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越後編(50):良寛と夕日の丘公園(13.3)

 そしてタクシーに戻って、出雲崎に向かってもらいました。延々と続く金網に沿って走っていると、運転手さんから「原発が見えるところに寄ってみますか」というオファーがありました。行かいでか、お願いして寄ってもらいました。国道352号線から脇道に入ると、民家の甍の波の上に屹立する核(原子力)発電所を見ることができました。何という禍々しい光景であることか、しばらく息を呑んで見つめてしまいました。
 ここから出雲崎までは海沿いの気持良い道路を走って約二十分、良寛と夕日の丘公園に到着です。ここでタクシーとはお別れ、運転手さんにお礼を言って料金を支払いました。ここは高台となっており、日本海と佐渡、妻入りの町並みを一望できる素晴らしいビュー・スポットです。また「世の中に まじらぬとには あらねども 一人あそびぞ われはまされる」という良寛の歌碑や、二人の子どもと語らう良寛像もありました。近くには良寛の遺墨・遺品を展示する良寛記念館があるので見学することにしましょう。
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 まずは、スーパーニッポニカ(小学館)から、抜粋して引用します。
 良寛(1757/58-1831) 江戸後期の歌人、漢詩人。越後出雲崎の名主兼神職の橘屋山本左門泰雄の長子として生まれた。母は佐渡相川山本庄兵衛の女。幼名栄蔵、のち文孝、字は曲(まがり)、剃髪して良寛、大愚と号した。18歳のとき一時家を継いだが、同年、突如、隣町尼瀬町曹洞宗光照寺の玄乗破了和尚の徒弟となり出家して良寛と称した。1775年(安永4)[筆者注:1779(安永8)年か]7月備中国玉島円通寺の国仙和尚が光照寺滞在中感銘し、随行して玉島に赴き20年間師事する。中国、四国、九州を行脚し、京都から高野山に上り40歳を過ぎてから越後に帰った。越後へ帰国後は郷本、中山、寺泊を転々し、それよりさらに国上山山腹の草庵五合庵にひとりで住み、ここで15、6年を過ごした。のち、69歳国上山麓の乙子神社境内に庵をつくって移ったが、老衰のため、三島郡島崎村の豪商能登屋木村元右衛門邸内の庵に移って供養を受けた。
 良寛は僧ではあっても生涯寺をもたず無一物の托鉢生活を営み位階はない。人に法を説くこともせず、多くの階層の人と親しく交わった。子供を好み、手毬とおはじきをつねに持っていてともに遊んだ。正直で無邪気な人であって、人と自然を愛して自然のなかに没入していた。無一物でありながら、震えている乞食に着物を脱いで与えたこともある。
 彼は、歌と詩と書に優れていて、多くの作品を残した。どれも一流であるが、どれにも師がなかったらしい。歌人としての良寛がもっとも広く知られているが、和歌の師は『万葉集』で、人に借りてこれを愛読し、進んでその影響を受けた。彼の歌は正直で純真である。人間と自然に対して純真な愛を感じ、その心のままを正直に平易に詠み、個性が赤裸々に出て人を感動させる。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2014-07-28 06:19 | 中部 | Comments(0)

越後編(49):柏崎刈羽核(原子力)発電所(13.3)

