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岩井・東海村・結城・古河編(15):古河(06.10)

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 万葉歌碑、雀神社の大ケヤキを拝見して、下宮八幡宮へ。谷中村の氏子たちが廃村にともない、ここ古河に移住した際に遷座した神社です。その由来を示す大きな碑が本殿の背後にたっていました。
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 足尾鉱毒問題とは、中央政府が企業の利益と国益を優先し、地方の人々の暮らしを破壊したというのが本質だと思います。結局、この構図は現在でもほとんど変わっていないということです。いつか東海村も六ヶ所村も(そして皇居と永田町以外の全ての土地が)放射能にまみれ、谷中村のように地の底に埋められてしまうのでしょうか。その横暴に対して抵抗し続け、さらに産業の発展が地球環境にもたらす破滅的な影響にまで思いを馳せた田中正造。彼のように行動することはできなくとも、せめて彼の天狼星の高みのような志を忘れないようにしたいと思います。彼の言です。(上の二つは小説『辛酸』より)
 風呂を焚いてくれるのは人間の心だ。心のゆとりだ。これほどひどい目に会いながら、なお人間の生活を守ろうとするお前さんがたの心がうれしいのだ。
 
 ひとり谷中の問題じゃありません。国家の横暴を認めるかどうかという大問題です。国民の生活を保護すべき国家が、破壊と略奪をこととしている。これは日本の憲法の問題、憲法ブチ壊しの問題でがす。このまま放っておけば、日本が五つ六つあっても足らんことになる。

 辛酸入佳境
 楽亦在其中

 物質進歩の力らハ人の力らを造り又天国をも造る。然れども此天国ハ多くの人を殺して造る天国なり。

 国民監督を怠れハ治者為盗
 特に最後の言葉は絶対に絶対に肝に銘じましょう。われわれが監督を怠り、政治家・官僚・財界諸氏がやりたい放題してきた結果が今の日本の姿です。治者とは泥棒であるという彼の言葉は、まだ国民の耳には届かないのでしょうか。
そして正麟寺に寄りましたが鷹見泉石の墓所は見つけられず捜索を断念し、旧古河市役所(現在は専門学校?)、水戸藩勤皇志士殉難の碑を見物。そうそう、車道をわざと曲がりくねらせているのは良いアイデアですね。
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 さて日没までまだ時間があります。本当は渡良瀬遊水池にある谷中村保存地区に行きたかったのですが、以前行った時にかなり遠かった記憶があり、断念。観光地図で見つけた巨木を見ようと、駅の向こう側までペダルをこぎました。十数分で小蓋宮という小さな神社に到着しましたが、もうかなり遠くから大きなケヤキが住宅地の頭上に見えていました。枝ぶりの見事さもさることながら、根本の太さと逞しさは圧巻です。暮れなずむ町を見守っているような大ケヤキに別れをつげ、自転車を返却し、湘南新宿ラインで帰郷。
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 本日の一枚です
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by sabasaba13 | 2007-01-31 06:12 | 関東 | Comments(0)

岩井・東海村・結城・古河編(14):古河(06.10)

 ここから少し離れた所にある古河総合公園へは、自転車で20分ほどかかります。池あり築山あり芝生ありの広々とした公園で、家族づれの市民がのんびりと楽しんでいました。少し小高い所にある古河公方館趾の碑、その隣にある旧中山家住宅と旧飛田家住宅という民家を見物。後者は厩を併設してある曲り屋で、岩手のものが有名ですが茨城北部まで分布しているとのこと。
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 そして再び中心部へと戻りますが、途中の子之神社にあった頭部が異様に摩滅した狛犬が気になります。狛犬フリークの方には注目の物件。
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 渡良瀬川の近くには源頼政を祀ってある頼政神社があります。解説によるとここにある狛犬は江戸前期の作だそうですが、威風堂々かつ愛嬌のあるものでした。ヨシズ製造問屋という看板を見かけたので、川の恵みとともに暮らしてきた様子もしのばれます。
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 そしてリバーサイド倶楽部というゴルフ場管理棟の裏手、川の土手のところに田中正造が明治天皇に直訴している場面をレリーフとした記念碑があります。なおここは「正造広場」と呼ばれているようです。谷中村が水底に沈んでいる渡良瀬遊水池は川の向こうにあるのですが、ここからは眺めることができません。
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 本日の一枚は土手からの眺望です。谷中村よ、静かに眠ってはいけない。
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 追記。最近、やたらと卑猥なトラック・バックが多くて、消去するのに一苦労しております。先ほどもせっせこせっせこ始末しておりましたら、「六ヶ所村のことを多くの人たちに知ってもらおう」という趣旨のTBを誤って消してしまいました。申し訳ありません。全面的に賛同いたしますので、もし管理者の方がお読みでしたらもう一度送信していただけると幸甚です。
by sabasaba13 | 2007-01-30 06:08 | 関東 | Comments(0)

