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言葉の花綵41

 私はあの体制が憎い。あの体制をこの地上から葬り去りたい。しかし東ドイツは存続している。ならばどうしたらいいか。交渉する。私は外交官として交渉した。これが政治だ。(西ドイツ元外務大臣ゲンシャー)

 人類は子どもに対して最善のものを与える義務を負う。(新渡戸稲造)

 死にとうない ほんまに死にとうない (仙厓)

 いつかは死んでしまう夢のために生きるなら、生きつづける理想のために死ぬほうがマシだ。(スティーブ・ピコ)

 ぱさぱさに乾いてゆく心をひとにせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて
   (茨木のり子 「自分の感受性くらい」より)

 変化は起こせるんだ。人間は変われるんだ。(デンゼル・ワシントン)

 乗りかかった船には、ためらわず乗ってしまえ。(ツルゲーネフ)

 希望に生きる者はタンバリンがなくとも踊る (フランスの諺)

 実験において失敗など一度たりともしなかった。「これでは電球が光らない」という発見を今までに2万回してきたのだ。(エジソン)

 スタイルなど必要ない。自分の怒りこそが、現代のスタイルの基本要素なのだ。(ピカソ)

 もし、我々が空想家で、救いがたい理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう。その通りだ、と。(チェ・ゲバラ)

 私は神がどういう原理に基づいてこの世界を創造したのかを知りたい。そのほかは小さなことだ。(アインシュタイン)

 世の中には勝利よりももっと勝ち誇るに足る敗北があるものだ。(モンテーニュ)

 そう、私たちにはできる。独立国家をつくったように、あるいは民主主義システムや自由市場経済をつくったのと同じ方法で、貧困なき世界をつくることができる。(ムハマド・ユヌス)

 教師の最重要課題のひとつは、学業終了後、弟子が独りで学ぶ癖と、独りで学ぶ方法を修得せしめることである。もうひとつは、具体的なことを抽象的に思考する訓練を施すこと、即ち、出来事や事件を抽象思考に置き換える癖をつけさせることである。(丸山真男)

 わが心よりほかに頼るべき友なし
 わが魂よりほかに信ずべき朋なし
         (バーブル詩集)

 子供たちが出会う出来事一つひとつが、その後の知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒や豊かな感受性はその種子をはぐくむ土壌であり、幼少の時期はその土壌を耕すとき。(レイチェル・カーソン 「センス・オブ・ワンダー」)

 戦争とはこれほど不幸なことか。(マルクス・アウレーリウス)
by sabasaba13 | 2010-12-31 06:24 | 言葉の花綵 | Comments(3)

