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アイルランド編(18):デイビー・バーンズ(08.8)

 午後六時をまわったのに、いっこうに暗くなりません。が、腹はへるものです。アイリッシュ・ブレックファストをしこたま食べたので、結局昼食をとる必要はありませんでしたが、さすがに腹の虫が"hallelujah"と大合唱をはじめました。実は夕食をとる店はすでに心に決めてあります、それは「デイビー・バーンズ(Davy Byrnes)」。ジェイムズ・ジョイス行きつけのパブ、そして『ユリシーズ』の中で主人公レオポルド・ブルームがゴルゴンゾーラとマスタード・サンドイッチと一杯のバーガンディを飲んだパブです。ダブリン城から街角を眺めながら東へと歩き、繁華なグラフトン通りの東側にある路地に入るとすぐに見つかりました。間口は小さな店ですが、中に入るとけっこう奥行きがあります。カウンター席は満席、幸い奥にあるテーブル席が空いていました。店内はアール・デコ調の洒落た装飾です。
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 まず飲み物のオーダーは、そう、これを飲むためにアイルランドに来たのさっ、ギネス! そして料理はアイリッシュ・シチューを注文。そして数分後にStoutがご来臨しました。震える手をなだめすかし、1パイントのグラスを唇につけると、クリームのような肌理の細かい泡が粘膜を優しく愛撫します。おおくるしゅうないぞちこうよれ、グラスを傾けると、泡を引き裂き苦味とコクを兼ね備えた黒い液体が喉を、そして胃をキック。嗚呼、愛蘭土に来てよかったあ… 山ノ神は、半パイント・グラスを注文、酒には弱い彼女も絶賛の味でした。アイリッシュ・シチューも、野菜をたっぷり煮込んだ素朴な味付けのもの。美味しゅうございました。食事代の支払いはけっこう気を使うものですが、今回の旅行では、高額のお釣りはもらい小額のお釣りはチップとし、特段に意識してチップを渡すということはしませんでした。これで特に問題はないと思います。なおアイルランドでは公共の場はすべて禁煙、パブも例外ではありません。店も律儀にこのルールを守り、客は煙草を吸いたくなると入口の外に出て、すぐそこに必ず置いてある灰皿のところでプカプカと煙をはいていました。
 午後七時を過ぎてもまだ日は暮れません。食後の散歩として、リフィ川に沿って西のヒューストン駅まで歩いていくことにしました。明後日にこの駅から列車に乗ってキラーニーへと移動する予定なので、できれば指定席を押さえておきたいということもあります。デイビー・バーンズを出てグラフトン通りを北へと歩いていると、東側の歩道にブルームのプレートをまた発見。
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"He passed, dallying, the windows of Brown Thomas, silk mercers."
「彼はブラウン・トマス絹織物店のウィンドウの前をぶらぶらと歩いて行った」(Ⅰ8「ライストリュゴネス族」 p.406)
 対面にはブラウン・トマスという百貨店らしき店があったので、何か関係があるのでしょうか。

 本日の四枚です。コノサカズキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ
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by sabasaba13 | 2009-03-31 06:09 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(17):ダブリン城(08.8)

 またヘンデル(1685~1759)が、1742年にここ聖パトリック大聖堂で「メサイア」を初演したことも記しておきます。ん? てことは… スウィフトが大主教として在任していた時だ! しかしイギリス国籍を得た彼が、なぜアイルランドのダブリンを畢生の大作初演の地としたのだろう??? 帰国後、いろいろ調べてみましたところ、アイルランド総督の依頼を受けたとのことです。そういえば、この時期のヘンデルを描いたシュテファン・ツヴァイクの本があったなあ、本棚をごそごそ探したところ「人類の星の時間」(みすず書房)でした。ヘンデルの他、ナポレオン、レーニン、ゲーテ、ドストエフスキーといった歴史的人物の人生における、いや世界の歴史における決定的な瞬間となった一日を描いた大変面白い本です。その中におさめられている「ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデルの復活 1741年8月21日」がその一編。この時期のヘンデルは脳溢血による右半身不随と奇跡的復活、しかし女王の崩御による上演の中止やオーストリア継承戦争の勃発、異常な寒さや聴衆の無理解といった不運やトラブルが彼を襲い借金と絶望の深淵に落とされます。そしてこの日、かつて一緒に仕事をした詩人ジンネンスから送られてきた新作の詩が彼を奮い立たせ、ほぼ不眠不休で作曲に打ち込みわずか24日間で「メサイア」として結実するわけです。その一節に「彼はこのダブリンの町が好きだった。それはこの町が彼に愛情を贈ったゆえである。それでヘンデルの心は開かれていたのである(p.118)」とありました。なるほどねえ、なんとなく納得です。それにしても、スウィフト大主教がどのような面持ちで「メサイア」を聴いていたのか、何を感じたのか、いたく興味がありますね。
 ここからダブリン城の西側にある道を十分ほど北へ歩くと、クライスト・チャーチ大聖堂に到着です。イギリス国教会の大聖堂で、1038年に北欧系のデーン人によって建設された教会が、1240年に大聖堂として完成。泥炭地の上に建てられていたため崩壊の危機に瀕しますが、ダブリンのウイスキー製造業者ヘンリー・ロウが大金を寄付し、1878年に現在のゴシック様式の教会が建てられました。現在では、アーマーを総本山とする英国国教会の第二の教会と位置づけられています。時刻は午後六時、残念ながら拝観は終了だったので外観を見るだけでした。
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 ロード・エドワード通りを東へと少し歩くと、ダブリン城です。1204年、アングロ・ノルマンのジョン王によってアイルランド支配の拠点としてダブリンに頑丈な石の壁で囲まれた町が作られた時、南東の端に、四隅に強固な陵堡(円形の砦)を持つダブリン城が建てられました。以後、700年以上にわたってアイルランドにおけるイギリスの支配の象徴的存在であり、何度も襲撃の対象となったそうです。そうした襲撃や火災のため建物のほとんどが失われ、石造りの円塔であるレコード・タワーのみが建築当初のもので残っています。現在は、大統領の就任式やEUの国際会議など国の重要な行事に使われているとのこと。こちらもすでに見学時間は終了、中庭までは入れたのでレコード・タワーや時計塔の外観のみを拝見しました。人を睥睨し威圧するような石の塔を、アイルランドの人々はどのような気持ちで眺めていたのか…
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2009-03-30 07:06 | 海外 | Comments(0)

