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フェルメール展

 先日、上野の東京都美術館でフェルメール展を見てきました。現存が確認される作品がわずか三十数点という寡作の天才画家、そのうちの七点が集められているのですから、これは見逃すわけにはいきません。これまでもアムステルダム国立美術館、デン・ハーグのマウリッツハイス美術館、ロンドンのナショナル・ギャラリー、ルーブル美術館、ウィーン美術史美術館を経巡って、彼の作品を追っかけてきましたが、現物の放つオーラに包まれたあの至福のひと時をまた堪能できるかと思うとわくわくします。すでに初日に訪れた山ノ神の話では、それほど混雑してはいなかったとのこと。八月の小糠雨が降るある平日の午前九時半、美術館に着きました。行列も嬌声もなくすぐに当日券が買えたので、これならば落ち着いてじっくりと見られそうです。やれやれ。
 日ごろ浴びている俗塵で汚れた眼を純粋に楽しませあげたいので、イヤホン・ガイドは借りませんでした。七点の中でとくに釘付けになったのが、「小路」(アムステルダム国立美術館)、「リュートを調弦する女」(メトロポリタン美術館)、そして「手紙を書く婦人と召使い」(アイルランド・ナショナル・ギャラリー)です。もし一つもらえるのだったら(※送料・保険料については要相談)、後者二点で迷いますが、うーん、「リュートを調弦する女」かな。色彩を抑えた地味な絵なのですが、それだけに光が織り成すドラマを純粋に味わえるような気がします。室内にさしこむ光の瑞々しい柔らかさ、それがつくりだす陰翳、スポットライトをあびたような女の黄色い服、そして窓の外を見やる彼女の意味ありげな表情、これらが渾然となってかもしだす静謐感。地図・テーブル・家具・窓枠といった方形と直線が、キャンバスを絶妙のバランスで分割していますが、これも当時としては斬新な構成ではないのかな。モンドリアンはこの絵を見て影響を受けたのかな、などと想像するのも一興です。また一点一点について解説のついた複製写真のパネルが設置してあるのもいい試みですね。
 他に、ほぼ同時代にデルフトを中心として活躍した画家たちの絵も展示してあります。その題材の多くは都市風景画・室内画・家族画で、東インド会社による交易や金融で栄えたオランドの裕福な市民たちの趣味が反映されているのでしょう。聖書・神話・歴史的モニュメントではなく、自分を、自分の家族を、自分の部屋と家を、自分を住む都市を描いてほしいという気持ちが伝わってきます。フェルメールの絵も、こうした流れの中に位置づけることができそうです。
 なお彼が亡くなったのが1675年、その後1680年代以降オランダの長期凋落が顕著になってきます。台湾商館を鄭成功に奪われ中国貿易を拠点を失ったこと、徳川政権が貿易制限策をとったため日本から金・銀を大量にもちだせなくなったこと、さらにインド綿織物価格の高騰でこれらを東南アジアにもちこみにくくなったことなどが原因のようです。"ヘゲモニー国家"オランダの全盛期とともに、フェルメールの絵があったことを忘れないようにしましょう。そしてその繁栄を支えたのが、日本を含むアジアであったことも。

 それにしても、なぜ日本の美術館では写真撮影ができないのかなあ。経験則では、ヨーロッパではヴェネツィアのアカデミア美術館とアイルランドのナショナル・ギャラリー以外はすべて写真撮影可能でした。憧れの彼女とのツー・ショットを含めた写真を掲載しておきます。さてどこの美術館でしょう?
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by sabasaba13 | 2008-08-31 09:34 | 美術 | Comments(0)

奉安殿・奉安庫

東北大学史料館(宮城県仙台市)
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奈良女子大学(奈良県奈良)
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旧見付学校(静岡県磐田)
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箱根病院(神奈川県小田原市)
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清水稲荷神社(東京都目黒区)
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朝日稲荷神社(東京都大田区)
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阿伝小学校(鹿児島県喜界島)
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松島神社(佐賀県伊万里市内)
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旧宇和町小学校講堂(愛媛県)
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旧高梁尋常小学校(岡山県)
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坂嶺小学校(鹿児島県喜界島)
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真壁(茨城県)
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神明社(秋田県大館)
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登野城小学校(沖縄県石垣島)
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護国神社(北海道函館)
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某所
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旧滝部小学校(山口県滝部)
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中央小学校(千葉県野田)
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by sabasaba13 | 2008-08-30 10:32 | 写真館 | Comments(2)

