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「女の平和」

 「女の平和」(アリストパネース 高津春繁訳 岩波文庫)読了。この世に生をうけてウン十ウン年、はじめてギリシア喜劇を読みました。何故かって? 実は小田実氏の本で紹介されていた一文を読み、いたく興味を引かれた次第です。いやあ面白かった面白かった。時は紀元前431年~404年、場所は古代ギリシア、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生し全ギリシア世界を巻き込んだペロポネソス戦争が舞台です。主人公はアテナイに住む若くて美しい夫人・リューシストラテー、彼女は何とかして男たちに戦争をやめさせようとします。
 あたしたちは戦争の二倍以上の被害者ですよ。第一に子供を生んで、これを兵士として戦争へ送り出した。…第二に歓喜にみちた青春を享楽すべきそのときに、軍旅のために空閨を守っています。
 戦争はすべての女性、いやすべての人間にとって忌わしいもの、よって敵味方は関係ありません。彼女はアテナイや敵国スパルタのすべての女性に協力を呼びかけて、戦争をくいとめようとします。
 この国の運命があたしたちにかかっている、それからペロポネーソスの人たちの存否。…それからすべてのボイオーティア人も破滅に陥る。
 そしてその作戦は、なななななんと、セックス・ストライキ。男たちが戦争を続けるかぎり、いっさいの性交を拒絶するというものです。これが見事に大成功、一物を勃起させながらアテナイとスパルタの男たちは「やらせてくれよお」と哀願をくりかえし、とうとう戦いをやめることに同意します。このあたりの情けなく哀れな男たちの描写は抱腹絶倒です。

 しみじみと感じ入ったのは、平和を守るためには、工夫に工夫をかさねた効果的な戦略をたてなければならないし、たてることは可能だということです。そして粘り強く持続できる運動であることが大事で、超人的な努力をみんなに強要しないこと。「もし無理矢理性交をさせられたら、どうするの?」という仲間の問いに対して、リューシストラテーは「舌を噛みなさい!」とは言いません。
 仕方がない、しぶしぶ従うのよ。暴力で得たものには楽しみはなし、そのうえに、苦痛を伴うこと必定ですからね。なあに、すぐにやめるわよ。女と協力しなければ、男はけっしてけっして愉快にはなれないんですからね。
 何という洞察に富んだ奥の深い言葉。男族の末席をけがす一員として、頭を垂れましょう。さまざまな形の暴力で快楽を得ようとする動き(新自由主義・グローバリゼーション)が跋扈する今だからこそ、胸を打たれます。汲めども尽きぬ泉のような叡智にあふれた、正真正銘の古典です。惜しむらくは絶版なのですね、これが。岩波書店さん、ぜひ復刊してください。そうしてくれればすぐに二冊購入して、戦争を経験せずその悲惨に思いを馳せる一片の想像力さえないのに、やたらと戦争をしたがっている安倍伍長と石原強制収容所所長に謹呈したいと思います。御二方にリューシストラテーの言葉をさしあげます。
 あなた方に脳味噌が足りていたら、あたしどもの毛糸作戦(※もつれた毛糸をていねいに解きほぐすように、敵・味方を説得しトラブルを解決する)のやり口ですっかり政治をなすったでしょうにね。
 アレクサンダーがつくりあげた帝国の末路を思えば、ゴルディアスの結び目を粘り強く丹念に解きほぐす努力をみんなで(特に脳味噌の足りている政治家は)すべきではないのかな。ほぐれた糸を解きほぐせないような脳味噌の足りない政治家の方は、即刻退場していただきましょう。都知事選挙も参議院選挙も近いことだしね。
by sabasaba13 | 2007-03-26 07:32 | | Comments(4)

