<   2015年 01月 ( 23 )   > この月の画像一覧

オーストリア編(98):ハルへ(13.8)

 ゼーフェルトに着き、駅前のバス発着所に行くと、日本人のハイカーグループが専用のバスに乗って出発をするところ。こういう時は団体旅行が羨ましくなりますね。やってきたバスの後部ラックにはやはり自転車がくくりつけられていました。次々と下車したサイクリストが自転車をラックからおろし、そして我々がバスに乗り込みます。
c0051620_6312484.jpg

 車内はけっこう混雑していて、空いている座席は一人分。しかし地元の若者グループが傍若無人にも占拠しています。それを見かねたご婦人がドイツ語で彼らに話しかけ席を空けさせ、山ノ神ににこっと微笑みかけ、(たぶん)「どうぞ座って」とドイツ語で勧めてくれました。情けは人の為ならず、こういう経験は団体旅行ではできませんね。途中から私も座ることができたので、インスブルックが近づくと往路で見た扇型機関庫と転車台を撮影するためにカメラを構えて待機。問題の跨線橋を渡りますが…反対車線であるため視認することができません、無念。おまけに歩道も設置されていないことも確認、車上からしか見られない物件であることがわかりました。こうなったら、明日早朝、インスブルック空港に行く時のバスが、この橋を渡ってくれることを期待するしかありません。全国の撮り鉄のみなさまのために付記しておくと、OLYMPIASTRASSEという道路です。
 そしてインスブルック中央駅に着いたのが午後三時四十分。最後の訪問地、塩と貨幣鋳造で栄えたハル(Hall in Tirol)にバスで行くことにしました。車内にあった「スケートボードは手に持て」というピクトグラムを撮影。
c0051620_6314986.jpg

 三十分弱でハルに到着です。それではチロル州観光局日本担当オフィス公式サイトから、ハルについての紹介を転記しましょう。
 中世の町ハルは、インスブルックから東へ約10kmのところにあります。町の正式名称はソルバード・ハルSolbad Hall。昔はイン川の水運の用地として、また豊富な岩塩(ハルの名前はギリシャ語の「ハリス」=「塩」に由来しています)の産地としてイン川の河川交易の重要な市場へと発展、1303年には早くも都市権を獲得しています。14世紀初頭にイン川のほとりに建てられたハーゼック城Burg Haseggは、ハプスブルク家のマクシミリアン1世が結婚式を挙げたところとして知られ、現在でも多くの観光客が訪れています。城内の塔ではかつて銀貨が鋳造されていました。1477年、造幣所が南チロルのメラノからハルへ移され、経済センターとしての地位が確立しました。ここで鋳造された当時世界最大級の銀貨「ターラー」は今日のドル(ダラー)の先駆とされています。(中略) 町は中世の風情を色濃く残し、ヨーロッパらしい石畳の道、狭くて急な石段が旅情を誘います。

 本日の一枚は、ゼーフェルトの街並みです。
c0051620_6322011.jpg

by sabasaba13 | 2015-01-30 06:33 | 海外 | Comments(0)

オーストリア編(97):ゼーフェルト(13.8)

 再びロープウェイでロスヒュッテへと戻り、今度はゼーフェルダーヨッホバーン(Seefelderjochbahn)というロープウェイに乗りましょう。12人しか乗れない小型のロープウェイなので順番を待つ行列が伸び、しばらく待たされました。二十分ほど待ってやっと乗ることができ、標高2064mのゼーフェルダー・ヨッホ(Seefelder Joch)に到着です。
c0051620_637758.jpg

 ここから山の稜線を歩いて、標高2220mの山頂、ゼーフェルダー・シュピッツェ(Seefelder Spitze)に向かいます。このハイキングは素晴らしかった! 稜線を歩くので、前後両側に雄大な連山の姿を眺望することができました。アップダウンはあるものの、道は整備されており、われわれのような軟弱ハイカーでも問題なくハイキングを楽しめます。
c0051620_6373576.jpg

