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荻窪編(6):大田黒公園(10.11)

 それでは大田黒公園へと向かいましょう。途中にワニをデザインした愛くるしい「交通安全足型」がありました。石井桃子記念「かつら文庫」の前を通り過ぎ、すこし歩くと公園に到着です。
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 いきなり真っ黄色に色づいたイチョウ並木がお出迎え。飛び石を踏んで進み桧皮葺の渋い門をくぐると、池と遊歩道がある美しい池泉回遊式庭園がありました。
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 紅葉の盛りにはすこし早かったのですが、何本かのカエデは綺麗に色づき眼を楽しませてくれます。池、石橋、庭石なども景観を彩り、落ち着いた雰囲気をかもしだしていました。いいですねえここは、都内の紅葉の名所としてお薦めです。なおこちらは音楽評論家・大田黒元雄氏の屋敷跡地につくられた公園とのことです。寡聞にして知らなかったのですが、ドビュッシーやストラヴィンスキーを初めて日本に紹介し、同時代の欧米音楽の普及に努めた方だそうです。広々とした芝生の奥に、彼が住んでいた洋館が記念館として保存されていました。なお入園無料というのも嬉しいですね。
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 そして地図を頼りに、お屋敷が建ち並ぶ一帯をすこし歩いていくと、角川庭園・幻戯山房すぎなみ詩歌館に到着。ここは、角川書店の創立者である角川源義氏の旧邸宅を公開したもので、なかなか立派な和風の近代数寄屋造りです。茶室と句会などを催すための詩歌室があり、貸室として利用できるようになっています。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-03-31 08:06 | 東京 | Comments(0)

荻窪編(5):荻窪(10.11)

 そして角を右に曲がると、杉並中央図書館に到着。ここにはガンディーの銅像があるそうです。裏手にまわると、おお、紅葉に包まれる中、サリーを着て、毅然とした表情で力強い一歩を踏み出すガンディーの銅像がありました。"汝が声、誰も聞かずば、ひとり歩め、ひとり歩め"というタゴールの詩を思い起こさせる一歩です。
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 「ガンディー 反近代の実験」(長崎暢子 岩波書店)という素晴らしい本を読んで以来、深く深く畏敬する人物です。暴力の否定、融和と寛容、最近「エラスムスの勝利と悲劇」(シュテファン・ツヴァイク みすず書房)を読んでこうした精神の源流がデジデリウス・エラスムスにあることを知りましたが、その精神を受け継ぐとともにこれに(エラスムスにはない)行動力としたたかさを加えてインドを独立へと導いた稀有なる人物です。彼の事蹟や言葉を思い起こしながら、暴力と対立と不寛容が渦巻くこの世界の片隅でしばらく佇みました。
 しかしまたなぜここに彼の銅像が? 解説板にはこうありました。「東京都杉並区にこのガンジー翁の銅像を、2008年11月6日にガンジー・アシュラム(修養所)再建財団創立者・インド国会議員・故ニルマラ・デシュパンデ女史の遺志により、ガンジー翁の精神に基づいて、世界平和と相互理解が強められることを祈念して、贈る」 うーん、いまひとつわかりません。中に入れば何か手掛かりがあるでしょう。まずは地下にある洒落たティールーム「Leaf&Leaf」でサンドウィッチと珈琲をいただき、その前にある谷川俊太郎と石井桃子の自筆原稿や写真、プロフィールなどが展示されているコーナーを拝見。"この地上で木とともに生きることの恵み"(谷川俊太郎)、"子どもたちよ 子ども時代をしっかりとたのしんでください。おとなになってから老人になってから あなたを支えてくれるのは子ども時代の「あなた」です"(石井桃子)、いい言葉だなあ、胸に刻みましょう。
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 そして一階にあがると、「常設展示 ガンディー チャンドラ・ボース」というコーナーが一角にあり、二人に関する写真や書物が展示されています。その解説によると、日印交流年の前年である2006年に杉並区長を団長とする「日本・インド地方議員友好親善訪問団」が訪印した際、ガンディー修養所再建トラストから杉並区に対し図書が寄贈され、平和と友好への思いが託されたそうです。なおこの団体はガンディー主義(非暴力・不服従運動)に基づき、国際社会の平和をめざす慈善団体で、国際平和センターの設立、社会的弱者や貧困層を救うガンディー主義諸機関への支援、書籍・資料の発行、人材の育成活動などを目的とするとのこと。どうやらこの団体からあの銅像も寄贈されたようです。
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 図書館から出てふたたびガンディー像の前へ。彼がアジア・太平洋戦争の最中、日本人に贈ったメッセージ「すべての日本人に」の全文が読みたくて「わたしの非暴力2」(マハトマ・ガンディー みすず書房)を購入したのですが、次のような一節がありました。
 わたしがこうしてあなたがたに訴えかけているのは、わたしたちの運動が、あなたがたやその同盟国を正しい方向に導くよう影響を与えるかもしれない、またそれが、あなたがたの道徳的崩壊と人間ロボットへの転落に終わるにちがいない軌道から、あなたがたと同盟国を救出することができるかもしれないという希望をもっているからです。(p.37~38)
 道徳的崩壊と人間ロボットへの転落…嗚呼、マハトマ、私たちは今その崖っぷちにいるのです。どうすればいいのでしょうか。「人間の正当な要求を超えた富の蓄積はすべて盗みである」というガンディーの言葉がアリアドネの糸になるのかもしれません。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-03-30 06:20 | 東京 | Comments(0)