「ベートーヴェンの生涯」

 「ベートーヴェンの生涯」(青木やよひ 平凡社新書502)読了。アインシュタインをまねて、こう言いましょう、「死とはベートーヴェンが聴けなくなることだ」。J・S・バッハ、バルトーク、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、クリフォード・ブラウン、レスター・ヤング、忌野清志郎、好きな音楽家は星の数ほどおりますが、やはり彼は別格です。なぜそうなのかを言葉にして伝えられない己の非才が恨めしいのですが。著者は、世間に流布しているベートーヴェン像は、最初の伝記作家アントン・シントラー由来の、偏見と誇張に満ちた歪んだものであるとして、基礎的な資料や最新の研究成果に基づいて、できうる限りありのままの彼の姿を真摯に誠実に描こうとします。私のベートーヴェン像がドラスティックに変わった…とまではいきませんが、「苦難を乗り越えた超天才」という安直なイメージはきれいに流れ落ちました。怒り、悲しみ、喜び、恐れ、笑い、嫉妬、絶望、信念、われわれ凡百の人間と同じようにこけつまろびつしながら生きていったのですね。ただ決定的に違うのは誠心誠意自分を見つめのを、やめたり逃げたり諦めたりしなかったこと。そしてその自分を十全な形で表現しようとしたこと。親しみのもてる身近な存在としての彼と、仰ぎ見るしかない超然とした存在の彼、その両面を知ることができました。
 それにしても、シントラーによる伝記はロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』をはじめ大きな影響を与えたのですが、なぜ彼はベートーヴェンの姿を歪曲して描いたのか。著者は、自分が敬愛する人から信頼されることも愛されることも叶わなかった人間が抱いた熾烈な嫉妬ではないかと分析されています。彼やその知人を貶めることによって、自らの存在感を際立たせるための歪曲、そう考えると、彼の行為を弾劾するだけではすみません。ここにも人間的な、あまりにも人間的なドラマがあったのですね。またこのいろいろな意味で強烈な芸術家をとりまく周囲の人々に対する、これまでのステロタイプ化された見方ではない言及も興味深いものでした。例えばくりかえしルートヴィヒに暴力をふるった父ヨーハンに関しては、宮廷楽長への夢を断たれたことへの憤懣のはけ口としての暴力、自分には持てなかった息子の非凡な才能への無意識のジェラシー、家庭内の主導権をしっかり者の妻ににぎられている事に対する劣等感の裏返し、といった奥深い分析をされています(p.21)。著者曰く"インフェリオリティ・コンプレックス"の持主だったと考えた方がよさそうとした上で、少なくとも息子はそれを理解し、父を許していたのだ、と心温まるコメントを付されています(p.52)。また彼が後見した甥のカールも悪評が高いのですが、十代後半のむずかしい青春期に、天才の巨大なエネルギーにみちた「父親」から、理想の人間像の鋳型を押しつけられ、しかも愛憎半ばする激しい情念の対象にされたのだから、耐えられなくなったのも無理はない、と述べられています(p.247)。ああ、これも人間ドラマですね。
 ベートーヴェンは梅毒であったという俗説も流布されていますが、彼の髪の毛を分析した研究者によると、梅毒患者であれば当然検出されるはずの水銀は定量できないほど微量で、そのかわりに基準値の四十倍を超える鉛が検出されたそうです。鉛中毒の一般的症例は胃腸疾患、痛風、黄疸、視神経と聴覚神経の損傷などがあり、これらはベートーヴェンの病歴とほとんど一致します。ただ、鉛を大量に摂取した経緯は不明ですが、工業化によるドナウ河の環境汚染と獣肉よりも魚や野鳥を好んだ彼の食生活が関係しているのかもしれないと推測されています(p.110)。
 インド思想に対する彼の造詣の深さや、彼が洗礼を受けたのはアシジの聖フランチェスコを始祖とする、自然への愛好と人間同士の友愛的連帯と異教への寛容を特色とするミノリーテン(フランチェスコ派)系の教会であったという指摘は、ベートーヴェンの音楽を理解するうえで良い一助となりました。また彼の晩年は、ウィーン体制下、メッテルニヒによる容赦ない弾圧が吹き荒れた時代で、密告の日常化やスパイの暗躍が、募りゆく彼の猜疑心のもとになったこと。そして暗い時代の中、気分転換としての明るく軽快なワルツやポルカを求めたウィーン音楽界の流行が、ベートーヴェンの疎外感を強めたという指摘も納得ですね。

 「ハイリゲンシュタットの遺書」については、こう述べられています。
 ベートーヴェンのような大天才の内面は、常人にはうかがい知れないが、しかしいまようやく筆者には、天分を持って生まれた人間は存在の危機を感じた時にのみ、自分の内なる使命にめざめるのだと確言できる。
 (※「遺書」の中で)自分にとって難聴がいかに辛いものであるかが切々と語られている。それが決定的になったために自殺の誘惑にかられたのだが、彼を思い止まらせたのは「自分が使命を自覚している仕事を仕とげないでこの世を見捨ててはならない」という思いだったと述べている。
 ここで彼が決別しようとしたのは自分の「生」そのものではなく、それまですがってきた(快癒という)「希望」だった。それが失われた代わりに、天才の自覚が生まれたのだ。そういう意味でこの文書は、「遺書」というよりもむしろ信条告白であり、彼の内面における死と回生の道筋を示す記録として読まれるべきだろう。(p.116)
 また、頭の中では出来上がっていたに違いない「第一〇交響曲」をはじめいくつかの大作をさし置いて、後期弦楽四重奏曲群という地味な作品をもって大音楽家としての人生をしめくくったことについては、以前紹介しました。

