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箱根編(3):彫刻の森美術館(09.10)

 そしてひと際目を引く高い塔は「幸せを呼ぶシンフォニー彫刻(ガブリエル・ロアール)、さっそく中に入って最上階へ上ってみることにしましょう。鮮やかな色ガラスで埋め尽くされた壁面から洩れはいる光が、まさしく交響しているようです。屋上は美術館を一望できる360度のパノラマ。
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 その近くにあるのが絵画館、メダルド・ロッソという抽象彫刻に影響を与えた彫刻家の特別展が開かれていました。その他、「空間の中の一つの連続する形」(ウンベルト・ボッチオーニ)、「腕のない細い女」(アルベルト・ジャコメッティ)、「長髪のベートーヴェン(習作)」(ブールデル)、「煌く嫉妬」(戸張孤雁)、「坑夫」(荻原守衛)など、思わず立ち止まりしげしげと眺めたくなる作品が目白押し。中でもブールデルと孤雁の、情念を爆発させたような圧倒的な表現力には驚嘆。また、こうした作品群のなかにジャコメッティの彫刻があると、そのひと際異彩を放つ異様な存在感を実感できます。なお残念ながら撮影は禁止、なぜ野外では可で屋内では不可なのだろう、別に減るものじゃないのにね。そしてピカソ館で「フランコの夢と嘘」と再会し、「おくりもの:未知のポケット2」(堀内紀子)、通称「ネットの森」へ。これもプレイ・スカルプチャーですね、材木を組み上げた大きな空間の中に入ると、色鮮やかなナイロン製ネットが張り巡らされ、その中に入って遊ぶことができます。
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 うーん、私も中にもぐりこんでぼよよんぼよよんと遊んでみたいのですが、小学生までしか入れません。大人だってホモ・ルーデンスの一員、美しくユニークなフォルムや色彩の中で戯れたいという気持ちはあるはずです。予算や強度面できびしい点もあるでしょうが、イサム・ノグチがプレゼントしてくれたモエレ沼公園の遊具ブラック・スライド・マントラのような大人も遊べるプレイ・スカルプチャーもつくってほしいですね。となりには「星の庭」という迷路がありました。おっ、一心不乱に野外彫刻の掃除をされている方を見かけました。なにせ年がら年中風雨にさらされているわけですから、窪みにたまった水分や埃の除去など、そのメンテナンスにおける手間隙はたいへんなものだと思います。
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 「ご苦労様」と頭を下げさらに進むと、オシップ・ザツキンの「住まい」とイサム・ノグチの「雨の山」と遭遇。
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 その先にあるテラスには、ブールデルの作品群が展示してあります。階段を降りていくと、洒落たトイレ男女表示を発見。
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 ヤップ島の石貨(!)を見て、「ふわふわ彫刻広場」を抜けると、こちらにも「オクテトラ」(イサム・ノグチ)などプレイ・スカルプチャーの一群がありました。そして入口のあたりに戻ると、「多田美波展 -光を集める人-」が開催されていたので拝見。周囲の風景を変幻自在に映すステンレス・ガラスによる造形が魅力的でした。というわけで、これにて美術館徘徊は終了。よく晴れたうららかな日に訪れると(春の新緑か秋の紅葉の頃だとベスト)、「生きてるってのもけっこういいもんだな」と思わせてくれる美術館です。
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 本日の三枚、一番下が「オクテトラ」です。
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by sabasaba13 | 2009-10-31 05:51 | 関東 | Comments(0)

箱根編(2):彫刻の森美術館(09.10)

 翌日は気持ちのよい快晴、乾いて澄んだ空気を吸い込むと、心のフィルターに詰まった日々の雑事が洗い流されていくようです。今日はまず彫刻の森美術館に行ってみましょう。スイッチバックのある大平台駅から強羅行きの箱根登山鉄道に乗ってもう一度スイッチバック、急峻な勾配をうんせうんせと上り、富士屋ホテルのある宮ノ下を通り過ぎ、二十分ほどで彫刻の森駅に到着です。ここから歩いてすぐのところにあるのが「彫刻の森美術館」です。
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 1969年に開館した国内ではじめての野外美術館で、広大な庭園に近現代を代表する彫刻家の名作約120点が常設展示されています。そのほとんどが抽象的・前衛的な現代彫刻ですが、堅いことはいいっこなし。紺碧の空、白い雲、緑なす連山や木々や芝生を背景として存立する彫刻をじっと見て、おもしろいと思ったらしばし佇む、つまらないと思ったら立ち去る、ただそれだけです。なおじっくり鑑賞したい方にはイヤホン・ガイドもあります。まず出迎えてくれるのが、フェルナン・レジェの「歩く花」、そして美術館のシンボル的存在「人とペガサス」(カール・ミレス)。
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 そして動く彫刻モビールで有名なアレクサンダー・カルダーの「魚の骨」、その複雑なアウトラインが落とす影も作品の一部のようです。ナウム・ガボの「球型のテーマ」は何となく心惹かれる作品です。
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 おっ、非対称形の白亜の石門「風の刻印」もなかなかいいなあ、えーと作者は流政之… ん? どこかで聞いたことがある… パンッ そうだ、この前訪れた引田(香川県)にあった、真っ赤な紅殻(べんがら)塗りの蔵が衝撃的だった「かめびし屋」だ。魔除けと美観のために紅殻を塗るといいと先代主人に薦めたのが、この彫刻家・作庭家の流政之氏だと伺いました。こうした出会いも嬉しいものです。ピーター・ピアースの「しゃぼん玉のお城」は、プレイ・スカルプチャー(遊戯彫刻)ですが、遺憾なことに小学生までしか入って遊べません。
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 おっ、「美の巨人たち」に出てくるモデュロール兄弟のかたわれが、大地を抱きしめているぞ。アントニー・ゴームリーの「密着」という気になる作品でした。そしてこちらも当美術館のシンボル的存在、「ミス・ブラック・パワー」(ニキ・ド・サン・ファール)があたりを睥睨しながら屹立するあたりから、ヘンリー・ムーアの作品群があります。
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 もっとも気になる作品は、やはり「原子の形(核エネルギーのための原型)」(1964~65)です。シカゴ大学のキャンパスにある彫刻「核エネルギー」のための小さな試作だと思います。同作品は、1967年12月2日午後3時36分、エンリコ・フェルミの率いる物理学者のチームが史上初の自立的核分裂連鎖反応を起こすことに成功してからちょうど25年経ったその時刻に、地下の核実験場の真上で公開されたもの。ムーアの核兵器に対するスタンスについては寡聞にして知りませんが、能天気な礼賛ではないような気がします。よくよく見つめていると、そう、まるで白骨化した頭蓋骨に見えてきます。この禍々しくも巨大なエネルギーに真っ向から取り組んだアートは意外と少ないのではないでしょうか。私の知っている限り、岡本太郎の「明日の神話」とベン・シャーンの「ラッキー・ドラゴン・シリーズ」ぐらいです。映画ではけっこうあるのにね。その奥にある彫刻の解説プレートが見当たらなかったのですが、間違いなく「スピンドル・ピース」ですね。宮城県立美術館で見た記憶があり、たしかこれも核エネルギーをモチーフとした作品ではなかったかしらん。
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 本日の五枚、上から四枚目が「風の刻印」です。
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by sabasaba13 | 2009-10-30 06:24 | 関東 | Comments(0)

