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スイス編(4):チューリヒへ(14.8)

 そして10:25発のLX0161便に搭乗、いつものように「頑張れよ」と入口の脇を軽く叩き、機内へ入りました。さあ離陸です、飛行機は一路チューリヒへ…と思いきや、機窓から下界を見下ろすと、九十九里海岸が見えてきました。ずいぶんと派手な迂回ですね、山ノ神は、台風の余波によるものだと推測しておりましたが。しかし、最近読んだ『本当は憲法よりも大切な「日米地位協定入門」』(前泊博盛 創元社)の中で指摘されていた重要な事実と関係があるかもしれません。東京都福生市には米軍横田基地があり、首都圏上空には「横田ラプコン」といわれる、一都八県の上空をおおう巨大な米軍の管理空域があるのですね。ラプコンとはレーダー進入管制(RAPCON:rader approach control)のことで、簡単に言えば民間の航空機が進入できない米軍の管理空域です。以下、長文ですが同書より引用します。
 どのルートを通る飛行機も、4000~5500メートルの高さがある「横田ラプコン」を越えるために、一度房総半島(千葉)方面に離陸して、急旋回と急上昇を行わなければならないことがわかります。
 そのため利用者は、本来は不要な燃料経費を価格に転嫁されたり、時間のロスを強いられたりしているのです。なによりも見逃せないのが、こうした非常に狭い空域を不自然に急旋回・急上昇して飛ばなければならないため、航空機同士のニアミスが発生するなど、危険性が非常に高くなっているということです。
 日本の首都である東京は、こうした巨大な外国軍の支配空域によって上空を制圧されています。(中略) 横田、座間、厚木、横須賀と、都心から3~40キロ圏内に、まるで首都東京をとりかこむような形で米軍基地が存在しているのです。さすがにこんな国は、世界中どこをさがしてもどこにもないでしょう。そのことに普段私たちが気づかず、なんの疑問ももたずに生活していることを、まずおかしいと思う必要があるのです。
 すでにふれたように、こうした世界的に見てきわめて異常な状態にある首都東京の知事が、そのことも解決できないうちに、なぜかはるか遠くの東京都とはなんの関係もない小さな無人島(尖閣諸島)の件で「愛国心」をあおって自分の政治的立場を強化する。わたしたちはそうしたことのおかしさに、すぐに気づくことができるようになる必要があります。本当の愛国者なら、すでに自国が現実に支配(実効支配)している無人島について問題を提起するよりも、まず首都圏全域の上空に広がる外国軍の支配空域について返還交渉を片づけることのほうが、もちろん優先順位が高いはずだからです。
 これからは首相であれ、東京都や沖縄の知事であれ、そうした異常な状況の解消に努力する人でなければ当選しない。そのような投票行動が日本人の常識になってほしいと思います。(p.70~2)
 ほんとうに勉強不足でした。米軍が首都東京を武力制圧することなど、赤子の手を捻るようなものだったのですね。かつて、朝鮮半島は日本の柔らかい横腹に突きつけられた匕首だと言った元老がいましたが、さしずめ在日米軍は日本の頭上にぶらさがるダモクレスの剣だと思います。この大きな迂回は関係ないかもしれませんが、このおぞましいラプコンが東京や沖縄の上空を覆っているのは紛れもない事実です。一刻も早くとっぱらってきれいな青空を見たいものですね。いや逆ですね、アジアに青空が広がれば(緊張が緩和すれば:Blue sky position)、アメリカ軍の皆々様方は日本から出て行ってくれ、ラプコンも消えるはずです。その日を夢見て、 まずは飲み物サービスでビールをいただきましたが、上部に四カ国語で「ビール」と記されていました。
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by sabasaba13 | 2015-09-30 06:30 | 海外 | Comments(0)

スイス編(3):成田空港(14.8)

