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南東北錦秋編(26):厳美渓(09.10)

 バス停の近くにタクシー会社の営業所があったので、足の便については一安心。天工橋を渡って大きなお土産屋さんに入りコインロッカーの在り処を訊ねたところ、ないというつれないお返事。しかし預かってくれるというので、ご好意に甘えることにしました。渓谷を一望できる東屋におりると、これは絶景です。切り立つような数多の巨岩・奇岩と、そこを切り裂くように流れゆく清らかな急流。残念ながら曇天のため水や岩の色がくすんでおり、また紅葉も盛りを過ぎたようで、感銘はいまひとつでしたが。遊歩道を歩いて御覧場橋を渡り、対岸にある東屋からしばし渓谷美を楽しみました。
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 なお春には伊達政宗が植えたという貞山桜(政宗の雅号より)が咲き乱れ、それはそれは素晴らしい眺めだそうです。再訪を期しましょう。そしてさきほどのお土産屋さんへ、荷物を引き取ろうとしたその時、内なる声が脳裡に鳴り響きました。「人の道を踏み外すな」「桃太郎侍に切られるぞ」「マルクス・アウレリウス・アントニヌスの言葉を思い出せ」 はい。軽くて安くて適当なお値段のお土産を物色した結果、わさび漬けを購入、丁重にお礼を言って荷物を引き取りました。そして電話でタクシーを呼んでもらい、すぐにやってきたタクシーに乗車。
 ここから十数分で平泉駅に到着です。今に雨か雪が降りそうな気配ですが、己の強運と山ノ神の愛を信じ、駅のすぐ隣で自転車を借りることにしました。係の方が良い方で、懇切丁寧に観光ルートを教授してくれた上に、荷物を預かってあげようと嬉しいオファーまでしてくれました。そしてサドルにまたがり、まずは平泉駅へ。
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 羹に懲りて膾を吹く、山形新幹線で懲りたので、大宮までの新幹線の指定席を押さえておきました。そして駅舎を撮影、「平泉駅」という字を揮毫したのは今東光氏なのですね。今調べたところ、彼は中尊寺の貫主を務めたことがあるそうです。近くには、ライオンズクラブが寄贈した、鏡とライオンのついた大仰な水飲み場がありました。
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 そしてここでもご当地ポストをゲット。しかし、この青銅でできた扇のようなものは一体何なのだ??? これは後で中尊寺を見物してわかったのですが、寺宝の金銅華鬘(こんどうけまん)でした。その歴史と重量の重さにつぶされそうな華奢なポストがちょっと可哀そう。それにしても、お金が投げ込まれているのは興味深い現象ですね。立派そうに見えるものに賽銭をあげて幸を期待するという民間信仰なのでしょうか。
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 さてそれではスーパーニッポニカ(小学館)に依拠して平泉を紹介しましょう。
 801(延暦20)年坂上田村麻呂の蝦夷征討以来、奥州鎮定の要所の一つとなった。その後安倍頼時がこの地方を領し、前九年・後三年の役後の1094(嘉保1)年、頼時の外孫藤原清衡が居館を豊田城から平泉に移し平泉館(たて)とよばれる政庁を構え、奥州・出羽の支配権を確立した。以後1189(文治5)年、源頼朝に滅ぼされるまで清衡、基衡、秀衡の3代100年にわたる平泉文化が花開くことになる。藤原氏滅亡後は鎌倉御家人の葛西氏らによる支配を経て、江戸時代は仙台藩伊達氏の所領となった。清衡は中尊寺を、基衡は毛越寺を、基衡の妻は観自在王院を、秀衡は無量光院を建立し、建物はほとんど焼失したが、現在も多くの史跡がある。
 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2010-10-31 07:43 | 東北 | Comments(0)

南東北錦秋編(25):厳美渓へ(09.10)

