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「カレチ」

 「カレチ」(池田邦彦 講談社)読了。週刊モーニングに読み切りでときどき掲載される漫画ですが、不肖私その存在に気づきませんでした。「おもしろいぞよ」という山ノ神の託宣により、ためしに読んでみたところこれが面白い。彼女の炯眼に深く頭を垂れます。裏表紙の紹介が簡にして要を得ているので引用します。「昭和40年代後半、大阪車掌区―。乗客のために一生懸命になりすぎる新米カレチ・荻野の奮闘と成長を描く、懐かしさ一杯の読み切りシリーズ!」 補足しますと、カレチとは、客扱専務車掌を示す略号で、特急や急行に乗務して案内や車内改札などお客さんに接する仕事をする方です。「カ」は旅客の「カ」、「レチ」は列車長(明治時代の称号)を縮めたもの。まず絵がいいですね、スクリーントーンを多用せず、質朴で飾らないタッチと描線には心癒されます。そして彼を中心に、車掌、運転士、駅長、荷物扱など、鉄道業務を支えるプロフェッショナルたちの、「お客さんのために尽くす」「鉄道ちゅうのは人を助けるもんや」という一念に支えられた仕事ぶりには心震えます。そして普段われわれの眼にはなかなか入らない鉄道マンたちの具体的な仕事についてもわかるというおまけつき。
 家出をした娘が危篤の母親に会いにかけつけますが、大雪のため列車は遅延。弥彦線の乗り継ぎ列車に待っていてもらうには、乗り換えする客がある程度必要ですが、とても足りません。さあ彼女を乗せるにはどうすればいい? 職を賭けて虚偽に水増しした乗り換え人数を連絡して、待っていてもらうのか、さあどうするカレチ? とまあこんなふうに、助けを求める客、仕事上の責任との軋轢に悩む鉄道マン、豊富な知識に裏打ちされた鉄道業務の描写、そして最後の大団円と、どの短編もいずれ劣らぬ出来具合。利潤と経営効率のために労働者を競い合わせ、その誇りを奪い、無責任さを瀰漫させ、協力関係を分断し、無情な世界を現出させた今だからこそ、心に残る漫画です。読後の何ともいえない爽快感は格別、池田氏には感謝の意を込めて柳宗悦の言葉を贈ります。
涙もろい人情のみがこの世に平和を齎らすのである。

by sabasaba13 | 2010-07-28 06:15 | | Comments(0)

「大人のための近現代史 19世紀編」

 「大人のための近現代史 19世紀編」(三谷博/並木頼寿/月脚達彦編 東京大学出版会)読了。本書の狙いは、読み応えのある東アジアの近現代地域史です。日本・朝鮮・中国を研究している歴史家たちによる研究会において、いかに他国の歴史に関して無知・無関心であったかをお互いに思い知り、やがて会を重ねることにより個別社会を越えた東アジア全体の地域史像が生成されていったと著者諸氏は述べられています。隣接領域の研究者が論議を重ねるという、素人目には当然すべきことがなぜ行なわれないのかという素朴な疑問もありますが、その結果がこうした本となって結実したことは大変嬉しく思います。蒙を啓かれること多々あり、勉強になりました。とても一言で紹介できませんが、一つだけ引用します。
 日本人とロシア人は、江戸湾でのアメリカ艦船、またクリミアのセヴァストポールでのイギリス艦船によって、ほぼ同時に心に深手を負い、多面にわたる大規模な改革に着手した。2度にわたるアヘン戦争に敗れた中国人もまたこの不可避の選択をせざるをえなかったが、その改革はより優柔不断で効果の乏しいものとなった。これらの改革は、ロシアでは「大改革」、日本では明治維新、中国では同治改革として知られ、いずれも1860年代から1870年代にかけて実行されて、80年代から90年代にかけての工業的発展の基礎を築いている。ロシア・中国・日本の3者関係は、その直接の関係を見るだけでなく、相互に比較することによって、より深く理解できるだろう。(p.205)
 なるほどロシアも中国も日本と同様に、欧米列強の強大な軍事力に敗れてトラウマを負ったのですね。当然と言えば当然ですが、こうして視点には恥ずかしながら気がつきませんでした。知らず知らずにうちに、自国中心的な史観の陥穽にはまっていたのだなと反省しています。中国、朝鮮、ロシアの近代史に関する多くの知見を得ることができました。また日本の近代史に関しても、己の知識がいかにステロタイプ的なものであったのかをたびたび思い知らされました。例えば、膨大な費用を使って地球の裏側に来たにもかかわらず、最小限の成果しかあげられなかったペリー(p.99)、ペリー艦隊来航の折には緊急避難の策を取り、その後には基本政策を開国に逆転させた阿部正弘(p.100)、今後の日本は、戦争自体を止めさせるという、より高い次元で積極的に行動し、世界全体に秩序をもたらす「世界の世話やき」国家になるべきだと主張した横井小楠(p.110)、「主権線・利益線」演説において、ロシアの進出を阻止するには朝鮮の中立化が必要であるとし、そのためにイギリスやドイツと連合し、日清も提携して朝鮮の保全を図ろうと、他力に依存する外交方策を唱えた山県有朋(p.232)。
 また現在の世界を揺るがしているいわゆる「原理主義運動」と、幕末日本における攘夷論の比較など、あっと言うような斬新な視角にも出会えます。20世紀編も近々上梓されるそうで、今から楽しみにしています。
by sabasaba13 | 2010-07-27 06:24 | | Comments(0)

