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越後編(2):佐渡へ(13.3)

 7:55に新潟港から出航するジェットフォイルに乗船するため、午前七時すこし前にホテルをチェックアウトしました。街灯には「客引きを許さないまち 新潟県・新潟県警察」というステッカー、うーむよほど客引きの横行に苦悩しているのでしょう。駅前からバスに乗って佐渡汽船ターミナルに行き、乗船券を購入して乗船。
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 そして定刻通り、7:55に出航。曇天の下、鉛のように重たくひろがる日本海をジェットフォイルは疾走、午前九時には両津港に接岸しました。
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 佐渡の山なみにも雪が降りつもっています。ターミナル内にある観光案内所でパンフレットをいただき、椅子に座って一人作戦会議。タクシーを一日借りきって、佐渡を一周するという強行軍をするつもりです。両津を出発して、時計と反対回りに次の物件・景勝地・史跡をまわってもらいましょう。弾埼(はじきざき)灯台、大野亀、車田、平根崎、夕鶴の碑、尖閣湾、相川金山、佐州館(宮本常一の宿 太宰治も宿泊)、時鐘楼、春日崎と大石灯籠、森医院主屋、宿根木、矢島・経島、小木と小木民俗博物館、喜八屋旅館旧館、大石、赤泊、姫埼灯台、北一輝の墓と生家、両津カトリック教会。そして忘れてはいけないのが、ここ佐渡は、わが畏敬する宮本常一が1959~60年にフィールドワークを行ない、対馬に続いて大きな足跡を残したということです。『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(佐野眞一 文春文庫)によると、彼はこの佐度調査をきっかけにして、地域振興を含めた"済民家"の一面を強く発揮することになりました(p.395)。この話はまたあらためて触れましょう。
 乗り場で客待ちをしていたタクシーに乗り込み、運転手さんに行程を説明、一日貸し切り料金を確認するとなんと36,000円。うむむむむむ、かなり高いがいたしかたありません。手を打ちましょう。時刻は午前九時半過ぎ、それでは佐渡一周の旅に出発しましょう。おっとその前に、佐渡という島の地形について、わが敬愛する宮本常一氏の『私の日本地図⑦ 佐渡』(未来社)から引用します。
 佐渡はHという字をすこし押しつぶしたような感じのする島で、島の両側を南北に山脈がはしり、中央が平野になっている。そして西側の山地を大佐渡、東側の山地を小佐渡とよび、中央の平地を国中といっている。金北山は大佐渡の主峰で、シベリアから吹きわたってきた風が、雪をふくんでこの山にはげしくぶつかるとき、山は真白になる。山が白くなると人びとは冬のきたことを知るのである。
 雪のくるのも早いが、とけるのも早かった。島のまわりを南から北へ流れている対馬海流は暖流で、島は北海にありながら、西北の風の吹かぬ日は九州西辺の島々におとらぬほどあたたかいのである。つまり、冬は暗い日がつづくけれども、雪をもたらす風が止むと急に春めいてくるのが佐渡である。(p.5~6)
 なるほど、さきほど見えた雪を頂いた山々が大佐渡、そして金北山だったのですね。さらに佐渡の歴史や風土について、『北一輝』(渡辺京二 ちくま学芸文庫)から引用します。
 …佐渡は、はやく古代において、みちのくの貢租を京にもたらす幹線航路の経由するところであったばかりでなく、幕藩時代には、いわゆる西廻り回船の寄港地として海上交通の要衝だったのである。近世後期の佐渡は、わずか幅三十キロの海峡をへだてる越後よりも、むしろ瀬戸内との関係が深い。私はこの事実を田中圭一編の『佐渡海運史』で知って、瞠目した。同書によると、佐渡の小木港に塩飽諸島を基地とする讃岐船がひんぱんに寄港したのは、寛政より化政期にかけてであって、佐渡の金毘羅信仰はこの讃岐船によって将来されたものという。佐度と讃岐間には人や財貨の流れがあったばかりではない。同書の示唆するところでは、佐渡弁の関西風な抑揚は瀬戸内からの影響であるらしい。つまりここには現代人には見えなくなった海上の道というものがあって、「瀬戸内と佐渡は意外にちかい」(同書)のである。
 海上の幹線道路に位置する佐渡は、他国びとの寄りつどうところでもあった。順徳天皇、僧日蓮、歌人京極為兼などふるい流されびとのことは措くとして、近世の佐渡の港には、毎年立ち寄る諸国の船があり、あるいは風待ちして冬を越すこともあった。彼らは土地の女を仮りの妻とし、子をなし、さらにその地で死んで寺の過去帳に名を残した。つまり、これはにぎやかな島であった。こういう島がたんなるわびしい辺境であるはずはない。しかもこの島は、うちにひろい平野も奥深い山険も、さらには湖さえも抱いた大島であり、その自然は複雑な陰影にみちている。島人の気質が古拙撲直な味わいから遠く、かえって複雑かつデリケートなものを感じさせたとしても、それは不自然ではない。(p.14)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2014-05-31 08:08 | 中部 | Comments(0)