 さて、列車の到着まですこし間があるので、ここいらで昼食をとることにしましょう。近くの食堂に入り、鮎の塩焼き定食を所望。もぐもぐと食べながら以後の旅程を確認。さてそれでは駅へと行きますか。隣のお土産屋さんで「魚のエサ 1ヶ¥50」を発見しましたが、遅かりし由良之助。みなさんは、出かけるときには忘れずに。
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 駅に着いて列車を待っている間、ホームをうろうろしていると、「菅公夫人の墓」という看板がありました。この駅の近くに(といっても駅から11kmのところ)、菅原道真夫人ゆかりの地「東山」があるそうです。菅公フリークのための耳寄り情報でした。12:00に列車は入線、そして12:30に一ノ関駅に到着です。
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 駅前には「大槻三賢人の像」がありました。蘭学の入門書「蘭学階梯」を著し日本初の蘭学塾「芝蘭堂」を開いた大槻玄沢、その次男で、開国を唱えた儒学者として活躍した大槻磐渓、その三男で「言海」を著した大槻文彦、一関出身のこの三人を顕彰した碑です。そしてひさしぶりのご当地ポストを発見。一関名物のおしどりがちょこんと鎮座しておりました。
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 バス停の近くに観光案内所があったので、厳美渓のパンフレットとバスの時刻表をいただきました。厳美渓から平泉に直行するバスは残念ながら土日休のみの運行です。よって当初の予定通り、バスで厳美渓まで行き、見物した後にタクシーで平泉に行くことにしましょう。やってきたバスに乗ること、約20分で厳美渓に到着。スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
 岩手県南西部、一関市西部にある磐井川の渓谷。岩手・秋田・宮城県境の栗駒山に源を発する磐井川が石英粗面岩の谷床を侵食し、急流の水食作用による甌穴(おうけつ)、深い淵、奇岩、四十八滝など約2キロに及ぶ渓谷景観をつくる。岩と水の美しさは格別で、大正期には日本百景の一つに選ばれ、昭和初期に国の名勝・天然記念物に指定された。
 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-10-30 08:11 | 東北 | Comments(0)

南東北錦秋編(24):猊鼻渓(09.10)

 途中にあったのが、洞窟の中に毘沙門天を祀った毘沙門窟。舟から投げたお賽銭がみごと賽銭箱に入ればいいことがあるとか。みなさん試されましたが、これがなかなか難しい。船頭さん曰く「私にくれれば後で入れといてあげるよ」。余談ですが、船頭さんの語りでうけたのはここだけ。これまで聞いた中では、保津川下りの船頭さんのトークがぐんばつでしたね。そして川をはさんでひときわ高く聳え立つ壮夫岩・少婦岩の間を抜けると船着場に到着です。
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 ここまで約30分、ここで上陸して約20分の自由な散策時間があります。すこし川原を歩くと、まるでおおいかぶさってくるような断崖が見えてきますが、これが大猊鼻岩。ほわあああ、こりゃ凄い。小さな橋を渡って間近に迫ると、その迫力には圧倒されます。ん? みなさん、岩にあいた穴めがけて無心に、あるいは邪念を込めて石を投げておられます。どうやらあの穴に見事的中すると良いことがあるのですね。んん? みなさん、その石を購入しているようです。販売しているところに行ってみると、五ヶ100円の「運玉」。これは素晴らしいアイデアですね、考案した方には脱帽です。
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 さてそろそろ船着場に戻ろうと振り返ると、雲が一瞬切れ、その間から陽光が差し込んできました。運玉に目もくれなかった私への自然の恩寵でしょうか(たぶん違うな)。やはり太陽の光を浴びて輝くと、自然の容貌が一味二味違います。感謝の念を込めながらひたすら撮影。そして船着場に戻り、三々五々戻ってきたみなさんとともに再び舟に乗り込みました。帰りは下りですが、やはりゆったりとしたペースで舟は進んでいきます。往きとはまた違う眺めを楽しんでいると、お待ちかね、船頭さんが「猊鼻追分」を唄ってくれました。
清き流れの砂鉄の川に
船を浮かべてさおさせば
曇りがちなる心の空もネ
晴らしてくれます獅子が鼻
探ね来て見よ岩手の空に
世にも稀なるこの景色
大船渡線に乗り換えしゃんせネ
一関より遠からず
 旅情に包まれながら、岸壁に響く唄声を聴いていると船着場に到着です。1時間20分ほどの素晴らしい小旅行、たっぷりと満喫いたしました。