浅草七福神編(10):(08.1)

 神社の前の車庫には、松飾りをバンパーにつけた車を発見。最近どういうわけか見かけませんね。隣のお寺さんの郵便入れには、立派な御影石のプレートに「ありがとう ごくろうさま」と刻んでありました。郵便配達の方も気合が入るでしょうね。郵便といえば、最近こんな話を聞きました。私のテニス仲間なのですが、長年郵便局でパート労働をしている、郵便のことなら何でも知っている生き字引のような主婦の方がおります。しかし民営化したとたん、あまりにも労働密度が苛酷となったため彼女はとうとうやめてしまったそうです。ああやっぱりね、民営化とは、労働者を保護するための規制を撤廃して、徹底的に酷使して使い捨てられるようにするのが狙いの一つなのですね。
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 閑話休題、「お鍋の博物館」がありましたが、お休み。これはちょっとそそられます。近くの店では閉まったシャッターの前にロープを張り、「就寝禁止」という札がぶらさがっています。山谷的状況の浸透を痛感。
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 合羽橋本通りへと入ると、このあたりも職住一体の地なのか、喫茶店が目立ちます。「珈琲のオンリー 魔性の味」? どんな味なのだろう? 「台東区で一番安い!!」という謙虚な弁当屋さんもありました。
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 六区に入るとさすがに大混雑です。街灯には往年のスターの顔写真がかかっているのがいいですね。私の大好きな大宮敏充(デン助)と東八郎を撮影。
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 そして伝法院の前にやってきましたが、ここに来るまでに一応チェックしたいわゆる名店、すき焼きの「今半」、天丼の「大黒家」はいずれも長蛇の行列ができていました。山ノ神曰く「大黒家ってそれほど美味しくないのに…」
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 われわれがめざす店は、そうした有名店ではありません。記憶を頼りに、仲見世と並行するメトロ通りを歩き、たしかこのへんだったなと細い路地に入ると、ありました。洋食の「アリゾナ」! 永井荷風が愛顧した店です。「断腸亭日乗」の敗戦後の部分を読んでいると、連日浅草にやってきてこの店で食事をしていたことがよくわかります。よほど味と雰囲気がよかったのですね。というわけで、一度来てみたかったのです。中に入ると幸い空席がありました。さっそくメニューを見て、グリーンサラダ、タコのカルパッチオ、ピザ、下町風メンチカツ、ロールキャベツを注文。二人であっという間にたいらげてしまいました。すべて水準以上の出来で満足。インテリアや内装も落ち着いたもので、好感が持てます。
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 入口のところには荷風の写真が飾られていました。なお作家の樋口修吉氏によると、荷風はタイシチューとグラタン、それにお銚子一本をいつも注文していたそうです。これが三ヶ月ぐらい続くと、今度はチキンとレバーの煮込みとカレーライス、そしてビール大瓶。おそらく彼が食した料理とは違う味でしょうが、当時の雰囲気をそこはかとなく感じることができます。浅草にまた来ることがあったら、寄ることにしましょう。なおピザといっしょに出された砕いた赤唐辛子の大瓶に「初代タイガーマスク佐山サトル様御愛用」とサインペンで書かれていたのには驚き微笑んでしまいました。そうか、彼もこの店の常連だったのか… ダイナマイト・キッドとの一戦は忘れられません。
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 さて帰ることにしますか。隣のビルには「くさい! 立小便やめよう」いうもっともな貼紙。神谷バーの前の横断歩道を、うんこビル(地元民による俗称、ほんとうはリバービア吾妻橋)を横目にしながら渡り、ふと見るとバイト募集の手書き貼紙で満艦飾の不思議な家がありました。こうした胡散臭さも浅草の魅力ですね。
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 追記。今、「寺社勢力の中世 ―無縁・有縁・移民」(伊藤正敏 ちくま新書734)という大変大変刺激的な本を読んでいるのですが、その中に下記のような示唆に富む一文がありました。引用します。
 戦国時代には、神罰を下さず現世利益を与える七福神信仰が流行する。弘法大師信仰によって寺を経営してきた東寺では、弘法大師お手作りという伝説の大黒天像が人気を呼び、この大黒天像が新たな信仰の対象になる。恐ろしい賞罰神だった弘法大師は捨てられ、無邪気な福神信仰にとって替わられた。信仰が移ろいゆく様を見ることができる興味深い例だ。(p.233)
 中世期から近世期への移行とともに、顕著な宗教的権威の低下という現象が起きた例証としてあげられています。幸福や利益だけではなく恐るべき罰をも与える神(どちらにころぶかわからないのですから畏怖するのですね)から、安直なアプローチで(ex.一年に一回お参りして賽銭をあげる)福だけをもたらしてくれる手軽で便利な神への変質。なるほどねえ、そういう視点で考えると、七福神信仰の奥深さが垣間見えてきます。いや、勉強になりました。
by sabasaba13 | 2008-08-29 06:22 | 東京 | Comments(0)

