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『スノーデン 日本への警告』

 映画『スノーデン』と『シチズンフォー』を見て、エドワード・スノーデン氏の高い志と不屈の勇気にいたく感銘を受けました。彼に関することをもっと知りたいと思っていたところ、『スノーデン 日本への警告』(エドワード・スノーデン 青木理 井桁大介 金昌浩 ベン・ワイズナー マリコ・ヒロセ 宮下紘 集英社新書0876)という本が出版されていることが分かり、さっそく購入して読了しましました。
 2016年6月4日に行なわれた、自由人権協会(JCLU)70周年プレシンポジウム「監視の"今"を考える」に参加したスノーデン氏の発言をまとめたものです。なお周知のように彼は今、アメリカ政府の追及から逃れるためにロシアにいるので、衛星テレビを通しての参加となっています。
 書名の通り、アメリカと同様に、市民の自由やプライバシーを脅かしている日本政府の実態を告発し、それを私たちに警告するという内容です。なにはさておき、彼の発言をいくつか紹介しましょう。
 暗号化という技術は、適切に用いられればすべての人を平等に保護します。しかし、私は軍拡競争を提唱したいわけではありません。テクノロジーの専門家たちのコミュニティはこの競争に勝てる可能性があるとは思いますが、そのような競争は望ましいものではありません。技術による人権保障は、最終手段だと考えています。むしろ政治的な状況や、私たち自身の無関心と知識の欠如がもたらす脅威に目を向ける必要があります。
 このテーマは現在の日本にとっても極めて重要な問題です。ここ数年の日本をみると、残念ながら市民が政府を監督する力が低下しつつあるといわざるを得ません。2013年には、政府がほとんどフリーハンドで情報を機密とできる特定秘密保護法が、多数の反対にもかかわらず制定されてしまいました。(p.43)

 より便利であるという理由だけで、政府の求めに応じて無制限の権力を与えることは大変危険なことです。民衆が政策に反対しているのに、政府が民意を無視することを何とも思っていない時にはとりわけ危険です。ここで私が問題にしているのは、日本国憲法第九条の解釈のことです。
 安倍政権にとって、憲法を改正したいのであればそれもひとつの政策でしょう。しかし、改正をしたいのであれば手続きを踏む必要があります。安倍政権はその手続きを踏むべきでした。有権者の三分の二が、日本をより軍国主義的にするような憲法九条の削除、改正、そして再解釈に反対しているにもかかわらず、安倍政権は、憲法改正という正攻法ではなく、裏口入学のような法律解釈の行ってしまいました。これは世論、さらには政府に対する憲法の制約を意図的に破壊したといえます。
 もちろん私は、日本にとって何が正しいかということを言う立場にはありません。でもこれだけは言えるでしょう。政府が、「世論は関係ない」、「三分の二の国民が政策に反対しても関係がない」、「国民の支持がなくてもどうでもいい」と言い始めているのは、大変危険です。
 このような時こそ、ジャーナリストは政府が何をしているかを把握しなければなりません。にもかかわらず、すべての情報が特定秘密として閉じられてしまう。これは非常に危険です。こうした問題に関しては公共での議論が必要です。また、メディアも連帯を確保して、政府の政策や活動を批判しないようプレッシャーを掛けてくる政府に対抗する必要があるでしょう。(p.49~50)

 今、日本のプレスは脅威にさらされています。その態様はピストルを突き付けられたり、ドアを蹴られたり、ハードドライブを壊されたりという形の恐怖ではありません。日本における恐怖は、静かなる圧力、企業による圧力、インセンティブによる圧力、あるいは取材源へのアクセスの圧力です。テレビ朝日、TBS、NHKといったような大きなメディアは、何年にもわたって視聴率の高い番組のニュースキャスターを務めた方を、政府の意に沿わない論調であるという理由で降板させました。
 政府は自分たちの持つ地位と権力を理解しています。政府は放送法の再解釈を通じてプレッシャーをかけています。政府はあたかも公平性を装った警察のようにふるまいます。「この報道は公平ではないように思われますね。報道が公平でないからといって具体的に政府として何かをするわけではありませんが、公平でない報道は報道規制に反する可能性がありますね」などとほのめかすのです。
 こうした類の脅迫は、メディア各社の上層部に明確に伝わっています。これは驚くことではありません。メディアの事情も理解はできますが、脅威に屈してはいけません。政府が嫌いなニュース会社やニュースキャスターを排除してはなりません。今求められていることは連帯です。
 ニュース組織、TBS、NHK、テレビ朝日、その他のさまざまなテレビ・チャンネル、そしてジャーナリスト団体が一緒になって、自由な報道というものは政府の言いなりになって書くのではないこと、開かれた社会における報道の自由の目的は政府による情報の独占に対抗することにあることを訴え続ける必要があります。
 とりわけ、日本社会や日本で暮らす人々の権利に大きな影響を及ぼす事項については、対抗していく必要があります。政府の働きを調査できなければ、企業の動きを調査できなければ、また調査の結果判明した実態を人々に伝えることができなければ、ジャーナリストではなくなってしまいます。ジャーナリストではなくただの速記者です。それは日本の市民社会にとって非常に大きな損失であり、ひいては日本にとっても大きな損失だと思います。(p.53~4)

 市民が反対しているのに政府が意に介さず法律を成立させるような社会では、政府は制御不可能となります。あらゆることのコントロールが失われます。人々は政府と対等のパートナーではなくなります。全体主義にならない保証はありません。(p.82)

