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イタリア編(84):市立公園(12.8)

 すぐそばに、たくさんのレンタル自転車が駐輪してありましたが、これはシティバイク・ウィーンというシステムで、こうした無人レンタル・ステーションがリンク周辺に十数か所設置されているそうです。さて、シュヴェーデンプラッツ駅から地下鉄U4に乗ってホテルへと向かいましょう。入口には乗車券をパンチするための青い刻印機がありましたが、われわれはウィーン・カードを持っているので後顧の憂いなく通り抜けました。
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 車内にあった優先席を示すピクトグラムは老人・怪我人・幼児連れ・妊婦、これは日本と同じですね。平日の9:00‐15:00には自転車を持ちこめるという点が大いに違いますが。そしてPilgramgasse駅で下車、すぐ近くにあるのが今夜の塒、オーストリア・トレンド・ホテル・アナナスです。
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 日本のツァー客が多いという話をJTBで聞いたので、ちょっと身構えましたが、日本どころか世界各地からのツァー客ご用達のホテルでした。いやあ五月蠅いこと五月蠅いこと、辟易してしまいました。フロントでチェックインをしていると、脇から老年の男性が割り込んできてフロントの係と何やら英語で交渉をはじめました。「私たちが先ですよ」と(日本語で)制しても、馬耳東風、結局十分ほど待たされるはめになりました。今回の旅行で不愉快だった二つ目の出来事です。部屋の準備ができていないということなので、フロント近くの小部屋に荷物を預かってもらい、それではウィーン見物にでかけましょう。再び地下鉄U4に乗ってまずは市立公園へ、Stadtpark駅で下車してすぐ近くです。1862年に、ウィーンではじめての市立公園としてオープン、子ども連れの家族がのんびりと時を過ごされています。
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 そういえば『河童が覗いたヨーロッパ』(妹尾河童 新潮文庫)にこんな話がありましたっけ。
 ウィーンの公園でヨチヨチ歩きの幼児が、近寄ってきた鴨をつかまえようとした。その瞬間、母親がその子を抱き上げ、力まかせにお尻をぶった。子供は大声で泣いたが、まわりのベンチの人々は、それを見て「それでいい」というように一様にうなずいていた。ウィーンに十年以上住んでいる友人が言った。「こっちの人は、子供に"他の人と共有しているものを犯すと、お前は生きていけないよ"ということを教えこむのに特にキビシイからね。日本とは叱るところが違うのよ。それに、他人の子供にだって、ためらわずに注意してるわね」(p.17)
 みんなで共有している環境を放射能で汚染した東京電力、および連帯責任のある自民党・官僚のみなみなさまのお尻を力まかせにぶちたいと思うのは私だけでしょうか。ある一画には、これでもかこれでもかとベンチが並べられていましたが、どこかの国のように寝転べないよう障害物を設置するようなことはありません。なおこの公園にはブルックナー、シューベルト、レハールの彫像が木々の間に置かれていますが、何といっても有名なのが黄金のヨハン・シュトラウス2世像。
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 山ノ神といっしょに映してあげようと訪れると、撮影待ちの行列ができていました。しばし待って写真撮影、そして近くにあるBeethovenplatzへ行きベートーベン像を撮影。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2014-02-28 06:14 | 海外 | Comments(0)

イタリア編(83):ウィーン(12.8)

