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松本・上高地編(7):碌山美術館(09.5)

 彫刻家・荻原守衛(号は碌山)の作品を展示してあるのが、ここ碌山美術館です。以下、スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
 荻原守衛(1879―1910)。明治12年12月1日、長野県に生まれる。井口喜源治の研成義塾に参加し、1899年(明治32)画家を志して上京、不同舎に学んだが、1901年(明治34)アメリカに留学。03年フランスに渡り、アカデミー・ジュリアンでJ・P・ローランスに師事した。翌年のサロンでロダンの『考える人』を見て強く感動し、彫刻に転じた。いったんアメリカに戻り苦学したのち、06年ふたたびフランスに渡り、アカデミー・ジュリアンの彫刻部に入り、ロダンを訪れた。08年帰国し、第2回文展に『文覚』と滞欧作を応募したが『文覚』のみ入選し、三等賞を受賞した。翌年第3回文展で『北条虎吉像』(重要文化財)が三等賞を受けたが、文展や太平洋画会展に発表した生命感あふれる新鮮な造形は、工部美術学校以来の外形描写を主とする彫刻界に大きな刺激を与えた。そして戸張孤雁、中原悌二郎、中村彝、堀進二ら多くの新進美術家に強い影響を及ぼし、荻原を中心に相馬愛蔵・黒光夫妻による「中村屋グループ」が形成され、戸張と中原は絵から彫刻に転じた。帰国後わずか2年後の明治43年4月22日に急死したが、死後の第4回文展で絶作『女』(重要文化財)は三等賞を受けた。充実した量塊に豊かな生命感をもつみずみずしい造形は、高村光太郎とともに、日本の彫刻に初めて本格的な近代の扉を開いた。
 彼はここ安曇野出身なのですね。「歩く地図」(山と渓谷社)によると、彼の生家跡と、彼をいろいろと援助した新宿中村屋主人・相馬愛蔵の生家跡もあるようです。ぜひ帰りに寄ってみましょう。受付から中に入ると、匂い立つような新緑の木立の中に碌山の作品「労働者」が野外展示されており、その向こうに蔦がからまるまるで教会のような美術館がひっそりと力強く佇んでいます。1958(昭和33)年完成、設計は今井兼次。なお早稲田大学坪内博士記念演劇博物館や長崎の日本二十六聖人殉教記念館も彼の作品だそうです。
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 中に入ると、正面には"LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY"という、彼の言葉が刻まれています。館内は狭いのですが、彼の代表作である「女」「文覚」「北条虎吉像」「デスペア」が所狭しと並べられている濃密な空間でした。エネルギーが内側からふつふつと沸き立つ彫刻をしばし堪能しましたが、もっとも心に残ったのは「デスペア」。まるで地と一体化したように伏して絶望にあえぐ女の存在感には圧倒されました。美術館HPの解説によると、「心でしか結ばれない相馬黒光(※相馬愛蔵の妻)への、恋慕の苦悩のなかで」、この作品は生まれたとのことです。なお相馬黒光は、本名は良(りょう)、自立心が強く夢多き女性で、宮城女学校をストライキ事件により退学し、明治女学院を卒業後、キリスト者の養蚕事業家として活躍していた相馬愛蔵と結婚して安曇野に住みました。なお「黒光」の号は、恩師から与えられたペンネームで「溢れる才気を少し黒で隠しなさい」という意味でつけられたものと言われています。しかし健康を害し、また村の気風に合わなかったこともあり、療養のため上京、そのまま東京に住み着いて夫婦で本郷に小さなパン屋・中村屋を開業(1901)。(後に新宿に移転) クリームパン、中華饅頭、月餅、インド式カリーなどを考案するとともに、絵画・文学等のサロンをつくり、荻原碌山、中村彝、高村光太郎、戸張弧雁、木下尚江、松井須磨子、会津八一らに交流の場を提供し、「中村屋サロン」と呼ばれました。また、亡命したインド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボースらをかくまい、ロシアの亡命詩人ワシーリー・エロシェンコを援助するなどの活動もしています。なお「中村屋のボース」(中島岳志 白水社)という大変面白い本がありますので、よろしければご一読を。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-02-28 08:28 | 中部 | Comments(2)

「ヤクザと日本」

 「ヤクザと日本 -近代の無頼」(宮崎学 ちくま新書702)読了。竹田青嗣氏の「人間の未来」(ちくま新書765)を読んで以来、"近代"を見る眼が変わりました。氏が考える近代社会の理念とは、社会から暴力原理を完全に排除し、人間が相互に他者を自由かつ尊厳ある存在、完全に対等な権限者として認めあった上で、一定のルールに則ってフェアなゲームを行なう、というものです。よってわれわれはポスト・モダンどころか、"近代"のとば口にも至っていないということですね。この理念との乖離という視点から日本の近代化を見つめなおし、その特徴を考える必要があるなあと思っていた矢先に出会ったのが本書です。著者の宮崎氏曰く「近代ヤクザの歴史を、近代化の過程と関連づけて解明していけば、そこには日本型近代化の深層が、その知られざる一端をあらわしてくるにちがいないのだ」(p.235)、ヤクザから見た日本の近代史、これは興味津々です。

