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東北錦秋編(1):(08.10)

 嗚呼っ、どうしても東北の紅葉を見てみたい! 十和田湖、奥入瀬、八甲田、白神山地、抱返り渓谷、鳴子、裏磐梯… じだんだじだんだとステップを踏んでいたら、心の奥底に潜む悪魔が囁きました。「行けば」 よしっ行こう。しかし十月下旬の土日二日間しか休みがとれません。どこにしぼるか、うーん迷うなあ。するとランゲルハンス島に潜む天使が囁きました。「パック旅行にすれば」 そうか、その手があった。実は私、国内ではパック旅行に参加したことがありませぬ。でも考えようによっては、安いし、多くの場所を見ることができるし、お手軽だし、移動の心配もありません。"束縛"という大きな代価さえ我慢すれば、なかなかの好手だと思います。後学のためにもいっちょ一人で申し込んでみるか。(※山ノ神は「私は嫌よ」とのご託宣) さっそくパンフレットをかき集めて検討したところ、十和田湖→奥入瀬→八甲田→安比泊→東八幡平→田沢湖→抱返り渓谷→角館という満漢全席・満艦飾・オールスターゲームのようなツァーを見つけました。おまけに添乗員が同行してくれるという超豪華版(なのかな)。旅行社に問い合わせたところ、幸い参加が可能。というわけで生まれてはじめての国内パック旅行、吉とでるか凶とでるか、小さな胸を期待と不安で震わせながら行ってまいりました。持参した本は「放浪記」(林芙美子 新潮文庫)です。
 
 十月下旬の好日、出発。天気予報によると今日は雨時々曇、明日は曇時々晴れです。こればっかりは人智の及ぶところではありません、神様…うちの神は何しとんねん! と思わず関西弁で罵倒しそうになりましたが、もちろん、いや多分彼女のせいではありません。己の不徳のいたすところ、ここは忍の一字です。大宮駅から合流するのですが、添乗員さんから事前に連絡があり、入場券を購入して新幹線に乗り込み連絡した座席に坐っていてほしいとのことでした。なるほどこういう手もあるのか。昼食は各自で用意してほしいとのことだったので、駅構内にあるパン屋でサンドウィッチを購入し、指定された新幹線の座席に乗り込みました。そうそう忘れちゃいけない、「エースJTB」バッジを胸につけなければ。すぐに三十代ぐらいの女性添乗員さんがやってきて、氏名を確認、そして盛岡駅で下車しグループから離れずについてきてほしいという事務連絡。ようがす、一蓮托生・比翼連理・酒池肉林、一生あなたについていきますよと請け負いました。「時間を守る・群れから離れない・拾ったものはむやみに食べない」というパック旅行の三大原則はわきまえています。林芙美子の凄絶なる暮らしに引きこまれ、あっという間に約二時間で盛岡駅に到着です。添乗員さんのまわりに蝟集した二十人ほどの方がどうやらこのツァーの参加者、みなさん家族や友人と一緒の参加で独り者は私だけでした。Splendid isolationなどといきがってみても、寂寥や根岸の里の侘び住まいそれにつけても金の欲しさよ、ですね。そして団体用改札口からぞろぞろと外へ出ると、「歓迎 平成20年度北日本養鶏研究大会及び鶏病研究会北海道・東北地区技術研修会様」という日本で一番長い名前の研修会御一行を迎える看板がありました。だからどうしたと言われても困りますが。
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 そしてそぼ降る雨の中、待機していたバスに乗り込みました。ドアのところに座席表が貼ってあり、指定されたシートに着席。肝っ玉かあさんのような宮城県出身のバスガイドさんが、これから二日間面倒を見てくれるそうです。開口一番、六月に起きた岩手・宮城内陸地震による風評被害について力説されました。観光客のキャンセルがあいついで、観光産業は大きな打撃を受けたそうです。彼女曰く、観光地での被害はまったく心配ないので、周囲の人に口コミで伝えてほしいとさかんに訴えておられました。この二日間の旅行で見たかぎりでは全くもってその通り、影響力は皆無に近い拙ブログですが協力しましょう。東北よいとこ一度はおいで! と同時に被災地で苦労されているみなさまに対しては、一日も早い復興を祈念しております。政府はそうした復興事業にもっと資金を提供すべきだと心の底から思います。自衛隊を国際救助隊「雷鳥」に改組し、核(原子力)発電を廃絶し、在日米軍にお引取りを願って「思いやり予算」をなくし、必要な公共事業は残した上で無駄な公共事業をやめ、法人税や高額の不労所得を得ている人への課税を強化すれば、捻出できると思うのですが。
by sabasaba13 | 2009-08-31 07:57 | 東北 | Comments(0)

