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世界ネコ歩き写真展

c0051620_8154627.jpg 山ノ神が写真家・岩合光昭氏の「世界ネコ歩き写真展」の無料券を二枚もらってきて、今度の日曜日に行きましょうと誘いをかけてきました。場所は、日本橋の三越か… おもいっきり朝寝坊をして、NHK-FM「名演奏ライブラリー」を聞きながら旅行記を執筆し、12:00から14:00までテニスをして、三越で写真展を見て、「たいめいけん」でメンチカツを食べる。おお、「素晴らしき日曜日」になりそうでごわすな、よかよか、と承諾しました。
 岩合光昭氏は、2010年に写真展を拝見して以来のファンです。私も山ノ神も猫が大好きで、岩合氏の写真を参考にしながら、日本やヨーロッパのを撮影してきました。われわれだけの秘密の猫写真家として密かに心の交感を勝手にしていたのですが、NHK BSプレミアムの「世界ネコ歩き」で人気が出てしまいちょっと残念。今回は猫に特化した写真展、楽しみです。
 執筆とテニスを終え、午後三時半ごろに日本橋の三越に到着、おお入場券を買うための長蛇の列ができています。無料券を提示して会場内に入ると、たいへんな混雑です。意外だったのは男性の姿が目立ったこと、私のように仕事に疲れて猫に癒しを求める人が多いのかな。それはさておき、場内はネコ、ネコ、ネコのオンパレード。犬とは違い、人間に寸毫も媚びず、自由気儘にふるまうネコたちの愛らしい姿に見惚れてしまいました。私も旅行中に猫の写真はかなり撮ってきたのですが、こうした自然な仕草や表情はなかなか記録媒体におさめられません。"猫時間"に合わせてじっくりとつきあうこと、"猫目線"となって相手の警戒心を解くこと、これが良い猫写真を撮る要諦なのだと肝に銘じましょう。旅程におされて前者はなかなかできないので、せめて後者だけでも実践していきたいと思います。
 フランス、ベルギー、クロアチアギリシア、ハワイ、ウルグアイ、台湾、沖縄など世界各地の景観に溶け込んだ猫たちの姿も印象的でした。猫って、どんな地にいても違和感なく、そして絵になる生き物です。あらためて猫の魅力に気づかされた、素敵な写真展でした。"ネコが幸せになれば、ヒトが幸せになり、地球が幸せになる"、岩合氏の言葉です。権威に盲従せず、無用な争いを避け、自然を破壊せずに安楽な日々を貪る、猫の叡智に学ぶのもいいかもしれません。
 帰りに特設会場に寄って、飛び猫のクリアファイルと絵葉書を購入。高速道路の下で苦しそうに呻吟する日本橋を渡って「たいめいけん」に入りました。私はメンチカツ、山ノ神は蟹マカロニグラタン、そして二人とも50円のボルシチとコールスローサラダを注文。われわれの舌鼓の音とともに日曜日の黄昏時は過ぎていきました。
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 おまけで、猫に関する名言と、私が撮影した眠り猫の写真を載せました。上から、川平(石垣島)、モスタル(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)、尾道(広島県)、大平台(神奈川県)です。
 わが家に在って欲しいもの/解ってくれる細君と/散らばる書冊のあいだを縫って踏まずに歩く猫一匹/命の次に大切な四五人ほどの友人たち。(ギヨーム・アポリネール)

 猫はあまり明るいところのない生活のなかであなただけが唯一の光明であるみたいにけっしてふるまったりしないのだ。(レイモンド・チャンドラー)

 猫に愛情を感じない人間は芸術家としての情操に欠くるところありと断言して憚らないネ。(伊丹万作)

 猫に名前をつけるのはむずかしいことです。(T・S・エリオット)

 筋のよい猫は空きっ腹のときよりも腹いっぱいのときによく鼠をとる。(ベンヴェヌート・チェッリーニ)

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by sabasaba13 | 2015-06-30 08:19 | 美術 | Comments(0)

植治の庭編(20):帰郷(13.11)

