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「"私"を生きる」

c0051620_6142594.jpg 東京都で教員をしている知人から、昨今の東京都教育委員会による、まるで戦前の特別高等警察のような凄まじい思想統制・言論統制については聞き及んでいました。そうした統制と弾圧に対して、毅然と抗う三人の教師を描いたドキュメンタリー映画「"私"を生きる」の上映会があるという情報を山ノ神が入手しました。なになにビラを拝見すると、監督は土井敏邦氏…うーん、どこかで聞いたことがあるぞ。パンッ そうだ、パレスチナにおいてイスラエル軍が行なった/行なっている非人間的な加虐行為を、元兵士たちが証言・告白するというドキュメンタリー映画「沈黙を破る」をつくった監督さんだ。これは期待できそう。おまけに映画に登場した三人の先生方が駆けつけスピーチをしてくれるとのこと、これも楽しみですね。というわけで先日の日曜日、西武池袋線大泉学園駅から徒歩五分、練馬区立勤労福祉会館に行ってまいりました。小さなホールですが入りは四分程度、そしてほとんどが私たちより高齢の方です。こうした社会派の映画に関心がない人が多いのかなあ、すこし残念です。そして開演、プログラムの表紙に記してあった言葉を引用しましょう。
 東京都の教育現場で、急激に"右傾化"が進んでいる。卒業式・入学式で「日の丸・君が代」が強制され、教師たちの言論は、厳しく統制されてきた。その「教育の統制」の巨大な流れに独り毅然と抗い、"教育現場での自由と民主主義"を守るため、弾圧と戦いながら、"私"を貫く教師たちがいる。
 まず映画に登場する三人の方のプロフィールを紹介しましょう。

根津公子氏
 「日の丸・君が代」「従軍慰安婦」、ジェンダーフリー教育などで東京都教育委員会と対立し、卒業式・入学式での「君が代」斉唱での不起立に対する処分をはじめとして、のべ11回の懲戒処分を受ける(うち9回は停職・減給処分)。現在、6件の「君が代」不起立処分取消し訴訟を係争中。そのうち、2006年3月の卒業式での「君が代」不起立に対する処分(停職3カ月)の取消訴訟については、2011年1月16日に最高裁判決が出される。

佐藤美和子氏
 2001年3月の卒業式で、校長から「君が代」のピアノ伴奏を指示されるが、信仰上の理由などを挙げて伴奏しない旨を申し出る。前年の卒業式では、校長が生徒や教職員の意見を無視して「日の丸」掲揚を強行するなか、子どもたちに「日の丸が掲揚されても決して強制はされず自由です」と伝えるためピースリボンに似た手作りリボンをつけたところ、職務専念義務違反として訓告処分を受ける。これに対し、思想・良心・信教・教育の自由を不当に制約するものとして04年に提訴、同時に「君が代」伴奏の強要と弾かないことへの報復の不法性についても争われたが、08年の最高裁上告棄却で訴えは退けられる。

土肥信雄氏
 2002年都立神津高校校長、05年より都立三鷹高校校長。09年定年退職。校長現職中に「職員会議において職員の意向を確認する挙手・採決の禁止」(通知)の撤回を東京都教育委員会に要求。09年度非常勤教員不合格(97%合格)。現在、「学校の言論の自由」と「非常勤教員不合格」について東京都に損害賠償を求め訴訟中(2012年1月30日に地裁判決)。

 映画は、この三人へのインタビューを軸に、淡々と進んでいきます。二時間を超える長尺物ですが寸時も飽きさせないのは、監督の力量と登場人物の放つ香気でしょう。東京都教育委員会の想像を絶する人智を尽したいやがらせや迫害に耐え抜き、職場の自由と民主主義を守り、ひいては生徒を守ろうとした三人を支えたのはいったい何か。「私でありたい」「自分を嫌いになりたくない」「自分を曲げたくない」、ニュアンスの違いはありますが、この映画のタイトルにある「私として生きたい」という思いだったのでしょう。それを棄てたら自分でなくなってしまう、その信念を守り抜く堅固な意志。「教員の信念は教育委員会が決める。公権力の前に傅いて自分の信念を棄てろ」と恫喝する東京都教育委員会とは好対照です。"節を曲げない"という日本語が死語になりつつある今、勇気を与えてくれる映画です。
 なお最近読んだ森巣博氏の『越境者的ニッポン』(講談社現代新書1987)に、この問題に関する舌鋒鋭い主張がありましたので紹介します。
 日本の行く末なんてだいそれたことを考えたきっかけは、「『君が代』不起立教師の氏名報告、継続 神奈川県教委」という見出しの小さな新聞記事に、たまたま目が留まったからだった。

 学校行事での君が代斉唱時に起立しない教職員名を神奈川県教育委員会が各校に報告させていたことに対し、県個人情報保護審議会が「不適当」とする答申を出した問題で、県教育委員会は4日、この答申に従わず、各校長に名前の報告を続けさせる方針を委員6人の全会一致で決めた。
 県教委は「思想信条に従って不起立などの行動をされては、学校運営に大きな支障がある」として、継続の判断をした。(「asahi.com」2008.2.4)

