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山形編(29):銀山温泉(11.8)

 午後四時半になったので予約をしておいた露天風呂に入りにいきました。山の急斜面に沿って建てられているため、旅館の内部は複雑な造りとなっています。帳場で鍵を受け取り、四階へのぼり、本館の背後に建つ別館「白銀」の一階へと並行移動して二階へ上がり、ここから渡り廊下内の階段をすこし昇ると別棟の露天風呂に到着です。脱衣場で服を脱ぎ浴場に行くと、満々とお湯を湛えた檜風呂がありました。屋内なので完全な露天風呂ではありませんが、壁一面に大きな窓が穿たれており、開放感に溢れています。眼前が木立で眺望は良くないのが難ですが、清冽な山の空気にひたれるのでよしとしましょう。二人でのんびりと湯につかり、温泉を満喫、しばし旅の疲れを癒しました。ああいいお湯だった。
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 せっかくなので、館内を探検することにしましょう。つい最近、リニューアル・オープンしたばかりなので、内装はぴかぴかに輝いています。本館四階に戻ると、塔屋の部分がモダンな談話室になっていました。レトロなテーブル・椅子・シャンデリア、テーブルの上にはガレ作のライト、格子窓には梅と鶯の彫り物がしつらえてあります。部屋の内装もできたてのほやほやで、トイレや洗面所なども最新式の設備となっています。
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 椅子に座ってビールを呑み、街並みや行き交う人々を眺めていると、いつの間にか午睡をしてしまいました。目が覚めるともう午後六時半、そろそろ黄昏時となり、旅館や街灯に灯がともっています。それでは山ノ神を誘い、銀山温泉の夜景を眺めにそぞろ歩きにいきましょう。浴衣姿で下駄をつっかけ、からころと温泉街を散策。くれなずむ濃紺の空を背景に浮かび上がる旅館のシルエット、川面に揺らめく幾多の灯、夜は夜でまた趣きのある光景を満喫できました。
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 そして午後七時、食事の時間となったので部屋に戻り、夕食を堪能。鯉の洗いに甘露煮、岩魚の刺身に尾花沢牛のロースト、地産の素材を使った料理に舌鼓を打ちました。
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 夕食を終え、午後八時半から行われる花笠踊りを見物。橋の上では、"ヤッショマカショ"という威勢のいい掛け声とともに、踊り手たちが見事な手さばきで花笠をくるくると回しています。両岸の歩道にはたくさんの湯治客が詰めかけ、たいへんな熱気でした。そして部屋へと戻り、もう一回温泉に入り、地酒を一献かたむけて就寝。
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 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2012-12-31 06:59 | 東北 | Comments(0)

山形編(28):銀山温泉(11.8)

