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紀伊編(1):前口上(08.9)

 昨年の9月下旬、代休をからめて三連休にすることができました。となると「片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやま」ず、「そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につか」ない私としてはいてもたってもいられない。さて今度はどこへ行こうかなっ、まずは己の内なる声に耳を傾けましょう。すると、ゆ、あ、さ…という爛れた幽かな囁きが心の暗部から聴こえてきます。湯浅か… 実はわが敬愛する散歩の奇人・グレゴリ青山氏が「グ印関西めぐり 濃口」(メディア・ファクトリー)の中で、思わぬ発見をした時のオーラを発し喘ぎながら絶賛されていた町です。これで幹は決まったので、枝葉をつけていきましょう。いつものように「小さな町小さな旅 関西周辺」(山と渓谷社)、「歩く地図 南紀・伊勢・志摩」(山と渓谷社)、「近代化遺産を歩く」(増田彰久 中公新書1604)、「保存版ガイド 日本の戦争遺跡」(戦争遺跡保存全国ネットワーク編著 平凡社新書240)、「日本の棚田百選」(農村環境整備センター)、「日本の灯台50選」(燈光会)といった愉快な仲間たちの助力を得たところ、わんさかわんさわんさかわんさいえーいいえーいいえい、と面白そうな物件が見つかりました。風情のある街並みとして富田林・貝塚・信達・御坊・黒江、日の岬灯台と友ヶ島灯台、友ヶ島の戦争遺跡、下赤坂の棚田、浜寺公園駅・淡輪駅の古い駅舎、史跡としては道明寺・根来寺・粉河寺、どうでいもってけどろぼう! これだけ揃えば文句はありません、後はこうした地をどうつなげるかがプランニングの醍醐味です。今回気をつけなければいけないのは棚田へのバスと友ヶ島への船の発着時刻、それ以外は列車による移動が中心でローカル線でも一時間に一本は便がありそうなので分刻みの旅程をたてる必要はないでしょう。各訪問先のハブに位置する和歌山市に二泊、新幹線より安い飛行機を利用して、往きは大阪伊丹着、帰りは関西空港発と決定、さっそく予約をしました。第一日目:伊丹→富田林→下赤坂の棚田→浜寺公園駅→貝塚→信達→淡輪駅→和歌山、第二日目:和歌山→日の岬→御坊→道明寺→湯浅→黒江→和歌山、第三日目:和歌山→加太→友ヶ島→根来寺→粉河寺→関西空港、といったところかな。うわあ、きっつきつやなあ、と思わず関西弁で呻いてしまいましたが、若気の至り(どこがだ)ということで強行しちゃいましょう。そうそう、御当地のB級グルメを味わうために「るるぶ」("たべる・ふとる・でぶ"の略でしたっけ?)(JTBパブリッシング)も忘れずに。メタボリック症候群なんざ○○くらえ、という意気込みで食べまくりたいと思います。持参した本は「裸者と死者(上)」(ノーマン・メイラー 新潮文庫)です。

 9月好日、天気予報によると大阪周辺は激しい雨→曇。まいったなあ、ざんざ降りの中で棚田を歩き回るのはきついなあ。とりあえず伊丹空港に着いた時点で、決定しましょう。雨が上がりそうになかったら、富田林と棚田は三日目にまわして、長駆、湯浅に行ってしまいましょう。羽田を飛び立ち大阪伊丹空港に着きましたが、予報どおり激しい雨が降っています。まいったなあ、とりあえずバスで天王寺・あべの橋まで行って、そこで判断することにしました。ここでしたら十分にリカバリーが可能です。驟雨の中、高速道路を疾走するバス、その車窓から見えたビルボードにはまるで人の不運を笑うかのような「♪おーいオカムラくん♪ オフィス家具オカムラ」という、膝が脱臼するようなしょーもないギャグ。これで頭の中は一気に関西モードにシフトチェンジしてしまいました。さてあべの橋に到着すると、雨は小降りになっており、雲の切れ間も見えています。これなら何とかなりそう、予定通りの行程でいきましょう。
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by sabasaba13 | 2009-06-30 06:13 | 近畿 | Comments(0)