 この記事を読んだ時、わたしは正直、肝を潰した。背筋を節足動物が駆け上がっていくようなおぞましい気持ちとなった。ああ、日本は恐ろしい国になってしまったな、と「憂国の士」かつ「愛国者」は心の底から悲嘆にくれてしまったのである。…
 まず、学校とは、周囲からの圧力がどんなに激しくとも、人間は個人の「思想信条」すなわち「信念」に従って行動するのが望ましい、と子どもたちに教育する場ではないのだろうか?
 ほんの一部の国を除けば、そのはずである。現在での顕著な例外は、「国体」護持がすべてに優先する北朝鮮の学校あたりなのだろうな。
 神奈川県の学校行事で、君が代斉唱に不起立である教職員たちの名は、県教育委員会に報告され、いくつかの段階を経たのち、東京都がそうであるように、教職員たちは「研修所」に送り込まれるのだろうと思う。
 …この場合の「研修所」は、英語のメディアでは"REEDUCATION CAMP"と表記される。
 学校行事での国家斉唱に起立しないという理由で(東京都の場合は、生徒たちが起立しなかったという理由も含まれる)、教職員を"REEDUCATION CAMP"に送り込む国は、おそらく北朝鮮と日本だけじゃないだろうかとわたしは推測する。
 もし君が代斉唱時に起立するのに反対であっても、そんな所に送り込まれたくない教職員たちは、その「思想信条」を曲げろ、と神奈川教育委員会は、実質上強要していた。
 これが日本が置かれた恐ろしい情況でなければ、いったいなにが恐ろしい情況なのだ? (p.71~3)
 それにしても、この三人を屈服させようとして、東京都教育委員会がくりだす迫害や報復には正視できないものがあります。停職や免職をちらつかせて損得勘定をさせ自分の弱さに屈しさせようとすることなど序の口。そういえば、『沈まぬ太陽』の主人公のモデルとなった小倉寛太郎氏が、講演の中でこうおっしゃっていました。
 …そこで経営者側の反撃が始まる。労働組合を丸抱えするか(御用組合化)、分裂させるか(第二組合の結成)である。後者のケースが多いが、そこで経営者が行なうのが組合分裂工作、つまり脅迫と誘惑である。第一組合に残れば「出世をさせない」と脅かし、第二組合に入れば「主任にしよう」と誘惑する。人間は「正しい/正しくない」という行動基準を持つべきだが、しかし人間は弱いものでもある。経営者側の脅迫と誘惑にあい、損得勘定をし、正/不正を考えず、自分の弱さに屈し、第二組合に移ってしまう人が多い。つまり、組合分裂工作とは、人間が自分の弱さに屈することにお墨付きを与える、いいかえれば企業による人間性の破壊である。こうしたことが平然と白昼堂々と行なわれ、しかも最近激しさを増している。
 まさしく教育委員会による人間性の破壊です。さらには、執拗な指導と研修、遠距離通勤の職場への異動、退職後における非常勤講師不採用、必要もないのに音楽専科を増やして音楽の授業をさせない(佐藤氏のケース)、保護者会による吊るし上げ(校長の手になるものか、教育委員会が糸を引いたのかは不明)… 自らの責任を回避しながら教員に苦痛を与えるその手練手管には感心します。まさかそんなことはないとは思いますが、次のような会議が夜遅くまで開かれているのではと邪推してしまいます。「こいつを屈服させる方法はないか」「…すればいいのでは」「いや甘い、…の方が苦痛が烈しいだろう」「いやそれではこちらの責任が問われてしまう、…がいい」「でもそこまで追い込んで自殺でもして遺族に訴えられたらどうする」「大丈夫、裁判所はわれわれの味方だ」 その結果、佐藤氏は胃潰瘍によって生死の淵をさまよい、彼女も根津氏も自殺を考えたそうです。えっ、これって"いじめ"じゃない? 気になって、東京都教育委員会のホームページで、"いじめ"の定義について調べてみると、「いじめに対する指導について」という文書に中にこうありました。
 いじめは「自分より弱いものに対して、一方的に身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」であり、絶対に許されない人権侵害である。
 やっぱり"いじめ"だ。教育委員会より立場の弱い教員に対して、一方的に身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの、これは"いじめ"以外のなにものでもありませんね。子どもたちに「いじめるな」と指導しながら、教員をいじめる東京都教育委員会、出来過ぎのブラック・ジョークです。
 それでは同委員会の方々は、こうした"いじめ"や人間性の破壊について何の疑念もお持ちにならないのでしょうか。ここで思い出したのは、アドルフ・アイヒマンのことです。そう、ナチス政権による「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担い、戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送りましたが、1960年にイスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行され絞首刑に処された人物です。彼はイスラエル警察の尋問に対して、「私は当時、命令に忠実に従い、それを忠実に実行することに、何というべきか、精神的な満足感を見出していたのです。命令された内容はなんであれ、です」と答えたそうです。普通の人間が大きな機構の中にとりこまれ、無抵抗かつ忠実に非人間的な行為に加担してしまう、いわゆるアイヒマン問題ですね。もちろん東京都教育委員会だけの問題ではないのでしょうが、そうした行為に最も抗わなければならない機構でそうした状況が日常化していることに恐ろしさを感じます。