越後編(1):新潟へ(13.3)

 2013年の三月末、わりと長い休暇がとれたので、六日間をかけて新潟と佐渡を旅してきました。島フェチの小生としては未踏の地・佐渡、古い建築が残り坂口安吾の故郷でもある新潟、サフラン酒造の鏝絵を見たい長岡、町屋の残る村上、斬新な意匠のカトリック教会がある新発田、木崎村小作争議記念碑、妻入りの町並みと良寛の故郷・出雲崎、柏崎刈羽原発、越後のミケランジェロ・石川雲蝶の作品が残る浦佐、そしてイタリアン・醤油カツ丼・若鶏の半身揚げ・カリーナ・洋風カツ丼・カレーラーメンなど大人を蠱惑する数々のご当地B級グルメと、見どころ・食べどころが満載の地です。上記の物件をベースに、後はいつものように臨機応変・融通無碍に行程をアレンジしていくことにしました。持参した本は『堕落論・日本文化私観』(坂口安吾 岩波文庫)です。

 東京では桜も開花し、わが家の近くでは新緑との対比がきれいだったのですが、新潟はどうでしょう。東京駅から14:12発の上越新幹線「とき327号」に乗り込み、一路新潟をめざしました。上毛高原駅を通過し、全長22,221mの大清水トンネルと抜けると、川端康成の言う通り、そこは雪国でした。
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 雪を戴く山々や雪原を眺めていると、列車は燕三条駅に到着。このあたりからはもう道路に積雪がなくなっているので一安心。そして16:16に新潟駅に着きました。
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 ホームに貼ってあったステッカーは、新潟名産のヤリイカ・新潟和牛・日本酒・ベニズワイガニ・十全なす・寒ブリをデザインしたもの、雲美ちゃんの如く「じゅるる」と涎が垂れてきます。"祝 佐渡のトキにひな誕生! 国内野生で36年ぶり! エキ菓子「朱鷺の巣立ち」"というポスターもありました。
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 まずは今夜の塒、新潟駅近くにあるホテルレオパレス新潟にチェックインをしましょう。裏道には「個室ヌード 宇宙船」を擁する怪しい一画もあり、旅情をもりあげてくれます。
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 ホテルの部屋に荷物を置き、新潟駅前にある観光案内所に立ち寄りました。親切で色が白い女性の担当者からパンフレットを山ほどもらい、「鳥忠本店」で、ご当地B級グルメの「半身揚げ」をいただきました。肉汁迸る鶏のモモ肉に舌鼓を連打。食事をしながらさきほどいただいた観光パンフレットを読破。木喰仏を見ることができそうなので、旅程に組み入れましょう。駅前の大看板「おせんべいの街へウェルカム マツケン」と、コンビニに貼ってあった「客引き・スカウトは犯罪です!! 客待ちも禁止」というポスターを撮影。旅愁をかきたてられるなあ。酒屋で地酒「〆張鶴」を購入してホテルに戻り、シャワーを浴び、一献傾けました。さて明日の旅程をどうしましょう。明晩の宿は佐渡ですが、明日は新潟を徘徊して、夕刻の船で佐度に渡り、明後日にタクシーで島を周遊して新潟に戻るか。はたまた朝に佐渡へ渡って周遊、一泊した後、早朝に新潟へ戻るか。天気情報を見ると、明後日の方が天功は悪そうです。よろしい、後者の旅程で行きましょう。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2014-05-30 06:31 | 中部 | Comments(0)

