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豊橋編(13):伊良湖岬(10.4)

 やってきたバスに乗り込み、さあ出発。車窓から「太陽と帰る競争ぼくの勝ち」という雄渾な標語看板を発見。お天道様に勝負を挑むというその意気やよし、田原っ子の将来は明るいぞっと。そうこうしているうちに海が見えてきました。
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 そして五十分ほどで伊良湖岬に到着です。三河田原駅でもらったパンフレットによると、道の駅「クリスタルポルト」で自転車を貸していただけるとのこと。さっそく受付に申し出て、強風で薙ぎ倒されている自転車群の中から一台拝借しました。
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 海沿いにはサイクリングロードが整備されているので、快適な散策が楽しめます。まずめざすは伊良湖岬灯台、サイクリングロードをつーいと数分走ると、海沿いに屹立するその端麗な姿が見えてきました。解説板によると、初点灯は1929(昭和4)年。神島や対岸の伊勢志摩も一望できる格好のロケーションです。水を飲み、紫煙をくゆらしながらしばし眺望を満喫。
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 それでは西へと向かいましょう。途中にあったのが「君今ここに甦る」という"大東亜戦争"における海軍機動艦隊戦没者の慰霊碑。侵略を糊塗するための呼称をいまだ用いていることに強烈な違和感を覚えます。そいえば、アジア・太平洋戦争の特徴の一つに、潜水艦等の攻撃による水死者が異常に多いという点があげられると何かの本に書いてありました。敵に最大限の打撃を与えることにのみ汲々とし、軍人・軍属・一般市民の犠牲を最小限に抑えるという思考が、当時の軍部に著しく欠落していたことを物語るのでしょう。
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 その先にあるのが、美しい砂浜「恋路ヶ浜」、近くには「願いのかなう鍵」というフェンスがありました。まあ今では定番ですが、このフェンスに願いを書いた鍵をかけるとそれが叶うというしろものです。その隣には海に向かってしつらえた鐘がぶらさがっている白い門、「恋人の聖地」があります。なおどうでもいいことですが、以前に福岡タワーのところで紹介した「恋人の聖地プロジェクト」にもノミネートされているところです。余計なお世話ですが、聖地てえのは自分たちでみつけるもんだぜと半畳を入れたくなる小言幸兵衛でした。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-06-30 06:18 | 中部 | Comments(0)

豊橋編(12):伊良湖岬へ(10.4)