 もう一つ、不利益を是正するために三人が起こした訴訟が、ことごとく敗訴に終わっていることも気になります。これは上映後に土肥氏がトークの中で話してくれたことですが、彼は校長どうしの飲み会で、教育長の米長邦雄氏を批判したところ、それが教育委員会に密告され非常勤教員不採用の理由とされたそうです。それは不合理であるとする土肥氏に対して裁判所は、「飲み会は準公式の場である」として氏の主張を一蹴。やれやれ、アイヒマン的状況は司法にも蔓延しているようです。広瀬隆氏が『福島原発メルトダウン』(朝日新書298)の中で述べられているように、原発の運転停止を求めるこれまでの裁判でも、「国の定めに合っている」というだけで、司法の判断を放棄して住民の訴えを切り捨てる御用裁判官ばかりが登場しています(p.192)。行政と司法が手を取り合って、公権力の掲げる政策に服わぬ人々、己の信念を貫こうとする人々を潰す。♪これが日本だ、私の国だ♪
by sabasaba13 | 2012-10-31 06:15 | 映画 | Comments(4)

大井川鐡道編(17):静岡(11.5)

 大井川に沿って列車はひた走り、一時間強で新金谷駅に到着。ここから、東海道の宿場金谷を歩いてJR金谷駅に向うことにしました。こちらの駅舎は下見板張りで木造のなかなかモダンで洒落た物件、リズミカルに並ぶ縦長の窓がいいアクセントになっています。調べてみたところ、竣工は1931(昭和6)年でした。二重×の透かしブロックを撮影し、すこし歩くと建物部分が倒壊したのか屋根のみとなっているお宅を見かけました。お住まいの方は無事だったのでしょうか。橋を渡ると、川の上には無数の鯉のぼりが薫風を腹いっぱいに吸込んでたなびいていました。
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 そして目抜き通りへと着きましたが、このあたりが東海道沿いの宿場だったのでしょうか。古い建物など往時を彷彿とさせる物件はなく、人通りもまばら。私が応援する東京スワローズの青木宣親選手のポスターが寂しげに微笑んでいるだけ。ちなみに彼のプチ自慢は日向市民栄誉賞第一号だそうです。駅前には「自転車・カブ預り所」という看板、カブ? 一瞬空気が凍りましたが、もしやホンダのオートバイ、カブのことかしらん。ご教示を乞う。なおウィキペディアによると、この車名は熊などの猛獣の子供を指す英語のCubに由来し、小排気量ながらパワフルなオートバイをアピールした命名だそうです。
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 さてせっかくここまで来たのですから、富嶽に挨拶をして帰郷したいもの。持参したガイドブックを紐解くと、東静岡駅近くに磯崎新が設計した「グランシップ」という文化施設があり、10階展望ロビーから富士山を一望できるそうです。磯崎氏といえば世界的な建築家であると同時に、東京国際フォーラム・都庁舎・木場の現代美術館・両国の江戸東京博物館・池袋の芸術劇場を「東京五大粗大ゴミ」と一刀両断した方ですね。よし、寄ってみましょう。JR金谷駅から東海道本線に乗ること四十分ほどで東静岡駅に到着、駅前に屹立する船のような巨躯がすぐに眼に入りました。ビルとなりの植え込みには「立入禁止 屋根石材落下のおそれがあり危険なため、植栽内へは絶対に立ち入らないでください」という注意書き。おいおい、なんてやわな造りなんだ。中に入り、エレベーターホールに行くと、催物の都合で展望ロビーへの立ち入りはできないというつれない立て札がありました。やれやれ♪EVERYTHING HAPPENS TO ME♪ですね、いたしかたない。静岡駅へ戻って、静岡おでんをやけ喰いすることにしましょう。
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 静岡駅構内にあった「海ぼうず」というお店で、静岡おでんと、桜エビのかき揚げと、生しらすと、黒はんぺんのフライを所望。なお「静岡(しぞーか)おでんの会」によると、その特徴は、壱.汁が茶色がかっている、弐.静岡名物「黒はんぺん」は必須具材、参.青のり・かつおぶし・味噌たれをお好みで、というものだそうです。黒はんぺんは初体験でしたが、魚の旨味が濃厚ななかなかいける味でした。サバとイワシを使ったつみれに近い練り物で、骨も皮も取り除かずに使うので、色が黒く、カルシウムが豊富だそうです。ビールをくいっくいっと飲みながら、満艦飾の如く眼前に並べられた料理を完食、ああおいしかった。そして静岡駅から新幹線に乗って一路帰郷。やっぱり旅は面白い、「静岡おでんの会」のキャラクターふじまる君の座右の銘は"NO ODEN,NO LIFE"だそうですが、わたしゃ"NO JOURNEY,NO LIFE"です。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-10-30 06:17 | 中部 | Comments(0)