 それでは能登屋旅館の先にある散策路へと向かいましょう。「はいからさん通り」というお店でカリーパンをいただいて腹ごしらえ。
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 その奥には落差22mの白銀の滝が、二条の美しい流れを滝壺に落としています。
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 坂道を登ると「こうもり穴」がありましたが、洞窟を利用した祠に蝙蝠が住み着いているのでしょう。清新な空気を胸一杯に吸い、滴るような緑を愛でながら、川沿いの遊歩道をすこし歩くと、岩盤を走る籟音(らいおん)の滝とご対面。
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 洗心峡という綺麗な清流に沿って行き、昭和初期につくられたレトロな石橋・河鹿橋を渡ると左手に斎藤茂吉の歌碑があります。"蝉のこゑひびかふころに文殊谷 吾もわたりて古へおもほゆ" 彼は戦時中に能登屋旅館に滞在していたことがあるそうです。銀山坑の一つである「夏しらず坑」に入ると、岩盤の隙間から冷気がふきだしておりまるで天然のクーラー。
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 その先にある「おもかげ園」は広場と休憩所になっていますが、下草刈りか何かの作業をしておられた地元の方々数人が東屋でスイカを食べながら休憩されています。微かに響く"じゅるるるる"という垂涎の音、これ、はしたない。するとわれわれを手招きし、「スイカを食べていかないかね」と勧めてくれました。感謝感激雨霰、ご好意に甘えてさっそく尾花沢スイカにかぶりつきました。美味しい! 迸る果汁に舌鼓を打ち、あっという間にたいらげてしまいました。
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 金山でも、地元の方に岩魚・チューハイ・漬物で饗応された記憶がよみがえってきます。現金な話ですが、こうしたもてなしを受けるとその地への好感度の針が三目盛くらい上がりますね。山形、大好き! 皮はどうしましょうかと訊ねると、「これでいいよ」と谷底へと投げ捨てました。熊がやってこないかなという一抹の不安とともに投げ捨て、丁重にお礼を言ってお別れ。"涙もろい人情のみがこの世に平和を齎らすのである"という柳宗悦の言葉が胸をよぎりました。そして延沢銀山の廃坑洞へ、数十メートルほどが無料で公開されており、照明設備や歩道橋も整えられ安全に見学をすることができます。このあたりは岩盤が固いので、薪木や木炭を燃やして表面を加熱し水で急冷して剥ぎ取るように鉱石だけを採掘する"焼き掘り"が行われたそうですが、その黒々とした跡を確認することができます。銀鉱の発見者・儀賀市郎左衛門の像は、何者の仕業でしょう、無惨にも顔面が破壊されていました。
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 さて分岐です、左に折れれば出発点に戻るはずですが、右に行くと温泉街に並行する遊歩道があり、白銀橋のあたりで下りられるようです。こちらに行けば、風情ある温泉街を上から眺められるビュー・ポイントがあるかもしれないと色気を出したのが運のつき、惨劇の原因でした。てくてくと歩いていきましたが樹木が生い茂り視界が悪く、街並みはほとんど見えません。
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 やれやれ、もう少し先にある山の神神社にお参りをして温泉街に下りようかと考えていると、数匹の蜜蜂がまとわりついてきます。手で追い払っていると、すぐに数が増え、大群となって襲いかかってきました。これはまずい、と速足で脱出しようとすると…ブチ…右太腿をジーンズの上から蜂に刺されてしまいました。視線を落とすと黄色ではないのでスズメバチという最悪の事態は避けられたようですが、それでもけっこう大きい、たぶんアシナガバチでしょう。鈍痛が走る脚に鞭打って、山ノ神とともに駆け足、ようやく温泉街へと着くことができました。やれやれ、旅館の帳場で事情を話すと、「今、蜂の巣づくりの季節ですから」と塗り薬をくれました。部屋に戻ってジーンズを脱ぐと、腫れがかなりひろがっています。いたしかたない、しばらく様子をみて痛みがひどくなったら医者に行くしかないですね。

 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2012-12-30 08:11 | 東北 | Comments(0)

山形編(27):銀山温泉(11.8)