「チョムスキーとメディア」

c0051620_17151771.jpg 先日、山ノ神と映画「チョムスキーとメディア マニュファクチャリング・コンセント」を見てきました。映画館は渋谷にあるユーロスペース、“欲望以外のものへの無関心”という妖気が漂う土地柄ですので足を踏み入れたくはないのですが、選択の余地はありません。せんかたなし。さてハチ公前からBunkamuraへ向かおうとすると、山ノ神は私の上着の裾をひっぱって原宿方面を指差します。「こっちよ、私来たことがあるんだから」 これは明らかな勘違いなので、説得・折伏・懇願して109ビル方向へと引率。眼前にBunkamuraが現れると、彼女曰く「いつ移動したのかしら?」 あなたはウェゲナーか!!! チケットを購入しましたが開演まで小一時間ほど時間があります。Bunkamuraミュージアムでは「ティアラ展」を開催しておりますが、二人とも食指を動かされません。こういう時の暇つぶしはできれば本屋、なければ書店にかぎります。近くにある「ブックファースト」という書店があったのでさっそく入店、入口のところに村上春樹訳「ロング・グッドバイ」(レイモンド・チャンドラー 早川書房)が平積みにされていたのを見て、私の欲望にパチパチと火がつきました。売られた喧嘩は買うぜ、マーロウ。待ち合わせ時間と場所を決めて、散会。「競争やめたら学力世界一 フィンランド教育の成功」(福田誠治 朝日選書797)、競争原理にはほとほと愛想をつかしているので即購入、「世界を見る目が変わる50の事実」(ジェシカ・ウィリアムズ 酒井泰介訳 草思社)も面白そうだなあ、しばし逡巡して購入、「反米大統領チャベス 評伝と政治思想」(本間圭一 高文研)、アメリカ帝国に敢然と立ち向かうベネズエラの大統領、興味があるので購入。ふうっ。というわけで四冊のお買い上げ。山ノ神と落ち合い、映画館へと向かいました。
 ノーム・チョムスキー、アメリカの言語学者で、人間のなかに言語を生み出すメカニズムを仮定し、これをすべての人間が生まれながらにもつ遺伝的なものだとする生成文法の理論した方です。と同時に、ベトナム戦争以降、政治活動も精力的に行い、アメリカ政府の政策を舌鋒鋭く批判し続けている思想家・活動家でもあります。彼の書いた評論を数冊読み、「チョムスキー 9.11」という映画を観て、彼に畏敬の念をもつようになりました。状況を鋭く解き明かす分析力、論理的な言葉としてそれを批判する知的能力、そして何よりも眼前の不公正・不正義に対して抗議の声をあげる勇気と行動力。知識人という言葉が死語になりつつある今、私が尊敬する知識人の一人です。本作は、メディア批判に関する彼の講演を中心に編集した長尺2時間47分の映画です。途中に五分間という、喫煙者を嘲笑するような短時間の休憩が入りますが、あっという間に充実した時間が過ぎていきました。サブ・タイトルの“マニュファクチャリング・コンセント”とは「合意の捏造」という意で、アメリカのジャーナリスト、ウォルター・リップマンが1920年代に使った言葉だそうです。そういえば、彼がマッカーシズムを批判した「世論」(岩波文庫)という本を買った記憶があります、読んではおりませんが。権力者とメディアが、民主的になされたかのように合意を捏造し、大衆を無力化していく仕組みを分析して批判するという内容です。快刀乱麻を断つ、豊富な実例や関係者へのインタビューなどをまじえて、アメリカのメディアの問題点をつぎつぎに暴いていく手際の見事さに。は感服しました。例えば、ジェノサイドの報道には三つの種類があると彼は指摘します。無視されるジェノサイド(東チモールにおけるインドネシア軍の虐殺)、自らが行う建設的なジェノサイド(アメリカのカンボジア攻撃)、相手側が行う許されないジェノサイド(ポル・ポトによる虐殺)。同じジェノサイドでも、利害関係によってメディアの扱い方が大きく違うことがよくわかりました。
 なお、なぜ彼が不公正や不正義に立ち向かうようになったのかについて、こう語っていました。小学生の頃、友人がいじめられた時に最初はそばに寄り添っていたのだが、やがていたたまれなくなってその場から逃げ出してしまったそうです。そして二度とこのようなことはすまいという強い思いを抱くようになったとのこと。人々を分離させ孤立させ無力化させようとする権力者に対して立ち向かう闘志は、ここからはじまったのですね。プログラムに掲載されていたチョムスキーの言葉です。
あちらが人々をお互いから引き離し、孤立させようとするなら、
私たちは、その逆をいきましょう。
つながるのです。
各々の地域社会にオルタナティブな行動の拠りどころが必要です。
他人との連帯のなかで、
自分自身の価値観を身につけ、
自衛の手段を学び、
自分の生活に主導権を取り戻し、
そして周囲の人々にも手をさしのべるのです。
 最後の場面で、一人の聴衆が彼に対して「またこの国を誇れるようになる日がくるのでしょうか?」と訊ねました。彼の答えです。「その“国”が政府を意味するのだったら、ありえません」 同感、愛国心における“国”を“政府”にすりかえる詐欺には気をつけましょう。振込詐欺、おれおれ詐欺よりも、よっぽど悪質です。ほんとは法律で取り締まってほしいのですけれど。
 ほとんど手弁当でこの映画をつくりあげた二人の監督、マーク・アクバーとピーター・ウィントニックに感謝したいと思います。どうもありがとう。

