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京都・奈良錦秋編(18):松尾大社(10.12)

 三十分ほど歩くと松尾大社に到着です。ウィキペディアによると、背後にそびえる松尾山の山頂に近い大杉谷に磐座とされる巨石があり、そこが古社地とのことです。5世紀ごろ、渡来人の秦氏によってその氏神としたのが嚆矢。秦氏は酒造の技術を日本に伝えたことから、中世以降、松尾神は酒造の神としても信仰されるようになったそうです。そういえば『夏子の酒』(尾瀬あきら 講談社漫画文庫)の主人公、佐伯夏子は"松尾様の巫女"と呼ばれていたような記憶があります。なおこのマンガは傑作ですのでご一読をお薦めします。さてお目当ては何といっても重森三玲がつくった三つの庭です。お孫さんにあたる重森千青(ちさを)氏による解説をもらったので引用します。
 松尾大社の庭園は、昭和五十年に昭和を代表する作庭家であった重森三玲の設計によって作庭された。また彼の絶作でもある。
 古来から神社と深く関わりのあった磐座表現による空間である「上古の庭」、近代においては忘れられていた曲水庭園の現代的解釈による構成の「曲水の庭」、即興的に作り上げられた庭園、「蓬莱の庭」の四庭から構成されている。
 それらは、三玲の得意とした立体造形感を全面に押し出した石組構成を中心とし、動と静を表現している。庭園内における石はすべて徳島、香川、愛媛県の緑泥片岩を使用した。伝統を重んじながらも、現代的な表現を目指した重森三玲の終生の目標であった「永遠のモダン」の、まさに最終表現の庭園が展開している。
 重森三玲庭園美術館のサイトにより、「永遠のモダン」を補足しますと、寂びないモダンさ、作品が作られた当時だけ輝くのではなく、時代をこえてモダンに見え続けること。彼がよく使ったもう一つの言葉が「石に乞わん」で、石組みを行うときに石の命のままに石を立ててやること、石の聞こえざる声を聞くこと。これまで庭園美術館大徳寺山内瑞峯院庭園、東福寺方丈庭園、東福寺山内光明院庭園とまわってきて、すっかりその庭の魅力に打ちのめされ、虜になってしまいました。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-04-28 06:58 | 京都 | Comments(0)

京都・奈良錦秋編(17):鈴虫寺(10.12)

 ところどころで見かける綺麗な紅葉を楽しみながらかぐや姫竹御殿の前を通り過ぎると、行列のできるお寺さんがありました。えーとここは…鈴虫寺だ!
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 実は十数年前こちらを訪れ、俗塵にまみれた救い難いほど低劣な法話だか説法だかに呆れ果て、いたたまれなくなり退席した楽しい思い出があります。若い方がほとんどでしたが、何故行列をつくってまで参詣するのでしょうか。山ノ神は、恋愛成就に霊験あらたかなのではないかと推測しましたが、ビンゴ。今、インターネットで調べてみると、次のような記事がありました。"まーにゃと申します。1月末に関東から一人で飛び出し、藁にも縋る思いで京都の鈴虫寺にお願いをしに行ってきました。去年の12月に別れてしまった彼との復縁を願うためです。過去の鈴虫寺関連のトピは熟読しました(それが鈴虫寺に行くきっかけになったのです)。願うが叶う人の多さに驚きました。当然、願うだけではなく、自分の努力が必要なことも承知しております。過去トピのほかにもエピソードがありましたら教えていただきたいです。どれぐらいの期間がかかったかも参考として聞きたいです" 馬に蹴られて死にたくないので、他人の恋路をとやかく言うつもりはありませんが…やっぱりやめとこ。ま、人の弱みにつけこんでえげつなく稼ぐお寺さんなのでしょう、駐車場の料金も500円と高いし。塀の上から顔をのぞかせる紅葉は綺麗でしたが足早に通り過ぎました。
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 あるアパートの脇を歩いていると山ノ神が嬉しそうに私の袖を引っ張ります。なんだなんだ、指差されたガスのメーターに近づくと、なんと、2222のぞろ目です。これは秋から縁起が良いわいと写真におさめようとしたら2223に変わってしまいました。途中で、塀の小さな穴からガスのメーターを覗けるようになっているお宅を発見。「よそさんは家に入ってほしくない」という鉄の意思を感じる、京都ならではの景観ですね。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-04-27 06:20 | 京都 | Comments(0)

