<   2010年 11月 ( 30 )   > この月の画像一覧

京都錦秋編(12):大覚寺(09.12)

 大覚寺、真言宗大覚寺派の大本山、もともとは嵯峨天皇の離宮(嵯峨院)でしたが、後に仏寺に改められ皇族が住職となる門跡寺院となりました。13世紀には亀山院、後宇多院の皇統に属する皇族が代々こちらの住持を勤めたので、この皇統を大覚寺統(南朝)とよび、持明院統(北朝)と対立することになります。(南北朝時代)  1392年、両統講和のおり、南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇に三種の神器が授受された、いわゆる南北朝合体の歴史的舞台としても知られます。茶々を入れると、この後大覚寺統=南朝から天皇は出ていませんから、"南朝滅亡"というのが正解です。北朝の末裔である昭和天皇が、このことに劣等感を抱き、己の正統性の根拠である三種の神器がアメリカ軍に奪われないよう、戦争末期において右往左往したことを思い出します。
 ま、それはさておき、お目当ては大沢池の紅葉です。08年の三月末に訪れた時は、桜はいまだ蕾で臍を噛んだのですが、さあ紅葉はいかがでしょう。大沢池は、周囲約1kmの日本最古の林泉庭園で、嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、中国の洞庭湖を模して造られたところから庭湖とも呼ばれそうです。鏡のような湖面に映る錦のような紅葉…を期待したのですが、それほどではありませんでした。ちょっと残念。それでもぐるりと池の周りを歩いていると、モミジの古木の並木道があります。はらはらと葉も落ちていますが、ほとんど観光客のいない静かな雰囲気の中、名残りの紅葉を楽しむことができました。"うらを見せ表を見せて散るもみじ"(良寛)、なかなか味わい深い風情です。
c0051620_6244838.jpg

 さらに池に沿って歩いていくと、ところどころに赤・橙に色づいたモミジに出会えました。陽光をあびて輝く裏紅葉ごしに眺める水面と対岸の風景、そして緑なす連山、ピクチャレスクな景色を何枚も写真におさめました。そして散り紅葉にうずもれながら戯れる二匹の、「仲間に入れて」と近づくと慌てて逃げ出してしまいました、御免。
c0051620_6251829.jpg

 さて大覚寺を拝観しますか、それにしても大きなお寺さんです。五大堂・宸殿・御影堂・正寝殿といった豪壮な堂宇が渡り廊下でつながれていますが、どうやって維持しているのでしょうか、などと要らぬ心配をしてしまいます。檀家のお布施だけと拝観料ではかなりきついような気がしますが。なお肝心の紅葉に関しては、見るべきものはなし。折り目正しそうな男女を描いたトイレ表示は収穫でした。
c0051620_625418.jpg


 本日の七枚です。
c0051620_626665.jpg

c0051620_6263384.jpg

c0051620_6265995.jpg

c0051620_6272614.jpg

c0051620_6275322.jpg

c0051620_6282172.jpg

c0051620_6284981.jpg

by sabasaba13 | 2010-11-30 06:29 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(11):鹿王院(09.12)

 そしてサドルにまたがりペダルを踏んでいざ出発、まず目指すは鹿王院(ろくおういん)です。ガイドブックを頼りに数分で到着。こちらは足利義満が24歳のときに寿命を延ばす事を祈って1380(康暦2)年に建てた禅寺で、開山は彼の師・春屋妙葩です。義満の筆「覚雄山」の扁額を掲げた山門をくぐり拝観料を払って中に入ると、木立に囲まれた細く長い参道が奥へと続きます。一面のモミジ、というわけではありませんが、点在する美しい紅葉が目を楽しませてくれました。何よりもほとんど観光客がいない落ち着いた閑寂な雰囲気がいいですね。先へ進むと、参道が三十度ほど右に曲がります。視界に変化を与え、かつ終点を隠して期待をもたせる粋な仕掛けでしょう、いいですね。客殿に入ると縁から舎利殿と本庭を眺めることができます。そこには葉を半分ほど落としたモミジの古木が屹立していました。一面の紅葉ももちろん素晴らしいのですが、こうして一つの紅葉に目を奪われるというのもいいものですね。縁に座りながら、しばし庭の景色を眺めました。
c0051620_6241441.jpg