飛び出し小僧 koneta

片鉄ロマン街道(岡山県)
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サンモリッツ(スイス)
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滋賀県草津
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滋賀県草津
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滋賀県豊郷
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滋賀県豊郷
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滋賀県豊郷
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滋賀県五個荘
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滋賀県五個荘
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滋賀県五個荘
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滋賀県五個荘
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滋賀県近江八幡
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滋賀県近江八幡
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滋賀県近江八幡
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滋賀県近江八幡
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奈良県大和郡山
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奈良県奈良
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奈良県奈良
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愛知県犬山
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ハルシュタット(オーストリア)
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大阪府岸和田
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兵庫県丹波篠山
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兵庫県丹波篠山
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ゼーフェルト(オーストリア)
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京都圓光寺付近
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京都妙顕寺付近
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京都御所付近
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京都府深草
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岡山県倉敷
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京都府幡枝
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京都府幡枝
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京都府新田辺
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佐賀県相知
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山形県長井
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京都真如堂付近
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奈良県室生寺
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鳥取県智頭
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島根県島後西郷
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岐阜県岩村
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岐阜県岩村
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岐阜県明智
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和歌山県新宮
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兵庫県龍野
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兵庫県龍野
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兵庫県龍野
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兵庫県篠山
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兵庫県篠山
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兵庫県篠山
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兵庫県篠山
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兵庫県篠山
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兵庫県篠山
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兵庫県篠山
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京都府大覚寺付近
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京都府松尾
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京都府松尾
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京都府東福寺付近
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岩手県平泉
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岩手県平泉
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福島県会津若松
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福島県喜多方
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長野県白馬
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長野県松本
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京都府神光院
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和歌山県加太
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大阪府貝塚
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岐阜県郡上八幡
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岐阜県郡上八幡
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和歌山県御坊
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富山県高岡
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滋賀県坂本
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福井県三国
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兵庫県城崎
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兵庫県城崎
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大阪府淡輪
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和歌山県道成寺
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兵庫県淡路島都志
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滋賀県百済寺
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長崎県平戸
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奈良県吉野
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奈良県吉野
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京都府小野
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広島県御手洗
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静岡県清水
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群馬県上州福島
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広島県竹原
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岐阜県飛騨高山
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岐阜県飛騨古川
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高知県土佐清水
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by sabasaba13 | 2009-03-29 08:48 | 写真館 | Comments(2)

「ロシア 語られない戦争」

 「ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記」(常岡浩介 アスキー新書071)読了。チェチェン戦争については、2006年に何ものかによって射殺されたジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ氏の著作「チェチェン やめられない戦争」(NHK出版)を読んで以来、ずっと心の奥底に沈潜しています。400年におよぶ侵入者・ロシア帝国との闘争、その一環として1994年以来続く独立をかけたロシア連邦との戦争。一説ではこの戦争による死者は25万人(チェチェン総人口の1/4!)、難民は20万人とも言われています。その過程で想像を絶する残虐行為・暴力行為がロシア軍・秘密警察によって行われたにもかかわらず、その状況の深刻さは世界においてあまりにも認知されていません。この間、モスクワ劇場占拠事件(2002)、ベスラン学校占拠事件(2004)などがチェチェン・ゲリラによってひきおこされたこともあり、彼らを単なるテロリスト集団として矮小化する見方すら一般化しているようです。ちなみにこうした一連の事件には、ロシアによる非道な暴力をやめさせるための決死の抗議、あるいはチェチェン人への憎悪をかきたてるためにロシアによって仕組まれた謀略という二つの要素もからんでいることは忘れないようにしましょう。
 本書は、一年半ものあいだチェチェンゲリラと行動を共にしたフリージャーナリストの著者が、その戦いぶりや日常の暮らし、彼らの素顔や人となり、そしてその前に立ち塞がるロシアの"闇"をリアルに伝えてくれる迫真のルポルタージュです。故郷・家族・友人を踏みにじられ奪われた彼らの怒りと悲しみ、そして大事なものを取り返すための不屈の闘志には心打たれます。中でも険峻なカフカス山脈を越える行軍の描写には手に汗にぎりました、ここまでして闘うのか… そして著者のチェチェン人に対する友情と、平和の到来を心底から希求する思いが、凡百のルポを凌駕するものにしています。それをよくあらわす心に染み入るような一文を引用します。
 私も祈っていた。戦争が終わって、彼がカラシニコフを置き、16ミリカメラを取る日が来ることを。いつか、日本に仲間たち―アブドゥッラと、ワーハと、アンゾルとドゥダと、アスランとアエリと、リズヴァンとマスウドと、ティムール・ムツラエフを招待して、我が家でバカ話をしながらジジ・ガルナシ(チェチェンの伝統料理/茹で羊肉のニョッキ添え)を食べるのが、私の密かな夢だった。
 夢だった… 過去形なのですね。またKGB(国家保安委員会)などの組織が再編されてできたFSB(ロシア連邦保安局)とプーチン元大統領がこの戦争にどう関連しているのか、そしてロシア国内でどういう動きをしているのかなど、現在のロシアを知る上で欠かせない知識も多々教示していただきました。そうした状況を告発し、2006年に何者かによって殺害された元FSB職員・リトビネンコ氏とのインタビューも巻末に付されています。こちらも読み応え十分。
 なおこの戦争に関しては日本も当事者であるという鋭く重い指摘も紹介すべきでしょう。99年に第二次チェチェン戦争が始まったとき、欧米主要国は一斉にこれを非難し、ロシアに対する融資を凍結するなどの制裁を行いました。しかし日本と中国だけが融資を継続、特に日本は7億ドルもの追加融資を行い、ロシアがチェチェン戦争を完遂できたのはこの影響があったとも言われています。その背景には、シベリア経由のパイプラインのルートを日本向けに優先してもらいたいという事情があったそうです。なぜこの戦争について語られないのか、著者はロシア当局による情報統制が非常にうまくいっていることを挙げられていますが、資源大国ロシアに遠慮して先進国が黙認・黙殺している可能性もありそうですね。外務省のみなさん、いかがですか。われわれが納めた血税の一部が、チェチェンの人びとを虐殺するために使われていたとしたら…
by sabasaba13 | 2009-03-27 06:07 | | Comments(0)