 2014年の葉月初旬の某日、山ノ神はスーツ・ケースをころがし、私はテニス・バッグをかついで京成スカイライナーに乗り込みました。車中で山ノ神が、昨日撮影した「0655」の「たなくじ」をデジタル・カメラのディスプレイで見せてくれました。何と、「テラ吉」! "大きすぎて受け止められないくらいの吉"だそうで、こいつは夏から縁起がいいわい、ということにしておきましょう。成田空港駅に到着し、改札口から出ると、あいもかわらず警備員にパスポートの提示を求められました。みんなの感じる愛情/憎悪の比率が(たぶん)世界で最も低い空港、農民から土地を強奪して強権的に建設した空港、いつ来ても胃の腑の底に滓のようなものが溜まります。まずは地下にある「AIU」で海外旅行保険に加入しました。ん? 申込用紙に"「キューバ」が渡航先に含まれる場合はご加入いただけません"という記述がありました。なぜキューバだけ駄目なの? 後学のために係の方に訊いても要領を得ません。マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』を見てもわかるように、医療など福祉の充実した国というプラス・イメージを持っているだけに意外です。もしかすると、キューバに対する心象を貶めるためのアメリカによう策謀ではないかと勘繰りたくなります。でも現在はアメリカとの関係が修復されつつあるので、近いうちにこの文言は削除されるかもしれません。
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 スイス航空のカウンターでチェックインをして荷物を預け、銀行でスイス・フランへの両替をしました。あいかわらず紙幣の肖像はアルベルト・ジャコメッティ(100スイス・フラン)とル・コルビュジエ(10スイス・フラン)。なお10フラン札の裏面には、彼が考案した人体に即した寸法システム、モデュロールが載っていました。
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 ボディ・チェックを受けて出国手続を済ませて、免税店で煙草2カートンとアイリッシュ・ウィスキーを買い込みました。なおこのお店の名前は「AKIHABARA」、もう世界的なブランドなのでしょうか。近くには「旅の思い出に笑顔でパチリ ~でも一緒に写ってはいけないものもあります~」というポスターがありました。何でしょう?
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 答えは鳥でした。鳥インフルエンザ感染への注意喚起です。売店で水のペット・ボトルを買うと、近くにあったお土産品のコハダのマグネットが眼にとまりました。私には珍しいのですが、あまりにもリアルで美味しそうなので衝動買い。そう、私はひかりものが大好物なのです。

 本日の一枚です。
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後日談。先日に読み終えた『沈みゆく大国アメリカ 〈逃げ切れ!日本の医療〉』(集英社新書)の中で、堤未果氏がキューバに言及されていました。
 …キューバの「医療外交」は世界中から注目されている。
 アメリカの経済制裁で苦しめられているキューバは、後ろ盾だった旧ソ連の崩壊後も、乏しい国家予算を国民の健康を守るための地域医療に投資している。
 革命後、キューバは国内全地域にかかりつけ医を配置し、医師と看護師が各地域住民の健康・予防・治療の三点セットを担当するシステムを整備した。必要があればそこから専門医のいる病院などに紹介される。「国民は治療を受ける権利がある」と書かれた憲法50条にそって、治療はすべて無料。だが担当医が地域住民の生活を丸ごと把握しているため、早期発見・早期治療で医療費は先進国よりずっと低く抑えられている。経済制裁によって輸入が制限されている医薬品の生産は自国内で行い、完全無料の医科大学を設立し、国内外の医学生に開放した。
 こうした政策の結果、キューバは低い国民所得で先進国並みの平均寿命と高い医療水準、なおかつ医療費は先進国よりも低いという、三大快挙を成し遂げた。
 旧ソ連崩壊前は、経済的援助と引きかえに「兵士」を紛争地へ派兵していたキューバ。だが「医療外交」に切りかえて以降、世界中の国々や被災地に送られるのは、兵士ではなく自国で養成した医師たちだ。
 現在五万人のキューバ人医師たちが世界66か国に派遣され、政府はその見返りに、石油を安く輸入したり、さらに年間80億ドル(8000億円)の外貨を稼いでいる。やがてこの「医療外交」は、南米の他の国々と連携し、アメリカ型資本主義にノーを言うほどの国力となった。
 医師たちが自国の医科大学で教わる、「地域に入り地域に帰る」という志は、かつて長野の若月俊一医師が提唱した地域医療の根幹と同じものだ。だがキューバの例はそうした「理想」を政治が後押しすることで、医療がその先にある国家の自立につながる力になること、そして「財源不足問題」は何を優先し予算配分をすべきか、為政者の方針次第でいかようにもできることを世界に向けて体現した、新しいモデルケースなのだ。
 2014年12月。
 アメリカ政府は、半世紀以上断絶していたキューバとの国交正常化を宣言。アメリカと日本のマスコミがこの決定を賞賛するなか、オバマ大統領ははっきりとこう言っている。
「この50年間で明らかになったのは、〈孤立化〉に効果がなかったことだ。そろそろ新しい手法をとるべき時期だ」
 アメリカが国交正常化に課した条件の一つである〈外貨によるキューバ国内への資本投入〉には、キューバが今後巻きこまれるだろう、マネーゲームの存在が見え隠れする。(p.208~10)
 医療を「国際貢献」と「安全保障」のために使ってきたキューバ。これは医者であったチェ・ゲバラの影響かもしれませんね。その志の高さに日本が学ぶことはできないのでしょうか。済世会栗橋病院の本田宏医師曰く「日本は…キューバのように、世界に胸を張って医師や医療を輸出すればいいんです。武器や原発を輸出するより、ずっと尊敬されると思いますよ」。またイラクの小児科医アル・アリ医師曰く「日本には世界一の被ばく医療がある。どうかイラクのために自衛隊でなく医療を、医師を、薬を送ってください」。安倍伍長は、こうした言葉に傾ける耳をお持ちでしょうか。ないでしょうね。貴方の言う「国際貢献」は「アメリカ貢献」だし、「安全保障」は「人間の安全」ではなく「資本の安全」でしょうから。
by sabasaba13 | 2015-09-29 06:35 | 海外 | Comments(0)

