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イタリア編(20):パッツィ家礼拝堂(12.8)

 そしてパッツィ家礼拝堂へ。ん? パッツィ家? てえことはなんだい御隠居さん、メディチ家との抗争に敗れたあのパッツィ家かい。ローマ教皇シクストゥス4世の後押しを受けたフランチェスコ・デ・パッツィは1478年、メディチ兄弟を襲撃、弟のジュリアーノを殺害しますが、兄のロレンツォはかろうじて難を逃れました。暗殺者らは市民にメディチ家への反乱を呼びかけるも失敗。ロレンツォ・デ・メディチの怒りは凄まじく、パッツィ家当主をはじめ100人近くが捕らえられて処刑されました。フランチェスコらは絞首されてヴェッキオ宮の屋上から吊り下げられましたが、その姿をボッティチェッリと若き日のレオナルドが写生した絵が残っているそうです。[『物語イタリアの歴史Ⅱ』(p.127)] またその処刑の様子を、ボッティチェッリが警察署と市庁舎の間の壁にフレスコ画で描きましたが、1494年メディチ家のフィレンツェ追放と共に破壊されました。ミステリー作家の深水黎一郎はこの絵を「残っていて欲しかった名画ベスト3・西洋篇」の第2位に挙げているそうです(講談社『群像』2012年10月号)。この礼拝堂は1429‐46年につくられたので、パッツィ家が全盛を誇っていた頃のものなのでしょう。内部に入って驚愕。まだ網膜に残像が残る、ミラノ大聖堂の重厚で荘厳なゴシック空間となんと違うことか。半円アーチ、ピラスター(付け柱)、円蓋、彩色テラコッタのメダイヨンがすっきりと組み合わされ、それを彩る控え目な幾何学的装飾。この軽やかさと清新さ、ブルネレスキが感じた「時代の精神」が形象化されたようです。
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 無学な輩の贅言よりも、高階秀爾氏の指摘に耳を傾けましょう。
 ブルネレスキの作品の何よりも大きな特質は、建物全体を明快な数学的規則に還元し、各部分の形態や大きさ、比例関係等を、単純で基本的なものに統一した点に、これを指摘することができる。円柱、半円形アーチ、水平な格天井等、彼の建物の基本的構造要素はいずれも最も単純なもので、わずかに見られる装飾要素も、三角形のフロントン(破風)や、メダイヨンと呼ばれる丸窓等、いずれも簡素な幾何学的形態ものばかりである。…それらの要素の組合せの結果生まれてきた空間造形は、ルネサンスのみの持つ清新な力強さに満たされているのである。『フィレンツェ』(p.106~7)
 外観も愛らしいですね、ちょこんと乗っかった天蓋がまるで不時着したUFOのようです。すこし離れて見るのもまた一興、両側に連なる柱廊、礼拝堂、鐘楼、糸杉がまるで一幅の絵のようです。回廊に付属した旧食堂は付属美術館となっており、チマブーエの『十字架像』などを見ることができます。剥落が激しいのは、1966年11月4日に起きたアルノ川の歴史的な洪水によるものだそうです。このサンタ・クローチェ地区では特に被害が大きく、水位は5m80cmにも達しました。そのためこの絵も大きなダメージを受けたのですが、人々の気の遠くなるような忍耐と努力で剥げ落ちた断片をひとつひとつ拾い集め、かろうじてここまで修復することができたとのこと。
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 それではサンタ・マリア・デル・カルミネ教会へと向かいましょう。地図を頼りに細い路地を通り抜け、科学史博物館の前を過ぎるとアルノ川に到着、すぐ目の前にヴェッキオ橋が架かっています。橋の上部を走るのがヴァザーリの回廊ですね。フィレンツェの支配者であったメディチ家の自宅(現ピッティ宮)と執政所(現ウッフィツィ美術館)を結び、一族だけが市内を安全に通行できるように作られた空中回廊です。ウッフィツィ美術館の入口あたりは黒山の人だかり、やはり予約をしておいて正解でした。このあたりで、イタリアに来て三日目、早くも禁断症状が出るようになったジェラートを食べて一休み。そして両側にお店が櫛比するヴェッキオ橋を渡ります。1345年に造られたフィレンツェ最古の橋で、第二次大戦末期のドイツ軍の爆破を免れた唯一の橋だそうです。さすがのドイツ軍も壊すのには忍びなかったのでしょうか。橋の中央には、今、自伝を読んでいるチェッリーニ(Benvenuto Cellini)の胸像がありました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-11-30 07:52 | 海外 | Comments(0)

イタリア編(19):サンタ・クローチェ教会(12.8)

