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植治の庭編(11):無鄰庵(13.11)

 そして無鄰庵へ。先述のように、小川治兵衛が多大な影響を受けた山県有朋との出会いをもたらした庭です。和風建築の主屋の縁に座ると、お庭の全貌を一望することができます。広々とした芝生とその両側を覆う木立、ゆるやかに蛇行する流れは琵琶湖疏水から引いたものですね。庭の奥には、借景とされた東山がたおやかな姿を見せています。伽藍石などをおりまぜた遊び心にあふれる飛石が、見る者を奥へ奥へと誘うかのよう。それではそぞろ歩いていきましょう。流れを堰き止めるように石を連ねる「瀬落ち」が随所にもうけられ、さまざまな水音を奏でています。敷地が細長い三角形になっているので、奥に行くにしたがって木々が密集する深山幽谷の趣となり、やがて三段になった滝があらわれました。醍醐寺三宝院の滝を参考にしたとされ、水の流れる方角を変えることで変化に富んだ水音を楽しめます。その前の流れには無造作に沢飛び石がしつらえられていますが、一つは足の置けない尖った石なので、自然と大きな弧を描いて歩くことになります。洒落た趣向ですね。石の上から下手を眺めると、流れは浮島を浮かべた池となり、おおいかぶさる紅葉とあいまって、美しい景観を楽しめました。
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 茶庭や禅寺といった象徴主義的庭園から、自然主義的庭園への移行の画期となった無鄰庵庭園。必要以上の象徴もなければ、見立ても名所の写しもない。あるがままを基本として、自然の水の流れ、喬木の梢のそよぎなどを庭に取り込んだ近代和風庭園の嚆矢、こちらは一見の価値があります、お薦めです。
 なお入口の脇に無骨で無愛想な洋館がありますが、ここの二階で開かれたのが「無鄰庵会議」です。1903 (明治36)年4月21日、元老・山縣有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎がここにおいて、ロシアの満州における権利は認めても、朝鮮における日本の権利はロシアに認めさせる、これを貫くためには対露戦争も辞さないという態度で対露交渉にあたるという方針への合意がなされました。それにしてもまるで蔵のような閉ざされた防御的な建物です。暗殺を恐れた山県はおそらく、夜はこの洋館に寝たのでしょう。他人をほとんど信じない権力者の孤独をひしひしと感じます。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2015-05-31 09:19 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(10):菊水(13.11)