大井川鐡道編(16):奥大井湖上駅(11.5)

 11:12発の列車に乗り込み、閑蔵、関の沢鉄橋、尾盛を通過して接岨峡温泉駅に着きました。大井川を渡り温泉会館の前を通り過ぎ、県道388号線を歩いていくと分岐がありました。右へとカーブする県道ではなく、やや細い車道を直進。「この先4t車以上通行止」という看板や、路上にちらばる小さな落石が、そこはかとなく不安感を醸し出しますがいざゆかん。左手に接岨峡を眺めながらとぼとぼと歩いていくと、ようやく関の沢鉄橋を遠望できる場所に辿り着きました。駅からここまでゆうに三十分はかかりました。なお観光パンフレットによると展望台があるとのことでしたが見当たらず、鉄橋を撮影して接岨峡温泉まで戻りましょう。
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 大井川を渡り駅前を通り過ぎ、不動の滝を拝見してすこし歩くと、トンネル入口前に左へと下りる小道があり、「←奥大井湖上駅」という看板がありました。羊腸の山道をしばらく下りていくと接岨湖とレインボーブリッジが見えてきます。この鉄橋は線路のとなりに歩道が付設されており、徒歩で渡ることができます。恐るべき嵌入蛇行や山なみや緑の木々を眺めながら鉄橋を渡ると奥大井湖上駅に到着。接岨峡温泉からここまで徒歩で三十分ほどですね。
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 ホームには「Happy2 Bell」という幸せを運ぶ鐘や、愛の恋錠がありました。愛の恋錠? 奥泉駅か列車内で錠を購入し、ここにあるハート形のオブジェにふたりで錠をかけ、「湖の中心で愛を誓う」のだそうです。"湖上"と"恋錠"をひっかけたのですね、やれやれ。まだ認知度が低いのか、数個しかかけられていませんでしたが。それにしてもこうしたチープな物件が、せっかくの美しい光景をおもいっきり安っぽくしているのに、関係各位は早く気づいてほしいものです。ま、それに惹かれて蝟集する御仁にも責任はあるのですが。なおホームからすこし上がったところにはログハウス風の休憩舎、レイクコテージ奥大井がありました。
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 そして入線してきた列車に乗り込み、長島ダム駅へ。ここでまたアプト式電気機関車が連結されますが、今度は最前部にとりつけられます。もちろんその様子を見物しにホームに降りて至近距離に行きました。そして列車は90‰の急勾配を慎重に下り、アプトいちしろ駅で取り外し。終点の奥泉駅には14:04に到着しました。代行バスに乗り換えて千頭へ行き、金谷行きの列車が出発するまでちょいと駅付近を散策。不通となっている奥泉への線路が真赤に錆ついているのが痛々しいですね。一刻も早い復旧を祈念しております。川根大橋から滔々と流れる大井川を撮影し、それでは列車に乗り込みましょう。おっラッキー、私が一番乗りたかった南海21001系でした。見れば見るほどしゃれこうべに似ている、愛くるしい列車です。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2012-10-29 06:17 | 中部 | Comments(0)

大井川鐡道編(15):井川ダム(11.5)