浅草七福神編(9):福禄寿(08.1)

 金美館通りを左折してしばらく直進すると、合羽橋道具街となります。脇の路地をふと見ると、子供たちがローセキで遊んだ跡を見つけました。かつて道路は、子供たちが想像力をはばたかせるキャンバスだったのですね。しかしすぐそばのマンション入口には「この街は通報する街」という下谷警察の挑戦的な貼紙がありました。おうおう、てことは、ローセキで遊んでいる子供たちに「おいちゃんも昔そうやって遊んだもんだよ、お菓子買ってあげるからいいとこに行かない」と声をかけて連れ去ろうとしただけでも通報されるのかい。(つっこみ:されるされる)
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 ま、冗談はさておき合羽橋道具街に到着です。ほんとうに、ここの調理・台所用品の品揃えにはバールのようなもので後頭部を叩かれたぐらいに感動します。山ノ神も♪俺の闘志がまた燃える♪と鼻歌を唄いながら、戦闘態勢完了。(♪愚痴も言わずに女房の小春♪というフレーズは唄ってくれないのかな) 幸いなるかな、4/5はまだお休みなので、買い物は短時間ですみました。私もこの手のものは好きなので、喜んでおつきあい。へえー、卓上で使う、あのわけのわからない字が書いてある小型コンロを飛騨こんろと言うのか。初めて知りました。今インターネットで調べたところ、珪藻土でつくってその上に美濃和紙を貼ってあるのですね。ちなみにあの字は、大抵は謡曲の譜面で、中国の不老不死の子供の話を題材とした「菊慈童」という能が多いそうです。へえーへえーへえー。さて某店で山ノ神が購入したのは、つみれを成形するための竹の器とへら。私の数少ない得意料理「鳥団子なべ」をつくるさい、成形は山ノ神に任せているもので。そしてフジマルのフライパン。私の数少ない得意料理「ほうれんそうチキンカレー」をつくった時に、フライパンを焦げつかせてしまったもので。私の数少ない得意料理「雪虎」をつくるためのおろし金を所望したらこれは却下。「今ので十分です」 ラジャー。
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 うさぎやのドラ焼きに加えてフライパンも背負うのか、やれやれと表情に出さず内心で慨嘆していたら、山ノ神曰く「ドラ焼きは私がもってあげる」 おうまいがっ! なんだかんだ言ったって私のことを気遣ってくれているんだ。偕老同穴ですねえ、比翼連理ですねえ、とはしゃいでいたら、彼女曰く「ドラ焼きがつぶれるから」 おうまいがっ
 金色に輝くかっぱ河太郎にあいさつをして、わき道をすこし歩くと福禄寿のいる矢先神社に到着です。
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 徳川家光が国家の安泰祈願のために三十三間堂をこの地に建てて通し矢を行ったのが名前の由来だそうです。福禄寿は鳥山明の漫画に出てきそうな、親しみやすいお姿でした。
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 なお拝殿の格子天井には、日本の乗馬の歴史を描いた100枚の絵が描かれています。宮司さんの趣味だったのでしょうか、硫黄島で戦死したバロン西の絵もちゃんとありました。なおこちらではアルコール分が少ない結構なお味の甘酒がふるまわれていましたが、これは嬉しい心配り。そして朱印をいただいて、これでフィニート。さあ遅い昼飯にしましょう。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-08-28 06:21 | 東京 | Comments(0)

浅草七福神編(8):弁財天・寿老人(08.1)