 そして大覚寺へと向かいます。時刻は午後二時、ホテルの朝食をしこたまかっこんで昼食は抜きか軽食というのがour wayですが、さすがに空腹に苛まれてきました。しかし最近「人生最大の体重よ」と騒ぎまくり"プチ断食"を宣言している山ノ神、軽食につきあってくれるでしょうか。JR嵯峨嵐山駅のあたりを走り過ぎたあたりで、そうだ、このへんにコロッケを売る肉屋があったことを思い出したので、それを食べないかと彼女にオファー、彼女曰く「ラマダーンが明けたからいいわ」と快諾。さっそく中村屋でコロッケとメンチカツを購入、前のベンチに座って美味しくいただきました。そしてここから北へ走ること十数分、大覚寺に到着です。
c0051620_6244198.jpg


 本日の五枚です。
c0051620_625943.jpg

c0051620_6253689.jpg

c0051620_626353.jpg

c0051620_6262841.jpg

c0051620_627131.jpg

by sabasaba13 | 2010-11-29 06:27 | 京都 | Comments(2)

京都錦秋編(10):宝厳院(09.12)

 天龍寺の境内に入り、左に歩いていくと、そこが宝厳院。こちらも細川頼之による創建で、嵐山を取り入れた借景回遊式庭園「獅子吼の庭」があります。それでは拝観料を払って中に入りましょう。おおっ素晴らしい、ここを先途とばかりに鮮やかに色づいた紅葉の饗宴です。ちょうど今が見頃ですね、このあたりは盛りがかなり遅いようです。ゆるやかに起伏する、苔に覆われた園地に散在するモミジの古木、まばらに落ちる散り紅葉、アクセントとなる大小の庭石、その間を縫って流れる鑓水、さまざまな意匠の垣、もう惚れ惚れしてしまいます。もう桃源郷ならぬ楓源郷。その間を回遊するにつれて、景色が千変万化するのも興趣にあふれます。おまけに陽光が燦燦とふりそそぎはじめ、モミジの赤・橙も苔の緑もより鮮やかとなりました。まだ知名度もあまりないのでしょうか、人出もそれほど多くはなかったので落ち着いて見られたのも幸いでした。
c0051620_624151.jpg

 そして門を出ると、赤・橙に色づいた見事なモミジ並木がわれわれを待っていました。地を這うような枝ぶりのモミジと散り紅葉の構図もフォトジェニックですね。通り行く人もみな真っ赤に染まったような顔をほころばせ、幸せそうに微笑んでおられます。見知らぬ人どうしがお互いにツー・ショットを撮り合っている光景にも心和みますね。
c0051620_63936.jpg

 さてそれでは京福電気鉄道(嵐電)嵐山駅で自転車を借りることにしましょう。余談ですが、なぜ“京福”と名乗るのか、「線路を楽しむ鉄道学」(今尾恵介 講談社現代新書1995)を読んでわかりました。この会社の前身は京都電灯という電力会社で京都府と福井県の双方に電車の路線をもっていたためだそうです。現在ではこの通称“嵐電”と叡山電鉄、福井ではえちぜん鉄道として運行されています。(p.158) それがどうしたと言われても困ってしまいますが…
 天龍寺の境内を駅に向かい歩いていると、もののみごとに真っ赤に紅葉したモミジが一本ありましたが、誰も見向きも振り返りもしません。名のある寺社の境内に生えるか生えないかで、モミジの運命も決まってしまうのですね。こうした人知れず美しく紅葉する健気な木々への目配りも忘れないようにしたいものです。ふぁいとっ! ハイ・シーズンには渋谷状態となる嵐山駅前の通りも思ったほどの大混雑ではありません、やはり十二月になると多少人出も減るのでしょうか。
c0051620_633795.jpg

