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スイス編(44):ツェルマット(14.8)

 車窓から葡萄畑を見かけましたが、フィスプ付近はヨーロッパで一番標高の高い地域で造られる白ワインの産地として有名だそうです。やがて断崖絶壁にへばりつくように列車はさらに高度を上げていきます。頑張れ、ラック・レール。
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 右手に見えた大規模な瓦礫は、たぶんヘルブリンゲンの山崩れの跡だと思います。1991年に山が突然大崩壊し、岩石と土砂が川、鉄道、道路を埋めつくしました。川はすぐに池を形成しはじめ、ツェルマットまでが水没の危機かと心配されましたが、スイス軍が総力をあげて整備をしたそうです。テーシュには大きな駐車場がありますが、ツェルマットは自動車乗り入れ禁止のため、観光客はここに駐車して鉄道を利用します。いいぞ、ツェルマット。
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 そして17:52、無事にツェルマット駅に到着です。氷河がほとんど見えず速度も遅い、どこが「氷河急行」だ、責任者を呼んでこい、などと野暮なことは言いません。たいへん楽しめた鉄道の旅でした。なお『地球の歩き方』によると、この氷河急行、1930年当時の所要時間は約11時間、現在は約8時間。単純に比較すると時速10kmしかスピードアップをしていないそうです。でも新フルカ・トンネルの有無を計算に入れると、ほとんど速度は変わっていないような気もします。いいですよ、それで。車窓からの眺めを楽しむには、これくらいでちょうど良いと思います。
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 それではエクスペディアで選んだホテル・サラズィナ(Hotel Sarazena)をさがしましょう。駅から近いことと、値段が中庸であることが条件でした。幸い道標があり、裏道を抜けるとわずか1~2でたどり着けました。ぱっとしない外観のありふれたホテルでしたが…ホテルは見た目で判断してはいけませんね。晴れた日のマッターホルンが何としてでも見たいので、この宿に五泊します。フロントでチェックインをすると、おかみさん曰く「五泊ということで最上階の角部屋を用意しました」。情けは人の為ならず、おかみさんに幸あれかし。小さいエレベーターで最上階にあがり、部屋に入ると…ま、中庸の部屋でした。ガラス戸を開けて小さなベランダに出ると…なんとゴルナーグラート登山鉄道駅のホームが、列車が、乗客が、駅員が、ラック・レールが眼下に見下ろせます。これは嬉しい、どうだい私の眼力は確かであったろうと山ノ神に言おうとすると、彼女は呆けた表情で上の方を見ています。何だ何だ何があるんだ…マッターホルンがあった。建物と山の斜面の向こうに、マッターホルンの頂上が見えるではありませんか。これはもっと嬉しい。おまけに山ノ神が「ドライヤーがない」とフロントに電話をしたら、さきほどのおかみさんが、鼻血をとめるティッシュを鼻腔につっこんだまま即座に部屋まで来てくれました。そして嫌な顔ひとつせず、「ここにあるわよ」とにこやかに引き出しを開けてくれました。これも嬉しい。ホテル・サラズィナ、お薦めです。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2015-11-30 06:33 | 海外 | Comments(0)

スイス編(43):氷河急行(14.8)