 以上、拙い要約でした。というわけで、戦後のオーストリアと日本には、戦争責任からの逃避と歴史の忘却という点で類似したところがあるのですね。しかし大きな違いは、国際的な批判を契機に、歴史に対して真摯に向き合う努力をはじめたことです。日本の場合は、教科書問題や慰安婦問題という批判を受けても、今に至るまで歴史から眼を背け続けています。さきほどの飛行機内でもらった新聞「FINANCIAL TIMES」に、"Anti-Japan protests flare across China as crisis deepens over disputed islands"という記事が載っていましたが、尖閣諸島や竹島をめぐる問題にも、日本のそうした態度に対する怒りや憤懣が反映されているのではないのでしょうか。ここで疑問に思うのは、何故、オーストリアに対しては国際的(というよりは欧米による)批判が沸き起こったのに、日本に対してはそれが起こらないのか、という点です。欧米、特にアメリカら歴史問題に対する批判が起きたら、属国である日本は慌てふためいて態度を変えるはずなのに。ここで思い出すのは、エメ・セゼールが「帰郷ノート/植民地主義論」(平凡社ライブラリー)の中で述べている言葉です。
 彼らがヒトラーを罵倒するのは筋が通らない。結局のところ、彼が赦されないのは、ヒトラーの犯した罪自体、つまり人間に対する罪、人間に対する辱めそれ自体ではなく、白人に対する罪、白人に対する辱めなのであり、それまでアルジェリアのアラブ人、インドの苦力、アフリカのニグロにしか使われなかった植民地主義的やり方をヨーロッパに適用したことなのである。(p.138)
 白色人種を虐殺した白色人種は許せないが、黄色人種による黄色人種の虐殺には関心がないということなのでしょうか。
 論点が少々ずれましたが、オーストリアと日本における歴史教育の違いについて、一言。2000年5月に出されたオーストリアの前期中等教育の教育課程基準では、教育の目的を次のように掲げています。
 普通教育学校は、知識の獲得と能力の開発、そして価値の伝達につとめるものであり、その際には自立的かつ批判的な思考が特に促されることになる。(中略)普通教育学校での授業は、人権を守る義務を負った民主主義に積極的に貢献しなければならない。自ら判断し、批判し、決定し、行動する能力を育むことが、多元的で民主主義的な社会の安定にとって決定的に重要である。生徒たちは、ますます国際化する社会のなかで、世界に対する開放性を教えなければならない。
 日本の中学校学習指導要領、歴史的分野の目標は以下の通り。
 歴史的事象に対する関心を高め、我が国の歴史の大きな流れを、世界の歴史を背景に、各時代の特色を踏まえて理解させ、それを通して我が国の伝統と文化の特色を広い視野に立って考えさせるとともに、我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる。
 "自ら判断し、批判し、決定し、行動する能力"を重視する国と、"国民としての自覚"を重視する国。ま、日本という国家は、判断と決定を人任せにし、批判も行動もしない国民を育成したいのでしょうね。そして、「所得の多い家庭の子どものほうが、よりよい教育を受けられる傾向」を「やむをえない」と考える人が52.8%を数えるわが日本(朝日新聞2013.3.21朝刊)、いよいよ日本は奈落の底へ動き出したようです。ね、安倍伍長。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2014-02-27 06:21 | 海外 | Comments(0)

イタリア編(82):ウィーン(12.8)

