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甲斐路編(1):前口上(12.5)

 先日、井出孫六氏の『国を越えた日本人』(風涛社)というおもしろい本を読みました。日本という狭い枠を越えて海外で活躍した日本人、野口英世、朝河貫一、藤田嗣治、岡田嘉子、土方久功、浅川巧、中江丑吉と鈴江言一を紹介したものですが、中でも心惹かれた方が三人います。まず日本法制史、日欧の封建制度比較研究を専門とし、イェール大学教授となった朝河貫一。日露戦争後の日本の姿に危機感を覚え、警鐘を発するために『日本の禍機』(1909)を著し、1941(昭和16)年には、日米開戦の回避のためにラングドン・ウォーナーの協力を得て、フランクリン・ルーズベルト大統領から昭和天皇宛の親書を送るよう、働きかけを行った歴史学者です。二人目が中江丑吉、中江兆民の長男ですが、中国を愛し、北京に住んで中国思想やカント、ヘーゲル、マルクス、マックス・ウェーバーの研究に一生を捧げた在野の知識人です。鋭い知性と観察眼によって枢軸国側の敗北を確信し、私的な立場から警告を発し続けた方です。そしてもう一人が浅川巧。「浅川伯教・巧兄弟資料館のブログ」から引用します。
 浅川伯教(のりたか)・巧(たくみ)兄弟は、明治時代半ばに今の北杜市高根町に生まれました。日本の植民地統治下の朝鮮半島に渡り朝鮮工芸の美に魅せられ研究した人です。兄の浅川伯教は、朝鮮陶磁史の研究にその生涯を捧げ、弟の巧は朝鮮の山と工芸、そして朝鮮の人々を愛しました。
 兄の伯教は、朝鮮の美術に魅了され、1913(大正2)年朝鮮に渡り、700箇所にも及ぶ朝鮮王朝陶磁の窯跡を調査し研究しました。陶磁器の時代的変遷を明らかにした研究成果は、朝鮮陶磁史の基本文献としてまとめられ今日に至っています。
 弟の浅川巧は、1914(大正3)年、兄の伯教を慕って朝鮮半島に渡り、林業技師として荒廃した山々の緑化に奔走するかたわら、兄とともに「朝鮮白磁」をはじめとした朝鮮陶磁の研究に心酔し、名著『朝鮮陶磁名考』を書き残しました。巧はまた、木工芸品の中に民衆芸術の美を見出し、優れた文化として日本に紹介しました。巧は、日本の植民地支配の時代にあって、現地の人々に同じ人間として接し、朝鮮語を話し、その地の風俗や文化を愛し、まわりの人々に敬愛され、1931(昭和6)年に40歳の若さで朝鮮の土となりました。今も、ソウル市忘憂里(マンウリ)にある墓は、彼を慕う韓国の人々によって守られ続けています。
 竹島をめぐって険悪な関係がおさまらない日韓関係、拉致問題・ミサイル問題をめぐり対立が続く日朝関係、こういう時だからこそ、朝鮮を愛し抜いた彼のような人物に思いを馳せたいものです。迷宮から脱するためのアリアドネの糸が見つかるかもしれません。というわけで、今回は山梨県北杜市にある彼の墓の掃苔と資料館見学を軸に、一泊二日の山梨旅行を計画しました。初日は、山梨県立美術館と文学館を見学して、太宰治の足跡を求めて甲府を徘徊して同市内で宿泊。二日目は、信玄堤を見た後、長坂へ移動して浅川巧の墓参と資料館見学、そして小淵沢からバスに乗って中村キース・ヘリング美術館へ、再びバスで三分一湧水を見て甲斐小泉駅から帰郷。こんな感じでざっくりと旅程をたて、後は野となれ山となれ、臨機応変に行動しましょう。事前学習で読んだ本は『朝鮮の土となった日本人 浅川巧の生涯』(高崎宗司 草風館)、持参した本は『夢よりも深い覚醒へ 3・11後の哲学』(大澤真幸 岩波新書1356)です。
by sabasaba13 | 2013-08-31 08:24 | 中部 | Comments(0)

言葉の花綵90

 もし私自身が末来図をもっていたとしたら、動物社会が飢えと鞭から解放され、すべてが平等であって、各々が自分の能力に応じて働き、メイジャーが演説した際に、迷い子になったアヒルのひなを私が前足でかばったように、強者が弱者を守るようなものであっただろう。(ジョージ・オーウェル)

 樹木、魚、蠅、そして私の最初の例にもどると、ヒキガエルといったものに対して子供のときの愛情を持ち続けることによって、平和で人間らしい末来は、少しは実現可能なものになると思う。そして鋼鉄とコンクリート以外には何も称賛できるものはないという教義を説けば、人は憎むことと指導者を崇拝することにそのありあまる精力のはけ口をきっと向けることだろう。(ジョージ・オーウェル)

 私が仕事の他に一番好きなものは、園芸、特に野菜をつくることです。私が嫌いなものは、大きな町、騒音、自動車、ラジオ、缶詰め食品、セントラルヒーティング、それに現代の家具です。(ジョージ・オーウェル)

