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言葉の花綵52

 世界は、恐らく既に手の付けようがなくなっているのかもしれない。この昏睡から無理にでも目覚め、意識を取り戻すようになれない以上は、世界は確実に手が付けられなくなってしまう。/一切のユマニスムのなかには、脆弱な一要素がある。それは一切の狂信主義に対する嫌悪、清濁併せ飲む性格、また寛大な懐疑主義へと赴く傾向、一言にして申せばその本来の温厚さから出て来る。そして、これは、ある場合には、ユマニスムにとって致命的なものともなり得る。今日我々に必要かもしれないのは、戦闘的なユマニスム、己が雄々しさを確証するようなユマニスム、自由と寛容と自由検討の原則が見す見すその仇敵どもの恥知らずな狂信主義の餌食にされてしまう法はないということを確信しているユマニスムであろう。ヨーロッパのユマニスムは、更生して、その原則に戦闘力を取り戻させることは出来なくなっているのであろうか? 自覚することも出来ず、その生命力を恢復せしめて闘争への準備をすることも出来ないとあらば、その時には、ユマニスムは滅び去るであろうし、それとともにヨーロッパも滅び去るであろう。(トーマス・マン)

 百人の死は天災だが、一万人の死は統計にすぎない。(アドルフ・アイヒマン)

 金貨など不要なのだ。金貨なら自分でも持っている。ほしいのは命令だ。これからどう進展するのか知りたいのに。(アドルフ・アイヒマン)

 連合軍がドイツの都市を空爆して女子供や老人を虐殺したのと同じです。部下は(一般市民虐殺の命令でも)命令を実行します。もちろん、それを拒んで自殺する自由はありますが。(アドルフ・アイヒマン)

 私の罪は従順だったことだ。(アドルフ・アイヒマン)

 アイヒマン問題は過去の問題ではない。我々は誰でも等しくアイヒマンの後裔、少なくともアイヒマン的世界の後裔である。我々は機構の中で無抵抗かつ無責任に歯車のように機能してしまい、道徳的な力がその機構に対抗できず、誰もがアイヒマンになりえる可能性があるのだ。(ギュンター・アンデルス)

 もちろん、一般の国民は戦争を望みません。…でも指導者にとって、戦争を起こすことはそれほど難しくありません。国民に向かって、我々は今、攻撃されているのだと危機を煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやりかたは、どんな国でも有効です。(ニュルンベルク裁判におけるゲーリング)

 青少年に、判断力や批判力を与える必要はない。彼らには、自動車、オートバイ、美しいスター、刺激的な音楽、流行の服、そして仲間に対する競争意識だけを与えてやればよい。青少年から思考力を奪い、指導者の命令に対する服従心のみを植え付けるべきだ。国家や社会、指導者を批判するものに対して、動物的な憎悪を抱かせるようにせよ。少数派や異端者は悪だと思いこませよ。みんな同じことを考えるようにせよ。みんなと同じように考えないものは、国家の敵だと思いこませるのだ。(ヒトラーがゲッベルスに語ったと言われる言葉)

 各国の白人は、遠い国を発見して以来、有色人種のために何をして来たろうか? …有色人種が数世紀にわたってヨーロッパ人から受けた不正と残忍とを誰が記録できるか?
 …われわれも、われわれの文化もひとつの大きな責任を負っている。われわれはかの地の人々に善をおこないたいとか、おこないたくないとかの自由をまったくもたない。おこなわなければならないのである。われわれが彼らに善をおこなうのは慈善ではなくつぐないである。(シュバイツァー)
by sabasaba13 | 2011-05-31 06:18 | 言葉の花綵 | Comments(0)

熊野古道編(36):石倉峠(10.3)

