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静岡編(2):旧見付学校~登呂遺跡(04.12)

 磐田に着くと雨模様、バスに乗って旧見付学校に向かいました。1875(明治8)年に完成した日本最古の洋風学校建築で、近隣住民の浄財にあずかるところが大きかったようです。いつものことながら教育にかける当時の人々の熱意には頭が下がります。典型的なインク壺型の物件で、保存・修復状態も良好です。楼閣に登れるのは嬉しいかぎり。小雨にけむる磐田の街並みを見下ろしながら、学校をつくるということが街の誇りであった時代も、かつて存在したのだなあと感じ入りました。中部はちょっとした教育博物館になっていて、(御)真影や教育勅語を収める小さな奉安殿も展示されていました。
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 東海道線に乗って静岡に戻り、バスで登呂遺跡へ。基礎・基本を大事にしようという方針からいえば、遺跡の中の定番・大物・王道、登呂遺跡は外せません。傘をさしながら、発掘の跡や復元された住居・高床式倉庫・水田を見学。紅葉の盛りですが、薄暗いのが残念。
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 登呂博物館を見て、すぐ隣にある芹沢銈介美術館へ。染色の大家である彼の作品もすばらしいのですが、白井晟一(渋谷の松濤美術館も彼の作品)設計のけれん味あふれた建物も一見の価値あり。狭い敷地に視界を隠す樹木や石壁を巧みにめぐらせて、迷宮のような空間を演出しています。自然石を多用したゴツゴツした壁面も、芹沢の作品とよくマッチしています。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-04-30 06:08 | 中部 | Comments(0)

静岡編(1):御前崎(04.12)

 蔵出しシリーズです。三年ほど前、静岡県立美術館で香月泰男展を見るための二泊三日の小旅行を敢行してきました。それを軸に、登呂遺跡、日本平、御前崎灯台、磐田の旧見付学校をどうからめるか。夜の9時ごろに静岡に到着、現地の天気予報では明日の午後から大雨・強風となり、明後日の午後から回復するもようです。雨が降ったら気が滅入りそうな御前崎を明日の朝一番に、天気に関係ない美術鑑賞を明後日の午前中にぶつけてみましょう。後は野となれ、山となれ…
 目覚めると曇天。予定通り駅前からバスで御前崎に向かいます。約一時間半で到着。めざすはヘンリー・ブラントン設計により1874(明治7)年につくられた御前崎灯台。強風に耐えてすっくと立つ質実剛健な感じの灯台です。燈光会という謎の団体が管理しておりまして、内部の見学ができます。頂上部に上ると、遠州灘を一望できます。なお近くには、江戸時代の灯台を復元した「見尾火燈明堂」がありました。
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 ここから再びバスに乗り北上、後ろ髪を引かれながら浜岡原発を通り過ぎ、JR菊川駅に到着。東海道本線で磐田に向かう列車を待っていると、ホームで信じられない光景を見てしまいました。制服の女子高校生があぐらをかいてホームに座り込み化粧をしていた… まあ彼女なりの人生があるのでしょうが、ザラザラとした違和感はうまく言葉にできません。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-04-29 07:50 | 中部 | Comments(0)