照葉峡編(2):(08.10)

 しばらく歩くと「時雨の滝」「不断の滝」。
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 そして唯一すぐそばまで近づける「鼓の滝」に出会えます。岩肌を流れ落ちる清流の響きと陽光に煌く紅葉をしばし楽しみながら一休み。ここから下流の滝はすべて楢俣川にかかっています。「木精の滝」「翡翠の滝」を上から見下ろしながら「山彦の滝」へ。川筋が狭くなっている岩場を、水が一気に滝壺に落ち、勇壮な音を轟かせています。そして「白竜の滝」「岩魚の滝」を眺め「潜竜の滝」が終着点。「ひぐらしの滝」からここまでのんびりと歩いて約二時間かかりました。
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 そして湯の小屋まで車道を歩いていきます。この間も左下に清流と紅葉の眺めを楽しむことができます。そして一時間ほどでバス停のある湯の小屋に到着。バスの発車時刻まで一時間ほどあるので、付近を散策し昼食をとり温泉につかることにしました。仮設店舗では美味しそうな茸を販売していました。そして古風な温泉旅館の面影を残す「湯元館」に入り、山菜うどんをいただきました。
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 店の方に訊ねると、幸いなるかな、貸切露天風呂が空いているとのこと。料金も手頃なのでさっそく案内してもらいました。楢俣川ぞいに建てられた四阿の中にのびのびと手足を伸ばせる湯船があり、川の眺めとせせらぎの音を楽しみながら温泉を満喫。
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 そしてバスに乗って一時間ほどで水上駅に到着です。構内にあるポスターを見ると、本日はSLが運行しているそうです。また駅近くに転車台があるとのことなので、さっそく見てきました。ほんとだったらSLを載せてぐるんぐるんと回る場面を見たかったのですが、時間の関係でそれは無理でした。駅に戻り列車に乗り込みしばらくすると途中の駅で停車しているSLと出会えました。
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 というわけで、やや風情に欠けるきらいもありましたが、一発目の紅葉狩りとしてはおおむね満足。さて次はどこに行こうかな。

 本日の十枚、下から二番目が「鼓の滝」です。
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by sabasaba13 | 2009-08-30 08:31 | 関東 | Comments(0)

照葉峡編(1):(08.10)

