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紀伊編(22):友ヶ島灯台(08.9)

 海沿いの斜面にはいつくばるように広がる孝助松を左に、蛇ヶ池を右に見ながら池尻広場をつっきり、坂道を少し上ると友ヶ島灯台に到着です。
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 ちょっとずんぐりとした愛嬌のある佇まいで寡黙に屹立する白亜の石造灯台でした。
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 竣工は1872(明治5)年、設計は"日本の灯台の父"リチャード・ヘンリー・ブラントン、日本で八番目に建造された洋式灯台です。なおスーパーニッポニカからブラントンのプロフィールを引用しておきます。
Richard Henry Brunton (1841―1901)
 イギリスの技術者、幕末・明治初期のお雇い外国人技術者。スコットランドのアバディーンシャーに生まれる。父は船長であった。私立学校卒業後、鉄道工事の見習技師となり各地の工事に従事した。その後、徳川幕府の依頼を受けたスティーブンソン兄弟の斡旋で1868年(慶応4)来日し、本格的な洋式灯台の建設に携わった。さらに新時代の工学知識と西欧技術を多方面からの依頼に応じて発揮し、鉄道建設の必要を建言のうえ、まず東京―横浜間の鉄道敷設を説いた。また、横浜にあった鉄の橋の吉田橋の架設や横浜居留地の公園計画、下水道敷設などを行った。横浜の都市づくりに多くの提案を残し、76年(明治9)帰国した。
 日本の近代化を助力した、そして何よりも洋式灯台についてのノウハウを伝授してくれた灯台フリークにとっては足を向けては寝られない恩人です。なおブラントン設計の灯台は14基現存しており、これまでに樫野崎江埼角島犬吠崎御前崎尻屋崎灯台、そしてここ友ヶ島の灯台を訪れました。残るは神子元島、六連島、鍋島、部埼、釣島、金華山、菅島、ぜひとも全てを踏破してみたいものです。灯台の少し向こうまで行くと、紀淡海峡をはさんで淡路島が眼前に迫っていました。
 灯台のすぐ隣にあるのが第一砲台跡、砲座と半地下につくられた弾薬庫らしき煉瓦造りの建造物を見ることができます。
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 ここから道なりに歩いて数分のところにあるのが第二砲台跡。見晴らしの良い海岸沿いの小高いところに、煉瓦・コンクリート造りの巨大な砲座が残されています。ただ海岸部が侵食されており、海側の部分は崩落・崩壊の危機に瀕していました。ここから海沿いの斜面につくられたハイキングコースを歩き、十分強で桟橋に到着です。時刻は11:20、やれやれ発船時刻十分前に間に合いました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-30 05:43 | 近畿 | Comments(0)

紀伊編(21):友ヶ島砲台(08.9)

 さっそく船着場近くにあった観光案内所で観光地図をもらい、広場のベンチに坐って紫煙をくゆらしながらこれからの行程を検討しました。幸いお目当ての砲台跡と灯台は島の西半分に集中しているので、桟橋→タカノス山展望台→第三砲台跡→第五砲台跡→友ヶ島灯台→第一灯台跡→第二砲台跡→桟橋というルートでハイキングコースを歩けば、二時間ほどで戻ってこられそうです。トイレはここにしかなさそうなので用を済ませ、いざ出発。道標が整備されているので道に迷う心配はありません。ゆるやかな坂道を十分強のぼると第三砲台跡に到着ですが、まずはタカノス山展望台に行ってみましょう。
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 プチ象の檻のような航空保安施設のところから階段をのぼると展望台に到着。友ヶ島の全貌、友ヶ島灯台、紀淡海峡をはさんで対岸の淡路島が、手に取るように眺望できます。うす曇なのが惜しいのですが絶景かな絶景かな。
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 階段を下りて先ほどの保安施設の脇には、地面を掘りくぼめて煉瓦で固めた楕円形の空間に、二つの丸い砲座跡が並び、澱んだ水を湛えています。解説板によると、こうした砲座が四つ連続して設置されていますが残り三つは藪の中にあり見るのには苦労しそうです。
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 なお友ヶ島砲台群は、明治政府が紀淡海峡防備のために築造したもので、ここ第三砲台の竣工は1892(明治25)年です。砲座ぞいにつくられた石畳の通路を歩いていくと、右手と正面に見事な煉瓦積みで築造された弾薬庫が現れます。その造形美と意匠、保存状態の良さは特筆もの、フォトジェニックな光景でした。
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 突き当たりを左に曲がり短いトンネルを抜けると、木造の監守衛舎と煉瓦造りの小さな発電所が残っていました。
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 再びハイキングコースに戻り先へ進むと途中に枝道があり、第五砲台跡という道標がありました。そちらへ折れてしばらく行くと第五砲台跡に到着、第三砲台跡からここまで15分くらいです。コンクリートでつくられた直方体の大きな砲座が、大いなる眠りをまどろんでいました。がさっと音がしたので驚いて上方を見上げると、鹿が円らな瞳でこちらを見つめ、そして幻のように森の中へ消えていきました。ふたたび本道に戻り、ゆるやかな坂道を下ると「海軍聴音所跡 0.4KM」という道標がありましたが、時間の関係もあるのでカットしましょう。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-29 06:13 | 近畿 | Comments(0)