「走ることについて語るときに僕の語ること」

 「走ることについて語るときに僕の語ること」(村上春樹 文藝春秋)読了。村上氏へのオマージュは以前に書きましたので、割愛いたします。新作を必ず購入していた小説家は、エド・マクベインとロバート・B・パーカーと村上氏でしたが、前の二人への愛は冷え、今では村上氏一人になりました。(87分署シリーズはまだ続いているのかな?)
 氏は本格的なランナーとしてもつとに知られております。その走るという行為を軸にした「個人史(メモワール)」としてまとめられたのが本書です。ぶっちゃけて言うと私はまったく「走る」という行為については風馬牛、全く興味も関心もありません。なぜあんな健康によくないことをするのだろう、とつねづね思っていました。しかしこの本を読んで、周到にして綿密なトレーニングと準備、レース中の苦しさ、そしてそれをクリアした時の歓喜についてよくわかりました。こういう世界もあったのですね。そして「走る」ということが、氏の生き方および氏の文学に対して持っている意味も。以下、引用します。
 同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考える。与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーであるのだ。
 なるほど、氏がよく引用されるサマセット・モームの「どんな髭剃りにも哲学はある」という言葉を思い出します。その哲学(目には見えないけれど心では感じられる本当に価値のある大事な何か)は決して学校では学べず、自分で、しかも往々にして効率の悪い営為を通してしかつかみとるしかないのですね。それでは私にとって、有効に自分を燃焼させてくれるものは何なのかと思わず姿勢を正してしまいました。
 そして洒脱な文体、卓抜な比喩、そして何よりも自分の言葉で物事を考え抜き、それを誠実に伝えようとする姿勢には、あいかわらず感服します。一番気に入った一文はこれです。
 強い不満を抱え、反旗を翻そうとするラディカルな革命議会をダントンだかロベスピエールだかが弁舌を駆使して説得するみたいに、僕は身体の各部を懸命に説き伏せる。すがり、おだて、叱りつけ、鼓舞する。あと少しのことなんだ。ここはなんとかこらえてがんばってくれ、と。しかし考えてみれば―と僕は考える―二人とも結局は首をはねられてしまったんだよな。
 今日も村上氏は「無口で勤勉な村の鍛冶屋のように」黙々と走っておられるのでしょうか。

 追記。思わず快哉を叫んでしまったのは、氏が小説を書こうと思い立った日時をピンポイントで特定できるということです。1978年4月1日午後一時半前後、場所は神宮球場の外野席。広島カープとのオープン戦一回裏、ヤクルト・スワローズに新入団したデイブ・ヒルトンがレフト線にヒットを打って二塁ベースに達した瞬間です。晴れわたった空、緑色の芝生の感触、そしてバットの快音、その時に空から何かが静かに舞い降りてきて、それを氏はたしかに受け取ったそうです。嬉しいなあ、実は私がスワローズのファンになったのもこの年、万年負け犬だったチームが我武者羅に勝利をもぎとる姿を見て心動かされたからです。最終的にリーグ優勝、そして日本シリーズでも阪急ブレーブスに勝ち日本一となりましたが。実は、チームの中でもこのヒルトンのファンでした。決してスマートではなく格好もよくなく守備も下手なのですが、とにかく自分の為し得るベストのプレーを常に心がける姿勢、相手に怯えるような挑みかかるような不思議なオーラには心ときめきました。(たしかこのシーズンの打率は0.317、数年後にはタイガースに移籍しましたが) 私も感じた"何か"を、村上氏も感じていたのかもしれません、うまくは言えませんが。そしてその後スポーツ雑誌「ナンバー」に載せられた、ヒルトンに関する氏のエッセイも忘れられません。偶然街で出会ったヒルトンと彼の妻子の様子に、幸福の完璧な形を見出したという内容でした。ぜひもう一度読み返したいのですが、入手可能なのでしょうか。
by sabasaba13 | 2008-04-28 06:11 | | Comments(2)