 嵐山駅に着くと、駅前で大道芸人が南京玉すだれを実演中でした。駅構内にある店で自転車を借りると、駅にある足湯無料サービス券をくれました。すると山ノ神の瞳の虹彩に炎がポッとついたようです。「山ノ神は倒るる所に土を掴め」と言うそうですが、しぶちんの彼女がほっておくわけはありません。こりゃつきあわされそうだ、しゃあない、後で供奉しましょう。店の前に積んであったのは聖護院ダイコンでしょうか、千枚漬けに変身した姿を想像したのか、またもや山ノ神の瞳が怪しく輝いています。お風呂と食べもの、彼女の生を支える二つの重要なファクターですからね。私は…三番目ぐらいなのかな。
c0051620_64644.jpg


 本日の八枚です。
c0051620_643062.jpg

c0051620_645287.jpg

c0051620_652060.jpg

c0051620_655074.jpg

c0051620_661545.jpg

c0051620_663759.jpg

c0051620_665832.jpg

c0051620_672197.jpg

by sabasaba13 | 2010-11-28 06:08 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(9):嵐山(09.12)

 さてそろそろ嵐山・嵯峨野へ向かいましょう。門前近くのお宅には「こまとめ…」と刻まれた、上部に穴のあいた細長い石が置かれていました。馬をつないでおくための石なのでしょうね。その近くで山ノ神が突然立ち止まり地面をじっと眺めています。「坪庭よ」 えっ、ああなるほど、アスファルトの窪みに緑の草が詰まっています。どこかの風流人が丹精こめて…なわけはないな、単なる偶然でしょうが、京都最小の坪庭と認定いたしましょう。それにしても、神は細部に宿り給う、それを見逃さなかった山ノ神の眼力に敬意を表し「散歩の奇人」という称号を捧げましょう。(彼女曰く「絶対嫌よ」)
c0051620_7283177.jpg

 阪急上桂駅から列車に乗り、五分ほどで阪急嵐山駅に到着。おっ何やら物々しい雰囲気です。向かいのホームで熱心に列車を撮影する方々、目を光らせる駅員、「撮影厳禁」という貼り紙、なんだなんだなにが起きているんだ? 駅前に出ると、こちらには長い行列ができており、駅員が「最後尾」というプラカードを持っています。どうやら鉄道マニアのための撮影会が催されている模様です。今、インターネットで調べてみたところ、1969 (昭和44)年12月6日、それまで「天神橋駅」を南のターミナルとしていた千里線が、新たに建設された大阪市営地下鉄堺筋線と相互直通運転を開始して、その四十周年記念日の前日だったのですね。そのお祝いに阪急嵐山線にはじめて入線する、記念ヘッドマークをつけた堺筋線車輌(66系)の写真撮影会だそうです。精神分析学者・岸田秀氏曰く「人に迷惑のかからないくだらないことに人生の意味を見出すのがいちばんすばらしい生き方である」。諸手を挙げ満腔を意をもって賛同、私も見習いたいものです。
c0051620_729136.jpg

 さてさすがは嵐山、たいへんな賑わいでした。渡月橋を渡ると、錦の嵐山を背景に松風閣の紅葉が桂川に映りそれはそれは美しい景観でした。この頃になると雨は完全にあがり青空が広がりはじめています。これなら自転車を借りて嵯峨野を徘徊できますね。おっとその前に、天龍寺の塔頭、宝厳院(ほうごんいん)に寄ってみましょう。実は数年前に訪れたのですが、その時はまだまだ色づきが盛りではなく悔しい思いをしました。ぜひ再挑戦してみましょう。
c0051620_729297.jpg


