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下館・益子編(12):下館(09.8)

 さて、真岡駅へと戻る途中、さきほど気がついた転車台を捜索。踏切を渡った真岡駅北西のあたりで発見し、記念写真を撮影。そして駅で自転車を返却し、「景観なんざ○○くらえ」と言わんばかりの無粋な蒸気機関車型駅舎に別れを告げ、列車に乗り込むと二十分ほどで下館に到着です。
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 小山行きの列車(水戸線)が来るまで約三十分あるので、駅の近くで珈琲を飲みましょう。んが、喫茶店が見当たりません。せんかたなし、駅前にある「下館スピカ」という巨大なショッピング・ビルの一階に「イタリアントマト」があるので、そちらで一服しましょう。横断歩道を渡り、中に入った瞬間、目が・になりました… がらんどう… これは悪夢か白昼夢か幻覚かマリー・セレスト号事件か… はじっこにぽつんとある小さなD.P.Eのお店もお休み。念のため二階に上がってみると、しょ、もとい、地味な洋品店と旅行会社、表示を見ると三階と四階は筑西市役所の分室、その上はスポーツクラブ、地下はボーリング場とゲームセンター。なんなんだなんなんだ、このビルは。
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 これは推測ですが、バブル景気の勢いで建てたものの、テナントが入らずあるいは撤退し、やむをえず資金の一部を出した行政がその一角を利用しあとは野となれ山となれ的な商業ビルなのでしょうか。これも推測ですが、買い物客は二酸化炭素をまきちらしながら、車で郊外にある巨大ショッピングモールに出かけて、金太郎飴のような画一的流行グッズを嬉々として買い込んでいるのかもしれません。それにしてもシュール・リアリスティックな光景でした。ま、これはこれで時代の愚劣さを証言する貴重な物件として、登録有形文化財として保存するのもいいのではないかな。未来に対する警鐘にもなるでしょう。そして予想外に(失礼)美味しい珈琲をいただき紫煙をくゆらし、さてそれでは眼前にある駅へと向かいますか。記録のため駅前にある周辺案内図を撮影すると…「登録文化財 一木歯科医院」 おっこれは見落としたぞ。病院系の物件にはけっこう優品があるので侮れません。幸いそれほど遠くないので、次の次の列車に乗ることにして、寄ってみることにしました。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-04-29 06:09 | 関東 | Comments(2)

下館・益子編(11):久保講堂(09.8)

 久保講堂移築記念碑によると、1938年、久保六平氏が傘寿を記念して、巨費を投じて真岡尋常高等小学校に建設・寄贈したものだそうです。その後、体育館新築のために取り壊されそうになりましたが、多くの市民の要望によってここに移築保存されたとのことです。いい話だなあ、立派な見識だなあ、帝国ホテル関係者に爪の垢を飲ませてあげたいなあ。残念ながら鍵がかかっていて中に入れないので、外観をじっくりと堪能いたしましょう。切妻屋根の和風建築と、細長いキューブ状の建築を組み合わせた独特のスタイルです。屹立する二本の塔がアクセントとなって、全体の景観をきりりと引き締めています。講堂部側壁のすこし奥まったところにリボン・ウィンドウがとりつけられ、その前に並ぶ二本の柱と雨樋が軽快な躍動感をつくりだしています。この奥まった部分で陽光がつくりだす光と影の対比がなんとも目に心地よく映ります。黄土色の漆喰が、全体的に温もりのある雰囲気をかもしだしています。そして裏にまわると純和風建築ですが、廊下部分なのでしょうか、壁面ほとんどをガラス窓が埋めつくし、正面中央の巨大な窓も印象的。きっと中では、光に満ち溢れた空間が演出されているのでしょうね。ああええもんみせてもろた。こういう、品のある、落ち着いた、素敵な建物がもっともっと増えれば街の景観も一変するでしょうね。と同時に、そうした素敵な建物と有機的につながる自然環境も重要だと考えます。この島の風土においては、木と水ではないかな。古木や巨木、森や雑木林、川や運河や池、そうしたものを消滅させてしまえば、そこから生えて根づいて生きているような建築をつくりだそうとする建築家のアイデアも窒息してしまうでしょう。
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 後日談。帰宅して数日後、テレビ東京の「美の巨人たち」が遠藤新をとりあげていました。帝国ホテルを完成させた実績を買われた遠藤は、その後旧甲子園ホテルの設計者に選ばれました。日本初の高級リゾートホテルとして1930年に開業したこのホテルはたちまち評判となり、帝国ホテルと並び称されるようになったそうです。しかし戦争などの理由により、わずか十四年で廃業、しかし幸いなるかな、現在は、武庫川女子大学建築学科のキャンパスとして使われており、事前に申し込めば見学も可能のようです。テレビで見た限り、周囲の景観とマッチした素晴らしい建物ですね。芦屋にある山邑邸とともに、いつか必ず見てやるぞ、と♪俺の闘志は火と燃える♪のでありました。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-04-28 06:25 | 関東 | Comments(0)

