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アイルランド編(56):コング(08.8)

 本日はコングとコネマラ国立公園へのバス・ツァーです。朝食をとり、いつもの集合場所に行ってバスに搭乗。天気は薄曇り、車窓から外を眺めているとジャガイモ畑らしきものを発見しました。
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 まずはRoss Errily Abbeyという修道院の廃墟へ。雲は薄く薄日もさしているので、うまくいけばお天道様を拝めるかもしれません。廃墟とはいえ、外壁などはかなりしっかりと残っているかなり大きな石造りの修道院遺跡です。またジョン・フォード監督の映画『静かなる男』のワンシーンもここで撮影されたと、ガイド氏はツァー参加者の女性をモーリン・オハラに見立て肩を抱きながらその様子を再現してくれました。また煙突や炊事場、井戸など、当時の修道士たちの暮らしぶりをうかがうことのできる施設も原型をとどめています。
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 なおマックス・ヴェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、修道士たちの時間を区切って規則正しく暮らす生活に、資本主義の精神の萌芽があったと指摘しています。以下、引用します。"最初に(といっても中世のことだが)時間を区分して生活した人間が修道士だったということ、そして、教会の鐘ははじめ彼らが時間を区分するために役立てたのだということ、を忘れないようにしたいと思う"(p298)
 修道院を出発し、三十分ほど走るとGlebeストーン・サークルが牧場の中、道路からかなり離れたところに見えました。私有地のためか残念ながら近づくことはできず、車窓から眺めただけ。豪華ホテルになっているアッシュフォード城の前を通り過ぎると、コリブ湖のほとりにある小さな町コングに到着です。
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 映画『静かなる男』のロケ地として有名で、その名残が村中に残っているそうです。ガイド氏も「"静かなる男"ホテル、"静かなる男"レストラン…」と紹介した後で、「"静かなる男"トイレ」 それはないでしょ、それは。ここで三十分ほどの自由時間、さっそく町を徘徊してみましょう。この映画はつい先日DVDで見たばかりなのですが、その中に出てきた美しい光景が眼に浮かびます。町の脇を流れる清流と石橋、パブとマーケット・クロス、そしてきれいに塗られた家々と窓や戸を飾る花々。幸い陽光が輝きはじめ、この愛らしい町を祝福しているかのようです。なおドアの上半分だけが開くようになっているのは、いわゆるハーフ・ドアですね。何でも昔、家の中で飼っていた家畜が外に出ないようにするための工夫だそうです。
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 すぐ近くにあるのがコング修道院の廃墟。コノハト王ターラック・オコーナーによって1120年に建てられましたが、1543年にヘンリー8世によって廃止され荒廃したそうです。そうか、アイルランドでよく見かける修道院の廃墟は、イギリス支配によるカトリック弾圧によるものが多いのかもしれません。
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 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-31 06:27 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(55):アルウィーの洞窟(08.8)