 金をかけたくないので自分で何とかしろ、か。これは見殺しというよりも人殺しですね。まあ安倍伍長率いる自民党政権の究極の本音といったところですか。気にするな、忘れろ、自分で何とかしろ。ブラーボ。これぞ、白井聡氏が前掲書で評したところの、他者に対して平然と究極の犠牲を強要しておきながらその落とし前をつけない、いや正確には、落とし前をつけなければならないという感覚がそもそも不在である、というメンタリティです。(p.17) そして驚愕するのが、この安倍伍長政権の支持率が50%を超えていること。例えば産経新聞社とFNN(富士ニュースネットワーク)が2014年4月に行なった調査では、支持率は、54.4%です。支持する理由の第一位が「首相の人柄」65.1%というのも卓袱台を蹴り倒したくなりますが、みなさんこの政権の正体を知った上で支持されているのでしょうか。『安倍改憲政権の正体』(斎藤貴男 岩波ブックレット871)の書評でも述べましたが、国民を犠牲にしてアメリカと大企業の利益にひたすら奉仕する、危険な走狗的政権です。それを承知で支持しているのかなあ("僕たちを食い物にして!もっと大企業とアメリカに尻尾を振って!")、あるいは「アベノミクス」「日本は素晴らしい」という甘言に騙されて経済成長とナルシシズムに酔い痴れているのかなあ、あるいは…ほんとうに気がつかないのかなあ。いずれにせよ、騙されない力と知性と批判精神の劣化、いや欠落には悲哀すら感じます。ま、自民党と官僚のみなさまが、精魂込めてそう導き続けてくださった結果ですから、そしてそれを私たちが放置してきたのですから、しかたないのかもしれません。知識の詰め込み教育、それを試す大学受験、非人間的な競争、考える力を奪い現実から逃避させるための娯楽の数々、ストレスを隠蔽するための愛国心。はい、騙されやすく知性と批判精神に欠けた人間の一丁あがり。アレクシ・ド・トクヴィルは"民主政治においては、人々は自らにふさわしい政府しか持てない"と言いましたが、逆もまた真です。知性に欠けた政府と国民が手を取り合って、さあどこへ行くのでしょう。奈落の底に落ちるのは自業自得ですが、せめて世界中の人々に「ああなったらおしまいだね」と他山の石になるような亡び方をしてほしいものです。
by sabasaba13 | 2014-07-27 08:08 | 中部 | Comments(0)

越後編(48):柏崎刈羽核(原子力)発電所(13.3)

 開いた口がふさがらないのは、次の記事です。(朝日新聞 2013.10.27)
東電、除染費用支払い拒否 74億円、国は黙認

 東京電力が除染事業の大半の項目について費用の支払いに応じない考えを2月時点で国に明確に伝えていたことが、朝日新聞が環境省への情報公開請求で得た文書でわかった。国はこれを公表せず、支払い拒否を黙認している。
 国が除染費用を立て替えた後、東電に請求するのが「放射性物質汚染対処特別措置法」の規定だ。環境省は現在までに計404億円を請求したが、東電が支払ったのは67億円。国や東電は「内容の確認に時間がかかっている」とし、手続き上の問題と説明してきた。

 ところが、東電は2月21日付で環境省に送った文書で、昨年11月の第1回請求分の大半について「支払いが困難であるとの結論に至った」と拒否。環境省が説明を求めると、2月27日付の回答文書で、第2回請求分をあわせた149億円(118項目)のうち、74億円(95項目)について個別に支払わない理由を列挙した。さらに、賠償交渉を仲介する「原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)」に委ねることを検討するよう提案した。
 はい、Q.E.D. かく示されました(Quod Erat Demonstrandum)。福島の方々を救う気はほとんどない。さらに問題なのは、福島の方々を見殺しにする東京電力を、日本国政府が黙認しているということです。白井聡氏が『永続敗戦論』(太田出版)の中で言われたように、事故の本来の意味での収束は、現在の日本国家が第一義的に優先し、全力で取り組まなければならないプロジェクトであるはずです。(p.9) しかし自民党政権には、口先はともかく、具体的な取り組みについては目を覆いたくなるほどの体たらく。例えば、このような記事がありました。(朝日新聞2013.6.9)
政府、被曝量の自己管理を提案 「除染完了」説明会で

 政府が福島県田村市の除染作業完了後に開いた住民説明会で、空気中の放射線量を毎時0・23マイクロシーベルト(年1ミリシーベルト)以下にする目標を達成できなくても、一人ひとりが線量計を身につけ、実際に浴びる「個人線量」が年1ミリを超えないように自己管理しながら自宅で暮らす提案をしていたことが分かった。

 朝日新聞が入手した録音記録によると、住民から「目標値まで国が除染すると言っていた」として再除染の要望が相次いだが、政府側は現時点で再除染に応じず、目標値について「1日外に8時間いた場合に年1ミリを超えないという前提で算出され、個人差がある」と説明。「0・23マイクロと、実際に個人が生活して浴びる線量は結びつけるべきではない」としたうえで「新型の優れた線量計を希望者に渡すので自分で確認してほしい」と述べ、今夏のお盆前にも自宅で生活できるようにすると伝えた。

