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「キャピタリズム ~マネーは踊る~」

c0051620_7164157.jpg 先日、山ノ神といっしょに日比谷のTOHOシネマズシャンテで、マイケル・ムーア監督の「キャピタリズム ~マネーは踊る~」を見てきました。「ボウリング・フォー・コロンバイン」を見て以来、彼の大ファンとなりました。「華氏911」「シッコ」に続く最新作、見ないでか! 寒風が路上の落ち葉を踊らせる師走の夕べ、ガード下の小さな窪みにジグソーパズルのピースのように嵌って寒を凌ぐホームレスの方々に本編の予告編を見たような錯覚に襲われました。彼ら(なぜ女性のホームレスはあまり見かけないのだろう?)を脇目に見ながら映画館に到着すると、幸いというか残念というか行列はできていません。入場すると三分の一ほどが空席です。もっと注目されていい硬骨の映画だと思うのですけれどね。
 冒頭に写しだされるのが、古い映画のワンシーン。「この映画は過激な内容なので、健康に自信のない方やお子様は退場してください」と俳優が語りかけ、そして拝金主義を笑い飛ばすイギー・ポップのロックンロール♪Louie Louie♪が流れます。もういきなり彼の世界に没入。貧富の拡大と支配者の腐敗を招いた古代ローマ帝国を描いた古い映画と、現代アメリカの世相を写すショットをオーバーラップさせ、そしていよいよ凄まじい搾取がまかりとおるアメリカ資本主義の実情を容赦なく抉り出していきます。鍵の掛かっているドアをこじあけて、住宅ローンが払えなくなった家族を強制退去させる保安官たち。あまりの低賃金のためフード・スタンプに頼らざるを得ないパイロットたち。旅客機をハドソン川に不時着させ搭乗客の命を救ったサレンバーガー機長が、議会でその窮状を訴えるシーンが印象的でした。大学で学ぶために借金をせざるをえず卒業後のそのローンに何十年も縛られ続ける若者たち。些細な少年犯罪にも有罪判決を出してほしいと判事に利益供与を行う民間更生施設。中でも愕然としたのは、大企業が従業員に無断で生命保険をかけ、受取人になっているという事実です。
 マイケル・ムーアはほどほどの豊かな暮らしを満喫できた幼時の頃を思い返しながら、かつてはこんなことはなかった、いつから、なぜこうなったのかと自問します。それはレーガン政権下で、ウォール街のCEO(企業の最高責任者)が政権の中枢となり、大企業・大銀行が非人間的な方法で暴利をむさぼれるように経済・社会システムを劇的に改変した時からであるというのが彼の主張です。シティバンクの極秘メモが語るところのプルトノミー、つまり「1%の最富裕層が、独占的に支配し、独占的に利益を得る社会」に変えてしまったわけですね。そして「アメリカン・ドリーム=いつかは僕らも金持ちに」という迷妄から目覚め社会の変革を求めて動き出した人々の姿が紹介されます。ウォール街を救うための資金援助法案を可決しようとする議会に対して、猛烈な抗議の声をあげる人々。強制退去を拒否して住み慣れた家に踏みとどまる家族とそれを助ける地域の人々。理不尽な解雇を拒否して工場を占拠する労働者たちとそれを応援する多くの人々。
 マネーゲームに明け暮れ税金を盗み皆を搾取して肥え太ったウォール街にでむいたムーア監督は、大銀行・大企業そしてニューヨーク証券取引所に黄色いテープを張り巡らします。よくアメリカの警察が犯行現場に張り巡らす、"CRIME SCENE DO NOT CROSS"と記されたあのテープを。うろ覚えで申し訳ないのですが、最後のモノローグを紹介します。 
こんな国には住みたくない。だから僕は戦う。でも僕一人の力ではもう無理だ。あなた達みんなの力が必要だ。戦おう。
 全編にちりばめられたムーア監督の温かく力強いメッセージに、胸が熱くなります。「努力すれば豊かになれる」という嘘に騙されないこと、富裕者の不公正な蓄財を見極め批判すること、みんなと手を取り合って社会を変革すること、そして戦うこと。プログラムに掲載されていたインタビューで彼はこう語っています。 
僕は、「人民によって管理される新しい経済」を構築するために、我々がしなくてはならないことを話し合う勇気を皆にもってもらいたいんだ。我々は新しい経済システムを作り出せる。何だかわからないものを発明する必要はない。我々は民主主義を信じ、倫理コードを信じている。そこから新しく何かを始められるはずだ。
 そう、これはもはやアメリカだけの問題ではありません。世界規模でのプルトノミー=1%の最富裕層が、独占的に支配し、独占的に利益を得る社会への移行が進んでいるという事実(もちろん日本でも)。そしてこのあまりにも凄絶な貧富の差の拡大がテロリズム・民族紛争・戦争・環境破壊の温床になっていること。この事態を何とかしない限り人類に未来はないということ。監督の視線はそこにまで及んでいることと思います。ただ新自由主義・市場原理主義が蔓延する以前の1950~1960年代に戻ろうとしてもそれは無理でしょう。E・J・ホブズボームが『極端な時代』(三省堂)で指摘しているように、大衆的な豊かさが多くの国で実現したこの時代は、廉価なエネルギーなど特殊な条件が重なって到来した特例的な「黄金時代」でしたから。環境に負荷をかけず富の公正な分配をめざす真に"新しい経済システム"をみんなで力を合わせて作り出さなければならないこと、それは可能だと信じること、監督のメッセージを心に刻みましょう。
 なお戦後のドイツ・イタリア・日本では、社会的な公正をめざす憲法が制定されたと紹介する場面がありましたが、その中で日本の議員たちが昭和天皇に深々と頭を下げるシーンがありました。監督の皮肉でしょう、苦笑してしまいました。最後のタイトル・ロールで流れる曲は、ロック調の"インターナショナル"、そしてカントリー&ウェスタン調の曲でした。貧者を救うため富裕者を批判したイエス、彼を殺したのはその富裕者たちだ、という内容の曲ですが、この声はどこかで聞いたことがあるぞ。ウディ・ガスリーではないだろうか… 帰宅後、ラックを探して彼のCDを見つけ確認したところ、たぶん"They Laid Jesus Christ In His Grave"という曲ではないかと思います。間違っていたらすみません。たしか彼は自分のギターに「この機械はファシストを死なせる」と記していたと思います。ウディ・ガスリーにとってはギターが、ムーア監督にとっては映画が、不正や邪悪と戦うための武器なのですね。