スイス編(2):前口上(14.8)

 というわけで、総行程15日間の計画の骨子ができました。後は野となれ山となれ、臨機応変かつ融通無碍かつ良い加減に行動するのみです。往復の飛行機はJTBに行って、早割でスイス航空の成田→チューリヒ、ジュネーヴ→チューリヒ→成田の便をおさえてもらいました。なお同航空はスターアライアンスのメンバーなので、これでマイルが大幅にたまります。また列車によるわりと長距離の移動があるので、四日通用の「スイス・セーバー・フレキシー・パス(SWISS SAVER FLEXIPASS)」も購入してもらいました。これは大人二人以上で利用すると10%割引となるものです。なお山ノ神の希望で1等車です。もう一つ、ベルニナ・エクスプレスのサン・モリッツ‐ティラーノ往復指定席と、グレッシャー・エクスプレスのサン・モリッツ→ツェルマット間の指定席の予約もお願いしました。ハイ・シーズンということもあって念には念を入れた方がよいでしょう。
 さて問題は宿です。今まではやはりJTBに予約をしてもらったのですが、今回は試しに「エクスペディア(Expedia)」という、インターネットによるホテル予約サイトを利用してみました。条件としては駅から近いことと、中くらいの料金。すこし不安だったのですが、結論から言うと問題はまったくありませんでした。これからはこれで予約することにしましょう。
 持ち物は、いつものように適当に用意しました。ほんとうに必要だったら現地で買うことにして、必要最小限の物だけをテニス・バッグに詰め込んで終わり。そうそう、山ノ神はLOWA(ローバー)の、私はLA SPORTIVA(スポルティバ)のトレッキング・シューズを忘れずに。なおこれは虫の予感なのですが、目覚まし機能付きのタニタのストップ・ウォッチをバッグに入れました。これが後日、まさかわれわれを救ってくれることになるとは思いもせずに。
 なお事前に読んだ参考文献は『スイス 歩いて楽しむアルプス絶景ルート』(ダイヤモンド社)と『スイス 鉄道の旅』(ダイヤモンド社)。持参した本は『地球の歩き方 スイス 2014~15』(ダイヤモンド社)、『文明崩壊(上・下)』(ジャレド・ダイアモンド 草思社文庫)、『森の生活 -ウォールデン-』(ソーロー 岩波文庫)です。というわけで毎度おなじみ、通訳・渉外・最終的意思決定は山ノ神、計画・添乗・引率・記録・荷物運び・末端的意思決定・雑務は小生という、泥舟の如く堅固で安倍政権の如く磐石なコンビネーションで旅することにしましょう。それでは出発。
by sabasaba13 | 2015-09-28 06:26 | 海外 | Comments(0)

スイス編(1):前口上(14.8)

