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天浜鉄道・中津川編(8):久留女木の棚田(10.7)

 タクシーに戻り、次は久留女木の棚田をめざします。持参した地図を頼りに右往左往して、約二十分後にやっとたどりつきました。観音山少年自然の家につながるゲート(猪の侵入を防ぐため開けたら必ず閉めておくこと)を通り抜け、右手の側道に入ると、耕して天に至る見事な棚田が広がっています。稲はかなり成長しており、幾重にも連なる緑の絨毯のよう。開発の起源は、平安~室町時代とかなり古いようですが、それを今日まで維持してきた名も無き人々の労苦に頭を垂れましょう。このあたりは地滑り地帯ですが、この棚田のおかげで大きな地滑りは発生していないとのことです。貴いとも言えるような見事な景観をしばし見つめ、写真を撮りまくりました。
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 そしてタクシーに戻り、金指駅へと戻ってもらいます。途中で出会ったのが、建設中の高速道路です。運転手さん曰く、ほとんど工事は進んでいないとのこと。今走行している道路もけっこう立派なのに、高速道路を作る必要性があるのでしょうかと訊ねると、「ありません」 無駄な公共事業がここでも跋扈していました。国土を保全し命を養う棚田、戦争を称揚する凱旋門と税金を浪費する公共事業、短時間のうちに見事なほどに対照的な物件を見ることができました。
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 三十分ほどで金指駅に到着、掛川駅でもらった観光案内地図によると駅の近くに「コジマヤ」という鰻料理の店があるそうです。ただ今後の旅程を考えると、新所原に向かう14:16発の列車にできれば乗りたいものです。現在の時刻は13:45、真っ当な鰻屋だったら、調理するのに三十分以上かかりますよね。いちおう店におもむき、店員の方に訊ねるとやはりそれくらいかかるというお返事。浜名湖が近いだけに美味しい鰻だろうなあと期待したのですが残念、潔く撤退しましょう。幸い真向かいに「ぴいぷる」という洋食レストランがあったので入店。静岡牛のサーロイン・ステーキをいただきました。
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 そして五分ほど歩いて金指駅に戻り、駅前にあった古い貯水タンクを撮影。入線してきた列車に飛び乗りました。
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 ここからは時々、左手に浜名湖を眺望することができます。途中に三ケ日駅がありましたが、昔日の受験勉強で記憶した三ケ日原人の骨はこのあたりで発見されたのですね。気になってインターネットで調べてみると、最近の調査で縄文時代の人骨であったことが判明したようです。よって今では三ケ日人と呼ばれているそうな。なおこの三ケ日駅と気賀駅ではレンタサイクルが用意されており、浜名湖を周遊するサイクリングロードを走れるとのこと。また2001年のコカコーラのCMで、桑田佳祐がピアノで『白い恋人達』の弾き語りをしたのがこちらのホームだそうです。
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 そして列車は新所原駅に到着、ここでJR東海道本線に乗り換えます。ホームで列車を待っていると、がたたんがたたんと貨物列車が駆け抜けていきました。入線した列車に乗り込むと、次が二川駅、四分ほどで到着です。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-07-28 06:07 | 中部 | Comments(0)

天浜鉄道・中津川編(7):渋川の凱旋紀念門(10.7)

 ただ日露戦争がもたらした熱狂的な愛国心の発露について、田山花袋の『田舎教師』ではこう語られています。
 遼陽占領! 遼陽占領! 其聲は何んな暗い汚い巷路にも、何んな深い山奥のあばら家にも、何んなあら海の一孤島にも聞えた。號外賣の鈴の音は一時間と言はずに全國に新しい詳しい報を齎(もた)らして行く。何處の家でも其話が繰返される… 遼陽占領の祭で、町では先程から提灯行列が幾度となく賑かに通つた。何處の家の軒にも鎭守の提灯が並んでつけてあつて、國旗が闇にもそれと見える。…「萬歳! 日本帝国萬歳」