 終演後、御徒町まで行き、「天正」で穴子天丼を食べようとしましたが、残念ながら店じまいでした。どうしようと途方にくれていると、すぐ近くに「満留賀」という蕎麦屋(東京都台東区台東3-13-6)があり、店先に貼ってあった品書きに「はみだし穴子天丼」がありました。互いに見合す顔と顔、にやりと微笑み合って中に入りました。怪我の功名、といってはお店に失礼ですがこれが大当たり。山のようにジャコがかかった大根サラダも美味しいし、ほんとに2/3が丼からはみだしている穴子天丼も文句なし。脇侍仏のように添えられた二つの長ネギの天ぷらには意表をつかれましたが、これも美味。おまけに小さなざる蕎麦がついてこれで900円! 安くて美味しくてざっかけない雰囲気のお店に出会えて幸運でした。
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 余談です。実は12月初旬、京都に紅葉狩りに出かけたのですが、妙心寺退蔵院で偶然マイケル・ムーア監督に出会いました。驚きと感激のあまり、硬直してしまった二人ですが、山ノ神が意を決して英語で「いっしょに写真に写ってください」と話しかけると、ニコニコと快諾。握手までしてくれました。その時の気さくで優しい笑顔と、大きくて温かい手の感触が忘れられません。今にして思うと、映画の中で彼はキリスト教へのこだわりを随所で見せていました。「金銭への妄執と愛」を人の心から払拭するための一つの手段として宗教に着目しているのかもしれません。なにやら退蔵院の僧侶から話を聞いていたようなので、臨済禅の教義から考えるヒントをつかもうとしていたのでしょうか。いずれにしろ、小槍の上でアルペン踊りを踊りたくなるような嬉しいサプライズでした。
by sabasaba13 | 2009-12-31 07:17 | 映画 | Comments(0)