 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2010-10-29 06:28 | 東北 | Comments(2)

南東北錦秋編(23):猊鼻渓(09.10)

 そして9:33に猊鼻渓駅に到着。こちらは無人駅でコインロッカーもなし、荷物をもって案内表示にしたがって十分弱歩くと猊鼻渓舟下りの乗り場に到着です。近くのお店の看板には、「舟下り駐車を無料にしておりますので、だんごの一本もお願いします」と頭を下げる福助さんが描かれていました。車を停めておかせてもらいながら団子の一本も食べない、そりゃあ人の道を踏み外す行為ですよ、桃太郎侍に切られても弁明はできません。マルクス・アウレリウス・アントニヌスだって「感謝の気持ちは物であらわせ」と言っておられるではなかとか(嘘)。
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 乗船券を買うと、幸い空いていて次の10:00発の舟に乗れることになりました。待合室で情報をチェックしていると、ここから中尊寺に直行するバスが出ているそうですが、土日祝のみ。そやつに乗れればベストなのですが残念。観光バスでやってきた方々は、用意されていたツァー用の舟に次々と乗り込んでいきます。個人旅行者は忸怩たる思いで指をくわえながら見送るだけですが、これはいたしかたないですね。自由の代償です。
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 そして時間です、十数人のお客さんとともに平たい舟に乗り込みました。はい、それでは猊鼻渓の紹介です。(スーパーニッポニカより引用)
 岩手県南部、東磐井郡東山町を流れる砂鉄川の峡谷。国指定名勝。古生層の石灰岩層が砂鉄川に侵食され、高さ10~30メートルの奇岩、絶壁が屏風のように連なった姿を水面に映し、その延長は2キロに及ぶ。断崖はヤマツツジやフジで彩られ、フジの咲くころと紅葉期はとくに美しい。岩壁の一つに一種の鍾乳石である岩のこぶがみられ、猊(獅子)の鼻に似ていることから猊鼻の名がつけられた。遊覧船もあり、竿を操る船頭の追分を聞きながら探勝するのは格別である。
 おっ珍しく個人的な感情を交えた解説ですね。

 さあ出発。流れの静かな川なので、船頭さんが上りも下りも竿で押して舟を進ませます。残念ながら予報どおり、雲がわき太陽は隠れてしまいましたが、それほど寒くないのには助かりました。底が透けて見える静謐な流れの上を、舟はゆるやかに上っていきます。まずはお決まりの記念写真の撮影、川岸に設けられた櫓にカメラマンが待機していて、手を振っています。パチリ。
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 そして左へ大きく曲がると、おおっ、絶景絶景。盛りを過ぎたとはいえ、川岸に屹立する奇岩・絶壁がまとう色あでやかな錦に目も心も奪われてしまいました。穏やかな川面にかすかに揺らぎながら映る紅葉も情趣あるもの。時々すれちがう舟からは、船頭さんの唄う追分が聴こえ、両側にそそり立つ絶壁に反響し、胸に響きます。

 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2010-10-28 06:31 | 東北 | Comments(2)

南東北錦秋編(22):気仙沼から猊鼻渓へ(09.10)