 そして高千穂橋梁を通る高千穂鉄道が廃止されたため、日本一高い橋梁となった関の沢鉄橋に到着です。橋の上で一分間ほど停車してくれる嬉しいサービスがありました。川底からの高さは100m(一説では71m)、窓から身を乗り出して素晴らしい眺望を楽しみました。
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 閑蔵駅を過ぎると、右手下方に見えてくるのは奥泉ダム、次に井川ダムも見えてきました。
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 そして終点、山あいにひっそりと佇む井川駅に到着です。分岐線がのびてトンネルへと入っていますが、これは堂平駅までの貨物線です。よくぞここまで上ってきてくれたと感謝の念を込めて列車を撮影。約三十分後には折り返し奥泉駅へと戻るので、この時間を利用して井川ダムを見物しにいきましょう。
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 駅構内には「大規模地震発生時の避難所案内図」がありました。うんうん、"備えあれば憂いなし"…しかし「避難所まで4000m 60分 収容建物まで5000m 75分」! そこに辿り着くまでに遭難しそうですね。
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 五分程歩くと、壮大な井川ダムに到着。竣工は1957(昭和32)年、堤高は103.6m、堤頂長は243m、日本初の試みとなる中空重力式コンクリートダムです。中空重力式コンクリートダムとは堤体内部が空洞となっているもので、当時高価だったコンクリートの使用量を抑える事ができ、かつ基礎地盤との接地面を広く取れることから、経済性と安定性に優れる型式とのこと。しかし施工に手間がかかるため、今でももう作られなくなっているそうです。なお井川村193戸がダム建設のために水没させられたことも忘れずにいましょう。周辺を散策していると「歴史と文化の街道 大日古道」という案内板がありました。井川を支えた唯一の道だそうです。
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 さてこれからの行程ですが、列車に乗って閑蔵駅で降りて関の沢鉄橋を遠望できる所まで歩き、接岨峡温泉を経てレインボーブリッジを徒歩で渡り、奥大井湖上駅から再び井川線に乗車する予定です。井川駅へと戻り、構内に貼ってあった観光マップでルートを確認すると…閑蔵から鉄橋を遠望できる所まで行く道に「通行禁止」と記されています。切符売り場にいた係の方に訊ねると、崖崩れのため通行禁止とのことです。経験則から考えるに、けっこう何の問題もなく行けることが多いのですよね。うーんどうしよう、"君子危うきに近寄らず""虎穴に入らずんば虎児を得ず""虎だ、お前は虎になるのだ""嫁をもたせにゃ働かん"、さまざまな格言が脳裡をぐるぐると回りましたが、♪もう若くないさ♪ということで回避することにしましょう。よって接岨峡温泉駅で下車してビューポイントまで歩き、再び駅に戻ってそのまま奥大井湖上駅まで歩き通すことにしました。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-10-28 07:57 | 中部 | Comments(0)

大井川鐡道編(14):尾盛駅(11.5)

 やがて右手に長島ダムの巨躯が見えてくると、長島ダム駅に到着です。ここでアプト式電気機関車は切り離され、ここからは再びディーゼル機関車が牽引していくことになります。数分で湖が近づいてきて、そこにかかる鉄橋(レインボーブリッジ)を渡ると奥大井湖上駅に着きました。そしてふたたび鉄橋を渡った列車はトンネルへと入っていきます。つまり湖の中央に突き出た舌状の山地につくられている、何とも摩訶不思議な駅です。実はこの接岨(せっそ)湖は、長島ダムによって大井川が堰きとめられてできた人造湖なのですね。そして先述した、U字型に急カーブする蛇行、嵌入(かんにゅう)蛇行が観察できる場所です。半円状の急カーブのちょうど中心点あたりに駅が位置しているわけです。それにしても想像を絶するような超弩級のヘアピンカーブ、あらためて自然のもつ底知れない力にただただ恐れ入るのみです。
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 そして接岨峡温泉駅を過ぎると、次は知る人ぞ知る、知らない人は知らない、どうでもいい人にはどうでもいい尾盛駅に到着です。そう、秘境駅訪問家の牛山隆信氏が全国第三位にランクした秘境駅です。なお詳細については氏が主宰しておられる「秘境駅へ行こう!」をご覧ください。その巻頭言を引用しましょう。
 ここでは日本全国の鉄道路線に現存する、周囲に人家が少なく大自然の真っ只中にあるような駅を紹介しています。こうした駅は今日のモータリゼーションの普及や、過疎化の進行により利用者が減少したことで、路線そのものが廃止されることが多い現在、奇跡的に生き残った貴重な存在と言えます。(中略) 駅へ続く車道はおろか、歩道さえ無いこともあり、簡単に到達出来るものではありません。しかし、断崖絶壁や深い山中、原野が広がる無人地帯にも「駅」として存在しているのです。その殆どが寂しい無人駅ですが、古い木造駅舎や鉄道遺構などが残っていたりしていて、興味が尽きません。
 なおこのランキングは、秘境度:周囲が断崖絶壁、深い山林、荒涼とした原野にあり、人家が無い(少ない)、雰囲気:駅舎や待合室、周囲の建造物などに古い歴史を感じさせる、列車到達難易度:列車本数が少なく、普通列車でも停車が少ない、車到達難易度:駅までの道が無い場合が最も高く、次いで歩道のみ、未舗装の林道など、クルマやオートバイでの訪問が困難、という四つの評価基準に基づいてつけられたそうです。ま、それはさておき、下車するわけにもいかないので(次の列車は一時間七分後)、車窓から拝見することにいたしました。荒廃した空漠としたホームにはプレハブの小さな駅舎と狸の焼き物、付近には下見板張りの木造家屋と、建物の跡がありました。車内放送の解説によると、かつてはダム建設関係者のために周辺に宿舎多数や小学校もあり、医師も常駐していたそうです。うーん、正直に言って"秘境"とは言い難い雰囲気、ここに徒歩で到達する際の困難さを牛山氏は評価されたのでしょうか。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-10-27 06:30 | 中部 | Comments(0)

大井川鐡道編(13):アプト式鉄道(11.5)