 そして大石田駅を発ってから約三十分、銀山温泉へと下りる坂道に到着です。前を走っていた車が、慌ててUターンして戻ってきました。運転手さん曰く「駐車場がないのを知らなかったんだねえ」。われわれは白銀橋を渡り、そこで下車。楽しいトークにお礼を言うと、宿の方がやってきて手押し車に荷物を入れて旅館まで先導してくれました。そう、ここ銀山温泉は車の通行はできません。
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 急峻な山間を流れる銀山川の両岸に、肩を寄り添うように櫛比する古風な温泉宿、これまでいろいろな温泉街を訪れましたが文句なく最高の景観です。ここ銀山温泉の開湯は寛永年間(1624~43)に、最盛期には日本三大銀山にも数えられた延沢銀山の鉱夫が偶然に見つけたことに始まると伝えられています。やがて延沢銀山は年々産出量が激減し、元禄15(1703)年には事実上閉山します。寛保年間(1741~43)頃から銀山温泉は湯治場として次第に名を上げ、湯端宿屋などが建ち並ぶようになりました。1913(大正2)年には銀山川が氾濫を起こし、銀山温泉のほとんどの建物が被害を出す大惨事が起こりました。しかし、この惨事の結果、銀山温泉の温泉旅館や温泉宿がほぼ同時期に建て替えられることになり、3~4階建て木造旅館によるこの見事な町並みが形成されたとのことです。温泉街の奥までは歩いて数分、そこにあるのがわれわれの止まる宿、能登屋旅館です。竣工は1925(大正14)年頃、木造3階建、塔屋にバルコニー、「木戸佐左エ門」という鏝絵の大きな看板がある、銀山温泉のシンボル的存在です。帳場で宿帳に記入をし、案内されたのは三階、銀山側に面した広々としたお部屋です。山ノ神と歓喜のロー・タッチ。
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 荷物を置いて、それでは銀山温泉の散策と洒落こみましょう。帳場で付近の地図をもらうと、「無料の貸切露天風呂があります」という嬉しいオファー。入らでか、山ノ神と歓喜のミドル・タッチをし、さっそく午後四時半からの三十分を申し込みました。現在の時刻は午後二時半なので、二時間ほど温泉街と付近の遊歩道を散歩することができます。まずは温泉街の散策、銀山川にかかる幾多の橋、両岸の狭い歩道を舐めるように歩き回りました。迫りくる山肌、建ち並ぶ古風な温泉旅館、銀山川の清流、どこを切り取っても絵になる街並みです。観光客の方々もたくさん訪れていて、けっこうな賑わい。注目すべきは旅館の正面を飾る鏝絵、梅に鶯、富士、滝などが見事な匠の技で描かれていました。
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 中でも圧巻は、老舗旅館・古山閣の正面二階に飾られている鏝絵。十枠の中に、一月から十二月までの古来の行事・風俗が描かれています。
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 白銀橋のそばには、川に面した和楽足湯(わらしゆ)という足湯があり、みなさん思い思いに温泉を楽しんでおられます。なお無粋なコンクリート造りの旅館もありましたが、何か事情があるのでしょうか。
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 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2012-12-29 15:59 | 東北 | Comments(0)

山形編(26):銀山温泉へ(11.8)

 そして天童駅へ、駅前には将棋の駒を戴いたご当地ポストがありました。少々時間があるので駅ビル内にある「天童市将棋資料館」をざっと見学。
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 13:12発の新幹線「つばさ」に乗り込み、13:31に大石田に到着です。なお途中にある神町駅の近くには、若木山防空壕があるそうですが、時間の関係で訪問はできません。大石田駅のホームには、手で押すタイプの除雪機がありました。冬の雪深さが思いやられます。なおこのあたりは蕎麦の名所、駅にも「ふうりゅう」という蕎麦屋があるのですが、食べている時間がありません。
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 後ろ髪を引かれるように駅前に出ると、能登屋旅館からの送迎のバンが待っていてくれました。お客はわれわれ二人のみ、私は失礼つかまつって助手席に座らせてもらい、いざ出発。この時の運転手さんが、道中、口舌爽やかな尾花沢弁を駆使して語ってくれた解説が傑作、録音しておきたかったくらいです。天気は曇天、月山も雲に隠れて見えません。交差点の歩道に広いスペースがあるのですが、これは雪の捨て場だそうです。道路脇には巻き上げられたシャッター群が延々と続きますが、これはもちろん地吹雪対策です。
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 運転手さんによると、冬場に地吹雪を見たいという女性を雪原に連れていってあげたそうです。すると彼女は突然、雪原にうつ伏せに身を投げ出したので、「気がふれたかと思った」。彼女曰く、「大地にあたしの跡をつけたかった」。もちろん、数分後には彼女が大地につけた痕跡は跡形もなく消えたそうな。しばらくするとスイカ畑が現れてきました。そうか、尾花沢といえばスイカが名産ですね。スイカ中毒の山ノ神、くもみちゃんのように「じゅるるるる」と垂涎しています。運転手さんは「おもしろいところに寄ってみようか(筆者注:以下、尾花沢弁を無味乾燥な"標準語"に訳します)」と言って、工場のような所に車を乗り入れました。ここは農協のスイカ選果施設で、スイカを満載した軽トラックが次から次へとやってきては、スイカを施設内に運び込んでいきます。この中で大きさや品質によって選果しているのですね。
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 やがてスイカ畑に加えて、ホップ、蕎麦、煙草の畑が車窓を流れていきます。この地の豊かさを実感できる光景ですが、将来的にはどうなるのでしょう。食料自給率を漸減させつつ、放射性廃棄物を増やし続けるこの国の姿に嫌悪感を覚えてしまいます。「あれを見てごらん」と運転手さんが指差す方を見ると、路上に赤い跡が夥しく浸みついています。まさか血痕? 「あれはなあ」「はあ」「実はなあ」「はあ(ごくっ)」「スイカを落とした跡だよ」 んもう、お茶目なんだから。
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 徳良湖を通り過ぎると、今度は水田地帯、ここでも折り畳み式の地吹雪除けが連なっています。けっこう賑わっているオートキャンプ場がありましたが、こちらはコンセントがあるので客が集まるのだそうです。「電気炊飯器で飯をつくるなんて、なんのためにキャンプに来るのかねえ」とは運転手さんの言。集落に入ると、ここが豪雪地帯であることを彷彿とさせる物件が散見されます。道路の中央には除雪のための水をふきだす孔が並び、地吹雪対策としてフェンスを設けてあるお宅もありました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-12-26 08:42 | 東北 | Comments(0)