 ふたたび車窓から春紅葉を愛でながら二十分ほどバスに揺られると、本長篠駅に到着。バス・ターミナル…というよりはバス広場にあった観光地図を何気なく見てみると、「大海の放下」という風変わりなお祭りの写真がありました。巨大な団扇のようなものを背負い大きな太鼓を抱えた三人の人物が、輪をつくっています。とりあえず写真におさめ、今インターネットで調べてみました。放下(ほうか)は,正しくは「ほうげ」といって,総ての執着を捨て去ることを意味します。高野山の数多い聖たちの中に,一切の執着を放下して専心に念仏を唱えた一団があり、源平争乱の時代、多くの僧侶が地方へ放浪し、都の出来事や各地の珍しい行事の模様などを織り交ぜながら、仏の教えを伝えました。これが,放下僧の起こりといわれます。長い年月の間に放下僧という形態は消え去り、村人たちの盆の行事と「放下おどり」して、豊川水系地方に伝えられたとのことでした。
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 本長篠駅で「止マレ」というザッハリッヒカイトな交通安全足型を撮影し、10:12発の列車に乗り込みました。
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 一時間ほどで豊橋駅に到着、ここですぐ隣にある新豊橋駅に移動、豊橋鉄道渥美線に乗り換えます。めざすは渥美半島の先端、伊良湖岬。豊橋から直行するバスもあるのですが、時間がかかるし、ローカル線に乗りたいので、豊橋鉄道を利用することにしました。列車に乗り込むと三十分ほどで終着駅の三河田原に到着。ここからバスで伊良湖岬へと向かいますが、しょうしょう待ち合わせ時間があります。ふと気づくと、駅構内に「歴史の町田原を散策してみませんか」という字がかすれかかったしょぼくれた看板がありました。人に歴史あり、町に歴史あり、どんな無名の町でもなめてはいけません。もしかすると掘り出し物に出会えるかもしれんと思い、駅員さんに付近の見どころを訊ねると、「そうですねえ、渡辺崋山のとか…」 へっ             わたなべ?            かざん?           一瞬息と時間が止まり眩暈を覚えました。嗚呼、そうか、ここ田原は彼が家老を務めた田原藩だったんだ。己の無知蒙昧さに汗顔するとともに、この幸せな巡り合わせを用意してくれた♪historyの神様どうもありがとお♪とシャウトしたくなりました。さっそく観光案内地図をいただき、駅の近くにある城宝寺に行って、崋山のお墓を掃苔してきました。以下、岩波日本史辞典より引用します。
渡辺崋山 (1793‐1841)
三河田原藩士、蘭学者、画家。名は定静さだやす、通称登、崋山は号、堂号全楽堂。定通の子として江戸田原藩邸に生れる。谷文晁らに絵を、佐藤一斎、松崎慊堂に儒学を学ぶ。絵は写生に洋画の法も取入れ独自の風をなした。1832(天保3)に年寄末席(家老)となり、海岸掛を兼ねた。藩の海防問題から蘭学に関心を深め、高野長英らに蘭書を訳させる。西洋の事情を知るにつけ危機感を強めた。39年蛮社の獄で弾圧され、田原に蟄居となるが、41年自刃した。絵に「一掃百態」「鷹見泉石像」など。著「参海雑志」「慎機論」など。
 「鷹見泉石像」の凛とした写実性は目に焼き付いています。その画力とともに、モリソン号に対する攘夷行動を批判した勇気と先覚には畏敬の念を禁じ得ません。合掌。なおいただいた観光地図によると、まだまだ見どころがあるようです。また駅では自転車を無料で貸してくれるとのこと。伊良湖岬から戻ったら田原を徘徊することにしました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-06-29 06:15 | 中部 | Comments(0)

豊橋編(11):四谷千枚田(10.4)

 ほとんど車の姿を見かけない長閑な車道を、アハハハと呵々大笑する山々や、それを映す水を張った田や、点在する集落を眺めながら気持ちよく歩いていきます。やや上り道ですが、清々しい眺望を楽しみながらの散策なのでまったく苦になりません。途中に、付近から集めたのでしょうか、石仏・石造物群がありました。ほのぼのとした気持ちになってそばに寄ると…観音様や五輪塔が持ち去られる被害があり、不審人物を通報してほしいという看板があります。嗚呼なんてこったい、憤怒を通り越して哀しみすら覚えます。その地域を見守り、人々の信仰を集めてきた大切なものなのに。途中にあった商店にはまたまた「長篠合戦のぼりまつり」のポスター、「心打ち抜く火縄の響き!!」という土臭いキャッチコピーがなかなかいいですね。
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 そして予想通り三十分ほどで四谷の棚田に着きました。おおっ、耕して天に至る、山と山にはさまれた細長い斜面に築かれた無数の田んぼに眼を奪われます。意図したものではないにしろ、見事な造形です。そして生きるという営為の荘厳さに、いつものことながら胸を打たれました。ただ次のような、心痛む看板がありました。「私はこの付近で草刈りをしている者です。最近、心無い人が捨てられた空缶、空ビンで大怪我をしました。お願いですからゴミは捨てないで下さい。鞍掛山麓千枚田保存会」 さきほどの石仏盗難の件といい、この件といい、他者の痛みに対する想像力の欠落という恐るべき状況に陥っている人が多いのかもしれません。ま、他者の痛みと己の利福がトレード・オフの関係にあるのが、資本主義の本質。このシステムを私たちが受け容れ臣従する以上、"没法子"と呟いて溜息をつきましょう。
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 さて残された時間は十数分、寸暇を惜しんで棚田の間を歩きまわることにしましょう。残念ながら代掻きにはまだ早いようで、無数の田の満面に水を張った幻想的な光景には出会えませんでした。それでも、粒粒辛苦を物語る大小の棚田や石垣、瑞々しい緑を抱く山なみ、微かに聞こえる水音や鳥の声、清冽な微風を十二分に満喫できました。ほんとは天辺まで歩いて、上から棚田を一望したかったのですが、そろそろバス停にもどらねばなりません。後ろ髪を引かれるように棚田を去り、ゆるい下り道をてくてくすたすたと歩き、かろうじて9:17発のバスに間に合いました。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-06-28 06:18 | 中部 | Comments(0)

