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『人間の戦場』

 「DAYS JAPAN」を読んでいたら、元編集長でありフォト・ジャーナリストの広河隆一氏を描いた映画『人間の戦場』が、新宿のK's cinemaで上映されていることを知りました。これは必見ですね、山ノ神を誘って師走の終わりに見に行ってきました。
 せっかくなので、新宿で昼食をとることにしましょう。ホールや映画館に行く楽しみの一つは、その付近で美味しいお店に出会えることです。渋谷アップリンクと「バイロン」のパン、ポレポレ東中野と「十番」のタンメン、オペラシティと「つな八」のてんぷら、浜離宮朝日ホールと「磯野屋」の寿司、新国立劇場と「はげ天」のてんぷら、東京文化会館と「池之端藪」の蕎麦、東京芸術劇場と「鼎泰豊」の小籠包、津田ホールと「ユーハイム」の洋食、岩波ホールと「揚子江菜館」の上海式肉焼そば・「スヰート・ポーズ」の餃子などなど。新宿といえば、やはり中村屋でしょう。日本の近代文化を語るうえで欠かせないお店ですね。創業者は相馬愛蔵・黒光、料理店を営むかたわら、荻原碌山・中村彝・戸張弧雁といった多くの芸術家を育て、また亡命者を助けた夫妻です。なお黒光の自伝『黙移』(平凡社ライブラリー)はとてもおもしろいですよ。そしてこちらの名物料理のひとつが純印度式カリー。日本に亡命したインド独立運動の指導者ラース・ビハーリー・ボースを、相馬夫妻が匿ったさいに伝授してもらった料理です。彼にとって、イギリス人が作り変えたカレーではなく、伝統的なインド・カリーを広めることは、植民地化された食文化を主張する反植民地闘争の一環だったのですね。だから中村屋では「カリー」という商品名を使い続けているのでしょう。なお夫妻の長女・俊子がボースと結婚しています。もっと詳しく知りたい方は『中村屋のボース』(中島岳志 白水社)がお薦めです。
 映画館でチケットを購入して整理券をいただき、五分ほど歩いて新宿中村屋に到着。開店五分前したが、もう待っている方が数人おられました。スパイシーなカリーに舌鼓を打って「恋と革命の味」を堪能。
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 珈琲を飲み終えてトイレへ行こうとすると中村彝の絵が飾ってあります。荻原碌山の彫刻『坑夫』も展示してありました。これは眼福ですね。
まだ時間があるので、山ノ神は中村屋でお買いもの、私は紀伊国屋書店に行って所望の本をさがすことにしました。実は内田樹と福島みずほの対談『「意地悪」化する日本』(岩波書店)をセブンネットショッピングで購入しようとしたのですが、どういうわけか検索をかけても出てきません。自民党に都合の悪いことが書いてあるので、意地悪されたのでしょうか。案内所へ行くと、となりの書架は海外文学のコーナーでふと目をやるとカート・ヴォネガットの『はい、チーズ』(河出書房新社)がありました。嬉しいですね、未読の作品です。係の方に案内されて、『「意地悪」化する日本』も購入することもできました。美味しい料理に楽しみな本、これぞ人生の至福です。

c0051620_841163.jpg そして山ノ神と合流して映画館へ、客席がまばらなのがすこし残念。さあはじまりはじまり。冒頭のシーンは荒涼とした風景、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区です。ユダヤ人の入植に反対するデモ隊に催涙弾を放つイスラエル警察、逃げまどうパレスチナ人、拘束される男性。胸がしめつられるような緊迫感のなか、催涙ガスを浴びながらも淡々とカメラのシャッターをきりつづける男がいます。そう、広河隆一です。彼がフォト・ジャーナリストを志したきっかけが、このパレスチナの地だったのですね。学生運動に取り組んだ彼は、卒業とともに社会と折り合いをつけて就職していく仲間たちに違和感を覚え、理想を求めてイスラエルの農業共同体「キブツ」に参加します。しかしそこで白い瓦礫を目にし、この土地がパレスチナ人から奪われたものであることに気付きます。「自分ができる一つのことは、まず歴史から消えてゆく村、それを消えていかないようにするという事」と決意し、カメラを手にします。以後彼は、『沈黙を破る』でも紹介したイスラエルによるパレスチナ人への迫害を取材していくことになります。
もう一つの転機が1976年、息子をイスラエル軍に殺された男性が、取材中の広河にこう叫びます。「なんで今ごろ来たんだ! 1か月前に来ていれば俺の息子は殺されずに済んだんだ。外国人ジャーナリストという証言者がいるところでは、権力側は銃での殺害などといった暴挙ができない。だからお前がいてくれたら息子は死なずに済んだかもしれない」 これで彼は、ジャーナリストが抑止力をもつことを教えられたといいます。饒舌さのかけらもない、訥々としかし真摯に誠実にカメラに語る広河隆一の姿が心に残ります。
 以後彼は、村上春樹のレトリックを借りれば、壁ではなく卵の側に立つことを決意します。人間の尊厳が奪われている場所を「人間の戦場」と呼び、以後、チェルノブイリや福島といった戦場を精力的に取材し続けます。そして映画で紹介されたのは、彼の救援活動です。「パレスチナの子どもの里親運動」、「チェルノブイリ子ども基金」、「DAYS被災児童支援募金」、そして福島の子どもたちの保養センターである「沖縄・球美(くみ)の里」の運営。彼の言葉を紹介します。
 ジャーナリストは見たものを伝えるのが仕事で、それ以上介入すべきでないと言う人があるけれど、それは間違いだと思う。ジャーナリストである前に、自分が何かと言ったら人間です。人間という大きなアイデンティティのなかに、ジャーナリストというアイデンティティが包まれているんです。だから目の前で溺れている人がいればカメラを置いて助けなくちゃいけない。世界中の人間が共通にもっている権利は生きる権利、しかも幸せに健康に生きる権利です。そうした人々の権利がジャーナリストの背中を押すのだから、それが目の前で踏みにじられているときに、自分は写真を撮るだけなんて言えるわけがない。ジャーナリズムと救援運動は、同じ目的のためのはたらいている二つの方法だと思う。
 「フェルキッシャー・ベオバハター」のようなメディア、壁の側に立つジャーナリストに満ち溢れている現在の日本、そうしたジャーナリストたちにぜひ見てほしい映画です。
なお監督は長谷川三郎、彼の作品である『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』も見てみたい映画です。