 さて路傍の石に腰をおろし、水を飲み、紫煙をくゆらし、これからの行程を地図で確認し、出発。ここまでくれば熊野古道踏破はもう終わったも同然です。すると湘北高校籠球部キャプテン赤木剛憲の怒号が、15個のexclamation mark とともに、耳朶に響きました。「バカタレがもう終わったとでも思ってるのか!! 相手は世界遺産になるほどの道なんだぞ!! ナメてんじゃねえ!! ここは熊野古道なんだ!! 絶対に油断するな!! いいか!! 一瞬たりとも油断するな!!!」 ビクッ わかってるぜ、ゴリ。「徒然草」第百九段、高名の木のぼりが「目くるめき、枝あやふきほどは、おのれが恐れ侍れば申さず。あやまちは、安き所になりて、必ず仕る事に候」とおっしゃっていましたっけ。油断大敵です。足を踏みしめて慎重に石畳の坂をくだっていくと、やがて渓流に沿う道となります。そして林道と合流、ここには長塚節の歌碑がありました。 「虎杖のおどろが下をゆく水の たぎつ速瀬をむすひてのみつ」 虎杖(いたどり)とは、タデ科の多年生植物で、茎を折るとポコッと音が鳴るそうです。
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 舗装されていない林道には水が幾筋も流れており、雨が降り続いたら濁流になることが想像されました。すこし歩くとふたたび道は山中へと入り、急なのぼりとなります。岩走る垂水、滴をたくわえて生き生きと輝く苔、あらためて多雨地帯であることを思い知らされます。
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 するとこの道で、今日はじめて人とすれちがいました。カメラを片手に慣れた足取りですたすたとおりてくる初老の男性で、挨拶を交わすと「今日は人に出会うとも思いもしませんでした」とおっしゃいました。そして石倉峠に到着、越前峠からは一時間弱かかりました。こちらには「紀伊のくに大雲取の峰こえに 一足ごとにわが汗はおつ」という斎藤茂吉の歌碑がありました。そして「よく頑張ったね」とにこやかに微笑む路傍の石仏、そして「でもこれからがきついよ」とぼそっと呟いたような気がしました。
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 その言の通り、実はここからの下りが本日一番の難所でした。急な傾斜、大石中石小石を不規則にちりばめた石畳、もちろんそれらは雨に濡れ苔が生えています。うん、もし滑落して前歯を折って血だるまになるとしたらここだな、これは褌を締めてかからんと。足元を凝視し、的確なポイントにハイキングステッキをつきながら、できるだけ平らで苔の生えていないところを見つけ慎重に足をおろして足場を確保する。一瞬でも躊躇したら足をおろすのをやめ、今の場所でステイする。とにかく気持ちを集中、「一服したいな」とか「ベンヴェヌートのボロネーゼを食べたいな」とかいった次から次へとわきおこる雑念・妄想をふりはらい、蝸牛の如く一歩一歩足を進めます。そして二十分ほどでようやく坂は終わりました。私にしてはなかなかの集中力であったと自画自賛。でもこうした石を積み上げて、有数の豪雨地帯の峠道を守ってきた先人の営みには頭が下がります。
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 本日の九枚です。
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by sabasaba13 | 2011-05-30 06:23 | 近畿 | Comments(0)

熊野古道編(35):越前峠(10.3)

 さてヘアピンカーブを曲がると、いよいよ胸を衝くような急坂となってきました。胴切坂がはじまったようです。途中に、「風のゆく梢の音か瀬の音か 下りの道は心楽しも」という土屋文明の歌碑がありました。
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 下り坂が心楽しいとは、文明さんはよほどの健脚だったようです。行けども行けでも果てがないように続く坂、前方の先はもう霧の中に溶け込んでいます。はあはあ 石畳は雨でしっとりと濡れ、気を抜けば足をとられてしまいそう。ぜいぜい すこしのぼるとすぐ休むという体たらく、体力が落ちたなあと痛感。ひいひい やがて石臼がくくりつけられたように歩みが重くなってきました。ふうふう 一時間ほどのぼったでしょうか、やっと道が平坦になりました。標高が高いためでしょうか霧はより深くなっており、湿潤な空気につつまれぼんやりと浮かびあがる周囲の杉木立はまるで長谷川等伯の「松林図屏風」のようです。
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 そして十五分ほど歩くと、越前峠に到着。現在の時刻は9:38、出発してから約二時間半かかりました。「熊野川小学校 卒業記念」といった手製の小さな立て札がいくつかあったので、卒業記念遠足の定番コースなのでしょう。解説板によると、ここは標高870m、中辺路の中で最高所です。小口集落は標高65m、ほぼ800mを一気に(でもないですが)のぼったわけだ、ようやったわが脚よ。また「道の両側は、手入れの行き届いた杉や檜の植林地で、山と共に生きる熊野を濃密に感じることができる」とも記されていました。こちらにも土屋文明の歌碑がありました。「輿の中海の如しと嘆きたり 石を踏む丁のことば傅ふず」 そうだよね、いくら難行苦行とはいえ、上皇や貴族のみなさまは輿(こし)に乗って詣でたのですよね。それを担がされた丁(よぼろ)たちの言葉は残されていません。彼らは何を思っていたのだろう? 輿の中でふんぞりかえる貴顕への憎悪か、あるいは彼らを担がせてもらえることへの感謝か、あるいは疲労困憊して何も考えられなかったのか。なお「海の如し」とは、後鳥羽上皇の熊野詣でに随行した藤原定家が書きとめた言葉だそうです。(『熊野道之間愚記』)
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2011-05-29 07:29 | 近畿 | Comments(0)