 2014年の夏、山ノ神とスイス旅行に行ってきました。何故かって? ま、月がとっても青いから、というところでしょうか。冗談はさておき、そこにスイスがあるからさ。冗談はさておきpart2、まずは最近二人してちょいとハイキングにはまっており、2012年のドロミテ、2013年のオーストリア・アルプスに引き続きスイス・アルプスのハイキングを堪能したかったからです。そして鉄男の末席を汚す者として、グレッシャー・エクスプレス、ベルニナ・エクスプレス、ゴルナーグラート鉄道にぜひとも乗ってみたいということ。もう一つが、ル・コルビュジエ物件めぐりです。チューリヒの「ル・コルビュジエ・ハウス」、ヴヴェイの「小さな家」、そしてジュネーヴにあるクラルテの集合住宅を見てこようと思います。なお彼の出身地にして、「時計製造業の都市計画」の名で世界遺産に登録されたラ・ショー・ドゥ・フォンには、彼の初期の作品がたくさんあるそうですが、訪れるのは時間的に厳しいかもしれません。ここは保留としましょう。
 なお今年(2015年)は、英国人エドワード・ウィンパーが難攻不落と言われたマッターホルンへの初登頂を果たした1865年から150周年、またル・コルビュジエ没後50周年にあたります。これは偶然なのですが、この外し方は尋常ではありませんね。やれやれ。♪Everything Happens To Me♪ なおこれは後で知ったのですが、実は2014年は日本・スイス国交樹立150周年なのでした。"So what"と言われたら、"So it goes on"としか答えられませんが。
 この三本柱を軸にして、美術館や史跡をいろいろとくっつけてみました。毎度のことですが、旅行の計画を立てるのも楽しみの一つです。まずはチューリヒに二泊して、市内観光と「ル・コルビュジエ・ハウス」訪問をしましょう。時間が余りそうなので、ハイジの生みの親、シュピリのふるさとであるヒルツェル、スイスで最も美しい旧市街のひとつと言われるバーデン、素晴らしい美術館のあるヴィンタートゥールのいずれかにも寄ってみたいものです。
 そしてサン・モリッツへ移動して四泊し、ハイキングとベルニナ・エクスプレスを満喫しましょう。そうそう、前回の訪問では休館だった「セガンティーニ美術館」を忘れずに。グレッシャー・エクスプレスでツェルマットに移動して、五泊します。やはりマッターホルンの全貌を見ながらハイキングをしたいものですが、彼女は気難しくなかなか天辺を見せてくれないとのことです。以前にツェルマットでスキーをした時も、五日間いて数時間しかそのお姿を見られませんでした。今回は夏ですから条件は良いとは思いますが、石橋を叩いて渡る、後悔先に立たず、転ばぬ先の杖、長目に宿泊することにしました。なおここで山ノ神の友人であるイタリア人女医のAさんと合流します。
 そしてジュネーヴへ移動して二泊、実はジュネーヴ観光は初めてです。市内観光と国際連合ヨーロッパ本部(パレ・デ・ナシオン)見学は外せません。後はモントルーのシヨン城、ル・コルビュジエの「小さな家」、世界遺産に登録されたラヴォー地区の葡萄畑を訪れる予定です。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-09-27 08:15 | 海外 | Comments(0)

言葉の花綵126

 水を乞いて酒を得た。(アーサー・ビナード)

 名声は川のようなものであって、軽くてふくらんだものを浮かべ、重くてがっしりしたものを沈める。(ベーコン)

 これらすべての富が甲殻をなして、あなたたちは周囲の貧困が見えなくなっている。注意したまえ。(『週刊アフリカ』)

 あなたがたの心に下々を思いやる場がないならば、神の家にあなたがたの場は存在しないであろう。(『週刊アフリカ』)

 世に無用のものはない。(『みみずのたはごと』 徳冨蘆花)

 どんなものでも七年間捨てずに持っていれば、使い道が見つかる。(アーサー・ビナードの祖父)

 財布が軽ければ心は重い。(アメリカの俚諺)

 大事な一張羅を虫に食われるという苦い目に、己は一度も遭ったことがない。なぜなら、一張羅を毎日欠かさず着ているからだ。(アレクサンダー・ポープ)

 人間の寿命は神が決めるが、決算の際、各人が釣りに費やした時間は免除され、差し引かれない。(バビロニアの格言)

 四十五十は鼻たれ小僧。(渋沢栄一)

 人の心は落下傘と同じだ。開いた状態でなければ、まったく機能を果たさない。(ジェームズ・デュワー)