 本日の一枚です。
c0051620_7295152.jpg

by sabasaba13 | 2010-11-27 07:30 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(8):地蔵院(09.12)

 そしてここから歩いて数分ほどのところにある地蔵院へ。こちらは著名なようで、案内表示がありました。門前にあった解説板によると、1367(貞治6)年、室町幕府管領・細川頼之の寄進を受け、夢窓疎石を開山として建立された臨済宗寺院です。また一休宗純が幼い頃、修養した寺でもあるそうです。一休といえば、『狂雲集』におさめられた「弔戰死兵(戰死せる兵を弔ふ)」という漢詩を思い出します。えーと、どこかにメモしてあったな…あったあった。
赤面修羅血氣繁      赤面の修羅は血氣も繁く
惡聲震動破乾坤      惡聲の震動は乾坤をも破りけん
鬪諍負時頭腦裂      鬪諍に負けたる時は頭腦も裂けにけんを
無量億劫精魂舊      無量億劫に精魂を舊しぬらん
 「五山文学集 江戸漢詩集」(日本古典文学大系 岩波書店)の解説を参考に訳してみましょう。「赤い顔色の悪鬼の如き武士どもは、血気もさかんに湧きあがり、雄叫びの声は天地をも破滅させたことであろう。しかも激しい戦闘に敗れたときは、頭は裂け戦死を遂げてしまったであろうから、彼らは永久に見捨てられたまま、世の人々はその霊魂を古びさせてしまう」 文字通り、天地を破滅させるように軍事力を人類が手中にした現代だからこそ、よりいっそう心揺さぶられる詩です。戦死者にどう向き合うのか、一休のように弔うことによって記憶に留めるのか、サリンジャーが言うように"無駄死"させてしまうのか(It's time we let the dead die in vain.)、古くて新しい問題ですね。私は、正当に弔い"無駄死"として胸に刻むべきだと思いますが。なお一休宗純の生涯を描いた「あっかんべェ一休」(坂口尚 講談社漫画文庫)は日本マンガにおける金字塔です。信じ難いことに絶版とのこと、これは見識を疑います、ぜひ再販を強く要望します。
 話をもどしますと、地蔵院は竹林に囲まれているので、別名「竹の寺」とも呼ばれます。こちらのエントランスも素敵ですね、竹林を背景に橙色に染まるモミジ、そして苔を彩る散り紅葉。さすがに浄住寺にくらべて、訪れる方も多いのですが、幸い静寂な雰囲気を壊すほどではありません。総門をくぐり拝観料を払って参道を歩むと右手に細川頼之の事蹟を刻んだ石碑がありました。幼い足利義満を支え室町幕府のために尽力しながらも、政敵たちによって引退に追い込まれた悲運の人物、そして頼山陽が「日本外史」で紹介して人口に膾炙するようになった漢詩「海南行」の作者でもあります。
人生五十愧無功      人生五十にして功なきを愧ず
花木春過夏已中      花木春過ぎて夏すでに中(なかば)なり
満室蒼蠅掃難尽      満室の蒼蠅(そうよう)掃えども尽し難し
去尋禅榻臥清風      去りて禅榻(ぜんとう)を尋ね清風に臥す
 政敵を表わす"満室の蒼蠅"という語が強烈ですね。
c0051620_6252065.jpg

 そして正面にあるお堂を右に折れると、両側に見事な苔が敷きつめられた瀟洒な小路が続きます。苔むした切り株を彩る散り紅葉、まるで一幅の絵のよう。
 写真を撮りながら見惚れていると雲間を貫いて陽光がさしこみ、まるで一陣の清風が頬をなでたような気がします。瓦屋根の門をくぐり方丈にあがると、前庭は枯山水庭園になっていますが、写真撮影は禁止。絵葉書を売っているわけでもなし、なぜ禁止なのでしょう? とりたてて心惹かれるお庭ではなかったのでかまいませんが。ふたたび本堂のところに戻ると、薄暗い竹林の向こうに暖かく輝く紅葉に包まれた総門が見えます。絵になる風景ですね。
c0051620_6254296.jpg