 途中にあったスーパーマーケットの自動ドアには「ドアに注意 開いたのを確かめてから」という注意書きが貼ってありました。せっかちな方が多いのでしょうか。横断歩道のところには「葦の芽幼児園」という広告がありました。葦の芽? たしか旺盛な生命力の象徴として記紀に出てきたような気が… 今、調べてみると、古事記上巻に「次に国稚く浮きし脂の如くして、水母(くらげ)なす漂える時、葦牙の如く萌え騰がる物に因りて成りませる神の名は、宇磨志阿斬詞備比古遅の神(うましあしかびひこじのかみ)」とあるそうです。子どもたちの健やかな成長を祈っての、なかなか味な命名です。
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 市会議員(?)の看板の前にこれ見よがしに並べられたゴミ袋に強靭な反骨精神を感じたり、「ロシア」と記された木箱を見て国境の町の旅情にひたったりするのは…贔屓の引き倒しですね。
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 そしてホテルに到着、ボリュームたっぷりの朝食をいただき窓から駅前を眺めながら、気仙沼のことについて思いをめぐらせてみました。
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 なぜあれだけ個性豊かな物件を建てたのか、そしてなぜ数多く残されているのか? 前者については、まずいろいろな土地をまわって見かけた最新のもの珍しい建物に対する漁師たちの好奇心によるものでしょうか。そしてそれを可能にする豊かな経済力。後者については…なぜなんでしょうね。漁業の不振によって建て替える余裕がなくなった、個性的な街並みに愛着がわいた、などが理由として思いつきますが正直に言ってよくわかりません。ただ、和洋とりまぜた古い民家・商家・商業ビルがこれだけ残っている街は、きわめて稀有だというのは間違いありません。この街に出会えた僥倖を天に感謝するとともに、まだまだ歩いていてワクワクするような素敵な街が日本のどこかで私を待っていることを確信します。ここで一首。「幾山河越えさりゆかばときめきに充ちたる街ぞけふも旅ゆく」 ごめんなさい盗作です。

 そしてチェックアウトをし、気仙沼駅からドラゴンレール大船渡線8:44発一ノ関行きの普通列車に乗り込みました。なおドラゴンレールとは、山間を通る路線が竜のように蛇行していることから名づけられたそうです。さあ出発進行、しばらくはきれいな渓流に沿って列車は走ります。
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 そして空高い秋晴れのもと、鈍行列車は嬉しそうに山里を縫って走っていきます。もうそろそろ稲刈りが終わる頃、あちこちの田んぼで、はさかけの準備や、刈り取った稲の天日干しに余念がありません。雨が降ったらどうするのだろう、と思っていたら、青いビニールシートをかけてあるはさかけがありました。なるほどこうするのか。
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 時々、丸く積み上げた状態のものを見かけましたが、これは穂を刈り取った後の藁を干しているのでしょうか。牧草を巻いた白い大きなロールがあったので、牧畜もさかんなようです。軒下に大根を干してあるお宅もよく見かけました。千厩(せんまや)という駅には「大夫黒 義経公愛馬顕彰碑」という看板。スーパーニッポニカ(小学館)によると、源義家が安倍氏を討った際に軍馬千余頭を係留したとか、馬産地で千余の厩舎があったことからつけられたそうです。奥州藤原氏の牧があったのかもしれませんね。なおもう宮城県に別れを告げて岩手県に突入しています。
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 本日の二枚、上はホテルから撮影した気仙沼の街、下は車窓からの眺めです。
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by sabasaba13 | 2010-10-27 06:30 | 東北 | Comments(0)

南東北錦秋編(21):気仙沼(09.10)

