<   2016年 03月 ( 25 )   > この月の画像一覧

伊勢・美濃編(19):神島(14.9)

 ここから鬱蒼とした森の中をさらに十分ほど歩くと「陸軍用地」という石票のある広場に出ました。ここあるのが監的哨です。
c0051620_7162319.jpg

 解説板を転記します。
 神島監的哨は昭和4年(1929年)に旧陸軍の軍事施設として、愛知県の伊良湖から撃った大砲の試射弾の着弾点を確認するために建てられました。建物は縦横7.5メートル、高さ7メートルの2階建てで、コンクリートには神島の石も使用されたといわれています。
 昭和20年に第二次世界大戦が終戦し、試砲場の消滅とともにその役目を終えました。
 この監的哨は三島由紀夫の小説「潮騒」のクライマックスシーンの舞台であり、嵐の日に主人公・新治と初江がお互いの愛を確かめ合うシーンに登場します。
 コンクリートむきだしの武骨な建物で、中に入ることができました。屋上にのぼると、さすがは着弾点を視認する施設だけあって眺望は抜群です。
c0051620_7172436.jpg

 一階の中央には囲炉裏がありましたが、初江が「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」と新治に言った名場面はここが舞台なのですね。はい、お待たせしました。その名場面を紹介しましょう。たいへん長文ですが、一言半句たりとも省略したくないのであえて引用します。
 新治が目をさますと、目の前には一向衰えていない焔があった。焔のむこうに、見馴れないおぼろげな形が佇んでいた。新治は夢ではないかと思った。白い肌着を火に乾かして、一人の裸の少女がうつむいて立っている。肌着をその両手が低いところで支えているので、上半身はすっかり露わである。
 それがたしかに夢ではないとわかると、ちょっとした狡智がはたらいて、新治はなお眠ったふりをしたまま薄目をあいていようと考えた。しかし身じろぎひとつしないで見ているには、初江の体はあまりに美しかった。
 海女の習慣が、水に濡れた全身を火に乾かすことに、さして彼女を躊躇させなかったものらしかった。待合わせの場所へ来たとき、火があった。男は眠っていた。そこで子供らしい咄嗟の思案から、彼女は男が眠っているあいだに、濡れた衣類と濡れた肌とを、いちはやく乾かしてしまおうと考えたものらしかった。つまり初江は男の前で裸になるという意識はなく、たまたま火がそこにしかなかったから、その火の前で裸になったにすぎなかった。
 新治が女をたくさん知っている若者だったら、嵐にかこまれた廃墟のなかで、焚火の炎のむこうに立っている初江の裸が、まぎれもない処女の体だということを見抜いたであろう。決して色白とはいえない肌は、潮にたえず洗われて滑らかに引締り、お互いにはにかんでいるかのように心もち顔を背け合った一双の固い小さな乳房は、永い潜水にも耐える広やかな胸の上に、薔薇いろの一層の蕾をもちあげていた。新治は見破られるのが怖さに、ほんのすこししか目をあけていなかったので、この姿はぼんやりとした輪郭を保ち、コンクリートの天井にとどくほどの焔を透かして、火のたゆたいに紛れて眺められた。
 しかし若者のふとした目ばたきは、炎の光りが誇張した睫の影を、一瞬頬の上に動かした。少女はまだ乾ききらない白い肌着ですばやく胸を隠して、こう叫んだ。
「目をあいちゃいかんぜ!」
 忠実は若者は強(きつ)く目を閉じた。考えてみると、まだ寝たふりをしていたのはたしかに悪かったが、目がさめたのは誰のせいでもなかったから、この公明正大な理由に勇気を得て、彼は再びその黒い美しい目をぱっちりとひらいた。
 少女はなす術を失って、まだ肌着を着ようともしていなかった。もう一度、鋭い清らかな声でこう叫んだ。
「目をあいちゃいかんぜ!」
 しかし若者はもう目をつぶろうとはしなかった。生れた時から漁村の女の裸は見馴れていたが、愛する者の裸を見るのははじめてだった。そして裸であるというだけの理由で、初江と自分との間に妨げが生じ、平常の挨拶や親しみのある接近がむつかしくなることは解せなかった。彼は少年らしい率直さで立上った。
 若者と少女とは炎をへだてて向い合った。若者が右へやや体を動かすと、少女も右へすこし逃げた。そこで焚火がいつまでも二人の間にあった。
「なんだって逃げるんじゃ」
「だって恥かしいもの」
 若者は、それなら着物を着たらいい、とは言わなかった。少しでもそういう彼女の姿を見ていたかったからである。そこで話の継穂にこまって、子供のような質問をした。
「どうしたら、恥かしくなくなるのやろ」
 すると彼女の返事は、実に無邪気な返事だったが、おどろくべきものであった。