 明治維新後、きわめて急速に中央集権的な近代国民国家が形成されていきましたが、その一方で国家による暴力の独占と法の支配が確立していない領域が広大に存在しつづけることになります。中でも産業の発展に不可欠な炭鉱、水運、港湾に関連した地域は急速に膨張し、腕一本の流れ者や荒くれ者が蝟集した結果、警察権力だけでは手に負えないほど治安が悪化します。ここに暴力と「顔」とネットワークで自治秩序を維持する民間暴力装置、つまり近代ヤクザが登場することになります。と同時に、有力者に無力な者が追随して、全人的/全家族的奉仕を行うことによりある程度の生活保障を得るという利害共同集団(親分・子分関係)が形成されていき、下層労働力の統括者としての顔も持つようになりました。表向きは欧米の近代的な制度を導入しながらも、こうした暴力に満ち、法の支配が及ばず、個人の自由や権利が認められない領域、言わば前近代的な世界が列島のあちらこちらに点在していたのでしょう。そして急いで工業化を推し進め欧米列強にキャッチアップしたい政府は、こうしたいつでも使い捨てられる安価な労働力を供給してくれる前近代的領域を残存させ活用することが何よりも有効だと判断しました。となると、そうした領域を束ね、仕切る近代ヤクザは支配者側にとって必要不可欠の存在となります。周知のように、近代日本における工業は、大企業と、それを支える膨大な中小零細企業・個人事業者という二重構造が特徴です。上層構造である大企業は、経済発展の牽引車として官主導によって競争から保護される、つまり政府が束ね、仕切る。そしてそれを支える下層構造、中でも労働集約的で不熟練型の労働集団が蝟集する炭鉱・土建・港湾などの産業は、ヤクザが束ね、仕切る。政府と民間暴力装置の見事な二人三脚の出来上がり! しかし見落としてならないのは、そうした部分社会を仕切る社会的権力としてのヤクザが、下層社会が危機に陥って動揺にさらされて国家権力と対抗しなければならない際に、その中核となったことだ、と著者は指摘されています。具体的な事例として米騒動(1918)をあげられていますが、このあたりはもっと多くの事例と詳しい分析がほしいなと感じました。氏自ら、「彼らが民衆の味方にならず、もっぱら資本家、地主階級ないし権力の手先に組織されるのは、米騒動の後にできた原内閣のもとで、床次竹二郎内相が『国粋会』を組織し、全国の侠客を糾合しはじめてから後のことである」(p.180)と述べられているように、国家権力に対抗する面よりも癒着する面のほうが強かったのではないのでしょうか。そして近代ヤクザは高度経済成長期において大きく変質し、共通感情によって結びついた地域・職域の共同体とともに生きてきた「共同社会型ヤクザ」から、もっぱら利害関係にもとづく機能的な結びつきによって成り立っている利益社会に生きる「利益社会型ヤクザ」へて変質していった、と結ばれています。(p.205)

 うーむ、なるほど。日本型近代化の深層、知られざる一端がよくわかりました。法・ルールの支配が及ばず、個人の自由・権利が全うしていない部分社会を、ヤクザを介して仕切り、産業の発展や治安の維持を実現してきたのですね。こうした側面を捨象しない、地に足の着いた泥まみれの歴史叙述を研究者諸氏には期待します。そうしないと、今の日本社会が抱えるさまざまな問題点も見えてこないのではないかな。フェアなルールが機能せず、有力者と無力な者が全人的奉仕と生活保障という親分・子分関係で結びつき、有力者がふるう非公式な"暴力"に満ち溢れた部分社会がいまだにこの列島の各地に点在しているような気がします。そして、格差社会へと変貌し、グローバル恐慌に陥り、部分社会が「生活保障」という機能を失い、崩壊しつつあるのが現状ではないでしょうか。個人を守るルールも、部分社会も存在しない状況となった日本…