岩井・東海村・結城・古河編(13):古河(06.10)

 さて再び古河へ戻り、まずは日本で唯一の篆刻美術館へ。篆刻もさることながら、古い重厚な商家を再利用した建物自体が見事です。内庭の池に咲いていた一輪のスイレンの花が心に残りました。隣には市民の作品を展示する街角美術館があります。
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 そしてすぐ近くに河鍋暁斎生誕の地の碑があります。私の大好きな画家の一人ですが、彼のような偉才を生んだだけでもこの地の文化的な奥深さがわかります。ま、育てたのは江戸ですが。そして永井路子旧宅、鷹見泉石生誕の地の碑を見物。その前にある日蓮宗妙法寺にこんな法語がありました。「心を合わせて貧しさ凌ぎ豊かになったらてんでばらばら」 なるほどその心を再びまとめるのが、宗教かナショナリズムなのでしょう。
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 古河出身の文学者を紹介する古河文学館を拝見して、歴史博物館へ。雪の結晶を精緻に観察し『雪華図説』を著した藩主土井利位や、田中正造を支援した古河の人々についての展示には興味を引かれました。廃村にされた谷中村と古河とのつながりは深く、多くの村民がここに移り住んできたこともわかりました。なおこの建物はピロティと日本建築の意匠を組み合わせたもので、1992年の建築学会賞を受けているそうです。
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 ここの前にあるのが、鷹見泉石記念館。彼が晩年を過ごした家ですが、残念ながら中に上がることはできません。茅葺屋根の質素にして清々しい建物で、襖・欄間・畳・柱がリズミカルに織りなす長方形が心地よいですね。和風建築の見所の一つだと思います。このあたりは鍵状に曲がった道と、鬱蒼とした樹々と、洒落た建物が気持ちよい空間がつくっています。散歩には絶好の場所。
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 なお歩道や学校の壁などに雪の結晶をデザインしたものをよく見かけるのは、郷土の誇り『雪華図説』をあらわしたものでしょう。
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 本日の三枚は、篆刻美術館のスイレンと、鷹見泉石記念館です。
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by sabasaba13 | 2007-01-29 06:11 | 関東 | Comments(2)

「ダーウィンの悪夢」

c0051620_8582322.jpg 先日、渋谷のシネマライズでドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」を見てきました。渋谷という街はどうも好きになれません。喧騒やいかがわしさにはそれほど嫌悪感を覚えないのですが、大量生産・大量消費の典型のようなうすっぺらい商品とそれに群がる人々があまりにも多すぎ見ていて辛くなります。没法子、洗面器に五分ほど顔をつける気持ちで我慢しましょう。ハチ公前交差点で信号が青になるのを待っていると、そばに史跡案内地図があるのを見つけました。山路愛山終焉の地、竹久夢二旧居跡、「春の小川」の碑、日本航空発祥の地などが附近にあるようで、どのような場にも歴史の古層があるものだなあと実感。センター街を抜けてスペイン坂を上ったあたりに映画館はありました。
 ストーリーを明かして面白みが半減するようなやわな映画ではないので、紹介します。生物多様性の宝庫であることから「ダーウィンの箱庭」と呼ばれていたアフリカのヴィクトリア湖に、半世紀ほど前、大食かつ肉食の外来魚・ナイルパーチが放流されました。この魚は、もともと生息していた多くの魚を駆逐しながら増え続け、湖の生態系を破壊してしまいます。さらにくせのない白身をもつこの魚にヨーロッパが目をつけ、EU出資による加工工場ができ、漁業もさかんとなり周辺地域は潤うことになります。しかし、富を求めて周辺住民が押しかけ失業者は急増、貧困やエイズが蔓延することになりました。それにともない売春婦も増え、エイズはさらに広まり、親を失ったストリート・チルドレンが溢れるようになり、町は荒廃していきます。そしてタンザニアを襲う飢饉。白身はヨーロッパや日本に送られますが、現地住民の食料となるのは残された頭部です。そして魚を空輸するための飛行機が、実は武器を運んでくることをスタッフはつきとめます。空港の査察が甘いことを利用して軍需産業が武器を密輸し、ここを中継拠点にしてルワンダやコンゴやスーダンに売りさばくわけです。後で気づいたのですが、暇そうな空港管制官が一所懸命にハエを叩き潰そうとしている冒頭のシーンがきいていますね。

