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クロアチア編(25):スプリットへ(10.8)

 そして近くの船着き場から船に乗って、クルカ川クルーズへ出発。もちろん、私にとってはお誕生日席である、最上部のオープンエア・デッキの椅子に陣取りました。そして出航、船は静かな川面を音もなく進んでいきます。両岸は緑におおわれた石灰岩の山々、心地よい川風を満身に受けながらのクルージング。時々すれちがう観光船の乗客とエールを交換し、飛び交う水鳥を眺めていると、二十数分で小さな町の船着き場に到着しました。
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 こちらで待機していてくれたバスに乗り、昼食をとるレストランへ。グリルした鱒(嗚呼さっき泳いでいた御仁の御親族かも)にすこーんと舌鼓を打ち、きんきんに冷えた白ワインをくいっとあおれば、この世は天国さっ。
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 そして次なる目的地、スプリットへ移動です。距離にして約90km、予定では一時間ほどかかるとのこと。しばらくはごつごつした岩だらけの荒涼とした風景が続きますが、やがて街並みが現れてきました。さすがは地中海性気候、オリーブや葡萄がよく栽培されているようです。ソリンという町は、かつてローマ帝国ダルマチア州の州都サロナとして栄えたそうで、車窓からも遺跡らしきものが瞥見できました。水道橋もありましたが、これもローマ時代の遺跡なのでしょうか。そして高層ビルディングが建ち並ぶスプリットに到着です。
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 人口約二十万人のアドリア海最大の港町、そしてローマ皇帝ディオクレティアヌス(245?~316?)の宮殿がそのまま旧市街になったという珍しい起源をもつ町です。なして? ガイドブックによると、西ローマ帝国が滅亡し、異民族が大挙してこの地に入りこんできた七世紀、近郊のサロナから追われた人々が、頑強な城壁に囲まれている宮殿内に避難してきたことが発端だったそうです。人々は宮殿の基礎部分はそのままに、その上から建物を増築する形で町を築いていったため、古代と中世の建物が複雑に絡み合うような独自の町並みが生まれることになりました。世界遺産として認定されています。さて、ディオクレティアヌスとはどのようなお方なのでしょう。彼はサロナの解放奴隷の子として生まれ、親衛隊長として活躍、ペルシャ戦争での功績を買われ、284年にローマ皇帝の座を手に入れます。当時ローマ皇帝は、軍人皇帝の時代となっていたのですね。しかし異民族の侵入や攻撃に悩まされ、ローマ帝国の弱体化が始まっていました。広大な領土を一人の皇帝が統治するのは難しいと考えた彼は、二人の正帝と二人の副帝が領土を分かち合い統治するという「四分割統治」を行ないました。彼はニコメディアに住み、帝国全体の最高権威者として君臨します。しかしこれが帝国の分裂をもたらす要因ともなったのですね。また複雑な儀礼などを考案し、皇帝の神格化も図りますが、これはビザンティン帝国に引き継がれたそうです。そしてキリスト教を迫害した最後の皇帝としても、歴史に名を残しています。(313年、コンスタンティヌス大帝により公認) しかし、305年、彼は突然自らの意志で引退をしてしまいます。これはローマ帝国史上はじめてのこと、その引き際の良さこそが、彼が行った最大の政治改革とも言われているそうです。そして故郷のサロナ二近く、寂れた漁村であったここスプリットに宮殿を建て、園芸や造園を楽しみながら晩年の十年を過ごし天寿を全うしました。彼の片腕であった血気盛んなマクシミアヌスから、再度帝位につくよう要請されると、ディオクレティアヌスはこう答えたそうです。
 もしこのサロナ(スプリット)で私が作ったキャベツをあなたに見せることができれば、いくらあなたでも、私にこの幸福を捨てて、再び権力を求めよなどと、勧めることはできなくなるだろう。


 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-09-30 06:18 | 海外 | Comments(0)

クロアチア編(24):クルカ国立公園(10.8)