 追記。家に帰る途中にこんな貼り紙を見かけました。日本全体を戦場に変えつつある安倍伍長、ほんとうに許せないですね。
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by sabasaba13 | 2015-12-31 08:06 | 映画 | Comments(0)

『首相官邸の前で』

c0051620_9265665.jpg 「DAYS JAPAN」の2016年1月号に、「ファストファッションが地球を壊す」という記事がありました。大量に消費し大量に捨てるファストファッション業界が途上国の労働力を買い叩き、環境を破壊する実態を告発する内容です。われらがユニクロもあいもかわらず絶好調、フルスロットルで阿漕な金儲けに邁進中。カンボジアの委託先工場では、24時間連続勤務、残業代不払い、妊娠した女性の雇い止め、労組に加盟した労働者の解雇など、わが世の春を謳歌しているようです。もちろんそうした企業を下支えしているのが、私たちの享楽的な消費なのですけれどね。そうしたファストファッション業界の内幕と、公正な売買と労働を提唱する人びとを描いた映画『ザ・トゥルー・コスト』が渋谷アップリンクで上映されているという情報をいただきました。行かいでか(と言うのかな)。さっそくインターネットで調べたところ…ん? 小熊英二という名前が目に飛び込んできました。『単一民族神話の起源』、『〈日本人〉の境界』、『〈民主〉と〈愛国〉』、『日本という国』、『1968年』といった力作を次々に著している気鋭の歴史家・社会学者ですね、愛読しています。その彼が監督した作品、『首相官邸の前で』が上映されています。これは気になります。さっそく調べてみると、2012年6月29日、大飯原発再稼働に反対する約20万人参加のデモ(※主催者発表)が、首相官邸前を埋めつくしました。そして、その中心となった首都圏反原発連合の代表と野田首相の対話が実現、民主党は脱原発へと舵を切りました。しかしこの運動の全貌が報道されることはなく、世界にも知られることもありませんでした。そこでこの運動に参加していた小熊氏が、この稀有なる希望の瞬間を記録映画として残そうとされたわけです。「映画を作ろうじゃないか。監督と出資は俺で、撮影と編集は君だ」 スタッフ総勢2名、三十分で企画は決定、ネット上で探した自主撮影映像を多数使用し、関係した人物8人とのインタビューをからめながら、原発事故、運動の台頭、野田首相との会談までの経緯を描いた映画です。これは興味深いですね、是非とも見てみたい。おまけに上映後に、小熊氏のトーク・ショーも行われるとのことです。山ノ神を誘ったら快諾してくれたので、インターネットで切符を予約購入し、天長節の日に見に行くことにしました。
 地下鉄の中で読むために、山ノ神は小熊英二氏の最新作『生きて帰ってきた男』(岩波新書1549)を持参。私が最近読み終えてとてつもなく面白いと彼女に薦めたところ、彼女もはまってしまい読了寸前です。そうだ、トーク・ショーの後で小熊氏にサインしてもらいましょう。享楽と虚飾に満ちた騒がしい渋谷の町を、耳を塞ぎながら通り抜け、アップリンクに到着。あれっ…満席ではない。ちょっと残念ですね、こうした映画にあまり関心がない方が多いのかな。
 映画は、東日本大震災と原発事故の映像から始まります。「これで東日本は壊滅かな」と息を呑み爪を齧りながらニュースを見続けた恐怖の日々が脳裡をよぎりました。被災した方々の怒りと苦しみと叫び、それを受け流す行政と東京電力。そして徐々に大きくうねりはじめていく反原発運動の波。そこに8人の方へのインタビューが挿入されていきます。登場するのは、当事者であった菅直人元首相、原発事故によって避難に追い込まれた主婦、外資系企業に勤めるオランダ人女性、そして運動に関わった5人の方々です。職業も考え方も違う5人(小売店販売院、育児用品会社経営、イラストレーター、病院事務員、アーティスト)が、「脱原発」「民主主義を守る」という思いから運動に参加していく様子がよくわかりました。はじめは数十人、数百人のデモや集会でしたが、やがて数千人、数万人へとふくれあがっていきます。しかし、マス・メディアはまともに報道しようとしません。吉田理佐氏がインタビューの中で、「日本はなんて気持ちの悪い国なのかと思った」と語っていたのが印象的です。しかし大飯原発再稼働を決定した野田・民主党政権。それに対して、考えの違う諸グループが、「反原発」という一点で団結し、首都圏反原発連合を立ち上げます。そのリーダーの一人、ミサオ・レッドウルフ氏が、「経済産業省から首相官邸に抗議の場を移そう」と提案。ここから首相官邸前での抗議集会がはじまります。主にインターネットにアップされた映像でその様子が映されるにつれ、胸が熱くなり、力が漲ってきます。誰に強制されたのでもなく、動員されたのでもなく、自主的に集まった数万人の人びと。心なしか、みなさんの表情が、喜びで上気しているように思えます。民意を無視し原発を再稼働しようとしている政府にNOと言える仲間がこれだけいるんだ、われわれにはパワーがあるんだ、という喜悦の雰囲気が官邸前に充満しているようです。そして6月29日には、あまりの大群衆のため歩道におさまりきれず、人びとが車道にあふれてまるで解放区のよう。主催者が依頼したヘリコプターからの鳥瞰映像は、その迫力をあますところなくとらえています。
 最後のテロップにはじんときました。ガンディーの言葉です。
 はじめに彼等は無視し、次に笑い、そして挑みかかるだろう。そうしてわれわれは勝つのだ。
 映画館で購入した100円のリーフレットから、小熊監督の言とインタビューを紹介します。
監督の言葉
 私は、この出来事を記録したいと思った。自分は歴史家であり、社会学者だ。いま自分がやるべきことは何かといえば、これを記録し、後世に残すことだと思った。映画を撮ったことはなかった。
 映画作りに関心を持ったこともなかった。しかし、過去の資料の断片を集めて、一つの世界を織りあげることは、これまでの著作でやってきた。扱うことになる対象が、文字であるか映像であるかは、このさい問題ではなかった。いうまでもないが、一人で作った作品ではない。同時代に現場を撮影していた人びと、インタビューに応じてくれた人びとが、すべて無償で協力してくれた。
 なにより、この映画の主役は、映っている人びとすべてだ。その人びとは、性別も世代も、地位も国籍も、出身地も志向もばらばらだ。そうした人びとが、一つの場につどう姿は、稀有のことであると同時に、力強く、美しいと思った。そうした奇跡のような瞬間は、一つの国や社会に、めったに訪れるものではない。私は歴史家だから、そのことを知っている。私がやったこと、やろうとしたことは、そのような瞬間を記録したという、ただそれだけにすぎない。
 いろいろな見方のできる映画だと思う。見た後で、隣の人と、率直な感想を話しあってほしい。映画に意味を与えるのは観客であり、その集合体としての社会である。そこから、あなたにとって、また社会にとって、新しいことが生まれるはずだ。

