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瀬戸内編(42):閑谷学校~高梁(08.2)

 裏手には明治につくられた校舎があり、資料館として利用されていました。土足をぬいでスリッパにはきかえようとすると、「スリッパはつま先が自分の方へ向くようにげた箱に入れて下さい」という貼紙。さすがは閑谷学校。
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 そして約束の時間通りに迎えに来てくれたタクシーに乗り込みました。運転手さん曰く、聖廟の前にある2本の楷(かい)の木が毎年11月初旬に紅葉し、それを目当てに多くの観光客が訪れるそうです。でもあの講堂は、誰もいない森閑とした状況の中で見たほうが絶対にいいですね。運転手さんも賛同してくれました。なお閑谷学校を世界遺産に認定してもらおうという運動もあるそうです。駅に着くと、吉永町の観光地図がありました。ふーん、「黒い雨」「八つ墓村」はこのあたりでロケをしたんだ。その近くには「自衛官募集」の看板。愛国心教育の狙いの一つは、この応募者を増やすためでしょうか。
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 やってきた列車に乗り込み、車窓から流れゆく農村風景を眺めていると、「和気清麻呂公碑」という大きな石碑が見えます。そして停車した駅が「和気」、なるほど彼はこのあたりの出身だったのか。
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 岡山駅に到着し、伯備線に乗り換えて高梁へと向かいましょう。駅弁「まるまる穴子寿司」を仕入れて、特急やくもに乗り込みさっそくたいらげました。この列車には椅子付きの小さな喫煙室がついているので紫煙を一服、喫煙愛好家にとっては識見を感じる処遇ですね、助かります。
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 三十分強で備中高梁駅に到着。お目当ては日本で一番高所にある山城・備中松山城と、小堀遠州が町割をした古い町並みです。まずは宮本常一氏のご尊父善十郎氏が「村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上がってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなところがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない」と言われたように、町で一番高いところにある備中松山城へと行きましょう。しかし標高430mの臥牛山頂上に建つゆえ、そう簡単にはいきません。まず駅前で客待ちをしていたタクシーに乗り、町中を走りぬけ、山道を上り十数分でふいご峠駐車場に到着。車はここまでしか来られませんので、ここから二十分ほど山道を歩くことになります。途中で、山なみに囲まれた小宇宙のような高梁の町を見晴らせる場所がありました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-10-31 06:08 | 山陽 | Comments(0)

瀬戸内編(41):閑谷学校(08.2)

