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「1Q84」

 「1Q84」(村上春樹 新潮社)読了。ひさしぶりに、残りページが少なくなるのを惜しみながらも、早く先へ先へと読み進めたい、ウィントン・ケリーのピアノのようなドライブ感を味わえる小説でした。「作者はこの小説で何を言いたかったのか、二百字以内で述べよ。(ただし句読点は一字とする)」という野暮な問いかけはやめましょう。明確な正解が、帽子から兎を取り出すようにひょいひょい簡単につかまえられるのなら、小説を書く意味なんておそらくないでしょうから。よって私が私なりに村上氏から受け取ったメッセージを綴ることにします。まず、私たちの足元が着実に掘り崩されているという現状認識が、出発点です。自分でものを考える回線を取り外して/されてしまう脳死的な状況、誰にも求められていないという孤立感、土足で踏み込まれる人の魂の神聖さ、遍くはびこる暴力性、といった状況です。これを引き起こしたものを、オーウェルが「1984」で描いたビッグ・ブラザーのような確固とした実体ではなく、リトル・ピープルという謎のような存在に仮託します。それに抗うための武器が、物語だというのが氏のメッセージだと受け止めました。以下、引用します。
 ここは見世物の世界
 何から何までつくりもの
 でも私を信じてくれたなら
 すべてが本物になる (巻頭)

 物語の役目は、おおまかな言い方をすれば、ひとつの問題をべつのかたちに置き換えることである。そしてその移動の質や方向性によって、解答のあり方が物語的に示唆される。天吾はその示唆を手に、現実の世界に戻ってくる。それは理解できない呪文が書かれた紙片のようなものだ。時として整合性を欠いており、すぐに実際的な役には立たない。しかしそれは可能性を含んでいる。いつか自分はその呪文を解くことができるかもしれない。そんな可能性が彼の心を、奥の方からじんわりと温めてくれる。(Ⅰp.318)
 そうであったかもしれない、もうひとつの世界の可能性を示唆してくれる、それが物語。人の心を奥の方からじんわりと温めてくれる、それが物語。「アンダーグラウンド」以来、氏は"物語の復権"を追い求めているような気がしますが、その一つの到達点が本作だと思います。物語の素晴らしさを語る物語、堪能いたしました。
 もちろん、洒落たレトリックや音楽や食事に関する身体感覚を喚起してくれるような見事な描写も健在、彼が紡ぎ出す世界を十二分に愉しむことができます。余談ですが、アマゾンを見ると、この小説に登場する音楽のCDがよく売れているようですね。ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」、「ルイ・アームストロング・プレイズ・W.C.ハンディ」などなど。でもどういうわけか「マタイ受難曲」は売れていないようですね。そう、記者会見にそなえた練習で、ふかえりが好きな音楽として挙げた「BWV244」です。彼女が見事なドイツ語で歌った一節が気になったので調べたところ、第六番のアリア「悔いの悲しみは罪の心をひきさく」でした。日本語訳は「ざんげと悔いが罪の心を引き裂きます。私の涙のしずくが、心地よい香料となってあなたに注がれますように、尊いイエスよ」 うむむむ、この一節は、小説全体の構造の中でどう位置づけたらいいのだろう。そうした部分と全体の関係について考えるのも、小説を読む愉しみの一つですね。

 それにしても、小説家ってどうしてこんな面白い小説を書けるのでしょうか。悪魔の如く細心に、天使の如く大胆に、なんて想像してしまいますが、その創造の奥底では何が起きているのでしょうか。なんてことを考えていた矢先、たまたま石川淳の「短編小説の構成」という評論で興味深い一節を見つけました。(「石川淳評論選」 ちくま文庫)  夷斎先生の闊達な言葉が語る創作の秘密、村上氏にも共通しているような気がします。
 ペン先がそれ以前の諸因縁を切断したとき、作者はとたんに全身を投げ出して、知られざる別世界の中へと乗りこむ。…書く当人の心理よりも高次に飛翔して、ことばは緊密に精神と結びつく。ときどきペンを休めて、なにか乙な思案をひねり出しては、にやりとほくそ笑んで、それを紙の上に写しつづけるというふうにでもなく、あるいはまずイケぞんざいに考えておいて、たしかなところは追って理性と相談するというふうにでもなく、作者はいきなりことばに於て、ぶっつけに、ぎりぎりに、考え出すのだ。すなわち、作者の努力はつねにまだ判らないところから出発するのだ。…書くまえに、作者に判っていることは、ペンの前途が濛々たる闇だということでしかない。事実、われわれはそれよりほかの経験をもたない。
 前途が闇である限り、作品の世界にあっては、当の作者がかならずしも絶対の支配者とはいいがたい。…数行でも書きえたらば、ただしその数行がかならずレアリテをもっているならば、そこに内包されたものが勝手にぐんぐん伸びて行くはずで、あたかも作者の努力の線に沿って磁場ができたというぐあいに、作品の世界を構成するために必要な原子は向うから吸収されて来て、すでに書かれた部分自体の運動に続続と参加し結合し、そのかたまりがさらに運動をおこしつづけるふぜいである。このとき、かねて取っておきの材料とは何の意味があるのか。小説は生きものだというが、それは作品自体の運動、この波的な運動に於て生きているのだ。そして、一寸先が闇だというところに、波はおこるのだ。…
 さて、作品はつねに闇の戸口からはじまる。そしてその終るところもまた闇の中でしかないので、一つの作品が出来上がったおかげで、ただちに未知の法則の一つが解明されるというような重宝な仕掛にはなっていない。判らないところから書き出して、なにものかの片鱗をうかがいうるに至ることもあり、もしくは何事も判らないなりに切れてしまうこともある。ただ作者の努力が持続されるためには、それらの作品を経過しなければならなかったというだけである。作品が終ったときは、その世界よりも先へ努力が駆け抜けてしまったとき、より高次の段階に乗り上げたときだ。(p.38~40)