「ドン・キホーテ」

 「ドン・キホーテ(前編・後編 全六巻)」(セルバンテス 牛島信明訳 岩波文庫)読了。ジョイスの「ユリシーズ」という巨大な存在と格闘し圧倒され、しばし茫然自失の状態でした。そして過激な実験的手法に翻弄された後だけに、頭と心は数週間も雨が降らなかった砂漠の植物のように楽しくて分かりやすい「物語」を渇仰しています。さて次は何を読もうかなと思い悩んでいると、「ユリシーズ(Ⅲ)」(丸谷才一・氷川玲二・高松雄一訳 集英社)の巻末に掲載されていた丸谷才一氏の解説「巨大な砂時計のくびれの箇所」の中の次の一文に出会いました。「セルバンテスの『ドン・キホーテ』がまづ遊びとして書かれたというふことなど、鹿爪らしい文学論に親しんだ人には受入れられない考へ方かもしれない。…しかしセルバンテスはまづ遊戯として書いた。…こんなふうに伝統的なさまざまの語り口に新手の工夫を加へながら、主従の異様な冒険譚はつづいてゆく。そのとき、書くエネルギーも、読むエネルギーも、まづとりあへずは遊興や逸楽を求める心から発してゐたことに注意しよう」 はいっ、決まり、そうです私は遊興や逸楽に満ち満ちた物語を読みたかったのです。
 思うにこれほど人口に膾炙されていながら、まともに読まれていない小説も珍しいのではないかな。「源氏物語」と双璧をなしそうです。実は私もその一人、全六巻の大部の書、気合を入れて挑戦してみました。しかしセルバンテスによる序文の冒頭の一句「おひまな読者よ」で肩透かし。「小説とは美しく愉快で気のきいた暇つぶしなのさ」という著者のお言葉で、気合も緊張感も一気に緩みました。
 周知のように、ラ・マンチャに住む老いた郷士が、そのころ大流行していた騎士道物語を日夜読みふけったすえ、自ら遍歴の騎士となって世の中の不正を正し、虐げられた者を助けようと、ドン・キホーテと名のって旅立ち、行く先々で悲喜劇的な事件を引き起こすお話です。さまざまな挫折にあいながらも、見果てぬ夢と理想を追い求める高潔な老騎士の物語という先入観をもっていたのですが、とんでもない。自らを正義と断じ、風車や羊の群や村人を勝手に巨悪の権化と見誤って突進し酷い目にあわされる(歯が折れる、二本の指の骨が折れる…)、その姿は凄絶ですらあります。ドン・キホーテの言です。
 ほら、あれを見るがよい。三十かそこらの途方もなく醜怪な巨人どもが姿を現わしたではないか。拙者はこれから奴らと一戦をまじえ、奴らを皆殺しにし、奴らから奪う戦利品でもって、お前ともども裕福になろうと思うのだ。というのも、これは正義の戦いであり、かくも邪悪な族(やから)を地上から追いはらうのは神に対する立派な奉仕でもあるからだ。[前編(1)p.141]
 森達也氏が「王様は裸だと言った子供はその後どうなったか」(集英社新書0405)の中で次のように述べられているのは(通説だと謙遜しておられますが)卓見です。大航海時代、スペインは騎士道精神とキリスト教の伝道という大義名分のもと、他国への侵略と掠奪、そして殺戮を重ねてきた。そして無敵艦隊の敗北以後凋落していくこの国を、同時代人(無敵艦隊の食料調達係)として眺めていたセルバンテスは、自らの国へのアンチテーゼとしてドン・キホーテの物語を発想した。彼の異常なまでの暴力性、そしてその報復として受ける過剰なダメージの描写は、そこから説明できる。なお当時のスペイン民衆はその諧謔や皮肉を理解せず、ストレートに解釈して熱狂したために、苦悩したセルバンテスは狂気の夢から醒めたドン・キホーテが自分の悪行を悔いながら死ぬ後編を書かねばならなかった、とも述べられています。なるほど、そう考えると前編と後編の対照がよく理解できます。
 正義の旗の下に国家が行う侵略・暴虐・掠奪を、ドン・キホーテという狂気に陥った老騎士が行う「遊び・ごっこ」に仮託し、これを容赦なく徹底的に哄笑する。もしかしたらこの小説の本質はそこにあるのかもしれません。してみると、現在のアメリカの姿がドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャに二重写しされてくるのはあながち穿ちすぎではないでしょう。何が打ち壊すべき暴虐、正すべき不正、改めるべき不合理、排除すべき弊害であるかを一方的に決め付け、「正義・自由・民主主義」という御旗を掲げてそれらを叩き潰し戦利品を得ているアメリカの姿に… なおドン・キホーテは、戦利品となるであろう島の領主にとりたてるという甘言を弄して、近所に住む善良だけれどちょっと脳味噌の足りない農夫サンチョ・パンサを従士として口説いて、旅に連れ出します。そう、こちらには戦利品目当てにアメリカに阿諛追従する現在の日本の姿が彷彿としてきます。セルバンテスはあるカスティーリャ人をして、こう語らせています。
 お前さんは気がふれているのよ。それも、自分ひとりで勝手に狂人になり、自分の狂気のなかに閉じこもっている分にゃ、それほど悪いこともなかろうさ。ところが、お前さんの狂気には、お前さんと接し、付き合う者たちをも巻きこんで、阿呆にしてしまうという、変な力があるんだ。…愚か者め、さあ、とっとと家に帰って自分の仕事に精を出し、女房子供の面倒をみることだ。そして、お前さんの脳味噌をむしばみ、思慮分別をそこねているばかげた戯れとはきっぱり手を切るんだ。[後編(3)p.231]
 そしてこの魅力的な物語をよりいっそう彩りあるものにしているのが、酷い目にあいながらもドン・キホーテを決して見捨てない好漢サンチョ・パンサの存在です。単純、軽率、素直、誠実、機知といったさまざまな顔をもつその多面的で豊穣なキャラクターは空前絶後でしょう。ただ一貫しているのは人生を謳歌し、争いを好まぬ平和主義者であることです。彼が紡ぎだす警句、諺、言い訳、減らず口を読んでいるだけで、「人間ってそう悪いものではない」という豊かな気持ちになってきました。この脇役を創造しただけでも、セルバンテスの名は世界の文学史上で記憶されるべきでしょう。というわけで彼に現在の日本を投影するのは失礼でしたね、少なくともサンチョ・パンサにはドン・キホーテの狂気からは一歩距離を置き、何とかして彼を救おうとする優しさとガッツがあります。それでは叡智と喜びに溢れたサンチョ・パンサの言葉をいくつか紹介します。
 旦那様、おいらはおとなしくて穏やかな性質(たち)の、争いを好まねえ人間だし、それに家には養っていかにゃならねえ女房と子供もいるから、どんな侮辱だって平気で受け流すことができますだ。…相手が百姓だろうと騎士だろうと、おいらは決して刀には手をかけねえつもりでござります。これから先、神様に召される日まで、おいらは人から受けたどんな辱めも、いや、これから受けるはずの、受けるかも知れねえ、受ける気づかいのありそうな一切の辱めをぜんぶ赦してやりまさあ。[前編(1)p.264]

 否でも応でも狂人だってやつと、自分からすき好んで狂人になるやつと、どっちがより狂ってるんでしょうかね?[後編(1)p.245]

 誰だって人は、どこにいようと、自分にとって大事なことを話さなきゃならねえ。[後編(2)p.113]

 音楽のあるところにゃ、悪いことは起こらねえです。…音楽はいつでも喜びと祭りのしるしだから。[後編(2)p.189]

 おいらはわざわざ自分から死のうなんてこたあ考えねえよ。それよりか、自分の歯で革を必要なだけの長さに引きのばす靴屋みたいにやってくつもりです。つまり、おいらはせいぜい食って、神様がお決めになってる最後のところまで、この命を引きのばすつもりなんですよ。[後編(3)p.166]

 巷で《運命の女神》と呼ばれているあのお人は、酔っぱらいでひどく気ままな、おまけに目の悪い女だっていうからね。それで自分のしていることが見えねえものだから、誰をぶっ倒し、誰を持ち上げたかもご存じねえってわけですよ。[後編(3)p.298]
 もしサンチョ・パンサが今、実在していたらぜひ訊いてみたいことがあります。「ねえ、日本てえ国は正気なのかい、狂ってしまったのかい、それとも自分からすき好んで狂っているのかい?」
by sabasaba13 | 2009-03-26 06:08 | | Comments(0)

「人間の未来」

 「人間の未来 -ヘーゲル哲学と現代資本主義」(竹田青嗣 ちくま新書765)読了。絶句… 後頭部をバールのようなもので、腹部を鈍器のようなものでしたたか殴打されたような衝撃を受けました。気が早いのは重々承知の上で、今年の新刊書ベスト・テンにノミネートします。以前に、竹田氏の著書「はじめての現象学」(海鳴社)と「自分を知るための哲学入門」(筑摩書房)を読んで、さまざまな哲学についてその意味と面白さと有用性をわかりやすく解き明かした力量と高い志に脱帽した記憶があります。その後、私の怠慢からしばらくご無沙汰していたのですが、書店の新刊コーナーで氏の名前を見かけて胸がキュンとなり購入した次第です。