日フィルの第九

c0051620_8294628.jpg 先日、労働組合を経由して日本フィルハーモニー交響楽団のビラをもらいました。なんでも、経営不振のおり、年末の第九演奏会のチケットを割引するので買って欲しいというものでした。日フィルといえば、フジテレビ・文化放送との争議、そして新日フィルとの分裂事件を思い出します。私も詳細についてはよく知らなかったので、ウィキペディアから事件の経過について引用します。
 日本フィルは1956年に文化放送が設立した後、財団法人となり、フジテレビと文化放送の放送料によって運営されてきたが、1972年6月に両社はオーケストラの解散と楽団員全員の解雇を通告、放送料を打ち切り、財団も解散した。表向きの解散理由として、オーケストラの運営に多額の資金が必要なことが示されたが、その背景には1971年5月、日本フィルハーモニー交響楽団労働組合が結成され、同年12月には同労組が日本の音楽史上で初の全面ストライキをたたかったことがあった。
 楽団員のおよそ3分の2はオーケストラと労働組合にとどまり、自主的な演奏活動によって運営資金の確保を図りつつ、解雇を不当として東京地方裁判所へ提訴、解決を求めた。その一方で、当時の首席指揮者であった小澤征爾を中心とする元団員によって新日本フィルハーモニー交響楽団が設立されている。
 初代常任指揮者の渡邉暁雄は1969年にスイスに移住する際に日本フィルを離れたが、争議中の1978年に復帰、以後もオーケストラの精神的支柱として活動した。演奏活動が全国的に展開され、音楽家や音楽愛好家・聴衆の広範な支援を受けて争議が繰り広げられた結果、1984年3月16日、「フジテレビ・文化放送両社は労組側に2億3000万円の解決金を支払う」、「日本フィル労組はフジテレビ構内の書記局を明け渡す」などの和解が成立、争議は12年ぶりに解決した。渡邉暁雄は争議解決の1984年4月、日本フィルから「創立指揮者」の称号を贈られた。
 というわけで、義を見てせざるは勇なきなり、起て万国の労働者、一労働者として一音楽愛好者として一変人として協力しましょう。小林研一郎氏の指揮で聴きたいのですが、日程の都合がつきません。よって12月22日(翌日は休める)、池袋の東京芸術劇場(帰りに鼎泰豊で小籠包が食べられる)、広上淳一氏の指揮(知らないけれど、ま、いいや)といういい加減な選択で申し込みました。今となっては汗顔ものですが、演奏については全く期待せず、曲が凄いから演奏の不出来もカバーされるだろうと傲慢な思いでした。関係者各位に深くお詫びいたします。たまたま偶然その頃に「ベートーヴェンの生涯」(青木やよひ 平凡社新書502)という新刊書を購入、これまでの一般に流布されているベートーヴェン像を書き換えようという意欲的な好著に出会えたのも、何かの縁でしょう。何と、「第九」に関する章を読み終えたのが、当日、ホールに向かう列車の中というおまけつきです。

 山ノ神はすでに到着、二階正面というなかなか良い席に座り、さあ開演です。まずはハイドンのトランペット協奏曲、ソリストはオッタビアーノ・クリストーフォリ。典雅で華やかな演奏に、おっやるじゃないかと一安心。そして十五分の休憩をはさんで、いよいよベートーヴェン作曲、交響曲第9番ニ短調作品125《合唱》のはじまりです。まずは合唱団のみなさんがしずしずと入場、お立ち台に座って第4楽章まで舞台上で待機するようです。そして広上淳一氏が登場、タクトをふりおろしました。かなり早めのテンポ設定、きびきびと溌剌と曲は進みます。思わせぶりな暗い情念なぞベートーヴェンには無縁じゃ、といわんばかりの理知的な演奏、いいですね。広上氏の指揮も、フレーズの強調やつながりを大きな大きな動きで示すわかりやすいもの。指揮台狭しと暴れまわる(?)姿は、華はありませんが味がありますね。強烈な唸り声も、音楽の一部となっていました。「のだめカンタービレ」第10巻に登場する片平元のモデルではないかと想像してしまいました。オーケストラも、指揮者と作曲者の意図に献身的に尽すような熱演。後ほど山ノ神は「時々音がびんぼくさい(筆者注:音が薄い)」ときつい一言をもらしましたが、いやいや私はそれほど気になりませんでした。第2楽章が終るとソリスト四人が登場、どうやら第3楽章から第4楽章へと一気になだれこむ演出のようですね。そして天国的な第3楽章、ここでも夢見るような雰囲気に流されず、音楽をフレーズの積み重ね・つながりとしてきちっと鳴り響かせようとする指揮者の強い意思を感じました。いいですねいいですね。そして第4楽章、おやっその前にすこしインターバルが入りました、これは意外。間をとって気もちを切り替え、最終楽章に全力を尽くすための、演出よりも音楽を優先する措置だと思います。そして不協和音とティンパニの咆哮、低弦のレチタティーヴォ、歓喜の歌、やがて独唱と合唱が加わり歓喜の爆発へと、快調なテンポで突き進んでいきます。東京音楽大学の合唱団が素晴らしいですね、特筆ものです。その迫力のある、ボイルしたてのフランクフルトのようにみっちり実がつまった分厚い合唱が"風呂出で詩へ寝る月輝る粉健"と歌いはじめると、思わず胸が熱くなり涙腺がゆるんでしまいました。音楽を聴いて泣くなんて、何年ぶりだろう。やがて二重フーガから怒涛のPrestissimoへ。
 そして嵐のような拍手。湘北高校バスケ部のように技術・気力・体力すべてを舞台に投げ出したのでしょう、アンコールもなく数回のカーテンコールの後、みなさん静かに袖へと去っていきました。指揮者が下がった後、楽団員が客席に向かってした一礼が心に残りました。

 終演後、東武デパートの鼎泰豊で、演奏や学生時代の思い出など話の華を咲かせながら、美味しい小籠包をいただきました。素晴らしい第九と極上の小籠包、歓喜に包まれた夜を過ごせたことを"Gottheit(神なるもの)"に感謝します。
by sabasaba13 | 2009-12-30 08:28 | 音楽 | Comments(0)

土佐・阿波編(9):土佐中村(09.3)