 やがて列車は全長15407mの新フルカ・トンネルに入り、十五分ほどで抜けていきました。ところで、あまり氷河を見ることができないのに、なぜ氷河急行と言うのか? その秘密がこのトンネルにあったのですね。以下、『地球の歩き方』から引用します。
 実はこのトンネルの上のフルカ峠が元来グレッシャー・エクスプレス随一の絶景ポイントであり、グレッシャー・エクスプレスの名前の由来にもなったローヌ氷河が線路に迫る区間だった。しかし交通の難所であり、また豪雪地帯であるため冬季の交通が遮断されることから、通年にわたって東西のルートを確保するために1982年にトンネルが開通。便利になったのと同時にローヌ氷河に迫る旧線の絶景ルートは廃止された。(p.182~3)
 なるほどねえ、能天気な観光客としては残念ですが、スイスにとってはやむを得ない処置だったのですね。せめて夏の間だけでも走らせて欲しいというのは、現地の事情を知らない身勝手な要望かな。なお廃線マニアのはしくれとしてそのルートを歩いてみたいような気もします。線路や鉄道施設は残っているのか、ハイキング・コースとして整備されているのか、ご教示を乞う。
 町や村の点在する、明るく広々とした谷を列車は疾走していきます。右側の山の向こう側には、ヨーロッパで最長のアレッチ氷河がありますが、列車からは見ることはできません。途中下車してロープウェイで山頂に上ると展望台があるとのことですが、その駅やロープウェイを視認できました。なおこのアレッチ氷河はユングフラウに源を発するそうですが、そういえばユングフラウヨッホから見た記憶があります。
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 そうそう申し遅れましたが、座席にはオーディオ・ガイドが設置されていて、日本語を含む六ヶ国語で沿線についての案内を聞くことができます。それがなかなかトリビアで面白い。リッツのオーナーがこのあたり出身とか、スイス国民の90%が高速インターまで30分で行けるとかね。
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 そしてブリーク(Brig)に到着です。アルプス越えのシンプロン街道の町として発展し、現在でもシンプロン峠(自動車道)、シンプロン・トンネル(鉄道)といった南北ヨーロッパを結ぶ主要ルートの起点となっています。
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 いよいよ氷河急行最後のルート、ここからフィスパ川沿いに、またぐいぐいと山を登って終点のツェルマットをめざします。なおブリークの標高は671m、ツェルマットの標高は1620mですから、約1kmをかけのぼるわけですね。頑張れ、ラック・レール。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2015-11-29 07:47 | 海外 | Comments(0)

スイス編(42):氷河急行(14.8)

 ティーフェンカステル(Tiefencastel)駅を過ぎると、アルブラ川に沿って走り、また見事な石橋を渡りました。ここからシュン渓谷がはじまり、列車は断崖絶壁の中腹をへばりつくように走っていきます。
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 アルブラ川とライン川の合流地点であるライヒェナウ(Reichenau-Tamins)からは、ライン川に沿って列車は走り、クールに到着です。
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 ここで列車の進行方向が変わり、ふたたびライヒェナウを通り過ぎると、ツェルマットをめざして一路西へと向かいます。このあたりは白亜の断崖が続きますが、『地球の歩き方』によると、ライン川の大地溝帯、別名ライン川のグランドキャニオンと言うそうです。もともとは氷河時代後期に氷河が後退するときにアルプスが大規模な地滑りを起こして巨大なダムを造り、それをライン川が削って複雑な地形を形成したとのことです。なおこのあたりにあるトゥルン(Trun)は、絵本画家アロイス・カリジェ生誕の村ですね。
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 車窓を流れる風景を眺めていると、給仕さんがやってきてテーブル・クロスを敷き、フォーク・ナイフと皿を並べてくれました。お待ちかねの昼ごはんです。まずはサラダをいただき、次に大きな皿から取り分けられた子牛の背肉ソテー・ローズマリー風味、バターベイクドポテト、グリーンビーンズに舌鼓を打ちました。デザートはいちごのフルーツロール、珈琲カップには"heidi coffee"と記され、狼少年ケンのようなハイジが描かれていました。
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 そしてディゼンティス(Disentis)に到着、ここで鉄道会社がレーティッシュ鉄道(RhB)からマッターホルン・ゴッタルド鉄道(MGB)に変わるとともに、ラック・レール用機関車に付け替えるために十分ほど停車します。もちろんその作業を見逃す手はない、カメラを片手に列車から降りて見学に行きました。線路の彼方からしずしずと姿を現した機関車がじょじょに近づき…合体。てきぱきと作業を進める鉄道員の手際のよさに見惚れてしまいました。なお日本でラック・レールを採用しているのは、大井川鐡道井川線だけです。よろしければ旅行記をご笑覧ください。
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 そして出発、ラック・レールのおかげで列車はぐいぐいと斜面をのぼっていきます。『地球の歩き方』によると、進行方向左側の谷の向かい側に、メデル氷河が少し望めるそうですが、うーんよくわかりません。やがて森林限界を越え、荒涼とした景色の中を列車は疾駆。そして氷河急行全線でもっとも標高の高い(2033m)オーバーアルプパスヘーエという峠を越えました。
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 列車は右に左にカーブしながら峠をくだり、アンデルマット(Andermatt)に到着です。ここは古くから、南北のアルプス越えと、東西の交通路(氷河急行のルート)の十字路で、宿場町として栄えたそうです。ヨーロッパの南北を結ぶアルプス越えの二大ルートのうち、西のシンプロン・ルートではレッチベルクとシンプロンという二つの峠を越えなければなりませんが、アンデルマットを通るサンゴッタルド・ルートではサンゴッタルド峠一つだけですむとのこと。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2015-11-28 06:57 | 海外 | Comments(0)