 人と話して下さい。価値観を共有して下さい。会話をして下さい。議論をして下さい。そして決して恐れないで下さい。リスクを認識すること、それが現実にあると認識することは大事なことです。
 手榴弾の上に身を投げ出しましょうなどと言っているわけではありません。誰もそんなことしたくありません。殉教者など必要ありません。
 けれども行動を怖がらないで下さい。過ちを見つけたならば、すぐに行動に移して下さい。既定路線になる前に動いて下さい。政府の方針となることを待たないで下さい。物事を注意深く見て下さい。よく考えて下さい。受け身にならないで下さい。そして最後のこのことを忘れないで下さい。自由を享受できる社会は市民が主役になって初めて実現されるということを。
 あなたは誰かをサポートする脇役ではなく主役なのです。(p.83~4)
 最新テクノロジーを駆使して情報を独占し、私たちを監視し、ジャーナリズムを屈服させ、市民によるコントロールから自由となって暴走・腐敗する国家権力。アメリカと同様の状況が日本においても起こっていることを、スノーデン氏は的確に指摘されています。そしてその行き着く先は全体主義であることも。特定秘密保護法や共謀罪を遮二無二求める安倍政権の姿勢を見れば、一目瞭然です。事態がここまで進んだのは、私たち市民の知識の欠如と無関心に責任があるという指摘にも汗顔の至りです。
 こうした動きに抗い、自由を守るためには、人と話すこと、恐れないこと、行動すること、そして自分が主役だと認識すること大事であるという氏の言葉を銘肝したいと思います。

 パネリストとして参加した四人による討論も興味深く、たいへん参考になりました。スノーデン氏の法律アドバイザーであるベン・ワイズナー氏、ニューヨーク市警によるムスリム監視の差止を求める訴訟の代理人を務めるマリコ・ヒロセ氏、プライバシーの専門家である中央大学准教授の宮下紘氏、そして日本の警察組織を取材するジャーナリストの青木理氏です。
 ベン・ワイズナー氏と青木理氏の発言を紹介しましょう。
(ベン・ワイズナー) 確かに脅威が存在しないわけではありません。しかしスノーデン氏が指摘する通り、テロリストによって殺される確率よりバスタブで溺れる確率の方が高いのです。テロの脅威は、政府が毎年800億ドルを費やして対策すべきほどの脅威なのか、改めて考えるべきです。
 情報当局にとってはテロの危険は大きければ大きいほど良いわけですが、私はこれを、"脅威という燃料"と呼んでいます。諜報機関という装置が自らの存在を正当化するために必要とする燃料です。(p.136)

(青木理) 僕はアメリカが全部いいなんてまったく思いませんけれども、こうしたアメリカなどの状況と比べ、日本ではジャーナリストやメディアの仕事に対する理解が、政権レベルでも市民レベルでも非常に低いと思います。これは僕らがサボってきたという面もあると思うのですが、紛争地取材にあたるジャーナリストを「自己責任だ」などと言って切り捨ててしまうという風潮が強まれば、僕たちは紛争地の真実を知ることができない。あえて攻撃的に言えば、この程度の市民があってこそ、この程度のメディアと言えるのかもしれません。(p.148)
 ベン・ワイズナー氏が言う"脅威という燃料"という言葉は、政府の行為を批判的な視点で考える際に非常に有効だと思います。例えば、北朝鮮の発射するミサイルはほんとうに"脅威"なのか。"脅威"だとしたら、それが命中した時にはかなりの確率で日本を破滅させる原子力発電所をなぜ再稼働させるのか。ほんとうは"脅威"ではなく、安倍政権および官僚機構が、己の権力や利益を増進させるための"燃料"に過ぎないのではないのか。

 二本の映画ともども、私たちを勇気づけてくれるお薦めの一冊です。
by sabasaba13 | 2017-05-31 06:25 | | Comments(0)

『シチズンフォー』

c0051620_6254348.jpg 映画『スノーデン』にいたく心と頭を揺さぶられ、いろいろと彼に関することを調べていたら、実際のエドワード・スノーデンが出演しているドキュメンタリー映画『シチズンフォー』があることを知りました。是非見たい、何が何でも見たい、幸いDVDとして発売されていたので即購入し、自宅の再生装置にかけて鑑賞しました。

 公式サイトから引用します。
 イラク戦争やグアンタナモ収容所についてのドキュメンタリー映画で高い評価を得るとともに、当局からの監視や妨害を受けてきた気鋭の映画監督ローラ・ポイトラスは、2013年初め、"シチズンフォー"と名乗る人物から暗号化されたメールを受け取るようになる。それは、NSA(国家安全保障局)が米国民の膨大な通信データを秘密裏に収集している、という衝撃的な告発だった。
 2013年6月3日、ローラは"シチズンフォー"の求めにより、旧知のジャーナリスト、グレン・グリーンウォルドとともに香港へ向かった。ホテルで二人を待っていたのは29歳の元CIA職員エドワード・スノーデン。彼の語る一部始終をローラのカメラが記録する中、驚くべき真実が明かされてゆく。NSAや他国の機関がどのような仕組みを使い、テロや犯罪への関与と無関係にあらゆる国民の電話の会話、メールの内容からインタネーットで検索した言葉まで、すべての通信記録を収集・分析しているのか。政府の監視活動にIT企業がいかに協力し、情報を提供しているのか。 グレンたちが驚いたことに、スノーデンは自ら内部告発者として名乗り出ることを望んでいた。なぜ彼は、自身や恋人の身に重大な危険が及ぶことが予測されたにもかからず、この告発に至ったのか…。
 当局の追跡がスノーデンに迫る中、6月5日、グレンは彼が契約していた英国紙ガーディアンに最初の記事を掲載する。そのスクープはたちまち大反響を巻き起こした。さらに6月10日、スノーデン自身が、自らが告発者であると名乗り出る。この前代未聞の暴露事件は、全世界にどんな影響をもたらしたのか…。
 当の本人が出演し、リアルタイムに事実を追うドキュメンタリーだけあって、その緊迫感とリアリティは半端ではありません。結末はわかってはいるものの、固唾を?み手に汗握りながら、一気に見通してしまいました。
 相手は、国益の為なら生命や人権など屁とも思わぬ世界最凶の犯罪国家・アメリカ合州国政府です。国家機密を内部告発した彼に対して、どのような措置をとるのか。迫りくるその魔手とそれに怯えるスノーデン氏たちの恐怖がビシビシと伝わってきました。点検のために鳴り響くホテルの火災警報にも、ビクッと緊張が走ります。日に日に濃くなっていく彼の目のまわりの隈からも、彼の感じる圧力と恐怖がわかります。しかし彼はそれらを克服し、毅然として国家権力に立ち向かいます。彼の発する数々の言葉から分かるように、プライバシーを、自由を、自分自身を国家権力から守るために。
 そして彼の勇気を支えたものは、もう一つあります。公式サイトによると、ローラ・ポイトラス監督が、スノーデン氏にハンドルネームとして"シチズンフォー"を選んだ理由を聞いたところ、彼は「私が最初の人間でない。そして、志願する最後の人間でもない」と答えたそうです。実は、NSA(国家安全保障局)ではこれまで三人が市民のために内部告発したが潰されました。それを見ていた四番目の市民(スノーデン)は、世界中の誰も無視できないようなやり方で発表するしかないと考えたそうです。そして、たとえ自分が失敗しても、シチズンファイブ、シックスは必ず生まれる、と信じて。そう、人権や自由のために国家権力に抗う市民が必ずいるはずだという信念が、彼を支えていたのですね。国民(nation)ではなく、市民(citizen)が。