下館・益子編(10):真岡(09.8)

 それでは彼について、ウィキペディアを参照しながら紹介しておきましょう。
 遠藤 新(えんどう あらた 1889-1951) フランク・ロイド・ライトに学び、そのデザイン・空間を自己のものとして設計活動を行った建築家。福島県相馬郡福田村(現新地町)出身。第二高等学校を経て東京帝国大学建築学科卒業。明治神宮の建設に関わった後、1917年、帝国ホテルの設計を引き受けたライトの建築設計事務所に勤める。建設費用がかかり過ぎるとしてライトは解雇され、途中で帰国してしまうが、遠藤ら弟子が帝国ホテルを完成させた。また、自由学園、山邑邸も、ライトの基本設計を元に完成。1935年からは満州と日本を行き来して設計活動を行った。1945年満州にて第二次世界大戦の終戦を迎えたが、翌年心臓発作で入院し、半年後に日本に帰国した。1949年からは文部省学校建築企画協議会員を務め、戦後占領下の日本における学校建築のあり方に対する提言を行った。1951年4月体調を崩し、東大病院に入院。2ヶ月後、同病院にて死去した。
 私が彼のことをはじめて知ったのは、東京目白にあるフランク・ロイド・ライト設計の自由学園明日館を訪れたときのことです。その素晴らしさもさることながら、道をはさんで向かいにある講堂にも心惹かれました。解説を見ると、ライトの高弟である遠藤新という方が設計したとのこと。これで彼の名前が記憶にインプットされたのですが、その後、偶然というか奇跡というか、長野県上山田温泉を訪れたときにまた彼の作品に出会えました。当地にある笹屋ホテル別館『豊年虫』で、日本建築の伝統にホテルの手法を取り込み、近代観光旅館建築のモデルにもなった貴重な建物です。歩行と視覚に変化をつけるための段差、白木を組み合わせた茶室のような廊下屋根の化粧板、坪庭へと視線を誘導する仕掛け、イサム・ノグチのようなモダンな意匠の照明、円形の入口など意表をつく曲線の多用などなど、遠藤新の見事なデザイン感覚を満喫することができました。ライトの単純な亜流・エピゴーネンではなく、彼の「有機的建築」という哲学と、伝統的な意匠を、高いレベルで融合・昇華させたその手腕に心ときめき、これから折にふれて彼の設計した建築を追っかけていこうと思っています。
 県道47号線を東行し、五行川を渡ると、市民会館・図書館・体育館が集合している一帯がありました。「これだけ広いんだから案内図くらい設置しとけよ」とブツブツ呟きながらペダルをこいで探しまわっていると、「二宮尊徳先生 回村の像」という銅像をゲット。今、調べたところによると、彼は1842年、老中水野忠邦より普請役格として幕府役人に取り立てられ、農村再建のための尊徳の指導は小田原、烏山、下館、相馬各藩領、日光神領に及んだとのことです。このあたりにも縁があったのですね。そしてやっとのことで久保講堂にたどりつきました。
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by sabasaba13 | 2010-04-27 06:26 | 関東 | Comments(0)

下館・益子編(9):真岡(09.8)