 本日の五枚です。
c0051620_62681.jpg

c0051620_6263095.jpg

c0051620_6265085.jpg

c0051620_6271250.jpg

c0051620_6273682.jpg

by sabasaba13 | 2010-11-26 06:28 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(7):浄住寺(09.12)

 さてそれでは駅へと戻りましょう。バス停前のお宅の庭木には、かわいらしいふくら雀が何匹もとまっていました。やってきたバスに乗り込むと、十分ほどで阪急嵐山線長岡天神駅に到着です。列車に乗ること約十分で桂駅着、ここで嵐山行きに乗り換えです。ホームで列車を待っていると、巨大な雑誌・新聞用のリサイクル・ボックスが目につきました。
c0051620_626449.jpg

 そして三分ほどで上桂駅に到着、ホームに毅然と灰皿があることに関西人の度量の広さを感じます。ここからガイドブックを頼りにめざすは浄住寺と地蔵院です。駅前の広葉樹が渋い橙色に色づいていたので、期待できそうです。
c0051620_6263198.jpg

 西方へすこし歩くと学習塾のPRが掲示してありました。「桂中学2年生 数学 70点→86点 16点UP!」 うーん、exclamation markをつけるほどのUPではないな、と半畳を入れ先へ進むと交差点がありました。信号が青になるのを待っている間、そこはかとない奇異な雰囲気を感じましたが、山ノ神が気づきました。「コンビニエンス・ストアが三つある…」 ほんとだ、交差点の角地三ヶ所で「Kマート」「セブン・イレブン」「ローソン」が鬩ぎ合っているではありませんか。ここはコンビニ業界における日本最大の激戦地と見た。残りの一角に食い込まんとする勇者よ、出でよ。
c0051620_626553.jpg

 横断歩道を渡ると「飛び出し娘/小僧」をゲット。この娘さんとはどこかでお会いしたなあ、今確認してみると富山県高岡と福島県喜多方でした。かなり広範囲に分布しているようですね。頭部の裂傷が痛々しい小僧の方は、和歌山県道成寺と岐阜県飛騨高山飛騨古川で見かけました。
c0051620_6272678.jpg

 浄住寺への案内表示がないので、やはり人知れぬ穴場なのでしょう。町内地図を頼りに捜して見つけました。上桂駅から歩いて十五分ほどのところです。解説板によると、弘長年間(1261~64)に西大寺の叡尊を請じて創建した律宗寺院ですが、1689(元禄2)年に鉄牛禅師によって黄檗宗に改められたそうです。さあそれでは中に入りましょう、どうやらわれわれの他に訪問客はいないようです。住宅地の一角とは思えない鬱蒼とした木立の中にうずくまるように山門があり、それを抜けると散り紅葉が彩る参道、そしてごつごつとした渋い石段、そして木の間越しに本堂の屋根が垣間見えます。モミジも交えた木々の紅葉も綺麗ですが、何と言ってもこの静謐・玲瓏な趣に惚れました。それほど落葉も進んでおらず、静寂の中、紅葉狩りを堪能することができました。中でも、本堂手前右の木立の中にあるモミジの大きな古木の見事な色づきは圧巻。まるで全世界を燃え上がらせようとするかの如く、宙を真っ赤に染め上げています。
 雨に濡れて怪しく輝く散り紅葉も、それと石段とのコントラストも、はらはらと音もなく舞い落ちる落葉も、みな素晴らしい。宝石のような晩秋のひと時を心ゆくまで楽しめました。しばらくすると、タクシーの運転手さんに紹介されたのでしょう、老夫婦がやってこられましたが、結局それ以外に訪問客はありませんでした。なお拝観料もとられません。心優しい山ノ神は恐縮したのか、本堂でお賽銭(筆者注:10円)をあげ一礼をしていました。「人に教えたくない」などと狭量なことは言いません、浄住寺、穴場中の穴場、お薦めです。
c0051620_6275071.jpg