 そしてホームに赤と白に塗りわけられた小さな可愛らしい列車が入線、なるほどこりゃ軽便鉄道なみの小ささだ。やはりトンネルに合わせてこうせざるをえなかったのでしょう。中に入ると座席が片側一列、片側二列で、それぞれボックスシートになっています。
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 なお進行方向に向って右側の座席の方が眺望が良いという情報を得ていましたが、あっという間に埋まってしまい左側にしか座れませんでした。まあ座れただけでも諒としましょう。さあ出発進行! 大井川に沿って、車体をきしらせながら、よいしょっよいしょっ、なんだ坂こんな坂と急勾配を上っていきます。
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 そして十五分ほどでアプトいちしろ駅に到着です。ここから次の長島ダム駅までが、お待ちかねのアプト区間。アプト式鉄道またはラック式鉄道とは、レール中央に敷設した歯型のレール(ラックレール)と車両下部に設置した歯車(ピニオン)を噛み合わせて急勾配を上り下りする鉄道です。信越本線の横川-軽井沢間が廃線となった今、唯一残っているのがここ大井川鉄道井川線。しかし意外なことに開業は1990年と新しく、長島ダム建設に伴い一部区間が水没することになったために新設したそうです。ちなみにその勾配は90‰(パーミル)、水平距離1000mに対して垂直距離90mを持つ日本一の急勾配です。なお世界一の急勾配はスイスのピラトゥス鉄道で、その勾配はなんと480パーミル! 上には上があるものです。そうそう、昨日観光案内所で、「全国登山鉄道‰(パーミル)会」というパンフレットをいただきました。曰く、全国の私鉄のうち観光地が沿線にあり、かつ登山鉄道としての性格を有している鉄道会社(ケーブルカーは除く)が手を結び山岳路線の魅力をお伝えしていくのだそうです。後学の為に挙げておきますと、神戸電鉄(湊川~有馬温泉 最急勾配50‰)、叡山電車(出町柳~鞍馬 50‰)、富士急行(大月~河口湖 40‰)、南海電鉄(橋本~極楽橋 50‰)、大井川鐡道(千頭~井川 90‰)、箱根登山電車(小田原~強羅 80‰)。私が乗っていないのは富士急行の大月~河口湖間だけか、と♪空に灯がつく通天閣に俺の闘志がまた燃える♪のでした。
 車掌さんから「急勾配専用のアプト式電気機関車を連結するので見学される方はホームへどうぞ」というアナウンスがありました。そうです、この区間だけ列車の最後尾に特別な機関車を連結して、急勾配を押し上げるのですね。さっそくカメラを持ってみなさんとともに下車して、最後尾に行くと、なるほどレールの真ん中にラックレールが設置されています。そして向こうから、ひとまわり大きいアプト式電気機関車がしずしずと近づいてきました。ロゴマークはもちろんピニオンとラックレールの意匠です。高まる緊張感(というほどのことではありませんが)、ぐぅわしゃん、連結完了です。
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 ふたたび列車に乗り込み、さあ出発進行。体でも感じることのできる90‰の急勾配を、歯車を噛み合わせながら列車は力強くのぼっていきます。もちろん列車内で体感するのもいいのですが、蒸気機関車と同じで、やはり上っていくその姿を眺めてみたいものです。今回の旅では時間の関係で無理ですが、いつの日にか途中下車して急勾配を上る列車を見てやるぞと、♪あの手この手の思案を胸に♪しました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-10-26 15:35 | 中部 | Comments(0)

大井川鐡道編(12):奥泉駅(11.5)

 朝六時に目覚め、朝風呂に入り、宿の便所を拝借すると大正浪漫風の男女表示でした。
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 朝食をいただきながら宿にあったパンフレットを読んでいると、"寸又峡温泉では、「芸者やコンパニオンは置かない」「ネオンサインはつけない」「山への立て看板は設置しない」の三原則を堅持しながら「日本一清楚な温泉保養地」を目指しています"と記されています。その意気や良し。奥泉駅へと向かうバスの時刻までまだすこし間があるので、朝の散歩と洒落こみました。まずは「翠紅苑」の正面玄関を撮影。
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 第二駐車場まで歩いていき(紅葉の時期にはここまで満車になるような)、その先にあるグリーンシャワーロードを歩いて、昨日も訪れた猿並(さんなみ)橋へ行ってみました。朝日を燦々と浴び、まるで明日に架かっているかのような吊り橋の凛とした風情を堪能。
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 そして宿に戻り、身支度を整え、支払いをしてバス停へ。乗り込んだバスは、羊腸の如き山道を疾駆して奥泉駅へと向かいます。途中で、道は一車線ほどの狭さとなり、対向車とすれ違うのも一苦労です。紅葉の時期にはどうなってしまうのでしょうね。
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 何気なく昨日買った大井川全線フリーきっぷの裏面を見ると…おうまいがっ、このバスも無料で乗れるものでした。嗚呼、昨日は金を払っちまった。後悔先に立たず、フリー切符を買ったら有効区間をきちっと確認しないとだめですね。山ノ神でしたら、眼光紙背に徹す、絶対に見逃さなかったでしょう。そして三十分ほどで、南アルプスあぷとライン(大井川鉄道井川線)奥泉駅前に到着です。なお、千頭-奥泉間は、落石の危険があるため、バスによる代行運転が行なわれています。ああ残念、「線路を楽しむ鉄道学」(今尾恵介 講談社現代新書1995)によると、土本駅と川根小山駅の間では、日本で有数の嵌入(かんにゅう)蛇行が見られるそうです。氏曰く、「これほど山の中なのに」と呆れるほど急カーブの蛇行ですね。一日も早い復旧を期待しましょう。さて、バス停の近くには、この近くで発掘された縄文時代の下開土(したのかいと)遺跡についての説明板がありました。なるほど、だから公衆便所が竪穴住居を模してあるのか。もうすこし写真が集まったら、写真館「ご当地トイレ」の一枚として紹介します。駅前広場には縄文人家族の像、そしてガラスケースの中には出土品が展示されていました。
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 階段を下りると、奥泉駅の小さな駅舎がありました。待合室で資料をいただいていると、「山蛭注意」という掲示物がありました。かあ… ゴキブリも蚯蚓も蛞蝓もガガンボも♪どおんとどんとどんと波乗り越えて♪なのですが、彼/彼女はちょっとどうも… いや吸着されたことはないのですが、和泉強化じゃない泉鏡花の『高野聖』を読んで以来、"ひ"と聞いただけでも総毛立つようになりました。お会いしないことを心の底から祈りましょう。ホームに行くと、溢れるほどではありませんが、相当数の観光客が列車を待っていました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-10-24 06:07 | 中部 | Comments(0)

