<   2008年 06月 ( 30 )   > この月の画像一覧

東京錦秋と戦争遺蹟編(5):絹の道資料館(07.12)

 八王子で横浜線に乗り換えて、橋本駅で下車し、「南大沢駅(多摩美大前・上柚木経由)」行きバスに乗りました。バス停「絹の道入口」で降り、あたりをキョロキョロすると、「絹の道資料館」への道を示す表示がありました。「絹の道」というプレートがついた橋を渡り、十分ほどで資料館に到着です。
c0051620_652127.jpg

 この道は、横浜が開港し、鉄道が発達する明治中期まで輸出用の生糸が多数運ばれたルートの一つということで「絹の道」と呼ばれています。入館料が無料なのも嬉しいですね。さっそく展示資料を拝見、当時の生糸商いの様子がよくわかりました。そして逆方向に欧米からの自由思想やキリスト教がもたらされ、この地の自由民権運動を生む濫觴となったのですね。「嫁は不便な所からもらえ」という解説には、「昔は嫁をもらうことは、働き手がふえる事を意味していました。そこで、嫁えらびは、自分たちの村より不便なところの娘をもらう事が苦労をいとわず良く働くので、良い嫁とされていたのです」とありました。歴史を振り返る時に、かならず女性の存在と役割を注視しなければならないとあらためて銘肝しましょう。資料館から外へ出ると、まるで世界を覆いつくすような曇天、その下の山々を縫うように絹の道が続いています。豊かな明日を希求してうんせうんせと生糸を運び続けた人々の幻影が見えてくるようでした。なおここから20分ほど歩くと、往時の面影がうかがえる残す未舗装の道が約1km残されているそうです。また機会を見つけて、再訪を期しましょう。さて、再びバスで駅に戻りましょう。車窓からは、長屋門など立派な門をいくつか見かけました。
c0051620_654685.jpg

 橋本駅で京王相模原線に乗り換えて京王多摩センターでまた多摩都市モノレールに乗り換え。高い所から見下す街の光景やあちらこちらに見える紅葉を車窓から楽しんでいると、約30分で玉川上水駅に到着です。

 本日の一枚です。
c0051620_661421.jpg

by sabasaba13 | 2008-06-30 06:07 | 東京 | Comments(0)

東京錦秋と戦争遺蹟編(4):浅川地下壕(07.12)

 「お鷹の道」の終着点から国分寺駅までは、住宅街を抜けて徒歩十数分です。さすがに♪お腹と背中がくっつくぞ♪状態となったので、昼食をとることにしました。あたりを見回し、「創業昭和四十三年 オヤジがこだわりつづけた伝説の味 スタミナ飯店 国分寺店」というど派手な看板を視認。"昭和" "オヤジ" "伝説" "スタミナ"という語彙からは、団塊の世代をターゲットにするぞという意思をひしひしと感じます。チェーン店らしいのですが、地元資本のような匂いがするので許容しましょう。さっそく入店し、炒飯を所望しました。凄い… 量が… ゆうに1.8人分はありそうですが、「食べ残す」という言葉は私の辞書にはありません。当然の如く完食しましたが、炒飯の素らしき顆粒状の物質が小さいだまとなってゴロゴロ入っているのには閉口。もう二度とこの店に来ることはないでしょう。 Auf Wiedersehen.
c0051620_7324594.jpg

 さて国分寺駅から中央線に乗って高尾へと向かいましょう。めざすは浅川地下壕です。三十分ほどでJR高尾駅に到着し、「日本の戦争遺跡」(平凡社新書240)の地図をたよりに南方へ行ってみましょう。ここは中島飛行機の疎開地下工場のために、1944~45年にかけて陸軍によって掘削された全長10kmにおよぶ日本でも最大規模の地下壕です。しかし高い湿度と低温で作業効率は上がらず、結局エンジン10台を完成させただけで敗戦をむかえたそうです。なおここでは朝鮮人労働者約1200人も従事させられていました。いろいろと調べたところ、ある程度の人数がそろい事前に申し込まないと、内部の見学はできないようです。よって今回は入口を見るだけでしょう。駅前にある地図を見ると近くに浅川小学校があるので、表敬訪問。歴史の古そうな小学校には奉安殿・二宮金次郎像が残されている可能性があるので、とるものもとりあえず立ち寄ってみることにしています。前者に邂逅できることは、盲亀の浮木・優曇華の花、ほとんどないのですけれど。こちらでは金次郎像がありました。さて高乗寺の方へゆるやかな坂道をのぼること、十数分。
c0051620_733133.jpg

