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隠岐編(6):美保関灯台(10.9)

 そしてタクシーに乗り込み、美保関灯台へと向かいます。数分で駐車場に到着、ここから歩いてすぐのところに美保関灯台がありました。1898年(明治31年)にフランス人の指導により建てられた山陰最古の石造灯台で、「世界の歴史的灯台百選」や「日本の灯台50選」に選ばれ、灯台として初の登録有形文化財に登録されたそうです。金網で囲まれ接近できないのが残念ですが、風雨に耐えながら寡黙に屹立するその剛毅な佇まいがいいですね。隣に同じく石造の官舎が残っているのも貴重です。
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 周囲には遊歩道が整備されているので、歩いてみることにしました。潮風を浴びながら日本海を眺めていると、「日本海軍美保関遭難事件」という碑がありましたが、これは初耳。ウィキペディアから事件の概略について引用します。「美保関事件とは、1927年(昭和2年)8月24日に大日本帝国海軍で夜間演習中に起こった艦船の多重衝突事故である。日本海軍はワシントン海軍軍縮条約の結果として保有主力艦艇の総排水量を制限された。それに対抗して、連合艦隊司令長官加藤寛治は「訓練に制限無し」の掛け声の下、1926年(大正15年)11月以来、将兵に連日激しい訓練を強いており、小規模な事故が相次いでいた。その結果、翌1927年(昭和2年)8月24日、徹夜の夜襲訓練中に島根県地蔵崎灯台の東4浬にて軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」、巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦」の多重衝突事故が発生した」 碑の解説文によると、犠牲者は119名、「海の八甲田事件」とも言うべきこの惨事を日本海軍は黙秘しつづけ、半世紀を経て(!)、故五十嵐艦長の御子息の克明な調査によって明らかにされたそうです。加藤寛治といえば、ロンドン海軍軍縮条約に強硬に反対し、統帥権干犯問題のきっかけつくった軍令部長でしたね。やれやれ、責任回避のために都合の悪いことを只管隠蔽する官僚的体質を如実にあらわす事件です。そして戦争に勝つためなら、兵の命など寸毫もかえりみないこのおぞましき組織体質には言葉もありません。戦争に「経済」をくっつけて、「兵」を「社員」と言い換えれば、いまでもあまり変わっていないということに慄然とします。それにしてもなぜこの国の組織は、人の命を羽毛のように軽く扱うのでしょうか。あらためて犠牲となった方々に合掌。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-11-30 06:15 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(5):美保神社(10.9)

 それでは同じ石畳の道を歩いてタクシーへと戻りましょう。それにしても、石畳をしきつめた古い街並みって意外とないものですね、古い街道だったらけっこうあるのに。先日たまたま読んだ「黒船以前 パックス・トクガワーナの時代」(中村彰彦・山内昌之 中公文庫)で、イスラーム学の泰斗・山内昌之氏が次のように述べられていました。「(※公衆便所、公衆浴場など)都市の水準として、とくに江戸は世界でも最先端に近い位置にあったのではないか。ただ何が遅れていたかとあえていえば、舗装です。道路の舗装技術に関しては、ヨーロッパやイスラーム世界にはかなわない。(p.123)」 うーむ、これは気づかなかった、卓見ですね。なおその理由として、中村氏は馬車がなかったこと、山内氏は石材の不足をあげられています。たとえ馬車がなくても、多雨地帯の日本、ぬかるむ道を歩く不便を考えれば石畳の必要性は高かったと愚考します。私は後者の説をとりますね。でもそれとは別問題として、なぜ日本には馬車がなかったのでしょう??? 水運が発達していたため、山がちの地形であったため、雨が多かったため、などと愚考しますがいかがでしょう。意外と雇用機会を減らさないため、一種のワーク・シェアリングだったりして。
 ついでと言っては失礼ですが、美保神社にも寄ってみましょう。おお、これは一風変わった造りですね。大社造を横に二つ並べた本殿、そして数多の柱が支える巨大で重厚な拝殿、ちょっとパルテノン神殿を彷彿とさせます。解説によると、船庫を模しているのだとか。祭神は、右殿が大国主神の子の事代主神、左殿が大国主神の后の三穂津姫命だそうです。鳥居の脇には何やら長い木材が置いてありましたが、近づいてみると「奉納 折れ梶」とありました。ちょっと数奇な物語なので、紹介しましょう。1896(明治29)年、水晶と但馬牛を積んでウラジオストックに向かっていた寶榮丸が、能登沖で暴風に襲われ梶を折られてしまいました。乗組員は髪を切り、美保大神に祈願すると、船首の波間に大鯛があらわれ、船はその鯛の泳ぐ方向へと漂流していきました。やがて暁になると、前方かすかに見える山影は美保岬、そう助かったのですね。その感謝のしるしとしてこの折れた梶を奉納したそうです。1896年といえば三国干渉の翌年、大日本帝国臣民はこぞって「臥薪嘗胆」、帝政ロシアへの復讐の念に燃えていたと先入観を抱いてしまいますが、こうした民間の交易は間断なく続けられていたのですね。政治は政治、商売は商売、ま、当たり前の話ですが。それにしても水晶と但馬牛という交易品が興味深いですね。後者は種牛なのでしょうか、彼らの安否も気になるところです。また「髪打切り」という所作については、最近読んだ「大黒屋光太夫(上)」(吉村昭 新潮文庫)に次のような記述がありました。「海が荒れ狂って船に覆没の危険がせまった時には、髷を切って神仏の御加護を仰ぐ仕来りがある」(p.31) 江戸時代の風習がいまだ生きていたのでしょう。"僧形になる"という象徴的な意味合いがあるのかもしれません。
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 鳥居をくぐると、目の前は海、「やきいか」を売る露店があり、地元の方がイカを干していました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-11-29 06:17 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(4):美保関(10.9)