 午前六時ごろに目覚め、テラスに出ると雲ひとつない快晴。天のどこかにおられる誰かがわれわれを好いているんだと感謝。朝食前に、ホテルの近くを散歩しました。さすがはお手軽リゾート、すぐ目の前にプールがありました。そして海岸へ出ると、美しい水と石浜、沖合にはダルマチア式海岸特有の細長い島が幾重にも連なっています。一家の長らしき方々が、シートをもって場所取りに余念がありません。きっとたいへんな混雑で、芋洗い海岸になるのだろうなあ。
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 オープンテラスで食事をとり、8:30少し前にロビーに集合。入口の絨毯に★★★★とありますが、二つほど熨斗をつけて返上していただきたいですね。
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 本日の旅程は、クルカ国立公園、スプリット、そしてドブロヴニクで宿泊です。そしてバスに乗り込み出発進行、しばらく走ると山や森を縫うように流れるきれいな川が見えてきました。そして四十分ほどでクルカ国立公園の入口に到着です。ここは、クルカ川がカルスト台地を侵蝕してできた美しい自然で、スクラディンスキ・ブクという大きな滝を中心に幾重にも連なる滝が見どころだそうです。
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 現地ガイドさんと落ち合い、石橋と古い民家群を通り過ぎてすこし歩くと、幾重にも連なり落ちる滝を一望できるテラスがありました。その近くには一人しか入れない小さな展望台がありましたが、何でも皇帝フランツ・ヨゼフのためにつくられたそうです。もちろんツァーのみなさんが押しかけ、記念写真を撮るための行列があっという間にできました。私も最後尾に並んで、爽快な風景を撮影。
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 そして古い民家を見学、当時の暮らしを彷彿とさせる家具や道具類が展示されていました。
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 水車小屋には、水力を利用した石臼や毛糸を叩いて柔らかくするための装置、また毛糸の洗い場などがあります。
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 そして陽光を浴びてつやつやと輝く木々の間をいくつもの清流が縫うように流れる、美しい場所に出ました。ここからは網の目のように流れる清流にかけられた木道を歩いての散策となります。美しいせせらぎ、処々で見かける小さな滝、群れ遊ぶ鱒、したたるような緑、清冽な空気、日々の暮らしで体と心に積もった塵埃がきれいに流れ落ちていきます。ただ落書きを刻まれた木が散見されたのは無惨でしたが、こうした不届き者は万国共通に存在するのですね。
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 そして坂道をおりていくと、スクラディンスキ・ブクを一望できる橋に到着です。岩場にあたって幾筋にも分かれて流れ落ちる雄渾なその姿をしばし堪能。なおここだけは遊泳可能で、多くの観光客が気持ちよさそうに水浴びを楽しんでおられました。滝の近くにはブイが並んで浮かんでおり、滝に近づくのは禁じられているようです。対岸には水力発電所がありますが、これはクロアチアで初のものだそうです。近接するシベニクに1895年8月28日から電力を供給し始め、シベニクは世界で初めて水力による電力供給を受ける町となったそうな。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-09-29 06:19 | 海外 | Comments(0)

クロアチア編(23):シベニク(10.8)

 さて、バスに乗り込んだ後に気づいたのですが、ああさっき見た弾痕らしき傷についてガイドさんに訊ねればよかった! しかしもう後の祭り、バスは無情にも今夜の塒に向けて動き出してしまいました。十数分でシベニク郊外にあるホテルのゲートに到着。ん? 物凄い数の自動車が駐車場にあふれかえっています。何なんだここは? 添乗員さんの説明によると、海水浴場・プールなどが併設されたSolarisというリゾート施設で、ヨーロッパ中から客が集まってくるとのことです。なるほど、車のナンバープレートをちょっと見ただけでも、イタリア・スロヴェニア・ポーランド・チェコを確認できました。
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 そしてホテルJUREに到着、いつものようにロビーで部屋割や今後の日程に関するミーティングを行ない、部屋へと向かいました。廊下には、ホテルが用意した無数の乳母車が置かれていたので、おそらく家族連れをターゲットにしたリゾートホテルなのでしょう。
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 部屋に入ると…おうおう、どこがリゾートだ、どこが、とからみたくなりました。貧相なインテリア、薄汚れた壁、窓からは向かいのホテル施設しか見えません。やれやれ、ま、一泊のみの仮の宿、がまんするしかないでしょう。夕食はビュッフェ形式の取り放題・食べ放題、レストランは各国の家族連れが犇きたいへんな喧騒です。牛肉のソテーと烏賊の唐揚げをいただきましたが、味は可もなし不可もなし。結論を言ってしまうと、今回の旅行ではあまり美味しい食事には出会えませんでした。部屋に戻り、(バスタブがないので)シャワーを浴びていると、向かいの施設でなにやら大騒ぎがはじまりました。どうやらホテル主催のお子様カラオケ大会が開かれたようです。ああ五月蝿い、しかし冷房がないため窓を閉めることもできません。やれやれ、せんかたなし、とあきらめて本を読んでいると十時半ごろにようやくお開きとなりました。というわけで、このホテルJURE、ちょっとお薦めはできませんね。
by sabasaba13 | 2011-09-28 06:15 | 海外 | Comments(0)

