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東京散歩(水門・教会)編(3):聖路加国際病院(15.1)

 そして聖路加国際病院へ。十字架をかかげた塔屋を中心に、鳥が翼をひろげたようなシャープな造型は、このあたりのランドマークですね。1902(明治35)年、ルドルフ・トイスラー博士(1876~1934)が、当時荒廃していたキリスト教系の病院である「築地病院」を買い取り、「聖路加病院」を設立したことに始まります。1923(大正12)年の関東大震災での被災を経て、皇室からの下賜金を始め米国聖公会・米赤十字などの寄付金などにより新築されたのが、現在残る建物です。設計の当初原案は当時日本で活動していた外国人建築家の一人であるアントニン・レーモンド(1888~1976)によるものでいたが、無装飾のモダニズムデザインが病院側の不評を買い、ジョン・バン・ウィ・バーガミニー(1888~1975)に実施設計が委ねられたとされています。なお『建築探偵 神出鬼没』(藤森照信 朝日新聞社)によりますと、素晴らしいチャペルがあるそうなので再訪を期したいと思います。(p.126)
 敷地内には、1933(昭和8)年、トイスラー院長が、宣教師会館および迎賓館として建てた建物が、「トイスラー記念館」として保存されていました。
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 築地駅に戻り、地下鉄日比谷線に乗って茅場町へ、地下鉄東西線に乗り換えて飯田橋へ、そして地下鉄南北線に乗り換えて赤羽岩淵へ。ここから十五分ほど歩くと旧岩淵水門に到着です。解説板を転記します。
旧岩淵水門のあらまし
 昔、荒川下流部分は現在の隅田川の部分を流れていましたが、川幅がせまく、堤防も低かったので大雨や台風の洪水被害をたびたび受けていました。そのため、明治44年から昭和5年にかけて新しく河口までの約22kmの区間に人工的に掘られた川(放水路)を造り、洪水をこの幅の広い放水路(現在の荒川)から流すことにしました。
 現在の荒川と隅田川の分かれる地点に、大正5年から大正13年にかけて造られたのがこの旧岩淵水門(赤水門)です。その後旧岩淵水門の老朽化などにともない、昭和50年から新しい水門(旧岩淵水門の下流に造られた青い水門)の工事が進められ、昭和57年に完成し、旧岩淵水門の役割は新しい岩淵水門(青水門)に引き継がれました。
 長年、流域の人々を洪水から守り、地元の人たちに親しまれた旧岩淵水門は現在子どもたちの学習の場や、人々の憩いの場として保存されています。
 時代を感じさせないモダンな水門ですね。現在稼働中の青水門も遠望することができました。
 なお小耳にはさんだところでは、ここは有数の心霊スポットだそうです。「宜保鑑定事務所」によると、かつて荒川で入水自殺をすると、その死体はこの水門付近で堰き止められて発見されるということが多かったそうです。私にはそうした霊感とやらはありませんので、何も感じませんでしたが。このサイトで紹介されていた、首をすげかえられたお地蔵もいらっしゃいました。
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 本日の二枚です。
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 追記です。先日読み終えた『夕陽妄語 2』(加藤周一 ちくま文庫)に次のような一文がありました。

 不思議な、-ほとんど奇蹟に近いようなことがおこった。それは1991年11月、ロス・アンジェレスの客舎でのことで、私は1945年の秋以来、一度も会ったことのなかったL博士に再会した。
 L博士は、45年当時のL中尉である。私たちは広島の日米合同医学調査団に加わっていて、それぞれ日米両側でのいちばん若い参加者であった。私は彼と二人で、広島近郊の山村を回り、被爆患者のその後の経過を追跡調査したこともある。はるか後になってから、私はそのことを回想録『続羊の歌』のなかで書いた。
 広島から東京へ帰ったL中尉はしばらく占領軍の病院(接収した聖路加病院)で働いていた。その病院の図書室の医学雑誌を私が読めたのは、彼のおかげである。そこには太平洋戦争の間に米国で進歩した血液学の新しい情報があった。その情報を東大の内科教室へ、さらには日本の医学界へ、私はもち帰った。かくして戦後の日本医学会の復興のために、L中尉は小さいが確かな貢献をしたのである。再会したL博士に、私はそのことをいった。すると彼は、骨髄標本をつくるために中尾博士と私が広島で行っていた脊椎穿刺の技術を、米国へもち帰って紹介したといった。医学上のささやかな日米交流は、そのときすでに始まっていた。(p.18~9)
by sabasaba13 | 2017-06-30 06:26 | 東京 | Comments(0)

