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伊勢・美濃編(43):太田宿(14.9)

 そして終点の美濃太田駅に着きました。ホームにあった「のうりん」の顔はめ看板を撮影。ちなみに「のうりんは、県立加茂農林高校を舞台とした小説で、第4巻では長良川鉄道も舞台となっています」という解説がありました。窓口で、ブレーキ・ハンドルのストラップというレアなお土産を売っていたので購入。
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 駅前にあるみのかも観光案内所に行こうとすると、駅構内でレンタサイクルのポスターを発見。やった。そして観光案内所で八百津行きバスの往路・復路発車時間を確認。世渡タクミ君のようにカシャカシャと頭の中で計算すると、自転車を借りて太田橋と太田宿を三十分ほど見学、その後バスで八百津に行き何とかして現地でタクシーを見つけて杉原千畝記念館+人道の丘公園、旧八百津発電所、上代田棚田、赤薙棚田を二時間ほどでまわってもらってバスで美濃太田に戻れるぞ。美濃太田駅前にある「シティホテル・ミノカモ」のフロントで申し込み自転車を借り受け、まずは太田へと行きました。
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 竣工は1926(大正15)年、「木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と唄われた中山道三大難所の一つ太田の渡し跡に架けられた単純ワーレントラス鋼橋です。

 そしてキコキコとペダルをこいで中山道六十九次の内、江戸から五十一番目の宿場、太田宿へ。飛騨へ向かう「飛騨街道」、関・郡上へ向かう「関街道」への分岐点を持つ場所として、また、平行して木曽川が流れており、交通・物流の要衝として機能していました。また尾張藩太田代官所が設置されるなど政治的にも重要な場所でした。自転車に乗って走り抜けながら、古い町並みや枡形を撮影。
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 なお坪内逍遥は、尾張藩太田代官所の手代の息子として1859(安政6)年にここ太田宿で生まれ、幼年を過ごしたそうです。また岡本一平は、晩年に言論統制などにより不遇の生活を送り、疎開先の加茂郡下古井(太田宿のはずれ)で1948 (昭和23)年に脳溢血のため逝去しました。当時の岡本一平宅「糸遊庵」は、現在中山道会館の敷地内に移築されているとのことです。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-30 07:00 | 中部 | Comments(0)

伊勢・美濃編(42):北濃駅(14.9)

 入線した列車に乗り込むと、意外なことに車内は初老の男女で満席でした。これは湯の洞温泉か子宝温泉に行かれる方々とみた。そこを過ぎれば席に座れるでしょう、と期待したのですがみなさんは下車されません。結局、相生駅で半分くらいの方が下車、車窓からは郡上温泉「宝泉」のバスが迎えにきているのが見えました。
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 次の郡上八幡駅で残りの方々も下車、車内はガラガラとなりました。郡上八幡は以前に訪れたことがあるのですが、いい町ですね。車窓から長良川の素敵な眺めを楽しんでいると、郡上大和駅に到着。「古今伝授の里」という看板がありましたが、古今伝授… 古今伝授… 大学受験用日本史知識の引き出しの中で、"東常縁(とうのつねより)"という名前が点滅しました。気になったのでスーパーニッポニカ(小学館)で調べてみると、室町前期の武家歌人にして美濃国郡上の領主。篤学で古典に詳しく、宗祇に『古今集』の秘説を切紙に記して伝えましたが、これが古今伝授の初めとして後世重視されるようになりまし。彼の死後、宗祇が己の権威づけのため宣伝して、著名になったとみられるそうです。と偉そうに書きましたがよくわかりません、ごめんなさい。「おめえ歌道に暗いな」と言われたら、「角が暗ぇから提灯借りにきた」としか言えませんが。
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 美濃白鳥駅と北濃駅間は、今でもスタフ交換によって通行の安全が守られているそうです。スタフとは、Leopold Staff(1878‐1957)のことで、内省的、哲学的叙情詩で人生の喜びと懐疑を歌ったポーランドの詩人・劇作家…ではなくて、衝突を防ぐための通票で、ホームの柱にかかっていたスタフと「通票確認」という掲示を撮影しました。なおスタフとタブレットの違いがよくわかりません。「おめえ鉄道に暗いな」と言われたら…何と答えましょうか。
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 そうこうしているうちに、一時間半ほどで終点の北濃駅に到着。復路の列車が出発するまで十数分しかありませんので、てきぱきと事を進めましょう。ホームに降りると、お目当ての転車台はすぐ目の前にありました。すぐ近くまで行けたので、接近して写真撮影。1902(明治35)年にアメリカンブリッジ社で作られた手押しの転車台で、現存する中では日本で二番目に古いものだそうです。(一番古いのはどこなのでしょう?) もともとは東海道本線の岐阜駅に設置されたものですが、1934(昭和9)年に国鉄越美南線(現・長良川鉄道)が開通したときに、ここ北濃駅に移設されたそうです。
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 なお北濃駅には、「花まんま」という簡易な食堂も併設されていたので、パックにつめられた「きのこ御飯」を購入して列車に乗り込み、車内でいただきました。車窓を流れゆく長良川の風景を楽しんでいると、「円空のふるさと美並」という看板がある美並苅安駅にとまりました。へー、円空はここで生まれたんだ。美濃市駅を通過すると、関駅に停車。ここが刃物と刀工・関の孫六で有名な関なのですね。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-29 07:38 | 中部 | Comments(0)