by sabasaba13 | 2010-01-31 06:59 | | Comments(0)

牛肉

前沢牛のすき焼き:岩手県一関市「自雷也」
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仙台牛盛合せ:宮城県仙台市「バリバリ」
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信州牛のステーキ:長野県信濃追分「盛盛亭」
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亀岡牛の牛カツ定食:京都府亀岡「よろづや」
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大和牛のステーキ:奈良「春」
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松阪牛のステーキ:松阪「かめや」
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神戸牛のステーキ:神戸「神戸食堂」
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宗谷黒牛のステーキ:北海道稚内「竹ちゃん」
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峠下(たおした)牛:休暇村大久野島
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米沢牛のサーロインステーキ:山形県米沢「金剛閣」
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静岡牛のサーロインステーキ:静岡県金指「ぴいぷる」
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飯村牛のサイコロステーキ:土浦「レストラン中台」
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丹波牛の炭火焼:篠山「懐」
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壱岐牛のステーキ:「うめしま」
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壱岐牛のステーキ:「トロル」
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近江牛のしゃぶしゃぶ:大津「かど萬」
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近江牛のステーキ:大津「かど萬」
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阿波牛のシャトーブリアン:徳島「かがやき」
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伊万里牛のステーキ
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五島牛の焼肉:福江「ぎあら」
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会津塩川牛のステーキ:会津若松「渋川問屋」
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淡路牛瓦焼き:淡路島「ウェルネスパーク五色」
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豊後牛のステーキ:大分空港
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石垣牛のステーキ:石垣島「パポイヤ」
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飛騨牛の朴葉焼き:飛騨高山「小太郎」
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飛騨牛のステーキ:郡上八幡「泉坂」
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タンシチュー:京都「金平」
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牛タン:仙台「伊達の牛たん」
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タンシチュー:小田原「葉椰子」
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by sabasaba13 | 2010-01-30 20:16 | 写真館 | Comments(0)

「追憶のハルマゲドン」

 「追憶のハルマゲドン」(カート・ヴォネガット 浅倉久志訳 早川書房)読了。以前に拙ブログで紹介しました「国のない男」の著者、カート・ヴォネガットの没後一周年を記念して刊行された作品集です。子息マークによる序文、第二次大戦でドイツ軍の捕虜となった22歳のヴォネガットが故郷の家族に送った手紙、亡くなる直前に書きあげられていたスピーチ原稿、そしてインディアナ大学リリー図書館に保管されていた未発表短編がずらりとおさめられています。訳者の推測によると、捕虜生活のさまざまな面を扱った作品が多いので、戦後の明るい次代を謳歌したかったスリック雑誌(高級家庭雑誌)から敬遠されたのではないかということです。
 結局スピーチは行われず、彼の死後に息子のマークが代読したそうです。死の間際まで、人間に絶望しながらも愛さずにはいられない彼の精神がユーモアとともに息づいていたことがよくわかります。いくつか引用しましょう。
 もし、いまの時代にイエスが生きていたら、われわれはおそらく致死注射で彼を殺したでしょう。それが進歩というものです。われわれがイエスを殺す必要にせまられるのは、はじめてイエスが殺されたときとおなじ理由。彼の思想がリベラルすぎるからです。(p.36)

 この人生でみなさんが選べる最高の職業は教師です。ただし、それはあなたが自分の教える科目を熱愛している上に、あなたの教えるクラスが十八人からそれ以下の人数である場合にかぎられます。十八人以内の生徒で作られた学級はひとつの家族で、そのように感じ、行動するからです。(p.45)

 本を買わずに借りる人や、本を貸す人は、わたしから見ればトワープです。百万年前、わたしがショートリッジ高校の生徒であった当時のトワープの定義はこうでした。自分のけつに入れ歯をはめ、タクシーの後部座席からボタンを食いちぎるやつのこと。(p.46)

 しばらく前、人生とはなんだろう、とマークにたずねたことがあります。わたしはまったく手がかりをつかんでいなかった。マークはこう答えました。「父さん、われわれが生きているのは、おたがいを助け合って、目の前の問題を乗りきるためさ。それがなんであろうとね」 それがなんであろうと。