「建築史的モンダイ」

 「建築史的モンダイ」(藤森照信 ちくま新書739)読了。これまで日本の近代建築研究一筋であった藤森センセイが、その研究対象をワールド・ワイドに広げつつあることが、本書を読んでよくわかりました。建築の条件を「美しいこと」「視覚的な秩序があること」とした上で、人類は美を感じる能力を、いつ建築という人工物にふり向けるようになったのか? 荘厳さを強調するために宗教建築は縦長の形態をとることが多いのに、なぜ日本・中国・朝鮮・ベトナムの宗教建築ばかりが横長になったのか? 器と中身の両方が文明史の有為転変をのりこえて現在まで持続しているキリスト教、その教会建築の変遷は? 明治時代、どうして日本人は、伝統の和館の脇に新来の洋館を平気で並べるという世界的には異例な行いを平然と敢行したのか? 他にも日本建築における屋根、居間、城、茶室に関するモンダイ、はたまたガラス、煉瓦、鉄筋コンクリート、打放しといった発明と工夫に関するモンダイに、「当たって砕けろ」とばかりに取り組んでいく姿勢には小気味よさを感じます。虚心坦懐に建築を見て、ふと浮かんだ疑問を大事に暖め、綿密な調査をしながら大胆な仮説を打ち出していく。藤森氏のエネルギッシュな好奇心は衰えを見せません。一つのテーマについて十ページ足らずで叙述されているので通勤途中などで気楽に読めるの魅力ですね。またユーモラスな調子で包み込みながらも、眼から鱗を削ぎ落とすような鋭い指摘をされる藤森節も絶好調です。例えば、茶室建築に関する章で、茶についてこう述べられています。
 当時の人々が日頃用いていた薬の弱さと、料理における香辛料の乏しさと、空中の刺激物質の皆無を考えると、彼らの赤子のようなナイーブな肉体と脳神経細胞にとって、覚醒剤そのものであったにちがいない。喫(や)るとえらくハイになることができた。現在なら、政府は禁止する。(p.154)
 建築の奥深さに楽しく触れることができる好著、お薦めです。旅に出るといろいろな建築に出会えますが、じろじろとよく見て、どんなに小さな疑問でも大事にせにゃ、とあらめて思います。
by sabasaba13 | 2009-06-29 06:08 | | Comments(0)

「手に職。」

 「手に職。」(森まゆみ ちくまプリマー新書091)読了。谷根千(谷中・根岸・千駄木)を中心に五感を駆使して古き江戸・東京の息吹を探訪する散歩の達人・森まゆみ氏が、いろいろな職人のみなさんから苦労話・人生談を聞き出すというのですから面白くないわけがありません。通勤本として即購入、あっという間に読み終えました。登場する職人は鮨・大工・三味線・江戸和竿・手植ブラシ・指物・足袋・提灯・つまみかんざし・江戸刺繍・切子ガラス・おろし金・江戸やすり・鋏・貴金属眼鏡枠・桐箪笥・べっ甲・佃煮・そば・鳶。みなさんにほぼ共通しているのは、金儲けのためにモノをつくっているのではないということです。客の注文や好みに合わせてああでもないこうでもないと工夫し、自らの経験を生かしながらモノをつくりだし、それを受け取った客の満足気な顔を見る。その一連のプロセスが喜びなのですね。利潤のためにそれほど必要でもないモノを大量生産し大量消費させるという資本主義システム成立以前の、社会に埋め込まれた経済という真っ当なあり様を見せつけられた思いです。
 しかし、森氏も「おわりに」で言われているように(p.187)、モノをつくる人より、モノを売る人の方がもうかるしくみになっているのが現状です。流通業者ばかりがいばって、もっと安く仕入れようと生産者を買い叩く。このままでは、環境を破壊しながら大量に生産されるろくでもないものが巷に満ち溢れ、そして腕のいい職人さんたちが消え去ってしまうのは時間の問題です。本当に必要ないいものを、正当な代価を支払って手に入れ大事に使う、という精神論しか提案できない己の無力さには悲しくなってしまいます。でもそこから始めるしかないんだろうなあ。ただそうした動きが広まれば、経済格差や環境問題を解決する一助には確実になあるとは思います。ある職人さんが、父親から「のばさなくていいから、つぶさないでくれ。(p.88)」と言われたそうです。この言葉は格差を押し広げ環境を破壊しながらジャガノートのように経済発展という隘路を突き進む日本経済、そして世界経済に対するオルタナティヴ(もう一つの選択肢)であると思います。