 生きて行くということは、絶えず取捨選択を迫られることだ。(アーサー・ビナード)

 録音が手に入ったら、その音楽を自分が持っていると思うのは大いなる勘違い。音楽という〈いとなみ〉自体が、人間は究極のところなにも持っちゃいない真実を、歌い上げるものだ。(ジョン・ケージ)
by sabasaba13 | 2015-09-26 10:36 | 言葉の花綵 | Comments(0)

重森三玲の庭編(55):帰郷(14.3)

 それでは関西空港へと向かいましょう。ふたたびタクシーに乗って和泉砂川駅へ戻り、駅前で一服していると観光案内地図を見つけました。へー、熊野街道が駅の近くにあるんだ。その街道を南下すれば田辺に着き、中辺路につながるのですね。熊野古道を歩いた思い出が脳裡によみがえってきました。
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 JR阪和線の列車に乗り込み、 8分ほどで日根野に到着。以前に拙ブログで書きましたが、ここは中世荘園として著名な日根野荘があったところです。九条政基(1445―1516)という貴族が、守護細川氏の押領に苦しむこの荘園に自ら下向し直接支配に従事、その間に『旅引付』という日記を残してくれました。これは当時の村落生活を知る好史料として、その筋ではよく知られています。時間があれば途中下車の旅をしたかったのですが、ちょっと無理です。再訪を期しましょう。この駅で関西空港線に乗り換えて12分ほどで関西国際空港に到着です。時刻は午後6時15分、夕食をとっても余裕の横山源之助で飛行機に搭乗できるでしょう。「ぼてぢゅう屋台」で京風ねぎ焼モダンと焼豚玉子丼を、「関空食堂」でミンチカツと玉子焼を注文しました。玉子焼きは、お好みでチーズ・ねぎ・紅しょうがのトッピングができますよと言われて、山ノ神は「無料なら全部入れてください」と即答。さすがは山ノ神、頼りにしてまっせ。
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 舌鼓を打ちながらたいらげ、トイレに行くと、朝顔の的は花火でした。♪ドンとなった花火だきれいだな♪と口ずさみながら放尿。そして近くにあったANAの顔はめ看板を撮影しました。
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 関西空港19:20発のANA3828に搭乗、定刻通りに離陸しました。そして20:35に羽田空港着陸。重森三玲の庭をめぐる旅、これにて一巻の終わりです。

 というわけで、なかなか充実した旅でした。重森三玲にはまだまだ未見の庭がたくさんあるので、これからも探訪していきたいと思います。また、小川治兵衛、中根金作、小堀遠州などの庭も精力的に訪れるつもりです。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2015-09-25 06:29 | 近畿 | Comments(0)

重森三玲の庭編(54):法林の庭(14.3)

 さて現在の時刻は午後四時すこし過ぎ、関西空港で搭乗する飛行機の出発時刻は午後7時20分、乗り遅れないように慎重に事を進めましょう。岸和田駅から南海本線でりんくうタウン駅まで行き、JR関西空港線に乗り換えて日根野へ、ここでまたJR阪和線に乗り換えて和泉砂川駅に着きました。いよいよ今回の旅の掉尾を飾る重森三玲の庭、林昌寺にある「法林の庭」をめざします。しかし駅から徒歩20分、フライトのことを考えるとタクシーで往復したいものです。しかし駅前で客待ちをしているタクシーがあるでしょうか…あった! 一台のタクシーが停車しています。天のどこかにいる誰かに感謝しつつ、自動改札を出ようとすると… 好事魔多し、ドアがぱたっと閉まりました。どうやら「りんくうタウン駅」で、南海本線からすぐにJRに乗ってしまったためのエラーのようです。駅員さんに事情を説明して清算しているうちに、タクシーは無情にも客を乗せて走り去っていきました。万事休す。駅前にタクシー会社はあったのですが、人も車も見当たりません。看板に表示されていた番号に電話をかけようとしても、公衆電話がない。万事休すpart2。すると山ノ神がにたりと笑って、バッグから携帯電話を取り出すではありませんか。頼りにしてまっせ。彼女が電話したところ、タクシーを駅まで向かわせるのでしばらく待っていてほしいとのこと。現在の時刻は午後五時ちょっと過ぎ、飛行機の出発時刻は午後7時20分、時間との戦いですねこりゃ。しかし幸いなことに、十分ほどでタクシーがやってきてくれました。さっそく林昌寺へ連れていってもらいましたが、わずか五分ほどで到着。常日頃、自動車に対する悪態をついていますが、現金なものでこういう状況だとその利便性を痛感します。ここの桜はほぼ満開でした。
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 運転手さんに駐車場ですこし待っていてほしいとお願いし、さっそく入山。このお寺さんにある重森三玲の「法林の庭」も素晴らしいものでした。斜面を埋めつくすサツキとツヅジの刈込、その間から顔を出すさまざまな意匠の石組。まるで波の間に間に浮遊しているようです。斜面を階段で上までのぼれるのも楽しいですね、下から見上げ、途中で見渡し、上から睥睨する、さまざまな視点で石組を堪能できました。
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 前掲書によると、平安後期、堀河天皇が行幸したとき、山躑躅がみごとであったことから躑躅山(てきちょくさん)と山号を改め、寺号も法林繁昌の地として林昌寺と改名されたそうです。重森三玲が作庭したときには石組と苔の築山でしたが、強い西日でどうしても苔が枯れてしまうので、彼の没後に大刈込に変更されました。でも違和感はまったくありません。ツツジやサツキの花盛りのころはさぞや見事な景観となるでしょう。でも大きくなりすぎると石組を隠してしまうので、剪定や日々の手入れが大変でしょう。ご苦労様です。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2015-09-24 06:31 | 近畿 | Comments(0)