言葉の花綵33

 小生は日本の現状に満足せず。と同時に、浅層軽薄なる所謂非愛国者の徒にも加担する能はず候。在来の倫理思想を排するものは、更に一層深大なる倫理思想を有する者ならざる可らず。亦(しか)して現在の日本を愛する能はざる者は、また更に一層真に日本を愛する者ならざる可らず。(石川啄木)

 自ら得意になる勿れ。自ら棄つる勿れ。黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼する勿れ。真面目に考へよ。誠実に語れ。摯実に行なへ… (夏目漱石)

 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。(ユネスコ憲章)

 王は両院で可決して持って来られたら、自分自身の死刑執行書にも署名しなければならない。(オックスフォード卿)

 小国寡民、その食を甘しとし、その服を美しとし、その居に安んじ、その俗を楽しむ。(老子)

 丸山真男は、民主主義の根幹を成す思考方法として「他者感覚」という造語を用い、「相手の身になって考えること」、「相手の真意と、主張の依って来る所以を正しく理解すること」の大切さを説き続けて倦むところなかった。(中野雄)

 絵から「粗雑」という病気を取り除かなければならない。「稚拙」も「未熟」でもいい。「粗雑」とは心の病である。(小倉遊亀)

 悪魔パーピマンがいった、
「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執着するもとのものは喜びである。執着するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。」
 師は答えた。
「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するもとのものである。執着するもとのもののない人は、憂うることがない。」(『ブッダのことば スッタニパーダ』)

 われわれが批判すべき相手は、なにかをつくりだそうという欲望を資本の流れへとすべて回収し、還元しようとするあるおぞましい制度であり、その欲望そのものではない。(上野俊哉/毛利嘉孝)

 おい、オレの不安はどこへ行ったんだ。(オリバー・カーン)

 戦争は、人類の宿命ではない。(佐原真)

 風起すちからうせてもしふうちは またふさはしき鍋のした敷 (山上卓樹)

 絶望の中にも焼け付くような快感がある。(ドストエフスキー)

 民主主義の利点は、極めて非能率な側面を持つにもかかわらず「大きな失敗」を避けることができる点にある。それは、小さな失敗を絶えず補整していく仕組みに他ならない。(金子勝)
by sabasaba13 | 2010-07-26 06:24 | 言葉の花綵 | Comments(0)

グリーン・モンスター

法善寺横丁水かけ不動
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千葉県木更津
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山梨県甲府
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千葉県館山
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佐賀県伊万里川南造船所
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山形県酒田
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東京都世田谷区上町
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鳥取県米子
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鳥取県鳥取
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対馬厳原
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北海道小樽
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茨城県石岡
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茨城県土浦
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茨城県土浦
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茨城県土浦
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by sabasaba13 | 2010-07-25 07:39 | 写真館 | Comments(0)