―まず映画を作ったきっかけは。
2014年の1月から3月に、メキシコの大学で講義をしました。そのときに、福島原発事故後の東京の状況を話しながら、インターネット上の映像を見せたんです。そうしたら、「とても興味深い」「全然知らなかった」という反応が多かった。それで、外国の人が観ることができる作品を作ったほうがいいな、と思ったんです。
―最初は外国の人に観せるために作ったと。
きっかけはそうです。しかし歴史家としていうと、日本では1960年代の出来事なんかも、断片的な回想記くらいしか残っていない。だから原発事故を東京で経験し、その後の経緯をみていて、これは記録しておかないといけないと当時から思っていました。だから社会学の立場から分析した本は、2013年に編纂して出しました。しかし、やはり映像は強いなとメキシコで実感したわけです。
―それで映像作品を作ったわけですか。
そうです。だけど、映画を作ったことはないし、映画を作りたいと思ったこともなかった。テレビ局とかが作ってくれていたら、やる必要はなかったんです。嫌味に聞こえるかもしれないけれど、「何で俺がこんなことをやらなきゃいけないんだろうな」と思っていました。
―それでも作ろうと思ったと。
ある種の義務感みたいなものはありました。まあ、歴史学者であり、社会学者ですから、記録はするべきだと思った。日本の人は自覚していないようですが、あの運動はNYのオキュパイ・ストリートや日本の全共闘運動などよりずっと大規模でしたし、香港の雨傘革命や日本の60年安保闘争より成果をあげていた。それが記録されないまま忘れられるなんてことは、見過ごせないと思いました。
―「68年」より大きい運動だったとは意外です。
全共闘運動の最大の集会は、68年11月の東大安田講堂前で、2万人でした。同時期のベトナム反戦運動で最大のデモは、69年6月にベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)などが主催したもので、参加者は7万人でした。数からいえば、20万人が集まった2012年のほうがずっと大きい。また組織動員もなく官庁街を埋め、首相と会談し、時の政権の政策を変えさせた運動など、世界にほとんど例がない。NYでも香港でも、できなかったことです。メディアが大きく報道しなかったので、それがよく知られていませんが、記録することは必要と思いました。
 小熊氏のおかげで、この巨大な事実と経験を知ることができ、またみごとに記録として残りました。ありがとうございました。私も山ノ神も、2012年7月16日同年11月11日など、いくつかの反原発集会に参加しましたが、この大きな集会については知りませんでした。「何も起こりはしなかった」ことにしようとする政府、それに陰に陽に協力する、まるで「フェルキッシャー・ベオバハター」のようなメディアの画策で、あわやこの運動が歴史から消去されようとするところでした。小熊氏が『生きて帰ってきた男』のあとがきでこう述べられています。
 過去の事実や経験は、聞く側が働きかけ、意味を与えていってこそ、永らえることができる。それをせずにいれば、事実や経験は滅び、その声に耳を傾けなかった者たちも足場を失う。その二つのうち、どちらを選ぶかは、今を生きている者たちの選択にまかされている。(p.389)
 私たちがつくりだす大規模な集会やデモは権力を怖れさせることができる、そういう足場を記録として残してくれた小熊監督にあらためて謝意を表したいと思います。レーニンの言葉です。
 市民の足による投票は選挙の一票よりも有効な時がある。
 追記。『日本劣化論』(笠井潔/白井聡 ちくま新書)を読んでいたら、下記の一文に出会えました。
白井 2012年の6月に、原発反対の首相官邸前デモで道路の全車線がデモ側によって解放されたことがありました。警察側は最初、歩道に閉じ込めようとしていたのだけれど、参加者がどんどん増えてきて仕方なく片側の車道を一車線解放した。さらに増えてきたので、片側の全車線が解放されました。そしてついに、中央分離帯の向こうの逆側の車線も全部、デモの群衆によって占拠されました。その瞬間僕はその場にいたんですが、率直に言って感動しました。…(中略)…
 それ自体ではどうということのない小さな出来事が、なぜ大事なものに思えるのだろうか、そんな疑問を漠然と考えていたら、その翌週、権力の側が答えを教えてくれました。翌週も行ってみたら、とてつもなく警備が強化されて、デモ参加者は厳密に歩道に閉じ込められるようになっていたのです。
 首相官邸前抗議行動に集まった人数は警察庁発表で1~2万人、主催者発表で15~20万人ということで、実態が全く分からないのですが、それはともかく、官憲はあの道路の全車線が非合法的にデモ側に乗っ取られてしまった光景に大きなショックを受けた。このことははっきりしています。
 当然のことながら写真や映像もたくさん撮られて、それがネット上で拡散しました。警備の強化は、あの画を権力がどれだけ恐れているかということを物語っています。ああやってシンボリックに空間を奪取することが大事な理由は、それが民衆が何をなし得るのかの象徴であるからです。起きたことそれ自体はちっぽけなものにすぎませんが、それは無限の可能性の表象であるわけで、ゆえに権力の側からは恐怖の対象になる。(p.199~200)

