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「武士から王へ」

 「武士から王へ -お上の物語」(本郷和人 ちくま新書682)読了。ひさかたぶりに世界の片隅で大きな声で叫びましょう。
お薦めっ
 今年も硬軟清濁長短悲喜いろいろな本を手当たり次第に読んできましたが、2007年のベストワンに推挙します。日本中世における王権とは何か? 頼朝から戦国大名を経て、徳川幕府が完成するまでのプロセスを、貨幣経済の浸透、海の民の活躍、一神教のインパクトなどさまざまな観点から読み込んだ力作です。などと書くとまるで新書のカバー裏の解説を書き写したみたいで味気ないのですが(実際そうなのですが)、とんでもない。中身はボイルしたての上質なソーセージのようにみっちりと肉がつまり肉汁にあふれた美味なるものです。

 私なりの理解では、著者の意図は、武士の台頭(12世紀)から江戸幕府の成立(17世紀)までの時期を貫く歴史の太い流れを、武士が「王」へと変わる過程を中心に描こうというものです。しかもそれを新書、わずか236ページで! 何という力業、そして志の高さ。その分析のための道具として著者が使用する語が「王権」です。さて「王権」とは何か? [第一の定義] 王権とは、周囲に従属を要求し、かつ他者の助力を必要としない自立した権力体である。[第二の定義] 王権とは統治者として自らを律する存在である。「王であろう」とすることは、よりよく統治しようとする意欲に他ならない。各地の武士たちが、土地に対する事実上の支配権を手に入れるために強い武士に従属していった結果として鎌倉幕府が成立し、13世紀に爆発的に貨幣経済が浸透して「銭」と「もの」の価値が高まると流通の統制を重視して京都を拠点とした室町幕府が成立する。そして民衆を含めた領域の「王権」であろうとする戦国大名が登場する。この王権は、忠誠を以てタテに築きあげられた主従関係、つまり巨大なピラミッドです。著者はこれをその形状から「ツリー(樹木)」と表現します。これに対して、自らが生みだした利益を守るために武士との戦闘をも辞さぬ村落が、室町期に現れます。いわゆる「惣村」ですね。そこに「仏の救済における平等」を説く一向宗が浸透し、地域を越えて荘園さらには一国単位での連携が生まれていく。現実世界での王を必要としない巨大なヨコの連携。筆者はこの構造をその形状から「リゾーム(根茎)」と表現します。この広がりに対抗するために、戦国大名も国や地域を越えて王権を伸張しなくてはならなくなった。そして全国の王権たることを指向する織豊政権、それを受け継いで江戸幕府が生まれていく。なおこの時期に浸透するキリスト教を、絶対者への献身とその前における平等という観点から一向宗と同根のものととらえ、島原の乱を王権に存在を否定されたリゾームの最後の戦いであったとするのは卓見だと思います。そして本書は次の言葉で閉じられます。 自立=何事にも頼らない王権。自律=全国を等しく統治する王権。…「タテ」を人間関係の基調とする王権。全国に拡散していた王権は一つに統合され、日本という国家が創出される。そこではすべての国民が将軍の王権に服する者として位置づけられるとともに、王である将軍はすべての国民に対して責任を負う。身分の高下を受け入れれば、とりあえずは平和で、安全な社会。海外との交渉をいったん途絶し、自己を見つめる社会。宗教が精神的な自己主張をしなくなり、生活習慣にとけ込んでいく社会。唯一の王権が君臨し、かつ統治する新しい日本が生まれる。そして、中世という時代が終焉を迎える。