 我々は他人の幸福などには関心はない。我々が関心を持っているのは権力のみである。どんな富やぜいたくな生活や長寿や幸福などにも関心はなく、権力、すなわち純粋な権力のみに関心があるだけである。純粋な権力の意味するものが君にもそのうちわかるだろう。我々は何をしているのかを知っている点では、過去のすべての独裁政治家たちとは異なっている。他のすべての者たち、我々自身に似ている者たちですら、臆病者で偽善者であった。ドイツのナチ党員やロシアの共産党員は方法の点で我々にとても近づいたが、彼らは自分たち自身の動機を認める勇気がなかった。権力を握ったのは不本意なことであると同時に限られた時間の間であって、人間がすべて自由で平等な天国がすぐ近くにあるようなふりをしていたし、彼らはたぶんそのように信じてもいたであろう。我々はちがう。我々はだれも権力を放棄するために握ったりする者などいないことを知っている。権力とは手段ではなく、目的である。革命を守るために独裁政治を確立するのではない。革命を起こすのは、独裁政治を確立するためである。迫害することの目的は迫害である。拷問にかけることの目的は拷問である。権力の目的は権力である。君は僕の言うことがわかりかけたかね。(『1984年』 ジョージ・オーウェル)

 全体主義的統治は従来の独裁や専制とは異なる、一つの運動であって、その前進は常に抵抗にぶつかり、その抵抗を絶えず除去していかなければならないので、「客観的な敵」が設定される。(ハンナ・アーレント)

 ジョージ・オーウェルのすべての著作に共通の要素は、ディーセンシィの意識であった。ディーセンシィという言葉自体は英語のうちで最も曖昧な言葉の一つである。しかし、ほとんどの人々はディーセントな行動を見分けるのに躊躇しない。それは相手の感情と人格とを考慮に入れた行ないのことである。(佐藤義夫)

 イギリス人はいつまでも恨みを心に抱くような人間ではなく、非常に忘れっぽく、無意識のうちに愛国心を抱いていて、軍事的な名誉を愛さず、偉人をあまり称賛しない。イギリス人は古風な人間の徳と悪徳とをもっている。二十世紀の政治理論に対してイギリス人は、別の理論を提示するわけではなく、ただ漠然とディーセンシィと呼ばれている道徳性をもち出す。(ジョージ・オーウェル)

 ディケンズはただ、お説教を垂れているだけである。ディケンズから最終的に引き出せることは、「人間が真っ当な振る舞いをしようとすれば、この世の中は真っ当なものになるだろう」("If men would behave decently, the world would be decent.")ということだけである。ディケンズが今も人気があるのは、人々の記憶に残るような仕方で庶民の「ネイティブ・ディーセンシィ」(生まれつき持っている人間の真っ当さ)を表すことができたからである。ディケンズの顔とはいつも何かと闘っている人の顔であり、恐れずに正々堂々と闘っている人の顔であり、静かに怒っている人の顔である、とオーウェルは述べている。(佐藤義夫)

 大方の革命家は潜在的な保守主義者である。というのは、社会の「形体」を変革することによってすべてのことは正される、と思っているからである。つまり、一度変革が達成されたなら、よくあるように、別の変革の必要性を見出さないからである。ディケンズにはこのような精神的な荒っぽさはなかった。(佐藤義夫)

 全体主義の真に恐るべき点は、それが「残虐行為」を犯すことではなく、客観的事実という概念を攻撃することである。それは末来のみならず過去をも支配しようとする。(ジョージ・オーウェル)

 自分の苦悩に対する解決は、いかなる解決もないという事実を受け入れることにある。(ジョージ・オーウェル)

 人間であることの本質は、人間が完璧さを求めないことである。つまり、人間は忠誠心のために時には進んで罪を犯すことであり、親交が不可能になるまでに禁欲生活を押しつけないことであり、人間は他人を愛することで、必然的にその代価として、人生に敗北して打ちのめされる覚悟をすることである。たぶん、アルコールや煙草などは聖人の避けなければならないものであろうが、聖人であるというのも人間が避けなければならないことである。(ジョージ・オーウェル)
by sabasaba13 | 2013-08-30 06:18 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『オーウェル研究』