 そして「吉原大門」交差点を過ぎると、なつ、もといっ、なじ、もといっ、未踏の地・吉原です。「吉原開所三五〇年 安心・安全」と書かれた灯篭風街灯がありましたが、なるほど明暦の大火の後、このあたりに遊郭が移され、新吉原として営業を再開したのが1657(明暦3)年の秋ごろですから去年で350周年になるわけだ。今でも所狭しと風俗業の店が建ち並んでいます。
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 その新吉原遊郭に鎮座していた五つの神社を明治初期に合祀し創建したのが吉原神社です。本殿の奥にライトアップされてほのかに浮かび上がる小像が弁財天です。インドが起源の水を司る女神で、滔々と流れる水から連想して弁舌・音楽の神として崇められるようになったようです。なお石浜神社から吉原神社までは徒歩30分くらいでした。
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 次は寿老人のいる鳳神社です。ちょっと道がややこしいのですが、地図を頼りに十分ほどで到着しました。途中に「女整体師 いたきも堂」がありました、これは思いっきりそそられますね。このあたりに住んでいたら絶対に贔屓にします、あ、いや、"女整体師"じゃなくて"いたきも(痛いけど気持ちいい)"に惹かれたのですよ、念のため。そして扇型に二階の壁を繰りぬいた洒落た家を発見。おそらくかつては娼家だったのでしょう。
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 鳳神社といえば「おとりさま」、祭神である日本武尊が社前にある松に熊手をかけて戦勝を祈ったのが11月の酉の日、これが酉の市となったそうです。こちらにいるのは寿老人、ん? すでに石浜神社でお会いしましたね。実は浅草七福神では寿老人(神)と福禄寿が二人ずついて、計九福神なのです。なして? 地図の解説によると「九は数の究み、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩であり、あつまる意味をもち、又、天地の至数、易では陽を表わす」というわけのわからない故事によるものでそうです。ま、九の方が縁起がよいと言いたいのでしょう。でも私は違うと見た。七福神に入るか入らないかで、寺社の収益には大きな影響が出るはずです。寿老人を擁する石浜神社と鳳神社、福禄寿を擁する今戸神社と矢先神社の間に血で血を洗う抗争が起きたのではないか。そこに仲介に入ったのが浅草寺の住職はん、「まあまあつまらん喧嘩せんでもええがな。どや、いっそ九福神にしたら。このわしの口から九の方が縁起がよろしといえば、江戸っ子は単純やし権威に弱いから簡単に信じるで」と言って丸くおさめたそうな、ちゃんちゃん。もちろんこれは憶測ですがありそうな話でしょ。さてどういうわけだか、ここだけは本殿前に行列ができていました。しばし並んで本殿の中を覗き込むと奥の方に小さな寿老人像が見えました。
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 なおこちらの境内には樋口一葉の文学碑と玉梓乃碑、正岡子規と榎本其角の句碑が並んでいました。そういえば樋口一葉記念館が近くにあるはずですが、たぶん休館だと思うのでカット。いよいよ最後、福禄寿のいる矢先神社へと向かいましょう。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-08-27 06:08 | 東京 | Comments(0)

浅草七福神編(7):(08.1)

 そしてこのあたりから、歩道に座り込んで酒盛りをしているおじさんたちを目にするようになりました。そして「危険! 歩行者の寝込み・飛び出し・横断に注意」という立て看板。寝込み??? ある喫茶店の入り口には「店の都合に依り御遠慮願ふ事も御座居ます。ご諒承下さい。敬白」という貼り紙。御遠慮???
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 そう、いわゆるドヤ街・山谷が隣にあるのですね。地図で確認すると、泪橋やJR南千住駅も近くにあるようです。でも怖いという雰囲気はあまりありません。真っ赤な顔をしたある御仁からは「七福神めぐりかい、今年はいいことあるよっ」と陽気に声をかけられました。耳朶に響いてきたのは岡林信康の名曲「山谷ブルース」。
今日の仕事はつらかった/あとは焼酎をあおるだけ
どうせどうせ山谷のドヤ住まい/他にやることありゃしねえ

一人酒場で飲む酒に/かえらぬ昔がなつかしい
泣いてないてみたってなんになる/今じゃ山谷がふるさとよ

工事終わればそれっきり/お払い箱のおれ達さ
いいさいいさ山谷の立ちん坊/世間うらんで何になる

人は山谷を悪く言う/だけどおれ達いなくなりゃ
ビルもビルも道路も出来やしねえ/誰も分かっちゃくれねえか

だけどおれ達や泣かないぜ/働くおれ達の世の中が
きっときっと来るさそのうちに/その日は泣こうぜうれし泣き
 あらためて歌詞をよく読むと、使い捨て、過酷な労働、蔑視、ホームレスという山谷の労働者が置かれた状況が見えてきます。てことは、日本が全て山谷になってしまったのが現状だということです。今だからこそ声を張り上げて歌いたい曲ですね。特に最後の歌詞は胸にじーんときます。額に汗して真っ当に働く人達の世の中を実現して、心の底からうれし泣きをしたいですね。でも"そのうちに"なんて暢気なことを言っていると過労死・自殺・神経症・病気に追い込まれてしまいますから、一刻も早く実現しなければ。マネーゲームに狂奔してぼろ儲けするいかがわしい連中のための世の中なんて、もう真っ平御免です。
by sabasaba13 | 2008-08-26 05:49 | 東京 | Comments(0)