五島・対馬・壱岐編(18):厳原(09.9)

 それではまず江戸時代の面影を残すという浜町小路・十王小路・大町通りに囲まれた路地裏を彷徨ってみますか。すたすた。なるほど、小さなお堂に鎮座するお地蔵さまをよく街角で見かけます。手作りのものが多く、涎掛けには子どもの名前と年齢が書かれていました。七歳になる前に死んだ子どもを地蔵菩薩がみちびいてくれるという民間信仰は聞いたことがありますが、どうやら生死にかかわらず子どもの守り神として信仰されているようです。地蔵盆も行われているのかもしれません。
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 もう一つ、よく目にするのが石垣や煉瓦の塀です。防火のためでしょうが、その中でも町割りの線に沿い家と家の間に設けられた、類焼を防ぐために高く築かれた石積みの防火壁「火切」には眼を瞠りました。中でも天保十五年という刻銘のある今屋敷の防火壁の石組みはみごとな職人芸です。その解説によると、昔は江戸市中にもこうした火切があったそうですが跡形もなく消滅し、日本中で残っているのは厳原だけだそうです。火除地・広小路といった防火対策が行われていたのは知っていましたが、火切は初耳。機会を見つけて調べてみましょう。なお飛騨高山や飛騨古川では、隣家との境となる側面に延焼除けのための「火垣」を設けてある家を見かけましたが、そちらは個人的な措置のようだし、塗壁だし、「火切」とはちょっと違うようです。こうした渋い石壁・石垣や煉瓦塀があちらこちらにあるのはなかなかいい風情で、見飽きることがありません。ある程度整備すれば観光資源になるのではないかな、と思います。
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 浜町小路・十王小路・大町通りに囲まれた路地裏は、まるでメロンの皴のよう。古い民家・商家はほとんど残っていませんが、ゆるやかに湾曲し見通しのわるい小路と、火切・石垣・煉瓦塀がいい味を出しています。
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 大町通りには「世の中で一番みじめな人は平気で嘘を言い通す人である」と堂々と看板に掲げるお店がありました。その前をてこてこと歩いていく仔猫に遭遇。
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 堀のそばに佇む江口醤油は昔懐かしいレトロな雰囲気、「ここは厳原」というぶっきらぼうなホーロー看板が郷愁をそそります。
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 となりの村瀬家土蔵には竜虎の鏝絵がありますが、近くに寄って鑑賞できないのが残念でした。遠目だと竜をとりまく雲が蜂の巣に見えてしまいます。
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 中世からの船だまり跡である中矢来にあるのが、漂民屋跡。日本の沿岸に漂着した朝鮮人漂流民を丁寧に介抱し、宿泊させ、本国へ無事に送還するための拠点施設がかつてこのあたりにあったそうです。朝鮮出兵により国交が断絶した時期にも、人道的立場から継続され、その後の国交を回復させる要因にもなったとのこと。相手国の人命を尊重し困難を助けることが、善隣関係を育むためにいかに資するかを示す好例です。やはり自衛隊を国際救助隊「雷鳥」に全面的に改組するべきだと、意を強くしました。そして三心円アーチが珍しい佐野屋橋を見物。ここの通りにはかつて和泉・佐野の海産物問屋があったので、こう名づけられたとのことです。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2010-07-24 07:32 | 九州 | Comments(0)

五島・対馬・壱岐編(17):厳原(09.9)