 それらしい物件を見つけましたが、念のため寺務所で尋ねたところ、間違いありません。直径2mほどの入口に地下牢のような頑丈な木の格子がとりつけられ、中に入ることはできません。なお附近ではきれいに色づいたもみじを何本か見ることができました。お寺さんのバスが駅へ送迎してくれるそうなので、便乗して高尾駅に到着。
c0051620_7333599.jpg


 本日の二枚は高尾の紅葉です。
c0051620_7335788.jpg

c0051620_7341969.jpg

by sabasaba13 | 2008-06-29 07:34 | 東京 | Comments(0)

東京錦秋と戦争遺蹟編(3):お鷹の道(07.12)

 そしてこの道と垂直に交わる遊歩道が「お鷹の道」です。解説板によると、1748(寛延元)年にこのあたりの村々は尾張徳川家の御鷹場に指定され、その後崖線下の湧水を集めて野川にそそぐ清流ぞいのこの小道は「お鷹の道」と呼ばれるようになったそうです。成程。さぞや様々な負担を課せられたことでしょう。まずは右手の方向に行ってみましょう。こちらも素敵な道ですね。舗装されてはいますが、小さな清流にそって緑にあふれた庭や家々の間を玄妙にうねりながら小道は進んでいきます。見通しがあまりきかないため、すこし歩くと景観ががらりと変化するので退屈しません。ところどころで紅葉した楓や公孫樹に会えるのも嬉しい限り。
c0051620_7414531.jpg

 そして何よりも(さきほどの道もそうだったのですが)自動車が走っていない! われわれの暮らしを支える車の利便性については勿論認めますが、個人的にはこれこそ真の必要悪だと考えています。人と猫(犬は×)だけがのんびりと歩ける、木々にあふれ清流が流れる小路を、街中に蜘蛛の巣のようにはりめぐらせてほしいものです。五月蠅くて危険で有害物質をばらまくあのおぞましいマッキナにはうんざりしています。
 さてしばらく歩いていると右手に長屋門があり、その門前の通りには綺麗に色づいた見事な楓のトンネルがありました。こういうマイもみじに出会えると、心がウキウキとしてきます。他にもいくつか長屋門を見かけたのですが、村役人の家だったのでしょうか、あるいは郷士? それが今でも残っているところを見ると、けっこう格式を重視する土地柄なのかもしれません。
c0051620_7433911.jpg

 そして国分寺に到着、中は万葉植物園となっています。その前には風格のある楼門が建っていました。
c0051620_744722.jpg

 その少し先には仁王門、それをくぐって石段を上ると国分寺薬師堂があります。
c0051620_744312.jpg

 さてここでUターンして今来た道を戻りましょう。♪あっるっこー、あっるっこー、私は元気♪と鼻歌を歌いながら手を振って元気よく歩くと、あっという間に真姿の池のところにたどりつきました。合流地点をつっきってさらに歩くと、十分ほどで遊歩道は終わり。真姿の池湧水群から国分寺経由でここまで一時間弱。ほんとうに心地よい散歩を楽しめますよ、お薦め!

 本日の四枚です。上から二枚目が楓のトンネルです。
c0051620_744558.jpg

c0051620_7451717.jpg

c0051620_7453668.jpg

c0051620_745539.jpg

by sabasaba13 | 2008-06-28 07:46 | 東京 | Comments(0)

東京錦秋と戦争遺蹟編(2):真姿の池湧水群(07.12)

 さてそれでは「お鷹の道」に向かいましょう。案内標識にしたがって駅から十五分ほど歩くと、まずは真姿の池湧水群に到着です。武蔵野の面影を残す雑木林の中、急な階段を下りると、舗装はされていませんが整備された小道の片側に小さな清流が流れています。
c0051620_634213.jpg

 源を見ると、水が静かに湧いている様子がよくわかります。右手には清冽な清水をたたえた、こぶりな真姿の池。中央には弁天を祀る小祠があります。
c0051620_641360.jpg

 解説板によると、848(嘉祥元)年、不治の病に苦しむ玉造小町が病気平癒祈願のために武蔵国分寺に参詣すると、童子が現れこの池で身を清めるようにと告げたそうです。その通りにすると、たちまち病は癒え、元の美しい姿に戻ったそうな。以後、真姿の池と呼ばれるようになったという伝説が生まれました。「新編武蔵風土記稿」にも登場する、なかなか由緒のある池です。それにしても、なんて気持ちの良い道なのでしょう。両側には黒板塀と生垣、その向こうに広がる雑木林。そして微かに耳をくすぐるせせらぎの音。散歩や買い物のために時々行き交う地元の方々が交わす挨拶。私たちに必要なものは、最新機能を備えた携帯電話でもなく、値上がり確実な株でもなく、コーチのバッグでもなく、こうした何気ないけれど快適な環境なのじゃないのかなあ。少し歩くと、右手には防風のための見事に刈り入れられた樹木、左手には野菜を直売している農家がありました。ウォーキング(※別に散歩でいいじゃん)されているお年寄りのみなさんが、三々五々買い求めてらっしゃいました。
c0051620_644210.jpg