 『オーウェル研究 ディーセンシィを求めて』(佐藤義夫 彩流社)読了。拙ブログで何回かふれていますが、私、ジョージ・オーウェルの大ファンです。「カタロニア賛歌」「動物農場」「1984年」、そして数々の珠玉のようなエッセイ、むさぼるように読みました。彼の生涯について、スーパー・ニッポニカ(小学館)から引用しましょう。
オーウェル George Orwel (1903―50) イギリスの小説家、批評家。本名エリック・ブレア。税関吏の息子としてインドに生まれ、8歳で帰国。授業料減額で寄宿学校に入り、奨学金でイートン校を卒業したが、大学に進まずにただちにビルマの警察官となり、植民地の実態を経験。その贖罪意識もあって自らパリ、ロンドンで窮乏生活に身を投じたのち、教師、書店員などをしながら自伝的ルポルタージュ『パリ、ロンドン零落記』(1933)や、植民地制度がもたらす良心的白人の破滅を描いた『ビルマの日々』(1934)などを発表。このころから社会主義者となり、「左翼ブッククラブ」のために失業炭鉱地域のルポルタージュ『ウィガン波止場への道』(1936)を書いた。1936年からスペイン内戦に共和側として参加したが負傷。『カタロニア讃歌』(1938)はここで行われた激しい内部闘争の実態の報告、糾弾の書である。第二次世界大戦中はBBCで極東宣伝放送を担当した。戦争中にすでに同盟国ソ連のスターリン体制を鋭く戯画化した動物寓話『動物農場』を執筆、戦争直後の45年に出版、一躍ベストセラー作家となった。この年妻を失い、彼自身も宿痾の肺結核が悪化してロンドンの病院に入院し、ここで、言語、思考までを含めた人間のすべての生活が全体主義に支配された世界を描いた未来小説『一九八四年』(1949)を完成した。この最後の二作は現代社会の全体主義的傾向を批判、風刺した文学として重要なものであるが、その根にあるものはきわめてイギリス的で良識的な思想伝統である。彼はまた時代の問題と先鋭に格闘した優れたエッセイストであり、とくにスペイン内戦以後は、反全体主義的ではあるが単なる保守主義に堕さない柔軟かつ強靱な立場から、数多くの優れた評論を精力的に発表した。
 本書は、オーウェルの生涯、作品、そして彼の思想を手際よく解説する恰好の入門書です。私もいろいろと教示していただきました。たとえば、オーウェルの植民地体験が、彼の考えにどのような影響を与えたのか。佐藤氏は、その経験から、被圧制者の側に立ち、彼らの代弁者となって、その声なき声を表現することによって罪を償おうとしたと指摘されています。(p.16) 「動物農場」の紹介では、指導者である豚は、動物の関心を内側(農場=国内)から外側(農場の外=国外)に向けることによって、不平等の問題を覆い隠し、自分の特権を正当化しようとしていると述べられています。(p.113) なんだ、尖閣諸島や竹島をめぐって大騒ぎをし、放射能の被害には無関心な方々と同じじゃないか。また、彼を理解するための最重要のキーワード、"ディーセンシィ(decency)"について、私は漠然と「真っ当さ」「人間らしさ」と考えていたのですが、氏は「相手の感情と人格とを考慮に入れた行ない」とされています。(p.186) これは鋭い指摘ですね。
 さて、石原氏や橋下氏を筆頭に、「相手の感情と人格とを無視する」言動が横行する昨今の日本。そしてオーウェルが何よりも大切にする正義や自由が窒息しかかっているこの国。今こそ、彼の作品を読む時だと思います。本書を水先案内人として、オーウェルの本を手にとる人が増えればいいなあ、と切に願います。最後に本書から、彼の叡智に満ちた言葉をいくつか紹介しましょう。
 普通の人々を社会主義に引きつけ、そのために自分の命を賭けさせるもの、つまり社会主義の「奥義」は平等の理念である。大多数の人々にとって、社会主義とは階級のない社会を意味するのでなければ、何ものも意味しないからである。(p.93)

 もし私自身が末来図をもっていたとしたら、動物社会が飢えと鞭から解放され、すべてが平等であって、各々が自分の能力に応じて働き、メイジャーが演説した際に、迷い子になったアヒルのひなを私が前足でかばったように、強者が弱者を守るようなものであっただろう。(p.119)

 樹木、魚、蠅、そして私の最初の例にもどると、ヒキガエルといったものに対して子供のときの愛情を持ち続けることによって、平和で人間らしい末来は、少しは実現可能なものになると思う。そして鋼鉄とコンクリート以外には何も称賛できるものはないという教義を説けば、人は憎むことと指導者を崇拝することにそのありあまる精力のはけ口をきっと向けることだろう。(p.137)

権力とは手段ではなく、目的である。革命を守るために独裁政治を確立するのではない。革命を起こすのは、独裁政治を確立するためである。迫害することの目的は迫害である。拷問にかけることの目的は拷問である。権力の目的は権力である。(p.174~5)

 ディケンズはただ、お説教を垂れているだけである。ディケンズから最終的に引き出せることは、「人間が真っ当な振る舞いをしようとすれば、この世の中は真っ当なものになるだろう」("If men would behave decently, the world would be decent.")ということだけである。ディケンズが今も人気があるのは、人々の記憶に残るような仕方で庶民の「ネイティブ・ディーセンシィ」(生まれつき持っている人間の真っ当さ)を表すことができたからである。ディケンズの顔とはいつも何かと闘っている人の顔であり、恐れずに正々堂々と闘っている人の顔であり、静かに怒っている人の顔である。(p.192)

 全体主義の真に恐るべき点は、それが「残虐行為」を犯すことではなく、客観的事実という概念を攻撃することである。それは末来のみならず過去をも支配しようとする。(p.221)

 自分の苦悩に対する解決は、いかなる解決もないという事実を受け入れることにある。(p.255)

 人間であることの本質は、人間が完璧さを求めないことである。つまり、人間は忠誠心のために時には進んで罪を犯すことであり、親交が不可能になるまでに禁欲生活を押しつけないことであり、人間は他人を愛することで、必然的にその代価として、人生に敗北して打ちのめされる覚悟をすることである。たぶん、アルコールや煙草などは聖人の避けなければならないものであろうが、聖人であるというのも人間が避けなければならないことである。(p.258)
 追記。彼の遺体は、遺言どおりバークシア州のサットン・コートニィにあるオール・セインツ教会の墓地に埋葬されているとのこと。(p.261) いつの日にか、墓参にいきたいものです。
by sabasaba13 | 2013-08-29 19:26 | | Comments(2)