 ベートーヴェンという稀有なる芸術家の多面的で複雑で魅力的で、ちょっとはた迷惑な生きざまを、共感と畏敬を込めて綴った好著、お薦めです。ベートーヴェンとゲーテの橋渡しをしたベッティーナ・ブレンターノがこう語っているそうです。
 私たち[人類]は、彼に追いつけるのでしょうか。(p.269)

by sabasaba13 | 2010-12-30 07:46 | | Comments(0)

弾痕・刀傷

鎌倉橋(東京都千代田区)
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観龍寺(岡山県倉敷)
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鳥羽・伏見の戦いの弾痕
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寺田屋(京都府伏見)
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大隅横川駅(鹿児島県)
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旧滝沢本陣(会津若松)
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旧滝沢本陣(会津若松)
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経王寺(東京)
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根来寺(和歌山県)
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両大師堂(東京)
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御薬園(会津若松)
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防衛省講堂(東京)
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億岐家[隠岐騒動](隠岐島後)
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適塾[塾生の喧嘩](大坂)
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円通寺[上野戦争](東京)
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by sabasaba13 | 2010-12-29 08:36 | 写真館 | Comments(0)

日本橋七福神編(3):(10.1)

 そして福禄寿・弁財天を祀る小網神社に着きました。
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 というわけで、水天宮からここまで、寄り道しながらのんびりまわって約一時間十分、見どころが少ないのが難点ですが、お気軽お手軽にめぐれる七福神として推奨します。まだ陽も高いので、オプションとして日本橋方面をぶらついてみましょうか。小網神社から西へ、無粋な首都高速一号線をくぐって右手の路地に入ると、三浦按針屋敷跡の記念碑があります。スーパーニッポニカ(小学館)から引用しましょう。
 三浦按針(1564-1620) 日本に最初にきたイギリス人とされるウィリアム・アダムズWilliam Adamsの別称。少年期造船所に勤め、やがて水先案内となる。イギリス艦隊に船長として従事したのち、オランダに渡り、1598年司令官ヤコブ・マフの率いる東洋遠征船隊に水先案内として乗船、五隻からなる同船隊は途中四散したが、彼の乗船したリーフデ号は太平洋を横断し、1600年4月19日(慶長5年3月16日)豊後臼杵湾の佐志生(さしう)と推定される地点に漂着した。彼は船長の代理として大坂に赴き徳川家康と会い、家康の命令を受け、船を堺より関東の浦賀に回航した。かねてから関東貿易の開始を熱望する家康はアダムズとの会談を通じ彼にその期待をかけ、日本橋の近くに屋敷を与え、また浦賀の近くの三浦半島の逸見(へみ)に知行地を給した。三浦按針の名はこのようにして生まれた(按針とはパイロット=水先案内の意)。
 アダムズは、同僚のヤン・ヨーステンとともに、まさに家康の外交顧問的存在となり、家康に数学、幾何学の初歩を教授するほか外交の諸問題に関与し、反カトリックのオランダ、イギリスの対日通商開始を側面より促進したばかりか、朱印状を受けて東南アジアに渡航した。また伊豆の伊東でイギリス型帆船を建造したことは有名である。彼はイギリス人ながらイギリスの対日通商政策とは意見を異にするなど、国際人として家康外交の展開に重要な役割を演じた。日本人を妻としたが、元和6年4月24日、55歳肥前平戸で病死した。妻は馬籠勘解由(まごめかげゆ)の娘といわれ、夫妻の墓は按針塚と名づけられ、逸見に近い塚山公園にある。
 余談ですが、同僚のヤン・ヨーステン(耶揚子[やようす])の屋敷があったところから、八重洲という地名がつけられたそうですね。
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 そしてさらに西へと数分歩くと日本橋に到着です。橋中央に日本国道路元標(橋の袂にレプリカ展示)がある、1911(明治44)年に建造されたルネサンス風の名橋ですね。たおやかな二連のアーチ、華麗な装飾の欄干など、たいへん素晴らしい橋なのですが…んが…なぜその上に高速道路をつくって景観を粉微塵に破壊するという愚行を犯したのか。(1963年建設) 日本橋に空を取り戻す運動もあるようですが、この際、この状態で永久保存してもいいかもしれませんね。景観や暮らしやすさを蔑ろにして、経済を優先させた時代の象徴として。ま、でもこの程度の反面教師では、いまだに経済成長を追い求める私たちを反省させるには役不足かもしれません。
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 日本橋を渡ってすぐ左手には野村證券ビル、その先には三菱倉庫ビルと、風格のある戦前のビルが続きます。
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 日本橋郵便局には「郵便発祥の地 ここは明治四年三月一日(1871年4月20日)わが国に新式郵便制度が発足したとき駅逓司と東京の郵便役所が置かれたところです」という記念プレートがありました。その近くには、「郵便は世界を結ぶ」「1971 郵便創業100年記念」と記され、地球を支える人たちのオブジェが乗る立派なポスト。
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 その先には兜神社、そして東京証券取引所があります。マイケル・ムーア監督だったらここにも"CRIME SCENE DO NOT CROSS"という黄色いテープをまくだろうな。いや人任せにしてはいけない、われわれ自身でまかなければ。
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 再び日本橋に戻り、日本銀行本店を見にいきますか。途中にあったのが東洋経済新報社。ディスプレイには、ここで活躍した歴代記者の紹介がありました。三浦銕太郎、石橋湛山、長谷川如是閑、清沢洌、いやはやこうしてみると錚々たるメンバーですね。近現代日本における最も良質なジャーナリストたちをはぐくんだのがこの会社だったことをあらためて痛感します。他にも、片山潜(労働運動・共産主義運動の指導者)、尾崎士郎(「金色夜叉」の作家)、伊藤正徳(軍事評論家)、松本烝治(憲法改正案を作成)、大河内正敏(理研コンツェルンの創始者)、蝋山政道(政治学者)、町田忠治(民政党総裁)など、意外な人物も名を連ねているのには驚きました。たいした懐の深さです。
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 そして辰野金吾設計の日本銀行本店に到着、こちらは事前に予約しないと見学はできません。今日は塀の外から遠望するだけ、日をあらためて再訪することにしましょう。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-12-28 07:40 | 東京 | Comments(0)

日本橋七福神編(2):(10.1)