 追記。この映画はかつて山形国際ドキュメンタリー映画祭で上演されたそうです。以前に拙ブログで紹介した「ダーウィンの悪夢」という素晴らしい映画もそうなのですね。今年は10月4日~11日に開催されるそうです。かなり質の高そうな企画のようなので、行ってみようかな。もし石原強制収容所所長が三選を果たし「東京の悪夢」という事態が現前したら、山形県に永久避難したいところです。金山という素敵な街もあるしね。

●山形国際ドキュメンタリー映画祭 http://www.yidff.jp/home.html
by sabasaba13 | 2007-03-25 07:37 | 映画 | Comments(6)

「9.11と9条」

 「9.11と9条 小田実平和論集」(小田実 大月書店)読了。高校生の時に、氏の「何でも見てやろう」(現在は講談社文庫に収録)をむさぼるように読んだ思い出があります。温もりと体臭にあふれた好奇心をぶちまけながら世界各地をふらつき歩いた旅行記、もし未読の方がおられましたら今でも読む価値はあると思います。お薦め。今にして思えば、私が「旅していろんなものを見てみたい症候群」にかかったのも、この本の影響かもしれません。その後、氏はベトナム戦争に反対するために「ベトナムに平和を!」市民連合(略して「べ平連」)を鶴見俊輔氏らとともに立ち上げ、上意下達・中央集権ではない新しい形の市民運動を模索しつづけます。ある問題に対応して、いろんな政治原理をもついろんな人たちが集まってことの解決をはかる、というのがその根本です。本書は、そこから45年間にわたる著述の中で、平和に関する論考を集大成したもの。
 経済的不平等、戦争とテロルと殺戮の跋扈、環境破壊などを眼前にしてついつい無力感に苛まれてしまいます。そうした無力感を一般市民に蔓延させ、孤立分散化させ、沈黙をさせるというのが官僚・政治家・財界そしてメディアのねらいだということはわかっているのですが、具体的に何をすればよいのかについて思いを馳せると足も竦んでしまいます。私同様、もしそうした思いにとらわれている方がいらしたら、ぜひ本書を読んでみてください。氏は「無理をしては運動はつづかないし、ちょっと無理をしないと、運動は運動として意味あるものにはならない」と言っておられますが、ちょっと無理すればできる市民運動についてのヒントに満ち溢れています。
 氏の考え方の根本にあるのは、硬直的な原理やイデオロギーではなく、人間です。安楽に生きたいという人間の真っ当な願いを無視せず受け容れた上で、ではどうしたら世界中の人々が安楽に生きられるようになるのかを考えること。そして実際に、ちょっと無理をして行動を起こすこと。心に残ったエピソードがありました。1968年、佐世保に原子力空母「エンタープライズ」が入港する時に、大きな反対運動が起こりました。しかし英語で書かれたプラカードや、英語による空母乗組員への呼びかけを行ったのは、小田氏のグループだけだったそうです。災いをもたらす「しくみ」を動かしているのはあくまでも個々の生身の人間であり、その人間に言葉で呼びかけることによってその「しくみ」からの離脱をうながす。ベ兵連が行ったアメリカ軍脱走兵の援助は、その運動の一環なのですね。加害者であれ、被害者であれ、加害者=被害者であれ、物を食べ息をし寝て喜びを求める生身の人間であることを忘れない。大義名分や国家の論理にからめとられてそれを忘れた時に、人間はいとも簡単に残虐になってしまう。エール大学の心理学者がこんな実験を行ったそうです。「体罰と学習」の心理学の実験という名目で、被実験者が集められ、電気ショックを与えるスイッチをゆだねられます。隣室には生徒がいて、まちがった答えをしたら電気ショックを自由に与えても(死の危険さえ招く400ボルトまで)、あるいは与えなくともよいという指示が出されます。そして臨席する学者たちは、「大学が責任をもつ」「科学の進歩のためだ」などと説明して、より強い体罰を与えるよう被実験者を促します。実は、隣室には誰もおらず、叫びや壁を叩く音などをテープで流しているだけなのです。権威・権力に守られかつ責任を問われない個人が、立派な大義名分の名のもとに、見ず知らずの他者に対してどれくらい残虐になれるかを調べる実験なのですね。400ボルトの電気ショックを与える人は10%ぐらいだと学者は予想していたのですが、結果は64%。
 汗臭く力強く人間的な、小田氏の言葉の数々を引用します。
  私が安楽に暮らすことで他人を傷つけ、苦しめるのなら、それは安楽に暮らしていることにはならないという認識をできるかぎりとり入れること…