 稚拙と謗られるのは覚悟の上の要約です。それにしても、歴史の根幹を見事に摘出した見事な手際に驚くとともに、それを書として上梓した覇気には頭が下がります。おそらく歴史学会からは「粗雑」とか「荒唐無稽」とかいう非難が浴びせられるでしょうが、それを恐れずに何故本書を書いたのか。「あとがき」で述べられていますが、将来を担う若者が日本史を嫌うという現実、夢と希望を紡ぎ出すような歴史叙述の欠落に対する危機感だと思います。そしてその責任は、暗記授業が有効であるような入試問題しか出してこなかった、そして暗記の先にある豊かな稔りを明示し得なかった研究者=大学教員にあると氏は断罪されています。(何という勇気!) 専門分野に閉じこもり視野狭窄に陥っている日本史研究者に対する氏の批判は、臓腑を抉るような言葉としてあふれだします。
 他分野の研究者と平易な言葉で語り合えない。それは禁欲的で専門的なのではなく、ただの無能力である。自己の怠慢を開き直る恥知らずである。
 以前に紹介した「西洋音楽史」の中で岡田暁生氏が言われていた、『門外漢に理解できないような「歴史」に、いったい何ほどの意味があるのだろうか』という言葉を思い出します。夢と希望と稔りをもたらす歴史をみんなで共有する。ゴマメの如き微力ですが、私も拙ブログを通してそうした動きの一翼に連なっていけるよう精進するつもりです。

 一つだけ注文をつけたいのですが、グローバルな動きとの関連についての言及が物足りません。専門分野への引きこもりという視野狭窄からはものの見事に脱却されていますが、「日本史」への引きこもりという視野狭窄にとらわれているというのは言い過ぎでしょうか。例えば、なぜ13世紀に列島で爆発的に貨幣経済が浸透したのか? これは世界規模での動きを視野に入れないと、わからないと思います。私は、この時期に起きた世界の東西における物流の活発化と経済発展がその後景にあると理解しています。具体的に言えば、金によって南方に追われた宋による江南の開発と繁栄が、元の南北統一と自由化政策で一段と進み、東南アジアの香料への大量の需要を生み出したこと。そして東西を結びつけ、通商を重視・保護したモンゴル帝国の世界経営戦略。一方ヨーロッパでは、11世紀以来の農業生産の大発展が、アジアの香辛料への新しい需要が生まれます。こうした経済活動の結節点として東南アジアで交錯が浮上し、"海のシルクロード"が成立する、それが13世紀という時代だったと考えます。他の時代についても同様に、つねにグローバルな動きに対する分析を重視すべきでしょう。「日本史」を「世界史」の一部として捉えなおさないと、歴史研究は豊かな稔りへと結実しないのではないかな。著者の博識と力量、そして何よりも高い志でしたら、十分に可能だと思います。(ど素人の妄言、ご海容を)

 追記。「あとがき」の掉尾を飾る言に、思わず緩頬してしまいました。本郷氏の優しくユーモラスな人柄をしのばせるチャーミングな一文です。
 最後に、…本郷恵子氏の日々の忍耐強くかつ圧倒的なご教導に厚くお礼申し上げる。ぼくのお嫁さんになんぞならなければ、何不自由ない優雅な奥様になれたのにね。本当にごめんなさい。

by sabasaba13 | 2007-12-31 07:10 | | Comments(0)

「普通の国になりましょう」

 「普通の国になりましょう」(C・ダグラス・ラミス 大月書店)読了。井上ひさし氏の座右の銘「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに」を実感させてくれる素晴らしい本にまたまた出合えました。著者は沖縄を拠点に執筆・講演活動など"平和を紡ぐ旅"を行われている方で、「世界がもし100人の村だったら」の著者の一人でもあります。小学校高学年以上を対象にした平明な文章で、戦争をしない/軍隊を持たない国=普通の国であるべきだし、そうしないと人類の生存は危ういと力強く明快に主張されています。例えば…
 現実主義者になろうと思えば、まず現実を見なければなりません。戦争と平和に関してもっとも重要な現実は歴史の記録です。つまり、いままで、軍事力をもっていた国は、戦争をうまく避けられたのでしょうか。…それぞれの国が、人類史上最大の軍事力をそなえた20世紀は、人類史上最大の戦死者を生み出してきました。そして軍事力の大きな国だからといって、戦争の被害が少なかったわけではありません。日本の場合、もっとも軍事力の強かった時代と、もっとも戦死者が多かった時代は、同じです。