『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』

 『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』(下村治 文春文庫)読了。なんとも大胆な書名ですが、内田樹氏の『街場の憂国論』(晶文社)で紹介されていた本です。著者の故下村氏は大蔵官僚にしてエコノミスト、池田勇人内閣の経済ブレーンとして高度経済成長の理論的支柱となった方だそうです。本書は1987(昭和62)年に上梓されたもので、アメリカの国際収支赤字の元凶は日本であると攻撃するレーガン大統領に抗して書かれた随筆です。何といっても白眉は下記の一文でしょう。以下、引用します。
 では、本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べてどうやって生きて行くかという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。中には外国に脱出する者があっても、それは例外的である。全員がこの四つの島で生涯を過ごす運命にある。
 その一億二千万が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である。
 もちろん、日本は日本でそういう努力を重ねるが、他の国は他の国でそういう努力をする。そこでいろんな摩擦が起きるのは当然のことである。それをなんとか調整しながらやっていくのが国際経済なのである。(p.95)
 うむむ、これほど直截に明快に経済の本質を述べた文にははじめて出会いました。まさしく経世済民。「己一人だけがいかに豊かになるか」を声高に昨今の風潮に辟易しているだけに、一陣の涼風のように心を駆け抜けます。そして列島に住む日本人の暮らしを保障するために、近現代の日本は二種の産業を育成してきたというのが著者の分析です。まず多くの人に就業の機会を与えるための、生産高の割に人手を多く必要とする生産性の低い部門。もう一つが、徹底的に合理化して相対的に人手をあまり必要としない生産性の高い部門。よって国民経済を守るために、前者(代表的な例が農業)を保護するのは当然である。もちろんこれは世界各国にもあてはまる道理です。つまり保護貿易主義は国際経済の基本であり、それぞれの国にある、生きるために維持すべき最低の条件を無視した自由貿易は百害あって一利なし、というのが著者の主張です。
 そしてアメリカ政府が自由貿易主義を金科玉条にする背後には、多国籍企業の論理が存在すると分析されます。その論理とは、国民生活の安定なぞ眼中になく、「勝手気儘にやらせてくれ」と言わんばかりに利潤獲得に邁進するというものです。今で言えば、新自由主義ですね。

 氏の言われる「国民経済VS多国籍企業」という構図で考えると、現在の状況を理解しやすくなります。安倍伍長は、国富を生産性の高い産業に集中し、生産性の低い産業を切り捨てるおつもりなのでしょう。要するに、一億二千万人をすべて食わせていくつもりなどは毛頭ないと。まずは国民が安心して暮らせるようにするのが政府の最大の責務であるという、当たり前だけど大事なことを思い出させてくれる好著です。

 なお気になる点が二つほどあったので指摘しておきます。まずは下記の一文をご覧ください。
 自由貿易主義の決定的な間違いは、国民経済の視点を欠いていることだ。
 こういう思想にとびつくととんでもないことになる、ということはチリが示している。この国は、フリードマンの、保護貿易はやめてしまえという主張に同調して、完全に自由貿易にしてしまった。ところがどうなったか。たちまち経済はメチャクチャになり、国全体が大騒ぎになった。そうして、逆戻りしてしまったのだ。(p.96)
 当時のチリを支配していたのは、"もう一つの9・11"、1973年9月11日にクーデターでアジェンデ政権を倒して独裁者となったピノチェト。フリードマンとは、ミルトン・フリードマン、「規制緩和・民営化・社会支出削減」を三本柱とした自由放任資本主義(新自由主義)の実現に東奔西走したシカゴ学派の総帥ですね。下村氏はさらっと流して書かれていますが、このクーデターと自由貿易(新自由主義)には深い連関があることが、『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(ナオミ・クライン 岩波書店)を読んでよくわかりました。これはピノチェト、チリの資産家、そしてCIA、アメリカのグローバル企業、そしてフリードマンの薫陶を受けた経済学者(シカゴ・ボーイズ)が協力して行なった、チリに新自由主義を導入させるためのクーデターだったのですね。これ以降、クーデターや戦争や大災害を隠れ蓑にして、同じ政策が何重もの国々で実施されていきます。ブラジル、アルゼンチン、イギリス(フォークランド紛争)、イラク、そしてアメリカ(ハリケーン・カトリーナ)でも。チリはそうした反革命の起源、恐怖の起源だったというのが前書の主張です。上梓されたのが1987年なので、下村氏が気づかなかったのも仕方ないでしょう。でももう私たちは分かっています。新自由主義=自由放任資本主義=大企業の勝手気儘にやらせてくれ主義は、私たちがコークスクリュー・パンチをくらって朦朧といている隙に、無理やり口からねじこまれるのだということを。銘肝しましょう。