 さてそれでは益子駅へと戻りますか。益子参考館近くの交差点には、「道祖土 Sayado」と記された信号がありました。道祖神=さえの神、共同体に害をなすものを遮る、という民間信仰と関係のある地名なのでしょうね。ここから駅までは、残像が残るぐらいペダルをぶんまわして約十分、無事に自転車を駅員さんに返却し、駅前に飾ってある大きな益子焼の壺を写真におさめていると列車が入線してきました。
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 次なる目的地は真岡(もおか)です。前回訪れた時に、フランク・ロイド・ライトの高弟、遠藤新が設計した講堂を見つけられなかったので、捲土重来、今度こそはこの眼で見てやろうと再訪する次第です。列車に乗り込み、右側の座席を陣取りました。なぜかって? 実は益子に来る途中で、車窓から横倒しになった火の見櫓を見かけたので、帰りにぜひ写真におさめようと心に決めていたのです。たしか西田井を過ぎたあたりだったなあ、凝視凝視凝視凝視、あったあ、カシャ。しかしどうしたことなのでしょう。暴風で倒れたのか、老朽化し危険なのであるいは邪魔なので撤去されたのか。ディスプレイで確認すると、それほど古い物件には見えません。やはり邪魔者扱いされたということなのでしょうか。無残に横たわる火の見櫓ははじめて見ましたが、これほど悲しい光景はちょっとありません。街のランドマークとして愛で保存する心のゆとりが失われているということの証左なのでしょうか。そして十数分で蒸気機関車風にデザインした真岡駅に到着しました。
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 その直前に、こちらに転車台があることに気づきました。あそこに乗った機関車がぐるんぐるんぐるんと廻るところを想像すると思わず笑みがこぼれてしまい童心に返る私です。これまでも京都梅小路蒸気機関車館、小樽交通記念館美濃太田駅(長良川鉄道)、茂木駅(真岡鐵道)、新山口駅(山陽本線)、水上駅(上越線)で出会いましたが、真岡にもいらっしゃったのですね。後でご挨拶に伺います。下車して駅で自転車を借り、以前に訪れた観光案内所に行ってみました。勢い込んで飛び込み、中にいた女性係員の方に尋ねようとした瞬間…名前を度忘れしてしまいました。嗚呼、もういい歳こいているのだから、備忘のためメモをしておくのだった、と悔やんでもAfter the carnival、やるっきゃない。裂帛の気合を込めて、しかし慇懃に、係りの方にお尋ねしました。「えーと、遠藤新が設計した建物を探しているのですが…」「?」「えーと、ライトの弟子なのですが…」「?」「戦前につくられた建物で…」「?」「白塗りの洋館で…」「?」「こちらの公民館として利用されているような気が…」「?」「何とか講堂とか言ったような」「ああ、久保講堂のことですか」 ビンゴ! ガシャン! 巨大な連環が、今、音をたててつながりました。市民会館・図書館などのある一帯のどこかだそうで、さっそく地図をもらい丁重にお礼を言って、いざ出発。
by sabasaba13 | 2010-04-26 06:26 | 関東 | Comments(0)

下館・益子編(8):益子参考館(09.8)