 なお著者は、この部分社会における相互扶助というプラス面を評価し、下記のように述べられています。
 台湾では幇(パン)が健在である。それは、台湾の民衆社会が健全だということだ。台湾は特にそうだが、台湾にかぎらず、アジアでは、どこでも民衆の相互扶助組織としてのヤクザ的結社が生き生きと活動しており、民衆といい関係を結んでいる。…そういう結社が広く活動できるのは、民衆の間に日本のような国家と民主主義に対する幻想がなくて、部分社会の相互扶助が生きているからである。自治が息づいているからなのだ。
 日本も、台湾とはちがったかたちではあるが、大きく擡頭してきた中国とインドの圧力によって激動しているアジアの状況、始まっているアジア世界の再編のなかで、官僚主義に凝り固まった国家機構や国境を超えて利潤を貪ることに専心している巨大企業に頼らず、一人ひとりの日本人がどう生き抜いていくのかが問われようとしているのではないか。そうしたとき、日本でも、そういう下からの相互扶助の核となる新しい「組」的団結、日本版幇が必要とされているのではないか。そういうものとして、超近代の無頼よ、出でよ。(p.263)
 たしかに相互扶助と自治の核となる新しい「組」的団結-コミュニティと言ってもいいのでしょうか-の必要性は大いに感じます。ただし国家権力に利用されたりその走狗・爪牙となったりしないという条件をつけましょう。これはこれで大きな課題ですが、それ以上に重要なのが世界規模でフェアなルールを設定してマネー・グローバル企業・国家権力の暴走をくいとめ、個人の自由や権利や尊厳を守るということだと思います。ボスが牛耳る番外地的「組」ではなく、地球大での公正なルールにのっとったかたちで人間を守る「組」、見果てぬ夢かもしれませんがぜひ実現させたいものです。

 追記。戦前、軍港・横須賀では、軍艦に砲弾や燃料の石炭、食糧などを積み込む仲仕の組織が発達し、その仲仕を仕切ったのが小泉由兵衛ひきいる小泉組だったそうです。その孫が純一郎、そう、小泉純一郎元軍曹。なるほど、有形無形の暴力に満ち、法の支配が及ばず、個人の自由や権利が認められないこの国を仕切ったあのパフォーマンスは、祖父ゆずりなのか。
by sabasaba13 | 2010-02-27 07:18 | | Comments(0)

言葉の花綵23

 イロクォイ族には、現在の行為が将来七世代先までおよぼすかもしれない影響を考える習慣がある。

 現在の諸問題を現実的に評価し、将来のために図る能力は、過去に直面する能力に依存している。

 ゼロ成長のみが、人類とその環境のために考えられる、唯一のまじめな選択肢である。(ガバン・マコーマック)

 すでに十分以上に豊かな者が消費の手段を、それも富の証という以外にほとんど、あるいはまったく喜びをあたえないような消費の手段を倍増させたからといって、なぜそれがめでたいことなのか、私には分からない…。生産拡大がまだ重要な目的となっているのは世界の後進国だけであり、最先進国にとって経済面で必要とされることは分配の改善だけである。

 成功しようと奮闘することが、人間のふつうの姿であり、現在の社会生活でよく見られるように、人の権利を踏みにじり、押し分け、ひじで突き、足を踏みつけることがもっとも望ましい人間のすることであり、そしてそれは絶対に産業発展の一段階の不快な徴候などというものではない-などと考える人がいるが、私はこういう人々が抱く人間生活の理想像には感心できない。貧しい者も、さらに富を得たいと望む者もいず、後から追い越そうとする者に押し退けられる心配もない、それが人間本来の性質にとって理想的な状態である。
 資本の流れと人口の増加が止まれば人類の進歩まで止まると恐れる必要はまずない。あらゆる精神文化や道徳的・社会的な進歩発展の余地は大いにあるはずで、世間的な成功の術に没頭することをやめれば、人間らしく生きる技を磨く余裕が出てくるし、実際にはよい生活を営める可能性も高くなると考えられる。(ジョン・スチュアート・ミル)

 他者との関係が共同的だというのは、同一性を基礎にした集合性だというほどの意味であり、公共的だというのは、互いに異なる個別性と差異性を基礎にした集合性というほどの意味である。(加藤典洋)

 中国文化にたいするヨーロッパ文化の優越は、ダンテ、シェイクスピア、ゲーテが孔子、老子にたいして勝を占めたという事実に基づくのではなく、むしろ、平均的にいって、一人のヨーロッパ人が、一人の中国人を殺すのは、その逆の場合よりも容易だという、はるかにブルータルな事実に基づくのだ。(B・ラッセル)

 飛行機だって三十年前はユートピアだったじゃないか! (H・G・ウェルズ)

 人間には、自分自身をも、また自分の社会をも、希望のままに処理する力がある。(unknown)

 こんないかがわしい国にだけは世話にならずに生きられる手段を講じておこう。(青木雄二)
by sabasaba13 | 2010-02-26 06:08 | 言葉の花綵 | Comments(0)