箱根編(1):仙石原(09.10)

 いろいろな土地をほっつき歩き徒然なるまま書き溜めていたら、ずいぶんとタイムラグができてしまいました。いちおうタイトルに訪れた年・月を付してあるのでお気づきの方もいるでしょうが、ほぼ一年のずれとなっています。まさか腐敗臭はただよっていないと思いますが、ご容赦ください。なにせ遅筆なもので。ま、でも、紅葉や桜花に関しては盛りの前に情報を提供できるという怪我の功名になっているかと思います。今回は珍しくキーボードをぱたぱたと叩け思いのほか素早くできあがったので、ほぼリアルタイムで上梓したいと思います。場所は箱根、仙石原のススキ+彫刻の森美術館+箱根板橋という内容です。ススキの見頃はこれからのようですね。持参した本は「ロハスの思考」(福岡伸一 ソトコト新書01)です。

 というわけで十月上旬の、とある二日間、ひさしぶりに山ノ神と箱根に行ってきました。新宿からロマンスカーに乗って、小田原で途中下車し、以前にも紹介した「葉椰子」で昼ごはんを堪能。温泉卵と自家製ベーコンのサラダ、ゴルゴンゾーラのピザ、ハンバーグに鮪の尾の身ステーキ、腹の虫を腕ひしぎ逆十字固めにしてぐうの音も出ないようにしてやりました。
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 そして近くにある駅前東通り商店街へ、刺身・鮮魚・干物すべてが安くて美味しい小田原屋に寄ってアジの干物を購入、「守谷のパン」でアンパンを買おうとしましたが残念ながらお休み。人気店なので、もしかしたら売り切れ・閉店にしたのかもしれません。
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 そして小田急で湯本まで行き、箱根登山鉄道に乗り換えて大平台へ。定宿に荷物を置き、千石原のススキを見にいきましょう。大平台のバス停から箱根登山バス(湖尻・桃源台行き)に乗ること約20分、『仙石高原』バス停で下車すると、もう台ヶ岳の山裾一面にススキ野原が広がっています。そのど真ん中を貫く遊歩道は、さすがにその名を知られているだけあって、家族連れなど多くの観光客が行き来していました。十月の上旬ということで穂は完全に開ききっておらず、また薄曇りなので黄金色の輝きもないのがすこし物足りませんでしたが、地を覆う仔猫の毛のようなススキが風に揺らいで波打っている光景には心癒されます。十月下旬~十一月上旬のある晴れた日に、再訪したいものです。そして宿に戻り、夕食と温泉を満喫しました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-10-29 06:13 | 関東 | Comments(0)

