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「グローバル化と奈落の夢」

 「グローバル化と奈落の夢」(西谷修編 せりか書房)読了。以前に掲載しました映画「ダーウィンの悪夢」(監督フーベルト・ザウパー)を見た時に、そこの映画館(渋谷シネマライズ)で購入した本です。東京外国語大学大学院国際協力講座が企画・実行した二つの企画、イヴリン・ホックスタインを招いての写真展+シンポジウム『〈人間〉の戦場から』とザウパー監督を招いての映画上映+討論+ワークショップ『グローバル化と奈落の夢』の全記録をまとめたのが本書です。写真や映画といったメディアで表象されるアフリカを、グローバル化の視野のなかで再考しようという試みです。論点は多岐にわたるのですが、下記の発言をつなげあわせれば本書の骨子をつかめると思います。
 先進国の人間が下手な、よこしまな意図を持って介入するからここは乱れる。そうではなくて、むしろそこにある自力、そこの土地の自力、あるいはそこ自体が持っている解放の力に任せておいたら、こんなに混乱しないかもしれない… (栗田禎子)

 悪者が悪者なのではなく、私たちが作り上げたシステムこそが悪者だということ、もはやヒットラーのように「あいつのせいで戦争が起こった」と明言できるような悪者は存在しないのです。 (フーベルト・ザウパー)

 世界中に拡がる資本主義がとてつもなく成功していることが私の経験してきた中で一番心配されることです。資本主義がうまく作用しすぎれば、あとには焼け野原しか残らないでしょう。 (フーベルト・ザウパー)

 ひとりひとりが大きなシステムにとりこまれ、アイヒマンのように自分の仕事を忠実にこなす一見普通の人が、人々を死に追いやるシステムに加担している。ここには知性にとっての悪夢、現代の私たちのジレンマがあるのです。 (フーベルト・ザウパー)

 私にとって重要なのは西洋社会の人々が見たくない、あるいは見ないであろう現実を彼らに提示し、彼らを怒らせ、そして願わくば彼らの創造性を高め、もっと現実を知らせるということです。 (フーベルト・ザウパー)

 人々の知性を刺激して、意識的にアクションをおこさせることが映画を作る上で必要なことです。観客を慰めたいわけではない。 (フーベルト・ザウパー)

 民衆がある種の重要な決断を下すときに有用な情報を提示し、情報で武装したような民衆をつくるために資する…それがテレビの重要な役割の一つだとすると、いか、そのことが大変危うくなっているように感じます。 (日置一太)

 (アフリカ)大陸の大部分が世界の他の地域とは較べものにならぬ貧困に喘いでいるが、それはアフリカがグローバル化に乗り遅れたからではなく、アフリカがグローバル化の犠牲者だからなのである。 (増田一夫)
 資本主義のグローバル化とは、技術の進歩により世界的な規模で貧者を搾取することが可能となった状況をさしていると私は考えます。そして資本主義というシステムが稼動すれば、強者・富者は適者生存して生き残り、弱者・貧者は容赦なく自然淘汰されていく。たとえ悪意はなくとも、このシステムに加担するだけで人を死に追いやってしまう。もはやヒットラーもスターリンも見出せない、ただこのシステムの存在自体が悪であるということです。そしてその最も深刻な犠牲者がアフリカであり、アフリカの未来はわれわれの未来でもあります。そしてこのシステムを変えるためには、人々に現実を提示し、怒らせ、知性を刺激し、何らかの行動へと誘うことが必要です。そのために映画・写真・テレビなどのメディアが果たすべき役割は大変重要なものになってきている。
 グローバル化の矛盾が最も無惨にして先鋭な形であらわれているアフリカという場を、人々の前に現実として提示し、感情や知性を揺さぶる。イヴリン・ホックスタイン氏やザウパー監督の仕事はそういうものだと思います。そして本書を読んで、教育の場でもそうした現実の提示をする必要があることを痛感しました。ワークショップに参加された船田クラーセンさやか氏が、東京外国語大学で行った参加型授業「世界が百人の村だったら」を紹介します。学生たちを富裕層と貧困層のグループに分け、前者には一人一人にクッキー3,4個を与え、後者には例えば20人に1個のクッキーしか与えない。そして「粉にして分けなさい」と指示をすると、学生たちは半分泣きながら分け合い、そして世界についてのリアリティを実感するという内容です。うーん、これは私も受けてみたい。愛国心だの道徳だの奉仕だのを押しつけている場合ではありません。こうしたリアルな世界を体験し想像するための授業が各学校で行われることを、期待、いや渇望します。
by sabasaba13 | 2007-08-31 10:10 | | Comments(0)