 その先にあるのが「京料理 京の宿 菊水」、元呉服商寺村助右衛門の別荘で、庭園は小川治兵衛の作庭によるものです。こちらでゆどうふ膳をいただき、その後にお庭を見せていただきましょう。なお食事せずに庭を見せてもらえるかどうかは未確認です。二階の和室に通されましたが客はわれわれのみ、ゆったりまったりとした雰囲気で湯豆腐を楽しむことができました。ちなみにお値段は四千円でした。
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 それではお庭を拝見いたしましょう。植治らしく、疎水を利用した流れがしつらえてありました。流れの上にせりだした茶室、石組と小さな滝、その清冽な水音、一枚石の橋と沢飛び石の対比の妙、橋脚を利用した手水鉢、"水と石の魔術師"の面目躍如です。築山もあって、そぞろ歩きながら景観の変化も楽しめます。なお円山公園の桜と兄弟と言われる枝垂れ桜があるとのこと、春にも訪れてみたいものです。
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 腹福眼福、次にめざすは洛翠庭園です。南禅寺参道に「ゲリラから文化財を守る」という掲示がありましたが、南禅寺を破壊するゲリラっているのでしょうか。参道入口から北へ歩いていくと立派な門がありましたが、解説によると「不明門(あけずのもん)」で伏見城から移築したそうです。この内側が洛翠庭園なのですね。2013.10.26放映の『美の巨人たち』を見て、その素晴らしさに感銘しました。番組のホームページから引用します。
 今日の作品は、"水と石の魔術師"と呼ばれた作庭家・小川治兵衞の代表作『洛翠庭園』。京都市内、南禅寺に近い閑静な住宅街にある、広さおよそ1000坪の"五感で味わう"庭です。
 明治42年に実業家の藤田小太郎の依頼を受け作られました。大きな池の周囲は、うっそうとした緑が生い茂っています。流れるのは琵琶湖疏水から引かれた水。沢渡の飛び石の先に現れる一枚岩の石橋は、二億年前の地殻変動で生まれた青石が使われています。橋を渡ると見えてくるのは明るく伸びやかな庭園。この庭を歩く人の視線は、至る所におかれた石から池の水へ移り、そして遥かに見える東山の街並みと都の空へ…とその流れは下から奥へとなだらかに誘導しているのです。その訳とは…? (中略) 今日の作品を上から眺めると…池は琵琶湖の形。なぜ彼は、庭の中にもう一つの琵琶湖を作ったのでしょう。そして、この庭を構成するすべてのものが、たった一つの目的のために配置されていたのです。それは一体…?小川治兵衞が丹精込めて作り上げた癒しの空間に潜む、驚きの発想と工夫をお楽しみに。
 かつては郵政省共済組合が宿泊施設としていましたが2009年5月に閉館、一般競争入札になり、日本調剤が落札したということです。しかし事前に調べたところ一般公開はされていない模様。しかし日本調剤なら、ラリー・エリソンや野村財閥やニトリよりは与し易いと勝手に判断し、アポなしで見学を申し入れることにしました。アラファト議長に「てんとう虫のサンバ」を歌ってもらうよりは容易でしょう。しかし無情にも門扉は堅く閉ざされていました。インターフォンがあったので意を決してボタンを押し、精一杯愛想よく見学を申し入れると、「申し訳ありませんが公開はしておりません」とあっさり断られてしまいました。入口に「日本調剤研修・保養所」とあったので、調剤士の知人を得ることに尽力しましょう。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2015-05-30 06:27 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(9):並河靖之七宝記念館(13.11)

 それではお庭を拝見しましょう。それほど広くはない庭の中央は疎水を引き入れてつくられた池が占めており、その上に主屋が釣殿のように張り出しています。まさしく「水の庭」ですね。
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 もう一つの見どころは石です。風格のある沓脱石、空中に浮かぶような一文字の手水鉢、さまざまな意匠の燈篭、リズミカルな沢飛び石、柱の礎石に使われた伽藍石。見て歩いて楽しめる石の饗宴です。
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 中でも犬走り(※建物の足元が泥の跳ね返りなどで汚れるのを防ぐために設けられた通路状の舗床)は圧巻でした。波打つような舗床に、古瓦をまじえたさまざまな形の石が敷き詰められた秀逸な意匠。飛び石や景石(※風致を添えるためにところどころに置かれている石)とあいまって、まるで抽象絵画を見ているよう。植治の遊び心に惹きこまれます。紅葉はそれほどなかったのですが、一見の価値はあるお庭です。お薦め。
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 それでは昼食の予約を入れてある「菊水」へと向かいましょう。白川沿いの紅葉を楽しみながら南禅寺の参道へと行き、右に曲がると「対龍山荘」がありました。『庭師小川治兵衛とその時代』から引用します。
 対龍山荘という名は、南禅寺の山号が瑞龍山であることによるといわれる。瑞龍山に対峙するという意味で対龍山荘という名がつけられたのである。したがって建物の中心をなす書院は対龍台と名づけられている。正面から京都の名刹南禅寺に対峙しようとする名称である。その意気込みにふさわしい大きな広がりをもつ別荘といえよう。市田弥一郎は彦根の商家の三男に生まれ、才能を見込まれて市田家の養子に入り、呉服の行商から出発して維新後の1874(明治7)年には、東京日本橋に京呉服の卸問屋を構えるまでになったという、立志伝中の人物である。京都の伝統的呉服商の近代化に成功した実業家といえよう。
 対龍山荘は市田弥一郎の私的な別邸であるとともに、そのビジネス商品である呉服を示し、顧客に深く印象づける舞台装置でもあったのではないか。小川治兵衛の大庭園は、そうしたビジネスとも結びついている。庭園に近代性が宿る所以である。単なる庭師でなく、総合的なプロデューサーの視点をもって、彼は庭園の構成をまとめあげ、その効果的な使い方を演出したのである。いたずらに象徴主義的な構成を墨守せず、広々と開ける快活な自然主義的庭園を彼が求めたのは、時代が要求する庭園の本質を植治が見通していたからである。(p.135~6)
 小川治兵衛の代表作、見たい、見たい、見たいと子供のようにだだをこねても非公開です。"この中に入れてくれよと泣く子かな" 非情にも門は堅く閉ざされていました。現在はニトリの所有となり迎賓館として利用されているとのこと。ニトリの家具を1万円以上購入したら抽選で招待してもらえる、なんて無理ですかね。英断を期待します。