 ジョット(1266頃-1337)についてすこし紹介しますと、フィレンツェ近郊の小村ベスピニャーノに生まれ、羊の番をしながら羊の絵を描いていると、通りかかったチマブーエがその才能に驚き、連れて帰って弟子としたというギベルティの伝えるエピソードがあるそうです。その後研鑽を積み、イタリアの中世美術の優れた成果を吸収して、当時の絵画に、現実的・三次元的な空間表現や人物の自然な感情表現を吹き込む一大変革を成し遂げました。「ヨーロッパ近代絵画の創始者」とも讃えられます。以前、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂で『マリア伝とキリスト伝』壁画を見てぶっとんで以来、その絵のファンとなりました。今回の旅では、こちらと、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂で彼の絵を見るのも大切な目的の一つです。なお礼拝堂の内部には入れず、フレスコ画を正面から見られないのは残念でしたが、入口を塞ぐ手摺りから身を乗り出して拝見。「聖フランチェスコの死」の静謐な力強さには心打たれました。『世界の歴史7 近代への序曲』(中公文庫)の中で、会田雄次氏が"ジォットーはもし彼が出なかったら、近代ヨーロッパの美術史はその相貌をすっかり変えていたろうといわれる""ジォットーは、人間社会の歴史的事件を、最も感動的に、そしてきわめてリアルに画面に構成できた最初の人だといわれる"(p.78~79)と述べられているのも納得です。なお同書で会田氏は、次のようなエピソードを紹介されています。
 ナポリ王に招かれて壁画を描きにいったジォットー、王ロベルトから、自分の王国を絵にしてくれと頼まれた。彼の描いた絵は…一匹の大きいロバが背に王家の紋章をつけた鞍をのせながら、前足のところにおかれた真新しい鞍をしきりに嗅いで、それをのせたがっているというものである。王は驚いて、「一体これは何だ」と聞いた。ジォットーはすまして答えた。「これはあなたの王国で、ロバは国民です。国民はもう毎日、王様を変えたがっています」(p.1~3)
 ひえっ。王の反応は伝えられていないのですが、この後彼等はナポリに四年とどまりいろいろな絵を仕上げて、無事フィレンツェに帰ったそうです。勃興する都市市民層の気概と矜持を感じさせる話ですね。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-11-29 06:17 | 海外 | Comments(0)

イタリア編(18):サンタ・クローチェ教会(12.8)

 それではサンタ・クローチェ教会へと向かいましょう。バスを乗り継いだのですが、次のバスを待っている間、シャッターが閉まった商店を何気なく眺めていると、椰子の木陰のチェアでつくろぐ御仁を描いた貼り紙があり、"dal 4 al 20 agosto"と記されていました。昨日、クレモナにあった貼り紙は"DAL 06/08 AL 20/08"でしたから、夏のバカンスはほぼ二週間というのが相場のようです。でも日本だと、これだけおおっぴらに「遊んでくるぞお」と告げるポスターはあまり見かけませんね。やってきたバスに乗り込み、再びアルノ川を渡ってサンタ・クローチェ広場のあたりで下車。広場の正面に屹立するのがサンタ・クローチェ教会です。
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 フランチェスコ派の拠点として建てられた聖堂で、1385年に本堂がほぼ完成。お目当てはこちらに埋葬された著名人のお墓、ジョットのフレスコ画、そしてブルネレスキ設計によるパッツィ家礼拝堂です。まずは教会の左手にあるダンテ像に表敬、写真を撮らせていただきました。正面左側にまわって入場を待つ列に並んでいると、向かいの建物に六つの球体が並んだ紋章を発見。これが噂のメディチ家の紋章ですね、その意匠については丸薬・吸い玉・貨幣・分銅など諸説があるようです。
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 入場料を支払って中に入ると、そこには広大な空間が広がっています。まずは『地球の歩き方』を頼りに、エンリコ・フェルミ(マンハッタン計画の中心となった物理学者)、ガリレオ・ガリレイ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ジョアキーノ・ロッシーニ、ニコロ・マキャベッリを詣でました。それにしてもこれだけの綺羅星の如き方々が、この教会に埋葬されることを望んだのには、なにか理由があるのでしょうか。アッシジの聖フランチェスコに対する敬慕の念からかもしれません。
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 なおダンテとグリエルモ・マルコーニ(無線通信の発明)の記念碑もありました。
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 そして正面奥にあるバルディ礼拝堂へ、こちらにはジョット(Giotto di Bondone)のフレスコ画『聖フランチェスコ伝』『洗礼者ヨハネ伝』『福音史家ヨハネ伝』があります。ダンテが『神曲』の中で、"絵にはチマーブエ、覇を保たんとおもへるに、今はジオットの呼声高く、彼の美名微になりぬ(浄火第十一曲)"と語った画家ですね。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-11-28 06:18 | 海外 | Comments(0)

イタリア編(17):ミケランジェロ広場(12.8)