 これが現実です。

 軍事力をもっている政府は、それを使いたくなってしまうことが多い。
 憲法第九条の改正/改悪、集団自衛権の容認、さらには核武装さえお気軽・お手軽に語られる"空気"が日本社会を囲繞している今だからこそ、著者のように普通の言葉で現実を語ることが必要だと思います。たとえば最強の軍事国家アメリカが、今、世界で何をしているのか、そして日本はそれにこれからどう関わっていこうとしているのか。今、ひそかに(おおっぴらに?)進められている日米軍事再編についても、こうした普通の言葉で議論すべきでしょう。
 ただし本書には日本の現状に対する鋭い批判と皮肉も含まれています。戦争はいやだけど、軍事力によって守られていないと不安だ。そこでアメリカ軍にいてもらえば安心だし、日本人は戦争に行かないですむ。そして日本の平和的な雰囲気をこわさないように、米軍基地を多くの国民から遠いところ(たとえば沖縄)においてもらう。基地をなくすための反対運動は起こさないが、時々軽い批判を言って自分は平和主義者だという気持ちをもつ。そして、その矛盾を「しかたがない」という無力感で覆い隠す。
 人前でいえない本心を白日のもとにさらされたようです。そうですよね、これが現実である以上、お世辞にも平和を希求する国家とは言えません。それではこうした状況が続くとどうなるのか。
 ひとつは、他国の軍隊に長いあいだ頼ると、そのうち日本と関係のない戦争に巻き込まれるだろうということ。
もうひとつは、「平和な日本」を国際社会に宣伝しようとしても、信じる人はあまりいないだろうということ。
そして、いくら上手にやっても、偽善は人間の精神衛生上、あまりよくないということです。
 戦争ができる特殊な国になった場合、徴兵されるであろう子供たちにぜひ読んでほしい本です。そして未来の担い手である子供たちを読者として意識し、社会や世界について考えてみようとやさしく呼びかけるこうした本が、もっとたくさんたくさん書かれることを切に希望します。
by sabasaba13 | 2007-12-26 06:12 | | Comments(0)