豊橋編(10):四谷千枚田へ(10.4)

 朝、目覚めてカーテンを開けると天気は良好、雨の憂いはなく徘徊できそうです。本日は四谷の棚田を見て、伊良湖岬に行く予定です。チェックアウトをすませ豊橋駅に行くと、「飯田線もトイカでピッ!」というステッカーがありました。そうか、中部地方における磁気カードはトイカと言うのか。今、インターネットで調べたところ、「Tokai IC Card(東海ICカード)」の頭文字をとって名付けられ、カードのデザインは東海地方の海岸線をイメージしたそうです。「イコカ」の向こうを張って「ダガヤ」にすればよかったのに。そうそう、駅構内に観光案内所があることを発見、何かの節には御利用下さい。
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 さてそれでは6:30発の飯田線、本長篠行きに乗り込みましょう。途中の牛久保駅には「山本勘助のふるさと」という看板が掲げられていました。その先の鳥居駅のあたりの車道には「鳥居強右衛門祭」という幟が何本も立てられていました。長篠城に立て籠もる奥平貞昌の家臣で、城をひそかに脱出し岡崎城の徳川家康に援軍を求めて戻ったところを武田勝頼に捕えられた武将ですね。「援軍は来ない」と叫べと勝頼に強要されたにもかかわらず、「援軍が来るから辛抱せよ」と叫んだためその場で磔にされた豪胆な方です。
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 そして7:26に本長篠駅に到着、駅前には「長篠合戦のぼりまつり」という幟がはためいていました。歴史学徒の末席を汚す者としては、長篠合戦古戦場跡を表敬訪問すべきなのでしょうが、棚田と灯台に惹かれてしまう、偏屈な、わ、た、し。再訪を期すことにしましょう。「暮らしにつながるこの一服」という煙草屋の看板と久闊を叙し、すこし歩くとバス停に着きました。
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 そして7:35発の田口行きバスに乗り込み、いざ出発。山間の道を縫うように走ると、やがてそれはそれは鮮やかな春紅葉を車窓から見ることができました。"山笑う"という季語そのままの光景には見惚れてしまいます。そして7:56ごろ、「滝上」というバス停に到着。当然の如くバスの本数は少なく、本長篠駅に戻るバスは9:17発、これを逃すと次のバスは11:25発です。そうなるとこれからの行程が壊滅的な打撃を受けてしまうので、是が非でも前記のバスに乗らなければ。そうすると与えられた時間は約一時間と十分程度。あらかじめ調べておいたところによると、四谷の棚田まで歩いて片道三十分弱はかかりそうです。ほんとにtouch and goですが、いたしかたありません。幸い、バス停のすぐそばに「ようこそ!千枚田へ 鞍掛山麓四谷千枚田」という道標があったので道に迷うことはなさそうです。余談ですが、トタン張りのバス待合室には「自衛官募集」という立て看板がありました。「良い鉄は釘にならず、良い男は兵士にならない」という中国の諺を思い出しましたが、そんな悠長なことを言っていられない現実があるのでしょう。格差社会をつくりだした方々の狙いの一つは、困窮のため兵士にならざるをえない若者を大量に生み出すことにあるのではと愚考します。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-06-27 06:17 | 中部 | Comments(0)