 11:05にフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着。それではスーパーニッポニカ(小学館)から、フィレンツェについて簡単な紹介を。
 イタリア中部、トスカーナ州の州都で、フィレンツェ県の県都。名称は「花の都」の意味で、英語名フローレンスFlorence。ローマの北北西277キロメートル、アルノ川両岸の丘陵と扇状地の上に位置する文化・学術都市。とりわけ中世後期からルネサンス期にかけて、文学や美術の世界的中心地となり、その遺産が今日に伝えられている歴史・観光都市として知られる。
 なお、タヒチで知り合ったイタリアの友人Aさん(クーネオに在住の女性医師)もこの列車に乗っていることが、メールのやりとりで分かっています。列車先頭近くのホームで待っていると、向こうから小走りでやってくるAさんを発見。そして山ノ神に抱きつき両頬に熱い接吻。まるでイタリア映画のようだなあ、と感心していると私にも接吻。三人で再会を祝しました。タヒチの後、ポルトとヴェネツィアで旧交を暖めたのでこれで三度めです。そして駅近くのホテル「アルバーニ」にチェックイン、事前に連絡してあったのでAさんもこのホテルに二泊されるとのことです。荷物を部屋に置いていざ出発。フィレンツェには一度来たことがありますが、団体旅行だったので自由時間があまりなく、見残した物件があります。本日はそれらを中心にフィレンツェ見物と洒落込みましょう。まずはAさんのご要望で、駅前の立ち飲みカフェに入って珈琲をいただきました。Aさんが注文したのはもちろんエスプレッソ、くいっと一気に飲んでフィニート。われわれもお付き合いして、くいっ、くいっ。ほんとにイタリアの方はエスプレッソが好きですね。以前にオスロのホテルでの朝食時、イタリア人団体客がコーヒーマシーンに群がって次から次にエスプレッソを抽出しとうとう壊してしまった場面を見たことがあります。
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 それはさておき、天気も良いことだし、フィレンツェを一望できるミケランジェロ広場へと参りましょう。Aさんにお願いして、広場行きのバスを売店で訊ねてもらい、当該のバスに乗り込みました。アルノ川を渡り、しばらく坂道をのぼって広場に到着。ブラーボ! 前回は曇天だったのですが、今日は雲一つない快晴。フィレンツェの町並み、ドゥオーモ、ヴェッキオ宮、ヴェッキオ橋、アルノ川を手に取るように眺めることができました。なおこちらにはミケランジェロ作『ダヴィデ』のコピーが置かれています。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-11-27 06:14 | 海外 | Comments(0)

イタリア編(16):フィレンツェへ(12.8)

 朝の六時に起床、どうやら時差ぼけは解消されたようです。カーテンを開けると、気持ちのよい青空が広がり、気分も爽快。本日はフィレンツェへの移動日。レストランに行っていつものようにここを先途と朝食をたいらげ、ヨーグルトを取りにいくと、山と積まれたドルチェたちが蠱惑的にわれらを招いています。おいでおいで “わが齢の坂路はや降となれるころ”(『神曲』 浄火第十三曲)、かなり腹も出てきたしなあ、でもイタリアに来てこれを食べないわけにはいかないしなあ、うーん、食べよっ。パイを二つ取り分けていただきましたが、やはり美味でした。これは癖になりそうですね。フロントの前を通ると、日本人パック・ツァー御一行のトランク群が並べてあります。ふとタグを見ると、「音楽の旅 ライブ ヴェローナ野外音楽祭とザルツブルク音楽祭でオペラ三昧 8」と記してありました。うーん、いいなあ、贅沢だなあ、垂涎しちゃうなあ。ま、でも団体行動で束縛されるよりも、山ノ神という心強い通訳がいるので個人旅行でいつか訪れてみたいと思います。これにバイロイト音楽祭をくっつけたいな、と♪夢は大きな中年剣士♪でした。
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 部屋に戻って荷物を運び出し、チェックアウトをしてミラノ中央駅へと向かいます。上空を見上げると紺碧の空、今日もお天気は良さそう。構内には、この時期のヨーロッパでよく見かける、バックパッカーの若者たちと出会いました。グランド・ツァーの名残りなのですかね、でも若い時に、こうして貧乏旅行をしながらいろいろな国をまわるのはいい体験だと思います。"全世界は哲学する者にとって流謫の地である"(サン=ヴィクトールのフーゴー) それではわが日本の若者たちはどんな旅をしているのでしょう。近畿日本ツーリストのサイトで「卒業旅行」を調べてみると…"JRこだま号で行くUSJ 3日間 スチューデント・パス1日券付! 大阪のお土産に「カリカリたこやき(小)」おひとり様1箱付!" やれやれ、どうやら自力で旅をつくれない若者がけっこういるようです。ま、安倍伍長が再び首相に選ばれ、石原強制収容所所長が三選されるお国柄ですから、思考停止と想像力の欠如という習い性がしっかりと受け継がれているようです。
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 そしてホームへ、ミラノ9:20発のESスター2等に乗り込みましたが、座席はほぼ満席。やはり指定席をJTBにおさえてもらって正解でした。しばらく車窓からの眺めを楽しんでいると、ボローニャ駅に着きました。ヨーロッパ最古の大学を有し、ボロニェーゼやソーセージなど美食でも知られるボローニャ。いつの日にか訪れてみたいものです。なおここボローニャ出身の方は、ピエル・パオロ・パゾリーニ(映画監督)、グリエルモ・マルコーニ(発明家)、オットリーノ・レスピーギ(作曲家)、アルベルト・トンバ(スキーヤー)だそうです。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-11-26 06:17 | 海外 | Comments(0)