「寺社勢力の中世」

 「寺社勢力の中世 -無縁・有縁・移民」(伊藤正敏 ちくま新書734)読了。神々の宿り給う細部にこだわるのも歴史の楽しみですが、長いスパンと大きな視野で時代と社会を鳥瞰する蛮勇に溢れた挑戦こそが歴史の醍醐味だと思います。本書はそうした大胆不敵な試みが見事に結実した書、一気呵成に読み終えてしまいました。
 1070年2月20日に始まり、1588年7月8日に終わる日本の中世を、「寺社勢力」を軸に総体的に描ききろうというのが著者の試みです。その開始と終焉をピンポイントの日付で特定してしまう、もうこれだけで「いったいこの日に何が起きたのだろう?」と胸がときめきませんか。その根拠は読んでからのお楽しみです。この気宇壮大な考察を貫く重要な枠組みが、「国家」と「全体社会」の関係です。以下、それに関する記述と本書所収の概念図を引用します。
 最初にあるのは全体社会であり、国家が現れるのはその後だ。国家は、領域内の人々の全生活を管理できるわけではなく、またすべきではない。国家とは軍事・警察・裁判権を核として、政治・行政を司る機関にすぎず、国民生活全般をコントロールするものではない。一方、人々の生活が営まれる場、及びその営みのすべてを指して「全体社会」と呼ぶのが普通である。全体社会は法や慣習が予測していない現象に満ちており、国家の尺度で測ることはできない。その価値観をあてはめることもできない。常に「国家と全体社会は別物」ということを忘れてはいけない。…中世とは、全体社会の中において国家が占める割合が、最も小さい時代であった。(p.13)
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 微力ながら私なりにまとめると、全体社会しかなかった原始、国家が成立し全体社会の相当部分を覆った古代、全体社会の拡大・発展に国家が追いつけなかった中世、そして再び全体社会を覆うために国家が機能を強化してある程度成功する近世・近代、ということだと思います。これは鋭いなあ… 歴史は単純なものではないという留保はもちろんつけるにしても、歴史を考える上で大変有効な分析方法だと思いますし、日本だけではなく世界の歴史を見る上でも応用可能でしょう。そして国家と全体社会の乖離、全体社会の大きなコアであった無縁所の全盛、これこそが五百年にわたる中世という時代の特質である、というのが著者の主張です。(p.15) 「無縁」とはすべての人間関係が断ち切られ、個人と世間とのありとあらゆる縁が切れた状態で、ここでは主従制や身分制などという「縁」の原理は働かきません。一方ここには束縛のない自由の場なので有縁の価値観より経済原理が生のまま出現しやすくなりますが、同時に弱肉強食の自由競争のジャングルであり「死ぬ自由」にも満ち満ちていたことも忘れてはなりません。こうした国家による束縛から逃れた/追い出された無縁の人びとが集う場が無縁所、それをまるごと受け止めたのが寺社であると氏は述べられています。そして怨霊・死者・神霊を畏怖する心性にとらわれた世俗権力(国家)は、この寺社=無縁所への介入ができない。そしてこの寺社と一体化した無縁所(著者はこれを「寺社勢力」と表現されていると思います)が、生産・流通から軍需産業まで含む中世の経済を担い支え牛耳ることになります。こうした中世寺社勢力は、宗教で説明するよりも経済体として考えるほうがずっと明快であり、もはや宗派の違いは無意味だとさえ氏は述べられています。そしてこの寺社勢力の中核となったのが、大寺社の境内です。スカイスクレーパー[※塔]がそびえ立ち、住宅街・商工業地があり、周辺には貧窮民が集まる寺社境内、これを著者は「境内都市」と名付けられています。そうなるともう日本史の見方も大きく変わりますね。以下、引用です。
 …平安末期の都市は京・太宰府・平泉ぐらいで、少し遅れて鎌倉が現れる程度、日本は大半が農村からなる農業社会である、というのがそれまでのイメージであった。ところが大寺社がすべて都市ということになれば、ギリシャの都市国家のように、平安末期の近畿地方は、南都北嶺ほか、東寺・醍醐寺・石清水八幡宮・四天王寺など、無数の都市に満ちた都市社会だということになる。(p.91)
 中世後期に登場する寺内町や自治都市も、この「境内都市」のバリエーションと考えられます。また自治を行う地域組織は、かつて「惣村」と習った記憶がありますが、氏は「中世は農業社会だ」という誤解によるもので、そのほとんどは自治村落ではなく自治都市と主張されています。(p.225)
 というわけで、国家から大きくはみ出した人々をまるごと受け止めて経済活動の中核となった無縁所=寺社=都市、という構図が見えてきます。そしてこうした無縁所が姿を現した平安後期に、社会変動と全体社会の拡大という状況に対応してもう一つの勢力、武士が登場します。彼らは有縁の原理=主従制と暴力を駆使して(武士=ヤクザ論!)国家の中核となり、無縁の原理を壊滅させるとともに無縁の人々を国家の支配する領域内に組み込んでいく…

 著者鋭く明敏にも、その眼差しを近代、現代、そして未来にまで投げかけています。どんなに国家の権力や機能が強化されても全体社会すべてを包摂することは不可能であり、国家からはみ出した/見捨てられた無縁の人々は近現代になっても再生産されていく。さまざまなかたちでの国内移民・国外移民ですね。ただ中世とは明らかに違うのは、彼ら/彼女らを保護する何らかの権威や自治組織、そして無縁の場を守るための武力が存在しないということでしょう。
 そして今、技術革新やグローバル化によって再び全体社会が拡大し、国家の支配力が及ばない領域が大きくなりつつあります。そこではどのような無縁の原理が生まれるのか、生まれないのか、あるいは自らを守るための新しい原理が生まれるのか。私たちが直面しているのはそういう状況なのでしょう。

 平安後期における社会変動や全体社会の拡大の関連(どちらが先か?)、その具体的な実態についてもっと詳しく説明してほしかったなと思いますが、これは自分で考えることにします。知る喜び・考える喜び・学ぶ喜びを満喫させてくれる、そして「すべての歴史は現代史」であるという叡智に溢れた好著、お薦めです。
by sabasaba13 | 2009-10-28 06:12 | | Comments(0)

言葉の花綵15

 どんな猫だって、芸はちゃんと仕込める。なぜなら…
 ①どんな猫だって腹は減る。
 ②究極的には猫よりは人間のほうが頭がいい。(ただし少数の例外はある) (スコット・ハート)