 (あるとすればの話ですが)私の粗末な良心が、バールのようなもので激しくたたかれたような気分です。あまりにもおぞましい現在の世界、グローバリゼーションによる地域経済の破壊、そして人間性を奪われ生と死の境界線上を彷徨う人々。知識では知っており、拙ブログの書評でもいくつか紹介しましたが(「徹底解剖100円ショップ」「DAYS JAPAN」「ラテン・アメリカは警告する」「ルガノ秘密報告」「人間の安全保障」)、これだけリアルな映像でその現状をつきつけられると言葉を失います。私はこの惨状にどのように加担しているのか、なぜこうなったのか、何をすればいいのか…
 思い返すと、いくつものシーン、何人もの人々の姿が浮かんできます。一晩10ドルでパイロットに体を売る売春婦、日給1ドルで危険な仕事を行う夜警、魚の頭を煮る作業場で発生するアンモニアで片方の眼球を失った女性、エイズによって夫を失い絶望する妻、そして圧巻だったストリート・チルドレンたちの様子。地雷で片足を失った子供、食べ物を暴力で奪い合い子供、即席のドラッグ(魚の梱包材を燃やした煙!)を吸って虐待・恐怖・絶望を忘れようとする子供たち。ハンディ・カメラを駆使したスピーディーな、そして粒子の粗さが不安感を催させる映像が、いっそう臨場感を際立たせます。
 そして彼ら/彼女らが、吐き出すように、叩きつけるように、搾り出すように紡ぐ言葉の数々。いくつか紹介します。
きっとこの生活を続けるしかないのよ。(売春婦)
軍隊の給料はいい、戦争さえあれば軍隊に入れるのに。(夜警)
現代は天然資源を奪い合い、強い者が生き残る。一番強いヨーロッパ人が世界経済を牛耳っている。(漁民)
ヨーロッパはアフリカの"死"によって利益を得ている。(ジャーナリスト)
 一番心に残ったのが、輸送機を操縦するロシア人機長の言葉です。
 私はアンゴラへ戦車らしき物を運び、ヨハネスブルクまで飛びブドウを積み込んでヨーロッパに戻ったことがある。アンゴラの子供は武器をもらい、ヨーロッパの子供はブドウをもらう。…私は世界中の子供たちの幸福を望むが、どうすればいいんだろう… 言葉が見つからない…
 長期間にわたってこうした登場人物に密着し、その人生に寄り添い共感し、その視線をしっかりと受け止めて記録したフーベルト・ザウパー監督に敬意を表します。タイトルも卓抜ですね。"Darwin's Nightmare" 生存競争に勝ち残ったナイルパーチをさすとともに、人類内部でも強者(富者)が生き残り弱者(貧者)が淘汰されていく現状をさしているのでしょう。まさしく悪夢です。
 さあどうすればよいのか。フランスではナイルパーチの不買運動が起きたそうですが、そうした短絡的な行動で解決できる問題ではありません。(監督も、武器と愚かな行為のボイコットをしてほしいと語っておられます) とにかくまず世界の現状について知ること、そして周囲に知ろうと呼びかけること、そして考えること。フーベルト・ザウパー監督の言葉です。生命にとって最も大きな危険は「無知」だと思います。 私たちの良心や感性や理性を覆う厚い皮膜を、ぞりっと削ぎ落としてくれるソリッドな刃のような映画です。ぜひ一人でも多くの人に見てほしいと心から思います。