 境水道大橋を渡り、中海から日本海へと通じる境水道に沿って、島根半島南部の道をタクシーは東へ向かって疾駆していきます。♪地球の果てまでアクセル踏んで、若い命がゴーゴーゴー♪と鼻歌を歌いながら車窓を流れゆく景色を眺めていると、二十分ほどで美保神社の門前に到着しました。ここ美保関は古来より朝鮮との貿易の拠点として栄え、江戸時代から大正時代にかけては、北前船航路の中継基地として重要な港湾でした。またこの時代には、西日本でも有数の歓楽街としても栄え、多くの遊郭が軒を連ね、人口の四分の一を遊女が占めた時代もあったそうです。鳥居の前を右へ折れると美保神社と仏谷寺を結ぶ参道で、古い旅館や旧家が建ち並ぶ「青石畳通り」です。当地の海石を敷き詰めたもので、雨の日には、うっすらと青色に変化することからその名が付いたと言われます。殷賑を極めた往時の雰囲気をよく残す、しっとりとした、でもどことなく色香を漂わせる街並みです。鏑木清方の絵に描かれたような女性がふと横丁からあらわれ、嫣然と微笑みながら「あら、おひさしぶり」と声を…いかんいかん、真昼間から妄想に耽ってどうする。
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 随所に歌碑や句碑などが置かれていますが、多くの文人たちもこの色街を訪れたのでしょう。「烏賊の味忘れで帰る美保の関」(高浜虚子)、「地蔵崎わが乗る船も大山も沖の御前も紺青のうえ」(与謝野寛)、「地蔵崎波路のはての海の気のかげろうとのみ見ゆる隠岐かな」(与謝野晶子)、「関の松さえ切られりゃかなし 恋のえにしを誰が切る」(西条八十)、「杯の数かさなりて夜はふけぬ酔おもしろし美保は風流」(吉井勇)。
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 また島崎藤村の「山陰土産」や、田山花袋の「山水小記」、ラフカディオ・ハーンの「知られぬ日本の面影」に登場する、美保関を描写した文章も紹介されていました。
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 景観を楽しみ写真を撮りながら数分程歩き、左に曲がると突き当りが仏谷寺。隠岐に流刑となった後鳥羽上皇と後醍醐天皇が風待ちのため立ち寄った行在所にもなった古刹です。境内には八百屋お七の恋人、小姓吉三の墓もありました。伝えによると、お七の処刑後、吉三は発心して「西運」と称して江戸より巡礼の旅に出、各地にお七の地蔵をたてながら1737 (元文2)年に70歳でこの地で亡くなり、それを葬ったといわれています。合掌。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-11-28 06:17 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(3):境港(10.9)