「レイシズム」

 「レイシズム」(小森陽一 岩波書店)読了。「差別はいけない」ということはもちろん分かっていますし、差別をあからさまに肯定する人もそれほど多くはないでしょう。しかし、始めに結論ありきで話が終わってしまい、「なぜ人は差別をするのか」、そのメカニズムについて怜悧で精緻な分析はあまりなされていないのが現状ではないでしょうか。私が勉強不足で知らないだけかもしれませんが。そして差別をつくりだすメカニズムを理解しないかぎり、これからも永劫に差別が再生産されていくのではと思います。本書は、自他の「差異」「優劣」を捏造する差別というメカニズムに真っ向から斬り込んだ力作です。ただ小生が浅学なためもあり、十全に理解できたかどうか自信はありません。書評などと言えるレベルのものではありませんが、とりあえずやってみましょう。
 まず狭義の人種差別主義者について筆者は次のような定義を紹介されています。「他者の生物学的差異に準拠し、それを利用してこの他者を苦しめ、そこから利益を得ようとする者だ。これらの差異に基づく特徴を集めて、人種と名づける統一した集合とみなすことができると信じる者だ。他者の属する人種は不純で、憎悪すべきもの、自分の属する人種は純粋で、称賛すべきものとなる」(p.3) その際に、ある程度良心的な人間が、そうした罪を犯したと知りながら、なんとかして自己正当化をはかり、その罪の意識から逃れ、忘却して楽になりたい、と感じる屈折した心性が「人種差別主義」を欲望させるとされています。そして人種の「価値づけ」においては、否定と肯定が対をなす構造になっている。たとえば有色人種の中に見出される劣等性は、自動的に白人の優秀性を証明するという関係におかれます。肯定的な価値と否定的な価値、つまり差別とは言葉の問題なのですね。ただその言葉が、人間の脳による思考を停止させ、動物の脳の選択にまかせる方向づけをすることにより、人間の暴力性をも常に煽動してきます。それではどうすればレイシズムを克服できるのか。筆者は、自明のこととされている肯定/否定の価値評価を伴った言葉に対して「なぜ?!」という問いを発しつづけ、その耐久性を検証することが重要だと述べられています。「我思う、ゆえに我あり」(デカルト)ではなく、「我疑う、ゆえに我あり」ということですね。さらに筆者は、生物学的差異による人種主義だけではなく、「新しい人種主義」にも注意を喚起されています。以下、引用します。
 「フリーター」「ニート」「ワーキング・プアー」の現状を分析するほとんどの言説は、それ自体「新しい人種主義」の言説の拡大再生産を行っているだけだ。なぜなら、こうした諸概念を生み出すような格差社会の構造をもたらした、新自由主義と新保守主義の政策に対する批判と、その政策を行使した政治指導者とグローバルな資本の責任を明らかにしない限り、それらの言説は、「オリエンタリズム」の言説と同じ構造を持つからだ。
 つまり対抗軸を示そうとしない、マス・メディアによる現状分析の言説には、その言説の発信者と受信者の間に、〈われわれ〉は「フリーター」「ニート」「ワーキング・プアー」ではない、という共犯関係が常に結ばれているのだ。確かに、情報産業化したマス・メディアの内部に身を置く発信者たちは、すべて「勝ち組」に属している。けれども、受信者となる私たちは、はたしてそうだろうか。現状分析の言説を商品として消費し、自分はそこまでひどい状況ではないという徴候を一つでも見つけ出し、必死で〈われわれ〉の中に居残ろうとする欲望は、自らが置かれている現実に対する思考停止と分析停止を再生産しつづけることにしかならない。
 「新しい人種主義」が隠しているのは、「超過搾取され」ている「プロレタリアート」の現実だ。永井荷風が『悪感』におけるテクストの運動で示したアイロニーの戦略を行使するために必要なのは、「私は超過搾取されつづけているプロレタリアートだ」という立脚点から思考を始めることだ。(p.125)
 これは鋭い。レッテルを貼り付ける側にまわれば、自分はレッテルを貼り付けられる劣った存在ではないという安心感を得られ、現実の問題を思考し分析することができなくなってしまう、ということでしょうか。これは肝に銘じなければ。
by sabasaba13 | 2011-09-27 06:15 | | Comments(0)

「わたしの非暴力2」

 「わたしの非暴力2」(マハトマ・ガンディー みすず書房)読了。
 ガンディー―このような人物が、かつて地上に存在したと、およそ未来の世代には信じられぬであろう。(アインシュタイン)
 彼については以前に掲載しました「ガンディー 反近代の実験」(長崎暢子 岩波書店)の書評をご覧ください。実は、東南アジアを破竹の勢いで占領し、インド国境にせまりつつあった日本軍に対し、帝国主義戦争の停止をもとめた有名な公開状(1942.7.26.『ハリジャン』)である「すべての日本人に」が無性に読みたくなりました。いくつかのホームページで紹介されて入るのですが、私の調べたかぎりでは全文を掲載しているものはありません。そこで1941年から、死の前日の1948年までのガンディーの言葉を収めた本書を購入した次第です。その中で心につきささる一文だけを紹介しましょう。
 わたしがこうしてあなたがたに訴えかけているのは、わたしたちの運動が、あなたがたやその同盟国を正しい方向に導くよう影響を与えるかもしれない、またそれが、あなたがたの道徳的崩壊と人間ロボットへの転落に終わるにちがいない軌道から、あなたがたと同盟国を救出することができるかもしれないという希望をもっているからです。(p.37~38)
 暴力とは病理であり、それを振りかざす者の道徳は崩壊し、やがてロボットへと転落していく。ガンディーの思想の核心部分がここに現れています。そしてこの暴力を単に物理的なものだけではなく、人間が人間を害するすべての行為を含意していると、彼は言いたかったのではないでしょうか。飢餓と失業で脅かし労働者を低賃金で競争させ酷使する行為、人間の正当な要求を超えて富を蓄積する行為、貧しい国々の福祉予算を削らせて負債を強引に返済させる行為などなど。そう考えると、ガンディーの言葉はグローバリゼーションや市場原理主義まで射程にとらえています。いや贅言はやめましょう。叡智と愛に満ちた彼の言葉の数々を紹介します。
 なお前述の記事で、ガンディーがジョン・ラスキンの影響を受けたと書きましたが、本書の解説でもうすこし詳しいことがわかりました。1904年にラスキンの『この最後の者に』を読んで感動したガンディーは、この本の理想を実現すべく家族や同志たちと共同生活を始めるために、ダーバン近郊のフェニックスに自給自足の農園を設立しました。この農園は、後年サバルマティー・アシュラムがインドにおけるガンディーの活動のセンターとなったように、南アフリカの民族運動のセンターであったそうです。(p.104)
 わたしたちは、戦場で彼らを打ち負かすのではなく、改心させようとしているのです。わたしたちの闘いは、英国支配に対する非武装の反抗です。けれどもまた、わたしたちは彼らを改心させることができようとできまいと、非暴力的非協力によって彼らの支配を不可能にしようと決意しています。それは、本質的に敗れることのない方法です。その方法は、いかなる掠奪者も犠牲者のある程度の協力―それが自主的なものにせよ、強制されたものにせよ―なしには、目的を達成することができないという考えにもとづいています。わたしたちの支配者たちは、わたしたちの国土と肉体を所有することはできるでしょうが、わたしたちの魂(こころ)は所有できません。(p.8)