by sabasaba13 | 2015-12-30 09:27 | 映画 | Comments(0)

言葉の花綵132

 僕らは楽しむことをけっしておろそかにしない。(グスターボ・ドゥダメル)

 子どもたちを救うことができれば、次は子どもたちが私たちを救ってくれる。(相馬の人々)

 敵の死骸はいつも芳香を発する。(ウィテルウス)

 僕は国民としての日本人には失望しましたが、人間としての日本人には失望していません。(『骸骨の舞跳』 秋田雨雀)

 日本人を苦しめているのは、朝鮮人ではなく日本人自身だ! そんな簡単なことが諸君には解っていないのか? (『骸骨の舞跳』 秋田雨雀)

 君達には解っていない。何も知らない。何にも知らされていない。また何も知ろうと思っていない。(『骸骨の舞跳』 秋田雨雀)

 ならひのなきを極意とする。(千利休)

 青年は観察されることをきらう。観察されていると知るや、すぐ仮面をかぶる。(小林秀雄)

 私は何時も永遠を思ふが故に、時間を限った成業を願はない。(石川三四郎)

 芸術とは、あらゆる存在、あらゆる事物を裸にして見ることだ。(アントワーヌ・ブールデル)

 我々もそれぞれの代紋を背負って悪いことをやっているけれど、菊の代紋を背負う奴がいちばん悪いことをする。(鶴田浩二の任侠映画)

 一木一草に天皇制がある。(竹内好)

 我何者にも属さず。(エラスムス)

 聖人君子の輩から大いに嫌われ憎まれる文を書く。(魯迅)

 人間の知性とは、戦争の可能性が永続することに気づくことだ。(エマニュエル・レヴィナス)

 日本人にないのは希望ではなく絶望だ。(むのたけじ)

 21世紀のこれから何が起きないかはわかっているけれども、何が起きるかはわからない。(unknown)
by sabasaba13 | 2015-12-29 08:36 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『私の東京平和散歩』