 再びバスに乗り、十数分ほどで次なる目的地アルウィーの洞窟に到着。1944年、地元の農民、ジャック・マッガンが山に逃げたウサギを追いかける飼い犬を追った時に発見したそうです。バレン高原一帯にはこうした石灰岩洞窟がたくさんあるそうですが、中に入れるのはここだけ。ガイド・ツァーによって 500m 以上奥まで入り、鍾乳石や石筍、アイルランド最古といわれる熊の骨が発見された「寝床」などを見学することができました。ただ中に広い空間はなく細長い洞窟を歩くだけ、ちょっと期待はずれ。
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 そしてバスに乗り込み、車窓からの眺めを楽しみながらゴールウェイへ、一時間強で到着です。雨の降りしきる中、駅で明後日に乗る列車の指定席を予約し、街の真ん中にあるエア・スクエアという公園のあたりをうろついていると、キラーニーで見かけた「ジョイス・パブ賞」というプレートのあるパブ「RICHARDSONS」を発見。さっそく入ってみることにしましょう。
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 薄暗い店内にはカウンターといくつかのテーブル、使い込まれた調度品、そしてパブの付属品のように雰囲気に溶け込んだおじさんたち数人が談笑をしています。典型的なアイリッシュ・パブですね。テーブルをよく見ると、懐かしいシンガー・ミシンを利用したものでした。"IF YOU GIVE UP……SMOKING, DRINKNG, and SEX- YOU DON'T LIVE LONGER IT JUST SEEMS LIKE IT !"という貼り紙には思わずにやり。まだ夕食はとれない時間帯ということなので、ギネスを注文。クリーミーな泡とこくのあるスタウトに舌鼓・喉鼓を打っていると、グラスをもった初老の暇そうな男性が「今年の夏はひどい天気だねえ」と二言三言話しかけて、去っていきました。この店に来たらみんな仲間さっ、というフレンドリーな、けれどもしつこくない交わりがいいですね。君子の交わり、淡きこと水の如しか… と同時に、こうした知り合いが集まって暇つぶしができる居場所があるというのが羨ましいものです。アイルランドの自殺率についてはよくわかりませんが、もし低いとしたら(たぶん低いという直観をもっていますが)パブがその一助になっているような気がします。「居場所」ってほんとに大事だな、とそれをどんどん破壊している異国から来た旅行者はふと思うのでした。あと、社会全体のゆるゆる感も影響しているかもしれません。
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 夕食はその近くにあるファスト・フード店でケバブをいただきました。うん、やはりアイルランドのラムは美味しい、大西洋に面した小さな国の片隅で叫びましょう、食事で困ったら、ケ、バ、ブ!
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-30 06:11 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(54):巨人のテーブル(08.8)

 ビジター・センターによって用を済まし、バスへと乗り込みさあ出発、次なる目的地は「巨人のテーブル」とも呼ばれる巨石墳墓Poulnabrone Dolmenです。なおドルメンとは、ケルト語で「石(men)の机(dol)」を意味し、大きな天井石と、それを支える数個の石からなる墳墓。支石墓とも訳されます。新石器時代から鉄器時代にかけてつくられ、世界的に分布しているとのこと。ここでこうした巨石記念物についてのお勉強をしておきましょう。G・ダニエルはヨーロッパの巨石記念物を次の4種に分類しています。以下、スーパー・ニッポニカ(小学館)からの引用です。
1,立石
 一本の巨石を立てたもので、メンヒル(menhir)と呼ばれます。フランスのブルターニュ地方に多く分布しています。高さは1~6メートルほどのものが多いが、とくに巨大なロックマリアケルのメンヒルは長さ20メートルを超えているそうです。

2,立石群
これはさらに二つに分けられます。
a,石を円形状に並べる環状列石で、ストーン・サークル(stone circle)あるいはストーン・リング(stone ring)と呼ばれます。正円状、楕円状、単一の輪、複数の輪などいろいろな形態があります。何といってもストーンヘンジが著名ですが、日本でも大湯環状列石があります。
b,巨石を立てて列状に並べる列石で、アリニュマン(alignement)と呼ばれます。フランスのブルターニュ地方カルナックの列石が著名です。

3,巨石墓
ヨーロッパの巨石記念物のなかではもっとも多く、中心的な存在です。三枚以上の支石の上に天井石をのせた単純な構造のものが支石墓(ドルメンdolmen)。また棺をおさめた玄室とそこへ通じる羨道からなる羨道墓(ギャラリー・グレーブgallery grave)というタイプもあります。