 本日の三枚です。
c0051620_6505.jpg

c0051620_652264.jpg

c0051620_654453.jpg

by sabasaba13 | 2008-06-27 06:16 | 東京 | Comments(0)

東京錦秋と戦争遺蹟編(1):殿ヶ谷戸庭園(07.12)

 秋がなくなった。そう思いませんか。いつまでも残暑が続き、過ごしやすく時節をつかの間味わうと、もう冬です。おそらく地球温暖化の影響でしょうが、このままだと恐るべき事態が到来するのではないかと不安になってしまいます。「自分たちにとって害だと、おそらく取り返しがつかないことになると、誰もが知っているのに、なぜ止めようとしないのだろう。いったいわたしたちはどうなってしまったのだろう」(ドリス・レッシング)
 時は十二月中旬、さすがに東京の紅葉も見頃かなと思い、錦秋(冬?)を愛でに、どこかに行くことにしました。インターネットでいろいろと調べたところ、国分寺にある殿ヶ谷戸庭園が穴場だという情報を入手。せっかく武蔵野まで行くのですから、以前から気になっている近辺の史跡をいくつかからめてみましょう。高尾の浅川地下壕、橋本の近くにある絹の道資料館、そして日立航空機立川工場変電所。それではいざ出立。
 中央線で国分寺駅に到着、念には念を入れて早めに家を出たので、まだ開園まで少々時間があります。となったら、駅前の喫茶店でモーニング・サービスをいただきながら道行く人をぼーっと眺めるのが王道。しかしきょろきょろと捜しまわったのですが、地元資本の喫茶店が見つかりませぬ。せんかたなし、○ス○ー○ーに飛び込んで朝食と珈琲をいただくことにしました。この手のチェーン店は味とメニューが画一的なのも嫌ですが、何よりも利潤が中央に吸いあげられ地元に還元されないのが気に入りません。その地の食材も使わないしね。二階席から外を眺めていると、電信柱に「お鷹の道」という案内板がぶらさがっています。おたかのみち? 土井たか子生家への参道? 駅前に戻ると観光案内図があったので、これ幸い、さっそく確認するとどうやら湧水のある遊歩道のようです。これは面白そう、庭園を見た後に歩いてみましょう。
 国分寺駅から左手に歩いて数分で、殿ヶ谷戸庭園に到着です。ここは大正時代に、後の満鉄副総裁・江口定條の別邸としてつくられ、赤坂の庭師「仙石」によって造園された回遊式林泉庭園です。その後、三菱財閥の岩崎彦弥太に買い取られ、現在では東京都の所有になっています。国分寺崖線の縁にあり、段丘崖や湧水のある変化に富んだ地形が特徴だそうです。それでは入園料(!)150円を払って中に入りましょう。それにしても「公園」と名乗る以上、ぜひ無料にしていただきたいですな。東京オリンピックなどと浮かれて無駄な出費をするぐらいですから、十分に可能なはずです。でもそういう無定見な人物を強制収容所所長に選んだのは都民ですから自業自得ですね。入口から左手に歩いていき木々におおわれたトンネルを抜けると、紅葉亭という和建築が姿をあらわします。ここから擂鉢状の傾斜地とその底にある次郎弁天池を見下すことができます。そしてあたりを彩る見事な紅葉。池のほとりにおりると、地下水が崖下から地表に湧き出す湧水源、いわゆる「ハケ」がありました。対面の斜面を昇ると馬頭観音が鎮座しておりました。この間のアップ・ダウンによって移ろい変わる光景は視線の快楽、たいへん魅力的ですね。紅葉も、腕も折れよと、力一杯輝いてくれました。うーん、ここは本当に穴場中の穴場でした。六義園旧古川庭園小石川植物園小石川後楽園も結構ですが、もみじの数と色づき、池と湧水、変化に富んだ景観を考えるとここに軍配をあげましょう。訪れる人もまばらなので、落ち着いた雰囲気の中ゆるゆるとした気分で錦秋を楽しむことができました。なお萩のトンネルや藤棚もあるので、一年中楽しめそうです。
c0051620_645719.jpg


 本日の五枚です。
c0051620_652012.jpg

c0051620_653980.jpg

c0051620_655741.jpg

c0051620_662238.jpg

c0051620_66468.jpg

by sabasaba13 | 2008-06-26 06:08 | 東京 | Comments(0)