トイレ表示

アルベルゴ・バンブー(箱根仙石原)
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目黒雅叙園(東京都)
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吉備津彦神社(岡山県)
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仙台市立博物館(宮城県)
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マクドナルド(宮城県塩釜市)
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横手(秋田県)
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宮守駅(岩手県)
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安曇野ちひろ美術館(長野県)
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御殿場駅前(静岡県)
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八尾おわら資料館(富山県)
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越中八尾(富山県)
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五箇山・相倉(富山県)
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城端駅前(富山県城端)
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山中座(福井県山中温泉)
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琵琶湖ホテル(滋賀県大津)
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ホテル「はつはな」(神奈川県湯本)
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西沢渓谷(山梨県)
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「札幌かに家本店」(北海道札幌)
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レストラン「みなとの森」(北海道函館)
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自由民権記念館(高知県高知市)
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日本橋たいめいけん(東京)
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箱根湯本(神奈川県)
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楽々荘(京都府亀岡)
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堅田(滋賀県)
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木ノ本駅(滋賀県)
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近鉄郡山駅(奈良県)
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るなぱあく(群馬県前橋)
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臨江閣(群馬県前橋)
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ロートホルン(ツェルマット)
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リッフェルベルク(ツェルマット)
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ホテル「ロゼックグレッチャー」(サン・モリッツ)
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レーマーホルツ美術館(ヴィンタートゥール)
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ル・コルビュジエ・ハウス(チューリヒ)
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チューリヒ美術館(スイス)
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コメダ珈琲店(長野県諏訪)
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納沙布岬(北海道)
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糠平温泉(北海道)
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熊湖」(北海道知床斜里)
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釧路ロイヤルイン(北海道)
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糠平温泉(北海道)
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モーツァルトの生家(ザルツブルク)
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モーツァルトの住居(ザルツブルク)
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デュルンシュタイン(オーストリア)
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ハルシュタット(オーストリア)
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ケールシュタインハウス(ドイツ)
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上越線小出駅(新潟県)
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味彩」(新潟県佐渡)
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はしもと」(京都市)
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ゴスペル」(京都市)
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上高地(長野県)
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岡谷駅(長野県)
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ベルヴェデーレ(ウィーン)
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コルティナ・ダンペッツォ(イタリア)
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ミラノ・スカラ座(イタリア)
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グッビオ(イタリア)
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尾瀬(群馬県・福島県・新潟県)
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山中湖(山梨県)
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中村キース・ヘリング美術館(山梨県)
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長坂駅(山梨県)
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ミハス(スペイン)
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コルドバ(スペイン)
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マドリード(スペイン)
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プエルト・ラピセ(スペイン)
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船の科学館(東京都品川区)
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通洞駅(栃木県)
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谷中村遺跡(栃木県)
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湯野浜温泉(山形県)
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上山温泉(山形県)
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山形市(山形県)
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蓬莱橋(静岡県)
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金谷の石畳(静岡県)
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寸又峡翠紅苑(静岡県)
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身延山久遠寺(山梨県)
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平野神社(京都)
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ジョージ・ナカシマ記念館(香川県)
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オリーブ館(小豆島)
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下曾我(神奈川県)
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善福寺川公園(東京都)
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高尾山(東京都)
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茨城県立近代美術館
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偕楽園(茨城県)
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袋田駅(茨城県)
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ドブロヴニク(クロアチア)
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八戸魚河岸食堂(青森県八戸)
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萱野茶屋(青森県八甲田)
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三岸好太郎美術館(北海道札幌)
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菱浦港ターミナル(隠岐中ノ島)
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植田正治写真美術館(鳥取県)
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郡家(鳥取県)
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境港(鳥取県)
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境港(鳥取県)
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みなとさかい交流館(鳥取県境港)
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浪漫亭(岐阜県明智)
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秋野不矩美術館(静岡県)
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碌山美術館(長野県安曇野)
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parsennのレストハウス(スイス・ダボス)
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阿波おどりミュージアム(徳島県徳島市)
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遠山之里(宮城県登米)
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河童橋(長野県上高地)
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「はなの舞」(東京都練馬区)
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「湖穂里」(福島県郡山市)
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三徳山三仏寺(鳥取県三朝町)
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蔵の里(福島県喜多方)
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大覚寺(京都)
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中尊寺(岩手県平泉)
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彫刻の森美術館(神奈川県箱根)
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箱根湿生花園(神奈川県箱根)
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道の駅「海鮮館」(富山県氷見)
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宮城県柳津駅
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篠山城付近(兵庫県)
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大正ロマン館(兵庫県篠山)
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by sabasaba13 | 2010-02-25 06:17 | 写真館 | Comments(0)