 さてそれでは安並水車公園へと向かいましょう。幸徳秋水の墓が途中にあるというので、寄ってもらうことにしました。車道からすこし奥まったところにある小さな墓地に、彼の墓がありました。しばし沈思、そして合掌。彼は1871(明治4)年9月22日にここ中村の豪商、俵屋に生まれ、1887(明治20)年に上京したそうです。そして… 大逆事件をめぐる旅、これまで明科新宮湯河原大平台市ヶ谷正春寺を経巡ってきました。まだまだ訪れたいところはあるのですが、秋水の墓参ができたことで一区切りつけましょう。しかしこの事件にはこれからもこだわり続けるつもりです。天皇制、獰猛な国家権力、異分子の排除、思想統制に対する作家・知識人の無力といったいまだに我々を囲繞する課題について考えるためにも。なんてえことを考えながら撮影した写真を整理していたら、不覚! お墓を見つけた興奮のあまりか、近くにあった「幸徳秋水を顕彰する会」が作成した看板をよく読みませんでした。今、確認したところ、そこには彼の遺墨・遺品・書画が郷土資料館に、絶筆の碑が為松公園に、生誕の碑が京町二丁目にあると記されていました。いやはやまったくもって己の粗忽さにはほとほと愛想が尽きます。
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 さて近くに桜の名所で市内を眺望できる公園があるということなので、連れていってもらいました。一條氏の家老だった為松氏の居城・中村城跡を整備した為松公園で、幸徳秋水の墓から数分、やや急な坂道をのぼって到着。残念ながら桜は一分咲きでしたが、山なみにかこまれてまどろむ中村の町並みを一望できました。
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 次に数分ほど走って安並水車の里へ。土佐藩山内家の家老・野中兼山が開発した用水路(四ケ村溝)から、水田に水を汲み上げるために設置された水車群です。観光用に復元されたものがほとんどだそうですが、14基の水車が薫風を満身に受け気持ち良さそうにくるくると廻っていました。なお運転手さんによると、アジサイがたくさん植えられており満開の頃は見事だそうです。
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 そして中村駅に戻ってもらいタクシーとはお別れ。駅前にある観光案内所で自転車を借りて、市内散策と洒落込みましょう。まずは燃料補給、四万十料理「一風」という店を教えてもらったのでさっそく入ってみました。さて何を食べようかなあ、品書きをめくっていると眼に飛び込んできたのが土佐清水産サバのたたき定食。これしかないですねこれしか。サイドメニューとして、川エビのから揚げとアオサの天ぷらを注文。もちもちとした歯ごたえの濃密な味のサバと、四万十川の清冽なエキスに満ちた川エビとアオサを満喫。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2009-12-29 07:47 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(8):四万十川(09.3)

 さて定刻どおりやってきたバスに乗り込み、中村駅へと戻りましょう。中浜のあたりで来る時に見かけた防空壕を撮影、小休止をとらずにバスは土佐清水を通り過ぎていきました。時刻表で確認すると高知行きの特急は15:10発、中村では二時間弱過ごせそうです。さあどうしよう、とりあえずは四万十料理に舌鼓をうつことと、佐田の沈下橋・安並の水車公園・幸徳秋水の墓の見学、そして中村市内の徘徊といったところでしょうか。少し離れたところにある沈下橋と水車公園はタクシーでまわり、駅前の観光案内所で自転車を借りて昼食、そして墓参と市内徘徊にしますか。てなことをうだうだ考えているとバスは四万十川ぞいを走り、中村駅に到着、さっそく客待ちをしているタクシーに飛び乗り沈下橋と公園をまわってもらうよう依頼しました。
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 運転手さんは気さくで話好きな方で、以前にくらべてお遍路さんが多くなったような気がしますと訊ねるといろいろと教えてくれました。やはり数年前からブームとなっているそうで、その方法も歩き遍路だけではなく自家用車やタクシーを利用した車遍路、公共輸送機関やツァー・バスを利用するバス遍路など、いろいろなバラエティもあるそうです。団体客を満載したツァー・バスにでくわすと大変で、朱印をもらうまでたいへん長い時間がかかるそうな。そして十数分で、佐田の沈下橋を遠望できる眺望スポットに到着。幾重にも重なり緑なす山々、その間を貫き滔々と流れる清流四万十川、そして両岸を結ぶ沈下橋の清楚・質朴にして凛とした佇まい。いいなあ、一幅の絵だなあ。なお沈下橋とは、川が増水した時に流木などがひっかかって壊されないよう欄干のない橋です。「四万十かざぐるま」というサイトによると、四万十川本流に22基あるそうですが、もっとも下流にあり中村市内から一番近いのが、ここ佐田の沈下橋です。それでは橋を渡るため近くまで行きましょう。橋の手前でおろしてもらい、菜の花ごしに橋を撮影、うーん、ピクチャレスクだ… そして徒歩で橋を渡り、なかほどで四万十川の眺望を堪能。運転手さんの話では、土砂の採取などにより以前よりも汚れてきたそうですが、なんのなんの川底までクリアに見える清流です。
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 そういえば以前夏にここを訪れた時、山ノ神と二人で自転車を借りて一日かけて力の限り上流まで走ったことがありましたが、子どもたちが橋の上から川に次々と飛び込んでいった光景が忘れられません。ふと思い出したのが「山学校」という言葉。岩手出身のある友人から教えてもらったのですが、小学生の頃、授業時間に先生が「山学校に行くぞ」と生徒たちを裏山に連れていき好きなように遊ばしてくれたそうです。山学校、川学校、海学校、自然の中で遊ばせてもらうことによって、子供たちは自然に対する愛情や驚異や畏敬といった念を身につけていくものだと思います。自然を破壊して、子どもたちを人工的な環境の中に囲い込み、学習塾や習い事やゲームや携帯電話に身も心も浸らせるとどうなるのか、これは人類がはじめて行う壮大なる人体実験ですね。もうその結果は現れているようですが。それはともかく、四万十川に育まれた子供たちに幸あれかしと祈らずにはいられません。もしこの地から離れても、帰郷してこの川を見ると「四万十だ! おれたちの四万十だ! 静かな四万十だ! 生みの父よ、養い親よ! ウ、ラア!」とコサックたちのように叫ぶのかな。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2009-12-28 06:10 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(7):足摺岬(09.3)