4,巨石神殿
地中海のマルタ島、ゴゾ島周辺に限られています。かつては墓所と考えられたこともありましたが、埋葬の痕跡がなく、現在では神殿と考えられています。
 なるほど頭の中がすっきりとしました。こうした巨石記念物を見るのは大好きで、機会があったら訪れるようにしています。イサム・ノグチが「石は地球の骨である」と言っていたように記憶していますが、われわれ人類が暮らしてきたこの惑星の本質を担う、何か聖なるものを感じます。たぶん古代人もそうした思いから、石を組み合わせてモニュメントをつくってきたのでしょう。彼ら/彼女らが石に何を托し何を願い何を祈ったのか、想像するだけでも楽しいものです。ま、そんな小難しいことをいわなくても、ただその圧倒的な存在感の前に立ち尽くすだけで清々しい気分になってきます。小雨が降りしきる中、モハーの断崖から五十分ほどで到着。むき出しの岩が埋め尽くす荒野の中をすこし歩くと、「巨人のテーブル」が現れました。
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 高さ2mほどの四枚の立石の上に、巨大な天井石が斜めに乗せられています。発掘の際16~22人の大人と、産まれたばかりの赤ん坊を含む子供6人の人骨が見つかったそうですが、科学的な研究で紀元前3800~3200年頃に埋葬されたとみられています。高貴な一族のために継続的に使用されたのでしょうか。すぐ近くには、強風によってねじまげながらも荒涼とした大地に根をおろして屹立する一本の巨木がありました。アイルランドを象徴するような光景に思えてきます。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-29 06:06 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(53):モハーの断崖(08.8)

 閑話休題。なお、バレン高原の石灰岩の割れ目には多くの珍しい野生植物が生息していることでも貴重だそうですが、残念ながらバスを降りての散策時間はありませんでした。そして昼食のために立寄った町がDoolin、ぞろぞろとパブに入ると、入り口の壁にどこかで見たような写真がかかっています。うーん、えーと、パンッ、U2のCDジャケットにあった写真だ! たしか"THE UNFORGETTABLE FIRE"(邦題は「焔」)というアルバムです。その写真がここにあるということは、このあたりで撮影したのかもしれません。そういえば、U2のジャケットの写真によく登場する荒野・城・木々は、バレン高原の情景を彷彿とさせてくれます。
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 さてみなさんはお食事、われわれはアイリッシュ・ブレックファスト・マジックによって全く腹はへっておりませんので珈琲を飲んで、付近を散歩することにしました。きれいな小川や武骨で頑丈そうな石橋を見て、愛らしいロバをなでていると出発時間となりました。
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 ここからモハーの断崖まで二十分強で到着です。バスから降りようとすると係員がやってきて、ここで見学料を払うシステムになっています。海面から 200m 以上の高さの垂直に切り立った断崖絶壁が、約 8km にもわたり大西洋に突き出ているというアイルランド最大の観光スポット、展望所へと続く緩やかな坂道を上る足取りも速くなります。しかし小雨が降りはじめており、靄や霧で断崖がよく見えないかもしれないなと一抹の不安。展望できる場所に着くと、おお幸いなるかな、多少霞んでいるもののある程度断崖を見晴らすことができました。凄い… 鋭い牙のような巨大な断崖が幾重にも折り重なり、海にくらいついているようです。遊歩道も整備されているので、断崖の上まで歩いてみましょう。"Extreme Danger"というプレートがある低い石垣を乗り越え、"PLEASE DO NOT GO BEYOND THIS POINT"という看板の脇を平然と通り抜けると(「だってみんな無視してるんだもん」「いい若えもんが言い訳していいわけ」)、そこは断崖の縁ぎりぎりのところにつくられた遊歩道、もちろん手すりも柵もありません。おまけに雨によって土はぬかるみ草や岩場は滑ります。十二分に注意してぎりぎりのところまで行き、ここから落ちたら一巻の終わりだなとびびりながら遥か下方で渦巻く海や対面の崖を眺望。
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 そして1853年にコーネリアス・オブライアン議員が建てた展望塔オブライアン・タワーへ行きましたが、どういうわけか入ることができませんでした。この塔の先にも、やや穏やかな表情を見せる断崖が続いています。
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 なおこちらにあった「墜落注意」の標識はなかなかの傑作。アイルランドの標識って、こういうわかりやすくユーモラスなゆるゆる感に満ち満ちています。なお「歩行者へ泥をはねるな」という逸品があったのですが、車窓から一瞬見ただけで撮影できませんでした。ああ悔しい。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-28 06:11 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(52):モハーの断崖へ(08.8)