 一時間ほど歩くと、大きな十字架のある標高2220mのゼーフェルダー・シュピッツェ(Seefelder Spitze)という山頂に到着です。ここからは文字通り360度のパノラマを楽しみことができました。ベンチに座って、朝食の時につくったハムチーズサンドを食べていると、さきほどの夫婦と再会しました。さきほど別れたヘルメレコプフから、隣りに聳える高峰ライター・シュピッツェ(Reither Spitze)へとのぼり、稜線を縦走してここに辿り着いたそうです。見事な健脚ですね。袖触れ合うも多生の縁、再会を祝して写真を撮り合い、メール・アドレスを交換しました。お二人はここから一気に山麓まで歩いておりられるとのことです。私たちはもう少しこの山頂でゆるゆると休みましょう。互いに旅の無事を祈り、"Auf Wiedersehen"とお別れの言葉を交わしました。
c0051620_6375825.jpg

 清冽な空気を吸い、素晴らしい眺望を楽しんでいると、あっという間に時間は過ぎてしまいます。時刻は午後一時、そろそろ下山しましょう。同じ道を歩いてゼーフェルダーヨッホバーンの駅へと戻りました。小さなロープウェイに乗り込んでロスヒュッテへ、そしてケーブルカーに乗って山麓へと戻りました。そうそう、カードキーを返却してデポジットの2ユーロを返してもらうことを忘れずに。ゼーフェルトの町へと歩いていくと、通りすがりの老女からイタリア語でケーブルカー乗り場への道を訊かれました。情けは人の為ならず、イタリア語に多少の心得がある山ノ神、彼女のために一緒にチケット売り場まで戻っていきました。
c0051620_638205.jpg


 本日の六枚です。
c0051620_6384671.jpg

c0051620_6391060.jpg

c0051620_6393051.jpg

c0051620_6395540.jpg

c0051620_6401583.jpg

c0051620_6403738.jpg

by sabasaba13 | 2015-01-29 06:41 | 海外 | Comments(0)

オーストリア編(96):ゼーフェルト(13.8)

 それではゼーフェルダーバーン(Seefelderbahn)というケーブルカーに乗って山へと向かいましょう。インフォメーションで地図をもらい、乗り場までの道を教えてもらいました。踏切を渡って歩いていくと道路に手をつなぐ少女と少年のピクトグラムが描かれていましたが、通学路ということでしょう。その先にあったのが、海外で見かけるのは珍しい、というよりも初めてかな、飛び出し小僧でした。でも「危ないから飛び出すな」というメッセージよりも、♪見上げてごらん夜の星を♪あるいは♪飛び込もう青春の海へ♪というメッセージを感じてしまいました。
c0051620_6283561.jpg

 駅から二十分ほど歩くとケーブルカー山麓駅に到着です。チケットを購入してケーブルカーに乗り込み、なだらかな緑の斜面や雄大な山塊を眺めているとロスヒュッテ(Rosshutte)に到着です。
c0051620_629329.jpg

 ここから二方向にロープウェイが出ていますが、まずはヘルメレコプフバーン(Harmelekopfbahn)に乗って標高2045mのヘルメレコプフをめざしましょう。ゴンドラに乗り込むと、初老のご夫婦がおられましたが、挨拶をすると奥さんは日本の方でした。インスブルックに在住しており、旦那さんはロック・クライミングが大好きなオーストリア人。こうして二人でよくトレッキングを楽しまれるとのことです。いいなあ。これから標高2374mのライター・シュピッツェ(Reither Spitze)と標高2220mのゼーフェルダー・シュピッツェ(Seefelder Spitze)という二つの山頂を走破されるそうです。なお旦那さんが、エーデルワイスをなかなか見ることができなくなったと話されたので、先日パッチャーコーフェルのアルプス植物園で撮影したエーデルワイスをデジタル・カメラのディスプレイでお見せしました。すると、繊細な感じがするので、栽培種ではなく本物ではないかとの太鼓判。やった。山頂駅に着くと、お二人とはお別れ、あれよあれよという間に足取り軽く斜面をのぼっていかれました。
c0051620_6293045.jpg

 われわれ凡百ハイカーは、ここで眼下にひろがるゼーフェルトの街並みを眺めながらひと休み。
c0051620_6295470.jpg

 気がつくと、男女二人が下方でパラグライダーを広げて離陸のチャンスをねらっています。どうやらタンデム(二人乗り)のようですね。いい風をつかめたのか、ふわっと離陸。上空を旋回しながらこちらに手を振ってくれました。そして空の彼方へと飛び去っていきました。いいなあ。
c0051620_630208.jpg