フィラデルフィア美術館展

 先日、上野公園にある都美術館で「フィラデルフィア美術館展」を見てきました。時は12月中旬、いくら遅れたとはいえ、さすがに紅葉も色あせ、落葉している木々が目につきます。平日の午前中でしたのでそれほどの混雑ではなく、思う存分名画を楽しむことができました。
 フィラデルフィア美術館の歴史は、1876年に独立100周年を記念して開催されたアメリカ初となる万国博覧会から始まります。アメリカが未曾有の繁栄を享受した時代、近現代美術の収集に情熱を注いだ多くの個人コレクターの寄贈によって、約25万点の所蔵品を誇るアメリカ屈指の美術館へと成長しました。特にヨーロッパ、アメリカの近現代美術は、質量ともに充実したコレクションとして人口に膾炙されております。今回の展覧会は、47作家の77作品を展示し、19世紀後半から20世紀の西洋美術史の流れを辿るというもの。
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 うーん、まるで極上だけれども個性のない美術史の教科書を見ているようです。この時期の潮流を代表する、いわゆる高名な画家の作品はかなり網羅されているのではないのでしょうか。一貫したテーマもなく、「これでもかこれでもかこれでもか」と名画が並べられていました。ま、これはこれで凄いのですけれどね。よってあまり考えずに、「これ好き、これ嫌い、これどうでもいい、これ好き、これも好き…」と、ヒヨコの雌雄を鑑定するように、己の貧弱な審美眼のみを頼りにしながら順番に眺めていきました。しばらく立ち止まってしげしげと見入った作品も多々あります。クールベの透徹したリアリズムには恐れ入りますね。絵の具を盛り上げるように厚塗りしたモネの絵「睡蓮、日本の橋」は珍しいですね。視力が衰えた晩年の作品ですが、これまで執拗に追いかけてきた自然光を拒否して、己の内面を叩きつけたような凄みです。セザンヌの「カルチエ・フール、オーヴェル=シュル=オワーズ」(ゴッホ終焉の地)は、じっと見ていると、何が描いてあるのかがどうでもよくなり、全ての意味がゆるゆると溶解し、フォルムと色が美を奏ではじめる作品です。この前でしばらく意識が吹き飛ばされてしまいました。クレー作「魚の魔術」の前でもしばしうっとり。リズミカルな線と色が画面の中で輪舞を踊っているようです。果てしなく黒に近い青と、果てしなく青に近い黒が交じり合いながら画面を埋め尽くす背景の地に吸い込まれそうな気分。そしてお目当てのジョージア・オキーフ作「ピンクの地の上の2本のカラ・リリー」。過日放映された「美の巨人たち」と「世界名画の旅」(朝日新聞社)で、多少の予備知識は仕込んできました。女性の社会的地位が低かった20世紀前半のアメリカで、高校の美術教師として勤めながら画家をめざし、写真家にしてモダン・アートの紹介に尽力したアルフレッド・スティーグリッツに見出されてデビュー、そして彼と結婚。ニューヨークでの暮らしの中でひたすら花を描き続けますが、それを性的なものと揶揄されて傷心の日々を送ります。スティーグリッツの死後は、ニューメキシコにひきこもり、砂漠で風化した動物の骨をモチーフとした幻想的な作品を描きます。それはさておき、画面をはみだして咲き誇る二輪の巨大な花。これを女性性器と歪曲した気持ちもわからないでもありませんが、それ以前に喩えようのない"美しさ"に圧倒されます。彼女は「私は、私が見つめたように、みんなに花を見てもらいたかったのだ」と言ったそうですが、納得。世界は、こんなに美しいものでみたされているんだ、そして私たちはそれに気づかないんだ。一枚の絵でそれを心底思い知っただけでも、この展覧かに来たかいがあったというものです。彼女の作品とは、これから長いつきあいになりそうです。アンドリュー・ワイエス作「競売」にも、微かな不安をもって心動かされました。横長の画布にうねる丘、遠景には家を取り囲む群衆。前景には二台のトラックとそれがつけた荒々しい轍、そして騒ぎに我関せずと佇む二人の男。いろいろなイメージやドラマがもくもくと沸いてきます。
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 昼食は、近くにある「韻松亭」で茶つぼ弁当をいただきました。ていねいに味付けされた滋味あふれる野菜を食しながら、ふと考え込んでしまいます。そういえば、私が見惚れていた絵の前はがらがらだった… 人の山で埋まっていたのは、ルノアールとポスターやちらしで流布されていた絵のところだったようです。せっかく(たぶん)身銭を切って展覧会に来て、「この絵はポスター/教科書に載っていた」「この絵には○○が描かれている」という確認作業をするだけではちょっと切ないな。そういえば橋本治氏が「ひらがな日本美術史3」の中で、こんなことを言っていましたっけ。
 金があろうとなかろうと、「自分はこれがほしいか?」というシミュレーションをして、いい加減なものに驚かされないだけの度胸を養うのも必要なのである。「審美眼」とはきっと、この度胸のことだ。
 年末ジャンボ宝くじが当たって一億円が手に入ったと仮定しましょう。さあ何に使おうか。貯金するのか、家を買うのか、それとも本展で展示されていた絵を買うのか。もし買えるとしたら、どの絵にいくら支払う度胸があるのか。「ピンクの地の上の2本のカラ・リリー」だったら800万円? 「魚の魔術」だったら500いや600万円? 「カルチエ・フール、オーヴェル=シュル=オワーズ」だったら… この本を読んでから、こうしたシミュレートをするのが癖になりましたが、こうすると結構本気で絵に向き合えます。単なる確認作業ではなくてね。
by sabasaba13 | 2007-12-25 06:09 | 美術 | Comments(0)

防衛庁編(5):四ツ谷近辺(03.4)