 本日はモハーの断崖へのバス・ツァーですが、空はどんよりと鉛色。いや、虚心坦懐、明鏡止水、天候に関しては達観の域に達しておりますのでまったく気になりません。晴れでも曇でも雨でも雪でも嵐でも矢でも鉄砲でもスティンガー・ミサイルでももってこいという気持ち。朝食をとって部屋に戻り、スカイ・ニュースの天気予報を見るとヨーロッパ全域は晴れ、雲に隠れて見えないのはアイルランドだけでした。ざけんじゃ…いやいかんいかん平常心平常心。臨兵闘者皆陣列在前と九字を切り、ニンドスハッカッカ マ ヒジリキホッキョッキョと唱えて心を落ち着けましょう。昨日と同じ集合場所に行き、バスに乗り込んでいざ出発。まずは17世紀につくられた小さなお城、デューングラ城(Dunguaire Castle)へ。
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 1924年に外科医で文学者でもあるオリバー・セント・ジョン・ゴガーティによって買い取られ修復され、文学面におけるケルト文化の復興を進めていたJ.M.シングやW.B.イェーツ、ジョージ・バーナード・ショーたちのミーティングの場として利用されたそうです。満潮だったらゴールウェイ湾に映る姿はさぞや美しいかと思いますが、残念ながら引き潮でした。なおこのあたりは牡蠣の名産地でもあるそうです。バスは海沿いの道を快調に走り抜けていき、ある海岸で写真撮影タイムとなりました。みわたせば花ももみじも…どころではありません、生きとし生けるものの気配が感じられない岩場、荒涼とした光景が眼前一面に広漠とひろがっています。でもどういうわけか心が吸い込まれてしまうような不思議な感覚も覚えてしまいました。
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 なおこのあたりはバレン高原と呼ばれ、石炭紀(3億2000~3億6000万年前)のむき出しの石灰岩と泥板岩で覆われています。そもそも「バレン」という地名が「岩でごつごつした場」を意味するアイルランド語boireann(ブエレン)に由来するそうな。このあたりに進撃してきたクロムウェルが、拷問の方法を考えるのに「バレンには、人をつるす木もなく、溺れさせる水もなく、生き埋めにする土もない…」と途方に暮れて漏らしたと伝えられています。ピューリタン革命の立役者・優れた軍事指揮者としてのクロムウェルは有名ですが、意外と知られていない(私も知らなかった)のがアイルランドを征服しカトリックへの容赦ない弾圧を行ったことです。その蛮行は「クロムウェルの呪い」と呼ばれ、アイルランドにおいて歴史上最も嫌われ憎まれている人物です。ここからは余談、ではクロムウェルの軍隊はなぜ強かったのか。不思議なもので、旅のお供として持ってきた本の中で、偶然その土地に関係した記述にでくわすことがよくあります。今回持参して読んでいたマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中に次のような一節がありました。"彼らが王党派の「騎士軍団」を圧倒しえたのは、イスラムの修道士にみるような熱情によってではなく、むしろ冷静な自己統制によって常に指揮者の指揮に従ったためであった"(p204) なるほどねえ、資本主義の精神の萌芽である「冷静な自己統制」が、王党派やアイルランド軍を蹴散らしたわけだ。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-27 06:12 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(51):イニシュモア島~ゴールウェイ(08.8)

 そして港へ到着、自転車を返却し保証金10ユーロを受け取り船に乗り込みましょう。幸い雨もやみ、薄日がさしてきました。
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 ロッサヴィール港に着き、待っていたバスに乗り換えてゴールウェイへと戻ります。しばし車窓からの街角ウォッチングを楽しみましょう。これは山ノ神が気づいたのですが、庭のはしに黒いものが積み上げられている家が時々ありました。あれはたぶんピート(泥炭)でしょう、付近の地中から切り出して暖房用として使っているのですね。大きく傾いている木々は風の強さを物語っているのでしょう。海水浴場では子供達が飛び込み台から海に元気よく飛び込んでいました。この肌寒さでよく海に入れるものだと感服。ゴルフ場では、数人のゴルファーがカートを自らころころと引っ張りながらゴルフを楽しんでいます。
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 おっ消防署も発見。そしてバスはゴールウェイに到着、解散です。夕食はカジュアルな食堂で、チキン・カレーとフィッシュ&チップスをいただきました。
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 さて夕陽も輝いてきたし、腹ごなしの散歩としゃれこみましょう。スペイン門の脇を流れる川に沿い小さな運河と遊歩道があったので、しばし歩いてみることにしました。古い水門が残されていましたが、もう使用されていないようです。
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 そしてキー・ストリートのあたりで、店の看板をウォッチング。この通りでは、楽器演奏や砂で彫刻をつくるなど大道芸人をよく見かけます。
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 また店の広告を背負ったサンドイッチ・マンもよく見かけますが、そのほとんどが若者。アイルランドにおいても若者の失業問題が深刻になっているのかもしれません。そしてスーパーマーケットに入り、アイリッシュ・ウィスキー「ブッシュミルズ」を調達。部屋に戻って一献かたむけることにしますか。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-26 06:14 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(50):イニシュモア島(08.8)