言葉の花綵94

 快楽や便宜が追求され、物がふえ、永遠なるものが覆いかくされ、欲情が起こり、こうして悪が人間を不具にし、その無情の足下に生の華を踏みつぶしながら、大陸から大陸へとい勝利の進軍を続けて行きます。そしてわたしたちは、この死の進軍のために凱旋門を築くよう求められるのです。たとえわたしたちがその進軍を阻止することはできなくとも、せめて、その勝利を認めることだけは拒否しようではありませんか。(タゴール)

 教師の役割は、教師を必要としない人間を作ることだ。(unknown)

 でもね、こういう事はゆっくり考えましょう。みんなが幸せになれるように… (『花田少年史』 壮太のお母さん)

 死者は狡猾である。(キルケゴール)

 われわれには永遠の同盟者もいなければ、永遠の敵もいない。永遠であるのはわれわれの利益である。(パーマストン)

 過ぎ去りし時は
 つねによかりき (ホルヘ・マンリーケ)

 祖父母に劣れる父母
 さらに劣れるわれらを生めり
 われ遠からずして
 より劣悪なる子孫を儲けん (ホラティウス)

 宿屋よりも道中の方がよい。(セルバンテス)

 孤立を求めて連帯を恐れず。(柄谷行人)

 隣人の愚かさに接したり衝突したりすることは、多くの人間にとって彼の人生における最大の苦痛の一つであることは昔から変わりないはずであるのに、わたしの知るかぎりでは、「愚かさに関する研究」が一つも書かれていないのはいったいどうしたことなのであろうか。(オルテガ・イ・ガゼット)

 過去は、われわれがなにをしなければならないかは教えないが、われわれがなにを避けねばならないかは教えてくれるのである。(オルテガ・イ・ガゼット)

 ばかはひねくれ者よりもずっといたましいものだ。なぜならば、ひねくれ者は時には休息するが、愚者はけっして休むことがないからである。(アナトール・フランス)

恣意につきて生くるは平俗なり、高貴なる者は秩序と法をもとむ。(ゲーテ)
by sabasaba13 | 2013-11-25 06:20 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『42 ~世界を変えた男~』