 …最上にして最も効果的な聖句(マントラム)は、「富を放棄することによって、富を享受せよ」である。この言葉を敷衍するならば、「なんとしても富を得るがよい。けれども、あなたの富はあなたのものではないことを忘れてはならない。それは人びとのものである。あなたの正当な必要のために入るだけのものを取り、残りは社会のために利用せよ」という意味になる。(p.14)

 反戦論者として、わたしの答えは一つしかありえない。攻撃のためであろうと防衛のためであろうと、生命や財産の破壊のなかにわたしは勇気や犠牲をみることはできない。(p.24)

 その(※非暴力の)目的とするところは、つねに相手の内に最もよいものを喚び覚ますことである。(p.40)

 国民の間にイギリス人に対する憎悪があることは、わたしも気づいていました。彼らの振舞いにはむかむかすると人びとは言います。けれどもそういう人たちは、イギリス帝国主義とイギリス国民とを区別していないのです。彼らには、その二つがごっちゃになっているのです。この憎悪の念から、彼らは日本人さえも歓迎することになるのです。それはきわめて危険です。それでは、一つの隷属を他の隷属に鞍替えするだけのことです。わたしたちは、憎悪の感情を取り除かなければなりません。わたしたちは、イギリス国民と闘っているのではありません。彼らの帝国主義に抗して闘っているのです。(p.49)

 内なるその声がわたしに言います―「おまえは全世界に対して立ち向かわなければならない―たとえおまえ一人で闘わねばならぬとしても。また、おまえは全世界を直視しなければならない―たとえ世界が血走った眼でおまえを見つめようとも。恐れるな。おまえの心の中に住む小さな声を信じよ」と。(p.74)

 もしある人が非暴力の誓いをしたために、婦人たちの名誉を護ることができないと訴え出たとすれば、自分は容赦はしません、と。非暴力は、臆病者の盾に用いられてはならない。それは勇者の武器である。このような残虐行為をただ力なく傍観するくらいなら、暴力を用いて討ち死にしたほうがよいだろう。ほんとうに非暴力の人なら、生きながらえて、このような残酷物語を語り伝えるような真似はしないだろう。彼はその場で、非暴力の抵抗によって一命を投げ出していただろう。(p.95)

 自分の敵が殺されそうな目にあっているときに、黙ったまま、手出しをせずに傍観しているなら、あなたがたはサティヤーグラヒとは言えません。あなたがたは、生命を賭してもその者を護ってやらねばなりません。(p.141)

 わたしが見るかぎりでは、原子爆弾のために、これまで久しく人類を支えてきた高尚な感情が死滅させられてしまった。これまでは、いわゆる戦争の法則というものが存在していて、戦争をなんとか耐えられるものにしてきた。けれども、いまやわたしたちの前に、戦争の真実がむきだしにされたのである。戦争には力の法則以外の法則はないのだ。日本が下劣な野心を貫こうとして行なった犯罪をわたしが弁護しようとしている、などと早合点しないでもらいたい。違いはただ程度の差だけであったと、わたしは思う。けれども、日本のほうがいっそう下劣であったからといって、日本の特定地域の男や女や子供たちを情け容赦もなく殺してしまうという、まさるともおとらない下劣な行為をやってよい権利はだれにも与えられていなかったのだ。(p.163)

 彼らの一つの目標は物質的な進歩です。たとえば、アメリカでは、すべての市民が自家用車をもつことを目標にしています。わたしはそういう目標を抱いてはいません。(p.167)

 わたしの同情が、見るにしのびぬ気の毒な状態に置かれたユダヤ人たちにゆくのは当然である。けれども、逆境から彼らが平和の教訓を学んだものと、だれもが考えていた。それなのに、なぜ彼らは歓迎されぬ土地に割り込むのに、アメリカの経済力とイギリスの武器にたよるのだろう。なぜ彼らは力づくでパレスチナに上陸しようと、テロ活動に訴えるのだろう? もし彼らが、彼らのすぐれた予言者たちが教えた非暴力という無上の武器を採るならば、彼らの問題は世界の世論を動かすだろう。自ら進んで茨の冠をかぶったユダヤ人イエスが、苦悶する世界に伝えたのも、この非暴力の教訓であったことを思い出されたい。そしてわたしは、ユダヤ人が世界に与えた数々の貢献のなかで、これこそがもっともすぐれた輝かしいものになることを信じて疑わない。それは二重の祝福を享けているのだ。それはユダヤ人をほんとうに幸福に豊かにするだろう。またそれは苦悩する世界の鎮痛剤となるだろう。(p.175)

