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「静かなる男」

 今年の夏はアイルランドに行く予定です。いくつか理由はあるのですが、ま、とりあえず丸山薫の詩に魅かれたということにしておきましょうか。
「汽車に乗って」

あいるらんどのような田舎へ行こう
ひとびとが祭の日傘をくるくるまわし
日が照りながら雨のふる
あいるらんどのような田舎へ行こう
車窓に映った自分の顔を道づれにして
湖水をわたり 隧道をくぐり
珍しい顔の少女や牛の歩いている
あいるらんどのような田舎へ行こう
 というわけで、今いろいろとアイルランドについて勉強したり情報を集めたりしているのですが、その一環としてその風土と人々を描いたジョン・フォードの映画「静かなる男」をDVDで見てみました。なおジョン・フォードはアイルランド移民の息子で、アメリカ生まれ。若い頃から監督として華々しく活躍し成功したのですが、その結果、自己喪失の危機(アイデンティティ・クライシス)に陥ったそうです。父の故郷アイルランドで自分のルーツを探そうと訪問、そこでの様々な体験によって危機を克服しました。よってこの映画は半自伝的作品であるとともに、アイルランドへのオマージュでもあります。
 
 主人公のショーン(ジョン・ウェイン)はアイルランド出身、アメリカでボクサーとして成功しますが試合の際に友人である相手を殺してしまいます。その衝撃でボクシングをやめ、故郷イニスフリーに戻り、父の家を買って帰農することにしました。そこで隣家の娘メアリー(モーリン・オハラ)に一目惚れしますが、戸主である兄ケネハー(ヴィクター・マクラグレン)は許しません。しかし神父や村人が二人のために画策し、ちょっとした罠をしかけて兄に結婚を認めさせます。しかしこれがばれてしまい、ケネハーは持参金を与えません。当時のアイルランドでは、新婦の持参金は完全なる結婚を意味する証しだったのですね。二度と喧嘩をしないと誓ったショーンは持参金を諦めますが、誇り高いメアリーはそれを許さず、彼を腰抜けと詰り家を出ていってしまいます。ショーンは汽車から彼女を連れ戻し、その足でケネハーのもとに行く、喧嘩をいどみます。もう後はお祭り騒ぎ。村中の人が(神父も駅員さえも)二人の喧嘩を見物するために集まり、どちらが勝つか賭けをする始末。ところ狭しと殴りあったショーンとケネハーは最後には仲直り、ハッピー・エンドで終わります。いやあ面白かった。SFXも莫大な予算も使わずに、これだけ見事な映画をつくれるのですね。この映画の魅力は何といっても、アイルランド人気質の活写です。誇り高く、負けず嫌いで、お節介で、親切で、喧嘩っ早く、慣習を重んじ、酒とお喋りとお祭り騒ぎと音楽が大好き。冒頭のシーンからその一端が炸裂したので大笑いしました。汽車がいつもどおり三時間遅れて(!)駅に着き、下車したショーンがある駅員に村までの道のりを訊ねると、あっという間に駅員・乗務員・通りすがりの老婦人が集まってきて、ああでもないこうでもないと彼に教えようとします。そして話は釣りの話、姪御の話とどんどん脱線していき、苦笑いをして立ちすくむショーン。面白半分であれ興味本位であれ真摯な真心からであれ、全編にこうした“善意とお節介”がちりばめられ、思わず緩頬してしまいます。
 そうした村人たちを優しく包み込む情景の美しさにも見惚れてしまいます。緑でおおわれた丘、そこを縫うように続く小道、穏やかな山容、ゆったりと流れる清流、羊の群れ、延々と続く石垣、時々襲いくる驟雨。自然に抗せずその懐にいだかれながら、長い長い時間をかけて人々が手ずからつくりあげてきた見事な光景です。
 アイルランドは資源に恵まれない国だと聞いておりますが、こんなに素晴らしい資源があるのですね。自然と人間と言葉と音楽。“必要以上の大量生産+際限のない欲望の膨張+手段を選ばない利潤追求”という陥穽から抜け出す道は、この国にあるのかもしれません。
 私が一番気に入った人物は、お節介で酒好きで口のへらないご老人ミケリーン(バリー・フィッツジェラルド)です。アイリッシュ・ウイスキーをストレートで飲む彼に、メアリーが「水で割らないの?」と訊くと、彼曰く…
酒は酒、水は水、飲みたいときは別々に飲む
 次はロバート・フラハティ監督の「アラン」を見る予定です。
by sabasaba13 | 2008-05-31 06:10 | 映画 | Comments(2)