 しばらく走ると舗装がなくなり砂利道となりました、はたしてこの道でよいのだろうか? すれ違う人も自転車もなく、もちろん道しるべもありません。しかし今さら後戻りはできません、不安にかられながらペダルを踏んでいると向うから自転車に乗ったグループがやってきました。初老の男女達でやはり不安を感じていたようで、われわれを見てほっとしたような表情をし、「ドン・エンガスへの道はこれでよいのか」と訊ねます。こちらも安堵の溜息をつき、「だいじょうぶ」と答え、港から来たことを確認するために「あなたたちはどこから来たのか」と伺いました。すると一人の女性がにこやかに元気一杯、「デンマーク!」 ぴきっと音がして空気が凝固し、その後はみんなで大笑い。港へと向う道であると確認し、手を振って別れました。しばらくすると人家があらわれてきたので一安心、それではブラック・フォートという遺跡の方向へと道を折れてみましょう。すると行き止まり、あわててもとの道に戻ってうろうろ探しましたがそれらしい道が見当たりません。道しるべも観光地図もなく、訊ねようにも地元の方の姿も見えません。そうこうしているうちに船の出航時刻まであと四十分。残念ながらゲーム・セットですね。やはりインフォメーションで地図を買っておくべきであったか。「島だから その考えが命とり」、今度こそ今度こそ肝に銘じ脳髄に刻み込みましたぞ。遺跡訪問はあきらめて、港の付近を自転車で散策することにしましょう。するとにわかに涙雨が降りはじめました。それほど激しくはないので濡れながらペダルをこいでいると、ある家の戸外に干してある洗濯物が雨で濡れていました。アイルランドでよく見かける光景なのですが、雨が降っても洗濯物をとりこまないのですね。
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 なおアランセーターを売っている店もありましたが、高価なため購入せず。防水と防寒のためのフィッシャーマンズセーターで、個人識別・家紋・大漁祈願などの意味を込めた縄状の独特の編み込みが特徴です。ジョン・ミリントン・シングの戯曲『海に騎りゆく人々』に、海から引き揚げられた靴下の編目で肉親が遭難したことを知るという場面がありました。「(靴下を手に取つて、編目を数へてゐたが、大声を張り上げる) マイケルのだわ、カスリーン。これマイケルのだわ」

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-23 06:10 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(49):イニシュモア島(08.8)