「それがなんであろうと」 いい文句だ。これは使える。(p.47)
 「司令官のデスク」は、チェコスロバキアの小さな町ベーダに進駐してきたアメリカ軍少佐と、町の家具職人である私とのやりとりを描いた、あっと驚く結末の掌編。傲岸に無神経に傍若無人にふるまうアメリカ軍兵士に対して、恐怖を利用してなにかをさせる人間は、病的で、哀れで、痛ましいほど孤独であり、その無法さと無神経さの底には深刻な不安感がある、と見る作者の冷徹な視線が印象的です。家具職人の「わたしもベーダの住民を憎むことができます。もしここの住民が、明日からこの町を子供たちにとって住みよい場所に再建する仕事をはじめなければね」(p.258)という言葉も心に残ります。

 「バターより銃」は、ドイツ軍捕虜監視係の伍長のもと、ドレスデンの廃墟の修復に取り組む三人のアメリカ兵捕虜が、料理のレシピを交換しあって、うさばらしをするというユーモラスな小品。このクラインハンス老伍長がとてもいい味をだしていますね。任務をいいかげんにこなしながら、空腹の捕虜たちの郷土料理自慢に共感をもって加わってきます。「おまえたち、この戦争が終わったら、おれが何をするか知っているか? …牛の肩肉を三ポンド手に入れて、ベーコンのラードを塗りつける。つぎにニンニクと塩とコショウをすりこんで、白ワインと水といっしょに陶器の壺へ入れる…あとはタマネギとベイリーフと砂糖…それにコショウの実!…いいか、十日たったらできあがりだ!…ザウアーブラーテン!」 おいしい食べものについて語り合うことによって、敵と味方が一つに融けあう、まるで映画のワンシーンのように感動的です。地域や文化によって料理は千差万別ですが、美味しいものを食べたいという思いは人間にとって普遍的なものだと思い知らされました。ここで妙案を思いつきました。サミットでの豪華な晩餐会なぞやめて、"先進国"首脳を三日ほど断食させ、その後各人が自慢の郷土料理を自らつくってみんなで食べるという試みはいかが。人間の多様性と普遍性を心の底から痛感できると思うのですが。
 また「この老人は、ナチス・ドイツという砂漠のなかの同情と非能率のオアシスだった」(p.101)という言葉もいいですね。無慈悲・無関心と能率が人間社会を砂漠にしているという、他人事とは思えない真実を鋭くえぐりだしています。

 本書の白眉は「悲しみの叫びはすべての街路に」、連合軍のドレスデン空爆とその後の復旧作業の思い出を赤裸々に綴った秀逸なノンフィクションです。無差別爆撃の残虐さと非道さを、これほどリアルに描いた作品には今までお目にかかったことがありません。空襲の数日後に、連合軍がこんなビラを空からまいたそうです。「ドレスデンの人びとへ―われわれがやむをえずこの都市を爆撃したのは、ここの鉄道施設に大量の軍用列車の交通があったからです。爆弾がかならずしもつねに目標に命中しなかったことには、われわれも気づいています。軍事目標以外のものを破壊することは、意図しなかった、避けがたい戦争の宿命のひとつでした」(p.60) しかしヴォネガットの証言では、エルベ川にかかった鉄道用鉄橋のうちで、通行不能の被害を受けたものはひとつもなかったそうです。彼はあのビラはこう書かれるべきであったと、怒りと毒をこめながら述べています。「われわれは、あなたがたの都市の祝福された教会や、病院(※当時のドレスデンは、食料と病院の中心地)や、学校や、美術館や、劇場や、大学や、動物園や、集合住宅のすべてを破壊しましたが、正直いって細心の努力をしたわけではありません。それが戦争です(セ・ラ・ゲール)。申し訳ない。それに、ご存知かと思いますが、絨毯爆撃は最近の流行でして」(p.61) "流行"とは、ドイツによるゲルニカ爆撃を暗示しているのでしょうね。いずれにせよ、市民への無差別爆撃は神への冒涜だと静かな怒りをこめて糾弾するヴォネガット。彼の言です。
 生きながら火に焼かれたり、窒息したり、押しつぶされたりした人びと―老若男女の別なく、彼らはやみくもに殺された。わが国の掲げた戦争の大義がなんであれ、われわれも自己流のベルゼン収容所を作りだしたのだ。その方法は非個人的であっても、結果はおなじように残酷で無慈悲だった。残念ながら、それが吐き気のする事実だと思う。(p.59)

