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言葉の花綵134

 髪の毛にはらう関心のたとえ半分でも頭を働かせるほうにふり向けたならば、今の千倍も生活が向上するだろう。(マルコムX)

 犯罪というものは、法がそれに協力する程度に応じてのみ存在する。(マルコムX)

 よく本を読む人はみな、開かれた新しい世界を想像できるのだ。(マルコムX)

 大学に関する最大の問題は、悪ふざけの下着泥や社交クラブや自校チームを騒がしく応援するなど、気が散ることがあまりにも多いことだ。(マルコムX)

 なにかを実行に移すときは、ずばりやりたいと思った。それに、なにをするかにしても自分流にやりたい。それは私がしたいからであり、だれかがするのを見たからではないし、まして本で読んだのでも、なにかの映画で見たからでもない。(マルコムX)

 私にとってこの世のなかで、もっとも危険かつ致命的な悪は、とくに西欧世界では人種差別、つまり神の創造物として一体となって生きられないことだ。(マルコムX)

 私はなによりもまず人間だ。だから人間として、人類全体に利益をもたらしてくれるものであれば、だれにでもどんな事柄にでも味方する。(マルコムX)

 私は、怒りは正しいと信じている。(マルコムX)

 社会こそが、人間の最低、最悪の部分をひきだす心理を生み育てている。(マルコムX)

 人間はどんな職業だろうと、少なくとも、ものを考えるのは自分の頭でやるべきだ。(マルコムX)

 ときどき、おこがましくも夢みることがあった。いつの日か私の声が-白人の自己満足と高慢とひとりよがりをおびやかした私の声が-アメリカを墓穴から、悪くすると決定的破局から救いだす役にたったことを歴史が認めてくれるかもしれない-そんな夢だ。(マルコムX)

 たった一冊の本で一人の人間の一生が変わってしまうことがある-それをみんな知らないんだよ。(マルコムX)

 弾丸(ブレット)を用いようと、投票用紙(バロット)を用いようと、目標をよく見きわめねばならない。あやつり人形をたたいてはいけない。人形つかいをたたくのだ。(マルコムX)
by sabasaba13 | 2016-01-31 07:13 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『ハンナ・アーレント』

c0051620_6425049.jpg 年末・年始は好きなことをしてのんべんだらりと過ごせました。本を読みチェロを弾きテニスをし、年末には映画館で『首相官邸の前で』と『人間の戦場』を観て、『マッサン』の総集編を観て、大晦日には小林研一郎の「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2013」を聴いて、年始は箱根に行って大平台の大曲がりで駅伝を応援して、『ブラタモリ』の再放送を観ました。そして買ったけれどもまだ観ていないDVDの映画を鑑賞しようと、棚から選んだのが『ハンナ・アーレント』と『プラトーン』と『マルコムX』と『フェア・ゲーム』です。
 ハンナ・アーレントは気になっていた政治学者・哲学者で、『人間の条件』を読んだのですが、その晦渋な文章にあえなく轟沈。恥ずかしながらその彼女を主人公とした映画があると最近知り、購入しておいた次第です。監督はマルガレーテ・フォン・トロッタ、主演はバルバラ・スコヴァ、さあはじまりはじまり。

