<   2011年 08月 ( 25 )   > この月の画像一覧

クロアチア編(6):聖母被昇天教会へ(10.8)

 集合時間五分前にロビーに行き、添乗員さんが指差し確認で人数をチェック、はい全員集合です。さあバスに乗り込みましょう。ん? ホテル入口の脇をふと見ると、レンタル用らしき自転車が数台置かれています。なんだ、朝の散歩で貸してもらえばよかった、と悔やんでもafter the carnival。ブレッド湖は周囲6kmほどで、サイクリング・ロードも整備されているとの由、惜しいことをしました。こういう時に微調整がきかないのがパック旅行の辛さです。
c0051620_618466.jpg

 湖畔ぞいの車道をバスは軽快に進み、数分で湖の南側にある湖畔に到着。ここから手漕ぎのボートに乗って、教会のある小島・ブレッド島に向かいます。ほのぼのとした親子連れ(誘拐犯と少女?)を描いた横断歩道の標識を撮影していると、そのそばを数台の装甲車が駆け抜けていきました。ふとユーゴ紛争のことが脳裡をよぎります。臨戦態勢というわけではないでしょうが、バルカンの現状はどうなのでしょう、気にかかりました。
c0051620_618322.jpg

 さて添乗員さんとガイドの打ち合わせが終わったようです。申し遅れましたが、彼女曰く、こちらでは地元のガイドを雇用しないとツァーでの観光はできないとのこと。よって以後も、必ず現地ガイドと落ち合って案内をしてもらうことになります。イヤホン・ガイドを装着し、両サイドの長椅子に十人ずつ、ちょうど二十人ほどが乗れる中型の手漕ぎボートに乗船。最後部で地元の方が両手で櫂を操って、島へと向かいます。添乗員さんの解説によると、環境への配慮からモーターボートは禁止。またかつてこのあたりはハプスブルク家の保養地で、その際に手漕ぎの舟で島へ人を乗せて行く特権を地元の人びとに与えたとのこと。さあ出航、よく磨かれた床のような湖面を、舟は音もなく滑っていきます。湖面からの眺めも絶景絶景。
c0051620_6185851.jpg

 おっ人が泳いでいるぞ、手を触れると水温はそれほど冷たくはありませんでした。舟の左舷を、五羽の若鳥をひきつれた白鳥が静かに進んでいきます。と、それを見た右舷の数人が写真を撮ろうと左舷に移動したため、あわや転覆しそうになったのは御愛嬌。ま、ほんとにひっくりかえったら笑いごとではすみませんが。その向こうに見えるのは、かつてチトーの別荘だった建物で、現在は高級ホテルとして利用されているそうです。そして十分ほどで舟はブレッド島の船着き場に接岸。ここから聖母被昇天教会まで100段の石段があります。ガイドブックによると、この教会で結婚式をとりおこなうことは、スロヴェニアの人びとにとって憧れだそうです。ただこの石段を「お姫様だっこ」して上らねばならないという習わしがあるため、結婚が決まると新郎はウェイト・トレーニング、新婦はダイエットに余念がないとか。山ノ神をちらりと横目で眺め、この教会で結婚式をあげなくてよかったと胸をなでおろす私。いやいや彼女が太っているとか肥満とかメタボとか、そういうことではなく、腕力に自信がないだけです。
c0051620_6192128.jpg


 本日の二枚です。
c0051620_6194181.jpg

c0051620_620316.jpg

by sabasaba13 | 2011-08-31 06:21 | 海外 | Comments(0)

クロアチア編(5):ブレッド湖(10.8)

 朝、時差ぼけか年齢のせいかはわかりませんが、二人とも六時ちょっと前に眼を覚ましてしまいました。どうやらジェット・ラグもすみやかに解消できたようです。ベランダに出ると、おお、陽光が緑の木々を照らしています。ようがす、そっちがその気ならこちらだって考えがあるぞっと。さっそく朝のお散歩に出かけることにしました。フロントに寄ってモーニングコールを断り、湖畔への道を教えてもらいました。昨日われわれを運んでくれたバスや、この地方の伝統的な意匠でつくられたお宅に朝の挨拶をし、清冽な空気を胸一杯に吸いながら遊歩道を歩いていくとほんの数分で到着。
c0051620_6173735.jpg

 おおおお何という美しさ! スロヴェニア語で何と言うかは存じませんが、日本語だったら"風光明媚"、それ以外に言葉もありません。長さ2,120m、幅1,380mの小さな湖なのですが、コバルトブルーの透明な湖水、周囲をとりかこむ木々の緑と雄渾な山なみ、湖の中央には白い教会のある小島、そしてそれらを静謐に映す鏡のような湖面、もう誰が撮影しても絵葉書状態。「アルプスの瞳」と呼ばれるのも納得です。ホテルが集まる東の湖岸まで、風景を愛でながら歩くことにしましょう。
c0051620_618467.jpg

 岸辺にある手漕ぎの中型ボートは、どうやらあの小島に連れていってくれる舟でしょう。釣りをしている男性にも、ジョギングをしている女性にも、観光客らしい夫婦にも、餌を啄ばむ雀にも、湖上に浮かぶ鴨にも、もう出会う生きとし生けるものすべてに"Dobro Jutro !"と声をかけたくなります。groovyな時間をしばし堪能していると、そろそろお腹がへってきました。
c0051620_6182837.jpg