 これからは、若い落語家がどんどんとできます。それは、つまり、あなた方に育ててもらう。そして、あなた方がそれを楽しむ。ですから、ま、つまり、小鳥を飼っても、その鳴く音を聞こうというのには、やっぱし餌をやって、そしていろいろ世話をしなきゃいけない。小鳥にしちゃ、ちと汚ねえけど。そういうようなわけですから、あたくしたちはこうやっておりましても、みなあなた方に養われているものでございます。自分の力で生きてるんじゃない。お客様にこうやって、おかれている。お客様に、もうあいつに用はないといわれちまえば、もうそれっきりなんでございます。噺家一人助けると、猫千匹にむかうというくらいでございます。どうかひとつお願いをいたします。(林家三平の真打ち披露口上 古今亭志ん生)

 パーティーでであった歯医者に「よく歯が痛む」とこぼしたところ「歯をよく磨くんですな」といわれた。数日後その歯医者から請求書が来たので友人の弁護士に「こんなの、払う必要があるのだろうか」と相談したら、「それは払うべきでしょう」といわれ、翌日、今度はその弁護士から請求書が来た。

 救命ボートが小さく何人かに救命具をつけて飛び込んでもらわねばボート自体が沈没しそうになったときの説得の言葉。イギリス人へ「紳士と見込んで」、アメリカ人へ「スポーツマンシップを」、ドイツ人へ「船長の命令です」、ソ連人へ(共産主義時代)「レーニン勲章に推薦しましょう」、日本人には耳元で小声で囁く、「皆さん降りるようですよ」。(ジョーク)

 実現可能なことをする、出来る手を打つ、出来ぬ夢を見ない-それがおとなだ。(司馬遼太郎 『関ヶ原』より)

 汚う稼いできれいに払う。これが大阪商人の心意気や。(『ナニワ金融道』)

 料理教室や花嫁教室だって進学は進学。たとえ三日と続かなくともいったん勤めりゃ就職は就職。とにかく卒業生の進路は学校に都合のいい数字が出せるように努力して新たなカモ引っぱる材料にせにゃあ… (『ギャンブルレーサー』)

 IF YOU CAN MEET WITH TRIUMPH AND DISASTER
 AND TREAT THOSE TWO IMPOSTORS JUST THE SAME
       ALL ENGLAND LAWN TENNIS & CROQUET CLUB (ウィンブルドン、センターコートのプレート)

 軍人がかろうじて人間でありえたのは銃で撃ち合う時代までだ。(深町艦長 『沈黙の艦隊』)

 歴史は同じことをくりかえさない。それをくりかえすのは人間だ。(ヴォルテール)

 いいんだ、いいんだ。おれ達はこれから本当の人間になるのだ。貧乏でも、御番入が出来なくても、どんなに辛くともお信、おれ達が本当の人間というものになったのを喜ぶ日を待とう。

 坊主の説教をききに来てるんじゃねえ。疵をしたら手当をして、少しでも苦痛を無くするが、手前の職だ。助からねえ迄も助けようと手を尽くすが医者が仕事だ。利いた風な事をぬかして、玉の下ったほどの大怪我人をあっけからんと見ているという医者があるか。(子母沢寛 『父子鷹』)

 半年も前と同じことはやれない。(マイルス・ディビス)

 骨かくす皮にはだれも迷いけん 美人といふも皮のわざなり (一休宗純)
by sabasaba13 | 2009-10-27 06:06 | 言葉の花綵 | Comments(0)

「沈まぬ太陽」

c0051620_68119.jpg 先日、ユナイテッドシネマとしまえんで山ノ神と一緒に「沈まぬ太陽」を見てきました。以前に山崎豊子の原作をほんとに文字通り寝食をとる間も惜しく一気呵成に読み通したもので、本作を以前から楽しみにしていました。監督は若松節朗、脚本は西岡琢也です。主人公は恩地元(渡辺謙)、国民航空の労働組合委員長として、安全を軽視し利益を優先する会社を批判したため報復人事として、流刑ともいうべき九年間の海外勤務(カラチ→テヘラン→ナイロビ)を命じられます。帰国した彼を待っていたのは、その安全軽視のつけによるジャンボ機墜落事故でした。遺族に対して誠意ある対応をとろうとする恩地、できるだけ早く結着をつけようとする会社側はあらためて彼の存在を煙たく思います。そうした中、首相の指名により、経営刷新のために関西の財界から会長として就任した国見正之(石坂浩二)は、彼を抜擢して会社の建て直しに尽力しますが、その前に立ち塞がるのがかつて組合で共に闘った仲間である行天四郎(三浦友和)でした。さて結末はいかに…
 まずは監督および脚本家の力量を賞賛したいと思います。文庫本にして全五冊の大作を、十分間の休憩をはさむ3時間22分によくぞまとめあげたものです。遅滞のないストーリーの進行、やや紋切型ですが的確な人間描写、緊張感が途切れることなくあっという間にラストシーンをむかえました。利潤を最優先し安全と労働者を軽視する大企業の非人間的なあり方、それに屈せずに闘い続ける不撓不屈の男、稀にみる壮大な人間ドラマ。文句なく一見の価値ある、超弩級の力作です。ただ、失礼を承知で言えば、どことなくそこはかとなく "薄さ"を感じました。自分なりにいろいろと考えてみたのですが(考えさせてくれるのは私にとって良い映画です)、まず映像表現。映画でしかできないような、あるいは映画でこそ効果がある映像表現(モンタージュやカメラワークなど)があまりなく、ストーリーのみを汲々として追うテレビ・ドラマのような平板さが気になりました。まるで秋の特番三時間ドラマスペシャルをプラズマテレビの大画面で見たようです。あえて抑制した映像でストーリー・テリングに徹したのかもしれませんが。もう一つは内容。「恩地さんてすごい!」という印象だけが残って、彼が闘った相手とは何か、そして彼はなぜ闘ったのかについての表現や主張が弱いと思いました。意地悪い言い方をすれば、ラストシーンにおけるアフリカの雄大な自然描写でまるめこまれてしまったような気さえします。原作者の山崎豊子氏が、そして実在のモデルである小倉寛太郎が一番言いたかったことは何なのか。実は小倉氏は2002年に逝去されましたが、幸いその直前に彼の講演を聞く機会がありました。以前にも紹介しましたが、この映画を理解する、あるいは批判する大きな鍵になると思いますので一部改変して再び紹介します。