 「平和憲法」の下ですでに二度日本はいくさに参加していて(※朝鮮戦争・ベトナム戦争)、それは決して自衛のための戦争でさえなかった。

 戦争はまともな人間どうしが、それぞれに正義やら国益やら愛国心やらの大義名分を背負って殺し合いをする行為だ。

 私は「主権在民」の民主主義を政治の原理としてもつ市民社会の根本はデモ行進―市民のデモ行進だと考えている。…市民がさまざまなちがいを越えて、共通の政治主張、反対、抗議の意思表示のために集まり、ともに歩く。これが市民のデモ行進であり、市民社会だ。…こうした市民のデモ行進がいかにさかんか、さかんでないかで、市民社会の成熟の度合いが決まる。

 戦争が戦争を起こす力を持つ「大きな人間」だけではできないことだ。多数、無数のふつうの市民、「小さな人間」を使ってのみ、戦争はできる。とすると、無力な市民、「小さな人間」は逆に大きな力を持つことになる。彼らは戦争に反対し、武器を持つことを拒否すれば、戦争はなし得ない。ただ、この戦争反対、武器拒否は「小さな人間」ひとりではできない。多くの人がともに動いて、初めてできる。「反戦」は必然的に「反戦運動」になる。

 公立学校に授業料を払うような遅れた国は日本と韓国とアメリカだけです。

 憲法とは何のためにあるのか。それは政府だとか権力者にこれを守らせるためにある。…しかし権力者たちに守らせようとしたって守らないんだから、市民が立ち上がって闘わなきゃいかん。闘って守らせるんです。デモしたりストライキしたりしてやる。わかっていただきたいのは、そうしないと民主主義が生きて来ないことです。…選挙だけにまかしたら民主主義はできない。選挙の投票だけをやりなさいというのは、それは民主主義を議会に限定することです。ほかにもデモもストライキもあって民主主義は成立するのです。
 古代アテナイから民主主義は始まるでしょう。デモクラシーってのは、もとはデモスクラトスということですよ。デモスというのは民衆ですね。クラトスは力です。「民衆の力」ということがデモクラシーなんです。これは忘れてはいけない。…民主主義の元祖のアテナイでは選挙はほとんどしていなかった。全員参加とか回り持ちだとか、そういうことで民主主義政治をやっていた。それが選挙になったのは、堕落した形態になったのがローマからなんです。ローマから専制国家にかわったでしょう。ローマ帝国になって行くのだから。怖いです、選挙は。片方で選挙は必要だ、しかし同時にデモもストライキもあったうえでの政治が民主主義です。それが成熟した市民社会です。

 何が災害が起こったらすぐ日本が飛んで行く。ただ個々の民間のボランティア活動でやるんじゃなくて国家としてやる。…難民が出る。難民救済機を日本が飛ばす。アメリカとかフランスからとりあえず難民救済機を買え。たくさん買って、災害があったら日本が出て行く。その災害救済機には日の丸をつける、それで新しいかたちの日の丸認識ができる。何かあれば、必ず日の丸が助けてくれる。
 そういう国家の在り方を作るべくみなさんが努力しないとだめだ。災害があったら日本が飛んでくる。難民は連れていってくれる。そして、あと済んだら、この国が好きだったら居なさいと日本は言う。それをやったら、そうしたら安全保障理事会でも日本は大事な国だから、スンナリ票が集まる。国際的プレゼンスもできる。(会場、拍手)
 これが平和憲法を実践することです。―に書いてあることです。しっかりしいや。(会場、笑い)
 政治家・官僚・財界が怖れるのは、多くの一般市民が怒りに満ちた意思表示(デモ)をみんなですることでしょう。江戸時代で言う徒党/強訴ですね、幕府もこれを厳しく禁止していました(実際には多数起きましたが)。教育やメディアを通して、それをさせないための伏線をはりめぐらせいるのが現状だと思います。だとすると、「自分が一番したいことはするな。敵がもっとも嫌がることをせよ」という戦いの鉄則から言って、私たちが大きなデモを行えば彼らにとって大きなプレッシャーとなるはずです。「Days Japan」4月号で知ったのですが、イタリアのビチェンツァという小さな町で米軍基地拡張に反対する十万人規模のデモが行われたそうです。1999年に米軍機がスキー場のリフトを切断し20人を殺したところですね。結果はどうなるかわかりませんが、みんなの安楽な暮らしを守る方向に事態を動かしていく力にはなると思います。
 東京都では来年度から、週に一時間、生徒に強制的な「奉仕」をさせるようですが(学徒動員!?)、いっそのこと「愉快なデモの仕方」「人目を引くプラカードの書き方」「楽しいシュプレヒコールのあげ方」を教えてあげたほうが市民社会の成熟にとっては有効なのではないかな。
by sabasaba13 | 2007-03-24 07:06 | | Comments(0)