『キーワードで読む現代日本社会』

 『キーワードで読む現代日本社会』(中西新太郎+蓑輪明子編著 旬報社)読了。『人生と運命』(ワシーリー・グロスマン みすず書房)という、スターリングラードの戦いを軸に、時代や国家に翻弄される人物群を描いた超弩級のおもしろい小説を読んでいたら、次のような言葉がありました。
 反ユダヤ主義は、自らの不幸と苦悩の原因を究明する力のない国民大衆の意識の低さの表われである。無知な人々は、自らの大きな不幸の原因が国家機構や社会制度にではなくユダヤ人にあると見る。(第2巻p.262)
 また最近読み終えた『自由を耐え忍ぶ』(岩波書店)の中で、テッサ・モーリス-スズキ氏はこう述べられています。
 …多くの人々は、不公正で欠陥に満ちた社会に生きていることを自覚しているが、その社会を改革するための貢献の手段を見出せないでいる。何もすることができないまま不公正な社会を生きるには、その対応として次の二つの選択肢を採用する。一方は、世界を変えることのできない自分自身の無力さを嫌悪することであり、他方は、外部に標的を定めて感情を表出することである。そして不公正の原因が特定できない時、この怒りの破壊的な力は、壊しやすいものに向くことになる。すなわち弱者や少数者や異物が標的と定められる。(p.206~7)
 寸鉄人を刺す、いずれも鋭い指摘です。小生のような凡俗の人間がもやもやと感じていることを、的確かつ明瞭に言葉として提示する。やはり知識人というのはこうでなくちゃいけねえ、とあらためて感じ入った次第です。それにしても、生まれも育ちも、知的環境や生きている社会の状況もかなり違うであろう両者がほぼ同趣旨のことを語っておられるのは興味深いですね。これは20世紀の、いや人間の歴史を通じての宿痾かもしれません。そして両者が言い当てている状況こそ、現在の日本そのものではないでしょうか。不公正と欠陥に満ちた社会に暮らし、不幸と苦悩と無力感に苛まれる人々。その原因が国家機構や社会制度にあることを究明できず、また改革できず、怒りの感情や力を弱者や少数者や異物にぶつける人々。人々の怒りをぶつけやすい弱者や少数者や異物を上手に見つけ出す/つくりだすのに長けた石原氏や橋下氏が支持を得ているのも宜なるかな。しかしどうみてもこれは病的な社会です。ワシーリー・グロスマン氏言うところの"意識の低さ"を改善し、テッサ・モーリス-スズキ氏言うところの"社会を改革するための貢献の手段"を見出すにはどうしたらよいのか。月並みですが、まず多くの日本人が抱えている不幸や苦悩の原因の多くが日本の国家機構や社会制度に起因すること、自然現象ではなく人為的・歴史的な現象であることを理解すること。そのために、それを誰もが(とくに若者に向けて)納得できるようにわかりやすく解き明かしてくれる良書を読むことでしょう。しかし言うは易く行うは難し。個別テーマごとでは思い当たる本はあるのですが、ざっくりと現在における日本社会や機構の問題点を概括して抉り出し、それを若者に向けて説明してくれる本なんて…あった。
 そうした得難い存在が本書です。まずはその志を「本書を読み進めるにあたって」から引用しましょう。
 みなさんが生まれたころの日本社会にもさまざまな問題がありましたが、いまは日本社会がもともと持っていた問題を凝集しつつ、さらに新たな問題が生み出された時代です。かつての日本社会は、普通の人たちの仕事や生活に関わる問題を克服するためのしくみが曲がりなりにもはりめぐらされていましたが、現在では、そのしくみがどんどんと壊されていき、普通の人たちが不安でいっぱいになる社会がつくられたのです。(p.13~4)

 本書は、みなさんに不安をもたらす、労働や貧困の問題を扱っているため、時に「知りたくない」事実を突きつけられたと感じることがあるかもしれません。しかし、どんなにつらい事実を突きつけられようとも、問題の解決はまず事実を知り、問題のかたちやメカニズムを知ることから始まります。
 しかも大切なのは、問題解決の道すじがあるからこそ、問題を認識できるということです。現実に解決の道すじのない問題は、そもそも問題として認識されないのです。「課題はその解決の手段と同時に生じる」(マルクス)。私たちが「これは社会にとって解決しなければならない課題である」と認識した時点で、その解決の手段を導き出すところまであと一歩なのです。(p.16~7)
 事実、問題のかたち、そしてメカニズムを知ることが、問題解決の第一歩である。勇気づけられる言葉ですね。そして「労働」「貧困」「大人になる」「資本主義」「福祉国家」「新自由主義」という六つの重要なテーマについて、事実や問題点をわかりやすく解き明かしてくれます。一つだけ例をあげましょう。「就職できない」「大人になれない」という若者の不安に対して、"自己責任"という冷酷な言葉で切り捨ててしまう言説をよく見かけます。これに対して著者の一人である植上一希氏は、現実としてこうした指標をクリアすることが困難になってきているという現実を指摘されます。従来、日本型雇用では、大学生を始めとする新卒者を採用し、長期雇用のなかで企業内教育をおこない、彼らを企業にとって役立つ労働力に育成してきました。また、こうして育てた労働者が辞めてしまうことを避けるために、年に応じて処遇を上げる年功型処遇や福利厚生も充実させてきました。このシステムによって、かつての若者たちは「大人」になってきたのですね。もちろん、女性の多くは、主婦として、男性の補助となっていくことを前提としているという問題点はありますが。しかしよく考えると、日本企業はグローバル化のなか、生き残りをかけてこのシステムを放棄しました。よって若者たちの不安には根拠があり、それを自己責任・努力不足だとして批判・非難するのは当たらない。「大人になる」こと自体を批判的に見直す必要があるのではないかと、主張されています(p.48~61)。 それでは、日本型雇用を廃棄した企業はどうような雇用形態を導入したのか、その世界的な背景は何か、そして問題点は? これについても章をあらためて説明されていますが、全体として、グローバリゼーションの進行と、それに対する日本的な対応とくくることができると思います。百聞は一見に如かず、ぜひご一読をお薦めします。
 またメディア・リテラシーに関する重要な指摘が、随所にちりばめられているのもいいですね。たとえば、福祉政策などを評価するとき、「バラまき」という言葉がよく使われます。ところが、「バラまき」という言葉は、だれでも平等に保障したほうがよいことがらについて、そんな必要はないと思わせる「魔力」を持っており、よく考えればおかしい主張を当然のように感じさせてしまうと指摘されています。(p.11~2) こうした魔力を持つ"まがいもの"的な言葉を見分けること、これぞメディア・リテラシーの基本ですね。