 さあそれでは厳原彷徨です。近くの郵便局の前には、「文化八(一八一一)年 朝鮮通信使幕府接遇の地」という小さな記念碑がありましたが、そうですね、朝鮮通信使の通過地であるとともに、江戸時代において対朝鮮外交を担ったのがこの対馬藩であることも忘れてはいけない。なお今調べてみたところ、これは最後の通信使であるとともに、天明の大飢饉の影響で、江戸ではなくここ対馬で接遇した異例のケースだということです。まずは対馬歴史民俗資料館へ行きましょう。かつての藩主屋敷の門を復元した高麗門の前を通り過ぎると、大きな二つの石碑が立っています。
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 一つは「朝鮮通信使之碑」。解説を転記します。
 朝鮮通信使は、慶長一二年(一六〇七)から、文化八年(一八一一)までの間に、一二回来日した。それは、日本と李氏朝鮮との間の、善隣友好の誼(よしみ)を通わす国家外交の使節でもあり、一大文化使節でもあった。
 時に、正使以下五〇〇名にも及ぶ一行の来日は、壮麗な絵巻を成し、洗練された学問・芸術と、絢爛とした異文化の香りを伝えるものであった。
 この朝鮮通信使の、有形・無形の行跡は、現在も各地に色濃く遺り、近世、日本が鎖国の時代にも、ことばと慣習を異にしながら、誠信の心による伉礼を交した隣国と、その人々へのさらなる尊崇の情念を拡げさせる。世紀を超えて、今、新しい東アジア国際社会の構築の時に鑑み、朝鮮通信使の恒久的に有する史的意義への思いを深くするものである。
 その隣にあるのが「珠丸遭難者慰霊塔」です。この事件については浅学にしてはじめて知りました。1945(昭和20)年10月14日、大陸からの引揚げ者や復員軍人を乗せた珠丸(たままる)が厳原港を出航し博多に向かう途中、日本海軍が敷設した機雷に触れて爆沈したという事件です。たまたま読んでいた『「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年』(加藤聖文 中公新書2015)によると、10月3日に米軍のアーノルド軍政長官が在朝日本人の本国送還を発表したことを機に本格化した動きですね。本書によると死者は545人以上だそうです。(p.82) なお碑の解説では、1954(昭和29)年に起きた青函連絡船・洞爺丸の台風による座礁・沈没(死者1155名)に次ぐ大事故と記されていましたが、1945年8月24日に朝鮮人徴用工を乗せた浮島丸が朝鮮へ向かう途中、舞鶴港で爆沈した事件(死者549名)も忘れてはいけませんね。
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 やはり韓国からの観光客が多いのですね、ハングル表記の案内表示をいたるところで見かけます。そして対馬歴史民俗資料館を見学し、受付で厳原の観光地図をいただきました。
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 しかし内容の薄いし地図の表記も満足のゆくものではありません。しかたがないなあ、と思いつつ市役所方向へ歩くと、歩道のところに素晴らしい観光地図がありました。列挙しますと「路地うら探検エリア 江戸時代の迷路を楽しもう!」「江口醤油店 フーテンの寅さんシリーズ27作目のロケ地。(マドンナ:松坂慶子) 隣の土蔵のコテ絵は見事!」「佐野屋橋 美しいフォルムの橋脚(三心円アーチ橋)は国内唯一」「醴泉院 宮本常一と仲の良い住職が住んでいました」「厳原聖ヨハネ教会の中庭 武家屋敷跡の中庭が自由に見られます」「旧藩校日新館門 幕末には勤王党の拠点でした。映画監督・大島渚さんのおじいさまも学んだとか…」「源泉こんこん 江戸時代によく氾濫していた厳原本川の取水口。100年以上前に作られた石組みは一見する価値あり!」。路地裏、迷路、鏝絵、橋、宮本常一、庭、石組み、my favorite thingsばかりです。そしてかなり正確な地図表記。うん、これは使える、さっそく撮影して活用することにしましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-07-23 06:25 | 九州 | Comments(0)

五島・対馬・壱岐編(16):厳原(09.9)