東京散歩(水門・教会)編(2):カトリック築地教会(15.1)

 京急雑色駅から平和島まで行き、都営地下鉄浅草線直通の列車に乗って東銀座へ。日比谷線に乗り換えて築地駅に到着。このあたりはかつて居留地があったところですね。幸い解説板があったので転記しておきます。
築地外国人居留地跡
 安政5年(1858)6月、江戸幕府はアメリカと修好通商条約・貿易章程に調印し、これを原型として同年にオランダ・ロシア・イギリス・フランスともそれぞれ締結しました(安政五カ国条約)。
 この条約に基づき、箱館(函館)・神奈川(横浜)・長崎新潟兵庫(神戸)の五港を開港し、江戸・大坂(大阪)の開市を取り決めました。日本における外国人居留地は、条約締結国の外国人の居住や通商のための専用特別区として開港場・開市場の土地に設けられました。
 江戸(東京)の開市は、明治元年11月19日、明治新政府のもとで実現し、現在の明石町地区に築地外国人居留地が設定されました。
 築地外国人居留地は、商館の多かった横浜や神戸などとは異なり、外国公使館や領事館をはじめ、海外からの宣教師・医師・教師などの知識人が居住し、教会や学校などを数多く開いて教育を行っていました。
 このため、築地外国人居留地で発祥・開設されたキリスト教系の学校も多く、現在も校名や所在地を変えながら発展を続けており、当地区内には発祥を記念した石碑が数多く建てられています。
 文教地区として大きな特徴を持っていた築地外国人居留地は、条約の改正によって明治32年に廃止されるまで、日本の近代化に多大な影響を与えた一地区を形成していました。
 明石町と聞くと、鏑木清方の名作「築地明石町」を思い起こしますね。ああいう女性とすれ違えるような町の風情はもうありませんが。余談ですが、「清方の女はいずこ春の宵」という戯れ句をつくったら、同僚の女性に「清方の女はここよ春の宵」と切り返されました。
 まずは、まるで神殿のようなカトリック築地教会へ。解説文を転記します。
 カトリック築地教会は、明治4年(1871)にパリ外国宣教会のマラン神父が、鉄砲洲の稲荷橋付近の商家を借りて開いた「稲荷橋教会」がその前身とされます。明治7年(1874)、神父は宣教会の名義で築地居留地35・36番を借り受け、ここに司祭館と聖堂を建てました。明治11年(1878)には、ここにゴシック様式の聖堂が献堂されますが、この聖堂は関東大震災で焼失し、現在の聖堂が昭和2年に再建されました。聖堂は石造りに見えますが、実は木造建築で、壁面をモルタル塗りとしています。
 また、旧聖堂で使用された鐘は、1876年(明治9年)にフランスのレンヌで製作され、当時の司祭であるルマレシャル神父から「江戸のジャンヌ・ルイーズ」と名付けられたもので、現在も教会に保管されています。
 教会聖堂と鐘は、かつて外国人居留地のあった明石町に残された貴重な文化財として、中央区民文化財に登録されています。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-06-28 06:27 | 東京 | Comments(0)

東京散歩(水門・教会)編(1):六郷水門(15.1)