 舞台は1960年代のアメリカ。ユダヤ人である哲学者ハンナ・アーレントは、ナチスによる迫害から逃れるためドイツから亡命して、現在はアメリカに住んでいます。その彼女の元に、南米に逃亡していたアドルフ・アイヒマンが逮捕されてイスラエルで裁判が行われるというニュースが届きます。アイヒマンはゲシュタポのユダヤ人部門の責任者として「最終解決」(行政的大量虐殺)の実行を担い、ユダヤ人たちを絶滅収容所に移送する指揮をとっていた人物です。
 アーレントはこの裁判を傍聴するために、すぐイェルサレムに向かいます。好著『ハンナ・アーレント』(矢野久美子 中公新書)にはこうあります。
 1933年にドイツを出国したためナチの全体主義をじかに体験しておらず、ニュルンベルク裁判も見ることができなかったアーレントは、いま「生身のナチ」を見て考えることが過去に対する自分の責任だと考えたのである。「もし行かなかったら自分を許せないでしょう」とアーレントはヤスパースへの手紙で書いている。(p.182)
 裁判を傍聴し、彼を観察し、膨大な資料を収集して考え抜くアーレント。なお法廷シーンで、アイヒマンの実写映像を使用したのは卓見。ヘビースモーカーのアーレントが、プレスルームで煙草を吸いながらモニターを見ているという設定です。トロッタ監督は、俳優ではアイヒマンの本質を表現できないと解説されていますが、実写映像を見て納得。落ち着きのない仕草と虚ろな表情で視線を宙にさまよわせながら、「命令に従っただけだ、自分に責任はない」とくりかえすアイヒマン。そこには人間としての苦悩や葛藤は毫も感じられません。監督曰く「彼の話しぶりから、頭の中で深く思考することができない人間だとわかります」。ん? われらが安倍伍長のことをふと思い浮かべてしまいました。何となく似てますね。
 そしてアメリカに戻ったアーレントは、この裁判について時間をかけて思考し、その結果を雑誌『ニューヨーカー』に掲載します。ところがその内容に関して、ユダヤ人を筆頭に多くの読者から凄まじいバッシングが浴びせられます。まずはアイヒマンについて、彼女はこう考察しました。同著より引用します。
 さらには、アイヒマンを怪物的な悪の権化ではなく思考の欠如した凡庸な男と叙述した点である。紋切り型の文句の官僚用語をくりかえすアイヒマンの「話す能力の不足が考える能力-つまり誰か他の人の立場に立って考える能力-の不足と密接に結びついていることは明らかだった」と彼女は述べた。無思考の紋切り型の文句は、現実から身を守ることに役立った。(p.187)
 この分析が犯罪者アイヒマンの責任を軽くするものだと受けとられたのですね。さらにユダヤ評議会が、アイヒマンから各列車を満たすに必要な人数を知らされ、それに従って移送ユダヤ人のリストを作成したと書きました。彼女は、全体主義は加害者だけでなく被害者においても道徳を混乱させるという文脈で考えたのですが、これがユダヤ人を共犯者に仕立てあげるものだと受け止められました。さらにアーレントは、この裁判自体をも批判します。(このあたりは映画では詳しく触れられていませんが) 法廷は正義に使えるべきであるのに、この裁判はユダヤ人の苦難をアピールするためお見世物であったと叙述します。当然の如く、イスラエル政府がこの意見に猛反発します。
いわゆる"炎上"ですね。ユダヤ人の友人たちもアーレントから離れていきます。孤立し傷つき苦悩するアーレント、しかし彼女は夫や親友に支えられながら節を曲げません。このあたりのバルバラ・スコヴァは素晴らしい、人間アーレントを見事に演じ切っていました。そして大学の学長から辞職を勧告されるにおよんで、彼女は学生を前にした講義で弁明することを決意します。この講義の場面がクライマックス、感動しました。一時停止をくりかえしながら文章におこしたので、紹介します。
 今日だけは早々に吸うけれど許してね。
 雑誌社に派遣されてアイヒマン裁判を報告しました。私は考えました。法廷の関心はたった1つだと。正義を守ることです。難しい任務でした。アイヒマンを裁く法廷が直面したのは、法典にない罪です。そしてそれは、ニュルンベルク裁判以前は前例もない。それでも法廷は彼を裁かれるべき人として裁かねばなりません。しかし裁く仕組みも判例も主義もなく、"反ユダヤ"という概念すらない人間が1人いるだけでした。彼のようなナチの犯罪者は、人間というものを否定したのです。そこには罰するという選択肢も、許すという選択肢もない。彼は検察に反論しました。何度も繰り返しね。"自発的に行ったことは何もない""善悪を問わず自分の意思は介在しない""命令に従っただけなのだ"と。こうした典型的なナチの弁解で分かります。世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そしてこの現象を、私は"悪の凡庸さ"と名づけました。

 [学長] 先生、先生は主張していますね。"ユダヤ人指導者の協力で死者が増えた"

 それは裁判で発覚した問題です。ユダヤ人指導者はアイヒマンの仕事に関与していました。

 [学長] それはユダヤ人への非難ですよ。

 非難など一度もしてません。彼らは非力でしたが、でもたぶん、抵抗と協力の中間に位置する何かはあったはず。この点に関してのみ言います。違う振る舞いができた指導者もいたのではと。そしてこの問いを投げかけることが大事なんです。ユダヤ人指導者の役割から見えてくるのは、モラルの完全なる崩壊です。ナチが欧州社会にもたらしたものです。ドイツだけでなく、ほとんどの国にね。迫害者のモラルだけではなく、被迫害者のモラルも。どうぞ。

 [学生] 迫害されたのはユダヤ人ですが、アイヒマンの行為は"人類への犯罪"だと?