 本日の四枚、並河靖之七宝記念館(3枚)と対龍山荘です。
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by sabasaba13 | 2015-05-29 06:31 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(8):真如堂(13.11)

 哲学の道には見応えのある紅葉はありませんでした。左に折れて白川通りを渡り、真如堂へ。盛りは過ぎたとはいえ、まだきれいに色づいているもみじを愛でることができました。広い境内をうめつくすもみじ、やはりここは定番中の定番ですね。拝観料がただというのも魅力です。写真を撮りながらそぞろ歩いていると、「京都 映画誕生の碑」というカメラを模したモニュメントを見つけました。解説を抜粋して引用しますと、1895年にフランスのリュミエール兄弟によって発明された映画(シネマトグラフ)が、二年後の1897年に稲畑勝太郎によって日本に持ち込まれてはじめて上映されたのがここ京都でした。そして1908年、横田永之助の依頼を受けた牧野省三が、日本初の映画「本能寺合戦」を撮影したのが真如堂の境内です。その百周年を記念して建てられたモニュメントというわけです。
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 そして金戒光明寺へ向かいましたが、その途中にあった西雲院には、それはそれは見事に色づいた真っ赤なもみじを見つけました。こういうマイもみじに出会えると嬉しいですね。金戒光明寺では庭園を拝見しましたが、残念ながらもう散りはじめていました。参道の紅葉はきれいでしたが。
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 岡崎公園のあたりを歩いていると、「子宝」という洋食屋にとてつもなく長い行列ができていました。うーん、そこまでして食べるに値する味なのでしょうか。雑誌やインターネットの情報にふりまわされているような気もしますが。岡崎公園には「舞妓体験処 心のトイレ」という謎のトイレがありました。舞妓姿に変身して用を済ませて心の平安を得るという趣向なのでしょうか。これは入らずにはなるめえ、アイ・コンタクトをとって二人で中へ。男性用は別段変わったところはありませんでした。山ノ神に訊くと、女性用も同様。いったい何だったのだろう??? "秘すれば花"ということにしておきましょう。
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 平安神宮の大鳥居へ出て、白川沿いにすこし歩くと並河靖之七宝記念館に到着です。先述したように、七宝作家の並河靖之が研磨のために疏水の水を自宅に引き入れ、その一部を池水に利用したのですが、その庭をつくったのが隣に住んでいた小川治兵衛でした。1894年に作庭された植治の処女作でもあります。まずは展示室で彼の作品を拝見しましたが、その精巧さと美しさには目を奪われました。七宝とは、金属の素地にガラス質の釉薬を焼き付けて装飾する工芸ですが、これほど完成度の高い作品を見るのは初めてです。眼福眼福。
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 本日の五枚、上から真如堂(3枚)、西雲院、金戒光明寺です。
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by sabasaba13 | 2015-05-28 06:33 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(7):南禅院・永観堂(13.11)