大井川鐡道編(11):寸又峡(11.5)

 階段を昇り切り、すこし歩くと尾崎坂展望台に到着です。しかし生い茂る木々のため、眺望はよくありません。小さな列車が野外展示されていたので近づいて解説をよむと、かつてここを走っていた森林鉄道のものでした。もともとは大井川電源開発の資材運搬のために敷設され、その後木材搬出用、そして観光列車として利用されたそうです。そうか、さきほど天子トンネルを抜けて夢の吊り橋まで歩いた道は、この軌道跡だったのですね。
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 道なりにすこし歩くと、深い渓谷に架かるアーチ型の鉄橋、飛龍に着きました。かつてはここを森林軌道のトロッコが走っていたのですね。橋の上からは、寸又峡の深い渓谷とそれを抉り流れる大間川を眺めることができました。なお夢の吊り橋からここまで約二十分でした。
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 対岸へと渡り、しばらく歩くと、夢の吊り橋が見えてきました。そして天子トンネルを抜けると、さきほどのゲートに到着です。飛龍橋からここまで約二十分。そして左の坂道を下り、もみじ公園を抜けてカジカ沢を渡り、最後に急峻な階段を下りると猿並(さんなみ)橋に着きました。
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 ゲートからここまでやはり二十分というところです。ロケーションでは、夢の吊り橋に一歩譲りますが、人気がなく森閑とした雰囲気を満喫することができます。橋を渡ると「熊出没注意」という看板、桑原桑原、早々に引き上げましょう。
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 そして今来た道を引き返し、寸又峡温泉に戻りました。途中にあった外森神社で、恒例の絵馬ウォッチング。「よわむしがなおりますように」、うんうん、まずは絵馬一面に字を書くことから始めようね。「国家安康 国民福利 利他奉仕」、? 「無災害祈願」、願主を見ると中部電力大井川電力センターの方でした。そうかそうか、浜岡原発が直下型地震に襲われないよう、社員の方々がこうした各地の神社で願掛けをしているわけだ。安上がりな対策で結構毛だらけ猫灰だらけですが、もっと根本的な対策、同原発の即時廃炉をお願いしたいですね。
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 宿の近くの駐車場にも森林鉄道の列車が野外展示されていました。そして部屋に戻り、さっそく露天風呂に直行。気持ち良く汗を流し、風呂上りにビールを一杯。極楽です。可もなく不可もない夕食をいただき、ナイトキャップ用の地酒を売店で購入。ついでと言ってはなんですが、山ノ神に献上する川根茶も買いました。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2012-10-23 06:30 | 中部 | Comments(0)

大井川鐡道編(10):寸又峡(11.5)