浅草七福神編(6):(08.1)

 次は弁財天のいる吉原神社です。石浜神社でUターンして橋場通りを少し南下、区立石浜図書館のところを曲がって西へと向かいます。この通りは日の出会商店街となっています。シャッターを閉め切って廃業した商店はほとんど見受けられず、地元の人々に支えられながらざっかけない商いをしているようです。元気のある商店街ってほんっとにいいもんですね。「洋食 中華 わたなべ」なんてえ店を見るとモリモリ元気が湧いてきます。それに喫茶店が多いのも嬉しいですね。きっと職住一体の街なのでしょう。商店の旦那さんが暇をもてあまして三々五々集まり、珈琲を飲みながら「もうかりまっか」「ぼちぼちでんなあ」などと会話している様子が眼に浮かびます。おまけに店名が「アミーゴ」「あなば」「コロラド」といった通好みなのも素晴らしい。きゅるるるるる さすがに人形焼を消化してしまった胃が文句を言い始めました。すると眼前にフライを揚げている肉屋がありました。ガラス・ケースを見ると、コロッケ・トンカツは当然のこと、メンチ・ハムカツ・ポテトフライがあるじゃあないですか。これがオクラホマ・ミキサーに対するお答えなのですね、ありがとう布袋さま。しかもポテトフライが7個で105円! さっそく購入して歩きながら食べたのですが、美味しい! ホクホクの小ぶりなジャガイモを、適度にサクサクの衣が優しく包み、そして香ばしい油の香が鼻をくすぐります。もう一口食べただけで、そこは愉悦の楽園。味に五月蠅い山ノ神にも献上しましたが、彼女も絶賛の逸品です。この出会いへと導いてくれた布袋さんに感謝して、私一人でマイム・マイムを奉納しました。(山ノ神は人目があって恥ずかしいと拒否)
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by sabasaba13 | 2008-08-25 07:37 | 東京 | Comments(0)

「日本の行く道」

 「日本の行く道」(橋本治 集英社新書0423C)読了。他人の言葉を借りず、とにかく自分の言葉と頭だけで、徹底的に考えぬき、表現しぬこうとする橋本氏にはいつもいつも敬意を抱いております。本書は、教育・家・政治・経済など多様なテーマを対象に、「なんかへんだ」的な状況の原因を、権威によりかからず自分の頭で考えてみました、という内容です。氏の本を読んで、いつもほんとに凄いなと思うのは、いろいろな出来事や事件をきっちり考え抜いて関連づけ、しかもわかりやすい文章としてまとめあげる力量です。例えば…
 18世紀中頃のイギリスで起こった産業革命は、「物が足りないから、大量生産をして必要な物を作り出す」などという、しみったれた理由によるものではありません。商品を大量に生産すれば、必ずそこに「余る」という事態は出現するのです。「必要だから大量生産をする」は一時的なもので、「機械化して恒久的な大量生産システムを作る」というのは、「自分達が必要とする物を作る」というのとは違います。それは、「自分達が必要とする以上の物を作り出す」なのです。
 なんでそんな余分なことをするのか? 大量に作った物を売って「利益」を得るためです。必要があろうとなかろうと売りつける―「需要がなかったら、そこに需要を作り出してでも商品を売る」という、20世紀後半のマーケティング理論では当たり前になることが、産業革命によって起こるのです。明治になって近代化へ向かった日本は、「大量に作った物を売って利益を得る」あるいは、「利益を得るために大量の物を作る」という国際情勢の中に巻き込まれたか、あるいは「進んで乗り出して行く」ということになって、「経済戦争の時代」へ向かうのです。
 業革命には、「その結果、経済戦争を必須とする」という性格もあります。19世紀は帝国主義の時代で、「原材料の確保」と「マーケットの拡大」を実現するために、欧米先進国は自国の外に「植民地」を求めました。そこから「侵略戦争」という事態は発生して、日本もその目標になりかかりました。だからこそ日本は、その危機を逃れて、「近代化」へと向かったのです―そのことによって、「経済戦争の加害者」の側に立つのです。
 第二次世界大戦まで、この「経済の戦争」は「武力による戦争」の面を強くして、それがやがては「貿易戦争」の色彩を明確にして来ます。第二次世界大戦で「武力による戦争」に敗れた日本は、「武力による戦争」という手段を捨て、その結果として、「武力による戦争」の背後にある「貿易戦争」という大本に勝つのです。
 それは「戦争」だったのです。だからこそ私は、「もう“加害者”の立場を狙わなくてもいいんじゃないの?」と思ってしまうのです。「それが戦争であったればこそ、その勝者は“地球を壊す”という方向にも進んでしまう」と思って、「もうそんなことは、やめればいいじゃないか」と思うのです。
 うーん、産業革命以来の約250年の世界の歴史を、これだけ簡潔明瞭にまとめあげる力業、もう脱帽です。今、中学校や高校でどんな世界史の授業が行われているのかわかりませんが、もし昔のように受験に向けて人名や事件をひたすら暗記させるのだったら、もうやめちゃってこの一文を熟読させた方がよっぽど歴史的思考が身につきそうな気がします。いや、マジな話。政治学者の故丸山真男は、教師の最重要課題のひとつは、具体的なことを抽象的に思考する訓練を施すこと、即ち、出来事や事件を抽象思考に置き換える癖をつけさせることだと言ったそうです。そういう意味では、橋本氏は私にとって大切な教師の一人、これからもよろしくお願いします。
それでは、氏の軽妙にして奥の深い語りの数々を、ご堪能ください。
 この収拾のつかない争いをストップさせる方法は、一つしかありません。先進国が「先進国であることのレベル」を下げることです。「もういい。これ以上は危ない。もうみんな、余分な金持ちになることや、余分な便利を実現しなくてもいい。そのことを示すために、こっちが先んじてレベルを下げる。あんたらも、もうへんな頑張りをやめなさい」と言うしかないのです。