スイス編(41):氷河急行(14.8)

 全長約290km、所要8時間、291の橋を渡り91ものトンネルを駆け抜ける氷河急行の旅、いよいよ始まりです。まずは車体を記念撮影、中に乗り込み席を見つけると、ちゃんと日本語で「予約済」と記されていました。窓も大きく、天井の一部も窓となっており、これなら眺望を堪能できそうです。なお一等車の指定席だったのですが、ガラガラ。向かいの席にいらした御夫婦に挨拶をすると、デュッセルドルフ在住のドイツの方でした。
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 10:02に列車は出発。緑の緩斜面にリフトが設置されていましたが、このあたりはすべて冬場にはスキー場になるのでしょう。サメーダン(Samedan)は、この地方独特のスグラフィット壁画の家が建ち並ぶ静かな町だそうです。たぶんあれかな、いちおう写真に撮っておきました。
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 係の方が配ってくれたメニュー(日本語表記あり)によると、食事は「ミソックス風野菜スープ」と「子牛の背肉ソテー ローズマリー風味」です。プレダ(Preda)を過ぎると、列車はいよいよ深い谷へと入っていき、次のベルギューン駅までの12.6kmの間に一気に416mを駆け下りていきます。名物の三連続ループもここにあり、トンネルの中で何度もループを描きながら進んでいきました。もうこれは写真の撮りようがありませんでした。あれ、通り過ぎた線路があんなところにある、今度はこっちに現れた、と視線を右往左往させるのみ。山岳鉄道の醍醐味を堪能させていただきました。
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 そしてダヴォス方面への分岐点、フィリズール(Filisur)に到着。さあいよいよお目当てのランドヴァッサーが近づいてきました。幸い席は進行方向の左側、美しくカーブする石橋が見られるはずです。駅を出発するとすぐに短いトンネルに入り、そして…ふわっ…まるで空中を疾走するように、高さ65mの見事な石橋の上を列車は駆け抜けていきました。実はこの橋を見るのは二度目、以前にダヴォスでスキーをした際、天気の悪い日にクール(Chur)に観光に行った帰りにこの橋を渡りました。チューリヒからサン・モリッツへ移動する際にここを通過するので、是非とも窓を開け、身を(ちょっとだけ)乗り出して見てみたいと満を持していたのですが、前述のように土砂崩れと脱線事故のために果たせませんでした。ちなみに氷河急行の窓は嵌め殺しなので、それは不可能です。もしまた来る機会があったらやってみたいし、フィリズールで降りてランドヴァッサー橋を下から見上げてみたいものです。なお事故があったのは橋を渡ってすこし行ったところ、現場は視認できませんでしたが、復旧してくれてほんとうに助かりました。レーティッシュ鉄道関係者のみなさまに、ディスプレイを借りてお礼を言いたいと思います。どうもありがとうございました。でも氷河急行が不通だったら、どうやってツェルマットに行けばよかったのだろう? 想像しただけでもぞっとします。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2015-11-27 06:33 | 海外 | Comments(0)

殺すな

 パリ同時多発テロで亡くなられた方のご冥福を、心よりお祈りします。
 そして、どのようなかたちであれ、一般市民を標的とした殺戮がなくなるよう、心より願います。そう、どのようなかたちであれ。殺すな

 私がいま、一抹の戦慄とともに怖れているのは、ISに対する空爆の強化とそれに伴う一般市民の大量死、その報復として空爆当事国へのさらなるテロと一般市民の大量死、その報復としての空爆のさらなる強化… 果てしのない憎悪と報復と殺戮の連鎖です。笑みを浮かべているのは軍需産業と、その株主と、そこから資金やリベートを得ている政治家の皆々様だけでしょう。これはもう第四次世界大戦ではないのか。ちなみに環境破壊と資源の収奪という末来世代に対する戦争、第三次世界大戦はもうすでに始まっていると考えます。