 山手線のガードをくぐって常円寺。建築家の辰野金吾と息子でフランス文学者の辰野隆の墓があるはずなんですが、見つからず。かわりに便々館湖鯉鮒の狂歌碑をゲットしました。「三度たく米さへこはしやはらかし おもふままにはならぬ世の中」 なるほどなるほど。ちなみに揮毫は大田南畝です。
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 踵を返して東方へ。野口英世記念館の近くに、斉藤茂吉の終焉の地である「斎藤神経科」があるはずなんですが、発見できず。残念。ふう月堂で珈琲とサンドウィッチを食して一休み。次は田宮神社と陽運寺。どういうわけか両方とも「お岩稲荷」なんですね、これが。まずは田宮神社へ。
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 そして陽運寺ではこんな絵馬をゲット。「一日も早く○○○との縁が切れますように」 お岩稲荷に願掛けするってことは、こりゃそうとうの悪縁なんだなあ。誰か知人の名前でもあるかなと野次馬根性丸出しで数枚めくったところで、「もしや俺の名前が…」とはたと気づき中断。いや、別に心当たりや疚しいところはまったくないんですが。(・_・;)(;・_・) オロオロオロオロオロオロ
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 このあたりはアップダウンのはげしいところで、長い坂道をくだると愛染院にいたります。塙保己一の墓所です。江戸後期の国学者。武蔵の農民の子で、7歳で失明。江戸で賀茂真淵らに学び、抜群の記憶力で和漢の学に通じました。国書編纂に志し、1793年に幕府に和学講談所の設立を許され、「群書類従」530巻ほか膨大な編纂事業を継続しました。私が尊敬する人物です。盲目の農民の子が、これだけの偉業をなしとげたこともすごいと思いますが、それを可能にした江戸期の文化的な土壌の豊穣さにも注目したいですね。
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 この後四ツ谷方面に歩き、二葉亭四迷が一年間住んでいた旧居跡を訪れて合掌。本日のお散歩は終わりです。
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 というわけで、防衛庁見物ツァーはお勧めですね。綾小路さん・武者小路さんに会えるし、一見の価値ありです。各官庁でもこうしたツァーを組んでほしいな。「旧大蔵省御用達ノーパンしゃぶしゃぶ店めぐり」とか。(今は昔となってしまいましたが、連中の愚行を忘れぬためまじに史跡として認定してほしいものです)
by sabasaba13 | 2007-12-24 20:23 | 東京 | Comments(0)

防衛庁編(4):新宿近辺(03.4)

 午後は新宿・四ツ谷近辺を彷徨。まずは曙橋へ。近くに山県大弐の墓がある全勝寺があるので見物。江戸中期に尊王論を唱え反幕府的な立場をとったために処刑された軍学者です。いわゆる明和事件ですね。そして自証院へ。こぶりですが、花々に溢れた、鎌倉期の板碑もある瀟洒なお寺さんです。昔はかなり広大な寺域をもっていたようですが、明治期に開発のためにそうとう縮小されてしまったようです。その時、近くに住んでいてその自然を愛していた小泉八雲が樹が切り倒されることに耐えられず転居したとのこと。
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 その小泉八雲旧居跡の碑が成女学園の構内にありました。
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 さらに新宿方面へテクテクと歩いて、正覚寺へ。ここには江戸期の宿場内藤新宿で不慮の死をとげた人たち(心中した遊女と客七組を含む)を供養する旭地蔵と、戯作者恋川春町の墓とがあります。しばし合掌。辞世の句は「我も万た身はなきものとおもひしが 今ハのきハゝさ比しかり鳬」
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 そして隣の正受院へ。人々の信仰を集めた奪衣婆の木像をこわごわと拝見。なかなか凄みがある像です、これは。
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 さらに歩いて西方へ、着いたのは花園神社。藤圭子の「夢は夜ひらく」の歌詞碑がありました。そういえば彼女はこのあたりで流しをしていたんだっけ。
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by sabasaba13 | 2007-12-23 06:59 | 東京 | Comments(0)

防衛庁編(3):(03.4)