 紅葉の便りが各地から寄せられてくるようになると、居ても立ってもいられなくなってきます。時は昨年の十月中旬、このやや早い時期に紅葉を楽しめる所をいろいろと探しているうちに、群馬県にある照葉峡を発見。何でも"関東の奥入瀬"とも言われるそうな。思い立ったが吉日、さっそく日帰りで出向いてみることにしました。
 さて、問題はアクセスです。埼京線で赤羽まで行き、上越線直通の列車に乗って水上まで行くのはいいとして、その後をどうするか。事前調査によると、湯の小屋行きのバスに乗って約一時間で終点着、そこからは公共輸送機関がなく、照葉峡の入口まで徒歩で一時間ほどかかります。そして照葉峡自体(約10.45km)もすたこら歩けば約二時間、じっくり散策すればもっと時間がかかるでしょう。水上駅発のバスは午前中ですと8:20か10:45、前者だと間に合わないし、後者だとちょっと到着時刻が遅くなってしまいます。(沈思黙考) ええい、駅からタクシーで照葉峡の奥まで行き、そこから湯の小屋まで歩き、バスに乗って戻ってくることにしましょう。料金がかなりかかるかと予想されますが仕方がありません。
 十月好日、天候は幸いにも快晴、絶好の紅葉狩り日和です。水上に向かう列車は、ウォーキングやハイキング装備で身を固めた方々でけっこう混みあっていました。沼田駅でかなりの人が下車しましたが、どうやら尾瀬に行かれるようですね。でも車内ではハイカー姿の方をまだまだ見かけます。そして水上駅に到着、その方々は谷川岳ロープウェイ駅行きのバスに陸続と乗り込んでいきました。なるほどね、尾瀬と谷川岳が人気スポットであることがよくわかりました。
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 そして駅前にぽつんと一人取り残されたのは私だけ。眼前に聳え立つあの峨峨たる山並が谷川岳ですね…たぶん。火の見櫓も陽光を体いっぱいに浴びて気持ち良さそうです。駅前で客待ちをしているタクシーに乗り込み、いざ出発。
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 目的地が近づくにつれ、赤・黄・オレンジで装われた山々がめだつようになります。うわあ綺麗綺麗。温泉旅館が数軒ある湯の小屋を通り過ぎ、清流沿いの車道をすこし走ると照葉峡の入口です。大混雑というほどではないのですが、紅葉狩りを楽しむ人たちがそぞろ歩きをされていました。たぶん自家用車で来られたのでしょうね。なおこのあたりには駐車場がないので、車がかろうじてすれ違える狭い道の路肩に傍若無人に車が幾重にも停めてあります。傍迷惑だし興趣はそがれるし危ないし、どうしても必要な方以外は車の乗り入れを自粛してほしいものです。
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 そして照葉峡の一番奥に到着、時間にして水上駅から一時間弱、料金は約一万円でした。運転手さんにお礼を言い、さあそれでは歩き始めましょう。この小さな愛らしい渓谷は利根川の支流、楢俣川沿いに位置し、俳人・水原秋桜子が命名した11の小滝が流れ落ちているそうです。ただ残念かつ惜しむらくは遊歩道等が整備されておらず、渓流沿いに歩けないことです。そのためのスペースがない、あるいは自然保護のためにあえて作らないのかな。よって車道から見下すしかありません。ところどころに水辺まで近づけるポイントがあるようなので、そこを見逃さないようにしますか。
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 肝心の紅葉ですが、あまりモミジは多くありません。よって黄色・橙・オレンジ色が中心の装いですが、これはこれで十分に楽しめます。さきほどの運転手さんの話によると、上流のこのあたりはそろそろ見頃が終わりかけているとのこと。まずは「ひぐらしの滝」、向かい側の急斜面を幾重にも別れて流れ落ちる様子が木の葉越しに垣間見えます。このあたりで水辺まで近づけるポイントを発見、身の引き締まるような清冽な雰囲気を味わうことができました。「木の実の滝」も対岸の崖を落ちる可憐な滝です。
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 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2009-08-29 08:03 | 関東 | Comments(0)

第五福竜丸展示館編(2):(09.8)