c0051620_6483657.jpg 山ノ神が、"『42 ~世界を変えた男~』(監督:ブライアン・ヘルゲランド)という映画が面白い"という情報をどこからか仕入れてきました。なんでもジャッキー・ロビンソンを描いた映画だとか。たしか黒人初の大リーガーとなった野球選手ですね、でもそれ以上の詳しいことは知りません。ま、野球はきらいではないし(東京ヤクルトスワローズのファンです)、おそらく人種差別に立ち向かう男の姿を描いた真っ当な映画だろうし、暇だし、つきあうことにしました。
 というわけでとある土曜日、山ノ神と「としまえんユナイテッドシネマ」で見てまいりました。さほど期待はしていなかったのですが、これが面白い。ぐいぐいと画面にひきこまれてしまいました。時は第二次世界大戦の終戦直後、ブルックリン・ドジャースのGM、ブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)は、これまで禁忌とされてきた黒人選手を大リーガーとして採用する決意をします。大学時代の友人が人種差別を受けているのに救えなかったことへの後悔、そして愛する野球をプレーする権利は肌の色に関係なくすべての人間にあるはずだという熱い思いからですね。白羽の矢が当たったのは、ニグロ・リーグで活躍する俊足・強打の、そして差別への怒りを胸に秘めたジャッキー・ロビンソン(チャドウィック・ボーズマン)でした。しかし下部組織3Aのモントリオール・ロイヤルズに入団した彼に対して、執拗で陰険な差別が行なわれます。シャワーを一緒に浴びることを拒否し、彼を追い出すために嘆願書をブランチに出そうとするチーム・メイト、ビーン・ボールを平然と投げ込み、彼の足をスパイクする相手チーム。彼に不利な判定をする審判、チームの宿泊を拒否するホテル、そして罵声をあびせ、山のような脅迫状を送りつける野球ファン。愛妻レイチェル・ロビンソン(ニコール・ベハーリー)、記者のウェンデル・スミス(アンドレ・ホランド)、そしてもちろんブランチの助力と激励に支えられながら、厚い差別の壁を静かにはねかえそうとするジャッキー。その毅然とした態度、そして罵声や暴力で応えず、あくまでも真摯なプレーを貫き通す彼の姿が、周囲の白人たちをじょじょに変えていきます。彼に励ましの一言を送る貧しい白人労働者、チーム・メイトとの和解、彼への応援も日ましに増えていきます。そして1947年4月15日(現在はジャッキー・ロビンソン・デー)、ドジャースの本拠地エベッツフィールドに立った彼を迎える万雷の拍手。胸が熱くなるラスト・シーンでした。なおタイトルの「42」はジャッキー・ロビンソンの背番号で、大リーグ唯一の、全球団共通の永久欠番となっています。
 煮えたぎる怒りを抑えながら差別に立ち向かう男を見事に演じたチャドウィック・ボーズマン、その彼を時には優しく時には厳しく支えた信念の男を重厚に演じたハリソン・フォード、二人の演技に拍手を送りましょう。迫力のある野球シーンにも手に汗握ったし、大戦直後のアメリカの市井を忠実に再現した美術・衣装にも唸りました。同じ頃の日本が、この国に焼け跡にされ、飢餓線上で苦しんでいたことを思うと、彼我の経済力の差をあらためて痛感しました。一番心に残ったシーンは、相手フィリーズの監督ベン・チャップマンが、聞くにたえないヘイト・スピーチを彼にあびせかけるシーンです。「ヘイ、ニガー、さっさと綿畑に帰ったらどうだ」「ジャングルがおまえを待っているぞ」「今度の相手は、どの白人の女房だ?」 見ていて握りしめた拳がわなわなとふるえるほどの怒りがこみあげてきましたが、これ実話なんですね。これまでいかなる差別にも耐え忍んできたジャッキーもこの時ばかりは、ベンチ裏の通路でバットを壁に叩きつけ泣き叫びます。言葉がいかに人を傷つけ、人間の尊厳を踏みにじるものか、目の当たりにした思いです。言葉って恐ろしい力を持っているのですね。見るに見かねたチーム・メイトの一人が、その監督に詰めより制止しようとしたのには溜飲が下がりました。その醜悪さによって、自分がこれまでジャッキーを差別してきたことの非に気づいたのでしょう。素晴らしいシーンでした。

 アメリカの宿痾とも言うべき差別問題に正面から向き合ったこの映画を、制作した方々はもちろん、それを受け容れたアメリカ社会にも敬意を表します。たぶん日本でこうした映画を作ったら、「自虐史観だ、上映を止めろ」と自慰史観を持つ方々から攻撃を受けるのだろうなあ、
 そして今、在日朝鮮人の方々に、ヘイト・スピーチをあびせる人たちにも是非見てほしい映画です。先日、友人からその様子を撮影した動画が送られてきたのですが、一見して言葉を失いました。初老の朝鮮人女性につきまとい、「チョン公、チョン公、日本から出て行け、チョン公」と執拗に罵声をあびせ続ける若い日本人男性。じっと耐える彼女の悲しそうな顔が忘れられません。自分たちの不満を的確に説明できない人々の集団的な憤りなのか、差別することが政治的・経済的に好都合だからなのか、よくわかりません。ただその醜悪さにはやく気づいてほしいものです。
by sabasaba13 | 2013-11-22 06:49 | 映画 | Comments(0)