重森三玲の庭編(53):岸和田(14.3)

 それでは岸和田駅へと戻りましょう。途中に、寺田甚吉(岸和田市長・南海鉄道社長)が1932(昭和7)年に建てた社交場、自泉会館がありました。登録有形文化財に指定されており、側面にある大きな張り出し窓が印象的な建築です。岸和田だんじりの地車を模したご当地電話ボックス、リズミカルに連続するアーチ窓が洒落ている岸和田中央小学校を撮影。
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 そして「旧泉州銀行本店」というクールでかっこいいビルを発見。やれやれ、己の表現力の乏しさにはほとほと愛想が尽きます。せめて解説板を転記しておきましょう。
 昭和34年(1959)年に泉州銀行の本店として建築された。設計は日本を代表する建築家、村野藤吾によるもの。全壁面が花崗岩張りで上部に横線のきいた連続窓と下部に格子のついた小窓を配し、造形的にも美観にあふれる建物である。村野藤吾は、自泉会館(岸城町)などを設計した渡辺節の門下生で、戦後建築としては初の重要文化財となった世界平和記念堂(広島)や、関西大学第一学舎・簡文館、宝ヶ池プリンスホテル、日生劇場などを手がけた日本近代建築史に欠かすことのできない巨匠である。
 彼の名前はときどき書物で目にしますが、その作品ははじめて実見しました。これほど魅力的な建物をつくった村野藤吾、記憶に留めておきたい建築家です。
 途中にあった「岸和田だんじり祭」のポスターを記念に撮っておきました。なお駅でいただいた観光地図に、「岸和田で見つける"昭和の思い出"」という記事があったので紹介します。
ごんばこ
コンクリート製ゴミ箱が多数あり、修復され大切に使われている。多数の"ごんばこ"が現役で存在する岸和田に専門家も関心を寄せている。

柊鰯(ひいらぎいわし)
城下町には有名な観蔵院高見(岸和田)観音があるため、路地裏のおうちでは玄関先に"魔除けの柊"が確認できる。

鍾馗(しょうき)さん
 京都や奈良市内ではあたりまえの鍾馗(しょうき)さん。蛸地蔵駅あたりなど、岸和田でも多いところを見ると商家が多かったからと考えられる。
 なかなかディープな町、岸和田。今度は「ごんばこ」巡りの散策をしてみたいものです。でもゴミ箱の専門家ってどういう方なのでしょう???
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2015-09-23 07:31 | 近畿 | Comments(0)

戦争法案成立

 安全保障関連法案が可決されてしまいました。やれやれ。

 安倍伍長曰く、国民の"命と幸せな暮らし"を守るための法案だそうですが…嘘つき。福島の方々を見殺しにし、原発を再稼働し、沖縄に米軍基地を押しつけ、労働者の立場を悪化させているのは一体だれか。いま、私たちの"命と幸せな暮らし"を脅かしているのは、北朝鮮でも中国でもなく、安倍伍長、自民党、公明党ではないのですか。本気で私たちの安全を保障したいのなら、議員の職を辞めていただきたいものです。即刻。