 ユダヤ人が人間だからです。ナチは彼らを否定しました。つまり彼らへの犯罪は、人類への犯罪なのです。私はユダヤ人です。ご存じね。私は攻撃されました。ナチの擁護者で同胞を軽蔑しているってね。何の論拠もありません。これは誹謗中傷です。アイヒマンの擁護などしてません。私は彼の平凡さと残虐行為を結びつけて考えましたが、理解を試みるのと許しは別です。この裁判について文章を書く者には、理解する責任があるのです! ソクラテスやプラトン以来、私たちは"思考"をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事をね。私は実際、この問題を哲学的に考えました。"思考の風"がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう。ありがとう。
 胸と頭が熱くなりました。そう、この映画の主人公は"思考"なのです。考えることの素晴らしさと難しさ、そして思考しないことによってもたらされる巨悪。最後のメッセージ、「私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう」をしかと胸に刻みたいものです。反知性主義が蔓延し、安倍伍長を筆頭にアイヒマン的人間が闊歩している現今の日本においては特に。
 『人間の条件』、『全体主義の起源』、そして『イェルサレムのアイヒマン』といったアーレントの著作にも取り組んでみようと思っています。

 なおこのスピーチは、私が見た映画の中でベスト3にノミネートしたいですね。あと二つは、『ブラス!』と『チャップリンの独裁者』、よろしければこちらをご覧ください。
by sabasaba13 | 2016-01-30 06:43 | 映画 | Comments(0)

榎本喜八

 朝日新聞(2016.1.24)に「榎本喜八 遅すぎた殿堂入り」という記事がありました。ウィキペディアをもとに彼について紹介しますと、現役時代はオリオンズの中心選手として長きにわたって活躍し、「安打製造機」の異名を最初に取った選手です。1000本安打・2000本安打の最年少記録を保持し、数々の高卒新人記録も持っています。通算安打は2314本、通算打率は0.298、二度首位打者となった名選手です。しかし野球殿堂に入れないまま、2012年に逝去。その彼がようやく、83票の当選ラインぎりぎりで当選したのですね。
 編集委員の西村欣也氏は、引退後は球界との一切の接触を避け、また「奇人」「変人」というレッテルを貼られたためであろうとし、逝去後の遅すぎた殿堂入りに悔いが残ると書かれています。

 榎本喜八、彼の名を聞くと心がふるえます。彼のバッティングを実際に見たわけでもなく、またオリオンズ・ファンでもないのですが(私はスワローズ・ファン)、ある本を読んで以来のことです。それは以前に紹介したことがある、沢木耕太郎氏によるスポーツに関する名ノンフィクション集、『敗れざる者たち』(文春文庫)。書評でもふれたのですが、最も心動かされた選手が円谷幸吉(「長距離ランナーの遺書」)、もう一人が榎本喜八(「さらば宝石」)です。
 ただひたすらに、一途に、愚直に、完璧なバッティングをすることを追い求めたのが、榎本喜八という男でした。千葉茂は、長嶋茂雄を「サーカスのライオン」に、榎本喜八を「神主」に譬えたそうですが、彼は野球という神に伺候してバッティング道を窮めようとしたのですね。
 Eにとってバッティングとは、まさに「道」と呼ぶに相応しいものだった。それは他人に容易に理解できるものではなかったろう。オリオンズ担当記者の高山智明は、かなり親しくなったあとで、Eがよくこう呟いていたことを記憶している。
 《体が生きて、間が合えば、必ずヒットになる》
 会心のミートで飛んだ打球が、記録上のヒットになるか野手の正面をつくかは運の問題だ。そして、それはさして重要なことではない、とEは考えていた。ダッグアウトの中で、四打数三安打なのに《四の一か》と呟いたり、四打数ノーヒットなのに《四の四だ》と喜んでいるEを、オリオンズのナインはよく見ている。彼にとっては、テキサス安打やコースがよく転がって外野に抜けた安打など、ヒットではなかったのだ。「体が生きて間が合」ったものだけが、彼の心の中の、真のヒットだったのだ。(p.217~8)
 しかし地味で、陰気で、不器用で、神経質な性格のため、同僚からは距離を置かれ、また人気もありませんでした。とはいえ、当時の大毎オリオンズは、田宮謙次郎・榎本喜八・山内和弘・葛城隆雄という強打者を揃えた「ミサイル打線」をもつ強力なチームでした。ところがワンマン・オーナーの永田雅一は守りを重視して山内・葛城を放出、本堂監督に干された田宮も引退してしまい、「ミサイル打線」は崩壊しました。残された榎本にはチーム・リーダーとしての重圧がかかりますが、もともと彼はそういうタイプではありません。苛酷な状況に追いつめられ、バッティングにも陰りが見えてきます。さらに濃人監督ともうまが合わず、不慣れな外野にまわされ、出場機会も減らされていきました。彼の奇行が目立ち始めたのもこの頃からです。試合前に練習もせずに座禅を組む、若手をつかまえて何時間も難解なバッティング理論を説く、チームメイトが乗ったバスが渋滞で遅れたのに対して、ただ一人先着していた彼は全員から罰金をとれとフロントに執拗に迫る、そして自宅で猟銃を発砲する。そして彼は引退試合を開いてもらうこともなく、また監督やコーチとして任用されることもなく、静かに球界から消えていきました。
 そして筆者は、彼が現役復帰をめざして厳しいトレーニングをしているという噂を聞き、またその姿を目撃します。
 Eはいまだに「さらば」といえないでいる。いつになったら断念できるのか、いったいダイヤモンドに何を忘れてきたというのだ。
 二千三百十四本にたった十五本の安打を加えれば、終身打率が三割に達する。忘れてきたのは十五本のヒットだったのか。あるいは川上の残した二千三百五十一という記録への三十七本のヒットだったのだろうか。
 ともあれ、Eが「さらば 宝石」といわないかぎり、overreacherとしての彼の物語は完結しない。なぜなら、彼は依然として峠を過ぎた者ではなく、峠をめざす者でありつづけるからだ。
 あるいは、彼が求めているのは、ヒットの中のヒット、完璧なヒットという幻なのかもしれない。必死に走りつづけていたE-榎本喜八の姿が目に浮んだ時、ふとそう思ったりした。(p.228)
 それにしても、なぜ彼はこれまで野球殿堂に選ばれなかったのか。つきあいの悪さゆえか、奇行が忌み嫌われたのか、あるいは引退後の実績がなかったためか。そして今、なぜ唐突に選ばれたのか。そもそもどういうプレーヤーに野球殿堂入りの資格があるのか。いろいろと疑問がわいてきますが、彼が鬼籍に入っている以上、もう手遅れです。彼も気にしてはいないだろうし。