 説明会を主催した復興庁の責任者の秀田智彦統括官付参事官は取材に「無尽蔵に予算があれば納得してもらうまで除染できるが、とてもやりきれない。希望者には線量計で一人ひとり判断してもらうという提案が(政府側から)あった」と述べた。除染で線量を下げて住民が帰る環境を整える従来の方針から、目標に届かなくても自宅へ帰り被曝線量を自己管理して暮らすことを促す方向へ、政策転換が進む可能性がある。

 環境省は取材に対して説明会での同省の発言を否定した。録音記録があり、多くの住民も証言していると伝えたが、明確な回答はなかった。

by sabasaba13 | 2014-07-26 08:32 | 中部 | Comments(0)

越後編(47):柏崎刈羽核(原子力)発電所(13.3)

 いろいろとつっこみたくなる点があるのですが、四点にしぼって指摘しましょう。

①文章の全体に通奏低音の如く鳴り響く、安直で薄っぺらい調子は何なの?
 私には、「津波のせいで原発が壊れちゃった、そのうち何とかなるから許してね(できれば忘れてね)」としか聞こえませんね。人間が暮らす広大な地域を壊滅させて故郷を奪い、これから放射能によるさまざまな病苦が人々に襲いかかる恐れがある事態を惹起させておきながら、深甚なる反省や贖罪の気持ちがまったく伝わってこないし、義務感の"ぎ"の字も、責任感と正義感の"せ"の字も感じられません。東京電力経営陣の皆々様がたに、『物語 イタリアの歴史』(藤沢道郎 中公新書1045)で紹介されていた、西ローマ帝国初の皇帝ホノリウスを評した言葉を、熨斗をつけて進呈します。「決してばかではなく、保身と陰謀にかけてはなかなかの手腕を発揮したが、義務感と責任感と正義感をまったく持ち合わせていない人で、ローマ帝国がどうなろうと自分の身の安泰さえ確保されればそれで結構という態度を、露骨に示すことがたびたびあった」(p.13) はい、"ローマ帝国"を"日本"にして、"自分の身"の後に"東京電力"をつけくわえてください。

②事故の原因はわかったの?
 まず貴社がなすべきことは、一に原因究明、二に原因究明、三四がなくて、五に原因究明でしょう。深刻な事故が起こるたびに"想定外"ですませるのなら、日本が、いや世界がいくつあっても足りません。地震や津波に対する対策は十分になされていたのか、設計や構造や立地に問題はなかったのか、耐用年数を過ぎて脆弱になっていたのではないのか、何よりもいかなる自然災害にも耐えられる原発などあるのか。福島第一原発事故は、津波ではなく地震によって引き起こされたのではないかという疑惑もあります。

③本当の意味で事故を収束できるの?
 "放射性物質の放出を抑制することにより、避難されている方々の一日も早いご帰宅の実現"に全力で取り組む、という物言いも曖昧かつ無責任ですね。どれくらい抑制すれば、安全に帰宅できるのか、きちんと説明していただきたいものです。「放射性物質の放出が多少減ったら、住民を帰宅させて忘れてもらおう、後は野となれ山となれ」というのが本音なのかな。しかし事態は、われわれの想像をはるかに超えた深刻なものだと思います。例えば、「海から6メートルの井戸でも高濃度汚染水が確認された」(毎日新聞 2013.6.29)、「20分未満で死亡するような過去最高の放射線量が、屋外設備で計測された」(読売新聞 2013.12.6)といった記事を見る限り、収束には程遠いですね。

④福島の方々を救う気はあるのか?
 これについては、「ほとんどない」というのが本音でしょう。福島県健康管理調査によると、18歳以下の17万4千人を検診した結果、甲状腺癌「確定」が12人、「疑い」が15人だったそうです。100万人に一人といわれる子どもの甲状腺癌が、すでに155.2倍になっているのですね。(『DAYS JAPAN』2013.7) こうした事態に、東京電力が何らかの対策を打ち出したという話は寡聞にして聞いたことがありません。
by sabasaba13 | 2014-07-25 06:33 | 中部 | Comments(0)

越後編(46):柏崎刈羽核(原子力)発電所(13.3)

