆に恵みを与える。だが私達は方向を見失った。欲望に毒され他人を貧困や死に追い込んでる。乗り物は速くなったが人は孤独になった。知識は増えたが豊かな感情を無くした。機械より人、知識より心が大切だ。でなければ人生は無だ。発明品は本来人に戒めを求めているのだ。今も私の声は全世界の人々に届いている。絶望している女や子供、組織の犠牲者などに。そんな人々に言おう、絶望してはならないと。欲望はやがてしぼむ。独裁者は滅び、再び民衆の力が芽吹くだろう。人は死ぬが自由は残る。兵士達よ、独裁者に耳を傾けてはならない。君たちは感情までも統制され操られている。独裁者の心は冷たい機械でできている。君たちは機械じゃない、人間なんだ。愛を持て、憎しみは捨てよう。諸君、「神の国は汝らの中にあり」と言うが、特定の人でなく皆の中にあるんだ。誰でも人生を楽しくする力をもっている。その力を結集し社会のために役立てよう。働く意欲がわく社会のため。独裁者も初めはそう言って人心をつかんだ。だがそれは嘘だった。独裁者は自分の欲望だけを満足させたのだ。国家間の障害を取り除こう。偏見をやめて理性を守るんだ。そうすれば科学も幸福を高める。諸君、持てる力を集めよう。ハンナ、僕が分かるね。どこに居ても元気をお出し。雲が割れ日がさし始めたよ。暗闇を抜け僕達は生まれ変わる。もう獣のように憎しみ合うこともない。
 元気をお出し、ハンナ。人はまた歩き始めた。行く手には希望の光が満ちている。
 未来は誰のものでもない、僕達全員のものだ。だから元気を。Look up,Hanna.

by sabasaba13 | 2006-12-23 09:31 | 映画 | Comments(0)

「格差社会」

 「格差社会 何が問題なのか」(橘木俊詔 岩波新書1033)読了。現代日本における格差の現状とその要因、それによる社会の変化と将来像、そして著者の考える是正策をコンパクトにまとめた好著、お薦めです。
 まず驚いたのが、書中で紹介されている、国際的データを比較してわかる日本の現状です。政府やマス・メディアが意図的に隠蔽しているような気がしますが、日本という国は社会保障と教育を軽視する、格差の大きい非福祉国家であるという現実を見据えましょう。いくつかあげますと、OECD(経済協力開発機構)が算出した所得格差を示すジニ係数によると、日本はポルトガル、イタリア、アメリカ、ニュージーランド、イギリスと同じ不平等性の高いグループに入ります。同じくOECD調査によると、日本の貧困率(平均的な所得の半分以下の人の割合)は15.3%で先進国中第三位、つまりワーストスリーに入っています。ちなみに第一位はアメリカ(17.1%)、第二位はアイルランド(15.4%)です。社会保障に関しては先進国の中でも最低レベルで、社会保障給付費が国民所得に占める比率は15.2%。なおアメリカは18.7%、スウェーデンは53.4%です。そして対GDP比で比較した公教育の支出額も先進国中最低レベルで、4.1%。ちなみにアメリカは4.9%、デンマークは8.4%。
 そしてこうした傾向をさらに助長しているのが、ご存知、小泉軍曹と安倍伍長による構造改革路線です。著者の言です。
 格差を容認し、助長している構造改革…は市場原理主義を基盤にしています。…すなわち極端に言えば、市場にすべてをまかせれば経済はうまくいくという論理です。新自由主義という言い方をしてもよいでしょう。