「汝(んの)も裸になれ、そしたら恥かしくなくなるだろ」
 新治は大そう困ったが、一瞬のためらいのあとで、ものも云わないで丸首のセエタアを脱ぎだした。この脱衣のあいだに、少女が逃げはしないかという懸念がはたらき、脱ぎかけるセエタアが顔の前をとおる一瞬にさえ、若者は油断しなかった。手早く脱ぎ捨てたあとには、着物を着ているよりはずっと美しい若者の褌一本の裸体がそこに立っていた。しかし新治の心は初江にはげしく向っていて、羞恥がやっとその身に帰って来たのは、次のような問答のあとであった。
「もう恥かしくないやろ」
 と彼が詰問するようにはげしく問いつめたので、少女はその言葉の怖ろしさも意識せずに、思いもかけない逃げ口上を見出したのである。
「ううん」
「なぜや」
「まんだ汝は裸になっとらんもの」
 炎に照らされた若者の体は羞恥のために真赤になった。言葉は出そうになって咽喉に詰った。爪先がほとんど火のなかへめり込むほど迫り寄って、新治は炎が影を揺らしている少女の白い肌着をみつめながら、辛うじてこう言った。
「汝がそれをとったら、俺もとる」
 そのとき初江は思わず微笑したが、この微笑が何を意味するのか、新治も、また初江自身も気づかなかった。少女は胸から下半身を覆うていた白い肌着を背後にかなぐり捨てた。若者はそれを見ると、雄々しく彫像のように立ったまま、少女の炎にきらめいている目をみつめながら、下帯の紐を解いた。
 このとき急に嵐が、窓の外で立ちはだかった。それまでにも風雨はおなじ強さで廃墟をめぐって荒れ狂っていたのであるが、この瞬間に嵐はたしかに現前し、高い窓のすぐ下には太平洋がゆったりとこの持続的な狂躁をゆすぶっているのがわかった。
 少女は二三歩退いた。出口はなかった。コンクリートの煤けた壁が少女の背中にさわった。
「初江!」
 と若者が叫んだ。
「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」
 少女は息せいていはいるが、清らかな弾んだ声で言った。裸の若者は躊躇しなかった。爪先に弾みをつけて、彼の炎に映えた体は、火のなかへまっしぐらに飛び込んだ。次の刹那にその体は少女のすぐ前にあった。彼の胸は乳房に軽く触れた。『この弾力だ。前に赤いセエタアの下に俺が想像したのはこの弾力だ』と若者は感動して思った。二人は抱き合った。少女が先に柔らかく倒れた。
「松葉が痛うて」
 と少女が言った。手をのばして白い肌着をとった若者はそれを少女の背に敷こうとしたが、少女は拒んだ。初江の両手はもはや若者を抱こうとはしなかった。膝をすくめ、両手で肌着を丸めて、丁度子供が草叢のなかに虫をつかまえたときのように、それでもって頑なに身を護った。
「いらん、いらん。…嫁入り前の娘がそんなことしたらいかんのや」
「どうしてもいかんのか」
「いかん」 …少女は目をつぶっていたので、訓戒するような、なだめるような調子がすらすらと出た。「今はいかん。私(わし)、あんたの嫁さんになることに決めたもの。嫁さんになるまで、どうしてもいかんなア」
 新治の心には、道徳的な事柄にたいするやみくもな敬虔さがあった。第一彼はまだ女を知らなかったので、このとき女という存在の道徳的な核心に触れたような気がしたのである。彼は強いなかった。
 若者の腕は、少女の体をすっぽりと抱き、二人はお互いの裸の鼓動をきいた。永い接吻は、充たされない若者を苦しめたが、ある瞬間から、この苦痛がふしぎな幸福感に転化したのである。やや衰えた焚火は時々はね、二人はその音や、高い窓をかすめる嵐の呼笛が、お互いの鼓動にまじるのをきいた。すると新治は、この永い果てしれない酔い心地と、戸外のおどろな潮の轟きと、梢をゆるがす風のひびきとが、自然の同じ高調子のうちに波打っていると感じた。この感情にはいつまでも終らない浄福があった。
 若者は身を離した。そして男らしい、落ち着いた声音で言った。
「きょう浜で美(え)え貝ひろて、汝にやろうと思って、もって来たじえ」
「おおきに。見せてなア」
 新治は脱ぎすてた自分の着物のところへかえった。新治が着物を着だすと共に、少女もはじめて安らかに肌着を身にまとい、身支度をした。着衣は自然であった。
 若者は美しい貝を、すでに着了(きお)えた少女のところへもって来た。
「まあ、美しい」
 少女は貝のおもてに炎の反映をうつしてたのしんだ。自分の髪に挿してみて、
「珊瑚みたいやなあ。かんざしにでもならんかしら」
 と言った。新治は床に坐って、少女の肩に身を寄せていた。着物を着ているので、二人は楽に接吻した。(p.75~81)
 うーん、何度読んでもいいなあ。心に積もった塵埃が洗い流され、甘酸っぱいものがこみあげてきます。来てよかった。