 ここで気づいたのですが、交差点の四隅に建つ家の角が切ってあってスペースが広くなっており、そこに入口がある例が多いのですね。人の行き交う交差点を有効に活用しようという意図だとしたら、これは大した見識だと思います。大都市だとよくここには銀行があり、休日にはまったくデッド・スペースになっているのとは対照的です。
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 ヨーロッパの都市では、ここによくカフェがありますね。参考までに、左はダブリン(アイルランド)、右はコインブラ(ポルトガル)の街角です。
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 半円アーチや列柱をほどこした洋館や、角地をうまく生かした和風建築など、見ものはまだまだ続きます。
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 あるお宅にはスズランの浮き彫り、そして青海波に麻の葉をうまく組み込んだ青銅の戸袋がありましたが、これはもう芸術作品に近いものです。
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 町の歴史とともに歩んできたような錆をもつ「信夫商店」や、上品で洒落た「松月堂」も忘れられない物件です。
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 そして大きな交差点の角に建つ「武山米店」は国登録有形文化財。円形の1/4の敷地に数軒の家が建っているため、それぞれがショート・ケーキのように先細りとなっています。不整形な立地に合わせてこれだけの上物をつくる大工の技量にはあらためて感嘆します。
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 その対面には、角地をうまく生かした古風な三階建ビルが屹立していました。足元にあった交通安全足型(仮名)は、丸の中に足型と左右の矢印、そして外側上部に「左 右」と書かれているレアな物件です。
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 それでは南町通りへ行きましょう。こちらも魚町通りに負けず劣らずの傑物ぞろいです。幾何学的な装飾にみちあふれた「SASAKI」、その向かいのビルはアール・デコ調の切れ味鋭いデザインです。
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 「割烹 扇屋」は細部の彫り物と格子窓が素晴らしい和風建築、写真館の「島忠」は連続するアーチ窓とアンシンメトリーなファサードが見ものです。
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 その近くにあった床屋さんは、細長い不整形の敷地に強引に建てた物件、大工さんの力技が光ります。他にも微妙にゆがんでいる建物や、二階部分がせり出した物件をあちこちでたくさん見かけました。狭小な平地を有効活用するための努力なのでしょう。それにしても「みなし子」とは…心の琴線をかき鳴らすネーミングですね。
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 「舗茶藤齋 茶銘国諸」は二階の格子窓が見事な伝統的商家造り、その前にある「三事堂ささ木」(国登録有形文化財)は、白壁の蔵造り店舗に洒落た洋風の窓が並ぶユニークな物件です。その隣には堂々とした四本の角柱が並ぶ恰幅のよい商業ビル。
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 いやはや、まるで白昼夢を見たような気分で立ち眩みを覚えました。まだまだ面白怪しい物件はありそうですがそろそろホテルに戻らねば、後ろ髪を引かれるように立ち去りました。

 本日の三枚、一番下が「三事堂ささ木」です。
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by sabasaba13 | 2010-10-26 06:30 | 東北 | Comments(2)

南東北錦秋編(20):気仙沼(09.10)

 その近くには「港町ブルース」(作詞:深津武志 編作詞:なかにし礼 作曲:猪俣公章 歌:森進一)の歌碑がありました。二番の歌詞に気仙沼が登場するのですね。♪流す涙で割る酒はだました男の味がする あなたの影をひきずりながら 港 宮古 釜石 気仙沼♪ ずっと"悪酒"だと思っていたのですが"割る酒"だったんだ。それはともかく、いいなあこの歌は大好き、朝っぱらから一杯ひっかけたくなってきます。
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 それでは海沿いの道に戻り、建物ウォッチングを続けましょう。魚問屋の○山はモダンな意匠のファサードです。「齋民商店」は伝統的和風建築ですが、脇に踊る「漁具」「Vベルト」「船具」「塗料」という看板が旅情を誘います。
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 その近くには「クスリ 船舶仕込 オオカヂヤ」と「倉元 酒類・食料品・米穀・船舶仕込」がありました、ああ港町だ。右手を見ると、数多の漁船が次の漁に備えて束の間のまどろみを楽しんでいました。
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 再び左を見ると、「屋問魚 福臼」の偉容が目に飛び込んできます。偉丈夫な屋号のレリーフも素晴らしいし、壁面をおおう亀甲や鱗などさまざまな形の銅板にも心奪われます。ああもう好きにして。道を挟んで向かい合う三角ファサードのお宅といいコンビですね。その先には控えめながらもモダンな味を出している「商物乾産海 店商富齋」が待ち構えています。
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 そのまま歩いていくと、海に突き出た展望所「浮見堂」がありました。解説板によると、1927(昭和2)年に東京日日新聞主催の「日本百景」に気仙沼湾が選ばれたときに、町の観光施設第一号として、地元魚町の青年有志の労力奉仕(!)によって作られたそうです。気仙沼港を一望できる絶景スポットですね。隣では大きな鯛をもった恵比寿さまが空に向かって咆哮されていました。立像なのが珍しいですね。
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 そしてUターン、このあたりから眺める気仙沼の街も素晴らしい。耕して天に至る、とまではいきませんが、山の斜面に密集して建ち並ぶ家々の様は壮観です。いかに平地が少ないかがよくわかる光景ですね、不整形の土地を目一杯利用しようとするのも納得します。「店商富齋」のところを右に折れて、先ほど歩いた海沿いの道と並行する通りを戻りましょう。地形に沿って湾曲した道で、片側の斜面には家々が林立しています。こちらにも面白怪しげな物件が目白押し。縦長の窓がリズミカルに並ぶ古い商業ビルには、鶴の鏝絵がほどこされていました。
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 「熊谷タバコ店」のモダンなテイストも侮れません。丸窓のある大きな木造建築は何かの作業場なのでしょうか。
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 「食堂 松岡屋」には漆喰で雷紋と装飾がほどこされています。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2010-10-25 06:28 | 東北 | Comments(0)