 南禅寺の境内を散策しながら紅葉を愛でましたが、盛りは過ぎたようです。琵琶湖疎水支流を導く水路閣は、風格のある見事な建造物です。景観を意識してつくったのでしょう、その識見には頭を垂れましょう。
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 階段をのぼったところにあるのが南禅院、紅葉の時期には訪れたことがないので入ってみることにしました。小さな池のまわりを埋め尽くすように色づく紅葉もきれいだし、高低差のある小道を歩いて池を一周でき景観の変化を楽しめるし、水面に映る紅葉も興趣があるし、それほど混雑もしていないし、こちらは穴場です。秋の名残を愛でていると、山ノ神が近づいてきて満面の笑みでデジタル・カメラのディスプレイをかざします。「決定的瞬間を撮ったわ」 どりゃどりゃ…本堂の大広間で、寺男さんが座布団を投げている場面でした。彼女曰く、まるで手裏剣のように次々と座布団を投げて並べる腕前は、匠の技だったそうです。修行の一環なのか、単なる手抜きなのか、よくわかりませんがそれは見たいものでした。
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 南禅寺の境内を通り抜け、次に向かうは永観堂です。なおこのあたりに、植治の傑作のひとつ、碧雲荘があるのですが公開はされていません。noblesse obligeというじゃありませんか、ここは一つ入園料1000円でもいいから一般公開して太っ腹なところを見せてほしいものです。定番中の定番、紅葉の名所・永観堂はさすがに大混雑でした。それにしても拝観料1000円とは強気ですね。この時期の拝観者数が一日五千人だとして…いや無粋な計算はやめましょう。お坊さんだって霞を食べて生きているのではないですから。
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 境内を埋めつくす雑踏に辟易しながらも、紅葉を堪能。なんだかんだ言って、この時期は見応えのあるお寺さんです。出口のところに「ご朱印帳をお忘れでは?」という立て看板がありましたが、朱印を押し忘れに喚起を促すということなのでしょうか。
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 それでは哲学の道をすこし歩いてから真如堂へと向かいましょう。パーキング「タイムズ」の看板が、お馴染みの黄色ではなく白でした。景観に配慮したということなのか、あるいはそのふりをして企業のイメージ向上を図ったのか、よくわかりません。「日の出うどん」という店には長蛇の列ができていましたが、よほど美味しいうどんなのでしょうか。
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 なおこのあたりのお宅では、「月当番」という札がぶらさげてあったり、玄関先に「防火用」という赤いバケツが置いてあったりしました。みんなで協力して暮らしていこうという、コミュニティの息遣いを感じます。
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 安楽寺参道の石段を覆うもみじを撮影し、すこし歩くと「野犬にエサをあたえないで下さい」という注意書きがありました。へえ、そういう奇特な方もいるんだ、はた迷惑かもしれませんが。
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 本日の四枚、上から南禅寺、水路閣、南禅院、永観堂です。
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by sabasaba13 | 2015-05-27 06:35 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(6):南禅寺界隈(13.11)

 生垣の向こうの紅葉を、指をくわえながら写真におさめ、すこし歩くと何有荘(かいうそう)の立派な門がありました。『シリーズ 京の庭の巨匠たち 2 植治』(京都通信社)には次のような記述があります。
 また「南禅寺疏水水道の下天授庵の南にあり山崕を包ねて…」と『京華林泉帖』に記された何有荘(もと稲畑勝太郎氏の「和楽庵」)の眺望景観も圧巻だ。書院の正面に滔々と流れ落ちる「瑞龍の滝」が紅葉に映える情景の素晴らしさもさることながら、上方の「草堂」に昇れば、眼下に南禅寺の山門、遥か彼方に比叡山から北山の山並み、さらには愛宕山までが一望のもとにあり、修学院離宮「隣雲亭」からの眺望に匹敵する雄大な世界がパノラマのように展開しているのである。(p.17)
 なおウィキペディアによると、このお庭は数奇な運命をたどっているようです。1953年に宝酒造の大宮庫吉が譲り受け、「何有荘」と名付けましたが、その後、宗教法人大日山法華経寺の所有となり、一般公開されたこともあったようです。2005年に居住していた社長が何有荘の売買を巡る詐欺事件で逮捕され、担保に入っていたため整理回収機構が競売を申し立てました。競売中にも関わらず、不法行為により登記事項が変更されていることが発覚。京都地裁による保全措置のため2005年から非公開となります。2006年に大阪の不動産会社「津多家」が26億3893万円で落札。2010年 には庭園を維持するため、クリスティーズの仲介により80億円にて売りに出され、オラクル社CEOである、アメリカ人実業家ラリー・エリソンが購入。どうやら一般公開はしばらく望めそうもありません。なお2013年 に維持困難との理由で、武田五一が設計した洋館が京都工芸繊維大学に寄贈され、大学キャンパスに移築されることになったそうです。これは機会を見つけてぜひ訪れたいものです。
 金地院を通り過ぎ、右に曲がるとお目当ての天授庵ですが…長い長い行列ができています。ま、これは想定内でした。前述のように、2013年のJR東海キャンペーン「そうだ京都、行こう」で取り上げられたので、黒山の人だかりです。なおキャッチ・コピーは"「今年の紅葉」を見に行く、と言いながら 「今年の自分」を見に行く私、でもありました"。馬に蹴られて死にたくないのでぐだぐだ言いませんが、そんなに簡単に企業の口車に乗っていいのですかね。縁に座って、モダンな意匠の敷石と紅葉の取り合わせを心静かに楽しみたかったのですが、潔く撤収。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-05-26 06:13 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(5):南禅寺界隈(13.11)