 展示内容は、原発は必要、必要、安全、必要、安全、安全、必要、安全、安全、必要、安全、とマントラのように繰り返すだけのもの。これはどこの原発に行っても同じですね。
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 東海村でも、六ヶ所村でも、玄海原発でもそうでした。なお発電所の全容を見ることができる場所がなかったのが残念。外へ出ようとすると、「東京電力からのお詫びとお願い」という貼り紙がありました。なかなか興味深い内容ですので後学のために転記しておきましょう。
東京電力からのお詫びとお願い

 3月11日に発生しました東北地方太平洋沖地震により、当社の原子力発電所をはじめとした設備等が大きな被害を受けるなかで、立地地域の皆さまやお客さま、広く社会の皆さまに、多大なご心配とご不安、そしてご迷惑をおかけしていることを、改めて深くお詫び申し上げます。

 福島第一原子力発電所の事故に関しましては、原子炉等の安定的冷却状態を確立し、放射性物質の放出を抑制することにより、避難されている方々の一日も早いご帰宅の実現や社会の皆さまが安心して生活いただけますよう全力で取り組んでまいります。被害を受けられた方々への補償につきましては、原子力損害賠償制度のもと、国の支援をいただきながら、誠意をもって迅速に対応させていただきます。

 当社といたしましては、被害を受けられた方々への補償を確実に実行するため、当社グループ事業の抜本的な経営の効率化・合理化に全力で取り組んでまいります。

 電力需給の安定確保につきましては、できる限りの供給力を追加してまいりました。しかし、経年火力の連続稼働における計画外停止や、異常な猛暑による需要の急増等が発生した場合には、需給の安定確保に支障をきたす可能性があります。

 皆さまには、これまで節電にご協力をいただいており、厚く感謝申し上げます。この夏の計画停電の「原則不実施」を継続するためには、供給力のさらなる確保に加え、引き続き、皆さまの節電へのご理解・ご協力が欠かせません。当社といたしましても、ご家庭やオフィス、工場等、それぞれのお客さまに、具体的な節電方法のご紹介や負荷抑制方策のご提案等を積極的に進めさせていただいております。

 皆さまには、大変なご迷惑とご不便をおかけいたしますが、引き続き、より一層の節電へのご理解とご協力をお願い申し上げます。
 うーん、なかなかためになる文章ですね。平身低頭したふりをしながら、巧妙に責任を曖昧にし、言質をとられないように逃げを打つ。よほどの練達の士が考えたのでしょう。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2014-07-24 06:33 | 中部 | Comments(0)

言葉の花綵106

 旅は人を謙虚にする-世界の中で自分の占める位置がいかに小さいかを知ることができる。(フローベール)

 未踏の地を旅する純粋に動物的な悦びは、実に大きい。(ディヴィッド・リヴィングストン)

 世界中の革命の萌芽は、丘の上のひとりの農民が胸に抱く夢や理想から生じる。彼らにとって大地とは、利用できる足場ではなく、生きている母親なのだ。(ジェームズ・ジョイス)

 全能なる神よ、わが業を見よ、そして絶望せよ! (オジマンディアス)

 弱者との接し方が、人を判断する基準になるんです。文明人らしさの尺度は、思いやりなんですよ。(サディク・アル・マフディー)

 スーダン人と、インド人と、シンガポール人にこう尋ねてみる。「あなたの考える、牛肉の栄養価とはなんですか?」 スーダン人の答えは「栄養価って何?」、インド人の答えは「牛肉って何?」、シンガポール人の答えはこうだ。「考えって何?」(unknown)

 歳をとるのは愉快なことではないが、その代償として、心の嘘発見器の精度はどんどん高まっていくのだ。(ポール・セロー)

 人はみな自分の習慣にはないものを野蛮と呼ぶ。(モンテーニュ)

 勝利は目標の実現にあるのではなく、つねに目標を追いつづけるなかにあるのだ。(ロマン・ロラン)

 調べて動いて腹くくる。(おしどりマコ・ケン)

 国家の威厳と力は、保有する資金の額によって決まる。(ジャン=バティスト・コルベール)

 うまく徴税する秘訣は、ガチョウをできるだけ騒がせずにできるだけ多くの羽根をむしるのと同じだ。(ジャン=バティスト・コルベール)
by sabasaba13 | 2014-07-23 06:31 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『はじめての憲法教室』