「戦後日本は戦争をしてきた」

 「戦後日本は戦争をしてきた」(姜尚中・小森陽一 角川oneテーマ21 A-75)読了。きわめて意欲的な政治的発言を日々行っている両氏による対談です。さて"政治"とはそもそも何ぞや。いくつか定義を集めたので紹介します。「関係する人々すべてを拘束することがらを決定すること」(橋爪大三郎)、「一つの集団の秩序を維持するために、対立する考えや利益を調整して、集団としての意思を決定し、それを実現すること」(新藤宗幸)、「言葉で人を動かし、言葉で世界を変え、言葉で人とともに生きていくこと」(加藤典洋)。政治的発言や行動を忌避する残念な傾向がこの国には見受けられますが、なんてとこはない、みんなを拘束する重要な決定は政治家・官僚に任せておけばよいという退嬰的な態度なのですね。それが年間の自殺者が三万人を超えるという、信じられないほど非人間的にして没義道な現状を再生産させていると考えます。よって真っ当な未来のためには、市民による積極的な政治的行動と発言が必要だし、特にその中核となるべき知識人・言論人の責務は大きいでしょう。姜氏も小森氏も、その重責を真摯に担おうとしている知識人として注目すべき存在です。
 本書は、「テロ」と「戦争」についての大まかな現状分析、戦後日本を「平和国家」とする言説への批判、真の「平和国家」とはどういうものかに関する考察、それを踏まえた上での日本への提言、という四部構成となっています。対象とする問題があまりにも大きいので、議論がやや散漫となった印象をもちましたが、これはやむをえないでしょう。ただ戦後の/今の日本を「平和国家」だとする思い込みを崩さないことには、現状を正確に把握できないし、将来の展望も見えてこないということはよくわかりました。両氏の基本的な考えは、第二次大戦が終結した1945年から、サイゴンが解放された1975年までを、植民地の独立戦争と東西対立が絡んだ「アジア三十年戦争」の時代だったととらえ直すということです。そして戦後の日本は西側アメリカ陣営の一員として朝鮮戦争・ベトナム戦争に積極的に関与し、その戦争の時代が生み出した利益をアメリカ経由で全部吸い上げて肥え太った。それが高度経済成長なのですね、この歴史的事実をしっかりと認識しましょう。この枠組みをいまだひきずっているのが北朝鮮、言い換えると朝鮮戦争は停戦協定が結ばれているだけであってまだ終わっていないのですね。かの国の頑なな外交姿勢を理解するには、「四面楚歌」という状況の中で必死に生き残りの道を模索している北朝鮮首脳部(党官僚+軍)の存在を認識することがポイントですね。(これは敗戦直前の日本帝国首脳部のことを思い出せばすぐに納得できます) よって姜氏はこう展望されています。
 北朝鮮には、停戦協定を平和協定にかえたいという要求が一貫してあるんです。…もし平和協定が樹立されれば、米朝の国交正常化が並行して進むでしょう。その進展を通じて、六者協議は軍縮管理、軍縮のための恒常的制度に移行する。こうなれば、この地域に初めて多国間の安全保障ができあがると思います。
 六者協議が成功すれば拉致問題もその延長線上で解決できる可能性が高くなるでしょう。さらに多国間による安全保障体制が東北アジアできあがれば、米軍基地問題、沖縄問題、そして防衛省の汚職など山積している問題も解決できますね。こうした問題の根っこにあるのは、「北朝鮮は何をしでかすかわからない危ない国だから、米軍と自衛隊の軍事力強化は必要」という認識ですから。たとえ政治家・官僚の本音は、アメリカ新保守派による世界つくり替え計画+石油資源支配の片棒をかつぐということであるとしても、有権者向けのアナウンスとしてはこう言わざるを得ないでしょう。よって北朝鮮との平和協定成立→東北アジア安全保障体制の確立がうまくいけば、この言説を封じ込め、そして米軍基地の撤廃・自衛隊の縮小/撤廃・軍需産業がらみの利権の縮小へとつなげられると思います。まさか「世界の意のままに操ろうとするアメリカの片棒をかついで、そのおこぼれにあずかろう」とは強弁できないでしょうから。
 もし「あまりにも甘くイージーな見通しだ」と言われる方がいたら、姜氏が紹介されているドイツの元外務大臣ゲンシャーの言葉に耳を傾けてください。彼はゴルバチョフと冷戦崩壊を演出した人物です。
 私はあの体制が憎い。あの体制をこの地上から葬り去りたい。しかし東ドイツは存続している。ならばどうしたらいいか。交渉する。私は外交官として交渉した。これが政治だ。
 敗戦後の、今の、そしてこれからの日本と東北アジアを考える上で、触媒となってくれる良書です。お奨め。
by sabasaba13 | 2008-04-27 08:04 | | Comments(0)