「官僚とメディア」

 「官僚とメディア」(魚住昭 角川oneテーマ21)読了。かなり前に「ご臨終メディア」を取り上げて、瞬間消臭スプレー(無香料)を小脇に抱えながら読まないと、現代日本のメディアが漂わせる屍臭・腐臭・腐卵臭に鼻が曲がってしまうと書きましたが、どうやらそれでは間に合いそうもありませんね。本書は、共同通信社の記者であった魚住氏が、ほとんど脳死状態にある日本のメディアを舌鋒鋭く批判したものです。権力の介入やメディア側の自主規制によって報道がゆがめられるのは日常茶飯事、重々承知しておりますが、ここまで露骨に権力に添い寝をしているとは… 「権力批判の刃を捨てた報道機関は報道機関の名に値しない」という著者の叱責に、満腔の意を込めて賛同します。
 本書で紹介されている二つの事実をして語らしめましょう。まずは姉歯建築士による耐震データ偽装事件です。デベロッパーのヒューザーとゼネコンの木村建設、それに「黒幕」の総研[経営コンサルタント]が共謀して構造設計者の姉歯建築士に偽装マンション、ホテルをつくらせた、と報道された事件ですが、実際は姉歯建築士による単独の犯行で、他の関係者は無実、つまり冤罪であったということです。著者曰く、真の問題は、彼の犯行を十年間も見破れなかったほど、建築確認システムが形骸化し機能しなくなっていたこと、さらに1998年の建築基準法改正に際しての検査業務の民間委託と限界耐力法の導入によってこのシステムが破綻したこと。なお後者はアメリカ政府による市場開放圧力の結果ですね。アメリカ政府は「建築確認の効率化・スピードアップ」を求め、これに応える形で民間建築確認制度が導入されたわけです。(詳細については「拒否できない日本」を参照) つまり、この事件で問われるべきだったのは国土交通省の官僚たちの責任でした。しかし、メディアが「悪のトライアングル」というイメージをつくり、そのイメージに乗っかって当局が生贄としての罪人をつくりだし、結果として国交省の官僚は責任を問われずに無傷でのうのうと生き残る。知ってか知らずか、メディアが官僚の責任回避に加担したわけですね。
 もう一つは、産経新聞大阪本社と千葉日報社が最高裁と共催した裁判員制度のタウンミーティングでサクラを動員したという事件です。著者は、最高裁とパイプを持ち、日本最大の広告代理店・電通の大株主であるうえ両新聞社に記事を配信している共同通信社もからんだ見えないカラクリがあるのではと直観し、取材を行います。詳細はぜひ本書を読んでいただきたので概略だけ記しておきますが、最高裁と電通と共同通信と全国地方紙が「四位一体」でひそかに進めていた大規模な世論誘導プロジェクトだったのですね。最高裁が電通と癒着して違法の疑いが濃い「さかのぼり契約」を結び税金を濫費し、さらに裁判員制度導入のため総額27億円の広報予算が不透明な経過で支出され、その一部が政界に流れた可能性すらあるようです。つまり最高裁は反対意見の多い裁判員制度をスムーズに強行するためにメディアを利用して世論を誘導し、メディアはそれに協力することによって莫大な利益を貪る。06年に電通が最高裁に提出した「仕様書」には下記の一文があるそうです。
 最高裁判所、地方裁判所、主催新聞社(各社、全国地方新聞社連合会)、共同通信社、電通が一体となり、目的達成に向けて邁進する。
 官僚組織とメディアが一体となって世論誘導に邁進する、おお、これは戦前の軍国日本で行われたことですね。それもそのはず、共同通信も電通も、その出自はかつて戦時中の国家総動員体制の中核を担っていた組織なのですね。1936(昭和11)年、日本電報通信社の通信部と新聞聨合社が合併して同盟通信社が発足し、国民の戦意高揚や情報統制に力を発揮、この組織が敗戦後に共同通信と時事通信に分かれます。またこの合併の際に、日本電報通信社から切り離された広告部門が、現在の電通にあたります。権力に寄り添って得られる旨味を骨の髄まで知っているわけですね。