 さて帰りの新幹線発車時刻までまだ時間があるので、嵐山をちょいと見に行くことにしました。今出川駅から地下鉄烏丸線で烏丸御池駅へ、地下鉄東西線に乗り換えて太秦天神川駅へ。ここで嵐電に乗り換えて嵐山駅に到着。さすがは嵐山、もう午後四時半だというのにたいへんな混雑です。渡月橋に行き、嵐山を撮影。残念ながら曇天のため、きれいな紅葉には出会えませんでした。
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 ふたたび嵐電と地下鉄を乗り継いで四条駅へ、山ノ神のリクエストに応えて錦市場に寄りましょう。香味ちりめん山椒を大丸の地下で、わが家御用達の卵焼きを「三木鶏卵」で購入。私の大好きな、笠木が両側の建物にめりこんだ錦天満宮の鳥居をまた撮影。
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 新京極の「田丸印房」で源頼朝のゴム印をゲット。この方は足利直義だという説が有力なのですけれどね。まだ時間があるので、ひさしぶりに「鍵善良房」でくずきりを食べようということになりました。鴨川を渡ると、カップルが等間隔で河辺に座り二人の世界にひたっています。
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 四条大橋を渡って「鍵善良房」に行くと…やれやれもう店は閉まっていました。いたしかたない、早めに京都駅に行くことにしましょう。途中でデパートに寄って、近江牛ミンチカツと関西風うなぎ弁当と焼鯖すしを購入。新幹線の中で美味しくいただきました。
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 というわけで、紅葉と植治の庭めぐり、一巻の終わりです。後日談ですが、2015年1/1(木)と1/2(金)の15:00~16:00に、NHK Eテレで「京都・南禅寺界隈別荘群」という番組を視聴しました。庭師さんたちが、いかに心をこめて庭の手入れをされているか、よくわかる好番組でした。赤松の落ち葉で苔を覆い保護する(敷松葉)。水が石の隙間に入らぬよう、赤松の落ち葉を束ねて石の縁に置く。赤松の松葉を、遠くは濃く、手前は薄く、手で梳く。濃淡遠近法を演出するためですね。石組の置き方を微妙に変えて水の音に変化をつける。對龍山荘を世話する庭師の山崎さんは週に六日手入れのために通うそうです。これからはそうした庭師さんたちの心遣いにも眼が届くようになりたいものです。と同時に、良い庭を良い状態で維持するためには、莫大なお金がかかることも納得。そう簡単には公開できないのですね。でも、でも、でも、見せてほしい。
 なお公開されている小川治兵衛の庭は、白河院庭園、がんこ高瀬川二条苑、楽々荘、仁和寺北庭、京都国立博物館庭園、高台寺土井庭園、旧上田秋成邸庭園(現・京料理とお庭の宿 八千代)があるそうです。京都を訪れる楽しみがまたひとつ増えました。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-06-29 06:33 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(19):京都平安ホテル(13.11)

 登録有形文化財に指定されている平安神宮の大鳥居を撮影して、地下鉄東山駅へ向かって歩いていると「桝富」というお店に長蛇の列ができていました。今調べてみると、鴨肉の美味しい蕎麦屋さんだそうです。よろしい、覚えておきましょう。
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 東山駅から地下鉄東西線で烏丸御池駅へ、地下鉄烏丸線に乗り換えて今出川駅で下車。めざすは京都平安ホテルの日本庭園です。とはいえ時刻は午後三時すこし前、何も食べずに徘徊していたので♪お腹と背中がくっつくぞ♪状態です。近くに地元民経営の喫茶店はないものかと見まわしましたが、ありません。ホテルに向かって歩いていると「府民ホール ALTI」があり、その中に喫茶店があるようです。さっそく入店してサンドイッチと珈琲を所望。やれやれ一息つけました。
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 そして京都平安ホテルに到着。フロントで見学をしたい旨を告げると、快く了承してくれました。ここは公家屋敷の庭園として江戸時代に造られた池泉回遊式お庭で、大正年間に小川治兵衛氏の手により改造されたそうです。それではさっそく拝見いたしましょう。池と滝、築山で構成された小振りなお庭ですが、植治の魅力がぎゅっと凝縮されているようです。遊び心にあふれた石橋や沢渡石、景観にあわせて配置されたさまざまな意匠の石灯籠、飛び石・石組・景石の妙、満喫させていただきました。惜しむらくは、無味乾燥で無粋なホテルが水面にきれいに映ってしまうこと。ほんとに何とかなりませんかねえ。
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 なおこのお庭は、米国の日本庭園専門誌「Journal of Japanese Gardening」の「2014年日本庭園ランキング」の4位に選ばれたそうです。これは、米国在住のダグラス・ロス氏が日本庭園を世界中に紹介するために1998年に創刊した英語の隔月刊誌で、ただ「大きい」「有名」であるだけの庭園よりも、本当にゆったりとした美しい空間に人々の目を向けようと、日・米・豪の専門家たちが日本全国の日本庭園を調査し、庭そのものの質、建物との調和、利用者への対応などを総合的に判断し順位をつけたそうです。参考までに2014年のランキングを紹介しましょう。
第1位 足立美術館 (島根 美術館)
第2位 桂離宮 (京都 国有財産)
第3位 湯村-常磐ホテル (山梨 旅館ホテル)
第4位 御所西 京都平安ホテル (京都 ホテル)
第5位 山本亭 (東京 旧個人邸)
第6位 養浩館庭園 (福井 旧藩主別邸)
第7位 無鄰菴 (京都 旧山県有朋邸)
第8位 佳水園皆美 (島根 旅館ホテル)
第9位 栗林公園 (高松 旧藩別邸)
第10位 庭園の宿 石亭 (広島 旅館)
 まだまだ拝見していないお庭がたくさんあり、嬉しく思います。他者の評価にふりまわされる気はありませんが、それなりの根拠もあるでしょう。機会を見つけてぼちぼち訪れてみましょう。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2015-06-28 08:19 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(18):青蓮院・平安神宮(13.11)