 この山県の要望に応えたのでしょう。疎水関係者は、起工時の内務卿であり竣工時の首相であった山県への謝意を表するために、疎水の水を贈りました。さすがに池の水とは公言できなかったので、「防火用水」という名目ですが。さて、無鄰庵の工事中、山県有朋は日清戦争のため中国東北部へ出征していました。留守中、彼の命を受けて工事を督励したのは、久原庄三郎。房之助の父、藤田伝三郎の弟、久原財閥の基礎をつくった政商です。彼が、白川のほとりの七宝細工師たちの庭をつくっている庭師の話を聞き付け、そこに無鄰庵修築の話をもちこんだのではないか、というのが鈴木氏の推測です。
 そして山県有朋の強い影響を受け、その庇護のもとに、植治は次々と新しいタイプの庭をつくっていくのですが、その特徴は何か。一言でいえば、茶庭や禅寺といった象徴主義的庭園から、自然主義的庭園への移行です。必要以上の象徴もなければ、見立ても名所の写しもない。あるがままを基本として、自然の水の流れ、喬木の梢のそよぎなどを庭に取り込んだのです。無鄰庵庭園の出来が素晴らしかったことにあって、権力者や財界人はこうした自然主義的な庭を求めて植治に作庭を依頼するようになりました。その背景について著者は次のように分析されています。権力者や財界人に明治期の新興勢力は、国家としての日本を最大限近代化しようと努力しました。しかし近代化を主体的に推し進めれば推し進めるほど、アイデンティティが揺らいできます。その不安を跳ねのけて、安心と誇りと慰めを得るためのものとして、彼らは書画骨董、造園造庭あるいは茶事を趣味としました。なかでも庭園は、最も心安らぐ場を与えてくれるものでしたし、それを構えるには莫大な財産が必要であったため、彼らを力づけてくれる大いなる魔力をもっていました。その際に、教養の無さもあってか、禅宗寺院の庭園に付きまとっている象徴的意味の体系は彼らには重すぎました。彼らはあくまでも自己流に、自己の審美眼を基調にし、自然の構成を善しとした自然主義的な庭園をつくることになります。また自然のなかで貧しい少年時代を送った彼らは、財力を誇示できるようになってから築いた大きな庭のうちに、自分たちの原風景を再現しようとしたのかもしれません。いずれにせよ、小川治兵衛のつくる自然主義的な庭園に彼らは心惹かれ、ここ南禅寺界隈には、琵琶湖疎水の水を利用した別荘群が数多く建てられました。後学のために紹介しておきましょう。
碧雲荘、何有荘、對龍山荘、流響院(旧織寶苑)、清流亭、有芳園、真々庵(かつて松下幸之助が所有)、無鄰庵(旧山縣有朋別邸)、清風荘(旧西園寺公望邸)、智水庵、怡園(旧細川家別邸)、旧上田秋成邸(現)、洛翠、旧寺村助右衛門邸(現 京料理「菊水」)
 管見の限りですが、このうち見学できるのは無鄰庵と旧上田秋成邸と旧寺村助右衛門邸だけのようです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-05-25 06:25 | 京都 | Comments(0)