 野球の神にすべてを捧げ、その神に愛されなかった男、榎本喜八。忘れられない選手です。
by sabasaba13 | 2016-01-29 06:31 | 鶏肋 | Comments(0)

スイス編(81):ジュネーヴ(14.8)

 そして「GIFT SHOP」によって、ご当地Tシャツを二枚購入しました。一枚は国連マーク入りのもの、もう一枚は"LOVE NUCLEAR WEAPONS ?"という言葉と、ガスマスクをつけてキスをするカップルが描かれたものです。
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 パレ・デ・ナシオンから退出し、市電に乗ってコルナヴァン駅へ。
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 Aさんとは19:30にホテルのロビーで落ち合い一緒に夕食を食べましょうと約束。われわれは少しジュネーヴの町を散策することにしました。モン・ブラン通りを歩いていると、ケバブ屋がけっこうありましたが、さすがに夕食はケバブというわけにはいきません。銅像のようなパフォーマーも見かけました。
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 レマン湖に出て、勢いよく水を噴き出している高さ140mの大噴水(Jet d'Eau)を撮影。シャモニーへ方面への道路標識もありましたが、いつか行ってみたいものですね。モン・ブラン橋を渡れば旧市街ですが、これは明日のお楽しみとしてホテルの部屋に戻りました。
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 そうそう申し遅れましたが、部屋にあった椅子はル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアンが共同で設計した「スリング・チェア (Sling Chair)」でした。窓からはノートルダム聖堂がよく見えます。
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 ベッドで一寝入りして午後七時半にロビーへ。Aさんと落ち合ってホテル近くのイタリア料理店に行き、サラダとパスタをいただきました。
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 明日は一緒にモントルー近辺を徘徊するということで話しがまとまり、天気が良いことを祈念してワインで乾杯。部屋に戻ると、聖堂がきれいにライトアップされていました。
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 本日の二枚です。
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 付記。最近読み終えた『秘密のファイル CIAの対日工作』(上下)(春名幹男 共同通信社)の中にあった下記の一文にびっくらこきました。
 (※笹川良一は)国連に多額の金を寄付、個人としては最大の貢献をした。世界保健機関(WHO)への寄付額も多く、天然痘撲滅事業に貢献したとして、国連欧州本部に笹川の銅像が立っている。
 笹川はこうした貢献を評価されて、1982年、国連平和賞を受賞した。(上p.288)
 同書によると、戦争責任は東条英機らに負わせ、その裏で、児玉誉士夫、笹川良一らA級戦犯容疑者を釈放して、情報活動に利用するというアメリカ情報当局の裏工作の痕跡が、児玉ファイルに残されているそうです。(上p.257~8) 植民地占領政権(アメリカ合州国)の手先、変節漢、現実主義者、ファシスト、植民地主義者、笹川良一については以前に詳しく書いたことがあるので、よろしければご照覧ください。ま、「金は匂わない」ということですかね。パレ・デ・ナシオンに屹立する氏の銅像、ぜひ見てみたかったなあ。
by sabasaba13 | 2016-01-28 06:36 | 海外 | Comments(0)