 彼と協力して、この国家犯罪を報道した硬骨のジャーナリストのグレン・グリーンウォルドにも感銘を受けました。政治的中立などくそくらえ、権力の悪事を世に知らしめることこそがメディアの使命であることをあらためて思い知りました。政府や官僚の広告代理店と化しつつある日本のメディアの体たらくと比べると、提灯と釣鐘ですね。その実態については、『ご臨終メディア』(森達也+森巣博 集英社新書0314B)と『官僚とメディア』(魚住昭 角川oneテーマ21)の書評をご笑覧ください。

 テクノロジーの発達にともない、とどまるところなく進化する国家権力の暴走と腐敗。それに立ち向い抗うことが市民の使命であることを教えてくれたエドワード・スノーデン氏に感謝したいと思います。私もいつか「シチズン」の何番目にかに名を連ねる勇気を持ちたいと思います。
by sabasaba13 | 2017-05-30 06:25 | 映画 | Comments(0)

若草山山焼き編(15):奈良町(15.1)

 それでは夕食をとってホテルへと帰りましょう。春日大社には鹿に関する注意を記したピクトグラムがありました。「たたく・突進・かむ・突く」に注意か、はい我々は全部経験しております。春日大社萬葉植物園では「イルミ奈~ら」というイルミネーションの催しが行われていましたが、入場料は1000円。やめやめ、人工照明を見るのに大枚千円を払うなんて貧乏性のわれわれ二人にはできかねます。
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 その先では「春日大社 大とんど祭場」という垂れ幕がかかり、大きな櫓が組まれて火が燃え盛っていました。
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 春日大社の公式サイトにはこうあります。
 小正月の伝統行事である「大とんど」を境内の飛火野で開催。飛火野に火炉(5m×5m、高さ3m)を設置し、正月に神社に持ち込まれた古いお札やお守り、注連縄飾りなどを焚き上げます。当日の会場への直接の持ち込みも可能。事前に市観光協会にて募集したボランティアにより、ダイオキシンが発生しないようお守りなどからビニールを除去する分別作業を行い、環境にも配慮した大とんどにしています。
 そしてライトアップされた旧奈良県物産陳列所の前を通り過ぎます。『奈良県の歴史散歩 上』(奈良県歴史学会 山川出版社)から引用します。
 奈良国立博物館の東側、春日大社表参道バス停の西側に京都の平等院の鳳凰堂を模してつくられたという玄関ロビーをもつユニークな建物が見える。現在は公開されていないが、「県内物産ノ改良振興ニ資スル」ため、2万5700円余の工費を投じて1900(明治33)年に起工し、2年後に完成した奈良県物産陳列所(国重文)の建物である。県内のさまざまな物産を陳列したり、その一部は即売されたという。当初は1人1銭の縦覧料が徴収された。
 設計はその頃奈良県技師として古社寺保存法にもとづく古建築修理の監督にあたり、その後日本建築様式史の確立に力を注いだ関野貞(ただす)である。日清戦争から日露戦争にかけて、勧業政策の充実が叫ばれた時代を象徴する建物の一つである。幾何学的な文様を施した窓に白壁が映え、公園の緑と調和して非常に美しい。(p.27)
 さきほどの雑踏が夢のように静謐な奈良町をそぞろ歩いていると、和風建築の「春」というステーキ屋を見つけました。よろしい、ここで夕食をいただきましょう。洒落た中庭を見ながら、大和のサーロイン・ステーキに舌鼓を打ちました。
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 なお給仕をしてくれた若い女性と話が弾んだのですが、彼女は宮崎県出身で、世界史教師をめざしてバイトをしながら勉強中とのことです。フランスに二カ月留学して、日本の歴史や文化をあまりにも知らないのに気付き、ここ奈良に移り住んだとのことです。その意気やよし。ホセ・オルテガ・イ・ガセット曰く、"過去は、われわれがなにをしなければならないかは教えないが、われわれがなにを避けねばならないかは教えてくれるのである"。お互い、何を避けるべきかを歴史から学んでいきましょう。

 食後のお散歩で、猿沢の池と興福寺を散策。夜景をカメラにおさめてホテルに帰着しました。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-27 06:30 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(14):山焼き(15.1)