 本日の四枚です。
c0051620_6304398.jpg

c0051620_631352.jpg

c0051620_6312332.jpg

c0051620_6314842.jpg

by sabasaba13 | 2015-01-28 06:32 | 海外 | Comments(0)

オーストリア編(95):ゼーフェルト(13.8)

 いつものようにバスに乗ってインスブルックへ、昨晩確認したゼーフェルト行きのバスに乗るために、駅の裏手に参りました。バスの後ろには大きなキャリアが設置されていましたが、おそらく自転車を積むためでしょう、ほんとうに羨ましい。やってきたバスに乗り込み、出発進行。鉄道の線路にかかる跨線橋を渡ると…あっ扇型機関庫と転車台が見えた。抜き身で構えていたカメラをすぐに向けてシャッターを押しましたが遅かりし由良之助。転車台の半分しか撮影できませんでした。今も両の瞼を閉じればまざまざと思い浮かぶのですが、上方から扇型機関庫と転車台の全貌を見下ろせました。これはそう体験できるものではありませぬ。帰途の際には忘れずに撮影しようと、心に誓いました。
c0051620_6371984.jpg

 前方の救急車を何気なく写真におさめ、川を渡ってしばらく走ると右手の山々と道が並行して走ります。中腹のあたりに函嶺洞門のような構築物が見えましたが、あれが鉄道線路ですね。残念ながら、8月25日まで修復のため運休。きっと眺めがいいだろうなあ、再訪を期しましょう。
c0051620_638185.jpg

 一時間弱でゼーフェルトに到着。駅前に停車していたバスの前部に灯されていた電光表示には、かわいい汽車ぽっぽが映しだされていました。運休している鉄道の代行バスということなのでしょう。うーん、お、ちゃ、め。駅のトイレに入ろうとしたら1ユーロかかる有料トイレだったので取りやめ、町でさがすことにしました。
c0051620_6384868.jpg

 そして町の中心へ。『オーストリア・ハイキングガイド』によると、西をホーエ・ムンデ、東をカーヴェンデル、北をヴェッターシュタイン山系(ドイツとの国境)に囲まれた、アルプスで最も美しい高原リゾートの一つだそうです。誰が呼んだか知りませんが、人呼んで「オーストリアの軽井沢」。なるほど、ベランダに花を飾った家々が建ち並ぶ、そこはかとなく高級感が漂う町の佇まいです。駐車場に無料の公衆トイレがあったので用を済ませて先に出て、教会や噴水や水飲み場を写真におさめていると、山ノ神が恍惚とした表情で戻ってきました。「どうしたの?」 「きれいだった…ずっといてもいい…ロハだし」 「いれば」と言いかけて…おっといけねえ、口は災いの元、雉も鳴かずば撃たれまい、綸言汗の如し、丸い卵も切りようで四角物も言いようで角が立つ、口を閉じました。
c0051620_6392290.jpg


 本日の三枚です。
c0051620_6394419.jpg

c0051620_64066.jpg

c0051620_6415392.jpg

by sabasaba13 | 2015-01-27 06:43 | 海外 | Comments(0)

オーストリア編(94):イグルス(13.8)

 朝目覚めて、恐る恐るバルコニーに出ると…おおっ、お天道様のご尊顔を拝めるではありませんか。気分はもうジョージ・ハリソン、♪Sun sun sun, here it comes♪と歌いたくなりました。
c0051620_6163217.jpg

 腹がへっては戦はできぬ、とるものもとりあえず朝食を食べにレストランへ行きましょう。朝食を力の限り胃袋に詰め込み、昼食は抜きか屋台もの、夕食はケバブ、というパターンはもうすっかり定着しました。今日もサンドウィッチをつくって持参し、ハイキングの途中で食べることにしましょう。オーストリアの朝食に出てくるパンは、平たい白パンで「ゼンメル(Semmel)」と呼ばれます。なお『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)に、ゼンメルの食べ方が載っていたので後学のため紹介します。
①ヨコからナイフを入れてぐるっと1周して上下にスライス ②チーズやハムをのせたり、ジャムを塗ってどうぞ
 …わかっとるわい、そんなこと。と怒髪に天を衝かせるのも大人気ないので、指示された通りにハムチーズサンドを三つ作りました。
c0051620_6165356.jpg