 そうこうしているうちに搭乗の時間となりました。飛行場内を移動するためのバスに乗って降りると、ひさかたぶりのプロペラ機。ぷるんぷるんと元気にプロペラをぶんまわし、午前11時ごろ離陸しました。
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 しばらくすると、まるで雪を戴いたような険しい山々が見えてきましたが、あれがきっとドロミテですね。Auf Wiedersehen! 配られたお菓子と飲み物をいただいていると、やがて平地となり、短冊型に整地された畑地が続くともうウィーン(Vienna)は間近です。
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 12時ちょっと過ぎに、飛行機はウィーン国際空港に着陸。
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 ターミナルの手荷物受取所で荷物が出てくるのを待っていると、壁面に大きな楽譜が描かれているのに気づきました。どりゃどりゃと近づいてみると、さすがはウィーン、レハールの『メリー・ウィドウ』の譜面でした。こいつは夏から縁起がいいわい、私、挿入歌「唇は黙っていても」が大好きなんですもの。
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 ふるぼけたトランクとしょぼくれたテニス・バッグを受け取り、税関を通り抜けて到着ホールへ。『地球の歩き方』によると、市内への移動手段はリムジンバス(Vienna Airportlines)、シティ・エアポート・トレイン(CAT)、Sバーンの三種類があるそうですが、移動距離が短いということでリムジンバスを選択。売り場でチケットを購入しましたが、そうそう、ウィーン・カード(Wien Karte)を買っておきましょう。市内の交通機関が72時間乗り放題になり、さらに主要博物館の入場料が割引になって、お値段は18.50ユーロというすぐれもの。なおリムジンバスも割引になることを後で知った山ノ神、「なんてもったいないことをしたの」と落ち込んでいました。そういう「六日知らず」なところに惚れたのさ。
 バス乗り場には、恥じらうことなく臆することなく灰皿が堂々と置かれていました。お言葉に甘えて一服、喫煙に寛容なオーストリア、大好きです。バスに乗り込みいざ出発、車内に貼ってあったピクトグラムは、「静かに」「大きな荷物は持ち込むな」ということでしょうか。
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 二十分弱でシュヴェーデンプラッツ(Schwedenplatz)に到着。ここで地下鉄U4に乗り換えです。ここモルツィン広場にあるのが、以前に来た時も気になった、石にはさまれた男の銅像です。とりあえず今回も撮影しておきましたが、最近読んだ『観光コースでないウィーン 美しい都のもう一つの顔』(松岡由季 高文研)でその由来が判明しました。第二次大戦中、ここにはナチスのゲシュタポがあり、ナチスに抵抗したオーストリア人が収容され、処刑されたり強制収容所へと送られたりした場所だったのですね(p.22)。これはその記念碑、よって男は囚人をあらわし、上部の石には"NIEMALS VERGESSEN(二度と忘れない)"と記され、その両側にはダビデの星(ユダヤ人)と逆三角形(政治犯)が刻まれています。なおオーストリアはナチス・ドイツによって併合された被害者であるという見方は、本書によると正確ではないようです。ナチスおよびホロコーストに荷担し、戦後もその歴史や記憶を封印し続けてきたのですね。以下、私の文責による本書の要約を記します。
 もともとハプスブルク帝国の時代から、"文化の一部"と言われるほどユダヤ人への嫌悪感は烈しいものがありました。そして世界恐慌による不況の中で、ユダヤ人は搾取、失業、生活苦などのすべての責任を「社会悪の元凶」として押しつけられることになりました。知的分野で成功をおさめていたユダヤ人たちに対する妬みも日に日に大きくなりました。また、経済的チャンスを求めてウィーンにやってくる貧しいユダヤ人が増えていくことにも、ウィーン市民はいい顔をしませんでした。経済が低迷していたオーストリアでは、その原因と責任を、自分たち以外の何かに見つけなければやりきれないような状況だったのです。1938年にヒトラーがオーストリアを併合したとき、多くのオーストリア人が歓迎したのは、ヒトラーがオーストリア人の心の中にある望みを解決してくれるに違いないと考える人が多かったからです。ヒトラーの反ユダヤ主義を受け入れる土壌は、この時代すでに多くのオーストリア人の中に根づいていました。ユダヤ人を追放し、あるいは強制収容所へと移送することによって、商店の主人はユダヤ人への借金を帳消しにでき、ビジネスマンや大学教授はユダヤ人と競争しなくてもすむようになり、追い出されたユダヤ人の家が廉価で市場に出回るなど、多くのオーストリア人が何かしら経済的なメリットを得ていました。戦後、オーストリアでユダヤ人問題を放すことがタブー視されることになった原因の一つです。結局、オーストリアにいた約20万人のユダヤ人のうち、約6万5千人がホロコーストによって殺されています。なおこのウィーンにおけるユダヤ追放政策を実践したのは、オーストリアに育ったアドルフ・アイヒマンだったのですね。オーストリアにおけるナチ党員の割合は約10%、これはドイツの約7%を上回っており、オーストリア国民のナチ政策への加担はきわめて大きかったことがわかります。
 戦後、オーストリア人は表面的にはナチスやホロコーストを批判してきましたが、心のどこかでナチズムやホロコーストに共感する人々も少なくありませんでした。第二次世界大戦中にナチスに加わっていた政治家、弁護士、教授、医師などの多くは、その地位を追われることなく戦後も同じポストにとどまりました。これに対して非難する人々は多くはありませんでした。若者から老人まで、ナチスにかかわった人があまりに多かったために、政府は元ナチスの登録者を処罰の対象として社会から遠ざけておくよりも、早く社会の一員として復帰させ、新生オーストリアの社会と経済を復興したいと考えていたのです。そこで、重罪者と軽罪者とに分けて、ほとんどの人が軽罪者であったとして恩赦を受けることができるようにしました。そして重罪者のみを処刑することで、ナチスの問題は片付いた、として幕を下ろそうとしたのです。
 しかしオーストリアの人々にとって衝撃的な事件が起こります。1986年の大統領選挙中、候補者のワルトハイム氏(元国連事務総長)がナチスに関わっていたことが暴露されたのです。しかしワルトハイム氏は国民によって大統領に選ばれました。これに対して、オーストリアという国全体が過去への批判を欠落させているとして激しい国際的非難が起こり、国民はさすがにショックを隠しきれませんでした。しかし、この非難の中で、オーストリア国民は自分たちが過去の清算を十分にやっていないことに気づき、長い間にわたって無視してきた「過去」に取り組む努力を始めたのです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2014-02-26 06:20 | 海外 | Comments(0)

イタリア編(81):ウィーンへ(12.8)