鎌倉錦秋編(11):妙法寺・妙本寺(06.12)

 そして同じ道を戻って、ふたたび自転車に乗り、向かうは日蓮宗妙法寺。ここは磨り減り苔むした石段が有名ですね、残念ながら立入禁止ですが。この石段のたもとに「薩摩屋敷事件戦没者の墓」がありました。1867(慶応3)年に江戸の三田でおきた薩摩屋敷焼き討ち事件における双方の死者を祀ったものだそうです。この時に幕府が薩摩藩の挑発に乗らなければ、歴史は大きく変わっていただろうなあ、などと物思いに耽ってしまいました。その右につくられた新しい石段を上り、左手の鐘楼からさらに上に登る石段があります。このあたりの情景は好きですね、紅葉こそないものの、石段と鐘楼と木々と木洩れ日が一幅の絵のようでした。
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 そして最後に訪れたのが妙本寺。私はこのお寺さんが大好きです。古武士のような質素にして無骨な佇まい、広い境内とそれを取り囲む鬱蒼とした木々、小林秀雄と中原中也が愛した海棠の古木、北条時政に滅ぼされた比企一族の墓石群、そして苔と雑草におおわれて完全に表面が見えない緑の怪物のような石段。惜しいことに紅葉にはまだ早かったのですが、その盛りの時期にはぜひ訪れたい古刹です。そして駅に戻り、自転車を返却して帰郷。
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 鎌倉はいい街ですね。実は適当なホテルがなかったため藤沢に泊まったのですが、これは静かな暮らしを守りたいという鎌倉人の意思の現われのような気がします。一年に一回は訪れているのですが、街の佇まいが大きく変わった気配は感じられません。人々の暮らしと密着した小売店がつぶれずに残っているような気もします。街ぐるみで、貪欲な巨大企業・大規模小売店舗・外資系企業の進出を食い止めているのかもしれません。その背景には、この美しく愛すべき街を守りたいという想いがあるのでしょう。安倍伍長、ほんとに美しい土地だったら、みんな愛するようになりますよ。大企業の片棒をかついでいるかぎりはわからないでしょうが。

 本日の三枚、妙法寺(二枚)と妙本寺です。
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by sabasaba13 | 2007-03-23 06:12 | 関東 | Comments(0)

鎌倉錦秋編(10):名越切通し・まんだら堂やぐら群(06.12)

 そしてさらに名越方面に向かい、二つ目のトンネルを抜けて右折すると山の方へ上がる階段があります。自転車を置いて登ろうとすると、「国史跡まんだら堂やぐら群臨時公開」というポスターが貼ってありました。やりいっ! 普段は非公開のやぐら群が紅葉の時期にだけ、臨時公開されているのですね。これは行かねば。
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 急な石段を上ると右手が名越の切通しです。ここも未舗装の山道で、岩を抉って一人ぐらいしか通れない部分があるなど軍事上の要衝であることがよくわかります。
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 左に行くとそこがまんだら堂やぐら群。いそいそと中に入ると、係の方がいて解説をくださいました。ここは13世紀末から15世紀くらいまでに形成された、約130穴のやぐらが集中する鎌倉でも有数のやぐら群だそうです。一目見て驚愕。広場を取り囲むように岩盤につくられた無数のやぐらと、真っ黄色に色づき一面に散り撒かれたイチョウの落ち葉、そしてあちこちに咲き誇る可憐な水仙の花。もう黄色に輝く異次元の世界に迷い込んでしまったよう。ここはお薦めです。たぶんこの時期の土日に毎年公開されているようですので、逗子教育委員会にお問い合わせの上お訪ねください。
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 なおこの近くには大切岸があるので、係の方に所在地を教えてもらいついでに行ってみることにしました。ここからさらに名越切通しを進むと、大きな置石があります。
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 ここの三叉路を右に行き、分かれ道で「大切岸・ハイランド方面」ではなく「法性寺方面」に行き、法性寺に就くとそこの墓地から大切岸を遠望することができます。長さ800m以上にわたって高さ3~10mにもなる断崖が連なる遺構で、鎌倉幕府が三浦氏からの攻撃に備えるために築いた防衛施設といわれていますが、石切り場という説も有力だそうです。なおこのあたりからの眺望は素晴らしいものでした。
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 本日の五枚、名越切通し(二枚)、まんだら堂やぐら群、大切岸、案内図です。
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by sabasaba13 | 2007-03-22 06:15 | 関東 | Comments(0)