 人形町通りに出ると、目の前が甘酒横丁、そして「蛎殻銀座跡」という解説プレートがありました。なんでも寛政の改革によって銀座が一旦廃止され、あらためてここに幕府直営の度合いを強めた新銀座として再発足したそうです。
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 その先の交差点には「玄冶店(げんやだな)跡」という解説プレートがありました。(中央区日本橋人形町3-8) 幕府医師の岡本玄冶の拝領屋敷があったところで、歌舞伎の「世話情浮名横櫛」の一幕で、お富と切られ与三郎の情話の舞台となったところだそうです。「いやさお富、久しぶりだなあ」というあれですか、歌舞伎に関しては全くの浅学、これ以上のコメントができないのはご寛恕ください。
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 ふたたび路地に入って末廣神社をめざして東へ向かうと、面白い物件を二つゲット。どう見ても特殊飲食店にしか見えない歯医者さん、そして「明朗」「明朗」「明朗」と連呼する麻雀屋の入った古いビル。最上部には「店商谷(?)」という文字の跡がありました。
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 その先に、ビルに挟まれて窮屈そうに佇んでいるのが、毘沙門天を祀る末廣神社です。ただ扉が閉ざされていて、ご尊顔を拝することができませんでした。
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 すこし歩くと、寿老神を祀る笠間稲荷神社です。
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 その近くに「小川橋の由来」という立派な記念碑がありました。なんでも明治19年(谷崎潤一郎が生まれた年!)、小川侘吉郎巡査が清水定吉という大泥棒を捕えましたが、その際に負った傷がもとで数年後に亡くなったそうです。その死を悼んで小川橋と名づけられたそうな。
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 そして人形町通りと並行する路地を北へと歩いていきましたが、このあたりでは古い建物をあまり見かけません。おっ蕎麦の名店「砂場」だ、へえここにあったんだ。その先の路地をふと覗くと、酒処「おでん ナポリ」。おでんとナポリ、スパークがおこりそうな意表をついた取り合わせに感心。
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 人形町通りを渡り、堀留町にあるのが、恵比寿神を祀る椙森(すぎのもり)神社です。社殿のとなりには「富塚」がありました。目黒不動尊湯島天神谷中感応寺がいわゆる「江戸の三富」として有名ですが、こちらでも富籤が興行されていたそうです。
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 さらに北西へとすこし歩くと、こちらも恵比寿神を祀る寶田恵比寿神社に到着。解説によると、この神像は、運慶作、あるいは左甚五郎作とも言われているそうです。運慶と左甚五郎、時代がまるっきり違うし、接点もない二人を作者として措定するあたり、いいかげんでいいですね。
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 そして掉尾を飾る小網神社へと向かいましょう。企業のビルが林立する道を南東へと歩いていくと、「東京糖商ビル」だの「第2洋糖ビル」だの、やたらと砂糖関係のビルや企業が多いのが眼につきました。近くに東京穀物商品取引所がある関係なのでしょうか、ご教示を乞う。
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by sabasaba13 | 2010-12-27 06:32 | 東京 | Comments(0)