伊勢・美濃編(41):美濃市(14.9)

 それでは町の中心に戻って、いましばらく散策を楽しむことにしましょう。途中に貼ってあった十六銀行のポスターには、「つかえるンバ」と歌う"タマルーにゃ"と、「たまるンバ」と歌う"フエルーちょ"という二人の脱力キャラが採用されていました。それにしても、どこを見ても絵になる町ですね。山並みを背景に、うだつをあげた古い商家が建ち並んでいます。
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 紙の原料商を営んでいた旧今井家住宅は江戸時代中期の建築で、古風をよく残しています。大石家住宅も、装飾にあふれた破風瓦と豪華な懸魚が印象的ですが、これは明治期の特色だそうです。なお大石家は米屋を営み、若主人は自由民権運動の闘士として活躍したとのことです。
 小坂家住宅(常盤町)は江戸時代中期の建築、平入り住宅の両端の壁を屋根より一段と高くして設けたうだつが本来は防火壁であったことを示す好例だそうです。そしてこの町並みの白眉との言うべき建築が、もう一つの小坂家住宅です。京都の伝統的な屋根である、軒が低く緩くカーブしている起(むく)り屋根の優美な姿が見どころ。なお小坂家は代々造り酒屋を営む素封家で、軒下には杉玉がさがっていました。
 ばしゃばしゃ写真を撮りまくっていると、地元のおじさんが「撮るとこ、いっぱいあるやろ」と、どや顔で話しかけてきました。ほんまほんま。さてそれでは美濃市駅に戻り、長良川鉄道に乗って北濃まで行き、転車台を見てきましょう。途中で水商売風の、露出度の高い派手な女性のポスターがあったので、(行ったことはないけれど)キャバクラの宣伝かな、と思い後学のため撮影すると(何故だ?)…なんと「大垣共立銀行」のポスターでした。さらに謳い文句は「私を楽しむ、ゆとりを」。投資で稼いでキャバクラに行って遊ばんかい、ということなのでしょうか。恐るべし、岐阜県。
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 その近くに「手づくりサンドイッチ」という看板があったので、白身魚フライ・たまごのサンドイッチとハムカツ焼きそばを購入しました。「スノーボード・スキー・ブーツ・ビンディング チューンナップ・修理・取付調整致します」と掲げたお店がありましたが、近くにスキー場があるようですね。そして美濃市駅に到着、自転車を返却してホームへ、列車の到着を待つあいだに美味しいサンドイッチをいただきました。あっ、チキンのり巻を食べるのを忘れてしまった。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-28 06:44 | 中部 | Comments(0)