 山陽本線に乗って向かうは吉永駅、三十分強で到着しました。閑谷学校は駅からすこし離れたところにあり、路線バスはなく頼みの綱はタクシーのみという情報は入手済み。幸い駅前にタクシー会社があり、すぐに乗ることができました。運転手さんにお願いして、約一時間後の岡山行き列車に間に合うよう迎えにきてもらうことにしましょう。そして十分ほどで到着。そもそも閑谷学校とは何ぞや? 小学館スーパーニッポニカから抄録しましょう。好学の岡山藩主池田光政の創設した庶民教育のための藩営の郷学。学統は「純粋朱説」で、習字・素読を必修とし、入学者は上層庶民の子弟が主で、家中武士の子弟や他領者も含まれた。明治維新後は私立学校などとして存続。国の特別史跡で、国宝の講堂をはじめ遺構は国指定重要文化財、ということです。簡単にいえば、殿様がつくった上流庶民向けの学校ですね。日本の中では最古の部類に入る物件だと思いますので、古い学校ファンの私としては見逃せません。今と昔の教育にはそれぞれ一長一短があるので簡単に比較はできませんが、少なくとも校舎や施設といったハード面では古い学校には逸品が多いという印象を受けます。「教育のためなら金に糸目をつけない」「子どもたちのためにより良い教育環境を整えてあげよう」という真摯な熱意がびしびしと伝わってきます。教育予算が先進国中で最低レベルにある昨今の日本を批判するためにも、こうした学舎を見て過去を振り返るのは有意義でしょう。贅言ながらつけくわえると、しょぼい教育予算に加えておぞましい教育内容、ま、要するに「税金はこれまで通り、いやこれまで以上にふんだくるけど、福祉・医療・教育予算は徹底的に切り捨てて貧乏人を見捨てるから、貧乏人同士助け合いなさい。でも政治家・官僚・財界にとってありあまる余得がある現行の社会システムに包まれて暮らせることを感謝する心、そのシステムを育んだすんばらしい国・日本を愛する心、つまり"愛国心"を忘れてはだめだよ。大阪湾の水は冷たいで」というえげつなくおぞましい教育がなされようとしているのですから、もうこの国に未来はないのかもしれませんね。
 閑話休題。タクシーを下りて少し歩くと低い石塀に囲まれた広い空間が見えてきます。切り石を蒲鉾型にかっちりと組み上げたこの石塀がまたお見事! たいへんな技術ですね。
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 入場料を払って中に入ると、広々とした広場の向こうにどっしりとしかも優美に佇む閑谷学校が見えます。
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 時刻は午前九時、幸い観光客は一人もいない中で、落ち着いて拝見できそうです。近づいていくと母屋造りの大きな屋根には備前焼の瓦がしきつめられ、陽光に赤く輝いていました。
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 内部は三方に窓がある板敷きの大広間になっており、ここが教場です。花頭窓からさしこむ光がおりなす陰翳もすばらしいのですが、見事に磨き上げられた床板の美しさには圧倒されました。
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 つくられたのが1666(寛文6)年ですから、三百年以上にわたって生徒たちが雑巾がけをしてきた結果なのでしょう。生徒と教授たちの学問に対する真剣な想いを眼前に見たようで、荘厳さすら感じます。なんてことを書くと、これを読んだ文部科学省学校教育課長高山敏雄氏(仮名)は「よし各学校で雑巾がけを励行するよう指導(事実上の強制だが結果責任は学校現場に押しつける)しよう」などと早とちりするかもしれませんが、ちゃうちゃう。ソフト面、ハード面、教育をとりまく社会環境、そのすべてが「子どもと教育と未来は大事だ」という一点でスクラムを組む中だからこそ、教場を大切に綺麗にしようという行為が自然となされるのだと思います。原因と結果をとりちがえないでくださいね、高山課長(仮名)。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2008-10-30 06:26 | 山陽 | Comments(0)

瀬戸内編(40):岡山(08.2)

 いよいよ最終日です。まずは岡山市内にある、登録有形文化財に指定されたという火の見櫓を拝みにいきましょう。事前に入手した情報によると、京橋にあるとか。駅前にある路面電車の地図で確認すると、旭川にかかる京橋がありました。路面電車の東山線に乗ること約十分、西大寺町で下車し、川の方向へ少し歩くと川沿いにすらりと屹立するスレンダーな火の見櫓が見えます。百済観音像のようなスマートなお姿に見惚れ、いそいそと近づき頬擦りをし優しく愛撫。解説板によると、1924(大正13)年に、「万納屋(よろず屋)」こと坪田利吉氏が大八車による行商で稼いだ私財を投じて寄贈した十二基のうちの一つだそうです。(四基が現存) 岡山空襲の時にも急を知らせるなど人々の暮らしを見守ってきたのですが、数年前に老朽化のため撤去されそうになりました。しかし町内会の尽力により保存が決まり、補修・錆落とし・塗装がなされてこうして見事によみがえりました。いい話だなあ。なおすぐ近くにある京橋は日本建築会推薦土木遺産に、京橋水菅橋も登録有形文化財にそれぞれ指定されています。
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 さて再び路面電車に乗って岡山駅に戻り、閑谷学校へと向かいましょう。通勤・通学時間にあたっているためでしょうか、次から次に客が乗り込んできてあっという間に満員。路面電車は人間的な速度で、のてのてと駅へと向かいます。お年寄りにも乗降が容易で、環境汚染および交通渋滞の解消に貢献する路面電車。いつまでも走り続けてほしいですね。また、新たに路面電車を導入するという英断を各自治体にお願いしたいものです。我が物顔にのさばる自動車どもから、人間の手に街を取り戻りましょう。
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 岡山駅に到着し、駅前を歩いているとさっそく見つけました、御当地ポスト(と私が勝手に命名)。こちらでは桃太郎が頬杖をつき物欲しげな目で虚空を見つめていました。もちろん、桃太郎が、G・W・ブッシュのようにただただ財宝を掠め取るための侵略にいざ行かんとしている本格的な銅像もありました。お供の猿・犬・雉に日本国の姿がオーバーラップしてしまうのは私だけ?
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 弊衣破帽に高下駄をはいた蛮カラ(⇔ハイカラ)学生の銅像は旧制第六高等学校(現岡山大学)の生徒を模したものでしょうか。何故このような銅像を駅前に置いたのか、よく意図がわかりません。その近くで、いやに恰幅がよくて背の高い運動着姿のうら若き女性たちが「お願いしまああああす」と声を張り上げていたので、どりゃどりゃと行ってみると、"岡山シーガルズ"というバレーボールチームの広報活動でした。
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 さて列車の発車時刻まで少し時間があるので、旅の定番、駅構内にあった喫茶店でモーニング・サービスをいただきました。慌しく行き交う会社員や学生のみなさんを横目で見ながら、ゆで卵とトーストとサラダを食し香り高い珈琲を堪能する至福のひととき。さてそろそろ時間です。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-10-29 06:09 | 山陽 | Comments(2)