山形編(25):天童(11.8)

 「大人の遊び場」に後ろ髪を引かれながらも自転車をホテルに返却し、山形駅へ、駅員顔はめ看板はいまだ健在、旧友に出会えたような気持ちです。
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 11:56発の新幹線「つばさ」に乗り込み、十分ほどで天童に到着。言わずと知れた、将棋の駒の生産で有名なところですが、私は未踏の地です。とは言っても、13:40に宿から迎えの車が大石田駅に来る予定なので逆算すると、小一時間ほどしか散策ができません。とるものもとりあえず目的はただ一つ、イザベラ・バードの記念碑です。さきほど撮影した写真でその場所を確認しようとモニターに出してみると…不覚、興奮したためか手ぶれのために文字が判読できません。しようがない、ビルの中にあった観光案内所で訊ねることにしました。「イザベラ・バードの記念碑を見に行きたいのですが」「は?」 ぬぅわに、彼女を知らんとは! 気をつけ、目をつぶれ、歯を食いしばれ! (ちなみに旧日本軍内務班で兵を殴る前にこう言ったのは、舌を噛ませないため、顎がはずれないようにするためだったそうです) と言うわけにもいかず、天童市内の観光地図をいただいてすごすごと退散。タクシー乗り場に行き、運転手さんに訊ねても「わかりませんねえ」というつれないお答え。うろ覚えですが、たしか眺望の良い場所で、"鶴"という字があったようだと言うと、「ああそれならきっと舞鶴山天童公園ですね」。駅から近いということなのでさっそく行ってもらいました。市街地の中央にぽこんと飛び出ているのが舞鶴山、羊腸の坂道を上って駐車場に到着。タクシーにはここで待機してもらい、付近を捜索することにしましょう。大きな芝生広場の中央には巨大な将棋盤がありましたが、四月に行われる人間将棋祭りの会場となるようです。
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 名人・大山康晴揮毫の記念碑を撮影し、階段を上るとそこが展望所。
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 山の懐に抱かれた天童の街並みを一望できる眺望はたしかに素晴らしいのですが、肝心の記念碑が見当たりません。
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 付近を徘徊しても、最近つくられたらしき「草木塔」を発見したのみ。おかしいなあ、あるはずなんだけれどなあ。刻々と時間は過ぎ去り、そろそろ駅に戻らねばなりません。亀の煮凝、あきらめてタクシーに戻りました。
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 すると地図を見ていた山ノ神が、上りとは違う道で下りてみたらと提議。まあだめでもともと、妻の意見と茄子の花にゃ千に一つの無駄もない、乗りましょう。織田信長を祭神とする建勲神社の前を走り抜けた時、視力1.5を誇る山ノ神が絶叫、「あった!」 キキーッ 急停車してもらい、道端にある小広場に駆け寄ると、イザベラ・バードの肖像と『日本奥地紀行』の一文を刻んだ記念碑がありました。
 山形の北に来ると、平野は広くなり、一方に雪を戴いたすばらしい連峰が南北に走り、一方には側面にところどころ突き出た断続的な山脈があり、この楽しく愉快な地域をとり囲んでいる。ほれぼれとして見たくなるような地方で、多くの楽しげな村落が山の低い裾野に散在している。温度はただの七〇度で、北風であったから、旅をするのは特に愉快であった。もっとも、天童から先へ三里半も行かなければならなかった。天童は人口五千の町で、ここで休息するつもりであったが、貸付屋(貸座敷)でない宿屋はすべて養蚕のためふさがっており、私を受け入れることはできなかった。(p.226)
 山ノ神と歓喜のハイ・タッチをし、今度は手ぶれをしないように慎重に撮影。
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 なおその脇には、志賀直哉(父の再婚相手で、二人の確執を解くために尽力した浩が、ここ天童出身)と田山花袋(母が天童出身)の記念碑もありました。やはり持つべきものは視力の良い妻、おかげで目的を達成することができました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-12-25 06:19 | 東北 | Comments(0)