 さてこの事件から、われわれは何を学び考えるべきでしょうか。もちろん、核兵器と放射能の恐ろしさです。ただ、「この事件は広島、長崎につぐ第三の被曝で、これを最後にすべきだ」という認識はやめましょう。言うまでもないこと(だと信じたいの)ですが、放射能による被害は世界中のいたるところで起きましたし、起きています。マーシャル諸島の人々をはじめ核実験場周辺に住む人々や実験の関係者、ウラン鉱山で働く労働者、核兵器製造工場周辺の住民、劣化ウラン弾の残骸とともに暮らす人々、核(原子力)発電所の事故で被災した人々… そして絶対に忘れてはいけないのが内部被曝です。微量の放射線を出す放射性物質が体内にとりこまれ体内の組織に沈着し、アルファ線、ベータ線などを長時間放射しつづけた結果、体細胞が傷つけられて慢性の疾病をゆっくりと進行させ、また生殖細胞が傷つけられて子孫に遺伝障害を残すということですね。私たちは、大量の放射能を浴びなければ大丈夫だと、ついつい安易に考えがちですが、微量の放射能がもつ危険性にも注意を向けるべきです。よって核(原子力)発電所や再処理工場から日々輩出される放射性物質による周辺住民の被曝についても考えるべきだし、さらにこうした放射性物質は風や水とともに世界中に拡散していきます。宇宙船地球号という物言いがありますが、宇宙船第五福竜丸と言った方がいいのかもしれません。よって地球規模に拡大している放射能汚染への警鐘となるシンボリックな事件と捉えたいと思います。
 さてそれではオバマ大統領は、本気で核兵器廃絶に取り組むのでしょうか。「狂気の核武装大国アメリカ」(集英社新書0450A)の中で、ヘレン・カルディコット氏は、アメリカがこれまで狂気の如く核兵器開発を含む軍備拡大に邁進してきた理由を次のようにまとめられています。
「それはアメリカ軍を構成する空軍、陸軍、海軍、海兵隊の間の競争意識の結果だ。それぞれが自前の兵器システムをほしがっている」「それは、兵器購入の法律を作るたびに兵器製造業者から多額の寄付を受け取る、連邦議会とホワイトハウスの法律制定者たちの威信を高める」「通常兵器と核兵器を入れた巨大な兵器庫のおかげで、アメリカは罪に問われることなく、世界中でやりたいことができる。それはグローバルに展開するアメリカ企業のビロードの手袋の下にちらつく鉄拳なのだ」(p.22)
 ということは、アメリカ軍首脳の兵器に対する意識を根柢から変え、兵器製造業者と議会・ホワイトハウスの癒着を断ち、アメリカ企業の放恣な経済活動に抑制を加えなければなりません。ま、オバマ氏は演説の中では、そこまで踏み込んだ発言はしていないのが気がかりですが、おおいに期待したいと思います。ただ見逃せないのが、「私たちは、気候変動と戦い、すべての人々にとって平和の機会を推進するために、原子力エネルギーを利用しなければなりません」という部分です。安全性という面からもコスト面からも、核(原子力)発電も廃絶すべきたと思いますが、これに関しては積極的に推進しようという立場のようです。もしかすると核兵器製造業者が、経営の方針を核兵器から核(原子力)発電へと大きくシフトしようとしている動きがあるのかもしれません。いずれにせよオバマ大統領には、故ドワイト・アイゼンハワー大統領の言葉を肝に銘じてほしいと思います。「銃が作られ、軍艦が進水し、ロケット砲が発射されることは、食べ物や衣服さえなく、寒さに震える人々に対する究極の窃盗を意味する」

 さてそろそろ帰りましょう。外へ出ると、地を焦がすような炎熱の中、第五福竜丸のエンジンの野外展示とまぐろ塚がありました。そう、放射能汚染のため廃棄されたマグロたちを悼む碑ですね。かつて築地にあったものがここに移転されたそうで、築地にはそのかわりにプレートがあるそうです。そして「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という久保山愛吉さんの言葉を刻んだ碑が、無言で佇んでいました。
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 関連する書評を掲載しておきます。
核大国化する日本 平和利用と核武装論」(鈴木真奈美 平凡社新書336)
内部被曝の脅威 -原爆から劣化ウラン弾まで」(肥田舜太郎/鎌仲ひとみ ちくま新書541)
ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸」(絵ベン・シャーン 構成・文アーサー・ビナード 集英社)

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2009-08-28 06:21 | 東京 | Comments(2)

第五福竜丸展示館編(1):(09.8)