 そして青蓮院に立ち寄りました。門前にある、根に苔をまとった大きな楠はいつ見ても圧倒されます。紅葉はそれほど多くはないのですが、それなりに晩秋の風情を楽しむことができました。なお昨日に並河靖之七宝記念館で見たものと似ている手水鉢がありましたが、作庭の伝統が植治の中に脈々と受け継がれているのを実感しました。
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 青蓮院のすこし先にある粟田神社は、紅葉の穴場です。本殿へ続くゆるやかな石段を、楓のトンネルが埋めつくしています。
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 しばらく歩いて岡崎疏水を渡り平安神宮に到着。1895 (明治28)年の平安遷都1100年を記念して桓武天皇を祀る神社として創祀されました。こちらの神苑が小川治兵衛の作庭によるものなので、拝見することにしましょう。まずは西神苑へ、「野筋」(入り組んだ細い道筋)と「遣水」(幾重にも流れ込んでいる小川)で構成されており、鄙びた山里の雰囲気です。変化に富んだ護岸石組や洒落た意匠の石橋を楽しむことができます。なおこのあたりは紅枝垂れ桜が密集しているので、ぜひ春に再訪したいものです。
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 白虎池をめぐり、流れに沿って歩いていくと蒼龍池のある中神苑です。この池にかかるのが臥龍橋、京都三条と五条の橋杭に用いられた円柱状の石を池のなかに据えてあります。もちろん実際に渡ることができますが、これが実に楽しい。すこしスリルを感じる程度に離して置かれた、しかも緩やかにうねる石をぴょんぴょんと渡っていると、龍の背中に乗って池の上を闊歩しているような気がします。こうした楽しさ、面白さ、分かりやすさも植治の庭の魅力なのですね。
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 『庭師小川治兵衛とその時代』の中で、鈴木博之氏は次のように述べられています。
 平安神宮で用いた三条大橋や五条大橋の橋杭の石、そして紅枝垂桜は、名石、名木を重視しなかった植治にとってはめずらしい、ポピュラーな人気を集める名物となった。谷崎潤一郎の『細雪』には主人公の蒔岡家の人々がこの枝垂桜を愛でに訪れる場面が魅力的に描かれている。谷崎はそこで「まことにここの花を措いて京洛の春を代表するものはないと云ってよい」とまで述べている。
 富豪たちの私的な大庭園を作庭することの多かった小川治兵衛にとって、平安神宮神苑は、多くの人々の目に触れる数少ない庭園であり、そのことを意識して彼は、橋杭や桜などによって、華やかさとわかりやすさをもち込んだのであろう。結果、平安神宮神苑は広闊で明るい庭園となった。(p.91)
 そして東神苑へ。蒼龍池のくびれたところには大小さまざまな石が置かれて、水の流れと水音に変化を与えています。ひろびろとした池の周囲にもやはり紅枝垂れ桜が植えられています。池を渡る橋殿(泰平閣)は、植治の作庭にあわせて大正時代に京都御所から移築されたものだそうです。
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 というわけで、平安神宮神苑を十二分に堪能いたしました。今度はぜひ、花菖蒲や睡蓮や河骨や杜若が咲く頃、そして何より紅枝垂れ桜が妍を競うときに訪れたいと思います。