 職人さんたちから面白い話を聞きだしてくれた森氏の手腕に感謝するとともに、歯切れのよい江戸言葉を堪能できるのも本書の魅力です。ぶき(不器用)とか、長っ尻(ながっちり)なんて、なかなか味わい言葉ですね。
by sabasaba13 | 2009-06-28 06:46 | | Comments(0)

銭湯

旧みなと湯(岡山県玉島)
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旧柳湯(岡山県玉島)
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旧桂湯(富山県城端)
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菊の湯(福井県山中温泉)
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大正湯(北海道函館)
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旧衛生湯(北海道函館)
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旧大黒湯(北海道函館)
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半田東湯(愛知県明治村)
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旧櫻湯(帯広)
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花の湯(東京都板橋)
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人参湯(千葉県木更津)
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下大湯公衆浴場(山形県上山温泉)
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新地湯(京都府中書島)
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みどり湯(栃木県佐野)
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燕湯(東京都上野)
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新温泉(熊本県人吉)
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竹瓦温泉(大分県別府)
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駅前温泉(大分県別府)
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大黒湯(東京都北千住)
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つぼ湯(和歌山県湯の峰温泉)
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旧藤ノ森湯(京都)
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旧五橋湯(山口県岩国)
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弁天湯(鳥取県米子)
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龍城温泉(愛知県岡崎)
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城前温泉(福島県会津若松)
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和歌山県湯浅
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大黒湯(京都)
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まつば湯(京都)
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稲荷湯(東京都王子)
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亀の湯(東京都駒込)
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だるま湯(北海道小樽)
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亀山湯(山口県山口)
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旧にしき湯(島根県益田)
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旧旭湯(福岡県門司)
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旧山田湯(北海道小樽)
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旧西の湯(千葉県外川)
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一の湯(群馬県桐生)
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衛生湯(青森県弘前)
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長寿湯(青森県弘前)
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長野県更埴
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最上湯(京都)
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子宝湯(江戸東京たてもの館)
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鹿乃湯(北海道小樽)
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小町湯(北海道小樽)
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あさひゆ(兵庫県神戸)
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船岡温泉(京都)
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兵庫県淡路島洲本
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大宮温泉(京都)
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浪速第一温泉(大阪)
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旧大和湯(広島県尾道)
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滝の湯(神奈川県鎌倉)
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潮ノ湯(北海道小樽)
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たかの湯(岐阜県飛騨高山)
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梅の湯(福岡県門司)
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中橋湯(岐阜県飛騨高山)
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姫の湯(埼玉県深谷)
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正面湯(京都)
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菊水湯(東京都本郷)
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天徳湯(東京都西荻窪)
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片倉館(長野県諏訪)
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新町温泉(和歌山県加太)
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久賀の石風呂(山口県周防大島)
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熱の湯(青森県黒石)
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寿湯(東京都台東区)
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昭和館(群馬県桐生)
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熱海湯(東京都神楽坂)
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一乃湯(広島県仁方)
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千歳湯(東京都西日暮里)
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若の湯(京都府西舞鶴)
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末広湯(北海道千歳)
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旭湯(埼玉県川越)
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秋田県大館
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大宮温泉(東京都練馬区)
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大星湯(東京都新宿区)
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滝の湯(福井県三国)
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バスハウス(東京都谷中)
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旧玉純湯(広島県竹原)
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寿湯(青森県田名部)
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弘前湯(青森県田名部)
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道後温泉本館(愛媛県松山)
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日ノ出湯(福井県小浜)
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日乃出湯(東京都練馬区)
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末広湯(東京都豊島区)
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妙法湯(東京都豊島区)
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元町湯(徳島県徳島市)
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unknown(徳島県貞光)
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君が湯(長野県須坂)
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by sabasaba13 | 2009-06-27 07:55 | 写真館 | Comments(0)

言葉の花綵8

 なんでも自分のものにして、もって帰ろうとすると、むずかしいものなんだよ。ぼくは、見るだけにしてるんだ。そして、たちさるときには、それを頭の中へしまっておくのさ。ぼくはそれで、かばんをもち歩くよりも、ずっとたのしいね。(スナフキン)

 もし彼らが無数の人々を精神的にも肉体的にも破滅させることになった数々の非道な行為について黙して語らずにいれば、私もその共犯者になってしまうでしょう。

 「彼らには、彼らが崇め、こよなく愛している神があるからだ。彼らが私たちを征服したり、殺したりするのは、私たちにもその神を崇めさせるためなのだ」と言い、傍にあった金製の装身具のいっぱい詰まった小籠を手に取り、言葉を続けた。「これがキリスト教徒たちの神だ」