日本橋七福神編(1):(10.1)

 新春恒例の七福神めぐり、これまで谷中浅草深川と歩いてきましたが、今年は日本橋七福神です。山ノ神が野暮用のため同行できないので、私一人、「東京七福神めぐり」(東京街歩き委員会 NHK出版生活人新書053)を片手にいざ出発。東京メトロ半蔵門線「水天宮前」で降り、地上へあがるとすぐ目の前が水天宮、こちらには弁財天が祀られています。おおさすがは安産祈願で名高い水天宮、ご夫婦による初詣でしょう、たいへんな賑わいです。しかしその脇にある、弁財天を祀った祠のあたりは意外と閑散としています。あまり知名度が高くないためでしょうか。御簾越しに弁才天を撮影し、社務所で朱印および台紙の料金を確認すると、朱印の300円はまあぎりぎりの許容範囲だとしても、台紙2000円はぼったくり。というわけで今回は朱印なしですますことにしましたが、人気のない理由はここにもあると見たぞ。関係者諸氏には善処を要望します。なお日本橋七福神めぐり地図は無料ですが、「奉納/日本橋三越本店」とあるように、三越のコマーシャルがきっちりと書き込まれた代物でした。門前の出店では麻の葉柄の産着を売っていましたが、これはすくすく育つようにとの縁起物ですね。
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 そして新大橋通りを渡りますが、青空はクリアに澄み、鬱陶しく禍々しい自動車の往来も少なく、街はそこはかとない静寂に満ち、快適な気分です。われらが全知全能をかたむけて、路上にあふれる自動車をでき得る限り減らせば、こうした爽やかな雰囲気を日常的に味わえるのではないでしょうか。静かになるし、空気は汚れないし、交通事故は減るし、良いことずくめだと思いますが。次は布袋尊を祀る茶ノ木神社、街角にある小さな社殿です。こちらも参拝客は数人、行列に並ぶことなくご尊顔を拝めました。
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 そして人形町通りを渡り、大国神を祀る松島神社へ。こちらは商業ビルの一角にはめ込まれた、小さな神社です。
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 このあたり(人形町)は、戦前の物件らしき古い建物がけっこう残っていて、楽しく街歩きができました。
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 レストラン「芳味亭」や西洋料理「来福亭」など、ちょっと気になる料理店もあります。残念ながら正月休業でしたが、機会を見つけて食べてみたいものです。
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 また、チェーン店ではない地元資本の喫茶店もよく見かけました。中でも「快生軒」は、「創業大正八年(筆者注:1919年)」と謳う古豪です。こうした喫茶点が多いということは、職住一体、商店の旦那衆が暇つぶしに立寄るのでしょうね。「絶対に火事を消しわが町を守る」という断固たる意志をただよわせるドラム缶型防火用水が設置してあるのも、そうしたコミュニティ意識のなせる技でしょう。
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 さて、もらった地図によると、このあたりに「谷崎潤一郎生誕地」があるはずなのですが…おっあったあった。ビルの入口脇にプレートと解説板がありました。(中央区日本橋人形町1-7-10) それによると、彼は1886(明治19)年7月24日、この地にあった祖父経営の谷崎活版所で生まれ、阪本尋常高等小学校に入学、その後、父の事業の失敗により近くを転々としたそうです。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-12-26 06:33 | 東京 | Comments(0)