伊勢・美濃編(40):美濃市(14.9)

 岡専旅館のうだつは、装飾にあふれた破風瓦と豪華な懸魚が見事です。なお近くには馬つなぎ石がありました。
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 多くの土蔵を残す広大な屋敷構えの須田家は、かつて大地主でしたが、敗戦後の農地解放で多くの農地を失ったそうです。解説にある「その家業は斜陽の一途をたどり現在に至っている」という一文は、落涙をさそいます。その向かいにある田中家は江戸時代からの紙商人で、一戸建てのためうだつはあがっていませんが、火返し(防火壁)がとりつけられているそうです。まだまだ見どころはありますが、先に美濃橋を見物しにいきましょう。
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 すこし走ると長良川のほとりに出ましたが、「県指定史跡 上有知(こうづち)湊跡」という解説板がありました。後学のために転記しておきます。
 慶長6年(1601年)金森長近が領主となり小倉山城を築き、城下町上有知をつくりました。その繁栄策として、ここに上有知川湊を開き、番船四十艘をおき、物資交流の要地としました。その後江戸時代は美濃国四大川湊の一つとして明治末年電車が開通するまで水運の要点でした。
 この住吉灯台は水の守護神、住吉神社の献灯を兼ねて江戸末期に建てられ、夜毎川面を照らしていました。川湊の灯台として現存する全国的にも珍しい貴重な建造物であります。
 緑なす山並みをきれいに映す長良川、船着場、住吉神社、そして灯台を撮影。近くにはじめて見る意匠の透かしブロックがあったのでこちらもカメラにおさめました。さらに川沿いを走っていると、川端地蔵がありました。清泰寺住職が、長良川での水難者の霊を慰め、水難事故が起こらぬよう祈念して、建立されたそうです。なおこのあたりにかつて前野渡舟場があったとの解説板がありました。かつては商店や茶店、船頭屋敷などが軒を並べ殷賑を極めたそうです。しかし明治の終わりに鉄道が開通して上有知湊が廃止され、美濃橋ができて渡し舟もなくなってしまいました。合掌。
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 そして重要文化財の美濃橋に着きました。なるほど、これは見事な吊り橋です。豪快な二つの主塔、そこから吊るされたケーブルに支えられた鉄骨トラスの橋桁が、すばらしい景観をつくりだしています。竣工は1916(大正5)年、建設当時日本で最大級の支間を実現した名橋です。
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 それでは橋を渡って対岸に行ってみましょう。なお無理な水泳は禁止、老朽化のために通行は20人以下、橋からの飛び込みは厳禁、以上三点にご注意ください。橋のなかほどから長良川の美しい風景を堪能、遠くの方では太公望のみなさんが釣りを楽しんでおられます。
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 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-27 06:46 | 中部 | Comments(0)

伊勢・美濃編(39):美濃市(14.9)