 10:17、終点の足摺岬に到着。土産屋やホテル・旅館が建ち並び観光客でけっこうにぎわっておりました。バス停の目の前が四国霊場第38番札所の金剛福寺です。駐車場には「四国のへんろ道を世界文化遺産に」という看板、うーむ、猫も杓子も世界遺産という動きには辟易しますが、登録されると大きな観光収入が見込まれるのでしょうね。地元にとっては死活問題、やぼなことは言わず陰ながら応援いたします。
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 その近くには中浜(ジョン)万次郎の銅像。1841(天保12)年、出漁中に遭難、無人島に漂着し、アメリカの捕鯨船に救助され、同国に渡り教育を受けることになりました。1850(嘉永3)年に帰国、土佐藩庁に召され、さらに幕府に招聘されて韮山代官江川英龍の手付を命じられます。ペリー来航時には重用され、外国使臣の書翰の翻訳や軍艦操練所教授を勤め、60(万延1)年新見正興の遣米使節には通弁主務として随行しました。その後薩摩藩・土佐藩で英学を教え、維新後は徴士、開成学校教授に任じ、普仏戦争観戦のため渡欧の途次病気のため帰国、そして1898年になくなります。なんともはや数奇な生涯。
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 この銅像から海のほうへ少し歩くと足摺岬と灯台を一望できる展望台がありました。四国の最南端、黒潮に向かって抉るように突き出た刃物のような断崖と白亜の灯台。これは絶景です。大海の磯もとゞろによする波がわれてくだけてさけて散るのをしばし見惚れながら、至福の一服。
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 ここからツバキのトンネルをくぐって数分歩くと、もう一つの展望台がある天狗の鼻に到着です。こちらも絶景ですが、足摺岬の一部を隠すように手前にもう一つの岬が重なるので、私はさきほどの展望台の方が好きだな。
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 それでは灯台へと向かいましょう。最初の展望台からの遊歩道が整備されており、簡単に行くことができます。途中に足摺七不思議「地獄の穴」「弘法大師の爪書き石」がありました。
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 歩いていくうちにじょじょに灯台の姿が大きくなってきます、灯台フリークとしてはこの昂揚感がたまりません。数分ほどで足摺岬灯台に到着です。高さ80mの断崖に立つ18mの白亜の灯台、200万カンデラの光度は日本最大の規模で、その光は38km先まで届くそうです。1914(大正3)年に初点灯、戦争による被害は免れたものの老朽著しく、1960(昭和35)年に現在のようなロケット型のものに改築されたとのこと。ん? てことは、私と同い歳だ。同志よ、と駆け寄って抱きしめようとしましたが、冷たい鉄のフェンスが無情にも二人の間を分かつのでした。というわけで残念ながら内部には入れません。この灯台の上からの眺めはさぞや素晴らしいだろうになあ、謎の団体「燈光会」のみなさま、何とかなりませんかねえ。灯台の脇から海を見下ろすと、一艘の漁船が荒波に揺られながら岩場をすりぬけて出漁するところでした。ご無事をお祈りします。
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 さて中村に戻るバスの発車時刻まであと三十分ほどあるので、白山洞門も見てきましょう。駐車場に戻り、車道を土佐清水方向に十分ほど歩くと白皇神社で、その前が洞門への入口です。気をつけながら急な石段を下りていくと、眼前に巨大な花崗岩の岩礁が眼前に現れ、荒波が浸食してあけた高さ16m幅17mの大きな穴のすぐ近くまで行くことができます。海が荒れ狂うとさぞやダイナミックな光景が見られるだろうなあ、今、この数分間だけでも大荒れの天気になってくれないかなあ、などとピンク・フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐(ONE OF THESE DAYS)」の冒頭を脳裡で奏でながら虫のよいことを考えてしまいました。さてそれではバス停に行きましょう、地に落ちている椿の花を愛でながら急な石段を上って車道に出ると、小さな祠がありました。どれどれ、鳥居のところをよく見ると…「靖国神社」! あの靖国神社を勧請したのでしょうか、私ははじめて見ました。祠の中には合祀と記された板があり、数十の人名が書かれています。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2009-12-27 07:17 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(6):足摺岬へ(09.3)