スイス編(80):パレ・デ・ナシオン(14.8)

 そして今、安倍伍長が集団的自衛権行使と称しながら、このアメリカ合州国による国家テロに加担しようとしています。その奥底に流れているのは、北朝鮮による核攻撃から日本を守ってくれるアメリカのためだったら、どんな悪辣で非道なことでも協力を惜しまない、という考えではないでしょうか。『日本人は人を殺しに行くのか 戦場からの集団的自衛権入門』(朝日新書485)の中で、伊勢﨑賢治氏が鋭く指摘されています。
 2003年、アメリカのイラク侵攻の時の日本社会を思い返してみて下さい。
 繰り返しますが、この侵攻によるイラク人死者は、死体確認できるものだけで10万人を優に超えます。実際の死者はこれを遥かに上回る数字でしょう。これは「大量虐殺」とも言える規模の犠牲です。
 当のアメリカ国民は、2006年中間選挙で、共和党の敗北という形で、ブッシュさんの戦争政策への批判を民意で示しました。
 方や、日本では?
 当時、「戦争の大義は間違っていた。しかし自衛隊派遣でブッシュ政権を支持したことは日本の国益に適っていた」。こんな声が日本の政府関係者、そしてアメリカや安全保障通と称する有識者から盛んに聞かされたのです。すべては、当時、挑発行為を繰り返していた、北朝鮮対策のためだったと。
 しかし、イラクの民の命は、日本の北朝鮮問題とは一切関係ありません。にもかかわらず日本人は、自分の目先の国防問題に利する(そうすればアメリカが北朝鮮の脅威から日本を守ってくれる)からといって、それを、日本から遠く異郷の民(イラクの人々)の血と引き換えにすることで、購ってきたのです。
 はっきり言いましょう。これは「非道」な行いです。
 どんなに「国益のため」、「愛国のため」と謳おうとも、「非道」な行いであることは明らかです。そして、現在の安倍政権の「集団的自衛権容認」のロジックも、これとまったく同じものなのです。
 主要メディアの怠慢により、国際紛争の現場に日本人の"眼"が置かれていないことは事実です。しかしそれは、犠牲の実態に想像を馳せることができないという言い訳にはなりません。
 イラク開戦時、日本政府はアメリカを公式に支持する表明をしました。それなのに、イラク復興支援特措法に基づき、過去最大の武装をして出ていった自衛隊のイラク派遣の名目は、「人道支援のため」とされていました。
 日本は、「人道支援だから」と言い聞かせることで、アメリカの戦争の片棒を担いでいる自分たちの行いから目を背け続けてきたのです。
 イラクの民の血を差し出すかわりに、自国の安全をアメリカから買う-これを「姑息」と言わずに何と言うのでしょうか。
 私は、日本のこんな行いが、日本人として本当に恥ずかしい。
「美しい日本」などとおっしゃっているのはどなたでしょうか? その上で、日本人の「姑息」で「非道」な行いを、集団的自衛権の行使容認によって、さらに助長しようとしているのでは? 私は、こんな行いをすることが、美しい日本のあり方だとは、決して思わない。(p.248~50)
 しかし振り返れば、"アメリカの戦争の片棒を担"ぐという行為を、戦後日本はずっとし続けてきたのですね。朝鮮戦争しかり、ヴェトナム戦争しかり。国際紛争を解決する手段として武力による威嚇又は武力の行使を乱用するアメリカを、在日米軍基地を提供することによって陰に陽に援助し続けてきたのが戦後の、そして今の日本の姿です。そう、明々白々な憲法違反を平然としてきた/しているわけですね。日本国憲法をとるのか、日米安保条約と日米地位協定をとるのか、そろそろ決着をつけるべきだと思います。その際、『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)の中で、矢部宏治氏が提案されているように、憲法を改正して「外国軍の駐留を認めない」という一項を追加するのも名案だと思います。不学にして私も本書ではじめて知ったのですが、フィリピンで実際に行なわれて成功裡に解決したという事実にも勇気づけられます。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-01-27 06:20 | 海外 | Comments(0)

スイス編(79):パレ・デ・ナシオン(14.8)

 世界中で、富者が貧者から富を巻き上げ、それに反発する貧者を富者が暴力で押さえつける構造。どうやらこのあたりに原因がありそうです。またテロリズムに走るムスリムが多いということについては、『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』(内藤正典 集英社新書0770)の論考が参考になります。
 イスラムの思想には、アメリカ人を殺害しろとか、ユダヤ人を抹殺しろとか、そんな教えはありません。キリスト教徒やユダヤ教徒を殲滅しろという考えもありません。しかし「テロリスト」や「過激派」を掃討すると称して、爆撃機やドローン(無人攻撃機)による度重なる誤爆で子や母を殺すような残虐なことをした場合には、命を賭けて戦う戦士を生みだしてしまいます。(p.77)