 「ファンド」というものが、二酸化炭素と同じくらい世界をおかしくする迷惑なものになっていることは、分かる人には分かっているはずです。そんな、「金をあちこちに動かして儲ける」などというヴァーチャルな金儲けばかりを考えずに、もっとカタギになって、「自分のところでいるものは自分のところで作る」という原点に帰った方が、世界は安全で穏やかなものになるのです。

 そういう(筆者注:官僚による)腐敗構造をどうすればいいのか? 話は簡単で、しかも解決法は一つしかありません。話だけなら簡単で、実際は(おそらく)非常に困難で、しかし、やっぱりその解決法は一つしかありません。「ご主人さま」が不在であることによって官僚の共和制が成立してしまっているのなら、そこに「ご主人さま」を登場させればいいのです。「任期」というものがあって、すぐにいなくなってしまう「ご主人さま」であっても、「ご主人さまは常に存在し続けている」と、官僚達に呑み込ませればいいのです。
 「ご主人さま」とは、すなわち、国民のことです。「民主主義」という言葉を見ればこのことは簡単で、国民が「ご主人さま」だからこそ、「民主主義」なのです。
 公僕達に鼻の先で笑われる程度の「ご主人さま」ではなくて、公僕達に敬意を払われるような「ご主人さま」になる―そのように、国民が成熟する以外、民主主義の生きる途はないのです。その点で、まだまだ日本の民主主義は不十分なのです。不十分というか、未熟なのです。だからこそ、「ご主人さま」の資格のない人間が、平気で「ご主人さま」気取りになっていた―それをそのままにして、「民主主義の未熟」は隠蔽されていたのです。

 古くなってしまったものに縛られる必要はありません。でも、それが「古いもの」になってしまうまでの間、その「古いもの」の中で蓄積された「経験」を投げ捨ててしまうのは、愚かです。重要なのは取捨選択で、いるものはいるし、いらないものはいらないのです。「取捨選択の重要」という単純な事実に気づかず、「進歩」という名の下に、我々は一切を投げ捨てて来た―それが「革命の時代」であり「理論の時代」であり「科学技術の時代」だった、ついこの間まで続いていた20世紀だったのです。「今までを再検討する必要がある」の一言の中に、実はこれだけの内容があるのです。

 今や世界は、「消費で経済を進めるか、消費で地球を壊すか」の二択になっています。「経済はピークを超えて大規模化し、それを消費が動かし、それが地球を壊す力になっている」という、いたって単純な関係性を頭に入れた方がいいのです―と、私は思います。