 それでは対馬について、スーパーニッポニカ(小学館)から抜粋して引用しましょう。
 対馬。面積698平方キロ。博多港から壱岐を経て海路120キロにあり、北は朝鮮海峡を隔てて韓国の釜山までわずかに40キロの距離にある国境の島である。古くから大陸とわが国との文化、経済、軍事上に重要な役割を果たした。弥生遺跡や古墳や延喜式内社が多く、日本最古の銀山があった。このことは、渡来人や政府使節がもたらした文化と貿易によって得た日本の利益はとくに大きかったことを示す。そのほか、防人(7世紀)、文永・弘安の役の元寇(13世紀)、文禄・慶長の役(16世紀)、倭寇や刀伊などの歴史的背景を有する。明治以来は全島要塞地帯となり、現在では低開発地帯として島の経済・文化の停滞性が指摘される。しかし島の国際的重要性は通信や軍事のうえで示され、世界的な電波灯台をなすオメガ局・ロラン局(いずれも海上保安庁)や水中聴音器(海上自衛隊)、デッカ局(海上保安庁)などの施設があり、海上・陸上の警備隊が配置されている。人口4万8875。
 なお、「神聖喜劇」(大西巨人 光文社)の冒頭では次のように叙されています。「対馬は、日本海の西の果て、朝鮮海峡に位置し、上島、下島の二つの大島と九十あまりの小島とから成る山がちの列島である。西北は朝鮮に対し、東南は対馬海峡をへだてて壱岐ノ島に対する。上島と下島とは、近接し、北北東から南南西にむかって長く、南北七十二キロ、東西十八キロ、総面積七百三平方キロ、その大きさは、わが国の主要な島島のうち、沖縄本島、佐渡ガ島および奄美大島に次ぐ。島の中央やや東寄りを山脈が縦に走り、五百メートル前後の山山が幾重にもかさなって東海岸へ急劇に傾斜している」 この小説の主人公、藤堂太郎が所属していた対馬要塞銃砲兵連隊があった鶏知(けち)を訪れるのも、目的の一つです。
 ターミナルビル内にはハングルの記されたポスターがたくさんあり、韓国からの観光客が多いことを感じさせます。
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 そしてバスに乗り、三十分ほどで中心都市である厳原(いずはら)に到着です。さてバスからおりると、そこは何の変哲もない街の一角。観光案内所やミス対馬はおろか、案内地図や道標すら見当たりません。sigh… 観光に対する熱意に欠けるという噂は耳に入っていましたが、まさかこれほどとは。こいつは褌をしめてかからんと。交番があったので、警察官に観光案内所のありかを訊くと、「さあ、たしか市役所にあったような気もするが、今日は休日だしねえ」とのお返事。(後に休日でも開いていることが判明) しようがない、とりあえずホテルに荷物を預け、対馬歴史民俗資料館に行って厳原の観光地図を所望することにしましょう。路地に入るとやっと厳原の案内図(ハングル表記付)がありましたが、あまり正確なものではないので使えそうもありません。いちおう写真におさめておきましたが。なお「現存する主な屋敷塀・防火壁」と「お地蔵さま」が地図に表記されていたので、厳原の見ものなのでしょう。ホテルのフロントに荷物を預け外へ出ると、隣がタクシー会社でした。明日は、タクシーで一日観光を予定しているのでさっそく事務所に入り、予約をしました。八時間(一時間:3300円)で対馬全島の名所と戦争遺跡をまわるということで商談成立。
by sabasaba13 | 2010-07-22 06:30 | 九州 | Comments(0)

五島・対馬・壱岐編(15):対馬へ(09.9)