 ドレスデンの死は不必要であり、故意に仕組まれた残酷な悲劇だった。子供たちを殺すことは―"ドイツ野郎(ジェリー)"のガキどもであろうと、"ジャップ"のガキどもであろうと、将来のどんな敵国のガキどもであろうと―けっして正当化できない。
 いまわたしが述べたような非難への安易な答えは、あらゆる決まり文句のなかでも最も憎むべきものだ。"戦争の宿命"、そしてもうひとつは、"身から出た錆。やつらに理解できるのは力だけだ"。(p.61)
 パレスチナ・アラブ人のガキどもを殺戮しているイスラエル政府と軍の方々の耳に、彼の言葉は届くのでしょうか。そして世界の各地で子供たちを殺戮している方々の耳には… そして能率的に人を殺せる武器を大量につくり世界中にばら撒いて莫大な利潤を手にしている企業(もちろん日本企業も含めて)の方々の耳には…
 人間への絶望と希望、人間の愚かさ・醜さと素晴らしさを、上質のユーモアときつい毒とともに綴りつづけたカート・ヴォネガット。もう彼の作品が読めないのかと思うと無性に切なくなります。でも、おたがいに対してとびきり親切であろう、常に笑いとユーモアとジョークを忘れないようにしとう、という彼が残してくれたメッセージはしかと胸に受け取りました。最後にご子息マークの言葉を引用して筆をおきましょう。
 読書と創作は、それ自体が破壊活動的な作業といえる。このふたつが覆そうとしているのは、なにごとも現状維持であるべきで、あなたは孤独であり、これまであなたのような気持ちをいだいた人間はほかにだれもいない、という考え方だ。カート・ヴォネガットの作品を読むとき、人びとの頭に生まれる考えは、物事は自分がこれまで思っていたよりもずっと選りどり見どりなんだな、というもの。この世界は、読者がカートの罰当たりな本を読んだため、いくらか変化するだろう。それを想像してほしい。(p.11)

 本日の一枚は、十二年前にドレスデンを訪れた時に撮影した空襲の傷跡です。
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by sabasaba13 | 2010-01-29 06:09 | | Comments(0)

言葉の花綵21

 はっきりしないことは、だますことか、だまそうとすることだ。

 偉大な合唱隊長の、どの手稿譜にも見かけないボウイングを、チェロ奏者が使う権利があるだろうか。(M.ジャンドロン)

 真実は単純である。(アレクサンダー・サフラン)

 我々は音楽に仕えるのであって、音楽を仕えさせてはならない。(ディヌ・リパティ)

 大雨にうたれたたかれ重荷ひくうしろの轍のあとかたもなし (田中正造)

 止めて下さい。人のいのちを玩具にするのは、止めて下さい。(『神聖喜劇』より)

 共和政においては、人間は、すべて平等である。専制政においても、彼らは、平等である。前者においては、彼らが一切であるから。後者においては、彼らが無であるから。(モンテスキュー)

 先づ只欣求の志切なるべきなり。…この心あながちに切なるもの、とげずと云ふことなきなりなり。(『正法眼蔵随聞記』)

 知過必改 (『論語』)

 彼には三つの"in"がある。
 intelligence(聡明)、indolence(無精)、indifference(無頓着)。(徳富蘇峰が西園寺公望を評した言葉)

 きみは悪から善をつくるべきだ
 それ以外に方法がないのだから。(ロバート・P・ウォーレン)

 三十七年如一瞬
 学医伝業薄才伸
 栄枯窮達任天命
 安楽換銭不患貧 (渋江抽斎)

 われに慕わしきは眠ること、更に慕わしきは石となること、
 迫害と屈辱とのつづく限りは。
 見ず、聞かず、なべて感ぜず、それにもまさるさいわいは今のわれにはあらじ。
 されば、われを揺り起こすなかれ…物曰うなら、声低く語れ! (ミケランジェロ)

 政治くらい、人の善意を翻弄し、実践的勇気を悪用するものはない。真のデモクラシーとは、この政治のメカニズムから来る必然悪に対する人民の警戒と抑制とを意味する。(林達夫)

 大いなる歴史的事件は二度繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は道化芝居として。(マルクス)

 人がどのような誤りの中におかれようと、そこからそこにいることを足場に、ある真にたどりつくことができないのなら、いったい、考えることに、どんな意味があるのだろう。(加藤典洋)

 政治とは、可能性の技術である。(unknown)
by sabasaba13 | 2010-01-28 06:09 | 言葉の花綵 | Comments(0)

土佐・阿波編(27):引田(09.3)