 2015年の1月のとある日曜日、あまりに暇だったので、以前に計画を立ててあった東京の水門教会めぐりをしてきました。水門と教会? なぜ? ふふ、月がとっても青いからさ。
 まずはめざすは六郷水門です。練馬から都営地下鉄12号線に乗って大門へ、都営地下鉄浅草線の快速特急に乗り換えて京急蒲田へ、京急本線の普通列車に乗り換えて京急雑色駅に着きました。街歩きの楽しみのひとつに、地元の方が経営するお店で食事をすることがあります。時刻は午前10時、モーニング・サービスを食べられる地元資本の喫茶店はないかと見まわすと…あった。いきなり駅前に「リベルテ」というお店がありました。名前もいいですね、フランス語で「自由」か。二階にあがると一昔前の喫茶店の雰囲気で、喫煙も可能、近所の方々が会話を楽しんでいたり、スポーツ新聞を読んでいたりと、思い思いの時を過ごされています。モーニング・メニューでピザトーストをいただきましたが、ま、それなりの味。でも530円と安いので大満足です。紫煙をくゆらしながら珈琲を飲み、今日の行程を確認しました。
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 そして水門通り商店街を十数分てくてくと歩いていくと、六郷水門に着きました。現地にあった解説板を転記します。
六郷水門
 この水門は、地元六郷町が国と東京府の補助金を受けて1931(昭和6)年に設けたものです。下水道が普及するまで六郷用水の末流をはじめ、六郷や池上、矢口、羽田の一部地域の雨水、汚水を排除していました。水門にかかる橋の高欄は、「郷」の字を「口」の字がかこむ六郷町の町章を用いたデザインです。堤内地の舟だまりは、かつて舟運にも利用され、雑色運河と呼ばれた水路下流の様子を今に伝えています。
 武骨ですが、丸みをおびた愛嬌のある意匠です。いいですね、一見の価値あり。
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 舟だまりには小さな漁船が繋留されていました。近くにあった公衆便所はこの水門を模したものでした。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-06-26 07:57 | 東京 | Comments(0)

山城博治氏・井筒高雄氏講演会

 辺野古や高江での米軍基地反対運動の中心となって尽力されてきた山城博治さん。『DAYS JAPAN』に掲載されたロング・インタビューを読んでいたく感銘を受けました。同誌によると、『DAYS JAPAN』主催による彼の講演会が開かれるとのこと。これはぜひ聞きたい、一昨日、山ノ神と「中野ゼロホール」に行ってまいりました。タイトルは「共謀罪を絶対廃止に!講演会」、山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)の「自由と民主主義を守る最前線。沖縄から今、伝えたいこと」という講演と、井筒高雄さん(元自衛隊レンジャー隊員)の「先島諸島への自衛隊配備で、日本がアメリカの戦争を担う日」という講演です。
 6月22日の木曜日、ふたりで自転車に乗って中野へ向かいましたが、気がかりだったのは…参加者が少ないのではないか。共謀罪法案が成立し、落胆した方々が増えたのではないか、という懸念です。ところが会場に着くと「満席」という掲示、そしてキャンセル待ちの列、これは嬉しかった。負けない人たち、諦めない人たち、そして安倍上等兵内閣に怒る人たちがこんなにいるんだ。勇気と元気をもらいました。これだけでも来た甲斐があったというものです。507席のホールはほぼ満員でした。