瀬戸内編(39):鞆~岡山(08.2)

 雨も上がったようなので、彷徨を再開。せっかくなので船で仙酔島に渡ってみることにしました。市営渡船場から20分間隔で小さな渡し船が出ており、わずか五分ほどで到着です。
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 国民宿舎や遊歩道、展望台、ハイキングコースなどがある、ちょっとしたレジャーに向いたきれいな島ですが、時間もないので次の船で戻ることにしましょう。国民宿舎を右手に数分歩くと、鞆を一望できる展望台がありました。途中に「大阪探勝わらぢ会 大正十四年五月十日建」という小さな石の碑がありましたが、これは何だろう??? 小さな港には朝鮮通信使の船を模した渡し船が繋留されていました。
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 そして船で鞆に戻り、すぐ近くにある福禅寺対潮楼へ。門のところに「大坂探勝青遊会 第三十一回旅行紀念」という石碑がありました。うーむ、さきほどの碑と考え合わせると、大正時代に有志の観光旅行団体が訪れた地に石碑を建てるという流行があったのでしょうか。だとしたら何故? 頭の片隅にインプットしておきましょう。
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 ここは朝鮮通信使をもてなすために建てられた迎賓館です。六代将軍の慶賀使として来日した李邦彦がここからの眺めは日本一だと誉めたたえ「日東第一形勝」の書を残したそうです。大きな広間からは、なるほど仙酔島と手前にある弁天島を一望できますが、間に民家が建ち並んでしまったためちょっと景観が損なわれているのが惜しい。なおこの広間には通信使が書き残した扁額がいくつか飾られていました。
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 外へ出て公道のど真ん中に悠然と座り込むカメラ目線の猫を撮影し、いろは丸事件談判跡、龍馬宿泊所跡をまわって、観光情報センターに到着。
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 バスに乗って福山駅へと向かいましょう。駅前にあるのが「センイビル」、繊維産業が隆盛をきわめた時代の名残でしょうか。駅構内にはひな人形の顔はめ看板がありました。
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 列車に乗り込み一時間ほどで岡山着。夕飯は駅ビルにあった「めりけんや」のきつねうどん。甘く煮付けた、麺が見えないほどの大きな油揚げがいいですね。西国にいるのだなと実感できます。すぐ前にある「吾妻寿司」で夜食用のままかり寿司も購入。駅前のホテルにチェックインをし、ひとっ風呂あびて、さっそくままかり寿司をつまみに一人で酒宴兼作戦会議を開きました。
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 当初の計画では、明日は安藤忠雄設計の地中美術館がある直島に行くつもりだったのですが、島への船便や、島内での移動などアクセスの点でちょっと不安を覚えます。閑谷学校はどうしても外したくないので、この際いさぎよく戦線を縮小しようかなあ。閑谷学校だけだと時間が余りそうなので、創建当時の天守閣と古い町並みが残る高梁(たかはし)と組み合わせてみましょう。うしっ、これでいこう。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2008-10-28 06:12 | 山陽 | Comments(0)

瀬戸内編(38):鞆(08.2)