南東北錦秋編(19):気仙沼(09.10)

 朝、六時前に目が覚め(じさまになったなあ)、カーテンを開けるとお日様が雲間から顔を覗かせています。あっりがっとさん、神さん! 日頃の悪業非行を見逃してくれるのですね。そそくさと着替えて外に飛び出し、さあ"夢の街"気仙沼を徘徊しにまいりましょう。JR気仙沼駅は小さな三角屋根のあるキュートな建物、駅前には観光案内所があり貸し自転車も用意してあるようです。そして中心部へと歩いていくと、昨晩暗闇の中ではっとさせられた物件をつぶさに観察することができました。洒落た装飾のある商業ビル、ファサードに網代模様などの銅版が貼り付けてある「舗子菓屋城岩」、木造三階建ての「松屋旅館」。
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 アーチ状の装飾がついた縦長の窓がリズミカルに並ぶ洋館もありました。
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 ある建物に珍しいデザインのマークがあったのでよくよく屋号を見ると、「店籠製野今」。ああ籠目をあらわしていたんだ。
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 T字路の角にあるビルの上部には味噌樽の浮き彫りと、半分崩落した「元造醸」という文字。角の上部には威風堂々としたデザインの浮き彫りがあるみごとな建築です。
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 ここで左折して歩いていると「趣味のせともの・ぬりもの・神具一式・家庭金物・銅鉄器・美術工芸品」何でもござれの亀屋、神秘的なポーズをとるマネキン、スペインの鐘楼のような塔屋をもつビル、新聞名を記したホーロー看板が目白押しの廣野新聞店など、面白怪しい物件が連続します。
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 仲良く並ぶしぶい商家、田中商店と角屋(国登録有形文化財)は、不整形の敷地に強引に建てたために微妙に歪んでいることが肉眼でもわかります。軒下の飾りが斜めについているし、左斜め前から撮影すると本来見えないはずである両家の間の隙間を視認できます。そして漁港沿いの道を歩くと、頂部の飾りに左官の匠の技を感じる男山本店(国登録有形文化財)がありました。
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 向かい側の海に臨んだ公園からは港の光景を見渡せますが、こちらには「四つのテスト」と刻まれた石碑がありました。何だこりゃ? 後学のために記しておくと「われわれがものごとを考え、言い、または為そうという場合はこれに照合してから 1真実かどうか 2みんなに公平か 3好意と友情を深めるか 4みんなのためになるかどうか」 今、インターネットで調べて見たところ、ロータリークラブ会員の行動基準でした。時々耳目にふれますが、ロータリークラブって何? スーパーニッポニカ(小学館)には「社会奉仕の理想を掲げる世界的規模のクラブ団体。1905年アメリカ、シカゴの弁護士ポール・P・ハリスと3人の友人によって組織され、会員が持回りで自分たちの事務所を会合の場所にしたことから、ロータリー(回るという意)の名がついた。…構成員は原則として1業種1人に限られ、会員の推薦によって入会できる」とありました。わかったようなわからんような… ウィキペディアで確認すると、著名会員として松下幸之助、司葉子、ウィンストン・チャーチル、マーガレット・サッチャー、トーマス・エジソン、ジョージ・ウォーカー・ブッシュの名がありました。じょおじうぉおかあぶっしゅ!? 当然、彼は除名されたのでしょうね、でないのなら単なる胡散臭い金満家倶楽部としてしか私の記憶には残りません。
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 本日の二枚は、角屋と男山本店です。角屋の左右の庇に注目。
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by sabasaba13 | 2010-10-24 09:03 | 東北 | Comments(0)