 部屋に戻ってバルコニーに出ると、おお、雲一つない快晴となっています。気分はもうフレディ・マーキュリー、♪We are the champions♪とシャウトしたくなりました。なお彼は、レマン湖畔の町モントルー(Montreux)にアパートとレコーディング・スタジオを購入して、音楽活動の拠点のひとつにしていました。そのスタジオが2013年12月に「クィーン:スタジオ・エクスペリエンス・モントルー」という記念館としてオープンし、貴重な写真や愛用品などが展示されているそうです。フレディの銅像も近くにあるそうで、これは垂涎ですね。えーと何が言いたいかというと、予定通り今日はゼーフェルト(Seefeld)へ行ってハイキングをしよう、ということです。身支度をととのえ、トレッキング・シューズを履いていざ出発。

 本日の三枚です。
c0051620_6171693.jpg

c0051620_6173972.jpg

c0051620_6175952.jpg

by sabasaba13 | 2015-01-26 06:18 | 海外 | Comments(0)

オーストリア編(93):イグルス(13.8)

 そしてホテルに戻り、フロントで明日の天気を調べてもらいました。そうそう申し遅れましたが、フロントの若い男性、チェックインの時に教えてもらったのですが、かつて日本に住んでいたことがあるそうです。記念のパスモを見せてくれ、またジブリのファンだそうです。ちなみに山ノ神が一番好きなジブリの映画は『となりのトトロ』、私が一番好きな映画は『紅の豚』です。閑話休題、彼がインターネットで調べたところ、どうやら明日は雨模様。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」、雨が降った時のお薦めを彼に伺いました。①巨大な城塞がそびえる町、クーフシュタイン(Kufstein)。②カラフルな街並みのリゾート、キッツビュール(Kitzbuhel)。③ザルツブルク(Salzburg)。④ミュンヘン(Munchen)。⑤ブレンナー峠の彼方にあるイタリアの町、ボルツァーノ(Bolzano)。ザルツブルクは論外、ミュンヘンも以前に訪れたことがあるのでパス。となると、クーフシュタイン、キッツビュール、ボルツァーノの三択ですが、いやいや明日は必ず晴れるに違いないと不敵な笑みを浮かべる晴れ男でした。
 後日談。帰国後に読んだ、前述の『ナショナリズム入門』(植村和秀 講談社現代新書2263)の中に、次のような一節がありました。
 ボーツェンはドイツ語、ボルツァーノはイタリア語で、同じ都市の呼び名です。ここは、第一次世界大戦後にイタリア領となった南チロル地方であり、イタリア人とドイツ人の紛争地域でした。激しい政治的対立の末、1970年頃にようやく共存への動きが軌道に乗り、現在ではドイツ人への配慮が行われています。
 ここを私が2000年に訪れた際には、どこでもドイツ語が話されていました。開催中の「スペクタクルム2000」というお祭りのパンフレットには、ドイツ語とイタリア語の説明が併記されていましたが、パレードの人たちが振っていたのはヨーロッパ連合の旗とドイツの旗だけでした。旧市街の西側にあるイタリア人地区にも行ってみましたが、人影も少なく、ムッソリーニが建設した戦勝記念碑だけが妙に大きかったのを覚えています。
 しかしこの地域でも、国境線の変更は喫緊の課題ではなくなりました。現在の課題は、現住地域内での人間集団間の平和的関係を維持することにあり、その実績は充分に蓄積されています。(p.144~5)
 人間の理性と叡智を信じたくなるような話ですね。中国の、韓国の、そして特に日本の指導者の方々には襟を正して耳を傾けてほしいものです。なおその「激しい政治的対立」の原因として、下記のような歴史的事実があることを、『第一次世界大戦』(木村靖二 ちくま新書1082)を読んで知りました。以下、引用します。ちなみに今年は第一次世界大戦勃発百周年なのですね。
 なお、オーストリア領にはイタリア系住民が約80万人ほどいて、うち11万人以上がオーストリア軍に入隊して忠実に義務を果たし、大戦中イタリア側に逃亡したのは3000人にも満たなかった。しかし、オーストリアは南ティロルのイタリア系住民11万人以上を後方地域に強制移住させ、イタリア側も占領した南ティロルの3万人のドイツ系住民をロンバルディアに送って抑留した。両国とも自国内の相手の民族を信用していなかったのである。民族混住が多い国境地域での戦争が、当該住民をどのような複雑な状況に追いやるのかを示す例である。(p.99)
 そうか、このボルツァーノを含む南チロルが、いわゆる「未回収のイタリア」だったのか。イタリアは、南チロルやトリエステなどイタリア語を話す者が多く住む地域(「未回収のイタリア」)をオーストリアから奪うため、三国同盟から離脱し、英仏とロンドン秘密条約を結んで協商国側に立って参戦したのですね。そして第一次世界大戦に勝利し、この地域を手に入れることに成功したわけだ。なるほど。
 イグルスの夜景を撮影し、部屋へと戻ってシャワーを浴び、バルコニーに出てウィスキーを舌の上でころがしながら、快晴を祈る呪文を唱えました。さあみなさん、ご唱和ください。エニ メニ アルーベニ ヴァナ タイ スースラ テニ!