 構造改革は、経済効率を高めることに主眼を置いています。すなわち、経済効率を高めるために競争原理を積極的に導入し、その結果として、所得分配の不平等化が進んでもかまわない、結果の平等を重視しないという立場をとっています。
 この「悪魔の碾き臼」による変化については、さまざまな具体例を述べられています。それについてはぜひ本書を読んでいただくとして、市場にすべてをまかせるとどうなるか、一つだけ身の毛もよだつ事例をあげましょう。医師の責任が重く、しかも24時間体制で過酷な勤務を強いられる産科、産婦人科、小児科の医師が激減し、楽して稼げる美容外科、形成外科を選ぶ医師が顕著に増えているという事実。ま、そりゃそうだ、ある意味では当然の選択です。市場原理主義とは、金にならなきゃ女性・子どもの健康なぞしったこっちゃないということです。
 そして効率性と公平性の両立は可能だとして、いくつかの具体的な提言をされています。雇用格差に関しては、同一労働・同一賃金の採用、最低賃金制度の充実、職業訓練などへの公共部門の積極的関与。地域格差については、地方への企業誘致、医療・介護設備の充実による地方への居住促進、そして農業従事者への所得保障。教育格差に関しては、奨学金制度と公立学校の充実。そして高額所得者に有利なようにゆるゆるに緩められてしまった累進課税制度の見直し。不覚にも知らなかったのですが、1986年には最高70%だった所得税が、今では37%なのですね。
 さて、こうした非人間的でえげつない格差社会は、津波や地震のような自然現象ではありません。自民党・公明党・官僚・財界が意図的に政策としてつくりだしたものです。そして政策の方向性を、議論のすえに市民が決めるというのが本来の民主主義の姿であるはず。
 いま、日本は選択を迫られています。一つの選択肢は、このまま、さらに「小さい政府」を実現させ、格差がさらに拡大するような道(アメリカ型)です。もう一つは、「小さな政府」から脱却し、格差がそれほど大きくなく、ある程度、福祉と教育が充実するような道(ヨーロッパ型)です。…日本にとってふさわしい選択肢を、国民に選んでもらいたいと私は希望します。
 そうですね、今わたしたちは重大な岐路に立っています。議論のすえに多くの人々が前者の道を選択するのでしたらまだ納得しますが(そして本気で国籍離脱と外国への移住を考えますが)、投票の棄権あるいは無関心や無知や保身や雰囲気による自民党・公明党への投票という選択をするのでしたら呆れ果て言葉を失います。こうした選択肢をきちんと提示しない政党やマス・メディアにも大きな責任がありますけれど。それはともかく、いろいろと教示される点多く、考えさせられた本でした。お薦めです。

 追記。格差社会により階層の固定化が進み、親の階層を子が受け継ぐという事態にふれて著者はこう語られています。「特に政治家の場合には、親が政治家という理由のみで、もし無能な政治家が誕生し、万が一その人が指導的な地位の政治家になったのであれば、国民にとって危機的な状況さえ引き起こす可能性もあります。」 橘木さんは本当に紳士的な方ですね。私だったらこう言っちゃいます。「安倍伍長という無能な政治家が指導的な地位についたので、国民にとって危機的な状況が引き起こされました。」
by sabasaba13 | 2006-12-22 05:52 | | Comments(2)

「労働ダンピング」

 「労働ダンピング -雇用の多様化の果てに」(中野麻美 岩波新書1038)読了。一読、言葉を失いました。日本の労働現場はここまで凄惨な状況になっていたのか… いくら働いても自立して生きられない低賃金労働や、生活できる水準の収入を得るために死ぬほど働かなければならない長時間労働の拡大。文字通り、人間の労働を買い叩くダンピングです。有期雇用・派遣・パート・偽装請負など、生々しい現状についてのレポート、これは万人必読の書です。ジョージ・オーウェルが教えてくれた文章の心得を守りたいので野卑むき出しの言葉遣いは避けますが、こうした状況を放置する今の日本って悪魔のような国ですね。偽装請負の事例を一つ紹介します。
 人材請負会社Dを通じて働くYさんは、過酷な労働のなか、背中左側に激痛が走って筋肉が硬直し身動きができなくなった。供給先の班長らはその報告を受けても救急車を呼ぶことすらしなかった。Yさんは約一時間は立ったまま、その後40分間は座らされて放置された。請負なら労働者を指揮監督するために常駐しているはずの請負事業者の責任者はいなかった。結局Yさんは、D社の担当者が到着してからワゴン車の床に寝かされて病院に搬送されたが、入院費を含めた治療費は自費で支払うよう求められ、高額な医療費は支払えないので入院を断って痛みをこらえて帰宅した。
 利潤と効率をひたすら追求する企業と、規制緩和によってそれを後押しする自民党・公明党・官僚。その結果がこれです。クレヨンしんちゃん風に言うと、「おめーに"美しい国"なんて言われたくねえよ」 あっ野卑すれすれですね、自戒自戒。
 是正策にも多々ふれられていますが、注目したいのはアメリカやイギリスで追及されてきた「リビング・ウエッジ(生活賃金)条例」です。これは、自治体と契約する業者と、市の施設を賃借したり、助成金の交付を受けるなどの契約関係にある者については、条例で定める労働基準などの遵守を契約の条件にするというものです。なるほど、これは実現可能にして効果が期待される方法だと思います。ふと思いついたのですが、これをさらに進めて、労働基準を遵守している企業を市民団体が認証し、目印となるマークを進呈するというのはどうでしょう。
 とても紹介しきれないほどの充実した内容なので、ぜひご一読ください。そして中野麻美氏(NPO派遣労働ネットワーク理事長・日本労働弁護団常任幹事)の真摯にして人間的な姿勢と行動、志の高さについても敬意を表します。
 最後に長文ですが、ぜひ紹介したい一文を引用します。
 人間は、じっくり現実を見、最も利益となる選択を模索しようとする。生きるために生活の安定を求めるからこそ、時代の急激な変化を前にして保守的で受け身になってしまう。市場原理主義に抵抗する力が削がれていくのは、「弱い自分を忘れてしまった「豊かさボケ」」のせいではなく、現実のあまりの厳しさを十分すぎるほど認識しているからではないのか。それを打開したり、壁を打ち破る力を育てたり、連帯する機会を持てたりすることがなくなっているからではないだろうか。競争には人の心をコントロールする魔力があり、そこから増幅される差別や暴力が人格的尊厳を損なうものであればこそ正面から向き合うことを難しくさせることも影響している。多くの人たちが、無理矢理気持ちを切り替え、差別や暴力を受け容れ、あるいはそれをなかったことにして生きてきた。現実に真正面から向き合う力を育て、現実の壁に向かって挑んでいくために自らを組織することには筆舌に尽くしがたい葛藤と努力を強いられるものだ。
 日本の産業社会に未来があるとすれば、それは、競争による敵対と排除によるのではなく、働き手を大切にする協働のシステムを構築できるかどうかにかかっている。
 教育基本法改悪の一つの狙いは、子どもたちから壁を打ち破る力と連帯する機会を奪い、子どもたちに競争原理を徹底的に叩き込み、そして差別や暴力を受け入れあるいは見て見ぬふりをする大人にすることなのでしょう。違いますか、安倍伍長?