「小さい駅の小さな旅案内」

 「カラー版 小さい駅の小さな旅案内」(夏目雄平 洋泉社COLOR新書y)読了。旅に関する本を本屋や書店で見かけると、ついつい手にしてしまいます。本書もそうして出会ったのですが、なかなか良い旅案内でした。東京から日帰りができる小さな駅の周辺を歩き回って、美しい里山や自然を愛でるというコンセプトは新鮮です。名所・旧跡ははじめから考慮に入れていないので、当然わさわさと押し寄せる観光客におびやかされるおそれもないでしょう。農村や棚田、紅葉、菜の花、みかん、富士山など、奇を衒わぬオーソドックスな物件が満載です。素朴で味わいのある手描きの地図がついていますが、やや正確さに欠けているのが気になるところ。正確な地図を持参してカバーするか、こけつまろびつ右往左往しながら徘徊すればいいでしょう。大きな瑕疵ではありません。私もけっこうあちこちを彷徨してきましたが、紹介されている20コースのうち、踏破したのは銚子電鉄・外川駅、しなの鉄道田中駅(海野宿)、東海道本線・真鶴駅の三つだけでした。まだまだ素敵な地が私を待ってくれているのですね、それでこそ働く甲斐があるというもの。
 なお最後に掲載されているブックガイドに姉妹版「小さい駅の小さな旅」(新風舎)があると著者自身が紹介していたのでさっそく購入。しかし内容がほとんど重なっていました、これでは二卵性双生児ですよ、夏目さん。
by sabasaba13 | 2007-08-30 07:38 | | Comments(0)

「中流の復興」

 「中流の復興」(小田実 NHK出版生活人新書224)読了。2007年7月30日、小田実氏が逝去されました。心からご冥福をお祈りします。
 氏については、以前に拙ブログで紹介しましたので、くりかえしません。あえて言えば、理念やイデオロギーにたよらず、普通の人々の力で日本そして世界を真っ当なものに変えられるという信念をもちそれを先頭に立って実行された稀有な作家です。本書が「白鳥の歌」になってしまうのでしょうか、もう彼の生きのいい油っこい文章が読めないのかと思うと無性に悲しい。しかし彼が発してくれたメッセージと、実際に起こしてくれたアクションは消えません。あとは私たちがそれを真摯に受け止め、引き継いでいくだけです。目標はシンプルです。戦争をなくし、ほどほどの自由と豊かさを世界中に築くこと。
 本書でも、死を自覚し目前にしながらもエネルギッシュにその具体的な手立てを述べられています。一般市民と議員が協力して法案を提出すべきだという市民=議員立法の推進、大学まで公教育は無償にすべきだという主張、自衛隊の災害救助隊への改変、日本は良心的軍事拒否国家になるとともに、小国であることを自覚し他の小国と非同盟関係を結ぶ必要性(氏曰く「貧乏人融通同盟」)。それを実現するための手立てとしてずっと氏が主張されてきたのが、直接民主主義です。選挙だけにたよるのではなく、ある問題に対して共通の関心を持つ市民が三々五々集まってデモ行進を行ない、自分たちの主張や意見を叫ぶこと。べ平連において氏が実践されてきたことです。選挙とデモ、この両輪があいまってはじめて民主主義が十全に機能する。いかにして明るく楽しく健康的で、しかも問題点を鋭く抉るようなデモ行進をつくりあげられるか、これは私たちに氏から課せられた大きな宿題ですね。
 そして世界中でおきている民衆への人権侵害に目をつむらず、知ろうとすること。本書の最後で、氏も参加された恒久民族民衆法廷(PPT)が告発している、フィリピンの現状および判決文は必読です。被告はアロヨ政権とブッシュ政権。「対テロ戦争」を口実に、市場指向・利潤指向のグローバリゼーションがフィリピンの人々の平和な暮らしをいかに脅かしているか、これは決して他人事ではありません。われわれを奈落の底に突き落としている「格差社会・監視社会」もこうした動きの一環だととらえたほうがいいでしょう。