熊野古道編(34):楠の久保旅籠跡(10.3)

 やがて苔におおわれ朽ち果てた石垣を目にするようになりますが、かつてこのあたりに人家や旅籠があったのでしょう。「南無阿弥陀仏」と刻まれた巨石もありました。解説板には「楠の久保旅籠跡」と記してあります。江戸時代には十数軒旅籠があり、たいへんにぎわっていたそうです。晴れていればここから昨日立ち寄った小雲取越の桜茶屋が見え、そこを指差し、あそこまで宿がないからここで泊まるようにと客引きをしたそうです。18世紀の参詣者の日記には、野菜を植えても猿や鹿に食べられてしまうので、干ワラビ以外には菜や大根の類はないと記されているとのこと。
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 のぼり坂はさらに続き、雨もやむ気配がありません。霧にかすむ水墨画のような景色の中を歩いていると、ときどき石仏に出会えます。ああ誰かが真摯な参詣者や私のような風来坊のために、何かを祈ってつくってくれたのだなと思うと、すこし灯が点ったように心が暖かくなります。濡れた石畳に慣れてきたのか、周囲を眺める余裕もでてきました。こうしてみると、雨の熊野古道もなかなかよいものですね。しっとりとした空気、雨に光る石畳、果てしなく続くかのような道、霧にかすむ杉木立、そして濃淡の墨絵の中でそこだけ彩色したかのような苔の緑。「引かれ者の小唄」と言われればそれまでですが、小雨が降ってくれてよかったと思います。自然は、晴れ・曇り・雨、春夏秋冬、時と天候によって千変万化の表情を見せてくれます。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2011-05-28 07:25 | 近畿 | Comments(0)

熊野古道編(33):円座石(10.3)

 現在の時刻は7:10、距離にして14.5km、所要時間5時間16分、いよいよ大雲取越の第一歩を踏み出しました。まずはここ海抜100mほどの地点から一気に標高800m越前峠を越えるという難関へアタックです。車道の脇から山中へと続く石段を、足を滑らさぬよう慎重に踏みしめながらのぼっていきます。急なのぼりの石段を二十分ほどのぼると、円座(わろうだ)石に到着。苔生す巨岩に三つの梵字が刻まれています。"わろうだ"とは、藁や藺草で編んだ丸い敷物で、この岩の上部にそのような模様があるそうです、視認できませんでしたが。熊野三山の神がここに集まって談笑したという言い伝えがあるとのこと。それをあらわすための梵字で、右から阿弥陀仏(熊野本宮大社の本地仏)、薬師仏(新宮速玉大社の本地仏)、観音仏(熊野那智大社の本地仏)だそうな。
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 音もたてずに深々と降りそそぐ雨、もちろん行き交う人も、その気配もありません。その寂寥感に身も凍りついてしまいそう。雨で霞む木々の間を、消え入るように石畳は続いています。出発してから約五十分で東屋風の休憩所に到着、こちらには水道がありました。雨がひどくならないうちに越前峠を越えたいので、先を急ぎましょう。
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 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2011-05-27 06:18 | 近畿 | Comments(0)

熊野古道編(32):小口(10.3)