 オバマ大統領によるプラハ演説以来、核兵器廃絶への動きが活発になってきました。その底意については慎重に見極めないといけませんが、何はともあれ喜ばしいことです。となると、日本における原水爆禁止運動の原点となった第五福竜丸に報告せねばなりません。ご存知の方も多いでしょうが、スクラップにされる直前に市民運動によって救出され、東京夢の島に保存・展示されています。十数年ほど前に一度訪れたことがあるのですが、これを機会に再訪しました。場所は、東京JR京葉線・地下鉄有楽町線の新木場駅から、歩いて十分ほどのところにある夢の島公園です。全体が切妻型をした異形の建物が、えもいわれぬ存在感をもって佇んでいます。
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 開館時間 は9時30分~16時で月曜休館(月曜が祝日のときは開館し火曜休館)。入場は無料、この措置には東京都の見識を感じます。なお釈迦に説法ですが、第五福竜丸事件について、スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
 1954年(昭和29)3月1日、南太平洋ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、同環礁東方160キロの海上で操業中の日本のマグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」を浴びた事件。同船は3月14日静岡県焼津に帰港したが、乗組員23名が「急性放射能症」と診断され、東大病院と国立第一病院に入院、治療を受けた(9月23日には無線長久保山愛吉が死亡)。同船が積んできたマグロからは強い放射能が検出され、5月には日本各地に放射能雨が降り始めた。この事件は国民に強い衝撃を与え、核兵器禁止の世論が急速に盛り上がり、翌55年8月、広島での第1回原水爆禁止世界大会開催へとつながっていく。第五福竜丸は67年廃船処分となって東京の夢の島に捨てられていたが、粘り強い運動の結果、76年6月同地に都立の展示館が完成、保存されている。
 入館すると、「静岡県焼津港 第五福龍丸」と記された船体後部が眼前に迫ってきます。そして館の中央には、その巨躯を安らかに横たわらせて第五福竜丸が眠っていました。その周囲を一周して、さらに脇に設置された階段をのぼると甲板部分を見ることもできます。
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 そして船を取り囲むように、さまざまな解説や展示がありました。事件の経過を説明するパネル展示、さらには第五福竜丸が浴びた「死の灰」、航海日誌、大漁旗、原水爆禁止を求める署名用紙などが展示されています。
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 また廃船となり夢の島で朽ち果てつつあったこの船を保存しようとする運動が一つの投書からはじまり、やがて大きな市民運動へと発展していったようすもよくわかりました。刮目すべきは、この水爆実験でもっとも甚大な被害を受けたマーシャル諸島の人々についてかなり詳しくふれていたことと、核実験の放射能によって健康を害された世界中の人々をすべて「ヒバクシャ」と捉える視点です。そうした方々のポートレートが掲げられ、「旧ソ連では、セミパラチンスク核実験場、ノバヤ・ゼムリャ島などでの実験で、兵士、周辺住民120万人以上が被災したと推定される」「アメリカのネバダ核実験場風下の住民、先住民、実験参加の兵士、作業員、技師など50~60万人が被害をうけた」「世界各地の核実験場の周辺住民については、その詳細は公表されておらず不明な点が多い」というコメントが添えられています。そして関連図書や資料を販売するコーナーもあったので、「水爆の島 マーシャルの子どもたち」(島田興生 福音館書店)を購入しました。募金箱があったので寸志を寄付すると、「PIKADON NO/YES」と書かれた黒田征太郎氏の小さなイラストをもらえます。ふと隣を見ると、ここを訪れた子どもたちが思い思いのことをこのイラストの裏に描いて壁に貼り付けています。そしてたくさんの千羽鶴も。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2009-08-27 06:22 | 東京 | Comments(0)

「子規365日」

 「子規365日」(夏井いつき 朝日新書127)読了。以前に「仰臥漫録」の書評を掲載しましたが、正岡子規の短歌・俳句に本気で向かい合ってみたいものだと思っていました。そして出逢ったのが本書。俳人の夏井氏が、二万四千もの子規の俳句の中から、一日一句365句を選び、簡にして要を得た解説をくわえられています。肩をいからせず、リラックスした気持ちで読み進められるのがいいですね。子規と聞くと、ついつい写実に徹した求道者のようなイメージをもってしまいますが、本書のおかげでゆるゆるとした楽しい句、何気ない日常をさらりと小粋に詠んだ句に数多くふれられたことは幸甚です。あらためて、自分をとりまく自然、人間、そして世界を十七文字・三十一文字で写し取ることに喜びと生甲斐を感じていたのだなあ、と痛感。特に気に入った句を紹介します。
ここらにも人住みけるよ冬の山
蒲公英やローンテニスの線の外
故郷やどちらを見ても山笑ふ
花十日五日は雨にふられけり
おとつさんこんなに花がちつてるよ
田から田へうれしさうなる水の音
 いいなあ。俳人の末席をけがしているかもしれないと自惚れながらも、最近全然句を詠んでいない小生、また俄然と創作に挑みたくなりました。いやいや力んではいけませんね、まずは身のまわりの光景を見つめ、音に耳をすまし、空気を感じることからはじめましょう。
 また俳句に関する夏井氏のさまざまなコメントも楽しめかつ勉強になりました。例えば、五・七か、七・五の一二音フレーズを作り、そのフレーズに似合った五音の季語を探すという「取り合わせ」という手法。一二音フレーズと季語は、意味の上で関係性を持たせないことが大切なコツだそうです。(p.69) なるほどねえ、これはすぐに使えそう。また、今のような冷房設備などなかった時代、夏の暑さをどう凌ぐかは生活における大問題であり、「簾」「網戸」「打水」「団扇」「籠枕」「風鈴」などは、湿気の多い列島に暮らす日本人の工夫から生まれた季語なのだ、という指摘も納得です。(p.139) 歳時記も、夏の部分が最も分厚いのですね。夏の暑さと湿気から日本文化を読み解けるかもしれません。
by sabasaba13 | 2009-08-26 06:22 | | Comments(0)