 最後に教育問題です。「教育再生」と称して、安倍伍長たちが子供たちの心の中に愛国心と競争心をすりこもうとしていますが、小田実氏はこう語ります。銘肝します。
 人間は基本的にこの世界に競争するため生れてきたのではない。お互いの人生を満喫しながら、社会を発展させるために、そこで生きるために生れてきた。教育は、その自由な人生を満喫するための土台づくりとしてある。
 追記。本書で、栗原貞子氏の衝撃的な詩を知りました。原爆投下について、われわれは戦後の歴史において本気で考え受け止め、そして平和のためにその経験を生かそうとしてきたのかを鋭く問いかける重い重い作品です。
〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくかえってくるためには
捨てたはずの武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるバリアだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしいこたえがかえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない

by sabasaba13 | 2007-08-29 10:15 | | Comments(0)

ヴェネツィア編(45):スクロヴェーニ礼拝堂(07.3)

 スクロヴェーニ礼拝堂は外観は装飾の少ないシンプルなつくりで、とても内部にジョットによる豊穣な世界があるとは想像もできません。二十数人のグループで中に入り、温度調節のため見せられる十五分間のビデオももどかしい。そしていよいと礼拝堂内部へ。ああ、別世界だ。マリアとイエス・キリストの生涯を描くジョットのフレスコ画がすべての壁面を飾っています。Wikipediaの解説を引用します。「(ジョットは)ビザンティン様式が支配的だった西洋絵画に現実的、三次元的な空間表現や人物の自然な感情表現をもたらした。ジョットの絵画においては人物は背後の建物や風景との比例を考慮した自然な大きさで表わされている。こうした描写方法は当時の絵画界においては革新的なもので、こうした点からジョットは「西洋絵画の父」といわれている。」 簡素・質朴ながらも人間の表情や感情を力強く適確に描いたその技には感嘆します。そして輝かしき色の奔流! 中でも青色の素晴らしさには圧倒されました。これほどクリアなのに深みのある青は見たことがありません。スクオーラ・グランデ・デイ・サン・ロッコのティントレットの絵には息苦しさを感じましたが、ここでは解放感さえ覚えました。いつまでもここにいて、色とフォルムに包まれていたい… しかしそういうわけにもいかず、30分が瞬く間に過ぎてしまいました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2007-08-28 09:57 | 海外 | Comments(0)

ヴェネツィア編(44):パドヴァ(07.3)

 途中にガリバルディの銅像や、カヴール通りがあるところを見ると、リソルジメント(イタリア統一運動)に深くかかわった街なのでしょうか。
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 コンクリートが乾ききらないうちに歩いたのでしょう、足跡がいっぱいついている横断歩道を渡ると、救急車がやってきました。前部に書かれている「救急車」が鏡文字なのは、前にいる車がバック・ミラーで確認しやすいようにするための工夫ですね。
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 ある建物に記念プレートらしきものがあったので、Aさんに読んでもらうと、第二次大戦中にドイツ軍に殺されたレジスタンスの闘士を悼むモニュメントだそうです。ドイツ人は彼らをきっと「テロリスト」と呼んでいたことでしょう。パドヴァには柱廊(ポルティコ)が多いことにも気付きました。Aさんによるとここは多雨地帯なのだそうです。
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 巨大なラジョーネ宮を右手に行くと、シニョーリ広場、正面奥には大時計がついた白亜の美しい尖塔が見えてきます。中央の通路をくぐって中に入ると、藤の花が壁一面をおおう建物を発見。しばらく見とれていましたが、そろそろ予約の時間が迫ってきました。スクロヴェーニ礼拝堂に向かいましょう。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2007-08-27 09:05 | 海外 | Comments(0)

ヴェネツィア編(43):パドヴァ(07.3)