 パチ。目が覚めると午後五時、山ノ神をゆすり起こしてそろそろ山焼き見物に出かけることにしましょう。もしや眺望が良いかと期待し、ホテルの屋上にのぼりましたが、それほどではなかったので初志貫徹、奈良公園に行きましょう。ホテルの近くにある荒池からも、薄暮のなか屹立する興福寺五重塔がよく見えました。道路には、「鹿に注意」ということでしょう、大きな鹿のピクトグラムが描かれていました。
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 公園が近づくにつれ、徐々に人の流れが太くなっていきます。やはりたいへんな混雑ですね。そして観光案内所で教えてもらった「奈良春日野国際フォーラム甍」のあたりに到着。なるほどある程度の距離をへだてて三笠山の全貌が見え、かつ立錐の余地もあります。
 午後6時15分、まずは大輪の花火が夜空を焦がします。scene1祈り 迫力のオープニング!、scene2凛 鹿花火も登場?! scene3伝統 奈良県で唯一の尺玉連打!scene4魂 感動のフィナーレ!というプログラムですが、鹿の顔をかたどった花火がまじるのはご愛敬です。そして午後6時30分、いよいよ点火。東大寺と興福寺の寺領あらそいに端を発したという説、春の芽生えを促すために枯れ草を焼いたという説など、その由来は諸説ありますが、まあどれでもよろしい。迫力ある火焔の乱舞を堪能させていただきましょう。山裾に火がつけられるとあっという間に燃え広がり、山全体を紅蓮の炎が包んでいきます。ファイヤー! わずか十五分ほどでしたが、迸る命のような劫火を満喫することができました。うん、また見に来たいものです。帰宅後にたまたま読んだ『かくれ里』(白洲正子 講談社学芸文庫)に次のような一文がありました。
 文智女王のお名を知ったのは、そういう偶然の機会であったが、ほんとうに興味をもったのは山村御殿を尋ねてからである。それは若草山の「山焼き」の日であった。橿原の方に用事があって行っていたが、奈良の人たちが、「山焼き」は、どこから見るのが一番いいかという話になり、円照寺のあたりが、人も込まないし、全体が見られるということで、帰りがけによってみることにしたのである。(p.201)
 円照寺か…今、調べてみたらすこし遠いのですが、穴場のようですね。選択肢の一つとして脳裡に刻んでおきましょう。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-26 06:27 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(13):奈良ホテル(15.1)

 なお「埃まみれの書棚から」というサイトに"随筆・小説のなかの「奈良ホテル」"という一文がありましたの、ぜひ紹介します。
和辻哲郎 『古寺巡礼』

 奈良についた時はもう薄暗かった。この室に落ち着いて、浅茅ヶ原の向ふに見える若草山一帯の新緑(と云ってももう遅いが)を窓から眺めていると、いかにも京都とは違った気分が迫ってくる。奈良の方がパアッとして、大っぴらである。…食堂では、南の端のストオヴの前に、一人の美人がつれなしで坐っていた。黒味がかった髪がゆったりと巻き上がりながら、白い額を左右から眉の上まで隠していた。眼はスペイン人らしく大きく、頬は赤かった。…奈良の古寺巡礼に来てかういふ国際的な風景を面白がるのは、少しおかしく感じられるかも知らぬが、自分の気持ちには少しも矛盾はなかった。われわれが巡礼しようとするのは『美術』に対してであって、衆生救済の御仏に対してではないのである。

 食後T君と共にヴェランダへ出て、外を眺めた。池の向ふの旅館の二階では、乱酔した大勢の男が芸妓を交へてさわいでいる。興福寺の塔の黒い影と絃歌にゆらめく燈の影とが、同じ池の面に映って若葉の間から見えるのも、面白くはなかった。われわれはそれを見下すような気持になって、静かに雑談に耽った。(5月18日夜)

林芙美子

 また、奈良ホテルにも泊まったことがあります。終日池に面した部屋から、笹薮のゆさゆさするのを眺めていた事があります。奈良ホテルに泊まるような、心おごった豊かな気持ちも捨てがたく有難いのに私はホテルを出ると、友人と二人で町のうどん屋に這入って狐うどんをたべたりもしました。(『私の好きな奈良』)

 ホテルへ泊って窓を開けると、三笠山の麓にはもう灯がつきそめて、昔ながらのたそがれだ。…ホテルはひっそりしているので、まるでフォンテンブロウのサボイに泊ってゐるやうな静けさであった。夜更けてスチームのなる音は巴里の色々な宿屋を憶ひおこす。(『早春』)

山口誓子 『炎昼』

 花楓(はなかえで)新婚のふたり椅子に揺れ
 花馬酔木(はなあしび)雨はうつぼ柱に鳴れる
 けふも奈良ホテル春雨に樋(とひ)鳴れり

志賀直哉 『寂しき生涯』

 此春、奈良ホテルで、久しぶりに大宮君の絵を見た。『高円山』といふ題の百号程の絵だった。例の如く、実際の高円山とは似もつかぬ山に変わっていたが、大宮君として、悪くない方の絵だった。大宮君が画室で此絵を描いてゐるのを見に行った事を憶ひ出した。然し、此絵はホテルの余り客の行かない廊下の端にかけてあるばかりでなく、私が見た時には真前に大きな棕櫚竹の鉢が台にのせて、画面とすれすれに置いてあった。

堀辰雄 『大和路・信濃路』

【一九四一年十月十日、奈良ホテルにて】
 くれがた奈良に著いた。僕のためにとっておいてくれたのは、かなり奥まった部屋で、なかなか落ちつけそうな部屋で好い。すこうし仕事をするのには僕には大きすぎるかなと、もうここで仕事に没頭している最中のような気もちになって部屋の中を歩きまわってみたが、なかなか歩きでがある。これもこれでよかろうという事にして、こんどは窓に近づき、それをあけてみようとして窓掛けに手をかけたが、つい面倒になって、まあそれくらいはあすの朝の楽しみにしておいてやれとおもって止めた。その代り、食堂にはじめて出るまえに、奮発して髭ひげを剃そることにした。