 インドが非暴力の独立国になった場合にも、犯罪は起こるでしょうが、犯罪者はありません。従って、彼らは処罰されることはありません。犯罪というのは、他の病気と同じように一つの病であり、現在の社会制度の生んだ所産です。ですから、殺人も含めて、すべての犯罪は病として扱われることになりましょう。はたして、このようなインドが実現するかどうかは別問題ですが… (p.176)

 自分の商う品物を、人前でできるだけ高く売りつけようとする男が、泥棒でなければ、いったい何でしょう? (p.177)

 われわれ国民が互いに理解し合うだけの叡知をもたないかぎり、いつまでも暴力主義がはびこり、アヒンサーの真の力をわたしたちの心に芽生えさせることができないことになる。

 自らの存続を軍隊の援助にたよるのは、貧弱な民主主義である。軍隊は自由な精神の成長を妨げ、人間の魂を窒息させる。(p.195)

 軍隊というのは、どんな社会的秩序にも共通であるはずの規律を離れてしまうと、あとは野獣化の一途をたどるものである。もし自由インドがいままでどおりの軍事費を負担しなければならないとすれば、飢えた民衆に救いをもたらすことはできないだろう。(p.195)

 原子爆弾の現代においてこそ、純粋な非暴力が暴力のあらゆる策略にうち勝つことができる。 (p.197)

 武器は、人間の強さではなく、弱さのしるしである。ひとたび武器を奪われると、たいていは降参するより仕方がないのだ。(p.200)

 けれども、その要求が力を背景にしており、しかも要求の正当性が納得できないうちは、非暴力の人に残された唯一の道は、それに対して無抵抗の闘いを試みることである。彼は暴力を返すのではなく、手を出さないことによって相手の暴力を骨抜きにし、同時に要求に屈服することを拒否しなければならない。これこそが、この世界で見受けられる文明の名に値する唯一の方法である。(p.245)

 はじめに親としての義務を果たさずに子供たちに服従を要求するいやらしい親は、子供たちから軽蔑の目で見られるだけである。(p.260)

 弱者の非暴力というようなものはありえない。非暴力と弱さとは相矛盾する言葉である。(p.265)

 つぎに教授連の科学者メンバーの一人が、いまもし科学者たちが、自由インド政府から戦争兵器や原子爆弾の開発のために研究に従事するよう求められたら、どうすべきかとガンディージーにたずねた。ガンディージーは言下に答えた―「科学者の名に値するためには、そのような国家には死を賭して抵抗するべきです」と。(p.269)

 ばらばらに散らばった水滴は消え去るだけであるが、それが結集すると、広い洋上に巨大な汽船をも走らせる大海となる。同様に、世界各地の労働者が団結すれば、わずかばかりの高賃金でそそのかされたり、わずかな手当につられて言いなりになるようなことはないだろう。労働者たちの非暴力のほんとうの団結は、磁石のように、必要なすべての資本を引きつける。そのとき資本家たちは、受託者としてのみ存在することになるだろう。そのような慶ばしい朝が明けるとき、資本家と労働者の区別はなくなるだろう。労働者は、十分な食べ物と衛生的で住みよい家、子弟のための必要な教育、自分の教養を高めるために十分な余暇、そして適当な医療援助などにあずかれるだろう。(p.276)

 非暴力的非協力は万能薬である。善は自立的に存在するが、悪はそうではない。悪は善の周りに巣食って、それにたかる寄生虫のようなものだ。善が援助を与えなくなったときに、悪はひとりでに消滅する。(p.285)

 これは希望のない願いであることを告白しなければなりません。なぜなら、今日わたしたちは、軍隊やむきだしの武力ばかりに頼っているからです。わが国の政治家たちは、五、六十年以上も前から英国体制下での軍事支出の過重をはげしく非難してきました。それなのに、政治的隷属から自由になったいま、わたしたちの軍事費は増大し、今後も増大をつづける気配を示しています。そしてこともあろうに、わたしたちはそれを誇りにしているのです! この国の議会には、それに反対する声すらも聞かれません。それにもかかわらず、インドがこの死の踊りに生き延びて、どんなに不完全であったにしても、1915年以来32年にわたって絶え間なく続けられてきた非暴力の訓練の結果として、当然インドのものとなるはずの精神的な高みをきわめることができますようにとの、一縷の希望がわたしや多くの同志の心から失われることはありません。(p.293)

 もし世界のもろもろのいとなみの総計が破壊的だとすれば、とっくの昔に世界は滅亡していたはずだと、どうしてわたしたちは考えないのだろうか? 愛が、言いかえればアヒンサーが、わたしたちの地球を支えてくれたのである。(p.301)

 他人の宗教上の確信や慣習を理解し尊重するには、雅量と幅広い視野が必要である。(p.310)