 本日は趣向を変えて、近郊の街パドヴァに行くことにしました。ローマ帝国の自治都市にして、ヴェネツィアの強敵でしたが、1406年にその軍門に下ります。見所はジョットのフレスコ画があるスクロヴェーニ礼拝堂と、1222年創設というパドヴァ大学です。ヨーロッパではじめてユダヤ人を受け入れ、またガリレオ・ガリレイもここで教鞭をとったそうです。
 三人でサンタ・ルチア駅に行くと、オリーブの小枝を持った人たちがパレードをしていました。Aさんによると、イースター前のお祭とのことです。ホームに行くと、「自転車を積める」印がついた車両がありました。これを見るとヨーロッパにいるんだなあといつも思います。列車に乗りこむと、その洒落た椅子や内装には目を奪われました。定刻通りに列車が動き出すと、Aさん曰く“Hallelujah !” 
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 そして、ヴェネツィアと本土を結ぶ鉄橋を渡り、約30分でパドヴァに到着です。ひさしぶりで見る自動車には、恐怖と嫌悪感を覚えましたね。世の中に絶えて車のなかりせば 春の心はのどけからまし… でも幅が広い自転車専用道路があるのには、見識を感じます。
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 街の中心部までは歩いて十分ほどです。まずは一番のお目当て、スクロヴェーニ礼拝堂へと向かいました。古代ローマ遺跡の残骸がごろごろところがっている公園の一画にあります。ガイドブックによると、ここは完全予約制。何せフレスコ画はもろいので、最大25人までのグループによる入れ替え制になっており、しかも温度調整室でビデオを見ながら15分待機して入室するというものものしさです。しかし定員に足りていなければ飛び込みでも見られるという情報を信じ、それでもだめならこの絵を見るためにはるばる日本から日帰りでやってきたジョット愛好家の日本人だとAさんに説明してもらおうという甘い見通しでした。受付で見学が可能かどうか尋ねてもらうと、Mamma Mia! 12:30から見学が可能だというお答え。小槍の上でアルペン踊りをひとしきり踊った後、時間まで街の中心部を徘徊することにしました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2007-08-26 09:07 | 海外 | Comments(0)

残暑見舞


 残暑お見舞い申し上げます。

 日頃「散歩の変人」を御愛読していただき、ありがとうございます。これから十日間ほどギリシアに行って、エーゲ海を眺めながら、ぼおおおおっとして、(できれば)読書三昧の日々を送る予定です。炎熱地を焼く日々がまだ続くかと思いますが、ご自愛を。

 暑気払いに、手持ちの写真の中で涼しそうな一枚をどうぞ。栃木県大芦川の清流です。
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by sabasaba13 | 2007-08-16 13:09 | 鶏肋 | Comments(0)

「天然コケッコー」

c0051620_136197.jpg 原作を読んだ後、映画「天然コケッコー」を見てきました。あのゆったり伸び伸びした、言い換えると盛り上がりに欠ける原作をどう映画化するか注目したのですが、なかなか良い出来に仕上がっています。セリフや登場人物、ストーリー展開もきわめて原作に忠実で、監督の作品・作者にたいする真摯な思いや敬意を感じます。何といっても、自然とそこで人々が営む暮らしの美しさには眼をみはりました。田んぼ、山、海、村、虫、木々、村の家々、すべて抱きしめて愛撫したくなりました。互いに競い合うこともなく、自然とともに何気なくのんびりと生きて行くことの大事さをしみじみと感じさせてくれましたそうした環境の中で、子供たちはゆるゆると成長していくのですが、それを演じた俳優の演技も優れています。原作のような陰影と奥行きのあるストーリーを映画化するのはきわめて難しいと思いますが、健闘しています。主役を演じた可憐な夏帆氏も、主人公・右田そよのけっこう襞のある複雑な性格をよく表現していますが、欲を言えばちょっと爽やかさが過多かな。もう少しくどさやあくの強さが欲しいですね。あと色が白すぎ、やはりそよは日焼けしていなくちゃ。
 彼女の「もうすぐ消えてなくなるかもしれんと思やあ、ささいなことが急に輝いて見えてきてしまう」というセリフが心に残ります。生徒数七人の学校が廃校にされてしまうことへの感傷でしょうが、これは今、政策的に破滅させられつつある農村・山村・漁村とそこで暮らす人びとすべてに投げかけられたものかもしれません。
 観客の耳目を驚かす大作ではありませんが、大事なものを何気なく見せてくれる佳作、一見の価値はあります。
by sabasaba13 | 2007-08-16 13:08 | 映画 | Comments(0)