荻窪編(4):荻窪(10.11)

 読書の森公園の前にあるのが荻窪体育館、ここには「原水爆禁止運動発祥の地」記念碑があります。後学のため、解説のプレートの一部を転記します。
 昭和28年11月に開設した杉並区立公民館においては、区民の教養向上や文化振興を図るため、各種の教養講座が開かれ、また、社会教育の拠点として、区民の自主的活動が行われてきました。
 これらの活動のなかでも、特筆されるものは、昭和29年3月ビキニ環礁水爆実験をきっかけとして、杉並区議会で水爆禁止の決議が議決されるとともに、同館を拠点として広範な区民の間で始まった原水爆禁止署名運動であり、世界的な原水爆禁止運動の発祥の地と言われております。
 その後、老朽化のために廃館となったのを機に、つくられたのがこの記念碑です。やはり第五福竜丸事件が大きな衝撃となったようですね。さて、われわれはこの運動をこれからどう引き継いでいけばよいのか。以前にも書いたのですが、労を惜しまず(コピーしただけでが)、もう一度述べておきます。「もう一回言っておけばよかったと後悔しないように、何千回も言われ尽くしたようなことでももう一度言わねばならない」(ブレヒト) 結論から言えば、核兵器反対だけではなく核(原子力)発電を含めた、"放射能反対運動"へと発展させるべきだと思います。これは鎌仲ひとみ氏の映画『ヒバクシャ』から教示していただいた視点ですが、広島・長崎・第五福竜丸で被曝された方々だけが被曝者なのではありません。核実験場周辺に住む人々や実験の関係者、ウラン鉱山で働く労働者、核兵器製造工場周辺の住民、劣化ウラン弾の残骸とともに暮らす人々、核(原子力)発電所の事故で被災した人々。そして忘れてはいけないのが、内部被曝です。微量の放射線を出す放射性物質が体内にとりこまれ体内の組織に沈着し、アルファ線、ベータ線などを長時間放射しつづけた結果、体細胞が傷つけられて慢性の疾病をゆっくりと進行させ、また生殖細胞が傷つけられて子孫に遺伝障害を残すということですね。私たちは、大量の放射能を浴びなければ大丈夫だと、ついつい安易に考えがちですが、微量の放射能がもつ危険性にも注意を向けるべきです。よってたくさんのヒバクシャが存在し、かつ誰でもヒバクシャになる可能性があるということに気づくべきでしょう。これから目指すべきは、すべての核兵器と核(原子力)発電の廃絶、つまり"ノー・モア・ヒバクシャ"を求める運動だと思います。今、私たちは宇宙船第五福竜丸の乗組員なのです。
 余談ですが、アメリカが原子爆弾を投下した理由について、興味深い分析を知りました。アメリカ側の公式見解では、日本本土上陸作戦を決行した場合における日米双方の犠牲者をなくすため、というものですが、他にもいろいろと考えられます。アメリカの軍事力のみで日本を屈服させることにより戦後日本に対するソ連の影響力をなくすため、原爆の力をソ連に見せつけて扱いやすくするため、莫大な予算を使った以上使用しないと議会に追及されるため、当時世界中のウラン鉱山を支配していた大財閥ロックフェラーとモルガンが強力に後押しをしたため、核兵器の威力やそれによる被害・被曝のデータが欲しかったため、といった理由も考えられます。最近読んだ「パクス・アメリカーナの五十年 世界システムの中の現代アメリカ外交」(トマス・J・マコーミック 東京創元社)に以下のような記述があります。
 原爆攻撃のもう一つの狙いは、二つの全く異なった目的のために世界の人々に衝撃を与えることであった。そのうちより穏健な目的は、原爆計画上級研究員の一人であったアーサー・コンプトンが陸軍長官スティムソンに述べたように、「万が一再び戦争が起こればどうなるか適切な警告」を世界の人々に与えたことであった。今後決して使用しないために、今この爆弾を「使用しなければならない」のであった。衝撃を与える二つ目の目的は、人間を標的にして原子爆弾を落とす合衆国の冷酷さを世界に明示することであった。事前に予告をしておいて無人の標的に原子爆弾を落とすべきだと助言した科学者もいたが、そうしたのでは意味がなかったのである。もしそのようにすれば原子爆弾の威力を示唆することはできても、この恐ろしい爆弾を使用するというアメリカの意志を示すことはできないのである。1945年夏半ばの日本の和平を求める動きに、アメリカが乗り気ではなかった一つの理由は、原子爆弾を使用する機会を得る前に戦争を終わらせたくなかったことである。
 このような冷酷な目的は主にソ連と西欧に衝撃を与えることになった。(p.90~91)
 うーん、鋭い。"合衆国の冷酷さ"か、20~21世紀の世界史を理解する上でのキーワードですね。この本はたいへん優れた素晴らしい歴史書ですのでお薦めです、本書を読まずして20世紀を語るなかれと言いたいくらい。"ソ連の脅威はアメリカがつくった架空のものである""アメリカは日本のためにベトナム戦争を行った"といった常識を覆すような考察が見事な手際とともに叙述されています。また「昭和 戦争と平和の日本」(ジョン・W・ダワー みすず書房)には、戦時における日本の原爆研究について述べた『「ニ号研究」と「F研究」』という興味深い論文がおさめられています。そうそう、「わたしの非暴力2」(マハトマ・ガンディー みすず書房)の中に、下記のような一文があったので紹介しておきます。
 わたしが見るかぎりでは、原子爆弾のために、これまで久しく人類を支えてきた高尚な感情が死滅させられてしまった。これまでは、いわゆる戦争の法則というものが存在していて、戦争をなんとか耐えられるものにしてきた。けれども、いまやわたしたちの前に、戦争の真実がむきだしにされたのである。戦争には力の法則以外の法則はないのだ。日本が下劣な野心を貫こうとして行なった犯罪をわたしが弁護しようとしている、などと早合点しないでもらいたい。違いはただ程度の差だけであったと、わたしは思う。けれども、日本のほうがいっそう下劣であったからといって、日本の特定地域の男や女や子供たちを情け容赦もなく殺してしまうという、まさるともおとらない下劣な行為をやってよい権利はだれにも与えられていなかったのだ。(p.163)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-03-29 06:19 | 東京 | Comments(0)