「インビクタス」

c0051620_654250.jpg 先日、山の神と映画「インビクタス」(監督:クリント・イーストウッド)を見てきました。舞台は南アフリカ共和国。ネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)は27年間の牢獄生活より解放され初の黒人大統領となり、黒人と白人の融和路線をとろうとしますが、前途は困難をきわめます。そうした中、ラグビーのナショナル・チームであるスプリングボクスは、近々南アで開催されるワールド・カップを前にして、その低落ぶりには眼に余るものがありました。(国際社会によるアパルトヘイトへの制裁で、国際試合ができなかったためなのでしょうか) 白人優位を象徴し、黒人からは忌み嫌われていたこのチームの凋落に対し、黒人を中心とするスポーツ評議会は、その名称・エンブレム等を変えてしまおうとします。これを知ったマンデラは、それにより人種間の亀裂と憎悪がさらに深まるのを怖れ、評議会会場に乗り込んで思いとどまるよう説得をします。これが功を奏すると、今度はスプリングボクスの活躍を通して黒人と白人の融和をとげようと考えます。近代国民国家の形成には宗教的なエモーションが必要であると指摘したのはベネディクト・アンダーソンですが、さすがはマンデラ、そのあたりの機微を理解していたのですね。ラグビーを通して熱狂的な祝祭空間を創り出し、国民的な一体感を醸成しようと、あの手この手で企図します。彼はボクスの主将フランソワ・ピナール(マット・デイモン)を官邸に招き、黒人と白人の架け橋となることを依頼するとともに、チームを黒人居住区に派遣して子どもたちにラグビーをコーチさせその意識も変えていこうとします。そして1995年のワールド・カップ本番、マンデラはボクスのユニフォームと帽子を身につけて激励をします。スプリングボクスは下馬評を跳ね返し決勝に進み、強豪のニュージーランド代表オールブラックスとの激闘にのぞむことになりました。
 実を言うと、前半の途中でストーリーの結末がほぼ見えてきました。しかし、ネルソン・マンデラの真摯でひたむきな努力、それに応える登場人物たちの変容、そして迫力に満ちた試合の場面などによって、ぐいぐいと画面に引き込まれ見入ってしまいました。まるでストレートが来るとわかっていても打てない、全盛期の村田兆治の剛速球のような映画です。私が好きなのは、なんといってもマンデラによる演説と語りのシーン。黒人政権に代わったため官邸から去ろうとする白人職員に対して、自分たちを苦しめた白人警官と一緒に仕事は出来ないと怒る黒人SPに対して、スプリングボクスの名・エンブレムを変えようと決議したスポーツ評議会の面々に対して、スプリングボクスのキャプテンに対して、マンデラのやり方を憂慮する秘書に対して、ありとあらゆる者に対して、とにかく彼は誠実な言葉をもって語りかけ和解のための説得をします。"言葉には世界を変える力がある"という、もはや打ち捨てられつつある理想にこだわったイーストウッド監督の志には拍手を送りたいと思います。そして困難な状況において、人を支える力をもつのも言葉です。タイトルとなった"インビクタス"とは、英国の詩人・文芸評論家で編集者のウィリアム・アーネスト・ヘンリー(1849~1903)の代表的な詩のタイトルで、獄中の彼を支えた言葉です。美しく力強い詩なので、プログラムからぜひ引用したいと思います。
私を覆う漆黒の夜/鉄格子にひそむ奈落の闇/どんな神であれ感謝する/私が負けざる魂〈インビクタス〉に
無惨な状況においてさえ/私はひるみも叫びもしなかった/運命に打ちのめされ/血を流そうと決して頭は垂れまい
激しい怒りと涙の彼方には/恐ろしい死だけが迫る/だが長きにわたる脅しを受けてなお/私は何ひとつ恐れはしない
門がいかに狭かろうと/いかなる罰に苦しめられようと/私はわが運命の支配者/我が魂の指揮官なのだ
 ワールド・カップを目前に、苦戦が予想され苦悩するキャプテンが、マンデラから送られたこの詩を心に刻むシーンには目頭が熱くなりました。言葉のもつ力の凄さ、あらためて痛感させてくれた映画です。
 今、世界に求められているのは、彼が実践したような和解と寛容と赦し、そして言葉の力を信じることなのかもしれません。ウィリアム・モリスの「誰も敗者とならぬ戦いに参加しよう。たとえ死が訪れても、その行ないは永遠なり」という言葉を思い出しました。

 ただあえて苦言を呈すれば、アパルトヘイト体制下の状況を、実写をまじえながら挿入すれば、マンデラの置かれた状況の困難さやその苦悩をもっと深く描けたのではないかと思います。また現在の南アフリカの状況についても、どんな形であれ一言触れるべきでしょう。監督は感動の余韻をさまさないため、あるいは視点を散漫にさせないために、あえてカットしたのかもしれませんが。例えば、プログラムの中でも簡単なコメントを述べているジャーナリストの松本仁一氏が「アフリカ・レポート」(岩波新書1146)の中で詳しく報告しているように治安の崩壊は深刻な問題だし、以前に紹介した藤原章生氏による「絵はがきにされた少年」(集英社)でも困難な状況が詳述されています。
 なお、アパルトヘイト体制下で反政府運動を主導し拷問によって殺されたスティーヴ・ビコを描いた映画「遠い夜明け」(監督:リチャード・アッテンボロー)、そして彼のことを歌ったピーター・ガブリエルの「ビコ」という曲があることも紹介しておきます。そしてアパルトヘイト体制下で、われわれ日本人は「名誉白人」として遇されていたことも忘れてはいけませんね。
by sabasaba13 | 2010-02-24 06:06 | 映画 | Comments(0)

松本・上高地編(6):安曇野(09.5)