山形編(24):山形(11.8)

 そして旧県庁舎前の通りを西へ向かい、途中で挟状に走る三島通りに入りました。てっきり三島通庸にちなんでの命名かと思いきや、道沿いに三島神社があったのでこちらに由来するようです。そのどんつきにあるのが旧山形師範学校本館、現在は教育資料館として利用されています。円弧状セグメンタル・ペディメント、洒落た車寄せ、ちょこんと乗った装飾に満ち溢れた塔屋など、これはなかなか凝った意匠の近代建築です。竣工は1901 (明治34)年。その左手奥にあるのが旧山形師範学校講堂、保存状態がよろしくないとはいえ、こちらもなかなかの逸品。切妻の正面破風のハーフ・ティンバーがいい味を出しています。なお入口のところにあった受付・警備員詰所の建物も見逃せません。さてそれでは山形駅方面へと戻りましょう。千歳館は明治創業の老舗料亭ですが、建物はちょっと風変わりな味わいの洋風建築。曲線と直線が縦横に組み合わされた建物正面と玄関ポーチの佇まいが印象的です。旧旭は無骨な頑固親父然としておりますが、壁面をリズミカルに埋め尽くす小窓が石部金吉的な表情を和らげています。
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 七日町二郵便局は、もともと1925(大正14)年に「丁字屋」という洋品店として建てられた洋館で、1972(昭和47)年から郵便局になったそうです。折り目正しい造形が英国紳士のような雰囲気。梅月館は凛とした風情の小粋な小品です。香味庵まるはちは旧羽州街道沿いの老舗漬物屋、束と梁の木組みが目を楽しませてくれます。和風ハーフ・ティンバーといった趣きですね。
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 工事のための仮設ガードレールを支えているのは可愛いゾウさん、札幌ではウサギのものを見かけましたが、もう少し数がたまれば「ガードレール・アニマル」として上梓したいと思います。繁田園茶舗は階高の高い町家、三島通庸による近代化が推し進められた以前は、こうした町屋が櫛比していたのでしょうね。
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 山形市立第一小学校校舎の山形まなび館として利用されています。竣工は1927(昭和2)年、山形県初の鉄筋コンクリート造3階建の校舎です。アール・デコの雰囲気がそこはかとなく漂っています。その近くにあったのが「写真 高橋」、手作りのインターナショナル様式という感じを受ける戦前の物件だと思いますが、こうした世に知られぬ逸品に偶然出会えるのが街歩きの楽しみの一つです。仕切弁の蓋をフェイス・ハンティングしたところでタイム・アウト。丸十大屋・男山酒造・長谷川家・光禅寺を見残してしまいましたが、天童に寄るためにはやむをえません。泣いて馬謖を斬る、山形駅へと向かいました。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2012-12-24 08:41 | 東北 | Comments(0)