 さあ始まりです。広河隆一氏の後を継いだ『DAYS JAPAN』の若き編集長・丸井春氏によるお二人の紹介、そして万雷の拍手とともに、山城博治氏が登壇しました。
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 まずは6月15日、ジュネーヴの国連人権理事会での演説に関する報告です。山城氏は、この委員会で、「日本政府が沖縄の軍事化に反対する市民を大規模な警察力で弾圧し、暴力的に排除している」「自らの長期拘束について、当局による明らかな人権侵害だ」と訴えたのですね。その際に、国連の関係者から「君はHuman rights defenderだ」「世界は日本の動きを注視している」と言われたそうです。そう私たちは孤立していない、人権を擁護しようとする世界中の人たちが手を差し伸べているんだと、意を強くしました。11月の国連報告が本当に楽しみです。なお、この一分半のスピーチに対して、すぐに日本政府は反論をしたそうです。五か月も拘留された運動家の短いスピーチ、無視・黙殺してもよさそうなのに。しかし、すぐに反論せざるをえないところまで日本政府を追い込んでいると、氏は分析されていました。
 そして辺野古や高江の現状についての話です。沖縄では、連日逮捕される者が続出し、1000人の武装機動隊が反対運動を行う市民を威圧する恐ろしい光景が繰り広げられているそうです。なぜそうした光景を、大手メディアは日々報道しないのかと、憤怒の炎が燃えますね。そして山城氏が威力業務妨害・公務執行妨害などの容疑で逮捕されたために、"共謀"したとして反対運動の参加者・関係者にまで逮捕される危険性が出てきました。弁護士の勧めもあり、氏は現場に近づかないようになります。涙ぐみながら「現場に行きたい」と呟く山城氏の姿が心に残ります。しかし、そのおかげで全国を回ってこうした講演を行い、沖縄の現況を報告し、支援を訴えることができるようになって良かったとおっしゃっていました。なお6月23日、沖縄慰霊の日には、海外特派員に記者クラブに招待されているとのことです。
 最後にこれからの展望です。高江ヘリパッドは手抜き工事のため、土砂崩れてサンゴ礁へ流れ込んでいる状態。また辺野古新基地も、海底が軟弱なため今の計画では建設は無理であろうという意見です。となると、大幅な計画変更が必要となり、それを強行するために政府は翁長知事・稲嶺市長の首をすげかえようとする可能性が強い。それを阻止するために、翁長知事を支え、命をかけて戦い、中央政府との全面対決も辞さないと述べられました。ただし、しなやかに、ゆるやかに、心折れない運動を心がけよう。そして仲間がいる限り私はめげない、とも。
 朴訥とした、しかし信念に裏付けられた、私心のない、力強くあたたかい語り口にはすっかり魅了されました。安倍でんでん首相の、薄っぺらく、攻撃的で、誠意の"せ"の字も感じられない語り口とのなんたる違い。そしてその不屈の闘いを支えているのは、仲間と自然と日々の暮らしなのだと感じました。

 15分休憩の後、元自衛隊レンジャー隊員、ベテランズ・フォー・ピース・ジャパン代表の井筒高雄氏の講演です。こちらもたいへん興味深く拝聴しました。日米新ガイドライン(2015.4)によって、極東における戦闘の主体は自衛隊であると決定されたと、氏は指摘されます。要するに、アメリカの国益に関わらない戦争は、多少のサポートはするものの「自衛隊がんばれ」というスタンスですね。また日本におけるパトリオット・ミサイルは、すべて在日米軍基地周辺に配備されており、私たちを守るためのものではないとも指摘されています。日本列島をまるごと極東アジアの前線基地とし、特に先島諸島に重点的に自衛隊を配備させ、戦闘の主体たらしめる。
 また日本政府は、社会保障費1800億円をカットし、オスプレイ12機を1500億円で購入する予定だという指摘にも驚きました。アメリカ軍需企業の影もほのかに見え隠れしますね。
 そしてもともと日本は戦争には向かない国であると、氏は言われました。南北に細長い、海に囲まれている、原発が多数存在すること、食料自給率が低く資源も少ないので長期戦ができない、といった理由です。よって戦争ではない手段で安全保障を追求すべきである。
 「安倍首相はバカだが、支持率には敏感。よって都議選では自民党・公明党・維新に投票しないことが大事。都民ファーストは自民党の分身」という指摘にも、快哉を覚えました。
 最後に、「めげない、やめない、委縮しないで行動を」というメッセージで講演は終了。