「天然コケッコー」

 「天然コケッコー」(くらもちふさこ 集英社文庫)全九巻読了。映画「フリーダム・ライターズ」を見た時に、「天然コケッコー」という映画の宣伝用パンフレットを見かけました。面白いタイトルと、農村風景をバックにして線路の上に集う七人の小中学生たちの写真に惹かれて手にすると、原作はくらもちふさこ氏の漫画でした。ああ懐かしい! 実は蘭丸団シリーズを読んでしばらく氏の漫画に夢中でした。「おしゃべり階段」「いつもポケットにショパン」は何度読み返したことでしょう。抜群の描写力、自由奔放にして繊細な線、巧みで洒落たストーリー展開には脱帽です。しかし「チープ・スリル」「海の天辺」あたりからストーリーの伸びやかさが消え読みづらさを覚え、しばらくご無沙汰をしてきました。しかしこのままで終わるような方ではないと心の片隅で思い続けてきたので、いい機会です。映画を見る前に、原作を読んでみようと思った次第です。
 舞台は島根県浜田市あたりの海に面した農村、主人公は農家の娘、右田そよです。彼女が通う小中学校は廃校寸前で、生徒数は六人。そこにある事情で東京からかっこいい転校生、大沢広海がやってきます。この二人の関係を中心に、友人関係や親子関係、村の様子などをからめて、ゆったりとしたペースで話は進んでいきます。伸び伸びとしたストーリー展開がいいですね。相変わらず画力は素晴らしいのですが、それに加え、登場人物の表情・しぐさの表現が以前より豊かになったような気がします。また一話すべてにセリフがなく絵だけでストーリーを表現したり、右ページ全部をそよと広海の会話でコマ割りしたりするなど、実験的な手法にも取り組んでおられます。
 全九巻を一気呵成に読了、そしてえもいわれぬ爽やかな読後感につつまれました。思うに、このお話には競争や敵対関係がいっさいないのですね。人間の手が加えられたあたたかい自然の中で、友人・親・村人たちと時には仲たがいしたり仲直りしたり、日々何となく過ごしていく。しかし子供たちは目に見えない速さで少しずつ成長していく。促成栽培的に競争と成長を強要していく今の学校教育とは違う、自然と仲間に取り囲まれながら何となく成長していくという羨ましいような世界がよく描かれています。たぶん、そよが失いたくないけれど、間もなく失われていくと感じているのは、そういう世界なのでしょう。一読に値するゆるゆるとした漫画、これはお薦めです。
 なお氏の妹、倉持知子氏にも一時期惚れこんでいました。今でも私にとって「青になれ」は輝きを失わない永遠の少女マンガです。今でも活躍されているのでしょうか。
by sabasaba13 | 2007-08-16 13:04 | | Comments(0)

ヴェネツィア編(42):夕食(07.3)

 夕食はホテルのレストラン。白ワインを一本あけながら、美味しい料理を堪能しました。スパゲティ・カルボナーラは絶品でしたね。アルデンテに茹で上がった麺にからむ芳醇なチーズと卵、忘れられない味です。なおAさんから、スパゲティを食べる時はフォークを右回転させるのがマナーだと指摘をうけました。ふーん、そうだったのか。山ノ神は白身魚料理を注文、すると岩塩でおおって蒸した一品が登場しました。岩塩をがつんがつんと割って身を取り分けてくれましたが、これも美味。目玉を食べたいと駄々を捏ねる山ノ神に対して、イタリアではそれは食べないの、と優しく諭すAさん。そりゃああーた、When in Rome, do as the Romans do.ですよ。「麺類をすする音は、味の重要な構成要素である」という信念をもつ私だって、我慢しているのだから、あなたもPazienza。そしてドルチェはティラミスをいただきました。一時日本で流行した時の貧相な相貌とは違い、皿からあふれんばかりに盛り付けられた姿には驚愕。そして何より濃厚だけれど意外と食べやすい味にも満足。
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by sabasaba13 | 2007-08-15 07:49 | 海外 | Comments(0)