 日本が初めて歐洲の強國を相手にした曠古(こうこ)の戰争、世界の歴史にも數へられるやうな戦争-その花々しい國民の一員と生れて來て、其名誉ある戰争に加はることも出來ず、その萬分の一を國に報いることも出來ず、其喜悦の情を人並に萬歳の聲に顯(あらは)すことすらも出來ずに、かうした不運な病の床に横つて、國民の歡呼の聲を餘所(よそ)に聞いて居ると思つた時、清三の眼には涙が溢れた。
 津々浦々、全国をまきこんだ熱狂的な雰囲気が手に取るようにわかる描写です。名誉ある戦争を戦い生還した兵士への称賛、戦死した兵士への慰霊、そうした人々の思いを具現するものとしてこうした凱旋門が各地でつくられたのでしょう。たまたま持参した幸徳秋水の『帝国主義』は、「帝国主義はいわゆる愛国心を経となし、いわゆる軍国主義を緯となして、もって織り成せるの政策にあらずや」として、その一章を愛国心の分析にあてています。その一節を紹介しましょう。
 富者の戦うや、富益す多きを加え、奴隷臣従益す多きを加うるなり。而して貧者は何の加うるところあらず、ただ曰く、国家のために戦えりと。彼らは国家のために戦うて奴隷の境に沈淪するも、しかもなお敵人を討伐せりという過去の虚栄を追想して、甘心し満足し誇揚せる者、ああこれ何の痴呆ぞや。(p.25)
 彼が国家権力にとっていかに危険な存在であったか、そして抹消しなければならない人物であったがよくわかる辛辣な一文です。貧者を兵士・労働者として奴隷の如く酷使し使い捨て、富者がますます豊かになるための戦争、その内実を貧者の眼から覆い隠すための"愛国心"。膚に粟が生じるのは、戦争の前に「経済」という一語を加えれば、この状況は今でも続いているということです。もちろん、戦前のような露骨なかたちではなく、きわめてマイルドなものに変化はしていますが。格差社会とワールドカップへの熱狂を見ると、そう思わざるをえません。たとえ軍事力は行使しなくとも、国内の貧者と他国民を犠牲にして一部の富者が富み栄え、その状況を覆い隠すために"愛国心"を利用する。もちろん日本だけのことではないでしょう。秋水は、前掲書の最後をこう締めくくっています。
 能くかくの如きにして、吾人は初めて不正、非義、非文明的、非科学的なる現時の天地を改造し得て、社会永遠の進歩もって期すべく、人類全般の福利もって全くすべきなり。もしそれ然らず、長く今日の趨勢に放任してもって省みるところなくんば、吾人の四囲はただ百鬼夜行あるのみ、吾人の前途はただ黒闇々たる地獄あるのみ。(p.117)
 "百鬼夜行"、"黒闇々たる地獄"という表現に切実なリアリティを感じてしまう昨今の情勢です。いずれにせよ、戦争・愛国心・近代日本について考え思いを馳せる縁となる貴重な戦争遺跡、末永く保存してほしいものです。
 余談ですが、先日読んだ「世界の歴史16 現代-人類の岐路」(加藤秀俊 中公文庫)に、第二次大戦後におけるナショナリズムの変質について述べた章で、下記のような一文がありました。これなども愛国心について考察する際の一つのポイントになりそうですね。administratorたちが、愛国心や国家主義を煽って国民をコントロールするためには、彼ら/彼女らの知的水準を下げるに如くはない、ということでしょう。
 ひとことでいえば、人類全体の知的水準は、おどろくべき上昇カーヴをえがいているのだ。こういう世界では、狂信的な国家主義は、かなり強力な知的チェックをうけないわけにはゆかない。(p.383)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-07-27 06:18 | 中部 | Comments(0)

天浜鉄道・中津川編(6):渋川の凱旋紀念門(10.7)