 本日の三枚です。
c0051620_7175995.jpg

c0051620_7182733.jpg

c0051620_7185229.jpg

by sabasaba13 | 2016-03-31 07:19 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(18):神島(14.9)

 ここでも恒例の絵馬ウォッチング、選んだのは二枚です。「ドリームジャンボ宝くじ 89組 108,971~108,978番から1等がでますようお願い申し上げます」 うーん、なかなか現世利益的かつザッハリッヒな願いごとですね。「岸和田支店で引き続き業務に励めますようお願いします」 よほど良い上司・同僚・部下がいるのでしょう、羨ましいかぎりです。
c0051620_7572167.jpg

 ここから神島灯台へ向かいますが、人跡もとだえたような寂しい道です。すぐに海に沿った眺めのよい小道に出てすこし歩くと灯台に到着。八代神社から十分ほどかかりました。
c0051620_7574224.jpg

 解説板を転記します。
神島燈台
阿波の鳴門音戸の瀬戸か伊良湖度合が恐ろしい」と歌われた日本の三関門の一つになっている伊良湖水道は、昔から海の難所と言われ明治初年頃は夜間の航行は危険でした。このため航行船舶の安全を図るため、明治42年に灯台の建設が始まり明治43年5月1日に点灯しました。当時の燈台の光源は石油ランプが主力でしたが、新設された神島燈台には自家発電施設が配備され、日本で初めて白熱電灯による電気灯で、七千カンデラの光を発しました。
 観光パンフレット「しおさいの島」から補足しますと、1908(明治41)年に伊良湖水道で軍艦「朝日」が暗礁に接触したことから軍事上の要請および、名古屋・四日市港の貿易振興のために設置されたそうです。ここからの眺めは曇天とはいえ素晴らしい。眼前に連なる山なみが渥美半島なのですね。"海の健康な寝息のように規則正しく、寧らかにきこえる"(p.182)潮騒を楽しみながら、ひと休み。小説『潮騒』にはこうあります。
 眺めのもっとも美しい場所は、島の東山の頂きに近い燈台である。
 燈台の立っている断崖の下には、伊良湖水道の海流の響きが絶えなかった。伊勢海と太平洋をつなぐこの狭窄な海門は、風のある日には、いくつもの渦を巻いた。水道を隔てて、渥美半島の端が迫っており、その石の多い荒涼とした波打際に、伊良湖崎の小さな無人の燈台が立っていた。
 歌島燈台からは東南に太平洋の一部が望まれ、東北の渥美湾をへだてた山のかなたには、西風の強い払暁など、富士を見ることがあった。(p.6)
 なおこの灯台は「恋人の聖地」に認定されており、プレートがありました。なお「ツーショットフォトスタンド」があったのはご愛敬。
c0051620_7581540.jpg