 コンビニエンス・ストアの看板にはハングル、レジにはハングルと中国語による注意書き、もしかすると韓国や中国でも「ゲゲゲの女房」を放映しているのかしらん。
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 それはさておき、アジアの、いや世界中の人たちが、いろいろな国を訪れていろいろな人と接するのはたいへん素晴らしいことだと思います。多様な異文化が存在するけれども、所詮は、動物界・脊索動物門・脊椎動物亜門・哺乳綱・サル目(霊長目)・真猿亜目・狭鼻下目・ヒト上科・ヒト科・ヒト属・ヒト種に属する仲間なんだということを実感するきっかけになるのではないかな。さてそれでは境線米子空港駅へと向かいましょう、米子泥田坊空港(ごめんなさい、これで最後です)から駅までは歩いて数分。単線の無人駅で、切符の自動販売機もありません。どうやら列車の中で、車掌さんから購入するようですね。ホームに行くと…おっ私の大好きな「べとべとさん」のイラスト+解説看板がありました。どうやら駅ごとにこうしたディスプレイがあるようですね。
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 少し待っていると、どですかでんどですかでん、と前面に鬼太郎を描いた列車が入線してきました。車内の天井では一反木綿がのたうちまわっています。
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 車掌さんから切符を買ってボックス席に陣取り、さあ妖怪ハンティングとしゃれこみますか。すねこすり駅(高松町駅)、こなきじじい駅(余子駅)、一反木綿駅(上道駅)、キジムナー駅(馬場崎町駅)、そして終着の鬼太郎駅(境港駅)に到着です。おっさっそくねずみ男の着ぐるみがお出迎え、満面に笑みを浮かべた観光客といっしょに記念撮影。「けんかはよせ、腹がへるぞ」という金言を教えてくれた彼に敬意を表して、私も撮影。
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 駅の小さな待合室には、鬼太郎とねずみ男の顔はめ看板がありました。そして駅前には水木先生の銅像、そして鬼太郎のご当地ポスト。味な演出ですね、ディープな小物に惹かれる変なツーリストをくすぐる勘所をよくおさえていらっしゃる。
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 そして駅前にある「みなとさかい交流館」でトイレを拝借すると…なんとロシア語の男女表示でした。どうやらロシアでの「ゲゲゲの女房」を放映しているようです。
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 さてさて観光客のみなさんは、ぞろぞろと妖怪たちの銅像が林立する「水木しげるロード」の方へ向かわれていますが、以前訪れたことがあるし、再訪したくなるほど心に残ってもいないのでパス。もし時間があれば後ほど歩いてみることにしましょう。本命はそちらではなく、美保関青石畳通りと美保関灯台です。事前にインターネットで調べてみたのですが、路線バスはあるにはあるがとても11:40出航の高速船レインボー2には間に合いません。泣いて馬謖を切る、予定通りタクシーを利用することにしましょう。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-11-27 07:14 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(2):葭津掩体壕(10.9)

 天気予報によると、どうやら台風の襲来はなさそうです。やれやれ、ただ四日目から天気が下り坂のもよう、まあ島をめぐる三日間に雨が降らなければ諒としましょう。九月の某日、羽田から空路米子へ。機窓から見える大山の威容に胸ときめかせていると、午前八時半に米子鬼太郎空港に無事到着しました。
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 うーん、きたろーくーこーかあ… まあ不肖わたくし、「悪魔くん」の実写版にはまった世代ですから、水木氏および妖怪諸氏とのつきあいも長うございます。よって鬼太郎・ねずみ男・目玉おやじばかりが人口に膾炙し、もてはやされるのは、どうもおもしろくありません。米子すねこすり空港、あるいは米子べとべとさん空港と、陽の当らない妖怪たちを広報する識見がほしかったですね。なお当然の如く、空港内外に、「ゲゲゲの鬼太郎」に登場するキャラクター(といっても確認できたのは鬼太郎・目玉おやじ・ねずみ男・猫娘・一反木綿のみ)のモニュメントや看板が設置されていました。
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 さてそれでは米子ぬらりひょん空港の近くにあるという、海軍航空隊美保基地の葭津掩体壕を見にいきましょう。日本という国家が遂行した戦争をリアルに実感したくて、旅に出ても機会を見つけて戦争遺跡を訪問するようにしています。中でも掩体壕には、その存在感と造形的な面白さに惹かれておりまして、これまでも館山の掩体壕、高知の掩体壕、サイパンの掩体壕、台湾の掩体壕などなどを見ることができました。「日本の戦争遺跡」(平凡社新書240)という好著でこの掩体壕の存在を知り、空港から近いということもあって旅程に組み入れた次第です。本からコピーした地図をタクシーの運転手さんに見せて、「ここにある掩体壕に行って、米子そでひき小僧空港に戻ってください」と頼むと、「えんたいごう? 何ですかそれは」という至極当然な反応。同書の定義によると、「太平洋戦争の後半、米軍の空襲から貴重な飛行機を守るため、飛行場の周辺に分散して作られた半地下式の防護用格納施設」(p.273)ですが、そう説明してはかえって事態が紛糾しそうなので、「ゼロ戦を入れる、ひらべったいカマボコみたいな倉庫」と言うと、「ああ小さい頃、中で遊んだあれか」と得心してくれました。数分走ると、車道のすぐ脇に葭津の掩体壕が見えてきました。戦闘機が一機入るくらいの典型的な掩体壕です。さっそく下車して間近で観察。
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 擬装のためか、戦後自然に生えたものか、上部は完全に草におおわれていますが、本体はほぼ完全な状態で残されています。写真を撮影し、タクシーに戻ると、運転手さん曰く「昔はもっとあったんだけど」 やはり邪魔なので撤去されつつあるのでしょうか、でも頑丈そうなので壊すのも大変そう。そして米子かんばり入道空港(あーしつこい)まで戻ってもらい、境港行きの列車が来るまで空港内を散策。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-11-26 07:01 | 山陰 | Comments(0)