 爽やかに目覚め、カーテンを開けると曇天。天気予報によると明日からは天気が回復するとのことです。あまり期待せずに、己の信ずるままに歩き廻りましょう。雨が降らなければ御の字です。チェックアウトをして、福江港ターミナルへ向かう途中、五島高等学校男子寮を見かけました。通学の労苦が偲ばれますね、ん? ということは女子寮もあるはずだ、ああ隣りにありました、さっそく中へ…入ったら大変なことになるのでパス。後ろ髪を引かれながら(引かれるな)立去り、すこし歩くと歩道に「ちゃんここ」を描いたタイルが貼ってありました。
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 ターミナルに着いて予約しておいた便の切符を購入、すこし時間があるのでお土産屋で五島うどんを山ノ神のもとへ宅配してもらいました。7:30、ジェットフォイル「ぺがさす」は福江港を出航、♪めぐり逢いは誰もいない海、旅のはからい感謝したいのさっ♪と絶唱しているうちに、気がつけば女神大橋をくぐっているところでした。原子爆弾のターゲットであった三菱重工長崎造船所を左手に見ながら、長崎港に9:20に到着。埠頭ではちりんちりんアイスを販売中でした。
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 このターミナルの近くに、島原の乱鎮圧のためにつくった大砲の玉が野外展示されているとの情報を入手したので探してみましたが見つかりません。訊ねようにも交番はもぬけの空。いてほしい時にいなくて、いなくていい時にいる人はだーれだ? などと戯れ言をぬかしている場合ではありませぬ、飛行機の出発時刻が迫っています。
 捜索を断念して、路面電車で長崎駅に行き、駅にある観光案内所で対馬・壱岐に関するパンフレットをもらい、駅前のバス・ターミナルから空港行きのバスに飛び乗りました。45分ほどで大村湾に浮かぶ長崎空港に到着。さっそく予約をしておいた11:35発のオリエンタルエアブリッジ673便の搭乗手続きをすませました。一万五千円はちと高額ですが、なにせ長崎港から対馬へ行く船便がないのでいたしかたありません。あれっ? 対馬って長崎県じゃなかったっけ。なお「対馬にお住まいですか」と訊かれたので、対馬在住の方には割引があるのでしょう。さて朝食を抜いたので、腹の虫が大騒ぎをしています。空港の食堂でご当地B級グルメの長崎代表、トルコライスをいただきましょう。チキンライスとトンカツとナポリタンを一皿に盛り付けるという、何とも大人気ない一品ですが、まあ、その、ええと、私けっこう好きなんです。ふう。そしてプロペラ機に搭乗、残念ながら雲があつくたれこめているため、視界は良くありません。
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 それでも時々雲の切れ間から島を見ることができました。三菱の形をして橋がかかっている島を撮影しましたが、今調べてみたところ、唐津の沖合にある鷹島でした。そして対馬やまねこ空港が近づいてきましたが、素晴らしい多島海である浅茅湾は右の席に坐らないと見えないようです。そして12:10に無事着陸。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-07-21 06:25 | 九州 | Comments(0)

五島・対馬・壱岐編(14):堂崎教会(09.9)