 それでは長良川鉄道に乗り込みましょう。そうそう、そういえば美濃太田駅にも転車台がありましたっけ。車窓から撮影し、再会を祝しました。そして40分ほどで美濃市駅に到着。こちらの駅舎は国登録有形文化財で、竣工は1923(大正12)年、大正期の標準的官鉄駅舎の姿を今に伝えているそうです。プラットホームの柱は、古いレールが転用されていました。幸いなるかな、駅にレンタサイクルがあったので、さっそく借り受けることにしました。
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 まずは「うだつの上がる街並み」へ。観光HPから引用します。
 1,300年も昔から和紙産業のまちとして歴史を刻んできた美濃市。和紙を作るための良質な材料と、長良川がもたらす清らかな水と水運に恵まれ、現在も「美濃和紙」は日本の代表的な和紙として知られています。和紙問屋として栄えてきた町家は、「うだつの上がる町並み」として県内有数の観光スポットとなり、多くの観光客が訪れます。
 "うだつ"とは、屋根の両端に作られた防火壁のことです。江戸時代、火事の際の類焼を防ぐためのものでしたが、当時の豪商たちがその富を競い合うようにそれぞれに立派な"うだつ"を設けました。
 言うまでもありませんが、「うだつがあがる」という慣用句の語源ですね。
 町の中心部に向かってペダルをこいでいると、また古い駅舎がありました。どうやら廃線となった鉄道の駅だと思われます。解説板によると、旧名鉄美濃線美濃駅で、こちらも国登録有形文化財でした。竣工は1923(大正12)年、山小屋風の瀟洒な駅舎です。なお上有知(こうづち)-美濃間を結んだ名鉄美濃線は、1999(平成11)年に廃線となりました。合掌。なお当時使用されていた車両も野外展示されていました。
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 おっ「名物 チキンのり巻」という看板を掲げた美濃食堂がありました。ご当地B級グルメの匂いがぷんぷんしますね。本日の昼食はこれにしますか。そうこうしているうちに町の中心部にたどりつくと、ゆるキャラ「うだつくん」のぬいぐるみがお出迎え。なお美濃市観光協会のサイトに、彼に関する波乱万丈(でもないかな)の歴史が紹介されていました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-26 06:32 | 中部 | Comments(0)

伊勢・美濃編(38):美濃太田駅(14.9)

 また駅構内に「堂上蜂屋柿」という興味深いポスターがあったので、後学のために転記しておきます。
スローフード協会「味の箱舟」「食の世界遺産」認定
 スローフード協会(本部イタリア)が1997年に始めた「味の箱舟」認定制度に2007年3月堂上蜂屋柿が認定されました。
 現在、全世界では大量生産、大量販売、過度な衛生管理などにより「個性的で安全な、手作りの食品」が絶滅の危機にさらされています。スローフード協会では、「味の箱舟」プロジェクトによって、こういった食品を救済する取り組みを行なっているのです。
 このままでは消えてしまうかもしれない、小さな手作りによる希少な食材を守る取り組みから「食の世界遺産」とも称されています。

堂上蜂屋柿の歴史
 平安時代の「明衡往来」によれば、美濃国司が朝廷に「枝柿」を献上したときのことが書かれています。この「枝柿」が蜂屋柿だと考えられます。室町時代には瑞林寺(蜂屋町)が室町将軍第十代足利義稙に、蜂屋柿を献上して「柿寺」の称号と、寺領十石の寄進を得たと伝えられています。江戸時代、柿一個が米一升と同じ価値があるとされ、貴重なお菓子として大切に栽培されてきました。その伝統を受け継ぎ現在も生産されています。
 へー、初耳でした。その意気やよし、スローフード協会にエールをおくるとともに、この干し柿をいつか食べてみたいものです。余談ですが、『MASTERキートン』(浦沢直樹・画 勝鹿北星・作 小学館)第11巻「特別なメニュー」に、孫文が干し柿を餡にねりこんだ月餅を考案したというエピソードがありました。その甘さは砂糖の1.5倍だそうです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-25 09:39 | 中部 | Comments(0)

言葉の花綵140

 もし、無抵抗主義の国を攻め滅ぼそうという国が存在するなら、そういう世界は生きるに値しない。(山口瞳)

 末来が其の胸中に在る者、之を青年と云ふ。(植木枝盛)

 退屈さには神々も旗を巻く。(ニーチェ)

 僕は合法的な異界人なんだ。(スティング)

 優雅に生きることが一番の復讐。(ジェラルド・マーフィー)

 人間の考えることが、人間に理解できないわけがない。(サマセット・モーム)

 最良を望みつつ、最悪に備えるんだ。(ジャック・リーチャー)

 真実を伝えるために必要な嘘があります。それは嘘ではなく、物語と呼ばれます。(エリア・カザン 『ブルックリン横丁』)

 夜に夢を見ることができなければ人は発狂してしまうという。同じように、子供が想像の世界に入ることを禁じられてしまったら、いつまで経っても現実世界を把握できないだろう。(ポール・オースター)