 「豊かさ」が強くなると、人の方は相対的に弱くなるのです。なぜ弱くなるかと言えば、「豊かさ」を手に入れた時、人は「豊かさ」を手に入れるために必要とした「あれこれめんどくさいことを考えなければならない」という制約を捨ててしまうからです。人が人であることを成り立たせる思考の「重大な一角」を放棄してしまう―その結果「人が弱くなる」になってしまうのは、当たり前のことだと思われます。
 さて、本書の中で、たった一つ、氏が考えることを放棄したこと、あるいはそういうポーズをとったことがあります。これは先生からわれわれに出された大事な大事な宿題ですね。怖いけれど考えてみましょう。
 「生産の拠点」をよその国に移されて、「働く」ということが成り立たなくなってしまった先進国の人間達は、一体「なに」で収入を得て、「消費生活を続ける」ということが可能になるのでしょう? こわいから、これは考えません。

by sabasaba13 | 2008-08-24 10:09 | | Comments(0)

「尾崎放哉句集」

 「尾崎放哉句集」(池内紀編 岩波文庫)読了。高校生のときに、文学史の教科書でなぜか心に引っかかったのが放哉の「咳をしても一人」という句でした。山ノ神に「屁をしても一人」という佳句があるよと嘘を教え、職場で得意げに話した彼女が赤っ恥をかいたという話は以前にも書きました。たまたま小豆島を訪れた時に、彼が晩年暮らした地に記念館があると知ったのですが、時間がなくて訪問を断念。それ以来ずっと気にはしていたのですが、岩波文庫で彼の句集がでたのでさっそく購入。
 尾崎放哉(ほうさい)(1885‐1926)、俳人。鳥取県吉方町に生まれる。1902(明治35)年に第一高等学校入学し、荻原井泉水のおこした一高俳句会に入る。東京帝国大学法科に入学後、芳哉の号で高浜虚子選の『国民新聞』俳句欄や『ホトトギス』に投句。朝鮮火災海上保険会社支配人になったが酒癖のため退職。妻と別れ京都の一燈園に入り、のち諸方の寺の寺男となった。25年夏、小豆島の西光寺奥の院の南郷庵に入り独居無言、句作三昧の境に入ったが一年足らずで病没。何はともあれ、一読後、心に染み入った句をいくつか書き出してみます。
つくづく淋しい我が影を動かして見る
蟻を殺す殺すつぎから出てくる
淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る
淋しいからだから爪がのび出す
ころりと横になる今日が終つてしまつた
一本のからかさを貸してしまつた
淋しい寝る本がない
月夜風ある一人咳して
何がたのしみに生きてると問はれて居る
起きあがつた枕がへつこんで居る
線香が折れる音も立てない
一番遠くへ帰る自分が一人になつてしまつた
お客さんにこの風を御馳走しよう
爪切る音が薬瓶にあたつた
お月さんもたつた一つよ
 この寂寥感には圧倒されますね。妻子もなく、死期を間近に感じながら、ひたひたと足音もなく迫りくる「淋しさ」に「一人」向き合う。しかし少しでも生きているという証を求めようと、のびる爪、動く影、開く指を見つめる放哉。音に対する鋭敏な感覚にも驚かされます。爪を切る音が薬瓶に反射するのを聞き逃さず、線香の折れる音を想像する… 一人になることを恐怖して携帯電話で接触を求め合い、喧騒を苦にしないわれわれ現代人の感知しえぬ世界がそこにはあります。"孤独と寂寥と微音"の素晴らしさと悲しさを、彼の句によって再認識するのも一興ではないかな。なおこの中で、私が一番好きな句は「淋しい寝る本がない」。私が想像する、淋しさの極北に位置するような句です。
 編者であるドイツ文学研究者・池内紀氏は一人旅の達人として日ごろ敬慕しておりましたが、尾崎放哉にも造詣が深かったのには驚きです。でも一人でいることから逃げないという姿勢が共振したのかもしれません。
by sabasaba13 | 2008-08-23 06:51 | | Comments(0)