荻窪編(3):荻窪(10.11)

 青梅街道を渡ると、知る人ぞ知る、知らない人は知らない、興味のない人はどうでもいい、ラーメンの有名店「春木屋」がありますが、まだ開店しておりません。無念。そして駅の地下をくぐって中央線の南側に出没、商店街を抜けて数分歩くと、「明治天皇荻窪御小休所」と彫られた石柱がありました。解説がないので、今インターネットで調べたところによると、1883(明治16)年に明治天皇が二度にわたり休憩した場所とのことです…ま、それだけの話。その後ろにある長屋門は江戸時代のだそうです。
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 そのすぐ先の角には異形の物件がありました。まるで急須の蓋のような青銅の屋根、「グンヂッロ郊西」という金文字、松田優作だったら「なんじゃこりゃ」と呻くだろうなあ。昭和初期に「西郊ロッヂング」という名の高級下宿だったそうで、隣は「西郊」という割烹旅館です。何でも2000年に賃貸マンションとしてリニューアルし、超人気物件だそうです。すこし歩くと読書の森公園、井伏鱒二の「荻窪風土記」の一節がプレートに記されていました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-03-28 08:17 | 東京 | Comments(0)

荻窪編(2):荻窪(10.11)

 そして二つの池の間にある車道に戻り、荻窪行きのバスに乗り込みました。荻窪が近づいてきた頃、ふと何気なく車窓を流れゆく建物を眺めていると、視界をよぎったのが二階にある見事な銅製の戸袋です。次のバス停で飛び降り、当該の物件にいそいそと近づくと…粋だねえ。てやんでえべらぼうめ、と思わず江戸ことばになってしまいました。煉瓦型に貼り合わせた銅板のど真ん中に三つの麻の葉が見事におさめられています。うーん、匠の技ですね。荻窪駅の方へすこし歩いてくと、今度は網代の戸袋を発見。またファサードを銅板で覆ったお宅も二軒ありました。もしかしたら荻窪近辺は、知る人ぞ知る、知らない人は知らない、興味のない人はどうでもいい、銅板戸袋のサンクチュアリかもしれません。後述の「夢声戦争日記」によると、荻窪はアメリカ軍による無差別爆撃を受けていないので、こうした貴重な物件が残ったのでしょう。なお場所をお知らせしておくと、四面道の先、桃井一丁目の青梅街道に面したあたりです。
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 近くにあった喫茶店でモーニングサービスをいただき、すこし歩くと荻窪駅に到着。
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 前記のブログによると、荻窪勧業ビルのあたりに徳川夢声が住んでいたそうですが…あった。昔日の俤を偲ばせる縁はなにもない、普通の駅前でした。
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 岩波日本史辞典から引用しましょう。
徳川夢声(1894‐1971)、活動弁士(映画説明者)・俳優。本名福原駿雄。島根県生れ。1913年活動弁士となり、新宿武蔵野館における巧みな話術が人気となる。33年古川緑波(ロッパ)らと笑の王国を結成,文学座にも出演。39年から始めたNHKラジオ「宮本武蔵」の朗読が評判となり、46年以降はNHKの「話の泉」「こんにゃく問答」等で活躍。「週刊朝日」の対談「問答有用」ではインタビューの妙味を発揮。著「夢声戦争日記」ほか。
 実は、厠上本(便所で読む本)として「夢声戦争日記(1)~(7)」(中公文庫)を読んでいるのですが、このあたりについてしばしば触れられています。時には熱狂的に戦争を支持し、時には懐疑的・冷笑的となり、時にはやけくそとなり、人間的にあまりにも人間的に酒と食べ物にこだわりつづけた夢声、なかなか面白い日記です。例えば、1944(昭和19)年12月9日記を紐解いてみましょう。