豊橋編(9):豊橋(10.4)

 ごととんごととんと路面電車に揺られながら、十分ほどで「市役所前」に到着。ここで下車すると、眼前に豊橋市公会堂の巨躯が迫ります。堂々とした恰幅のよいファサード、いいですねえ。思い切り幅を広くとった正面階段が、列柱へと続きます。その両サイドにあるドームと四羽の鷲をいただいた塔がいいアクセントになっています。角ばった重厚な建築で、下手すると鈍重な印象を与えかねないのですが、この塔やアーチ型をまじえてリズミカルに並ぶ縦長の窓が、軽やかさと華やかさを演出していました。解説板によると、設計は中村與資平、豊橋市制25周年を記念して1931(昭和6)年に建てられたそうです。さまざまな催し物に使われながら、この豊橋の町をずっと見守ってきたのですね。町の記憶とも言うべき貴重な物件、町のホット・ステーションなんぞいらないから、町のメモリアル・ステーションとしていつまでも保存していただきたいと切に願います。
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 公会堂の右手の道をすこし歩くと正面は豊橋公園、戦前の物件らしきものものしい警備員の詰所が、まるでウェディング・ケーキにへばりついた蜘蛛のように印象的です。軍関係の施設の跡地なのでしょうか。
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 公園に沿ってすこし歩くと、豊橋聖ハリストス正教会が見えてきました。竣工は1913(大正2)年、設計は函館白河の正教会も手掛けた、その筋では有名な河村伊蔵です。愛らしい八角形の鐘楼と小さなドーム、一列に並びじょじょに大きくなるポーチ・玄関・啓蒙所・聖所のバランス良い配置もいいですね。また手入れや保存状態も良く、みんなに愛されている建築であることがしのばれます。なお内部には山下りんが描いたイコンがあるとのことです。
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 それでは今夜の塒がある駅方面へと戻りましょう。歩道橋でまた「こっちだヨウ平」を発見。「東海道」という道標もありました。
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 吉田宿本陣跡の碑を通り過ぎると、「篠嶋屋」という蕎麦屋を発見。小腹もへったし、ここで夕食をとることにしましょう。中に入り、ご当地名物に敬意を表して味噌煮込みうどんを所望。そのくどさと暑苦しさには少々閉口しましたが、一気にたいらげました。御馳走様。
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 アーケード商店街にスマートボール店があったのには驚愕。温泉場では時々見かけますが、ヒューマン・スケールの、こうしたしょぼくて温もりのある娯楽が、街のど真ん中で健気に商っているその姿には感銘すら覚えます。客人が一人しかいないのがちょっと気にかかりますが、末代まで町のプレイ・ステーションとして鎮座していただきたく思います。そして豊橋駅に戻り、予約しておいた近くのビジネス・ホテルに投宿。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-06-26 06:25 | 中部 | Comments(0)