 本日の三枚です。
c0051620_7583914.jpg

c0051620_759178.jpg

c0051620_7592293.jpg

by sabasaba13 | 2016-03-30 08:00 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(17):神島(14.9)

 長い長い石段をのぼりはじめ、振り返ると港や家並み、そして海が一望できました。曇天で視界もよくないのが無念。さらにのぼっていくと、木々が生い茂り眺望をさえぎってしまいます。てっぺんについても、小説に"ここからは、島がその湾口に位いしている伊勢海の周辺が隈なく見える。北には知多半島が迫り、東から北へ渥美半島が延びている。西には宇治山田から津の四日市にいたる海岸線が隠見している"(p.5)とあるような絶景は見られませんでした。そして本殿を参拝。
c0051620_14184397.jpg

 新治がここでこう祈った場面が心に残っています。
 神様、どうか海が平穏で、漁獲はゆたかに、村はますます栄えてゆきますように! わたくしはまだ少年ですが、いつか一人前の漁師になって、海のこと、魚のこと、舟のこと、天候のこと、何事をも熟知し何事にも熟達した優れた者になれますように! やさしい母とまだ幼い弟の上を護ってくださいますように! 海女の季節には、海中の母の体を、どうかさまざまな危険からお護り下さいますように! …それから筋ちがいのお願いのようですが、いつかわたくしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように! …たとえば宮田照吉のところへかえって来た娘のような… (p.26~7)
 願いにもちゃんとプライオリティがあるのですね。まず村のこと、次に家族のこと、そして最後に自分のこと。小説の主人公の祈りなので一般化はできないでしょうが、このメンタリティは古人たちが等しく持っていたものだと思います。コミュニティの存続と繁栄が何よりも優先されたのでしょう。そして物事を熟知しそれに熟達した優れた人間になること。「今だけ・金だけ・自分だけ・地位だけ」というメンタリティとはいかにかけ離れていることか。もし安倍伍長が八代神社に参拝にきたらどんな祈りを捧げるでしょうか。たぶんこんな感じじゃないかな。
 神様、日本がひたすら経済成長できますように! 潤った大企業から政治献金ががばがばわが党に贈られますように! アメリカがもっと愛撫してくれますように! 中国や韓国や北朝鮮になめられませんように! …国民がもっと愚鈍になって政治や歴史に無知・無関心でありますように! 原発事故や辺野古新基地のことを忘れてくれますように! 自民党・公明党・官僚・財界にどんなひどい目にあわされても黙従してくれますように! そしてそのストレスをいろいろな弱者にぶつけてうさをはらしてくれますように! …もっとスマートフォンにかじりついてくれますように!
 なお小説では、最後に新治はこう思います。"こんな身勝手なお祈りをして、神様は俺に罰をお下しになったりしないだろうか" もし仮に安倍伍長が"こんな身勝手なお祈り"をする御仁でしたら、選挙で罰を下さねばなりません。次の参議院議員選挙が楽しみです。

 本日の一枚です。
c0051620_1419334.jpg

by sabasaba13 | 2016-03-29 14:19 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(16):神島(14.9)

 まずは八代神社へ行きましょう。狭隘な斜面に身を寄せ合うように立ち並ぶ家々、その間をうねるように設けられた石段、どこか懐かしい島の風景です。六角形の共同井戸がありましたが、かつてはここで井戸端会議に花が開いたのでしょうね。
c0051620_6171394.jpg

 その近くには古い時計台がありましたが、パンフレットによると1929(昭和4)年に建てられたもので、当時島内で唯一の時計だったそうです。さらに坂をのぼっていくと、石段のとなりに洗濯場がありました。小説では、島の女たちが平たい石の上に布を伸ばして足で踏みながら談笑する場面がありましたが、たぶんここですね。今では水も少なく、もちろん使われてはいないようです。解説板があったので転記します。
洗濯場(寺田さん宅前)
 神島では生活用水の確保が島民の切実な願いの一つでありました。昭和54年に答志島から神島間の海底送水管敷設工事が完成しました。以前は貴重な水を大切に使うため、洗濯は島の中央部を流れる表流水を利用していました。(中略)
 小説『潮騒』の取材で、神島を訪れた三島由紀夫が一ヶ月程滞在し、当時の組合長だった寺田さん宅が階段の左手に見えます。
 寺田さんのお宅はあの家でしょうか。
c0051620_6173744.jpg