 厚生棟で十分間の休憩。売店をフラフラひやかしていると、「超特価で大評判・今売れてます迷彩色バッグ」とか「迷彩色ボールペン」とか、面白グッズが目白押し。中でも「自衛隊ラベル:清酒“尚武”」には魂消ましたね。この酒を酌み交わしながら「高杉さん、今こそ決起の時です!」「桂くん、そう血気にはやるな」なんてクーデターの計画でもねっているんでしょうか。その後、野外に展示されている富士重工製のヘリコプターを見物。機体のそこらじゅうに「手かけ」「足かけ」「回す・引く」「出入口・ハンドル」「消火器はこの内側にある」としつこく日本語による解説が書かれているのにはびっくりしましたね。最後に殉職者慰霊碑を見ておしまい。ちなみに慰霊碑のすぐわきに阿南惟幾の記念碑がありました。敗戦直前の鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣で、「死中活を求めれば戦局好転の公算もありうる」との立場をとり本土決戦を準備し、降伏決定を遅らせた御仁です。8月15日、戦局判断を誤ったとして割腹自殺を遂げたんですが、何の理由で彼の記念碑があるのだろう。防衛庁は全く反省していないということか、本土決戦はやらないよという決意のあらわれか。帰り際にふと気がつくと、庁内における禁止行為が列記されていました。しばしば為されるから禁止されるという鉄則から思うに、防衛庁内では、放送車両(街宣車?)を乗り入れ、銃器・凶器・旗をふりまわしながら放歌高唱して練り歩き、寄付を強要する連中がよく来るのでしょうか。もしかしたら右翼の方々が頻繁に防衛庁を訪れるので、街宣車のような目立つ車では来ないでね…ということかもしれません。
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 というわけで、いろんな意味で面白かった一時間四十五分でした。わたしゃやはり自衛隊はサンダーバードのような「国際救助隊“雷鳥”」に編成替えして、世界各地の災害救助に尽力していただきたいですな。さらに日米安保条約を廃棄して米軍基地がなくなれば、日本が“テロ”の目標になる可能性は限りなくゼロに近くなるのにね。そして今、差し迫っている戦慄すべき危機は、大地震とそれによる核(原子力)発電所の事故なのですから、さっさと核(原子力)発電所もなくしてしまう! 自衛隊→国際救助隊への改編、米軍への経済援助の撤廃、そして核(原子力)発電関連の予算の廃絶。嗚呼、それだけで私たちの社会は格段に安全となり、しかも税金の壮大なる無駄遣いがなくせるのに。そのお金を、地球温暖化対策や自然エネルギーの研究や途端の苦しみに喘いでいる地域の人々(ex.日本、ソマリア、パレスチナ、ビルマ…)への手助けに使えば、地球の将来を照らす燭光を明るくすることができるのに。妄想? いや、みんなで選挙に行って、ムードではなくビジョンによって投票をすれば実現は可能だと信じます。
 それにしてもサンダーバードに登場するあの五人兄弟には反抗期ってなかったのかなあ。「わいは親父のあとはつがへんで! ろっくみゅーじっしゃんになるんや(何故か関西弁)」と言う息子が一人くらいいてもよさそうだけれど。ここでクエスチョン。サンダーバード五人兄弟とピーターラビットの三人兄弟の名前を全て言える方、手を挙げて!
by sabasaba13 | 2007-12-22 07:02 | 東京 | Comments(0)

防衛庁編(2):(03.4)

 庁内は躑躅が満開。目で楽しみながら数分歩くと、おおっ、忘れもしない1970年11月25日、三島由紀夫が自衛隊員に決起を訴えたあのバルコニーが…
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 講堂内に入ると、東京裁判当時の雰囲気(写真・フィルムでしか知りませんが)が残されていました。自衛隊の宣伝ビデオを見せられた後、武者小路さんの案内で構内を見学。左下の写真で言うと、正面が士官学校の卒業式に出席した天皇が座る「玉座」です。東京裁判では、ここには記者席が置かれました。その左側が裁判官席、右側が被告席です。対面の二階には傍聴人席が設けられました。感無量ですね、今歴史の現場に立っているんだ。しばし呆然とし、バシャバシャ写真をとりまくり、ふと気づくと入口中央のガラスケースに鎮座しているのは「パル判決書」! 彼は11人の裁判官の一人で、この裁判は不公正な復讐であり、日本の無罪をただ一人主張したインドの裁判官です。東京裁判についての小生のコメントは控えますが、防衛庁の姿勢はよくわかりました。でもこの裁判のおかげで昭和天皇の戦争責任は免責されたということはつけくわえておきます。
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 二階にのぼると旧陸軍大臣室で、三島由紀夫がたてこもり自刃した部屋です。眼前の窓を開ければ、すぐバルコニーに出られます。そしてドアには、彼が愛刀「関の孫六」で傷つけた跡が三箇所。そう、武者小路さんが指差しているところです。日本三大刀傷にしておきましょう。(あとは伏見の寺田屋と大坂の適塾)
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 そして次の目的地、厚生棟まで歩いて数分。その間、高台に林立するビル群の間をぬうように移動しながら、つくづく痛感したのは、「ここの人たちや組織や施設は、ただ税金と予算を湯水のように消費・蕩尽するために存在している」ということ。いや直感と予感と悪寒なんですけどね。でもそうとでも考えないと、クラスター爆弾を1,500発も所有していることが理解できない。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2007-12-21 07:00 | 東京 | Comments(0)