 中東・イスラム世界の多くのムスリムが憎んでいるのは、力で自分たちを支配し、命を奪っていったイギリスやフランスなどのかつての欧州列強諸国。シオニズム(19世紀末にヨーロッパで始まったユダヤ人国家建設をめざす運動)に基づいた領域国民国家としてのイスラエル、そしてそれを支援してきたばかりか、対テロ戦争で多くの市民を犠牲にしたアメリカという国家です。憎しみはユダヤ教徒やキリスト教徒に向けられたものではないのです。(p.106)

 欧米諸国が過去数世紀にわたって、ムスリムの住む地域を蹂躙し支配してきたことに対する防衛のジハードです。ムスリムの頭の中にあるのは、ある日突然どこからか爆弾を飛ばして家族を吹き飛ばしてしまう野蛮な相手と戦うことです。特に、アメリカがテロとの戦いを理由に戦闘を続ける地域では、当然、地元の人間にとってジハードとはアメリカとその同盟軍と戦うことを意味してしまいます。(p.107)

 イスラム国などイスラムではない、ただのテロ組織だと宣言するのならば、アメリカやイギリスやエジプトの政府が市民を殺すときも、あんな国は国家じゃない、ただのテロ組織だ、という主張に説得力が出てくることを覚悟しなければなりません。この点は、全世界のムスリムがほぼ共通にいだいている静かな怒りの源泉なのですから。この問題をクリアできないと、国連はいよいよ紛争解決の力を失っていくことでしょう。(p.240)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-01-26 06:30 | 海外 | Comments(0)

スイス編(78):パレ・デ・ナシオン(14.8)

 アメリカ合州国主導の「対テロ戦争」に日本も連袂しようとしている今、あらためてなぜテロリズムが猖獗を極めているのか、考えるべきだと思います。今現在の世界の構造やシステムが、テロリズムを再生産させているのではないか。それを考える一助として、『要石:沖縄と憲法9条』(C・ダグラス・ラミス 晶文社)の中の一文を紹介します。
 植民地の時代に西洋と日本の軍隊は、諸外国を支配下に入れ、各植民地の土地と人間から富を能率的に採取できるように再組織化するため、実力を提供した。第二次世界大戦後、国連が創立され、19世紀型の直接植民地支配が国際法によって禁止されるようになった。しかし、この不平等の経済制度が公平なものに代わったとはいえない。「経済成長」と改めて改名され、呼び方を変えたが、結果は変わったというよりも、中身が見えにくくなった。今度「グローバリゼーション」とさらに新しい名前になり、世界規模でしっかりと設立されており、相変わらず富を貧困地域から富んだ地域へ運びつづけている。富んだ国の軍隊(多くの貧乏国の軍隊もそうだが)の重要な役割は、この搾取制度を維持し防衛することだ。
 もう一つは、『アメリカの世界戦略 戦争はどう利用されるのか』(菅英輝 中公新書1937)です。
 国家はいまや、ネオ・リベラルなトランスナショナル資本、およびそれと結びついた勢力によって「道具化」されつつある。その結果、市民社会の国家に対する民主的統制が弱まっている。そのため、国家は経済のグローバル化が生み出すさまざまな矛盾-貧富の格差の拡大、環境破壊、民主主義の形骸化、雇用・福祉・医療などの社会的セイフティネットの縮小、教育や貧困対策に振り向けられる公的支出の低下-に効果的に対処できていない。これらの矛盾がテロの温床となる。
 しかも経済のグローバル化によって生じるテロや紛争を抑えるために、アメリカは軍事力に訴えるというアプローチをとっている。その結果、アメリカの目指す世界秩序形成は、秩序の安定ではなく、逆に混乱と紛争を再生産するという悪循環に陥っている。(p.180~1)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-01-25 06:31 | 海外 | Comments(0)

スイス編(77):パレ・デ・ナシオン(14.8)