 ちょっとめげそうになっていた私ですが、お二人の素晴らしい講演、そして駆けつけた多くの聴衆のみなさんから、元気をもらいました。そして世界中の心ある人びとから、この国は注視されていることも知ることができました。山城さん曰く「政府の手口があまりにも汚い」、そんな政府に一日でも早く引導を渡しましょう。まずは都議選がその第一歩ですね。
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 追記です。『しんぶん 赤旗』(17.6.22)に次のような記事が掲載されていました。
 核兵器禁止条約の国連会議が開かれているニューヨークの国連本部会議場で20日までに、2羽の折り鶴が空席の日本政府代表席に置かれました。
 日本政府は同会議の第1会期(3月)にも参加せず、国際NGO(非政府組織)のメンバーが「あなたがここにいてくれたら」と書いた折り鶴をだれもいない代表席に置いていました。
 安倍上等兵や自民党は必死になって隠そうとし、メディアもそれに協力していますが、間違いなく劣化した日本の現状は世界から注視されています。
by sabasaba13 | 2017-06-24 06:46 | 鶏肋 | Comments(0)

言葉の花綵162

 銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。…上から順々に四二人死んでもらう。奥さんにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか。(石牟礼道子 『苦海浄土』)

 占領当初の被追放者は、現在では完全に蘇生し、政界、財界、官界、あらゆるところで安楽に活動を続けている。「赤」の烙印を捺された労働者は「永久追放」であり、アメリカの占領政策として最初に追放の目標に選んだ「黒い」指導階級は、そんな烙印などとうの昔に消してしまって納まっているのである。(松本清張)

 苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。そして私は、何も恐れることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している。(杉原千畝)

 アメリカ政府のある高官が、イラク戦争についてのラジオ番組に出演した際にこう語った。「大量破壊兵器を使用した歴史を持つ恐怖の独裁国家は、国際社会から排除しなければならない。あの強欲で無能な大統領を拘束することに成功した今、全世界はより安全で幸せになった」
 番組終了後、局にはこんな問合せが殺到したという。
 「いつブッシュが捕まったんだ?」 (早坂隆 『世界反米ジョーク集』)

 こころざしつつたふれし乙女よ
 新しき光の中におきて思わむ
 まをとめのただ素直にて行きしにを
 囚へられ獄に死にき五年がほどに
 高き世をただめざす少女等ここに見れば
 伊藤千代子がことぞかなしき (土屋文明 『六月風』)

 核兵器廃絶は良くて非現実的、最悪の場合は危険を伴う空想だと批判する人もいる。冷戦による「長い平和」は、核抑止が大戦争を回避してきた証拠だと言う。しかし私は核兵器の使用を任されていた者として、この意見には断固反対する。核抑止とは難しく、もろいものだ。(ミハイル・ゴルバチョフ)

 八月初三、先月来町会よりの命令なりとて家々各縁の下または庭上に穴を掘れり。空襲を受けたる時避難する為なりと云。…去年は家の中の押入にかくれよと言ひ今年は穴を掘れと言ひ。来年はどうするにや。一定の方針なきは笑ふべく憐れむべきなり。(永井荷風 『断腸亭日乗』)

 毎日、戦争のために何百万というお金を使いながら、どうして医療施設や、芸術家や、貧しい人のために使うお金が一文もないのでしょう? 世界には食物があまって、腐らしているところがあるというのに、どうして餓死しなければならない人がいるのでしょうか? (アンネ・フランク)
by sabasaba13 | 2017-06-22 06:29 | 言葉の花綵 | Comments(0)

鎌倉の紫陽花 sanpo

 昨日の月曜日に休暇がとれたので、山ノ神と一緒に鎌倉の紫陽花を愛でてきました。三大名所のうち、成就院は植え替えのため今年まで紫陽花は見られないとのことなので、明月院と長谷寺をメインに歩いてきました。その他、インターネットで調べた穴場として、古民家ミュージアム、光則寺、御霊神社、虚空蔵堂、極楽寺を訪問。
 個人的な感想ですが、長谷寺の紫陽花が素晴らしかったですね。百花繚乱、斜面を埋めつくす紫陽花の饗宴には口を開けて見惚れてしまいました。たいへんな混雑でしたが、合理的な整理券システムが完備されており、スムーズに見学できました。明月院はやや期待外れ、思ったよりも花の数が少なくて残念でした。明月院ブルーは綺麗でしたが。想定外の穴場が、北鎌倉の古民家ミュージアムでした。鉢植えでしたが、さまざまな品種の紫陽花が艶やかに咲き誇り、山ノ神もいたく満足しておりました。
 いつになるかは分かりませんが、道中記は後日ということにして、写真を掲載します。