『チェルノブイリ28年目の子どもたち』

 『ルポ チェルノブイリ28年目の子どもたち』(白石草 岩波ブックレット)読了。山ノ神が同名の映像報告を見ていたく感銘を受け、その場で購入したブックレットです。薦められて私もすぐに一読、福島との落差に愕然としました。裏表紙に載っていた概要を転記します。
 1986年4月に発生したチェルノブイリ原発事故から28年が経つウクライナを丹念に現地取材。現在でも、多くの子どもが、白血病やがんをはじめ様々な疾患を抱える。子どもたちの命と健康を守るために、学校と医療機関の連携や定期的な保養など、国・自治体による多様な取り組みが行われている。福島原発事故を経た今、日本はチェルノブイリの経験をどう活かすべきか。
 著者の白石氏は非営利のインターネット放送局「OurPlanet-TV」を主宰するジャーナリストです。この取材をするきっかけをつくったのは、2012年秋、福島原発事故の影響を受けた地域の子どもたちを支援している三人の方です。放送局のオフィスを訪れた彼ら/彼女らは思い詰めた表情でこう切り出したそうです。「チェルノブイリをビデオで取材してほしいのです」 事故から一年半以上経つのに、政府は子どもを被曝から守る対策をまったくとっていない。十分な情報もない。自分たちが何をすれば、子どもたちを守れるのか。チェルノブイリの現状を知って、そこから子どもたちを守る術を学びたいということですね。
 チェルノブイリ原子力発電所があったウクライナは今、財政難がピークに達し、内戦状態でもあります。しかし事故で被害を受けた人たちへの健診や保養は欠かすことなく、中でも子どもたちの健康は常に国策の中心に置かれていることがよくわかりました。学校現場や保養キャンプでのさまざまな取り組みについては本書をご一読ください。ぜひ紹介したいのは、子どもたちを守ろうとする大人たちの真摯な姿勢と固い決意です。白石氏がインタビューされた三人の方の言葉に耳を傾けてください。
コロステン病院のアレクサンドル・ザイエツ医師
 子どもたちの健康をモニタリングすることが重要です。親だけでなく学校の先生も協力し、健康異常の早期発見が必要なのです。日本もウクライナも、事故の影響を最小限に食い止めなければならない。ウクライナにはチェルノブイリ法という法律があり、被災者は年に一度必ず健康診断を受けます。子どもはもちろん大人もです。日本も同じでしょうね。必ず続けるべきです。(p.13)

キエフ第177学校のイリーナ・スタシュフカ校長
 残念ながら、100%健康な子どもはいなくなりました。健康レベルは高くはなりません。学校こそ、子どもの健康を守る役割を果たさなければなりません。(p.49)

教育科学省・一般教育校担当のコトゥセンコ・エレーナ主任専門官
 保養は続けるべきです。27年が過ぎましたが、まだ汚染地域に住んでいる子どもがいます。ですから残念ですが、まだまだ健康管理は続けなければなりません。保養というのは大事な対策なので国はこれからも継続する考えです。私たち大人にとって大事なのは子どもたちの健康です。日本の皆さんにも子どもの健康を大切にするようにしてほしいです。(p.63)
 それに比べて日本の現状はどうかというと…
 2014年8月17日、全国紙五紙と福島県の地方紙二紙に、「放射線に関する正しい知識を」と題した政府広報が掲載された。IAEA保健部長のレティ・キース・チョム氏と東京大学医学部附属病院放射線科准教授の中川恵一氏の講演内容をもとに構成した全面広告で、東京新聞の取材によると一億円をかけているという。
 チョム氏は「人類が登場するよりもはるかに昔から、放射性物質による放射線の放出は、われわれ地球の営みの一部」であるとした上で「かなり高い線量でない限り、健康への影響は出ない」と主張する。また中川氏は、「わずかな被ばくを恐れることで、運動不足などにより、生活習慣が悪化し、かえって発がんリスクが高まるようなことは避けなければならない」との持論を展開。「広島や長崎でさえ遺伝的影響はなかったと考えられて」いるにもかかわらず、福島県内の女子生徒の多くが将来の出産に不安を抱えているとして、「メディアの報道の仕方に問題はなかったのでしょうか」と述べている。
 私はこの政府広報を目にしてショックを受けた。被害は起こらないはずだから、口に出すなという政府の強い意志が読み取れたからである。(p.66~7)