 本日の七枚です。
c0051620_6281258.jpg

c0051620_6283485.jpg

c0051620_629316.jpg

c0051620_6292824.jpg

c0051620_629533.jpg

c0051620_6301522.jpg

c0051620_6311296.jpg

by sabasaba13 | 2010-11-25 06:32 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(6):光明寺(09.12)

 光明寺、西山(せいざん)浄土宗の総本山で、1198(建久9)年、熊谷入道蓮生(次郎直実)がここに一宇を建て、師の法然を請じて開山としたのに始まります。1212(建暦2)年に法然は入滅、大谷の地に葬られました。しかし念仏停止の動きに伴い、叡山の衆徒によってその墓堂が破壊されたため、遺体はここに移されて荼毘に付され、廟堂が造営されたそうです。実は数年前にも訪れたのですが、その時はまだ色づきはじめ、完熟したもみじ参道をぜひ見てみたいと再訪した次第です。表参道の幅広い石段をのぼろうとすると、左にある細い参道がほの赤く輝いています。そう、そこがもみじ参道、でもそちらは帰り道に指定されているので、はやる心をおさえまずは表参道から御影堂へと向いましょう。それほどモミジは多くありませんが、散紅葉が美しい参道です。石造物や苔なども興趣をそえ、撮影ポイントに事欠きません。
c0051620_62456.jpg

 御影堂から渡り廊下を歩いて釈迦堂に進むと、信楽庭(しんぎょうてい)という枯山水のお庭がありました。
c0051620_6242976.jpg

 そして屋外へ出て、お土産屋さんが蝟集する一画を左折すると、いよいよお目当てのもみじ参道です。ゆるやかにくだる幅の狭い参道の両側はモミジ・モミジ・モミジ。ああ、惜しいっ! 残念ながら落葉がはじまっています、先週ぐらいが見ごろだったようですね。しかし引かれ者の小唄、それはそれは見事な散り紅葉です。しかも雨の露に濡れて色鮮やか、参道の両側が錦に染め上げられています。幸い雨も上がり、またオーデン言うところの"人格の前哨線"鼻先30インチに他者が割り込むほどの雑踏でもなく、身も心も染まるような真っ赤な世界を満喫できました。途中にある薬医門のあたりが、よく観光ポスターで見かけるポイントですね。
c0051620_6245020.jpg


 本日の六枚です。
c0051620_6251186.jpg

c0051620_6254018.jpg

c0051620_626486.jpg

c0051620_6262879.jpg

c0051620_6265098.jpg

c0051620_6271153.jpg

by sabasaba13 | 2010-11-24 06:28 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(5):光明寺へ(09.12)

 目覚めてカーテンを開け、ベランダに出ると薄曇、いや小雨が降っているようです。下を見ると琵琶湖沿いの遊歩道を散歩する人みな傘をさしていました。比叡山の頂上もうすい靄につつまれています。昨晩購入したインスタントのドリップ珈琲を入れると、それなりに芳醇な香が部屋に満ち、FMをかけるとアリシア・デ・ラローチャ奏でるJ・S・バッハ「フランス組曲第6番」が流れてきました。バッハの曲って部屋の雰囲気を一変させることがしばしばあります。清冽でちょっと荘厳な気持ちとなり、窓から琵琶湖の景色を眺めながらしばし陶然としました。二つのJならぬ二つのB(バッハと琵琶湖)ですね。
c0051620_7443941.jpg