 この数日来めっきり悪くなった歯で、ポロポロの握り飯をムニャつきつつ、しみじみ味気なくなる。あれを想いこれを想いしているうち、―戦争はイヤだなァ、と心の中で言う。馬鹿! 貴様は日本人か! と自分を叱る。
敗戦は無論イヤである。然し、戦争も別にヨクはない。

 人間の思想斯の如し、平静なる時、興奮せる時、悄然たる時、同じ人間が同じ日の中に、幾度か変転する。一椀の飯、一杯の酒、寒暖五度の差よく思想を左右する。
 空襲で家も焼かれず、近親に戦争による死者も出ず、ある程度の収入もあり、コネで酒食も手に入れられた夢声を、民衆の全き代弁者とすることはできないと思いますが、その目線は市井の人に近いものがあります。その彼がここで泣き笑い怒り溜息をついていたかと思うとちょっと感無量ですね。なお荻窪には井伏鱒二、太宰治、与謝野晶子、棟方志功、田河水泡、長谷川町子といった方々も住んでおられました。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-03-27 21:05 | 東京 | Comments(0)

荻窪編(1):石神井公園(10.11)

 東京の紅葉狩り、今度はどこへ行こうかといろいろ調べてみると、大田黒公園がなかなかよさそうです。荻窪か…荻窪といえば、前々から近衛文麿の邸宅「荻外荘(てきがいそう)」が気になっていました。荻窪近辺の散策もからめようとインターネットで調べていると、「荻窪雑記」という素晴らしいブログに出会えました。これによると、さまざまな見ものがあることが判明。徳川夢声旧居跡、ユニークな造形の旅館「西郊」、原水禁運動発祥の地記念碑、ガンディーの銅像、石井桃子記念文庫、角川源義氏の邸宅「幻戯山房」、いやはや恐るべし荻窪。行程としては、まず石神井公園を見て、バスで荻窪に移動、荻窪を徘徊した後歩いて和田堀公園に行き、そして目黒の庭園美術館の日本庭園を訪れることにしました。
 西武池袋線石神井公園駅から商店街を抜けて歩くこと十分弱で、石神井公園の石神井池に到着です。細長い池の周囲には遊歩道が整備されており、池の眺望や武蔵野の名残りの雑木林を愉しみながら歩くことができます。ところどころで色づいた紅葉が水面に映えて綺麗でした。
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 そして車道を渡ると、同じく細長く遊歩道がはりめぐらされた三宝字池がありました。途中には、鬱蒼とした木々が生い茂る土塁が残されていますが、ここが石神井城主郭跡です。平安期から室町期まで石神井川流域に勢力を張った豊島氏の後期の居城で、一足早く戦国時代を迎えた関東の雄として扇谷上杉氏と戦いますが、1477(文明9)年に太田道灌に敗れて落城、そして廃城となったそうです。兵どもが夢の跡…かどうかわかりませんが、諸行無常の響きありですね。
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 水面におおいかぶさるカエデや、池に映るさまざまな色のグラデーションを写真におさめながら池のはじまで歩き階段をのぼると、そこが野鳥誘致林。中には入れませんが、このあたりにはたくさんのカエデが生えています。まだ紅葉には早かったようですが、このあたりはお薦めポイントですね。ん? 池の畔で高価そうなカメラを構えた方々がおられます、すわ、絶景ポイントかと思いきや、それらしい景観はありませぬ。「カワセミの保護について」という張り紙があったので、どうやらカワセミを撮影しようとされているようですね。幸運を祈ります。なお余談ですが、『ど根性ガエル』『ドラえもん』の舞台はこのあたりだそうです。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-03-23 06:19 | 東京 | Comments(0)