肥前編(37):筑後吉井(07.9)

 この街にはまだまだ細部に宿る神々がいると思いますが、そろそろ博多に向かわねばなりません。思いっきり後ろ髪を引かれましたがしょうがない、再訪を期しましょう。自転車を返却して、蔵しっく通りをのんびり歩いていくと約十五分で筑後吉井駅に到着です。
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 駅の待合室に「テロ対策特別警戒中!」「自転車ドロ警戒中」という二枚のポスターが並べて貼ってあったのには笑いました。テロへの恐怖を煽り治安・監視体制に強化に利用しようとする官僚・政治家諸氏の企みをちゃんと見抜いています。この地では自転車ドロの方がリアルな問題だということでしょう。なお、もし本気でテロを警戒するのであれば、アメリカの国家テロに反対し、日米安保条約を廃棄し、米軍基地を撤去させるのが一番の近道だと思います。
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 久留米で鹿児島本線に乗り換えて、博多まで約40分。地下鉄に乗り換えて数分で福岡空港に到着です。夕食は、当然の如く博多ラーメンと餃子。ついでに角煮まんじゅうも食べてしまいました。これでご当地名物の食いおさめです。そして飛行機は一路、羽田空港へと向かったとさ。
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 というわけで、いつもながらの慌しい旅でした。正直に言って長崎県がこれほど面白いとは思いませんでした。五島列島や壱岐や対馬や出津の教会など見残した所も多々あるし、また訪れそうな予感がします。おっどこかから遠い太鼓の響きが微かに聞こえてきたぞ… どっどっどっ どっどーどずどど どっどっどっ どっどーどずどど

 なお今回の教訓です。
教訓その一:人を信じる心を大切にする
教訓その二:欲しい本はすぐに買う
教訓その三:山ノ神へのお土産はけちらない
by sabasaba13 | 2008-04-26 08:02 | 九州 | Comments(0)

肥前編(36):筑後吉井(07.9)

 そして白壁・なまこ壁の土蔵造りが建ち並ぶ白壁通りへ。鏝絵も散見されます。
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 このあたりを流れる水路が災除(さいのき)川。
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 あとはあてどもなくふらふらと徘徊したのですが、この街にすっかり魅せられてしまいました。特段これといった見どころはないのですが、いろいろな水路がつくりだす表情が情趣をかきたてます。ゆるやかに、時には轟々と音を立て、ある場所では民家の間をひっそりと流れる多種多様の水路。街のどこにいてもせせらぎの音が聞こえてくるような気がしました。(実際、よく聞こえてきましたが) これって精神衛生上、きわめて良いのではないでしょうか。そして水面に映りゆらめく民家や木々の影。奮発して、「九州のヴェネツィア」という献辞を捧げましょう。わたしゃ柳川よりも観光ずれしていない筑後吉井を買いますね。ちなみに「関東のヴェネツィア」は栃木、「中部のヴェネツィア」は郡上八幡、「山陰のヴェネツィア」は松江。こうした街は多少の不便を感じても、水と水路がもたらしてくれる快適さを守り続けているのだと思います。東京も大阪もかつては水の都だったのに、経済性を重視して景観を破壊してしまい今では見る影もありません。そろそろ快適な暮らしを壊さない範囲でほどほどの経済性を追求するという思考にシフト・チェンジしたほうがいいのにね。
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 そうそう、街を歩いていて「おくやみのお返しを自粛しましょう」「病気お見舞いのお返しはしないように致しましょう」というポスターを何枚か見かけました。過剰な贈答という慣習がこの地にはあるのかもしれません。あるいは経済的疲弊が耐え切れぬほど押し寄せている可能性もありますね。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2008-04-25 06:13 | 九州 | Comments(0)

肥前編(35):筑後吉井(07.9)