 先日、『沈まぬ太陽』の主人公のモデルとなった小倉寛太郎氏の講演会(出版労連女性部集会)を聞いてきました。その話を人に聞いてほしくて一筆致します。なお彼はナイロビ勤務中に、ハンティングとサバンナの素晴らしさに目覚め、退職した今ではアフリカのフィールドガイドや野生動物保護で活躍されています。さて講演のはじまりはじまり、主催が出版労連ということもあって、労働組合についての話題が中心です。
 今の日本の企業の在り方はおかしい。企業のために、個人の生き方・考え方が変えられてしまうのが現状である。それどころか、企業の塀の中には憲法・人権がないし、ファシズムが横行している。経営者の無責任体質もひどい。現在の日本人の無責任さの根源は、十五年戦争の責任を全く取らなかった昭和天皇の態度にある(オオッ[※会場のどよめき])、と一発ぶちかました後で、いよいよ本題。

 それでは、労働組合の役目とは何か? まずは労働者の錯覚を正すことにある。その錯覚とは「自分(労働者)はこの企業で働くために生まれてきた/この企業のために生きている」ということである。もう一つは、無能・無責任な経営者を監視すること、経営の在り方についてのお目付役をすること、失敗したら経営者にきちんと責任を取らせること、である。ところが経営者側にとっては、そんなことはさせたくない。そこで経営者側の反撃が始まる。労働組合を丸抱えするか(御用組合化)、分裂させるか(第二組合の結成)である。後者のケースが多いが、そこで経営者が行なうのが組合分裂工作、つまり脅迫と誘惑である。第一組合に残れば「出世をさせない」と脅かし、第二組合に入れば「主任にしよう」と誘惑する。人間は「正しい/正しくない」という行動基準を持つべきだが、しかし人間は弱いものでもある。経営者側の脅迫と誘惑にあい、損得勘定をし、正/不正を考えず、自分の弱さに屈し、第二組合に移ってしまう人が多い。つまり、組合分裂工作とは、人間が自分の弱さに屈することにお墨付きを与える、いいかえれば企業による人間性の破壊である。こうしたことが平然と白昼堂々と行なわれ、しかも最近激しさを増している。
 その結果どうなるか。企業の経営を批判する存在がなくなる。労働者と経営者の癒着と馴れ合いが始まり、やがて企業の病状は悪化し腐敗してゆく。これが日本の企業の現状である。
 では労働組合はどう立ち向かえばいいか。アフリカのサバンナにはバッファローとヌーという動物がいる。バッファローは、ライオンに襲われると必ず群れで立ち向かう。数頭でライオンに体当たりをし、数頭が傷ついた仲間の傷をなめる。一方、ヌーはチーターに襲われると、バラバラに逃げまどう。チーターの弱点は足なので、数頭のヌーで立ち向かえば被害は減らせるはずなのに、それをしない。そして、仲間の一頭がチーターに食いちぎられているその前で、「ああ今日は俺の番じゃなくてよかった」とばかりに平然と草をムシャムシャ食べている。言い古されたことだが、団結しかない。労働者はバッファローになるしかない。そして個人個人が自分の弱さを克服しようと努力すること。

 ウーン、いかがでしょう。もう一つ、小倉さんが質問の中で話してくれた逸話を紹介します。人気作家山崎豊子氏の次の作品を連載させてもらおうと、多くの出版社がやってきたが、日航の内情を描いた作品だということが分かると、みな腰が引けて逃げてしまった。その中で新潮社の山田氏だけが会社を説得し、週刊新潮での連載が始まった。すると日本航空(JAL)は、新潮社の出版物から日航の企業広告をすべて引き上げてしまった。新潮社は莫大な広告料を失い打撃を受け、山田氏への非難が集中したそうである。しかし連載は人気を呼び、週間新潮の売り上げは倍増し、損失分を十分にカバーすることができた。さらに単行本にしようとした時に、心労・過労のため山田氏は入院してしまう。その単行本がベストセラーとなり、社員が入院中の山田氏に報告しにいくと、「200万部を突破するまでは見舞いに来るな!」と一喝されてしまう。そして200万部を突破し、その報告をしにいくと、彼はすでに亡くなっていた…