「アラン」

 アイルランド旅行の予習として、ドキュメンタリー映画「アラン」のDVDを購入して鑑賞しました。監督は地質学者、探検家でもあるロバート・フラハティで、製作年は1934年です。舞台は、アイルランドの西、大西洋に浮かぶアラン諸島。「過酷」「苛烈」「不毛」「辛酸」、どんな言葉を使ってもフレンチクルーラーの味に思えてしまうほどの島々です。周囲は断崖絶壁、土壌も森林もなく岩と石が島を覆い、冬場には凄まじい波と風が襲います。前説曰く、「自立を人生最高の宝とし、生きるために闘う」島ひとの姿を淡々と描いた一時間強の映画が本作です。結末まで紹介しても輝きを失うような柔な映画ではないと確信しますので、あらすじをどうぞ。
 夫は槌で岩を砕き、妻と子は海草、さらには岩の割れ目にたまった塵を集めて石の上に敷き詰めます。こうして長い年月をかけてわずかな畑をつくりジャガイモを栽培してきたのですね。そして男たちは漁を主な生業とするのですが、カラック(currach)と呼ばれる小舟を使います。これが薄い木片を編んで、そこに布地をコールタールで貼りつけただけの代物です。この舟に数人の男たちが乗り込み、手漕ぎで漁をするのですが、特に貴重な獲物がウバザメ。食用にするとともに、その肝臓を煮つめてとった油が島で唯一の明かりとなるわけです。粗末な小舟と銛・ロープのみを武器として、体長数メートルにおよぶ巨大なサメとまるまる二日間格闘し、やっとのことで男たちはしとめます。このシーンは、いろいろなアングルから撮影した短いカットをつなぎあわせ、手に汗握る臨場感です。これでこの冬を越せると喜びに沸きながら、みんなでサメをひきあげる島ひとたち。
 そして時は秋、雲が重くたちこめ、断崖に牙を剥く高波が冬の前触れを予感させます。妻は海草を山のように担ぎ、飛沫を浴びながら崖ぞいの道を畑へと向います。漁から戻らない夫たちを心配して海を見やる彼女。島を叩き壊さんばかりに荒れ狂う海。そこに木の葉のように翻弄されながら、小舟が戻ってきます。岩の間をかろうじてすりぬけるように舟を操る男たち、そして浜に駆け寄り祈るように見つめる妻と子。間一髪で浜にたどりつき陸地へと逃れますが、小舟は波にさらわれ粉々に砕け散ってしまいました。「ああもう舟がない。漁に行けない。食物も灯油もないよ」と嗚咽する妻。しかしすぐに彼女は安堵したようにぽつりと呟きます、「でも生きている」

 ちゃちなコメントをするのがこっぱずかしくなるような重厚な映画ですが、あえて一言。自然の凄さ、そして人間の卑小さと偉大さを、ぎゅっと凝縮した見事な作品です。己一身の知力・気力・耐力のみを頼りに敬意をもって立ち向かってくる存在に対して、自然は必ず恩恵をもたらしてくれるのだと思います。どんな恩恵を? 生きる糧を与えるとともに、いつまでも変わらぬ姿でありつづけるという恩恵を。機械と科学技術をもちいて自然へのジェノサイドを行うわれわれに対する警告として受け止めたいですね。さもないと恩恵ではなく、自然界システムの崩壊というとてつもない復讐を覚悟しなければならなくなるでしょう。
 最後のシーンで、海を見つめる父と子の顔がアップで映し出されますが、その表情は形容のしようがない、しかしとても心打たれるものでした。絶望でも、憤怒でも、安堵でも、希望でも、悲哀でもありません。勝手な思い込みは重々承知の上であえて言えば、自然に対する大きな畏敬と、生きていることへの小さな感謝。
 というわけで「自然に優しい」と増上慢な戯言を気軽に口にする現代人に打ち下ろされた巨大な鉄槌、これはお薦めの映画です。なんとしてもアラン諸島(イニシュモア島・イニシュマーン島・イニシィア島)に行ってみたくなりました。
by sabasaba13 | 2008-06-25 06:07 | 映画 | Comments(1)