 本日の二枚です。
c0051620_537813.jpg

c0051620_5373632.jpg

by sabasaba13 | 2015-01-24 05:38 | 海外 | Comments(0)

オーストリア編(92):インスブルック(13.8)

 そして再びロープウェイに乗って下山。往路で上空から見下ろした時、ガルツィヒ駅の周辺にきれいな花々が咲いていたのに気がついたので、ちょっと道草をしましょう。百花繚乱、無粋なもので名前はわかりませんが見事に咲き誇る花々を愛でながらしばし散策。写真を撮りながらプチ・ブルーメンワンダルングを楽しみました。
c0051620_6255793.jpg

 ゴンドラに乗ってザンクト・アントンへと戻り、カードを返却してデポジットを回収しようとすると、売り場の窓口が閉まっています。「詐欺じゃない!」と瞋恚の炎を燃やす山ノ神、まあまあここは落ち着いて打開策を考えましょう。…インフォメーションに行けばいいのではないかな。雁首を揃えてiに行き事情を話すと、すぐに二人分の10ユーロを返してくれました。案ずるより産むが易し。ついでにすこし街をぶらつくと、ハイカー、マウンテン・バイクを押す人、パラグライダーらしき荷物をかついでいる人、老若男女、みなさん思い思いにバカンスを楽しまれたようです。
c0051620_6262029.jpg

 ザンクト・アントン駅に戻ってインスブルック行きの列車に乗り込むと、一天にわかにかき曇り驟雨が窓ガラスを濡らしはじめました。ほんとに私は晴れ男なのだなあと自画自賛。車内販売の方が来たので珈琲を二つ注文しました。彼の指示通りにコーヒー・メーカーのコンセントをシートの下に入れ、しばらく待ちましたがうんともすんともいいません。業を煮やした彼がばこっと機械を叩いたとたんに、ごぽごぽと稼働。彼曰く"Modern technque"。珈琲をとろうとすると、彼曰く"Yet"。待つこと十数秒、"Now !"。いやはや面白い御仁でした。
c0051620_6264197.jpg

 インスブルック駅に到着すると幸い雨も上がっています。本日最後の働くおじさんを撮影し、駅のインフォメーションへ。明日は一日使える最後の日なので、晴れていればゼーフェルト(Seefeld)に行ってハイキングをする予定です。列車の発車時刻を訊ねると、ゼーフェルトへの路線は修復中で、代行バスが出ているとのこと。そのバスの発車時間と乗り場を教えてもらいました。そして毎度おなじみ「キングス・ケバブ」に寄ってケバブを所望。
c0051620_627682.jpg

 バスに乗ってイグルスに戻り、食後の腹ごなしにすこしお散歩。修復中の路面電車の駅にも行ってみました。
c0051620_6272972.jpg

 なお教会の広場で民族音楽のコンサートが開かれる予定でしたが、雨のため中止とのこと。水溜りができていたのでけっこう降ったのですね。
c0051620_6275632.jpg


 本日の二枚です。
c0051620_6282341.jpg

c0051620_6284624.jpg

by sabasaba13 | 2015-01-23 06:29 | 海外 | Comments(0)

オーストリア編(91):ザンクト・アントン(13.8)