明月院
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明月院
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古民家ミュージアム
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古民家ミュージアム
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長谷寺
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長谷寺
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御霊神社
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極楽寺
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by sabasaba13 | 2017-06-20 06:31 | 鶏肋 | Comments(0)

言葉の花綵161

 お望みならば、私を売国奴と呼んでくださってもけっこうです。決しておそれません。…他国を侵略するばかりか、罪のない難民の上にこの世の地獄を平然と作りだしている人たちと同じ国民に属していることのほうを、私はより大きい恥としています。日中両国民の間には、いかなる基本的な敵対感情も存在していません。(長谷川テル)

 生命を生み出す母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます (「世界母親大会」宣言)

 凡そ戦いより生ずる所の災禍は誰か之れに当る乎。兵を執りて闘う者は即ち民なり、金を出して軍費に充る者は即ち民なり、慮舎焚焼せられて其害を受る者は即ち民なり。(中江兆民 『三酔人経倫問答』)

 「狂気」なしでは偉大な事業はなしとげられない、と申す人々も居られます。それはうそであります。「狂気」によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴います。真に偉大な事業は、「狂気」に捕えられやすい人間であることを、人一倍自覚した人間的な人間によって、誠実に執拗に地道になされるものであります。(渡辺一夫)

 私たちが音楽の美しさを共有したとき、私は私たちが兄弟姉妹であり、おなじ家族の一員なのだと知った。恐ろしい戦争が時を隔てようと、国と国とがばかげた縄張りを争おうと、私はずっとこの認識をもちつづけた。それは最後まで変わらないだろう。私は世界中の人びとが、幸福と、美を愛する心で結ばれて、一つの大きなコンサート会場にいるかのようにともに坐る日を待ち望んでいる。(パブロ・カザルス)

 中国大陸で…、女をはだかにし、一生懸命逃げるのをまるで兎か何かを狩るように撃った話を、何の良心のカシャクもなく、むしろ懐旧の念にかられて語る人に会ったことがあります。その人は、社会的に地位のある人であり、私の心は暗たんとしたことを覚えています。結論から申し上げれば、戦争責任の問題において、私の描きたいのは、こうした人々の内部の問題です。(今井正)

 戦争中の若者たちは、君に忠とかいわれて、命を捧げて出陣していきました。わたしの息子もそう。そして、とうとう帰りませんでした。だから、わたしは言いたい。人間兵器となって死んだ英雄たちよ。もう眠りから覚めよ、と。さァさァ、わたしたちと、一緒に立ち上がろう。さァさァ、協力しよう。永遠の平和を確立するために…。(阿波根昌鴻)
by sabasaba13 | 2017-06-18 06:30 | 言葉の花綵 | Comments(0)

共謀罪法案成立

 共謀罪法案が成立してしまいました。やれやれ。

 1943(昭和18)年6月25日、戦争が酣のころ、永井荷風が『断腸亭日乗』に書きつけた言葉を、ふと思い出しました。
 歴史ありて以来時として種々野蛮なる国家の存在せしことありしかど、現代日本の如き低劣滑稽なる政治の行はれしことはいまだかつて一たびもその例なかりけり。かくの如き国家と政府の行末はいかになるべきにや。
 壮吉さん、その行末がこのざまです。お恥ずかしい…

 夏目漱石は、日記(1901.3.21)の中に、こう記しています。
 未来は如何あるべきか。自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼する勿れ。真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来となって現わるべし。
 金之助さん。真面目に考えず、誠実に語らず、摯実に行なわなかった自民党・公明党・日本維新の会が播いた種は、これからどす黒く成長していくでしょう。おっしゃるとおり、その悪徳と悲劇に満ちた果実は、彼らに政権を委ねた私たち日本社会が収穫します。