高尾山編(2):(10.11)

 そして右手にある1号路から登攀を開始。
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 二十分ほど歩くと、金毘羅神社のある金毘羅台に着きました。ここからは都心を一望できます。
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 さらに十分ほど歩くとエコーリフトの山上駅、そしてケーブルカーの高尾山駅に到着。
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 その先にはサル園・野草園がありました。まだ開園時間にはなっていないのですが、入口から覗きこむと、カールおじさんと動物たちの顔はめ看板が見えました。係の方に、写真を撮るためにちょっとだけ入れてもらえないかとお願いしましたが、体よく断られました。仕方がないので、ズームで撮影。
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 その先にあったのが「たこ杉」、解説によると参道開削の時、盤根が邪魔なので伐採しようとしたら一夜にして根っこが蛸の足のように後方に曲折したそうです。
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 そして浄心門をくぐると、急な石段の男坂と緩やかな坂道の女坂があります。
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 前者を上って杉並木の参道を歩いていくと薬王院に着きました。実はここまで鮮やかな紅葉にはお目にかかれませんでした。こちらでの邂逅に期待したのですが、残念ながら山門の脇にある一本だけ。
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 そして薬王院の裏へ抜けて登山道を上っていくと、登山帽を意匠したかわいいトイレ男女表示がありました。
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 ここから数分歩くと、標高599mの高尾山山頂に到着です。とはいっても、お土産屋が林立する何の変哲もない広場、たくさんの方々がそこかしこでお弁当を広げていました。
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 さらに歩くと、おおっ、雪をいただいた富嶽が遠望できました。ここから陣馬山の方へすこし歩くと「もみじ台」という紅葉の名所がありますが…うーん、ところどころに色づいたカエデが点在するだけでした。まだ時期的に早いのか、猛暑の影響なのか、紅葉に関しては期待外れでした。
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 さてそれではすごすごと尻尾を巻いて退散することにしましょう。山頂から稲荷山コースを下りていくと、おお凄い、下のほうから、山ガール、山ボーイ、山おじさん、山おばさん、山小僧たちが陸続とやってきます。おまけに道幅は狭く、砂利が多いため滑りやすいので、歩きづらいこと歩きづらいこと。
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 人混みをすりぬけ、足元に気をつけながら三十数分歩くと、都心を一望できる稲荷山展望台に到着ですが、ここも芋洗い状態。
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 辟易して脱出、旭稲荷を通り過ぎて長い階段を下りると清滝駅に着きました。時刻は午前十一時半、駅前にはすでに長蛇の列ができていました。やれやれ、朝早く来て正解でした。
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 飯島屋で天とろろそばをいただき、京王高尾山口駅へ。なおすぐ近くには「トリックアート美術館」というキッチュな美術館がありましたが、中途半端な胡散臭さなので見学は省略。いっそのこと秘宝館ぐらい俗臭がぷんぷん漂っていれば食指も動くのですが。
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 というわけで、お手軽に山歩きを楽しめるコースとしてはお薦めですが、紅葉に関しては期待外れでした。そして尋常な混み方ではないので、朝早く行かれた方がよいと思います。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-03-22 06:25 | 東京 | Comments(0)

高尾山編(1):(10.11)

 稀代のジンゴイストにしてレイシスト、石原強制収容所所長が税金を湯水のように使って豪勢な出張をくりかえす2010年の東京都にも、紅葉の便りがそろそろ舞い込んできました。さあ今年はどこに行こうかな。ふと思いついたのが、「ミシュラン・ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン」が三つ星に選んだ高尾山です。紅葉が綺麗だという噂はかねがね聞いていましたし、これを機会に行ってみることにしました。そういえば小学校の遠足以来、とんと御無沙汰しております。♪別れた人に会った パパヤ♪という気持ちですね。ただ、山ガールとかいう方々が出没しているという噂もあるし、とてつもない混雑が予想されます。ま、マハラジャのお立ち台で扇を振り回すよりは、真っ当な人生だとは思いますが(古いなあ)。よって、朝早く出かけて、午後には退散することにしましょう。持参した本は「戦後日本、中野重治という良心」(竹内栄美子 平凡社新書490)です。
 2010年の霜月中旬ちょい過ぎ、屋久島・熊野古道とわが脚をよく支えてくれたトレッキングシューズを履き、京王線に乗って高尾山口駅に着いたのが8時20分ごろ、おお構内や駅前はもうけっこうな人出で賑わっています。京王線の駅で事前に入手しておいた「高尾・陣馬スタンプハイク」という観光地図によると、頂上までは三つのルートがあるそうです。以下、引用します。
1号路 3.8km 上り:100分/下り90分 難易度★★
 高尾山を訪れる人にもっとも利用されているコースです。約1260年前に開山した古刹・高尾山薬王院に参拝するための表参道で、舗装された道が続きます。浄心門をくぐり、「男坂」「女坂」の分かれた道が一緒になったところが薬王院。参拝を済ませ、山道を登れば山頂へ到着です。