 最後の見学場所は総会場です。天上のガラスから光が燦々とふりそそぎ、正面には国際連合の大きなマークが掲げられていました。アメリカ合州国によってその力と権威が蔑ろにされているとはいうものの、やはり平和実現のためには欠かせない機関です。人類の英知を結集して戦争をなくすための話し合いがここで行なわれることを希望します。なお総会場の側に飾られているブロンズの扉は、フランスから贈られたオリジナルの扉ですが、あまりにも重くて実用的でないため、取り換えられたのだそうです。
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 これで見学は終了、ここで解散となり後は自由に退出してよいとのことでした。とりあえず「GIFT SHOP」に寄って国連土産を物色しましょう。途中に大きな国連旗の一部だけが掲示され、次のような解説板がありました。
UNITED NATIONS FLAG AFTER THE TERRORIST ATTACK ON THE UNITED NATIONS OFFICE IN ALGIERS ON 11 DECEMBER 2007
 すぐ近くには、下記の一文と犠牲者の名を記した丸いプレートがありました。
In remembrance of those members of the United Nations Family killed in Algiers
 今、インターネット調べたところ、2007年12月11日、アルジェリアの首都アルジェ(Algiers)で、難民高等弁務官事務所(UNHCR)などの国際連合機関を狙った連続爆破テロが起きたことがわかりました。このテロで、国連職員11人を含む数十人が死亡したとみられており、国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)系のイスラム過激派組織が犯行声明を出したとのことです。謹んでご冥福を祈ります。
 また、下記の一文と同じく犠牲者の名を記した丸いプレートもありました。
In memory of those killed in the bombing of United nations Headquarters in Baghdad on 19 August 2003
 これも調べたところ、2003年8月19日、バグダッドの国連本部、通称「カナル・ホテル」に対するテロ攻撃のことでした。セルジオ・デメロ国連事務総長特別代表をはじめとする22人の国連職員が自爆テロ攻撃によって死亡、その後、坂道を転がるように治安は悪化していき、復興プロセスも困難を極めるようになったとのことです。謹んでご冥福を祈ります。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2016-01-24 07:51 | 海外 | Comments(0)

スイス編(76):パレ・デ・ナシオン(14.8)

 そして旧館へ。窓からは、金でメッキされた85の星座と銀でメッキされた840の星々を組み合わせた天球の彫像が見えました。「Salle des Pas Perdus」と呼ばれるギャラリーを歩いていると、地球を模した大きな壺が展示してありました。
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 そしてオリジナルの壁画が残る会議室へ。確言はできませんが、おそらくここが国際連盟のメイン会議場だったのでしょう。(ということにしておいて)国際連盟総会において、満州事変と「満州国」建国に対して日本軍の撤退を求める報告案が賛成42、反対1、棄権1という形で示され、それを不服とする松岡洋右ほか日本代表団は議場から退場したのがここだったのか。(1933.2.24 国際連盟脱退は同年3.27) 感無量です。なお「松岡洋右」で検索すると、YOU TUBEでその時の彼の演説を見ることができます。また1954年に開催された、朝鮮問題・インドシナ問題をめぐるジュネーヴ会議(インドシナ休戦協定が成立)や、1955年に開かれた米ソ英仏首脳による国際首脳会談(アイゼンハウアー、フルシチョフ、イーデン、フォール)など、さまざまな歴史的な会議もここで開かれたのかもしれません。市井の一歴史学徒として、その現場を訪れることができて幸せです。なお壁に描かれている壁画はスペイン政府から贈られたもので、カタロニアの画家ホセ・マリア・セルトの作品だそうです。健康、技術、自由、平和を通して成長する人類を描き、その中の一枚には1つの武器を握る5人の巨人を描いています。5人の巨人は地球上の5つの大陸を代表しており、戦争を止めるための解決策を表しているそうです。なるほど。
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 でもどうすれば戦争をなくすことができるのでしょうか。凡百な意見ですが、知り、考え、勇気を持ち、行動し、手を取り合う。少なくとも戦争に対して無知、無関心ではあるまいと自戒したいと思います。そして私たちは一人ではない、過去に数多の先哲たちが考え抜いてきたことも忘れずにいたいと思います。彼らが遺してくれた珠玉の言葉を紹介しましょう。
 若し世界が、彼らの紛争を解決する方法を、今日もなほ-然り、二十年前に斃れたものの死骸をなほ発見しては葬りつつある今日もなほ-戦争以外に見出しえぬとするならば、それなら、こんな世界は滅びて了つてもよい! (ボールドウィン)

 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。(ユネスコ憲章)

 戦争は、人類の宿命ではない。(佐原真)

 戦争は想像力の恐るべき欠如である。(フランツ・カフカ)

 我が国が必要としているのは、永久的な戦争経済である。(ジェネラル・エレクトリック社長 チャールス・ウイルソン)

 戦争の種子は経済の拡大によって蒔かれる。(サティシュ・クマール)

 国家間の武力紛争は私たちを恐怖に陥れる。だが経済戦争も武力紛争と同じくらい悲惨である。経済戦争はいわば外科手術のようなもので、延々と続く拷問にも等しい。それがもたらす惨害は、戦争文学に描かれた悲劇に劣ることはない。私たちが経済戦争について関心を払わないのは、その致命的な影響に慣れてしまっているからだ。戦争に反対する運動は健全であり、私はその成功を祈っている。だがその運動が、あらゆる悪の根源にあるもの-人間の欲望-に触れずに失敗に終わるという恐れに、私は絶え間なく苛まれている。(『非暴力-最大の武器』 マハトマ・ガンジー)