 というわけで一人でも多くの若者に読んでほしい本です。教科書として採用されるといいのですが、原発にからむ利権を守るため、子どもや若者の健康を平然と踏みにじっている文部科学省の官僚諸氏が認めることはまずありえないでしょうね。国民の意識を低い状態にしておくことが、彼らの最大の仕事ですから。
最後に、心と頭の琴線にふれたいくつかの文章を紹介しましょう。
 「そんな権利(※知る権利)、うちらには関係ない」と思ってはいけません。生きてゆくのに必要なことを知るのはあなたの権利です。2011年3月11日の福島第一原子力発電所の事故で各地に大量の放射能がまき散らされたことはだれでも知っていますね。自分が生活している場所はどのくらいの放射線量になるのか知っていますか? 東電や政府はくわしいデータをすぐには発表せず、地域ごとの細かい計測もおこなってきませんでした。不安を感じた親たちや自治体などが自前で調べるしかない状態に追いこまれたのです。「知る権利」が保障されるどころか堂々と侵害されてしまった実例です。(p.8)

 そんな色眼鏡を私たちも知らず知らずかけさせられているかもしれません。「大丈夫です、安心ですよ」と働き方や暮らし方がいつもバラ色に映るような「眼鏡」をかけさせられ、大丈夫と信じて組んだローンが破綻した-性悪な色眼鏡はそうやって人生を深く傷つける力を持っています。(p.10)

 性悪な色眼鏡に惑わされないためには、私たちの生きている世界、現実をリアルに正確に知るために共有できる「道具」が必要です。(p.10~1)

 働き方の不安定化とは、労働者全体の待遇が切り下げられ、仕事の見通しが不透明になっているということです。
 これらは、おおむね次の三点のような現われ方をしています。第一は待遇の低い非正規雇用の増大と基幹化です。第二は正規雇用労働者のなかでも待遇悪化や労働の過密化がみられるという点、三点目は、失業する人びとが増加しているということです。(p.19)

 …貧困問題は労働の不安定化と社会保障の脆弱さによって生み出されたものです。貧困は個人の能力のなさや、落ち度に原因があると考えられがちですが、そうではありません。労働の不安定化には企業が利益を最大化しようとする要求の高まりがあり、社会保障の脆弱さは制度を整備してこなかった国や社会の問題があるからです。貧困の最大の原因は社会の側にあるのです。(p.40)

 こうした所得再分配を実現するために、福祉国家のもとでは、企業が負担する法人税や、高額所得者ほど税率が高くなる累進所得税が、国の財政の中心部分を占めてきました。しかし、1980年代以降の新自由主義のなかで、法人税と高額所得者の所得税は大きく引き下げられるようになりました。そうすると、当然、政府の税収は減ってしまうことになりますから、その分を何でカバーするかということが問題になってきます。そこで、消費税(付加価値税)を引き上げようという動きが出てくるわけです。現在の日本でも、消費税を引き上げて、その分を社会保障の財源にしようという議論がくり返しなされています。しかし、消費税は、法人税や所得税とは違って、所得の再分配をもたらしません。かえって、所得の低い階層のほうが日常的な消費にまわすお金の割合が多いために、所得の低い階層ほど負担が重くなるのです。そのため、消費税を福祉国家の財源にするということは、福祉国家が本来もっている所得の再分配機能を大きく弱めることになると言えます。(p.97)

 こうした反応は、要するに知らず知らずのうちに多くの人が「企業の論理」で考えているということを示しています。まるでだれもが経営者のように、コスト削減はやむなし、安い労働力を求める海外展開は止めようがないし、そもそも企業の利益を増やすためにはどんどんやったほうがいい、と考えます。しかもこの「企業の論理」はグローバル化のなかでタフに生きていくために、働く人びとにたいして「強い個人」を求めます。つまり、各人はそれぞれの「能力」を高めて企業が求める即戦力として働けるようにならなければならない。もしそれができなければ、失業したり賃金が低い仕事についてもしょうがない、そういう人は努力が足りない、「負け組」だ、と考えるのです。
 こうした反応と新自由主義とは深い関係があります。それは、新自由主義が、このような「企業の論理」を社会の隅々まで徹底させる考え方だからです。新自由主義をうけ入れてしまっているからこそ企業の行動に理解を示すのです。「企業の論理」をもう少しくわしくみれば、グローバリゼーションが進行するもとで、世界中で自由に利益を追求する多国籍企業の「資本の論理」といえます。(p.108~9)