 さてそれでは港のほうへ行ってみましょう。途中にあったのが平賀源内生祠。源内が長崎で学んだ後、鞆の溝川家に立ち寄った時に、陶土を発見して源内焼の製法を伝えたそうです。その彼を、生きているうちに神として溝川家が祀ったのですね。
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 海沿いの道路にはセンターラインもなく、上には「譲り合って通行して下さい」という標識が掲げられていました。上を見ながらぼーっと歩いていると、地元の方に呼び止められ署名を頼まれました。なんでも、港の附近を埋め立てて橋を架ける計画があるそうで、それに反対する署名だそうです。おじさんは、トンネルの方が建設費は安くすむし景観も破壊されないのに、とおっしゃっていました。一筆記入して、頑張ってくださいと激励。
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 そして港のあたりに着きましたが、この近辺も落ち着いた味わい深い雰囲気です。狭い路地を包み込むように格子戸・白壁・腰板の民家や土蔵が建ち並んでいます。
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 まずは「いろは丸展示館」へ。いろは丸とは、坂本龍馬ら海援隊が乗り組んだ商船で、鞆の沖で紀州藩の軍艦と衝突して沈没、その引き揚げ品などが展示してあります。
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 すぐ近くには江戸時代につくられた高さ11mの常夜灯(灯台)や、200mにわたって残されている雁木がありました。
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 重要文化財に指定されている太田家住宅は薬酒「保命酒」の造り酒屋で、ここも七卿落遺跡。1863(文久3)年8月18日の政変で、薩摩・会津によって京都を追われた三条実美ら尊攘派七公卿がここに滞在したとのこと。創業三百年を超えるという澤村船具店は、堂々たる風格です。
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 この一帯は、どこを切り取っても絵になるピクチャレスクな景観で、憑かれたように浮かれたように酔い痴れたように歩き回りながら写真を撮りまくりました。すると暗雲がにわかにたちこめ、突然の驟雨。珈琲を飲みながら一休みしようかな、ときょろきょろしているとある店に目がとまりました。二つの半円アーチに、意匠を凝らした窓枠、これはもしや戦前のカフェではないのか。さっそく中に入って仰天、レトロなカウンターや調度品や照明、タイル貼りの床、アール・デコ風の窓、間違いないですね。香り高い珈琲をいただきながら女将に聞いたところ、やはり戦前の物件でほとんど手を加えていないそうです。はい、紹介しましょう、その名ぞわれらの「友光軒」。
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 本日の五枚です。
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 追記。2009.10.1、広島地裁は、「景観は国民の財産である」として埋め立てを差し止める判決をだしました。何はともあれ、よかったですね。
by sabasaba13 | 2008-10-27 06:11 | 山陽 | Comments(0)

瀬戸内編(37):鞆(08.2)

 そして安国寺へ、その手前には鎌倉末期につくられたという日本最古の地蔵仏をおさめた地蔵堂がありました。するとどこからともなく現れた地元のおじさん、うらぶれた中年男性を見て不憫に思ったのかお地蔵さんや安国寺についての説明をしてくれました。んが、やがて話は南北朝動乱から室町、戦国、安土桃山と進み、壮大な歴史ロマンの様相を呈してきました。これはやばい、そろそろ徘徊を再開しないと日が暮れてしまう。「安国寺恵瓊が…」のところで、申し訳ないと話の腰を折り、丁重にお礼を言ってお別れしました。
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 しばらく歩くと「こばた」物件を発見、しかも透かし彫りになっています。これは逸品ですね、恐るべし鞆の浦。
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 そして沼名前(ぬなくま)神社に到着。こちらにはかつて伏見城にあった秀吉愛用の能舞台があります。組立て式で、分解して戦場にも持ち運べるようになっているとか。門前の鳥居をふと見上げると、道幅いっぱいに広がっている笠木が民家の二階近くまで食い込み、おそれをなしたアルミサッシの手すりが先端部を避けるようにしつらえてあります。そういえば、以前に京都錦市場のあたりで笠木の先端が、完全にレストランの二階に食い込んでいる鳥居を見かけました。内部はどうなっているのかと無性に気になり、そそくさと入店して珈琲を注文してその席につくと… 壁から先端部が少し飛び出ていました。以上二件、自信をもって「日本三大鳥居に遠慮物件」として言上したいと思います。あと一つ? そのうち見つかるでしょう。
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 町の中央には古い民家・商家が集まる一角があるので、のんびりと散策。「公徳心を高めましょう 鞆体育会」という謎の掲示板がありましたが、"公徳心"なんてひさしぶりにお目にかかったなあ。"鞆体育会"という組織も気になります。そして医王寺へと向かいましょう。
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 途中にあったのが「ささやき橋」、なんでも応神天皇の頃、百済使節の接待役と官妓が役目を忘れて夜毎にここで恋を語り合っていたそうです。それが発覚して二人とも海に沈められたという伝説。*が小さいなあ、それぐらいいいじゃん、とつい思ってしまういい加減な私。近くには山中鹿之助の首塚がありました。
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 このあたりでもしぶい洋館や民家が散見されます。
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 そして医王寺に着きましたが、ここからの眺望は素晴らしいですね。鞆の町並みと仙酔島を一望することができます。絶景絶景。ん? ここから二十分ほど山道を登るとさらに眺めがよい太子殿があるよ、という看板が立っています。据え膳、もといっ、誘われたら嫌とは言えない内気な私、ようがす、行ってみましょう。ナンバリングが彫ってある、それほどきつくない石段を上って太子殿に到着すると、おおっ、さらに見事な眺望が開けます。ここはお薦めです。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2008-10-26 07:21 | 山陽 | Comments(0)