 本日の八枚、上から青蓮院(3枚)、粟田神社(1枚)、平安神宮神苑(4枚)です。
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by sabasaba13 | 2015-06-27 13:38 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(17):京都解放運動戦士の碑(13.11)

 知恩院の三門の下を通り過ぎて少し歩くと、駐車場のところに「京都解放運動戦士の碑」入り口という看板がありました。何だ何だそれは、気になるので見にいきました。駐車場の片隅に、神社の屋根のようなモニュメントがぽつねんと建っています。後学のために「碑の由来」を転記しておきます。
 日本人三百十万人、アジア人二千万人が殺された第二次世界大戦、その多大な惨禍と犠牲を払って、私たちは、主権在民と平和主義を基調とする日本国憲法と自由を獲得しました。それまでは平和や主権在民を唱えることも、また、働くものが生活と権利を守るため自ら団結することも、治安維持を名目に、犯罪として厳しく取り締まられ、苛酷に弾圧されました。このなかにあって、平和と自由を求め、民主的日本の建設を願い、万人の幸福な社会の建設を願い、万人の幸福な社会の実現を志して、進歩的・革新的社会運動に身を投じ、逮捕・投獄され、獄死・虐殺、また、不幸にして病死された、少なくない先覚者たちがいました。
 このようにわが国の平和・民主運動に尽くされ、逝去された京都にゆかりのある有名・無名の解放運動戦士の方がたを合祀しその偉業を顕彰するため、京都旧友クラブ、日本国民救援会京都府本部のよびかけた建碑運動によって、1958年3月15日、京都解放運動戦士の碑はここに建立されました。(後略) 京都解放運動戦士の碑維持委員会
 いったい誰が合祀されているのか気になるところですが、京都+社会運動とくれば、河上肇と山本宣冶は当確でしょう。それにしても、何故知恩院に建てられたのか。日本共産党加賀市議会議員、真後ゆき子氏のサイトで、興味深い話が紹介されていました。建碑実行委員会事務局長で印刷業を営んでいた田村敬男氏が、採算を度外視して知恩院の大事な資料の印刷を請け負ったことから、糸口ができたそうです。敷地貸与の申し出をしたところ、知恩院本山の宗務会は赤旗の林立を恐れて反対しました。しかし、教学部長の井川定慶師が「法然上人は、時の権力に反対して島流しに遭われたが、そうしたときにも遊女を救われた。戦争中、国賊と罵られ、親兄弟から見放されても戦争反対を主張し、難儀を受けた人たちが法縁を求めてきている。これも無下に断っては、ご開祖法然上人のご意思に反するのでないか」と宗務会を説得し、三門北側の土地15坪を永代無償で貸してもらえることになったそうです。いい話だなあ。
 平和や主権在民を求める社会運動が"治安維持を名目に"厳しく取り締まられ苛酷に弾圧された、という表現は鋭い。政府への抵抗を抑圧し、権力者・富裕者に有利なシステムを維持するために、しばしば持ち出される言葉が、治安維持・安寧秩序・公益・公の秩序です。大日本帝国憲法第28条「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」しかり、自民党憲法草案第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」しかり。人権が政府にとって邪魔にならないよう制限し、不平等なシステムを維持するために差別の網の目を張りめぐらす。これは戦前も戦後もあまり変わっていないのではないでしょうか。C・ダグラス・ラミス氏が『要石:沖縄と憲法9条』(晶文社)の中で次のように述べられています。
 階級社会のなかで治安を守る有効な方法の一つは、最も貧しく、差別されているグループに、さらに地位の低いグループがいる、と説得することであるのは、周知のとおりだ。(p.166)

 それから、三番目に人権条項ですが、もちろん大日本帝国憲法にも人権条項があったけれども、条件つきです。法律に反しない限り、秩序に反しない限りという条件がついているわけです。そういう人権は人権ではないんです。政府は、許される限り、つまり政府にとって邪魔にならない限りやってもいいよということです。それは不可侵の人権とは違うことですね。自民党新憲法案にはその条件が付加されているわけです。「法律に反しない限り」は復活していないけれども、「公益及び公の秩序に反しない限り」ということです。秩序に反しない限りの人権は人権ではないんです。人権は秩序に反することが多いんです。デモ行進をやるときとか大きい運動を起こすとき、交通はうまく動かないしいろいろあるんです。公益とは何なのか。それは国益ですね。だから、そういう条件つきの人権に変えようとしています。(p.183)
 治安・公益・秩序といった言葉を政府が使ったら、眉に唾をたっぷりと塗って聞かなければなりません。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-06-09 06:29 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(16):師弟愛の像(13.11)