 カシーケはしばらく考えてから、キリスト教徒たちも天国に行くのかと尋ねた。彼はうなずいて、正しい人はすべて天国に召されるのだと答えた。するとそのカシーケは言下に言い放った。キリスト教徒たちには二度と会いたくはない。そのような残酷な人たちの顔も見たくない。いっそ天国より地獄へ行った方がましである、と。(『インディアスの破壊についての簡潔な報告』 ラス・カサス)

 突然消えたので、弁当を買いに行ったのかと思ったよ。(対舞ノ海戦後の小錦の談話)

 下手糞の 上級者への みちのりは 己が下手さを 知るが一歩目 (『スラムダンク』 安西先生)
 
 赤猫這わしたろか! (放火してやろうか!) (『ナニワ金融道』より 岡山県人の脅し文句)

 君が女だったら殴っているところだ! (ビリー・ワイルダー監督『情婦』より)

「秘密兵器は何ですか?」
「秘密です」 (バサロ泳法でバルセロナ・オリンピック優勝の鈴木大地)

 あたえられたイメージを作りなおすことこそ想像力の働きである。(ガストン・バシュラール)

 そんなにかんでると口の中でウンコになるぞ。(車寅次郎)

 今、日本が世界に誇れるのは、第2次大戦後日本人兵士に殺された人間は一人もいないということ。(unknown)

 我々と同じ意見を持っている者のための思想の自由ではなしに、我々の憎む思想のためにも自由を与えることが大事である。(O.W.ホームズ)

 反対意見を強制的に抹殺しようとする者は、間もなく、あらゆる異端者を抹殺せざるを得ない立場に立つこととなろう。強制的に意見を画一化することは、墓場における意見一致を勝ちとることでしかない。しかも異なった意見を持つことの自由は、些細なことについてのみであってはならない。それだけなら、それは自由の影でしかない。自由の本質的テストは、現存制度の核心に触れるような事柄について異なった意見を持ち得るかいなかにかかっている。(R.ジャクソン)

共産党が迫害された。私は党員でないからじっとしていた。
社会党が弾圧された。私は党員ではないからやはり沈黙していた。
学校が、図書館が、組合が弾圧された。
やはり私には直接的な関係がなかった。
教会が迫害された。私は牧師だから立ち上がった。
しかし、その時はもう遅すぎた。(マルチン・ニーメラー)

 権力とは、人間を物に変える力である。(unknown)
by sabasaba13 | 2009-06-26 06:07 | 言葉の花綵 | Comments(0)

東京の奉安殿編(8):箱根病院(08.9)

 後日談。たまたま箱根に行く用事があり、その帰りに奉安殿が残されているという箱根病院に寄ってみました。箱根湯本から小田急に乗って二つ目の駅、風祭駅で下車したところ、北側すぐ目の前の高台にあるのが立行政法人国立病院箱根病院です。T字路の正面にある階段をえっちらえっちら上ると、池の脇にある繁みの中にたしかに奉安殿がありました。銅製の切妻屋根に、鉄筋コンクリート製の社殿、固く閉ざされた扉は妻入りとなっています。残念ながら柵に囲まれており、立入りは禁止のようです。小耳にはさんだ情報では、かつて陸軍病院だったということ、病院に奉安殿があるのも納得です。
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 次の列車まで多少の時間もあるし、何かありそうなそこはかとないオーラを感じましたので、付近を探索することにしました。すると案の定、奉安殿の右のほうにモルタル+下見板張りで小さな尖塔のある二階建ての白い洋館がありました。しかも立派な車寄せも設置されています。さらにその向かいにも平屋の白い洋館。これは何か曰くがありそう、陸軍の高級将校を迎えるための施設かなと想像しました。
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 帰宅後、インターネットで調べてみると次のようなことがわかりました。箱根病院は現在、脊髄損傷患者専門治療機関として有名ですが、アジア・太平洋戦争前から続く戦傷脊髄患者の療養所として長い歴史を持っています。日中戦争の開戦後(1937~)、傷痍軍人が急増しその中でも特に重傷者がここに入所したそうです。二階建ての洋館は、傷兵院旧本館で1936年に完成。傷痍軍人のうち重傷(症)患者を受け持ち、現在では病院職員の休憩室や更衣室として利用されているとのことです。向かいの平屋の洋館は同時期に竣工した講堂。また西へ数分歩いた森の中には一般の入院患者と元傷痍軍人を分離するための西病棟がそのまま残っていますが、これは見逃しました。
 それにしてもあまりに目立つ優雅で瀟洒な建物なので驚きました。天皇および国家のために戦い重傷を負った兵士を顕彰し、こんなに素晴らしい施設で治療を受けているのだと人々にアピールする目的もあったのかもしれません。「病の社会史」を考察する上で、戦前の古い病院探訪も興味深いですね。それほど数は残されていないとは思いますが。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-06-25 06:10 | 東京 | Comments(0)