 そして11:45発の列車に乗り込みました。ずりっ 思わず腰が引けてしまったのは、車内に大きなビデオカメラを頑丈そうな三脚にセットし、車窓風景を撮影している方が数名おられたからです。車窓撮影タイプの鉄ちゃんなのでしょうか、ま、基本的に人様の趣味に半畳は入れませんが。天竜川を越えて、三十分ほどで金指駅に到着。
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 幸い駅前でタクシーが二台客待ちをしていました。さっそく乗り込んで運転手さんに持参した地図を示し、渋川の凱旋紀念門と久留女木の棚田に寄って駅に戻ってくるよう依頼しました。時間貸し切りかメーターか、どちらが安いでしょうかとお訊ねしたところ、貸し切りはしていないとのお答え。ちょっと解せませんが、やむをえません。三十分弱で渋川の集落に到着、眼を皿のようにして二人で街並みを見つめていると…あった! 左手の森の中、道路からすこし奥まったところに煉瓦造りの門がありました。さっそく車からおりていそいそと近づきました。解説板があったので転記しておきます。
日露戦争を記念して、六所神社参道の途中に築かれた。石造柱脚の上に、柱頭を鋸歯飾とした煉瓦造の柱が立ちあがり、煉瓦造の欠円アーチを挟み込む。煉瓦の積み方はフランス積みとする。大型の石製扁額を挟み、上部に江戸切仕上石材の重厚な笠石を載せる。県内における初期煉瓦造の構造物。
 欲を言えば、これがつくられた由来についての解説が欲しいものです。村人の自発的な行為なのか、行政からの命令・指導によるものなのか、その式典の内容はどういうものだったのか、この門をくぐったのは生還者なのか戦死者なのか、たいへん興味があります。それでは近づいてみましょう。神社へと続く石段の途中に設置してあり、煉瓦をていねいに積み上げたアーチ門で崩れているとこもなくほぼ完全な形で残っています。扁額には「門念紀旋凱」と刻まれており、柱の根元には従軍した兵士の名が刻まれています。当時の渋川の人々が、日露戦争の生還者あるいは戦死者を表面上はともかく内心ではどういう気持ちで出迎えたのか、門は黙して語りません。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-07-26 06:20 | 中部 | Comments(0)

天浜鉄道・中津川編(5):天竜二俣駅(10.7)

 さてそろそろ見学会の集合時刻です、天竜二俣駅へと急いで戻りましょう。駅の待合室に着くと、わやわやとご婦人たちのグループが集まっておられます。鉄子さんたちなのでしょうか、とにかく見学会は盛況のようです。窓口で入場料金100円を支払うと、見学記念硬券と資料をくれました。
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 それによると、天竜二俣駅構内の施設は、そのほとんどが旧国鉄二俣線開業当時、1940(昭和15)年に建設されたもので、転車台・扇形車庫・運転区事務室・運転指令室・乗務員詰所・運転区講習室・運転区浴場・洗濯場が登録有形文化財に指定されているそうです。これは楽しみだ。係の女性ガイドさんにぞろぞろと率いられて、駅の奥へと入っていくと、まずコンクリート製の巨大なタンクが見えてきました。蒸気機関車に水を補給するための施設だそうです。
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 金網の門をくぐり、木造の運転区事務室と浴場・洗濯場の間を抜けていきますが、昭和の駅の情景が冷凍保存されているかのようです。
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 そして眼前に現れたのが転車台と扇形車庫。この二つがセットで現存しているのは珍しいと思います。
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 おまけに、実際にディーゼルカーを乗せてぐるんぐるんと回してくれるサービス付きです。
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 扇形車庫内の一室は鉄道資料室となっており、タブレットなど鉄道関連の古い資料を見学することができました。
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 いやあもう大満足、こうなると未見の転車台や扇形車庫を片っ端から訪れたくなってきました。会津若松駅、津山駅、若桜駅、旧豊後森機関区あたりをねらっています。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2011-07-25 06:19 | 中部 | Comments(0)

天浜鉄道・中津川編(4):二俣(10.7)