 さて本日は予定通り、自転車を使わずに光明寺→浄住寺・地蔵院→嵯峨野と経巡ることにしましょう。朝風呂にゆったりとひたり、バイキングの朝食をとり、部屋で一休み。どうやら雨は本降りのようですが、雨に濡れる紅葉もまた綺麗であろうと観念し、タクシーで大津駅へ向い、東海道・山陽本線に乗りこみました。ガイドブックを紐解き、目的地・光明寺のあたりをもう一度確認すると…ん?…ポンポン山…ぽんぽんやまあ! こんな風変わりな名の山があるのですね。帰宅後、ウィキペディアで調べてみると標高687.7m、山頂付近を歩くとポンポンという足音がすることから名づけられたそうです。へえー、これは是非行って…いや行かないだろうな。なお「世界でもっとも阿呆な旅」(幻冬舎)にはちゃんと載っていました、さすがは安居良基さん。
 車窓を眺めるとちょうど貨物列車と競争しているところです。この路線はけっこう貨物列車が走っているのですね、その武骨な勇姿を見るとなぜか不思議にわくわくしてきます。そして約二十分で長岡京駅に到着、駅前に出るとちょうど光明寺行きの臨時バスが出発する直前でした。あわてて飛び乗り、ひと安堵。阪急京都線「阪急長岡天神」の前を通り過ぎ、二十分ほどで光明寺の門前に到着です。そうそう、老婆心ながら。「スイカ」が関西でも使えると聞いたので持参したのですが、このバスでは使えませんでした。以前に購入した「イコカ」は返却しようと思っていたのですが、どうやら持っていた方が無難なようです。バス停のわきには、京野菜をつくっているのでしょうか、広大な畠があり野菜たちが嬉しそうに雨を浴びていました。帰りのバス時刻を写真におさめ、歩きはじめるとすぐ光明寺に到着です。おおっ、やはり紅葉の大御所、けっこうな人出で賑わっています。でも朝早いためか、あるいは十二月になっているためか、俗塵を忌んで遁世したくなるような混雑ではありません。この時期だけ拝観料をとるそうで、所定の金額を支払い、さあ入山です。
c0051620_745398.jpg

by sabasaba13 | 2010-11-23 07:45 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(4):大津(09.12)

 さてそろそろ出発の時間、東京駅構内に戻りましょう。新幹線に乗り込むとすでに山ノ神が席についていました。16:33、音もなく「ひかり」はすべりだし、一路京都を目指します。やがてたそがれ、期待していた赤富士はおぼろげなシルエットしか見えません。車内販売の珈琲を飲み、本やガイドブックを読み、うたた寝をしていると、19:15に京都着。さすがに十二月に入ったためか、それほどの混雑ではありません。東寺の五重塔に「また来たよ」と挨拶をし、東海道線へと乗り換えます。そして十分ほどで大津駅に到着、タクシーに乗って琵琶湖ホテルに着きました。なお歩けば十分ほどの距離です。チェックインをして部屋に入りベランダに出ると眼下には静謐な琵琶湖の湖面(注:全室レイク・ビュー)と、おおっ、怪しく輝く満月が出迎えてくれました。水面に長く伸びる月の光が美しいこと美しいこと。しばらく声も出ずに見とれてしまいました。
 さてそれでは夕食をとりにいきますか。歩道橋を渡ると、サラリーマン風の若い男性から「浜大津駅(※京阪京津線)はどこでしょう?」と道を訊かれました。おいおい、わたしゃさっき大津に着いたばかりの東男だぜ。とはいうものの、①親切な人物に見られた②観光客ではなく地元民と思われたのは、多少いい気分です。勝手知ったる大津の街(去年一回来ただけですが)、さっそく懇切丁寧に教えてさしあげました。そしてホテルから徒歩五分、あらかじめ予約しておいた牧場直営の肉料理店「かど萬」で、近江牛のしゃぶしゃぶを堪能。部屋に戻り、露天風呂つきの天然温泉につかり、部屋のベランダにデッキチェアを出して座り、琵琶湖を一望しながらエビスビールを飲めば…これ以上何を望めばいいのか。この日のために一所懸命働いてきたbody&soulに感謝しましょう。
c0051620_6244676.jpg