 企業は労働者のリストラや正規雇用を非正規雇用に切り換えて利益を増やす一方で、その利益を富裕層である株主への配分にあてていたのです。これは新自由主義政策による格差・貧困化の要因の一つであるといえるでしょう。(p.114)

 社会保障分野でも1990年代以降、さまざまな規制緩和や制度改変がおこなわれました。この背景には、経済のグローバル化が進むなかで、資本の負担を軽減し日本企業の国際競争力を高めるというねらいと、社会保障分野に民間企業が進出して、利潤獲得の場にする(社会保障分野の市場開放)という二つのねらいがあります。(p.114)

 以上から、企業の海外進出の重要な動機としてまず「労働力の安さ」が挙げられます。さらに、現地で生産して現地で販売することに企業がメリットを感じているということには注意が必要です。これまでならば日本で生産した製品を輸出して海外で売っていたからです。この変化の背景には、①為替リスクの回避と②国際競争力の強化の二つの要因があると考えられます。(p.175)

 このようなビジネスモデルの下で、多国籍化した企業は日本の労働者の賃金水準に関心を持たなくなります。というのも企業の売上げが主として国内にある時には、日本国内の消費(内需)は労働者の賃金水準に依存しますが、海外での売上げが主なものとなれば、多国籍企業は自国の労働者の生活水準についてますます無関心になるからです。かつて日本企業は国内で自社製品を売るためにも、安定した雇用と賃金を保障していました。企業にとって日本国内の労働者は、生産の担い手であると同時に自社商品の購買者でもあったので、自動車や電機製品を買えるだけの賃金を払うことが企業の売上げの増加にもつながったのです。しかし、企業利益の占める日本市場そのものの比率が低くなることによって、労働者をモノのように扱う派遣切りなどを容易におこなうことができるようになったのです。(p.177~8)

 企業の社会的責任とは、何よりも責任をもってしっかりとした雇用を維持することであり、国内生産を犠牲にし、海外生産を拡大することで利益を増やす多国籍企業の自由な活動については、まさにグローバルな規模で規制をおこなう必要があるのです。(p.179)

 グローバル化によって変わる世界のなかで、私たちが普段、目にしているのは、その表象・現象の一部でしかありません。過疎地域にくらし、きつい・汚い・くるしい労働を支える外国人の人びとがいなければ成り立たない社会、そういう労働を外国の人びとにいわば「押しつけて」しまう社会。いつのまにか「社会のグローバル化」はそのようなところへ至っています。「共生」や「友好」を考えるためには、まずは外国の人びとであっても当然に、働き生活する最低限の条件をととのえることが必要です。(p.185)

by sabasaba13 | 2013-08-28 06:19 | | Comments(0)

飯田線編(8):天竜峡(12.4)

 さあこれで秘境駅めぐりは終わりです。次の天竜峡駅で下車して一時間ほどの自由時間となりましたので、天竜峡を散策しました。暴れ川と言われた天竜川が切り開いた絶壁が続く渓谷美で名を馳せていますが、川岸に沿って整備された遊歩道を歩き、つつじ橋を渡って戻ってくるとちょうど一時間。残念ながら桜は散り新緑には早いのですが、迫力のある渓谷美を堪能することができました。
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 天竜峡十勝の一つ、聳え立つ奇岩「龍角峯(りゅうかくほう)」の解説に、峰竜太の芸名はここにちなんでつけられたとありましたが…「それがどうした」と言われたら返す言葉もありません。
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 咲き誇るミツバツツジを写真におさめ駅へと歩いていき、途中にあった歯科医院の壁面でフェイス・ハンティング。その表情がまるで虫歯の痛みを耐えているようなのは偶然なのでしょうか、歯にあたる障子も破れているし。これでは来院したお子様たちは怯えて泣き叫ぶのでは、と老婆心ながら心配してしまいます。その前にあった公園では、春の花がきれいに咲き誇っていました。
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 集合時刻までまだすこし時間があるので、駅周辺の町並みを散策。透かしブロックや火の見櫓、マンホールの蓋や鯉幟を撮影して豊橋行き列車に乗り込みました。
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 途中の伊那小沢(こざわ)駅で待ち合わせのためしばし停車。すると鉄男・鉄子さんたちがわらわらとホームへと下りていきます。なんだなんだ、何が起きたんだ、私もついていくと、みなさんがホームの端でカメラを構えています。どうやらトンネルを抜けてやってくる対向列車を撮影するためのようです。失礼ながら、その熱意にあふれる後ろ姿を撮影させていただきました。そして向市場駅を通り過ぎたので、さきほどは見逃してしまった第六水窪川橋梁を撮影するために、列車の最前部に移動。通称「S字鉄橋」「渡らずの鉄橋」、川に並行し対岸に渡らないという長さ約400mの珍しい鉄橋です。おっきたきたきた、かしゃっかしゃっかしゃっ、あっという間の通過でしたが、なるほど珍しい鉄橋でした。
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 何気なく車内誌を読んでいると、千畳敷カールの見事な草紅葉の写真が載っていました。なんて素晴らしい、これは是が非でも見てみたい、というわけで心はもう秋の紅葉狩りへとワープしてしまいました。豊橋駅に到着し、「ヒレカツ弁当」を購入して新幹線こだまに飛び乗り帰郷。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2013-08-27 06:20 | 中部 | Comments(0)