鎌倉錦秋編(9):大仏坂切通し・極楽寺坂切通し・安国論寺(06.12)

 そして行きましょう。数年前に来た時にいたく感銘を受けたところです。両側に切り立った崖が迫り、敵の侵入を妨害するための置石がゴロンゴロンゴロン。中世鎌倉の雰囲気をそのまま閉じ込めたようでした。平場から鎌倉武士が矢を射掛けてくるような錯覚さえ覚えましたね。その時の記憶では、たしか大仏のある高徳院の前を通りトンネルを抜けてどこかのバス停を右に曲がる小道があったはずです。ところが己の記憶力を過信した報いでしょうか、見つからない! トンネル手前から登る源氏山ハイキングコースにも行きましたが、見当たらない! まさか宅地造成のために破壊されたということはないでしょうが… 断腸の思いで撤退。今調べたところ「火の見下」というバス停でした、やはり下調べはきっちりしておくべきですね。自戒。四年前に撮った写真を載せておきます。
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 また気を取り直して極楽寺坂切通しに行きましょう。ここは舗装された車道となっており、往時の面影は微塵もありません。
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 さてさて由比ガ浜大通りを鎌倉駅方面に戻り、名越をめざします。通りの途中には1936(昭和11)年につくられた城郭建築と寺院建築を組み合わせたような得意な外観の鎌倉彫屋「寸松堂」の店舗があります。その向かいにはアール・デコ調の装飾が印象的な「店本乳牛崎柴」。間違いなく戦前の建築でしょう。滋養のために牛乳が貴重視されていた時代の名残でしょう、明治以降に海水浴=保養地として再生した鎌倉の歴史をまざまざと見た思いです。
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 江ノ電の踏切を渡り、横須賀線のガードをくぐり、しばらく走ると黒澤明の墓所がある安養院です。残念ながら墓地は非公開のようです。途中で日蓮が「立正安国論」が書いた安国論寺に寄り道。小ぶりですがコンパクトにまとまった清楚な感じのお寺さんです。
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 本日の二枚は、大仏坂切通しと安国論寺です。
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by sabasaba13 | 2007-03-21 07:30 | 関東 | Comments(0)

鎌倉錦秋編(8):長谷寺・光則寺(06.12)

 さてここから長谷へと向かいましょう。鎌倉駅西口に出て、御成通りをひた走ります。実はこの通りにはその筋(どの筋?)では有名な「滝の湯」という銭湯があります。築55年の建物でいまだに裸電球を使用しているレトロな銭湯で、数年前に廃業をしようとしたところ、住民の反対署名が集まりしばらく営業を続けるということです。3年前にはまだ健在だったのですが、今はどうなっているのかな。気になって捜しましたが、影も形もありません。近くにあるレストラン「いずみ」に入ってチキンソテーをいただき、店の方に訊ねたところ、数ヶ月前にとうとう廃業してしまい今は駐車場になってしまったそうです。「老人が一人死ぬということは、図書館が一つ燃えてなくなるということだ」というギニアの格言があるそうですが、銭湯がなくなるということはそれに近いものがあるような気がします。その街に住む人々の思い出が消滅してしまう… それにしてもよりによって駐車場とは。たしか自分が生れたペットショップが駐車場になってしまったのを見て、スヌーピーが「お前らはぼくの思い出の上に駐車しているんだ!」と悲痛の叫びをあげたのを覚えています。
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 気を取り直して長谷寺へと行きましょう。浄土宗の古刹で、日本最大の木造彫刻像十一面観音像(高さ9.18m)があることで有名ですね。なおこちらは(おそらく)鎌倉で唯一紅葉の夜間ライトアップをしている所だと思います。さすがにたくさんの色づいた楓やイチョウがありましたが、いかんせん参拝客が多すぎ。落ち着いて鑑賞できる雰囲気ではありません。由比ガ浜を見下ろす眺望は見事ですけれど。
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 そしてすぐ近くにある光則寺に寄りました。もみじは少ないですが、観光客はほとんどおらずゆったりと紅葉を鑑賞することができました。なおこちらには日朗上人が閉じ込められた土牢があります。そうそう、門前にある木の枝にとつぜん栗鼠が現れたのにはびっくり。こうした野良リスに鎌倉市民はけっこう悩まされているようです。
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 本日の三枚、上の二枚は長谷寺、下の一枚は光則寺です。
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by sabasaba13 | 2007-03-20 06:10 | 関東 | Comments(0)