 土佐清水のバスセンターで二十分ほど小休止、さっそく隣にあるスーパーのトイレにかけこみました。まだ時間があるので付近をぶらつきますか、店内を抜けて外へ出ようとすると… 信じ難い光景が… お年寄り(男性)が煙草を吸いながら店内を悠々と闊歩されているではありませんか。まるで三十年ほど前にタイムスリップしたような気分です。
 近くの学校のところで飛び出し小僧二連発をゲット。この後高知県で見かけたのはみな同じタイプのものでした。高知は飛び出し小僧不毛の地なのかもしれません。ちなみに徳島県では一つも見かけなかったこともつけくわえておきましょう。悪書追放ポストには「子どもたちに見せたくない雑誌やビデオやDVDなどを入れてください!」との呼びかけ、DVDというところに時代の変化を感じます。でもそれよりも"子どもに見せたくない行為"のほうを何とかしなくてはいけないんだけどね、派遣切りとか「蟹工船」的状況とか地方切捨てとか、などと半畳を入れても答えは風に吹かれているだけ。床屋さんの店先には「こども110番のいえ」というアンパンマンのステッカーが貼ってあります。そうか、やなせたかし氏は高知出身だっけ。
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 その近くには上庄の会・とさしみず九条の会主催の「憲法問題講演会」という立て看板がありました。そういえば、さきほども車窓から「戦争はいや 憲法九条世界の宝」という立て看板を見かけました。さすがは自由民権運動揺籃の地、怪物のようなものを縛るための最強の鎖を手放さず活用していこうという意気込みを感じます。
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 さてふたたびバスは出発、土佐清水の市街地と港を走り抜けると、山あいにへばりつくように建ち並ぶ家々の間を羊腸の坂道がつらぬいています。途中で「第二次世界大戦防空壕」という看板と洞窟が視界を流れ去っていきました。気をつけて帰りの車窓から撮影することにしましょう。あるところでは、地元の方が、バス停のないところで運転手さんに挨拶をしながらおりていきました。心温まる光景ですね。そして中浜という港町に入ると、堤防に「中浜万次郎物語」というプレートが貼ってありました。…ジョン万次郎! そうか、彼はここ中浜の出身だったんだ。
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 しばらくすると眼前に太平洋が開け、急峻な崖ぞいの道をバスは駆け抜けていきます。絶景を眺めながらの快適なドライブですが、ところどころで車がすれちがうのがやっとの狭い一車線道路があり、運転手さんも大変そう。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-12-26 07:39 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(5):足摺岬へ(09.3)

 目が覚めて窓のカーテンを開けると、青空と陽光が「おはようさん」と声をかけてくれました。やりい! 本日は足摺岬と四万十川・中村を見物してふたたび高知に戻って宿泊の予定です。足摺岬まではバスで約一時間四十分もかかるので、朝食をとっておいたほうがよいでしょう。付近に喫茶店が見当たらなかったのでホテルで朝食をいただくことにしました。値段のわりにはなかなか充実したモーニング・サービスをいただき、いざ出発。足摺岬行きバスは一日に九本しかありませんので、乗り遅れた大変です。中村駅前には四万十川の清流で遊ぶ子どもたちのオブジェがありました。バスの停留所に行くと、お遍路さんがバスを待っています。
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 到着したバスに乗り込み、しばし車窓からの眺めを満喫。バスは四万十川を渡って川沿いの道をしばらく南下していきます。おりかさなる山々のところどころに山桜が桃色に輝き、水をはった田んぼが鏡のようにその姿を映しています。もう代掻きがはじまっているようですね、さすが南国。てくてくと歩くお遍路さんやつーいと走るサイクリストもよく見かけました。昨日は雨で大変だったでしょう、ほんとに晴れてよかったねと肩を抱き合いたくなります。
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 陽の光、花々、雨、潮騒、せせらぎ、雲、鳥、こうした何気ない自然のいとなみに心動かされることが「至高の生」なのかもしれません。実は昨晩読んだ「現代社会の理論」(見田宗介 岩波新書465)の中に、ジョルジュ・バタイユが「至高の生」について語った以下のような言葉があったもので、柄にもないことを言ってしまいました。
 たとえばそれは、ごく単純にある春の朝、貧相な街の通りの光景を不思議に一変させる太陽の燦然たる輝きにほかならないこともある。(p.167)
 バス停を見ていると、ちょっと変わった地名が多いことに気づきました。クマチ、久百々(くもも)、以布利(いぶり)、臼碆(ウスバエ)などなど。これらはアイヌ語からきているのかもしれませんね。四万十川もアイヌ語で「シ・マムタ」、大きくて美しい川という意味だそうです。まあアイヌ語というよりも、古い時期からこの列島で暮らしていた縄文人たちの、渡来人と混血・融合する前の言葉と言ったほうがいいのかな。でもこれほどたくさん残っているのは珍しいと思います。山が多い土地柄なので、他地域とある程度隔絶されていたからなのでしょうか。そして「宗田節」という大きな看板が見えてきました。この地の民謡なのかなと思っていましたが、接近した時点で確認すると鰹節の一種でした。そしてバスは土佐清水に到着。かつては捕鯨・ブリ大敷網で栄え、近年では沖合カツオ・マグロ漁業基地および鰹節加工業をなりわいとしています。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-12-25 06:13 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(4):土佐中村へ(09.3)