飯田線編(7):金野駅・千代駅(12.4)

 そして次なる秘境駅、金野(きんの)駅(ランキング第13位)へ。こちらも山の斜面にへばりつくような駅で、周囲に民家はなく、一番近い集落までは車一台しか通れない狭い道を約3km走らねばなりません。ホームからは千畳の山なみと、その間を縫うように流れる天竜川を一望することができます。小さな待合室には、心暖まる手書きの貼り紙がありました。
心のやさしいみなさんへ
秘境金野駅へようこそ
この地区はお年寄が多いんだに。山の中へゴミを捨てられるとガケの途中のゴミ拾いは命がけなんだに。若い? 私達もいつソウナンするやら。おねがい、ゴミは持ち帰ってなあ! いつまでもすてきな秘境を守っていってね。上にも登って来てな。オイデナンショ金野へ
 はい、わかっただに。それにしても命をかけてゴミを拾う、その心意気には頭を垂れましょう。自然を守るということは大変なことなのですね。
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 最後の秘境駅は千代駅(ランキング第43位)です。すぐ近くに民家があり、駐車場には車が一台停まっていたので、秘境駅という雰囲気はあまりありません。紫煙をくゆらしていると、小さな待合室に「禁煙で尊い命を守りましょう」という(五七五の俳句になっていますね)標語を見つけました。われわれ愛煙者への包囲網がじょじょに狭まってくるのを如実に感じる今日この頃、もちろん煙草を吸うのも、郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんな私が悪いのは百も承知です。でも、放射能、車の排気ガス、食品添加物、農薬などなどもっと危険な物質を放置しておいてそりゃないだろという気持ちも幾分あります。こうした危険物の背後に控える大企業と、煙草を楽しむ弱小な個人、勝負にならないのはわかっていますけどね。
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 本日の一枚は、金野駅です。
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by sabasaba13 | 2013-08-26 12:38 | 中部 | Comments(0)

残暑見舞

 残暑お見舞い申し上げます。

 日頃「散歩の変人」を御愛読していただき、ありがとうございます。これから二週間ほどオーストリアに行ってきます。炎熱地を焼く日々がまだ続くかと思いますが、ご自愛を。

 暑気払いに、手持ちの写真の中で涼しそうな一枚をどうぞ。ドロミテのミズリーナ湖です。

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by sabasaba13 | 2013-08-08 06:20 | 鶏肋 | Comments(0)

飯田線編(6):田本駅(12.4)

 次の秘境駅は田本駅(ランキング第4位)、個人的にはここが一番凄かったですね。急峻な崖を抉ってむりやり作ったような駅です。コンクリートで塗り固められた90度近い崖を見上げると、大きな岩がでっぱっていますが、これは撤去工事が危険なためそのまま残されたそうです。ホームの幅は約2mと狭く、ここで通過列車をやりすごせばかなりのスリルを味わえそう。なおこの駅から一番近い集落まで、歩いて二十分ほどかかるそうです。駅ができた当時は、住民の方々が列になって歩いたとのこと。今では自家用車が普及したためか、ほとんど利用する方はいないようです。ホームの端にある急階段をのぼりトンネルの上部に出ると、この駅の全貌を眺めることができました。
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 急斜面にへばりつくように設置されたホーム、チェーホフではありませんが、「神よ、何のために私を創ったのですか」とでも言いたげな風情でした。いや、そりゃあなた、三信鉄道が列車を停めるためですけどね。という減らず口をたたくためにインターネットで三信鉄道について調べてみると、たいへん興味深いことがわかりました。この飯田線を開通させ営業していたのはもともと三信鉄道という私鉄会社で、1943(昭和18)年に国鉄によって戦時買収されました。天竜峡以南の区間は地形が急峻にして地盤が非常に弱く、鉄道建設が極めて困難でしたが、三信鉄道は北海道の多くの鉄道で測量技師を勤めたアイヌの川村カ子トに測量を依頼。川村はアイヌ測量隊10人を率いて断崖絶壁での測量作業をやり遂げ、現場監督もつとめて難工事の末にこの路線を完成させました。アイヌに現場監督されることを嫌う日本人工夫たちの反発が強く、土木作業員に殺されかかったこともあったそうです。なお旭川には、彼が収集したアイヌの民具などを展示する「川村カ子トアイヌ記念館」があるそうです。これはぜひ訪れてみたいですね。さらにこの難工事(八年間で52人の労働者が死亡)をなしとげる中心となったのは、土建労働者として働いた多くの朝鮮人であることもわかりました。しかし労働条件は劣悪で、未払い賃金の即時支給や、一割賃上げなどを求めて、八年間に五回もの労働争議を起こしたそうです。なおプロレタリア文学を代表する作家・葉山嘉樹は、1939年1月から9月まで、この工事現場で帳付けとして働いており、その日記には、朝鮮人労働者に関する多くの記述があるとのこと。この件に関して興味のある方は、広瀬貞三氏の研究をご覧ください。葉山嘉樹はその後、開拓団として満州に渡って敗戦を迎え、引揚げの途中の列車内で脳溢血のため亡くなりました。合掌。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-08-07 07:36 | 中部 | Comments(0)

飯田線編(5):中井侍駅・為栗駅(12.4)