京都・奈良錦秋編(16):西芳寺(10.12)

 そうそう、千利休の次男少庵が再興、隠棲した湘南亭という茶室の脇には、「岩倉具視公旧蹟」という碑がありました。
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 へえ、岩倉具視と西芳寺か、どんな関係があったのだろう? 不思議なもので、帰郷後たまたま読んでいた大佛次郎の『天皇の世紀 (7)』に描かれていました。幕府に攘夷を迫るための方策として和宮降嫁を企てた岩倉は佐幕派と誤解され、尊皇攘夷派からの襲撃から身を隠すため西芳寺に潜伏します。
 貧しい公卿の間では代々、苦しい生活の口減らしの手段として子供を寺に入れる方法が普通に用いられた。この西芳寺の住持神湫(しんしゅう?)がまた、具視の父岩倉具慶の猶子だったから情を明かして置いて貰うのに好都合であった。(p.333)
 なるほど、そういうことだったのか。「天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつける」方法を考案したのは彼だったのかもしれません。そして急な坂道をのぼると、上段にあたる枯山水の石組中心の枯山水庭園です。池も鑓水も木立もない寂漠とした空間に、大地から今生まれ出でたような石群が寄り添うように佇んでいました。平安期の『作庭記』には、枯山水とは「池もなくやり水もなき」所に「石をたつること」とあるそうですが、まさしくその通り。森閑とした趣をしばし楽しみました。そして坂道をおりて再び本堂へと戻り、松尾大社に向かいましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-04-26 06:20 | 京都 | Comments(0)

京都・奈良錦秋編(15):西芳寺(10.12)

 何といっても見どころはお庭です。もちろん境内一帯を覆う、100種を超えるという苔も見事なのですが、夢想疎石の手によると伝えられる最も初期の枯山水の石組も見逃せません。微妙に屈折する敷石を歩いていくと低い生垣があり、ここを抜けると抽象絵画のような敷石が続き、前方には高い生垣がありました。この「見たいでしょ見たいでしょ見たいでしょ、まだよまだよまだよ」と言わんばかりに平野レミ風じらし方が上手いですね。この手法は、鹿苑寺(金閣)や慈照寺(銀閣)にも影響を与えたとのことです。
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 そして生垣を抜けると、苔に覆われた緑の世界が現れました。西芳寺庭園は上下二段構えの庭からなっており、眼前の下段は黄金池(心字池)を巡る池泉回遊式庭園となっています。
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 さまざまなニュアンスの緑なす苔々に覆われてまるで生き物のようにうねる地面、幽玄な雰囲気の池と鑓水、点景にアクセントを与える石組、清冽な空気を醸す木立と竹林、素晴らしい光景です。複雑な形の池に沿った苑路なので、そぞろ歩くにつれヴィスタがめくるめくように変化していくのも見ものです。池の東側に建つ茶室・澤北亭の丸窓から、掛け軸のような苔庭の景色を切り取って見るのも一興。残念ながら紅葉にはお目にかかれませんでしたが、一本だけ陽光に輝く色づいたカエデがありました。緑の世界の中で、まるでスポット・ライトを浴びているようにしめやかにしかし毅然と屹立する一本の赤いもみじ。赤一色も結構ですが、こういう紅葉狩りもわるくありません。

 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2012-04-25 06:19 | 京都 | Comments(0)

京都・奈良錦秋編(14):西芳寺(10.12)