 狭い道をぶらぶらと歩いていくと海が見えてきました。そして八代神社に到着、こちらにも解説板があったので転記します。
八代神社 創立年代は不詳 主祭神 綿津見命(わたつみのみこと)
 明治40年に境内社山神社、神明社ほか十一社を合祀し八代神社となる。国の重要有形文化財になっている「鉄獅噛文金銅像嵌鍬形(てっしもんこんどうぞうがんくわがた)」や「画文帯神獣鏡(がぶんたいしんじゅうきょう)」などが保存されており、数々の祭祀儀礼が行われていたことを物語っております。毎年元旦未明に、奇祭ゲーター祭りが行われることで有名です。
 三島由紀夫は八代神社を「最も美しい場所のひとつ」と語っています。
 小説のなかでは、新治が村の平穏と美しい花嫁を授かるように祈った場所として、また、初江が新治の航海の無事を祈った場所として描かれています。
c0051620_6175953.jpg


 本日の二枚です。
c0051620_6181962.jpg

c0051620_6184167.jpg

by sabasaba13 | 2016-03-28 06:19 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(15):神島(14.9)

 8:20に神島港に到着、船からおりると「三島文学 潮騒の地」という記念碑が出迎えてくれました。小説『潮騒』の冒頭、"歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。/歌島に眺めのもっとも美しい場所が二つある。一つは島の頂きちかく、北西にむかって建てられた八代神社である。"と刻まれていました。
c0051620_6341057.jpg

 小説に関する解説板がいくつかありましたが、その一つを紹介します。
 昭和27年、27歳の三島由紀夫はギリシャを旅し、その青い空と太陽、白い大理石の古代彫刻などともに、その風土や文化に深い感銘を受けたといわれています。そして、ギリシャの小説「ダフニスとクロエ」を日本に移して書くことを思い立ち、父のつてで、当時の農林水産局の紹介により、選んだ舞台がここ神島でした。
 昭和28年、神島を訪れた三島は、漁協組合長の寺田宗一さん宅に宿泊しながら島中を取材して周り、純愛小説『潮騒』を書き上げました。神島の美しい風景がエーゲ海と重なり、名作『潮騒』が生まれたのかもしれません。
 『潮騒』は島の美しい自然や素朴であたたかな暮らしを背景に、海女の「初江」と漁師の「新治」という若い2人を描いた純愛小説です。
 三島は、昭和28年に川端康成へ送った手紙の中で神島について、「人口千二、三百、戸数二百戸。映画館もパチンコ屋も呑屋も、喫茶店も、すべて"よごれた"ものは何もありません。この僕まで忽ち浄化されて、毎朝六時半に起きてゐる始末です。ここには本当の人間の生活がありさうです。」と島の純粋さを書き記しています。
 昭和29年に小説『潮騒』が刊行され、同年に映画化されて以降、これまでの5回の映画化がなされ、いずれも神島でロケが行なわれました。
 八代神社、監的哨、神島灯台など、『潮騒』の舞台は、今も当時のままその姿を残しています。
 はい、読んできました。実は三島由紀夫の小説で読んだことがあるのは『金閣寺』だけですが、技巧的な文章に辟易して楽しめませんでした。それに比べて『潮騒』は、二人の純愛を軸に、みごとな自然と人間の描写、息を呑むようなクライマックスと、一気呵成に読み終えることができました。それではその舞台をこれから訪れることにしましょう。まずは山海荘へ寄って、パンフレットを購入しましょう。港にいた地元の方に場所を訊ねて山海荘へ、「しおさいの島」(200円)と「「潮騒」を探しに神島へ」(100円)というパンフレットを購入しました。

 本日の二枚です。
c0051620_6343930.jpg

c0051620_635029.jpg

by sabasaba13 | 2016-03-27 06:35 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(14):神島へ(14.9)