 死と税金と潮の満ち干と妻の繰り言は、男の人生にとって避けることができない。(村上春樹)

 杭を引き抜きあるいは溝を埋めながら、「こんないかさま師の言うことなんか聞かないように気をつけろ。果実は万人のものであり、土地はだれのものでもないことを忘れるなら、それこそ君たちの身の破滅だぞ!」とその同胞たちにむかって叫んだ者がかりにあったとしたら、その人は、いかに多くの犯罪と戦争と殺人とを、またいかに多くの悲惨と恐怖とを人類に免れさせてくれたことであろう? (ジャン・ジャック・ルソー 『人間不平等起源論』)

 もし民衆が生きたいという意思を持つならば、運命はそれに応えるはずだ。(アブール・カーシム・シャービー)
by sabasaba13 | 2016-04-24 08:41 | 言葉の花綵 | Comments(0)

羊山公園の芝桜

 昨日は代休がとれたのでのんびりとくつろいでいました。天気予報では曇りのはずが、青天が広がっています。そうだ、秩父へ行こう。羊山公園の芝桜がそろそろ見頃とのことなので、平日・青天という好条件を利用しない手はない。インターネットで調べると、西武秩父駅から徒歩二十分です。さっそく西武鉄道に乗って西武秩父駅へ、ちょうどお昼時だったので駅の食堂でご当地B級グルメの「わらじカツ丼」「みそポテト」を食しようかと思いましたが、行列ができていたので撤退。駅前の観光案内所で地図をもらい、てくてくと歩きながら食事のできる地元資本の店をさがしましたが見つからず。仕方がない、「夢庵」で豚しょうが焼ランチをいただきました。ふたたび歩きだすと…すぐ先にしぶい洋食店があるではないですか。早まった…後悔先に立たず。
 気を取り直して歩を進め、急な坂道をのぼり牧水の滝や秩父の街並みを写真におさめ、二十数分で芝桜の丘に到着しました。入園料300円を払って中に入ると、それはそれは綺麗な色とりどりの芝桜が地を埋めつくしていました。好事魔多し、残念ながら曇天となっていましたが、それでも美しい芝桜と新緑を堪能。帰りは、やはり二十分ほど歩いて横瀬駅へ行き、特急に乗って帰りました。急な坂がないので、西武秩父よりも横瀬から歩いた方がいいかもしれません。もうしばらくは楽しめそうですね。休日はたいへんな混雑となりそうですが。

 今回は芝桜だけにしぼりましたが、秩父近辺はけっこう見どころが多くあります。音楽寺や椋神社といった秩父事件関連の史跡、「ちちぶ銘仙館」・長瀞駅舎・旧秩父駅舎といった古い建物、SLパレオエクスプレス、三峰口駅の転車台、長瀞ライン下り和銅遺跡などなど。ちょっと穴場のお薦めスポットです。

 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-23 09:20 | 鶏肋 | Comments(0)

伊勢・美濃編(37):犬山(14.9)