 本日の一枚です。
c0051620_625540.jpg

by sabasaba13 | 2010-11-22 06:25 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(3):東京駅(09.12)

 そして5番線(山手線)ホームへ上がると、1914(大正3)、年開業当時のホームの支柱がありました。コリント式の装飾をあしらった武骨だけれども重厚な逸品です。また線路脇には東海道線、中央、総武、東北線などの起点を示す0キロ標識(ゼロキロポスト)を見ることができます。
c0051620_62523.jpg

 さてそれでは東京駅で遭難したもう一人の首相、原敬の暗殺現場を訪れることにしましょう。えーと、丸の内南口改札のすぐ外にあるはずですが… おっと残念、改修中のようで工事用ボードに床も壁面も覆われて、色つきタイル・解説プレート、ともに見ることができませんでした。再訪を期しましょう。参考までに記しておきますと、1921(大正10)年11月4日午後7時25分ごろ、京都で開催される政友会の近畿大会に出席するため、神戸行き急行列車に乗る直前に、大塚駅の駅員中野艮一(ごんいち)によってここで刺殺されたのですね。ほぼ即死だったそうです。政党勢力の伸張にともなう汚職の蔓延に憤慨しての単独犯ということで決着はつきましたが、背後に右翼が絡んでいた可能性もあり、真相はいまだ不明とのことです。原敬については毀誉褒貶がありますが、軍部・官僚を抑えて政友会の力を伸ばし、名望家による支配を貫いて社会的な安定と産業の発達を企図し、きわめて現実的な手法でそれを実現しようとした政治家ではないかと思っています。普通選挙への冷淡な姿勢からも、民衆の力量に信を置いていなかったこともわかります。己の栄誉や利得については一顧だにしない清廉な政治家であったことも付け加えておきましょう。彼の言です。「富と貴とは卿等の取るに任す、難題と面倒とは乃公に一任せよ」 なお、中岡艮一には無期懲役という判決が下りましたが、三度の恩赦を受け懲役1934(昭和9)年には出所したそうです。先述の佐郷屋留雄もそうでしたが、こうした政治家を殺害した犯人に対する寛刑に、近代史を理解する一つの鍵がありそうですね。
 そして外へ出ると、駅舎の大規模な復元工事が始まっていることがわかりました。辰野金吾の設計によって1914年(大正3)年に竣工した東京の顔ともいうべき名物建築ですが、空襲で大きな被害を受け、旧観を残しながらも三階部分と両サイドのドームは復旧されませんでした。2011年末までにそれらを復元するための大工事が、今進んでいます。これは楽しみですね。
c0051620_6252519.jpg

 まだ時間があるので、丸の内に名建築と旧交を暖めようとすこし周辺を散策しました。丸ビルはすでに建て替えられ、東京銀行協会と日本鉱業倶楽部は外観を保存しつつもその上に無粋な高層ビルが屹立しています。すこしでも旧観を残そうとする努力は認めますが、高層ビルが林立する殺風景な風景には正直辟易します。ま、日本工業倶楽部正面の最上部にある鉱夫と工女像が残っていただけでも諒とすべきなのかな。日本の近代化を支えた/支えさせられた彼ら/彼女らの心血を忘れぬためにも、この像は未来永劫残して欲しいものです。
c0051620_6254811.jpg

 東京中央郵便局は解体作業の真っ最中でした。針をはずされた大時計の文字盤が、「私を正当に弔ってくれ」と訴えかけているようです。なお最近「交通安全足型(仮称)」のコレクションを始めましたが、東京はおおむねこのパターンのようです。
c0051620_626525.jpg


 本日の一枚です。
c0051620_6262353.jpg

by sabasaba13 | 2010-11-21 06:27 | 京都 | Comments(0)