瀬戸内編(36):鞆(08.2)

 ここから鞆までのバスは一時間に四本、頻繁に出ています。駅にあった観光案内所で確認しておいたのですが、このバスが芦田川を渡る橋から一本上流側にある法音寺橋の下あたりが、草戸千軒遺跡の発掘場所なのですね。通り過ぎる時に、しっかりと網膜に焼きつけておきました。
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 芦田川の右岸を30分ほど南下すると、鞆の浦に到着です。鞆、または鞆の浦、神功皇后が征韓の帰途、手に巻いていた鞆を沼名前(ぬなくま)神社に納めたことに由来するという地名です。古くから瀬戸内海の要津として知られ、大宰府からの帰路、ここに寄港した大伴旅人もこの地を詠んでいそうです。中世以降、軍事上の拠点として、また近世には諸大名や朝鮮通信使の利用も多かったそうな。バスから下りると、すぐ眼前に瀬戸内の海が広がっています。天日干しされているサヨリがいい風情ですね。
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 まずは鞆の浦バス停前にある観光情報センターに入って観光案内地図を所望、すると、町並ひな祭りが開催されていることがわかりました。旧家などにある雛人形を玄関の目につくところに並べ、それを観光客が愛でるという今流行のお祭りですね。道理で人手が多いわけだ。わたしゃ別段ひな人形に興味はありませんのでどうでもいいのですが、それにしてもこの手のお祭りが各地で流行しているようですが何故なんでしょうね。すぐ隣にある喫茶店で珈琲をいただきながら、一人作戦会議を主催、歩くコースをシミュレートしてだいたい頭に入れました。Here we go ! まずは町の中央部に食い込んで、安国寺方面へと北上してみましょう。
 観光情報センターの脇道から街中に入ると、古い民家・商家が特別に自己主張するわけでもなく、当たり前に力みもせずに町の雰囲気に溶け込んでいます。自然体という感じで、いいですね。土壁、亀甲型・鱗型のちょっと変わったなまこ壁、虫籠窓、漆喰による装飾、波打つうだつ、などなど細部も見どころ十分。
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 おっ、御手洗で見かけた「靖国英霊の家」というプレートがあった。実はこの後、数ヶ所で見つけました。
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 古い雛人形を公開している家もいくつかありましたが、街の侘び寂びた雰囲気にマッチしてなかなかよいものですね。
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 小さな社と住宅が一体化している摩訶不思議なお宅もありました。ある家の玄関には「蘇民将来之子孫」という護符がありました。『備後国風土記』逸文によると、須佐雄神(すさのおのかみ)が一夜の宿を借りようとして、裕福な弟の巨旦将来に断られ、貧しい兄の蘇民将来には迎えられて粟飯などを御馳走になったそうです。そこでそのお礼にと、「蘇民将来之子孫」といって茅の輪を腰に着けていれば厄病を免れることができると告げると、はたしてまもなくみんな死んでしまったが、その教えのとおりにした蘇民将来の娘は命を助かったとな。古風を感じさせる護符ですね。
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 途中にあったのが史蹟「小烏の森古戦場」。中国探題として鞆の大可島に居城を構えた足利直冬(尊氏の子→直義の養子)が、ここで足利尊氏軍に敗れ九州に落ちたそうです。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2008-10-24 06:12 | 山陽 | Comments(0)