鎌倉錦秋編(7):鎌倉宮・覚園寺・瑞泉寺・国宝館(06.12)

 ふたたび自転車に飛び乗り、護良親王を祀るために明治天皇が創建した鎌倉宮に立ち寄りましょう。右手にある社務所の前には、見事な枝ぶりの楓が数本立ち並んでいます。ちょうど見頃ですね、眼福眼福。
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 そして前の道を左方向にしばらく行くと覚園寺に到着です。実はこちらでは本堂拝観の時間が決まっておりまして、土日は午前10時、11、12時、午後1時、2時、3時の六回のみ。ま、せっかくですから午前10時に間に合うようにこれまでの行程を組んだわけです。小さな石段を上がり総門をくぐると、ほわあ、それはそれは素晴らしく色づいた燃え盛るような楓の小さな林がありました。樹下にいると、体が真っ赤に染まりそうでした。今回の旅行では、ここが一番見事な紅葉でしたね、お薦めです。時間になり、拝観料を払って坊さんの後をついて中に入りました。ここから先はどういうわけか写真撮影は禁止、イチョウの巨木は美しく色づいていましたが他には数本の楓が散見される程度、何よりも坊さんの饒舌にして冗長な解説にはまいりました。あえて本堂拝観をする必要はないかな。
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 また鎌倉宮の前を通り過ぎて、花の寺として有名な瑞泉寺へと行きました。うーん、見るべきほどの紅葉はないですね、そそくさと退散。
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 そして武門の守護神、鶴岡八幡宮へ。前九年の役で奥州を平定した源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請したのですね。実朝を暗殺した甥の公暁が隠れていた大銀杏は、数年前に台風によりかなり枝が落ちてしまったそうです。色づきも不十分でした。なお国宝館前の紅葉はなかなかよいですね。小さな堀におおいかぶさる数本の楓、そして水面に写る紅葉の色とたゆたう散りもみじ。ちょっとした穴場です。なおここには「山は裂け海はあせなむ世なりとも 君に二心わがあらめやも」という、源実朝が後鳥羽上皇に対する思いをつづった歌の大きな歌碑があります。武門の頭領がこんなことをいっているんじゃ、そりゃあ疎まれるはずだよなあ。
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 本日の五枚、上から鎌倉宮、覚園寺(三枚)、国宝館です。
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by sabasaba13 | 2007-03-19 06:03 | 関東 | Comments(0)

鎌倉錦秋編(6):宝戒寺・獅子舞(06.12)

 本日も快晴です。藤沢から大船で乗り換えて鎌倉へ。駅前で自転車を借りて彷徨の開始です。その前に駅の二階にある「カフェ・フルール」でモーニング・サービスをいただきながら今日の行程を確認するための一人作戦会議。鎌倉徘徊における一つの悩みは、安くて落ち着ける喫茶店がないことですが、この店はその条件をクリアしています。お薦め。だいたい輪郭がまとまり、いざ出発。まずは萩の寺として有名な宝戒寺へ。ここは北条執権邸の跡地で、後醍醐天皇の勅命により足利尊氏が創建したお寺さんです。イチョウがきれいに色づいていました。
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 ここの裏手にある紅葉山やぐらのあたりが穴場だという情報を得ていたのですが、それほどのものではありません。見落としたかな。
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 そして鎌倉宮へ向かいその右手の道をしばらく直進し、左に行くと天園ハイキングコースの入口です。ここに自転車を置いて十数分ほど山中の道を歩いて登ると、紅葉の名所・獅子舞に到着です。実は二年前の十一月末にここを訪れたのですが、まったく紅葉がはじまっておらずがっかりした記憶があります。さすがに十二月初旬だと色づきはじめてはいますが、もう一息かな。それでも楓が群生する深山幽谷の雰囲気を堪能できました。さしこんでくる木洩れ日に照りかえる色づいた葉も美しいですね。なおタイミングがあうと、黄色く輝くイチョウの落ち葉と楓の紅葉の見事なコントラストが見られるそうです。
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 本日の三枚は獅子舞です。
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by sabasaba13 | 2007-03-18 07:14 | 関東 | Comments(0)