『国の死に方』

 『国の死に方』(片山杜秀 新潮新書500)読了。福島の方々を見殺しにし、社会的弱者を増加させ放置し、日米企業の利益を最優先し、沖縄の方々の苦しみを軽減せず、アメリカの走狗として戦争をしたがり、排外的ナショナリズムを煽ってガス抜きおよび自慰とする安倍伍長政権。そして政策の意図や社会の現状を知ってか知らずか、彼および自民党に投票した多くの人々。やれやれ、日本という国は「死に体」になりつつあるようです。第二次世界大戦の敗北による「国の死」を経験したはずなのに、また同じことを私たちは繰り返すのでしょうか。
 本書は、戦前において日本という国家がどのようにして自壊していったかを、斬新な視点と鋭利な分析で描いた好著です。例えば、日本の宿痾とも言うべきタテ割り行政とリーダー不在を、片山氏は次のように分析されています。その淵源は、近代日本のかたちを作り上げた維新官僚たちが、天皇の地位を安泰にするために考案した仕掛けにあったのですね。江戸幕府や足利尊氏のような政治的大物が現れて天皇に脅威を与えぬよう、最初からできるだけ権力機構を細分化しておく。内閣、議会、裁判所、陸軍、海軍を切り離し、ヨコのつながりを少なくし、それぞれの中身もさらに切り刻む。
 近代世界がアジアの新興国家に求める物事はあまりに煩雑で膨大だ。舵取りをひとつ誤れば亡国の運命が待つ。天皇が自分で物事を決めて間違えたらまずい。現人神が現人神でなくなる。なるべく「よきにはからえ」ということにする。「聖断」は例外である。どうしてもというときは和歌に託すくらいがいい。そんな現人神を仰ぎ見て、まとまりようのないくらいタテに幾つも割れた諸組織が、阿吽の呼吸で何とか協調し、天皇を輔弼し続ける。天皇は永遠に安泰。それが明治憲法体制の理想だった。(p.63)
 そしてこのヨコのつながりが制度的にわざと抑えられたタテ割り組織群を少しでも円滑に働かせるには、薩摩人や長州人のネットワークと、それを使いこなす薩長出身の元老たちが必要でした。しかし、この仕組みには大きな弊害がありました。組織が互に邪魔しあい、強力なリーダーも現れようがなかったため、非常時への対応、国家緊急事態への対処が困難になったことです。のんべんだらりと続く永遠の平時の中で天皇の権力が損なわれないようにすることばかりを考えていた国家。"明治憲法とは国家の自爆装置"という著者の指摘には思わず首肯してしまいました。
 また米騒動から二・二六事件への歴史の流れを、「農民の窮乏」という視点から読み解いた論考もお見事ですね。明治末期から大正初期にかけての人口増と米不足。それに追い打ちをかけるように第一次世界大戦が勃発しました。軍需品・民需品の注文が殺到して日本経済は大戦景気にわきたち、白米や酒の需要が急増。また工鉱業・船舶運輸業が殷賑をきわめ、労働者が大勢入り用となり、日本の都市部に急激に人が集まりました。ときあたかも西日本を中心に米よりも実入りのよい養蚕への転換が加速しつつありました。米不足と米価高騰に対して、不足分は外米や植民地米で補うしかありませんが、大戦はヨーロッパの農業生産量を減らし、世界的食糧不足が現出しています。海運業も引く手数多ですから運賃も急騰、朝鮮や台湾の植民地米は内地米や外米の供給減を補えるだけの量も品質も持っていません。そして1918年、いよいよ本当に引き金は引かれました。ロシア革命への干渉、寺内正毅内閣によるシベリア出兵です。大規模な軍隊を送る、兵糧が必要になる。商社や米問屋は投機的に買いつけに走り、鈴木商店などは植民地米を買い占め、かくして米価は暴騰しました。そして全国的な暴動、米騒動の勃発。今、『橋のない川』(住井すゑ 新潮社)を読んでいるので、餓死線上に追いこまれた庶民の窮状は痛いほどわかります。"国家はしばしば食べ物から崩れる"、著者の言です。
 未曾有の大暴動に、国家は恐怖しました。今後も、しかし米不足か米価の暴騰が繰り返されれば、国家が生き延びられる保証はありません。米騒動が農業政策を劇的に変えることになりました。ここに内地の農業に犠牲を強いても、植民地の農業の振興を優先する国策が遂行されることになります。1920年からの、いわゆる「朝鮮産米増殖十五か年計画」です。それを援護し、特に東北の農民を追い詰めていく契機を作ったのが、後にテロで倒される政党政治家たち、浜口雄幸や井上準之助でした。日本は、いよいよ重工業化を本格的に推し進める時期にさしかかっています。農業は外地(特に朝鮮)に分担させ移転してゆき、内地の農業労働力を工業に振り向けるべきときではないか。産業構造の転換期なのだ。その背中を押すのが政治家の仕事だろう。そういうヴィジョンが米騒動と三・一独立運動を機に、いよいよ試されることになったわけですね。しかし、1931年に東京と横浜で消費された米の四割弱が朝鮮米であるように、朝鮮米による内地米の圧迫はあまりに急激苛烈に進行しました。中でもこれまで首都圏に対する米の供給地であった東北地方が、国策による朝鮮米の積極流通策によって凄絶な打撃を蒙ることになります。1930年代に頻発したテロルやクーデターの背景には、東北地方農民の窮状があったことは言うまでもありません。
 そしてこの内地農村の瓦解が、労働力の大規模な配置転換を可能にし、世界大恐慌からの日本の景気回復にプラスに働いたと言われています。東北をはじめとする全国諸地域から農民が流出し、日本中の工場や鉱山が、日本語のよく分かり、勤勉で過酷な現場も厭わない低賃金労働者を無尽蔵に集められるようになりました。そのおかげで日本の鉱工業の現場は人件費を抑制し、経済効率も高められました。日本中の田舎から農民はどこかへと叩き出され、世界大恐慌以降に目指された新しいこの国のかたち作りに貢献させられたわけですそれでは、大恐慌後の理想の国のかたちとは? 以下、引用します。
 もはやグローバリズムの時代は終わった。世界大恐慌に巻き込まれて難破し沈没するのがオチである。かといって江戸時代には戻れない。鎖国では立ち行かない。近代国家の体裁を維持するには生存圏が必要だ。つまり自給自足圏だ。日本だけでは狭すぎる。資源もない。一国閉鎖の経済でもなく世界経済でもなく、これからはブロック経済だろう。はじめは日本本土と植民地の台湾や朝鮮、それに満洲国をセットにした「日満経済ブロック」の建設が叫ばれた。ブロック内で各々が相応しい仕事を分業する。朝鮮の農業をますます発展させ、日本本土の農業労働力は鉱工業に振り分ける。朝鮮も豊かになり日本も豊かになりブロック全体が豊かになる。米騒動や独立運動の再燃を恐れるなんて消極的な話ではない。共存共栄と効率的経済成長のための積極策だ。たらふく食うための「百年の計」だ。
 でも「日満経済ブロック」ではまだ狭い。資源も足りない。中国の版図も加え「日満支経済ブロック」になった。「東亜協同体論」の構想も出現した。しかし「日満支」の「東亜」ではたとえば石油が足りない。「東亜」は東南アジアも込みの「大東亜」に広がった。
 そうなるとよそのブロックと派手にぶつかる。大戦争になった。戦局は悪化した。戦争末期には海路が断たれた。植民地米が入ってこなくなった。おまけに内地の農村労働力は農業恐慌に兵隊の動員でもうガタガタの歯抜け状態だった。(p.184~6)
 『<新>植民地主義論 グローバル化時代の植民地主義を問う』(平凡社)の中で、西川長夫氏が、植民地主義とは"中核による周辺の搾取の一形態"(p.53)と言われていました。周辺(農村や植民地)を搾取しながら中核が富み栄えるという近代日本のかたちが明確に見えてきました。現代日本においても、福島や沖縄が「内国植民地」であると捉えれば、戦前との連続性も理解できます。