山形編(23):山形(11.8)

 さてそれではサクサクと散策を進めましょう。霞城公園にある野球場では試合の真っ最中、スタンドの脇を走っているとユニフォーム姿の野球少年が道端に所在なさげに座り込んでいました。可哀相に、ベンチにも入れてもらえず風景が涙にゆすれているのか、不憫よのお。と思いきや、われわれを見るといきなり立ち上がり直立不動の姿勢で帽子をとり、「こんにちは!」と元気よくご挨拶。ああびっくりした。どうやら、ファウル・ボールを拾うために外で待機しているようです。しかしいくら試合のスムーズな進行の為とはいえ、野球の好きな少年にとってはちょっと酷い所為だと思います。指導者の方には、"スポーツとは、体を動かすという意味でも、また民主主義という考え方からいっても、他人に代わってやってもらうべきではない"というカダフィ大佐の箴言を彫心鏤骨していただきたいですね。ひたすらペダルをこぐこと十数分で、旧山形県会議事堂に到着。1916(大正5)年に竣工した煉瓦造3階建ての重厚な建築ですが、赤レンガと石材の灰色のコントラストが軽やかな雰囲気を醸し出しています。その隣にあるのが旧山形県庁舎、同年の竣工で、中央に屹立する時計台が印象的。なお札幌時計台を訪問した時に知ったのですが、設置当時のまま稼働している機械式時計はもう三例しかないそうです。こちらと(1916年始動)、札幌時計台と(1881年始動)と、立教大学モリス館(1919年始動)のみ。安芸の野良時計がつい最近まで稼働していたのですが、保守作業に携わっていたご子孫が亡くなったので今は動いていないとのことでした。設計は、ともに田原新之助と中條精一郎
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 そのすぐ近くにあるのが、なんとも愛くるしい山形六日町教会。1887(明治20)年に伝道を始めた山形市内で最も古い教会のひとつで、1914(大正3)年にこの地に移り本会堂を建設したそうです。リズミカルに並ぶ切妻造りの屋根と、キュートな塔屋がいいですね。正面には大小二つの尖頭アーチ窓が並んでいますが、なぜゴシック建築では窓の最頂部をとんがらせたのか。常日頃不思議に思っていましたが、先日、『フジモリ式建築入門』(ちくまプリマー新書166)を読んで疑問が氷解いたしました。飛び梁(フライング・バットレス)やリブ・ヴォールトなどの工学的要素によって天上の高みへと届かんとする高層建築をめざしたのがゴシック建築だということは知っていましたが、それとともに窓もより高みをめざそうと、とんがっていったのですね。それにしても、昨日拝見した山形聖ペテロ教会・山形カトリック教会といい、こちらといい、なぜ山形には教会建築の逸品が多いのですかね。やってこなくていい宿題といたしましょう。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-12-23 06:16 | 東北 | Comments(0)

山形編(22):山形(11.8)