 もう一つは下記の一文です。
 つまり、これら(※筆者注:日本国憲法・教育基本法・国語国字問題)はGHQの日本弱体化政策の置き土産なのである。そして、戦後の日本は、この置き土産をもとにして政治や経済や文化活動を続けてきた。その中でとくに、アメリカが期待した以上に日本の伝統否定、伝統的な価値否定、日本人の自尊心の否定といったことを推進してきたのが日教組なのである。
 その日教組が教育を支配してどうなったかというと、それは教育現場の荒廃である。教育現場が荒廃したことによって、児童教育に空白が生じ、日本人の考え方の弱さというものが生まれてきた。日本人として主体的にモノを考えることができなくなった。
 たとえば、国旗を見てもなんの感動も起こさないのは日本人だけだといわれる。世界中の青少年を船に乗せて船上教育を行うといった行動が最近は多いが、他の国の子供たちは自国だけではなく他国の国旗が出てくるとピシッと直立不動になるのに対して、日本人だけはモヤモヤしている、というような状態である。
 これでは、自分たちの国や社会を望ましいものにするために、汗を流したり、場合によっては血を流すという考えは出てこない。(p.209~10)
 ここまでしっかりとした根拠や実例に基づいて、論理的に主張を展開されてきた著者が、教育のことになると感情的になり論の歯切れもわるくなります。"国旗を見ても感動しないのは日本人だけだといわれる"、誰が言ったの? その根拠は? 国旗を見て感動する方は、日本を望ましいものするために汗や血を流すものなのでしょうか。福島や沖縄の人びとを見殺しにしている安倍伍長を筆頭とした政治家・官僚諸氏は、国旗に対してピシッと直立不動してますけれど。
by sabasaba13 | 2014-05-29 06:41 | | Comments(0)

言葉の花綵104

 化石燃料を食う輸送手段は、地球に対して最も暴力的である。(ヒタールチ師)

 非暴力の方法は、反対者や圧制者、あるいはいわゆる敵を辱めようとも、打ち負かそうともしません。非暴力は、和解への道を開く友情と理解を勝ち取ることを追求します。そうすれば、どちらか片方が負けるということはなく、両方が勝つのです。非暴力は抑圧される者の解放であると同時に、抑圧する者の解放でもあります。(マーチン・ルーサー・キング)

 私たちが劇的に変化しないかぎり、私たちは人類だけでなく地球をも滅ぼしてしまうでしょう。核兵器とそれが示唆するものについて考えてみて下さい。生き長らえるためには、全体的で気高く明瞭さに満ちた生活が必須です。それはユートピアでも贅沢でもなく、緊急の必要なのです。(クリシュナムルティー)

 私たちはもっと労働について語らなければならない。労働のもつ内容は、現在語られている多くの恋愛よりも、インテリゲンチャのある種の悩みよりも、ないしは消費生活の絢爛さよりも、はるかに豊富で、人類を益するものである。(徳永直)

 箒! 本来の姿にかえれ! (ゲーテ 『魔法使いの弟子』)

 憂き事のなほこの上に積れかし 限りある身の力ためさん (山中鹿之助幸盛)

 痛いところは隠そうとするほど打たれる… 打たれるのを気にせず攻めろ。(『龍 RON』 内藤高治)

 守・破・離 (unknown)

 近代的国家権力は、単に、全ブルジョワ階級の共通の事務をつかさどる委員会にすぎない。(『共産党宣言』 カール・マルクス フリードリッヒ・エンゲルス)

 There is no wealth, but life (富何者ぞ、ただ生活あるのみ) (ジョン・ラスキン)
by sabasaba13 | 2014-05-28 06:27 | 言葉の花綵 | Comments(0)