●公式サイト http://www.darwin-movie.jp/

 映画館から外へ出ると、そこは色・音・物に溢れた虚飾の街。ギャップの激しさに思わず立ち眩みをしてしまいました。でも経済の中に社会が組み込まれているという意味では、映画に登場した場所と本質的には変わらないのかもしれません。(もちろん“死”に対する距離には雲泥の差がありますが) ストリート・チルドレンのように地べたに座り込み、口を開けながら携帯電話の画面を凝視している若者たちを見かけました。もしかすると携帯電話は、梱包材を燃やした煙のように、日々の不安から逃れるための即席ドラッグなのかもしれません。
by sabasaba13 | 2007-01-28 08:59 | 映画 | Comments(0)

岩井・東海村・結城・古河編(12):古河(06.10)

 大通りを北へ向かうこと十数分、大きな神社を左折して数分走ると畠の向こうに煙突の先っぽが見えてきました。乗馬クラブの正門は閉ざされていましたが、「窯見学の方は裏門へ」という貼紙があります。裏門から入ると誰も居ませんが、すぐそこに窯が見えています。矢も盾もたまらず駆け寄るとその全貌がすぐにあらわれました。ほわあああ、これは凄い。平べったい夢殿のような煉瓦造りの窯と、その中央に天にも届けと屹立する煙突、意匠としても素晴らしい。保存状態も良好、そして何よりもその重厚な存在感に圧倒されます。来る日も来る日も煉瓦を焼き続けた結果でしょう、煉瓦の何ともいえない渋い色合いもいいですね。周囲にいくつもある入口には木製の戸が立ててありますが、一部戸がずれています。これは「入っていいよ」というサインだなと勝手に解釈し窯の内部に入ると、ドーム型の焼成室が、湾曲しながら丸く続いています。外から二階へとつながる斜面を登ると、焼成室の上部にでます。工事用具が散乱していたので、もしかしたら修復中なのかもしれません。そして再び全貌を見られる場所に行き、写真を撮りまくり。とにかくたくさん写すのが良い写真を撮るコツであると、さる本に教えてもらったのでさっそく実践です。ここは一見の価値がありますね、是非永久保存を望みます。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2007-01-27 06:09 | 関東 | Comments(0)

岩井・東海村・結城・古河編(11):古河(06.10)

 そして自転車を返却して水戸線に乗り込みます。小山で乗り換え、30分ほどで古河に到着。ここは1455年、室町幕府に叛旗を翻した鎌倉公方の足利成氏が、追討を逃れて本拠地とした場所(古河公方)です。なお室町幕府は新しい鎌倉公方を派遣しますがこれが堀越公方、両者の対峙はしばらく続き、地方の自立と闘争の時代の幕開けとなりました。この間に古河は関東地方の政治・文化の中心地として君臨することになります。江戸時代は譜代大名土井氏の領地となり、雪の結晶を精緻に観察し『雪華図説』を著した藩主土井利位(としつら)、家老で蘭学者の鷹見泉石(渡辺崋山による肖像画で有名)らを輩出しました。
 駅の近くにある観光案内所に行くと、詳細にしてかなり正確な観光地図をもらえました。これは大変嬉しい。実は古河に来た理由の一つが、ホフマン窯を見るためです。ドイツ人窯業技術者フリードリッヒ・ホフマンが考案した煉瓦を大量に焼成するための巨大窯で、簡単に言うといくつかの焼成室がドーナツのように輪状に並べられていて、一室を焼成する際の余熱で次室の素地を乾燥させ、温め、加熱するという長期の連続操業が維持される合理的な仕組み。日本では埼玉県深谷市、京都府舞鶴市神崎、滋賀県近江八幡市とここの四つしか現存していません。事前に野木町観光課に問い合わせたところ、シモレン(下野煉瓦製造?)が経営する乗馬クラブの敷地内にあり、両社は倒産したのですが見学は可能だという情報を得ています。案内所の方に所在地を教えてもらい、駅前にある自転車預り所「志満源」で自転車を借りて出発。まずは腹ごしらえ、ステーキ屋の看板を見つけたので矢印の示す方向にしばらく走り、日光街道古河宿道標の前を通り、「ないものはナイ!」と自信たっぷりの店を横目に見ながら、武家屋敷の名残が残る所にある「千里」に入りました。
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 美味しい切り出し肉ステーキをいただきながら、地図で訪問先を確認。おっ河鍋暁斎生誕の地だ、彼は古河出身だったんだ、おっ足尾鉱毒事件により廃村となった谷中村の人々が遷座した神社がある、などとぶつぶつ言いながらおおまかな行程を決めて、いざホフマン窯へ向かいましょう。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2007-01-26 06:06 | 関東 | Comments(0)