【十月十一日朝、ヴェランダにて】
 けさは八時までゆっくりと寝た。あけがた静かで、寝心地はまことにいい。やっと窓をあけてみると、僕の部屋がすぐ荒池あらいけに面していることだけは分かったが、向う側はまだぼおっと濃い靄もやにつつまれているっきりで、もうちょっと僕にはお預けという形。なかなかもったいぶっていやあがる。さあ、この部屋で僕にどんな仕事が出来るか、なんだかこう仕事を目の前にしながら嘘みたいに愉しい。きょうはまあ軽い小手しらべに、ホテルから近い新薬師寺ぐらいのところでも歩いて来よう。

谷崎潤一郎 『細雪』

 6月上旬の土曜日曜に、貞之介は留守を雪子に頼み、悦子をも彼女に預けて、幸子と二人だけで奈良の新緑を見に出かけた。…土曜の晩は奈良ホテルに泊まり、翌日春日神社から三月堂,大仏殿を経て西の京へ廻ったが、幸子は午頃から耳の附け根の裏側のところが紅く脹れて痒みを覚え、鬢の毛が触るとその痒さがひとしほであるのに悩んだ。…『ほんとに、さうやわ。あのホテル、ちょっとも親切なこともないし、サアヴィスなんかも成ってない思うたら、南京虫がいるなんて、何と云うひどいホテルやろ』 幸子は、折角の二日の行楽が南京虫のために滅茶々々にされたことを思ふと、いつ迄も奈良ホテルが恨めしく、腹が立って仕方なかった。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-25 06:28 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(12):奈良ホテル(15.1)

 さあそれではホテル内を探検することにしましょう。消火器ボックスにかけてあるガラス破砕用の鶴嘴や、赤い消火用バケツに、奈良ホテルの魂を感じます。
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 一階におりると、廊下には皇族を筆頭に、エドワード英国皇太子、アルベルト・アインシュタイン、ヘレンケラー、オードリー・ヘップバーンなど宿泊した著名人の写真が並べてありました。公式サイトによると、昭和期には軍事色を帯び、満州国皇帝、ドイツナチス党幹部、イタリアファシスト党幹部の来館が相次ぐようになったそうですが、その写真はありませんでした。きちんと歴史に向き合えばいいのに。ロビー「桜の間」にあったピアノには、「アインシュタイン博士とピアノ」という解説がありました。
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 後学のために転記します。
 1922年12月17日より2泊されたアインシュタイン博士が弾いたこのピアノは、長らく所在不明でした。1992年旧国鉄大阪鉄道管理局舎の解体時に発見され、交通科学博物館に保管されていたものがこのピアノだと確認されたのは、2008年には博士がピアノを弾く写真の原版を入手したことなどによるものです。ピアノは戦後GHQによる接収前にホテルより運び出されたと推測され、創業100周年の2009年、約60年ぶりに里帰りを果たしました。脚部に鉄道省・国鉄の「動輪」が施された優雅なデザインのピアノです。(米国ハリントン社製)
 ラウレルの胸像もありましたが、彼も宿泊したのですね。ちなみに、太平洋戦争下、フィリピン共和国の大統領であった、ホセ・ラウレル大統領のことです。ラウレルは、日本の敗戦が濃厚になった1945(昭和20)年3月に日本へ脱出し、奈良ホテルで亡命生活を送りました。ラウレルは、その年9月には連合軍に戦犯容疑で連行されるまで、ラウレル一行は奈良ホテルに滞在します。1969(昭和44)年、ラウレル元大統領の一家が奈良ホテルに訪れ、亡命生活時に対する感謝の気持ちを込めて胸像を造りホテルに設置したそうです。
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 さて紫煙を燻らしたくなったので、喫煙できる場所をフロントで訊ねると…やはり外にある屋根と囲いのあるベンチでした。しかし、電気ストーブが設置されていたところに奈良ホテルの魂を感じます。
 それで部屋に戻りましょう。陽光がさしこみ、スチームの柔らかな暖気とあいまって、部屋はぬくもりに満ちていました。スチームの鳴らす微かな音も旅愁をそそりますね。
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 そしてふかふかのベッド、時刻は午後三時。はい、昼寝ということで合意が成立。これほど快適な午睡はなかなか経験できません、か、い、か、ん… zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
 というわけで、素晴らしいホテルでした。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-24 06:30 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(11):奈良ホテル(15.1)