 それでは益子参考館へ向かいましょう。自転車にまたがりしばらく走ると、とてつもなく巨大ないわゆる"狸の置物"に遭遇しました。いやはや信楽の専売特許かと思っていましたが、ここにも進出していたのですね。なお前掲書「日本やきもの紀行」によると、こやつは信楽の陶工・藤原銕造(狸庵)が十歳の時に夜なべ仕事をしていると、戸外で狸たちが輪になって腹鼓に打ち興じていたのを見たそうです。これを機に、1935(昭和10)年ごろから狸百態の制作をはじめ、戦後、昭和天皇の信楽行幸をこの狸たちが歓迎したことから話題となり、大ブレークしたとのことです。おまけですが、その八相縁起も紹介しておきます。①笠:思わざる悪事災難避けるため用心常に身を守る笠。②顔:世は広く互いに愛想よく暮し誠をもって務めはげまん。③目:何事も前後左右に気を配り正しく見つむる事忘れぬ。④通帖:世渡りはまず信用が第一ぞ活動常に四通八達。⑤徳利:恵まれて飲食のみに事足りて徳はひそかに我身につけん。⑥腹:物事は常に落ちつきさりながら決断力の大肚をもて。⑦金袋:金銭の宝は自由自在なる運用をなせ運用をなせ。⑧尾:何事も終りは大きくしっかりと身を立てるこそ真の幸福。
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 そして益子参考館に到着です。濱田庄司が製作の参考として集めた品々や、彼および河井寛やバーナード・リーチの作品を、彼の自邸・工房を活用して展示しています。自分の作品が負けたと感じたときの記念として蒐集した日本・中国・朝鮮・台湾・太平洋諸島・中近東・ヨーロッパ・南米の工芸品の凄味もさることながら、周囲の景観と溶け合った古建築の雰囲気が素晴らしいですね。長屋門、大谷石の石蔵、茅葺屋根の母屋、そして工房と登り窯。中でも工房が素晴らしい。雑草が生えた茅葺屋根、しぶい土壁、内部は土間で片側には土室(つちむろ:粘土置場)があります。天井には、成形した器を乾燥させるための棚がとりつけられ、いくつもの轆轤が並んだ作業台の前には、まるでル・コルビュジエのリボン・ウィンドウのような横に連続した窓がしつけられ、手元を明るくするようになっています。そこからさしこむ柔らかい外光、かもしだされる陰翳、息づくように浮かび上がる木や土といった自然の素材。優しさと凛とした緊張感が響きあう心地良さ。濱田庄司がふらっと入ってきて、轆轤をまわしそうな気がしてきます。これを見られただけでも益子に来た甲斐があったというもの。至福のひと時でした。
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 なお偶然とは面白いもので、帰りの列車の中で読んだ「続・東北 -異境と原境のあいだ」(河西英通 中公新書1889)に、濱田も参加した民藝運動についての言及がありました。1930年代初頭から不況のどん底に落ちた東北地方の産業振興のため、柳宗悦らと農林省官僚との接触が始まるということです。言わば、東北の生んだ民藝品を称揚することにより、国民精神総動員の一翼を担ったのですね。1939年5月、日本民芸館で開催された東北民芸展における柳宗悦の講演について、河西氏はこうまとめられています。
 柳は東北を、琉球とともに「日本の固有性」を保持する地域にあげ、「東北地方は将来最も重要視される日本の文化的財産」であり、「国民性を最も健実(ママ)に今尚表現しているのは東北の品物」であり、「東北人の自覚が如何に日本の存在にとつて特別な意義があるかと想ひみないわけにはゆかないのです。東北の存在は日本にとつて大なる所有です」と絶賛した。仙台市の斎藤報恩会館で開かれた宮城県民芸品展覧会の趣旨も、東北地方の「日本民族古来の伝統」を称え、民芸品の紹介を通した「日本精神昂揚運動」をめざすことを謳っている。(p.136)
 この動きに濱田庄司がどう関わっていたかは分かりませんし、またこうした運動が彼らの業績を貶めるとは思いませんが、絶対に忘れてはいけない歴史的事実です。民衆が生み出した芸術を、他の民衆のそれと序列化をせず、またナショナリズム高揚のためにそれを利用しようとする国家の網に搦め捕られないようにすること。重要な教訓として銘肝しましょう。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2010-04-25 07:42 | 関東 | Comments(0)

公会堂・公民館 sanpo

交譲会館(岡山県矢掛)
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旧塩竈市公民館(宮城県塩釜市)
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新屋公民館(長野県安曇野市)
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旧武生公会堂(福井県武生)
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旧昭和会館(福井県今庄)
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東新田町公民館(富山県城端)
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旧大谷公会堂(栃木県大谷)
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函館市公民館(北海道函館)
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醒井公会堂(滋賀県米原)
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竜田公会堂(滋賀県東近江)
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群馬会館(群馬県前橋)
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ヴィンタートゥール公会堂(スイス)
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宿根木公会堂(新潟県佐渡)
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鳥居下公民館(宮崎県飫肥)
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両国公会堂(東京都両国)
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中町公民館(鳥取県智頭)
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下町公民館(鳥取県智頭)
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豊橋市公会堂(愛知県豊橋)
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旧額田郡公会堂(愛知県岡崎)
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中央公会堂(大阪府中之島)
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御影公会堂(兵庫県神戸)
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郡山市公会堂(福島県郡山)
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開港記念会館(神奈川県横浜)
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函館区公会堂(北海道函館)
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西公民館(群馬県桐生)
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中央公民館(大分県別府)
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中央公民館(鹿児島県鹿児島)
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公会堂(群馬県上州福島)
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梅津会館(茨城県常陸太田)
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旧台北公会堂(台湾台北)
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公正市民館(千葉県銚子)
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名古屋市公会堂(愛知県名古屋)
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日比谷公会堂(東京都日比谷)
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浜大津市民ホール(滋賀県大津)
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富岡市講堂(群馬県富岡)
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by sabasaba13 | 2010-04-24 06:28 | 写真館 | Comments(0)