 ガンペンにあったレスト・ハウスでトイレを拝借し、カパルバーンというチェア・リフトに搭乗。今度は停まらずに、無事に標高2326mのカパルに着きました。
c0051620_6273623.jpg

 ここからハイキングを楽しみながら、ザンクト・アントンまでおりましょう。なおガイドブックによると、このあたりは「ブルーメンワンダルング」(Blumenwanderung)が楽しめるそうです。日本語に訳すとお花畑のハイキング、エンツィアン、ホタルブクロ、アネモネといった花々や高山植物が咲き乱れているそうな。あいかわらず雲が多いのが残念ですが、雨も降っていないし、視界も悪くないし、青空も垣間見えるので、まあ諒としましょう。緑なす斜面を、峨々たる山々やザンクト・アントンの街並みを眺めながらのんびりと歩けばこの世は天国さっ。期待ほどではありませんでしたが、花々もそれなりに咲き誇っていました。写真を撮ったり、一服したり、水を飲んだり、ハイカーに挨拶したり、ゆるゆると一時間ほどかけてガンペンに到着。
c0051620_6281100.jpg

 がくっ、あははははははははは… 膝が笑っている… ずっと下りだったもんなあ、寄る年波には勝てません。恐る恐る山ノ神に「ここからチェア・リフトで降りない?」と神託を伺いました。にたっと笑った彼女、「あら疲れたの」と高飛車な返答。しかし眉間を影が過り「でもリフト券のもとをとるために乗ってもいいわ」。もう、負けず嫌いなんだからあ。チェア・リフトに乗って下山すると、山ノ神曰く、「もとをとるためにもう一回ヴァルーガ山頂まで行かない?」
c0051620_6282662.jpg

 もう、しぶちんなんだからあ。ゴンドラに乗ってガルツィヒへ、さすがにお腹がへったのでここにあったレストランで遅い昼食をとることにしました。幸いメニューに英語表記があったのでしげしげと眺めていると、あった。私の大好物、"Crispy bacon'Rosti'with cheese and a fried egg"、人呼んで「ロシティ」がありました。短冊状のジャガイモをパンケーキのように焼いただけの、ざっかけない料理なのですが美味しいですよ。山ノ神はいつもの肉団子入りスープ(Leberkn?delsuppe)を注文、二人でシェアしながら舌鼓を打ちました。
c0051620_6284999.jpg

 それではヴァルーガバーンを二本乗り継いで山頂へと参りましょう、ロハだし。だいぶ青空も広がってきたし、さきほどよりも眺めがいいかもしれません、ロハだし。展望台に着くと、さきほどよりは視界がクリアになっていました。雲間からさす太陽の光が峻厳な山容を照らし、雲の影とあいまって見事な景観をつくりだしています。妻の意見と茄子の花にゃ千に520ぐらいしか無駄がない、やはり来てよかった、ロハだし。設置してあった無料の望遠鏡を覗くと、どういう仕掛けなのか山の名前と標高が浮かび上がってきます。
c0051620_6291253.jpg


 本日の五枚です。
c0051620_6293926.jpg

c0051620_6295980.jpg

c0051620_6302175.jpg

c0051620_6304444.jpg

c0051620_631423.jpg

by sabasaba13 | 2015-01-22 06:32 | 海外 | Comments(0)