 さてホテルへ戻って朝食をとりますか。途中にあったラブリーな横断歩道表示と、ものものしい鉄骨の電柱を写真におさめ、部屋に戻り荷物をドアの外に出し、ホテルのレストランへ。ツァーのみなさんと添乗員さんはそろそろ食事を終えられているところでした。
c0051620_619126.jpg

 個人旅行だったら、ここを先途と腹いっぱいに詰め込み、昼食はカットか屋台、夕食は地元民の通いそうな地味な店でとるというパターンですが、そこはそれ今回は泣く子も黙るパック旅行。三食(バス内での)昼寝付き、北京ダック状態が続くわけで、軽めの朝食をとることにしました。とは言っても、コンチネンタル・スタイルではなく、目玉焼きやソーセージなどのホット・ミールが湯気をたてているのを見るとついつい手が出てしまうのも人の性、目玉焼き・ソーセージ・ハム・チーズを皿にてんこ盛りにしてたいらげてしまいました。欠食中年ここにあり。そして部屋に戻り出すべきものを出して、空いたペットボトルに水道の水を詰めました。ヨーロッパでは水道水は飲まないほうがよいという注意を耳にしますが、われわれは平気の平左、頑健な胃腸を与えてくれた両親に感謝です。付言すると、こちらの水道水はなかなか美味しいものでした。部屋から見える聖マルティヌス教会とブレッド城に別れを告げ、いざ出発。
c0051620_619258.jpg


 本日の二枚です。
c0051620_6194549.jpg

c0051620_620227.jpg

by sabasaba13 | 2011-08-30 06:20 | 海外 | Comments(0)

クロアチア編(4):ブレッド湖(10.8)

 それではスロヴェニアについて一言。面積は約2万平方キロメートル(四国とほぼ同じ)、人口は約200万人、首都はリュブリャーナ、使用通貨はユーロ、宗教はローマ・カトリック、公用語はスロヴェニア語。人口の約90%がスロヴェニア人で(約10%はクロアチア人・セルビア人等々)、1991年にユーゴスラヴィア連邦から独立する際に、ユーゴスラヴィア連邦軍との小規模な戦闘(十日間戦争)はあったものの、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴヴィナのような凄惨な内戦がなかったのは、この人口構成に理由がありそうです。また、経済的水準の高さや、連邦軍の主力にして独立反対派のセルビアが、その主力をクロアチアに向けたことも、スムーズな独立に結実したようです。ちなみに『ユーゴスラヴィア現代史』(柴宣弘 岩波新書445)によると、1990年の一人当たりGNPは6,280ドル。クロアチアは3,757ドル、セルビアは2,579ドルです。明日はここスロヴェニアで、ブレッド湖とポストイナ鍾乳洞を訪れて、クロアチアに入る予定です。
 二十分ほど走るとブレッドに到着、下車してホテルASTORIA前にある灰皿をチェックすると、フィルターすれすれまで燃え尽きた吸殻が二つ。経済状態はそれほど良くはないと見た。添乗員さんによるチェックイン、そしてお決まりの、部屋割・明日の行程・諸注意についてのミーティングがロビーで始まりました。渡されたメモには、6:45モーニングコール、7:30お荷物回収(ドアの外側)、7:00~8:30ご朝食(0階レストラン)、8:30出発と記されており、おまけに国際電話や各部屋への電話のかけ方、添乗員さんの部屋番号まで書かれておりました。これは嬉しい気配りですね。そうそうロビーの床でアンモナイトの化石を発見しました。
c0051620_7184372.jpg

 部屋からブレッド湖は見えませんが、木々の合間からライトアップされた湖畔の教会とブレッド城が浮かび上がるなかなかのロケーション。時刻は午後九時半、夜の徘徊という選択肢もあったのですが、初日からぶりぶり飛ばすことはないでしょう。バスタブにお湯をはってゆったりと入浴、風呂からあがると高地の冷涼な空気が肌に心地よし。あのヒート・アイランド現象による悪夢のような烈暑の東京とは大違いです。ベッドにもぐりこむと、旅の疲れもあってか爆睡。

 本日の一枚です。
c0051620_7191768.jpg

by sabasaba13 | 2011-08-29 07:20 | 海外 | Comments(2)

クロアチア編(3):ブレッド湖へ(10.8)

 現時時間は当日の午後四時ごろ、ここからグラーツまで乗り継ぎです。入国審査をすませ、三十分ほど時間があるので空港ターミナル内をしばし徘徊。空港内にチャペルがあり、宗教に対する配慮を感じます。成田空港にはないようですが。山ノ神にせがまれてザッハトルテを撮影。そしてキティ・グッズを売っている売店を発見、世界的な規模で精神年齢の低下が起きているようですね。地球温暖化とともに危惧されます。あるお店には、子供立入禁止の看板がありました。後学のため入店し…ようとしましたが、山ノ神の冷ややかな目を見て断念。喫煙室で一服し、さてそろそろ出発ゲートに向かいますか。
c0051620_7402588.jpg

 飛行機に向かうバスに乗り込むと、窓ガラス粉砕用ハンマーが設置されていました。これを見ると、ああヨーロッパにやってきたのだなあと感じます。ぽつ おっ雨だ。一天にわかにかきくもり、突然の驟雨が降りだしました。何となく幸先が悪いなあ、今回の旅で一番気になるのはやはり天候です。贅沢は言いません、せめてドブロヴニクとブレッド湖とプリトヴィッツェ国立公園とクルカ国立公園を訪れる日は是が非でも晴れてほしいもの。こればかりは神に祈…ん? すぐ隣にいらっしゃるではありませんか、それではさっそく…奥歯が見えるほどの大欠伸をされている最中でした。
c0051620_7404619.jpg