「アフリカン・ブラッド・レアメタル」

 「アフリカン・ブラッド・レアメタル 94年ルワンダ虐殺から現在へと続く『虐殺の道』」(大津司郎 無双舎)読了。映画「ホテル・ルワンダ」を見て、ルワンダにおける凄惨な民族浄化(エスニック・クレンジング)と、それに対する国際社会の無力さに愕然としました。嗚呼しかし…そんな感想などいかに牧歌的であるか、本書を読んで思い知らされました。現代世界のおぞましいあり方が、いかに多くの流血と犠牲者を生み出していることか、そして私たちはその戦慄すべき事実を、しかも私たちの暮らしと深くつながっている事実を、いかに知らされていないか/知ろうとしないか。著者の大津氏は、綿密な取材と勇気ある行動力とアフリカの人々への愛をもって、その事実を白日の下にさらけだしてくれました。まずはそのジャーナリスト魂に敬意を表したいと思います。
 いきなり核心から入りましょう。
 アメリカが並々ならぬ関心を注いできたコンゴの鉱物資源、その争奪の戦いの新たなはじまり、それを導いたもの、それが"ルワンダ虐殺"だった。あえていえばコンゴの鉱物資源獲得のためにルワンダ虐殺は仕掛けられたといっていい。さらに地域から旧宗主国フランスを追放することによって地域を再編、強力なアメリカ主導によるアメリカン・グローバリゼーションを実現する。それがルワンダ虐殺のワケであり、黒幕たちのシナリオだった。(p.19)
 その背景を、本書によって補足しましょう。金融危機に見舞われた後、相変わらずグローバリゼーションの推進に力を入れるアメリカにとって新たなインパクトが必要となります。その中心にオバマ大統領は新たな環境技術開発を持ってきたのですね、「グローバリゼーション」と「環境」の合体、前例のない巨大ビジネス="グリーン・ニューディール"の出現です。それにともない、不可欠な素材であるレアメタルの需要もまた跳ね上がりました。その中でも特に重要なのが、コールタンから精製されるタンタラムという黒い粉です。タンタラムは超耐熱性、耐腐食性に優れ、携帯電話、コンピューター、ビデオ・ゲームなど現代のあらゆる小型先端機器のキャパシテーター(蓄電部)として不可欠のレアメタルなのですね。そのコールタンの80%が、コンゴの地下に眠っていると言われます。なお、コンゴのコールタン争奪に拍車をかけ、多くの犠牲者を生んだのが、2000年のPS-2(ソニー)の爆発的人気による不足だといわれていることを付記しておきましょう。氏曰く、"こうしたコールタンをはじめとしたレアメタルの需要増と、300万のアフリカ人の死とはピタリと重なる。先進世界の先端技術開発、莫大な企業利益はアフリカ人たちの死、戦いによってあがなわれていた。(p.239~240)" しかしグレイト・レイクス、ルワンダ、コンゴ一帯はすでにフランスの影響下にありました。そこでアメリカはフランスを排除して豊富なレアメタルを入手するために、この一帯を不安定化させる、つまり戦争を必要とした。ツチ族とフツ族の対立からルワンダ虐殺と内戦が起こると、アメリカは目立たぬようにこれに介入、そしてこれまでの地域秩序を戦争によって崩壊させ、新たな覇者と手を組んでレアメタルを手に入れる。ほんとうは、さまざまな勢力による対立抗争・離合集散があるのですが、とても私の力ではまとめきれません。是非本書を一読していただきたいと思います。そして筆者の眼差しはつねに、その犠牲となるアフリカの人々に注がれます。時には無惨に殺され、時には難民となり、時には"人間の盾"として利用される人々。こうした真摯な姿勢が、このルポルタージュに厚みと深みを与えています。
 さて、重厚長大の旧産業が陰りを見せる中、各国は次世代の成長産業を必死で模索しています。それに欠かせないのがレアメタル。また、CO2削減、石油からのエネルギー転換(燃料電池などの代替エネルギー)、鉛使用(プリント基板、集積回路ほか多くの分野で使われている)に代わる代替メタルの確保など、環境ビジネスにとってもレアメタルは必須の資源です。その多くが埋蔵されるコンゴにおいて、レアメタルを手に入れるために繰り返される戦争・内乱・虐殺、それを陰で操る超大国と巨大企業、そしてアフリカの人々の血で購われたレアメタルを利用したファミコンや携帯電話で嬉々として遊ぶ方々。やれやれ、帝国主義・植民地主義は、より洗練された形で再生産され続けているのだと思わざるを得ません。「人類は半分滅亡しかかっている」「第三次世界大戦が進行中である」という想像力くらいは持ちたいものです。
 現代世界が持つおぞましき構造の一断面を見事に切り取って見せてくれた、万人必読の書。お薦めです。最後にバールのような筆者の言を引用しておきます。
 …狭いが、「心」以外ほとんどが満たされている「パラダイス」に閉じこもる日本人にとって、リアルな人間の戦いと殺し、さらに"異(alien)"に対して思いを展ばす想像力は限られている。(p.99~100)

by sabasaba13 | 2011-06-25 07:22 | | Comments(0)