東京の奉安殿編(7):朝日稲荷神社(08.9)

 さてそれでは不動前駅へと戻りますか。途中にあったのが成就院、別名蛸薬師。慈覚大師が海に投じた薬師像が蛸に乗り漂着した故事に由来するそうです。こちらの絵馬ならぬ絵蛸は、蛸の絵に「ありがたや福をすいよせるたこ(多幸)薬師」と書かれたユニークなもの。「珍珍歩歩が盛りあがっちゃえ!!!」というぶっとんだ一品がありました。
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 不動駅から東急目黒線に乗って大岡山駅で大井町線に乗り換え、さらに旗の台で池上線に乗り換えて洗足池駅で下車。道路を渡ってすぐ目の前にあるのが洗足池です。武蔵野台地の末端の湧水をせきとめた池で、灌漑用水としても利用されたそうです。江戸時代には、歌川広重の「名所江戸百景」に描かれるなど、江戸近郊における景勝地としても知られていました。池の東側には、勝海舟の別邸(洗足軒)跡という説明板があります。官軍参謀の西郷隆盛と会談するために池上本門寺に向った海舟がたまたまここを通り過ぎ、その自然の美しさに感嘆して、後に別邸をつくり晴耕雨読の晩年を過ごしたとのことです。
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 その前が御松庵という日蓮宗のお寺さん、門ごしに見やるエントランスは竹林、萱塀、石畳、白い塗り塀が落ち着いた瀟洒な雰囲気をかもしだしています。中に入ると日蓮袈裟掛けの松があり、そして洗足池を間近に見ることができました。
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 門から出て左に少し歩くと、勝海舟夫妻の墓、および海舟が隆盛を追慕して建てた西郷作の漢詩の碑と留魂祠があります。
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 それでは奉安殿を転用した朝日稲荷神社(長慶寺境内 大田区東雪谷5-8-10)へと向いましょう。洗足池駅わきのガードをくぐると、池から流れ出す小川ぞいに遊歩道が整備されており、持参した地図によると延々とこの道ぞいを歩けばよいはずです。途中で戦前のものらしき洋館+日本家屋折衷の住宅を発見。また鯉を放流してあるところもありました。カワニナ専用エリアがあるということは、蛍も生息しているのかな。
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 途中で遊歩道からはずれ、地図を頼りにうろうろ探していると大きな三叉路に面したあたりに長慶寺がありました。洗足池からここまで三十分弱といったところ。本堂の裏手の藪の中に、その奉安殿を転用した神社がありました。鉄筋コンクリート製で保存状態はあまりよくありません。社殿形式ですが、切妻屋根+平入りですが、屋根の後部が短くなっているのが特徴。なお解説等はありませんが、インターネットで調べたところ、池雪小学校にあったものだそうです。
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 さて、てくてくと大通りに沿って洗足池駅まで戻ると、ちょうど町内会のお祭の真っ最中。あまりやる気のなさそうな子供たちが、大人たちにせっつかれながら山車をひっぱっていました。その脇の線路沿いには満開のコスモスとひらひらと揺れ飛ぶアゲハチョウ。これで本日の徘徊は終了です。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2009-06-24 06:13 | 東京 | Comments(0)

東京の奉安殿編(6):羅漢寺(08.9)