 駅の近くでもさっそく道祖神を数体を発見。古いもの、新しいもの、観光用につくったもの、仲睦まじいお二人の神さんがさまざまな表情・仕種で出迎えてくれます。
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 途中にあった曹洞宗の古刹東光寺には、なんと道祖神の顔はめ看板が三つもありました。それも仁王顔はめ看板のおまけつき。阿形・吽形を自分で演出できるすばらしいアイデアですね。オリジナリティにあふれた手づくりの街角アート、顔はめ看板がどんどん増えていくことを切に願います。
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 しばらく走るとわさび田があらわれてきます。安曇野は、穂高川・高瀬川などが作り出した複合扇状地であり地下水の宝庫だそうです。その湧き出す伏流水を利用したわさび田が数多くあるとのことですが、そういえば街灯にもわさびのオブジェがほどこされていました。なお近年枯渇現象が見られるそうで、ちょっと気になります。
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 田植えが終わり、山なみや新緑をきれいに映す広々とした田んぼの中の一本道を走りぬけ、国道を渡ると大王わさび農場に到着です。穂高駅からここまでペダルをゆっくりこいで約二十分というところかな。広大な駐車場と賑わう観光客、どうやら安曇野随一の観光スポットのようです。なんでも広さは四万五千坪、東京ドーム11個分に相当する日本一のワサビ田で、三月中旬~四月には白い花が咲くとのことですが、時は五月下旬、もう花は終わっているでしょう。嬉しいことに入場料はロハ、さっそく中に入ってぶらつくことにしましょう。
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 まずは水車小屋が三つ並ぶ清流。滴るような木々の新緑とあいまって、まるで一幅の絵のようです。黒澤明監督の『夢』のワン・シーンはここで撮影されたとのこと。
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 そして広大にひろがるわさび田をめぐる散策路をしばし逍遥。黒い日よけの布でおおわれているので、あまり眺めがよくなかったのが残念でした。
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 場内に道祖神を集めてある一画があったので、撮影。
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 なおわさび関連の食材やグッズを、ここを先途と売りまくる売店が林立するのには閉口しますが、入場無料なので了としましょう。
 そして碌山美術館に向かいます。途中で黄金色に実る小麦畑を発見、まさしく麦秋でした。NHKドラマ『水色の時』のためにつくられた道祖神を拝見して先へ進むと、穂高川の川べりを走る快適な道となります。
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 北アルプスの山なみと穂高川を右手に、わさび田を左手に見ながら、爽快な気分でペダルをこいでいると、「早春賦」の碑がありました。吉丸一章が安曇野の遅い春を待ちわびる心を歌ったものといわれているそうです。
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 「碌山美術館へ」という標識を信じて走っているといつの間にやら町中に入ってきました。ところどころに古い商家が見られますが、亀甲型のなまこ壁は珍しいですね。教会風のファサードがユニークな商店もありました。
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 ん? 路地のところに火の見櫓があったので、いそいそと近づいてみると、踊り場つきの立派な物件でした。しかもきれいに塗装され、メンテナンスもきちんとされており、どうやら現役で使用されているようです。火の見櫓のサンクチュアリ、信州の面目躍如ですね。あれっ、端午の節句は終わっているのにまだ鯉のぼりをあげている、おまけに見慣れぬ幟がそのわきではたはたとはためいています。??? これも疑問として大切に心におさめておきましょう。白ペンキで描かれた、一時停止しなさいという足型も発見。以前、浅科村で逸品を見かけましたが、信州は「交通安全足型」の聖地であるのかもしれません。
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 街角に佇む道祖神を撮影し、しばらくペダルをこぎましたが、気がつくと碌山美術館への行き先表示が見当たらなくなっています。こりゃあ道を間違えたな、通りすがりの地元の方に訊ねて方向を修正、穂高駅に戻って近くの踏切りを西へ渡り、やっと到着しました。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2010-02-23 06:12 | 中部 | Comments(0)

松本・上高地編(5):安曇野(09.5)

 信濃大町で乗り換えて14:39に穂高駅に到着です。このあたり一帯がいわゆる安曇野(あづみの)、私にとって未踏の地です。ガイドブックによると、北アルプスを望む長閑な田園風景と点在する道祖神、そしてさまざまな美術館が売り物のようです。かなり広大なエリアですので、とりあえず自転車を借りて、一番食指をそそられる碌山美術館と大王わさび農場を中心にふらふらと彷徨うことにしましょう。なお安曇とは、海神である綿津見命を祖とする古代日本の氏族・阿曇氏に由来する地名だそうです。以下、ウィキペディアの解説を引用します。
 古代日本を代表する海人族として知られる有力氏族で、発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部)とされる。本拠地とされる北九州の志賀島一帯から全国に移住し、また古くから中国や朝鮮半島とも交易などを通じて関連があったとされる。
 安曇は海人津見(あまつみ)が転訛したものとされ、津見(つみ)は「住み」を意味する古語とする説もあり、安曇族はそのまま「海に住む人」を示す。
 律令制の下で、宮内省に属する内膳司の長官を務める。これは、古来より神に供される御贄には海産物が主に供えられた為、海人系氏族の役割とされたことに由来する。(中略)