「カラシニコフ」

 「カラシニコフ(Ⅰ・Ⅱ)」(松本仁 朝日新聞社)読了。朝日新聞で連載されていた時に、気にはなっていたのですが結局読まずじまい。カラシニコフ? ニュースや映画でよく見かけるソ連製の自動小銃かい、程度の知識しかありませんでした。
 著者は、朝日新聞の記者として多くの紛争地域を取材された経験をもっています。そこで必ず出会うのが、この銃。国家による武力のコントロールがきかないところで、何故この銃がでまわるのか。たまたまこの銃を設計したミハイル・カラシニコフ氏が存命であることを知り、彼からこの銃の生い立ちを聞くことになります。そして氏は、この銃があふれる紛争地域での取材をし、そこで生きる人々へのインタビューをくりかえしながら、絶えず問いかけます。何故、武力をコントロールできない国家が存在するのか、どうすれば武力をコントロールできるのか。
 AK47、ミハイル・カラシニコフ氏が1947年に設計したソ連製自動小銃、AKは「アフタマート・カラシニコフ(カラシニコフ自動小銃)の、47は1947年の略称ですね。口径7.62ミリ、三十発入りの弾倉を装着できます。彼は第二次世界大戦に従軍しナチス・ドイツと戦いますが、敵の短機関銃により部隊はほぼ全滅します。彼は祖国防衛のため、高性能で扱いやすく、何よりも手入れが簡単で故障しにくい自動小銃の開発に心身を注ぎます。こうした生まれたのがカラシニコフ、つまり誰でも(女性でも子供でも)扱える自動小銃です。これこそAK47が世界中にあふれかえった最大の理由ですね。そして冷戦時代に108カ国に輸出され、また共産圏諸国でもライセンス生産され、国連の推計によると現在、世界中におよそ一億丁のAKがあると見られています。

 まずは、現地で治安の崩壊と銃の蔓延に苦しむ人々の生の声を伝えてくれたことに、感謝します。シエラレオネ、ソマリア、ナイジェリア、チャド、南アフリカ共和国、コロンビア、パナマ、ペルー、パキスタン、アフガニスタン、そしてイラク。おおまかなイメージしかもてない、こうした国々における現状や住民の苦悩をリアルに感じ取ることができました。報道では、こうした名もない人々の声はなかなか取り上げませんものね。銃を憎む人、銃を必要とする人、銃を捨てた人、様々ですが、「できれば銃のない世界で安心して暮らしたい」という気持ちは共通です。それではなぜ銃をコントロールできない国家があり、そしてなぜ銃が蔓延するのか。著者はこう分析されています。
 冷戦が終結したあと、世界はまったく新しい状況に入り込んだ。国際テロに脅かされる時代である。先進国側は冷戦時代、東西の綱引きの中で失敗した国家を国と認めて指導者を甘やかし、国連に議席を許し、犠牲者である住民の声を無視した。ソマリアも、赤道ギニアも、コンゴも。そのツケが、いま回ってこようとしている。
 武力を管理できない/する気もない「失敗国家」のもと銃があふれかえり、自衛のために銃をもつ住民も増える。そこにつけこんでAK47を生産する国家(ソ連・中国・北朝鮮…)と企業が、密輸もふくめたありとあらゆる手段で銃を売り込んでいく。そして治安が崩壊しているかぎり、農業・商業などに安心して従事できず、経済の再建もままならない。世界的な貧困の廃絶と不平等の解消が、今、人類に突きつけられている喫緊の課題だと思いますが、銃の回収を進めなければとても実現できないことがよくわかりました。