「この世でいちばん大事な「カネ」の話」

 「この世でいちばん大事な「カネ」の話」(西原理恵子 よりみちパン!セ40 理論社)読了。漫画家にしてエッセイスト西原理恵子氏による痛快無比にして、時には軽く時には重厚な若者向け自伝&エッセイです。まず一読、臓腑に衝撃を受けたのは、氏の幼年期・思春期における貧困と絶望です。暴力、窃盗、シンナー、セックス、中絶、刹那的な楽しさを追い求めるうち、モラルをなくしてしまう若者たち。まるで市街戦で破壊されたように窓ガラスが割れてなくなっている家、一部屋に九人家族が住んでいる家。氏が生まれたのは1964年の高知県、つまり高度経済成長期の真っ只中ですね。実は私が生まれたのはその少し前の東京下町、たしかにみんな貧しかったのですが、これほど絶望と暴力とインモラルに満ちた貧困というのは記憶にありません。戦後の歴史を書き換えるべきではないかと思うくらいの衝撃を受けました。高度経済成長期における貧困についての研究があるのかどうか、寡聞にして知りませんが、その原因と実態、そして後の日本につけた刻印についての考究がぜひとも必要だと思います。己の不明を恥じるとともに、なぜ気づかなかったのか/見えなかったのか、と咆哮したくなります。それを見えなくさせる仕掛けが、幾重にも張り巡らされていたことは容易に想像できますが。そして東京の美大に進学、貧困のどん底をはいまわり辛酸を舐めながら、人を喜ばす漫画という活路を見出しいく過程が、淡々とした筆致とリアリティをもって赤裸々に描かれていきます。あまりにも苛烈なこの自伝を通しての著者の主張は次につきると思います。「人が人であるためにはどうすればよいのか」 人を人でなくしてしまう貧困、その視点は日本をつきぬけて、著者自らが旅したアジアにも及んでいます。グラミン銀行(『貧者の銀行』として知られる、貧困層を対象にした比較的低金利の無担保融資を主に農村部で行っているバングラデシュの銀行)にも言及されているのはさすがですね。
 その答えが、働いて、触れられる/匂いのする真っ当なカネを稼ぐこと。そして働くことを通していろいろなことを考え感じ、喜ばせたり喜ばせられたり、いろいろな人とつながっていくこと。凡庸な結論と言うなかれ、本書を読み薦めると千鈞の重みをもって心に響いてきます。こうしてみると、人から働く場を奪うことが、働いた分に見合う正当な報酬を与えないことが、いかに罪深く下劣で非人間的な行為であるかがよくわかります。ではどうすれば人が人でありうるのか、言い換えると貧困を撲滅できるのかについては本書ではふれられていません。それをみんなで考えようよ、という行間のメッセージを受け止めたいと思います。
 随所にちりばめられた珠玉の言葉を引用しておきましょう。
 あのね、「貧困」と「暴力」って仲良しなんだよ。貧しさは、人からいろんなものを奪う。人並みの暮らしとか、子どもにちゃんと教育を受けさせる権利とか、お金が十分にないと諦めなければいけないことが次から次に、山ほど、出てくる。それで大人たちの心の中には、やり場のない怒りみたいなものがどんどん、どんどん溜まっていって、自分でもどうしようもなくなったその怒りの矛先は、どうしても弱いほうに、弱いほうに向かってしまう。貧しいところでは、だから、子どもが理不尽な暴力の、いちばんの被害者となる。(p.29)

 自分の得意なものと、自分の限界点を知ること。「それなら、ここで勝負だ」って、やりたいこと、やれることの着地点を探すこと。(p.85)

 「どうしたら夢がかなうか?」って考えると、ぜんぶを諦めてしまいそうになるけど、そうじゃなくって「どうしたらそれで稼ぐか?」って考えてみてごらん。そうすると、必ず、次の一手が見えてくるものなんだよ。(p.93)

 だから私は思うのよ。「才能」って、人から教えられるもんだって。いい仕事をすれば、それがまた次の仕事につながって、その繰り返し。ときには自分でも意識的に方向転換しながら、とにかく足を止めないってことが大事。(p.109)

 わたしが師匠から教わったのは、まず「負けてもちゃんと笑っていること」。これはギャンブルのマナーの、基本中の基本。…「お金をはる」というのは、だから「自分をはる」ということでもある。(p.136)

 …ギャンブルっていうのは、授業料を払って、大人が負け方を学ぶものじゃないかな。その授業料を「高い」って思うなら、やらないほうがいい。まして本気で儲けようだなんて思うほうが、まちがい。(p.139)

 そうしてわたしは鴨ちゃんと、自分が育ってきた場所よりも、もっと貧しい、もっとたいへんな暮らしがあるアジアの国々を旅して、それでもそこで生きている子どもたちのことを漫画に描くようになった。何が人を、人でなくしてしまうのか? わたしは相変わらず、そのことをずーっと考えつづけているのかもしれない。(p.149)