将来の夢

 中立性を装いながら権力に迎合し、権力の発信する情報を垂れ流す凡百のマス・メディアは浜の真砂ほどあれど、権力を監視し批判する硬骨なジャーナリズムは稀有な存在となってしまいました。その一つが『DAYS JAPAN』、定期購読して愛読しています。2015年2月号でも、マス・メディアが権力の暴走を大きく報じなかった不作為の事例を二つ知りました。
 まずは沖縄。昨年、県知事選挙と衆議院選挙において、反米軍基地という一点で団結したオール沖縄が劇的な勝利をおさめました。その背景には、2013年11年25日、沖縄県選出・出身の自民党議員5人が石破茂幹事長と会談、これまでの公約を破り普天間基地の辺野古移設を容認した事件がありました。那覇市議会議員・元自民党新風会の屋良栄作氏曰く、「あれでスイッチが入った」。かりゆしグループ会長の平良朝敬氏曰く、「自分の頭を踏みつぶされたような思い、"平成の琉球処分"」。自民党の横暴と沖縄の人びとの怒りをきちんと伝えたジャーナリズムはあったのでしょうか。(p.24~31) なおその記者会見の様子を写した写真が掲載されていましたが、石破上等兵と議員2人の能面のような無表情と、残り3人の屈辱感に満ちた悲痛な表情の対比が印象的です。一人は石破上等兵を睨みつけていますね。いったい自民党は、彼ら/彼女らを寝返らせるために、どんな甘言・利益供与・恐喝を与えたのでしょう。ま、自民党にとっては所詮collateral damage、他者の痛みなど知ったこっちゃないのでしょうが。沖縄や福島、慰安婦の方々への木で鼻をくくった態度もむべなるかな。
 次に斎藤美奈子氏のコラム、「前途多難な2015年に目指すべきはKKだ!」(p.51)。衆議院選挙で自民党は2議席を減らしたのに、大手メディアの見出しは… 「自公大勝 3分の2維持」(朝日)、「自公圧勝 320超」(読売)、「自公3分の2超 圧勝」(産経)、「自公勝利 3分の2維持」(日経)、「自公3分の2維持」(東京)。毎日新聞だけが「自公微減 291議席」、しかし最終版では「自公横ばい 291議席」。(自民党から圧力があったのかな?) 氏曰く、"あれほど「大勝」「圧勝」と報道されたら、有権者は「投票に行っても何も変わらないんだ」という印象を持ち、ますます選挙離れを起こすだろう"。なおKKとは、KY(空気を読む)のではなく、空気を変えようという斎藤氏のメッセージです。拙ブログも微力ながらその一助になれればと思います。

 今日一番書きたかったのは、そして一人でも多くの人に知ってもらいたかったのは、「DAYSフォローアップ」の中で紹介されていた、おしどりマコさんが教えてくれた「こぼれ話」です(p.50)。福島第一原発事故で東京に非難した一家、その小学校三年生の息子さんは、毎日泣いて暮らして学校へ行くのも一苦労だったそうです。将来の夢という作文の内容は、「僕には夢も将来もない」というもの。しかし小学校六年生になって書いた卒業文集に、初めて将来の夢が出てきました。以下、紹介します。
 僕は6年生の時に、国会議員になりたいという将来の夢ができました。その理由は、6年生の時に起きた2つの政策が原因です。
 まずは、6月1日に閣議決定された『集団的自衛権』の容認です。国のとっても重要なことが、国会の審議も行われぬまま、安倍さんの愉快な仲間たち(内閣)だけで決められてしまい、簡単に国の宝である平和憲法を踏みにじったということが、許せない気持ちになりました。
 そして、もう一つは、4月1日にほとんど名も知られないまま『防衛装備移転三原則』を閣議決定していたということを知ったことです。これによって、それまで武器の輸出を禁じていた『武器輸出三原則』が消されてしまい、日本も銃やレーダーを、外国に向けて大量に輸出できるようになってしまいました。この政策の影響を受けて、6月にパリ郊外で行われた武器の展示会『ユーロサトリ』では、よく見かける日立や富士通、東芝など13社もの日本企業がたくさんの武器等を出展していました。
 こんな、世界を揺るがしてしまう重要なことが、今では、国民にほとんど知られることもなく簡単に決めることができてしまっていることがわかり、とても恐ろしくなりました。
 だから、僕は今、一生懸命勉強して国会議員になって、この戦争の方向に密かに、しかもどんどん向かってしまっているこの国をどうにかして、これまでのような、世界から見て『とても平和な国』だと言われ、そのことを永久に誇れる素晴らしい日本に変えていきたいです。
 東京に避難してから、いろいろなことを考え、いろいろな学生ボランティアに接し、いつの間にこんな作文を書くようになったの、お母さんは驚かれたそうです。
 ひさしぶりに、忘れかけていた希望や勇気を思い出させてくれた文章でした。安倍伍長と愉快な仲間たちに是非読んでもらいたいですね。金儲けのためなら、人間の命や尊厳など一顧だにしない彼らの姿、 それを"許せない""恐ろしい"と感じる子どもがいることに感銘を受けました。昨年末の衆議院総選挙で投票率52.66%という、開いた口がふさがらない体たらくを見せた大人の一人として、子どもたちのためにも頑張らねばとあらためて思いました。
 ただ一つ、"これまでのような、世界から見て『とても平和な国』だと言われ、そのことを永久に誇れる素晴らしい日本"という部分にはかなりの留保が必要でしょう。もちろん、公式な戦争をしてこなかったのは百も承知ですが、朝鮮戦争やベトナム戦争におけるアメリカへのさまざまな援助や協力、そしてそこから得た莫大な利益、さらにはアジアの開発独裁政権との癒着による権益の確保。国内でまかりとおる、ありとあらゆる差別。(沖縄・アイヌ・在日朝鮮人・在日外国人・被差別民・女性・非正規労働者…) これまでの日本が「とても平和な国」だ言うことには二の足を踏みます。「三流の帝国主義国」と言った方が正確だと思えます。ま、安倍伍長が目指しているのは「二流の帝国主義国」への格上げなのでしょう。本当の意味で日本を「平和な国」「一流の平和国家」にするため、○○君、いっしょに頑張りましょう。
by sabasaba13 | 2015-01-21 06:31 | 鶏肋 | Comments(0)