 最後に質疑応答の時間がありましたので、思わず挙手して質問をしてしまいました。「お話のような目に会いながら、なぜ会社を辞めなかったのですか? 何が小倉さんを支えたのですか?」  氏は莞爾としてこう答えられました。「私はどんな仕打ちを受けても会社をやめませんでした。なぜなら仲間を裏切ることになるからです。私がやめれば、一番喜ばせたくない連中(経営者)が喜ぶし、一番悲しませたくない人々(職場の仲間)が悲しむからです」
 この時、たしかに小倉さんは涙ぐんでいたわと、山ノ神は教えてくれました。終了後、山ノ神はサインをもらうため本を持参し、握手をしてもらったそうです。その時、「私もアフリカに行きたいです」と言うと、小倉さんは「じゃあ行きましょうよ」と即答。氏をガイドとするツァーがこの夏に挙行されるとのこと、残念ながら旅行の予定が入っているので断ったそうですが、訃報を聞いたのはその一年後でした。今でも彼女は悔やんでいます。

 というわけで、日本企業の無責任さと非人間性に対して、仲間を守るための闘いだったのではないでしょうか。このへんに対する切込みが少々足らず、主人公の英雄譚になってしまったような感が否めません。ただ、別に省いてもストーリーの進行には影響しないのに、首相の参謀として国見氏に会長就任を依頼しに行く龍崎一清(品川徹)を登場させたのは監督の炯眼だと思います。冷酷な威圧感のあるこの人物、もしやモデルは瀬島龍三では。プログラムによると「元大本営参謀、シベリア抑留を経験」とありましたが、その後政財界のフィクサーとして活躍している様子も加味すると、間違いないでしょう。最近、「沈黙のファイル」(共同通信社社会部 新潮文庫)を読んで彼の存在を知ったのですが、エリート参謀として無謀な戦争を指揮しながら、その責任を一顧だにせず、戦後は賠償ビジネスや防衛庁商戦などで暗躍し政界の「影のキーマン」となった方です。映画の中では、国見を「国のため」「国のため」と繰り返しながら説得していた場面が印象的でした。「国」や「企業」を隠れ蓑にしながら、他者を犠牲にし、己の野望や利益をプラグマティックに追求し、失敗しても責任をとらない選良。ある意味ではこの映画を象徴する人物ですね。若松監督、次回はぜひこの人物の生涯を映画化してくれませんか。
by sabasaba13 | 2009-10-26 06:08 | 映画 | Comments(0)

教会

早稲田奉仕園スコットホール(東京)
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日本基督教団京都御幸町教会(京都)
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救世軍京都小隊 小隊会館(京都)
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札幌聖ミカエル教会(北海道札幌)
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カトリック小樽教会富岡聖堂(北海道小樽)
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カトリック小樽教会住ノ江聖堂(北海道小樽)
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上下キリスト教会(広島県上下)
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日本基督教団安藤記念教会(東京都元麻布)
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日本基督教団武蔵豊岡教会(埼玉県入間市)
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日本福音ルーテル市川教会(千葉県)
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日本基督教団九十九里教会(千葉県)
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茂原昇天教会(千葉県)
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日本基督教団横須賀上町教会(神奈川県横須賀)
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日本基督教団一ノ関教会(岩手県一関市)
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日本基督教団郡山細沼教会(福島県郡山市)
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ラーハウザー記念東北学院礼拝堂(宮城県仙台市)
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長野聖救主教会(長野県長野市)
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軽井沢教会(長野県)
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軽井沢ユニオンチャーチ(長野県)
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聖ヨハネ教会(栃木県宇都宮)
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松が峰教会(栃木県宇都宮)
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日光真光教会礼拝堂(栃木県)
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日本基督教団札幌教会(北海道札幌)
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カトリック元町教会(北海道函館)
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遺愛学園宣教師館(北海道函館)
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日本基督教団函館教会(北海道函館)
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トラピスチヌ修道院(北海道函館)
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中島町教会(高知県高知市)
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日本聖公会京都聖三一教会(京都)
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日本基督教団水口教会(滋賀県水口)
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日本基督教団今津教会(滋賀県今津)
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日本基督教団堅田教会(滋賀県堅田)
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日本基督教団近江金田教会(滋賀県近江八幡)
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桂カトリック教会(京都府桂)
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旧須美壽記念禮拜堂(滋賀県彦根)
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ヴォーリズ記念病院礼拝堂(滋賀県近江八幡)
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日本聖公会奈良教会(奈良県奈良)
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カトリック築地教会(東京都)
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日本基督教団戸山教会(東京都)
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前橋カトリック教会(群馬県前橋)
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日本聖公会高崎聖オーガスチン教会(群馬県高崎)
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熊谷聖パウロ教会(埼玉県)
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大明寺聖パウロ教会堂(愛知県明治村)
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聖ヨハネ教会堂(愛知県明治村)
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聖ザビエル天主堂(愛知県明治村)
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シアトル日系福音教会(愛知県明治村)
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根室キリスト教会(北海道根室)
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アム・シュタインホーフ教会(オーストリア・ウィーン)
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カトリック新発田教会(新潟県新発田)
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両津カトリック教会(新潟県佐渡)
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新潟カトリック教会(新潟)
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同志社大学礼拝堂(京都)
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ドゥオーモ(ピサ)
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ドゥオーモ(ミラノ)
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ドゥオーモ(フィレンツェ)
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シュテファン寺院(ウィーン)
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サン・マルコ寺院(ヴェネツィア)
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須坂教会(長野県須坂市)
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日本基督教団倉敷教会(岡山県倉敷)
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サグラダ・ファミリア聖堂(スペイン・バルセロナ)
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東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都目白)
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カトリック佐野教会(栃木県佐野)
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日本基督教団佐野教会(栃木県佐野)
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日本聖公会浅草聖ヨハネ教会(東京都蔵前)
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カトリック神田教会聖堂(東京都西神田)
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日本基督教団根津教会(東京都根津)
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日本基督教団富士見丘教会(東京都代沢)
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日本基督教団本郷中央教会(東京都西本郷)
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九州学院高校礼拝堂兼講堂(熊本県熊本)
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カトリック人吉教会司祭館(熊本県人吉)
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シャルトル聖パウロ修道院記念館(熊本県八代)
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鶴岡カトリック教会天主堂(山形県鶴岡)
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山形カトリック教会(山形県山形)
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山形聖ペテロ教会(山形県山形)
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ショー記念礼拝堂(長野県旧軽井沢)
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市川教会(山梨県市川大門)
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カトリック道後教会(松山)
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聖アグネス教会聖堂(京都)
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豊橋ハリストス正教会聖堂(愛知県豊橋)
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ニコライ堂(東京都神田駿河台)
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目白ヶ丘教会(東京都下落合)
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目白聖公会(東京都下落合)
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新参町教会(長野県上田市)
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六日町教会(山形県山形)
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安中教会(群馬県安中)
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栄町教会(福島県会津若松)
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海岸教会(神奈川県横浜)
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旧鯛ノ浦教会(長崎県五島)
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高輪教会(東京都高輪)
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京都ハリストス正教会(京都)
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弘前カトリック教会(青森県弘前)
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弘前昇天教会(青森県弘前)
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高梁基督教会(岡山県高梁)
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カトリック三浦町教会(長崎県佐世保)
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出津教会(長崎県出津)
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聖公会(北海道小樽)
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聖パウロ教会(長野県旧軽井沢)
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青砂ヶ浦天主堂(長崎県五島)
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川越キリスト教会(埼玉県川越)
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大曾教会(長崎県五島)
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中ノ浦教会(長崎県五島)
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中町教会(長崎県長崎)
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カトリック教会(山口県津和野)
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土浦聖バルナバ教会(茨城県土浦)
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諸聖徒教会(東京都千石)
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頭ヶ島教会(長崎県五島)
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堂崎教会(長崎県五島)
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日本キリスト教団弘前教会(青森県弘前)
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白河ハリストス正教会(福島県白河)
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函館ハリストス正教会(北海道函館)
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福見教会(長崎県五島)
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ザビエル記念教会(長崎県平戸)
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別府カトリック教会(大分県別府)
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北鹿ハリストス正教会(秋田県北鹿)
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冷水教会(長崎県五島)
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by sabasaba13 | 2009-10-25 07:48 | 写真館 | Comments(0)