「「分かち合い」の経済学」

 「「分かち合い」の経済学」(神野直彦 岩波新書1239)読了。「社会などない。あるのは個人だけだ」という名言(迷言)をはいたのはマーガレット・サッチャーですが、その言をこの世で実現しつつあるのが昨今の日本です。個人を競争に駆り立て、骨身を削らせて低賃金を競い合わせる。負けたら自分が悪い、自己責任だ。やれやれ、新自由主義者のみなさんが唱導した市場原理主義がどうやらわれわれの骨肉になってしまったようですね。本書は、コンパクトに新自由主義の歴史をまとめ、それに対する批判および違う選択肢を提示してくれる良書です。
 まずは新自由主義に関する筆者の言葉を引用します。
 新自由主義にとって改革とは、「失業と飢餓の恐怖」を復活させ、それを鞭にして「経済的活力」を高めることにほかならない。新自由主義政策を推し進めた小泉政権は、「改革なくして活力なし」をキャッチフレーズとしていたが、その真意は「失業と飢餓の恐怖なくして成長なし」というものである。「改革なくして成長なし」とは、「貧困なくして成長なし」といいかえてもよいのである。
 より人間的な未来を目指して前進しようとすると、新自由主義の傭兵たちは「改革を止めるのか」とたちまち牙を剥く。それは「失業と飢餓の恐怖」を創り出さなければ、より豊かな富を手にすることができないと信仰しているからである。(p.8)
 お見事! 新自由主義の本質を簡明かつインパクトのある表現で的確に伝えてくれます。そうだよね、結局は失業と飢餓を鞭にして、わたしたちを低賃金で死ぬまで働かせようという腹なのですよね。小泉元軍曹も選挙演説でこのように説明してくれたらよかったのに。"傭兵"という表現も鋭い。金をもらって新自由主義のお先棒をかつぐ連中がいかに多かったことか。まさしく傭兵です。そして本書の白眉は、新自由主義の歴史について述べた部分です。これはほんとに勉強になりました。下手な要約ですが、蟷螂の斧、おつきあいください。
 市場経済の暴走によって引き起こされた世界恐慌(1929)の結果、列強は「近隣窮乏化政策」、つまり"自分の国さえよければ他国はどうなってもいい"という経済政策をとり、第二次世界大戦という破局を迎えました。戦後、こうした事態を二度と起こさないために、アメリカを中心にしてブレトン・ウッズ体制が築かれます。固定為替相場制の導入、そして固定為替レートを維持するために、資本統制が容認されました。つまり、租税負担の高さや政治的要因により資本逃避(キャピタル・フライト)が生じないようにするための、国家による資本統制が認められていたのですね。これにより福祉国家を機能させることが可能となり、重化学工業の発展とあいまって「黄金の三十年」と呼ばれる世界的な経済成長が始まりました。氏はこの世界的経済秩序を「パクス・アメリカーナ」と名づけておられます。この秩序の崩壊する年が1973年。まず同年9月11日(!)、アメリカを後ろ盾としたクーデターがチリで起こります。これは民主主義を真っ向から否定する暴挙ですね。そして「パクス・アメリカーナ」を支えていた重化学工業を基軸とする産業構造の行き詰まりを物語る石油ショック。もう一つが、変動相場制への移行、つまりブレトン・ウッズ体制の崩壊です。これにより資国家による資本統制が不可能となり福祉国家の維持が困難となります。以上のように、民主主義と重化学工業と福祉国家の行き詰まりを象徴する年が1973年。そして資源価格の高騰、および重化学工業の行き詰まりで投資先を失った過剰資本があふれだします。そうした過剰資本を、アメリカの支配のもとに、自由に動き回らせ、アメリカの覇権を維持することが新自由主義の背後理念だというのが、筆者の結論です。
 そして氏が提案するもう一つの選択肢が、知識産業やサービス産業を基軸とする知識社会です。そして工業社会から知識社会への産業構造転換をいち早く押し進めているスカンジナビア諸国の実例を紹介されるとともに、工業社会にこだわりつづける日本を手厳しく批判されています。
 日本にいたっては、先進国から一周遅れで重化学工業化を推進する中国やインドに対抗するために、低賃金と低税率を求めている。一周遅れの重化学工業化といっても、後発の利益が中国やインドに発生するため、より生産性の高い設備が中国やインドに設置されてしまう。そのため、より一層の低賃金と低税率が、異常なまでの熱意を込めて追求されていく。(p.170)
 知識社会についての具体的なイメージがいまひとつ鮮明でないのが惜しいのですが、新自由主義を理解する上で好個の一冊です。ひとつ疑問を感じたのは、仮に日本が知識社会へと構造転換し、低賃金を争う地獄の競争から抜け出せたとしても、中国やインドの労働者はどうなるのでしょう。どうしたら、世界が、この市場原理主義=悪魔の碾き臼から脱却できるのかという視点がほしかったな、と思います。
by sabasaba13 | 2011-06-24 06:13 | | Comments(0)