 人間の価値は、人が稼ぐ金額によらないことを忘れてはならない。(p.318)

 人が困っているとき、その人を幸福にみちびく鍵は労働にある。神は人間を飲み食いや享楽のために創りたもうたのではない。(p.323)

 かりにあなたがたが戦争に勝ったとしても、それは、あなたがたが正しかったということの証明にはならないでしょう。それはただ、あなたがたの破壊力のほうがまさっていたことを示すだけです。(p.332)

 戦争は本質的に罪悪であるために、わたしは停戦を提唱する。あなたがたは、ナチズムを抹殺することを望んでいられる。けれども、ナチズムのやることを無差別に真似るのでは、それを抹殺することにはならないだろう。貴国の兵士たちも、ドイツと同じ破壊活動をやっている。ただ違うのは、おそらくあなたがたの破壊がドイツ人ほど徹底していないということだろうか。(p.332)

by sabasaba13 | 2011-09-26 06:16 | | Comments(0)

言葉の花綵59

 教養という風呂に入りたがった。(サルトル 『言葉』)

 昼は本当の自然の探究者として実験を進め、夜はひき籠って古典的な名著を読むというような本格の生活をしてみたいと思うこともある。それには今のような一番好都合の位置にいながら、事実は全くの逆の傾向に堕ちようとしている自分を省みて、時々激しく思い返されてくる。(中谷宇吉郎 『御殿の生活』)

 読書が勤学であるように解されたのは昔の道学先生の学究観で、読書は実は享楽である。(内田魯庵 『魯庵随筆 読書放浪』)

 ひもじさと 寒さと恋と 比ぶれば 恥ずかしながら ひもじさが先 (unknown)

 あご蠅:房事過多で精魂が尽き果て、あごに来た蠅も手で追い払えない有り様。(unknown)

 考えてみれば、顔の造作ほど不公平なものはない。本人が努力したわけでも心掛けが良かったわけでもないのに、生まれながらのご褒美のごとく美しい容貌をもち、周囲からちやほやされて一生を送る人がいる。何も悪いことはしていないのに、一生分の冷や飯が入ったお櫃を顔に括りつけて生れてくる人もいる。(竹内政明)

 われわれは、親ゆずりの物質的財産で威張るやつを軽蔑するのに、親から貰った美貌で威ばったり得をしたりする人間をどうして軽蔑してはいけないのか。(平林たい子 『不美人論』)

 動物の世界では、ライオン、トラ、クマといった捕食動物は、目と目がくっついている。一方、キリン、ウサギ、ハトなど、餌食にされる動物は目と目のあいだが離れており、それぞれが頭の脇のほうについている。生き残るために周辺視野が必要だからだ。(パトリシア・コーンウェル 『神の手』)

 (俳句とは)扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、そこから放散する連想の世界を暗示するものである。(夏目漱石)

 冬菊のまとふはおのがひかりのみ (水原秋櫻子)

 恋が着せ、愛が脱がせる。(眞木準)

 一、スジ(物語の筋)、二、ヌケ(映像の出来)、三、ドウサ(演技) (マキノ省三)

 「妻のために予定した墓銘碑」
 ここに葬られしはわが妻。安らかに妻を眠らせたまえ!
 今ようやく妻は心安らぐ、私もまたしかり。(ジョン・ドライデン)

 神、宇宙を創って休みたまえり、また男を創って休み給えり、されど女を創ってより、神も男も休むことなし。(『英和笑辞典』)

 会社がつぶれるのは、利口同士が喧嘩しているか、バカ同士が仲良くしている時です。(磯田一郎)

 喜ぶな 上司と野球にゃ 裏がある (『サラリーマン川柳』)
by sabasaba13 | 2011-09-20 05:36 | 言葉の花綵 | Comments(0)

クロアチア編(22):シベニク(10.8)