 建物にも絵にも大満足した至福のひと時でしたが、そろそろ二俣の街へとまいりましょう。受付で「渡河」のクリア・ファイルを購入して外へ出て、坂を下りて二俣大橋を渡ると、もうそこが二俣の町並みです。
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 まずは連続する縦長の窓とスクラッチタイルが印象的な旧二俣町庁舎へ、現在は「本田宗一郎ものづくり伝承館」として再利用されています。ウィキペディアで調べてみると、彼の出身は静岡県磐田郡光明村、地理的に近いということでつくられたのでしょうか。なお彼の名文句が掲載されていたので紹介します。「社長なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない」「チャレンジしての失敗を恐れるな。何もしないことを恐れろ」「石橋だと分かれば叩かずに、どんどん渡っちゃう」「私が手がけた事業のうち99%は失敗だった。1%の成功のおかげで今の私がある」「人には失敗する権利がある。だがしかし、それには反省と言う義務が付く」
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 クローバー通りに行くと、戦前の建物が目白押し。まずは二俣医院と蔵。1916(大正5)年に建てられ、下見板張り、車寄せとその上部にあるバルコニーが洒落た洋館です。陣屋は、木造三階建ての威風堂々とした旅館建築。
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 米徳商店のファサードは、オーシャン・ウィスキーのオーク樽を加工した板が張られているそうです。金丸塗装店は、無装飾でアンシンメトリックなファサードがまるで現代抽象美術のよう。神谷時計店は、中央にそびえたつ時計台と、瀟洒な窓の桟の意匠が素敵な建物です。鎌田屋商店の前には、まるで現代彫刻のような昭和初期のガソリン計量器が置いてありました。
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 というわけで、ここ二俣は穴場でしたね、思いがけない邂逅に感謝したいと思います。なお信長に切腹を命じられた徳川信康(家康の嫡子)の墓や、二俣城址や、陸軍中野学校二俣分校碑もありますが、時間の関係上見ることはできませんでした。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-07-24 07:08 | 中部 | Comments(0)

天浜鉄道・中津川編(3):秋野不矩美術館(10.7)

 出発進行! わずかな乗客を乗せた一両編成のローカル列車はよっこらしょと動きはじめました。もちろん単線、ディーゼルカーなので架線がなく見晴らしも最高、前方の窓に陣取ると山なみや田植えの終わった田んぼなど美しい風景を一望できます。
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 桜木駅のレトロな駅舎は、仲間由紀恵主演のテレビドラマ「エラいところに嫁いでしまった!」で使用されたそうです。原谷駅は、「WATER BOYS 2」のロケ地、昔ながらの田舎の雰囲気や佇まいをよく残しているということなのでしょう。
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 遠州森駅を過ぎると、ここからは未知の領域。そして掛川から45分ほどで天竜二俣駅に到着です。もう使用されてはいませんが、通票受器や通票渡器や腕木式信号機など、古い鉄道物件が野外展示されていました。鉄ちゃんだったら随喜の喚声をあげそうですね。
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 ただいまの時刻は9:45、これから秋野不矩美術館を見学して戻ってくれば、転車台見学の集合時間10:40には間に合うでしょう。駅員の方に確認すると10:50に来ればよいとのこと、ついでに付近の地図と美術館の割引券をいただきました。さあそれでは出発、駅前には旧国鉄二俣線の時代に使用されていた蒸気機関車が野外展示されていました。二俣川に沿ってしばらく歩くと、「川で遊ぼう!」という看板がありました。その意気やよし、安全への過剰な希求が蔓延するこのご時世に、一陣の爽やかな風を送り込むメッセージです。
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 その先には「ようこそ二俣へ」という、二俣の町を紹介する詳細な観光案内の看板がありました。なになに、おっこれは買いですね、私好みの古い町屋・商家・看板建築が目白押しです。美術館見学を早めに切り上げて、二俣の町並みに寄ってみましょう。二俣大橋を渡って、坂道へと右折すると、上方にある木々の間からまるで砦のような異形な姿が垣間見えます。そして坂をのぼりきると、得も言われぬ存在感とともに、秋野不矩美術館が屹立していました。直方体と四角錐を豪放に組み合わせた力強いフォルムにまず圧倒されます。そして土塗りと焼杉の壁、屋根のスレート葺きなど、多用される自然素材の暖かさ。さすがに頬ずりはしませんでしたが、思わず触れてしまいました。設計は建築史家の藤森照信氏、なお焼杉についてのエピソードや苦心談について「建築史的モンダイ」(ちくま新書739)の中でふれられています(p.96~)。
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 荒削りの重厚な木製ドアから中に入ると、土足禁止。内部もむき出しとなった荒削りの柱や梁、漆喰塗の壁面など、自然素材に満ち満ちています。トイレの男女表示も、漆喰の上に手書きされた温もりのあるもの。展示室の床は大理石や籐ござとなっており、その質感を足の裏で感じることができるようになっています。なるほど土足禁止はこのためだったのか、いっそのこと靴下を脱いで裸足になればよかったと思っても後の祭り。
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 ついつい建物のほうに眼がいってしまいますが、秋野不矩の絵も見ごたえがありました。インドの風土・大地・自然・動物・建物・人間を、虚飾や夾雑物をまじえずに描き切ったその絵には圧倒されます。とくにそのマチエールの存在感には眼を瞠ります。「美の巨人たち」によると、インドの赤や黄色の土に膠を混ぜて、岩絵の具として使ったそうです。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-07-23 07:41 | 中部 | Comments(0)