 とてつもなく重要で充実した内容を的確にまとめて紹介するのは私の能力をはるかに超えていますが、匹夫の勇・蟷螂の斧、やってみましょう。氏の基本的なスタンスは、現在の世界資本主義が、拡大する格差の構造と資源・環境の地球的限界という二つの中心的問題を抱えているということです。この時間の浪費を許さない喫緊の問題を解決するために、人間社会は新しい"意志"と"合意"を必要としており、そのためにはなんらかの明確な「仮説」が必要である。そこで竹田氏は、資本主義が近代社会の本質から現れたものである以上、近代社会の本質を明らかにしなければならないと述べられています。近代社会から資本主義がどのような性格をもって登場し、それがなぜ近代社会の本来の理念からかけ離れたシステムとなったのか。そしてその考究から、どのような解決策が導き出されるのか。その際に氏がくりかえし強調されているのは、ある理想・真理をもとに、「こうでなければならない/こうしなければならない」という考え方をしないこと。そうしてしまうと、いくつかの理想・真理が現われたときに、その対立を克服できなくなってしまいます。それではどうすればよいのか? ここで竹田氏は哲学の思考法を提示されています。誰かが「原理」(キーワード)をおく、するとその言葉の不十分さがみんなによってテストされる。そこでつぎの人間がもっと包括的な「原理」を見出す努力をする。そのようにして、ある問題については誰もがそう考えざるをえない、という道すじを探して思考は進んでいきます。共通概念を用いて、つねにみんなが納得できる思考の始発点(=原理)を探究しなおそうとする、それが哲学の思考法。「世界説明についてのオープンでフェアな言語ゲーム」という卓抜な比喩を使われています。宗教のように大きな「物語」によって、世界についての根本的な意味をどかんと手に入れる、というのではないのですね。というわけで本書の冒頭部分は、以上述べたような、哲学独自の思考法についての説明です。まとめておきましょう。
 ①「物語」を使わず「概念」を使う。物語は共同体の枠を超えられないが、「概念」はどの文化にも存在するので、哲学の世界説明は共同体の限界を超え出る。
 ②「原理」(アルケー)を提示する。「原理」とは「真理」ではなく、思考の出発点(起源)とすべきものを「キーワード」として提唱することを意味する。
 ③つねに「再始発」する。哲学では、宗教のように始祖の言葉を聖化せず、先行者がおいた「原理」の矛盾や不十分さを指摘して、これをもっと適切な「原理」に置き換えてゆく。
 概念や原理を使うことによって、世界説明が共同体の限界を超えて普遍性をもつにいたるという点が、哲学的思考法の最大の意義であるとまとめられています。そしていよいよ近代社会の理念についての考察に入ります。その導き手は、ホッブズ、ルソー、そしてヘーゲルという三人の先哲です。哲学的観点からする「近代社会/国家」の本質とは何か? 以下、著者の考察を私なりにまとめてみます。(p.156~158)
 近代社会の理念は、社会から暴力原理を完全に排除し、人間が相互に他者を自由かつ尊厳ある存在、完全に対等な権限者として認めあった上で、一定のルールに則ってフェアなゲームを行なうというものです。暴力を制御しフェアなゲームを運営するのが統治権力で、それは一般意志(※各自の利己心を捨てて、全部が一体となった人民の意志)を代表しようとすることで、その正当性を得ることができます。それでは一般意志の具体的な内容とは何か? これは画一的・排他的な理想や「物語」ではありません。各人の福祉(幸福)の多様性を承認し、各人が他人と齟齬することなく自分自身の幸福と善を追求できる一般条件を常に向上させること。言い換えると、人によってそれぞれに異なるエロス(人間的な生の喜び)を、各人が手に入れられるような経済的条件(生活水準の持続的な上昇)と社会的条件(法や社会制度の公平性と公正性)を向上させること。暴力を排除し、各人が自由かつ平等かつフェアにエロスを追い求めるゲームに参加できる、それが近代社会だと私は理解しました。

 そしてこの近代社会の登場を促したのが資本主義、氏の定義では「歴史上はじめて現われた持続的な拡大再生産を可能にする経済システム」です。生産力がドラスティックに向上した結果、財の希少性がある程度克服され、普遍的な闘争状態・苛烈な専制支配・覇権を求めての血みどろの抗争から脱却する、つまり近代を生み出す道すじが開けてきた。"財の希少性は基本的に社会の暴力契機を高め、その克服の方途として「覇権の原理」が現われる(p.98)"という指摘は重要ですね。今まさにわれわれが直面している事態だと思います。
 ところがこの資本主義というやっかいな怪物は、人々に自由を確保するとともに、資本家・地主・労働者という新しい社会階層を生み出し、富の巨大な格差を作り出してしまいました。また、国内的には曲がりなりにも人民主権・暴力の制御という方向へと進みましたが、近代国家どうしは、資本主義の原理による苛烈な闘争、つまり市場・資源・植民地支配をめぐる新しい普遍闘争の状態へ突入し、やがてそれは国家の総力をあげての帝国主義戦争、二つの世界戦争にまで行き着くことになってしまいます。(p.74) その理由として、前者については、資本主義システムがフェアなルールゲームにならなかった、つまり金力や権力でルールについての権限を買い、自分に都合がいいように変えることができたからだ、と指摘されています。後者については、近代国家の内部においては、不十分ながらも互いの自由を承認し暴力を制御する原理が働きましたが、近代国家間においてはそれが存在せず、市場と資源をめぐる資本主義競争・軍事力競争に自国の存亡をかけて突入せざるをえませんでした。なお第二次大戦以後、先進国どうしは武力による闘争をやめ、経済競争を行なうというルールを形成しましたが十分ではなく、経済競争はある意味でいっそう激化しています。(暴力の覇権ゲーム→経済の覇権ゲーム)

 というわけで、資本主義が生み出す格差と、国家どうしの普遍闘争状態、この二つがわれわれに突きつけられた大きな課題です。それに加えて、かりに現在の大きな配分格差の問題が是正され、より多くの国家が、人々の生活水準を徐々に向上させる方向へ進むとしても、大量生産+大量消費+大量廃棄を特徴とする現行の資本主義システムのままでは、それは地球資源の消尽および環境の破壊という絶対的臨界への接近を意味しています。そうであるかぎり、現在の資本主義は、この臨界域にゆきつく途上で希少性(パイの奪い合い)の問題を露呈させ、おそらくは中進国を中心とした核戦争の可能性、あるいは格差の拡大によって絶望した人々を代表する勢力(救済思想や原理主義)による核のテロなどの可能性を、極度に高めるでしょう。また、もし先進諸国家が、金融資本主義を特徴とする新しい"世界資本主義"の流れ、つまり金融経済の巨大化と超国家化の流れを変更することに失敗するなら、世界資本主義は、ますます「覇権的マネーゲーム」の性格を強め、そのゆきつく先は、資本主義システムにおける市民的制御の「消失」、つまりマネーの力による政治ルールと経済ルールの独占の進行という事態に陥ってしまいます。(p.289)