 プロペラ機は颯爽と離陸、雲はそれほど厚くなく、下界の山や森や畑や家並みを眺めることができました。機内食でミニチキンラーメンが出されたのには驚愕。わずか一時間弱のフライトで無事グラーツ空港に到着。
c0051620_741974.jpg

 タラップに出ると、青空が顔をのぞかせています。バスでターミナルに向かい、荷物を受け取りにターンテーブルに近づくと、ぶさ、もといっ、愛くるしい手作り人形が出迎えてくれました。
c0051620_7412939.jpg

 そしてバスの運転手さんもお出迎え。スロヴェニアの住人、ルイスさんという方で、このツァー全行程で運転をしてくださることになります。そして総勢21名、バスに乗り込み、今夜の宿泊地ブレッドに出発。個人旅行だと、ここからホテルまでの移動で一苦労するところですが、やはりパック旅行は便利です。おまけにベンツの大型バス、座席はスカスカでシート二つを一人占め。左右の車窓を行ったり来たりして眺望を楽しむことが出来ました。もちろん窓ガラス粉砕用ハンマーと屋根に脱出用開口部が設置されているヨーロピアン仕様のバスです。
c0051620_7415268.jpg

 なだらかな緑なす丘陵と点在する家並み、やがて険峻な山々が姿を現してきますが、ユリアン・アルプスでしょうか。
c0051620_7421284.jpg

 そして二時間ほどでスロヴェニア国境に到着。なおオーストリアもスロヴェニアもEUおよびシェンゲン協定(ヨーロッパの国家間において国境検査なしで国境を越えることを許可する協定)に加盟しているので、審査なしでスルーできました。

 本日の一枚です。
c0051620_7423353.jpg

by sabasaba13 | 2011-08-28 07:43 | 海外 | Comments(0)

クロアチア編(2):ウィーンへ(10.8)

 八月の某日、開通早々の京成電鉄の新型スカイライナーを利用して成田空港に行くことにしました。日暮里駅の工事も済んで新装されたのですが、転落防止の安全柵がないのは少々疑問です。それほど大きなホームではないのにね。そして入線してきた列車に乗り込みましたが、ふと車窓から見るとあの無粋なスカイツリーが遠くに屹立していました。そのうち、東京で一番のお薦めスポットはあの塔の中にある喫茶店ということになるのかもしれません。
c0051620_834153.jpg

 さてガイドブックでも読んでおこうかなと思う間もなく、いやあ早い早い、ほんとに36分で成田空港に着いてしまいました。集合場所に行くと、チェックインに関する指示があり、手渡されたのがガイド用の無線イヤホン「耳太郎」とお湯を注ぐとできあがる乾燥おにぎり。後者は、本日の夜食用だそうで、お湯を入れて十五分蒸すとできあがるとのことですが、こげな物はじめてお目にかかりました。よくよく見ると、「国際線」と表記してあります。本来はキャビン・アテンダントのための機内食? 航空会社はここまで追い詰められているのか、などと邪推してしまいましたが、真相はよくわかりません。
c0051620_8342483.jpg

 航空会社のカウンターでチェックインをすませ、ANAのマイレージ・カードにマイルを加算してもらい、荷物を預けました。そして三十分後にツァー参加者全員が集合、添乗員から諸注意がありました。添乗員さんは中年の女性で、きびきびとした言動が印象的な、頼りになりそうなお方。荷物を紛失したら、捜索料4200円+実費がかかるという注意ははじめて受けました。なお参加人数は二十名、それほど巨大な集団ではないので一安心。円をユーロに両替し、ボディ・チェックを受け、出国審査をすませ、免税店で煙草二カートンを購入。ほんとはウィスキーを買いたかったのですが、ウィーンからグラーツへのトランジットの際に、液体類は没収される可能性が高いと添乗員さんから指摘されていたので、現地で調達することにしました。
 そしてゲートに向かい、喫煙ルームで今生の吸いおさめになるかもしれぬ一服をし、いつものように入口右脇の機体部分を「あんじょうたのんまっせ」と優しく叩き、10:55発のオーストリア航空52便に乗り込みました。さっそく飲み物サービスがあり、スナック菓子とビールを所望。菓子袋のリサイクル・マークには5、プラスチックのコップにはなんと26という数字が表記されていました。後者は、これまで私が見た中では最高記録です。
c0051620_8344527.jpg

 ウィーン到着までは約12時間、ジェット・ラグを一撃のもとに解消するため、これからは一睡もするつもりはありません。いつもなら映画を二、三本見て時間をつぶすのですが、今回のフライトでは食指をそそられる映画はなし。しょうがないのでジジェクの本を紐解いたらこれが意外と面白い(失礼)、ほぼ読み終わる頃に、ウィーンに到着しました。

 本日の一枚です。
c0051620_8351296.jpg

by sabasaba13 | 2011-08-27 08:36 | 海外 | Comments(0)

クロアチア編(1):前口上(10.8)