 そして興福寺の放生池として作られた人工池、猿沢池に着きました。湖面に映った青空と木々と興福寺五重塔がきれいでした。なお猿沢池には「澄まず、濁らず、出ず、入らず、蛙はわかず、藻は生えず、魚が七分に水三分」という七不思議があるとのことです。鶴福院町からも、五重塔がよく見えました。そして不審ヶ辻子町(ふしんがずしちょう)へ、こういう古色ゆかしき町名を残しているのには見識を感じます。
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 なおこの不思議な町名の由来を説く木板が掲げられていたので、転記します。
 その昔、夜になると元興寺の鐘楼に鬼が現れ、人に危害を加えるので、道場というお坊さんがこれを退治しようと争い、逃げる鬼の後を追ったが、このあたりで見失ってしまったところから、不審ヶ辻子と呼ぶようになった。
 ここからすこし歩くと、今夜の塒、奈良ホテルに到着です。『奈良県の歴史散歩 上』(奈良県歴史学会 山川出版社)から引用します。
 奈良ホテル本館は、鹿鳴館などの設計で有名なイギリスの建築家コンドルの弟子で、日本銀行本店や東京駅を設計した辰野金吾が設計にあたり、35万円の巨費を投じて和洋折衷の2階建が完成、1909(明治42)年に開業した。開業前に関西鉄道が敷地を購入し、鉄道国有化によってそのまま国に買収されたため、奈良ホテル敷地は国有地となり、ホテルの経営も1913(大正2)年から鉄道院の直営となった。現在は民間経営である。(p.65)
 同ホテルの公式サイトからすこし補足すると、1905年、日露戦争に勝った日本には来遊する外国人が急増。そのため政府は全国の主なホテル・旅館経営者を集め、必要な保護特典を与える旨の発表をしました。これを受けて、関東では大倉喜八郎(帝国ホテル創業者)、関西では西村仁兵衛(都ホテル創業者)が活動を起こしました。そして1906年、西村は眺望に恵まれた高畑町飛鳥山を坪1円で買収し、翌年に都ホテルなど4ホテルを統合した大日本ホテル株式会社を設立したのがその嚆矢だそうです。
 以前にTV TOKYOの『美の巨人たち』でも取り上げられた名門クラシックホテル、楽しみです。
 外観は重厚な桃山御殿風の木造建築、中に一歩入ると豪壮な檜造りの空間が広がります。フロント前のマントルピースには鳥居がしつらえてありましたが、外国人向けの意匠なのでしょうか。フロントでチェックインをして、二階の客室へ。漆喰仕上げの真壁造風の壁、大階段に取り付けられた擬宝珠、太い一本の檜を削り出した手すりが見事です。部屋はそれほど広くはありませんが、天井が高くひろびろと感じられる空間です。使用されてはいませんが、マントルピースもありました。
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 窓のところには「窓の開放に関するお願い」という札がありました。
 奈良ホテルはご覧の通り、豊かな緑に囲まれた場所に立地しております。窓を開放されますと、奈良公園の元気な生き物たちが入室する場合がございます。窓は長時間開放されないようご協力お願いいたします。
 元気な生き物たちに入室してもらいたいものだと窓を開けようとすると、山ノ神に「やめて」と窘められましたが。まずは洗面所をチェックする山ノ神、山と積まれた豪華なアメニティ・グッズに狂喜乱舞。♪空に灯がつく通天閣におれの闘志がまた燃える♪と口ずさみ、「根こそぎ持っていくわ」とほくそ笑むその姿には畏怖感すら覚えます。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-23 06:33 | 近畿 | Comments(0)

山城博治さん

 安倍でんでん内閣が、なりふり構わずに「共謀罪」成立へと暴走しています。ぶおんぶおん。もし仮にこれが成立してしまったら、何が起きるのか。「悪いテロリストを事前に捕まえるのでみんな安心、はいほー」などという牧歌的な話ではないでしょう。その起り得る事態を、リアリティをもって教えてくれる秀逸なインタビューを読むことができたので紹介します。
 それは、硬骨のフォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』(17.6)に掲載された、山城博治氏へのロングインタビューです。映画『標的の島』にもたびたび登場した、辺野古や高江での米軍基地反対運動の中心となって尽力されてきた方です。人懐っこい笑顔、機動隊員との情に溢れたやりとり、歌と踊りと笑いを忘れない懐の深い人となり、しかし肝心な場面では一歩も引かぬ不屈の精神、心にいたく残った方でした。
 同誌から、氏のプロフィールを紹介します。
山城博治 1952年沖縄県うるま市生まれ。法政大学社会学部卒。1982年に沖縄県庁に入庁。2004年から沖縄平和運動センター事務局長。辺野古新基地建設、東村高江のヘリパッド建設反対運動を、多くの平和・市民団体と連携しながらおこなう。昨年10月、米軍基地建設反対運動に絡んで逮捕、5か月間拘留された。現在公判中。
 その山城博治氏が、生い立ちや平和運動に関わる経緯、辺野古新基地建設の反対運動の経過、逮捕にいたる状況、そして共謀罪の真の狙いなどを語った貴重な証言です。後半部分を引用しますので、ぜひ読んでいただきたいと思います。
 自分はリーダーではなく、世話人だと話す。

(山城) 私は世話人という言葉が好きです。ただ現場をまとめたい。というのは、ああいう(権力と市民とが時にぶつかり合う)現場では、慣れた人が権力との間に立って、交通整理をし、引き際を見極める必要があるんです。

 辺野古新基地建設が強行的に着工されたのは2014年。米軍キャンプシュワブのゲート前や大浦湾の海上に機動隊や海上保安庁の職員が配備された。ずっと続けてきたことがある。

(山城) 実は、14年の7月に工事が始まったときから、毎朝、機動隊の責任者に伝えてきたんです。私たちはここに、けが人や逮捕者を出したりするためにいるんじゃないよ。止むに止まれぬ思いを持ってここに駆けつけているんです。君たち機動隊が介入する必要が出るような運動は作らないから、仲間に対して無茶しないでください、頼むねって。反対の声を挙げることは市民としての権利です。そこは大事にしてくださいって。

 当時、機動隊も山城さんのそんな思いに理解を示していた。山城さんを、機動隊と住民の仲介役として頼ってくる場面は少なくなかった。
事態が変わったのは15年の11月、東京警視庁の機動隊が150人体制で送られて来てからだという。

(山城) 様変わりしてしまった。暴力的で、沖縄の機動隊も激しくなった。彼らも東京警視庁に見られているからね。昨日まではお互いに現場のルールで調整し合ってやってきたのに、力で押しまくって来るようになった。工事車両を入れまいと、(米軍キャンプシュワブの)ゲート前に座り込んで抗議する住民を、力任せに排除し始めた。

 何とかしないといけない。毎日やられっぱなしだった。日を決めて工事車両を確実に止めようと、15年11月から水曜日を一斉集中行動日としてセットした。日頃の数倍の数で大集結した人々。朝、工事車両が入るゲート前にみんなで座り込み、車両を止める。最初集まったのは500人だった。それでも機動隊に抱えられ、排除された。800人になって、ついに車両の出入りを止めた。機動隊は手が出せなかった。3週目には1200人が集まった。大成功だった。