 格差の絶望的な拡大、資源と環境の臨界、財をめぐる国家や集団の闘争、マネーゲームの暴走… これが世界の現状、いずれをとっても国家単位では解決できない地球規模の問題ばかりです。それではどうすればよいのか。竹田氏は、橋爪大三郎氏や見田宗介氏による考察をもとに、こう述べられています。まず、こうした問題は、人間社会にとって最大の危機であると同時に、きわめて大きな好機でもある。なぜなら、これらは人類全体が共通の課題として直面している絶対的な危機であり、これを切り抜けるためには世界大の合意と団結が必要だからだ。つまり国家どうしの軍事的・経済的競争をすみやかにやめて協力するための絶好の好機でもあるわけです。具体的には、先進国が中心となって、世界の経済システムを諸国家の一般意志の制御のもとにおき、この国家を超えた制御のシステムを活用して、現代の資源消費的な文明(資本主義)の体質を持続可能な経済システムへと変革する方向へとはっきり進み出ること。その際、資本主義の生み出す豊かさが、人々がそれぞれの自由を確保するための基礎であること、よってこのシステムそのものを棄却できないことを認め、資本主義の暴走を制御し、大量消費-廃棄の性格を変更するための原理を見出すべきである、というのが著者の主張です。つまり十全な形で結実させることができなかった近代社会の理念、くりかえしますと、社会から暴力原理を完全に排除し、人間が相互に他者を自由かつ尊厳ある存在、完全に対等な権限者として認めあった上で、一定のルールに則ってフェアなゲームを行なうという理念を、地球規模・世界大で実現させることだと思います。これを、みんなが納得できる思考の始発点[=原理]とし、より実現可能なものへと鍛え上げ、そして悲惨なカタストロフィーを避けるための断固たる意志と合意を地球規模で築くこと、それができなければ、われわれには未来がないということがよく納得できました。
by sabasaba13 | 2009-03-25 06:07 | | Comments(0)

言葉の花綵3

自分の知っていることは何もかも教えたい
先生は毎朝はりきって学校へやってきます
でもひとつだけ心配なことがあるのです
それは入歯がはずれやしないかということ
もしはずれたら生徒みんなに馬鹿にされる
そして何を教えても信用されなくなる
そう考えると先生は無口になってしまいます
だから先生は怒ったような顔で
黒板に文字や数字を書きつづけます
かわいそうなかわいそうな先生! (谷川俊太郎)

 あたしはちょうど、うちにおったなめくじみたいに、きられようが突かれようがケロンとして、ものに動ぜず、人にたよらず、ヌラリクラリと、この世の中の荒波をくぐりぬけて、やっとこさ今日まで生きてきたんですよ。 (古今亭志ん生)

 人間てえものは、ほんとうの貧乏を味わったものでなけりゃ、ほんとうの喜びも、おもしろさも、人のなさけもわかるもんじゃねえと思うんですよ。 (古今亭志ん生)

With this faith, we will be able to hew out of the mountain of despair a stone of hope.
 こういう信仰があれば、 私たちは絶望の山から 希望の石を切り出すことが出来る。(M.L.キング)

 諸君が選挙に出ようとすれば、資金がいる。如何にして資金を得るかが問題なのだ。当選して政治家になった後も同様である。政治資金は濾過器を通ったものでなければならない。つまりきれいな金ということだ。濾過をよくしてあれば、問題が起こっても、その濾過のところでとまって、政治家その人には及ばぬのだ。(岸信介)

The birds in the space sing "piece! piece! piece!". (P.カザルス)

 後悔後を絶たず (某高校生)

 人権だかジャンケンだかしらねぇが、おまえらにそんな洒落たものはねぇんだ。(車寅次郎)

 いいわけぇもんがいいわけしていいわけ。(unknown)

God grant me the serenity to accept the things I cannot change, courage to change the things I can,and wisdom to tell the difference.
 神よ、変えることのできないものを受け入れる冷静さと、変えるべきものを変える勇気とを。そしてその二つを識別できる知恵をわれに与えたまえ。(ラインホルト・ニーバー)

 かつては政治と軍事の全てにおいて権威の源泉だった民衆は、今では一心不乱に、専ら二つのものだけを熱心に求めるようになっている― すなわちパンと見世物を… (ユウェナリス『風刺詩集』)

[官僚用語]
前向きに:遠い将来にはなんとかなるかもしれないという、やや明るい希望を相手に持たせる言い方。
鋭意:明るい見通しはないが、自分の努力だけは印象づけたいときに使う。
十分:時間をたっぷりかせぎたいということ。
努める:結果的に責任を取らないこと。
配慮する:机の上に積んでおく。
検討する:検討するだけで実際にはなにもしないこと。
見守る:人にやらせて自分はなにもしないこと。
お聞きする:聞くだけでなにもしないこと。
慎重に:ほぼどうしようもないが、断りきれないとき使う。だが実際にはなにも行われないということ。(宮本政於)
by sabasaba13 | 2009-03-24 06:12 | 言葉の花綵 | Comments(0)

アイルランド編(16):聖パトリック大聖堂(08.8)

 一読、言葉を失います。時は18世紀中頃、ちょうどイギリスによる支配が本格化し、アイルランドが貧窮のどん底にあった時代ですね。一見、奇矯というよりも狂気じみたスウィフトの言葉の真意は、イギリスに対する瞋恚にみちた痛烈な批判だと思います。「アイルランド人を人間として扱わないのなら、もっと徹底したらどうだい、嬰児を食材として輸出すれば全ては解決するのさ。残酷? 君たちには言われたくないね」 夏目漱石は「文学評論」第四編「スヰフトの厭世文学」の最後で「スヰフトの風刺は堂々たる文学である。後代に伝ふべき術作である。彼は愛蘭土の愛国者で、故国の為には危きを辞せずして応分の力を盡した志士である。白眼にして無為なる庸人ではなかつた」と言っていますが、人間嫌いという怜悧な仮面の下には、故国の危難を見過ごせない熱い思い、真っ向から辛辣な批判をする勇気が隠されているのですね。そして忘れてはいけないのは、敵に尻尾をつかまれないための用心深さと狡猾さです。
 と同時に、経済的合理性を突き詰めていくと、人間性の否定につながるというロジックに対する根源的な批判でもあると思います。そしてこの恐るべき小論は、今のわれわれ日本人をこそ心胆寒からしめるのではないでしょうか。報道写真月刊誌「DAYS JAPAN」(08.9)の記事「格差の中の子ども (雨宮処凛)」には、仕事に失敗して家を失った父親と共に新宿歌舞伎町で、ダンボールの家で暮らす少女の写真、あるいは夜の仕事に出かける前に子どもに睡眠薬を飲ませるシングル・マザーの話が紹介されていました。スウィフトは「王国中に人間の形をしたおよそ百万人の動物がいる」と書いていますが、もし彼が今の日本で甦ったら、この状況を見てどのような"謙虚な提案"をしてくれるのでしょうか。余談、この記事の中でふれられているのですが、高等教育の無償化を進めていないのは、国連人権規約締結国のうち、日本とルワンダとマダガスカルだけだそうです。やれやれ。
 それでは拝観料を払って(!)中に入りましょう。入ってすぐ右側にあるのがスウィフトと愛人ステラの墓です。
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 その近くの壁には彼の碑銘・胸像があり、ガラス・ケースの中には著書やデスマスクなどが展示してあります。
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 碑銘の日本語訳は下記の通り。
ここに横たわるのはジョナサン・スウィフト
神学博士でこの大聖堂の大主教
激しい憤りによって
心を引き裂かれることはもはやない
旅人よ行きなさい
出来ることなら真似るがいい
最も情熱的で、献身的な自由の勝利者を
 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-03-19 07:08 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(15):「貧民救済私案」(08.8)

 いやはや何ともはや、凄まじい生涯ですね。中でも『アイルランド貧民の児童を有効に用いるための謙虚な提案』については、実際に読んでみたいものだとつねづね思っていました。調べてみたところ、かつて岩波文庫として上梓されていた『奴婢訓』に所収されていましたが、残念ながら絶版。古本屋ではまだ入手しやすいようですが、インターネット電子図書館「青空文庫」で閲覧できたのでこちらから引用します。それにしても便利になったものですね。それではスウィフト、いや世界文芸史上の奇作・怪作をどうぞ。