 安曇族が移住した地とされる場所は、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海などの地名として残されており、安曇が語源とされる地名は九州から瀬戸内海を経由し近畿に達し、更に三河国の渥美郡 (渥美半島、古名は飽海郡)や飽海川(あくみがわ、豊川の古名)、伊豆半島の熱海、最北端となる飽海郡(あくみぐん)は出羽国北部(山形県)に達する。この他に「志賀」や「滋賀」を志賀島由来の地名として、安曇族との関連を指摘する説がある。
 そして川を遡り、信濃国のこのあたりまで移住して「安曇」という名を地名に残したということです。類似の地名の分布によって、その移動の足跡を確認できればその可能性は高いでしょうね。興味深い仮説として受け取っておきます。さて駅前では多くの店で自転車を貸し出しており、その確保には事欠きません。「うさぎや」という店で自転車をお借りしてさあ出発。ロータリーのところに親子づれのアルピニストの銅像「登頂」と、「自由民権家 松沢求策胸像案内」という道案内つき看板がありました。ちょっと駅から遠いようですが、忘れなかったら徘徊の最後に寄ってみることにしましょう。(告白:忘れてしまいました)
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 雲が多くなってはきましたが、爽やかなそよ風が頬をなでる絶好のサイクリング日和。まずは大王わさび農場へと向かいました。「歩く地図」シリーズ(山と渓谷社)を愛用している理由は、正確無比にして史跡・石碑・記念碑類を丁寧に記載してある地図と、虚飾を排した無駄のない構成です。安曇野の地図には、道祖神のある場所が記されていましたので、これを頼りに道祖神を経巡りながらペダルをこぎましょう。さてさて釈迦に説法ですが、道祖神とは何か? 岩波日本史辞典から引用すると、「道ばたや境界に祀られる神格。旅の神、足の神として信仰されると同時に、境界地で祭祀されることが多い。古代の記録にクナドの神として見えるのが早く、その後、地蔵菩薩や猿田彦大神の信仰と習合。」 要するに村に魔物が入らないように、村と外界との境界に祀られる神ですね。別名サエノカミ、さえぎるの「さえ」と意味は同じです。男女二体を彫ってあるというイメージがありますが、これは中部地方特有。地方によっていろいろなバリエーションがあり、自然石、丸石、単体の道祖神もあります。以前に真鶴半島での道祖神めぐりを拙ブログで記事にしましたが、今回は双体道祖神の本場・信濃です、楽しみだな。でもなぜ双体なのでしょうね。夫婦和合、および豊穣を象徴する性交をあらわしたものなのでしょうか。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-02-22 06:08 | 中部 | Comments(0)

松本・上高地編(4):白馬(09.5)

 まずまず美味しい蕎麦をいただき、列車が来るまでの約四十分、食後の散歩を兼ねて白馬の町並みを徘徊することにしました。駅前を南北に走る糸魚川街道をぶらぶら歩いていると、やはり雪深さを思わせる物件に遭遇します。縦長の信号機、コンクリートの台座ですこし高く設置されている四角錐屋根の電話ボックス、「屋根雪注意」という注意書き、そして一部をくりぬいて軽量化した雪下ろし用のシャベル。と勝手に思ったのですが、近づいてよく見ると根切り用シャベルでした。即断はいけませんね、まずよく見ることからはじめなければ。
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 また、一階部分がコンクリート打ちっ放しだったり、物干し用のサン・ルームがあったりするお宅も発見。
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 自衛隊勧誘のポスターをよく見かけましたが、この地の苦境を示しているのかもしれません。いや、昭和恐慌で養蚕業を中心に大きな打撃を受け、満州への武装移民という国策(1932~)のもと、満蒙開拓団に最も多くの移民を出したのが長野県であるという歴史を思い返すと、この苦境は昨今のものだけではないような気がします。
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 長野県は「飛び出し小僧」不毛の地と勝手に思っていましたが、横断歩道のところに手を上げた等身大の人形が設置してありました。長靴を履いているところには注目ですね。近くの白馬北小学校には、なんとスキーのジャンプ台がありました。
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 松川を渡る橋からは、雪をいただく白馬三山、清流と河原、新緑の木々を一望できなかなかの絶景です。水を湛えた田んぼに映る、残雪をいただく山々を撮影し、さてそろそろ白馬駅へと戻りましょう。木造の「白馬村除雪基地」を写真におさめしばらく歩くと、火の見櫓を一基ゲット。経験則から言うと、長野県は火の見櫓の聖地ですね。県民一人当たりの火の見櫓設置数は全国屈指のものではないでしょうか。
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 ホームに入ると、とんでもない大混雑。みなさん同じバッジをつけているのでどうやらパック・ツァーに参加されているようです。13:24信濃大町行きの列車に乗り込むと、みなさんは途中の駅でどどどどどどと下車され、元気に歩いていかれました。よってボックス席を独り占めでき、しばし車窓を流れ行く景色を堪能。ラッセル車や駅ホーム屋根に上るための梯子など、ここでも雪の多さに気づかされます。仁科三湖の湖畔を列車は走りぬけ、ふと気づくと妻入り屋根の上部に角のような棟飾りをいただく民家を見かけます。あれはいったい何だろう??? 疑問は疑問として大事に胸におさめ、忘れずにおきましょう。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-02-21 07:12 | 中部 | Comments(0)