天浜鉄道・中津川編(2):掛川(10.7)

 皐月の某日に出発、幸いこの二日間は好天に恵まれそうです。品川駅から新幹線ひかりに乗り込むと、やがて車窓からまだらに雪が残る富嶽が望めました。そして静岡駅でこだまに乗り換えです。ホームで列車を待っていると、向かいのホームに懐かしのツインスターが燦然と輝いていました。おおそうか、プラモデルの田宮はここ静岡が本拠地だったのだ。1/35ミリタリー・シリーズ、1/700ウォーターライン・シリーズに生活のほぼすべてを捧げた幼い日々が走馬灯のように脳裡でかけめぐります。ウィキペディアによると、左側の赤い星は「情熱」、右側の青い星は「精密」を表しているそうです。そう、田宮のプラモデルの精密さには、いくたびも舌を巻いた記憶があります。それを支えていたのが、良きプラモデルを作り提供しようという情熱だったのですね。"情熱と精密"、いい言葉ですね、銘肝しましょう。"絵から「粗雑」という病気を取り除かなければならない。「稚拙」も「未熟」でもいい。「粗雑」とは心の病である"という小倉遊亀の言葉をふと思い出しました。
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 そして掛川駅に到着、ここから天竜浜名湖鉄道に乗り換えます。駅前に出ると、壁面に「年たけてまた越ゆべしとおもひきや 命なりけりさやの中山」と刻まれたプレートがありました。ああ私の大好きな西行の歌だ、東海道の難所である峠・小夜の中山は掛川の近くにあったんだ。根拠はありませんが、これからの私の旅を西行法師が祝福してくれたような気がします。そして天浜鉄道掛川駅へ、構内には沿線の見どころを紹介するパンフレットがいくつかあったので、頂戴しました。列車に乗り込んでつらつらと眺めていると、「転車台を見に行こう!」というパンフレットがありました。なになに「開催日 毎週金・土・日・月曜日+祝日 開催時間 10:40 13:40」、ということは自由に見学ができないわけだ。ま、そりゃそうだよね、実際に使用されている現役物件ですから関係者以外は立ち入り禁止でしょう。事前に判明してよかった、それでは10:40に天竜二俣駅待合室に来られるよう行動を調整しましょう。なお事前の申し込みは不要、飛び込み可とのことです。
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by sabasaba13 | 2011-07-22 06:15 | 中部 | Comments(0)

天浜鉄道・中津川編(1):前口上(10.7)

 たまたま「文化遺産オンライン」というサイトにでくわしました。なんでも文化庁が運営している日本の文化遺産についての電子情報広場だそうですが、これがなかなかいけます。「分野から探す」→「建造物・近代その他」と進んでいくと、私好みの近代化遺産がてんこ盛り。いわゆる「登録有形文化財」を相当数網羅しているのではないでしょうか。郵便局病院火の見櫓といったレアな物件にも眼が配られているのが素晴らしい。深夜、ニヤニヤしながら眺めていると、「凱旋紀念門」という物件が出てきました。がいせんきねんもん?
静岡県
明治/1906
煉瓦造、幅3.2m、高さ3.6m
1基
静岡県浜松市引佐町渋川
登録年月日:20020214
六所神社
登録有形文化財