「書評家<狐>の読書遺産」

 「書評家<狐>の読書遺産」(山村修 文春新書552)読了。三度の飯と同じくらい読書が好きなもので、新しいブックガイドを見かけるとついつい立ち読みをしてしまいます。紹介されている本のラインナップと、ランダムに摘出した数行を読めば、だいたいその書評家の格と志は伝わってきますね。本書は即購入でした。著者の山村修氏は、青山学院大学図書館司書を長く務め、その傍ら夕刊紙「日刊ゲンダイ」に<狐>のペンネームで書評の連載を開始。2003年7月に体調不良のため終了するまで約22年半、1188回の長きにわたって続けられ、800字弱の短い書評ながらもその鋭さ、浩瀚な知識などが娯楽中心の記事の中で異彩を放ち、読書人の間で話題を呼んだ、ということです。(ウィキペディアより) 惜しむらくは2006年に逝去。本書は『文学界』に連載された「文庫本を求めて」からの抜粋です。
 私も下手くそな書評を書き散らしているので、その難しさは多少なりともわかっているつもりです。本の選択、適確ではあるが全てを語らない要約、そのジャンルにおける作品の位置づけ、凡百に陥らない寸評。そして一番大事なのは、その書のもつ魅力を読者に伝えて、一人でも多くの人に読んでもらうことだと思います。(嗚呼、見果てぬ夢よ) 本書はこれらを軽々とクリアし、さらに瑞々しいセロリのような歯切れのよい文で満ち満ちているのですから、脱帽です。例えば、こんな一文はいかが。
 いかなる作家を読むときも、…その低いと思えるところを飛んで(読んで)、クリアした気になってはいけない。
 バーは高きにおくこと。そんなことも、この本に教えられた。
 諸星大二郎は谷川健一を相当読み込んでいるのではないかという指摘や、サッカレー『虚栄の市』に登場する悪女ベッキーを岡崎京子『ヘルター・スケルター』の主人公りりこに模するなど、鋭い着想と、それを支える守備範囲の広い知識・教養にも驚かされます。そして本を愛するゆえでしょう、出版社の手抜きや落ち度には容赦なく「この一冊のどこを探しても底本についての記述が見当たらない。いったい、どんな編集方針なのか」と舌鋒を浴びせます。中でも傑作なのは、「天皇家は百済系だとしか思えない」という三國連太郎の発言に対して…
 進行役(初出は「世界」だから、同誌の編集部だろう)が「三國さんも日本の古代史はお詳しいですね。戦前に叩き込まれた教育ですか…」と、おバカなことをたずねている。だいじょうぶか、「世界」は。天皇家が朝鮮半島からの渡来者であるなどと、戦前の教育で叩き込まれるわけがないじゃないか。
 「編集者がしっかりしないと、いい本が読めないじゃないか」という著者の強い思いに満ちた叱咤激励であると受け取りましたね、私は。
 どこを押してもにゅるにゅると、本、そしてそれに現れる人間の営みへの愛情がにじみでてきます。私にとって大いなる目標、高きバーとなる一冊、お薦めです。

 追記。さっそく『鳥類学者のファンタジア』(奥泉光 集英社文庫)、『娘巡礼記』(高群逸枝 岩波文庫)、『レイチェル』(ダフネ・デュ・モーリア 創元推理文庫)、『諸星大二郎自選短編集』(集英社文庫)、『生物から見た世界』(ユクスキュル/クリサート 岩波文庫)、『河鍋暁斎』(ジョサイア・コンドル 岩波文庫)を購入しました。
by sabasaba13 | 2008-06-24 06:08 | | Comments(0)