言葉の花綵54

 グローバル化した地球規模の市場とその周辺に成立するアイデンティティーを求める無数の運動の間には、大きな暗い穴が口をあけている。この穴の中では、共同意思、人民、国家、諸価値、公衆道徳、人間間関係などが、一言でいえば、社会が消え去ろうとしている。(アラン・トゥレーヌ)

 社会は存在しない。個々の人間が存在するだけである。(マーガレット・サッチャー)

 果実は万人のものだが、土地は誰のものでもないことを忘れるなら、君たちは救われない。(ジャン=ジャック・ルソー)

 グローバリゼーションは日々のテロである。(ドイツの雑誌『シュピーゲル』)

 飢え、病、渇き、そして貧困に起因する地域紛争が、毎年第二次世界大戦の六年間の死者の数とほぼ同数の男女、子どもたちを殺している。第三世界のひとびとにとっては、疑いもなく第三次世界大戦が進行中なのだ。(ジャン・ジグレール)

 組織犯罪は先鋭化した資本主義である。(ヴィルヘルム・シュヴェルトフェーガー)

 現在の貿易の現実は次のように説明できる。すなわち、ある製品が市場に投入されるやいなや、それが製造される過程で蒙る人間的かつエコロジカルな次元での良からぬ状況についてのいっさいの記憶は失われる。(スーザン・ジョージ)

 信念の住まう世界には、いかなる事実も参入できない。(ポール・ヴァレリー)

 暴力をもってしても、犯罪的行為をもってしても、社会運動をおしとどめることはできない。歴史はわれわれの側にある。歴史をつくるのは人民なのだ。(アジェンデ)

 われわれにとって何よりも大事なことは、行動可能になるように理解することである。(アタック・フランス)

 いま12時25分だ。明日の12時25分までに、邪魔立てをする先住民は、15歳以上の男子であれば全員残らず殺せ。(デュヴァル将軍)

 人民の行進は力の集団表現である…モーゼ以来。(ジョアン=ペドロ・ステディレ)

 奴らは人間を殺すことはできる
 だが、奴らにも抹殺できない
 人間の心が歓喜にふるえて
 自由に夢見ることだけは (ベネズエラの民謡)
by sabasaba13 | 2011-06-23 06:15 | 言葉の花綵 | Comments(0)

豊橋編(8):豊橋(10.4)