 知恩院に向かう入口にあったのが「師弟愛の像」、後学のために解説文を転記しておきます。
師弟愛の像
嗚呼、暴にして無情の室戸台風、くずれ落ちる校舎の下に七人の教え子をかばいながら荒れ狂う天空に必死の加護を祈る女教師の崇高な姿、腕に胸に膝にすがって師の無限の愛情に恐怖をこらえる幼い児童達の傷々しい姿
死線を越えた師弟純愛のこの群像は、見る人をして胸を打たれ、聞く人をして襟を正さしめ、ひらすらに冥福を祈り、合掌黙祷を禁じ得ないのであります。

かく大き愛の姿をいまだ見ず この群像に涙しながる     吉井 勇
 1934(昭和9)年、瞬間最大風速84.5m/sという日本気象観測史上最高記録を記録し、死者2702名、行方不明者334名をだした超大型の室戸台風が近畿地方を襲い、大阪府豊能郡豊津尋常高等小学校の校舎が倒壊しました。51人の生徒が死亡、二人の女性教師が殉職したのですが、その一人横山仁和子先生は自らの体の下に学童三人をかばって命を救いました。その彼女を記念したモニュメントですね。なお大谷本廟にも、「師弟愛の碑」という同様の記念碑がありました。
 これは以前にも書いたことですが、何度でも繰り返して銘肝したいと思います。実は室戸測候所ではこの途方もない超大型台風の襲来を連絡しようとしますが、唯一の通信手段である郵便局の有線が停電で使用できませんでした。軍事優先のために防災システムがお粗末だったのですね。これは人災でもあります。ちなみにこの当時は、満州事件(1931)、五・一五事件(1932)、国際連盟脱退・滝川事件(1933)、そして陸軍パンフレット事件(「国防の本義と其強化の提唱」というパンフレットにより陸軍が政治に介入)(1934)といった事件が相次ぎ、日本が軍国主義の道を疾駆していた時代でした。自然災害への対策よりも、軍備に金をかける軍部や政府の愚に対して、辛辣で容赦ない一矢をあびせたのが寺田寅彦でした。室戸台風の二カ月後、1934(昭和9)年11月に彼が書いたのが「天災と国防」という随筆です。(『天災と国防』 講談社学術文庫)
 戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。その上に、いついかなる程度の地震暴風津波洪水が来るか今のところ容易に予知することができない。最後通牒も何もなしに突然襲来するのである。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。(p.20)

 人類が進歩するに従って愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。砲煙弾雨の中に身を賭して敵の陣営に突撃するのもたしかに貴い日本魂であるが、○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相として期待してしかるべきことではないかと思われる。天災の起こった時に始めて大急ぎでそうした愛国心を発揮するのも結構であるが、昆虫や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的な様式があってしかるべきではないかと思う次第である。(p.23~4)
 寅彦の冷静ではあるが大変強い怒りに満ちた筆致が印象的です。彼はおそらくこう言いたかったのではないでしょうか。「天災への対策を講ぜず、不合理な戦争を熱狂的に支持する日本国民は昆虫や鳥獣と同等の存在である。」 昆虫・鳥獣に失礼な言い方だという留保はつけますが… 当時の軍国主義的な風潮に対する、これほど合理的で痛烈な批判にはなかなかお目にかかれません。
 ふりかって現在のわれわれは「二十一世紀の科学的文明国民」に値するのでしょうか。昨今相次いだ天災による被害を見るにつけ、疑問に思います。天災に対する研究・対策・救援・補償にかける予算は、防衛費に較べて微々たるものなのが現状では。「国益」という言葉が氾濫して辟易しておりますが、この列島で暮らしている人々の生命・財産を守るのがその本来の意味であるべきです。そりゃまあ「国益」と称して北朝鮮・中国・韓国への敵意を煽っていれば、格差を拡大再生産し続ける今の社会システムが安泰となるのはわかりますけれどね。少なくとも自然災害からわれわれを守るためにまともに金をかけようとしない、安倍伍長を筆頭とする多くの政治家・官僚の方々は、われわれの生命・財産など屁とも思っていないのは確かでしょう。口が裂けても「国益」などという言葉を使って欲しくない。私たちもそのことに気づかなくては。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-06-08 06:31 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(15):円山公園(13.11)