 自転車を返却し、八幡市駅から京阪本線に乗って丹波橋へ、近鉄京都線に乗り換えて京都へ、そして地下鉄烏丸線で四条/烏丸に行き、阪急京都線に乗り換えて桂へ、また阪急嵐山線に乗り換えて12:32に上桂に到着しました。このあたりは以前に浄住寺地蔵院の紅葉狩りに来たことがあります。交差点にコンビニエンス・ストアが三軒向かい合う、日本最大のコンビニ激戦地も健在でした。ここを右に曲がりすこし歩いて左に折れるとそこが苔寺道、西芳寺へのゆるやかな上り道となります。萱葺きの屋敷門もある落ち着いた雰囲気の道をしばらく歩いていくと、右に鬱蒼と木が生い茂る一帯が見えてきました。
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 やれやれ、指定された午後一時に間に合いました。なお上桂駅からここまで徒歩で三十分弱といったところ。西芳寺拝観は往復はがきによる事前予約が必要、もちろんあらかじめ手配してあります。門前で係の方に復信の葉書を差し出し、境内に入るとカエデが林立していましたが、ほとんど落葉していました。無念。
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 玄関で拝観料3000円(!)を支払って本堂内にあがると、ご本尊の周囲には長い座卓が整然と並べられ、もうすでにたくさんの方々が座っておられます。そう、まずは般若心経を写経するというお勤めが課せられます。葉書には「細筆持参」とあったので、100円ショップで購入して持ってきたのですが、筆も墨の硯もちゃんと机上に用意されていました。そしてお坊さんによる説明、写経が終わったら本尊に納め、後は自由にお庭を散策してよい、また時間のない方は無理してすべて写す必要はないとのことでした。ま、途中で切り上げるのも気持がよくないので、最後まで書きあげることにしました。とはいっても、薄く印刷してある般若心経を筆でなぞるだけです。観自在菩薩行深般若波羅密多… 二十分ほどかかったでしょうか、最後に「世界平和」と願文を書いてフィニート。山ノ神の願いは何かな、と隣を覗き込むと…ちょっと公にできないような凄い願文でした。やるなあ。そして本尊に納めて、さあお庭を拝見しに行きましょう。まずはスーパーニッポニカ(小学館)の解説を抜粋して西芳寺(苔寺)を紹介します。
 臨済宗天竜寺派の寺で、本尊は阿弥陀如来。天平年間(729~749)に聖武天皇の勅願により行基が創建。のち荒廃したため14世紀に摂津守藤原親秀が夢窓疎石を招請して復興。疎石は浄土宗を臨済宗に改め、庭園や建物を整備。その後、朝野の崇敬、幕府の保護も厚く、足利将軍の参詣、来遊も相次いだが、応仁の乱(1467~77)により池庭も荒廃した。乱後、一時再興されたが、また兵火にあい、江戸時代には再度の水害を受けた。現在の建物のほとんどは明治期の造営である。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-04-24 06:19 | 京都 | Comments(0)

京都・奈良錦秋編(13):松花堂庭園(10.12)