 『はじめての憲法教室 -立憲主義の基本から考える』(水島朝穂 集英社新書)読了。安倍伍長と自民党がめざす憲法改正/改悪、その是非を問う前にやはり憲法とは何なのか知っておくべきだと思います。私の場合は、小室直樹氏の『痛快!憲法学』(集英社インターナショナル)によって蒙を啓かれました。私の憲法観を劇的に変えてくれた忘れ得ぬ一文、紹介します。
 一人の犯罪者ができる悪事より、国家が行なう悪事のほうがずっとスケールが大きいのです。…憲法とは国民に向けて書かれたものではない。誰のために書かれたものかといえば、国家権力すべてを縛るために書かれたものです。司法、行政、立法…これらの権力に対する命令が、憲法には書かれている。国家権力というのは、恐ろしい力を持っている。警察だって軍隊だって動かすことができる。そんな怪物のようなものを縛るための、最強の鎖が憲法というわけです。
 "怪物を縛る鎖"、何とも言い得て妙ですね。さて本書は憲法学者の水島朝穂氏が、水島ゼミの学生との対話をからめながら、憲法とは何か、ここだけは変えてはならない一線とは何かを考察し、改憲議論の問題点を指摘するものです。憲法とは「国民みんなが守る大切な決まり」ではなく、「国民みんなで権力を制限する大切な決まり」と考える立場は、小室氏と同じです。よい政府、よい権力者は存在せず、信頼は常にその専制を生む。よって人びとの「疑いの眼差し」が権力を縛る鎖であり、その鎖を文章化したのが憲法である。これは銘肝すべき視点ですね、植木枝盛の"疑の一字を胸間に存し、全く政府を信じることなきのみ"という珠玉の言葉も教示していただきました。そして憲法改正に関する議論では、「無限界説」と「限界説」があるということも知りました。前者はどんな改正でもあり、後者は憲法の基本原理を損なうような改正は許されないという考えです。権力の暴走を抑制することが憲法の本質であると観点からすれば、一般的には後者が支持されています。憲法九条はこの改正限界に含まれているというのが著者の考えで、もし九条を改正してしまった場合には「無限界説」を採用したことになり、ヴァイマール憲法の覆轍を踏む恐れがあると指摘されています。
 さて自民党の憲法案ですが、氏曰く"ツッコミどころ満載"、一言で言えば"権力者にやさしい憲法"、小室直樹氏風に言えば"怪物を縛る鎖をゆるめる"ものだと分析されています。あまり人口に膾炙されていない点を紹介しましょう。まず現行憲法では「両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない」と規定されています(第56条)。で、自民党案では「議事の開催」に関する文言を削り、議決時にだけ三分の一がいればいいようになっています。つまり議事の時に、国会議員がさぼれるようにしたいのですね。また、これは私も知っていたのですが、現行憲法にはたった一つ「絶対に」という文言が記されている条文があります。第36条「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」という条文ですね。小林多喜二をはじめ多くの方々が犠牲となった、特別高等警察による拷問や非人道的行為を繰り返させないためですね。ところが自民党案ではこの「絶対に」という文言を削ってあります。「ちょっとくらいならいいんじゃない」という気持ちなのでしょうか。
 最後に、憲法改正のためには、三つの作法が必要だと述べられています。①憲法改正を発議する側に重い説明責任が課せられていること。②憲法改正のための情報が十分に提供され、かつ自由な討論が保障されること。③十分な熟慮の時間が確保されること。②と③について、『シリーズ憲法~第96条・国民的憲法合宿』(2005.3.30放映)というテレビ番組に関する興味深い挿話がありました。日ごろ、憲法とは縁もゆかりもない生活をしている老若男女六人が、護憲派の著者と改憲派の小林節氏による講義を受けた後、自分たちで討論をして憲法改正についての考えをまとめるという企画です。情報を十分に与えられ、時間をかけて議論をした結果、「改憲案をよく吟味するまでは結論を保留するとともに、国民ひとりひとりが自分の意見を持つことを期待する」という意見に一致したそうです。なるほど、情報と時間さえあれば知性が起動するわけだ。逆に言うと、権力者側からすればそういう厄介な事態を避けるために、十分な情報と時間を国民に与えず、「早く改革をしないと大変だぞ」と煽っているのでしょう。
 憲法に関する良質の情報満載の好著、お薦めです。あとは本書を読んでじっくり考えてみませんか。なお内田樹氏の『街場の憂国論』(晶文社)も併読されると、自民党の憲法案についてより理解が深まると思います。氏は、改憲の趣旨は「強い日本人にフリーハンドを与えよ」ということだと喝破されています。