 それでは再び自転車にまたがりもう少し先まで行きますか。ん? 海に黒い小舟が浮かんでいる… あれはもしや薄い木片を編んで、そこに布地をコールタールで貼りつけただけの小舟(カラック[currach])ではなかろうか。そのすぐ近くには"MAN OF ARAN COTTAGE"というB&Bがあり、その入口のところにカラックが展示してありました。このやわな舟で荒海に漕ぎ出していたのかと想像すると、身の毛がよだちます。でもそうしないと生き残れない… なぜこの島から逃げ出さなかったのだろう、という不躾な疑問がわいてきます。なお"MAN OF ARAN"とはドキュメンタリー映画「アラン」の正式名称です。
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 なおこのあたりまでくると、放置された廃屋が目立ちます。
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 そしてセブン・チャーチズという廃墟へ、「セブン」と言われていますが実は教会は二つで、他の建物は修道士たちの住居であったそうです。外壁のみが残る廃墟群を見ていると、物悲しくなってきます。それにしてもこの教会が廃墟となった理由は何なのでしょう、ヴァイキングの掠奪によるものか、あるいはイギリス軍の攻撃によるものなのか。
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 島の先端まではもう少しあるのですが、さきほど見つけることができなかったブラック・フォート(The Black Fort=Dun Dubhchathair)という遺跡にぜひとも寄りたいので引き返すことにしましょう。せっせせっせとペダルをこいでいると、何人ものサイクリストとすれ違います。
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 ドン・エンガスへと向う道を過ぎると、幹線道路から右へと曲がる道がありました。例のしょぼい地図で確認すると、どうやら幹線道路と並行して港へと通じる道があるようです。ここは色気を出して、往きとは違うルートを戻ってみましょう。右手には牧草地と牛たちの向うに、ドン・エンガスの断崖を見やれる絶景です。左にカーブして直進すると行き止まり、あれっはずしたかな。少し戻ると左に曲がる道があったので、おそらくこちらでしょう。坂道をえんやこらえんやこらとのぼっていくと、そこには息を呑むような光景が広がっていました。海と山の間に広がる荒涼・広漠とした原野、そしてそのすべてを細分するように縦横無尽につくられた石垣。しかしそこには家も人も牛も羊も馬も見当たりません。おそらく長い年月をかけて海草や岩の割れ目にたまった塵を集めて石の上に敷き詰めて牧草地や畑をつくり、そして来る日も来る日も槌で岩を砕いて石垣を積み上げたのでしょう。貴重な土を風で吹き飛ばされないようにするためですね。今ではその巨大な、あまりにも巨大な痕跡が、打ち捨てられ、寡黙に眼前に広がっているだけです。
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 「過酷」「苛烈」「辛酸」、どんな言葉を使ってもフレンチクルーラーの味に思えてしまうほどの衝撃的な光景。ただ間違いないのは、この島の未来を明るいものにするため、親から子へ、子から孫へ、この想像を絶する重労働をバトンのように受け継いでいったということです。未来への楽観的な宿願… しかしその島人たちの努力や辛苦は報われたのでしょうか。風のほかには音のまったくない世界で、呆然と立ち竦む二人。The answer is blowin' in the wind. いつまでもここにいたいような、一刻も早く立ち去りたいような、不思議な気持ちでしたが、先を急ぎましょう。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-22 06:15 | 海外 | Comments(2)

言葉の花綵6

 物質進歩の力らハ人の力らを造り又天国をも造る。然れども此天国ハ多くの人を殺して造る天国なり。(田中正造)

 山川は天下の源なり。山又川の元なり。古人の心ありてたて置し山沢をきりあらし、一旦の利を貪るものは、子孫亡るといへり。(熊沢番山)

 ボディ-にMOF(大蔵省)と染め抜いたパトカ-に先導されて、証券会社の車の列が交差点をノンストップで走りすぎた。ところが、いつの間にかパトカ-が消え、右往左往していると、別のパトカ-がやって来て『御用だ!道路交通法違反で逮捕する』となった。(田淵節也)