岩井・東海村・結城・古河編(10):結城(06.10)

 戦前のものらしい重厚な門柱が残る結城小学校に行き、奉安殿を捜しましたがゲットできず、そのかわりに二宮金次郎像を見つけました。銅製で細部の細工も丁寧ななかなかの一品です。門の脇に貼ってあったポスターは「やくそく 1知らない人について行かない 2一人で遊ばない 3大きな声で助けを呼ぶ 4だれと、どこで遊ぶか、家の人に話す」とありました。多少はやむをえない点もありますが、見知らぬ人=敵という刷り込みを子どもたちにしすぎるのもいかがなものかと懸念します。グローバリゼーションに対抗するためには、名も知らぬ世界中の人との連帯が鍵を握っていると思うのですが。
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 小学校の近くには、1907(明治40)年に行われた陸軍特別大演習に際して明治天皇がここに滞在したという行在所跡の碑、日露戦争戦没者を刻んだ砲弾型の忠魂碑がありました。
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 そして細い路地を走っていると朽ち果てつつある「増田書店」という洋館を発見、上部に「部機音蓄田増」という文字とハープを意匠とした装飾が彫りこんでありました。これは逸品、ぜひ保存して欲しいですね。
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 そして弘経寺(ぐぎょうじ)という古刹へ。ここは与謝蕪村が滞在していた寺で、残念ながら未公開なのですが襖絵があるそうです。境内には「肌寒し己が毛を噛む木葉経」という彼の句碑があります。早野巴人のもとで蕪村が共に学んだ砂岡雁宕(いさおかがんとう)が結城出身で、彼の俳風・人柄を慕ってこの地にやってきたそうです。断末魔の叫びをあげる現在に較べ、江戸時代における地方の豊かさを感じさせるエピソードですね。すぐ隣には富久福(ふくふく?)という大きな造り酒屋がありました。切妻の大きな屋根の古い作業場と煉瓦造りの煙突が絵になります。
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 そして駅へと戻りますが、時宗のお寺さんが多いことに気づきました。ある家には「警ら箱 大町警察官派出所」というポストのような箱がとりつけてあります。これは一体何なのだろう?
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 本日の一枚は、造り酒屋「富久福」です。
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by sabasaba13 | 2007-01-25 06:14 | 関東 | Comments(0)

岩井・東海村・結城・古河編(9):結城(06.10)

 本日は結城と古河に行ってみましょう。水戸線に乗ること約70分で結城に到着、何はさておきコインロッカーと観光案内所と貸し自転車をさがしましょう。駅前にある巨大な市民文化センター「アクロス」に案内所があったのでさっそく観光地図をもらい、ロッカーの場所を教えてもらいました。100円玉が返却されるもので、これは良心的。そして駅前にある事務所で自転車を借り、さあ徘徊に出発です。結城は中世において結城氏と山川氏が支配し、近世には結城藩の城下町として栄えました。藩主は水野氏、天保の改革を行った水野忠邦の墓もあるのですがやや遠い所にあるので訪問は断念。なお結城紬や桐だんすが名産品です。古い蔵造りの商家があちらこちらに残る、落ち着いた雰囲気の街並みです。シャッターが閉まっている店もそれほどなく、何となく町全体に活気を感じるのは、やはり地場産業がしっかりと根付いているからでしょうか。観光ポスターになるような網膜に焼きつく印象的な景観がないのが惜しい、もしあればもっと観光客も訪れるのに。でも蔵造りの商家、火の見櫓、モダンな洋風民家、煉瓦の煙突、白壁などを見ながらふらふらと街中を彷徨うだけでも十二分に楽しめます。
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 小ぶりな列柱四本をファサード(前面)に配した洋風の小粋な店構えや、「秋 運動会・旅行にお出かけにはベリーショート・角刈り・ソフトモヒカンはいかがですか!!」という貼紙、「A級理髪所 茨城県理容師協同組合」というホーロー製看板など、床屋関係の物件に注目すべきかもしれません。それにしても運動会に角刈り、この地域のきっぷのよさがしのばれます。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2007-01-24 06:10 | 関東 | Comments(0)