『貧民救済私案』
 この大きい街を歩いたり、田舎を旅行したりすると、目の前にはゆううつな光景が展開される。通りを歩けば、街路や人家の入り口に女乞食が群がっている。その女乞食の後に、三人、四人、六人と子供がついてきている。みな襤褸(ぼろ)をまとい、道行く人に施しを乞うているのだ。彼女たちはまっとうな暮らしができるような仕事に就けず、日がな一日うろつきまわり、無力な子供たちのために食を乞わねばならない。子供が成長したとしても、仕事がないので泥棒になるか、懐かしい故郷を棄てて、スペインから王位を窺う者のために戦うか、バルバドス島(※英領西インド諸島にある島)に身を売ったりしなければならない。
 当事者であれば、以下のことに同意してもらえるだろう。我が王国において、厖大な量の子供が、乞食である母親(父親のときもある)の腕に抱かれたり、背中に背負われたり、後ろを歩いていたりしている。子供たちは悲惨な状態にあって、非常に多くの問題をもたらしている。それゆえ、子供たちを社会にとって健全かつ有用な社会的財産にするための、公正で、安価で、簡単に実行できる方策を発見できる者がいるならば、その者は社会にとって望ましい人であるから、国家の保護者として銅像を設置するに値しよう。
 だが私の目的は、ただ公然たる乞食の子供を救うにとどまらない。より広義の目的は、ある特定の世代における子供全体の数を減らし、その子供を産んだ親を実質的に援助し、それによって通りで慈悲を乞う人々を助けようとすることにあるのだ。
 私は数年間、この重要な問題について思いをめぐらし、他の方々の計画を慎重に見ていった。その結果、この方たちは大きな計算違いをしておられると考えざるをえなかった。確かに、生まれたばかりの赤ん坊は、丸一年間は母親の乳で育てられ、他の食べ物はわずかですむ。二シリングもあれば十分だろう。母親もそれくらいの金や残飯は、乞食商売で正当に稼げるだろう。私の提案は、子供が丸一歳になった時に救いの手を伸ばそうというものである。この提案を実行すれば、子供が両親や教区に負担をかけたり、死ぬまで衣食に苦労させるかわりに、何千もの人々に食料と(幾分かは)衣料を提供することになるのだ。
 私の提案にはもう一つ大きな利点がある。それは、堕胎を防止し、母親が私生児を殺すという恐ろしい事態を防ぐことができるのだ。ああ! そんなことが我が国で横行し、無垢な赤ん坊を死に追いやっているのだ。おそらく恥辱を隠すためというよりは出費を避けるためであろうが、これにはいかに極悪非道な者の胸にも同情の涙を催さずにはいられないであろう。
 我が王国における人口は普通百五十万とみなされている。この中に子供を産む夫婦はおよそ二十万組いるものと推定される。このうち三万組は、自分の子供を育てられる者として勘定に入れない。王国の現在の窮状では三万は多すぎるかもしれないが、そういうことにしておくと、十七万組が残る。流産とか、子供が一年以内に死亡する可能性を考え、さらに五万組を減ずる。従って、貧困層において毎年十二万人の子供が生まれることになる。そこで問題は、いかにしてこれらの子供を育てるか、あるいは援助するか、となる。この問題は、私がすでに言及したように、王国の現在の状況では、今まで提案されたどの方法によっても全く不可能である。手工業においても農業においても私たちは彼らを雇用できないからだ。家を建てたり(この国でという意味だ)土地を耕すこともできない。子供が六歳になるまでは、泥棒によって生計を立てることは、よほどこの商売に好都合な場所でなければまず難しかろう。ただし、子供たちはその初歩を、もっと早い時から学んでいることは確かだろうが、その間は「見習生」と見なすのが正しいだろう。キャヴァン郡にすむとある紳士に聞いた話によると、我が王国においてそういう技術を最も早く習得することで有名な地方でも、六歳以下というのは一、二例程度しか知らないということだった。
 商人によれば、十二歳に満たない少年少女は売り物にならず、十二歳を迎えても代価は三ポンドを下回るのが普通であり、最高値でも三ポンドと半クラウン程度になるにすぎないとのことだった。その値段では、両親や我が王国に利益をもたらさない。十二歳に育てるための衣食の負担はその四倍にのぼるのだ。
 それゆえ私は、謹んで以下に私案を提出する。おそらく諸君にはなんら異議はないものと存ずる。
 私はかつて、ロンドンで知り合った非常に物知りなアメリカ人から話を聞いたことがある。彼曰く、よく世話された健康な赤ん坊は、丸一歳を迎えると、とてもおいしく、滋養のある食物になるそうだ。シチューにしても、焼いてもあぶっても茹でてもいいとのことだった。たぶんフリカシーやラグー(ともに料理の名前。肉を細切りにし、フライやシチューにして、ソースをかけたもの)にしてもいけるだろうと思う。
 それゆえ、私は諸君に以下のことを考えていただこうと思っている。すでに計算した子供十二万人のうち、二万人を繁殖用に残しておく。男はその四分の一でよい。それでも、羊や牛や豚よりも割がいい。その理由は、こういった子供たちは結婚の結果生まれたものであることはまれだし、未開人の間では結婚なんてあまり尊重されないみたいであるから、それを考慮すれば、男一人で十分女四人に子供を生ませられるであろう、というものである。残りの十万人は、満一歳になったら、国中の貴族や富豪に売りつける。母親に言い含めて、最後の一月にはたっぷりお乳を吸わせ、まるまると太らせて、どんな立派な献立にも出せるようにしておくことが肝要である。友人へのもてなしには子供一人で二皿分作ることができる。もし家族だけで食べるなら、四分の一もあればリーズナブルな料理となろう。塩か胡椒で少し味付けして、殺してから四日目に茹でればいい料理になるだろう。冬には特に十分煮込む必要がある。
 様々な要因を含め、十二ポンドきっかりの体重で産まれた子供は、十分な世話をすれば、二十八ポンドに増えていると計算できる。
 この食料がいささか高価なものとなることは認めよう。従って、地主に最適な食材となるだろう。彼らはすでに両親からおおいに搾り取っているのだから、子供に対する権利も一番持っていると言えよう。
 赤ん坊の肉は一年を通じて食べることができるが、三月に最も多く出回り、その前後には少なくなると思われる。なぜなら、著名なフランス人医師によって言及されていることだが、魚を食べるとたいへん体に精がつくので、旧教国においては、四旬節(カトリックが精進日とする四十日間)の九か月後ごろに子供が多くなる傾向にある。それゆえ、そのころ市場にいつもより多く供給されることになるだろう。旧教徒の子供は、我が王国で産まれる子供の三分の一を占める。従って、私案には王国内の旧教徒の数を減らせるという副次的な効果が存在する。
 貧困層の子供を世話する費用はすでに計算してある(貧困層には農場労働者、工場労働者、農夫の五分の四が含まれる)。その費用は襤褸も含めて年に二シリングである。一方、紳士階級は、よく太った赤ん坊なら生死を問わず十シリングを喜んで払うだろう。すでに言及したように、赤ん坊一人分で、特に親しい友人たちとか家族で食卓を囲むといった状況なら、滋養のある料理を四皿分作れるのだ。従って、大地主たちはよき主人になって、召使いたちの評判を良くしようとするに違いない。そして、母親は八シリングの利益を得る。これは子供をもう一人作るまでの仕事としては上等なものだ。
 より賢い利用法として(時代がそれを要求しているから書くことにしよう)、死体の皮を剥いでも良かろう。その皮膚を精巧に仕上げれば、すばらしい婦人用手袋や、紳士用夏物ブーツとして利用できるだろう。
 ダブリンシティーにおいては、屠殺場がこの目的に使えるだろうし、もっと便利な場所として、保証付きの肉屋がすべての仕事をこなすだろう。だが私は生きた赤ん坊を買ってくるのをお勧めする。赤ん坊をナイフで切らずに豚の丸焼きみたいに焼くのだ。
 有徳の士にして、その住む国を真に愛する人や、私の尊敬する人たちは、最近我が私案を気に入って、この問題を論じる際に私案に対する改良案を出された。それによると、王国に住む紳士の多くは、最近鹿が滅亡したものだから、鹿肉不足を十二歳から十四歳までの少年少女の肉でもって代用してもいいだろうと考えているそうだ。この国のあらゆる地方で、非常に多くの少年少女たちが、仕事や世話の不足により飢えている状態にある。その子供たちを、両親か、でなければ最も近い親族の手で売り出せばいい、と彼らは言っていた。だが、優れた友人や功を挙げた愛国者に十分な敬意は払うのであるが、ご意見には賛成できかねる、と言わねばならぬ。男の子について、かのアメリカ人の知人は自分の経験からこう言っていた。学校に行くような年齢では、絶え間なき運動によって、一般に肉は硬く痩せた状態になってしまうし、まずくなってしまう。そういう子供を太らせるのは割に合わないのだそうだ。女の子については、学校に行く年まで育てることは、私案のもとでは社会の損失になるだろう。なにしろ、女の子たちはそこまで育てばすぐ出産できるのだ。おまけに、口やかましい連中から、そんな習慣は残忍だという非難(不当な非難なのだが)を、ともすれば受ける恐れもなくはない。実は私自身、いろんな計画を拝見して、目的はたいへんけっこうなのだが、残忍であるという点で強く反対せざるを得ない場合がしょっちゅうだったのだ。