 だからこそ、若いうちに「このお金は今日一日稼いだ稼ぎだ」と実感できるような体験を積んでおくことが、すごく大事だと思う。手で触れる「カネ」、匂いのする「カネ」の実感をちゃんと自分に叩き込んでおく。そういう金銭感覚が、いざというときの自分の判断の基準になってくれるからね。(p.158)

 お金との接し方は、人との接し方に反映する。お金って、つまり「人間関係」のことでもあるんだよ。(p.170)

 「カネについて口にするのははしたない」という教えも、ある意味、「金銭教育」だと思う。でも、子どもが小さいときからそういった「教え」を刷り込むことで、得をする誰かがいるんだろうか? いる、とわたしは思う。従業員が従順で、欲の張らない人たちばっかりだと、会社の経営者は喜ぶよね。「働き者で欲がなく、文句を言わない」というのがまるで日本人の美徳のひとつみたいに言われてきたけど、それって働かせる側にしたら、使い勝手がいい最高の「働き手」じゃないかな。そういう人間が育つように戦後の学校教育ってあったって思うし、そういう人間を使うことで日本の経済成長もあったと思うけど、もう、単純な経済成長なんか見込めないような今の時代に、そんな金銭教育のままでいいんだろうか。(p.175~176)

 自分とちがう境遇の人の立場や気持ちを想像することができない、想像力の欠如っていうのも、「人を人でなくしてしまうもの」のひとつかもしれないね。そして、それは「カネ」が生み出す格差の中にも潜んでいるものだと思う。(p.181)

 日本では年間で三万人もの人が自殺をしているという。この数字は先進国の中でも異様な数なんだって。日本の交通事故死者数が年間で五千人というから、その六倍もの人が自殺を選んでいる。それを思うと、銃声の音は聞こえないけど、「日本にもかたちのちがう戦場があるのかもしれない」って思う。(p.191)

 「自分がやりたいことがわからない」という人は、やみくもに手探りをするよりも、このふたつの「あいだ」に自分の落としどころを探してみたらどうだろう。「カネとストレス」、「カネとやりがい」の真ん中に、自分にとっての「バランス」がいいところを、探す。それでも、もし「仕事」や「働くこと」に対するイメージがぼんやりするならば、「人に喜ばれる」という視点で考えるといいんじゃないかな。自分がした仕事で人に喜んでもらえると、疲れなんてふっとんじゃうからね。(p.198)

 …何代も何代も、貧しさがとぎれることなく、ずーっとつづいていく。そうなると、人ってね、人生の早い段階で、「考える」ということをやめてしまう。「やめてしまう」というか、人は貧しさによって、何事かを考えようという気力を、よってたかって奪われてしまうんだよ。…考えることを諦めてしまうなんて、人が人であることを諦めてしまうにも、等しい。だけど、それが、あまりにも過酷な環境をしのいでいくための唯一の教えになってしまう。(p.215)

 働くことが希望になる―。人は、みな、そうあってほしい。これはわたしの切なる願いでもある。覚えておいて。どんなときでも、働くこと、働きつづけることが「希望」になる、ってことを。ときには休んでもいい。でも、自分から外へ出て、手足を動かして、心で感じることだけは、諦めないで。これが、わたしの、たったひとつの「説法」です。人が人であることをやめないために、人は働くんだよ。働くことが生きることなんだよ。どうか、それを忘れないで。(p.235)

by sabasaba13 | 2010-04-23 06:25 | | Comments(0)

言葉の花綵27

 ロバと王様とわたし、明日はみんな死ぬ。
 ロバは飢えて、王様は退屈で、わたしは恋で。(ジャック・プレヴェール)

 きみの人生はおもしろいか。きみの人生は生き生きとしているか。
 ぼくは断乎として、この二つの質問をきみに提出する。(ボリス・ヴィアン)

 私は猫がきらいな人間をどうしても好きにはなれなかった。

 猫はあまり明るいところのない生活のなかであなただけが唯一の光明であるみたいにけっしてふるまったりしないのだ。(レイモンド・チャンドラー)

 われわれをして一日を慎重に過ごさしめよ。(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー)

 人生にはお説教をうけるまえに、食べるものと愛がまず必要だ。(ビリー・ホリディ)