『大軍都・東京を歩く』

 『大軍都・東京を歩く』(黒田涼 朝日新書492)読了。エコカーなどというわけのわからない言葉が氾濫している昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。1~5人の人間を移動させるのに重さ1トン以上の機械を利用するのが何故「エコ」なのか、全く理解することができません。よって未だに運転免許をとらず、てくてくと歩きまわる日々を送っています。地元の東京でもときどき思い立って散歩をするのですが、環境を壊さず、お金もかからず、健康によく、ためになる、素晴らしい趣味だなと自画自賛。でも「すこしの事にも、先達はあらまほしきことなり」(『徒然草』第52段)、やはりガイドブックがあるとより散歩を楽しめます。
 本書は、戦前の東京の主役が軍隊であったという視点で、その軍隊関連の史跡を徒歩でめぐるためのガイドブックです。ほんの七十年前まで、表参道を軍隊が行進し、赤坂に巨大兵舎がそびえ、練馬からは特攻機が発進し、王子では毎日何十万発という弾丸が作られていた大軍都・東京。見出しを紹介すると、「数々の歴史の舞台となった皇居-千代田・丸の内など」「実戦部隊が集中する街-赤坂・青山・芝など」「平和な公園に悲しみの歴史-外苑前・代々木など」「武器製造の地だった文教地区-水道橋・護国寺など」「尾張徳川家の跡地は軍人学校-市ヶ谷・早稲田など」「一大軍事工場として開発された城北-板橋・赤羽」「陸軍と自衛隊、軍の今昔物語」「閑静な住宅街に残る跡-池尻大橋・駒場・三軒茶屋など」。一読、いかに多くの軍関連施設が東京にあったかがよくわかり、目から鱗が落ちました。小石川後楽園が壊されずにすんだのは庭好きな山県有朋のおかげ、中央線がS字を描くのは軍による横やりのため、といった面白いエピソードも満載です。また正確かつ大きな地図とモデル・コースが各章の冒頭に載せられているのにも見識を感じます。この手のガイドブックで一番重要なのは、何といっても地図ですから。
 そしてあらためて、江戸という美しい町を破壊した上に築かれたのが東京であったのだなあ、という思いに強くとらわれます。美しい緑と庭園を擁した大名屋敷のせめて十分の一でも保存されていたら、東京が世界遺産に認定されていたかもなあとつい夢想してしまいます。でも植民地化を防ぎ近代化を強行するためには、日本を「兵営国家(garrison state)」に作り替え、軍隊の論理をあらゆる制度に貫徹するしかなかったのかもしれません。M・サッチャー曰く"There is no alternative (TINA)"、いや独立を確保しある程度の近代化を達成した時点で方向を変えることもできたはず。この本を片手に東京を徘徊し、近代日本が選び得た違う選択肢に想いを馳せるのも一興。永井荷風の呟きを耳朶に響かせながら…
 江戸伝来の趣味性は九州の足軽風情が経営した俗悪蕪雑な『明治』と一致する事が出来ず。(『深川の唄』)

 本日の一枚は、陸軍戸山学校の将校集会施設を地下部分として利用した日本基督教団戸山教会です。
c0051620_6304589.jpg

by sabasaba13 | 2015-01-20 06:32 | | Comments(0)