言葉の花綵40

 銃が作られ、軍艦が進水し、ロケット砲が発射されることは、食べ物や衣服さえなく、寒さに震える人々に対する究極の窃盗を意味する。(ドワイト・アイゼンハワー)

 人生は生きるに値するという前提ほど大切なものはない。そう思わなければとても生きていけない。(ジョージ・サンタヤーナ)

 時間を殺す術を覚えなければなりません。でなければ、時間に殺されてしまいます。(アル・トゥルク)

 人は互いに助け合い、支え合って生きています。一人が傷つけられれば、誰もが傷つけられたことになるのです。(ボガレッチ・ゲブレ)

 悲しみを共有しようではないか。しかし、愚かさを共有するのはやめよう。歴史を少しでも知ることが、何が起こったかも、これから起こるだろうことも、理解させてくれるかもしれない。(スーザン・ソンタグ)

 すべての歴史は現代史だ。(ベネデット・クローチェ)

 やがて今後展開する歴史も、人間性のみちびくところふたたびかつての如き、つまりそれと相似た過程を辿るのではないか、と思う人々がふりかえって過去の真相を見凝めようとするとき、私の歴史に価値をみとめてくれればそれで充分であろう。この記述は、今日の読者に媚びて賞を得るためではなく、世々の遺産たるべく綴られた。(トゥキュディデス)

 その戦死者の山は三代のちの子孫まで
 人々の眼に無言の戒めとして映ることだろう、
 死すべきものの身でありながら、分を越えて思い上がるなかれと、
 思い上がりは花を開いて、迷妄(アーテー)の穂を実らせ、
 とどのつまり、涙多い収穫を刈り取る破目となるのだから、
           (アイスキュロス 『ペルシアの人びと』)

 悪魔も聖書を引くことができる。身勝手な目的にな。(『ヴェニスの商人』)

 月に人間がいるかどうか知らないが、もしいるとしたら、彼らは地球を精神病院代わりに使っているんだろうな。(バーナード・ショー)

 下層階級がある限り、わたしはそのうちのひとりだ。
 犯罪者がいる限り、わたしはそのうちのひとりだ。
 刑務所にひとりでもだれかが入っている限り、わたしは自由ではない。
                       (ユージン・デブズ)

 茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて飲むばかりなる事と知るべし (千利休)

 良い鉄は釘にならず、良い男は兵士にならない。(中国の諺)

 乏しきを憂えず、等しからざるを憂う。(孔子)
by sabasaba13 | 2010-12-25 07:52 | 言葉の花綵 | Comments(0)