防衛庁編(1):(03.4)

 蔵出しシリーズ、今なにかと話題になっている、軍需産業を潤しキックバックをもらうために血税を湯水のように蕩尽し続けている利権の巣窟・防衛庁(現防衛省)編です。極東国際軍事裁判(東京裁判)の舞台となった市ヶ谷の旧士官学校大講堂が移築・復元され、見学できるという噂をきいて、四年前に行ってまいりました。予約が必要なので(03-3268-3111)三日前に電話を防衛庁に入れ、姓名・住所・電話番号・職業を伝えると、いきなり「貴様はいかがわしいブログで反政府的な言辞を弄している非国民だな! 大阪湾の水は冷たいでえ」と恫喝されるかと思いきや、綾小路さん(仮名、以下同)という女性の方が「お待ちしています」と言いながら優しく微笑んでくれました(たぶん)。ああよかった。
 当日身分証明が必要だと言うので、パスポートを持参しながら、ああこれで私は防衛庁のブラックリストに入れられてしもうたと気が滅入りながらも、9:40に市ヶ谷の防衛庁正門に到着。集合場所に行くと、ぬぅうわんと、あの綾小路さんが「お待ちしておりました」とにこやかに出迎えてくれました。(実話) しかも美人!(実話) その上携帯電話の番号まで教えてくれました。(嘘) ま、それはともかく立入証を首からぶらさげさせられたわれわれ十数人の見学者は、前後を綾小路さんと武者小路さん(仮名、以下同)という二人の美女にはさまれ、もう一人陰険そうな男性職員も付き添い、厳重な警戒態勢のもと見学に出発したのでした。
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 ツァーが終わったら綾小路さんに「お嬢さん、そこの喫茶店で日本の防衛について語りませんか」なんて言えればなあ、と夢想していたところ、彼女と男性職員の会話がもれ聞こえてきました。嗚呼、彼女は人妻で、GW中に旦那さんが東京ドームの巨人―広島戦に出入りの業者に接待され、その日は広島の友人が彼女のもとを訪れることが判明。というわけで野望は瓦解しました。(今にして思えば山田洋行の接待?) 気を取り直して、解説します。ここ市ヶ谷台は二十三区内で二番目に標高が高い地点で(ちなみに一番はどこでしょう?)、おまけに良質の水も沸くので江戸時代から軍事的な要衝だったそうです。伊達政宗がこの地を拝領することを望んだが、幕府は許さず、御三家の尾張家の上屋敷となりました。そういえば長谷川辰之助(二葉亭四迷)もここで生まれたんですね。明治になると新政府が取り上げて、兵学寮をおき、その後陸軍士官学校が置かれ、1941年には大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が置かれました。敗戦後、占領軍に接収され、(ウムムム、「終戦後、進駐軍に接収され」というと確かにマイルドになりますね)、東京裁判の法廷として利用されました。その建物が取り壊された時に、ファサードと大講堂を移築して記念館として公開しているわけです。
by sabasaba13 | 2007-12-20 06:16 | 東京 | Comments(0)

飛騨編(20):飛騨高山(07.8)