 海に並行してつくられた細長い碁盤目状の町並みで、海に向かって続く家と家にはさまれた細い路地が印象的。そして豪壮な讃州井筒屋敷に到着。江戸時代から酒と醤油の醸造を行なっていた商家を観光拠点としてリニューアルしたとのこと、中庭にある各ブースに土産屋がひしめいていましたが、この手のものには触手が動かないのでパス。
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 付近には立派な長屋門をもつかつての大庄屋・日下家や、1932(昭和7)年に建てられた旧引田郵便局があります。なおここは土日祝のみ「カフェ・ヌーベル・ポスト」という喫茶店が営業されているので、もし時間があったら寄ってみることにしましょう。
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 井筒屋敷の西側をすこし北へ歩くと、かめびし屋です。創業は1753(宝暦3)年、独自の筵麹方式(麹菌の繁殖を、筵の上で手間暇かけて行なう手作り製法)を用いて、昔ながらの醤油づくりにこだわる老舗だそうです。何といっても、真っ赤な紅殻(べんがら)塗りの蔵が衝撃的でした。下部のなまこ壁は小さな瓦を四枚組み合わせたもので、まるでタータンチェックのようにキュートな意匠です。なんともフォトジェニックな光景で、写真を撮りまくってしまいました。
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 ガイドブックによると、こちらは土日祝の昼前後のみうどん屋も経営されているとのこと、腹もへったし、ここは讃岐だし、ぜひうどんを食べたいなあ、でももう午後三時近いしなあ、閉まっているだろうなあ、と半分あきらめながらも、店舗から道をはさんだ建物の奥にある店に行くと幸運にも営業されていました。現在の時刻は14:55、営業時間は土・日・祝の11:00~15:00、すべりこみセーフです。お店の方にお薦めをうかがうと、「たまりうどん」と即答、しかし食券販売機を見るとすでに売り切れです。よほど悲しくしょぼくれて情けない顔をしていたのでしょう、「一つだけならつくれますよ」と暖かいお言葉。玉子とジャコ天(新鮮な小魚をまるごとすり身にして揚げたもの)の食券も購入すると、「あまり玉子は合いませんよ」というアドバイス、郷に入りては郷に従え、とりやめて返金してもらいました。箸をしゃりしゃりとすりあわせながら待つこと数分、つやつやと女人の肌のように怪しくぬめり輝く讃岐うどんのご来臨です。中央にもりつけられた黒い味噌のようなものが醤油のもろみ、これを汁にといていただきます。ああああああああ、愉悦・快楽・忘我・桃源郷… 歯を優しく力強く受け止めるうどんの腰と、濃厚なもろみの味の見事なマッチング! もうこれだけで四国に来たかいがあったというもの。
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 これは山ノ神に奉納しなければ、と再び店舗にもどり、醤油の三本セットとうどんを宅配してもらうことにしました。       待つこと十数分、なにやら店の奥で相談をされています。若い男性の店員がやってきて曰く「申し訳ありません、どうやって詰めたら一番送料が安くなるか試しておりまして…」。有難いお心遣い、そしてその間、店舗の一室にある秘宝館、といってもあれではなく、醤油の製造や販売に関する貴重な資料や物品を展示してある一室を案内してくれました。自慢ですけれども、江戸期の輸出用醤油をつめたコンプラ瓶を指摘すると「よくわかりましたねえ」と目を真ん丸くされていました。えへん。なお氏の話では、印象的な紅殻は最近塗られたとのことです。何でも、彫刻家・作庭家の流政之氏が、魔除けと美観のために紅殻を塗るといいと知り合いの先代主人に薦めたそうです。はじめは腰が引けたそうですが、結果は大成功ですね、もう立派な町のランドマークです。なお今調べたところによると、流氏は香川県庵治(あじ)町に工房を開設しているとのこと、もしかしたらイサム・ノグチとのつながりがあるのかもしれません。さてやっと作業が終わったようです、ご厚情に感謝して料金を支払いました。後日談。送られてきた冷凍うどんは熱湯で二分茹でるだけですぐ食べられる優れもの、そしてうどん付属のだし醤油の美味しいこと美味しいこと。玉子ぶっかけご飯やたまご丼の際に愛用しています。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-27 06:10 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(26):鳴門市ドイツ館(09.3)