 私は、怪物を縛る鎖を緩める改憲だったら反対(よって自民党案には反対)、きつくする改憲だったら賛成です。日本や世界の状況を見ると、国家権力という怪物にグローバル企業も仲間入りしているようです。われわれを苦しめている問題の多くは、政治と企業の癒着、いわゆるコーポラティズムに起因していると思います。よって企業の暴走を食い止め、政治家・官僚との癒着を防ぐ規定を憲法にもりこんでもいいのではないかな。企業による政治献金の禁止とか、天下りの禁止とかね。
by sabasaba13 | 2014-07-22 06:37 | | Comments(0)

壁と卵

 7月20日(日)10時25分配信のAFP=時事によると、イスラエル軍がガザ地区で「プロテクティブ・エッジ作戦(Operation Protective Edge)」を開始してから12日目の同日までにパレスチナ側の死者は342人に達しました。複数の人権擁護団体は、子供の犠牲者が増えていると警鐘を鳴らしているとのことです。
 この暴力と憎悪の連鎖は、どうすれば解決できるのでしょうか。基本的には、アメリカのバックアップのもとに強硬姿勢を貫くイスラエルと、それに反発するパレスチナ・アラブ人、そしてそれに過剰に反応するイスラエル、という構図だと思います。たしかに双方に狂信的な考えを持つ人々がいるようです。すべてのアラブ人をこの地域から追放せよと叫ぶユダヤ人、ユダヤ人を殺すことがムスリムの義務だと叫ぶアラブ人。ただそうした人は少数派で、多くのユダヤ人やアラブ人が心の底から求めているのは、この地で暴力や戦争や紛争や貧困におそわれることなく、安心して暮らしたいというシンプルな願いなのではないでしょうか。しかしこの暴力の応酬はあまりにも非対称的です。爆撃機や戦車や白燐弾など、ハマスのテロを圧倒するイスラエルの国家テロ、それを背後で支えるアメリカ。この過剰かつ圧倒的な暴力がアラブ人の安全を脅かし、自分たちへの反発として返ってくることになぜイスラエルの人びとは気づかないのでしょうか。アラブ人を平和に共存できるパートナーとして対話をすることがイスラエル側にできるかどうか、そこに解決の鍵はあると考えます。映画『沈黙を破る』で描かれたように、徐々にそうした考えは広がりつつあるようです。
 イスラエル軍の圧倒的な暴力の前に晒されているパレスチナの人びと、それを思うと、2009年2月に村上春樹氏がエルサレム賞を受賞した時のスピーチが脳裏に浮かびます。この賞を受けたことについては国内外から様々な批判があったことを記憶しています。『雑文集』(新潮社)に収められているのですが、前書きで氏はその時の思いをこう語っています。
 でも遠くの土地で僕の本を読んでくれているイスラエルの読者のことを考えると、そこに行って、自分の言葉で、自分なりのメッセージを発する必要があるのではないかと思いました。そんな中で、この挨拶の原稿を一行一行心を込めて書きました。ずいぶん孤独だった。ビデオで映画『真昼の決闘』を何度も繰り返し見て、それから意を決して空港に向かったことを覚えています。(p.75)
 今、読み返しても、氏の思いに胸を打たれます。これほど心のこもった真摯な文章にはなかなかお目にかかれません。きっと凄腕の彫金師のように、大胆かつ細心に一言一句を刻みつけたのだろうなあ、と想像します。一部ですが、その核心となるところをぜひ紹介したく思います。
 ひとつだけメッセージを言わせて下さい。個人的なメッセージです。これは私が小説を書くときに、常に頭の中に留めていることです。紙に書いて壁に貼ってあるわけではありません。しかし頭の壁にそれは刻み込まれています。こういうことです。

 もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。

 そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?