 まずめざすは前芝燈明台、名鉄バスに乗って「前芝海岸」で下車、徒歩10分という情報は得ていますが、駅前のバスターミナルで調べたところ、本数がたいへん少のうございました。できうれば今日のうちに豊橋公会堂とハリストス正教会を見たいので、泣いて馬謖を斬る、韓信の股くぐり、千挫屈せず百折撓まず、タクシーを利用することにしました。行き先を運転手さんに告げたところ、困った顔をされています。「申し訳ありませんが、どこにあるのかわかりません…」 いやいや何をおっしゃるうさぎさん、そんならおまえとかけくらべ…じゃなくて、こんな超レアな物件を指定したこちらこそ申し訳ない。会社と連絡をとって場所を確認、どうにか目的地へと到着することができました。海へと注ぐ川の堤防沿いにちょこんと佇む、木造の灯台が前芝燈明台です。宝形造の立派な屋根が印象的ですが、それほど古色をおびたものではありません。解説板によると、1668(寛文8)年に吉田藩の御用船が遭難したのを受け、翌年に藩主小笠原長矩の命でつくられ、1907(明治40)年まで航行の安全を見守っていたそうです。「この種の古い灯明台がほとんど失われてしまった今日では、灯台の歴史上貴重な価値を持つものです。なお現在の建物は、昭和41年に復元されたものです」という玉虫色の表現なので、創建当時のものか否かははっきりしません。たぶんその状態からみて再建されたものかと思います。
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 そして豊橋駅まで戻り、タクシーとはお別れ。駅前から路面電車に乗り、豊橋公会堂へと向かいましょう。路面電車がのてのてころころと走っている姿を見ると、ほんとうに心がほのぼのとしてきます。渋滞の緩和、中心市街地の活性化、環境問題への対応、お年寄りへの配慮、景観との調和、自動車と勝負をしたら、セット・カウント3-0 (6-1 6-0 6-1)で完膚無きまでの勝利をおさめることでしょう。自動車を叩き出し、街を人間と路面電車の手に取り戻す英断と見識を、地方自治体に期待します。これまでに訪れた路面電車の走る町は、函館、札幌、東京富山高岡福井岡山広島高知松山長崎鹿児島。海外ではダブリンアムステルダム、ウィーン、リスボンポルトです。日本国内で残るところといえば…えーと、おっあと熊本だけではあーりませんか。よしっ幾山河越えて、いつの日にか行ってみましょう。それはさておき、さっそく乗り込… おっ「日の丸薬局」の広告がある車両だ。この車両に乗ると、願いが叶うという豊橋のローカル都市伝説…はないのですかね。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-06-22 06:16 | 中部 | Comments(0)

豊橋編(7):岡崎(10.4)

 そして川沿いの道を歩き橋を渡ると田町界隈。こちらでは異形な銭湯をゲット、その名ぞわれらが龍城湯! まるで町工場のような威風堂々とした大型木造建築で、ファサードを覆い隠すような背の高い生垣が印象的です。その近くには見事な門構えの志貴小児科医院がありました。
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 国道一号線に出て、何もここまで大仰につくらなくてもいいのではと溜め息をつきたくなるような歩道橋を渡ると、「自転車はおりて渡りましょう」という注意書きがありましたが、そこに描かれた虫を擬人化してキャラクター「こっちだヨウ平」が妙に気になります。
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 そして昔は遊郭であったという板屋町界隈へ。このあたりが旧東海道だったようですね、道標がありました。どことなくそれとなくなんとなくそこはかとなく、遊郭の雰囲気を漂わせるお宅が何軒かありました。オーソドックスな火の見櫓を横目にすこし歩くと、まるで教会のようなカクキュー八丁味噌本社事務所二棟が見えてきました。
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 解説板によると、完成は1927(昭和2)年、建築当時は大きく人目を引くデザインだったそうです。その近くにある八丁蔵通りに行くと、おおっ、ピクチャレスク、フォトジェニック! 狭い路地の片側にそそりたつ黒板に白漆喰の味噌蔵が素晴らしい風情をかもしだしていました。
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 なお付近には"連続テレビ小説「純情きらり」ロケ地"という看板があり、宮崎あおい氏の手形がありました。ま、「おはなはん」以来、このだらだらとした長寿番組は見たことがないので、私にとっては風馬牛です。さてそれでは豊橋へと向かいましょう。名鉄本線に乗って東岡崎で快速に乗り換え、二十分ほどで豊橋に到着です。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-06-21 06:18 | 中部 | Comments(0)