 朝目覚めて窓を開けると、今日も良いお天気です。運河を行き交う船にBuongiorno! いやそろそろドイツ語モードに切り換えましょう。Guten Morgen! 運河の見えるテラスで、朝食をいただき、部屋に戻って一休み。
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 ウィーンへ行く飛行機はヴェネツィア・マルコ・ポーロ空港を10:55に出発、ローマ広場から空港まではバスで約二十分。転ばぬ先の杖、石橋を叩いて渡る、ヴェネツィアの悪夢が再来しないよう、すこし早目の午前八時にホテルを出ることにしました。チェックアウトをして、お世話になったホテルの全景を撮影。
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 そしてヴェネツィア・サンタ・ルチア駅の前を通り過ぎ、♪重いコンダラ試練の道を…♪と歌いながら、山ノ神のトランクを持って橋を渡りローマ広場に到着。8:15発空港行きのバスに乗り込みました。渋滞もなくバスはさくさくと走り、九時前にはマルコ・ポーロ空港に到着。
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 チェックインをして荷物を預けてもまだ一時間半も時間があります。羹に懲りて膾を吹く、さすがに早く来すぎたかな。ま、とるものもとりあえず一服しようと喫煙室に行くと、ガラス張りの広々とした空間に、洒落た椅子と個別の灰皿が並んでいました。ワシントン条約で保護してほしい喫煙愛好家としては破顔一笑。いろいろな空港で喫煙室に入りましたが、文句なく最高のものです。お土産屋さんに入ると、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」がゴンドラを吹き飛ばしているマグネットを売っていました。
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 山ノ神と合流し、カフェで珈琲を飲みながら、ウィーンでの行程についてレクチャー。帰国するのは明後日なので、今日の午後と明日一日を観光に使えます。実はウィーン訪問はこれで三度目、セセッシオンもシェーンブルン宮殿もパスクァラティハウスも国立オペラ座もシュテファン寺院も中央墓地もプラーターの観覧車もハイリゲンシュタットもフンダートヴァッサーハウスもベルヴェデーレも軍事史博物館もフロイト博物館もゴミ焼却場もフォルクス・オパーもマジョリカハウスもカール・マルクス・ホーフも見てしまったので、今回は落ち穂拾いを考えています。楽友協会、市立公園、アウガルテンの高射砲台座、プルンクザール、アルノルト・シェーンベルク・センター、郵便貯金局、音楽館は見落とせませんね。そうそう、迂闊にも不覚にも不学にも往路の飛行機内にあったオーストリア空港の機内誌ではじめて知ったのですが、今年(2012年)はグスタフ・クリムト生誕150年。よってクリムトに関する特別展が各美術館で開かれているそうです。それを目当てに、美術史博物館・ベルヴェデーレ・セセッシオンを再訪し、ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツを訪れるつもりです。識者が聞いたら眉を顰め舌打ちをしそうな濃厚強行スケジュール、いや山ノ神は微笑んでいます。たぶんよくわかっていないのでしょう。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2014-02-25 06:21 | 海外 | Comments(0)

イタリア編(80):ヴェネツィア(12.8)