 追記。政府の経済財政諮問会議(議長:安倍伍長)などで「労働ビッグバン」に関する議論が本格化しているようです。労働派者遣法「改正」(偽装請負を野放しに)、ホワイトカラーエグゼンプション(長時間労働の許容+残業代ゼロ)、解雇の金銭解決制度(解雇の自由)などがその内容ですが、やれやれ政財界諸氏は「労働者とゴマの油は絞れば絞るほど出るものなり」と考えておられるようです。いじめの定義を「自分より弱いものに対して、一方的に身体的・精神的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」だとすると、これは疑いなく、そしてきわめて悪質な“いじめ”です。大人の社会でこれだけ壮大にして凄絶ないじめが行われているのですから、子どもの社会でいじめがなくなるわけがありません。子どもって、大人の言うことではなくすることをまねて育つのですから。
 それにしても日本国民ってどれくらいなめられ足蹴にされたら怒るのでしょう。ま、とりあえず、こうした動きを推し進める御手洗富士夫氏が会長をつとめるキャノンのカメラは絶対に買わないことにします。
by sabasaba13 | 2006-12-21 06:13 | | Comments(0)

北陸・山陰編(24):城崎(06.9)

 一時間半ほどで城崎に到着。丹後半島にある経ヶ岬灯台や袖志の棚田にも思いっきり後ろ髪を引かれましたが、いかんせん交通の便が悪すぎ。後日の訪問を期すとしてしばらく城崎温泉を散策することにしました。ここも数年前の山陰旅行で見残してしまった町です。駅前から数分歩くと、大谿川と柳の並木、そしてその両側に建ち並ぶ温泉街に到着です。
c0051620_18402568.jpg

 適度に活気があり、適度に落ち着いた、なかなかよい雰囲気ですね。川沿いをしばらく散策し、桂小五郎や志賀直哉ゆかりの「三木屋」の外観、文芸館を見物。
c0051620_18405530.jpg

 あちこちで鳥の「飛び出すな人形」を見かけましたが、この温泉を発見したコウノトリにちなんでいるようです。嬉しかったのは、スマートボールや射的のある遊技場を三軒も見かけたこと。やはり温泉はこうでなくちゃ!
c0051620_18411535.jpg

 数年前職場の仲間たちと、伊豆長岡温泉で開催した温泉王選手権のことが走馬灯のように脳裡によみがえってきました。卓球・射的・スマートボールの総合得点で優勝者を決定し、翌日の昼食をみんなでご馳走するという催し。K-1氏が長いリーチを生かし、身を乗り出して的を次々と倒したのにたいして、あまりにモラルに欠けた行為であると実行委員長の立場から抗議をしたっけ。幹事のK-2さん、今度の選手権は新競技として素もぐりを加えましょう、卓球台と遊技場と混浴のある温泉を捜しておいてね。
c0051620_18413066.jpg

 さて大腹がへったので、遅い昼食をとりましょう。日本料理店に入って甘えび定食を堪能しました。腹福腹福… 外に出て隣の店を何気なくのぞくと「近海産 焼き鯖定食」があるではないか! ああああああああああああ早まった。んんんんんんんんんんん悔しい。後悔後を絶たず。でもペルシア湾は「極東」だと強弁する政府もあるくらいだから、近海といっても北海を含むかもしれない、と引かれ者の小唄を歌いつつ駅へと向かいました。JR西日本保全員のみなさん、ご苦労様です。
c0051620_1841459.jpg