隠岐編(1):前口上(10.9)

 さてさて日本の島めぐりもいよいよ佳境に入ってきました。今回は満を持して、隠岐旅行を敢行しました。とはいうものの、ちょいと調べたところ、「えっ隠岐って一つの島じゃなかったの」と気づく体たらく。われながら先が思いやられます。気を取り直して事前学習、隠岐諸島は島前(どうぜん)と島後(どうご)から構成され、前者は中ノ島・西ノ島・知夫利島からなり、後者は島後島という一つの島であることが判明。今回私に与えられた猶予は四日間、さあどう旅程を組むか、これを考えるのが無上の楽しみです。とはいえ、飛行機のフライト、境港と隠岐を結ぶ船便、そして宿の場所、こちらを立てればあちらが立たず、なかなかプランニングには苦労しました。試行錯誤の結果、次のような旅程にあいなりました。第一日目:空路、米子鬼太郎空港(!)へ。空港近くにある掩体壕をタクシーで訪れた後、境線に乗って境港へ。タクシーで美保関灯台・美保関青石畳通りを見物し、時間があれば境港を散策。高速船レインボー2で島後の西郷港へ。残念ながら島後には定期観光バスがないので、タクシーを半日貸し切って島内観光。そして西郷泊。二日目:フェリーで西ノ島別府港へ。定期観光バスで、隠岐最大の観光ポイントである国賀海岸を見物。そしてフェリーで知夫利島の来居港へ移動、こちらで宿泊。三日目:タクシーで知夫利島を観光、フェリーを乗り継いで境港へ。境港か米子を見物して鳥取泊。四日目:列車で岩美に移動しタクシーで横尾の棚田を見学。鳥取に戻り、因美線で智頭へ、古い街並みを拝見。若桜鉄道で若桜に行き、鉄道関連物件とつく米の棚田を見物。鳥取に戻り、空路帰郷。さあどうだ、もってけ泥棒、何の脈絡もない強行軍のできあがりです。早割で航空券をおさえ、宿に予約を入れ、念には念を入れて高速船も電話予約し、準備完了。と思いきや、出発の数日前に旅行情報誌「るるぶ」(JTBパブリッシング)を立ち読みしていたところ、米子の近くに植田正治写真美術館があることを発見。前衛的な演出写真「砂丘シリーズ」で著名な故植田正治氏は、境港の出身だったのですね。「美の巨人たち」(TV東京)で知って以来、妙に気になる写真家でしたので、これは是非寄ってみたいものです。急遽、予定を組み換え、二日目に知夫利島観光を済ませ、三日目の朝早く高速船で境港に移動すれば何とかなりそうです。うしっ、念ずれば花開く(何がだ)、これで行きましょう。あとは、晴天とはいいません、せめて台風が来ないことを祈りましょう。持参した本は「日本とアジア」(竹内好 ちくま学芸文庫)です。
by sabasaba13 | 2011-11-25 06:14 | 山陰 | Comments(0)