 そして一路、駅へと向かいます。「バキャーン」という看板を撮影しようと、デジタルカメラのシャッターに指を置き、流れ行く車窓の風景を見詰めていると…あった! とその時、山ノ神の「運転手さん、停めてください」という神の一声。キキーッ。「轢かれないように気をつけてね」と微笑む山ノ神。おお、比翼連理、偕老同穴、夫婦善哉、割れ鍋に綴じ蓋、あなた百までわしゃ九十九まで、俺の目を見ろ何にも言うな、互いに見つめる顔と顔、阿吽の呼吸、感謝感激雨あられです。そそくさと下車して至近距離から撮影。貴重な逸品を撮ることができました。
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 そして山形駅に到着、計ったように二時間ぴったり。運転手さんにお礼を言い、料金を支払って、ホテルのフロントで自転車を借り受けました。現在の時刻は午前十時ちょっと過ぎ、宿からの送迎車が大石田駅に13:40に来るはずなので、13:02発の新幹線に乗れば間に合います。よって手持ち時間は約三時間、昨日の落ち穂拾いをするには余裕の吉山良子さんです。まずは山形城址を整備した霞城公園へ、こちらにはお目当ての済生会があります。建築史家の藤森照信氏曰く、世界一ハデな病院。一目見た瞬間に、「おうおうおうおう、どこが病院だどこが」とからみたくなる奇天烈・破天荒な逸品です。下見板張りに瓦屋根にバルコニー、さまざまな形の積み木を無造作に積み上げたような塔屋、そしてドーナツ型の本館。いやはや、いったいどこの御仁が設計したのでしょう。竣工は1878(明治11)年、近代化を推し進めた山形県令・三島通庸の命令によって建てられたことははっきりしていますが、設計者は不明とのこと。藤森氏は『建築探偵 神出鬼没』(朝日新聞社)の中で、三島自らが設計したのではないかという仮説をたてられています。なお彼については、自由民権運動を苛烈に弾圧した県令であったことも忘れずに。喜多方事件(福島事件)は彼の手によるものであったし、加波山事件も三島の暗殺計画から端を発していました。
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 見学は無料、内部では当時の医学・医療関係資料やアルブレヒト・ローレツ医師の資料などが展示されています。その一画に「イザベラ・バードと明治の道」というコーナーがあったのでしげしげと見ていると…なに、天童に彼女の文学碑があるとな。私にとって、宮本常一とともに、後塵を拝したい旅の巨人。異文化に対する敬意と飽くなき好奇心、それらに裏付けられた行動力、今の私にはとても及びもつきませぬが一歩でも近づきたいと私淑しております。金山でも彼女の記念碑に出会えましたが、こちらも是が非でも表敬訪問したいものです。
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 バッグからポケット時刻表を取り出して紐解くと、11:56 山形発の新幹線に乗れば、天童で一時間ほど時間がとれます。決まり! 山形散策を二時間ほどで切り上げて天童に立ち寄ることにしましょう。念の為わなわなと震える手で当該の展示を撮影しておきました。なお、今、『日本奥地紀行』(平凡社ライブラリー329)を確認してみたところ、1878(明治11)年7月に山形を訪れた時に、彼女は次のように記していました。「大きな二階建ての病院は、丸屋根があって、百五十人の患者を収容する予定で、やがて医学校になることになっているが、ほとんど完成している。非常に立派な設備で換気もよい。(p.225)」 竣工した年ですから間違いないと思いますが、あの異形の建築を実見したわりには、拍子抜けするくらい淡々とした描写ですね。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-12-22 09:27 | 東北 | Comments(0)

山形編(21):椹平の棚田(11.8)