 さて山門の前を右に曲がり、塀づたいに少し歩くと、五百羅漢で有名な羅漢寺です。途中にあった目黒保健所作成の掲示が「ネコにえさを与えるあなたへの手紙」。えさ・糞尿の後始末、去勢不妊手術の励行を呼びかけたものですが、最終的には町中の野良猫を撲滅しようということなのでしょうか。たしかに我が家でも糞尿の臭いで閉口することも時々ありますが、それでも猫のいない寂寞さを思えば堪えられるというもの。あまり目くじらをたてることはないと思いますが。それにしても「不幸なネコを増やさない」とはあまりにも増上慢な物言いですね。われわれに猫の幸不幸を決める権利はあるのでしょうか。その近くには「目黒のSUNまつり」というポスター、なるほど"目黒のさんま"か。
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 そして数分で羅漢寺に到着、お目当ては五百羅漢像です。「目黒のらかんさん」として親しまれている三百五体の羅漢像は、元禄時代に松雲元慶禅師が、江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて作りあげたものだそうです。拝観料を払って、保存のためにつくられたモダンな展示館に入ると目白押しにつめこまれた羅漢さんがお出迎え。しかし表情や仕種に個性がとぼしく、川越喜多院の五百羅漢像に軍配をあげましょう。なお写真撮影は禁止でした。本堂は築地本願寺に似ている古代インド風、伊東忠太の衣鉢を継ごうとしているのか、たんなるパクリなのか、よくわかりません。
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 本堂内にも羅漢さんがおられましたが、法事の最中なのでよく見られませんでした。入口にある「お線香着火器」の説明がなかなかシュールなので紹介します。「着火器に火がつかない場合は… ①着火レバーを下げる。②着火レバーを下げたまま、ライターまたはチャッカマンで火をつける。③火がついたら、着火レバーを下げたまま線香をのせてください。それでもつかなかったら…ガス切れです。寺務所までご連絡ください」 あのお(おずおずと挙手)質問があるのですが、①以降をすべて省きライターまたはチャッカマンで直接線香に火をつけたほうが早いのではないでしょうか。
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 そして本堂入口の上部には、軍隊による民衆の殺戮を描いた絵が掲げられています。思わず眼を奪われ、解説を一気に読んでしまいました。1945年8月14日に、旧満州の大興安嶺・ホロンバイル草原の葛根廟でくりひろげられた、ソ連軍戦車隊による在留邦人虐殺を描いたものだそうです。(葛根廟事件) 犠牲者は千数百人、寡聞にしてこの悲劇については知りませんでした。その方々が当寺に葬られているのでしょうか。解説文中の「東洋のゲルニカ」という表現には違和感を覚え(類似点は何か)、「黙して言葉もない」という結語には異議を唱えたい。二度とこのような事態を起こさせないためにも、言葉を失ってはいけません。当事者のソ連軍、および彼らを前線に放置した関東軍・政府・関係者に対する瞋恚の思いを禁じ得ません。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-06-23 06:07 | 東京 | Comments(0)

東京の奉安殿編(5):目黒不動尊(08.9)

 さて次に向かうは目黒不動。東急目黒線に乗って約十分で不動前駅に到着、ここからかむろ坂通りを西へ歩き、右手に折れた正面が目黒不動尊です。付近はちょっとした門前町になっており、さまざまな商店が建ち並んでいます。ある肉屋さんの前には、郵便配達用スクーターと新幹線の形をした子供用乗り物、正式名称は何と言うのでしょう、小銭を入れるとうぃんうぃんと揺れる一物がありました。最近、とんと見かけなくなりましたが、これはちゃんとメンテナンスされて現役の風情です。その前にある「旬魚のととや」で昼食をいただきましょう。注文は鯖の塩焼き定食、身がしっかりと締まり脂もほどほどに乗ってなかなか美味でした。
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 そして目黒不動尊へ。天台宗のお寺さんで、泰叡山滝泉寺の通称です。808(大同3)年に円仁が下野国から比叡山に赴く途次、不動明王を安置したのが開創と伝えられます。近世には江戸五色不動の第一となり、地名のおこりとなります。山門をくぐると広い境内となり、正面にあるのが独鈷滝。水垢離や病気平癒祈願のために今でも利用されているそうです。その近くのあるのが水かけ不動尊です。長い石段を上り、「階段はゆっくり・あわてず・かくじつにお上がり下さい」という注意書きのある階段を上がるとそこが本堂です。さすがは江戸っ子、「てやんでいべらぼうめ」とせっかちに駆け上がりすっ転ぶ参拝客が多いのでしょう。賽銭箱には「防犯上の都合により、お賽銭は中央の賽銭箱へ入れてください」という注意書き。せちがらい世の中に…、いや賽銭泥棒は太古の昔からいましたよね。私は、細長い棒の先に鳥もちをつけて飛木稲荷神社の賽銭をくすね、近所の駄菓子屋「S山」でカバヤキャラメルを買った、などという悪辣な行為はしたことはありませんが。
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 その近くには絵馬がかけられていました。自称絵馬ウォッチャーとしては見逃せない、いくつか紹介しましょう。「今年こそは方向性が定まりますように」「どこの学校に行っても、頭の良さがトップでありますように」「天下布武」「木村拓哉のクオカードが当選しますように」 いやはや、これだけバラエティに富んだ願い事をよせられるなんてお不動さんも大変だ。♪限りないもの、それは欲望♪ですね。
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 石段の途中には力石と、天台宗と修験道の親近さを物語る役行者銅像がありました。なおどこかに青木昆陽の墓があるはずですが、これは見つけられませんでした。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-06-22 06:08 | 東京 | Comments(0)