「グレン・グールド」

c0051620_616197.jpg 先日、山ノ神と銀座テアトルシネマで「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」を見てきました。グレン・グールド、とても十全に彼の演奏を味わえているとは思いませんが、しばしば彼の演奏をCDで楽しんでいます。ゴールドベルク変奏曲、平均律クラヴィーア曲集、イタリア協奏曲など主にJ.S.バッハの作品が中心ですが、その歯切れのよいタッチと明快なフレージングには惚れ惚れします。その一方で、コンサート演奏の拒否とスタジオ録音への執着、異様に低い演奏用のピアノ椅子、唸り声、いつも手放さぬ手袋とマフラーなど、「天才の奇行」では片づけられない、心の襞にひそむ何かを感じさせてくれるピアニストでもあります。彼に関する書籍や研究書は星の数ほどありますが、活字ではなく、音と映像で彼の人生を垣間見てみたいなと常々思っていたところに、この映画に出会うことができました。
 監督はミシェル・オゼ、公開・未公開の映像や写真、プライベートなホーム・レコーディング、日記からの抜粋、数少ない友人や彼を愛した女性たちへのインタビューなどを織り上げたドキュメンタリーです。前半は、幼少時のエピソードから華々しいコンサート活動までを描きます。四十歳を過ぎてやっと授かった一人っ子、両親の彼に対する溺愛が、彼のパーソナリティーを理解するひとつの鍵かもしれません。そして斬新な解釈と完璧な技術で時代の寵児となった彼の姿が、スクリーンで踊ります。もう圧巻ですね、我を忘れて聴き惚れるのみ。ただ、天使のような無垢な表情と、悪魔のような攻撃的な表情が、交互にあらわれるのには底知れぬ不安を感じます。
 そしてコンサート活動をやめた後の彼を描く後半部、何かが彼の中で壊れていくようです。数少ない友人の結婚式の背後で偶然映っている、彼の憮然とした、かつ寂しげな表情がその後半生を暗示しています。病原菌を怖れて病院に近寄らず、とうとう入院中の母を見舞うこともしませんでした。悪化する偏執症(パラノイド)、その治療の為に服用する大量の薬。愛する女性との幸福な暮らしを夢見ますが、やがて彼の素行に耐えきれず去っていきます。ある女性が「強力なパーソナリティーに窒息させられる」と語っていました。仕事上のパートナーに「僕の弟になってくれ」と懇願したという逸話には肌に粟が生じました。底なし沼のような孤独、死への恐怖、そして愛への渇望。これらを、天才ゆえの苦悩のひと言で引き出しに入れてしまっていいのか。ふと思い浮かんだのが、『BLOW UP ! vol.2』(細野不二彦 小学館)という、ジャズ・ミュージシャンを描いた傑作漫画に登場する"野坂の父っつぁん"が呟いた言葉です。
 彼の苦しみは天才ゆえではなく…誰よりも…音楽ってやつを愛しているからじゃないの…? もし誰かが彼と同じくらいに真摯に音楽ととりくんで、彼と同じくらいつねに自分の限界ギリギリの演奏に挑んでみて…それでもクリフォードにとてもおよびもつかなかったら…その人間だけが、彼を天才と呼ぶ資格があるんじゃないの? (p.23)
 そう、音に触るだけで黄金に変わってしまうミダス王のような天才はありえません。音楽への尽きることのない深い愛情、厳しい練習をまったく苦にしない能力、そして演奏における研ぎ澄まされた集中力。これらがあいまって至高の音楽が奏でられるのだと思います。口で言うのは簡単ですが、しかしこうしたものが、代償として人の内面にどれくらいの荷重をかけ、どのように傷つけるのか。私の如き凡百の人間には想像すらできませんが、彼の苦悩と傷心はそこに起因するような気がします。1982年10月4日、脳卒中で逝去、享年50歳。そして清らかに流れるピアノ版「ジークフリート牧歌」とともに、映画は終りました。今、インターネットで調べてみると、この曲はグールドによる編曲、そして彼の最後の録音だったのですね。死を間近にして、これほど静謐にしてぬくもりのある音楽を奏でられたことに、すこし救われた気持ちになりました。
 家に帰ると、すぐに「弦楽四重奏曲/ジークフリート牧歌」と「ゴールドベルク変奏曲」(1981年録音)をインターネットで購入しました。なおこの映画評を綴っていると、山ノ神がおもむろにピアノの蓋を開いて曰く「ピアノを弾きたくなっちゃった…グールドみたいに上手くないけど」。グールドみたいに上手く弾けたら、わたしゃ即座に退職してあなたのマネージャーになってあげます。
by sabasaba13 | 2011-11-24 06:16 | 映画 | Comments(0)

言葉の花綵63

 成功には千人の父がいるが、失敗は孤児である。(ジョン・F・ケネディ)

 民衆の上に基礎を置く者は泥の上に立つがごとし。(古い諺)

 簡潔こそ智慧の心臓、冗漫はその手足、飾りにすぎませぬ (シェークスピア 『ハムレット』より)

 車は地球を破壊する。(横見浩彦)

 その長い年月を思い、木を活かす次の働き場所を見つけてあげることが大切です。(ジョージ・ナカシマ)

 子供の遊びはまじめな仕事だ。ふざけているのは大人だけだ。(アンリ・バルビュス)