 展示はなかなか充実したものでした。等身大人形十数体による第九の初演風景や、ミニチュア人形による収容所内の日常風景、多彩な活動の様子や地元民との交歓を写した写真など興味深いものでした。ステッセル少佐(だったと思いますが)による「耐忍」というたどたどしい書には、おさえがたい望郷の念があふれていました。降伏した敵を人間的に遇するというこうした態度がなぜ根づかず、第二次大戦時におけるような非人間的な扱いとなったのか、これは一考に値する問題だと思います。ドイツ館のすぐ近くにはベートーベンの銅像、そして木造平屋の物産館があり、ここではちゃきちゃきのドイツ・ソーセージを食することができるのですが時間の関係上泣く泣くカット。ん? 壁面に「登録有形文化財」というプレートがあり、その解説にこう書いてあります。「この物産館は、第一次世界大戦時、現在の鳴門市大麻町桧にあった板東俘虜収容所で兵舎として使われていた建物が近くの農家に移築され、最近まで牛舎に使用されており、平成16年に登録有形文化財に指定されていたものを再度この場所に移築し物産館として活用しながら文化財の保護に努めています」 へえーこれがそうだったのか。その隣にあるのが賀川豊彦記念館。労働運動・農民運動、関東大震災に際しての罹災者救済活動、救らい活動、都市消費組合運動、医療組合の組織、農村産業組合運動などに尽力したキリスト教社会運動家・賀川豊彦(1888-1960)はこの地の出身だったのですね。敬意を表して入館、一階の展示室だけを拝見しました。
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 幸い強い風はやみ曇天ですので、歩いて板東駅へと向かうことにしましょう。県道に向かって南下する途中の脇道奥にあるのがドイツ兵の慰霊碑です。
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 県道12号線にでて東行すると、そこが「一番さん」、四国霊場第1番札所・霊山寺(りょうぜんじ)です。さすがに第1番札所だけあって、大型バスが数台とまっており、境内も多くのお遍路さんでにぎわっていました。お遍路グッズ一式もここや近くの店で入手できるそうです。正式な恰好をしたマネキン(女性)が門前にあったのには笑ってしまいました。
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 さてこれでほぼ一時間、どうやら列車に間に合いそうです。駅近くにあった火の見櫓を撮影し、入線してきた列車に乗り込み、これで「歩き遍路の里 板東」とはお別れです。
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 阿波大宮駅を過ぎると、次は讃岐相生駅、このあたりが国境なのですね。板東から三十分弱で引田(ひけた)駅に到着です。播磨灘に面した小さな港町。海を隔てて大坂に近かったことから、中世には讃岐で最初の城が築かれ、秀吉の時代には讃岐制覇の拠点となった歴史をもっています。江戸時代になると、風待ちの良港として栄え、讃岐三白(塩・砂糖・綿)、日用品、穀物、紙などを扱う商家94軒が軒を並べ、町は活気に満ちあふれていたそうです。また大豆と小麦が豊富にとれ、醤油の醸造もさかんでした。そうした商家の町並み、そしてかつては七軒あったという醤油醸造業のうち一軒だけ現役で残る「かめびし」がお目当てです。想定通り、駅周辺には観光案内所はありませんが、レンタサイクルが駅構内にありました。しかしガイドブックによると小さな町だし、ぽつぽつと雨も降りはじめたので、てくてくと徒歩で逍遥することにしましょう。幸い、事前にインターネットで詳細な観光地図を入手することができました。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-26 06:18 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(25):鳴門市ドイツ館(09.3)

 さて列車は相変わらずのんびりと進んでいきます。途中で見かけたのが「鯖大師」という看板、そして鯖瀬という駅、これは何か謂れがありそう。鯖フリークとしてはいつか寄ってみたいところです。徳島に近くなると、「鉄道高架断固粉砕!! 血税750億円もったいない! 事業効果が低い 経済の活性化なし」という垂れ幕を見かけました。ねっ、こういうお金を公共輸送の補助にまわせばいいのに。
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 そうこうしているうちに、徳島駅に到着。甲浦から徳島まで三時間弱かかりました。そして次なる目的地は板東には高徳線に乗り換えて二十分ちょっとで到着です。一時間後の列車に乗れば以後の行程に余裕が出るという色気もあり、駅前にあった営業所からタクシーに乗ることにしました。(ガイドブックによるとドイツ館まで徒歩二十分) 駅に貼ってあった観光地図を見ると、捕虜がつくったドイツ橋がすこし離れたところにあるのでまずこちらに寄ってもらいましょう。阿波国一の宮である大麻比古神社境内の奥に、ドイツ橋とめがね橋がありました。この後に訪れたドイツ館での解説によると、地元の依頼を受けてボランティアとして製作したとのことです。アーチの形状にヨーロッパのフレイバーを感じます。
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 そしてドイツ館に到着、ヨーロッパの館を模した堂々たる資料館です。入口の前で、女子高校生七人が横一列に並んで募金を呼びかけています。「アルバイトをして寄付したほうが実入りは多いよ」と邪慳にするのも可哀想なので内容を訊ねると、戦争や内乱に巻き込まれ傷ついた子どもたちを救援するために、ドイツ市民団体の手によって1967年につくられたNGO「ドイツ国際平和村」のための募金だそうです。よっしゃ、"人生感意気 功名誰復論"と100円(せこっ)を寄付しました。善行をすると報いがあるものですね、彼女たちの背後にベートーベンの顔はめ看板が、まるでご褒美のように立っていました。「なにこのおじさん?」という彼女たちの冷たい視線を背後に感じながら、ばしゃばしゃと撮影。そして入館、まずはこの収容所についての概要を紹介しましょう。どさくさにまぎれてドイツ領植民地を奪うために第一次大戦に参戦した日本は、山東半島の青島(チンタオ)を攻撃。敗れたドイツ兵士約5,000人が俘虜となり日本各地の収容所へ送られることになります。その内、徳島・丸亀・松山にいた約1,000人が、1917年から1920年までの約三年間をここ板東俘虜収容所で過ごすことになりました。収容所内では、複数のオーケストラ・楽団・合唱団による定期コンサート、雑誌「バラッケ」の発行、演劇、スポーツ、講演など多彩な活動が行なわれました。地域の人々も、俘虜たちの進んだ技術を取り入れようと牧畜・製菓・西洋野菜栽培・建築・音楽・スポーツなどの指導を受け、板東人々は、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、日常的な交歓風景があたりまえのようにみられたそうです。名前は失念したのですが、こうした活動を認め捕虜の人権を尊重した日本人所長の存在も記憶にとどめるべきでしょう。なお彼らドイツ兵捕虜によって、ベートーベン作曲交響曲第九番(op.125)が日本で初演されたのはよく知られています。ちなみにバウムクーヘンで知られる洋菓子職人カール・ユーハイムも俘虜となり、解放後も日本にとどまり神戸で洋菓子屋を創業したのですね。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-25 06:11 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(24):徳島へ(09.3)