 2010年の八月、山ノ神とクロアチア、スロヴェニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナを旅してまいりました。実は昨年、個人旅行で訪れる予定だったのですが、二身上の都合で泣く泣く取りやめ。再挑戦とあいなった次第です。今年も個人旅行で行くつもりでしたが、インターネット上の旅行記でいろいろと調べてみると、移動手段がどうやら一筋縄ではいかないことが遅まきながらわかってきました。鉄道網が整備されておらず本数も少なく、バスが主要な交通手段であるということは調査済みでしたが、「四時間待った」「予定よりも早く来たので乗れなかった」等々の記事を読むとタイガー・ジェット・シンの間近にいるリングサイドの観客のように腰が引けてしまいました。中には「クロアチアでは四十分前行動が鉄則」などという指摘も。シェルパの如く山ノ神の重いトランクを運んだけれどバスが来ず、ぶつぶつ文句を言われたら旅情の"り"の字もありませぬ。ここは一つ、パック旅行で事を穏便に済ませようと恐る恐る山ノ神にお伺いをたてると、ポンッ、「よかろう」というご神託がでました。というわけで、今回はギリシア以来となるパック旅行で行くことに決定。さてそれではどういうツァーにしましょう。絶対に外せないのはブレッド湖(スロヴェニア)とドブロヴニク、プリトヴィッツェ国立公園(クロアチア)。日程と料金と内容をいろいろ調べていると、この三カ所に加えてサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)も訪れる14日間のツァーがありましたが、満員。次善のものとして目をつけたのが、阪急旅行社主催の「trapics」という企画で、十日間のコース。サラエボに行けないのは残念ですが、クルカ国立公園(クロアチア)があるのでまあよしとしましょう。一日目:ウィーン→グラーツ→ブレッド泊、二日目:ブレッド湖→ポストイナ鍾乳洞→オパティア泊、三日目:リエカ→ザダール→シベニク泊、四日目:クルカ国立公園→スプリット→ドブロヴニク泊、五日目:ドブロヴニク→コトル→ドブロヴニク泊、六日目:モスタル→プリトヴィッツェ泊、七日目:プリトヴィッツェ国立公園、八日目:ザグレブ泊、九日目:クラーゲンフルト→ウィーン、十日目:帰国、という強行軍・満艦飾・満漢全席。重いコンダラを曳きながらの旅になりそうです。前年に購入したガイドブック、『地球の歩き方 クロアチア スロヴェニア』(ダイヤモンド社)、『クロアチア 世界遺産と島めぐり』(ダイヤモンド社)、『旅名人ブックス84 クロアチア スロヴェニア ボスニア・ヘルツェゴヴィナ』(日経BP)を読み直し、すべて持参することにしました。なお余談ですが、『旅名人ブックス』は充実した内容のたいへんな優れもの、かさばって重いのが唯一の瑕疵ですがお薦めします。添乗員さんのガイドもこの本からの受け売りが多くありました。悔やまれるのは『旅の指さし会話帳 クロアチア』(情報センター出版局)を忘れたこと、これがあると現地の方々とすぐに仲良くなれたのに。そしてもっと悔やまれるのは、ユーゴ内戦について忙しさにかまけてきちっと学んでおかなかったこと。出発直前に慌てて『ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書』(東京書籍)とスーパーニッポニカ(小学館)の該当部分を流し読みしただけでした。ま、たまたま読んだ「帝国・国家・ナショナリズム 世界史を衝き動かすもの」(木村雅昭 ミネルヴァ書房)に関連した詳しい叙述があったので、それでよしとしてしまいました。今頃になって『ユーゴスラヴィア現代史』(柴宣弘 岩波新書445)と『「民族浄化」を裁く -旧ユーゴ戦犯法廷の現場から』(多谷千香子 岩波新書973)を読んでいるのは、泥縄、六日の菖蒲十日の菊もいいところですが、読まないよりはましでしょう。老婆心および余計なお世話ながら、これから旧ユーゴスラヴィア方面に旅行される方は、関連図書を一読されたほうがよいと思います。後に触れますが、内戦の傷跡が生々しく残る物件が多々ありました。知ると知らないとでは、そこから受ける印象も大きく違ってくると思います。そんなことは風馬牛という方がいたら、縁なき衆生は度しがたしと嘆息するしかありませんが。そして旅行に持参した本は、『ポストモダンの共産主義』(スラヴォイ・ジジェク ちくま新書852)と『田中正造文集(一)』(岩波文庫)。これはまったくの偶然なのですが、ジジェクはスロヴェニア出身なのですね。

 本日の一枚です。
c0051620_14475170.jpg

by sabasaba13 | 2011-08-26 14:49 | 海外 | Comments(0)