 事態はここまできていました。経営難に苦しむメディア各社は、税金にたかるためにますます官僚組織との癒着を深めていくのでしょう。そして御用メディアとして官僚の意図する方向への世論誘導に邁進していく。もうこれは、権力の介入や自主規制どころではないですね。「再版国家総動員体制」と表現しても過言ではないでしょう。
 さてわれわれは何をなすべきか。権力や官僚に擦り寄るメディアへのボイコットを含む批判と抗議、良心的なメディアへの有形無形・多種多様の支援、そして何よりも「だまされない力=学力」を身につけること。いろいろと考えさせられる本でした、もろ手をあげて推薦します。
by sabasaba13 | 2008-05-30 06:10 | | Comments(0)

京都錦秋編(7):大山崎山荘美術館(07.12)

 燃えさかる木々をしばし堪能し、門を抜けると、関西の実業家・加賀正太郎が建てたチューダー様式のすばらしい山荘の偉容がすぐ見えてきました。はて、この方は何者? 1888(明治21)年、大阪船場の株相場師の息子として生まれ、現在の一橋大学を卒業後イギリスを中心に欧州へ遊学し、アルプスの山々に登頂した日本人のさきがけとなりました。帰国後は加賀証券を設立したほか、1934(昭和9)年には壽屋(サントリーの前身)で山崎工場を立ち上げたもののオーナーとの路線対立から独自でウイスキー製造に乗り出し、竹鶴政孝を支援して大日本果汁(略してニッカ、後のニッカウヰスキー)創立に参加するなど、イギリスから持ち帰ったモダンな生活様式を日本に定着させようとした方だそうです。なるほどねえ、わかりますわかります。どうもサントリーは宣伝上手だが味はいまいちと思い、ニッカを愛飲している私ですが、こういう歴史があったのですね。山ノ神の話によると、山崎のような暖かい所ではろくな酒ができないと考えた竹鶴政孝が、北海道余市に工場を建てたとのこと。その影の立役者だったわけだ。コレクションの中核は、アサヒビールの創業者・山本為三郎の収集したコレクションで、彼は柳宗悦らが提唱した「日本民藝運動」の支援者だったそうです。よって民芸運動にかかわる河井寛次郎、バーナード・リーチ、濱田庄司、富本憲吉らによる陶磁器・染織などの作品が中心です。本日は河井寛次郎展が開催されておりました。個人的な趣味では、京都の河井寛次郎記念館のしっとりとした雰囲気に軍配をあげます。
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 二階に上がると、木材を多用した山荘の雰囲気がよく味わえます。加賀正太郎がこの建物にかけた思いが伝わってきますね。
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 こちらには山崎の全景を一望できる眺望の良いテラスがあります。右手に見えるのは石清水八幡宮ですね。
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 そして併設された新館は安藤忠雄設計、外壁は打放しコンクリートの大きな円柱が地下に埋め込まれています。景観を壊さないための配慮だということです。そこに降りる細長い階段は両サイドがガラス張りで、自然光がふりそそぎ樹木に包まれているような気分。こちらではクロード・モネの『睡蓮』を見ることができました。以前に訪れたジベルニーの庭園が懐かしく思い出されます。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2008-05-29 06:11 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(6):大山崎山荘美術館(07.12)