 麓の駅に着いたのが14:30、余裕の吉本隆明で15:15発のバスに間に合います。なおこのロープウェイの標高差は約2000m、持参したペット・ボトルがべこべこにへこんでいたのには驚きました。そしていよいよコルティナの町とお別れです。オリンピック・スケートリンクよさようなら、プラネタリウムよさようなら、美しい街並みや山々よさようなら。
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 そして預けておいた荷物を受け取るためにスプレンディド・ホテル・ヴェネツィアへ。モガ・モボ風の洒落た男女表示よ、さようなら。
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 トランクをごろごろと押しながらコルソ・イタリアへ。ジェラートをよく食べた馴染みの店よさようなら。そして旧コルティナを利用したバス・ターミナルに到着です。やってきたバスのトランク・ルームに荷物を積み込み、予約しておいたチケットを運転手さんに渡して着席。
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 そして15:15、定刻通りバスは動きだしました。Arrivederci, Cortina d'Ampezzo!  Arrivederci, Dolomiti! 名残りを惜しむ間もなく、バスは停車。何だ何だ何が起こったんだ。運転手さんがバスをおり、しばらくして戻ってくると、イタリア語と英語でわれわれに説明を始めました。山ノ神が訳してくれたところによると、空調機器の不調のため冷房がきかない、代替のバスが来るまでここで待つか、この状態で行ってしまうか、みんなで決めてくれとのこと。やれやれ。代替バスが来るまでの時間は不明ということなので、大多数の意見はこのまま出発というもの。というわけでかなり暑いのですが、窓を全開にしてヴェネツィアに向かうことになりました。やれやれ。
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 熱中症にならぬよう適宜水を飲みながら湖や渓谷の風景を車窓から眺め、やがてうとうとしていると、バスはラグーナ(潟)にかかる長い橋梁を列車と並行して疾駆していました。
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 そして三時間半ほどでヴェネツィアのローマ広場に到着、時刻は午後七時すこし前です。明日の空港行きのバス乗り場と時刻表を確認し、♪おおきなふくろをかたにかけ、だいこくさまがきかかると…♪と口ずさみながら山ノ神のトランクを持って橋を渡り、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅の近くにあるホテル・コンチネンタルへ。チェックインをして案内されたのは、この前と同じ運河に面した部屋でした。
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 いやはやさすがに疲れましたね、ベッドに倒れ込み二人でしばらく仮眠をとりました。気がつけば午後九時、それほど空腹ではないので町にくりだし軽い夕食をとることにしました。ホテルの近くにある安食堂でビールとロール・サンドをいただき、ヴェネツィアの夜景を楽しみながらしばし散策。イタリア最後の夜、やはり締めはジェラートでしょう。途中にあった店で注文し、今生の別れを惜しむようにジェラートを味わいました。さあ明日はウィーンへと移動です。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2014-02-24 06:00 | 海外 | Comments(0)

イタリア編(79):トファーナ山(12.8)

 さあそれではフェデーラ湖へと戻りましょう。アンブリッツォラ鞍部を越えて、さきほどの道をのんびりとおりていきます。途中であった家族連れとマヌエラさんが挨拶を交わし、しばし会話に花を咲かせました。山ノ神が幼い娘さんに「キティ」のポケット・ティッシュをあげたら大喜び。
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 そしてクローダ・ダ・ラーゴ小屋に到着。車が来るまで、小屋のテラスで待つことにしました。マヌエラさんによると、ここのチーズ・ケーキが美味だというので、さっそく彼女の分も含めて注文。濃厚な味の手作りチーズ・ケーキを楽しみました。時刻は午前11時半、さっきは誰もいなかった湖周辺にはたくさんのハイカーが押し寄せています。やはり早起きは三文の得ですね。気温もだいぶ上がり、水飲み場では丸太の流し場に犬がおさまり、水浴びの真っ最中。
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 そしてランドクルーザーがやってきました。ボノ、ビル・クリントン、ビョルン・ボルグときたので、今度はチェット・ベイカーかはたまたジェリー・マリガンか。ああっ、ボノだ! ファローリア山でお世話になったルカさんだあ。思わず駆け寄るわれわれ、山ノ神を抱擁し私と握手をかわすルカさん、三人で再会を祝しました。これもセレンディピィティ(serendipity)の為せる業かもしれません。驚き顔でいたマヌエラさんも事情を聞いて納得の様子。さっそく車に乗せてもらうと、ルカさんは抜群のドライビング・テクニックで山を駆け下りていきます。チンクエ・トッリやトレ・チーメの思い出話に花を咲かす山ノ神とルカさん、ふん、悔しくなんか…あるぞ。努力しないで英語が喋れるようになる方法なんて…ないですよね。途中で、クローダ・ダ・ラーゴに歩いて向かう何人ものハイカーとすれちがいました。中には私たちの車を止めて、「車をつかまえたいのだがどうすればいい?」と訊ねる御仁も。「もう予約でいっぱい」と断るルカさん。やはりツァーを利用して正解でした。往路で送ってくれたマッシーモさんともすれ違い、ルカさんと何やら打ち合わせ。どうやらピストン輸送のようですね。
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 そしてコルティナの町に到着、お願いしてロープウェイ乗り場まで送ってもらいました。マヌエラさんとルカさんに丁重にお礼を言ってお別れしました。Arrivederci ! 現在の時刻は12:40、バスの発車時刻は15:15なので余裕の吉田松陰で間に合うでしょう。ところが好事魔多し、機械のトラブルのため出発が十分以上遅れました。
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 やっと二本目のロープウェイ駅に着いたところ、またもや遅延。三十分ほど待ってやっと復旧です。
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 しかしバスの発車時刻まであと一時間半、猪突猛進か勇気ある撤退か、"虎穴に入らずんば虎児を得ず"か"君子危うきに近寄らず"か、慎重居士の私としては後者を選びたいのですが、山ノ神は「乗るぞなもし」と松山弁で断言。「でも上に行ってまたトラブルがあったらバスに乗り遅れるよ」「大丈夫」「根拠は?」「何となく」 Q.E.D. ヴェネツィアの悪夢をいまだ忘れない私としては二の足三の足を踏みますが、"汝の意志は自由にして健全なればそのむかふがまゝに行はざれば誤らむ(『神曲』浄火第二十七曲)""妻の意見と茄子の花にゃ、千に521ぐらいしか無駄がない"、その根も葉も根拠もない自身に賭けてみましょう、というか私に選択の余地はありません。供奉させていただきましょう。二本目のロープウェイに乗って中間駅Ra Valles(2475m)に着くと、思いもかけず三本目のロープウェイにすぐ乗り継げました。「もんだどんない」と腹を張る山ノ神、はいはい(「はい」は一回でいいの)、目盛りを508に下げましょう。山頂駅Tofana di Mezzo(3243m)に着いて展望テラスに出ると、先日とはうってかわり視界は良好。言葉を失うような凄絶なるパノラマを堪能することができました。幾重にも連なるドロミテの岩山、そしてその中に浮かぶ"黄金の盆地"コルティナ・ダンペッツィオの町。これは一見の価値あり、山ノ神の蛮勇に感謝感激雨霰です。
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 とはいっても時刻はすでに14:00、下りのロープウェイが止まってしまったら万事休すなので、そそくさと下山することにしました。案ずるより産むが易し、ロープウェイは三本とも何の問題もなく運行、ドロミテの美しい眺めに落ち着いた気持ちで別れを告げることができました。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2014-02-23 07:39 | 海外 | Comments(0)