 福島県で二人の子どもを育てている40代の母親は、「美味んぼ」騒動が起きて以降、これまで以上に被曝に関する話題を口にできなくなったと嘆く。事故当時、小学校四年生だった息子は、事故の三カ月後に大量に鼻血を出し、体調を崩した。現在は中学二年生になるが、疲れやすく、ぐったりと横になることが多いという。しかし、こうしたことを相談できる相手は少ない。国の態度は、現実に起きている事実を封印する役割を果たしているのである。(p.76)
 いやはや… ウクライナ政府は被曝した子どもたちの保養のために約16億円を使い、日本政府は被曝という事実を封印するために1億円を使う。
 子どもたちの健康被害を無視するということは、子どもたちを救わないということは、日本に末来はないということです。「日本の存立」にとって最大の危機ですよね。
 2014年7月の閣議決定において日本政府は、"集団的自衛権は、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」に行使する"と明言しましたよね。いやはや。日本の存立を脅かし、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を根底から脅かしているのは、間違いなく日本政府です。安倍伍長、日本政府から私たちと子どもたちを守ってください。
by sabasaba13 | 2015-05-24 08:11 | | Comments(0)

属国? 植民地? 傀儡政権?

 朝日新聞夕刊(2015.5.18)に掲載されたオスプレイ事故の記事に、次のような衝撃的な内容がありました。
 防衛省は、普天間飛行場でのオスプレイの運用は「米軍が判断すること」としており、飛行停止など日本政府から求める考えはないという。
 うぉっと。日本は主権国家ではない、と明言したわけですね。なおこの手の発言は、今回がはじめてではありません。先日読み終えた『沖縄の<怒>』(ガバン・マコーミック+乗松聡子 法律文化社)の中でも紹介されていました。
 2012年7月、オスプレイ配備のような問題は米国政府が決定するものであるから、日本が「どうしろ、こうしろという話ではない。」という野田首相の発言は衝撃的でした。しかしそれ以上に恐ろしかったのは、この発言が政界でも世間でも大した騒ぎにならなかったことです。日本は主権国家ではないということを大半の日本人は認めているということでしょうか。(p.ⅱ)
 今回もおそらく大した騒ぎにはならないでしょう。すべての政策論議はここから始めるべきだと思いますが。「現在の日本が主権国家ではなく、アメリカの属国であるのは是か非か」
 ちなみに“属国”について、ガバン・マコーミック氏は『属国』(凱風社)の中で以下のように定義されています。
 うわべだけでも独立国家の体裁があるが、自国の利益よりはほかの国の利益を優先させる国家 (p.3)

 11面の記事には、横須賀を母港としてきた原子力空母ジョージ・ワシントンが離日し、秋までには同型艦が配備されるというものでした。しかし、原子力艦船の事故対策が置き去りにされていると批判しています。以下、引用します。
 原子力艦船の事故対策も強化する必要はないのか。横須賀市は13年4月、国の考えを整理するよう外務省に文書で要請。昨年8月にも再要請したが、防災対策を担当する内閣府は「問題意識は承知している」、米軍との調整にあたる外務省も「なお一定の時間が必要」としたまま、すでに2年が経過している。
 ふーん。国民の生命を守るために主権を発動し、米軍に要求をつきつけようという気概はかけらもないわけだ。2014年7月の閣議決定において日本政府は、"集団的自衛権は、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」に行使する"と明言しましたよね。いやはや。日本の存立を脅かし、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を根底から脅かしているのは、アメリカ政府と在日アメリカ軍、およびその植民地政権として尻尾を思いっきり振っている日本政府ではないのかな。安倍伍長、米軍と日本政府から、私たちを守ってください。
by sabasaba13 | 2015-05-20 06:30 | 鶏肋 | Comments(0)