「日本の歴史 列島創世記」

 「日本の歴史 列島創世記」(松木武彦 小学館)読了。一般読者向けの時代別日本通史はこれまでけっこう読んできましたが、どうしても手堅い総花的な内容になりがちです。ま、いたしかたないとは思いますが。小学館による今次の新シリーズもそれほど期待せずに手にしたわけですが、第一巻で旧石器・縄文・弥生・古墳時代までを一括して取り上げていることにやや奇異の感を抱きました。普通でしたら、古墳時代から次の巻としますよね。何か著者の意図があるのかしらん。そして読み進めるうちに"かっぱえびせん"状態、残りページが減っていくのが惜しい歴史書は久しぶりです。
 著者は旧石器~古墳時代を無文字社会という大きな枠組みでとらえ、その間に物質文化の進化とヒトやその社会の進化がどのように相互にかかわりあってきたのか、そして四万年という歳月をかけて巨大古墳の時代にどのようにして到達したのか、それを三つの指針とともに一貫した理論で復元していきたいと述べられています。第一に、感情・欲望・神・迷信などを含むヒトの心の現象を科学的に分析・説明する新しいヒューマン・サイエンス(認知科学)の成果を取り入れ、歴史を物語ではなく科学として再生すること。第二に、地球環境の変動が歴史を動かした力を、もっと積極的に評価すること。第三に「日本」という枠組みを固定的に連続したものとしてとらえないこと。これに関して、著者はこう述べられています。
 …「日本」という枠組み自体が歴史的な積み重ねの産物であることを十分に認識し、国家の歴史を超えた人類史のなかの日本列島史を綴ってみたい。それを通じて、日本の歩みやその現在と未来とを、せせこましい愛国主義ではなく、国際的な場で恥ずかしくない客観的な知性をもって眺めるためのよりどころを提供できればうれしいことだ。
 その豊潤な内容を適確・簡潔にまとめる力は、浅学な小生にはありませんので、二つほど印象に残った部分を紹介します。
 お互いの位置づけを確かめ合い、無駄な衝突をせずに暮らすための社会的コミュニケーションを、ホモ・サピエンス=私たちは、言語とともに人工物をもって行なう。この前提をもとに、左右対称や表面の独特な質感など、なぜ実用を超えた「凝り」をほどこした石器が多いのかを考察し、あるいは縄文土器や弥生土器の文様について当時の社会のあり方との関連を読み解いていく。
 また紀元後において世界的な気候の寒冷化があり、ゲルマン民族の大移動、社会不安による黄巾の乱・後漢王朝の滅亡など、世界的に大きな影響を及ぼした。この気候変化に対応するために、列島ではそれまでの文化や行為の伝統を捨て、個々人やグループごとの才覚で、試行と競争をくりかえすようになった。具体的には、外部の資源である鉄に頼り、それを主とする諸物資を遠距離交渉によって獲得したり、列島内外の諸地域に出向いて手に入れたりする、体外的な経済活動の比重がきわめて高い経済の仕組みが広まった。こうした体制のもとでは、対外交渉の窓口となって利益をもたらす代表者への信服が強まり、そこから階層的な社会への道が開ける。

 山の高みに登り、霧が晴れ、視界がパーッと開けたような爽快な気分です。列島に暮らしてきた人びとの、人類社会の一員としての普遍性と、この島の自然環境に適応するためにつくりだしてきた特殊性、歴史を学ぶ者としてこの二つの視点を常に意識しなくてはいけないなと、痛感。勉強になりました。あらためて著者の松木氏に感謝したいと思います。このシリーズはこれから期待が持てそうですね、次巻を読むのが楽しみになりました。

 なお著者のユーモアとウィットにあふれた語り口も大きな魅力です。「ナウマンゾウ一頭で、ホルモンも込みの焼肉パーティが1000回ほどもできる」という一文には思わず緩頬してしまいました。その中でも味わい深さも加わった秀逸なもの引用します。
 「生産力の発展」という大出力エンジンの車で歴史街道を驀進してきた「ハイウェイ・スター」ではなく、環境との対立と妥協を繰り返しながら「ロング・アンド・ワインディング・ロード(長くて曲がりくねった道)」をこつこつと歩んできた旅人としての、人間の軌跡をたどってみたい。
 私と同世代なのだな、とニヤリ。(氏は1961年生まれ) 近現代をディープ・パープルの名曲に喩えたのは鋭い、攻撃的に前に前に突っ走っていく時代と爆走する車が頭の中でどんぴしゃり重なります。もしかすると、各国は経済成長というチキン・ランをしているのかもしれませんね。(壁に向って全速力で車を走らせ早くブレーキを踏んだ方が負け、という度胸試し) われわれはビートルズの曲を聴きながら、過去の人類のこつこつとした、遅いけれども確実な歩みに思いをいたらせる必要があるのではないのかな。
by sabasaba13 | 2008-08-22 06:29 | | Comments(0)