日露戦争を記念して,神社参道の途中に築かれた。石造柱脚の上に,柱頭を鋸歯飾とした煉瓦造柱が立ち上がり,煉瓦造欠円アーチを挟み込む。大型の扁額を嵌め込んだフランス積壁面の上部に,江戸切仕上石材の重厚な笠石を載せる。県内初期の煉瓦造構造物。
 なんたるちゃ! 日露戦争から帰還した兵士を出迎える凱旋門が現存しているとは夢にも思いませんでした。ちなみにその数はわずか二つ、ここと鹿児島県姶良市にある山田の凱旋門だけだそうです。これは貴重な戦争遺跡、時代の物言わぬ証言者ですね。己の蒙昧さに恥じ入るとともに、ぜひともこの両眼で拝見したくなり、居ても立ってもいられなくなりました。さっそく渋川をインターネットで調べてみると、天竜浜名湖鉄道の金指という駅からタクシーで行けそうです。かなり山深そうだな、これは棚田がありそうだと農村環境整備センターが選んだ「棚田百選」で調べてみたところ、ビンゴ! すぐ近くに久留女木の棚田がありました。スネーク・アイ(7-10のスプリット)をクリアしたような爽快な気分。実は、以前に遠州森に行った時にこの天浜鉄道に乗り、長閑でいい路線だな、終着まで乗ってみたいなと思っていたので渡りに舟です。沿線の見どころについて調べてみると、天竜二俣駅に転車台と扇形車庫があり、おまけに藤森照信氏設計の秋野不矩美術館が駅の近くにありました。ウールワース(5-10のスプリット)をクリアしたような心地よい気分です。というわけで、天竜二俣と金指での途中下車と散策をおりまぜて、掛川から新所原まで天浜鉄道に乗ることに決定。せっかくここまで来たのだから、一泊二日の行程にしていろいろと歩き回ってみたいものです。「東海・北陸 小さな町小さな旅」(山と渓谷社)で調べてみると、捜査線上に中津川・岩村・明智という名が浮かび上がってきました。名古屋から飯田線で中津川まで行き宿泊、翌日は恵那から明知鉄道に乗り換え、明智と岩村を散策。もし時間が余ったら、名古屋で近代化遺産を探訪しましょう。以前から気になっていた東山植物園温室前館、「文化遺産オンライン」で発見した日本最古の観覧車(オリエンタルビル屋上)、十州樓本館、一宮にある旧起第二尋常小学校奉安殿が候補地です。そうそう、豊橋に行った時に観光パンフレットで知った、東海道の宿場・二川にも寄れますね。新所原の次の駅です。これで水も漏らさぬ鉄壁の布陣ができあがりました。[第一日目]転車台・秋野不矩美術館→凱旋紀念門・久留女木の棚田→二川→中津川 [第二日目]明智→岩村→名古屋 ヘルメスに唾するような強行日程ですが、己の性です致し方ありません。現地で入手した情報を活用し時間と相談しながら旅程は適宜改変し、いつものように後は野となれ山となれ的に彷徨うことにしましょう。理由はよくわかりませんが、持参した本は「帝国主義」(幸徳秋水 岩波文庫)です。後でわかったのですが、これはクリオの配剤でした。
by sabasaba13 | 2011-07-21 06:13 | 中部 | Comments(0)

筑波山編(10):土浦(10.5)