 そしてふたたび外園を散策し、外へ出ようとすると、「吉兆 松花堂店」というお店が隣接していました。吉兆…松花堂…あっ松花堂弁当か! 気がつかなかった。さっそく山ノ神に報告すると、彼女曰く「松花堂と聞いた瞬間にピンときわたよ」 おみそれしました。解説を抜粋して引用しましょう。
 松花堂弁当の起源は、松花堂昭乗の使っていた物入れ(箱)でした。昭乗は近在の農家が作物の種入れなどに使っていた、田の字の形に仕切った物入れをヒントに、絵の具箱、茶会のたばこ盆などとして、色々な用途に利用していたと伝えられています。時代は下って昭和の初め、料亭「吉兆」の創始者湯木貞一が八幡を訪れた際、昭乗遺愛の四つ切箱を見て、試行錯誤のうえ懐石料理を盛り付け、弁当として世に広めたのが「松花堂弁当」の始まりだそうです。器は、縁を高くした四角の箱形で、かぶせ蓋があり、中は十字に仕切られており、それぞれにご飯や煮物、焼き物などを区別して盛り分けられるようになっています。十字に仕切られているところがポイントで、これは食材同士の匂いや、水分が混ざらないための工夫で、機能と見栄えの良さを兼ね備えています。
 今度は是非紅葉の盛りの頃に再訪し、松花堂弁当を味わいたいものです。なお要予約ですので、ご注意を。それでは駅へと戻りましょう。駅の近く、石清水八幡宮のある男山のふもとにも神応寺という紅葉の名所があるとのこと、門前まで行ったのですが、石段を上って散策する時間もないので泣く泣くカット。
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 なお他の見どころとして、流れ橋(上津屋橋)があります。また八幡市に縁が深い人物として、明治政府よるお雇いオランダ人技師、デ・レーケ(1843~1913)がいます。彼は日本初の近代的河川工事である淀川修築工事を行ったそうです。他にも木曽川、庄内川、吉野川、多摩川、木曽川等の河川改修にも深い関わりを持ちました。いずれも難工事のうえ、伴った妻・息子・義妹を病で次々と失うという不幸にも会いながら、誠実に仕事をこなしたデ・レーケ、忘れられない人物です。なお彼のお墓はアムステルダムのゾルフリート墓地にあるそうなので、いつか機会があったら掃苔に行きたいものです。
by sabasaba13 | 2012-04-23 06:17 | 京都 | Comments(0)

京都・奈良錦秋編(12):松花堂庭園(10.12)

 ここから十分ほどで次なる紅葉の隠れ名所・松花堂庭園に到着です。江戸時代初期の僧侶で文化人であった松花堂昭乗がその晩年、石清水八幡宮のある男山の東麓に構えた草庵が、明治初年の神仏分離に伴ってここに移築されたそうです。寡聞して知らなかったのですが、この方は近衛信尹・本阿弥光悦と共に寛永の三筆と称せられた書の名人、そして茶の湯を通して小堀遠州・沢庵和尚・石川丈山といった文化人とも交流を持っていたそうです。へえー。それではさっそくお庭を拝見しましょう。入口の近くには吉井勇の歌碑がありました。"昭乗といへる隠者の住みし盧(いほ) 近くにあるをうれしみて寝る" 彼は敗戦直後の二年十カ月ほどをここ八幡で暮らし、後に「人生行路にようやく光明が射しはじめてきた時期」と回想しているとのことです。
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 鑓水に沿って植えられた苅込、それに沿って苑路を進みます。おっ大好きな鯉の餌[※私が食べるわけではありませんが(ぼけ)←しっとるわい(つっこみ)]を売っていました。さっそく購入して池にばらまくと、鯉たちが集まってきて酒池肉林の大騒ぎ。ういやつじゃ。
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 その先では見事な竹林や綺麗に色づいた紅葉が水に映えて美しいこと。鹿おどしや洒落た意匠の敷石・垣など、風雅な趣を醸し出す小道具にも事欠きません。
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 そして竹隠・梅隠(宗旦好)・松隠(閑雲軒)という三つの茶席が点在していましたが、露地がないのが残念。なお梅隠には水琴窟がありました。
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 ユニークなのは、この茶席を中心に、いろいろな種類の垣が、名称のプレートと共にしつらえてあることです。萩光悦垣、竹枝穂垣、建仁寺垣、萩穂垣、矢止め垣、萩小松明垣、寒竹あやめ垣… いやあ、先人たちの美意識と創意には恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺です。
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 そして菱形の小粋な敷石が導く内園へ、こちらには松花堂昭乗が1637(寛永14) に建てた草庵茶室「松花堂」と、小早川秀秋の寄進とも伝えられる書院、そしてお庭がありますが、残念ながら写真の撮影は禁止です。なぜ、なんだろう? どおして、なんだろう? 入園料を支払わせた以上、管理者には説明責任(accountability)があると思いますが。その近くには「砧の手水鉢」がありました。1705(宝永2)年、天下の豪商・淀屋辰五郎が闕所(家財の没収)となりましたが、六年後に恩赦によって八幡の山林300石が淀屋に返還され、辰五郎は八幡柴座の地に居を構えました。その屋敷には、男山中腹から邸の手水鉢に水を引き、その落差を利用して、手水鉢の中で踊るコブシ大の石の音を楽しんだといいます。この音が洗濯に使う砧を打つのによく似ていたことから「砧の手水鉢」と呼ばれたそうです。なお、辰五郎は33歳(※諸説あり)の若さでこの世を去りました。なお処罰の理由は、淀屋から借りた莫大な借金に苦しむ諸大名を救おうとした幕府が、倹約令違反という口実のもとに淀屋を取りつぶしたものと考えられています。なるほどねえ、幕末においてブルジョワジーたちが、国家権力によって営業活動と利殖の自由・権利が保護されるのを期待して、明治新政権を支持したのもわかるような気がします。そう考えると、一見非道な措置に思えますが、"モラル・エコノミー"的な一面があったととらえるのは穿ちすぎかな。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2012-04-22 05:55 | 京都 | Comments(0)