 朝目覚めて窓から空を見上げると、どんよりとした曇り空。テレビで天気予報を見ると、今日は曇り時々雨です。やれやれ。本日は、船で神島と菅島を訪れた後、近鉄に乗って賢島へ、タクシーで英虞湾を一望できる横山展望台・安乗埼灯台・大王埼灯台をまわる予定です。
 7:40に出航する船に乗るために佐田浜港へと歩いていると、ソフトクリームを掲げた海女さんの像がありました。いや、自由の女神を模しているのかな、よくわかりません。その先には「離島加盟旅館 指定駐車場」という看板がありましたが、離島の宿に宿泊すると駐車料金が無料になるということなのでしょう。
c0051620_891172.jpg

 そして鳥羽マリンターミナルに到着、館内にあった神島と菅島のウォーキング・マップをいただきました。うぉっ、映画『潮騒』に出演した山口百恵の顔はめ看板がありました。ファンだったら卒倒・失神ものですね、しかしそれほど彼女に入れ込んでいない私は冷静に撮影。
c0051620_816187.jpg

 そして坂手島、答志島、神島、菅島を結ぶ鳥羽市市営の定期船に乗り込みました。定刻の7:40に出航、それほど寒くないのでデッキに出て支援をくゆらしながら、穏やかな海や島影の眺めを楽しみました。答志島の和具港に寄った後、船は一路神島をめざします。
c0051620_8165623.jpg

 なおさきほどいただいたマップによると、港の近くにある山海荘で「しおさいの島」(200円)と「「潮騒」を探しに神島へ」(100円)というパンフレットを購入できるとのことです。

 本日の二枚です。
c0051620_8172185.jpg

c0051620_8181961.jpg

by sabasaba13 | 2016-03-26 08:20 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(13):鳥羽へ(14.9)

 それではタクシーへ戻りましょう。途中で家族連れとすれちがったので挨拶をし、「あと十分ほどですよ」と声をかけると、「80歳をこえたばあさんもいる」とのこと。すぐ後ろから矍鑠としたご老人がすたすたとのぼってきましたが、大丈夫だったでしょうか。タクシーに乗り込み、熊野市駅へと出発。近道を走ってくれたのですが、風伝峠に向かう古道のところで停めてくれました。ここにも見事な石畳が残っているとのこと、待っていてもらってすこし歩いてみました。
c0051620_633866.jpg

 駅に着いたのが午後三時過ぎ、食事をとっている時間がないので熊野名物の食べ物がないかと訊ねると、さんま寿司を売っているお店を教えてくれました。料金を支払って丁重にお礼を言って下車、「喜楽」というお店でさんま寿司を購入。「Cafe Bougie」で珈琲をいただき、15:42発の紀勢本線・亀山行の普通列車に乗車。さっそく脂ののったさんま寿司をたいらげました。
c0051620_6333442.jpg

 車窓を流れる風景を眺めたり、明日以降の旅程を確認したり、転寝をしたりしていると、18:27に多気駅に到着。18:33発の参宮線・鳥羽行列車に乗り換えて19:36に目的地の鳥羽駅に着きました。さすがは真珠養殖のメッカ、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」になりきったポスターが駅構内にありましたが…コメントは控えましょう。
c0051620_634767.jpg

 夕食をとりたいのですが、駅構内の店はもう閉店、駅周辺にも食事のできる店はありません。やれやれ、数分歩いて今夜の塒、ロードイン鳥羽に到着。チェックインをし、隣にあったセブン・イレブンでチキンカツカレーを購入して、部屋で寂寥感をつまみにいただきました。

 本日の二枚です。
c0051620_6342744.jpg

c0051620_6344788.jpg

by sabasaba13 | 2016-03-25 06:35 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(12):丸山千枚田(14.9)