「DAYS JAPAN 浜岡原発 爆発は防げるか」

 「DAYS JAPAN 2011年1月号」観了・読了。何回も何回も何回も紹介しておりますが、今世界で起きている現実を写真によって報道し、状況を変える一石になろうという志をもった気鋭の写真月刊誌です。昨今の萎縮した日本のジャーナリズムの中で、天狼星のように孤高に輝く稀有な写真誌、一人でも多くの人に読んでいただきたいな。というわけで、この写真誌を世に広めるための地道な広報活動を勝手に続けたいと思います。一時は、廃刊の危機にも陥ったのですが、定期購読者が経営上必要な数をクリアしたため、存続が可能となりました。本当によかった、微力ながらも本誌を支え続けていきたいと思います。
 さて今月号に掲載されている、肌に粟が生じ身の毛が立ち顔面蒼白となる、恐るべき特集を紹介したいと思います。タイトルは「浜岡原発 爆発は防げるか」、筆者は、現代日本が抱える諸問題を舌鋒鋭く追及する気鋭のジャーナリスト・広瀬隆氏です。間違いなく、近い将来に発生する可能性が高い東海大地震に対して、静岡県御前崎氏で稼働する中部電力浜岡原子力発電所は耐えられるのか。もし耐えられなかった場合、いったいどうなるのか。中部電力も、政府も、そしてわれわれも、考えたくない、眼を逸らしていたい疑問に対して、真っ向から斬り込んだルポルタージュです。詳細はぜひ本誌を読んでいただきたいのですが、結論を言ってしまえば…耐えられない。それでは最悪の場合、どういう事態が起こるのか。長文になりますが、以下、引用します。
 地震によって原子炉のウランが融け落ちるメルトダウンと呼ばれる事故が起きれば、放出される放射能の雲は、毎秒2メートルのそよ風でも、3日間で500キロ進むのだから、日本の中枢部は、即刻全滅することが分かっている。いや、一週間のうちに、北海道の最北端から沖縄の最南端まで、日本列島が、放射能雲にすっぽり包みこまれるのだから、逃げる場所はどこにもない。ケタ違いのダイオキシンと、アスベストと、農薬と、除草剤をまとめて日本全土の空から豪雪のように降り積もらせたより、はるかに深刻な猛毒物に包まれた国になる。室内にこもっても、空気と水と食べ物がすべて汚染されるのだから、日本人は、その先、どうやって生きられよう。
 本当に日本が破滅するのだろうか?
 みな、そのような悲劇的事態を想像しないで生きているだけなのだ。国民がその日を想像しないのは当然である。無自覚な新聞とテレビの記者が、その危険性をまったく国民に知らせないからである。(p.20)
 … そう、日本は破滅する可能性がきわめて高いということです。今、日本を奈落の底に突き落とすかのように脅かしているのは、北朝鮮でも、中国でも、アメリカでも、ロシアでもなく、浜岡原発をはじめ運転中している55基の、建設中の3基の、そして計画されている11基の核(原子力)発電所だと思います。(2008/1現在 ウィキペディアより) その存在を見て見ぬふりをして、"国益"などと声高に叫ぶ御仁の神経と思考力と想像力を疑いますね。もうほとんど時間は残されていませんが、かろうじてまだ間に合うかもしれません。核(原子力)発電所の即時廃棄と新規建設の中止を、強く強く求めます。さもないと…
by sabasaba13 | 2010-12-24 06:23 | | Comments(0)