 そしてターミナルに戻り、やってきたバスに乗り込みました。途中で「小田城跡」という標識を見かけましたが、そうか、北畠親房が籠って『神皇正統記』を著した小田城はこのあたりにあったのか。車窓から「日本で三番目にうまい将来軒」という中華料理店を発見。なるほどね、こういうアイ・キャッチャーもあるのですね。「つくばりんりんロード」というサイクリングロードがありましたが、1987年に廃線となった筑波鉄道の線路跡を利用したものだそうです。筑波山や田園を眺めながらのサイクリングもいいですね、廃線フリークとしては心惹かれます。
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 そうこうしているうちに公園前バス停に到着、もうすこし土浦の街を散策することにしましょう。すこし歩くと土浦藩の藩校、郁文館の正門がありました。路地に入ると、剛毅木訥な佇まいが魅力的な土浦聖バルナバ教会があります。
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 このあたりで原初的な交通安全足型をゲット。東光寺の瑠璃光殿では見事な透かし彫りを見ることができます。どういうわけか二宮金次郎像もありました。なお観光パンフレットによると芭蕉の句碑もあるはずですが、これは発見できず。
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 この付近でグリーン・モンスター物件を二つゲット。
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 そしてガイドブックにあった「レストラン中台」に到着。飯村牛のメンチカツには思いっきり後ろ髪を引かれましたが、純粋に牛肉の味を堪能するためここは泣いて馬謖を斬りましょう、飯村牛のサイコロ・ステーキを注文。芳醇な味わいに舌鼓を打ちました。食うべきほどのものは食いつ、さあそれでは帰郷しましょう。
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 土浦駅前の歩道橋に上がると、どこかで見たことのある建物が遠望できました。まるでフィレンツェのドゥオーモのような…ああ以前も見かけた結婚式場だ、いまだ健在なのですね。これからもご健勝を祈ります。駅構内にあるコンビニエンス・ストアには、休憩できる小部屋が併設されていました。これはイバラキ・ウェイなのかな。そして常磐線に乗り込んで帰宅の途につきました。
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by sabasaba13 | 2011-07-20 06:20 | 関東 | Comments(0)

筑波山編(9):筑波山(10.5)

 御幸ヶ原には回転式の展望台やお土産屋があります。筑波山定番のお土産、ガマの油も売っていました。
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 ウィキペディアから引用します。
 ガマの油とは、江戸時代に傷薬として売られていたとされる軟膏剤。このガマとは、元はガマガエル(ヒキガエルの別名)である。その口上が正しければ「鏡の前におくとタラリタラリと油を流す」ことから耳後腺および皮膚腺からの分泌物の「蟾酥」(センソ)である。しかし、口上の薬効としては、外用で傷薬となる植物のガマの花粉「蒲黄」(ほおう)である(出雲神話で因幡の白兎の傷を治療するのに使われた薬)。これらを油脂性基剤(蝋や油)に混ぜた軟膏と考えられる。なお、筑波地方は湿地が多く植物のガマ(ホオウの材料)も、カエルのガマ(センソの材料)も多い(両方とも医薬品であり、現在では販売には薬剤師か登録販売員の資格が必要)。
 筑波山ガマ口上保存会によれば、「筑波山名物・ガマの油売り」口上は、200余年前、常陸国筑波郡筑波山麓出身の永井兵助が、故郷の薬「ガマの油」で一旗揚げようと売り口上を考案し、江戸・浅草の縁日の大道で披露したのが始まりとされる。ガマの油として売られていたもの自体は、いかなる薬かは不明であるが、蝋などを基剤にしニホンヒキガエルやムカデなどを煮詰めてつくられたという説、馬の脂肪から抽出した油(馬油)とする説もあるが、偽薬も含めて真相は不明である。
 さっそく展望台にのぼってみましたが、眺めはさきほどの女体山駅のほうが上でした。さてそろそろ下界へおりますか、発車十分前にケーブルカー乗り場に行くとけっこう長い行列ができていましたが、改札がはじまるとあっという間にはけてしまいました。ケーブルカーってけっこう収容能力があるのですね。なお一つの山にケーブルカーとロープウェーがかかるのは珍しいとの車内アナウンスがありました。
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 そして宮脇駅に到着、ここから筑波神社を抜けて神社前のバス停まで歩いて十分ほどです。そうそう、筑波山といえば水戸天狗党決起の地ですが、それらしき史跡はありませんでした。博雅の士の教えを乞う。
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 バス停のところには山をかたどった看板建築がありました。一瞬、富士山かと思いましたが、図象学的には峰を三つに分けるという約束があるので、そうなっていないこれはきっと筑波山。でもよく見ると屋号は「富士見亭」なのですね、結論は保留しましょう。その近くには天辺にガマをいただいた電話ボックス、ご当地電話ボックスとして写真におさめました。
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 そしたやってきたバスに乗り込み、筑波山口へ。土浦行きのバスが来るまですこし時間があるので付近を散策しました。筑波山の全容をぜひ眺めてみたいものだと、うろうろ歩いていると、水を張った田んぼに山が映る絶好の撮影ポイントを発見。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-07-19 06:16 | 関東 | Comments(0)