 先日読み終えた『カムイ伝講義』(ちくま文庫)の中で、田中優子氏はこう述べられていますが、同感です。
 しかし今の日本人にとっての三・一一は何であったか。自然の脅威ではなく、人間の脅威だったのである。人間が作ったものが制御不能となって人間に牙を剥く。自分のために作ったものが自分を殺す。自然はその力を見せたとしても一時的である。しかしこの人工物は十万年という単位で人類を苦しめる。しかも、カムイの時代の廃棄物が土の力によって再び生産物をもたらすのと違って、核廃棄物は毒をもち続けて何ら生産に貢献しない。単なる困った廃棄物でしかない。そういうものを、人間が作ったのである。
 被災した人々は自力で復興したいと思っても、立ち入りは禁止され、互いに協力はできず、ただ何かを待つしかないのだが、待っても戻れるとは限らない。作った人間も、使った人間も、恩恵を受けた人間も、ただただ制御不可能なのだ。
 そして今、その経験を経ながら、再びその人工物を動かし、どうにもならない廃棄物をさらにためようとしている。カムイの時代のカムイ的なる人々から見ると、現代に生きる日本人は人間としてどうかしているのではないか、あるいは、滅亡に向かいたいのではないか、自滅願望があるに違いない、と思うだろう。
 身分制度下にあった江戸時代の人々であれば、この選択は天皇や将軍や一部の大名の既得権への欲望から出た選択であり、ほとんどの日本人は望んでいないはずだ、と判断するだろう。しかし違う。今の世にはカムイの知らない、全国民規模の選挙制度というものがあり、多くの国民がその道を自ら選んだのである。ある者は能動的に、ある者は選挙権を行使しないことで。どちらにしても、自ら選んだのである。
 江戸時代の人々なら、「ならばきっと、教育や出版の中で充分に情報が行き渡っていなかったのだろう。知識を得る機会がなかったのだろう」と想像するかも知れない。しかし違う。今の人々はあふれる出版物と、世界中の情報と、各国の選択を、誰でも平等にいつでもどこでも獲得し、知ることができるのだ。その上で、あるいはその機会を行使しないことによって、自ら選んだのである。
 この現実をカムイならどう考えるだろうか。カムイは自らの宿命を変えるべく村を去り、忍びとなり、追われながらも自由に向かって生きていた。そういう時代がいつかは変わる、と考えていたかも知れない。しかしなぜ今の日本人は自らを自由の方向にではなく、自滅の方向に向かわせる選択をしたのか? なぜ戦争と核廃棄物に向かって歩いているのか?
 実は私はわからない。その選択をした人たちの気持ちが、わからない。江戸文化を長いあいだ研究してきたのだが、私は今の日本人がわからない。(p.406~8)
 私もわかりません。鎌田慧氏がおっしゃったように、悪政の被害者でしかないはずなのに、権力側の言葉でしかものを考えない市民が増えてきたようです。あるいはジョージ・オーウェル言うところの「愚鈍への逃避」なのか。わかりません。

 本日の一枚です。
c0051620_6295544.jpg

by sabasaba13 | 2016-03-24 06:31 | 近畿 | Comments(0)

伊勢・美濃編(11):丸山千枚田(14.9)

 タクシーに戻ると、運転手さんが、千枚田展望所があると教えてくれました。なんでも、吉野方面へ向かう通り峠の途中にあるそうで、健脚なら20分ほどでのぼれるとのこと。ようがす、行きましょう。車に乗ってすこし戻り、「熊野古道 通り峠」という標識のあるところで下ろしてもらい、しばし待ってもらうことにしました。石畳の山道をのぼっていくと、やがて木の根道となります。そして通り峠と展望所の分岐点に到着、ここから木の階段をえっさほいさと170段のぼります。楽ではありませんがそれほどきつくはない道のりで、二十分ほどで展望所に着きました。眼下に広がる千枚田を一望できる、見事なビューポイントでした。
c0051620_6363629.jpg