「煙が水のように流れるとき」

 「煙が水のように流れるとき」(デヴラ・デイヴィス 和波雅子訳 ソニーマガジンズ)読了。まるで小説のようなタイトルですが、環境問題に真っ向から取り組んだ気概あふれる書です。一読、えもいわれぬ充実感と、深刻な危機感、そして微かだけれども力強い勇気と希望に満たされました。著者は、アメリカ屈指の免疫学者にして、世界保健機関(WHO)などで環境汚染と慢性病の関連性について研究するかたわら、クリントン政権における政府組織の顧問としても活躍された女性です。車の排気ガス、工場から排出される有毒物質、農薬、製品に含まれる産業化学物質がいかに環境を汚染し、多くの人々の健康を害してきたのか。その歴史を辿るとともに、そうした事態に敢然と立ち向かってきた献身的かつ革新的で、時に孤独な科学者たちの姿(メアリー・アムダー、レスター・レイヴ、マリオ・モリーナとF・シャーウッド・ローランド…)も描かれています。そして彼らの調査・研究を、文字通りありとあらゆる手段を使って陰に陽に妨害してきた企業の動きも… 彼ら企業の論理は、もちろん利益第一です。よって「多量ならば殺傷力を持つ物質でも、少量ならば無害」あるいは「危険性を完璧に証明できない物質は使用してもかまわない」という態度で、損益につながるような調査・研究を執拗に攻撃します。(著者曰く「巧みに調査を妨害し、研究をやめさせ、資金を引き揚げ、手の込んだPRキャンペーンを行ってきた企業の辣腕さ」) これに対して科学者たちは、低レベルの汚染でも危険性には変わりはないこと、そして人体に害を与える可能性のある物質は(たとえ危険性が完全に証明できなくても)過剰にコントロールしたほうがいいと主張しつづけています。しかし著者の言によると、そうした個人のコントロールを超えた危険因子への統制は十分ではなく、いまだに環境中に蔓延している。本書より一つ紹介すると、乳癌の増加です。1998年に発表されたWHOの報告によると、乳癌は、全世界的に女性がかかる癌の第一になったとのことです。アメリカでも「ワン・イン・ナイン」、つまり九人に一人の女性が発病しているそうです。実は、山ノ神の知人二人も乳癌となり、この問題は気にはしていました。著者は、その原因は産業化学物質にある可能性が強いと主張されます。例えば化粧品におけるそうした物質への規制は不十分であり、マニキュアなどの化粧品に広く使われる化合物・フタレート(可塑剤)は乳癌細胞の増殖を早め、齧歯動物の雌雄両方にさまざまな奇形を引き起こすことがわかっているそうです。(このことを知ってから、電車内で化粧をしている女性を見ると一声かけたくなりました。あぶないよ…) 以下、引用します。
 私たちは、安全率に基づいて橋や建物を造る。その際には、不測の事態にも耐えられるよう、念には念を入れて安全を期す。乳癌予防に関しても、リスクを悪化させる要因について多くのことが知られているのだから、この知識をもっと活用する必要がある。より確実な証拠が現れるのを待つうちに、女性たちを事実上の実験用ラットにしてしまうようなことがあってはならない。人生をどう生きるかという問題は、毎日渡る橋と同じように扱われるべきなのだ。
 実は、乳癌に限らず、現代において癌が猖獗をきわめている現状には大きな不安と懸念を覚えています。この事態は20世紀になって起こった、つまり有毒な化学物質や核(原子力)発電が排出する放射能が原因ではないのか。(昔の人ってあまり癌で死ななかった気がします) 治療法の研究は進んでいるようですが、やはり原因を調査・研究し予防しなければいけませんよね。その動きが遅々として進んでいないように思えるのですが、もしやある程度発病の原因は判明しているのに、経済活動への悪影響を恐れて行政・企業が隠蔽しているのでは、などと憶測してしまいます。
 それはともかく、有毒な化学物質に関する調査・研究が十全に行われず、また科学的に完全に証明されていないからとして十分な規制がなされていないというのが現状です。そして企業も行政も(あるいは私たちも)、「知りたくないなら、調べなければいい」「口にしなければ、問題など魔法のように消えてしまう」という態度で、こうした危機に対して座視・静観あるいは無関心な態度をとり続けている。中でも子供たちの健康に対する悪影響を放置してよいのか、著者はこう述べられます。
 子供は単なる大人のミニチュアではない―彼らの心肺や免疫系、生殖系、脳はまだ成長中なのだ。栄養不良と健康管理の至らなさに加えて、ひと息毎に汚染物質を取り込んでいるとなれば、成熟し、学び、やがては働くといった能力すべてが損なわれかねない。
 そして地球温暖化も、気候変動の問題であると同時に、有害物質が地球環境を汚染しているという問題でもあると捉えるべきだと主張されています。よってこれこそが喫緊の問題である、ではどうすればよいか? 著者は実効性のある具体策を実行すべきだとされます。そのためには、お金の使い方を変える何らかの誘因を人為的に創出すべきであり、そのためには、自由市場経済学者とその保守的な信徒たちがリベラルの二大悪と見なすもの―奨励金と、税金などの罰金―が必要となるだろう。具体的には、地球温暖化と汚染をもたらすエネルギーをつくる企業には高い税金を課し、それを使う消費者には高い料金を負担させる。クリーンなエネルギーをつくる企業には補助金を与え、それを使う消費者には低料金とともに何らかの恩恵を与える。クーポンなどといった、ちょっとした興奮をもたらす小道具が有効だという意見は炯眼ですね。ポンッ、と思わず膝をたたいてしまいました。日本政府も本気でこの問題に取り組むのだったら、現在の電力独占体制を解体し、クリーンなエネルギーを供給するためのさまざまなかたちでの競争、および消費者がそれを支援・選択できるシステムにすべきですね。もちろん、核(原子力)発電は即刻廃棄というのが大前提ですが。