 ここシベニクは一辺がアドリア海に面した城壁都市ですが、城壁は現存せず、その遺構が聖フランシスコ教会の近くに残されています。このあたりからは聖アン要塞が望めるのですが、ガイドブックによるとそこからの眺望は絶景だとか。主よ、我らに自由時間を与え給え。そしていよいよ旧市街の懐に食い込んでいきます。ヴェネツィアを思わせるような狭い石畳の路地が微妙にうねりながらのたうつ、趣のある渋い雰囲気を醸し出していました。屋上にとりつけられたテラス、アルターナをよく見かけましたが、これもヴェネツィアを思い起こさせる一因です。
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 石材が豊富なのか、石積みの建物が多いのが目につきますね。今、調べてみると、近くのブラチ島に石灰岩や大理石を産出する石切り場があるそうです。重厚な石積みの家々と路地のかなたに見える教会とがあいまって、フォトジェニックな光景をつくりだしています。いつものようにツァー御一行様の最後尾にポジションをとり、つかず離れず、写真をばしゃばしゃと撮りまくりながら歩いていきました。ちなみに山ノ神は英語を勉強するため、つねに先頭を行くガイド氏のそばにつきまとっています。
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 そして世界遺産に認定されている聖ヤコブ大聖堂に到着。1431年から1555年にかけて、煉瓦や木の支柱をまったく使わずに建てられた世界最大の石造教会です。ファサードは瀟洒で軽快な印象、華麗な薔薇窓や入口の繊細な装飾にも目を引かれます。北側の入口は「楽園の入口」「ライオンの扉」と呼ばれ、両脇の二頭のライオンがアダムとイヴの彫像を支えています。
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 そして後陣部分の外壁を飾るのが、さまざまな表情をした72人の顔の彫刻です。この教会の設計を手掛けたルネサンス期クロアチアを代表する建築家・彫刻家、ユライ・ダルマティナッツの手によるもので、当時、実際に存在したシベニク市民を模したそうです。なおその人選の由来についてはわかっていません。ちょっと五百羅漢を思い出しましたが、表情ははるかに豊かで生き生きとしています。これに匹敵するのは川越喜多院の五百羅漢ですね。
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 そして海岸に出てバスへと戻りますが、途中で弾痕らしき傷が壁面にある建物を見つけました。駐車場兼バスターミナルは、大きなバックパックをかついだ若者たちであふれかえっていました。バカンスの時期にヨーロッパに来るとよく見かける光景ですが、安い宿を渡り歩きながらヨーロッパ各国を旅する若者たちが多いようです。グランド・ツァーの名残りなのかもしれませんが、素晴らしいことですね。日本の若人の現状についてはよく知りませんが、旅行会社が国内で用意した豪華な宿と食事、そして温泉に無暗に飛びつかないでほしいですね。あまり偉そうなことは言えませんが(言ってしまいますが)、若い人たちには、ぜひ金をかけずに世界各地を旅して、見聞を広め、異文化と出合い、そして己と社会を変えていってほしいと切願します。何といっても、私たちにとって唯一の希望は、若者と子供なのですから。もちろん、非正規雇用の急増というおぞましい状況があるのは重々知っておりますが。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-09-19 06:19 | 海外 | Comments(0)

クロアチア編(21):シベニクへ(10.8)

 そしてバスに戻り、本日最後の訪問地シベニクへと向かいます。距離にして約75km、一時間ほどかかりますが、アドリア海の眺望を楽しめる快適な一般道でした。ん? あれはトーチカではないか。たしかクロアチアは第二次世界大戦当時、枢軸国側についたはずです。すると連合国軍による上陸作戦への対策か、はたまた独自の社会主義路線を歩んだユーゴ連邦の時代にソ連の侵攻に備えてのものか、興味を引かれますね。路傍にある小祠をよく見かけますが、どんなふうに信仰されているのでしょう、日本のお地蔵様のようなものなのでしょうか。シベニクが近くなってくると、海面にたくさんの浮が並んでいます。牡蠣の養殖でしょうか。
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 車窓の光景を楽しんでいると、添乗員さんから願ってもないオファーがありました。明後日は午前はドブロヴニク観光、午後はモンテネグロのコトルを観光する予定ですが、氏の経験によるとコトルへの往復はバカンスによる渋滞と国境通過手続きでかなり時間がかかるとのこと。下手すりゃ午後八時や九時になるケースもあり、ツァー客から「ドブロヴニクに一日いたかった」というクレームがしばしば浴びせられるそうです。そこで、希望する方は、この日の午後はツァーから離脱してドブロヴニクを自由に観光してもよいという提案です。夕食はホテルでツァーとともにしてもよいし、ドブロヴニクでとってもかまわない。(もちろん当該料金の返還はなし) この日はドブロヴニクに連泊するので何の問題もないそうです。偕老同穴、比翼連理、夫婦善哉、割れ鍋に綴じ蓋、あなた百までわしゃ九十九まで、俺の目を見ろ何にも言うな、互いに見つめる顔と顔、阿吽の呼吸、かすかにうなずきあったわれわれ夫婦は即座に決定、ドブロヴニクに居残ろう! そろそろ体と心を縛る鉄鎖に辟易していたところなので、旱天の慈雨です。それにしてもこのような選択肢を与えてくれたパック旅行は初めて。阪急旅行社の英断なのか、ツァー客の要望が多様化していることに対して多くの旅行社で一般化しているのかはわかりませんが、いずれにせよ喜ばしき措置ですね。
 そしてシベニクの駐車場に到着、現地ガイドさんと落ち合い、観光の開始です。シベニクについてすこし触れておきましょう。この町は、トルコの抑圧から逃れたウスコック(海賊)によって建設されたといわれ、昔の面影をよく残す旧市街と、煉瓦や木の支柱をまったく使わずに建てられた世界最大の石造教会聖ヤコブ大聖堂(世界遺産)が見どころです。駐車場を兼ねたバスターミナルの付近を見渡していると…一瞬目が釘付けとなり体が硬直してしまいました。真向かいにある二階建て建物の壁面に残る、生々しい無数の弾痕… クロアチア内戦の傷跡でしょう、確言はできませんがおそらく間違いないと思います。この内戦についてはドブロヴニクのところで詳しく述べたいと思います。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2011-09-18 06:19 | 海外 | Comments(0)

クロアチア編(20):ザダール(10.8)