 私たちが真摯に考えなければならないのは、いかにしてこの恐るべき螺旋を食い止めるか、ということだと思います。持てる限りの理性と知性と人間性を駆使して、テロを生む原因を探求し、その対策を講じる。
 なぜ彼ら/彼女らはテロルを行なうのか。なぜテロリストが跋扈するのか。いわゆる先進国の圧倒的軍事力をもってしても、テロリストたちを屈服させられないのは何故か。それを考えるヒントとしてたいへん有益な本が、以前に拙ブログで書評を書いた『日本人は人を殺しに行くのか 戦場からの集団的自衛権入門』(伊勢﨑賢治 朝日新書485)です。もう一度、今だからこそ紹介したいと思います。
 なぜアメリカの圧倒的な軍事行動をもってしても、軍事力ではとるに足らないテロリストに勝てないのか? その理由の一つは、テロリストの側に、我々にはない圧倒的なまでの「非対称な怒り」が存在していることです。
 外地に赴く要員は、私のような民間人も、多国籍軍の兵士たちも、国家から与えられた使命感こそあるかもしれませんが、(基本的には)個人的な怒りを原動力として何千キロも離れた土地に赴くわけではありません。
 それに対し、我々を迎えるあちら側は、我々を傍若無人な侵略者(特に、イスラム教にとっての異教徒)であると見なしています。我々が黙ってそこに立っているだけで、彼ら個人個人とその集団を貫くのは、彼らのアイデンティティを賭けた怒りです。しかもそれは、我々の攻撃による同胞や家族の犠牲によって増幅し続けるのです。この「非対称な怒りの増幅」こそが、テロとの戦いに終わりがない所以です。(p.133~4)
 "我々の攻撃による同胞や家族の犠牲によって増幅し続ける"という点に注目すべきですね。テロリストによってパリで殺された130人の方々については、多くの報道がなされています。しかし、フランスの空爆によって殺された方々についての報道は皆無です。何人ぐらいだったのか、どういう死に方をしたのか、遺族はどのような気持ちなのか。それについて精査し、事実を明らかにすべきではないでしょうか。それを無視して空爆を継続・強化するのならば、もうそれは国家テロと言わざるを得ません。
 次に、テロリストたちは、なぜイスラム世界に強烈な根を張れているのか。引用します。
 どんな国でも、一般民衆は、不安な「銃による支配」ではなく「法による支配」の下で生活したいと思うでしょう。それが普通です。でも、その「法」の維持には、やはり「銃(統制力)」が必要です。みんなが信頼を寄せる国家が、国軍を持ち、法が支配する安全な環境を外敵から護ってくれる。そして、警察が、日常生活の中の法の違反者を取り締まってくれる。つまり、国軍と警察からなる最強の武力を国家が独占している状態-、それを私たちは「秩序」と呼んでいるのです。
 しかし、内戦などで国が混沌とし、その「秩序」を提供する国家自体が存在していない状態になると、そこでInsurgentsたちがスーッと忍び込んでくるのです。
 人間は、集団で生きる限り、夫婦喧嘩からお隣との土地争議まで、紛争の種をつくり続けます。そして、それらへの「沙汰」(裁きを下す者)を常に必要とします。
 もしも近所に手が付けられない暴れん坊がいたら? 警察に相談したらいいでしょう。でも、その警察が機能していなかったら? 何もしてくれないだけでなく、ワイロを強要されたり、逆に、その暴れん坊とつるんでいたりしていたとしたら? そこに、裏の実力者がいて、そちらに頼んだら、ある朝、その暴れん坊と、腐敗している警察がボコボコにされて木に吊るされていたら?
 こうやって、Insurgentsは、国家の「沙汰」の空白に、自分たちの「沙汰」を提供することで入り込んでくるのです。日本の田舎町で、ヤクザの親分が羽振りをきかせているみたいな感じで。
 それをきっかけに、Insurgentsは、少しずつ彼らの「教義」を民衆に浸透させていきます(原理化)。それはいつの間にか、恐怖政治に姿を変え、住民たちを服従させていくのです。その過程で、住民の中から職にあぶれたいきのいい若者を手下に引き込んで仲間にし、恐怖政治を確固たるものにしていきます(過激化)。これが、1990年代後半に、タリバンが急速にアフガニスタンを支配して政権を樹立し、現在でも「イスラム国」などが世界中の不安定な場所に浸透していく構造なのです。(p.134~5)
 多くの現場を見て聞いて体感してきた伊勢﨑の言だけあって、説得力があります。ではどうすればよいのか。しっかりとした国軍と公平な警察を中心に秩序を形成し、国民に安心を与え、福祉政策も実施し、国民が自ら安心してネーションに帰依できる政府をつくる。気の遠くなる作業ですが、対テロ戦の"戦い方"は、これしかないと氏は断言されています。(p.137) 要するに、安心して暮らせる日常があれば、テロリスト集団への支持も霧消していくということですね。ということは、そうした日常を破壊する行為、例えば空爆は、人びとのテロリスト集団への期待や依存を増していく、言うなればテロリズムの温床をつくってしまう結果になると思います。また、大国の軍事力や政治力をバックに、大企業が世界を股にかけて人びとから富を収奪するシステム、グローバリゼーションも同じ結果を生んでいるのではないか。ん? 一般民衆が安心して暮らせる日常を破壊する行為? よく考えるとそれもテロですよね。空爆は国家テロであり、ドイツの雑誌『シュピーゲル』曰く"グローバリゼーションは日々のテロである"。