「バッハの思い出」

 「バッハの思い出」(アンナ・マグダレーナ・バッハ 山下肇訳 潮文庫)読了。「平均律クラヴィーア曲集」「バイオリンのための無伴奏ソナタとパルティータ」「無伴奏チェロ組曲」「音楽の捧げ物」などなど、バッハの曲をかけると部屋の雰囲気が一変します。うまく言えないのですが、心の琴線が調律されていくような心地よさを感じます。名著「西洋音楽史」(中公新書1816)の中で、バッハの本当の凄さは作曲家でないと理解できないと岡田暁生氏は言われています。それでも先述の心地よさや、へたくそではありますが無伴奏チェロ組曲を弾いている時の快適な運動感覚は、私のような門外漢でも実感できます。さて本書は、そのセバスチャンの最良の伴侶であったアンナ・マグダレーナが、彼の日常を愛情深く綴った手記で、いつか読んでみたいものだとつねづね思っていました。やっと念願を叶えたのですが、実は彼女が書いたものではなかったのですね。ウィキペディアによると、Esther Meynellが1925年に出版した"The Little Chronicle of Magdalena Bach"が原著で、彼はあくまでもフィクションとして発表したと明言しています。事実関係については、この時点でのバッハ研究の成果を反映していますが、現時点では誤りも散見されるそうです。ただ彼の曲から私がイメージする人柄と大きく齟齬するような描写はまったくありません。誠実で、温厚で、控えめで、真面目で、調和と家族と鰊(これは違うか)を愛したバッハ。あまり固いことを言わないで、彼の音楽とともに楽しめばいいと思います。ただ音楽教育に関する記述が多いのが目立ちますね。教師としても稀有なる素質をもったバッハの姿を彷彿とさせてくれます。
 ただ一つ、彼の心を動かすもの、それは音楽でありました。そして、勤勉ときびしい研究と慎ましさとがあれば、誰でも彼の高さにまで行けるのだ、と信じているようでございました。(p.25)

 「家庭」、それは彼にとって人生の全部でありました。(p.28)

 彼にとっては、音楽の生命が唯一の真の生命であって、音楽家は単なる楽器にすぎず、自分の優秀性を考えるなどという気持は少しも起きなかったのでございます。(p.44)

 …セバスティアンはいつまでも鰊が大の好物で、それも特に薄い白葡萄酒と薬味と胡椒で調理したのを喜びました。(p.46)

 時間というものは神様の一番貴い賜物なんだよ、私たちはそのためにいつかきっと神様の前でちゃんと申し開きができなければならないのさ、と彼はよく申したものです。(p.49)

 彼は何事によらず、家でも音楽でも国のことでも、秩序を信じ、またそれを礼賛し、支持していました。(p.55)

 つまり、彼はわたくしにクラヴィーアを教えはじめていたのです。結婚当時わたくしは少しは弾けましたけれど、まだ大して進歩しておりませんでした。そこで彼は、わたくしを喜ばせ、元気づけ、一番楽しい方法でわたくしの未熟な技量を高めるために、旋律の美しい小曲を書きこんでくれたのでした。…とはいえ、どの曲もみな、どんなピアノでも、勉強せずにはいられなくなるような魅力をもっておりました。
 セバスティアンはいつでも、自分の高いレベルから降りていって、どんな子供、どんな初心者でも優しく手をとって技術を教え、一段と完全な高さにまで引き上げてやることをきらいませんでした。弟子のこととなると、何ものも彼の忍耐心を奪いとることはできませんでした。ただ、不注意と無関心だけは別として。
 どんな風に彼が教えたか、それさえ書けたならば、と存じます。世界中見渡しても、これ以上の教師はありますまい。それほど彼は熱心で、辛抱強く(怠ける者だけは別ですが)、倦まず弛まず努力しました。その目と耳はどんな小さな欠点でも決して見逃さず、いい加減な点があれば必ず叱らずにはいませんでした。…けれども、ときには彼は彼の激情的な性格が爆発しました。それは特に、何かちょっとした、人を欺すような行為に感づいたときがそうでした。(p.82~83)

 彼は「勉強しようとねがう青年」のためならどんな労苦もいとわなかったのです。

 彼はこうしたすべてが完全に自由自在にできるようになるまでは、実際の演奏を決して許しませんでしたが、しかしこうしたお弟子のためには、沢山の小さな練習曲もちゃんと書いてありまして、それはまた指の熟練ということも第二の目的としたものなのですが、しかしお弟子の気分を楽しませ、美しいメロディーを楽しみながら人一倍愉快に勉強させることができました。

 その曲(※「創意曲(インヴェンション)」)では、その問題となっている難しいところが極めて明快で魅惑的な形に変えてあるので、当のお弟子は彼と音楽とに対する心からの愛情をよびさまされて、また新たな勇気を奮い起こして練習に立ち向かうことができるのでした。(p.87)

 「君たちはどっちの手にも、僕と同じ五本とも健全な指をもっているんだ。その指で練習するんだから、僕と同じだけ弾けるようになる筈なんだ。要はただ、勉強だよ!」

 それからやがて夕日を浴びながら家路につき、疲れた子供たちを寝かしつけてしまうと、もうわたくし自身もへとへとになって、安らかな気持でセバスティアンの傍らに腰をおろし、彼と手を組み合わせ、頭を彼の肩にのせて休むのでした。これこそ、神さまがケーテンの私たちに贈って下さったこのうえない幸福の日々なのでございました。(p.91)

 ときどき彼のうえに暗く蔽いかぶさる或る種の気難しさも、私たち一家の団欒の際には跡形もなく消え去りました。彼はまったくあけっ放しの快活な愛情そのもので、子供たちの話すことには何でもいちいち興味をもって、どんな小さな子のどんな小さな片言の報告もいい加減にはしませんでした。すべての子供たちの父親に対する自然の義務ではありますが、みんなセバスティアンには尊敬と畏怖の心を示しました。けれども、子供たちの愛情の中で恐怖の占めている部分は、普通のよその子供たちよりも遥かに小さいものでした。そして、彼が子供たちの誰に対してでも手を振りあげたことはただの一度もなかったことを、わたくしははっきり証言することができます。(p.92)