「レオニー」

c0051620_7382941.jpg 先日、シネ・リーブル池袋で山ノ神と「レオニー」(監督:松井久子)を見てきました。われらが敬愛するアーティスト、イサム・ノグチの母、レオニー・ギルモアの半生涯を描いた作品です。20世紀初頭のニューヨーク、ソルボンヌ大学にも留学経験がある才媛レオニー(エミリー・モーティマー)は、自立した女性として生きることを求めて編集者の職を求めます。そして出会ったのが渡米して詩人としてのデビューを願う野口米次郎(中村獅童)、レオニーの献身的な協力により彼は成功をおさめ、そして二人は結ばれます。しかし日露戦争後にアメリカで猖獗を極めるようになる有色人種への差別(黄禍論)に苛立った彼は、妊娠しているレオニーを捨てて、単身帰国してしまいます。母のもとで男児を出産した彼女は、息子のためには父親の存在が必要であると考え、彼の誘いもあり、来日。野口の庇護のもとに暮らしますが、彼には本妻があり、自分が妾として扱われていることを知り、誇り高い彼女は彼のもとから離れ、英語を教えながら自立をめざします。ラフカディオ・ハーンの未亡人小泉セツ(竹下景子)一家との心温まるふれあいを描いた場面がいいですね、どれくらいレオニーの支えとなったことか。やがてすくすくと成長したイサムに美術の才能があると気づいたレオニーは、十歳の彼に家の設計を任せるなど、それを育むためにあらゆる力を尽くします。この時、イサムが大工の棟梁(大地康雄)の技に見惚れて、彼からぶっきらぼうながらも熱のこもった手ほどきをうけるのですが、彼の後半生を彷彿とさせるいいシーンでした。さらにアメリカに行って美術を学びたいと強く願うイサムを、単身、送り出します。しかし第一次世界大戦が勃発、大混乱のなか彼の消息は絶たれてしまいます。悲嘆にくれるレオニー、幸いなことに世話をしてくれる約束の人物とめぐりあえたイサムは、彼の恩義に報いるためアメリカで医学の勉強をすることになりました。そしてアメリカでの母子の再会、レオニーは逞しく成長したイサムに、「あなたはアーティストになるべき人間なの」と強く説得し、彼は一念発起、若き芸術家としての道を歩んでいきます。その姿を見届けて、思い残すことはもうないように静かに息をひきとるレオニー。ラストで彼女がよみがえり、イサム・ノグチが設計したモエレ沼公園で遊ぶシーンはこのうえもなく美しいものでした。素晴らしい芸術家を世に送り出したという母としての誇りに輝くレオニーと、それに感謝するかのようにその素晴らしい意匠を際立たせるモエレ沼公園。心に残るラストシーンです。
 原作である名作『イサム・ノグチ 宿命の越境者(上・下)』(ドウス昌代 講談社文庫)の前半部分を手際よくまとめ、一編の詩とした監督の力量には頭を垂れましょう。幾多の困難に遭遇し、異郷の地での異文化との軋轢に戸惑いながらも、それらを糧としてアーティストへの道を息子に切り開いていったレオニーの姿に見惚れてしまいました。「運命は従うものを潮にのせ、さからうものをひいて行く」「子どもは液体を満たす容器ではない。それは火をつけるべきものである」という、フランソワ・ラブレーの言葉を思い出しますね。二つの文化の狭間に生まれたイサムが、その後のアーティストとしての人生をどう切り開いていったのか、ぜひ原作の後半部分の映画化を期待します。イサム・ノグチの言です。
二十一世紀には、画一性に陥ることなしに世界化が進むことを望んでいます。

by sabasaba13 | 2010-12-23 07:40 | 映画 | Comments(0)

イサム・ノグチ

「コケシ」(鎌倉近代美術館)
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「山つくり」(倉敷大原美術館)
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土門拳記念館中庭(酒田)
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「土門さん」(酒田市立土門拳記念館)
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土門拳記念館のベンチ(酒田)
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タイム・アンド・スペース」(高松空港)
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モエレ沼公園(札幌)
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モエレ沼公園(札幌)
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モエレ沼公園(札幌)
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モエレ沼公園(札幌)
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ブラック・スライド・マントラ」(札幌大通公園)
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雨の山」(箱根彫刻の森美術館)
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萬来舎(東京都三田)
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」(東京都三田)
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平和大橋(広島)
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イサム・ノグチ庭園美術館(香川県牟礼)
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by sabasaba13 | 2010-12-22 06:18 | 写真館 | Comments(0)