 そう考えると、第三次・第四次世界大戦をくいとめる方途も見えてきます。無辜の民を殺さないこと、世界中の人びとが安心して暮らせるようにすること。
 You may say I'm a dreamer. But I'm not the only one.
by sabasaba13 | 2015-11-26 06:40 | 鶏肋 | Comments(1)

『証言と遺言』

 『証言と遺言』(福島菊次郎 DAYS JAPAN)読了。
 硬骨・反骨の写真家、福島菊次郎が2015年9月24日に逝去されました。享年94歳。ご冥福を祈ります。いや、きっと「祈らなくてもいいから闘え」と言われるでしょうね。
 氏のことをはじめて知ったのは『DAYS JAPAN』誌上でした。広島の被爆者、三里塚闘争、ベトナム反戦市民運動、全共闘運動、自衛隊と兵器産業、公害問題など、常に時代と関わりあいながら民衆を撮り続けた方です。その迫力ある写真と真摯なメッセージに圧倒され、さっそく購入した写真集が本書です。残念ながら、その直後に訃報に接しました。
 彼の志は、前書きの「すべての同志に向けて」を読めばわかります。
 「死なない写真」を撮らなければならない。そのためにカメラマンは歴史認識に支えられた撮影者としての基盤を持ち、状況の渦中に飛び込み、問題が続く限りシャッターを切り続け、発表しつづけなければならない。「一枚の写真が国家を動かす」。それは人間の尊厳を守るために、権力に迎合せずシャッターを切り続けたカメラマンだけに与えられた特権である。(p.3)
 氏がプロカメラマンになったきっかけを、写真「広島の被爆者 中村さんの記録」のコメントで語られています。中村さんは広島市内で被爆、全身の火傷は化膿して蛆がわき、髪も抜け落ちました。医療機関が全滅していたため、牛の糞を傷口に塗り、ドクダミ草を煎じて飲み、三か月後には奇跡的に回復しました。しかし奥さんが子宮がんで六人の子を残して死亡。金がないので、ABCC(原爆傷害調査委員会)に遺体を提供して3000円をもらい、やっと葬式をだしました。そして中村さんの原爆症が再発、一家は生活保護に頼って暮らしていきます。以下、引用します。
 ある日、日頃無口な中村さんが、「あんたに頼みがある、聞いてくれんか」と畳に両手をついて泣きながら言った。「ピカにやられてこのザマじゃ、口惜(くや)しうて死んでも死にきれん、あんた、わしの仇をとってくれんか」。予想もしない言葉に驚き「どうして仇をとればいいのですか」と聞いた。
「わしの写真を撮って皆に見てもろうてくれ。ピカに遭うた者がどんなに苦しんでいるか分かってもろうたら成仏できる。頼みます」と僕の手を握った。
「分かりました」と答えた。しかしこの家に写真を撮りにきてもう1年も過ぎたのに、極貧の生活にどうしてもカメラが向けられなかった僕は「本当に写してもいいのですか」と聞き返した。
「遠慮はいらん、何でもみんな写して世界中の人に見てもろうてくださいや」 (p.16)
 その日から福島氏は中村さんの病苦と一家の極貧生活を憑かれたように写します。そして写真集が出版されたのを見て、中村さんは65歳で死亡。氏は撮影のストレスで精神病院に入院し、退院後にプロの写真家になられたそうです。
 その壮絶な写真の数々には言葉も出ません。敷きっぱなしの継ぎはぎだらけの布団。病苦や貧困に耐え切れなくなった時に、その苦しみから逃れるためカミソリで切り裂いた内股の傷跡(※「キチガイだと言われるから写すのはやめてくれ」と懇願されたが、写したそうです) 発作が起こると全身を激しく痙攣させ悶絶、その時の硬直した足先。「頭がわれる、体がちぎれる」と叫びながら体を布団にうずくまる中村さん。「仇をうってくれ」という言葉が重く響きます。
 福島氏は、中村さんという人間の尊厳を守るために、アメリカという国家の行なった暴力と不正を写真によって暴こうとしたのだと思います。同時に、氏の眼差しは日本という国家の暴力と不正にも向けられます。3000万人のアジア人と連合軍、320万人の自国民と兵を犠牲にした侵略戦争、その結果としての原爆投下。しかしその後の日本人は、このヒロシマを「虚構の平和都市」として構築し、被害者意識一辺倒の戦後をつくり、侵略戦争の総括も、戦争責任の追及も放棄して戦争認識を誤らせてしまった。そう氏は批判されています。このあとに続く写真からもそれが感じられました。自衛隊の軍事ショーで愉しげに戦車に乗る家族、昭和天皇在位50周年式典で銀座をねりあるく人たちの屈託のない笑顔、三菱重工業の戦闘機組立工場で働く若者のはちきれんばかりの笑顔。どの写真からも、福島菊次郎氏の「見ろ、考えろ、闘え」という力強いメッセージが響いてきます。
 なお『DAYS JAPAN』の11月号は福島氏の追悼特集ですが、その中で写真家・同誌発行人の広河隆一氏が思い出を語っておられます。祝島の近くで、「折り入って頼みがある」と言われたそうです。
 いよいよ憲法が改憲される事態になったら、自分は焼身自殺という形で抗議するつもりだ。それを撮影してほしい…
 本号から、福島菊次郎氏の言葉をいくつか紹介します。
 問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわない。