京都・奈良錦秋編(11):善法律寺(10.12)

 朝目覚めてカーテンを開けるときれいな朝焼け、どうやら好天に恵まれそうですね。本日の旅程は八幡近辺の紅葉隠れ名所めぐり、西芳寺(苔寺)、松尾大社です。西芳寺は予約制で、午後一時から参拝と指定されているので、八幡でのんびりしすぎないようにしましょう。「そんなせわしない旅のどこが楽しい!」というご批判は甘んじて総身で受けた上で、やはりできるだけ多くの「見るべきほどのものは見」たいというのが私の性です。ひきずりまわされる山ノ神にはたいへん申し訳なく思いますが許しておくれ。この借りはたぶん返せないけど。朝食をとり、旅装をととのえてチェックアウト、タクシーで大津駅に行き、東海道線で京都駅に到着。コインロッカーに荷物をぶちこみ、近鉄に乗り換えて丹波橋へ、ここでまた乗り換えて八幡市へ着いたのが午前十時ちょいと前です。事前に調べたところによると、自転車を借りられるそうですが…それらしい施設はありません。やれやれ、タクシーを利用するしかないなと溜息をついていると、10:00ジャスト、シャッターが閉まっていた観光案内所に係の方がやってきました。どうやらここで自転車を借りられるようです(無料)。観光地図をいただき、自転車の鍵を受け取って、歩いて五分ほどのとろにある市民用の駐輪場に行き、鍵の番号を頼りに自転車を探しだし、いざ出発。ふたたび駅前に戻ると、喫茶店が目につきます。「喫茶店と銭湯と古本屋が多い町は良い町」という何の根拠もない持論を持っていますので、ちょっと嬉しくなりました。ここにある不思議な形のモニュメントは…竹の輪切りと灯り…(パンッ)そうか、フィラメントだ。たしかエジソンは石清水八幡宮の竹でフィラメントをつくったのでしたっけ。
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 京から高野山への参詣路である東高野街道をすこし走ると、安居(あんご)橋というしぶい反り橋がありました。おそらく復元したものでしょうが、近くにある蔵とともになかなかよい景観になっています。そして紅葉の隠れ名所・善法律寺に着きました。足利義満の母・良子がカエデを寺に寄進したことから「紅葉寺」と呼ばれるそうです。小振りなお寺さんですが、山門のあたりに綺麗に色づいたカエデがありました。目果報、目果報。
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 そしてふたたび東高野街道を爆走、途中で玄関の前に鳥居がしつらえてある不思議なお宅がありました。以前に和歌山県御坊で同様の家を見た記憶がありますが、どういう意味があるのでしょう。ご教示を乞う。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2012-04-21 05:52 | 京都 | Comments(0)

京都・奈良錦秋編(10):京都へ(10.12)