 筑後吉井。有馬21万石の城下町であった久留米と日田を結ぶ豊後街道の中央に位置するところから、江戸時代に宿場町として栄えました。木蝋や酒などの製造と加工、集散といった商業地としての活発化とともに、吉井銀(がね)と呼ばれる金融業への投資が更なる富を蓄積していきます。見所は蔵造りが残る町並みですが、これは明治初期までに見舞われた三回の大火の結果だそうです。まずは「庄山」に行って美味しい豚肉を賞味いたしましょう。"豚豚子豚お腹がすいた、ぶう、豚豚子豚お腹がすいた、ぶう、豚豚子(以下略)"と軽やかに鼻歌を歌いながら、教えてもらった附近を経巡ったのですが…見当たらない。道行く人に訊ねても…わからない。困ってしまって、わんわんわわんわんわんわわん、とふざけている場合ではありません。まごまごしていると散策する時間がなくなってしまいます。豚肉は断念して、吉井の街を徘徊することにしました。まずは代表的な装飾古墳として知られる日岡古墳へ。装飾古墳とは、6~7世紀ごろに石室などに浮彫や彩色によって幾何学文様や器物・人物鳥獣を描いたもので、北九州に多く分布しています。当時の人々の精神世界を物語るようなユニークな図象に魅かれます。たしか日岡古墳は、六つの同心円が描かれた呪術的なものだったと記憶します。当然のことながら、内部を見ることはできません。なお舟や盾・蕨手文を描いた珍敷塚古墳も筑後吉井の近くにあるそうです。
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 そして吉井小学校のわきを流れる高新川ぞいを快走、いやあ素敵な街ですね。柳の並木や落ち着いた雰囲気の和風家屋が水路に映り、情緒にあふれます。
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 まず吉井に現存する唯一の屋敷型建造物である鏡田屋敷を見学しましょう。幕末から明治初期に郡の役所として建てられたそうですが、二階からは甍の波を見晴らせます。こちらに貼ってあった観光地図を見ると、村田正雄生家碑・王将碑も附近にあるそうです。居蔵の館の見学は時間の関係で省略。なお「日本人の住まい」(宮本常一 農文協)によると、土蔵造りを住居として用いることを"居蔵(いぐら)"と呼ぶそうです。
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 すぐ近くにあるのは菊竹六鼓記念館。菊竹六鼓(きくたけ・ろっこ 1880-1937)は筑後吉井出身の硬骨のジャーナリストです。2歳の時に骨髄炎を患い、手術の失敗により歩行が不自由となったため東京の新聞社に入れず、地元の福岡日日新聞社(現・西日本新聞社)に入社しました。1930年代、全国の大手新聞社が軒並み軍部支持の記事を掲げ、世論の軍国主義への誘導や逆に軍国主義世論への迎合をさらす中、ひとり編集責任者として敢然と軍部攻撃の論説を書いた記者です。桐生悠々とともに、忘れてはいけないジャーナリストですね。現今のジャーナリズムの体たらくを、彼はどのような目で見ているのでしょうか。なお中に入るとほとんど展示物はなし、ほとんど訪れる人がいないのでしょうか、残念でした。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-04-24 06:11 | 九州 | Comments(0)

肥前編(34):朝倉の三連水車(07.9)