 ぼくは二十歳だった。それが人の一生で一番うつくしい年齢だなどと誰にもいわせない。(ポール・ニザン)   

 インドはイギリスに政治的に支配されていることが問題なのではない。ただイギリスを追い払って、日露戦争後の日本のように富強の独立国を作り、強い軍隊を持つのが良いというのなら、それはイギリス人のいないイギリスをつくるだけではないか。問題はそこにはない。真の問題は近代文明にあるのだ。
 近代文明とは何か。それは肉体的欲望の増進を文明の表徴とみる思想に基づいている。西洋近代の基本問題は、肉体的欲望を解放したことにある。無制限の生産をたたえ、無制限の消費を歓迎した。できるだけ手足を使わずに遠くまで行くこと、できるだけ多くの種類の食べ物を食べること、できるだけ多くの種類の衣服を着ること。このように肉体的な欲望をできるだけ満足させることを進歩だと考える思想では、真の独立はありえない。われわれが打ち立てるべきインドの自治とは、真の文明なのであり、真の文明とは、徳のありかという意味である。真の文明は、肉体的欲望の自制に基づくものでなければならない。生産だけではなく、むしろ消費に注目するとき、その暴力性を批判できる。人間は知っている技術を必ずしもすべて使うべきではない。そのことをインド古来の文明は教えている。(マハートマ・ガンディー)

 裏ずまひふれど此家は風情あり質の流れに借金の山 (三遊亭圓遊?)

 イヨイヨ楽シイ夏休ミガ来タ。悪イコトサエシナケレバ何ヲシ暮ラシテモヨイ。(尋常小学校「休暇中ノ心得」(1922))

 他の人たちと共有しているものを犯すと、お前は生きていけないよ。(妹尾河童)

 健全な植物、動物社会が成立つ鍵は、《多様性》ということなのだ。(チャールズ・エルトン)
by sabasaba13 | 2010-04-22 06:27 | 言葉の花綵 | Comments(0)

下館・益子編(7):益子陶芸美術館(09.8)

 さてそれでは目抜き通りからすこし坂をのぼった高台にある益子陶芸美術館へ行ってみますか。常設の展示室では、濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチらの手による馥郁たる名品に出会えました。そうです、益子といったら濱田庄司、濱田庄司といったら益子です。スーパーニッポニカ(小学館)から引用しましょう。
 浜田庄司(1894―1978) 陶芸家。神奈川県川崎生まれ。15歳のときルノアールのことばに触発されて工芸を志し、1913年(大正2)東京高等工業学校窯業科に入学。板谷波山に師事し、先輩の河井寛次郎を知る。のち京都市立陶磁器試験場に入所し釉(うわぐすり)の研究を行う。20年、在日中のバーナード・リーチに同行して渡英し親交を深め、24年帰国後、栃木県益子に築窯。同地の陶土や釉薬を基本として無作為ともみえる加飾を重厚な器に施した質朴雄勁な作風を確立し、35年(昭和10)には独自の様式を完成した。また、大正末期より柳宗悦らと民芸運動を推進し、62年(昭和37)には柳の後を継いで日本民芸館館長に就任。55年には民芸陶器の重要無形文化財保持者に認定され、68年には文化勲章を受章。益子に没。多くの作品は同地の益子参考館に陳列されている。
 さきほど拝見した板谷波山の器には緻密で求心的な美を感じましたが、濱田庄司の器からは天衣無縫な躍動感が伝わってきます。桂文楽と古今亭志ん生、ジョン・コルトレーンとソニー・ロリンズ、王貞治と長嶋茂雄、イワン・レンドルとジョン・マッケンローといういいかげんな対比を思いついてしまいました。さて、なぜ濱田庄司は益子を作陶の地として選んだのか。美術館に解説があったので紹介しますと、当時の濱田はイギリスから帰国したばかりで陶芸界の寵児でした。畏友の河井寛次郎も、京都など陶芸の先進地で活躍すべきだと猛反対したそうです。益子といえば、生活雑器を関東一円に出荷する無名の地。鑑賞するものよりも日常使うものに美を求め、作り手の健康的な暮らしから真の美は生まれると考えた濱田は、それだからこそここを選んだのですね。「京都で道をみつけ、英国ではじまり、沖縄で学び、益子で育った」、彼の言です。企画展では第七回濱田庄司・加守田章二益子陶芸展受賞者展が開かれており、斬新な意匠の器の数々を堪能。二階では益子焼の歴史についての展示があります。それによると、益子焼の創業は江戸時代末期、黒羽藩が保護・奨励したことで盛んになります。主に生活雑器が中心で、ナコソと呼ばれる鮫肌釉の土瓶が有名ですね。また駅弁とともに販売されたお茶の容器の東日本唯一の生産地でもありました。そして濱田庄司の影響で、民芸陶器づくりが活発となり飲食器や花器もつくられるようになります。現在では原土の不足という問題を抱えながらも、耐熱容器の試作などへのチャレンジが行われているそうです。そうそう、階段踊り場に何気なく飾られている清水登之の「陶土の丘」もお見逃しなく。さて喫茶室で珈琲をいただいていると、濱田庄司の志を継ぐ浜田製陶所がつくった器を展示・販売するコーナーが近くにありました。値段も手頃だし、寝酒のウィスキー用にきれいな蕎麦猪口をひとつ購入しました。なお、今当該のサイトを見ていてわかったのですが、こちらには濱田庄司の旧宅が移築保存されていました。奥の方にあったので気づかなかったなあ、不覚。再訪を期しましょう。
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by sabasaba13 | 2010-04-21 06:25 | 関東 | Comments(0)