生家

由井正雪生家(静岡県由比)
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木下杢太郎生家(静岡県伊東市)
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犬養毅生家(岡山県岡山市)
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木下利玄生家(岡山県足守)
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後藤新平生家(岩手県水沢)
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萩原朔太郎生家(群馬県前橋)
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ジャン・ジャック・ルソー生家(ジュネーヴ)
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モーツァルト生家(ザルツブルク)
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シューベルト生家(ウィーン)
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北一輝生家(新潟県佐渡)
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ベートーヴェン生家(ボン)
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ピカソ生家(マラガ)
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レオナルド・ダ・ヴィンチ生家(ヴィンチ)
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岡本喜八生家(鳥取県米子)
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岩崎弥太郎生家(高知県安芸)
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北原白秋生家
(福岡県柳川)
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宮沢賢治生家(岩手県花巻)
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渋沢栄一生家(埼玉県深谷)
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小村寿太郎生家(宮崎県飫肥)
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水木しげる生家(鳥取県境港)
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竹久夢二生家(岡山県邑久)
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田中正造生家(栃木県佐野)
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徳富蘇峰・蘆花生家(熊本県水俣)
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荻原守衛生家(長野県安曇野)
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北村西望生家(長崎県南島原)
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森鴎外生家(山口県津和野)
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by sabasaba13 | 2014-05-27 06:38 | 写真館 | Comments(0)

京都錦秋編(20):慈照寺銀閣(12.12)

 それでは哲学の道へと参りましょう。途中にあった「GOSPEL」というレストランに立ち寄って、グラタンと珈琲を所望。1982(昭和57)年にヴォーリス建築事務所によって建てられたという、なかなか洒落た洋館です。
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 店内にあったかわいいトイレ男女表示を撮影。
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 そして特別公開されている霊鑑寺と安楽寺を拝観しましたが、やはり紅葉の見ごろは過ぎていました。後者は茅葺きの山門へ至る石段を覆うモミジのトンネルが見事なのですが、ちょっと残念。
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 法然院はそこはかとなく侘びた風情と数寄屋造りの山門が良い味をかもしだしており、私の好きなお寺さんです。
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 慈照寺銀閣を秋に訪れるのははじめて、期待したのですがそれほど紅葉は多くありませんでした。銀閣寺垣、銀閣寺型手水鉢、東求堂、そして銀閣を撮影しながら、錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式庭園を散策。
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 すぐ近くにある白沙村荘は、日本画家・橋本関雪が半生を費やしてつくりあげた庭園です。観光客もすくなく、まったりとした気持ちで錦秋を楽しめました。
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 となりにある食事処「はしもと」でトイレを拝借すると、おかめ・ひょっとこの男女表示でした。
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 現在の時刻は午後三時ちょっと過ぎ、新幹線は午後六時発なのでまだ時間はあります。余力もあるので、長駆、圓光寺と曼殊院まで足を延ばしてみましょう。白川通を一路北へ、二十分ほどで圓光寺に到着です。こちらの紅葉はもう終わり、庭一面を散り紅葉が埋めつくしていました。近くにあった飛び出し小僧を撮影して曼殊院へ。
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 以前にこちらで素晴らしい紅葉を拝見したので期待したのですが、やはり見頃は過ぎていました。江戸前期につくられた書院には、瓢箪型の引戸や富士型の釘隠しなど桂離宮とも共通する見事な意匠が見られるのですが、撮影は禁止。この前は撮ることができたはずなのですが。「写真を撮り帰られますと、後日ご自身に差し障りな事があります。撮影はご遠慮下さいますようお願いいたします」という慇懃無礼な注意書きがありました。でも「危険 載ってはなりませぬ」と獅子吼するお茶目な閻魔さまぐらいは撮ってもいいでしょ。
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 それでは京都駅へと向かいましょう。がっしゅがっしゅと四十分ほどペダルをこぎ、駅近くのラーメン屋「第一旭」へ。昨晩食べた「新福菜館」と隣り合わせ、まるで巌流島の決闘のような趣です。ラーメンと餃子を所望、どこか懐かしい醤油味スープと香ばしい九条ねぎを堪能しました。
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 ホテル京阪京都に立ち寄って荷物を受け取り、京都サイクリングツアープロジェクト(KCTP)で自転車を返却。駅前にあった「CAFFE VELOCE」で珈琲をいただいて冷えた体を温め、新幹線で帰郷の途につきました。
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 本日の六枚は、安楽寺、法然院、銀閣寺、白沙村荘、圓光寺、曼殊院です。
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by sabasaba13 | 2014-05-26 06:37 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(19):金戒光明寺(12.12)