 他にも下記のような、日本の現状を分析する際に参考になるような指摘もありましたので紹介します。
 しかしここで言うファシズムとは、とにかく非合理なのにみんなが流されて誰にも止められないような政治形態のことである。そういうファシズムは確かに平時には成り立ちにくい。非常時の方がファシズム化しやすい。けれど非常時とは戦争に限らない。軍隊がでしゃばらなくてもよい。経済危機でも大災害でも電力不足でも、ヒトラーの掲げた「迫り来る共産主義の恐怖」でも何でもよい。そうした非常事態に対応するためと称して、社会の見通しを悪くし、人々から合理的な判断の基盤を失わせ、世の中が刹那的な気分で運ばれてゆくようになれば、それはもう立派なファシズムなのだ。(p.43~4)

 普通選挙をやればやるほど、大衆の人気を選挙のときだけでもとろうとすればするほど、この国の議会政治は壊れていった。政治的判断能力なき大衆が気分で投票しては、そのあとの展開があまりに選挙時の話と違うので当惑し、次の選挙で怒りをぶちまけようとする。しかし相変わらず判断能力は劣ったままなので、選挙を重ねれば重ねるほど、国のかたちが狂ってゆく。それが昭和初期だった。(p.143~4)
 うーむ、社会の見通しが悪く、人々が合理的判断ができなくなり、世の中が刹那的な気分で運ばれてゆく。そして政治的判断能力なき大衆が気分で投票して、国のかたちを狂わしていく… 嗚呼、今の日本そのものだ。
by sabasaba13 | 2013-11-21 06:16 | | Comments(0)

イタリア編(15):ミラノ(12.8)