 あっを発見、カメラを向けると、「肖像権があるのよ」とばかりにぷいと歩き去っていきました。ヴェネツィアのように、建物どうしでロープを張り洗濯ものを干している光景を撮影。
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 そして旧市街の真ん中、ゼレニ広場に到着です。ここはローマ時代に、行政・宗教・通商など市民生活に関わる機能が集められていた中心地、いわゆるフォロ/フォーラムでした。今では二本の柱しか残されていませんが、そのうち一本が「恥の柱」と呼ばれ、軽犯罪を犯した者がつながれ嘲笑されたそうです。
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 そして12世紀に建てられたダルマチア最大の規模を誇る聖ストシャ大聖堂へ。薔薇窓とファサードの列柱飾りが美しい壮麗な教会ですが、内部の見学はなし。前述の第四次十字軍によって建設を中断されたため、基本はロマネスク様式、上部がゴシックで仕上げられているそうです。なおこちらには鐘楼があり、見上げると天辺に人の姿が見えます。どうやら有料で上ることができるもよう、異郷の地に来たら一番高い所へのぼりたいもの、ぜひとも自由時間をとってくれいと添乗員さんに念を送りました。
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 そして牢獄のような聖ドナット教会へ、寸詰まりの重厚な円筒形、無愛想なまでの無装飾、味も素っ気もない建築ですが、なぜか心惹かれます。9世紀初頭に建てられ、内部はビザンティン様式の集中性の高いギリシア十字型平面になっているそうです。このあたりがローマ・カトリックとビザンティン帝国の狭間にあり、双方から影響を受けたことがうかがえます。またローマ時代の建造物を基部とし、その石材を露骨なまでに再利用していることも特徴です。なお残念ながらこちらも内部の見学はカット。目抜き通りであるシロカ通りを横切り、城門の一つ聖クルシェヴァン門に着くと添乗員さんから、「20分ほど自由時間をとりましょう」という待望の一言がありました。やりい! さっそく戻って聖ストシャ大聖堂の鐘楼に上ることにしました。
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 入場料を支払って狭い石段を下りてくる人たちと互いに譲り合いながら頂上へ。おおっ絶景絶景眼福眼福。渋いオレンジ色の屋根が陽光を受けて輝き、アドリア海と対岸の島まで眺望できました。やはり親の意見と茄子の花と鐘楼上りは千に一つの無駄もない、俚諺の通りです。心地良い潮風を満身で感じながら、しばし此の世の憂さを忘れてしまいました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2011-09-17 06:19 | 海外 | Comments(0)

クロアチア編(19):ザダール(10.8)

 リエカからここまで二時間強、バスはザダールに向けて出発です。魁偉な山なみと広大な平原を眺めていると、一時間ほどで再びアドリア海が見えてきました。一般道に入り、まずは昼食です。小骨の多いブイヤベースで味は可もなし不可もなし。クロアチア産のビールを注文したところ、これが旨い! しかも安い! 山ノ神が注文したジュースと合わせて17クーナでした。参考のために記しておきますと、1クーナ≒17円、よって約289円です。さきほどのサービス・エリアで買ったミネラル・ウォーター(1リットル)は7.5クーナ(約128円)、売っていた100円ライターは3クーナ(約51円)でした。物価はたいへん安いですね。店の隣に小さな小屋があり、中では串刺しにした子羊を丸焼きにしていました。この光景は、車窓からもよく見かけます。
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 そしてバスに乗り込み、すぐ近くにある、ダルマチア地方で最も古い町の一つであるザダールに到着。紀元1世紀にローマ人がイリュリア人を追い出して、典型的なローマ都市計画の下で建設した町です。この町を襲った最大の悲劇は、1202年に起こりました。ヴェネツィアを出発した第四次十字軍が中近東へ向かう途中で突然進路を変え、ここザダールを襲い、町に火を放ち占領したのです。なぜ? この時の十字軍は艦隊による兵の輸送をヴェネツィアに依頼したのですが、資金繰りがつかずに代金を全額支払えませんでした。そこでヴェネツィアの総督は、アドリア海岸をめぐって対立していたハンガリーの拠点ザダールを攻め落としてくれれば、残りの船代は後払いにしようと提案したそうです。この攻撃で町は破壊され、ヴェネツィアはここに東地中海の海洋帝国を築く足掛かりを得たというわけです。綺麗な薔薇には棘があると言いますが、あの美しいヴェネツィアにこのような血塗られた歴史があったのですね。いや、こうした没義道な商いをしたからこそ、あの美しい街並みをつくる財力ができたと言うべきでしょう。
 駐車場でガイドさんと落ち合い、観光のはじまりです。ザダールの旧市街は、海に突き出た長さ1kmほどの半島で、城壁に囲まれています。城門をくぐって中に入り、古い建物が密集する狭い路地を抜けると広々とした海岸に出ました。
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 地元の方たちでしょうか、のんびりと日光浴や散歩を楽しんでおられます。ここで案内されたのが、海岸に吹く風を利用して音を鳴らす「シーオルガン」という装置です。仕組みはよくわかりませんが、路面に小さな穴がいくつかあけられており、ぼーっという不思議な音が不思議な音階を奏でています。なお『地球の歩き方』の読者投稿によると、ヒッチコックが最高の夕日と称えた場所だそうです。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-09-16 07:43 | 海外 | Comments(0)