 午前六時ちょっと前に目覚め、祈るような気持ちでカーテンを開けると…どんよりとした曇天…いや、霧雨が降っている… 変な呪文を唱えるんじゃなかった… 大本営だったら「天気晴朗」と発表するところでしょうが、現実から目を背けてはいけない。雨は雨、ボートはボート、○ァッ○は○ァッ○です。blueな気持ちで顔を洗い歯を磨き、朝食をとりました。給仕をしてくれた係の女性が、「石畳が滑りやすいので気をつけてください」と励ましてくれました。合点承知之助、みなさんの思いを乗せて歩きましょう。「そういえば去年でしたっけ…」「はあ」「大学時代に山岳部だった方が、意気揚々と30kgの荷物を背負って大雲取越を縦走していたのですが…」「はあ」「濡れた石畳で足を滑らして谷底に滑落し…」「はあ」「二日間身動きできず…」「はあ」「やっとのことで前歯が折れた血だらけの姿でここに辿り着きましたっけ」「はあ」「そうそう足を滑らして転び尾てい骨を骨折したフランス人女性もいました」「はあ」もう気分はdark blueです。隣で食事をされていた初老の男性も、この話を聞いて、表情をこわばらせていました。彼は、これから小雲取越を歩き本宮へと向かう予定だそうです。部屋に戻り沈思黙考、今だったら大雲取越をカットしてバスで那智か新宮に向かうことも可能です、たぶん。ああどうしよう、思いは千々に乱れます。こういう時に、決断を促してくれるのが言葉の力。ふと脳裏をよぎったのは、映画『がんばれベア―ズ』の中で監督役のウォルター・マッソーが言った言葉でした。「あきらめるな。一度あきらめるとそれが習慣になる」 あっもう一つ思い浮かんだ。漫画『バガボンド』(井上雄彦)の中で、本阿弥光悦の御母堂が武蔵に言った言葉です。「嫌だったら逃げてもいいのよ」 また浮かんだ。漫画『ピーナッツ』(チャールズ・M・シュルツ)の中でライナス・ヴァン・ペルトが言った言葉です。「僕は困難で出会ったらよけることにしてるんだ。よけきれないほど大きい困難なんてないよ」 ああああどないしよ。ますます迷ってしまった。民主主義の原則から言えば、一対二で、中止すべきでしょうが、少数意見も尊重すべきだし… 沈思黙考… 個人的にウォルター・マッソーのファンなので、彼の言に従うことにしました。決行!
 宿の方が車で送ってくれるということですので、7:00少し前に玄関へ。頼んでおいた弁当を受け取り、宿代 9500円を支払いました。さきほどの方と一緒に乗り込み、まずは彼が小雲取越の入口で下車、健闘を祈りつつお別れしました。そしてそのすこし先にある大雲取越の入口で私も下車。宿の方に丁重にお礼を言うと、車は靄の中へと走り去っていきました。小雨のそぼ降る道端に一人ぽつねんと取り残され、なんとも心細い気分です。もう観念して前に進むしかありません、幸い霧のような雨なので、屋久島に行く時に買ったセパレーツ雨具の上着と帽子だけですみそうです…今のところは。折りたたんであったハイキングステッキを伸ばし、靴の紐を締めなおし、煙草を一服し、水を少々飲み、荷物を背負い、さあ出発しますか。
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by sabasaba13 | 2011-05-26 06:17 | 近畿 | Comments(0)

熊野古道編(31):小口(10.3)