 なおこのあたりは岡崎公園と言いますが、けっこう綺麗な紅葉が散見されました。
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 そして平安神宮へ、こちらの神苑には入ったことがありません。もしや紅葉の穴場ではないかと幾許か期待して入園したのですが、思ったほどではありませんでした。残念。日本最古の電車を撮影し、公衆便所に入ったところ、和式便座と洋式便座の使用法についての四カ国語の解説がありました。後日談ですが、ここをつくったのが名庭師・小川治兵衛(植治)だと、帰郷してからわかりました。臥龍橋などいろいろ見どころがあったのですが気がつきませんでした。己の眼は節穴だったのだと痛感。再訪を期しましょう。
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 次に向かうは真如堂。なお途中に長い行列ができている「グリル 小宝」という洋食屋がありましたが、今調べてみたところ超ドレッドノート級オムライスで有名だそうです。肉汁のあふれだすハンバーグも美味しそうだし、機会を見つけてぜひ寄ってみたいものです。十数分ほどペダルをこぐと真如堂に到着です。私はこのお寺さんが大好き、広い境内を埋めつくすモミジもさることながら入場料、もといっ、拝観料がロハなのが素晴らしい。五重塔もいいアクセントになっていますが、残念なことに完全に見頃は過ぎていました。でも綺麗な散り紅葉が見られたので諒としましょう。
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 そしてお隣の金戒光明寺へ、「城構え」「要所に近い」「千名の軍隊が駐屯できる」ということで、幕末に会津藩が本陣としたお寺さんですね。会津藩殉難者墓地もありますが、以前に拝見したので今回は省略。2011(平成23)年の法然上人八百年大遠忌を記念して新たに整備された池泉回遊式の庭園「紫雲の庭」を見学、池に枝を張り出す紅葉が見事でした。
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 本日の三枚は、真如堂(二枚)と紫雲の庭です。
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by sabasaba13 | 2014-05-25 09:46 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(18):京都市美術館別館(12.12)

 その先にあるのが京都市美術館別館で、かつて岡崎公会堂があった場所です。1922(大正11)年に全国水平社の創立大会が行なわれたところで、その記念碑が建てられています。
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 後学のため、転記しましょう。
建立の辞
 大正十一年三月三日、全国から三千人の部落大衆が、この地、京都市岡崎旧公会堂に集い、歴史的な全国水平社創立大会を開いた。永い間の差別と屈辱の鉄鎖をみずからの力と団結によって解き放とうとする部落大衆はここに蹶起した。人間の自由と平等を求めてやまないこの炬火はついに燎原の炎となって燃えあがっていった。
 水平社はかくして生まれた
 人の世に熱あれ、人間に光あれ
 と結ばれたこの創立宣言は、日本の近代民主化に黎明をもたらす最初の人間宣言の栄誉を担うものとなった。
 それはこの宣言が単に部落解放のみならず、すべての人間の解放を目指す普遍的な原理に根ざしているからである。
 このようにして生まれた解放運動は、幾多の試練と苦難を克服して、今もなお発展継承されている。
 本日、ここに水平社創立六十周年を記念して永く先人の偉業をたたえるとともに、国民的課題として部落差別を解消する決意を表わすため、この碑を建立するものである。
    昭和五十七年三月三日     京都市
 なお先日読み終えた住井すゑの『橋のない川』(新潮社)にも、水平社創立大会のことが語られていました。
 さて、皆さん、さいごに一つご記憶願いたいことがあります。それは、他人をあわれむとか、いたわるとかいうことは、そのこと自体、既に相手を低いもの、弱いもの、卑しいもの、劣るものとして差別しているのだということです。人間は生れつき、あわれでもなければみじめでもありません。黒人であれ、白人であれ、地球上の人間は、人間としてみな平等に尊いのです。この尊い人間をあわれにし、みじめにするものは何か。それは国の仕組みであり、社会の仕組みでありますことは、もうおわかりいただけたことと思います。そこで私たちは、人間は生れながらにしてみな平等に尊い存在だという宇宙の原理に基き、このたび"水平社"を組織しまして、只今全国の同志に呼びかけております。幸い、諸般の準備も進みまして、来月三日、京都の岡崎公会堂で全国水平社創立大会を開催いたすことになりました。当日は是非皆さんのご参加を希望する次第であります。(第四巻p.274~5)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2014-05-24 06:30 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(17):高台寺(12.12)

 幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」は省略して、紅葉の穴場という情報を手に入れた正法寺へと向かいましょう。長い石段をのぼると廃寺のように荒涼とした本堂がありました。もちろん観光客は皆無。きれいに色づいたモミジやイチョウがあり、京の町を一望できる穴場です。
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 門の前にも見事に紅葉したモミジの古木がありました。その脇の石段をおりていくと、「坂本龍馬 中岡慎太郎など幕末志士葬送の道」という碑を発見。ここは正法寺参道で、かつてその境内に在京志士の葬儀をおこなった霊明社があったそうです。
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 すこし歩くと正面に八坂の塔が見えてきました。竹内栖鳳邸跡の前を通り、高台寺へ。
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 さすがに紅葉の名所と言われるだけに、たいへんな賑わいでした。モミジは散りはじめ、でもところどころで綺麗な紅葉が見られます。方丈と庭園、開山堂、臥龍池、臥龍廊、霊屋、傘亭、時雨亭をめぐりながら、紅葉を撮影。
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 そして高台寺の塔頭、円徳院へ。北政所ねねが余生を過ごし終焉の地となったところです。方丈で長谷川等伯の障壁画を拝見し、北書院から北庭を鑑賞。いくつもの巨岩を配した枯山水庭園で、小堀遠州が整えたそうです。縁側に座ってしばし見ていたかったのですが、団体の拝観客が陣取りその余地がありませんでした。
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 落ち着いた風情の石畳がつづく石塀小路をすこし歩き、駐車場へと向かいました。
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 三年坂には竹久夢二寓居跡がありましたが、彦乃が東京から来るまでの数か月をここで過ごしたそうです。
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 再び自転車にまたがって五条坂をかけおり、粟田神社をめざします。青蓮院にある大楠は大好きな巨木で、いつも写真に撮ってしまいます。
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 そのすぐ近くにある粟田神社は情報通り、紅葉の穴場です。参道の石段脇や本殿周辺に、たくさんの紅葉したモミジがあり艶を競っていました。
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 次は平安神宮です。途中にあった京都府立図書館は、ファサードが古い洋館だったので写真におさめておきました。今調べてみると、1898(明治31)年に関西建築界の父・武田五一の設計で建てられましたが、阪神・淡路大震災(1995)で甚大な被害を受け、前面だけ保存して再建されたとのことです。道路を挟んで向かいにあるのが京都市美術館、1933(昭和8)年に開館し、公立美術館としては東京都美術館に次ぎ日本で二番目に古いものだそうです。日本風屋根を戴いた重厚な建築で、いわゆる帝冠様式でしょうか。
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 本日の六枚は、正法寺、正法寺門前の古木、高台寺(二枚)、円徳院、粟田神社です。
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by sabasaba13 | 2014-05-23 06:41 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(16):霊山護国神社(12.12)