 さて、このメタファーはいったい何を意味するか? ある場合には単純明快です。爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です。それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民は卵です。それがこのメタファーのひとつの意味です。
 しかしそれだけではありません。そこにはより深い意味もあります。こう考えてみて下さい。我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだと。かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵なのだと。私もそうだし、あなた方もそうです。そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、そしてシステマティックに。

 私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただひとつです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです。我々の魂がシステムに絡め取られ、貶められることのないように、常にそこに光を当て、警鐘を鳴らす、それこそが物語の役目です。私はそう信じています。生と死の物語を書き、愛の物語を書き、人を泣かせ、人を怯えさせ、人を笑わせることによって、個々の魂のかけがえのなさを明らかにしようと試み続けること、それが小説家の仕事です。そのために我々は日々真剣に虚構を作り続けているのです。

(中略)

 私がここで皆さんに伝えたいことはひとつです。国籍や人権や宗教を超えて、我々はみんな一人一人の人間です。システムという強固な壁を前にした、ひとつひとつの卵です。我々にはとても勝ち目はないように見えます。壁はあまりに高く硬く、そして冷ややかです。もし我々に勝ち目のようなものがあるとしたら、それは我々が自らの、そしてお互いの魂のかけがえのなさを信じ、その温かみを寄せ合わせることから生まれてくるものでしかありません。
 考えてみてください。我々の一人一人には手に取ることのできる、生きた魂があります。システムにはそれがありません。システムに我々を利用させてはなりません。システムを独り立ちさせてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。
 私が皆さんに申し上げたいのはそれだけです。(p.77~80)
 このメタファーは心に残ります。壁と卵、システムと脆弱だけれどもかけがえのない個人。私も卵の側に立ちたい。
 ふと思い浮かんだのが、安倍伍長政権に対する私の嫌悪感です。うまく言葉にできなかったのですが、彼が全面的に壁の側、システムの側に立っているところにその淵源がありそうです。彼が擁護し支援するのは国家権力、軍隊(自衛隊)、そして大企業といった壁・システムです。その前で数多の卵が押し潰されても、まったく意に介さない。さらに私たちを、この壁・システムへと組み込もうとする。彼が推し進める教育改革も、つまるところ、卵よりも壁の側に立つ人間に育てようという狙いがあると思います。安倍伍長政権に対する支持率の高さも、壁・システムの側に立ちたいと思う人が多いということなのかもしれません。私はまっぴら御免ですが。
 ピンク・フロイドを聴きながら、この一文を書き終えました。 ♪All in all you're just another brick in the wall♪
by sabasaba13 | 2014-07-21 06:03 | 鶏肋 | Comments(0)

越後編(45):柏崎(13.3)

 志を添えてお寺の方に丁重にお礼を言い、それでは柏崎へと向かいましょう。「関町三叉路」からバスに乗ると、珍しい意匠の透かしブロックが前方に見えてきたのですばやく撮影。そして長岡駅に到着、信越本線直江津行きの普通列車に乗りこみました。ぼーっと車窓を流れる風景を見ていると…あっ長岡駅の転車台だ。シャッターチャンスは逃しましたが、あとでこの路線に乗る予定です。その時に満を持して撮影しましょう。四十分ほどで柏崎駅に到着。
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 駅構内にあった観光案内所で資料をいただき、とるものもとりあえず昼ごはんを食べましょう。事前の調査によると、ご当地B級グルメがどうかはわかりませんが、「そばよし」の焼きそばが滅法うまいとのこと。さっそく駅近くにあるお店に入って、注文しました。豪快に盛られた麺、キャベツ・モヤシ・人参・玉ねぎ・木耳・ニラ・豚肉と具沢山、そしてどこか懐かしいソース味。これは食べ応えのある一品でした。
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 柏崎駅へ向かうと歩道に鯨の形をした植栽容器、むかし捕鯨が行なわれていたということでしょうか。駅前からは冠雪の峰が遠望できましたが、黒姫山なのかな。
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 さてこれから柏崎刈羽核(原子力)発電所、そして出雲崎をまわりたいのですが、丹念に調べてもバスを使っての移動は不可能でした。断腸の思いでタクシーを利用することに決意、駅前で客待ちをしていた車に乗り込みました。まずは先程いただいた観光パンフレットに記されていた生田万のお墓へ寄ってもらいました。駅から数分走ると、車道のすぐ脇に墓石が並んでいます。解説板によると、1837(天保8)年6月1日、天保の飢饉による窮身の救済を求めて柏崎陣屋に討ち入り、敗れて自刃とありました。受験知識として覚えた日本史では、大塩平八郎の乱に影響を受けたと記憶しております。付近にある墓石群は、1868(明治元)年10月20日、戊辰戦争の鯨波や長岡の戦いで戦死した官軍の各兵士58名の招魂所として建設された墓地とのこと。
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 それでは柏崎刈羽核(原子力)発電所へと向かってもらいましょう。車に揺られて十数分で、案内や展示のあるサービスホールに到着です。入口では、ゆるキャラの「エコロジーから生まれたエコロン」が出迎えてくれました。あのお…東京電力経営陣の方々にひとつ質問があるのですが、原発とエコロジーってどういう関係があるのですか? ここに掲げられていた「企業倫理遵守に関する行動基準」がまた噴飯ものの傑作なので転記しておきましょう。
ルールの遵守
誠実な行動
オープンなコミュニケーション
 ぷっ、ほんとにご飯を噴き出してしまいそう。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2014-07-20 07:54 | 中部 | Comments(0)