 福江港に到着したのが16:15、予定どおり堂崎教会に行くことにしましょう。レンタ・サイクル(貞方自転車 五島市開田町 72-2825)を利用することも考えましたが、時刻も遅いし、ちょっと遠いし、あいかわらず小雨が降っているので、タクシーを選択。ターミナル前で客待ちをしていたタクシーに乗り込みました。途中の奥浦港を走り抜けた時、ここから旧五輪教会のある久賀島に行く船が出るのだと教えてくれました。今回は時間の都合で訪問を断念したのですが、1881(明治14)年につくられた、外観は和風建築でありながら、内部はゴシック様式という明治初期の教会堂建築史を物語る貴重な教会です。再訪を期しましょう。なお歌手の五輪真弓のご両親がこの五輪地区出身で、彼女の芸名はここからつけたそうです。そして十分強で堂崎教会に到着です。1879(明治12)年、禁教令解除後の五島における最初の教会として設立され、キリシタン復活の拠点として、小ヴァチカン的な役割を果たしてきました。赤煉瓦造り、ゴシック様式の現在の天主堂は、1908(明治41)年に五島初の本格的洋風建造物として建てられたものだそうです。忘れてはいけないのが、マルマン神父の福祉事業。彼は布教と同時に貧しい子供たちの救済に乗り出し、これが後の奥浦慈恵院のおこりとなります。さあそれでは入館料を払って見学することにしましょう。設計はマルマン神父の後任でありペルー神父によるもので、鉄川与助も副棟梁格として参加したと言われているそうです。イタリアから運ばれたという赤煉瓦でつくられたゴシック様式の建築で、均衡のとれた正面部分はなかなかの見ものです。中央の鐘楼はすこしせり出しており、切妻屋根が架せられているのは珍しいですね。内部はリブ・ヴォールト天井で、花をデザインした愛らしいステンドグラスが印象的でした。なお現在では教会堂として使用されておらず、キリシタン関係の資料館となっています。
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 すぐ前にあるのは、マルマン神父と後任のペルー神父の像。そして近くには、1597(慶長元)年、豊臣秀吉のキリシタン禁令のため長崎で処刑された日本二十六聖人の一人で、この島出身であったヨハネ五島の磔刑像がありました。
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 なお教会のすぐそばまで入り江が迫っていますが、昔、信者たちは舟に乗ってここまでやってきたそうです。というわけで、本日の教会めぐりはここで終わりです。長い長い江戸時代を通して堅く信仰を守り抜いた信徒たちの意思、そして明治以降、信仰が公認されたことの喜びを教会という形で爆発させたその思い、すこしわかったような気がします。ただ一つ心に残ったのは、幕府や諸藩は隠れキリシタンが存在することにほんとうに気づかなかったのか、ということです。後日、読み直した「沈黙」(遠藤周作 新潮文庫)に、取り調べの役人が語る、次のような一文がありました。「パードレは知るまいが、五島や生月島にはいまだ切支丹の門徒衆と称する百姓どもがあまた残っておる。しかし奉行所ではもう捕える気がない… あれはもはや根が断たれておる。もし西方の国からこのパードレのようなお方が、まだまだ来られるなら、我々も信徒たちを捕えずばなるまいが… …しかしその懸念もない。根が断たれれば茎も葉も腐るが道理。それが証拠には、五島や生月の百姓たちがひそかに奉じておるデウスは切支丹のデウスと次第に似ても似つかぬものになっておる… やがてパードレたちが運んだ切支丹は、その元から離れて得体の知れぬものとなっていこう… 日本とはこういう国だ。どうにもならぬ。なあ、パードレ」(p.289~290) もしそうだとしたら、彼ら/彼女らが信じた教えとは何だったのか、そして近代以降やってきた神父たちはそれに対してどう対峙したのか、重い宿題として脳裡に刻んでおきましょう。
 待っていてもらったタクシーに乗り込み、しばし運転手さんと四方山話。カトリックの信者は中通島では約50%、この福江島では約20%に達するそうです。噂の五島牛の美味しい店を訊ねたところ、サシが少ないのでステーキより焼肉がいいよ、ということで「ぎあら(※牛の第4胃袋の意)」という店を薦めてくれました。よし、のった。福江の中心部にある当該の店の前でおろしてもらい、さっそく入店。お薦めの品を店の方に聞くと、「幻の五島牛肉」とのお返事。うーん、ちょっと値段がはりますが、いいやっ。旅に行き、美しいものや面白いものや怪しいものを見て、美味しいものを食べるために、粉骨砕身働いているのだから、二人前食べちまおう。そしてさまざまな部位の五島牛肉が大皿に乗せられて登場。炭火でちょいと炙って口に入れたとたん、その豊穣にして玄妙な味にうちのめされました。瞬時にして意識が飛び、エンドルフィンがぴしぴしと(以下略) いやあ、一日に二回もイーターズ・ハイになって罰が当たらないものだろうかと心配になりましたが、当たらないよね、たぶん。なお私はたまたま飛び込みでもOKでしたが、人気店なので予約をしておいた方がよさそうです。
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 そしてホテルに戻り、麦焼酎「壱岐」をちびりちびり飲みながら、明日の旅程を確認。朝一番のジェットフォイルで長崎に行き、長崎空港から空路対馬へ、午後は厳原散策という予定です。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-07-20 06:29 | 九州 | Comments(0)

五島・対馬・壱岐編(13):旧鯛ノ浦教会(09.9)