 そしてこうした「失敗国家」を支えているいわゆる先進国の責任についてもふれられています。例えば日本のODA(政府開発援助)は相手国政府に渡すものが中心で、その中には失敗国家も多いということです。日本のNGOを経由したODA、これは住民のために直接使われるものですが、1パーセントそこそこしかありません。「失敗国家」の存在を許容するどころか、それを必要とする先進国のねらいについては、もっとつっこんだ取材と分析がほしかったと思います。
 しかし微かですが力強い希望を抱かせてくれる地域、南アフリカの「希望の山」とソマリランドも紹介されています。前者では失業中の若者に生甲斐を与えることによって彼らが銃を捨て、後者では部族の長老が銃の回収に尽力した結果、治安が回復し安心して暮らせる生活がよみがえったそうです。生甲斐と希望を若者に教える広い意味での"教育"と、国家であれ自治体であれ権力機関による銃器の徹底した管理、このへんに解決の糸口がありそうです。本書の中で、日赤九州国際看護大学教授で医師の喜多悦子氏はこう言われています。「失敗した国家とそうでない国家を分ける、明確で分かりやすい物差しがある。警官・兵士の給料をきちんと払えているか、教師の給料をきちんと払っているか」 なるほど。教育予算を削りに削っている日本国が「失敗国家」に転落する日は近… いやもうしているな。

 というわけで大変読み応えのある本でした。あえて言えば、もっと総体的・歴史的見地からこの問題について考察・分析をしてほしかったのですが、これは無体な注文ですね。それを考えるきっかけとなる大きな一歩としての意義は十二分にあります。お薦め。
 最後に一言。こんな一文がありました。
 イラク、ソマリア、パレスチナ、シエラレオネ…。新聞特派員として、これまで世界各地の紛争を見た。そこでAK47やFAL、M16など、多くの国の自動小銃に出会った。一番ほっとしたのは、その中に日本の自動小銃がなかったことだった。
 1976年いらい約三〇年、日本の自動小銃は、世界のどこでも、誰一人殺していない。それは武器を輸出していないからだ。一丁35万円という高値には代えられない貴重な事実だった。
 1976年というのは、三木内閣がいわゆる「武器輸出三原則」を打ち出した年です。ほんとうにこれは堅持すべきだし、それを廃止させようとしている財界の動きには注意すべきでしょう。ん? てことはこの年までは銃を輸出していたのか。本書によると豊和工業が、米国のライセンスによるカービン銃や自社製自動小銃を、タイ国軍・シンガポールやマレーシアの警察、そして「猟銃」としてアメリカに輸出していたとのことです。これは知らなかったなあ、勉強になりました。
by sabasaba13 | 2008-10-23 06:03 | | Comments(0)

「姜尚中の青春読書ノート」

 「姜尚中の青春読書ノート」(姜尚中 朝日新書104)読了。「在日」として熊本に育った悩める少年・永野鉄男が、いかにして政治学者・姜尚中となったのか。彼が大きな影響を受けた五冊の本、「三四郎」(夏目漱石)、「悪の華」(ボードレール)、「韓国からの通信」(T・K生)、「日本の思想」(丸山真男)、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ウェーバー)の紹介を軸に、過去の自分が何を考えどんな行動をしどう変わってきたかを振り返るとともに、当時の日本や韓国の政治・社会状況をもあわせ語るというのが本書です。
 筆者曰く、人や本とのさまざまな出合いによって、その人となりは形作られる。自分の読んだ本を紹介するということは、己の深奥を白日のもとにさらけだすということですね。この五冊の本から、姜氏の人となり、権力への反発、美への憧れ、時代状況に対する積極的な関心、そして政治への知的探求心がうかがわれます。私が稚拙な書評を書き続けているのも、一人でも多くの方に自分が感銘を受けた良書を紹介したいという思いとともに、自分がどのように形作られてきたかを一里塚として残しておきたいがためなのかな。勿論、氏には及びもつかないものですが。これからも拙い書評を書き続ける勇気を、少しわけてもらいました。「本はええぞお」と呟きながら…
 
 追記。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」にある、戦慄すべき一文を教示されました。是非引用しておきたいと思います。
 将来この鉄の檻(筆者注:資本主義経済)の中に住むものは誰なのか。そしてこの巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも‐そのどちらでもなくて‐一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか、まだ誰にも分からない。それはそれとして、こうした文化的発展の最後に現れる「末人たち」にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」と。

by sabasaba13 | 2008-10-22 06:09 | | Comments(0)