 部屋に戻って、座布団をならべて心ゆくまでお昼寝。そして夕刻、むくっと起き上がり、食堂で美味しい夕食に舌鼓を打ちました。部屋で一休みして、また露天風呂に入り、フルーツ牛乳を飲んで、ヴインヴインとマッサージチェアを堪能。♪時間よ止まれ♪とはこのことですね、永ちゃんの気持ちがよくわかります。
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 そうだ、感謝の意を込めて、熊野の神様、餓鬼の皆様、山ノ神様に献杯しなければ、ロビーのお土産売り場で地酒を仕入れ、部屋に戻って神々に献杯! さあ明日はいよいよ大雲取越です。距離にして14.5km、所要時間5時間16分、海抜100mほどの地点から一気に標高800m越前峠を越えるという難関が待ち構えています。心配なのはお天気、テレビの予報では、曇り、午後からは雨が降るということです。雨が降らないうちに越前峠を越えられれば、後はなんとかなるでしょう。なあに、私は神々に愛されし男、人呼んでアマデウス綾麿、必ずやその御加護によって明日もピーカンでしょう。さてそれでは布団にもぐりこんで、「南方熊楠随筆集」を読むことにしますか。へえー、百合若は、ユリシーズ譚が日本にもたらされて転化したという説があるのか(p.166)。以後は飛ばして、ずっと気になっていた巻末の「神社合祀問題関係書簡」を先に読んでみました。すると、以下の一文がありました。
 しかるに近日の大阪毎日に菊池幽芳氏が書きしごとく、欧州の寺院等は建築のみ宏壮で、樹林池泉の勝景を助くるないから、風致ということ一向なしというも至当の言たり。(p.438)
 うーん、卓見ですね。たしかにヨーロッパでは、街の中にいきなりどでんと宏壮な教会が屹立しています。これはもちろん文化の優劣ではなく、神的なるものに対する感性の違いなのでしょう。この列島の人々は、自然そのものに神を感じ見出してきたのだと思います。してみれば、この熊野も、その豊かで濃密な自然ゆえに、往古から人びとがそこに"神"を感じ取ってきたのではないでしょうか。さらにその自然の中に分け入るのが困難であればあるほど、現世の欲望や迷いから離れて悟りの世界に入れると考えたのではないか。小山靖憲氏は「熊野古道」の中でそう指摘されています(p.112)。さてそれではそろそろ寝ることにしましょう。おっとその前に、明日の快晴を祈って、とっておきの呪文を唱えましょう。ニンドスハッカッカ。マ。ヒジリキホッキョッキョ。
by sabasaba13 | 2011-05-25 06:15 | 近畿 | Comments(0)

熊野古道編(30):小口(10.3)

 橋を渡るとトイレがあったので用を足し、さて今夜の塒、小口自然の家を捜しましょう。このあたりの桜はもう満開、麗らかな春の日差しを浴びて咲き誇っていました。
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 ガイドブックの地図を頼りに、しばらく右往左往しましたが、なかなか宿が見つかりません。すると通りかかった車が止まり、初老の品の良さそうな運転手さんから「万里小路綾麿さん(仮名)ではありませんか」と声をかけられました。「さようで」「申し訳ない、実は自然の家の厨房で急な不都合がありまして」「へ」「違う宿を紹介したいのですがよろしいでしょうか」 よろしいもなにも仰せに従うしかありません。車の後部座席に乗り込みむと、不穏な想像が頭をもたげてきました。廃屋みたいな宿だったらどうしよう、いやもしかしたら新手の追い剥ぎかもしれない、いやいやこの方は実は人買いでどこかに売られて山椒大夫みたいな目にあわされるかも… その意を介せぬように車はどんどん小口から離れ去っていきます。十分ほど走ったでしょうか、車は止まり、「こちらです」と宿を紹介されました。なんだこれは!!! 出来たてほやほやのような真新しくきれいな和風の宿で、しかも温泉つき、看板には「公共の宿 さつき」と記されています。中に入り、フロントで受け付けを済ませ、部屋に案内されると、おおっ、八畳はあろうかと思われるきれいな和室。さっそく荷をおろしていそいそと温泉へ向かうと、露天風呂も併設された立派なお風呂。垢を落とし、山並みを眺めながらのんびりと湯に浸かり、ロビーに出るとフルーツ牛乳を売っていました。くいっと飲みほすと、最新式のマッサージチェアがありました。有料なのは許してつかわそう、コインを入れてヴインヴインと体をほぐしてもらえば、もう夢見心地、この世は極楽さっ。嗚呼、こんな素敵な宿にめぐりあわせてくれて、熊野の神様、餓鬼の皆様、山ノ神様、ありがとう。那智大社と速玉大社では必ず賽銭を奉納し、ご飯を三粒必ず落とし、お土産に赤福を必ず買って帰ると心に誓う信心深い私でした。なお部屋には、さきほど歌碑で見た長塚節の「かがなべて待つらむ母に眞熊野の羊歯のほ長を箸にきるかも」という歌の色紙が貼ってありました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-05-24 06:16 | 近畿 | Comments(0)