 入線してきた列車に乗り込み、一時間強でミラノ中央駅に到着。時刻は午後八時半を過ぎていますが、まだ夜の帳は降りていません。一日乗車券もあることだし、また地下鉄に乗ってドゥオーモを見にいきました。陽はすでに落ち、大聖堂の大理石が夕日に輝く姿は見られませんでしたが、街の灯に映える様子も格別です。ツーリストに頼まれて写真を撮ってあげたら、お返しにドゥオーモを背景にわれらのツー・ショットを撮ってくれました。
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 それでは駅に戻って夕食をとりましょう。地下鉄の構内にあったディスプレイは、EU各国のロンドン・オリンピックでのメダル獲得数を映し出しています。この手のものにはあまり関心がないのかと思っていましたが、そうでもないようです。なお地下鉄のホームに物乞いがいました。そしてミラノ中央駅に到着、実は『地球の歩き方』に「駅1階レストランのラザーニャとティラミスが美味しい」という記事があったので、そのお店にまいりましょう。が、しかし、見つからない。四方八方探しましたが…見つからない。やれやれ、腹もへったしもう眠いし、捜索を断念して近くにあった貧相なピザ屋で間に合わせることにしました。思わず故小渕恵三氏の顔が浮かぶようなピザに、二人して閉口。ま、こんなこともあるさ。おまけにお勘定を払おうとしたら、一人しかいないウェイターが店の前で携帯電話を抱えて"pronto…pronto…"と話しこんでいます。「もう一回やりなおせないか、僕には君しかいないんだ」という雰囲気の表情でしたね。馬に蹴られて死にたくもなし、すこし待っていると会話も終わり、戻ってきた彼に代金を支払って店を出ました。でも日本でこんなことをしたら一発で馘首でしょうね、客の立場からすれば苛つきますが、働く者の立場からすれば羨ましいおおらかさです。こういう"ゆるさ"を相互監視によって根こそぎ潰し、労働者をどん底への競争に駆り立てる日本はいったいどこへ行こうとしているのでしょう。
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 ホテルの部屋に戻り、シャワーを浴び、本をすこし読んで就寝。というわけでミラノでの旅程は終わりました。ちょっと心配していたのですが、掏摸にも逢わず、危険も感じませんでした。掏摸のみなさんもバカンスを楽しんでいるのか、はたまたロンドンに出稼ぎに行っているのか。もしかすると、われわれの貧乏くさい恰好が功を奏したのかもしれません。明日はフィレンツェへ移動、そしてイタリア人の友人、Aさんとフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅で落ち合う予定です。Buonanotte.

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-11-20 06:20 | 海外 | Comments(0)

イタリア編(14):クレモナ(12.8)

 丁重にお礼を言って退室、入口にあったストラディヴァリの銅像を記念撮影。なお申し遅れましたが、コムーネ宮はかつての市庁舎です。楽器屋さんのショー・ウィンドウを撮影し、すぐ近くにあるコムーネ広場へ、中世イタリアを代表する最も美しい広場のひとつだと『地球の歩き方』では紹介されていました。なるほど、威風堂々としたドゥオーモ、町のシンボルであるトラッツォ(鐘楼)、瀟洒な洗礼堂が並び建つ景観はなかなかのもの。中世自治都市の面影をしばし愉しみました。
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 すぐそばにもあったストラディヴァリの銅像を撮影し、弦・木管楽器製作者養成学校のまわりを一周。
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 ふたたび町の中心へと戻ると、カフェのテラス席で六人のおじさんたちが仲睦まじく、四方山話に花を咲かせていました。その先で、ほんとうにおいしそうに幸せそうにジェラートを食べているおじいちゃんを見かけました。さっそくその店に入って、ジェラートを注文。列に並んで待つ人が数人いましたが、ほんとうにみな幸せそう。たまたま目が合った親子連れが"Buonasera"と言ってくれました。そして差し出されたレモンのシャーベットとチョコレートのジェラート、ほんっとに美味しうございました。
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 ローマ広場は木立に囲まれた広場で、市民の憩いの場となっています。みなさん三々五々、あちこちのベンチに集って楽しげに語らっておられました。西瓜をカートに乗せて運ぶダンディなおじさんの後姿を、思わず撮影。
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 なおこの広場に面したガレリアの壁面上部に、ストラディヴァリの住居を示すプレートがあります。
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 それでは駅へと戻りましょう。先程より人出が増え、商店も店を開きはじめました。どうやら真夏は、午後六時半ごろから街が活気を帯びるようです。自転車で買い物に出かけるおばさん・おじさん、乳母車をとめて語り合う若い夫婦、イタリア地方都市の何気ない日常の一齣を垣間見られました。何ともゆったりとした穏やかな時間が流れているようです。平和、許多の年の間、世の人泣いてこれを求めき。(『神曲』浄火第六曲) 気のせいか、日本の地方都市より人々が幸せそうに見えました。道路工事現場では今日の仕事は終わったようで人影が見当たりません。
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 ここを左に曲がってガリバルディ大通りを歩きましょう。こちらはシャッターを閉めた店が多く、あるお店に貼ってあったお知らせには無人島の絵が描いてあったので(おいおい鮫がいるぞ)、おそらくバカンスに行っているのでしょう。それにしても"DAL 06/08 AL 20/08"とは… まったくもって羨ましいかぎりです。古い建物もところどころに残る落ち着いた雰囲気の通りをしばらく歩いていくと、街並みにしっくりとなじんだ渋い教会がありました。左手前にある丸い建物は洗礼堂ですね、わかるようになってきたぞ。駅の近くにはKEBAP屋があったので、イタリアでも日常的に食べられているようです。そして駅に到着、気持ちの良い散策でした。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2013-11-19 06:24 | 海外 | Comments(0)