 約35分で筑後吉井駅に到着。荷物を預けようとしたらコイン・ロッカーがありません。観光ずれしていないと見た。それほど大仰なものではないので、持っていくことにしましょう。ここから中心部まで徒歩15分ほどらしいのですが、近郊にある朝倉の三連水車を見たいので、駅前で客待ちをしているタクシーに乗り十分ほどで到着。おおっ仲良く三つ並んだ大きな水車がからからと元気に水を汲み上げています。解説によると、1789(寛政元)年につくられたもので、一日当たり7,892トンの水を揚水し、13.5ヘクタールの水田を灌漑しているそうです。へええ、フランス革命の年につくられた水車が、現役で働き地域に恩恵をもたらし続けているんだ… 目頭が熱くなってきますね、世界遺産世界遺産世界遺産とはしゃぐ前に、こうした地域の暮らしに欠かせない世間遺産にもっと目を向けてほしいと思います。あっ、世間遺産という語は藤田洋三氏の命名で、「世間遺産放浪記」(石風社)という大変面白い本があります。なお少し先には二連水車もありました。このあたりはこの水車群をはじめ、先人が辛苦の末につくった用水・堰・取水口・水門などが残されています。ぜひゆっくりと散策してみたいな。
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 そして筑後吉井の観光案内所まで送ってもらいました。運転手さんの話によると、こちらでは美味しい豚肉があるそうで、「吉井十八(とおはち)」という店を教えてもらいました。今、インターネットで調べたところ、幻のブランド豚「東京X」のことなのですね。そして観光会館「土蔵(くら)」に到着。ここで地図やパンフレットをもらい、自転車も貸してもらうことにしました。ついでに「吉井十八」の場所を訊ねると、「今の時間は営業しているかしら?」とご親切に電話を入れてくださいました。しかあし、前日までの予約が必要とのこと、残念無念。涙目になった私を慰めるように、係の方は「この店の豚もおいしいですよ」と「庄山」という店を教えてくれました。地獄で仏、捨てる神あれば拾う神あり、人生万事塞翁が馬、なせばなるなさねばならぬなにごともならぬはひとのなさぬなりけり、人は城人は石垣人は(以下略)、丁重にお礼を言っていざ出発です。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-04-23 19:47 | 九州 | Comments(0)

肥前編(33):大川~久留米(07.9)

 堤防の脇にある民家を何気なく見ると、屋根が複雑に組み合わされています。これは伝統的な様式なのかなと思い、一応写真におさめておきました。で、先日「日本人の住まい」(宮本常一 農文協)を読んでいたら、この形状のことが説明されていました。佐賀平野に多い「クド造り」という民家で、土間住まいの家屋と床住まいの家屋を接続した結果、コの字型になったそうです。なぜそうなったのかについては本書を読んでいただくとして、うん、"知る"というのはほんとに楽しいものですね。もっと勉強しよう。
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 そして荒れ果てた洋館も発見。明治末期に建てられた銀行だという解説がありました。建物自体はなかなか立派なものですが、いかんせん保存状態が悪すぎ。ぜひ修復を望みたいですね。そして国道に出て「大川橋」バス停に到着。昇開橋からここまで徒歩十数分、この距離を「けっこう歩きますよ」と言った温泉の方の感覚には身の毛がよだちます。そうか、みんな歩かなくなっているんだ… 車依存社会の弊害がここにもあらわれています。そしてバス停のベンチは昇開橋を象った手作りのもの。さっきも公園で同じようなベンチを見かけました。この橋にかける地元住民の愛情が伝わってきます。「日本一の家具産地大川へようこそ」という大きな看板や「古賀メロディーとインテリアのまち」と書かれた暖簾を見かけましたが、家具と古賀政夫が大川の売りなのですね。
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 さてバスが到着、「走行中に立つと、あぶのうございます」という優しいアナウンスが旅の疲れを癒してくれます。しかしすぐ渋滞に巻き込まれてしまい、佐賀駅に到着したのは乗ろうとしていた列車発車時刻の五分前。残念、観光案内所で「佐賀戦争の真相」を買う時間がない。断腸の思いで断念し、列車に飛び乗りました。嗚呼、やはり本は欲しいと思った時にすぐ購入すべきですね。銘肝。
 長崎本線で鳥栖まで約25分、鹿児島本線に乗り換えて久留米まで約5分、車内には「床に座らないでください」というステッカーがありました。同感、ほんとにじゃまくさいですよね。さて久留米で九大本線に乗り換えますが少々時間があるので、駅前に出てみました。すると大きなからくり時計がありました。解説を読むと、久留米出身の細工師・田中久重(通称からくり儀右衛門)の生誕二百年を顕彰するためにつくられたそうです。実演の時に流れる音楽は久留米にゆかりのあるもので、(1)上を向いて歩こう(中村八大)、(2)赤いスウィートピー(松田聖子)、(3)涙のリクエスト(チェッカーズ)、(4)合唱組曲「筑後川」。なるほどねえ、別にコメントはありませんが。その隣には「海の幸」を模写した大きな看板に「青木繁よ甦れ! 旧居保存にご協力を」と書いてあります。駅前にある観光案内所(貸し自転車もあり)でパンフレットを立ち読みすると、久留米は青木繁の他に坂本繁二郎、古賀春江の出身地でもあるのですね。またブリヂストンの創業者・石橋正二郎の郷土でもあり、石橋美術館もあります。この美術館にはちょっとそそられますが、いかんせん寄っている時間がありません。九大本線に乗り換えて筑後吉井へ向かいましょう。
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 追記。そういえば「のだめカンタービレ」の主人公・野田恵は大川の出身でした。もしやと思い、インターネットで調べたところ、やはり同ドラマのロケは昇開橋が見える筑後川の堤防で行われたそうです。