レオン・フライシャー

音楽は生活のちりを流す
               ~アート・ブレイキー~
 先日、銀座の王子ホールにレオン・フライシャーのコンサートを聴きにいってきました。以前拙ブログでも紹介しましたが、ジストニアという病気により右手が完全に麻痺してしまったのですが、35年におよぶ必死のリハビリによって回復したピアニストです。その復帰レコーディングとなった「トゥー・ハンズ」を聴いて感銘を受けたのですが、その彼が来日すると知って矢も盾もたまらず聴きに行った次第です。
 開演前に煉瓦亭でメンチカツを食べようと目論んでいたのですが、仕事がたてこみその時間はとれそうにありません。有楽町駅前でカレーをかきこみ、かろうじて間に合いました。曲目は、J.S.バッハの「羊は安らかに草を喰み (カンタータ第208番より)」、D.ロストンの「メッセージⅠ」、L.カークナーの「左手のために」、ストラヴィンスキーの「イ調のセレナード」、J.S.バッハ/ブラームスの「左手のための“シャコンヌ”」。20分の休憩後、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番(遺作)です。最初の音が鳴り響いた瞬間から、ホールが暖かい音の粒々に包まれます。まるで室温が一、二度上がったかのよう。再び音楽ができることを神に感謝するかのような、そしてそれを決して大言壮語しない滋味あふれる演奏に、時を忘れて聴き惚れてしまいました。この「羊は安らかに草を喰み」は「トゥー・ハンズ」でも取り上げられた曲ですが、本当に美しい曲ですね。終わりが近づくにつれ、千秋真一のように「ああもうすぐ終わりだ、やだな」と思ってしまいました。「左手のための"シャコンヌ"」は、バッハの「シャコンヌ」(無伴奏バイオリンのためのパルティータ第二番より)を、右手を痛めていたクララ・シューマンのために左手だけで弾けるようにブラームスが編曲したものです。月並みな表現ですが、まるで両手で弾いているかのような錯覚を覚える見事な編曲と奏者の技量。
 そして休憩の後、シューベルトのピアノ・ソナタ、死を前に揺れ動く彼の心がひしひしと伝わってきました。絶望、希望、逡巡、救済といった楽想が入り乱れる難しい曲ですね。フライシャーもきっと自分のこれまでの過酷な人生と重ね合わせながら、演奏をしていたことと思います。疲れのためか、右手のミスタッチが時おり見られ、三連符の切れも甘いのですが、それを補ってあまりある表現力。第二楽章では、右手の上に左手を交差させて高いシングル・トーンを繰り返し弾く部分があるのですが、その音の何という美しさ・優しさ。羽毛で心をなでられる気持ち。救いを求めるシューベルトの思いを表しているのかもしれません。帰宅後、ためしにピアノで試してみたのですが、とてもとても繊細にして玄妙なタッチはできません。
 パンフレットに「突然、私の人生で最も大事なことは両手で演奏することではないと気付きました」という彼の言葉が載っていました。何が大事なのだろう? 作曲家の、そして奏者の思いを聴者に伝えることなのでしょう。その思いをたくさんいただいて、幸せな気持ちで帰途につきました。彼の呟きが聴こえてきたような気がします。


聴いてみろ、音楽はええぞ
by sabasaba13 | 2007-01-23 06:06 | 音楽 | Comments(0)