 他人と違う何かを語りたければ、他人と違う言葉で語れ。(スコット・フィッツジェラルド)

 人間がどれだけ死力を尽くして何かを追求したところで、その分野で人々に認められるのは稀なことなのだ。(ジャック・ロンドン)

 そして彼は枕に頭を押しつけ、耳を覆い、こう思った。何でもないことだけを考えよう。風のことを考えよう、と。(トルーマン・カポーティ)

 思うのだが、僕らを噛んだり刺したりする本だけを、僕らは読むべきなんだ。本というのは、僕らの内なる凍った海に対する斧でなくてはならない。(フランツ・カフカ)

 ―町は、夜になると、宝石で飾られるのだ。この世界の光景は、ついには、いやおうなしに、僕らにある大きな現実を暴露してしまう。それは人間同士のあいだをへだてる差異、民族の差異よりももっと深く、飛びこえることのできない溝をもつ差異、はっきりきわだって―これは恕しえない―一国の人民の間に横たわる区別。利用するものと困苦するもの…一切を犠牲にすることを、数を、力を、忍苦を、すべてを犠牲にすることを要求されるものと、その上を踏みつけてすすみ、微笑をうかべながら成功するものとの差異だ!…
 「国がひとつだなんて、嘘の皮だ」と、とつぜんヴォルパットがずばりといってのける。「二つの国があるんだ。まったく赤の他人の二つの国に分れているんだ。向うの前戦には、不幸な連中が多すぎるし、ここの銃後には、幸福なものが多すぎる…」(『砲火』 アンリ・バルビュス)

 二つの軍隊が戦うのは、ひとつの大きな軍隊が自殺するのと同じことだ。(『砲火』 アンリ・バルビュス)

 名前ってなに?
 バラと呼んでいる花を
 別の名前にしてみても美しい香りはそのまま (『ロミオとジュリエット』)
by sabasaba13 | 2011-11-23 07:13 | 言葉の花綵 | Comments(0)

駅弁

たつ田弁当(小田原駅)
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ひふみ弁当(一ノ関駅)
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こだわりのとんかつ弁当(東京駅)
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豚べん(いわき駅)
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とり釜めし(塩尻駅)
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ソースとんかつ弁当(長野駅)
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牛肉道場(東京駅)
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オムライス Rilakkuma(東京駅)
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京都牛膳(京都駅)
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いわて黒豚とんかつ弁当(東京駅)
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牛めし(長岡駅)
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極黒豚めし(東京駅)
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おろしだれ牛すき重(京都駅)
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豚味噌焼き弁当(河口湖駅)
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高原野菜とカツの弁当(中央本線小淵沢駅)
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秘境駅オリジナル弁当(飯田線)
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廣東飯店「豚バラ肉やわらか煮弁当」(小田急新宿駅)
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たいめいけん「洋食や ハンバーグ弁当」(小田急新宿駅)
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鯵の押寿し(大船駅)
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どっちも食べたい鯖サーモン寿司(東京駅)
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SLの里汽車べんとう(金谷駅)
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うなぎまぶし弁当(京都駅)
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ますのすし(富山駅)
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まるまる穴子寿し(岡山駅)
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平泉義経(平泉駅)
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牛すき弁当(東武浅草駅)
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牛肉どまん中(山形新幹線)
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近江牛すきやき弁当(京都駅)
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鶏づくし弁当(東京駅)
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黒毛和牛のハンバーグ弁当(東京駅)
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純系名古屋コーチン弁当(名古屋駅)
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上州黄金カツサンド(軽井沢駅)
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東筑軒のかしわめし(日豊本線)
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いづうの鯖寿司(京都駅)
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柿の葉寿司(奈良駅)
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牛肉弁当(松本駅)
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by sabasaba13 | 2011-11-22 06:19 | 写真館 | Comments(0)

クロアチア編(65):旅の終わりに(10.8)