下館・益子編(6):益子(09.8)

 この真岡鐵道が素晴らしいのは、駅で自転車を借りられることです。さっそく拝借し、駅前にある観光案内所で地図を入手、それではさっそく徘徊をはじめましょう。手ずから焼き物をつくるわけでもなく、また特別な素養もないのですが、窯場めぐりはけっこう好きです。これまでも、清水、備前、瀬戸、唐津、信楽、壺屋、伊賀、常滑有田笠間と経巡ってきましたが、独特の雰囲気と情緒を楽しめました。林立する煙突、陶片をはめこんだ土壁や道、職住一体の濃密なオーラ、職人たちの息遣い、いいものです。(なお「日本やきもの紀行」[とんぼの本 新潮社]がお薦め) 今回も益子に期待したのですが… 山口高志のコントロールのように外してしまいました。自転車でしばらく走ると、真新しい直線道路の両脇に、焼き物店が建ち並んでいますが、ただそれだけ。窯場の風情も、職人の息吹も感じられません。塵もゴミも、その地独自の匂いも、その地を愛する人々の思いも、何もない、郊外に突如つくられたショッピング・モールのようです。
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 その無機的な雰囲気の中を、年配女性の集団がまるで蝶のようにお土産を求めて飛び交っていました。ま、現地にやってきて、身銭を切って、自分のセンスと決断で好きな物を買うのですから、結構なことです。憶測ですが、現在の日本のGDPを相当部分で担っているのが、年配女性の購買力ではないでしょうか。ここでふと思い出したのが、つい最近読んだ「命の値段が高すぎる! -医療の貧困」(永田宏 ちくま新書792)という本です。メタボリック・シンドロームのいかがわしさについては、以前に「メタボの罠」(大櫛陽一 角川SSC新書002)の書評で紹介しましたが、どうしても腑に落ちなかったのが、基準となるウエスト周囲径の男女差です。男性が85cmで女性が90cm、女性の基準値の方が大きいのは日本だけ。何故? 永田氏はこう述べられています。
 食産業にとって、とりわけ外食産業や中食産業にとって、女性のほうが男性よりも断然上客である。しかも最大のターゲットは中高年女性と決まっている。…
 それだけではない。中高年女性は旅行好きである。温泉に泊まって美食を満喫し、観光しながら名物を食べ、しかもお土産として食料品を大量に購入し、現地に確実にお金を落としてくれる。
 彼女たちが食べ続けてくれるおかげで、日本のGDPの何パーセントかが保たれているのは間違いない。そのような理由から、女性の基準が大幅に緩められたと考えてみるのは不自然なことだろうか。(p.127~128)
 氏の推測ですがこれは鋭い。国民の健康など歯牙にもかけず屁とも思わず、己の業績アップと責任逃れしか眼中にない厚生労働省の官僚諸氏ならやりかねません。閑話休題。そろそろお腹がへってきたので、「壷々炉(こころ)」というレストランに入りました。チキンソテーを注文し、できあがりを待つ間、店内で販売しているいろいろな益子焼の器を物色。うーむいまひとつ心を魅かれないなあ。そしてなかなか美味しいチキンソテーをいただきましたが、もちろん器はすべて益子焼。
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by sabasaba13 | 2010-04-20 06:29 | 関東 | Comments(0)