6号路 3.3km 上り:90分/下り70分 難易度★★★
 山頂近くまで沢沿いのコースです。深い谷に沿って山道をたどり、沢の水音に癒されながら進みます。途中には弘法大師の伝説もある岩屋大師の洞窟や水行道場のびわ滝があったり、飛び石伝いに沢を渡ったりと変化に富んでいます。1号路とともに人気です。

稲荷山コース 3.1km 上り:90分/下り70分 難易度★★★★
 高尾山の南東に延びる尾根が稲荷山です。滝浦駅の左側に登山口があり、山頂へ直接登れるコースとしてよく利用されています。落葉広葉樹が多く、山野草が楽しめます。
 他にもケーブルカーとエコーリフトがあるのですが、せっかくなのでこれらは除外。うーん、どうしよう、やはり王道の1号路で行きますか。そして下りは稲荷山コースでおりることにしましょう。駅前では、イチョウの落ち葉が小川の岸辺を黄色に染め上げていました。
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 この小川に沿って少し歩くと、蕎麦屋やお土産屋が櫛比する一帯と、ケーブルカーの清滝駅とエコーリフトの山麓駅に到着です。おおなかなか見事な紅葉ではありませんか。これは期待できそうです。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-03-21 13:57 | 東京 | Comments(0)

「GO」

 「GO」(金城一紀 角川文庫)読了。いやあ愉快痛快、これほど快適なリズムでぐんぐんぐんぐんと前に進んでいく小説にはなかなかお目にかかれるものではありません。まるでウィントン・ケリー(p)+ポール・チェンバース(d)+ジミー・コブ(ds)トリオの演奏のよう。それに加えて、nationalismというとてつもなく大きな問題にも果敢に挑み、しかも読後感は爽快という、希有な小説です。以下、ウィキペディアよりあらすじを引用します。
 在日韓国人の杉原は、日本の普通高校に通う3年生。父親に叩き込まれたボクシングで、ヤクザの息子の加藤や朝鮮学校時代の悪友たちとケンカや悪さに明け暮れる日々を送っている。朝鮮学校時代は「民族学校開校以来のばか」と言われ、社会のクズとして警察にも煙たがれる存在だった。ある日、杉原は加藤の開いたパーティで桜井という風変わりな少女と出会い、ぎこちないデートを重ねながら少しずつお互いの気持ちを近づけていく。そんな時、唯一の尊敬できる友人であったジョンイル(正一)が、些細な誤解から日本人高校生に刺されて命を落とす。親友を失ったショックに愕然としながらも、同胞の敵討ちに向かう仲間には賛同できない杉原は桜井に救いを求め、勇気を振り絞って自分が在日であることを告白するが…
 「在日」への差別や侮蔑、nationalityという堅く厚い壁、末来に対する不安、反発、怒り、怯え、悲しみ、その中で肩で風を切ってふてぶてしく生きようとする杉原。彼の思いは次の一文に凝縮されていると思います。
 「別にいいよ、おまえらが俺のことを《在日》って呼びたきゃそう呼べよ。おまえら、俺が恐いんだろ? 何かに分類して、名前をつけなきゃ安心できないんだろ? でも、俺は認めねえぞ。俺はな、《ライオン》みたいなもんなんだよ。《ライオン》は自分のことを《ライオン》だなんて思ってねえんだ。おまえらが勝手に名前をつけて、《ライオン》のことを知った気になってるだけなんだ。それで調子に乗って、名前を呼びながら近づいてきてみろよ、おまえらの頸動脈に飛びついて、?み殺してやるからな。分かってんのかよ、おまえら、俺を《在日》って呼び続けるかぎり、いつまでも?み殺される側なんだぞ。悔しくねえのかよ。言っとくけどな、俺は《在日》でも、韓国人でも、朝鮮人でも、モンゴロイドでもねえんだ。俺を狭いところに押し込めるのはやめてくれ。俺は俺なんだ。いや、俺は俺であることも嫌なんだよ。俺は俺であることからも解放されたいんだ。俺は俺であることを忘れさせてくれるものを探して、どこにでも行ってやるぞ。この国にそれがなけりゃ、おまえらの望みこの国から出てってやるよ。おまえらにはそんなことはできねえだろ? おまえらは国家とか土地とか肩書きとか因襲とか伝統とか文化とかに縛られたまま、死んでいくんだ。ざまあみろ。俺はそんなものは初めから持ってねえから、どこにだって行けるぞ。いつだって行けるぞ。悔しくねえのかよ…。ちくしょう、俺はなんでこんなこと言ってんだ? ちくしょう、ちくしょう…」 (p.232)
 またボクサーである彼の親父さんが、いいバイ・プレーヤーとして小説全体をピリリと引き締めています。息子の自由を尊重しながらも、時には寸鉄の言葉で戒める、かっこいい親父さんです。「アウト・ボクシングは客には受けないんだよ。金が必要だったからな。何かを得るためには、何かを失くさなきゃならない」(p.59)などという粋な科白は、思わずメモしてしまいました。彼と杉原が殴り合うシーンはこの小説のクライマックスです。
 「僕が入学した高校は都内にある私立の男子高で、偏差値が卵の白身部分のカロリー数ぐらいしかない学校だった。(p.23)」「親父が盤面から顔を上げた。夏休み初日の小学生みたいにキラキラとした瞳で微笑んでいた。(p.111)」といった洒落たレトリックもお見逃しなく。
 それでは、私が気に入った言葉をいくつか紹介しましょう。
 わたしって、給食って大嫌いだった。全校生徒が、同じ時間に同じものを食べてるのって、なんだか恐いような気がしない? (p.45)