紀伊編(20):友ヶ島へ(08.9)

 そして海岸と並行して、木造家屋が肩を寄せ合うようにして連なる町並みへと入っていきます。狭い路地からは光る海が垣間見え、漁師町の風情を感じさせてくれます。本格的な本瓦葺き屋根をいただく家屋も何軒か見かけました。ある商店のガラス戸には「入口の戸をきっちりしめて下さい。猫が入って困ります」という貼り紙。猫が元気だということは、漁村としての息吹がまだあるということでしょう。
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 役行者堂へと上る石段の前を通りしばらく歩くと登録有形文化財「吾妻屋 旧本館」の巨躯が見えてきます。解説板によると、1933(昭和8)年に竣工された団体客向けの大きな旅館で、二階大広間は柱のない百畳敷きだそうです。内部の見学は不可。
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 すぐ目の前が淡嶋神社ですが、時刻は8:50、そろそろ港に行ったほうがよいでしょう。地図を見ると、やばっ、友ヶ島行発着所からちょっと遠方まで来てしまいました。あわてて海岸沿いの広い車道に出て駆け足で戻りました。加太大橋の左手下方に船着場が見えましたが、そこまで下りる道が見当たらない… 9:00発の船に乗り遅れたら、以後の旅程は壊滅的な打撃を受けてしまいます。残された時間は五分、せんかたなし、生い茂った草をかきわけながら土手を下りると、駐車場のゲートがありました。しかし錠がかかっていて開かず、足場がないので乗り越えられそうもありません。万事休すか、門扉を握り締めながらアンジェイ・ワイダ監督「地下水道」の一場面のようだな、などと暢気にかまえていたら左手の方に越えられそうな塀がありました。うしっ、草をかきわけて移動し塀を乗り越え橋の下をくぐって船着場へとダッシュ、かろうじて乗船することができました。「もういやっこんな生活」と小松政男氏のように叫びたいところですが、自業自得ですね。
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 船はほぼ満員、このあたりは釣りのメッカだそうで、ほとんどの方が太公望です。残りはハイキング目当ての家族連れやカップルと山伏… やまぶしい!? 幻覚かと思い目をこすりましたが、たしかに山伏姿の若い二人連れが前方におります。島の観光案内所でもらったパンフレットによると、修験道の始祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が葛城山に行く前にこの島に立寄ったそうで、葛城修験道二十八宿の第一宿が置かれ、島内には観念屈・閼伽井碑など修験道に関する史跡・行場があるとのことです。なるほどねえ。
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 釣り船が点々と浮かぶ静かな湾を船は進み、20分ほどで友ヶ島に到着です。なお沖ノ島・地ノ島・虎島・神島を総称して友ヶ島と呼び、これから上陸するのは沖ノ島に該当します。加太に戻る船は11:30発なので二時間ほど滞在ができます。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-28 06:12 | 近畿 | Comments(2)

紀伊編(19):加太(08.9)

 そして加太春日神社に到着。実は最近読んだ「寺社勢力の中世 -無縁・有縁・移民」(伊藤正敏 ちくま新書734)という大変刺激的な本の中に、以下のような記述がありました。
 和歌山市の加太港は、大和に発し紀ノ川に沿って西へ延びる南海道が瀬戸内海に没し、淡路島を経て四国に向かう起点、陸上・海上交通の要衝にある港湾都市である。近世には廻船の基地となる。中世では賀太と表記される自治都市で、鍛冶・番匠・紺屋・茶屋・桶屋などの商人・職人が住み、酒屋もある。瀬戸内水軍の一部を構成し、遠洋漁業も行う。NHKが入れた水中カメラの映像によると、海底には十艘以上の中世の貿易船が眠っている。守護不入の守護領として、強い自治権を保持し、紀ノ川河口の自治都市連合の「紀州惣国」(いわゆる雑賀一揆)の指導的立場にあった。