「沈黙の春」

 「沈黙の春」(レイチェル・カーソン 青樹簗一訳 新潮文庫)読了。歴史を変えることができた数少ない本の一冊、これまで読もう読もうと思いながらもどういうわけか手にしませんでした。本屋で背表紙を見て一念発起、思い立ったが吉日、さっそく購入して読み終えました。レイチェル・カーソン(1907‐1964)。ペンシルバニア州スプリングデールの農場主の娘として生まれます。ペンシルバニア女子大学で動物学を専攻後、ウッズホール海洋生物研究所などで研究を続けます。1936年商務省漁業水産局に就職し、政府刊行物の編集に従事。40年に内務省魚類・野生生物局に移り、52年に退職するまで、野生生物とその保護に関する情報収集にあたりました。51年の『われらをめぐる海』で、生物ジャーナリストとしての地位を確立。62年に発表された『沈黙の春』は、自然破壊に警告を発した先駆書として、その後の全世界に大きな影響を与えます。その執筆中に癌宣告を受け、癌と戦いながら執筆活動を続けましたが、1964年4月14日に永眠。

 書名は、冒頭にある下記の一文によっています。
 自然は沈黙した。うす気味悪い。鳥たちはどこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても死にかけていた。ぶるぶるからだをふるわせ、飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったら、コマツグミ、ネコマネドリ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音一つしない。野原、森、沼地―みな黙りこくっている。(p.12)
 農薬や殺虫剤などの化学物質によって、生物が死に絶えた世界の卓抜な比喩ですね。その直接的な危険性に対する警告だけではなく、化学工業と官僚・大学との癒着、さらには放射能とともに遺伝子に対する悪影響にまで批判は及んでいます。研究の進歩によってその学説の過誤が明らかになったと、彼女を批判する向きもあるようですが、その主張の根本は今でも受けつぐべきものだと思います。生命と自然はわれわれ人間の想像を超える奇跡であり、それに対する敬意と謙虚な心を失ってはいけないということ、そして生命や自然を弄び暴走する科学への異議。彼女の言です。これは化学物質にとどまらず、現今の科学全般に対する痛烈無比な警告でもありますね。
 およそ学問とも呼べないような単純な科学の手中に最新の武器があるとは、何とそらおそろしい災難であろうか。(p.382)
 また本書中でたびたび登場する科学者のC・J・ブリーイエ氏は、人類を「瀬戸物屋に闖入した象」と譬えておられます。人類の傲慢さを省みる視点を忘れずにいるために重要な意義をいまだ失っていない古典です。お薦め。

 なお巻末に掲載された筑波常治氏の解説が秀逸です。自然環境を平然と破壊する人類の傲慢さは、すでに牧畜・農耕の開始、つまり自然界のなかの存在を人類に取って有益/無益と区別したときから始まったのだという恐るべき主張です。この惑星がこれからも存続できるのかどうかを本気で懸念するのであれば、ここまでつきつめて考えなければならないのかもしれません。
 (牧畜・農耕とは)人間の利用目的にかなう家畜・作物によって、それらの土地を独占させることでもある。ほんらいならばそこの土地には、家畜・作物いがいの各種生物が、当然のこととして棲息していた。人間はそれらの生物群にたいし、害獣・害鳥・害虫あるいは雑草といった汚名を一方的にかぶせ、強引に排除する手段にでた。こうして自然界のバランスがくずれた。いわゆる公害の起源は、工業とともにおきたのではなく、遠く牧畜ないし農耕のはじまりにさかのぼるのである。
 家畜や作物は、いずれも野生生物から進化した。人間の利用目的にかなうように"改良"されたものである。この改良という言葉自体、はなはだ人間本位の用法である。人間の利用する部分、ブタならば肉、イネならば種子、キャベツならば葉、ダイコンならば根、といった各器官を、人間の利用に有利なように改造することをさしているわけだが、自然界の生物としてみたらどういうことになるか。それは身体の一部の器官だけが、他の器官とくらべて不釣合に肥大化させられることを意味している。つまり生物としては畸型になり、生活能力において虚弱化する。これが家畜および生物を改良するということのもうひとつの側面である。イネがゆたかにみのった状態を、「黄金の穂がたわわに―」といった表現であらわすが、それを天然の植物としてみれば、あまりにも穂の部分だけが巨大化しすぎてしまい、まっすぐにたっていることができなくなった不健康な状態である。(p.388)

by sabasaba13 | 2009-08-25 07:07 | | Comments(0)