●のだめカンタービレ ロケ地ガイド
 http://loca.ash.jp/show/2006/d200610_nodame.htm
by sabasaba13 | 2008-04-22 06:08 | 九州 | Comments(0)

肥前編(32):昇開橋(07.9)

 桁の可動時刻を確認すると、あと30分後です。腹も減ったし食事ができる場所がないかなときょろきょろしていると、向こう岸に大川昇開橋温泉という大きな建物がありました。しめた! 飯にありつける。さっそく橋を渡り温泉に駆け込んで、食堂で海鮮丼をいただきました。
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 食べ終わり、橋へ戻ると通行止めがはじまり今まさに桁が上がるところでした。ずごごずごごごごごごごと、ゆっくりと厳かに桁が上昇していき、そして停止。それを見ながら係員からいろいろとお話を伺いました。構造がシンプルなので可動部分には問題はないが、橋桁の老朽化が心配だということです。それにしてもこの橋に愛着をもち守り続ける地元の方々には敬意を表したいですね。そういえば東京にも可動橋・勝鬨橋があるのだから、ぜひ動くようにしたいな。今、インターネットで調べたら「勝鬨橋をあげる会」がちゃんと活動していました。やはりネックは費用だということですが、石原慎太郎強制収容所所長の莫大な出張旅費返済させて費用の一部にすれば、計画はかなり進展すると思います。なにせこの御仁、就任以来行った海外視察の経費総額が判明しているだけで2億4000万円を超えているのですから。選挙用ポーズで少し反省した顔を見せたかと思ったら、9月のツバル視察(わずか四時間!)に1550万円をかけたそうです。(「週刊金曜日」 №673) 都民を愚弄する所長と、彼に投票した都民、どっちもどっちですね。
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 さて帰りは路線バスで佐賀駅に戻りましょう。温泉の方に教えてもらったところ、橋の近くにあるバス停は本数が少ないが、国道まで歩いていけば少しバスの本数は多いということでした。「バス停までけっこう歩きますよ」というお言葉がすこし気になりましたけど。橋のたもとには、ここ大川を訪れたという若山牧水の歌碑がありました。「筑後川川口ひろみ大汐の干潟はるけき春の夕ぐれ」 彼が長男をともなって、ここ大川を訪れた時につくった歌だそうです。ちなみに長男の名前は旅人。酒をこよなく愛した万葉歌人・大伴旅人を敬愛していたのでしょうか。堤防の上をしばらく歩くと、昇開橋を一望できるビュー・ポイントがあります。あらためてその武骨にして重厚な造形の面白さに魅入られるとともに、みんなの役に立つ丈夫な橋を作りたいという関係者の一途な志がひしひしと伝わってくるような気がします。公共事業が莫大な利権を生む経済システムが当時はまだなかったのでしょうね(あったのかな)。近代化遺産を見る楽しみの一つは、私の場合、この志に触れるということです。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-04-21 06:08 | 九州 | Comments(0)