越後編(44):木喰(13.3)

 なお観光案内所でいただいたパンフレットによると、上前島金毘羅堂には目鼻も口も判然としないような摩耗した木喰仏があるそうです。なんでも子どもたちの遊び相手だったそうで、夏は川に投げ込んで浮き輪がわり、冬はそりにして雪はおろか砂利道の上をひきずり、時には幼い弟妹を帯でつないで子守りがわりにしたそうです。いい話ですね、さすがは木喰仏…と思いきや、名著『逝きし世の面影』(渡辺京二 平凡社ライブラリー)によると、木彫りの仏像で子どもたちが遊ぶ例は、他にも散見されたそうです。
 しかし一方、「子どもたちが遊びの際に自分たちだけでやるように教えられているそのやりかた」に彼女(※イザベラ・バード)は感心した。「家庭教育の一部は、いろいろなゲームの規則をならうことである。規則は絶対であり、疑問が生じた場合は、言い争ってゲームを中断するのではなく、年長の子供の裁定で解決する。彼らは自分たちだけで遊び、たえず大人を煩わせるようなことはしない」。つまり日本の子どもは自分たちだけの独立した世界をもち、大人はそれに干渉しなかったのである。だからこそモースは、日本の子どもが「他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持」っていると感じたのだ。
 子どもは大人に見守られながら、彼らだけの独自な世界をもっていた。1812年、日向国佐土原藩の修験者野田成亮は、全国の霊山を訪ねる修行の途上、肥後国日奈久での見聞を次のように記している。「当所に子供地蔵といふあり。木像にて高さ一尺一寸ばかりあり。子供、遊び道具にす。夏分どもには、地蔵さんも暑かろうとて川の中へ流し、冬は炬燵に入れる。方々持ち廻り、田の中などへ持ち込めり。しかりといへども障りなし。大人ども叱りなどすれば、たちまち地蔵の機嫌をそこなひ障りあり」。これは局地の奇習ではない。大人とは異なる文法をもつ子どもの世界を、自立したものとして認める文明のありかたがここに露頭しているのだ。徳川期の文明はこのように、大人と子どものそれぞれの世界の境界に、特異な分割線を引く文明だったのである。そのような慣行は明治の中期になってもまだ死滅してはいなかった。しかしそのように、子どもの自立した世界を認める文明は、また一方では、大人の生活のあらゆる面に子どもの参加を認める文明でもあった。(p.396~7)
 「大人とは異なる文法をもつ子どもの世界を、自立したものとして認める文明のありかた」か、なるほど。そこでは大人にとって聖なる存在も、遊び相手・話し相手となるのですね。それでは現代の日本の子どもたちは、自立した世界を認められているのでしょうか。ゲーム、携帯電話、テレビ、インターネット、学習塾、習い事、大人の世界に絡め取られた"金を使わせる小さな消費者"としての姿しかないように思えます。自立した世界を子どもたちから奪うと、将来、どういう人間になるのか。もしかすると私たちは、人類史上はじめて行われる壮大な実験を目の当たりにしているのかもしれません。虚ろな眼でスマートフォンをいじりながら幽鬼のように彷徨する方々を見ていると、その答はもう出ているような気がしますが。
by sabasaba13 | 2014-07-19 06:48 | 中部 | Comments(0)