 というわけで、散歩の変人クロアチア編、一巻の終わりです。美しい自然と街、親切な人びと、そして苛烈な歴史と、たいへん面白くかつ勉強になった旅でした。ここで、ドブロヴニクで考えた二つの問いがまた脳裡をよぎります。戦後五十年もの間、旧ユーゴの人々は民族の違いを超えて、日常的には民族を意識しないで平和共存してきたのに、なぜ急に、互いに牙をむき出して血で血を洗う民族紛争を戦うにいたったのか。そして、民族紛争という宿痾をなくすにはどうすればよいのか。帰国後、いろいろな本を読んだり考えたりしましたが、この宿題に対して、先哲の教えを乞いながら述べてみたいと思います。
 まずは前者の問題です。『「民族浄化」を裁く』(岩波新書973)から多谷千香子氏の分析を紹介しましょう。こうした民族浄化の実像は、そのほとんどが当時の指導者が仕掛けた権力闘争が引き起こしたものです。彼らは、共和国の独立による旧ユーゴ連邦分裂の危機を、千載一遇のチャンスとして積極的に活用し、いずれも、他民族の攻撃から自民族を守ることを口実に、自分の権力基盤の確立を目指して、「国土の分捕り合戦」を行いました。口実を真実だと信じさせるために使われた手段は、他民族が集団殺害を計画しているという嘘の宣伝をして、あたかも身に危険が差し迫っているかのような「現在の不安」を強調したり、他民族に天下をとられて二級市民の悲哀をなめることになるかもしれないという「将来の不安」を煽ったりすることでした。つまり、一部の政治家や軍人が、自己の権力拡大と蓄財のために、一般市民の恐怖を煽り拡大して「民族浄化」に利用したという構図ですね。また「帝国・国家・ナショナリズム」(ミネルヴァ書房)のなかで、木村雅昭氏が指摘されているように、民族構成が多様なところでグローバル・エコノミーが威力を発揮するとき、企業家精神に富んだ民族が機会を巧みに捉えて巨万の富を蓄えることとなる結果、貧富の対立が民族的な対立とオーヴァー・ラップしてたち現れてくるという点も見逃せないでしょう。そして自民族を脅かす他民族への憎悪をかきたてるために、伝統が捏造され、大衆消費用に過去が輝かしく粉飾され、磨き直されて、意識的/無意識的に流布される。その際に、相手の集団を構成する個々人から具体的な顔を消し去ることによって、個々人を集団に還元し(「やつらは○○○○人だ」)、それと同時に悪魔さながらに描かれた相手とは対極に位置するものとして自分たちを描き出すことで、同じく自分自身の個性を消し去って、自己が帰属する民族集団へと溶け込んでゆく(「われらは○○○○人だ」)。そしてある集団による他の集団への身の毛もよだつような暴力が振るわれることになります。これに加えてクロアチアやボスニアでは、同じ南スラヴ語を話し、何世紀にもわたって共存してきた民族であるだけに、こうした動きが起こると近親憎悪的な感情を誘発し事態を悪化させたと考えられます。似たものに接するとき自分の存在意義が薄れるのを恐れ、他者を誹謗し自分を称えるという、フロイト説くところの「微差のナルシズム」ですね。また第二次世界大戦中における、凄惨な迫害や虐殺の記憶ももちろん与っているでしょう。
 そして、こうした善良な一般市民による大量殺戮を、現代的な視点から分析した、「戦争の世紀を超えて」(講談社)における姜尚中氏の指摘も大いに参考となります。「人を殺してはいけない」という脳内の回路がなぜ機能停止してしまうのでしょうか。私たちはこの時代に生きていて、どこかに価値のないやつが生きていても仕方がないという考えが、その意識に巣くっているのではないか。つまり憎悪とは別に、もう一つ、価値がないから生存する必要がないという考えがあるという指摘です。そして、価値がないから抹殺するというメカニズムは、資本主義における淘汰のメカニズムと同じものである。市場において、価値のないものは淘汰されなければならないということですね。もしそうだとすると、これはとてつもなく根深い問題です。