『オスプレイの真実』

 朝日新聞夕刊(2015.5.18)の一面を見て、溜息をつきました。やれやれ、この危険な軍用機がこれからどんどん沖縄の、そして日本の空を飛び交っていくのだな。まずは政府や防衛省のお花畑のような暢気なコメントなど信用せず、事実を確かめるのが何より大切です。以前に読んだ『オスプレイの真実』(赤旗政治部「安保・外交」班 新日本出版社)を元に紹介します。
 オスプレイとは何か? 正式名称はV-22、プロペラの角度を変えることによってヘリコプターのように垂直に離着陸でき、飛行のように水平に飛行できるアメリカの軍用機です。なお「オスプレイ(Osprey)とは猛禽類の一種「ミサゴ」のこと。
 このオスプレイの問題点は、アメリカでは「ウィドー・メーカー(widow maker)」、つまり"多くのパイロットを殺して未亡人をつくる軍用機"と呼ばれるほど墜落事故が多いことです。米軍の資料によると2006~11年の五年間だけで58件、死者も出ています。これは人為的ミス(human error)ではなく、機体の構造的欠陥によるものだという指摘がされています。具体的には、強襲揚陸艦への搭載を可能にするため、二つの回転翼が小さいことが原因のようです。強襲揚陸艦で世界中のどこへでも殴り込みをかけるため、安全性を二の次にしたのですね。また軍事評論家のカールトン・メイヤー氏は、「オスプレイ開発に関わる企業が43社あり、配備強行の背後には議会や軍需産業の圧力がある。米軍最大のスキャンダルだ」と憤ります。
 そして敵レーダーに見つからないように飛行する低空飛行訓練が、日本全国で行なわれる予定です。地上約60mで行なわれるこの訓練は、日本の航空法では禁止されているのですが、政府は容認しています。考えられうる最悪の事態は、オスプレイが核(原子力)発電所近くで墜落し、深刻な事故(severe accident)につながることでしょう。

 やれやれ。2014年7月の閣議決定において日本政府は、"集団的自衛権は、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」に行使する"と明言しましたよね。いやはや。日本の存立を脅かし、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を根底から脅かしているのは、アメリカ政府と在日アメリカ軍、およびその植民地政権として尻尾を思いっきり振っている日本政府ではないのかな。安倍伍長、米軍と日本政府から、私たちを守ってください。

 もう一つ気になること。同新聞の記事を引用します。
 海兵隊仕様のMV22は、米軍普天間飛行場に24機配備されており、陸上自衛隊も同機種のオスプレイを2018年度までに米側から計17機購入することを決め、佐賀空港への配備を検討している。
 教育や福祉の予算を削って、widow makerを17機も買うわけですか。なぜ? やはりメイヤー氏が言うように、議会や軍需産業の強烈な圧力を受けたアメリカ政府からの強要なのでしょうか。あるいは…考えたくもないのですが…危険だと知りつつ、事故によって国民の生命が脅かされるのも知りつつ、日本政府が飼い主に頭を撫でてもらうために、自主的に購入を決定したのでしょうか。わん。まさかね、いや有り得るな。おそらくその双方でしょう。いずれにせよ、率先垂範、まずは安倍伍長専用機として使用してほしいものです。ちなみに、米軍のオスプレイが配備されている国、そして自国軍隊のためにオスプレイを購入した国、これから購入予定の国を知りたいですね。メディアはこうした報道をすぐにして下さい。もしかしたら、日本だけ?

 先日紹介しました『終わりと始まり』(朝日新聞出版)の中で、池澤夏樹氏はこう指摘されています。
 2004年8月の沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事件で米軍はまことに横暴にふるまったが、幸いこの事故では住民への被害はなかった。今もしオスプレイが墜ちて、もし1959年の宮森小学校米軍機墜落事件のようにたくさんの死者が出たら(小学生11人、一般住民6人)、抗議する沖縄人は基地になだれ込むだろう。米兵は彼らを撃つかもしれない。(p.218)

by sabasaba13 | 2015-05-19 06:32 | | Comments(0)