 1537年、賀太で宮座の置かれた春日神社の神前において、二十三人の名主の「永定」が行われた。永久に特権身分の名主をこの二十三家に限るという決定であり、特権層の家筋の固定であった。家格差別を恒久化する家格制の成立である。…無縁の自治都市に有縁の身分制が発生したのだ。
 何でもないことのようだが、身分制を国家でなく、自治都市や自治村落が創設したことは、世界史的に見ても非常に珍しいできごとなのだ。(p.230)
 なるほどねえ、このあたりが織田信長との石山合戦で奮闘した雑賀(さいか)一揆の中核だったんだ。そして加太の宮座が置かれたのがここ春日神社だったのですね。After the carnivalですけれど。なおこちらにも「超安全顔はめ看板」がありました。どうやら町ぐるみで顔はめ看板による事故をなくそうという気概をお持ちのようです。
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 その先には「水用」と刻まれたコンクリート製の防火用水槽がありましたが、戦前のものでしょう。堤川に出て川沿いに海の方へ歩くと、煉瓦造りの倉庫がありました。観光地図によるとかつて醤油屋のものだったそうです。その隣には和風木造建築とギリシア神殿風洋館が合体した奇天烈な物件がありました。建築史家の藤森照信氏が「建築史的モンダイ」(ちくま新書739)の中で「どうして日本人は、伝統の和館の脇に新来の洋館を平気で並べるという世界的には異例な行いを平然と敢行したのか?」と指摘されていますが、その一例でしょう。なお氏の解答は「様式よりも用途の重視」です。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-27 06:15 | 近畿 | Comments(0)

「人名の世界史」

 「人名の世界史」(辻原康夫 平凡社新書295)読了。これは文句なく、楽しめかつためになる本でした。世界におけるさまざまな人名の由来や、それにまつわる逸話などをまとめた力作です。例えばMac-やO-という接頭辞は、アイルランド系の名前によくあり「~の息子」を意味する、なんていう断片的な知識はあったのですが(ex.マクドナルド・マッキントッシュ、オサリバン・オニール)、本書を読んで、O-は古ゲール語の前置詞で「~の血筋をひく」を意味するua-が連音化したもので、元来は祖父以前の父祖名のしかも男性のみ用いられたもの、またMac-は「~の息子」を意味する接頭辞で、通常は父親の名につけて名のったとのこと、といったことがわかりました。もちろん、これにとどまらず、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカ、世界中の名前に関する興味深いお話がてんこ盛りです。詳細はぜひご一読していただくとして、これからいろいろな人名に出会うたびに、その出自や由来に考えが及ぶこと間違いなし。お薦めです。
 そしてあらためて人間が名前に託してきた祈り・願い・誇りといったさまざまな思いにも気づかされました。名前を分析することによって、その国や地域の文化・歴史を読み解く一助ともなりそうです。例えば、江戸時代に多かった「兵衛・衛門・助・介」といった名前の接尾辞は、すべてもともと官僚の地位や役職を占める言葉なのですね。名前だけでも公権力の末端につながろうとする人々の思いを見るようです。ドラえもん、君も公務員指向だったのか! また最近、意味がよくつかめずイメージだけが先行しているような名前をよく見かけます。例えば明治安田生命による「名前ランキング」によると、2007年誕生の女の子につけられた名前のベストテンは「葵・さくら・優奈・結衣・陽奈・七海・美咲・美優・ひなた・美羽・優衣」だそうです。もはや社会で共有される記憶が消滅してしまったということなのかもしれませんね、良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが。
by sabasaba13 | 2009-07-26 08:56 | | Comments(0)

トマソン

鳥居付きの家(京都府八幡)
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執念(茨城県下館)
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不思議な便所(沖縄)
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ホームのポスト(京都駅)
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交通安全足型(長野県浅科)
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過保護な水道管(青森県弘前)
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自販機の乱舞(京都)
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ある商店の歴史(埼玉県深谷)
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小便するな(兵庫県淡路島洲本)
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増殖するガードレール(神奈川県湯河原)
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和風の車庫(島根県出雲市)
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空中ドア(東京都木場)
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鳥居付きの家(和歌山県御坊)
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空中ドア(東京都富久町)
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天国への階段(東京都練馬区)
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阿部定電柱(東京都練馬区)
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家の遺影(徳島県貞光)
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by sabasaba13 | 2009-07-25 08:29 | 写真館 | Comments(0)