 それでは後者の問題、民族紛争という宿痾をなくすにはどうすればよいのか。その発生要因をある程度とらえることができれば、その対策も像を結んできます。もちろん実際に遂行できるかどうかは別問題ですが。
 まずは他民族への憎悪を煽りたてる指導者を登場させないこと。これについて、多谷千香子氏は、国際刑事裁判所(International Criminal Court)の存在が重要であると述べられています。蓄財や権力に対する私的な欲望で突き動かされ、民族紛争を煽ろうとする指導者に対して、戦犯には裁判が待っているという体制が確立すれば、無謀な賭けには出ないだろうと期待されます。もちろん、そのためには、世界の多数の国がICCの締約国となって、戦犯に避難所を与えないようにしなければなりません。なお余談ですが、アメリカは、このICC協定に批准はおろか、署名すらもしていません。戦犯の巣窟ともいうべき国ですから、これは理解できますね。信じ難いのは、日本も加盟していないという事実です。アメリカへの追随かと邪推したくなりますが、多谷氏は、それは誤解であり、国内法との整合性の検討が終われば、日本もICCのメンバー国になる予定であると、好意的な見方をされています。
 次に、民族間の憎悪の大きな原因となる、経済的な不平等をできうる限りなくすこと。ネルーは『父が子に語る世界歴史(6)』(みすず書房)の中で、こう述べています。(p.207)
 デモクラシーは、宗教的、あるいは民族的、人種的衝突(アーリアン・ドイツ人対ユダヤ人)とか、また、なかんずく経済的対立(もてるものと、もたざるものとの間の)とか、人びとの激情をうごかすに足る決定的な岐路にさしかかるときに、無力化する。
 紛争を起こすことを容易にし、凄惨な犠牲を招く、軍備や武器の制限も喫緊の課題ですね。ガンディーが生涯説き続けたアヒンサー(非暴力)の教えに耳を傾けましょう。「なぜ軍隊にたよるか」(『わたしの非暴力2』 みすず書房)からの引用です。(p.195)
 自らの存続を軍隊の援助にたよるのは、貧弱な民主主義である。軍隊は自由な精神の成長を妨げ、人間の魂(こころ)を窒息させる。…軍隊というのは、どんな社会的秩序にも共通であるはずの規律を離れてしまうと、あとは野獣化の一途をたどるものである。
 そして自分を"民族"や"国家"という集団に埋没させないこと。人間が昆虫と同じように分類できるものであり、何百万、何千万という人間の集団全体に自信をもって「善」とか「悪」とかのレッテルが貼れるものと思い込んでいる精神的習慣をきっぱりと拭い去ること。要するに、他民族への憎悪を煽る指導者やメディアに操られる素地をなくすことです。うむむむ、これは難しい課題ですね。でもこのアポリアを乗り越えないと、人類の未来は暗澹たるものとなりかねません。先賢の智慧を借りましょう。まず木村雅昭氏の言です。(前掲書p.108、p.113)
 「エスニシティや言語による呼びかけは、これらの基準の上に新しい国家が形成されるときでさえ、何ら未来に対する指針を提供するものではない。それは単に現状に対する抵抗にすぎず、もっと正確に言えば、エスニックなものと定義される集団を脅かす『すべての他者』に対しての抵抗である」とホブズボームが書くとき、そこで強調されているのはエスノ・ナショナリズムの政治的不毛性、これである。しかも自らの文化的独自性を守ろうとするこうした運動は―たとえその主張が真性なものであるとしても―それが性急に追求されるとき、その主張とは裏腹に、文化的不毛性へと帰着してゆくこととなるであろう。というのも自らの文化に対する盲目的な忠誠のあげくに、他文化に対して心を閉ざすとき、異文化間の交流はおろか、より大きな文化的世界から孤立してゆくこととなるからである。

 いずれにせよ以上の事例が教えることは、宗派、民族を横断する政治・社会的な絆こそが紛争を未然に防ぎ、あるいはそれが爆発するのを抑制する上で、決定的な役割を演じていたこと、これである。
 自らの文化に盲目的な忠誠を捧げず、多文化に心を開くこと。自己や自文化は、人類という大きな文化的世界の一部に属していることを常に意識することでもあるでしょう。そして他民族とのさまざまな交流を通して、絆を結ぶこと。モスタルのスタリ・モスト(古い橋)のように、平和の架け橋をかけることですね。
 そしてデマゴーグやプロパガンダに踊らされないよう、自己を練磨すること。「歴史の効用と楽しみ」の中で、ハーバート・ノーマンはこう語っています。(全集第四巻p.202 岩波書店)
 世界がうまく行かないのは、人びとの心が元来よこしまであるからというよりは、広い意味での教養が欠けているからである。それは知性と寛容と理性が欠けているからであるとまであえて言ってよいと思う。
 他民族を平然と誹謗・侮蔑するような人物を地方自治体の長に選んでしまうような国の方々に、とくに耳を傾けてほしい言葉ですね。
 なおこうして見ると、ユネスコ憲章前文があらためて輝きをもって頭に浮かんできます。
 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代わりに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。政府の政治的及び経済的取極のみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の充分で平等な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに探究され、且つ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を発展させ及び増加させること並びに相互に理解し及び相互の生活を一層真実に一層完全に知るためにこの伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、且つその憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。
 長々とおつきあいをありがとうございました。本編をしめくくる言葉は何にしようかな…やはりカート・ヴォネガットですね。「国のない男」(NHK出版)からの引用です。
ジャングルの闇に潜むライオン・ハンターも
セントラルパークで眠りこける飲んだくれも
中国人の歯医者もイギリスの女王も
みんな仲良く同じマシンのなか。
いいね、いいね。
そんなにも違う人々が同じ乗り物のなか!


 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-11-21 06:18 | 海外 | Comments(0)