 憲法9条と自衛隊が同居する、正邪の理非も見失った異常事態がなおも続くなら、僕はこの国の戦後を告発し続けた一人のジャーナリストとしての、自己の良心的所在と尊厳を貫くため、これ以上この国で生きることを拒否する。

 戦争なんて始まらないって、みんな頭のどこかで思っているだろ。だけど、もう始まるよ。

 独りになることを怖れないで。集団の中にいると大切なものが見えなくなる。

 表にでないものを引っぱり出して、たたきつけてやりたい。

 獲物を倒すためには、権力にすり寄り、内臓から食い破ることもある。

 闘え

 本日の一枚、本写真集の掉尾を飾る、福島菊次郎氏の自筆による朱の刻印です。
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by sabasaba13 | 2015-11-25 06:12 | | Comments(0)

言葉の花綵130

 もはやナショナリズムは、その正当性を自負しているとは言いきれない。(T・アドルノ)

 平和主義が暴力を放棄できるのは、ほかの人間が自分に代わって暴力を行使してくれるからだ。(ジョージ・オーウェル)

 最近、教養教育の再建が大学の課題であるとよく言われます。ただ、わたしが思うのは、しっかりとした新書と選書を100冊読めば、それだけで十分、教養が身に付くのではないか、ということです。(『ナショナリズム入門』 講談社現代新書 植村和秀)

 音楽を、人を尊敬して、それが自分に返ってくる。(『のだめカンタービレ』 千秋真一)

 ボクはね、やる気のない生徒にやる気を出させるほどやる気のある教師じゃないんだよ。(『のだめカンタービレ』 谷岡先生)

 オレとオヤジが三日三晩寝ながら考えて付けた名前だ。(『のだめカンタービレ』 峰龍太郎)

 最も残忍で無恥な奴隷は他人の自由の最も無慈悲かつ有力な強奪者となる。(E・H・ノーマン)

 一切合財怠けよう、恋するときと、飲むときと、怠けるときをのぞいては。(レッシング)