 というわけで、凡百の環境本とは違う素晴らしい本、いろいろと知りいろいろと考えさせられました。辛口のユーモアをまじえた語り口も魅力的です。最後に、心に残る二つの文を紹介します。上は、シャーロック・ホームズがワトソン博士に与えたアドバイス、下は著者が子供のときにラビから聞いた訓話です。
 絶対にあり得ないものを削除していった、後に残ったものは、いかにあり得なさそうに見えたとしても、真実に違いない。

 ある労働者集団が、とても複雑な難事業を命じられた。彼らは抗議する。「日は短いのに仕事は難し過ぎます! 壮大な計画なのに、まともな道具もない! 何よりわれわれは疲労困憊しています! こんな仕事、やり終えることなどできません!」 師、答えて曰く「何も、お前たちが終えなくてもいい。だが―とにかくお前たちが始めなければならないのだよ」

by sabasaba13 | 2008-06-23 06:05 | | Comments(0)

上野公園編(2):東照宮(07.12)

 美術館を出て、大噴水のあたりを散策。楓は少ないのですが、イチョウの黄色と広葉樹のオレンジが陽に映えてなかなか綺麗でした。
c0051620_751082.jpg

 公園の一角では、有志団体によるものでしょうか、ホームレスの方々への炊き出しや散髪が行われています。ル・コルビュジエは、科学技術を駆使してすべての人に人間らしい住環境と住居を提供するべきだし、現代はそれを実現できる時代であるべきだという志を持っていたと考えます。その彼が、こうした光景、さらに世界の各地でくりひろげられているより悲惨にして非人間的な光景を見たら、どういう言葉を呟くのでしょうか。かたや高価なブランド製品を身にまとい颯爽と闊歩する人々。そしてマネーゲームに狂奔し、贅を尽した暮らしを只管追い求める人々。有無を言わせぬ圧倒的な経済的不平等と不公正… 「それが人間のすることか!」と叫びたくなりますが、「それが人間ってもんじゃないのかね?」と沙翁に軽くあしらわれてしまいそう。でも乏しきを憂えず、等しからざるを憂いたいですね。なお噴水の近くには、ラジオ体操の記念碑があります。(設置者は東京郵政局)
c0051620_7511953.jpg

 どりゃどりゃ、碑文を読んでみましょう。「この碑は、ラジオ体操ひろばとして永年にわたり多くの人達に親しまれている当地に、ラジオ体操制定五十年を記念し、建立したものであります」 なるほど。「ラジオ体操は昭和三年に郵政省簡易保険局が国民の皆様の健康増進を願って制定し、日本放送協会ラジオ体操会連盟の協力を得て、今で全国至る所で愛好されています」 うーん、昨今の国家権力による「健康」の強制に辟易している小生としては、一言半畳を入れたくなりますね。近代日本の健康観と政策に関しては、「桃太郎さがし 健康観の近代」(鹿野政直 朝日百科日本の歴史別冊)および「強制された健康 日本ファシズム下の生命と身体」(藤野豊 吉川弘文館)という優れた研究がありますので、それを参照しました。前者によると、ラジオ体操は、健康優良児表彰制度とともに、ラジオ・新聞というメディアが主催した健康キャンペーンです。1928(昭和3)年に昭和天皇の大礼記念事業として、東京中央放送局のローカル番組としてはじまり、翌年には全国番組となり、やがて町内会・青年団を軸に各地にラジオ体操の会が生まれ、内務省・文部省・在郷軍人会の後援もあって全国的な運動へと発展します。その意図は何か。これは藤野氏が見事に要約されています。
 生殖段階から国民の健康と体力を国家が管理し、「人的資源」として利用もすれば廃棄もする体制、「生存に値する生命」と「存在するに値しない生命」を国家が選別した体制
 国家の政策に利用できる健康な身体=優良な部品・素材・資源をつくりあげるとともに、健康ではない=国家の役に立たない身体は悪であるという意識を国民の間に醸成する。さらに相互監視の網の目によって、午前七時のラジオ体操に参加しないと不健康な非国民と思われてしまうという後ろめたさもすりこまれたことでしょう。うん、これでメタボと喫煙の撲滅を怒号する現政府の意図も見えてきます。医療費の抑制とともに、政府・企業の役に立つ健康にして有為な人物とそうでない人物を選別し、前者を徹底的に利用し、後者を廃棄する。今の世の息苦しさは、健康な身体で何かの為に役立つ/政府・企業に利用されることを強要されることからきているような気がします。ただぼーっと生きているだけの人間は、もはや生存を許されなくなる時代が、ほら、すぐそこまで来ていますよ。
 なーんてことを考えながら徘徊していたら小腹がへってきました。山ノ神に教示してもらった韻松亭に飛び込んだところ、幸い席が空いていました。上品な味ですが量が物足りない茶つぼ三段弁当をあっという間にたいらげ、すぐ近くにある東照宮に行ってみました。
c0051620_7514165.jpg