 ここ甲浦から海部までは阿佐海岸鉄道という第三セクターで所要時間は11分、わずか3駅しかありません。海部から徳島まではJR牟岐線となりますので、これは完全なる盲腸線。JRによる情け容赦ない切捨てにあい、地元の方の奮迅努力によって経営されている路線と想像してよいでしょう。利益のでない路線は切り捨てるというのではなく、そもそも「みんなの大事な足」である公共輸送は赤字覚悟で維持するという発想が大事だと思います。無駄な公共事業・防衛費・核(原子力)発電所関連予算・米軍への"思いやり"予算等を削減、あるいは全廃すれば、維持費用くらい軽く捻出できるのにね。「公共」という言葉を「おおやけ=大きな家=有力者・資産家」という意味ではなく、「みんなのため」という本来の意味に立ち返らせないといけないのではないかな。
 さてわずか十分ほどで海部駅に到着し、阿佐海岸鉄道とはこれでお別れです。JR牟岐線に乗り換えて、一路徳島をめざして列車は疾走…といいたいところですが、なにせ単線ですので待ち合わせのため何度も駅で小休止をする長閑な旅でした。なおJR四国はホームでの喫煙可、よって。長い停車の時にはホームに出て周囲の町並みや景観を楽しみながら紫煙をくゆらすという贅沢なひと時をしばしば過ごせました。というわけでこののんびりした時間を利用して、これからの行程を検討しましょう。第一次世界大戦時に板東(ばんどう)にあったドイツ兵捕虜収容所に関する資料館・鳴門市ドイツ館は明日の月曜日は休館、よってこれから寄ってみましょう。すると同じ高徳線ぞいにある引田(ひけた)も今日行ったほうがいいな。徳島線ぞいにある脇町と貞光は明日まとめてまわりましょう。もし時間があれば徳島駅に近い佐古配水場に今日立寄って、徳島市内の見物は明日ということにできれば申し分なし。さて今夜の夕飯はどないしましょ。徳島ラーメン、阿波牛、阿波尾鶏(阿波踊りの洒落か?)、うどんと選択肢は多々ありますが、いろいろと検討した結果、「かがやき」という店で阿波牛のステーキを食することに決定。「るるぶ」で所在地を確認すると徳島市南佐古6-4-1、南佐古か、みなみさこ?! どこかで聞いた覚えがあるぞ。用意してきた旅程メモをとりだし佐古配水場の住所を確認すると徳島市南佐古6-3-11、ご近所だっ。天の配剤としか言い様のない奇跡的な偶然、これは行くしかありませんね。ただ憂慮されるのは「要予約」という記載、でも何時につけるか全く見込がつかないので飛び込みしかありません。己の強運を信じましょう。

 本日の一枚は甲浦駅です。
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by sabasaba13 | 2010-01-24 07:56 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(23):甲浦駅(09.3)

 天気予報どおり今日は雨模様です。カーテンを開けると満天に墨汁をたらしこんだような雨雲がひろがり、風はひゅるひゅる波はどんぶらこ、という様子です。甲浦(かんのうら)行きのバスは8:10にホテル前到着とのこと。さて朝食はどうしますか。食堂におりていき、宿泊客の食べている朝食を垣間見るとあまり美味しそうではありません。一か八か、のるかそるか、だめもと、甲浦で列車の待ち時間が三十分ほどあるので、付近に定食屋(できうればうどん屋)があることに一縷の望みをかけましょう。チェックアウトをして外へ出ると、傘も折れよと風雨が吹き荒れています。虎の子の傘をおしゃかにされてはたまらんとたたんで仕舞い込み、木陰で雨風をしのぎながら待っていると、数分遅れてバスが到着。左側最前列のお気に入りの席に陣取り、荒天がおりなす大自然のドラマを楽しむことにしましょう。国道55号線は海岸線すれすれを走る眺望が良い道路で、巨岩にくらいつきくだけちる荒波を間近で見ることができます。そしてこの風雨の中を、菅笠・白衣・輪袈裟を身にまとい金剛杖をつきながら黙々と歩くお遍路さんの姿を何人も何人も見かけました。以前よりも確実に増えた印象を受けますね。信仰心のうすい私には大掛かりなスタンプ・ラリーとしか思えないのですが、なぜこれほど引き付けられる人が多いのだろう。何回かに分割するケースもあるとはいえ、全行程1450km、歩いて四国八十八ヶ所を廻るのですから半端な気持ちでないことは確かでしょう。
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 五十分ほどで阿佐海岸鉄道・甲浦駅にバスは到着。付近に食事ができるところはなく、けっこう立派な駅舎に入っても同様。万事休す、と思いきや売店があり、地元の方らしき中年女性が二人で店番をしておられます。そして見世棚に並ぶミニカップ麺… お訊ねしたところ熱湯をいただけるそうです、おお地獄で仏、さっそくカップヌードルときつねうどんを購入しました。畳敷きの腰掛けに坐って待っていると、熱湯を入れたカップ麺にお茶をそえてもってきてくれました。熱い情けをかみしめながら爆食。カップ麺を食べるのは数年ぶりですが、美味しうございました。
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 鳥の声がするので見上げると、二羽の燕が梁のところで仲良く雨宿り。なにかほのぼのとした気持ちになってきます。外に出てみると、降りしきる雨にぬれて輝く菜の花の一群、そして付近の観光案内図を見ると、ここから1kmほどのところに「江藤新平遭危の地碑」がありました。佐賀の乱にまきこまれ佐賀から逃れてきた彼が捕縛されたのがここ甲浦だそうです。駅舎内に戻ると、遍路姿の中年男性が、予約していた徳島→大阪の飛行機を早い便に変えてほしいと、携帯電話で航空会社と交渉しているところでした。仕事の合間をぬってお遍路に来ているという雰囲気でしたね。さてそれでは列車に乗り込みましょう。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-23 07:35 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(22):室戸岬灯台(09.3)