 だが、友人を弁護するために以下のことをつけ加えておこう。彼はこうも言っていた。この方便は、有名なサルマナザアというタイワン人によって彼の頭に入れられた考えなのだ。その人は二十年以上も前にタイワンからロンドンにやってきて、そこで友人に話したのだそうだ。かの国においては、若者たちを死罪に処したときに、死刑執行人は死体を極上の食材として富豪に売り渡すのだそうだ。その例として彼が挙げたのは、十五歳の太った少女の話であった。彼女は皇帝を毒殺しようとしたかどで磔にされ、その肉は帝国の首相や高級官吏たちに売られてしまったのだそうだ。その代金は四百クラウンだと言っていた。
 悲観的な気分になる人たちは、年寄りや病気持ちや不虞となった貧民があまりに多いことに大きな懸念を持つ。そのような厄介者を国から除去するための方法を考えてくれと依頼されたこともある。だが、私はこの問題をちっとも心配していない。なぜなら、諸君も良く知っているように、貧民たちは、絶えず風邪や飢えや腐敗や害虫などでもって、考え得るかぎりの速度で死んでいくからだ。若い労働者についても、現在はまあ有利な条件下にある。彼らは仕事を得ることができないのであるから、食べ物をいつも切実に求めている。ある程度までは公共の仕事に偶然雇われるということがありうるが、彼らはそれを実行できるだけの力を持っていない。それゆえ、国も彼ら自身も、来るべき災難から幸運にも救われるのだ。
 脱線がすぎた。本題に戻ろう。私案の長所を見ると、明らかに最も重要視されるべき点が数多く存在している。
 第一に、すでに見てきたように、旧教徒の数を減らす効果がある。彼らは毎年多くの子供を産む。この国における出産の多くは彼らによるものである。旧教徒は最も危険な敵とみなすことができる。なにしろ、彼らは王国を王位主張者に明け渡さんとする意図を持っており、善良なプロテスタントを一人でも多くいなくすることで、自分たちの優位を確保しようとしているのだ。新教徒は、家にいて国教会の牧師補に良心に背いて十分の一税を払うよりは、新教を奉じる国へ出ていく方を選ぶのだ。
 第二に、貧しい間借り人に、貴重な財産を持たせることになる。法律上差し押さえの対象にもなるし、主人に小麦や牛に対する賃貸料を払う助けにもなり、なにがしかのお金も残すことができるようになるのだ。
 第三に、国にとっても、十万人分の子供に対する二歳以降での養育費、これは一年につき一人あたり最低十シリングを要するが、これが年にざっと五万ポンド節約できる。これに加えて、新しい料理が考案され、王国の高尚な趣味を持った貴族たちの食卓にのることによる利益が加わる。この利益は国内で流通し、商品は完全に国内産業が成長するために使われるのだ。
 第四に、母親たちも、子供を売ることで年八シリングの利益を確保できる上に、二年目以降子供を育てる手間から解放される。
 第五に、この料理は、居酒屋にお客をたくさん呼び寄せ、抜け目のない酒場の亭主はこの料理に関する秘伝の料理法を入手し、その結果、店に気前がいい紳士が訪れるようになる。紳士方は、上流階級の作法でもってこの料理を評価していく。客を満足させる方法を理解した優秀なコックは、お客の好きなだけ贅沢な料理を作ろうとするだろう。
 第六に、私案は結婚を奨励する効果を持つ。賢明な国家ならば、報酬によって結婚を勧める一方で、法律と罰則でもって強制するものだ。私案は母親が子供のことを心配して優しくする効果をもたらす。そして、貧しいがゆえに子供を手放す決心をしたときには、社会によって出費の代わりとなる利益を年ごとに提供されるのだ。私たちは、人妻たちの間に正当な競争が起こるのに気がつくだろう。そう、どの女が最も太った子供を市場に提供できるか競い合うことになるのだ。男たちも、妊娠期間中は女に優しくなるだろう。子供を宿した馬や牛、まさに分娩しようとしている豚に対するがごとくに女を扱うようになるのだ。叩いたり蹴ったりなど(いつもやっていることだ)は流産を恐れて避けるようにするだろう。
 他にも多くの利点が挙げられるだろう。たとえば、樽詰めの牛肉を輸出する際に何千もの死体を混ぜることができる。豚肉増産の助けにもなり、いいベーコンを作る技術も進歩していく。ちなみに、ベーコンは、あまり豚を食卓に使い、むやみに殺すため、最近欠乏状態にある。だが、味や成長率の面で、太った子供の方が豚よりもはるかに良い。丸焼きは市長殿の祝宴においてすばらしい姿を提供するものだし、公共の娯楽としても役に立つ。これ以上は、話を簡潔にするために、とりあえず省略しておく。
 この都市で千組の家族が、赤ん坊の肉を買い続けてくれると仮定しよう。それに、陽気なパーティー、特に結婚式や洗礼式なんかでも食卓に出されるだろうから、私の推定では、ダブリンにおいて毎年二万人分が利用されるだろう。そうすると、地方で売られる分(たぶん少し安く売りさばかれる)は八万人分ということになる。
 私には、私案に対して異議申し立てがなされるなどと考えることはできない。だが、私案によって王国内の人口がうんと減るだろうという点は認めよう。また実際、それがこの提案を世に示す主な目的でもあるのだ。読者には、ぜひ以下のことを認めていただきたい。私案はひとえにアイルランドという特定の王国のための物であり、この地球上に過去、現在、未来いずれかの時点で存在し得るいずれの国のためでもないのだ。だから、私に他の手段を話さないでいただきたい。不在地主に一ポンドにつき五シリング課税するとか、自国産でない布地や家具を使わないとか、外国の嗜好品を使うような材料や道具を一切禁止するとか、王国の女性の過度な傲慢、うぬぼれ、怠け癖、娯楽好きを治療するとか、極端な倹約と節制の精神を導入するとか、国を愛することを学ばせるとか(この点では、我々はラップランド[※スカンジナビア]人やトピナムプー[※ブラジル]の住民とは違うのである)、党派ごとに憎しみあうことをやめて、約束の地に着くやいなやお互いを殺し合ったユダヤ人のようなふるまいをしないようにするとか、わけもなく国家や自分の良心を売り渡さないように少し用心しておくとか、主人に対して使用人に少しでも慈悲を垂れるよう諭すなどということを私に言わないでいただきたい。最後に、誠実、勤勉、熟練の精神を小売店経営者に植え付けるなんて事も言わないでほしい。もし革命が起こって、小売業者が国内産の物だけ扱うように命令されたとしたら、彼らはたちまちぐるになって、値段や数量や品質なんかで我々をごまかそうとするのだ。それに、小売業者たちは、たびたび熱心な勧誘を受けながら、正しい商売道を進んで提唱する気を起こしたためしはないのだ。
 繰り返し言うが、私に今あげたような提案や方策を聞かせないでほしい。そんな習慣を実行しようとする誠実、真摯な試みが生じる希望の少なくとも片鱗でも認められるまでは絶対言わないでほしい。
 私自身について言えば、長年にわたって無益で無駄で非現実的な考えを提案するのに疲れ切ってしまった。その成功を願うのは全くもってあきらめている。幸いにも上に述べた私案を思いついたのであるが、これはまったくの新着想であるから、これこそ真に価値ある試みとも思えるところがあるのだ。費用はいらず、トラブルも少なく、完全に自分自身の力で私案は実行できる。しかも、イングランドに負担をかけるような危険もないのだ。赤ん坊の肉は輸出に不向きだからである。あまり柔らかく、形が崩れやすくて、長期の貯蔵に耐えないのだ。もっとも、塩漬けなんかにしなくても、我が国民をそっくりみんな食い尽くそうとしている国があることは、私にははっきり分かっているのだ。
 結局、私だって何もあくまで自説を押し通して、賢明な方々のご提案になる同じように無害で、費用もいらず、簡単に実行できる有効な手段を排斥しようなどとは決して思っていない。ただし、私案に反対して、それよりもっと優れた計画を出そうという著者あるいは著者たちには、ぜひ以下の二点を考慮していただきたいと思っている。第一は、現に存在している、ただの無駄飯食いの十万人がいかにして食物と衣類を手にいれるのかという点。第二は、王国中に人間の形をしたおよそ百万人の動物がいるという点。全員の生存は公共の資産に依存しており、そのために二百万ポンドの負債が生じている。乞食を生業としている人に加えて、事実上乞食同然の妻子を抱えた、農夫の大部分と農場や工場で働く人のことを考えるとそうなるのだ。私案を嫌い、大胆にも解答を試みんとするであろう政治家たちに、乞食たちの両親にこう聞いてもらいたい。あなた方は、私スウィフトが決めたやり方で、一歳の子供を食べ物として売ることを、大変幸せなことだと思わないか、と。子供を売れば、不幸な境遇に陥ることは永遠になくなるんだ、主人に虐待されたり、お金や仕事がなくて賃貸料が支払えなかったり、家族を維持できるだけの食べ物がなかったり、厳しい天気から身を守ってくれる家や衣服がなかったりすることで、苦痛を味わうことはもうないんだ。今言ったような、あるいはもっとみじめな暮らしを、子供たちが永遠に続けていかねばならないという先の見通しを避けるための、最もいい方法なんだが、どうするかね、と尋ねてほしいのだ。
 私は、我が良心に賭けて、私案に必要な仕事を遂行するにあたって、少しも個人的関心を持っていないことを誓う。ただ我が王国における公共的な利益を得るため、商業を振興し、赤ん坊のための準備をして、貧民を困窮から救い出し、金持ちに若干の楽しみを与えようとしているだけである。私には赤ん坊がおらず、従って一ペニーを得ることもない。末っ子は九歳だし、妻はもう子供を産める年ではない(※スウィフトに妻子はいない)。