 そしてバスに乗って八坂神社へ。T字路にあった「ローソン」の看板は青色がなく、白一色。これも景観への配慮でしょう。神社の境内に入ると、たくさんの露店が並んでいました。「京名産 焼竹の子」や「京はしまき」などローカル色にあふれた食べ物が売られていました。なお"はしまき"が分からなかったのでインターネットで調べたところ、漢字で書くと"箸巻き"、薄いお好み焼きを箸に巻いた食べ物だそうです。
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 そして円山公園に到着です。円山公園はかつて「真葛が原」といって、安養寺のほかに、祇園社感神院(現在の八坂神社)、長楽寺、況林寺などの寺坊や堂塔が点在するところでしたが、明治初年の排仏毀釈により京都府に没収され、1886(明治19)年に公園が設けられました。琵琶湖疏水を設計・監督した田辺朔郎が疎水の水を利用する公園整備計画を立案し、1893(明治26)年に噴水を完成させました。そしてここにある池泉回遊式庭園が、小川治兵衛の手になるものです。これまでこの公園には何度も足を運びましたが、庭園が植治の作庭によるものとは知りませんでした。二つの大きな池から奥へとそぞろ歩いてみましょう。まずは公園の主、一重白彼岸枝垂れ桜にご挨拶。奥に向かって右の池には噴水がしつらえてあります。左の池には石でつくられた船着場があり、海と見立てています。護岸には、橋脚らしき石の円柱が並べてあり、また景石としても使われていました。
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 ここから流れに沿ってうねとうねと小路をのぼって行き、源流の滝にたどりつくという趣向です。この流れも琵琶湖疏水を利用したものですが、流量があまりにも少ないのが惜しい。京都市長、ここはひとつ英断を下して、改良工事をしてくれませんか。それを補ってあまりあるのが、さまざまな表情を見せてくれる石たちです。円柱の石を組み合わせた面白い意匠の橋、リズミカルな沢飛び石、流れの中に奔放に散らばる景石、瀬落ちのための石、水はなくとも"石の魔術師"の面目躍如ですね。またきれいに色づいたもみじもたくさんあり、お庭に興趣を添えていました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2015-06-07 07:45 | 京都 | Comments(0)

植治の庭編(14):養源院・智積院(13.11)

 朝食を食べながら本日の予定を山ノ神にレクチャー。植治が作庭した円山公園、平安神宮神苑、京都平安ホテル日本庭園を中心に、紅葉を愛でるために養源院、智積院、青蓮院、粟田神社、嵐山を経巡る予定です。チェックアウトをしてバスでJR大津駅へ、琵琶湖線で京都駅に行き、駅構内のコインロッカーに荷物を預け、バスで三十三間堂に着きました。お目当てはその隣にある養源院、参道をおおうもみじの並木や、林立するもみじの古木など、紅葉の穴場です。残念ながら盛りは過ぎて散りはじめていますが、行く秋を充分に楽しむことができました。
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 そして歩いて智積院へ、以前に訪れた時にたくさんのもみじを植えていたのでその成長ぶりを見に行きました。境内にこれでもかこれでもかと植えられたもみじの若木、着々と成長しているようです。何年か後には見ごろになるでしょう、楽しみです。
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 久しぶりに庭園も拝見しました。主屋が釣殿のように池に張り出しており、縁に座るとまるで池の上で浮遊しているような心地よい錯覚を覚えます。一文字の手水鉢など、小川治兵衛もこうしたお庭から多大な影響を受けたのでしょうね。宝物殿に寄って、長谷川等伯・久蔵の「桜図」「楓図」と、これまた久しぶりにご対面。至福のひと時を過ごしました。
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 本日の六枚、上から養源院(2枚)、智積院(4枚)です。
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by sabasaba13 | 2015-06-06 07:20 | 京都 | Comments(0)

言葉の花綵120

 たのしみは珍しき書人にかり始め一ひらひろげたる時
 たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時
 たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて食ふ時
 たのしみはそぞろ読みゆく書の中に我とひとしき人を見し時
 たのしみは意にかなふ山水のあたりしづかに見てありくとき
 たのしみは書よみ倦めるをりしもあれ声知る人の門たたく時
 たのしみは客人えたる折しもあれ瓢に酒のありあへる時 (橘曙覧)

 されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。(卜部兼好 『徒然草』 第93段)

 愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。(卜部兼好 『徒然草』 第38段)