 そして『ヒトラー』(イアン・カーショー 白水社)の中で紹介されていた、1933年1月末に、ルーデンドルフが大統領ヒンデンブルクに宛てた手紙の一節も脳裡をよぎります。(上p.402)
 この呪われた男がわれらの国を奈落の底へと突き落とし、わが国民は想像を絶する辛酸を舐めることになるに違いありません。あなたの所業に対して後世の人びとは死したあなたを謗るでしょう。
 ヘル・ルーデンドルフ、自民党・公明党・日本維新の会を支持してその候補者に一票を投じた方々、あるいは棄権をした方々は、その所業を謗られていることなど気にも留めないでしょう。

 それにしても、これほど愚劣で低劣で下劣な人物と政党を、何故多くの人びとが支持しているのか。その人たちが、同じく愚劣で低劣で下劣だとは思いたくありませんが…謎です。前掲書で、イアン・カーショーは、こう述べられています。
 ヒトラーの権力はヒトラー自身が作り出した部分もあるが、大部分は社会的な産物だった。すなわち、追従者がヒトラーに寄せた期待や意図から作り出されたものだった。これは、いくつかの決定的な瞬間にヒトラー自身がとった行動は権力を拡大するうえで重要ではなかったという意味ではない。ヒトラーの権力の衝撃性は、「個人」としてのヒトラーの特殊な性格にではなく、その指導者としての役割にある。そしてその役割はほかの人びとの過小評価、過ち、弱さ、協力のうえに成り立っていた。したがって、ヒトラーの権力を説明しようと思うならば、ヒトラーその人ではなく、まずはほかの人びとを見なければならない。(上p.24)
 なぜ多くの人びとが、安倍上等兵および自民党・公明党・日本維新の会を過小評価し、彼らを支持するという過ちを犯し、抵抗をあきらめるほど弱く、あるいは協力したのか。それについて本気で考えなくてはならないでしょう。その際にヒントとなるのが『永続敗戦論』(太田出版)の中の、白井聡氏の言葉です。
 三・一一以降のわれわれが、「各人が命をかけても護るべきもの」を真に見出し、それを合理的な思考によって裏づけられた確信へと高めることをやり遂げるならば、あの怪物的機械は止まる。なぜならそれは、われわれの知的および倫理的怠惰を燃料としているのだから。(p.185)
 そう、知的怠惰と倫理的怠惰が、なぜ私たちの社会を濃い霧のように覆ってしまったのか。そこから考えはじめるしかないと思います。

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by sabasaba13 | 2017-06-16 06:31 | 鶏肋 | Comments(0)

がんばれ、野党

 がんばれ、野党。

 を知れ、与党。
by sabasaba13 | 2017-06-15 06:34 | 鶏肋 | Comments(0)

マーラー交響曲第八番「千人の交響曲」

c0051620_6283485.jpg 気鋭の指揮者・山田和樹氏が、日本フィルハーモニーとともに三年をかけてマーラーの交響曲九作を年代順に振る「マーラー・ツィクルス」がいよいよ第3期に入りました。前回は交響曲第7番「夜の歌」、そして今回はいよいよ畢生の大作、交響曲第8番「千人の交響曲」です。『マーラーの交響曲』(金聖響+玉木正之 講談社現代新書)によると、この曲についてマーラーは次のような言葉を残しているそうです。(p.221)
 私は、ちょうど第八番の交響曲を完成させたところです。これは、これまでの私の作品のなかで最大の最も優れた作品で、内容的にも形式的にも非常にユニークで、他に例がなく、言葉で表現することができません。大宇宙が響きはじめる様子を想像してください。それは、もはや人間の声ではなく、運航する惑星であり、太陽そのものです。
 以前に、ガリー・ベルティーニの指揮で聴いたことがあるので、生で聴くのは二度目です。大宇宙の響きにまた包まれるのが楽しみです。