イタリア編(78):クローダ・ダ・ラーゴ(12.8)

 そして湖から離れ、湖面に魁偉な姿を映していたベッコ・ディ・メッツォディ山(Becco di Mezzodi)に向かって、山の斜面に沿ったハイキング・コースを歩いていきます。左手下方の牧草地には、バイクに乗って牛たちを集める牧童がいました。連なる岩山、絶壁、緑なす木々や牧草地、絶景を愛でながら歩いていくと、やがてコルティナの町やフェデーラ湖も望めるようになります。道の両側で憩う牛さんたちの間を抜け、湖から一時間ほどでアンブリッツォラ(Ambrizzola)鞍部に到着。
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 稜線の分岐を右へ下ると、またそこには素晴らしい景観が広がっていました。モンデヴァル(Mondeval)の牧草地というそうですが、連なる岩山を背景に広大な緑の丘陵が折り重なっています。
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 ここで草の上に座り、小休止。爽やかな風と清新な空気と草の匂いを味わいながら、しばらくぼーっと風景を眺めました。帰国後に読んだパステルナークの『ドクトル・ジバゴ』(原子林二郎訳 時事通信社)の中に以下のような言葉がありましたが、あの光景を思い返すとよくわかります。
 ああ、人間の雄弁の醸す空ろな退屈さ、薄っぺらな美辞麗句から逃れて、ものいわぬ大自然の中にかくれ、長い、骨もうずく労働、熟睡、真の音楽、感情に圧倒されて言葉を喪った人間間の意思疎通の深い沈黙のなかにひそむことができたら、どんなに素晴らしいだろうか! (Ⅰp.205)

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2014-02-22 09:24 | 海外 | Comments(0)

イタリア編(77):フェデーラ湖(12.8)