(山城) ぼくはカチャーシー踊ったりしてさ、やったー! みんなありがとう!って。

 16年1月からは木曜行動も始めた。人が集まり、完全に工事が止まった。

(山城) そうしたら金曜日、工事の遅れを取り戻そうと、それまで早朝1回だけだった工事車両の侵入が午前も午後もひっきりなしになった。座り込んでも機動隊に抜かれる(排除される)。また座り込んでもまた抜かれる。悲鳴があがった。機動隊は、突起が付いた軍手をはめて、腕をすごい力で掴んでくる。だから痣ができる。心臓が悪い人は卒倒して、ついに救急車で運ばれた。

 非暴力で抵抗する市民に権力が全力で襲いかかる。限界だった。

(山城) あまりの暴力に耐えかねて、誰かが言い出したでもなく、自然発生的にブロックを積み出した。

 みなが椅子代わりに使っていたブロックをゲート前に積んだ。それが威力業務妨害とされ、後の逮捕につながる。
16年10月17日、沖縄県警は、山城さんを運動中の威力業務妨害、公務執行妨害などの容疑で逮捕した。その後逮捕者が相次ぎ、山城さんの152日間の長期勾留が始まった。

(山城) 私は、一部の事実については認めています。だけどそうせざるを得なかった背景を、裁判官は知るべきだと思う。だから検察の事情聴取には応じませんでした。私の容疑については法廷で述べさせてもらいますと言ってね。

 検察の取り調べでは、「共犯」「共謀」という言葉が頻繁に使われた。

(山城) 共犯者は誰だ、カメラに映っているこの人物は誰だ、名前は? どこから来た人物だ?と。あぁ彼らは、私に、"共謀"したということでたくさんの逮捕者を出すつもりだなと思った。運動をしてきた人がみんな犯罪者にされてしまう。だから黙秘した。

 安倍政権が成立を目指す共謀罪では、277の犯罪を対象に、「計画したり」「準備行為をしたり」した段階で処罰できるようになる。

(山城) 警察や検察の主張では、常時私と行動を共にしていた者のみならず、たまたまゲート前の座り込み行動に参加して私の話を聞き、拍手を送った者まで、"共謀"したとされています。

 安倍政権の強行に、恐怖を覚えるという。

(山城) 日本全体が、戦前のような時代に逆戻りしようとしているように思います。政府は北朝鮮のミサイルや中国の脅威を煽りながら、戦争国家にするための法整備や社会環境の整備を図ろうとしている。いま安倍内閣が一生懸命作ろうとしている国家社会の有りようというのは、政府が非常事態宣言を発すれば、全国民が不平ひとつ言わず、政府の方針に従うべきだという社会です。だから共謀罪が必要になる。それは沖縄の人たちが戦前に見てきた社会で、私たちが渇望してきた平和で民主的な社会とは真っ向から相反する社会です。

 共謀罪が成立すれば、真っ先に適用されるのは沖縄の米軍基地建設反対の現場だろう、と話す。
 4月29日、米軍キャンプシュワブゲート前では、辺野古新基地建設中止と共謀罪廃案を訴える大規模な県民集会が開かれた。

(山城) 共謀罪では、こういう集会に参加したみんなが逮捕されてしまうことになる。組織的威力業務妨害の共謀罪でね。そして「米軍基地反対」とさえ言えなくなる。
 うーむ、やはり共謀罪の狙いは、政府に抗う動きを潰すため、そして「逮捕」という威圧を加えることによって、そうした動きを未然に防ぐためだと言ってよさそうです。特定秘密保護法、集団的自衛権の容認、そしてこの共謀罪。私たち主権者を屈従させながら、米軍の世界戦略の片棒を担ぐという"柔らかな全体主義・軍国主義"を徐々に浸透させようとする安倍でんでん政権の意図が見え隠れします。
 これに対して、無関心を決め込む、政府を支持する、知ろうとしないといった選択肢もあり得ますが、私はやはり抗いたい。でもどうやって? 山城氏の言葉がそのヒントを与えてくれます。
 自民党がやりたい放題やっているのは、やっていいだけの議席を与えてしまっているからでしょう? 安倍首相は、全ての権限を委譲されたという思いがある。だから憲法まで自分の考えで変えようとする。その強権政治を変えていかないとならん。

 政府は工事が始まったことを最大に宣伝する。石が大きなクレーン車で海に降ろされる画が流れてくる。工事が始まったことは事実だけど、その裏には、もうどんな抵抗をしても工事は進むんです、沖縄県民の抵抗もここまでですというメッセージが入ってる。

 工事は10年かかる。あそこの海底は軟弱だから、政府はいま工事の大幅な修正、変更をしようとしている。そのためには変更申請を県に出す必要があるのですが、その可否は(辺野古新基地反対を訴えている)翁長知事が判断する。あるいは、埋め立てのためには辺野古の山を流れる美謝川の水路を変更する必要がありますが、それを判断するのは水利権の管理者である稲嶺名護市長の権限だ。だから最終的には翁長知事や稲嶺市長の首をすげかえないと、できないんです。護岸工事はできない。

 今の強引な安倍政権はこれから先10年も20年も続きません。必ず変わる時が来るから、心折れないで、がんばろうと。そういう話を現場に行ってしたい。いつも言うでしょう? ゆるくていいんだ、しなやかにがんばるんだって。そして最後の1パーセントに望みをかけてパッといったらいい。勇気を持て。20年がんばってきたんだから、きょうあすで決まる話じゃない。必ず、必ず変わる時は来るって。伝えたいのは、そのこと。

 私がずっと言ってきたのは、運動はゆるくていいと。しなやかで、したたかで、そして時に毅然として。毅然とするのは最後の1パーセントでいい。最後でいい。

 めげない明るさがある限り、希望を持ち続けられる。だから小さなことでもみんなで喜んで歌う。辺野古や高江は、英雄たちが集まっている場所じゃない。当たり前の暮らしの中で、基地はいやよね、戦争はいやよねという人たちが集まる場所。あそこで成熟する民主主義が生まれる。そのことに安倍内閣は恐怖するんじゃないかな。