「さらば外務省!」

 「さらば外務省! 私は小泉首相と売国官僚を許さない」(天木直人 講談社+α文庫)読了。小泉軍曹に対イラク攻撃中止と中東和平交渉の早期再開を意見具申して、実質的な解雇処分を受けた元レバノン大使、天木直人氏による内部告発の書。外務省の劣化・腐敗・無能ぶりを、これでもかこれでもかこれでもかこれでもかこれでもかと暴いてくれます。痛快! ある程度は予想していましたが、ここまで非道いとは思いもよりませんでした。直截でやや感情に傾く文章表現が時として気になりますが、関係者しか知りえない内幕を白日に晒してくれたのですから小さな瑕疵でしょう。その勇気と、真っ当な外交のあり方を願う思いに、賛辞を送りたいと思います。
 ひたすら米国外交に盲従し、自分たちの利益を守るために国民を犠牲にし、情報収集など必要な仕事を行わず、出世のことしか頭にない、卑劣な人格と低劣な能力・知識。外務官僚をここまで罵倒していいのかと慮る方もいらっしゃるかもしれませんが、何をおっしゃるうさぎさん、一読されれば首肯すること請け合いです。今のところ、名誉毀損などの訴訟も起きておらず、本書の発刊差し止めもされていないようなので、内容に間違いはないのだと思います。いくつか例をあげましょう。
 「米国は日本と共通の価値観を有する信頼できる唯一の国である。そのような国に対して(日本が軍事攻撃をされた場合)助けてくれないなどと疑念を抱くこと自体、誤りであり米国に失礼である。」(栗山尚一元条約課長)

 日本の国会議員は、国会が夏休みに入ると、こぞって外遊に出かける。用もないのに外国を訪問する日本の政治家を喜ばせるべく、外務官僚は外国政府に対しもっともらしい名目をつけて公式訪問を受け入れるよう要求する。

 報道陣を前に米軍基地の重要性を得々と述べた田中均元北米一課長は、「沖縄の基地を訪れたことがあるか」と記者から尋ねられ、返事に窮した。

 「中東和平問題はイランに関係ないから干渉するな。」(野上義二元事務次官)

 「国民に知恵がついてきているので外交がやりにくくなってきている。」(竹内行夫元北米局長)

 「第二次世界大戦後の歴史において、国連が世界の平和の維持のために当初想定されていた役割を果たして来たとは言いがたい。…本来国連が果たすべき役割を実効性をもって担ってきたのは米国である。ひたすら平和を唱え、いかなる武力行使にも反対する立場からは、残念ながら平和は生まれない。日本政府が(イラクへの武力行使という)米国の方針を支持したこともあって、これを対米追随外交と非難する論があるが、これは情緒的で無責任な感情論と言わざるを得ない。…日本が米国にノーと言うことは日常茶飯事の如く屡々ある。あえて公にしないだけである…」(斉藤邦彦元事務次官)
 なお氏が辞めさせられるきっかけとなった「意見具申」とは、出先の大使が、本国政府に向けて日本のあるべき外交政策について意見を申し進めることです。しかし最近では、これを行う大使がほとんどいなくなったそうです。その理由について氏は、本国政府の決定に異を唱えれば疎んじられ出世の妨げになるという、功利的な配慮が働くからであると分析されています。
 そして論は外務省のことだけにとどまらず、日本の政治全般に対する批判におよびます。国民一人ひとりが下記の諸点に問題意識を持ち、自分なりの意見を持つようにならなくてはならないと提言されています。
1.日米安保条約の歴史と変遷を学び、自らの意見を持つ
2.第二次世界大戦以後の日本の現代史を知る
3.憲法改正問題を避けずに直視する
4.アジア諸国への謝罪と天皇の戦争責任について考える
5.日本経済の混迷の真の責任の原因を知り責任者を追及する
6.政治家、官僚にこれ以上特権を持たせない決意を固める
7.石にかじりついても政権交代を実現する
8.情報公開法をさらに改善し積極的に活用する
9.地方分権化を徹底して推進する
 6については天下りの旨みを根絶すること、7については共産党・社会民主党が反自民党的なるものの統一に立ち上がり、他の市民派グループを統合して真のリベラル第三勢力を結集することを提案されています。同感。民主党が第二自民党であることはほぼ明らかだし、実現すべき選択肢だと思います。

 誰かが「日本に政府はない、あるのは官僚組織だけだ」と言っていましたが、その実態をもっと知りたいですね。各省庁からこうした内部告発をしてくれる方が現れるのを期待します。とりあえず今一番知りたいのは文部科学省の内幕です。もし拙ブログ読者の中に文部科学省にお勤めの方がいたら、ぜひ警告のホイッスルを吹いてください。
by sabasaba13 | 2007-03-17 08:36 | | Comments(0)