 列車に戻り出発、長い長いトンネルを抜けると、次なる秘境駅、中井侍(なかいさむらい)駅(ランキング第27位)に到着です。長野県最南端、トンネルにはさまれ、崖っぷちにへばりついている健気な駅でした。ホームからは天竜川を一望でき、スロープをのぼると列車と一緒に写真におさめられます。さすがは嗅覚に秀でたつわもの諸氏、幾人もの鉄ちゃんが格好の撮影ポイントにおしかけていました。すると列車の前で記念撮影をしていた男性が、両手をあげて「いえーい」と珍妙なポーズ。するといっせいに「チッ」と舌を打つ鉄ちゃん、思わず緩頬してしまいましたが、まあそう邪慳にしないでもいいでしょう。
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 駅に寄り添うように二軒の民家、牛山氏によると、このあたりは天竜川から立ち昇る川霧が茶葉の生育において絶好な環境を供し、香り高く良質な"中井侍銘茶"を産するそうです。お茶を栽培している農家かもしれませんね。またこの駅に至るまでの道は、スイッチバックを余儀なくされるような屈曲した急坂で、軽自動車以外での到達は物理的にも不可能だということです。
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 なお、インターネットでこの中井侍駅に関する、「ちょっといい話」が出回っているそうですので紹介します。昔、中井侍駅の付近に住む女子高生が、飯田市内の高校に合格し、中井侍駅から飯田線で通学することになりました。しかし彼女の通学時間帯に一本だけ走る快速列車は中井侍駅を通過してしまいます。この話を聞いた鉄道当局は、女のために朝の快速を中井侍に停車させることにしました。彼女が卒業する日、次のような車内放送が流れたそうです。「三年間利用してくれてありがとうございました。明日から中井侍へは止まりませんが、これからもがんばってください。卒業おめでとう」 うーん、いい話しだなあ…ほんとだったら。実はこの話、ウィキペディアによると、JR東海や村役場の職員等の確認は得られないとのこと。真偽は藪の中です。もしかすると僻地に暮す人たちは心優しいはずだという、オリエンタリズム的上から目線が紡いだ伝説かもしれませんね。
 そして列車は平岡駅に到着、ここで待ち合わせのため三十分ほど停車します。ツァーのみなさんは駅構内にある土産売り場に群がっておられましたが、私は駅周辺を散策。天竜川に沿って広がる小さな町ですが、ところどころで咲き誇る桜を愛でながらのんびりと散歩を楽しみました。
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 そして次の秘境駅は為栗駅(ランキング第27位)、こちらは全国有数の難読駅名だそうで、"してぐり"と読みます。列車からおりると、眼前を天竜川が悠々と流れる雄大な風景が広がりますが、民家は見当たりません。すこし歩くと吊り橋があり対岸まで歩いていくことができます(自動車は通行禁止)。牛山氏によると、以前は川岸に沿って集落が点在していましたが、下流にある平岡ダムの工事によって水位が上昇したため、大半の人家が水没してしまったそうです。またこのあたりは川が大きく蛇行し、信州(長野県)から遠州(静岡県)へ向かう舟の舳先が進行方向と逆に向くことから、"信濃恋し"と呼ばれた名勝でもあります。
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 本日の三枚、上から中井侍駅、平岡、為栗駅です。
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by sabasaba13 | 2013-08-06 06:17 | 中部 | Comments(0)

飯田線編(4):小和田駅(12.4)

 列車に戻って車両とプレートを撮影。さあ出発進行です。
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 この後飯田線は天竜川の東岸にそびえる山々の斜面にへばりつくように北上していきます。トンネルをくぐると、最初の秘境駅、小和田(こわだ)駅(牛山隆信によるランキングでは第2位 以下同)に到着です。なるほど、周囲に民家は見当たらず、人の気配もまったくありません。とはいってもどやどやとツァー客が降りてくるので、秘境という雰囲気は一瞬にして消し飛ばされてしまいますが、しようがありませんね。いただいたパンフレットによると、飯田線秘境駅6駅の中で、唯一の有人駅だったそうで、古い木造の駅舎・待合室・切符売り場が残されています。かつては自動車が通れる道路があり、近くには製茶工場跡と廃車となったミゼットがあります。また対岸に行く道もありましたが、佐久間ダムができて集落の大部分が水没したため、廃れてしまいました。秘境駅ファン以外でこの駅を利用するのは、近くにお住まいのご夫婦と郵便局員ぐらいだそうです。なお郵便局の方は、駅から徒歩で一時間程登った塩沢集落まで配達にいかれます。おおっ映画「山の郵便配達」の世界だ。それでは十数分ほどですが、駅周辺を徘徊しましょう。まずは駅名票を撮影、ホームには「静岡県」「愛知県」「長野県」という表示がありましたが、ちょうどこのあたりがこの三県の県境なのですね。ちなみに小和田駅は静岡県に所在します。
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 往時の雰囲気を残す駅舎に入ると、「慶祝 花嫁号」という列車プレートがかざってありました。1993(平成5)年の小和田(おわだ)雅子氏の結婚ブームの時に、同じ名ということでさまざまなイベントが催されたのですね。
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 細い坂道をおりていくと、廃屋やミゼットの廃車がありました。トヨタ博物館でお会いして以来ですね、無残な姿ですが安らかに眠っておられました。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2013-08-05 06:24 | 中部 | Comments(0)