面白看板 (2)

京都市(京都府)
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浜田山(東京都)
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高円寺(東京都)
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久我山駅前(東京都)
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秩父(埼玉県)
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善峰寺(京都府)
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西沢渓谷(山梨県)
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西沢渓谷(山梨県)
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三宮駅付近(兵庫県神戸市)
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三宮駅付近(兵庫県神戸市)
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無鄰庵付近(京都府)
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ミルクホール「三珍亭」(東京都赤羽)
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本郷通り(東京都)
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清閑寺近く(京都)
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京都市役所前駅(京都)
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摂田屋(新潟県)
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摂田屋(新潟県)
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恵美須町駅(大阪府)
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おんなの駅(沖縄県)
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おんなの駅(沖縄県)
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おんなの駅(沖縄県)
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京都曼殊院
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京都曼殊院
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京都清水寺付近
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東京都千代田区神田神保町
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富山県駒ヶ岳ロープウェー千畳敷駅
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栃木県佐野駅前交流プラザぱるぽーと
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栃木県佐野
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山形県山辺
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静岡県金谷
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東京都練馬了見寺
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徳島県脇町
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京都曼殊院
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広島県鞆
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京都曼殊院
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青森県六ヶ所村
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東京都練馬区
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山口県柳井
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秩父(埼玉県)
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善峰寺(京都府)
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西沢渓谷(山梨県)
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西沢渓谷(山梨県)
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三宮駅付近(兵庫県神戸市)
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三宮駅付近(兵庫県神戸市)
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無鄰庵付近(京都府)
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ミルクホール「三珍亭」(東京都赤羽)
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本郷通り(東京都)
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清閑寺近く(京都)
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京都市役所前駅(京都)
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摂田屋(新潟県)
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摂田屋(新潟県)
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恵美須町駅(大阪府)
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おんなの駅(沖縄県)
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おんなの駅(沖縄県)
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おんなの駅(沖縄県)
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京都曼殊院
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京都曼殊院
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京都清水寺付近
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東京都千代田区神田神保町
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富山県駒ヶ岳ロープウェー千畳敷駅
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栃木県佐野駅前交流プラザぱるぽーと
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栃木県佐野
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山形県山辺
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静岡県金谷
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東京都練馬了見寺
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徳島県脇町
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京都曼殊院
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広島県鞆
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京都曼殊院
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青森県六ヶ所村
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東京都練馬区
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山口県柳井
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by sabasaba13 | 2009-07-25 08:14 | 写真館 | Comments(2)

言葉の花綵9

 今日がダメなら明日があるさ。明日がダメならあさってがあるさ。あさってがダメなら しあさってがあるさ。どこまでいっても明日はある。(ドン・ガバチョの唄)

 いそがしければいそがしいほど、みんなは自分たちが立派な人になったような気がして、もう大よろこびでした。

 「えい、意気地なしめ。早く運べ。晩までに出来なかったら、みんな警察へやってしまふぞ。警察ではシュッポンと首を切るぞ。ばかめ。」
 あまがへるはみんなやけ糞になって叫びました。
 「どうか早く警察へやって下さい。シュッポン、シュッポンと聞いてゐると何だか面白いやうな気がします。」(『カイロ団長』 宮沢賢治)

 今私が必要としている助力を与えられるものは一人もいない。人は内側から回復していかなければならない-骨が元どおりになるように。

 「私は許さないし忘れない。しかし戦争が終われば、敵同士交易する」

 サソリが、急流を渡るのに乗せてくれ、と馬に頼んだ。いいよ、と馬は頼みをきいてサソリを背中に乗せ、泳ぎはじめた。川の中ほどでサソリが馬を刺した。致命的な毒を刺された馬が言った、「これで二人とも溺れることになる。どうしてこんなことをしたのだ?」 するとサソリが言った、「それが俺の天性なんだ」(『直線』 ディック・フランシス)

 財を残すを下、仕事を残すを中、人を残すを上とす。(野村克也監督)
 
 (野村監督の話は)身を低くしてひたすら高みを見つめ続ける姿勢だった。偶然の支配する領域を"人知"をもって少しでもせばめようとする苦心の"芸談"だった。(佐瀬稔)