 人は世界との血族関係を実感しないときには、よそよそしい壁をめぐらした牢獄の中で暮らしている。(タゴール 『サーダナ』)

 学道の人須く貧なるべし。(道元)

 過去を思い出さない者はおなじことをくりかえす宿命にある。(ジョージ・サンタヤナ)

 映像が薄れるにつれて、わたしたちは希望をいだくふりをする。まるで強制収容が治る病気であるかのように。これはすべて、あるとき、ある場所で、たった一度だけ起こったこと、と思いこむふりをする。そしてわたしたちは、あたりを見まわそうとはしない。あの終わりのない叫びを聞かない。(『夜と霧』 ジャン・ケイヨール)

 人生は近くで見ると悲劇だけれど、遠くから見れば喜劇だ。(チャーリー・チャップリン)

 死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。(チャーリー・チャップリン)

 意味を考えていたって始まらないよ。意味なんてどうでもいいじゃないか。生きていくことは美しくすばらしい。くらげにだって生きている意味がある。(チャーリー・チャップリン)

 私には傑作は残せなかった。だが人を笑わせた。悪くないだろ。(チャーリー・チャップリン)
by sabasaba13 | 2015-06-05 06:14 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『自動車の社会的費用』

 『自動車の社会的費用』(宇沢弘文 岩波新書)読了。
 自動車が大嫌いです。ほんとうに、心底、蛇蠍の如く嫌いです。化石燃料を貪欲に喰らい、有害物質を吐き出し、騒音で静かな環境を破壊し、人様を死や怪我へと追いやる悪魔の機械。もちろんその必要性は十二分にわかってはいますが、"必要悪"という視点からもっとその利用を抑制すべきではないかと考えています。たとえばイヴァン・イリイチは『シャドウ・ワーク』(岩波現代文庫)の中でこう言っています。
 都市の自転車交通は、徒歩の四分の一のエネルギー消費で、四倍の速さの移動を可能にする。ところが、自動車は同じだけ進むために、一人一マイルにつき百五十倍の熱量を必要とする。(p.141)
 またC.ダグラス・ラミスは『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』(平凡社ライブラリー)の中でこう言っています。
 おそらく、それぞれの読者が減らすべき機械の優先順位リストを作れると思いますが、私自身のリストの第一位は(武器や原発、その他明らかに有害なものは別にして)車です。これまでは、車の数を増やすということが経済発展の一つの象徴でした。車を減らすことは「対抗発展」の一つの象徴になるかもしれません。車自体と車を走らせるための道路工事は大変な環境破壊になっているし、車は街の雰囲気を壊すし、社会のなかのストレスとイライラの大きな原因の一つだし、自動車組立工場のラインで働くのはとても楽しい仕事とは思えません。そして車は交通事故の名で大虐殺と言っていいほどの規模で人殺しを続けています。もちろん、今の社会には車がないと仕事ができない人もたくさんいて、すぐにできることではありませんが、車のない社会(たとえばベネチアのように)を一つの将来の目標としてたてることができます。(p.157~8)
 できるだけ多くの人を説得して、車のない社会に一歩でも近づけるよう日々理論武装をしております。本書は高名な経済学者である宇沢弘文氏が、経済学の観点から自動車がいかに社会に様々な損失をもたらしているかを剔抉したものです。思わず快哉を叫びたくなるような痛快な記述、論理的に深く納得できる指摘に満ち溢れた素晴らしい本、お薦めです。例えば、私も常日頃、不愉快に思っていた歩道橋について、宇沢氏はこう一刀両断されています。
 そして、いたるところに横断歩道橋と称するものが設置されていて、高い、急な階段を上り下りしなければ横断できないようになっている。この横断歩道橋ほど日本の社会の貧困、俗悪さ、非人間性を象徴したものはないであろう。自動車を効率的に通行させるということを主な目的として街路の設計がおこなわれ、歩行者が自由に安全に歩くことができるということはまったく無視されている。あの長い、急な階段を老人、幼児、身体障害者がどのようにして上り下りできるのであろうか。横断歩道橋の設計者たちは老人、幼児は道を歩く必要はないという想定のもとにこのような設計をしたのであろうか。わたくしは、横断歩道橋を渡るたびに、その設計者の非人間性と俗悪さをおもい、このような人々が日本の道路の設計をし、管理をしていることをおもい、一種の恐怖感すらもつのである。(p.62)
 また歩道と車道が分離されていない街路を、クラクションを鳴らし排気ガスを撒き散らし騒音をたてながら自動車が疾走する異常さ。住民はたえず前後に目を配りながら街路の端を歩き、子どもたちは道で遊ぶことなどできません。
 アメリカにせよ、ヨーロッパにせよ、およそ文明国といわれる国々で、歩道と車道とが分離されていない街路に自動車が無制限に通行を許されていることは、まず想像できない…
 この点にかんして、わたくしがいつも疑問におもうことがある。それは、自動車が一台通ると、人間の歩く余地がなくなってしまうような街路を、どのような意味で自動車が通る権利があるのだろうかという疑問である。たしかに法律的に言うならば、自動車の通行を法的あるいは行政的な手段で禁止していないかぎり、自動車通行が違法とはならない。しかし、警笛を鳴らすことによって歩行者を押しやって、排気ガスを吹きつけて疾走するということが、はたして許されてよいことなのであろか。(p.64~5)