 勝つためには諦めないこと。

by sabasaba13 | 2017-05-21 06:13 | 鶏肋 | Comments(0)

若草山山焼き編(10):奈良(15.1)

 この東向通りには、日本聖公会奈良基督教会と親愛幼稚園があります。「文化遺産オンライン」から引用しましょう。
 日本聖公会奈良基督教会は、奈良市中心部、興福寺境内の西隣に位置している。奈良県内で古社寺修理の経験を持つ大木吉太郎の設計施工により、親愛幼稚園舎は昭和4年、会堂は同5年にそれぞれ竣工した。会堂は本格的な三廊式教会堂であるが、勾配の緩い伸びやかな屋根、小組格天井、菱格子欄間など和風要素で構成されている。親愛幼稚園舎もほぼ同様の意匠からなり、間仕切を外せば会館としても使用することができる。日本聖公会奈良基督教会は、奈良公園に隣接する立地条件から、純粋な和風意匠でつくられた教会堂建築である。古建築から着想を得た諸要素を巧妙にまとめ、各部のバランス、細部意匠とも秀逸で意匠的に優れている。古社寺修理から学んだ伝統的な要素を駆使し、教会堂として完成させた昭和初期の近代和風建築として、高い価値がある。
 なお『建築探偵 神出鬼没』(藤森照信 朝日新聞社)に教示していただいたのですが、1894(明治27)年、奈良国立博物館が建てられた際、そのフランス風の洋館が奈良にそぐわないと地元民や県議会の批判をあびました。以後、奈良公園一帯の建物は和風建築しか認められなくなったそうです。なるほど、奈良ホテルの和風意匠もそのためなのですね。(p.133)
 四本のイオニア式列柱が見事な南都銀行本店を撮影しましたが、奈良では珍しい様式建築です。もとは六十八銀行奈良支店で竣工は1926(大正15)年、設計は長野宇平治です。辰野金吾の弟子で、銀行建築を数多く手がけた建築家です。私が見たことがあるのは、台北の旧総督府と、旧日本銀行岡山支店(現ルネスホール)、旧日本銀行松江支店(現カラコロ工房)ぐらいかな。
 そしてお昼ご飯を食べる店を付近で物色。帯に短し襷に長し、迷った挙句に「二鶴」で鰻を食べることにしました。タレと白焼きの二色丼にうまき、美味しうございました。
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 落ち着いた雰囲気の本林院町を通り過ぎると、庇の上で極太の尻尾をたらしたが気持ち良さそうに午睡をしていました。猿沢池にそそぎこむ率川(いさがわ)を橋からふと見下ろすと、舟型の台座に何体かの石仏が集められた一角がありました。とりあえず写真におさめ、今インターネットで調べてみると、これは『率川地蔵尊』(または「尾花谷地蔵尊」「舟地蔵」とも)と呼ばれるもので、幕末のころ、この辺りの河川工事をした際に埋もれていた約40体の石仏が見つかり、ここに集められて祀られるようになったのだそうです。へえー、だから街歩きは面白い。なおこの時に渡った石橋の橋脚には「明和七庚寅年五月吉日」と刻まれており、1770年に架けられた古い石橋だそうです。これには気づきませんでした、不覚。

 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-20 06:28 | 近畿 | Comments(0)

若草山山焼き編(9):奈良公園(15.1)

 そして名建築との世評高い奈良県庁の脇を通りすぎました。竣工は1965年、設計は片山光生、モダニズム建築の傑作とのこと。既述のように、こちらの屋上が山焼きを眺めるベスト・スポットなのですが予約をしないと上ることはできません。無念。奈良公園では鹿と鹿せんべい屋さんを撮影しました。
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 そうそう、さきほど観光案内所でもらったパンフレットによると、山焼きイベントの一つとして「鹿せんべい飛ばし大会」が挙行され、30mラインをクリアすると抽選会に参加して景品をもらえるそうです。ちなみに翌日の読売新聞県内版によると、鹿が下でちゃんと待っていてすぐに食べてしまうそうな。ま、そりゃそうだ。

 なおこの大会の公式サイトがあったので、オフィシャルソングの「鹿せんべいツイスト」を紹介します。これは笑えますよ。
奈良の名物 数ある中に 日本人なら誰もが知ってる
世界の鹿の 憧れの的 一度は食べたいって それは鹿せんべい
人間だって 一度食べたら 忘れられない 不思議なその味
悲しい時も つらい時でも 食べたら踊りだす 鹿せんべいツイスト
☆Yah!ツイスト! さあみんなで 陽気に踊ろうよ リズムに乗って
これがうわさの 鹿せんべいツイスト!
あのイギリスの女王様も 奈良の土産に買って帰った
ロイヤル・ファミリー3時のお茶には 今では欠かせない それは鹿せんべい
バッキンガム宮殿 緑の芝生で みんなでそろって 鹿せんべい投げ
すました顔した衛兵達も 投げたら踊りだす 鹿せんべいツイスト
☆ 繰り返し
若草山から 猿沢の池まで 大仏殿から 五重塔まで
踊って歩こうよ せんべい食べながら
奈良公園で踊るツイスト とても難しいよ 緊張しちゃうよ
ステップ踏むたび どきどきするのさ だってそこら中 鹿の糞だらけさ
Yah!フン!フン!フンを踏んだらダメ!
糞を踏んだら踏んだらダメ! 鹿せんべいツイスト!
糞を踏んだら踏んだらダメ! 鹿せんべいツイスト!
糞を踏んだら踏んだらダメ! 鹿せんべいツイスト!
ア?ッ!踏んでしもた?!
 噴水の中心に小さな行基像がある近鉄奈良駅の前を通り過ぎて東向通りへ。「ダイソー」では、鹿の角カチューシャを売っていました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-05-19 06:29 | 近畿 | Comments(0)