 君たちに過去の戦争責任はない。ただし、将来それを繰り返さない責任はある。(某収容所体験者)

 わたしは世界の王、「資本」である。虚偽と羨望と吝嗇と詭弁と殺人に警護されてわたしは進む。わたしは、家庭に分裂、市に戦争をもたらす。わたしの行くところすべてに憎悪と絶望と悲惨と疾病と死の種をまく。(『怠ける権利』 ポール・ラファルグ)

 すべての道化は戦争を否定する。戦争とはこわばりであり、道化とはすべてのこわばりの敵であるからだ。(フランソワ・ラブレー)

 もちろん、一般の国民は戦争を望みません。…でも指導者にとって、戦争を起こすことはそれほど難しくありません。国民に向かって、我々は今、攻撃されているのだと危機を煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやりかたは、どんな国でも有効です。(ニュルンベルク裁判におけるゲーリング)

 男が戦争好きなのは、その時だけ立派に見えるからだ。女に笑われないですむ唯一の機会だからだ。(ジョン・ファウルズ)

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-01-23 07:31 | 海外 | Comments(0)

スイス編(75):パレ・デ・ナシオン(14.8)

 ツァーは英語とフランス語のみ、われわれが参加する英語ガイド・ツァーはもう始まっているということなので、新館へと急ぎ合流しました。まずは大会議場を見学。各加盟国の席は、アルファベット順に並んでいるのですが、フランス語名と英語名とで順番を時々変えているのだとか。同じ国がいつも「良い」席を占めないための配慮だそうです。日本はどちらでも同じですけれどね。
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 そしてジュネーヴ国連ヨーロッパ本部の人権理事会が使う第20号会議室へ。うわお、天井がカラフルな鍾乳石で埋めつくされているかのようです。これはスペイン人のアーティスト、ミケル・バルセロー氏が制作した作品だそうです。もともと2005年にジュネーヴを訪れたファン・カルロス国王が、国連内の他国の寄贈品の質の高さに感動し、スペインからも国を代表する芸術品を贈りたいと考えたことからスタートしました。こうした現代美術の芸術家による作品の寄贈、そして約2000万ユーロ(約24億6000万円)という費用の点においても、珍しいものです。実際に席に座わってガイドの説明を聞き、机上にある同時通訳のための機器に触れることもできました。
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 そして旧館への渡り廊下へ、ここからは白亜のパレ・デ・ナシオン、そして木の間からレマン湖を見ることができました。ん? 芝生の上に孔雀がいましたが一体何故? 気になったので今インターネットで調べてみると、パレ・デ・ナシオンを含むアリアナ公園はもと私有地でしたが、所有者が、孔雀と人間が自由に歩きまわれるようにすることを条件にパレ・デ・ナシオンの建設を許可したそうです。なお孔雀のほとんどは日本の動物園から寄贈されたとのこと。なぜ孔雀なのかはよく分かりませんが。
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 本日の四枚です。
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 なお2015年9月21日に、沖縄県の翁長雄志知事が、国連人権理事会で演説を行ないましたが、おそらくこの部屋だったのでしょう。日本語訳全文を紹介します。
 ありがとうございます、議長。私は、日本の沖縄県の知事、翁長雄志です。私は世界中の皆さんに、辺野古への関心を持っていただきたいと思います。そこでは、沖縄の人々の自己決定権が、ないがしろにされています。
 第2次大戦のあと、アメリカ軍は私たちの土地を力によって接収し、そして、沖縄にアメリカ軍基地を作りました。私たちが自ら望んで、土地を提供したことは一切ありません。
 沖縄は、日本の国土の0.6%の面積しかありません。しかしながら、在日アメリカ軍専用施設の73.8%が、沖縄に存在しています。
 70年間で、アメリカ軍基地に関連する多くの事件・事故、環境問題が沖縄では起こってきました。私たちは自己決定権や人権を、ないがしろにされています。
 自国民の自由、平等、人権、民主主義すら守れない国が、どうして世界の国々とそれらの価値観を、共有することなどできるでしょうか。
 今、日本政府は、美しい海を埋め立てて、辺野古に新しい基地を建設しようと強行しています。彼らは、昨年沖縄で行われた選挙で示された民意を、無視しているのです。私は、あらゆる手段、合法的な手段を使って、新しい基地の建設を止める覚悟です。
 今日はこのようなスピーチの機会が頂けたことを感謝します。ありがとうございました。

by sabasaba13 | 2016-01-22 06:33 | 海外 | Comments(0)