 本日の二枚です。
c0051620_20215849.jpg

c0051620_681176.jpg

by sabasaba13 | 2006-12-20 06:09 | 山陰 | Comments(2)

北陸・山陰編(23):東舞鶴(06.9)

 そしてタクシーに再び乗って東舞鶴を抜け、西舞鶴へ行く途中にある五老岳を登りその中腹にある五老スカイタワーに到着。タクシーとはここでお別れです。ここからの眺望は素晴らしいですね。紺碧の海と、複雑なリアス式海岸、そしてぽこぽことちらばる緑の小島が見事な景観をなしています。空気が澄んでいるときには、能登半島も遠望できるそうな。白い航跡を残しながら行き交う舟を見ているだけでも幸せな気分になれます。さてここから100円均一料金の巡回バス「プリーズ号」に乗って西舞鶴駅に向かいましょう。
c0051620_18373819.jpg

 私のお気に入りは左最前列の座席、前方の眺めがよいし、運が良ければ運転手さんとの会話も楽しめます。今回は大当たり、泉の如く次から次へと四方山話をしてくれる運転手さんでした。とにかく自衛隊がなくなったらこの町は終わりだとおっしゃっていました。造船と板ガラス工場もあるが、町の経済は自衛隊に頼っているようですね。そういえば「自衛官出身」という肩書きの書いてある選挙ポスターを見かけましたが、癒着の匂いが漂ってきます。またロシアや北朝鮮の船もしばしば立ち寄るとのこと。ロシア船は中古自動車を、北朝鮮船は中古自転車を山のように積んでいくそうです。そういえばロシア語の看板や表示を、時々街中で見かけました。ついでに鯖のことを訊ねると、やはり漁獲量は減っているようで、近海ものはほとんど京都の「いづう」(鯖寿司の名店)に送られてしまうそうです。楽しいひと時があっという間に過ぎ、西舞鶴駅に到着。駅構内には求人情報のパンフレットが山のように置かれていました。
c0051620_18381143.jpg

 これから舞鶴線に乗って、綾部で山陰本線に乗り換えて城崎へ向かいます。車窓からは、鯱を載せた黒瓦の重厚な屋根をもつ民家をよく見かけました。このあたりも能登瓦圏内なのでしょう。廃業した郊外の大型小売店舗も発見。地元の小売店舗を廃業に追い込み、採算が取れなくなるとあっさりと撤退かい、おうおうおうおう上等じゃねえかとからみたくなくなりました。市場原理主義の非情な論理を目の当たりした思いです。
c0051620_18382737.jpg


 本日の三枚です。
c0051620_2019190.jpg

c0051620_20191331.jpg

c0051620_20193620.jpg

by sabasaba13 | 2006-12-19 06:10 | 中部 | Comments(0)

北陸・山陰編(22):東舞鶴(06.9)

 さてバスで駅前に戻り、タクシーを一時間貸切にすることにしました。なにせ山陰本線は連絡が悪く、あまり遅くならない時刻に倉吉に着くためには、どうしても急がねばなりません。まずは東舞鶴駅前から車で十数分のところにある引揚記念館へ。敗戦後、大陸や半島からの引揚者を乗せた船の多くがここ舞鶴に到着したのですね。駆け足で展示を見たかぎりでは、満洲開拓移民が数多かったようです。国策に振り回された悲劇や労苦もさることながら、中国人に与えた痛苦や損害について絶対に忘れるべきではないですね。吉林省のある中国人農民は「匪賊は金品を掠奪するも土地までは奪わず。満拓は農民の生活の基たる土地を強制買収す。土地を失うは農民として最も苦痛とする処なり」と嘆き、魯迅は「失われた空、土地、難にあえぐ人民、そして失われてしまった草、高粱、きりぎりす、蚊」と記しています。(『キメラ 満洲国の肖像』 山室信一 中公新書1138) そうした加害についての展示が少ないのが、大変気になりました。それにしても、こうした国策を決定・遂行した人物の責任はきちっと追及されたのでしょうか。
 再びタクシーに乗り、数分で引揚桟橋に到着。桟橋自体は復元されたものですが、『岸壁の母』で歌われたように、かつて引揚者の家族がその帰りを今か今かと待ちわびた場所です。桟橋復元由緒には「幾多の苦難に耐え、夢に見た祖国へ感激の一歩をしるした桟橋」と記されていました。やはりここにも、中国農民に与えた苦難と、そうした全ての苦難の責を負うべき為政者への批判はふれられていませんでした。桟橋の脇ではたはたと風にはためく「日の丸」は黙しています。
c0051620_18364975.jpg


 本日の一枚です。
c0051620_20145613.jpg

by sabasaba13 | 2006-12-18 06:04 | 中部 | Comments(0)