松本・上高地編(3):白馬(09.5)

 棚田と山なみを無心に眺めていると、聴こえてくるのは風の音、鳥の声、そして微かな草々・木々の囁き。なんともいえない豊潤な時間をしばし楽しみ、それではタクシーへと戻りましょう。大出の吊橋に向かう途中で、新緑の木々にからみながら美しく咲き誇る藤と、大糸線の青い鉄橋のところで車を止めてもらい写真撮影。
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 そして十数分ほどで大出の吊橋に到着です。姫川にかかるコンクリート製の比較的新しい吊橋なのですが、運転手さんによるとここからの眺めが絶景だということです。しかし、白馬の山々はさほど雄大には見えません。どうやら、もうすこし遠くから見ないと絶景にはならないようです。時間も押してきたので、付近の散策はカット。一心不乱にお墓を掃除している地元の方々の姿が心に残りました。
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 そして運転手さんご推奨の店「そば神(じん)」まで送ってもらい、ここで昼食をいただくことにしましょう。ざるそばを注文し、トイレを拝借すると戸のところに鷹の爪がぶらさがっています。これは魔除けかなと思い、店の方に訊ねるとたんなる飾りとのこと。ちゃんちゃん。お品書きには、いろいろな雪形が紹介されていました。白馬三山の"代かき馬"、小蓮華山の"種まき爺さん・婆さん"、五竜岳の"武田菱"。残雪の形を見て、代かきや田植えの時期を判断する経験知ですね。先人の自然に対する観察眼の細やかさには脱帽です。
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by sabasaba13 | 2010-02-20 07:02 | 中部 | Comments(0)

松本・上高地編(2):青鬼の棚田(09.5)

 駅前では常に数台のタクシーが客待ちをしているようで、タクシーをつかまえる苦労はないでしょう。さっそく乗り込み、運転手さんに行き先を告げました。糸魚川街道(国道148号線)を北へ走ると、「鬼無里(きなさ)」という道路標識が眼に入ってきます。青鬼といい、このあたりには昔鬼がよく現われたのですかと運転手さんに訊ねると、氏曰く、越後近辺に漂着しこのあたりに住み着いたロシア人が、"鬼"と見なされたそうです。眉唾ですが、あり得ない話ではないですね。そして右折して数分ほど舗装された山道をのぼると青鬼(あおに)集落に到着です。入口にある小さな駐車スペースまでしか車は入れないので、ここでタクシーに待っていてもらい徒歩で棚田に向かいます。異様に丈の高い消火栓が、このあたりの雪深さを物語っていました。
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 なおこの青鬼集落は伝統的建造物群保存地区に指定され、大きな寄棟の屋根にちょこんと小さな屋根が乗っかっている古い民家が十数軒建ち並んでいます。屋根はトタンでおおわれていますが、かつては萱葺だったのでしょう。火難除けに「水」と書いてあるお宅もありました。今、調べてみたところ、「かぶと造り」という様式で、屋根裏で行なう養蚕のために採光や換気を取り入れる工夫だそうです。青鬼神社へと続く石段の前には、スキーのポールが何本も用意されていました。信仰心の厚さと高齢化の進行を感じます。
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 そして小さな集落を抜けると、もうそこが棚田となっていました。逸る気持ちをおさえて、坂道をゆっくりとのぼり、振り返ると… 絶句… その美しい光景に眼と心を奪われ、しばらく立ち竦んでしまいました。残雪をいただく白馬の峯々、さまざまな色合いで滴るように輝く新緑、そしてそれらを鏡のように映し出す水を張った棚田(一部では田植えが終わっていました)。来てよかった、見られてよかった、神さんありがとう、と幸せな気持ちで充たされました。多くのカメラマンでごったがえしているかと思いきや、数人見かけただけで、ゆったりと落ち着いて棚田を逍遥することができたのも僥倖でした。ま、これはたまたまなのかもしれませんが。このあたりでは代掻きおよび田植えが行なわれるのは五月中旬~下旬のようなので、この時期が狙い目かと推測します。
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 なお迂闊にして今気づいたのですが、村内地図を写した写真を見ていたら、「ガッタリ」と記されていました。たしか水力を利用して脱穀をする仕掛けですね、観光用に復元されたものとは思いますが見落としてしまいました。ま、次に来た時の楽しみとしてとっておきましょう。なお鹿児島仙巌園にもおそらく同様の仕掛けが展示されており、「迫(さこ)ン太郎」と呼ばれていたと記憶しています。地域ごとの呼称の変化を探究するとおもしろいかもしれません。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2010-02-19 06:13 | 中部 | Comments(0)