 大名が寄進した灯篭群の間を進むと、正面が唐門です。はじめて知りましたが、国宝にも指定されている本殿の中に入ることができるのですね。さっそく拝観料を払って内部を見学。唐門の柱に刻まれている伝左甚五郎作の昇竜・降竜をじっくり眺めることもできました。そして鶯谷駅から山手線に乗って帰宅。うん、やはり上野はふらんすよりも近かった。
c0051620_752233.jpg


 なお上野公園のその他の物件については、よろしければ以前に掲載した記事をご笑覧ください。

 本日の一枚です。
c0051620_7522122.jpg

by sabasaba13 | 2008-06-22 07:53 | 東京 | Comments(0)

上野公園編(1):国立西洋美術館(07.12)

 「ル・コルビュジエを見る」(越後島研一 中公新書)を読んで、ル・コルビュジエの作品をこの目で見てみたいという野望に駆られてしまいました。かといって、ふらんすへ行きたしと思えども、ふらんすはあまりに遠し、とりあえず日本にある唯一の作品・国立西洋美術館(1959)をじっくり拝見することにしましょう。時あたかも十二月初旬、上野公園の紅葉も味わえればいいな。
 JR上野駅公園口の前にある横断歩道を渡ると、すぐ目の前にあるのが東京文化会館。その真向かいに建っているのが国立西洋美術館です。ムンク展が開催されていましたが、オスロで見てきたのでこれはパス。平常展示の入館券を購入して建築の内部をじっくり見ることにしました。前掲書から引用します。
 美術館を設計するよう依頼され、1955年に彼は、敷地を見るために最初で最後の来日を果たした。豊かな緑に恵まれた上野の丘に立った彼は、想像力を膨らませ、やがて、三つの異なる個性の建物が並ぶ「上野文化広場」とでもいうべき提案を生み出す。しかし当時の日本では、他の二棟を建設するほどの予算はない。だから現在の西洋美術館は、三人組の片割れが、当初予定されていた二人の話し相手を欠いたまま建っている、いわば孤独な姿なのだ。
 なるほどねえ、1955年といえば、まだ高度経済成長が始まったばかりの頃ですね。予算不足から一棟のみしか依頼できなかった事情は理解できます。なおその相棒として設計された建築が、彼の記念館、ル・コルビュジエセンターとしてチューリヒにあるそうです。これはいつか行ってみたいな。
 彼はこの建築を設計するにあたり、無限成長美術館を構想していたとのことです。細長い通路の渦巻きとなっている空中の箱を中心に、展示を鑑賞しながらぐるぐると進み、外周の通路に至ると外へと突出している階段を降りて退出するというプランですね。どんどん外へ成長させることができるので、収蔵品の増加に対応できるよう考案したそうです。しかし実物を見ると、中途半端に終わってしまったのがよくわかります。ピロティをくぐり中央へ至り、スロープを昇って二階の中心部分に着き、そこから展示を見始めるところまでは当初のプランどおりですが、渦巻き状の展示スペースはひと廻りで終わってしまいます。今は使われていない、左手にある外付けの階段はぐるぐる廻った後に退出するというプランの名残なのですね。
 外に出て、外観をじっくり見てみましょう。ピロティ部分が小さいためか、全体的に頭でっかちの鈍重な印象を受けます。ただ随所に彼らしいデザインがほどこされているのに気づきました。例えば、建物右手にある逆三角形のユニークな柱は、彼の代表作であるマルセイユの高層集合住宅「ユニテ・ダビタシォン」(1952)の引用でしょう。「どっこいしょ」と何かを持ち上げているような人間的な印象を受ける、微笑ましい造形です。左手側面にある突出した窓枠は、彼が得意としたブリーズソレイユ(日射を遮るためにつくられた装置)の一種だと思います。
c0051620_741132.jpg

c0051620_7412213.jpg

 これまで何回も訪れて何回も見てきたはずの建物ですが、見るべきものを仰山見逃してきたをあらためて痛感しました。虚心坦懐に作品に向き合うのも大切ですが、ある程度の関連知識も重要ですね。少しのことにも先達はあらまほしき事なり、です。そして前庭で展示されているオーギュスト・ロダンの「地獄の門」「カレーの市民」「考える人」、エミール=アントワーヌ・ブールデルの「弓をひくヘラクレス」を拝見。紅葉をバックにして見ると、また一味違ってきます。

 本日の二枚です。
c0051620_7414440.jpg

c0051620_742581.jpg

by sabasaba13 | 2008-06-21 07:43 | 東京 | Comments(0)