 機微を察し、信念をもちつづけ、楽しむときは楽しむ心

 「日の丸ですか?もしもほんとに平和の象徴なら、そして世界中の人もそう思ってくれるのなら、あの旗でもかまわないんだけどねえ。」 

 日常的行為の中にひそむ抽象的禁圧を見逃さない性分、常識の専横を感じとる能力

 勇気ある少数派の存在はとくに貴重になる。権利というのは利益を得る権利以上のもの、あるいはそれとはべつのものだとは言っても、その意味は不確実であるかぎり 権利の定式化と擁護は、不当な扱いをうけた少数派の抗議がなければむずかしい。とりわけ、だれもが成功にあずかり、それゆえに自由であるかに見える社会では、だれかの不自由の明らかな証拠があれば、すべての者にいつか降りかかってくるかもしれない不自由のしるしとして、それを役立てねばならない。なんらかの点で他の人とちがう人は、もっとも被害を受けやすく、それゆえに不当な束縛や圧力を敏感に感じとるから、彼らこそ、万人の自由が現にあるかどうかを確証し、それが現実となるよう努力するほかはない人々なのである。権利というのは、試さずに放っておけば目に見えなくなるもので、そういう状態は抑圧や自己満足からも生じうる。今日の日本のように、市民の圧倒的多数が自分は多数派に属していると信じ、その信念が日々、国民的アイデンティティの核として強化されている社会では、万人の権利のためにたたかう少数派にのしかかる負担は耐えがたい重さとなるばかりだ。だからこそ、多数派が少数派に負うているのは、けっして寛容とか度量の大きさとかの問題ではない。そんなものは慈善をあいまいに世俗化した観念でしかない。少数派がたたかっているのは、彼ら自身のためであるのと同時に、多数派のためでもあるのだ。

 ふつうの幸せへの不屈の希求があったから、それを掘りくずす力にたいしては、残酷な力であれ、捉えがたい微妙な力であれ、彼女は敏感になったのだと言えよう。…国家というのは自衛隊や隊友会や護国神社だけではなく、べつのかたちをとることもありうると理解できた。…ふつうの日本の寡婦が明らかに常識的な日本流のやり方に異議を唱えたことに眉をひそめ、怒りをぶつけてきさえする何十人もの見ず知らずの人、こういう人たちの姿をとることもあると。

 自分にできることはごく僅かでしかない、でもひょっとしたら自分にしかできないことがあるかもしれない。(ノ-マ・フィ-ルド『天皇の逝く国で』)

 この粛清政治の烈しさが当時の官僚に与えた恐怖感と、彼らの処世のむずかしさとを物語る話がある。昼あんどんと呼ばれた宰相の婁師徳が、息子の初任官にあたってその心構えをたずねたところ、息子は、他人が己れの顔に青啖をはきかけたら黙ってぬぐいとると答えた。老宰相は嘆息して、「お前は見込みがない。ぬぐいとるということがそもそも反抗をしめすものだ。わしなら自然にかわくまでじっとしておく。」と諭したという話である。(三田村泰助『宦官』)
by sabasaba13 | 2009-05-21 06:06 | 言葉の花綵 | Comments(0)

洋食屋「葉椰子」

 エキサイトブログに新たに地図機能がついたそうなので、試しに使ってみましょう。紹介したいのは小田原にある「葉椰子(はやし)」という洋食屋さんです。箱根の湯治に行く時に、途中の小田原でよく食事をするのですが、以前愛顧していたのが「ブエナ・カレラ」というメキシコ料理屋さんでした。しかしある日、横浜へ移転してしまい、ショックのあまり二十分ほど登山鉄道車内で寝込んでしまいました。しかし捨てる神あれば拾う神あり、先日たまたま見つけたのがこのお店です。清潔で瀟洒な雰囲気、パバロッティを3/7に縮尺したような職人肌のご主人、リーズナブルな値段、そして何よりも丁寧に誠実に仕上げた美味しい料理の数々! この日は朝食・昼食を少なくして、山ノ神とともに満を持して入店、酒池肉林・百花繚乱、食べたいものをすべて注文しました。
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 滋味あふれた自家製ベーコンが感動的な温泉玉子のサラダ、春の息吹が五臓六腑にしみわたるアスパラガスのサラダ、しっかりした味のアサリの酒蒸し、焼いたチーズの香ばしさがたまらない生ハムのピザ、完璧なアルデンテと複雑玄妙なトマトソースが蠱惑的なアマトリチャーナ、この店自慢のデミグラスソースにつつまれ箸で切れるほど柔らかく煮込んだ牛タンのシチュー、そして食後のスイーツには暖かいチョコレート・ケーキ。これに珈琲をつけてお一人様4500円。ちんけなコース料理など粉微塵に吹き飛ばす超弩級の美味しい料理、王侯貴族の気分です。いつも店の前まで見送ってくれるご主人の心遣いも料理に花を添えてくれます。

洋食「葉椰子」 〒250-0011
神奈川県小田原市栄町2-7-30 ℡0465-24-8840



 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-20 06:09 | 鶏肋 | Comments(0)