 そして嬉しいサプライズ、寸毫も予期していなかったのですが、橋のたもとにある土産屋の店頭に顔はめ看板がありました。「よさこい節」で歌われた悲恋物語の主人公、竹林寺の僧・純信といかけ屋・お馬が描いてありました。そして地図を頼りに土佐料理「司」にたどりつき、さっそく元気いっぱい溌剌と「焼きさばの棒寿司!」と注文。すると店員さんは苦渋の表情を浮かべ「少々お待ちください」と言ってひっこんでしまいました。まるで永劫であるかのような一分間が過ぎ、戻ってきた彼女曰く「まことにもうしわけありません、予約客の料理で焼き場が使えず用意できません」      …      カウンターをひっくり返すわけにもいかず(しっかりと固定されていたもので)、ここは忍の一字、次善の策としてカツオのたたき定食を注文しました。「予約客の料理で包丁が使えず用意できません」と言われたら、出ていくことにしましょう。さすがに看板料理、これは快諾、すぐにニンニクをお供にひきつれ、ポン酢醤油に半身をつけ妖艶に怪しく輝くカツオのたたきのご来臨です。嗚呼美味しい! もちもちとした歯ごたえ、そしてカツオとニンニクとポン酢が奏でる味のトリコロール、鯖への思いを断ち切ってくれる美味しさでした。はあ…
 徒歩で高知駅まで戻り、売店で今回の旅では必需品となるであろう時刻表を購入。四国の路線のみをまとめたコンパクトで扱いやすい優れもの、こやつには本当にお世話になりました。また駅構内にあった観光案内所がこの時間まで開いていたのも助かりました、さっそく安芸や室戸岬の観光用資料をいただきました。そして駅の喫茶店で珈琲をいただいて列車に乗り込むと、車内に喫煙室を発見。これも嬉しいサプライズです。健康への害や他者への迷惑など、多大の批判の矢を日々総身に受けているので、こうした優しさにめぐりあうと、一夜の宿を貸してもらえたマッチ売りの少年のような気持ちになります。こうした批判はすべて甘受しますが、核(原子力)発電所の放射能や、自動車の排気ガスへの批判がほとんど見受けられないのは納得できないですね。さっそく中に入って至福の一幅、小さなモニターに次々と映し出されるJTの警告が目障りでしたが。
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 降りしきる雨と漆黒の闇の中を列車は疾駆し、定刻どおり21:41に中村着。駅前のバス停で、明日の足摺岬行きバスの発車時刻を確認し、すぐ目の前にある中村第一ホテルにチェックイン。晴れてくれとは言いませんが、せめて雨よやんでくれと祈りつつ就寝。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-12-24 06:12 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(3):はりまや橋(09.3)