近江錦秋編(21):帰郷(08.11)

 運転手さんとこのあたりについての四方山話をしていると、ふと私の中の悪魔と天使が「時刻表で行程を確認しておいた方がいいよ」と二重唱をはじめます。このぶんだと午後二時半頃に駅に着くので、三十分ほど周辺にある古い駅舎と学舎を見物して、15:05発の播州赤穂行き新快速に乗って大津で降りてコインロッカーから荷物を取り出して京都に向かえば、16:16京都発のぞみ32号に十分間に合う…はず…だ… しかし無気味な悪寒を感じ時刻表で確認すると、当該の列車は16:02に大津着、荷物を取り出して次に乗る列車は16:12大津発、そして京都駅に着くのは16:21… 間に合わない! 一生の不覚! 若気の至りで一度だけこの時期の上り新幹線自由席に乗ったことがありますが、立錐の地もないほどのオイル・サーディン缶詰状態でした。その時はたまたま名古屋で席が空き救われたのですがそうそう運が良いとはかぎりません。あの状態で二時間半立ちながら混雑を弱耐え忍ぶのはたいへんな困苦です。山ノ神にも一生言われ続けるだろうしなあ。とるものもとりあえず、運転手さんに事情を話し、14:29発姫路行き新快速に間に合わせてほしいと懇願。人生意気に感ず功賞復た誰か論ぜんとばかりに、交通法規を破らない範囲で急ぎましょうと請け負ってくれました。ブオー この間、私の灰色の脳細胞はひさかたぶりにフルスロットルで稼動、間に合わなかった場合の事後策を検討。14:37発の特急しらさぎは? だめ、米原止まり。米原から新幹線では? 大津駅で荷物が回収できない。このタクシーで米原まで行ってもらい14:29発の列車(米原着14:42)に飛び乗るのは? いや間に合いそうもない。万事休す、万策尽きて詰んでしまったようです。いやあきらめたらそこで試合終了、何か手はあるはずだ。そうこうしているうちに車は駅に到着、時刻は14:30、情け容赦なく動き出す列車の姿が車窓から視認でキました。♪This is the end, beautiful friend♪というジム・モリソンの歌声が脳裡をかすめます。申し訳なさそうな表情の運転手さんに丁重にお礼を言い、タクシーを降りた瞬間、閃光がひらめきました。14:37特急しらさぎに乗れば、米原駅で14:29姫路行き新快速に追いつき乗り込めるのではないか。一縷の望みにすがる思いで駅の窓口に行き確認してもらうと…だいじょうぶ、可能でした。♪Hallelujah, Hallelujah♪というジョン・オールディス合唱団の歌声が凍てついた構内に響き渡ります。あとはとんとん拍子、特急で米原まで行き、すでに到着している姫路行き新快速に乗り換えて15:33に大津着、コインロッカーから荷物を取り出して15:43発の快速に乗って15:52に京都駅に到着。お土産と駅弁を買ってもゆうゆう16:16発ののぞみ32号に乗り込むことができました。やれやれ、山ノ神をふくむ関係者各位に多大なるご迷惑をおかけしたことを衷心からお詫び申し上げます。刻み込める余地がかなり少なくなったのですが、肝に銘じましょう、"Ecce jikokuhyo"