「近代ヨーロッパの誕生」

 「近代ヨーロッパの誕生 オランダからイギリスまで」(玉木俊明 講談社選書メチエ448)読了。なぜ世界はこんなふうになってしまったのか、これからどうなってしまうのか/どうすればよいのか、それについて考え続けていきたいと思っています。そのためには、「天地人」的な歴史(面白いけれども視野狭窄的)ではなく、長いスパンで一体として動いてきた世界を分析・叙述する歴史が必要でしょう。いわゆる「世界システム論」ですね。関連した書籍にはできうる限り目配せをしていますが、その中で出会ったのが本書です。タイトルの通り、オランダとイギリスの歴史を通して近代ヨーロッパの誕生を考察するという内容、ど素人にも理解できるよういろいろな配慮も行き届いた好著です。
 ウィキペディア的に定義しますと、世界システムとは、複数の文化体(帝国、都市国家、民族など)を含む広大な領域に展開する分業体制であり、周辺の経済的余剰を中心に移送する為の史的システムです。その中心となるヘゲモニー国家が、オランダ→イギリス→アメリカと変遷してきたというのがウォーラーステインの主張ですが、本書はその前二者についてとりあげたわけですね。その業績を踏まえたうえで、著者はいくつかの批判をされています。まず、世界システム論では、後進国が工業国に第一次産品を輸出し、モノカルチャー経済となり、そのために従属化するという発想であり、これは国内総生産に占める工業の比率が非常に低かった近世にはもちこめないという点。ヘゲモニー国家においては、工業・商業・金融業の順に勃興し、またこの順に衰退するという説については、金融の重要性を軽視しているのではないかという指摘。さらに世界経済の中核となるヘゲモニーがどういう形で移動するのかについての分析が焦点になっていない、という批判です。
 オランダのヘゲモニー確立に関する分析を紹介しましょう。16世紀後半以降ヨーロッパ全土で、食糧危機と船舶用資材としての森林資源の枯渇という二つの経済危機が起こります。イタリアの都市国家はこの危機にうまく対処できず、北大西洋諸国はそれができた、これがこの二地域の運命を分けたというのが著者の主張です。その鍵を握ったのが豊富な穀物と船舶用資材をもたらすバルト海貿易、そう、この貿易をオランダが握ったことが、オランダの台頭とイタリアの地盤沈下の大きな要因となったのですね。それに加えて、優れた造船技術(ex.積載量が多く、船体は軽いフライト船)や操船技術により、オランダ商人による輸送費がきわめて安かったことも重要です。以下、引用します。
 大切なのは販売地における商品価格であり、生産地におけるそれではない。輸送費の大小で、この点は簡単に逆転する。この事実に対して、これまでの歴史学・経済史学は、さほど注意を払ってこなかった。それは、重大な欠落であった。とりわけ近世のように輸送にさまざまな困難が生じやすい時代の輸送費の重要性について、軽視すべきではない。(p.34)