 二十分弱で高知駅に到着、中村行きの特急は18:58発なので一時間ほど時間があります。「るるぶ」でつばをつけておいた土佐料理「司」に行って焼きさば棒寿司をいただくことにしましょう。わくわく。ふと「みどりの窓口」を見ると、カウンターのところに傘を固定するためのしっかりとした金具がついています。うむ、これはかなり雨が多い土地柄なのだと見た。駅から外に出ると雨はいまだ降り止みません。最近はまっているのが「ご当地ポスト」、誰がなぜ始めたのはわかりませんがその土地の名物をオブジェにしてポストの上に乗せてある物件を駅前で時々みかけます。これまでも奈良岡山三嶋小浜青森富山木ノ本(滋賀県)、柳井でゲットしましたが、さてさて高知は何だろうなあ、①カツオのたたき、②坂本龍馬、③よさこい祭り、④鯨、⑤和紙、といったラインナップが思い浮かびました。うーむ、⑤は単純すぎて造形的に難しいし、④は大きすぎてポストに乗らないだろうし、②はありふれているし、よしっ、①‐③の一点買いだ! カツオのたたきをオブジェにする技量と勇気が関係者諸氏にあるのかなという一抹の不安もありますが。おっあった、ありました。いそいそと近づいてみると… 空虚。何もなし。普通のポスト。期待が大きかっただけに落胆もひとしお。全国380万のご当地ポストファンのためにも、ぜひ設置していただきたいと強く所望します。できれば、にんにくまでリアルに表現したカツオのたたきをね。さて「司」ははりまや橋の近く、駅から歩いて十数分でしょうが、せっかくなので大好きな路面電車に乗ることにしました。幸い駅のすぐ前が停車場で一台止まっておりました。
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 さっそく乗り込むとすぐ出発、市内は190円の均一料金です。車窓から暮れなずむ町を眺めていると、オーソドックスで質朴な感じの路面電車が多いようですね。情景にしっとりとなじんでいます。数分で到着、とるものもとりあえずはりまや橋を表敬訪問しましょう。これで二度目ですが、日本三大がっかり名所によくノミネートされるその情けない佇まいは相変わらずでした。「見に来る方が悪いんじゃけんのう」という彼(彼女?)の声が聞こえてきそうです。なお「日本三大○○一覧」というサイトによると、日本三大がっかり名所は「札幌時計台」「高知はりまや橋」、同率三位が「名古屋テレビ塔・京都タワー・那覇首礼門」でした。以前に、個人的意見として「はりまや橋・倉敷・仙台青葉城」をあげましたが、この考えは変わっておりません。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-12-23 08:19 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(2):掩体壕群(09.3)

 空港内に飾られているしょぼい坂本龍馬像に軽く挨拶をし、それではこの近くにあるという掩体壕群を見物に行きますか。歩いて回るのは無理なので、空港で客待ちをしているタクシーを利用することにしました。でも「えんたいごう? そんなものは知らんぜよ」と運転手さんに言われたらどうしよう、ま、その時はその時さ。幸い、乗り込んだタクシーの運転手さんはご存知のようでした。空港から数分ほど走ると、灰色につつまれた広々とした田畑の彼方におにぎりのような物体が見えてきました。戦闘機を空襲から防護するための掩体壕です。以前、館山で見たことがありますので、これが二度目のご対面です。
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 目の前で止めてもらい、さっそく下車して写真を撮影。もともとは上空から視認できないように土で覆われていたとのことですが、完全に露出しています。よくぞまあ残っていたものだ… というよりも壊すのが大変だったからでしょうね。なおここは偵察搭乗員の養成を目的とした練習航空隊であった高知海軍航空隊があったところでした。(1944.3開隊) 飛行場建設の際には316戸を強制的に立ち退かせ、各地域からの勤労奉仕、学生、朝鮮人強制労働者、受刑者までが動員されたそうです。1945年3月には解隊され、特攻攻撃訓練が実施されるようになり、ここで訓練を受けた卒業生が沖縄戦の菊水作戦に参加、26機52名が未帰還となりました。掩体壕は九基作られましたが、そのうち七基が現存しているとのこと。せっかくなのでいくつかまわってもらうことにしました。その中の一つはかなり大きなもので、大型の爆撃機を格納するための掩体壕のようです。農機具の収納という平和目的に利用されているものもいくつかありました。運転手さんのお話によると、戦争遺跡として積極的に保存して、歴史の物言わぬ語り部としようという動きもあるようです。
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 さて予定では土佐くろしお鉄道の立田(たてだ)駅まで連れていってもらい、御免でJRに乗り換えて高知に向かうつもりでしたが、運転手さん曰く直接御免に行った方が列車の本数が多いとのこと。距離も近いそうなので、JR御免駅に向かってもらいました。車中で、鯖が好きだと告白すると、駅近くにあるスーパーマーケットが海産物の品揃えがいいので、そこで買って食べてみたらと薦められました。そして駅に到着、列車の時刻を確認してスーパー「PASTE」に入ってみました。なるほど、たしかに「あぶり鯖棒寿司」を売っていましたが、長崎産だし、やはりお店に入って落ち着いて食したいもの。買うのはやめてしばらく店内を徘徊することにしましょう。はじめて訪れた地では、できうるかぎりそこを見晴らせる高い所と市場・スーパーに寄ることにしています。こちらでは「じゃこ(※小魚)すりみ」「とりすりみごぼう」を見かけました。練り物を好む食文化なのでしょうね。また高知産「うすいの実」「うすいのさや」も発見、ちょっと大き目のサヤエンドウみたいな食材でした。そして「地産地消」と誇らしげに書かれたのぼりが店内に屹立していたのも嬉しい限りです。この言葉もどうやら市民権を得たようですね。地域の振興にもなるし、安全性のチェックもしやすいし、新鮮だし、輸送も容易でCO2削減にもなるし、いいことづくめです。さてそれでは御免駅から土讃線高知行きの列車に乗り込みましょう。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-12-22 06:09 | 四国 | Comments(0)