「世界を信じるためのメソッド」

 「世界を信じるためのメソッド ぼくらの時代のメディア・リテラシー」(森達也 理論社)読了。中高校生向けの叢書「よりみちパン!セ」の一冊です。今、日本を「美しい国」ではなく「真っ当な国」にするために必要なのは、小泉元軍曹・安倍伍長流の構造改革でも米軍の配下としてとして自衛隊が世界中で暴れまわることでもなく、わたしたちがまともな判断力・批判力・思考力をもつことだと思います。そして魯迅が「子どもたちを救え」と書いたように、次世代の若者たちにそうした力を身につけてもらうこと。偏差値の高い大学に合格するための学力なんてどうでもいいと思います。そうした判断力・批判力・思考力を若者が身につける一助になろうという意気を感じるのが、この素晴らしいシリーズです。以前に紹介した「日本という国」(小熊英二)もこのシリーズの一冊だといえば、その質の高さがわかってもらえるでしょうか。
 著者の森達也氏はオウム真理教を描く「A」「A2」などを作成した気鋭の映像作家であるとともに、執筆活動でも大活躍されています。拙ブログで紹介した「悪役レスラーは笑う」「ご臨終メディア」も彼の著作です。本書は、メディアを読み解く能力(リテラシー)について中高校生向けにわかりやすく面白く説明したもの。チューサン階級(中学三年生程度の学力しかない)の私でも、すらすらと読み進めることができました。井上ひさし氏の座右の銘「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに」を見事に実践されています。メディアの歴史と機能についての説明、そして日本のメディアについての具体例や事実をあげながら、メディアが垂れ流す情報を鵜呑みにすることの恐ろしさを説得力あふれる文章で主張されています。さらにテレビ業界で働いていた経験から、メディアが視聴率を稼ぐために事実を誇張・隠蔽するテクニックなども紹介されています。
 メディアはすべて、事実と嘘の境界線の上にいる。だからメディアを正しく見たり聞いたり読んだりしなければならない。そうしたリテラシーをわたしたちが身につければ、メディアも変わる、いや変えなければならない。著者の考えの底流には、人類は進化しすぎたメディアによって滅ぶのではないかという危機感があります。ルワンダにおける大虐殺でラジオが大きな役割を果たしたこともその一例ですね。ではどうすればメディア・リテラシーを身につけることができるのか。もちろん容易なことではないのですが、世界は多面的でとても複雑であり、そんな簡単に伝えられないものであること、でもだからこそ豊かなのだと知ること。
 となると、絶望に至る病とは「無関心」なのかもしれません。若者だけでなくわれわれ大人も、生き生きとした知的好奇心を持ち続けるにはどうすればよいのか。メディアを変えて、そして世界を変えるポイントはこのへんにありそうですね。お薦めの一冊です。
 なお刺激的な文章がありましたので引用します。前者はニュルンベルク裁判におけるゲーリングの言葉、後者は(真偽はさだかではありませんが)ヒトラーがゲッベルスに語ったと言われる言葉です。
 もちろん、一般の国民は戦争を望みません。…でも指導者にとって、戦争を起こすことはそれほど難しくありません。国民に向かって、我々は今、攻撃されているのだと危機を煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやりかたは、どんな国でも有効です。

 青少年に、判断力や批判力を与える必要はない。彼らには、自動車、オートバイ、美しいスター、刺激的な音楽、流行の服、そして仲間に対する競争意識だけを与えてやればよい。青少年から思考力を奪い、指導者の命令に対する服従心のみを植え付けるべきだ。国家や社会、指導者を批判するものに対して、動物的な憎悪を抱かせるようにせよ。少数派や異端者は悪だと思いこませよ。みんな同じことを考えるようにせよ。みんなと同じように考えないものは、国家の敵だと思いこませるのだ。
 「青少年」を「国民」に言い換えて、「流行の服」の後に「ダイエット、グルメ」とつけくわえれば、今の日本の状況にそっくりあてはまりますね。昨日の朝刊で納豆ダイエット番組捏造事件がとりあげられていましたが、こうしたおもしろうてやがて悲しき現象が起きている今、そしてプチ・ゲーリング、プチ・ヒトラーの如き安倍伍長が何かしでかしそうな今だからこそ、万人に読んでほしい本です。余談ですが、最近の安倍伍長の顔が大戦末期のヒトラーの顔に似てきたような気がしませんか。
by sabasaba13 | 2007-01-22 06:05 | | Comments(0)