 秋や冬の夜長に、子供たちはもう皆暖かくくるまって寝しずまり、わたくしとセバスティアンと二人して、並んで音楽を書き綴る、それはほんとうに何という楽しさだったでしょう (p.118)

 彼の音楽は息子たちのものとはぜんぜん違います。わたくしの感じますところでは、それは人をまったく別の世界に連れて行ってくれるのです。明るく朗かに澄んで、この世界のものとも思われない高い世界、そこではもはやこの地上の煩いはすべて力を失ってしまうのです。彼の心の中には、平和と美の核心がひそんでいました。(p.123)

 彼は、言わず語らずのうちにも、彼の人格を通して、音楽家という天職の厳粛さ、きびしい勉強、不断の内心の信仰について、若者たちに言って聞かせていたのでございます。「先生は僕たちの心に火をつけます」と、かれらの一人が私たちのもとを去るとき、わたくしに言いました… (p.147)

 よい先生はよい生徒をつくるものなのですから (p.155)

 セバスティアンの作曲を教える方法は、他の教師たちの利用する、堅苦しい、生気のない、規則ずくめのやり方とは全然ちがったものでした。

 セバスティアン自身の和声は事実また複雑多様なメロディーばかりで、どの音譜でも正しい根拠がなければ存在を許されないのでした。単に気がきいているからといって、偶然的に和音を添付するようなことも、決して許さなかったのです。「いったいこれはどこから出てきたのかね」と、そんなとき、彼は半ばからかうように、半ば詰問するように尋ねて、削除してしまうのです。(p.160)

「全低音(ゲネラルバス)は音楽の最も完全な基礎である。この場合、左手はその定められた楽譜を演奏し、右手はこれに和音・不協和音を加え、あわせて美しく共鳴する和声を生み出し、かくて、神を讃えまつり、かつ心情に許さるべき愉安を得るのである。
 すべての音楽と同様に、全低音もまた、神を賛美し、魂を歓喜せしむるをもって、一に究極の目的となすべきものである。
 これを念頭におかざるときは、およそ本来の音楽は存せず、ただあるものは邪悪なる叫喚と無味単調なる喧騒のみ」 (p.162)

 彼の心はしばしばあんまり深く音楽のことに没頭しているものですから、わたくしもときには、この人は私たちのことを見むきもしないで、まるでいないも同然で、私たちの方はこの人につき従っているのだけれど、こう無頓着でいられてはどうなることかわからない、と思うこともございました。彼は自分の椅子に腰かけていて、そのまわりには子供たちやわたくしが、めいめいいろいろなことをしながら取り囲んでいても、それでも彼は私たちの上、私たちのわきに、たった一人、ひとりぼっちでいるのです。この姿を見、この淋しさを感じますと、ときにはわたくしもぞっとするほど、こわくなる瞬間がございました。(p.164)

 一人の学生がやってきて、彼に申しました、「この音楽を聞きますと、僕はこれを聞いてから少なくとも一週間は、絶対に悪いことをしようとしてもできないような気がしました」 (p.194)
 余談ですが、最近読んだ「世界の歴史8 絶対君主と人民」(大野真弓 中公文庫)の中に、彼に関する記述がありました。バッハが活躍した18世紀前半、ドイツ(神聖ローマ帝国)はたくさんの領邦と都市国家に分裂していましたが、その中で啓蒙専制君主であるフリードリヒ大王のもと、プロイセンが軍事力を中心に強大な力をつけはじめていました。あるイギリス大使は「プロシア王国は、わたしには巨大な牢獄を思わせる。その真中に、囚人の世話に忙しい偉大な典獄が立っている(p.362)」と評したそうです。ちなみにセバスチャンも彼のために御前演奏をしており、彼から与えられたテーマをもとに「音楽の捧げ物」を作曲して献呈しています。こうした状況の中、ドイツの市民階級は未成年状態にあり、ルター派教会の教える「臣民根性」に骨の髄までおかされ、伝統的身分秩序の枠のなかにちぢこまっていました。彼らの富は、まだ自分たちの文化を育て楽しむぜいたくを許すほど豊かではありません。そこで、ドイツの学問や芸術の中心は、依然たくさんの王侯の宮廷、またそれに従属した教会や大学に片寄っていました。よって平民出の学者や芸術家は、生活のために、みな多かれ少なかれ古い権威に仕え、その無理解とわがままに身をかがめねばなりませんでした。彼らが、一本立ちした外国の市民階級が生んだ新思想や知識をとり入れ、また自分の芸術を完成しようと努力すればするほど、大きな障害にぶつかり、理想と現実のへだたりはますます広がるばかりでした。大野氏はこう述べられています。
 誠実で内気なバッハは、二十人もの子供を育てながら清貧に甘んじ、一生、中部ドイツにとどまった。彼の音楽こそは、古い枠に閉じこめられながら、自由へのあこがれと躍動する力を身内に感じはじめていた当時のドイツ市民階級の感情を最もよく象徴するものといえよう。(p.376)

by sabasaba13 | 2011-08-24 08:37 | | Comments(0)