 京都駅構内もホームも人であふれかえっており、新幹線自由席はすし詰め状態でした。
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 安堵の思いで指定席に座り、さっそく購入した駅弁(私はうなぎちらし弁当、山ノ神ははも寿司)に舌鼓を打ちましょう。近江にはまた来ることになりそうという「恋の予感」を感じながら…
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by sabasaba13 | 2009-10-24 07:34 | 近畿 | Comments(0)

近江錦秋編(20):孤蓬庵(08.11)

 木ノ本から十五分ほどで長浜に到着、さっそく駅前でタクシーに乗り近江孤蓬庵(こほうあん)に向かってもらいました。小糠雨がしとしと降る中三十分弱で到着、運転手さんには駐車場で待っていてもらい中を拝見することにしましょう。このお寺さんは有数の茶人、そして華道や作庭の第一人者として活躍した小堀遠州(1579~1643)の菩提寺で、彼が京都大徳寺に建立した孤蓬庵に対し、近江孤蓬庵と呼ばれています。明治維新後、無住のまま荒廃していましたが、1965(昭和40)年に再建、「遠州好み」の庭も同時に補修整備されたとのことで、紅葉の名所としても知られています。建立は遠州の没後なので、彼が直接作庭に関わっていはいないでしょう。木々にかこまれた道を歩いていくと右手に竹林、そこには「足元にご注意下さい 庭師 水谷」という貼り紙。うーむ水谷さんが精魂込めて手入れをされているお庭なのですね。
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 落ち着いた雰囲気の門をくぐると右手には数奇屋造の建物、そして雨に濡れてしっとりと輝く木々や草々の中を歩いていくと、山裾に抱かれるように佇む孤蓬庵とご対面です。
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 「ごめんください」と静寂を破っても、聞こえてくるのは雨音だけ。中に入り指定されたところに拝観料をおき、お庭を見せてもらいましょう。右手は簡素な石組みの枯山水、正面は池泉回遊式の庭園です。とりたてて楓は多くありませんが、ところどころに色づいた紅葉があり、雨で俗塵を洗い流され嬉しそうに輝いていました。
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 円の上部を水平に切り取った手水の形が珍しいですね。また柱の釘隠しも凝った意匠です。
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 参拝客がわれわれ二人しかいないという最高のシチュエーションで、本堂の真ん中に正座して鴨居・障子・縁によるトリミングを楽しんだり、縁に出て雨がおりなす池の波紋を眺めたり、心の琴線が調律されるようなひと時を過ごせました。しかし、花に嵐のたとえもあるぞ、どやどやどやどやと団体客がやってきてゆるやかに張りつめた空気を粉微塵に破っていきます。引き上げる潮時ですね、本堂を出てタクシーに戻り長浜駅へ向かってもらいました。

 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2009-10-23 07:36 | 近畿 | Comments(4)

近江錦秋編(19):木ノ本(08.11)

 さてふたたびリフトで眺望を楽しみながら下山、タクシーに戻りました。すると親切な運転手さんが「すぐ近くに奥琵琶湖を望める絶好のビュー・ポイントがありますよ」とオファー、よし、のった。リフト乗り場から数分ほど走り旧道のトンネルを抜けたところでクルマを停めてくれました。なるほど、抉られたような湾の奥から眺める琵琶湖もまた格別です。右手には竹生島、その向こうには菅浦があるのですね、しかし雨がそぼ降りはじめ視界はさらに悪くなってきました。いつか晴れた日に再訪を期しましょう。
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 クルマに戻り、十分ほどで木ノ本駅に到着。長浜に行く列車が来るまで十数分あるので、山ノ神は駅の地元物産販売所を物色、私はせっかくなので駅周辺を散策することにしました。すこし先には1936(昭和11)年につくられた古い駅舎が保存されています。当時の写真が展示されていましたが、大きな窓が壁一面に配置されたインターナショナル様式のモダンな建物です。残念ながら上部の窓が塗り込められてしまい、現在の佇まいは凡庸なものになっております。
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 その前には(たぶん)秀吉の兜を乗せたご当地ポストがありました。そしてその隣の公衆便所でフェイス・ハンティング、困っているような怒っているような陰翳にあふれた表情です。
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 用をたしに中に入ると「トイレットペーパーの芯を流さないで下さい」という貼り紙、とんでもない輩がいるものですね。駅前にある図書館は四連アーチ窓が軽快な表情をつくる洋館でした。
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 付近にあった妻入造の民家では棟木の先端が飛び出しているような部分があり、火難除けでしょう「水」と書かれていました。近江でよく見かける様式ですね。
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 さてそろそろ列車の到着時間ですので駅へ戻りましょう。山ノ神と合流して入線した列車に乗り込み、以後の行程を検討しました。時刻は午後一時すこし前、帰りの新幹線は16:16京都発だし、大津でコインロッカーの荷物を回収しなければならないので、玄宮園(彦根城)に寄る時間はありません。近江孤蓬庵に行った後、長浜をすこし散策して京都に向かうことにしましょう。
by sabasaba13 | 2009-10-22 06:11 | 近畿 | Comments(0)