 休息は健康なり。(スペインの諺)

 貧しい国家とは、とりもなおさず国民が裕福な国家である。富んだ国家とは、国民が一般に貧しい国家である。(デステュット・ド・トラシー)

 わたしは世界の王、「資本」である。虚偽と羨望と吝嗇と詭弁と殺人に警護されてわたしは進む。わたしは、家庭に分裂、市に戦争をもたらす。わたしの行くところすべてに憎悪と絶望と悲惨と疾病と死の種をまく。(『怠ける権利』 ポール・ラファルグ)

 されど、死ぬのはいつも他人だ。(マルセル・デュシャンの墓碑銘)
by sabasaba13 | 2015-11-24 18:21 | 言葉の花綵 | Comments(0)

2015年紅葉便り:箱根

 土曜日に、箱根に行って紅葉狩りをしてきました。強羅のあたりでは見頃でしたが、湯本ではまだ色づきは進んでいません。警戒レベルが下がったことでたいへんな混雑でした。

 本日の六枚、上から白雲洞茶苑(強羅公園)、箱根美術館(二枚)、飛烟の滝、蓬莱園、千世倭楼(風祭)です。
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by sabasaba13 | 2015-11-23 07:08 | 鶏肋 | Comments(0)

道徳教育

 かなり前の話ですみません。

 鶴見俊輔さんの訃報に溜め息をつきながら朝日新聞(2015.7.24)を読んでいたら、"「考える道徳」を重視"という記事に目がとまりました。2018年以降、小中学校の道徳が正式な教科に格上げされるのに向けて、文部科学相の諮問機関が、文科省が作成した教科書検定の基準案を了承したとのこと。これまでのように(私も覚えがありますが)副読本を読むだけの授業だけではなく、子どもが表現力を高めるために話し合ったり書いたりする「言語活動」や「体験学習」を教員が採り入れやすくする工夫を出版社に求めるそうです。その際に、一方的な価値観の押しつけではなく、子どもが自分で考える授業になるようにする。また「礼儀」「公正」「愛国心」など学習指導要領に決められた項目との対応を明示することも盛り込まれたそうです。
 やれやれ、胡散臭い話ですね。スーパーニッポニカ(小学館)によると、道徳とは"人間がそれに従って行為すべき正当な原理と、その原理に従って行為できるように育成された人間の習慣"です。人間として正当な原理と習慣とは具体的に何か、それって国家が決めるものなのですか。この記事を読む限りでは、国家が決めて学習指導要領に盛り込んで、その枠内で子どもたちに考えさせるということですね。(何を考えさせるのだろう?) もう一度やれやれ。子どもたちをコントロールしようという官僚諸氏の強烈な意思を感じます。でも子どもって、大人の言うことを聞いて育つのではなく、大人のやることを見て育つという基本的な視点が欠落しています。今、日本国政府や財界がやっていることは道徳的に「公正」なものなのか、考えていただきたいものです。福島の人々を見殺しにし、沖縄の人々に新基地を押しつけ、アメリカの国益のための戦争に加担し、TPPに参加して日本経済をグローバル企業に叩き売り、企業の利益と核兵器を持たんがために原発を再稼働し、福祉と教育の切り捨てる日本国政府。資本を儲からせる能力や技術力のない人々を切り捨て、内外を問わず低賃金労働者を酷使して稼ぐ財界。どこが「公正」なのでしょう。
 思うに、1%の富裕者・権力者は「不公正」であってよく、99%の一般庶民は「公正」であれ、ということですね。そしてこのいかがわしいシステムに疑問を持つな、受け入れろ、反対するな、愛せ、というのが「愛国心」の内実でしょう。そこには、故鶴見俊輔氏が言うところの「くに」、言葉・仲間・風景・家族・友だちは含まれていません。なにせその「くに」を破壊している元凶が、そうした御仁たちなのですから。そしてこの下劣なシステムを、愛して、愛して、愛して、愛して、と五月蠅くつきまとうのですから、これはもうストーカーです。即刻やめていただきたい。