 この法案は私たち国民の安全を保障するためのものではなく、アメリカが国益のために行なう没義道で卑劣で残虐な先制攻撃の片棒をかつぐためのものでしょう。はっきり言えばいいのに。宮台真司氏の卓抜な言い回しをお借りすると、"世界中から後ろ指をさされようとも、倫理的に忸怩たる思いを抱こうとも、繁栄の継続に役立ちさえすれば、アメリカのケツを舐める"ということですね。(『愚民社会』 p.282太田出版) いやはや。

 なぜ安倍伍長を筆頭に自民党・公明党の皆々様は、嬉々としてアメリカの属国になりたがるのか。たいへん興味深い問題なので、これについては、あらためてじっくり考えたいと思います。ただ意外なのは、この法案は私たちの安全を守るためのものだと本気で思っている人がけっこういることです。上質の新書を三冊読めば、安倍伍長の意図などすぐわかりそうなものですけれどね。また覆轍を踏むのでしょうか。

 まあでも、闘いはまだこれからです。一般市民を犠牲にして、アメリカと大企業の幇間に甘んじる国会議員をひとり残らず落選させましょう。

 今日も国会前に行ってきましたが、日本がちょっと変わりつつあるかな、という手応えを感じました。小熊英二氏の言葉を紹介します。 (『社会を変えるには』 (p.516~7) 講談社現代新書2168)
 「デモをやって何が変わるのか」という問いに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいましたが、それはある意味で至言です。「参加して何が変わるのか」といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。
 それでは、また国会前でお会いしましょう。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2015-09-19 04:49 | 鶏肋 | Comments(0)

重森三玲の庭編(52):八陣の庭(14.3)

 桜祭りのためなのでしょう、屋台が並んでいましたが、肝心の桜が五分咲きのため開店しておらず閑散としています。
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 再建された天守閣に行くと、その前に重森三玲作庭による「八陣の庭」がありました。前掲書の解説を参考にして紹介しましょう。南北朝時代の武将・和田氏が、「岸」と呼ばれていた地に城を築いたことからこのあたりは「岸和田」と呼ばれるようになりました。その後、城主は転々としますが、秀吉の時代には本格的な五重の天守を構えていたということです。やがて江戸時代の1827年に天守を焼失し、再建されないまま明治期に廃城を迎えました。戦後、天守閣が再建される際に、作庭を依頼された重森三玲は、天守の最上階から、あるいは飛行機などからも鑑賞できるようにしようと意図しました。おそらく空からの視点で鑑賞するお庭は、日本でここだけでしょう。それでは入場料を払い天守閣の最上階へとのぼりましょう。
 おおっこれは壮観だ。幾何学的でモダンな線で区切られた砂地、そこに点在する石組。まさしく地上絵です。解説によると、三玲は城郭庭園にちなみ、諸葛孔明の八陣法を表現したそうです。中央に大将陣をつくり、その周りに天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇の八陣で守りを固める配置です。また眺望も素晴らしく、市街地や大阪湾、六甲の山並みも見わたすことができました。山ノ神は目敏く、あべのハルカスを発見しました。
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 それでは下界におりてお庭をじっくりと拝見しましょう。やはり直近で見ると石組の迫力が伝わってきます。鳥瞰で全体の構成を楽しみ、間近で石組の意匠を楽しむというお庭です。中央には大将陣の豪華な石組を、周りには八陣を表す八つの石組をもうけてあります。地平を走る猛虎の姿をとった虎陣石組。地下に深く入り込むような伏石を三つ組んだ地陣石組。風の如く六個の石が組まれた風陣石組。龍が黒雲を得て昇天する様を見せる龍陣石組。大空を羽ばたく朱雀の姿をかたどる鳥陣石組。二個の黒石が長蛇を表す蛇陣石組。いずれもここにこの石を置くしかないという、絶妙の配置に思えます。"石の声を聞け"という重森三玲の面目躍如、一見の価値があるお庭です。

 本日の八枚です。
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by sabasaba13 | 2015-09-18 06:43 | 近畿 | Comments(0)