工場・発電所

東北砕石工場(岩手県一関市)
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ニッカウヰスキー余市蒸留所(北海道余市)
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ちちぶ銘仙館(埼玉県)
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旧八百津発電所(岐阜県八百津)
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名鉄岩倉変電所(愛知県明治村)
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鉄道寮新橋工場(愛知県明治村)
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鉄道局新橋工場(愛知県明治村)
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工部省品川硝子製造所(愛知県明治村)
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八ツ沢発電所(山梨県)
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駒橋発電所(山梨県)
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富岡製糸場(群馬県)
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シャトー・カミヤ(茨城県牛久)
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集成館(鹿児島県鹿児島)
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村井機械館(京都市)
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一宮(愛知県)
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角館(秋田県)
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発電所(広島県大久野島)
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旧斎憲テキスタイル工場(群馬県桐生)
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旧水力発電所(愛媛県別子銅山)
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貝塚(大阪府)
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丸山発電所(群馬県アプトの道)
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読書発電所(長野県南木曽)
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黒江(和歌山県)
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川南造船所(佐賀県伊万里)
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製麺工場(福岡県筑後吉井)
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by sabasaba13 | 2009-08-24 07:06 | 写真館 | Comments(0)

言葉の花綵10

私の鼻先30インチに
私の人格の前哨戦がある
その間の未耕の空間は
それは私の内庭であり、直轄領である。
枕を共にする人と交わす
親しい眼差しで迎えない限り、
異邦人よ、
無断でそこを横切れば
銃はなくとも唾を吐きかけることはできるのだ (オ-デン)

 金を失うことは小さく失うことである。名誉を失うことは大きく失うことである。しかし勇気を失うことは全てを失うことである。(チャ-チル)

 那覇の市場というものは全部女性だけで店を保っている。小さな店で、同じものを売っている店がたくさん並んでいる。例えば客の好みの反物がなかった場合、隣りの店にその柄があるとすると、その店に行って買って下さい、とは言わない。その店の人がこれを売りなさいと品物を貸す。つまり競争原理が働かずに、共同原理が働く。(大城立裕)

  All work and no play makes Jack a dull boy. (『シャイニング』より)

 だれひとり、なに一つたよりになるものはなかった。妻だけが味方であった。こうして もう五十年あまりもいっしょに海の上でくらしてきた。
 東風がつよくなって波が大きくふくれあがった。波のはなが船の中へうちこんでくる。 老爺は立って年老いた妻にかわって櫓をにぎった。老媼は船の中にうずくまって梁につかまりながら、
  「大丈夫だろうか」とたずねた。
  「大丈夫だ」
  老爺はそういって櫓をおした。この老媼は今日までその信頼しきった目で、何度も今日のように「大丈夫だろうか」ときいたにちがいない。そしてそれはいつもこの人々のまわりにはげしい嵐がふきまくっていたときであろう。そのときこの漁夫は嵐と必死になってたたかいながら、「大丈夫だ」といったことだろう。(宮本常一)

 国際化とは、異質な人々と接することによって自分が変わってゆくきっかけをつかむことでもある。自分を変えようという意志がないところには真の国際化はない。(阿部謹也)

 東洋ではともかく、西洋での身の詰まりかたは、さすがに個人主義国だけに凄まじいものがあった。破産者は遠慮なく自殺した。敗者が生き残れる公算がないからである。(金子光晴)

 もう一回言っておけばよかったと後悔しないように、何千回も言われ尽くしたようなことでももう一度言わねばならない。(ベルトルト・ブレヒト)

Safety,Fun,and Rearning. (アメリカのあるスキー・コーチ)