「ペーパーバード」

c0051620_7214681.jpg 先日、山ノ神と映画「ペーパーバード」を、銀座テアトルシネマで見てきました。「美女と警官と公園があれば映画はできる」と言ったのはチャップリンでしたっけ。私なりに解釈すると、面白い映画を作るには大仰なセットも道具も必要ない、ということでしょうか。心をひきつける脚本とアイデアに満ちた工夫・仕掛けと素晴らしい演技、そして何よりも映画にかける熱い思い、これらがあいまって素敵な映画ができるのだと思っています。よってコンピュータと資本を駆使したスペクタクルな学芸会的映画に食指が動かなくなってもう何年になるでしょうか。本作は、そういう映画らしい映画、お薦めです。
 舞台はフランコ独裁政権下のスペイン・マドリード。スペイン内戦でフランコ軍の爆撃により妻子を殺された芸人のホルヘは、反フランコの地下活動に身を投じます。一年後、マドリードに舞い戻ったホルヘは、かつての相棒エンリケと、彼が引き取った孤児ミゲルとトリオを組んで芸人生活に復帰します。しかし亡き息子の俤を思い起こさせるミゲルに冷たくあたるホルヘ。しかし彼を父のように慕い必死で芸に取り組むミゲルに、やがて彼の心はほだされていきました。その一方で、軍事独裁政権による反体制運動への弾圧は熾烈を極め、劇場へもしばしば軍がやってきて監視を行ないます。ホルヘの活動歴に目をつける将校、しかし反フランコ的言動を繰り返すホルヘ、冷や冷やしながらそれを見守るエンリケ。そうした中、この一座がフランコ総統の前で講演を行なうことになりました。さあどうなる? ここから一気にクライマックスへと雪崩れ込んでいきます。もちろん結末には触れませんが、手に汗握ること請け合いです。
 陳腐な言い方ですが、涙あり笑いありの良質なヒューマンドラマ。こまっしゃくれた言動の中にあどけなさをうかがわせるミゲルを演じたロジェール・プリンセプの演技も見事でしたが、私が心惹かれたのはホルヘを演じたイマノール・アリアスです。妻子を奪われた悲しみ、ファシズムへの怒り、芸への専心、そしてミゲルに対してじょじょに芽生えていく愛情を、完璧に演じ切りました。ハンフリー・ボガードと菅直人を足して二で割ったような渋い味の容貌も素敵ですね。また映画の随所で見られるさまざまな芸、いろいろな芸人たちの暮らしぶり、速射砲のような言葉のやりとりも楽しむことができました。最後の場面では、芸人として大成したミゲルが舞台に登場し、大観衆を前にスピーチを行いますが、もうここで私の涙腺は決壊寸前。この老年になったミゲルを演じたのがエミリオ・アラゴン監督の父君ですが、その万感の思いを秘めた表情には圧倒されました。ただ惜しいのは、そのスピーチにあまり内容がなかったこと。かつてホルヘも唄った『フランコとは暮せない』という反体制運動の歌を唄って幕となったのですが、もしここで『ブラス!』におけるダニーのような圧巻のスピーチがなされていたら間違いなく嗚咽していたことでしょう。ほんとに惜しかった。
 なお余談ですが、フランシスコ・フランコによる独裁は第二次大戦後も三十年にわたって続き、1975年の彼の死、そして国王ファン・カルロス1世による民主化の推進によって終焉することになりました。この間の、スペインの人々の苦悶や抵抗や悲嘆に思いを馳せるのも大事だと思います。そして日本の戦後にも思いが至ります。本稿を執筆しているのは八月十五日の"終戦記念日"、なぜ"敗戦"と言わないのかとか、記念日たるべき日はポツダム宣言を受諾した八月十四日か降伏文書に署名した九月二日ではないかとかいったつっこみもしたいのですが、それはおいておきます。この日を境に、日本は生まれ変わったという言説をよく聞きますが、はたして本当にそうなのでしょうか。あのアジア・太平洋戦争を引き起こした構造自体はあまり変化していないのではないかと考えています。加藤周一氏の言を借りれば、閉鎖的集団主義、権威への屈服、大勢順応主義、生ぬるい批判精神、人種・男女・少数意見などあらゆる種類の差別… 福島原発事故も、こうした構造をもとにして起こるべくして起こった悲劇ではないのでしょうか。
 なお映画館に置いてあったチラシに、原発関係の映画二本がありました。ベラルーシ共和国のホット・ゾーンに今も暮らす人々を脅かす被曝被害を描いた『チェルノブイリ・ハート』、そして22年前に制作された(!)、福島原発の危険性を告発する『あしたが消える ‐どうして原発?‐』という、ドキュメンタリー映画です。"あしたが消える"か…もうあしたは消えたのかもしれません。
by sabasaba13 | 2011-08-23 07:22 | 映画 | Comments(0)

言葉の花綵57

 鉄道の駅というものは町の単なる一部分ではなく、駅票に町の名をかかげているように、その町の人格の本質をふくんでいるのである。(マルセル・プルースト)

 過去は未来に比べると幾分明るく照らされていて、よりはっきりと見える。(ジョン・ダン)

 それにはわたしが理解しなかったことがたくさんあったし、ある意味で、わたしはそれが嫌いだったのだが、状況として、わたしはすぐさま、そのために闘う値打ちがあることが分かった。(ジョージ・オーウェル 『カタロニア賛歌』)

 社会というものは、生きている者同士の協力関係に止まらず、生きている者と、死んでいる者と、これから生れてくる者との協力関係である。(エドマンド・バーク)

 普通の人間を社会主義へと惹きつけ、そのために一肌脱がせるもの、つまり社会主義がもつ"神秘的魅力"とは、平等の理念である。(ジョージ・オーウェル 『カタロニア賛歌』)