 さて次の訪問先は、アサヒビール大山崎山荘美術館です。実は数日前に山崎観光についてインターネットで検索していたときに偶然見つけたものです。妙喜庵の先にある踏切を渡ると、すぐ天王山への登り口でした。そこには、ここ山崎に隠棲していた山崎宗鑑の句碑がありました。「うつききてねぶとに鳴や郭公」 「上の客立ち帰り、中の客其の日帰り、下々の客泊りがけ」と書いた額を庵に掛けていたという室町期の風狂の俳人ですね、「犬筑波集」の編者でもあります。
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 すぐ右に曲がると緩やかな坂道、真っ赤に色づいた紅葉がわれわれを出迎えてくれました。「ここは秀吉の道 ゴミのポイ捨てはこの秀吉が許さぬ!」という看板を写真におさめ、左へと回り込みトンネルをくぐりぬけると、見事な紅葉でむせかえるような庭園に行き当たります。うーん、ここはお薦めの穴場スポットですね。
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 穴場その一:大山崎山荘美術館

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2008-05-28 06:12 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(5):妙喜庵待庵(07.12)

 山崎駅前に戻ると附近に人影が見当たりません。どうやら見学者はわれわれ二人のみ、よかったこれで落ち着いてじっくり拝見することができそうです。格子戸を開けて中へ入ると、老齢の女性があらわれ「ご自由にご覧下さい」と言ってくださいました。小さな庭に下り、建物にそって左に折れると、まるで肩透かしのようにそこに何気なくあるのが待庵です。山崎の戦いの陣中に千利休を招いた秀吉は、二畳隅炉の茶室をつくらせ、その後慶長年間にここ妙喜庵に移されたといわれています。現存する茶室としては最古、そして千利休構想による茶室としては唯一のもの。残念ながら内部へは入れないので、連子窓から覗きこむしかありません。中は漆黒の闇、しかししだいに眼が慣れてくると、造作がおぼろげに浮かび上がってきます。藁すさをだしたシックな塗り壁、掛け込み天井と棹縁天井の変化に富んだ組み合わせ、採光の具合を計算した窓の配置、濃密にして軽やか、二畳という狭い空間の中に千利休の美意識が隅々まで息づいているようです。ル・コルビュジエは「建築家にとっても最も大事な資質は、比例に対する感覚だ」と言っていましたが、そのまごうことなき実例ですね。ここでお茶をいただくとどんな気持ちになるのだろう、という見果てぬ夢にとらわれてしまいました。書院に上がり、ここから待庵への入口を見ると、「壁は茶室の命 さわらないでください」という貼紙がありました。なお写真撮影は禁止です。フラッシュの光で壁を傷つけることはないでしょうが、強烈な光でこの静謐にして奥深い雰囲気を壊して欲しくないというお寺さんの意思だと思います。露出を補正して三脚でカメラを固定して撮影するのも無粋、この措置については理解しましょう。

 茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて飲むばかりなる事と知るべし

 なお下記のサイトで、待庵の写真を見ることができます。

●京都大山崎町HP
 http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=1241

●2001インターネット博覧会岐阜県パビリオンHP
 http://www.sengoku-expo.net/tea/J/09-734.html
by sabasaba13 | 2008-05-27 06:06 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(4):大山崎町歴史資料館(07.12)

 そして大山崎町歴史資料館へ。入口のところに二匹の蛙の銅像がありましたが、なんじゃこれはといそいそと近づくと、「天王山の蛙」という寓話を題材としたものでした。以下、大山崎ふるさとガイドの会のHPから引用します。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/ofg/index.htm

c0051620_841755.jpg むかしむかし、京のみやこに住んでいた蛙が、一度は難波(大阪)の街を見物したいものと望んでいました。あるとき思い立って難波見物にと出かけ、西国街道をぬけて大山崎へ出、天王山へ登って行きました。いっぽう、難波にも都見物をしようと思い立った蛙がおりました。これも西国街道を東へ、あくた川、高槻、大山崎と通って天王山まできました。山の頂上で二匹の蛙がばったり出会ったのです。おたがい同じ仲間同士、いろいろと世間話をし、これからの行き先も語り合いました。「ところで、こんなに苦しい思いで歩いてきたものの、まだ半分来たばかりじゃ。疲れるのう」「ここは名に負う天王山のてっぺんじゃ。京も難波も一面に見渡せるところじゃ。ためしにやってみるか」と、それぞれ自分の目的地のほうを向いて精一杯爪先だって背伸ぴをしました。しばらく目をこらしていましたが、京の蛙が言いました。音に聞えた難波の街も、みれぱ京の街と変わりはない。しんどい目をして行くこともない。ここからすぐにかえるとするわ」と。難波の蛙も目をぱちぱちして、「花の都と聞いてはいたが、難波と少しも違いはないわ。馬鹿らしい。かえるはかえるわ」とこちらもさっさと帰って行きました。
 一体どうしたことでしょう。蛙の目玉は頭の上に後ろを向いてついているのです。だから、むこうを見渡した気でいましたが、つまりは、自分たちが来た方角、京と難波を見ていたのです。自分自身のことを知らないで物を見ると、全く逆の方しか見えないとの、きつーい譬え話です。