 朝目覚めてカーテンを開けると、どんよりとした曇天。本日の予定は、タクシーで大蕨の棚田と椹平の棚田を訪問して、自転車を借りて昨日の続きである山形市内の散策、そして銀山温泉で宿泊です。ホテルの朝食をいただき、チェックアウトをしてフロントに荷物を預かってもらい、駅前からタクシーに乗り込みました。二時間貸し切りということで運転手さんと話をつけ、いざ出発。まず目指すは大蕨の棚田です。山形市内から西へと向かい、やがて車は山中へと入っていきます。ん? 「徐行」という標識の丈夫に「バキャーン」というオノマトペが記されていたようです。目を皿のようにして前方を見詰めていると、またあった。間違いありません。これはぜひ満を持して復路で写真におさめることにしましょう。そして山形駅から四十分ほどで大蕨の棚田に着きました。おおこれは見事、なだらかな斜面を埋めつくす棚田と風になびく緑の稲穂。社団法人「農村環境整備センター」のホームページ、「日本の棚田百選」によると、近代(明治~昭和20年)につくられたそうです。さっそく下車して棚田を一望できるビューポイントを探しましたが、なかなか見つかりません。捜索を断念して次善の場所から棚田を撮影。なお「特に秋の収穫後のハサ掛けは見事なほどに整列しており、見る人を圧倒させる」というコメントもありましたので、稲刈りの後で訪れるのも手かもしれません。
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 そして椹平(くぬぎだいら)の棚田へ、最上川にかかる橋からの眺めが素晴らしいので、停車してもらい写真を撮影しました。悠久の流れ最上川、たわわに穂を実らせる沃野、木々の緑、重畳する山なみ、もう一幅の絵ですね。
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 橋を渡ったところには、「最上川ビューポイント」という標識がありました。ここから数キロほどの所、帰路で寄ってもらうことにしましょう。そして椹平の棚田を見下ろせる場所に到着、山形駅から一時間ほどかかりました。こちらもお見事、扇状に整然と区画され、緑色に染め上げられた棚田を眺望することができます。前記のサイトによると、開発起源は現代(昭和21年~)、朝日町土地改良区の指導の下に地元の能中集落や営農集団が中心となって耕作されているので、耕作放棄地が少ないとのことです。また付設されていた解説板によると、もともとは桑畑で、戦時中に食料増産を目的に、1943(昭和18)年ごろより他の部落や学童の協力のもと開田工事が始められたそうです。駐車場と公衆トイレのあるここから階段を数分ほど上ると山頂公園があり、最上川や山なみを含めたよりダイナミックな眺望を満喫することができます。
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 そしてさきほど発見した「最上川ビューポイント」に寄ってもらいました。うん、ここも良い、最上川の絶景を堪能できました。うねるように蛇行する力強い流れと、中の島の点景が素晴らしいですね。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2012-12-21 06:17 | 東北 | Comments(0)

山形編(20):山形(11.8)

 その近くにあるのが七日町御殿堰、かつてこの中心街を流れていた農業用水を水路として再生したものです。とってつけたような、わざとらしい風情ですが、一休みするには恰好の場所となっています。おや、古い蔵を再利用したお店で、山ノ神が抹茶アイスを買っています。「米沢牛の残り香はどうしたの」と半畳を入れると、「そんな昔のことは忘れたわ」とリック・ブレインのようなお答え。もちろんご相伴にあずかりましたが。
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 そして威風堂々とした細谷牛肉店、アンシンメトリーな三連窓がユニークな仲野理容店、玄関が異様に立派なお宅を撮影し、山形聖ペテロ教会へ。急勾配の切妻屋根、下見板張り、鐘楼がなんとも愛らしい教会です。近くには、あまりにもアナーキーな窓の配置に唖然呆然慄然としてしまったお宅がありました。しばらく歩くと、山形カトリック教会に到着。手前にある司祭館は和風と洋風が絶妙にかみあった趣のある建築です。奥にある教会は斬新なデザインなのでてっきり最近建てられたのかと思いきや、今調べてみると、大正末期から昭和初期につくられたれっきとした近代建築でした。己の眼力の無さには汗顔の至りです。ここから十分ほど歩くと山形駅に到着、構内には山形の新しいお米「つや姫」をPRする大きな垂れ幕がありました。売店で夜食のパンと地酒を購入して部屋へと帰還。シャワーを浴びてテレビのニュースを見ていると、明後日に訪れる予定の庄内地方は大雨、鶴岡では床下浸水の被害が出ているとのことでした。結局、今日は雨が降らなかったし、やはり私は晴れ男なのかなと、自らに杯を捧げました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-12-20 06:17 | 東北 | Comments(0)