 ここにあった解説板を転記しておきます。
 一目千枚といわれている丸山千枚田。
 丸山地区の人たちが一粒でも多く収穫したいとの思いで開墾し、今から約400年以上前の慶長6年(1601年)には既にその数は2240枚になっていました。長い年月と多くの人たちの汗の結晶が目の前に広がる大小の千枚田です。
 この丸山千枚田は、昭和40年代半ばまで維持されてし(ママ)ましたが、その後の稲作転換政策や、過疎化・高齢化の進行にともない、耕作放棄面積が増え、平成初期には530枚(4.6ha)まで減少してしまいました。
 荒廃していく丸山千枚田を憂いだ(ママ)丸山区の住民が「先祖から受け継いだ貴重な資源である棚田を復元し、地域の景観・伝統等を将来に向けて伝承していきたい」という熱意から丸山千枚田保存会を結成しました。行政からの支援を受ながら(ママ)保存会が中心となって復田運動が始まり、5年間で810枚の田を復田し、現在の1340枚となりました。
 ベンチがあったので座って一休み、水を飲み紫煙をくゆらしながら解説にあった言葉を反芻しふと考えてしまいました。「先祖から受け継いだ貴重な資源」「将来に向けて伝承していきたい」 これはこの棚田だけでなく、日本の国土すべてにあてはまる言葉でしょう。過去の人びとから受け継いだ自然環境を、できうればより良い状態にし、最低でも現状のまま、未来の人びとに受け渡す。それが品格・品性というものではないでしょうか。しかし日本の現状を見るにつけても、その品性の下劣さには目を覆いたくなります。核廃棄物を将来の世代に押しつけながら核発電所を乱立し、事故を起こしてもきちんと原因を解明せず誰も責任をとらず、福島を中心に多くの地域が放射能で汚染されているのに住民に対するまともな対応策をとらず、事故をできるだけ過小評価し再稼動に突っ走る。沖縄では、美しい自然を破壊して必要のない辺野古新基地建設を強行しようとしています。自民党・公明党・官僚・財界・学界・メディアの皆々様の頭の中には、「今だけ・金だけ・自分だけ・地位だけ」という言葉が永久運動のようにぐるぐると回っているのでしょう。まるで未来の人びとと、勝率100%の戦争をしているかのようです。"わが亡きあとに洪水はきたれ"ということですかね。

 本日の一枚です。
c0051620_637082.jpg

by sabasaba13 | 2016-03-23 06:37 | 近畿 | Comments(0)

言葉の花綵137

 仕方がなかったんです。そういう時代でした。皆そんな世界観で教育されていたんです。(アドルフ・アイヒマン)

 無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態を言う。(ロラン・バルト)

 ほんとうに戦争を知っているものは、戦争について語らない。(『父親たちの星条旗』)

 卒業おめでとうとはいえません。なぜなら、あなたたちは、これから向かう社会で、あなたたちを、使い捨てできる便利な駒としか考えない者たちに数多く出あうからです。あなたたちは苦しみ、もがくでしょう。だから、そこでも生きていける智恵をあなたたちに教えてきたつもりです。(某教授 『ぼくらの民主主義なんだぜ』高橋源一郎)

 社会に溢れる「憎しみ」のことばは、問題を解決できない社会が、その失敗を隠すための必須の品なのだ。(高橋源一郎)

 読書は、人性の全てが、決して単純ではないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても、国と国との関係においても。(美智子皇后)

 だが後進国にあっては、すでに見たごとく真のブルジョワジーは存在せず、存在するのはガツガツした強欲貪婪な、けちな根性にとりつかれた、しかも旧植民地権力から保証されるおこぼれに甘んじている、一種の小型特権層(カースト)である。この近視眼のブルジョワジーは、壮大な思想や創意の能力におよそ欠けていることを露呈する。(『地に呪われたる者』 フランツ・ファノン)

 われわれが目撃するものは、もはやブルジョワ独裁ではなく部族の独裁である。大臣も、官房長官も、大使も、知事も、指導者の種族から選ばれ、ときには直接その一家から選ばれることさえある。こうした血縁型社会は、古い族内婚の掟をとり戻すように見え、そして人は、かかる愚行、かかる詐欺、かかる知的精神的貧困を前にして、怒りというよりは屈辱を抱く。これら政府首脳は正真正銘アフリカに対する裏切者だ。アフリカを、その敵のうちでももっとも怖るべき敵-愚行-に売り渡しているのだから。(『地に呪われたる者』 フランツ・ファノン)

 敵の死骸はいつも芳香を発する。(ウィテルウス)
by sabasaba13 | 2016-03-22 06:31 | 言葉の花綵 | Comments(0)