 うわー、きっつー。なお出典は「鳩翁道話」、天保年間に上梓された石門心学者・柴田鳩翁の道話集です。二階の展示室に行くと、妙喜庵待庵の実物大模型展示や、山崎の戦いについての説明など小ぶりながらもなかなか充実した内容でした。油商人についてのTVモニターによる解説は要にして簡、大変わかりやすいもので山ノ神もご満悦のようすです。また鉄道に関する特別展示が開催されており、"桜井の別れ"の舞台がすぐ近くにあって、戦前はそこに駅がつくられ多くの人々が見学に押し寄せたということがわかりました。ふーん、なるほど。桜井の別れとは、1336年(建武3)年の湊川の戦い直前に、西国街道の桜井駅(現在の大阪府島本町)において行われたとされる楠木正成・正行父子による今生の別れに関する逸話です。国語や修身の教科書に掲載され、天皇への崇拝と献身を煽るために利用されました。
 さてそろそろ時間ですので、妙喜庵へと戻りましょう。近くの駐車場には「警告 柵を壊した人へ 警察へ届けを出しました 今後追及していきます」という断固とした意思をにおわせる表示がありました。煙草屋には「外国たばこ」という、時代を感じさせる看板。
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by sabasaba13 | 2008-05-26 08:05 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(3):大山崎離宮八幡宮(07.12)

 午前六時ごろに二人とも眼が覚め(歳をとったなあ…)、山ノ神は川へ洗濯ではなく、展望風呂へ。私は山へ柴刈りではなく、KBSで本日の天気をチェック。午前中は晴れ、午後は曇り時々雨という予報です。朝食をとり部屋でくつろいでいると、九時ちょっと前にフロントから貸し自転車屋さんが来ているという連絡がありました。きっちりと約束を守ってくれるのが「京都見聞録」のいいところ、大変助かります。自転車を二台受け取り、ホテルの駐車場に置かしてもらうことにしましょう。事前の予約で、午前十時半に来るよう妙喜庵から指定されたので、そろそろ出発です。五条駅から地下鉄に乗ってJR京都駅へ。時間があるので、窓口で噂のICカード型乗車券「イコカ」を購入することにしました。いつものようにホームに鎮座する郵便ポストをいぶかしげに眺め、東海道本線に乗り込むと、十五分ほどで山崎駅に到着です。
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 このあたりは両側に山が迫る桂川・宇治川・木津川合流点で、昔から交通の要所として知られたところ。1582(天正10)年に羽柴秀吉が明智光秀をやぶった"山崎の戦い"が行われたところです。なお、その主戦場となったのが、今では慣用句となっている天王山。そして筒井順慶が日和見をして、光秀を裏切ったという「洞ヶ峠(を決め込む)」という故事成語もありますね。なお洞ヶ峠に来たのは光秀で、すでに裏切ることを決めていた順慶がいなかったというのが真相のようです。筒井康隆が「筒井順慶」という小説を書いているので、いつか読んでみましょう。彼は筒井順慶の子孫なのかな。
 さて駅前に出て後ろを振り返ると、見事に天王山が色づいていました。ここの駅舎は、青い瓦のマンサール屋根のキュートな物件です。どうやら戦前に建てられたもののようです。駅の大阪方の曲線(通称サントリーカーブ)は鉄道写真撮影のメッカとして有名だということ。へえー、いろいろな世界があるものですね。さて妙喜庵はどのあたりでしょう、駅前の観光地図を見ようとすると… あった。駅のすぐ前でした。
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 約束の時間までまだ一時間弱あるので、附近を散策することにしました。まずはこれも駅に近い離宮八幡宮へ。
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 懐かしいなあ、日本史の受験用知識として頭につめこんだ甘酸っぱい思い出が胸にこみあげてきました。「詳説日本史B」(山川出版社)を繙くと、「大山崎の油神人(油座)は、石清水八幡宮を本所とし、畿内・美濃・尾張・阿波など10カ国近い油の販売と、その原料の荏胡麻購入の独占権を持っていた」とあります。境内に入ると、色づいた楓が数本、やはり十二月に来て正解だったようです。油関係の物件としては、「本邦製油発祥地」という石碑、「油祖像」という油商人の銅像、そして「油脂販売業者の店頭標識」がありました。この鳥除け目玉のような標識はお目にかかったことはないのですけれど、そんなに普及しているのですかね。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2008-05-25 08:38 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(2):ホテルにて(07.12)