 途中にあった火の見櫓を撮影し、それでは寸又峡プロムードコースを歩いて夢の吊り橋へと向かいましょう。大きなゲートが設置されているので、自動車の乗り入れはできません。これは嬉しい、心長閑に散策を楽しめます。
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 舗装された道をてくてくと歩いていくと、右手に川や山なみを眺めることができます。新緑はもう終わりかけているようですが、なかなか気持ちの良い眺望です。川にかかる吊り橋が見えましたが、地図によるとあれは猿並(さんなみ)橋のようですね、帰りに寄ってみましょう。
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 天子トンネルを抜けると、夢の吊り橋へと下りる坂道と階段がありました。寸又峡温泉からここまで二十分ほどです。
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 そして夢の吊りに到着、大間ダムにせき止められた人造湖の上を渡る、長さ90m高さ8mの吊り橋です。川の水は神秘的なブルー、緑なす寸又峡谷、一人分の幅しかない細い吊り橋、これは絵になる光景です。アングルを変えて写真を撮影、さあそれでは対岸へと渡りましょう。
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 一度に10人しか渡れないので、行楽シーズンには待ち行列ができるそうですが、幸い観光客は数人。けっこう揺れるのでスリルがありますが、落着いて渡ることができました。でもわざと橋を揺らす輩がいるんだよなあ、と思ったら後方から、いかにもそれをしそうな子供たちを引き連れた集団が追いついてきました。桑原桑原鶴亀鶴亀、さっさと渡りきってしまいましょう。嬌声が聞こえるので後ろを振り返ると…やっぱり力いっぱい揺らしていました。そして「休みながらゆっくりと 三百四段です」という看板の通り、ここからはしばらく急な階段が続きます。途中に「くろう坂」だの「やれやれどころ」だの「えっちら階段」だの、鬱陶しいネーミングの看板が連なりますが、まあ営業努力ということで寛恕しましょう。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2012-10-22 06:19 | 中部 | Comments(0)

大井川鐡道編(9):寸又峡温泉(11.5)

 駅前から寸又峡温泉行きのバスに乗り込み、山道を疾走すること三十分ほどで到着です。
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 今夜の塒「翠紅苑」にチェックイン、荷物を部屋に置かせてもらい、フロントで観光地図をいただいて、いざ寸又峡の散策にでかけましょう。宿の近くには旧大間小学校がありましたが、現在は公民館として利用されています。二宮金次郎像もちゃんと保存されていました。
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 「奥大井サスペンスブリッジ殺人事件」というけったいな幟がありましたが、このあたりでテレビドラマの撮影が行なわれたのでしょうか。気になるのでインターネットで調べてみたところ、そうではなくて、川根本町商工会青年部が立ち上げた観光企画でした。寸又峡には多くの吊り橋が点在しますが、吊り橋は英語で「サスペンションブリッジ」、このサスペンションとサスペンスをかけて「サスペンスブリッジ」という言葉を造ったそうです。内容は、カップルで吊り橋を渡っているところを撮影してもらい、その数が多いほど寸又峡と接岨峡の宿で特典サービスが受けられるという企画。涙ぐましい集客努力ですね、頑張ってください。手の込んだ透かしブロックを撮影し、さて旅館「ふじみや」を捜さねば。
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 えっ御存じない? 金嬉老が籠城した旅館です。ウィキペディアから抜粋して引用しましょう。1968年2月20日、暴力団から借金返済を求められた金は、静岡県清水市で暴力団員2人をライフルで射殺し、翌日には寸又峡温泉の旅館「ふじみや」で経営者・宿泊客ら13人を人質として籠城しました。彼は猟銃とダイナマイトで武装し、88時間にわたる籠城の結果、2月24日に報道関係者に変装した静岡県警察の捜査員によって取り押さえられ逮捕されました。この間、人質の解放条件として要求したのが、彼がずっと以前に目撃したと主張する警察官による在日韓国人・朝鮮人への蔑視発言について謝罪することのみでした。判決は無期懲役、1999年9月に、二度と日本に入国しないことなどを条件に70歳で仮出所、韓国に強制送還されました。帰国後、殺人未遂と放火および監禁事件を引き起こした為、逮捕され服役。2010年3月26日に釜山市の病院で死去、享年82。本人の希望により、遺骨は静岡県掛川市に納められています。事件の背景についての知識がありませんので、コメントはできませんが、ちょっと心に引っかかる事件なので、後学の為に現場を見ておきたいと思った次第です。通りすがりの地元の方に訊ねると、すぐに教えてくれました。まるで何事もなかったかのように静かに佇む旅館の全景を撮影。なお「新しい風土記へ 鶴見俊輔座談」(朝日新書246)の中で、姜尚中氏がこう語っておられました。(p.15~16)
 1968年に旅館に人質をとって立てこもった金嬉老事件が起き、それを多くの人がテレビで見ました。しかし、当時の日本で、金嬉老は単なる犯罪者として扱われた。共感と「同胞の恥だ」という思いの二律背反で、多くの在日は口をつぐみました。高校生だった私は、鬱勃とした暗い気持ちがあって、自分たちは潜在的に犯罪者ではないかと思い、大変なトラウマになりました。だから勉強して、その世界から離れたいと思った。母親は、大学を出ても就職もないのだから、それよりプロ野球選手になれ、といっていましたね。
 憲法に「日本国民は」とあるのを読んで、日本国籍がない在日は年金など国に面倒を見てもらえないから、現金がないと将来が考えられないと親がいった理由がわかりました。憲法や戦後民主主義は自分たちと違う世界なんだ、と。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-10-21 08:42 | 中部 | Comments(0)