 朝目覚め、窓を開けて、これでお別れとなる風景を目に焼き付けました。朝日に輝く岩山や、コルティナの町並よ、Arrivederci !
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 朝食をいただきながら、山ノ神に本日の行程についてレクチャーをしました。午前中はクローダ・ダ・ラーゴ(Croda da Lago)半日ツァーを楽しみ、三本のロープウェイを乗り継いで、標高3,244mのトファーナ・ディ・メッツォ(Tofana di Mezzo)の山頂へ。三日前には曇天のため視界が悪かったのですが、今日なら素晴らしい眺望が見られるでしょう。再挑戦です。そして15:15発のバスに乗ってヴェネツィアへ行き宿泊。明日は飛行機でウィーンへと移動する予定です。部屋に戻って荷物をまとめていると、山ノ神がしこしこと折り紙をはじめました。枕銭とともにベッド・メイクの方に贈る作品は、百合の花。さてそろそろ時刻は8:30、フロントでチェックアウトをして荷物を預かってもらい、ホテルの前へでると約束通り白いランドクルーザーと、どことなくビル・クリントンに似たマヌエラさんが待っていてくれました。挨拶を交わして料金250ユーロを支払うと、運転手のどことなくビョルン・ボルグに似たMassimo Dallagoさんを紹介してくれました。いただいた名刺を見ると、タキシード姿でスキーをする彼の写真が載せられていました。ルカさんと同様、冬場はスキーのインストラクターをされているのですね。
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 さあ出発です。車は町中を走り抜け、やがて未舗装の細い山道をのぼっていきます。なるほどこりゃタクシーでは無理だ。まずはLago de Ajalという小さな湖を訪問。
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 再び車に乗ると、いよいよ道は急勾配となり曲がりくねった狭い砂利道が続きます。しかしこの間、マヌエラさんとマッシーモさんは喋りっぱなし、よくも舌を噛まないものだと感嘆仕りました。ほんとうにイタリアの方ってお喋りが大好きなのですね。というか、人と逢ったらまずは会話をするというのが自然な本性になっているようです。
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 やがて牛の群れる牧場を抜け、がたこんがたこんと山道をのぼっていくと、ようやくフェデーラ湖(Lago di Federa)に到着です。ここでマッシーモさんとはお別れ、帰りは違う運転手さんが迎えにきてくれるとのこと。
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 クローダ・ダ・ラーゴ小屋(Rifugio Croda da Lago)でトイレを拝借し、まずはフェデーラ湖を一周。鏡のように周囲の風景を写す湖の姿を愛でながら半周ほどすると、どこかで見たことがある美しい景観が目に飛び込んできました。ここだ! 『地球の歩き方』に掲載されていた素晴らしい写真、峨々たる岩山、さまざまなニュアンスの緑色で彩られた丘陵や木々、それらを鏡のように完璧に映す小さな湖は、この場所から撮影したのですね。湖面に浮草が繁茂していたのと、野の花々が咲き誇っていないのがすこし残念ですが、素晴らしい景観であることには変わりません。歩を止め、写真を撮影し、しばし見惚れました。うーん、ほんとうに来てよかった。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2014-02-21 06:27 | 海外 | Comments(0)

言葉の花綵99

 名声とは誤解の総体である。(リルケ)

 誤解し合う程度に理解し合えれば十分だ。(ポール・ヴァレリー)

 時よ止まれ、君は美しい。(『ファウスト』 ゲーテ)

 生も暗く、死もまた暗い。(『大地の歌』 マーラー)

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。(unknown)

 金はセックスと似ている。それが気にかかるのは大抵それがないときだ。(ジェームズ・ボールドウィン)

 だれでも金を欲しがるという考えは、金の亡者どもが自分の病気を自分に納得させるために広めているプロパガンダである。(フィリップ・スレーター)

 協力してもらうには、笑顔と銃を使ったほうが笑顔だけを使うよりも有効だ。(ジョン・ディリンジャー)

 我が国が必要としているのは、永久的な戦争経済である。(ジェネラル・エレクトリック社長 チャールス・ウイルソン)

 人は自分の持っているものしか旅から持ち帰れない。(ゲーテ)

 若者は幻を見、老人は夢を見る。(unknown)

 嵐のごとく こゝろ揺するもの
 雨のごとく こゝろ濡らすもの
 茨のごとく こゝろ刺すもの (大木實)

 多忙とは怠け者の遁辞である。(徳富蘇峰)

 女を悪く云う男の大部分は或る一人の女の悪口を云って居るのである。(グールモン)

 社会主義は、歴史的に先行する諸段階のそれぞれの最高の達成物の弁証法的な総合である。部族社会からは、野蛮を、古代社会からは、奴隷制を、封建社会からは、主従関係を、資本主義からは、搾取を、そして社会主義からは、名前を、それぞれ取ってきて総合した。(ポーランドのジョーク)

 中国には交通ルールはない。強いて言うと、事故を起こさないというのが交通ルールである。(某中国人留学生)

 歴史はナショナリズムの原料である。ケシがヘロインの原料であるように。(エリック・ホブズボウム)

 人間のおそろしいまでの「健忘症」に対する継続する闘いが、私の作品なのだ。(オットー・ディックス)
by sabasaba13 | 2014-02-20 06:21 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『政府は必ず嘘をつく』