 そして最御崎寺のお寺さんの少し先が室戸岬灯台です。太平洋の大海原を睥睨するかのように、白亜の灯台が孤塁を守っていました。あの室戸岬台風(1934)にも耐え抜いた剛毅にして寡黙な立ち姿には惚れ惚れしてしまいます。完成は1899(明治32)年、レンズの直径2.6mは日本一の大きさで、約49km先まで光が届くそうです。せっかくだからもう少し高いところから写真を撮りたいなときょろきょろすると、後ろの斜面上部に三脚でカメラをセットしている方がおられます。夕日と灯台を撮影するためでしょう、「高価そうな三脚を持つ人の脇で撮る」という"いい写真を撮るコツ第二原則"に従い斜面をよじのぼっていくと、やはり絶景でした。残念ながら薄い雲が空を覆っているので、名物「ダルマ夕日」は見られそうにありません。でもこれだけの雄大な眺望が見られたらもう大満足、紫煙をくゆらしながらしばし見とれていました。
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 すると車でやってきたらしいカップルが何組もやってきて「きゃーきれー」と叫んで写真を撮ってはすぐ帰っていきます。うむ、やはり己の足を使って苦労してたどりつかないと、美を味わいつくすことができないのだな、などと引かれ者の小唄を呟いてしまいました。それにしてもたかだか一人か二人を安楽に移動させるために重さ1トン前後の金属の固まりを、有毒物質と騒音をまきちらしながら時速数十kmで走らせ時には人を轢き殺してしまうなんて、環境の破壊・資源の浪費・人間性への冒涜ここにきわまれりです。自動車を使う人への増税と課徴金徴収、使わない人への交付金の配布など、こやつらの跳梁跋扈を何とかして食い止めないといけません。そうすれば公共輸送機関の利用者も増えるだろうし。政治家諸氏の英断に期待します。
 さて、暗くならないうちに下山しますか。足をすべらせないように気をつけて車道にたどりつき、海沿いに設置されている乱礁遊歩道をホテルに向かって歩いていきましょう。波の浸食を受けて地形はえぐれ、エボシ岩やビシャゴ岩といった大小の奇岩が立ち並ぶ、殺伐荒涼とした光景がひろがります。
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 途中に「土佐日記御崎の泊」という石碑がありましたが、土佐守の任満ちた紀貫之は、陸路ではなく、室戸岬をまわる陸伝いの航路で帰京したわけだ。今、調べてみたところ「十六日。風波やまねば、なほおなじところに泊れり。ただ、『海に風なくして、いつしか御崎といふところ渡らむ』とのみなむ思ふ」という記述が「土佐日記」にありました。
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 孤高の太公望を横目にごつごつとした岩にすわり紫煙をくゆらしながら、岩に襲いかかる爪牙のような荒波を見つけていると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。さ、もうひと頑張り、「弘法大師行水の池」を通り過ぎ、青年大師の白い巨像が見えてくると、ホテルはもうすぐそこです。
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 チェックインをして部屋に入ると、内装や調度はしょぼいものですが、眺望は抜群、眼下には暮れなずむ大海原と岩場がひろがっています。さて素泊まりという予約でしたが、近くに食事をとれそうな店はなさそうです。ホテルの食堂にかけこんで、鯨のステーキを注文。悪くはないのですが、竜田揚げの方が私の好みです。土産屋で純米吟醸「龍馬」を購入し、潮騒の音をつまみに一献かたむけ、そして熟睡…
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-22 06:12 | 四国 | Comments(0)