 会場はいつものように、Bunkamuraオーチャードホール。今回は三階席なのでホール全体を一望できますが、舞台の後ろ半分は合唱団のための演台が列をなし、前半分にはハープ四台にピアノ、チェレスタ、ハーモニウム、そして様々な打楽器群が置かれています。もうこれだけで、期待で胸ははちきれそう。
 まずは早稲田大学創立100周年を記念して武満徹が作曲した「星・島(スター・アイル) (オーケストラのための)」で身も心も浄められ、15分の休憩です。紫煙をくゆらして座席に戻ると、陸続と合唱団、そしてオーケストラのみなさんが登場し、舞台を埋め尽くしました。山ノ神が肘でつつくので指さす方を見ると、三階席の両側に譜面台が置かれていました。どうやらバンダ(オーケストラと離れた位置で演奏する小規模のアンサンブル)が加わるようですね。そして指揮者の山田和樹氏が登場して万雷の拍手を浴び、すぐに静寂がホールを包みます。一瞬の間を置き、タクトを上げて振り下ろすと、オルガンの重厚な響き、そしてVeni, creator spritus ! (来たれ、創造主である聖霊よ)という大合唱とオーケストラの音が、文字通りホールを揺るがしました。
 第一部は、中世のマインツの大司教ラバヌス・マウルスが創ったといわれる、創造主・キリスト・聖霊を讃えるラテン語の讃歌です。第二部は、ゲーテの『ファウスト』で、ファウストが天上界へ導かれていく最終場面がドイツ語で歌われます。いや、そうした註釈ぬきで、素晴らしい音楽に酔い、包まれ、感動することができました。自分という存在が消え失せて、大宇宙の響きと一体となったという稀有なる体験です。もう言葉もありません。
 とはいえ、興奮と感動が醒めやると、やはりマーラーがこの曲で表現したかったことが気になります。金聖響氏も前掲書の中で言っておられましたが、最後に歌われる「永遠に女性的なるものが私たちを引き上げる! (Das Ewig-Weibliche Zieht uns hinan !)」という謎のような言葉が鍵を握っていそうです。『ファウスト』の中で、ゲーテはこうも書いています。
 女性的な感覚の方が、人間を正しい方向に導く。
 マーラーは、当時(※初演は1910年)のヨーロッパ社会が間違った方向に進んでいて、それを矯正するには"女性的な感覚"が必要だと考え、それをこの巨大な音の伽藍で表現しようとしたのではないか。だとすると、その間違った方向とは何なのでしょう。それを考えるときに、ほぼ同時期に刊行されたマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904~5)が導きの糸になりそうです。私の文責で要約しますと、この時代、合理的産業経営を土台とする資本主義の社会的機構が、鋼鉄のようなメカニズム(鉄の檻)と化していました。その結果、諸個人の行動から倫理的な意味は消え失せ、貨幣の獲得のみが職業における有能さの結果であると信じ、徹底的に合理化された思考・行動によって競争相手を打ち負かし利潤を増やそうとする人間類型が登場することになります。精神のない専門人、心情のない享楽人。ヴェーバー曰く、「末人たち」(letzte Menschen)です。こうした人間類型に対して、彼が本書で掲げているのが「ファウスト的な人間の全面性」という表現です。それが「女性的なるもの」の正体ではないでしょうか。戦い・争い・競争を忌み嫌い、他者を蹴落とそうとせず、人間らしく生きようとすること。
 ちなみに、マーラーが唯一、個人に献呈したのがこの第八だそうです。相手は妻のアルマ・マーラー。この頃、マーラーはアルマが建築家ワルター・グロピウスと不倫関係にあることに気づき、どちらをとるかを彼女に決断させ、アルマはマーラーのもとに戻ってきました。しかし精神的に不安定になったマーラーはフロイトの診療を受けるとともに、第八番初演の準備や第十番の作曲に忙殺されていた時に、アルマにこの曲を献呈する決意をしたようです。彼女のなかに、十全なる"女性的なるもの"を見ていたのでしょう。

 何も考えずに曲に身をまかすだけで至福ですが、こうした思想的な背景を考えるとより深みと厚みが増すような気がします。この時代よりもますますletzte Menschenが跳梁跋扈しもてはやされる現代、マーラーの思いはより輝きをもって鳴り響きます。
by sabasaba13 | 2017-06-14 06:29 | 音楽 | Comments(0)