 そして下山、さすがに空腹となったので門前にある「田中屋」でにゅうめんと柿の葉寿司をいただきました。
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 さてそれでは長谷寺駅へと戻りましょう。さきほど渡った橋の欄干に「一枚の写真でも喜んで撮って帰ってくださいね」という小さな看板を見かけた時、バールのようなもので側頭部を殴られたような衝撃を受けました。
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 そうか…嵐という人智の及ばぬ不運を嘆いてもしようがない、今生きているということに、そしてどんなにささやかなものにも美が見いだせることに喜びを感じなさいというメッセージが神託のように心を貫きました(大仰だなあ)。よし、気持ちを入れ替えてまわりの世界を見直そう、貧相な交通安全足型にも、平和食堂にも、屋根の上の鍾馗様にも、珍しいチューインガムの自動販売機にも、美は宿っているんだ(ほんとかなあ)。そして細部に宿り給う無限の美を激写した一枚が一番下です(しょぼいなあ)。
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 そして長谷寺駅に着き、ホームに出ると付近の名所を記した看板に「天誅組常夜燈 北西0.5km」とありました。天誅組と言えば、幕末に公卿中山忠光を主将に志士たちで構成された尊皇攘夷派の武装集団、大和国で挙兵するが、幕府軍の追討を受けて壊滅した方々ですね。それと常夜燈にどのような関係があるのか…インターネットで調べてもわかりませんでした。博雅の士のご教示を乞う。
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 そして列車に乗り込み、大和八木で特急に乗り換えて京都へ、大津駅に着いたのは午後六時過ぎでした。今夜の夕食は、予約を入れておいた大津駅前の「くおくお。」、さっそく入店したところ、二階の閉塞感に満ちた独房のような小部屋に押し込まれました。これでもう興趣は殺がれましたね。注文したのは、せせり(鶏の首の剥き身)のねぎだく、つくね、とんぺい焼、関サバの一夜干し。味はまあまあでしたがはり雰囲気がいけません。そうそう、テーブル上にある調味料の小瓶に「山椒」があったので山ノ神はご満悦でした。
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 タクシーでホテルに戻り、山ノ神はお土産買い漁りタイムに突入。ロビーのカフェで珈琲を飲んで待っていると、籤で当てたとかわいい猫の小さなぬいぐるみを持ってきました。そして部屋に戻り、大浴場で汗を流して、夜の琵琶湖を見ながら一献傾け就寝。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-04-20 06:18 | 京都 | Comments(0)

京都・奈良錦秋編(9):長谷寺(10.12)

 そして参道を左に曲がりすこし歩くと長谷寺に到着、駅からここまで徒歩で三十分弱かかりました。真言宗豊山派の総本山、西国三十三観音霊場第八番札所、そして花の御寺としても有名ですね。入山料を払って、長い登廊(のぼりろう)をのぼっていきますが、柱の間から垣間見えるカエデはほとんど丸坊主状態でした。途中でお坊さんが観光客に「数日前までは見事な紅葉やったんですが、あの嵐で…」と話しかけていました。もういわんといて。
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 そして懸造りの本堂に到着、日本最大の木造仏(10m18cm)、本尊の十一面観音を拝観して、小初瀬山中腹の断崖絶壁にしつらえた舞台に出ると、紅葉の名残りは多少見られるものの寒々とした眺望です。紅葉の最盛期だったら、山腹に点在する伽藍とたくさんのカエデが見事な眺めだろうなあ、ぜひ再訪を期したいと思います。なおこちらでフェイス・ハンティングを一発。
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 開山堂、弘法大師御影堂、五重塔と散策すると、「納骨堂(御位牌安置所)はこちらです」と記されたお坊さんのイラストがあり、その指し示す左手の先を見ると…ごみ入れでした。ちょっと置く場所が悪かったようですね、笑えましたが。
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 本日の八枚です。
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by sabasaba13 | 2012-04-19 06:27 | 京都 | Comments(0)