 「独りで黙々と小説を読んでる人間は、集会に集まってる百人の人間に匹敵する力を持っている…そういう人間が増えたら、世界はよくなる」 (p.75)

 「そもそも、国籍なんてマンションの賃貸契約書みたいなもんだよ。そのマンションが嫌になったら、解約して出て行けばいい」 (p.89)

 「おまえ、喧嘩にナイフを使うってことは、自分もナイフでえぐられてもいいってことだぞ」 (p.136)

 「『外国人登録証明書』、持ってる?」 日本には外国人登録法という、『日本に在留する外国人』を管理するための法律がある。管理というと一応聞こえがいいのだが、要するに、「外国人は悪いことをするから、首に首輪をつけとこう」という発想の法律だ。(p.183)

 根拠? そんなものは必要ない。思うことが大事なのだ。きっと。(p.204)

 「俺が国籍を変えないのは、もうこれ以上、国なんてものに新しく組み込まれたり、取り込まれたり、締めつけられたりされるのが嫌だからだ。もうこれ以上、大きなものに帰属してる、なんて感覚を抱えながら生きてくのは、まっぴらごめんなんだよ。たとえそれが、県人会みたいなもんでもな」 (p.218)

 「ノ・ソイ・コレアーノ、ニ・ソイ・ハポネス、ジョ・ソイ・デサライガード(俺は朝鮮人でも、日本人でもない、ただの根無し草だ)」 (p.219)

 なお、桜井がホレス・パーランの「アス・スリー」というアルバムがカッコイイと杉原に紹介する場面があったのでさっそく購入。うん、たしかに。でもラムゼイ・ルイスの「ジ・イン・クラウド」もいけますよ。
by sabasaba13 | 2012-03-19 06:18 | | Comments(0)

「静かな大地」

 「静かな大地」(池澤夏樹 朝日文庫)読了。こういう素晴らしい本に出会えると、つくづく読書が好きでよかったなあと痛感します。明治初年、淡路島から北海道の静内に入植した宗形三郎と志郎兄弟、アイヌの協力を得ながら辛苦の末に牧場経営を軌道に乗せた彼らにおそいかかるさまざまな差別や妨害。結末には触れませんが、その一部始終を、姪にあたる由良が叔父・三郎の伝記というかたちで叙述するという壮大な歴史小説です。なお宗形志郎は、作者の曽祖父にあたる方で、彼らの事跡をなるべく枉げずに小説に仕立てたかったと巻末で付言されています。アイヌ・モシリを、近代の日本国家がどうやってアイヌの手から奪って植民地化し、北海道へと変えていったか。いちおう基本的なところは知っていたつもりでしたが、緻密な考証に基づいた池澤氏の優れた筆力によって、よりリアルに伝わってきます。そしてアイヌに対する畏敬の念をもった宗形三郎が、亡ぼされつつあるアイヌとどう協同し、どう抵抗し、どう敗れさっていったか。最後の最後まで三郎やアイヌたちと一体化し、泣き笑い怒りました。
 そして私利私欲しか念頭にない藩閥と政商が、その私利を"国益""御国の為"と言い換えながら、アイヌたちを犠牲にしアイヌ・モシリを食いものにしながら蓄財をしていく過程が、肌に粟が生じ嘔吐感をもよおすぐらいに詳細に描かれています。あれ、「官僚と商人が、その私利を"国益""御国の為"と言い換えながら、一部の人々を犠牲にしながら蓄財をしていく」と一般化すると、これは近現代の日本においていたるところで見られた光景ですね。由良曰く「強い者が押し通るのが世の習い」です。足尾鉱毒事件、満州開拓移民、大きく捉えるとアジア・太平洋戦争もそれに含まれるでしょう。戦後には、さまざまな公害、そして福島の原発事故。この仕掛けの存在から人々の目を逸らすために、彼らは"愛国心"を利用しているのでしょう。ね、橋下さん。
 アイヌの素晴らしい知恵と文化がそこかしこに、宝石のようにちりばめられているのも、本書の魅力です。「与えられる以上を貪ってはいけない」「天から役目なしに降ろされたものは一つもない」「天から降ったものを争うことなく分ける」ということだと思います。往時の為政者や人々が、こうしたアイヌの言葉に真摯に耳を傾けていれば、この国の姿も違うものになっていたはず。でも今からでも間に合うと思います。今とは違うもう一つの日本を構想するためにも、彼らの言葉に正面から向き合いませんか。
 強い者が弱い者のものを取る。力ずくで取る。それが世の掟だというのなら、アイヌにはもう言うことはない。そのような世には住みたくないと言えば、それ以上は言うことがない。
 もともと蝦夷の地はアイヌのものだった。いや、アイヌはそこが自分たちのものだとさえ思っていなかった。天地はかぎりなく広がり、そこに食べるものはあった。川に鮭が上がる。それを獲って食う。狐や熊や梟と分けて食う。
 和人が来て住みたいと言えば、わしらは住まわせた。天地がかぎりない以上、住みたいものは住めばいい。鮭を獲り、鹿を獲ればいい。狐と熊と梟とアイヌに、また和人が加わるだけのこと。それでもみなに行き渡るだけの数を神々は届けてくださる。足りない年にはみな飢える。(p.140)