 ウォーラーステインは、「支配=従属」の関係を、工業国と第一次産品輸出国という観点からしかとらえていない。しかし商業資本主義=重商主義時代においては、原料輸出国が輸送を他国の手に握られていることそれ自体が「周辺」へと導くことがあると考えるべきだろう。(p.67)
 それに加えて、オランダの経済発展は、スペインからの独立戦争(1568~1648)の過程で成しとげられたということに注意すべきだと指摘されています。戦争遂行のために巨額の借金をし、平時にはそれを返済していくという金融システムを完成したことか(「金融革命」)。武器貿易商人がもたらす情報を、戦争における勝利のために活用したこと。またオランダ共和国は、宗教的には他国よりもはるかに寛容であり、ユダヤ人をはじめ様々な宗派の商人を引きつけたことも重要です。そのため同市には、多様な宗派の商業的ノウハウが蓄積され、おまけに分裂的な国制のため商人の活動を国家が管理するという意思がなかったため自由な商業活動が営まれました。そしてアムステルダムを中継地として、さまざまな商人が北方ヨーロッパに移動した結果、商業技術・商業ノウハウは同質化し商業活動は円滑に進み、取引費用が削減されることになりました。「ヨーロッパでは、各地に取引所ができ、商業情報が国境を越え、多くの人々に利用可能であった。このように、国境をまたいで、商品に関する情報が比較的容易に、しかも誰にでも利用可能な社会は、アジアにはなかったであろう。したがって経済発展を促進させる制度という面から考えるなら、ヨーロッパのほうが進んでいたと想定されるのである。(p.89)」という指摘は傾聴に値します。この時期のヨーロッパ経済がアジアを圧倒していたとはとても言えませんが、やがてそうなっていく秘密の一端がここにありそうです。
 そしてそのオランダに挑戦したのがイギリスです。オランダに追いつき追い越すために、イギリスは経済への介入を強め、中央集権化をすすめ、国家が商人や市場を保護し、公共財を提供します。同時に、オランダ人がイギリスに移住して商業技術やノウハウを伝え、イギリスの国債を購入して助力したことも注目すべきです。そしてイギリスは、奴隷が生産する綿花を新世界から輸入し、機械によって生産(産業革命)した綿製品を世界に輸出することで世界一の経済大国となり、ヘゲモニー国家へと成長していきます。氏は、この大西洋経済システムの構築により、ようやくヨーロッパ経済はアジア経済を上回る力をもつようになったと指摘されています。

 稚拙な紹介ですが、本書の魅力が少しでも伝えられたなら幸甚です。オランダが徳川幕府と関係を結ぶのが、ちょうどその全盛期にあたる17世紀。そのダイナミックな有り様を知ることは、日本史研究にも資すること大だと思います。「1600(慶長5)年、オランダ船リーフデ号が豊後に漂着した。当時、ヨーロッパでは16世紀後半にスペインから独立したオランダと毛織物工業の発達したイギリスが台頭し、両国は東インド会社を設立して、アジアへの進出をはかっていた」(詳説日本史p.171 山川出版社)といった、木で鼻をくくったような味気ない歴史叙述から卒業するためにもね。あえて妄想すると、この際日本史/世界史を一体化し原始~中世を思い切って簡略にして、「世界近現代史」という講座を高校の先生方に立ち上げてほしいですね。そうした斬新な試みを絶対に認めず学校のカリキュラムを統制する文部科学省がある限り、不可能でしょうが。日本における歴史教育の貧困さにため息が出てしまいます。sigh…
 なお後書きに洒落た一文があったので引用しておきます。
 御多分にもれず、毎日パソコンの前に長時間座っているため、私は身体のあちこちが凝る。そういうときに、マッサージをしてくれ、私の健康を維持してくれるマッサージ師の竹田由美子さんにも謝意を表したい。(p.212)

by sabasaba13 | 2010-10-21 05:46 | | Comments(0)

美術館

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by sabasaba13 | 2010-10-20 06:29 | 写真館 | Comments(0)