 有罪が確定するまで、その人の無罪を信じるのが市民としての義務だ。(『逃走迷路』より)

 人間は間違う。多数意見が正しいとは限らない。だから少数意見は尊重しなければならない。

 民主主義はポンコツ自動車のようなものだ。みんなで協力しないと動かない。しかしかわりはない。(橋爪大三郎)

 全会一致は無効。(ユダヤの格言)

 エ、何ですか。「どうしても、もっとよい録音のレコ-ドがほしい」とおっしゃるので すか。どうぞ勝手になさって下さい。どれでもお気に召した音のレコ-ドを買って、よろ こんでお聞きになればよろしいでしょう。(皆川達夫)

飛び出すな お前のポ-チは ミスばかり
今日もまた フレ-ムショットが 冴えわたる (遠藤瓔子)

 きみ自身を、そしてきみの生活を変えたいならひとつだけ忠告を聞いてほしい。これだけのこと。テレビを消してよい本を読む。(リウス)

 ひとりの男が節を屈することをしなかったら、全世界を震撼させることもできたはずだった。私が抵抗していたら、自然科学者は、医者たちの間のヒポクラテスの誓いのようなものを行なうことになったかもしれない。自分たちの知識を人類の福祉のため以外は用いないというあの誓いだ! (ベルトルト・ブレヒト)
by sabasaba13 | 2009-07-24 06:13 | 言葉の花綵 | Comments(0)

「蟹工船」

c0051620_695213.jpg 先日、ユナイテッドシネマ・としまえんで山の神と一緒にSABU監督の「蟹工船」を見てきました。小林多喜二の原作については「マンガ蟹工船」の書評で紹介しましたので、割愛します。分断され搾取された労働者が、過酷な労働のなかで団結し反撃をするという基本的なストーリーは踏襲していますが、監督が挿入したサブ・ストーリーや笑いをとる場面、原作にはない最後のひとひねりなどが加えられ、わかりやすく面白い作品に仕上がっていると思います。また監督のメッセージがビシビシと伝わってくる力強さももっています。登場人物の一人が語る「自分のこと、自分で決める。これ大事ネ。ひとりひとり立たないとダメ、文句言って何もしない人ダメよ。わからない、怖い、やらない、コレ何も変わらないヨ」という台詞をはじめ、私たちを暖かく強く叱咤激励する言葉に満ち溢れた映画です。入場料を払って見る価値のある映画だとは十二分に思いますが、全体的な平板さと無味無臭さが気になります。例えば自然描写。荒れ狂うオホーツクの海や凍てつく北の空気などが活写されていません。例えば舞台描写。むせかえるような蒸した蟹の匂い、機械油や歯車の匂い、汗と尿と反吐の匂いが渾然一体となって迫ってくるのを期待したのですが、かないませんでした。そして人物描写。これは原作の弱点でもあるのですが、資本家と国家の手先である現場監督を単純な悪玉として、労働者たちを虐げられる単純な善玉として位置づけて対決させるという視点には深みが欠けると思います。ま、(たぶん)低予算という制約もあるのでしょうが、カメラワークなどで工夫できる余地はあるのではないかな。いや、もしかすると、より多くの若者に見てもらうために、あえて臭みや深みを排したのかもしれません。それが功を奏したのかどうかについては判断できませんが。

 野暮な批評はやめましょう。日本が、いや世界が蟹工船的状況、「合法的な範囲で、あるいはばれなければ、人間の健康・生命よりも利潤を優先してよい」という論理が人間を巻き込み粉微塵にしている状況の中で、"考え想像し団結し行動しよう"というメッセージを多くの人が共感をするような形で伝えてくれただけでも感謝します。ただ気がかりなのは、空席が目立ったこと。数えてみたら観客は十六人でした。
by sabasaba13 | 2009-07-23 06:10 | 映画 | Comments(0)

紀伊編(18):加太(08.9)