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by sabasaba13 | 2009-03-18 06:12 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(14):聖パトリック大聖堂(08.8)

 この小公園のすぐ隣が聖パトリック大聖堂です。この場所に最初に教会が建てられたのは450年ころ、聖パトリックがキリスト教へ改宗する人々に洗礼を行なっていた泉の横に木造の礼拝堂があったそうです。その後、1225年ごろからおよそ30年かけてほぼ現在の形のゴシックスタイルの教会が完成しました。やがて1864年に、ギネス家の一人ベンジャミン・ギネスが資金を提供し老朽化した大聖堂の大規模な修復が行われ再建。長さ91メートル、ミノットタワーは高さ43メートル、アイルランドで最も大きい教会です。それにしても、ダブリンの発展に貢献したギネス家の功績には頭が下がります。そして忘れていけないのは、ジョナサン・スウィフトが1713年から1745年までここの大主教を務めたことでしょう。ではここで彼の数奇な生涯について、スーパーニッポニカを参考にまとめてみましょう。
Jonathan Swift (1667~1745) イギリスの小説家、聖職者。ダブリンに生まれるが、生時、父はすでになく、母からも捨てられて、おもに伯父の手で養育され、ダブリンのトリニティ・カレッジを卒業。ただし放縦怠惰な学生で、卒業して学位を受けたのも特別の恩典によった。イギリスにおいて政界への野心を抱き、政治ジャーナリストとして活躍するが、功名出世をあせって執筆上の節操を欠いた。政情の激変やパトロンの死によって政界への野心を断念、1713年以後はダブリンの聖パトリック教会の首席司祭に収まった。この位置にも彼は不平満々であり、悶々の情は終生つきまとって、誕生以来の数奇の経歴とともに、彼をいよいよ人間嫌いに仕立て、ますます痛烈な風刺の道に進ませたと考えられる。
 有名な代表作『ガリバー旅行記』(1726)も、その本質は人類の愚劣さを徹底的に罵倒・風刺したものであり、英文学史上の名作・奇作といえる。また1729年の『アイルランド貧民の児童を有効に用いるための謙虚な提案』は、嬰児を食肉として売り出せば、柔らかくて珍味ではあり、人口問題は解決され、貧しい親には金もうけにもなって、一石三鳥の功徳があると、にこりともしない一見大まじめな態度で説いたもので、ここまでくるともう普通にいわれる意味での風刺作品とはいいがたい感さえある。もう一つ、死後出版の『僕婢訓』(1745)も、男女の召使いたちに、いかにして主人たちの目をかすめて財物をくすね私腹を肥やすべきかを、微に入り細をうがって丹念に教えている奇書である。どうしてこのような常軌を逸した感のある作品を次々と物したのか、生涯にわたる前記の不満からだけでは説明困難のように思われる。
 20代からめまいと難聴に悩んだが、50代から悪化、晩年15年ほどは狂気の予感にもおびえ、最後はまったく廃人の状態で、1745年10月19日ダブリンで没した。
 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-03-17 06:08 | 海外 | Comments(0)