 しかし本当に、パール博士は「日本の無罪」を主張したのでしょうか。それは右派ナショナリストの方々による、ミスリーディング、拡大解釈、あるいはご都合主義的な流用ではないのか。この問題に鋭く切り込んだのが、中島岳志氏による『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)です。本書に依拠しながら、パール判事の真意を見ていくことにしましょう。まず彼は、戦勝国が裁判所憲章で新たな罪(「平和に対する罪」)を創作し、立法を行うような権限は有していないと、この裁判の構造を批判します。もしそれを認めたら、司法が政治に乗っ取られ、戦争に勝ちさえすれば国際法を無視して自分たちの都合のよいように裁くことができるという認識を広めることになる。東京裁判は結果として侵略戦争の撲滅ではなく、侵略戦争の拡大につながり、国際秩序の根本が崩壊する。パール博士は、世界平和のために、正式な法的手続きの遵守と「法の支配」の確立を重視していたわけです。しかし南京虐殺をはじめとする日本軍の虐殺行為はこれを事実として認定し厳しく非難しています。それらは国際法上確立された罪として裁くべきだと主張しますが、その刑事上の責任をA級戦犯容疑者に問うことは、証拠不十分のため不可能であるという結論を出します。これは法的には無罪ということで、指導者たちの道義的責任を免罪したのではありません。ましてや、日本の植民地政策を正当化したり、「大東亜」戦争を肯定する主張など一切していません。
 さらに銘肝すべきは、この判決書を貫くパール判事の歴史観です。悪しき日本帝国主義を生み出した最大の要因は西洋列強の植民地主義であり、日本はその悪しき「模倣者」であって、その道義的責任は連合国にも日本にも存在すると、彼は見ていたのですね。そして、このような帝国主義国の「非道」を正当に裁くことのできない国際社会の限界を冷静に指摘し、「世界連邦」の実現に向けて人類が一致して努力すべきことを訴えます。また、国際法の整備と確立を進め、法を真理に近づけるべく努力することこそが「文明」の使命であると説きます。
 この判決書を締めくくる一文が、碑文に刻まれた「時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその假面をはぎとった暁には、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう」です。この"所を変える"を、右派ナショナリストの方々は、意図的にか無邪気にか「日本は無罪だ」と読み替えてしまうのですね。
 また碑文に「日本にも度々来訪されて日本国民を激励されました」とありますが、本書ではその"激励"の内実についても触れています。まずパールはアメリカによる原爆投下を厳しく批判します。その背景には、抜きがたい人種差別の感情があり、原爆投下は戦争終結に不必要な攻撃であり、その本質は「大量殺人」を伴う「実験」である。このような残忍な行為を行ったアメリカは、未だに反省の念を口にしていない、と。
 アメリカは、原爆投下がなければ戦争が長期化し、自陣営にさらなる犠牲者が出続けたと主張し続けている。しかし、そのような口実で罪のない老人や子どもを殺戮してよいのだろうか。平和的生活を営む一般市民を無差別に虐殺した人間が、人道主義や平和という言葉を弄ぶことに、深い憂慮の念を抱かざるを得ない。「われわれはこうした手合いと、ふたたび人道や平和について語りあいたくはないのである」[パール1953:15]。(p.245)
 さらに、原爆の出現によって大国間の戦争が世界を破滅に導くことが明らかになった状況の中、自らの支配欲によって世界の対立を深刻化させようとするアメリカに対し、パールは厳しい態度で批判を続けます。また、そのようなアメリカに対して、無批判に追随する日本人にも、パールの厳しい批判の矛先は向けられます。
 原爆の責任の所在をあいまいにし、アメリカの顔色を伺う日本人。主体性を失い、無批判にアメリカに追随する日本人。東京裁判を忘却し、再軍備の道を突き進み、朝鮮戦争をサポートする日本人。
 パールは、アメリカの意向を至上の価値として仰ぐ戦後日本の軽薄さに憤った。戦争に対する反省の仕方を誤り、再び平和の道を踏み外そうとする日本に苛立った。(p.248)
 こうしたパールの思いを「日本にも度々来訪されて日本国民を激励されました」の一言ですませてしまう単純さには頭が下がります。
 というわけで、彼が投げかけてくれた課題に対して、現在に至るまでわれわれは十全に応えていないようです。真の自立と独立、アメリカへの従属、アジアとの友好、世界平和への貢献。そして何よりも第一歩として、過去の歴史に対してどう向き合うのか。A級戦犯を合祀した靖国神社を参拝した首相が支持されているような状況では、前途多難ですが。
 余談ですが、常々不可思議に思っていることがあります。靖国神社に祀られている戦没者のうち、相当数が兵站を無視した無謀な作戦によって亡くなられた方々だと考えます。ではその作戦を立案したのは誰であったのか。参謀本部の、作戦部長・田中新一、作戦課長・服部卓四郎、戦力班長・辻政信、そして作戦参謀・瀬島龍三でしょう。数多の"英霊"をつくりだしたこの四人組に対して、靖国神社賛成派の方からの糾弾が、なぜないのでしょう。私が遺族だったら、肉親を無駄死に追いやった責任者は絶対に許せませんが。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2014-05-22 17:08 | 京都 | Comments(0)