 それでも道徳教育を強化するというのなら、提案があります。その教科書に下記のような課題を入れていただけませんか。
[課題] あるところに集団登校をしている100人の小学生がいました。班長のアベ君は、こんな提案をしました。「重いランドセルを背負うのは大変だから、そのうちの75個を誰かに背負ってもらおう。転校してきたばかりのオキナワ君ではどうかな。民主的に多数決で決めよう」 賛成の人は99人、反対の人は1人、オキナワ君はそれから毎日、75個のランドセルを背負って登校することになりました。「ひどいよ」と言っても、アベ君も、他の仲間も耳を貸してくれません。
 さあ、アベ君たちのしたことをどう思いますが。みんなで考え、話し合ってみましょう。
 私だったら「恥知らず・人でなし・嘘つき」と答えますけれどね。
by sabasaba13 | 2015-11-20 06:32 | 鶏肋 | Comments(0)

スイス編(40):氷河急行(14.8)

 朝六時に目が覚め、歯を磨き顔を洗って外へ出ると、今日も快晴でした。雲をマフラーのようにまとったベルニナ・アルプスの山々に「おっはよーさん」と挨拶。紫煙をくゆらしていると、お天道様が顔を出し、山なみの岩肌や雲を真っ赤に染め上げていきました。うーん、今朝は最高のモルゲンロートを見ることができました。早起きは三文の得、至言ですね。低血圧でしぶちん(「関係ないでしょ!」と半畳が入る)の山ノ神は、もちろんベッドの中で口を開けて熟睡しています。テレビをつけてあいもかわらず大雑把な天気予報を見ると、あおによしスイスの空に雲はなし、それにつけても金の欲しさよ、でした。やった。
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 山ノ神が目を覚まし、身づくろいを整えるのを待って、最後の朝食を食べにレストランに行きました。今朝も空席が目立ち、しっとりとした落ち着いた雰囲気です。ハムにチーズ、オレンジ・ジュースに珈琲、ヨーグルトにホテル特製のパン、そして忘れちゃいけないオムレツ。名残はつきませんが、思い出に残るようよくかみしめて味わいました。
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 部屋に戻って出発の準備、テレビをつけてスイス各観光地のライブ映像を見ていると、おおっ、ゴルナーグラートはピーカン、マッターホルンの全容が青空のもとくっきりと浮かび上がっているではありませんか。ああもどかしい、早くツェルマットへ行きたい。出発の準備を終え、♪さーらーばラバウルよ、また来るまでは♪と歌いはしませんでしたが、お世話になった素敵な部屋と風景を記念撮影。フロントでチェックアウトをすると、ちょっと心配していましたが、あの美味しいオムレツが無料であったことが判明しました。世間体に配慮してか、こちらを向いてかすかに微笑む山ノ神。♪When you're smilin' When you're smilin' The whole world smiles with you♪ レスター・ヤングのそれはそれは素晴らしいソロが脳裡を流れました。フロントに設置してあった週間天気予報のディスプレイで、ツェルマットの天候を調べてもらいました。今日は"sunny"、明日以降は"sunny"か"cloudy"か"partly cloudy"、どうやら大雨とか暴風雨とか落雷とか雹といった事態は避けられそうです。
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 フロントにお願いして、車でサン・モリッツ駅まで送ってもらい、さあいよいよグレッシャー・エクスプレス(氷河急行)に乗り込みます。まずは『地球の歩き方』から引用しましょう。
 1930年、3つの鉄道会社が共同して東のサン・モリッツ、西のツェルマットというスイスを代表するふたつのアルペンリゾートを結ぶ列車の運行を始めた。このルートはアルプスに沿って東西を移動する唯一路線。貴重な交通手段であることはもちろんのこと、列車の乗車体験そのものが旅の大きな目的となる「絶景列車」の誕生だった。
 戦争で運休したり、トンネルが開通したためルートが変更になったりしたが、現在にいたるまで、世界中から集まる旅行者をその車窓の風景で楽しませ続けている。(p.14)
 付言しますと、氷河急行は二つの鉄道会社を乗り継いでいきます。サン・モリッツから山岳列車区間の手前にあるディゼンティスまでがレーティッシュ鉄道(RhB)、そこからツェルマットまでがマッターホルン・ゴッタルド鉄道(MGB)です。食堂車が連結されておらず、事前に予約すれば食事のケータリング・サービスがあります。われわれもサン・モリッツ駅で予約しておきました。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2015-11-19 06:30 | 海外 | Comments(0)