 朝、目覚めてカーテンを開けると、天気は良好。以前に訪れた犬山城天守閣もよく見えました。まずは「うだつの上がる街並み」美濃市を訪れましょう。犬山駅へと歩いていると、「犬山ドック」というポスターを見かけました。ご当地B級グルメとして売り出している模様です。紹介を転記します。
 犬山商工会議所特産品開発実行委員会で、特産品開発を通じた地域活性化を目的に、会員事業所の協力を得、新たな特産品として「犬山ドッグ」を生み出しました。
 全国の自治体で「犬」が名称に付くのは「犬山市」が唯一であり、また、犬山市のキャラクターも「犬」を モチーフにした「わん丸君」です。 今回、「犬」と「パン」に食材を挟んで食べる「ドッグ」を掛け合わせ、それぞれ特徴のある「犬山ドッグ」が生まれました。犬山らしさを挟み込んだ各参加店の多彩な味をご賞味ください。
 いろいろなドックを売るお店が紹介されていますが、オーソドックスに、ドイツ風軽食スタンド「インビスサイトウ」のブラートヴルストを食べてみたいですね。ご縁があったら寄ることにしましょう。その近くには「モンキー薬局」がありましたが、このような店名で客が来るのでしょうか。ま、♪人生いろいろ♪ですが。
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 犬山駅から名鉄広見線に二十分ほど揺られて新可児駅に到着、ここでJR太多線に乗り換えると八分ほどで美濃太田駅に着きました。長良川鉄道へ乗り換えますが、すこし時間があるので駅構内と駅前を探検。駅に置いてあった観光資料を読むと、付近に太田宿と太田橋があることが判明しました。うーむ、食指が動きます。さらに長良川鉄道に乗ると、車内の掲示で、終着の北濃に転車台があることもわかりました。うーむ、これはもっとそそられます。ちょっと旅程をいじりますか。とりあえずは美濃市を徘徊して長良川鉄道に乗って北濃の転車台を見物、タッチ・アンド・ゴーで美濃太田駅に戻りタクシーで八百津まで行って棚田・人道の丘などをまわってもらいバスで美濃太田へ戻り、太田を歩く。かなりタイトな行程ですが、「なせばなるなさねばならぬ何事もならぬは人のなさぬなりけり」、やってみましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-22 07:34 | 中部 | Comments(0)

伊勢・美濃編(36):一身田(14.9)

 御影堂や如来堂を中心とする広大な伽藍を撮影し、山門をくぐりぬけると釘貫門がありました。柱を立てて並べて貫を通しただけの簡単な門のことで、扉は設置されていません。この先は町屋なので、聖俗の結界をなす装置とのことです。
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 環濠を撮影しながら町をぶらつきましたが、ところどころに古い町屋や蔵が残っていました。
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 とある細い路地には「高田中・高校の生徒は自転車で、この路地の通り抜けを禁止する」という看板が掲示されていました。ちょっと日本語がおかしいような気もしますが、学生のみなさん気をつけて下さいね。珍しい透かしブロックがあったので撮影。専修寺の東側には太鼓門があり、かつては最上階の太鼓が時や法要の進行を告げていたとのことです。
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 そして町の周囲をとりまく環濠に沿って散策。往時の面影は残されていませんが、貴重な歴史遺産ですね。
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 生徒が狭い路地を自転車で走り抜ける、噂の高田中・高校の壁面には、「祝 全国高等学校総合体育大会」「新体操部」「卓球部」「なぎなた部」という垂れ幕がさがっていました。なぎなた部!? 創部すれば即全国ベスト16になれそうだな、と不謹慎な半畳を入れてしまいました。
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 というわけで小一時間ほどの散策でした。寺内町は、これまでに平野、久宝寺、八尾、長島、山科、金沢、富田林貝塚御坊を経巡ってきましたが、ここ一身田は寺内町の骨格がよく残されており、一見の価値があります。
 JR一身田駅まで戻り、普通列車に乗って津駅へ。「るるぶ」の愛知版と岐阜版を購入して急行列車に乗り込み車中で読みましたが、パワー・スポット記事満載に辟易しました。やれやれ、もっと人事を尽くせばいいのに。それはさておき、明日は予定通り、美濃市の街並みを散策したあと、杉原千畝のふるさと・八百津に行き、彼の記念館と棚田を訪問することにしましょう。一時間ほどで名古屋駅に到着。駅ビルの中にある"ひまつぶし"…ではなく"ひつまぶし"の名店、「まるや」に行きましたが、甘かった、長蛇の列ができています。せんかたない、近くにあった「歌行燈」という行列のできていないお店で、名古屋名物のきしめんをいただきました。
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 名鉄名古屋駅に行き、準急に約30分乗ると犬山駅に到着です。駅の近くに「理美容業界 年商日本一の店 プラージュ犬山店」という看板を掲げた理容店がありました。歩いて数分で今夜の塒、犬山シティホテルに到着です。
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 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-21 06:45 | 近畿 | Comments(0)