 私を倒したところで、サン・ドマングでは、自由の大樹の地上に突き出た幹を切ったことにしかならない。地中深く、無数に張った根から、いつの日にか必ずそれは再び芽をふくだろう。(トゥサン・ルヴェルチュール)

 しかしもはや世界に寄生しているときではない。むしろ世界を救済することが問題なのだ。雄々しく、臍を固める時である。(エメ・セゼール 『熱帯』創刊の辞)

 どこを向いても闇が拡がっていく。ひとつまたひとつ家々の明かりは消えていく。人々の叫び、獣の咆哮の中で、闇の包囲は狭められていく。だが、われわれは闇に対して否と言う者たちなのだ。(エメ・セゼール 『熱帯』創刊の辞)

 弱い味方よりは強い敵が頼りになるものだ。(竹内好)

 刺のないバラはない―だが、バラのない刺は多い。(ショーペンハウアー)

 はっきり誰を軽蔑するというのは、まだ十分の軽蔑ではない。沈黙のみが最高の軽蔑だ。(サント・ブーヴ)

 市民の足による投票は選挙の一票よりも有効な時がある。(レーニン)

 遠くで、どこか遠くで世界史は生じる、きみの心の世界史は。(フランツ・カフカ)

 断然私は確信した。ある種のタブーが除かれない限り、つまり、彼岸への信仰-ますます腑抜けたものとなりつつあるが-、不条理にも民族、人種と結びつけられた集団意識、そして金の権力という汚辱のきわみ、こうしたものが流し続ける毒素を人間の血脈から除去することができない限り、何ひとつ成しえないであろうと。(アンドレ・ブルトン)
by sabasaba13 | 2011-08-18 06:49 | 言葉の花綵 | Comments(0)

天浜鉄道・中津川編(21):坂折の棚田(10.7)

 そして坂折の棚田へと向かいます。タクシーは山なみを縫うように走り、山間に佇む集落や棚田の景観を車窓から堪能していると、三十分ほどで到着。おおおおお、びゅーてぃほー! 山の斜面を覆う緑なす幾層もの棚田に、眼も心も奪われてしまいます。タクシーには中腹にある駐車場で待機してもらうことにして、まずはここから眼下に広がる棚田を溜息とともに眺望。どれくらいの歳月と汗と知恵が費やされたのでしょう、貴くさえある景観です。ここに解説板があったので引用します。
この地区は「はしご田」と呼ばれる石積み棚田が点在する全国でも有数の美しい景観を有しており、平成11年7月に農林水産省の「日本の棚田百選」に認定され、石積みの美しい棚田が広がる独特の田園風景を見ることが出来ます。
坂折棚田の特徴として①ほとんどが石積みの棚田で、専門の石工によって積まれたと思われる石積みが多く見られる。②用水源は、河川や用水路から直接取水し、「アト口」と呼ばれる取り入れ口と落し口が一体となっている方式が多い。③石積みの一部や山際などに暗渠や清水口と呼ばれる鳥居形の石組みがあり、この間から流れ出る湧水も用水として利用している。
 それでは棚田の間を散策することにしましょう。とにかくその石積みの精緻さには驚かされます。もちろん石工が中心となって組み上げたのでしょうが、おそらく農民たちも手伝ったのでしょうね。暮らしのため、生きるため、家族のため、そして子孫のため、営々と石を積み上げる光景が眼に浮かぶようです。
c0051620_14492176.jpg

 復元された水車小屋もありました。またいろいろな名前を記した立て札があるので、オーナー制度をとっているのでしょう。
c0051620_14494275.jpg

 お米をつくるだけでなく、雨水を溜めてゆっくりと流すことで洪水・土砂崩れを防ぎ、地下水を貯め水を浄化し、多くの水生動物や昆虫の棲みかとして豊かな生態系もつくる棚田。われわれの暮らしを脅かす核(原子力発電所)やアメリカ軍、無駄な公共事業や自衛隊のために湯水のように注がれる税金の万分の一でもいいから、棚田維持のために使ってほしいものだと衷心から思います。もちろん、金さえ出せばいいってものではないことは重々承知の上ですが。農業をする人々が、誇りをもって、かつ労苦と将来への不安なしに、棚田を維持し未来へと受け継がせることができる手立てはないものでしょうか。こういうところに英知を結集してほしいものです。
 さあ名残りは尽きねどそろそろ駅に戻らねば。タクシーに乗り込み、三十分弱で恵那駅に到着しました。運転手さんに丁重にお礼を言い下車。列車の発車時刻まですこし時間があるので、駅前にある「スィング」という喫茶店で珈琲をいただくことにしました。さきほど入った明智の天久資料館でもそうでしたが、珈琲にお茶請けがつくのはギフ・ウェイなのでしょうか。
c0051620_1450375.jpg

 そして恵那駅に行き快速列車に乗り込んで、一時間ほどで名古屋に到着。車内で食べる「純系名古屋コーチン弁当」と山ノ神に奉納する「赤福」を購入して新幹線に乗り換えました。そして新幹線のぞみは夜の闇を引き裂いて一路東京へ。
c0051620_14502291.jpg


 本日の四枚です。
c0051620_14504188.jpg

c0051620_14505864.jpg

c0051620_14511641.jpg

c0051620_14513595.jpg

by sabasaba13 | 2011-08-17 14:52 | 中部 | Comments(0)