東京の奉安殿編(4):田園調布(08.9) sanpo

 さてふたたび東口商店街を歩いて学芸大学駅に戻り、東急東横線に六分ほど乗ると田園調布に到着です。せっかくここまで来たのですから、この駅舎を見ないわけにはいきません。駅舎自体は新しいものに建て替えられていましたが、古い駅舎はそのすぐ近くにきっちりと保存されていました。ドイツ風の腰折屋根が印象的な、垢抜けないけれども愛嬌のあるずんぐりとした佇まいは、まるでまどろみながら日向ぼっこしている老婦人のようです。完成当時は二階が喫茶店で、町の人々の良き社交場となっていたそうな。竣工は1924(大正13)年、いったんは解体されたのですが、近年復元されました。やはりこやつがいないとしまりませんね、関係者の炯眼に敬意を表します。そしてここを中心に広がるのが、日本有数の高級住宅街・田園調布です。この街の来歴について語ったプレートが駅舎前に掲げられていました。
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 ウィキペディアとスーパーニッポニカの解説を参考にしながら、田園調布の歴史についてまとめてみましょう。
 この街の基本理念となったのが「田園都市」です。これはイギリスのエベネザー・ハワードEbenezer Howard(1850―1928)により1898年に提唱された都市で、田園の中に独立した新しい理想的都市のことです。産業革命を最初に経験したイギリスで、大都市の弊害が説かれ、工業の分散、都市の分散を図り、健全な都市発達のために、田園都市運動が起こりました。ハワードは『明日の田園都市』を出版し、田園に囲まれた人口3万くらいの美しい町を、大都市周辺につくることを説きました。その都市では、土地は公有か、さもなくば信託所有であり、同時に社会単位で住民に快適な環境を提供します。従来の都市と田園の長所を備え、自然の美、社会的な機会、公園に近く、低い家賃と物価、高賃金などの特色をもつとしています。この運動により1903年、第一田園都市会社が設立され、ロンドンの北西56キロのレッチワースに第一の田園都市が実現しました。この田園都市運動は、各国の都市計画に大きな影響を与え、衛星都市や都市分散論の先駆けとなります。
 さて明治財界の大御所・渋沢栄一は数回の欧米視察でその必要性を痛感し、1915(大正4)年、田園都市作りの企画検討を始めました。1918(大正7)年に計画は完成し、引退していた栄一に代わり、その息子の秀雄が田園都市会社の支配人となり街の建設が進められます。1923(大正12)年には目黒蒲田電鉄調布駅も開業されます。完全な意味での「田園都市」ではありませんが、扇状の区画、並木、景観への配慮など、その志の一旦は息づいています。なおバブル期に地価の高騰により相続税の納税が困難になり、土地を切り売りせざるを得なくなった例が多く見られ、当初の計画通りの町並みが残されているわけではないそうです。現在は相続税制が緩和された効果もあり、以前よりは保全しやすくなっていますが、相続税が原因の細分化が生じるケースもあるとのことです。
 駅からほんの少しだけイチョウの並木道を歩いただけですが、街の落ち着いた上品な趣を十分に感じ取ることができました。群葉のアーチごしに見やる古い駅舎の佇まいはピクチャレスクな光景です。雑駁でキッチュな町並みもいいですが、こうしたシックな町並みにも心惹かれます。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-06-21 09:19 | 東京 | Comments(0)