 『私の東京平和散歩』(早乙女勝元 新日本出版社)読了。散歩ってほんとにいいものですね。健康によいし、お金もあまりかからないし、環境も破壊しないし、知的好奇心も満たされるし。散歩にもいろいろなかたちがあるかと思いますが、私の場合は古い建物、史跡、戦争遺跡、近代化遺産、博物館・美術館を中心に大雑把に行程を組み立て、後は野となれ山となれ、赤子泣いても蓋とるな方式で歩きまわります。よって事前調査には力を入れたいので、気になったガイドブックはこまめに購入しています。
 本書は、東京の戦争遺跡を作家の早乙女勝元氏が紹介するというものです。早乙女氏といえば、12歳で東京大空襲を経験し、それをもとにルポルタージュの傑作『東京大空襲』(岩波新書)を著した方です。私もこれまで地元・東京の戦争遺跡はいくつか訪れました。東京砲兵工廠銃砲製造所圧磨機圧輪記念碑浅川地下壕、江戸東京たてもの園・植村邸日立航空機立川工場変電所などですが、さすがは早乙女氏、未知・未見の戦争遺跡をたくさん教示してくれました。関東大震災・東京大空襲という二度の災厄をくぐりぬけ町内の復興に尽力した在日朝鮮人・李さんが奉納した地蔵尊。東京初空襲による初めての犠牲者・石出已之助に関する資料がある葛飾区教育資料館。戦没学生の手記を展示する、わだつみのこえ記念館。ベトナム戦争に想いを馳せて描いた「焔のなかの母と子」を展示する、ちひろ美術館。広島で被爆した移動演劇連盟さくら隊を悼む原爆殉難碑(目黒・五百羅漢寺)、東京大空襲で焼け焦げた源長寺のケヤキ(足立区千住仲町)、江戸川区小松川にある焼け残った文書庫、台東区三筋に残される空襲で黒焦げた電柱、旧満洲からの引き揚げで犠牲となった母子たちの慰霊碑(浅草寺)などなど。
 また本法寺のはなし塚、上野動物園の動物慰霊碑、北の丸公園の高射砲台座など、その存在は知っていましたが訪れたことのない遺跡も紹介されていました。
 さらに麻布米軍ヘリ基地の騒音被害と事故の危険性についてふれられているのは炯眼です。私も『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治 集英社インターナショナル)を読んだはじめて知ったのですが、数多くのアメリカの諜報活動機関要員が、何の妨げも受けずに日本中で活動しているのですね。その彼ら/彼女らが入ってくるドアがこのヘリポートです。米軍やCIAの関係者が何のチェックも受けずに横田基地・横須賀基地にやってきて、ヘリコプターでここに到着、そして車で五分の距離にあるのが、日米合同委員会が開かれる米軍専用のホテル兼会議場「ニューサンノー米軍センター」とアメリカ大使館です。これは必見の物件ですね。
 地図も簡にして要を得たものが載せられていますが、正確な住所が記されていないのが惜しい。また早乙女氏のコメントもたいへん参考となり、また読み物としても興味深いものでした。
 戦争が大好きな安倍伍長や石破上等兵の活躍で、戦争の腐臭が漂いはじめた昨今、かつての戦争に想像力を羽ばたかせる必要が出てきました。お散歩がてら、この本を片手に東京の戦争遺跡を歩きまわってみませんか。
 なお類書として、『保存版ガイド 日本の戦争遺跡』(戦争遺跡保存全国ネットワーク編著 平凡社新書)、『戦争のかたち』(下道基行 リトルモア)、『東京の戦争と平和を歩く』(東京都歴史教育者協議会編 平和文化)があります。
by sabasaba13 | 2015-12-28 06:28 | | Comments(0)

ご当地B級グルメ (2)

鎌倉コロッケ
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玉子サンド:京都「やまもと喫茶」
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担々焼きそば:神奈川県湯河原「さかなや道場」
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富士宮焼きそば:富士宮市「富士宮やきそば学会直営アンテナショップ」
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広島お好み焼き:広島空港「てっ平」
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コメカラ:広島県東広島市「くぐり門珈琲店」
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三原あんぱん:広島県三原市「サンエトワール」
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蒜山焼きそば:岡山県岡山市「ぼてじゅう」
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たまごかけごはん:岡山県柵原「らん」
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ホルモンうどん:岡山県津山市「東宝」
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えびめし:岡山県岡山市「ALO ALO」
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ドミカツ丼:岡山県岡山市「野村」
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笠岡ラーメン:岡山県笠岡市「坂本」
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ぶたかば:岡山県岡山市「かばくろ」
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どんまん:長野駅「明治亭」
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マーボー焼きそば:宮城県仙台市「口福吉祥 喜喜龍」
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冷やし中華:宮城県仙台市「彩華」
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牛たん:宮城県仙台市「利休」
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笹かまぼこ:宮城県石巻市「白謙」
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白石温麺:宮城県白石市「やまぶき亭」
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石巻焼きそば:宮城県石巻市「かのまたや」
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比内地鶏のから揚げ:秋田県横手市「鳥海」
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稲庭うどん:秋田県横手市「鳥海」
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横手焼きそば:秋田県横手市「食い道楽駅前店」
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おらんだ焼き:秋田県湯沢「高市青果」
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氷見うどん:富山県高岡市「山海亭」
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竹田の厚揚げ焼き:福井県福井市「甚右衛門」
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高岡ナポリタン:富山県高岡市「イタリアントマト」
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高岡コロッケ:富山県高岡市「らぁめん次元」
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ボルガライス:福井県武生市「よこがわ分店」
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ブラックラーメン:富山県高岡市「らぁめん次元」
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ソースかつ丼:福井県福井市「おそばだうどんだ越前」
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しょうゆカツ丼:福井県福井市「吉ちょう」
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サバエドッグ:福井県鯖江市「ささき」
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おろしそば:福井県福井市「甚右衛門」
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宇都宮餃子:栃木県宇都宮「みんみん」
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大沼だんご:北海道大沼公園「沼の家」
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ジンギスカン:札幌「炭焼き成吉思汗 やまか」
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味噌ラーメン:新千歳空港「けやき」
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塩ラーメン:函館「麺厨房 あじさい」
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チャイニーズチキンバーガー:函館「ラッキー・ピエロ」
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豚糸炒飯:群馬県前橋「喜久屋食堂」
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鳥めし重:群馬県高崎「登利平」
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みそポテト:秩父「仲見世」
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わらじかつ丼:秩父「仲見世」
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by sabasaba13 | 2015-12-27 09:04 | 写真館 | Comments(0)