熊野古道編(29):桜茶屋跡(10.3)

 しばらく平坦な道を歩いていくと、上り坂になってきました。桜峠越えの道ですね。なおこの小雲取越では道沿いに歌碑が散見されます。峠のところにあったのは斎藤茂吉の「紀伊のくに大雲取の峯こえに一足ごとにわが汗はおつ」という歌碑でした。
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 峠を越えると、急なくだりの坂道となりました。足を滑らせぬよう慎重に歩を進め、十五分ほどで桜茶屋跡に到着です。ここからの眺めも素晴らしかったですね、百間ぐらほどではありませんが、熊野の山々を眺望することができました。東屋があったので荷物をおろし一休み、正方形の大きな木製テーブルがちょうど身を横たえるのにぴったりなので、ここで少し昼寝をすることにしました。爽やかな風、清らかな空気、かすかに聞こえる鳥の声、うーんこんなに気持ちの良い昼寝は初体験でした。
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 十分ほどうたた寝をして、さあ出発。ここからは小口の集落に向かって、ひたすら坂道をくだることになります。これがけっこうきつうございました。やはり疲労がたまっているのか、やがて膝が呵々大笑しはじめました。幸い、路面が乾いているので事無きを得ましたが、これで雨が降っていたらちょっと大変な事態になったことと思います。「感動和歌山21」というわけのわからない記念碑、長塚節の「かがなべて待つらむ母に眞熊野の羊歯のほ長を箸にきるかも」という歌碑を通り過ぎると、やがて眼下に、山並みを縫って蛇行する赤木川が見えてきました。
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 尾切地蔵を通り過ぎ、急峻な石段を慎重におりていくと、小口の集落が見えてきました。そして赤木川のほとりに到着、現在の時刻は13:57、下地橋バス停から五時間半ほどかかりました。なおこの小雲取越では、多くのハイカーとすれちがいました。急峻な上り下りも少ないし、道は整備されていて歩きやすいし、晴れていれば眺望も素晴らしいし、格好のハイキングコースですね。
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 本日の十二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-05-23 06:23 | 近畿 | Comments(0)

熊野古道編(28):百間ぐら(10.3)

 そして百間ぐらに到着、現在の時刻は10:27、歩きはじめてから二時間ほどかかりました。ほわあああああああ、こりゃ凄い。標高430mの高い崖[=ぐら]には眺望を妨げるものは何もなく、果てもなく広がるような果無山脈と大塔山系を一望できました。空には一片の雲だにない快晴、おまけに愛らしいお地蔵さんがちょこんと鎮座しており、いいアクセントになっています。「あなたのデジカメの記憶媒体に保存されるためにあたしは生まれてきたの、ねえ撮って撮って」と言わんばかりの絶景、ようがす、撮らいでか。シャッターを押しまくり、路辺の石に座って水を飲み、紫煙をくゆらしながらしみじみと雄大な光景をしばし眺めつづけました。
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 さてそろそろ出立するか、後ろ髪を引かれるように百間ぐらを後にし、ゆるやかな下り坂をのんびりとおりていくと、十五分ほどで舗装された林道と交差します。ここには「和歌山県朝日夕陽百選」「連峰雲起」という石碑がありましたが、なるほどそれは見ものでしょうね。なおこの林道沿いにすこし歩くとトイレがあるようです。
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 林道を横断し、ふたたび未舗装の山道へ。十数分歩くと、賽の河原地蔵がありました。解説板によると、熊野詣で亡くなられた方を供養するためにつくられたようです。路傍に鎮座する小さなお地蔵さまのまわりには無数の石が積み上げられていました。
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 そして石堂茶屋跡に到着、現在の時刻は11:22、下地橋バス停からここまで約三時間でした。東屋があるのでここで昼食をとることにしましょう。残念ながらめはりずしではありませんでしたが、空腹は最高のソース、美味しいおむすぎをあっという間にたいらげました。さてそれでは出発しましょう。数分ほど歩くと、不穏な胸騒ぎにとりつかれました。何か大事なことを忘れたような…あっご飯を三粒落とすのを忘れた! 餓鬼のみなさま、かえすがえすも申し訳ない。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-05-22 07:34 | 近畿 | Comments(0)