 『政府は必ず嘘をつく -アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること』(堤未果 角川SSC新書)読了。同じ著者による『(株)貧困大国アメリカ』(岩波新書)がたいへん面白かったのと、書名に惹かれて、本屋さんで即購入しました。これはハワード・ジンという歴史学者の言葉だそうです。"政府は嘘をつくものです。ですから歴史は、偽りを理解し、政府が言うことを鵜呑みにせず判断するためにあるのです"(p.19) アメリカを貧困大国化させている元凶である〈コーポラティズム(政府と企業の癒着)〉を推し進めるため、政府がいかなる嘘をつき、国民がそれを信じた結果、この十年で何が起こったのか。TPPによって次なるカモにされようとしている私たちとしても、ぜひ知っておくべきでしょう。あるアメリカ人が語った話です。
「財界の思惑に押された政府やマスコミ、自由貿易推進者たちは、数十年前からずっと同じことを言って国民を欺いてきました。海外から安い製品が山のように入ってくる、支払額が減って皆ハッピーだろう? と。ですが彼らは、この安価が連れてくるもうひとつのコスト、この国の経済を根柢から破壊するもうひとつの高いコストについては決して言及しないのです」
「もうひとつの高いコストとは、何でしょうか?」
「自国の製造業です。その兆候は、〈99セントショップ〉が国中に現れた時から始まっていました。政府の規制緩和によって、製造業が次々に国外に出て行き始めた頃です。政府やマスコミの言う〈グローバル化〉〈国際競争力〉という耳触りのいい言葉の下で、私たちは思考停止していたのかも知れません。モノがびっくりするほど安く買えることに夢中になって、気づいた時には失業率も跳ね上がり、賃金は海外労働者の出現で下がり、手に取るもの全てが海外産になっていたのです」
「自由貿易で国が繁栄するという政府の言葉は、事実ではなかったと?」
「繁栄どころか、もし我々の国から第二次産業が流出し続けていったらどうなります? アメリカという国は消滅してしまう。国家の形をした、巨大な株式会社になってしまうでしょう。財界と政府の距離が近くなりすぎると、国の優先順位が国民ではなく企業利益という数字に変わるのです。そして、優先順位の下に落ちた私たちには、正確な情報は知らされなくなるのです」 (p.78~9)
 福島や沖縄で起きていることを見ると、私たちの優先順位が落とされたことを思い知らされます。第一位、アメリカ合衆国、第二位、大企業、着外、国民。「東京オリンピックによる景気と元気の回復」という虚言に弄されて躍っている方々に、この冷厳なる事実に気づいてほしいものです。例えば2011年11月、その東京都が放射性物質瓦礫を受け入れましたが、都から費用をいただいてその処理を行なうのはただ一社、「東京臨海リサイクルパワー」で95.5%東京電力が出資している子会社なのですね。東京電力は、瓦礫処理にかかる費用を一切負担しなくてもいいどころか、汚染瓦礫の処理で利益を得ることができ、さらに瓦礫焼却による発電からも利益を得られることになります。 なぜ、東京都は都民の反対を無視して、瓦礫の受け入れと焼却を強行したのか。そして、入札とはいえ、なぜ東京電力のグループ企業が瓦礫の焼却をすることになっているのか。
 設立以来、東電に天下りした官僚の約半数を、東京都幹部が占めている(2位は経済産業省)。そして東京都は、東電の大株主なのだ。株主はその企業に損失が出ると影響を受ける。税金を使った政府プロジェクトについて、私たちはそこで動く資金と受注企業、関連団体を注意深く見てゆく必要があるだろう。(p.166~7)
 やれやれ、石原元強制収容所所長が、批判に対して「黙れ」と一喝したのも宜なるかな。心の中では「都民なぞどうでもいいんだ、俺と都の利権に口を出すな」とおっしゃっていたのでしょう。第一位、首長と都官僚、第二位、大企業、着外、都民。
 さて「政府や権力者は嘘をつくもの」と銘肝したうえで、単に政府を批判するだけではなく、未来を創る際の選択肢を他人任せにせず自分で考えなくてはいけない、と堤氏は主張されます。そのためには正確な情報と他の選択肢を提示するマスコミの役割が欠かせないのですが、その現状を見ると、堤氏と同様に暗澹たる気持ちとなります。本書で紹介されていたジプシー・トーブ氏(ロシア人ジャーナリスト)の言です。
 私の国であれだけ政府に都合がいい報道をさせようとしたら、ジャーナリストを拷問することになるでしょう。いったい日本政府は、どんな方法を使っているのですか? (p.95)

by sabasaba13 | 2014-02-19 06:17 | | Comments(0)