スイス編(60):リッフェルゼー(14.8)

 ホテルのすぐ前に小さな礼拝堂がありました。
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 「マウンテン アドベンチャー ツェルマット・テーシュ・ランダ」というアクティビティに関する日本語版パンフレットに、下記のような説明がありました。
アルプスに暮らす人々が動物や牧草地に神の恵みを祈った所
 ツェルマットとその近隣には、合わせて十数ヵ所以上もの礼拝堂や礼拝所が建っており、土地の人々の信心深さの証となっています20世紀初めまで、多くの家族は遊牧民として暮らしていました。夏の間はツェルマット周囲のあちこちの集落に住み、冬になると村に戻って来る生活をする中、神様の近くにいて、皆が揃って、または一人で神に祈りたいとの願いから、それぞれの集落が各地に自分たちの礼拝堂を建てたのは、何も不思議なことではありません。各礼拝堂の歴史や詳しい事柄はインターネットでご覧いただけます。
 なるほど。ゴルナーグラート駅から列車に乗ってローテンボーデン駅に着くと、ここにも礼拝堂があったことに気づきました。
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 坂道を慎重に下りてリッフェルゼーを一望できる地点に行くと、おおっ、完璧な逆さマッターホルンが見えるではありませんか。風がたたぬうちにすわ急げ、おっとその前に山ノ神が発見した、左手すこし離れたところにある小さな緑の湖に寄ってみましょう。先日は雲をまとっていたのですが、今日はクリアに全容を見ることができました。雪を纏う峻嶮な岩山と氷河、青い空が、鏡のような湖面に見事に映し出されています。
 そしてリッフェルゼーへ、上から見下ろすと、たくさんの観光客が写真を撮りまくっているのが見えました。湖畔に着いてまた逆さマッターホルンとご対面です。朝焼けもよいですが、青空のもとで見るのもまた素晴らしい。湖に映ったその威容を堪能いたしました。ここからすこし歩いていくともう一つ湖があり、ここでも逆さマッターホルンを見ることができます。地形の関係からか、すこし漣がたっていたのが無念でしたが。
 ここから一昨日と同じコースで、リッフェルベルクへと歩いていきましょう。あの時はマッターホルンの天辺は雲に隠れていましたが、今日はほぼ全貌を見ることができます。このコースからは山裾までよく眺められるので、その威容を満喫しながら楽しくハイキングをすることができました。孤高の山容、それに従うような険峻な連山、清々しい青空と白い雲、斜面を埋めつくす野の花々、凛冽な空気とそよぐ風、五感すべてが心地良さに酔いしれてしまいます。広大なコースのためかほとんどハイカーとも出会わず、この雄大な景観を二人占め。快晴のときに訪れることができた幸せと強運をかみしめながら、歩を進めます。
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 本日の十枚です。
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by sabasaba13 | 2015-12-27 07:52 | 海外 | Comments(0)

スイス編(59):ゴルナーグラート(14.8)

 ローテンボーデン駅へみんなで戻り、待っていた登山列車に乗り込んで次の終着駅ゴルナーグラートで降りました。これから「3100クルムホテル・ゴルナーグラート」で朝食となります。われわれの前を、アルペン・ホルン隊のみなさんが歩いていくので、ひと仕事を終えた充実感に満ちた後姿を撮影しました。えっ? その先を見上げると、ホテル入口の脇に何か動物がいる… アイベックスだ! 異様に視力が良い山ノ神に視認してもらうと、一瞥して「置き物でしょ」と一言。言われてみればそうですよね、ホテルの入口のところにアイベックスがいるわ…消えた。やはりアイベックスだった! 嗚呼写真を撮っておけばよかった、と地団駄を踏んでも後の祭り、六日の菖蒲、十日の菊でした。しかし捨てる神あれば拾う神あり、その直前に撮ったアルペン・ホルン隊の写真を拡大すると、ちゃんと写っていました。これで、アルプスで出会いたかった三つ、マーモット、アイベックス、エーデルワイスを見ることができました。御慶。
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 ホテルのレストランに入り、マッターホルンを眺められる席でビュッフェ形式の朝食をいただきました。
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 そして動植物を観察するガイド・ツァーがあるというので、参加することにしました。外へ出ると青空が広がり、マッターホルンやゴルナー氷河がくっきりと見えますが、下のあたりにはガスが漂っています。さきほどアイベックスがいたあたりに行くと木筒が設置してあり、ガイドの方によると、上の窪みに塩が入れてあってアイベックスが舐めにくるそうです。
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 ガイド・ツァーに参加する方々が三々五々集まってきて出発となりました。ネイチャー・ガイドさんの後についてぞろぞろとハイキング・コースを下りていくと、徐々にガスが周囲に漂いはじめました。そしてとうとう五里霧中状態となり、眺望がまったくききません。これでは楽しくないな、山ノ神と相談してツァーから離脱してゴルナーグラートに戻り、霧が晴れるのを待つことに決定。ガイドさんにその旨を告げ、みなさんとは別れ、ローテンボーデン駅かれ列車に乗ってゴルナーグラートへと戻りました。
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 ホテルの裏手にある大きな展望台に行って、ガスが晴れるのを待つことにしましょう。日向ぼっこをしながら眺望を楽しんでいると、予想通りガスがここまで上がってきて心持ち薄くなってきたようです。よろしい、ハイキングを始めましょう。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2015-12-26 06:36 | 海外 | Comments(0)