 このような道路で、歩行者に危害を加える危険性が非常に高いことを知りながら、自動車運転をおこなおうとするのは、どのような倫理感をもって人々なのであろうか。(p.71)
 この炯眼には頭を垂れましょう。私も歩道橋を見て不快だなとは思っていましたが、これが日本社会の貧困、俗悪さ、非人間性を象徴するものだということまでは考えがいたりませんでした。そりゃそうですよね、老人、幼児、ハンディキャップをもつ方々よりも、自動車を優遇しているわけですから。また歩道のない街路を自動車が疾走することの異常さについては、まったく想いもいたりませんでした。幼い頃から親に「車に気をつけなさい」と注意され続け、またそうした光景を日常的に見ているため、事故は歩行者の注意不足によるものと思い込んでしまったのですね。違いました。私たちは、「各人が安全に、自由に歩くことができる」権利を自動車によって侵害されているのでした。
 本来、こうした人権侵害や被害を軽減するためには自動車の所有者・運転者が代価を負担すべきなのですが、それが僅かでしかない。自動車を利用すればするほど利益を得るので、ますます需要が増大します。その結果道路が混雑してくると、道路を建設することによってそれを解消しようとする。ますます自動車通行が便利なものとなり、自動車の保有台数がさらに増え、また混雑が激しくなる。この悪循環のプロセスを通じて、交通事故は増え、環境は悪化し、住民の受ける被害も加速度的に大きくなってくる。やれやれ。
 この悪循環を断ち切るために、宇沢氏は自動車通行によって発生する社会的費用を、自動車を利用する人々が負担すべきだと主張されています。"社会的費用"とは、ある経済活動が社会に被害を与えるとき(=外部不経済の発生)、その悪影響のうち発生者が負担していない部分を集計した額のことです。簡単に言えば、「落とし前をつけてもらおう」ということですね。その詳細についてはぜひ本書を読んでいただきたいのですが、市民の基本的権利を侵害しない道路について、氏はこう述べられています。
 まず、歩道と車道とが完全に分離され、しかも並木その他の手段によって、排気ガス、騒音などが歩行者に直接に被害を与えないように配慮される必要がある。また、歩行者の横断のためには、現在日本の都市で作られているような歩道橋ではなく、むしろ車道を低くするなりして、歩行者に過度の負担をかけないような構造とし、さらに、センターゾーンを作ったりして、交通事故発生の確率をできるだけ低くする配慮をすることが要請される。と同時に、住宅など街路に沿った建物との間にもまた十分な間隔をもうけ、住宅環境を破壊しないような措置を講じなければならない。(p.161)
 いったいどれくらいの費用がかかるのだろう…と腰が引けたら、もう"自動車を優遇すべき"という呪術にからめとられている証拠ですね。(私もそうですが) その費用は、自動車の所有者・運転者に払っていただきましょう。エコカー減税などという世迷い言を言っている場合ではなく、エコカー増税と非エコカー大増税。人権を蔑ろにした経済成長路線から、いいかげんに脱却すべきだと思います。財界、および自動車産業から「冗談じゃない」という大きなブーイングが発せられるでしょうが、それを抑え込む、高い見識と志をもつ政党を応援したいものです。

 なお最近読み終えた『税金を払わない巨大企業』(富岡幸雄 文春新書)によると、実効税負担率の低い大企業の第15位に富士重工業、第18位に日産自動車、第25位に本田技研工業、第30位にトヨタ自動車、第32位にスズキがランクされています。なんなんだ、これは。
by sabasaba13 | 2015-06-04 06:29 | | Comments(0)