 負けた以上、相手のすることが没義道だと言ってもはじまらない。負けた者は負けた者だ。和人は戦がうまい。いずれは外へ出ていった列強のように他人の国を切り取るだろう。だからさ、アイヌ相手の戦はその練習だったのだ。和人は蝦夷の地を切り取って自分のものにした。今の日本にはアイヌの住む土地はない。おまえたちなどいらないと和人は言う。要はそういうことなのだ。大日本帝国には戦の下手なアイヌなどの住む余地はない。早くいなくなれ。
 アイヌは土地というのが取れるものだとは思っていなかった。刀と鉄砲で取れるものだとは考えもしなかった。そういう考えが頭に浮ばなかった。だから、最初から負けていたのだ。
 アイヌとて争いはする。隣の村となにかでぶつかることはある。だがその時は刀ではなくチャランケでことを決めた。議論で決めた。(p.142)

 おまえたち和人は、狼が害をなすという。それはおまえたちが狼の食べるものを奪うからだ。(p.222)

 それからシトナさんは「カント オロ ワ ヤク…」とアイヌのことわざを口にされました。
 天から役目なしに降ろされたものは一つもない。
 狼にも役目があった。狼がいなくなったら、その役目を担うものはいない。世はいよいよ衰えるだろう。
 だがな、天から降ろされず、地から湧きもせぬのに、このアイヌモシリにあって役目のないものが一つだけあるぞ。南から来た和人だ。(p.223)

 自分たちは金が欲しいわけではない。安心して暮らせる場所が欲しいのだ。(p.501)

 見えているのではなく、信じているところを言おうか。今、和人は驕っているが、それが世の末まで続くわけではない。大地を刻んで利を漁る所業がこのまま栄え続けるわけではない。与えられる以上を貪ってはいけないのだ。いつか、ずっと遠い先にだが、和人がアイヌの知恵を求める時が来るだろう。神と人と大地の調和の意味を覚る日が来るだろう。それまでの間、アイヌは己の知恵を保たねばならない。
 アイヌは言葉の民だ。天の恵み、地の恵みを讃える思いを言葉に託して、カムイユカラとウウェペケレに載せて、営々と伝えてきた。アイヌが日々用いる言葉はそのまま食うもの着るもの住むところを言祝ぐ祈りだった。これからもそれを伝えてゆけば、やがてアイヌモシリにまた日が昇る時が来る。
 時の流れのはるか先の方に、アイヌと知恵ある和人が手を取り合って踊る姿がわしには見える。天から降ったものを争うことなく分ける様が見える。(p.534)

 だが、彼らは心正しいアイヌではなく、ねじくれたトゥムンチの族(やから)であった。
 彼らは熊を獲って、熊の魂を送らなかった。
 本来ならば狩りをする者は獲物の魂を手厚く神の国に送る。獲物に向かって、自分のような者の手にかかってくれてありがとうと礼を述べ、自分たちの一族の腹を満たしてくれてありがとうと述べ、その魂が無事に神の国に帰って、またいつか多くの肉をまとってやってきてくれるよう心を込めて祈る。それがアイヌのやりかただ。(p.641)

 なお我が敬愛するイザベラ・バードと松浦武四郎が登場するの、嬉しい限りです。
by sabasaba13 | 2012-03-18 06:17 | | Comments(0)