スイス編(58):サンライズ・ツァー(14.8)

 ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ アラームのかそけき音で目覚めました。ああ、フロントはウェイクアップ・コールを忘れたようです。でもタニタのストップ・ウォッチを持参してよかった、危ないところでした。山ノ神を起こして、洗顔をし、身支度を整えてベランダに出ると、ゴルナーグラート鉄道駅は煌々と明かりがついており、列車も入線しています。あれに乗るのだな。
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 集合時刻は5:45、十分前に駅の窓口で料金を支払おうとした山ノ神、係の方に「前払いだよ」と言われました。えーっ、話が違うと猛抗議する山ノ神。それはそうです、朝五時に起きてこれでツァーに参加できなかったら、浮かぶ瀬もありません。結局、「ま、いーか」という感じで解決、料金を支払って事無きを得ました。二両編成の列車に乗り込むと空席がまだあったので、人気殺到というわけではなさそうです。おっ大きな荷物を背負った方々が乗り込んできましたが、おそらくアルペン・ホルン隊ですね。昨晩練習していた方々とは違いました。そして出発進行、途中で車内灯を消してくれたので、車窓から外の風景を眺めることができました。
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 漆黒の闇がじょじょにうすら明るくなりましたが、ツェルマットの町は雲海の下でまだ眠りについているようです。山の端もやがて白んできました。ん? うすらあかり? 白みゆく山の端? 高校生のときに一所懸命に覚えた萩原朔太郎の「夜汽車」という詩ではありませんか。ああ悔しい、ほとんど忘れてしまいました。ちなみに今調べてみると、"有明のうすらあかりは/硝子戸に指のあとつめたく/ほの白みゆく山の端は/みづがねのごとくにしめやかなれども/まだ旅びとのねむりさめやらねば/つかれたる電燈のためいきばかりこちたしや"という出だしでした。今の高校生も、詩を暗誦したりするのでしょうか。閑話休題。やがてマッターホルンが…見える。雲ひとつない黎明の空に、中腹から頂上までクリアに、その全容が見えます。やった。
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 ローテンボーデン駅で下車すると、アルペン・ホルン隊の方々が大きな荷物を背負って前方を歩いていきました。それではツァー参加者のみなさんとともに滑りやすい斜面を慎重に下り、リッフェルゼーへと向かいましょう。おっアルペン・ホルン隊三人組が、早々と楽器を組み立てています。
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 湖を見ると…鏡のような湖面が、マッターホルンの全容を完璧に映しているではありませんか。居ても立ってもいられない、リッフェルゼーへと続く坂道をあたふたと駆け下り、湖畔の撮影ポイントに陣取りました。完全無欠な逆さマッターホルン、念願が叶いました。そして荘厳な自然のドラマはこれから始まります。頂上がぽつんと朱に染まったかと思うと、やがて日の出とともに山全体が徐々に赤く染まっていきます。もちろん湖面に映っているマッターホルンも同様に染め上げられていきました。逆さマッターホルンのモルゲンロート(Mogenrot)… 凄い… 清冽な空気の中でくりひろげられる自然のドラマに、ただ茫然とするのみ。ブンダバー! と、ここで、♪ぷあー♪ アルペン・ホルンの演奏が始まりました。♪水晶の静寂♪にひたっていたかったのですけれどね、まあ観光ツァーなので致し方ありません。写真を撮っては見惚れ写真を撮っては見惚れているうちに、やがて朝焼けは終わりました。「凄かったね」と山ノ神の方を振り向くと…いません。あれっ? すると坂の上からのてのてと降りてきました。アルペン・ホルン隊のみなさんの脇にいて、その音色を聞きながら朝焼けを愛でていたとのこと。なるほど、テレンティウス曰く"およそ人間に関することで、私に無縁なものは何一つとしてない"ですね、よくわかりませんが。

 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2015-12-25 06:35 | 海外 | Comments(0)

スイス編(57):ツェルマット(14.8)