「鳥類学者のファンタジア」

 「鳥類学者のファンタジア」(奥泉光 集英社文庫)読了。映画「Shall we ダンス?」(監督:周防正行)の冒頭でシェ-クスピアの言葉が掲げられていました。
Bid me discourse, I will enchant thine ear.
物語せよといへ。われ汝の耳を魅せる話をせむ
 映画を見た時から気になっていたので、後日調べたところソネット「ヴィーナスとアドニス」(1593)の一節でした。わくわくするような、どきどきするようなお話、私にとって読書の悦楽の一つは、そうした小説に身も心ものめりこむことです。時間がたつのを忘れ、残りのページが少なくなるのをいとおしむ、しかし最近は面白い小説になかなか出会えません。歳とともに感性が鈍磨したのか、魅力的な小説が減ってきているのか、どちらかはわかりませんが(たぶん前者)、残念なことです。しかしひさかたぶりに寝る間を惜しんで一気読みしたのが本書です。
 主人公は「フォギー」ことジャズ・ピアニストの池永希梨子、いいかげんでずぼらで小心者だけれど、いざという時には後へは引かない、そして何よりもジャズとピアノを愛する好人物です。(演奏の方は少々スランプ気味) その彼女がナチス支配下にある1944年のドイツにタイムスリップしてしまい、「オルフェウスの音階」という摩訶不思議な音階に関する陰謀にまきこまれていくことになります。そこで出会ったのが、その演奏を任された曾根崎霧子、実は希梨子の祖母なのですね。ひたすら求道的に完璧な音楽をめざす霧子と、聴衆や共演者との関係を大事にして喜ばしき音楽を求める希梨子、この二人の関係を軸に、まるでウィントン・ケリー(p)+ポール・チェンバース(b)+ジミー・コブ(ds)をバックにしたがえたようにお話はずんずんと前に前に進んでいきます。これにからむのが、しっかり者/ちゃっかり者の弟子・佐知子ちゃん、得体の知れない協力者・加藤さんという魅力的な脇役。しばしば脱線や寄り道して挿入されるエピソードや余談にも、心が弾みます。そして圧巻は、同時期のニューヨークにトリップし、ミントンズ・プレイハウスでマイルス・デイビスたちと共演し、チャーリー・パーカーの演奏に聞き惚れるシーンです。臨場感にあふれる描写に圧倒されて、一気呵成に読んでしまいました。その後に希梨子はこう独白しますが、たぶん著者がいちばん言いたかったことではないかな。「なにかを求めながら、なにも得ることができず、なにかを持っていると思っていたのに、なにもかもを失っていたと気づいたとき、失意の底にあって、絶望の淵にあって、でも、柱の陰から聴こえてくる音楽を耳にすれば、心にほのかな明かりが灯って、これさえあればなんとかなるんじゃないのか、やっていけるんじゃないのかと、かすかな勇気が出てくるような音楽。きっと、それがジャズだ。」
 話の要となる「オルフェウスの音階」に関する描写がわかりにくいのが難ですが、スピード感のある話の進行と、諧謔味にあふれた小気味よい語り口が、それを補って十二分にあまりあります。もっとも感銘を受けた言葉を最後に紹介しましょう。閉塞感が夜の霧のようにあたりを包み込んでいる今の日本と世界においては、希梨子が言うように、自分とは違う異質な他人と一緒に世界をつくっていくしかないという、明るい覚悟がもっとも大事なものかもしれません。
 一定のルールの下で対話的に音を出し合い、その過程でルール自体を更新していきつつまた対話を重ねるという、インプロビゼーション(筆者注:即興演奏)の理想状態とは、語の本来の意味において倫理的なものではないだろうかとさえわたしは思う。美や芸術のためなら親でも殺す、といった孤高ぶりはジャズには似合わないのであって、一流のジャズ・プレーヤーは人当たりがいいというのがわたしの持論である。日頃の我が行いを深く反省しつついうなら、つまり、いつでも他人を、他人の音を、他人のふるまいを受け入れる開放性と寛大さこそがジャズ・プレーヤーのいちばん大事な資格なので、芸術家肌のわがままも、職人肌の一徹な頑固さもいらない。気にいろうが気にいるまいが、自分とは違う異質な他人と一緒に世界をつくっていくしかないという、明るい覚悟こそがジャズの精神なのである。
 さて、それではきんきんに冷やしたビールを飲みながら、「ベイシー・イン・ロンドン」の「シャイニー・ストッキングス」を聴きますか。
by sabasaba13 | 2008-10-21 06:07 | | Comments(0)