 頭ヶ島大橋のところで停めてもらい写真を撮影。
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 そして二十分ほどで旧鯛ノ浦教会に到着です。この地も、寛政期に大村藩外海の出津浜から逃れてきた信者たちが居付き、その後隠れキリシタンとして秘かに生活していたところです。そして禁教政策を受け継いだ明治新政府のもとでキリシタン弾圧は巌しさを増し、ここ鯛ノ浦では1870(明治3)年に「鯛之浦の六人斬り」と言われる残忍で痛ましい事件が起きました。新しい刀の試し切りと称して、胎児を含む二家族六人が有川村の郷士に殺害されたというものです。下手人の郷士四人は切腹を命じられましたが、福江藩による迫害はますますエスカレートしていきました。禁教令の廃止後、ようやく落ち着きを取り戻し、1903 (明治 36)年にペルー神父の指導によりつくられたのがこの旧聖堂です。なお1979(昭和 54)年に現在の教会堂が出来てからは、図書室その他宗教教育施設として保存されています。なお、改造時に窓枠の裏側から鉄川与助の墨書が見つかったと伝えられているので、彼が建設に関わっていた可能性もあります。木造、切妻の瓦屋根に煉瓦造りの鐘楼という、ユニークな外観です。内部はリブ・ヴォールト天井、ステンドガラスの意匠は、まるでモンドリアンの絵のようなモダンなものです。
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 それでは最後の目的地、福見教会に向かいましょう。運転手さんは裏道を行くと宣言、ま、地元の方の選択ですから否も応もなく信じるしかありません。ところが、羊腸の如く急カーブが続く山腹の細い道、思ったよりも時間がかかります。おまけに降り続く小糠雨で路面は濡れています。ずりっ おっと後ろのタイヤがスリップしました。「驚きましたか」「ええまあ」「私もです」 おいおい。「経費節約のためタイヤを使い古していますが、そろそろ変えたほうがいいようです」 おいおいおいおい。これまで饒舌だった運転手さんが寡黙となり、笑みが消え、しきりに腕時計を気にしています。これはやばい、身の危険を察し「15:05のフェリーに乗り遅れたら、二時間後のジェットフォイルに乗りますから大丈夫ですよ」ととりなしましたが、スピードは落ちません。十字をきって主に祈るのみです。そして福見教会に到着、運転手さん申し訳なさそうに曰く「すこし急いでいただけると助かるのですが…」 わかりました、タッチ・アンド・ゴーで見てきます。ここ福見の信者も寛政から文化年間にかけて大村藩外海の樫山地区等から移り住んだキリシタンを先祖としています。明治初年から厳しくなったキリシタン弾圧から逃れるため、部落をあげて黒島や生月などへ離村し、苦難を乗り越えようやく帰村すると、家財道具から衣類や農具にいたるまで全てが郷民に略奪されており、住める家は無かったそうです。ようやく信仰の自由を取り戻した信者たちは、明治10年代に最初の木造教会堂を作り上げますが、間もなく大風により崩壊してしまいます。その後、二度と倒れぬようにという決意のもと、この煉瓦造りの教会堂が1924(大正13)年に完成します。なおこの地は住民の 98 %がキリスト教徒であり、町内はもとより島内でも有数のキリシタン集落だということです。ゆっくり拝見する時間がなかったのですが、内部の船底天井がたいへん珍しいですね。
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 小走りにタクシーに戻って、出発。時刻は14:46、残された時間はわずか19分、出航三十分前でないとチケットは購入できないので、手元にはありません。それを買う時間を考えると、ぎりぎりの時間でしょう。ペペ・ラセールのようにアクセルを踏み込む運転手さん、赤馬ユキのように目をつむり無事を祈る私。ヘアピン・カーブを四速で駆け抜け、前を走るロータスEliseSにテール・トゥ・ノーズでくらいつき、コーナーで強引にインをつき抜き去っていきました。(このへんは全部嘘) おおチェッカー・フラッグが見えた! 出航七分前に奈良尾港ターミナルに到着、お代を支払い(※たしか四時間で一万三千円ちょっと)、丁重に礼を言い、窓口で切符を購入し、カー・フェリーに飛び込みました。セーフ! フェリーですのでデッキに出ることができますので、潮風をあび移り行く島影を眺めながら小一時間ほどの船旅を満喫しました。おっ、向こうから疾走してくるのはジェットフォイルではありませんか。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2010-07-19 08:21 | 九州 | Comments(0)