 そしてロープウェイ、ゴンドラ、ケーブルカーと乗り継いでツェルマットへと下りました。
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 ゴルナーグラート鉄道の踏切を渡り、車庫を撮影してホテルに到着。ロビーで珈琲をいただいてひと休みしました。(有料) 部屋に戻ってベランダに出ると、もうマッターホルンの天辺は雲に隠れて見えません。リュックサックをおろすとペット・ボトルが気圧変化のためにひしゃげていました。
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 それでは夕食を食べに、町へくりだしましょう。「ランチタイム 海老天うどん御座います 妙高」「みそラーメン」という看板を見かけましたが、ほんとうに日本食ブームなのかもしれません。
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 ホテル「モンテ・ローザ」の壁面には、マッターホルン初登頂を果たした英国人エドワード・ウィンパーの記念レリーフがありました。今年は、難攻不落と言われたマッターホルンへの初登頂を彼が果たした1865年から150周年になります。噴水にすえつけられたマーモット像の頭部が光っていましたが、みんなになでられているのでしょう。
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 ん? どこからともなくアルペン・ホルンの音が風に乗って聞こえてきました。バーンホフ通りから路地に入り、音のする方へ歩いていくと、とある広場で四人の方がアルペン・ホルンの合奏をされていました。明日のサンライズ・ツァーのための練習でしょうか。スイスの風景によくなじむ、のんびりとしたふくよかな響きを楽しませていただきました。
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 今日も今日とて「ロイヤル・ドネル」でケバブを所望、もう常連として認めてくれたのでしょうか、肉を二つおまけしてくれました。
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 COOPに寄って缶ビールとヨーグルト、牛乳を購入し、山のように積んであったトブレローネを記念撮影。
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 iで明日の天気をチェックしていると、若い男性が近づいてきて、「ハッピー・バースディを歌っているところを撮影させてほしい」と頼まれました。どうやら友人へ贈るビデオ・レターのようです。ようがす、人生意気に感ず、功名誰か論ぜん、歌ってあげましょう。合唱に心得のある山ノ神、私の三度上を即興でハモってくれたのですが、ひきずられてしまいました。すまぬ。
 部屋に戻り、明日のサンライズ・ツァーに備えて、朝五時にウェイクアップ・コールをお願いしようと山ノ神がフロントに電話をすると…つながりません。直接フロントに行って事情を話すと、親切な女将がすぐにやってきてくれて、ケーブルをひっこぬいて埃をふっと吹き払い、ふたたび接続すると、今度はつながりました。口頭でウェイクアップ・コールを頼みましたが、少々不安です。石橋を叩いて渡る、持参したタニタのストップ・ウォッチを午前五時にセットしておきました。さあ明日はいよいよサンライズ・ツァーです。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2015-12-24 06:49 | 海外 | Comments(0)

スイス編(56):スネガ(14.8)

 それではスネガへと戻りましょう。ここから、山の斜面の等高線に沿った細い道となります。左側の谷底に落ちぬよう慎重に歩を進めながら、前方に屹立するマッターホルン、そして斜面を彩る花々を愛でました。やがて山の斜面に見えてきた集落は、ヴァレー地方の伝統が残る山小屋が美しいというフィンデルン(Findeln)ですね。
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 そしてグリンジゼーから一時間ほどでライゼー(Leisee)という小さな湖に着きました。ここからも逆さマッターホルンが見えますが、かなり波が立っており鮮明な姿ではありませんでした。また上部しか見えないので、やはり先ほど訪れた二つの湖の方がお薦めです。また子供の遊び場と、バーベキューもできるピクニックエリアが併設されており、たくさんの家族連れで賑わっていました。湖の上に張られたロープをたぐりながら移動する木製ボードもあって、子どもたちが楽しそうに往復しています。それにしても泳いでいる方々がけっこういたのには驚きでした。気温は20度くらい、われわれはウィンドブレーカーを着ているというのに、若者や子どもたちは湖に入ってきゃはきゃはと水をかけあっています。ほんとうに寒さに強いのですね。
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 ここからケーブルカーのスネガ駅まで無料の8人乗り小型ケーブルカーがありましたのでさっそく乗車。駅のレストランで軽い食事をとりましょう。入口には「玄米粉カレー まいるぅ」という幟が貼ってありましたが、日本食ブームなのですかね。
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 郷に入りては郷に従え、われわれはロシティと野菜サラダをいただきました。なおこのレストランのテラスは、マッターホルンの全容を見ることができる素晴らしい眺望です。
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 でも、空全体が雲で覆われ、うす暗くなってきました。そろそろ潮時かな、時刻も午後三時を過ぎたし、部屋に戻ってゆっくりしようかと山ノ神に提案すると…「もう一度ロープウェイに乗ってロートホルンまで行きましょう」という神託が下りました。また何で? 「無料だから」 Quod Erat Demonstrandum. デジャヴだ… まあ、引くべきところは引いて押すべきところは押さない、面従腹背が夫婦円満の秘訣、にこやかに同意しました。ゴンドラ駅に行く途中に「Murmelweg」という道標がありましたが、マーモットがたくさん見られる道なのでしょう。ゴンドラに乗ってブラウヘルトに着き、ロープウェイに乗り換えますが駅構内にマーモットの剥製がありました。
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 そしてロープウェイでロートホルンへ、案の定、ガスと雲のためマッターホルンの姿もおぼろげに霞んでいます。でも山ノ神は無料で往復できたことでご満悦の様子、♪When you're smilin' When you're smilin' The whole world smiles with you♪
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2015-12-23 08:51 | 海外 | Comments(0)