 一般大衆は声をたてがらない。だからいつも見すごされ、見おとされる。しかし見おとしてはいけないのである。記録をもっていないから、また事件がないからといって、平穏無事だったのではない。孜々営々として働き、その爪跡は文字にのこさなくても、集落に、耕地に、港に、樹木に、道に、そのほかあらゆるものにきざみつけられている。
 人手の加わらない自然は、それがどれほど雄大であってもさびしいものである。しかし人手の加わった自然には、どこかあたたかさがありなつかしさがある。わたしは自然に加えた人間の愛情の中から、庶民の歴史をかぎわけたいと思っている。(宮本常一)

 先をいそぐことはない、あとからゆっくりついていけ、それでも人の見のこしたことは多く、やらねばならぬ仕事が一番多い。(宮本善十郎)
by sabasaba13 | 2009-08-23 07:37 | 言葉の花綵 | Comments(0)

肥前・筑前編(9):太宰府天満宮~水城(08.10)

 それでは太宰府天満宮へと向かいましょう。ここからは三十分ほどですぐ到着です。車を駐車場に置いてさっそく散策を開始。まず観光案内所で地図をもらったところ、水城が近くにあるのですね。これは後でぜひ寄ってみましょう。善男善女でごったがえす参道をすこし歩くと、正面にあるのが延壽王院。
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 解説板によると、1865(慶応1)年から約三年間、朝廷を追われた三条実美ら尊王攘夷派の五人の公卿(五卿)がここに滞在したそうです。その間、西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬らがしばしばここを訪れたとのこと。以前に行った瀬戸内旅行では五卿落ちに関連する史跡にずいぶんと出会えましたが、ここが終着地だったのですね。うしっ、次のテーマは「五卿落ちをたどる旅」…ううむいまひとつ胸がときめかないな、やっぱやめた。
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 左に曲がり心字池にかかる太鼓橋を渡ると正面が、菅原道真をまつる太宰府天満宮本殿です。学生諸君がかなりまじな表情で一心不乱に祈っている姿が印象的でした。そしてここから数分ほど歩くと、最近できた九州国立博物館があります。ま、ものはためし、旅の恥はかきすて、盗っ人に負い銭、入館してみることにしましょう。…特記事項なし。小生が理想とするのは「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに(by井上ひさし氏)」展示しようと努力する博物館ですが、こちらはただただ無難に無難にという姿勢が見え見え、高い志操は感じられません。典型的な箱物行政の所産、といっては言い過ぎかな。"我をして九州国立博物館長たらしめば"、うーんそうですね、実物大のジオラマをつくって「あの米を奪え! 逆茂木すりぬけV字環濠渡り塀よじのぼり体験」を子供たちにしてもらうなんてえのは…御免なさい、しょぼいですね。
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 さてそれでは車に乗り込み、水城(みずき)へと行きましょう。数分ほどで到着、さっそく車を停めて近くまで行ってみましょう。水城について、岩波日本史辞典から引用します。
 664(天智3)年に唐・新羅の侵攻に備え築かれた土塁の防衛施設。福岡県太宰府市・大野城市・春日市。主体は全長1.4km,幅80m,高さ約10mの人工の盛土で、前面に濠を掘る。周辺の土塁や大野城・基肄(きい)城とともに、大宰府防衛のための羅城を構成。国特別史跡。
 付言しますと、古代史最大の事件である白村江の戦い(663)で、唐・新羅連合軍に惨敗を喫し、その列島への追撃・侵攻を恐怖しての措置ですね。小高い台形状の盛土の上にのぼると、道路で切断されているもの、その向こうにこんもりと木が生い茂った水城が続いているのが見えます。工作機械もなかった当時、民衆を動員しての大工事であったことが一目見ただけでしのばれます。そして大宰府跡、元観世音寺の戒壇院(東大寺・下野薬師寺とならぶ天下三戒壇)を見学。途中にあった大宰府展示観の前には、当時の官僚夫妻を模した顔はめ看板がありました。もしや菅公かもしれせぬが。そして福岡空港まで行き、車を返却して帰郷。友人のKさんにはいろいろとお世話になりました。ディスプレイを借りてお礼を申し上げます。
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 本日の一枚は水城です。
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by sabasaba13 | 2009-08-22 06:57 | 九州 | Comments(0)