 中橋を渡って古い町並みを垣間見ると、これが(行ったことないけど)まるで夏休みのディズニー・シー状態、人人人で満ち溢れとても散策どころのさわぎではありません。
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 しょうがないので脇道を抜けて、高山祭屋台会館を見物しました。
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 そして公開されている民家の一つ、日下部民芸館へ。この地方の町屋の見どころは、何と言っても土間の吹き抜けです。大黒柱を中心として梁と束によって構成されたダイナミックな立体格子、そして高窓から入る光がつくりだすその陰影。濃淡の墨で描いたモンドリアンの絵を三次元化したようです。
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 すぐ近くにある吉島家住宅も同様に見事な吹き抜けを見ることができます。ところが、二階に上がると仰天しました。この家はただものではない… L字型に部屋が配置されているのですが、階段を上りきったところにある部屋と、隣の部屋には段差がついています。しかも屋根の勾配にそって天井化粧板が「へ」の字上に屈曲。左手に曲がると小部屋、その奥にやや高い段差がある二間つづきの広間。L字型にちょっとずつ上り歩くにつれて、視界が微妙に移り変わります。そしてさまざまな大きさの窓や障子から差し込む光が、この複雑な構成の部屋に変化の妙をあたえています。さらに一枚一枚違う襖や格子のデザイン、竹と透かし彫りを効果的に使った欄間、味わいある床柱、畳敷きの床の間上方の天井には網代状に組まれた竹。奇抜にして繊細、施主の明白な意思がひしひしと伝わってきます。幸い、解説があったので、この家に関する詳しい話を知ることができました。施主は造り酒屋の吉島斐之(あやゆき)、大工は西田伊三郎。このコンビで建てた家が1905(明治38)年の大火で焼けてしまいます。互いに気心を知り老境に入った二人は、ちょっと見の派手さや豪華さではなく、見れば見るほどその美しさを味わえるような建物、できることなら、繊細さをもちながら大胆さを失わない、後世まで残る建物をつくろうと誓いあったそうです。「二階の流れるような段差の配列は、フランク・ロイド・ライトの落水荘に通じる」という説明もありましたが、こちらは実見していないので判断は保留。それはさておき、この二人の美意識と技の結晶であることは間違いありません。「飛騨の匠」の技と、町衆の美意識のコラボレーション、至福の空間です。
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 さてそろそろ帰途につきましょう。川沿いの本町通りを走っていると、さるぼぼ・手長・足長の顔はめ看板を発見。写真におさめ、駅へ直行。自転車を返却して、前日に予約しておいた特急「ひだ」に乗り込みました。約三時間で名古屋に到着、駅の地下街で夕食をとることにしましょう。ひつまぶしにも心惹かれましたが、ねぎ焼きの誘惑に負けました。これをたいらげ、新幹線に乗り込み帰郷。
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 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2007-12-19 06:13 | 中部 | Comments(0)

飛騨編(19):飛騨高山(07.8)

 そして高山本線に乗って、再び高山へ戻りましょう。駅前で自転車を借りて、めざすは「飛騨の里」です。途中に「飛騨高山テディベアエコビレッジ」というわけのわからぬミュージアムの前に、熊をかたどったわけのわからぬ顔はめ看板がありました。なぜ著名な観光地には、テディベアだの、ガラスだの、オルゴールだのといったミュージアムが林立しているのでしょう、理解できません。「客引き」と言ってしまえばそれまでですが。ペダルをこぐこと約20分、飛騨地方の古い民家を集めた野外博物館「飛騨の里」に到着。
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 合掌造りや民家もさることながら、木挽小屋・イノシシを追い払うためのシシオドシ・木造の火の見櫓・杣小屋・榑(くれ)小屋[板葺屋根の材料となる榑を貯蔵]・刈り取った稲を干すための稲架(はさ)小屋・馬を出血させて治療する血取り場炭焼小屋・神饌のために同心円状に稲を植える車田など、なかなかお目にかかれないレアな物件が目白押し。興味深く拝見させてもらいました。古民家では、萱葺屋根一面にさまざまな草花が生い茂る八月一日(ほずみ)家が圧倒的な存在感。屋根を補強するために、あえて植えたのかもしれません。
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 またここから眺める白山連峰は見ごたえ十分。
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 そして再び市内に戻り、全国に唯一現存する郡代・代官役所である高山陣屋へと向かいましょう。1692(元禄5)年、江戸幕府は飛騨を直轄領とし、明治維新にいたるまでの176年間に25代の代官・郡代が江戸から派遣され、行政・財政・警察などの政務を行いました。その役所・役宅(これは復元されたもの)・米蔵を併せて「高山陣屋」と称します。刑事裁判を行った御白洲や、大広間、米蔵の内部を見学することができます。
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 本日の四枚。一番上が八月一日家、二番目が車田です。
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by sabasaba13 | 2007-12-18 06:12 | 中部 | Comments(0)