 京都でゆっくり夕食をとろうということで山ノ神と意気投合、仕事を早めに切り上げて午後五時発の新幹線車内で落ち合いました。定宿アランベールホテル京都にたどりついたのが午後七時半。さっそく友人から教えてもらった美味しい店に念のため予約の電話を入れてみました。「陶然亭」(彼曰く"季節や素材によって料理のグレードにぶれがない、安定した実力が持ち味。野球で言えば、決して休まず結果を出し続ける金本かな")という店と、「かじ」(彼曰く"ボリュームもあり、仕事が丁寧で、ご主人の感じも良く、美味しく快適なお店です。野球で言えば、地味に役割を果たす矢野かな" 筆者注:もうお気づきですね、彼はこてこての阪神ファンです。ちなみに私だったら、前者は土橋、後者は宮本に喩えます)という店です。しかしいずれも予約が一杯で丁重に断られてしまいました。sigh… やれやれ、いくら12月といえども、人気店では当日の飛び込みは無理なのですね。となったら、去年見つけたホテル近くの料理店「有田」に行くしかありません。ここから歩いて四分、美味しくて値段もまあまあ、モダン・ジャズが流れる店内の雰囲気も良し、そして何といっても空いている! ご主人もわれわれのことを覚えていてくれて(あるいはそのふりをして)、いろいろと紅葉情報を教えてくれました。さて肝心の料理ですが、本日はコースをお願いしてみました。つきだし、お造り、だし巻き玉子、甘鯛の包み焼き、季節のてんぷら、そして桜茶漬け。満喫満腹。
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 部屋に戻って、お気に入りの京都ローカルテレビ局KBSにチャンネルをあわせると、おおっ、修学旅行便りが放映されているではありませんか。「南京都高校A団・洛北高校附属中学は、きょうの日程を終えて全員元気に宿舎に帰っています」 南京都高校B団の安否が気づかわれますね。テロップでも出るのかと思ってしばらくローカル・ニュースを見ていましたが、特報はなし。まあ大丈夫なのでしょう。そしてこのホテルには嬉しいサービスがあります。手づくり・手書きの紅葉情報が部屋にあるファイルにまとめられているのです。パラパラとめくっていたところ、大原の奥にある阿弥陀寺が目にとまりました。今回の旅程では訪問は無理ですが、約300本の楓にはそそられます。脳裡にインプットしておこうっと。
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by sabasaba13 | 2008-05-24 07:44 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(1):前口上(07.12)