 名残はつきねど最終日、天候はうす曇です。本日は和歌山の西方にある加太(かだ)から船で友ヶ島に渡り砲台跡とブラントン設計の灯台を見物、そして根来寺・粉河寺とまわって関西空港から帰郷する予定です。船は一日に四便、加太港発9:00の船に乗らないと、以後の予定はマジノ線のように崩壊してしまいます。よって事前に列車のタイム・テーブルを綿密に調べておきました。和歌山駅に着くと、構内に「シャキッと立てば、気持ちもキリリ。いい通学マナーで、車内環境を快適に。」というコピーつき、屹立する女子高校生のポスターがありました。ここ和歌山でも車内の床に座り込む高校生には悩まされているようです。私空間の過度な拡張と分析ということなのでしょうか、人の迷惑をかえりみないキャリーバッグの蔓延とも一脈通じているような気がします。なぜここまで無遠慮に公共の空間を侵食するのか、考えてみる価値はありそう。W.H.オーデンに「私の鼻先30インチに/私の人格の前哨線がある/その間の未耕の空間は/それは私の内庭であり、直轄領である/枕を共にする人と交わす/親しい眼差しで迎えない限り/異邦人よ/無断でそこを横切れば/銃はなくとも唾を吐きかけることはできるのだ」という詩がありますが、この人格の前哨戦が30インチどころではなくなっていきているのが現状ですね。向かいのホームにわかやま電鉄貴志川線のいちごを描いた列車が停まっています。この前某テレビ番組で見たのですが、たしか終着駅にネコの駅長がいるのですね。一瞬迷いが生じましたが、初志貫徹、ここは心を鬼にして計画を遂行しましょう。
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 7:43発の列車に乗って和歌山市駅に行き、ここで7:56発加太行きの南海加太線に乗り換えます。サーファーで賑わう海岸を左手に見ながら、列車は予定通り8:22に加太駅に着きました。事前の調査によると駅から港まで徒歩20分強、しかも道が分かりにくいようです。幸い駅の窓口で観光地図をいただけました。それによるとこの駅舎は1912(明治45)年に建てられたそうですが、白い板張りと三角屋根がキュートでなかなか瀟洒な物件です。立地の関係で全体像が見えないのが少し残念ですが。
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 ん? 駅前にエビ・タイ・カニ・タコなどの海産物をイラストで描いた大きな看板がありました。「顔はめ看板」かなと思いきや、顔の部分に穴があいていません。近づいてみると、穴はあいているのですが、顔を描いたビニールが後ろにとりつけられており、それをめくると顔を出せるようになっています。「けったいやなあ」と思わず関西弁で呟き、よくよく後ろを見るとこう書いてあります。「たいへん危険ですから開口部から外側に顔を突き出さないでください」「小さいお子さまのご利用には必ず保護者が責任をもって付き添ってください」 うむむむむ、過剰な安全を要求するmentalityがとうとうここまで来たのか… 顔のところにぽっかりと穴が開いている、あの何ともいえない無常観・空虚感が顔はめ看板の魅力なのになあ。ちょっとうちひしがれた思いですが、気を取り直して歩を進めましょう。
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 いただいた地図は要所要所の見どころも記された、なかなか見やすいもので助かりました。まず左手にあるのが加太中学校、門扉には半分剥げた「飛び出し小僧」が貼り付けてあります。その隣には「加太中学校軟式庭球部 昭和四十五年度第一回全国大会優勝 燃える闘魂汗と涙の青春」という、見ているだけで赤面してしまう雄渾な木碑が立ててありました。
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 学校前の電柱には「加太を守ろう 加太小」という手描きイラストの看板がかけてあります。他の所でも何枚か見かけましたが、何か切迫した危機が加太に迫っているのでしょうか。
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 さらに歩くと縦長の窓がリズミカルに配置された洒落た洋館が佇んでいます。解説板によると、明治末期~大正初期に建てられた加太警察署だそうです。その先には「右和か山道 左あわしま道」と刻まれた1849(嘉永2)年建立の石の道標があります。
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 そして路地をじぐざぐと縫っていきますと、「文部省検定教科書 加太地区供給店 酒井書店」という看板のある書店がありました。その近くには「19・12・30・(A.8:40)…20秒でトユくだいたおなべ 早く元通りに直せ。…おなべへ」というメッセージが貼ってあります。ディープだ… トユとは、そしておなべとは何者? 謎は謎を呼び風雲急を告げそうな予感。何かここ加太を舞台にとてつもない事態が進行しつつあるのか、さきほどの「加太を守ろう」という子供の悲痛な叫びも何か関係があるのかもしれません。
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 ここにも古い道標がありました。「右和か山道 左…」は判読できず。古文書学の授業をもっと真面目に受けておくべきでした。その先にある釣具店には「鯖皮あります」という貼り紙。さばかわ? また謎が謎を呼んでしまいました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-07-22 06:12 | 近畿 | Comments(0)