 ♪なのにあなたは京都へ行くの、京都の町がそれほどいいの♪ 「ええんどす!」 というわけで(どういうわけだ)、我が家の年中行事(といっても積極的に推進しているのは私)、京都の紅葉狩りに行ってまいりました。今回は山ノ神の都合によって、十二月はじめの土日に設定。昨年京都に行った際、関係者各位が口をそろえて「十二月初旬がよろし」といっておられた事も頭をよぎりました。(1)紅葉の盛りが年々遅くなっている。(2)空いている。Q.E.D. 前者はどんぴしゃでしたが、後者は外れ。これついては後ほど報告します。さて旅程はどないしまひょ。錦に染まった桂離宮と修学院離宮は是非見てみたいので、だめもと、三ヶ月前の八月末に申し込もうとしました。今ではインターネットで抽選を申し込めるのですね、こりゃあ便利になったのお、ういやつじゃ、苦しゅうないぞ、ちこうよれ。じがじ…(絶句) 何と、紅葉の綺麗な時期の土日は、頭ごなしに「申し込み不可」になっていました。怒髪天を衝き、瞋恚の炎がめらめらと燃え盛ります。なめとんのかこらあ! しかもその理由について一切の説明がありません。これは納得できない、きちんと説明責任(accountability)を果たすべきです。「政財界の有力者および高級官僚の関係者を優先させていただきます。貧乏人は麦を食べてください」とかね。やむをえず次善の策として、一度訪れてみたかった妙喜庵待庵の拝観を申し込んだところ、こちらはすぐにOKだという返事の葉書がもどってきました。よって初日にこちらを拝見して、そのすぐそばにある大山崎山荘美術館を見物、そして醍醐寺・随心院を訪れて時間があったら貴船神社まで行くことにしましょう。二日目は白川・哲学の道近辺で紅葉の盛りに訪れたことがないお寺さんをまわるという無難な旅程を組んでみました。いちおう貸し自転車をおさえておくべきだと思い、われわれ御用達、一ヶ月前に「京都見聞録」に予約をしておきました。この店は自転車の整備がしっかりしており、ホテルにデリバリーしてくれ乗り捨て場所も自由なので、贔屓にしています。持参した本は「京の路地裏」(吉村公三郎 岩波現代文庫)と「自省録」(マルクス・アウレーリウス 岩波文庫)です。
by sabasaba13 | 2008-05-23 06:06 | 京都 | Comments(2)

「東京七福神めぐり」

 「東京七福神めぐり」(東京街歩き委員会 NHK出版生活人新書053)読了。私、生まれも育ちも東京都墨田区なもので、十代の頃にはよく隅田川七福神を徘徊したものでした。(おじんくさっ) 働くおじさんになってからは、とんと七福神とはご無沙汰していたのですが、昨年の正月に道祖神の招きにあったのか、ふと思い立って谷中七福神をまわったのですがこれが結構面白い。んじゃあ、今年の正月も山ノ神同伴でどこかまわろうと考え、調べていたところ出会ったのが本書です。書名のとおり、東京にある七福神のコース紹介と見どころ、名店・老舗の案内などを盛り込んだもの。それにしても、東京にはこんなに七福神があったのかと、あらためて驚きました。谷中浅草名所、隅田川、深川、亀戸、柴又、日本橋、港区、新宿山ノ手、東海、池上、元祖山手、下谷、板橋、荏原、小石川、千寿(千住)、伊興! 本書でははじめの十ヶ所を詳しくとりあげています。地図が小さすぎる、途中にある史跡等の案内が少ない、解説が真面目すぎて面白みに欠ける、などと幸兵衛のようにぶつぶつ言いたいことはあるのですが、入門書ですから大きな瑕疵ではありません。パラパラめくりながらどこに行こうかなあ、と思案するには格好の書です。当たりをつけたら、現地の寺社か観光案内所で詳細な地図をもらう方がいいでしょうね。というわけで、今年の正月は浅草名所七福神をまわってきました。拙ブログで報告しますが、こちらもなかなか楽しかったです。来年は深川七福神に行ってみようかな、などと鬼が笑うようなことを今考えています。
 それにしても、東京街歩き委員会とは何ぞや? 巻末の紹介によると、旅行に詳しいジャーナリスト諸氏の集団のようですが、「委員会」という言い方には違和感を覚えますね。そこはかとなく「天下のNHKがお墨付きをくれたわれわれ選ばれし集団が、君ら無辜の民を東京街歩きへと誘ってあげよう」というエリート臭を感じてしまいます。
by sabasaba13 | 2008-05-22 06:11 | | Comments(0)